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墓っ地・ざ・ろっく!

tricot

tricot - 上出来

Artist tricot
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Album 『上出来』
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Tracklist
01. 言い尽くすトークします間も無く
02. 暴露
03. いない
04. ティシュー
05. カヨコ
06. 餌にもなれない
07. Dogs and Ducks
08. スーパーサマー
09. いつも
10. 夜の魔物
11. ひとやすみ
12. 上出来

昨年の1月、エイベックス傘下のカッティングエッジからメジャーデビューを果たし、同レーベル出身の「平成最悪のヴィジュアル系バンド」ことJanne Da Arcの正統後継者として、そして「メジャー行って終わったバンド」の典型としてやらかして解散待ったなしというか、所詮は時代遅れの化石レコード会社のベクソバンドの時点でどうでもいいっつーか、その「メジャー行って終わったバンド」を裏付ける同年の10月に発表されたメジャー2ndアルバム『10』は、その実験的なアプローチとJ-POP的なアプローチをゴチャ混ぜにしたまるで焦点の定まらない駄作だった。個人的に『10』は(これは当時のレビューにも書いた気がするけど)曲数を半分に減らして、EPのフォーマットでリリースしたらもっと真っ当に評価されたに違いないと。

そんな賛否両論のメジャー1stアルバム、およびメジャー2ndから約1年3ヶ月ぶりとなるメジャー3rdアルバム『上出来』は、そのメジャー1stにおける「あたしらは日本のハイムや!」とばかりに色気づいた作風、あるいはメジャー2ndにおける水曜日のカンパネラやジュディマリや相対性理論を連想させるゴリゴリのJ-POPと岡田拓郎トクマルシューゴに代表されるレフティな音楽の実験性をグチャグチャに混ぜ込んだ作風に対し、どっかの音楽批評気取りのオタクから「ハイム?ウォーペイント?オサレバンド気取ってんじゃねぇ!オメーらはオサレバンドになんか一生なれねぇんだよ!」と説教かまされたのかは露知らず、メジャー3rdとなる本作では打って変わってフラット≒平常心なtricotというか、少なくともメジャーデビュー以降では最も色気づいてない、いい意味でユルさのあるインディーズ時代の波長にチューニングを合わせてきた印象。

メジャーデビュー後のtricotは、裏声を多用して色気を出してきたイッキュウ中島のいかにもJ-POP的な歌メロをはじめ、リードギタリストのキダモティフォはキダモティフォでキレのあるソリッドなリフが縦横無尽に動き回るある種のメタルばりにド派手なギターメイク、そのキダーのダイナミズムが脳直的に楽曲に伝達しメリハリのある大胆な転調を織り交ぜた、兎にも角にもダイナミックでド派手な作風を繰り広げ、逆に言えばインディーズ時代とはひと味もふた味も違う一面が垣間見れたのも事実。

しかし、一転して普遍的なtricotへ回帰した本作では、イッキュウ中島のインディーズ時代を彷彿とさせる砕けたボーカルワークをはじめ、これまでの作為的な転調や作為的な変拍子よりも身体に染み付いた転調、つまり意識的な転調から無意識な転調を駆使したシームレスな楽曲構成を繰り広げる。また、#2“暴露”や#3“いない”におけるインディーズ時代にも見受けられなかったノイズとはまたちょっと違うエクスペリメンタルなギターアプローチ、例えるならノイズ界の重鎮スティーヴ・アルビニが監修したかのようなヴィンテージ風の音作りからは、インディーズ・ネイティブならではの“こだわり”を伺わせる。俄然インディーズ時代のバンドとしての生々しいグルーヴ感を求めたような作風というか、そういった意味でも一曲一曲の粒立ちの点の意識からアルバム全体の線に意識が移った印象。なんだろう、例えるならメジャーデビューを知らされていない状態で曲を書いたtricotみたいな。


アルバムの幕開けを飾る#1“言い尽くすトークします間も無く”からして、それこそ派手さとは無縁のアメリカ中西部のマスロック的な質素なリフでミニマルに構築する曲で、インディーズ時代のtricotならではの心地よいユルさに故郷という名のノスタルジーが蘇る。メジャー2ndにおける水曜日のカンパネラからのケツメイシあるいはオレンジレンジを連想させるイッキュウ中島なりのJラップを披露する#6“カヨコ”、メジャー1stで培ったメタル魂を継承したKDMTFの鬼キザミが炸裂する#9“いつも”、中でもマーズ・ヴォルタ的ファンキーなリフメイクやサイケなアレンジが際立った#6“餌にもなれない”のぶっきら棒なノリをはじめ、本作における“インディーズ回帰”をより強く印象づける再録の#8“スーパーサマー”は、この一曲を根っこにアルバム全体の波長を合わせたような感覚すら植え付ける。

このように、良くも悪くも普遍的なtricotに回帰しながらも、メジャー以降に培った実験的な要素も本作のサウンド面にしっかりと落とし込んでいる。それこそメジャー以降の作品が苦手だって人に受ける気がする。個人的には、黒盤が(ノスタルジックな肌触りも含めて)色々な意味でドンピシャ過ぎたのでアレだけど、この辺は完全に好みの問題だと思う。また、本作におけるインスト版の存在意義というのは、サブスクの再生数稼ぎなんかでは決してなく(←コラ)、まさに音作りの面で新たな試みに挑戦している事に紐付いている。
とにかく、このタイミングで改めてバンドの立ち位置をより戻してきた作品であり、改めて器用なバンドやなと素直に感心すること請け合いの一枚。

tricot 『10』

Artist tricot
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Album 『10』
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Tracklist
01. おまえ
02. サマーナイトタウン
03. WARP
04.
05. 炒飯
06. あげない
07. 悪戯
08. 幽霊船
09. Laststep
10. 體

なんだろうね、普通ならtricotの新作がリリースされることを素直に喜ぶべきなのに、リリース日の直前にまさかあんな訃報が届くなんて、本当になんなんだろうね。少なからず言える事は、「メジャー」なんてロクなもんじゃないことはSiggy Jr.赤い公園が身をもって証明してくれたのと、津野米咲の頭の中には盟友tricotの新譜がリリースされるソースはどこにもなかったんだってこと。というより、tricot赤い公園がライバル関係あるいは盟友だなんてのはただの妄信だったのかもしれない。しかしながら、こいつらなかなか薄情な奴らだなって。

その「メジャー1stアルバム」という、日本でメジャーデビューしたバンドならではの大々的な謳い文句を引っ提げて、かのエイベックス内にあるカッティングエッジからメジャーの仲間入りを果たしたtricotさんは、晴れてエイベックス〜カッティングエッジの大先輩である(ベーシストの粥がやらかして解散した)「平成最悪のヴィジュアル系バンド」ことJanne Da Arcの正当後継者となり、いわゆる「メジャー行って終わったバンド」としての大きな一歩を踏み出した。一足も二足も先にメジャーデビューした赤い公園がどんな事になったのかなんて無意味な話はさて置き・・・と見せかけて、メジャーデビューした赤い公園で苦労したであろう津野からしてみれば「オメーら一丁前に大手からメジャーデビューしてんじゃねーよwしかもよりによってべクソかよべクソwあ、ウチはウチでファッキソ・ソニーだったわw」てな感じかもしれない。知らんけどw

今年はコロナ禍の影響で、ろくにライブツアーができない状態が続いているので、必然的にミュージシャンは家に引きこもって作曲する暇しかないせいか、昨年に13年ぶりとなる新作を発表したヘヴィロック界のレジェンド=TOOLが早くも新曲に取りかかっているという皮肉めいた冗談か噂話が囁かれる始末。とにかくアーティストの活動スケジュールを全て予定変更せざるを得ない状況の中、今年の1月にに「メジャー1stアルバム」となる『真っ黒』をリリースしたばかりのtricotも例外はなく、その前作から約9ヶ月ぶりに「メジャー2ndアルバム」となる『10』を発表した。この『10』という数字はデビュー10周年の『10』を意味している。

前作の『真っ黒』は「メジャー1stアルバム」のプレッシャーか、メジャー感バリバリの方向へと色気づいたドギツいギトギトメイクのtricotだったけど、本作の『10』はそのド派手メイクの前作ほど変に肩肘も気負ってもない適度なユルさのある、いわゆる「メジャー2ndアルバム」というよりは、どこにも色気づいていない「いつものtricot」すなわちノーメイクのtricot、つまりインディーズ時代に近いフラットな状態のtricotがEPのような実験的なアプローチをフルアルバムの尺でやってみたような印象。それこそ「メジャー1stアルバム」の押し売りみたいな日本の音楽業界特有のメジャー至上主義に引いた人には間違いなく合うと思う(メジャーには変わりないけどw)。

色々やってる本作、前作のメタル/ハードコアにイキってたリフは鳴りを潜め、良くも悪くも教科書通りのマスロックに回帰したようなリフ回しを中心に、3人のコーラス/ハーモニーが映えるちょっと歌謡曲っぽい雰囲気が新鮮な#2“サマーナイトタウン”、らしい転調転調雨転調から相対性理論でもお馴染みのリフレインと水曜日のカンパネラのコムアイに化けたイッキュウ中嶋のラップが織りなす渋谷系tricotの#3“WARP”(そういえばコムアイって今何してんの?活動家?)。本作における「実験性」を司る#4“箱”は、全編に渡りパーカッションをフィーチャーしたスティーヴン・ウィルソン〜トクマルシューゴ〜岡田拓郎ラインに精通するニューエイジナンバーかと思えば、次の#5“炒飯”も同様にやくしまるえつこがヤクマルシューゴ化した相対整理論『TOWN AGE』風のリフ回しや陽気な口笛からも、俄然トクマルシューゴ〜ヤクマルシューゴ〜岡田拓郎ラインが総出演の映画『PARKS パークス』の井の頭公園界隈に大胆にアプローチしていく。この序盤の流れからもわかるように、そのトクマルシューゴ〜ヤクマルシューゴ色の強さからも「ほ〜こっち側に寄せて来たか」と、初めはちょっと想定外の反応を示したのも事実。で、その相対性理論的なイメージから思い出されるtricotのアルバムと言えば2ndアルバムの『A N D』に他ならなくて、適当に例えるなら前作の『真っ黒』がインディーズ時代における『T H E』で、この『10』がインディーズ時代における『A N D』みたいな立ち位置。

『真っ黒』における“低速道路”みたいなミニマルにトリップする#6“あげない”、サビのメロがジュディマリの“LOVER SOUL”感のあるキャッチーな歌モノの#7“悪戯”、切ない系の歌モノポップスの#8“幽霊船”、「この曲いかにもインディーズ時代のトリコットって感じだな」と思ったら『爆裂パニエさん』の“Laststep”だった#9、椎名林檎リスペクトなオルタナティブでアヴァンギャルドな実験性を内包したラストの#10“體”まで、デビュー10周年だから全10曲なのかは知らんけど、実験的かつ挑戦的なアルバム前半と比べてアルバム後半は比較的歌モノ傾向のtricotって感じで、謎のジュディマリ感の強い歌モノは歌モノでも『真っ黒』に収録された歌モノの方がメロディの質は断然上です。あと同じ水カン=コムアイリスペクトでもポエトリーラッパーの春ねむりの方が全然コアで面白いことやってますね。

そもそも、インディーズ時代の“Laststep”のリメイクした曲が収録されてる時点で、必然的にインディーズ時代のtricotをフラッシュバックさせる事を意図したような作品で、前作の『真っ黒』が苦手だった人を見捨てず、しっかりとフォローするバンドの器の広さを証明するような一枚でもある。改めて「色々やってる」このアルバムの形式を装った実質EPは、その『A N D』時代を連想させる曲や、ニューエイジやコムアイばりのラップを駆使した実験的な曲、いかにもメジャーな曲まで、このメジャー行ってもインディーズ時代と何ら変わらない音を自由に鳴らせる二面性、つまり「日本のメタリカ」の異名を持つバンドならではのソリッドでゴリゴリなリフも書ければ、一方でスティーヴン・ウィルソンみたいなウェットでウィットに富んだ実験性を内包した曲も書けちゃう二面性こそtricotの真髄と言える。

確かに、この程度の内容ならアルバム形式じゃなくて実験的な曲だけのEPでよかったんじゃないかと思ったけど、それはべクソという名の問屋が卸さないか。でもアルバム後半に無理くりポップな歌モノ入れる必要があったのかという疑問もあって、とは言えライブツアーがまともに実施されていたら本作はリリースすらされていなかった可能性云々のタラレバはここで語ってもしょうがない。というか、この『10』もデビュー10周年の集大成と意気込んでいる割には小遣い稼ぎにもならないような内容だし(いかにもメジャーなダサ過ぎるジャケも嫌い)、このメジャーデビューして終わった薄情バンドもそろそろ解散が近いんじゃないかな。それまでさぞお偉いさんのべクソとファッキソ・ソニーでやり合ってろよw

tricot 『真っ黒』

Artist tricot
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Album 『真っ黒』
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Tracklist
01. 混ぜるな危険
04. みてて
05. 秘蜜
06. 低速道路
07. 順風満帆
08. なか
09. ワンシーズン
10. 危なくなく無い街へ
11. 真っ白

メジャー行って終わったバンドって星の数ほどいるけれど、まさかあのtricotがメジャー行って終わるなんて思ってもみなかった。

つい最近、自分の中にある「メジャー行って終わったバンド」を挙げるとするなら、それは2019年に解散したSiggy Jr.以外に考えつかなかった。もう何年前だろう、2015年前後に初めてインディーズ時代のSiggy Jr.を知って、その突き抜けたポップセンスがたちまち巷で評判を呼ぶと、彼らは瞬く間に大手レーベルからメジャーデビューを果たした。しかし、メジャー1発目のシングルを聴いた時、僕は「これはダメだ、インディーズ時代にあったシギーの良さがまるで消え去っている」と、自分が過去のレビューに書いた事とは真逆の事をやっていると思った。しかもインディーズ時代のウリだった池田智子の“オタサーの姫”感を排除しようとする動き、例えるなら上京して間もない田舎のカッペ女が無理して都会の女に染まろうとするビジュアル面での変化も今思えば致命的だった。このように、メジャーデビューしてからユニークな楽曲センスや個性的なビジュアル面でも脱オタサーの姫を図り、インディーズ時代に培った個性を捨てて平凡なJ-POPを目指している事を知ってからは、僕は二度とシギーに興味を示すことはなかった(広瀬すず池田智子のCM共演を除いて)(今思えばこれもメジャー効果か)。もちろん、このアーティストの個性をなくすような“イメチェン”はレーベルからの指示なのか、それとも自らの意思で行った事なのかは知る由もなかった。

そして、また今から数年前に大手は大手でも(自分がアーティストの墓場だと認識してる)レーベルに移籍という名の“都落ち”したという話を耳にしてから間もなくして「解散」が発表された時は「やっぱりか...」と全てを悟った。もちろん、自分にはあの“メジャーデビュー曲”を聴いた瞬間にこの最悪の結末が見えてしまったので、いざ「解散」の文字を見てもさして驚きはなかった。この書き方だと、まるで売れなくて解散したみたいな感じになってるけど、それは恐らく誤解で、きっとSiggy Jr.のメンバーはメジャーシーンでやれる事を全てやりきった結果、バンドが持ちうる才能を全て出し切った結果、その結論として導き出した答えが解散の道だったというだけで、決してネガティブな解散ではないのは想像しなくても分かる。しかし、このシギーが歩んだインディーズ時代からメジャーデビュー、そして解散までの流れは、自分の中にある「メジャー行って終わったバンド」リストに追加しないわけにはいかないほど、自分の中に広さ1mm、深さ30cm程のトラウマを残した。他で「(結果的に)メジャー行って終わったバンド」を挙げるとすれば、それは2019年に活動休止を発表したきのこ帝国で、まぁきのこ帝国の晩年は佐藤千亜妃「うちソロやりたいねん」オーラに飲み込まれた感じだけどw

そんな前振りがあっての、本題となる“インディーズ界の女番長”の異名を持つtricotのメジャーデビューに関する話。確かに、確かにtricotがメジャーデビューすること自体は意外でも何でもない、ほとんどの人にとって“想定内”かも知れない。事実、僕は過去のレビューにこういうバンドがメジャー行ったら面白いと書いた憶えがある。実際、昨年にtricotがメジャーデビューすると聞いた時は「おぉ、遂に来たか!」と、むしろ肯定的な反応を示した。そしてメジャーデビューするにあたって一番肝心のレーベル先について、それが業界最大手のエイベックスだと知った時も「エイベックソ...うん、まぁ、いいんじゃない?」と。しかし、厳密にというか細部に言うとエイベックス内のカッティングエッジ(cutting edge)に所属すると聞いた時は自分の耳を疑った。次の瞬間、自分の中で『悪夢』が蘇り、まるで稲川淳二が怪談を語る時のような形相でダメだダメだダメだ、こいつらダメだ、こいつら危ない、こいつら“平成最悪のヴィジュアル系バンド”の後継者だ、こいつら2秒で解散だと恐怖に慄いた。

平成最悪のヴィジュアル系バンド・・・その正体こそ、十数年間の活動休止を経て令和元年に解散は解散でも“やらかし解散”を発表したJanne Da Arcに他ならない。確かに、tricotジャンヌダルクなんて世代も活動時期もジャンルも違うし共通点なんてあるはずもない。しかし、tricotがメジャーデビューしたことで一生相容れる事のない2組のバンドにある一つの「繋がり」が生まれた。それというのも、実は“平成最悪のヴィジュアル系バンド”ことジャンヌダルクも、1999年にエイベックソ内のカッティングエッジ(のちにサブレーベルのmotolodに所属)から“ヴィジュアル系バンドの最終兵器”として鳴り物入りでメジャーデビューしたバンドで、しかし2007年に活動休止という名の長きにわたる実質的な解散状態を経て、令和元年4月1日に公式に解散を発表したことが記憶に新しい。かつては“ヴィジュアル系バンドの最終兵器”と謳われたバンドの最期が“平成最悪のヴィジュアル系バンド”という汚名を背負う最悪の結末を迎えたかと思いきや、よくよく考えてみたらV系界ではよくあるオチでしかなかった。

時を同じくして令和元年、その“平成最悪のヴィジュアル系バンド”の解散と入れ替わるようにして、同じ関西出身のtricotが同じエイベックソ内のカッティングエッジからメジャーデビューするなんて、周り(野球部)のチームメイトがやれバンプだ、やれレンジだ、やれザイルだ、やれ湘南乃風だ、やれケツメイシ“桜”だ、やれ全盛期の鈴木えみだ、やれなんだと盛り上がるなか隠れてジャンヌ“桜”を聴いて青春時代を過ごした自分からしたら、今回の件は『悪夢』としか言いようがなかった(神はなぜ僕を追い詰めるのだろう)。この理屈から極論を言うと、どうせtricotジャンヌと同じようにやらかして解散する運命にある。とは言っても、女メンバーが中心のtricotの誰がやらかすって?そもそも過去に在籍していた男ドラマーが既にやらかしてんじゃん(←ってコラw)。それに懲りて唯一の男メンバーであり新ドラマーの(“新”ってもう付けなくてもいい)吉田くんは間違いなく聖人男性だから、身辺調査してもホコリひとつ落ちてこないと思うし。それじゃあ一体誰がやらかすって?そりゃ反社とのズブズブの繋がりを指摘された吉本興業所属の稲垣メンバーおよび毒キノコも在籍する実質反社マッキーバンド、その名もジェニーハイのフロントウーマンを務めるイッキュウ中嶋がやらかすに決まってる(ジェニーハイの“ハイ”はドラッグで“ハイ”になってるから説)。というか、吉本興業の芸人とバンド組んでる時点でもう既に実質やらかしてるのと同じでしょ(よって解散)。何がシャレにならない、もう笑えないって、実は“平成最悪のヴィジュアル系バンド”が活動休止という名の事実上の解散状態だった頃に、フロントマンであるyasuこと林保徳のソロプロジェクト=Acid Black Cherryがリリースしたアルバムを筆頭にほぼ全ての作品のクレジットには、これまた反社への闇営業が発覚して活動自粛に追いやられた吉本芸人の“ロンドンブーツ1号&2号”の名前が(しかも作品の内容と全く関わりがなくても)クレジットされていること(はい解散)(既に解散)(解散解散雨解散)。

ただでさえ、実質ジャンヌダルクを解散に追いやったエイベックソ内のcutting edgeというトラウマ級の「繋がり」があるのに、これまた皮肉にもベーシストのが反社絡みでやらかしたジャンヌダルクと同じように、またフロント(ウー)マンのサイドプロジェクトでも反社とズブズブの吉本案件でもtricot、厳密に言えばイッキュウ中嶋は根深く繋がっているんだよね(2秒で解散)。つまり、今のtricotを取り巻く全ての環境が“平成最悪のヴィジュアル系バンド”の正統後継者と断言していいんですね。このまま(皮肉にも同じ京都出身の)おとぼけビ〜バ〜『いてこまヒッツ』されて、海外における評価もメルトバナナの正統後継者としての立場を奪われて“令和最悪のオトボ系バンド”として2秒で解散する未来しか見えねぇわ・・・。しかし、まさか本当にイッキュウ中嶋が変な反社男にそそのかされてバンド生命が終わるなんて・・・こうなったのも全てこういうバンドがメジャー行ったら面白いと進言した僕のせいです。今ここで全世界のトリコットファンに謝罪します。ちなみに、僕は反社ではなく親しみやすい街づくりを、より良い社会ををモットーに今を生きる“親社”です!!!!!!!よろしくお願いします!!!!!!!

そんな青春のトラウマをエグるような『悪夢』にうなされながら、もはやインディーズ最後のアルバムとなった『3』から約3年ぶり、いわゆる“メジャーデビューアルバム”と称される4thアルバム『真っ黒』を聴く前の時点で、本作におけるtricotを取り巻く環境=ガワの部分が地獄としか言いようがないので、どうせやらかして解散するのでわざわざ聴くまでもなく普通に駄作です。まぁ、これでトリコットも見納めならぬ聴き納めとばかり、一回だけ、せめて最初の一曲だけ聴いてイテコマしようと思い、今作の幕開けを飾る#1“混ぜるな危険”を再生した瞬間、それこそAudiotreeの生々しいスタジオライブ感を引き連れてくるセンターラインのヒロミヒロヒロのベース、間髪入れずに右側から入ってくるリフ、そして45秒からの右からイッキュウ中嶋、左からKDMTFが引き倒す超絶epicなリフバトルを耳にして開口一番に出てきた言葉が、数週間ぶり、厳密にいえばレジェンドenvyの新譜ぶりの「ホーリーシー」だった。なんだろう、この気分をドラッグのように“ハイ”にさせるエピック感って。なんだろう、身近な音で例えるならSWことスティーヴン・ウィルソンがエクストリームメタル化した“Ancestral”の「デレッ デレッデレッデレッ」的な、それと同じようにこの曲のリフを口ギターで例えると「デデッ デッ デッ デッ デデッ デッ デッ デッ」みたいな。要するに、いわゆるプログレ側のバンドがメタル化する典型的なリフ回しからして勝ち確。

元々、自分の中でトリコットSWって共振する部分があって、もしかすると今回のメジャーデビューもSWが大手のユニバーサルミュージックからメジャーデビューしたことを意識してのことかもしれない(ネーよ)。ともあれ、これまでずっとインディーズというか自主レーベルでやってきた“インディーズ界の最終兵器”がなぜ今になってメジャーデビューなのか?そもそもインディーズバンドのメジャーデビューが音楽ファンに嫌われる理由って様々だと思うけど、その最たる理由の一つが「音楽性が変わる」ことに対する懸念と言える。それこそ少しマニアックというか、それこそコアでアンダーグラウンドな音楽性が高く評価されているトリコットなんてのは、このテーマには持ってこいな「まさに」って感じのバンドだ。

俺流の「メジャーマイナー」理論で例えるなら、これまではインディーズ=「マイナーマイナー」の立ち位置で自分たちの音楽と向き合ってきたトリコット。しかし、厳密にいえば前作『3』の最後に収録された“メロンソーダ”に至るまでが「マイナーマイナー」で、そして“メロンソーダ”で明確に「マイナーメジャー」に変わった事を示唆し、この度のメジャー行き路線の切符という名の伏線をおっ立てていたのも事実。さらに厳密にいえば、初期衝動的を内包した1stアルバム『T H E』、耳を慣れさせるようにJ-POP的な側面を垣間見せた2ndアルバム『A N D』、次作の『3』で再びマスロック路線に回帰したかと思いきや、最後の最後に“メロンソーダ”という名の伏線を回収してからメジャーデビュー。そういった意味では、“メロンソーダ”がメジャー行きへの伏線、その最後のトリガーを引いたと言っても過言じゃなくて、その真意はともかくとして少なくとも自分の中では“メロンソーダ”から地続きで繋がってるのが、このアルバム『真っ黒』なんですね。


インディーズバンドがメジャー行って終わる大きな要因の一つとして挙げられるのは、単純に「ポップ化」すること、いわゆる“売れ線”と呼ばれる曲を乱発し始める懸念だ。しかし、このトリコットの場合はポップ化するよりむしろ逆に初っ端からエピック・メタルばりのリフを叩き込んだかと思えば、イントロから“らしさ”が光るリード曲の#3“あふれる”宇宙コンビニのオマージュみたいな転調パートでは、日本を代表するデスメタル女子こと広瀬すずリスペクトな90年代デスメタルの雄DEATHばりのベースラインを披露する。この時点で「こんなリフ今まで聴いたことがない!」の連続で、もはやトリコット“メジャーデビュー”したのではなく“デスメタルデビュー”したんだと確信した(そもそも、こいつら日本のメタリカみたいなもんだしw)。

その広瀬すずばりに“デスメタル化したトリコット”から一転して、#4“みてて”ではピンポイントで(今や“東京コロリンピックの広告塔”であり晴れて“日本一ダサい女”となった)椎名林檎の2ndアルバム『勝訴ストリップ』をリスペクトしつつ、今度は自身の2ndアルバムの“走れ”をルーツとする#5“秘蜜”では、三十路の“オトナ女子”が醸し出すアンニュイでフェミニンな香りがタバコの“副流煙”のように徐々に体内へと侵食し、猥雑な欲にまみれた底なし沼にどこまでも堕ちていくような、中盤以降の緩やかにトリップしていく感覚はそこはかとないSW臭というよりも、初期のアイツら思い出した。そのアウトロ的な位置づけの曲で、2ndアルバムの“神戸ナンバー”への回答を示す#6“低速道路”

歌詞に関してもメジャー行って終わる、もとい変わる。ここでまた“平成最悪のヴィジュアル系バンド”ことジャンヌダルクを例に出すと、インディーズ時代はV系バンド然とした病んだメンヘラ女の日常みたいな歌詞が多かったのに対して、メジャーデビューして期間が長くなるにつれてメンヘラ女の日常から普通のOL女の日常みたいな歌詞ばかりになって、最終的にアニソンバンドに成り下がって、そのまま最悪の結末=やらかして解散したのがジャンヌだ。実のところ音楽的にポップ化して終わる云々よりも、この歌詞に関する変化こそが「メジャーデビューするということ」なのかもしれない。

インディーズ時代の隠れた名曲“slow line”をメジャー化させたような#7“順風満帆”は、何故かジャンヌダルクの最後のオリジナルアルバムとなった『Joker』“D DROP”の底抜けにポジティブな日常系の歌詞を思い出した(やっぱり解散)。メジャー行って終わるどころか、むしろメジャー然とした“ポップでキャッチー”で“売れ線”のこの“順風満帆”が一番良いまである。どうでもいいけど、歌詞にあるアジアで今流行ってるヤバイ病は〜の部分は、まるで某コロナの発生を予言していたかのような歌詞で、それと同時にコロナリスクのせいで自分の誕生日に開催されたトリコリコのワンマン『真っ白』ツアーに行くのやめた事を思い出して(今回のライブはガチで行きたかった・・・)、色々な意味でシャレにならない、もう笑えない歌詞だなって。

素っ頓狂なユル〜い気怠さをまとったラップ調と歌詞が印象的な#8“なか”は、コミカルなアレンジが宇宙コンビニ〜森は生きているラインを連想させる。実は、このアルバムを聴いた当初から今作の裏には何かがあると、何かが潜んでいると。なんだろうこの正体・・・って。その正体は#9“ワンシーズン”の中にあって、そのコーラスワークや一瞬だけ垣間見せる空間描写をはじめダウナーな雰囲気からして「ハッ!?初期のウォーペイントやんこれ。裏にウォーペイントおるやん」と。これまでは全然(というほどでもないけど)そんなイメージなかったのに、今作はめちゃくちゃウォーペイント味を感じる。なんだろう、1曲目の“混ぜるな危険”のセッション的なライブ感の正体って、それこそウォーペイント『S/T』“Intro”を聴いた時に感じた「ほんの2分に満たない尺の中に圧倒的な“凄み”が凝縮されてる感じ」のそれに近くて、その伏線回収というか全てが繋がったような気がした。もちろん、鳴らしてる音の出所はまるで違うのだけど、その空間と空間にある隙間が醸し出す空気感が瓜二つなんですね。しかしながら、AURORAの新譜の“In Bottles”といい、今年に入って立て続けにウォーペイントを連想させる案件は一体なんの伏線なんだ・・・?

ここまで書いて思ったのは、トリコットがメジャー行って一番変わった事って、実はイッキュウ中嶋の歌なんじゃねえかって。過去作と比較して今作の何が1番のパンチラインかって、まず真っ先にイッキュウ中嶋の歌が普通に上手くなってて困惑すること。失礼ながら、インディーズ時代のトリコットには歌唱力というか歌い手としての表現力はそこまで求められないし、求めていない音楽性だったと思うのだけど、しかしメジャーデビューするにあたってJ-POPないしメインストリームないしオーバーグラウンドでやっていくからには、例えば地上波のTVに出しても恥ずかしくないボーカリストとしての表現力が必要だと思ったのかは知る由もないけど、それこそジェニーハイにおけるイッキュウ中嶋の活動って、ギターという重荷を捨てて“歌”に集中できる環境に身を置いて、自身のボーカル力の向上のみならず、本家のトリコットには不可能なMステをはじめする地上波のTV出演で得られる知名度の貢献、それらのジェニーハイにおける活動は全てトリコットの音楽に(不足しているものを)還元するために必要不可欠な動きだったと考えたら、こんなスケールのデカい女巨人見たことねぇ、どんだけ“いい女”なんだってなるけど、それは流石に言い過ぎかw もちろん、イッキュウ中嶋の知名度なんてヘタしたら佐村河内もとい新垣隆以下だろうし、実際にイッキュウをTVで見たら「紅一点のはずなのに華がなさすぎるだろ・・・」ってなったけどw でも素直に歌うまなったのは評価すべき点ではある(トリコットなのに歌がいいとはこれいかに)。

タイトルの『真っ黒』から推測するに表題の“真っ黒”と対となる“真っ白”にピークを持ってくるかと思いきや、実は今作のハイライトはその前にある#10“危なく無い街へ”にあって、イントロからリヴァーブを効かせたシューゲイザー要素やイッキュウ中嶋の歌手として著しく成長した表現力を垣間見せつつ、そしてクライマックスを飾るきのこ帝国のギタリスト=あーちゃんの陰陽座魂が憑依してんじゃねえかぐらいのKDMTFによるバンド史上初?となる泣きのギターソロに涙腺崩壊。この一貫してドリーミーなアレンジを効かせた意味深な曲、ある意味でメジャー行って終わったきのこ帝国へ贈るレクイエムなんじゃねえかと思ったら更に涙腺崩壊。

音作りという点でもメジャー化の影響は少なからずあって、それこそナンバーガールの影響下にあるアンダーグラウンドなジャギい“コアさ”は皆無に近くて、例えるならギターの毒素を内包していた音の先端のトゲやエッジをヤスリで丸く整えて音がソフトに柔らかくなって洗練された印象(カッティングエッジなのに“エッジ”がないとはこれいかにw)。それこそ変拍子に頼ったコアベースのマスロックというより、それこそトリコットと一緒に北米ツアーを回ったCHONがJ-POP化したみたいな、とにかくギターの音作りや暖かな音色、そして西海岸の匂いまで、今作のほぼ全てのインストにCHONが参加してんじゃねぇかと錯覚するぐらいにはCHON。そのCHONがフジロックをはじめ日本のフェスに何食わぬ顔で出演してたのは流石に笑ったけど。そのCHONも影響を受けている日本のマスロックレジェンドtoeリスペクトなミニマルなインストの#11“真っ白”。ちなみに、海外ではtoeトリコットはレーベルメイトで、実は初期のDefeaterもメイトでありAudiotree仲間でもある。

トリコリコのアルバムの最後の曲ってアルバムのハイライトやアイコニックな何かを象徴するのではなく、あくまでもトリコットの源流にあるものというか、バンドの標準値あるいは標語的な音というか、最終的に「普通」で居られる唯一の場所“帰るべき場所”に帰ってくるイメージあって、今作のラストを飾る“真っ黒”もいい意味で過去曲のセルフカバーなんじゃねぇかと錯覚するぐらいには既視感しかない曲で、「すげぇ、何も変わってねぇ」って安心する。なんだろう、そういった意味では「マイナーメジャー」“メロンソーダ”へのカウンターとしての「メジャーメイナー」なインディーズという名の故郷に帰ってきたノスタルジックな感覚。

この“真っ白”“真っ黒”というワードから思い出されるのは、他ならぬトリコットの盟友某RED PARKがインディーズ時代に発表した『透明なのか黒なのか』『ランドリーで漂白を』という通称“白黒盤”だ。トリコットは前作の『3』のパッケージが“透明”で本作が“黒”、そして今作に伴うツアータイトルが『真っ白ツアー』ということで、この辺は佐藤千亜妃じゃない方の佐藤千明が脱退して実質解散した盟友のインディーズ時代を意識してのことなのかは知らんけど、少なからず今作を構成するシューゲイザー〜ドリーム・ポップ〜オルタナ的な側面および細かいギミック面は、某RED PARKときのこ帝国がインディーズでやってきたことのオマージュであり、それを盟友のトリコットがメジャーの舞台でやってのけていると解釈したら、つまりこれってトリコットなりの『猛烈リトミック』なんじゃねぇかと考えたら、ちょっとは泣けるんじゃねぇの。知らんけど。

なんだろう、インディーズ側からの引力とメジャー側からの引力とくが互いに均等な力で引き合っている感覚、つまりインディーズとメジャーの垣根を超え、海外も国内もボーダーレスに自由気ままに行き来する自由人となったトリコリコは、メジャーとマイナーのド真ん中の線上=“超えちゃいけないライン”の上で大道芸人ばりにパフォーマンスを披露する天才と言える。厳密に言えば、“平成最悪のヴィジュアル系バンド”の正統後継者兼天才だ。それこそ、自らの道を見失って解散したSiggy Jr.とは真逆の発想、言うなれば「インディーズ=自由」「メジャー=不自由」みたいな一方的な偏った印象で語られる、メジャーでは様々な制約だったり何かを強制されるイメージとは真逆の発想であり、むしろこのトリコットにとってはメジャーこそ「自由」のある場所だったんだ。むしろこれまでは“インディーズ”という言葉に縛られていたかのように。トリコットがメジャーデビューして手にしたのは、インディーズとメジャーの壁を超えた「自由な音楽」、音楽が本来あるべき「自由」な姿を取り戻したんだ。「音楽イズ自由」だってことをこの歳になって改めて思い知らされた。だから、このアルバムを聴くたびに「自分らまだこんなリフ書けるんや」とか、「こんなに歌えるんだなw」とか、メジャー行って晴れて「自由」の身となりあらゆるギミックが解禁されたお陰で、インディーズ時代では聴けなかったような音や歌の引き出しの多さ、豊富なバリエーションに常にワクワクドキドキしっぱなしで、とにかく単純なことで驚きが多かった。それこそ“メジャーデビュー作”とかいう日本の音楽業界特有の謎の表現、そのクソみたいな概念をぶっ壊すような、メジャーやインディーズという概念を再定義するかのような金字塔と呼べる、もはや“逆メジャー”という全く新しい概念を生み出している。とにかくメジャー行ってようやく本気出し始めたんじゃねぇかって、その勢いでどさくさに紛れてウォーペイントのベースみたいにイッキュウがチクビ解禁すんじゃねぇかと焦った。そしてこういうバンドがメジャー行ったら面白いと進言した僕の目に狂いはなかったんだって。むしろ逆にメジャー行って始まったバンドとしてブレイク待ったなしです。もう今にもイッキュウ林保徳みたいにライブMCで「“エイベックソ”って言わんとってなw」みたいなこと言い出しそうだし、そんでABCみたいにエイベックス主催のa-nationに出ても全然驚かねぇわw

こう見えてやってることはめちゃくちゃシンプルで、一つはこれまでのインディーズ時代に培ったもの、2つは(たかだか数本ライブしただけで“海外ツアー”を名乗るチンカスバンドとは違う)本場北米のバンドと本物の“ツアー”を成し遂げて得た経験、そのCHONウォーペイントをはじめとする海外勢からの影響、3つはメジャー行ったことでより表面化したメンバーが10代の多感な時期に影響された椎名林檎リスペクト、そして4つはジェニーハイでフロントウーマンとして得たボーカル力、つまりポップ化するところはとことんポップに、デスメタル化するところではとことんデスメタルに、それらを分かりやすく表面化させた結果がこの『真っ黒』なんですね。誤解して欲しくないのは、決して“わかりやすい”=“つまらない”ではなくて、確かに音が丸くなったっていう批判も至極真っ当な意見だと思うけど、しかしそれ以上に過去イチのメタルリフ、過去イチの歌、J-POPならではのセンチな気分にさせる過去イチの切ないメロディ、全ての音が“過去イチ”に更新されているヤバさのが上回る。変拍子うんぬん以前に、ロックというジャンルにおける最も普遍的な要素、それらの基準値が過去作と比べてダンチにカッコいい。もはや“完全究極体トリコリコ”に化けた感ある。

今のtricotと今のenvyって少し境遇が似てて、マネー的にも、音楽的にも、そして女としても“色気づいてきた”と言っていいかもしれない。マネー的には元メンバー前澤友作のZOZOマネーを後ろ盾とするenvyと(←コラ)、一方で知らない人はいない最大手レーベルのエイベックソ所属のtricot、音楽的には“コア化”ではなく“メタル化”が著しく進んだという点でenvy『The Fallen Crimson』tricot『真っ黒』は同じと言える。「メジャーマイナー」論で例えるなら、(tricot自体は邦ロックのメインストリームとは意図的に逸らした立ち位置だけど)邦ロックバンドの9mmのギタリスト滝くんを迎えたことでオーバーグラウンドに接近して「マイナーメジャー」化した今のenvy「メジャーマイナー」化したtricotは共振する部分は少なくない。今作のどの曲にもインディーズ時代の面影があって、変な例え方だけど、南極にある“メジャー”な釣り堀から釣り糸を垂らしてインディーズ時代の音という名の魚を釣り上げているみたいな、そして釣った魚を“超えちゃいけないライン”という名の氷の上で鮮度抜群の刺身にして捌いてるイメージ。つまり、アンダーグラウンドからオーバーグランドへ向かったenvyと、アンダーグラウンドからメジャー行って終わった、もといメジャー行ってから更に地下に潜ったtricotが上と下に磁石のように引かれ合っているのは実に興味深く、両者にはバンド名の小文字表記繋がり以上に確かな“繋がり”がある。20年代に突入して早々、このまま2020年間BESTアルバムのワンツーフィニッシュ決める可能性濃厚接触のバンド同士、これはもう対バン待ったなしでしょ。と思ったら、まさかのCrystal Laketricotの対バンのが先だったというよくあるオチ。このまま日本三大メタルバンドでスリーマンするしかないなw

いや、なんかもう魔除けとしてドリームキャッチャー買ってこようかなと思うほど、ジャンヌダルク解散という『悪夢』でありトラウマとともにあの頃の青春時代が帰ってきたような、もはや私信のレベルを遥かに超えたとんでもない私信アルバムだった。音楽聴いてて、ここまで「笑って泣けるバンド」って今まで生きてきた中でジャンヌダルクトリコリコしかいないかもしれない。何やら如何わしい部分での「繋がり」ではなくて、そこだけは、そこだけは確かな根拠をもって「繋がってる」部分だと思うし、そう信じたい。

佐藤千亜妃じゃない方の佐藤千明が脱退して実質解散したRED PARK、ベーシストが家業を継ぐために脱退して活動休止という名の事実上解散したきのこ帝国、そして“マスロック”をコンビニのビニ本のように身近なものとする事を使命に生まれ、マスロック界期待の星として登場するも東京コロリンピックの影響で2015年に解散した(皮肉にも同じ京都出身の)宇宙コンビニ、そしてそしてベーシストの「脱退してから解散」したジャンヌダルク、それらの様々な理由によって音楽シーンから消えたバンドたちへのレクイエムを奏でるかのような、それと同時に幾多の「解散」によって傷心したそれぞれのバンドのファンの傷を癒すかのような、「解散」の2文字とは真逆の「続き」に満ち溢れた、そんなアルバムだと思った。だからイッキュウ頼む!これ以上、俺にトラウマを増やさないでくれ!もし「解散」するなら200年後とは言わない!「解散」するならせめて100年後に「解散」してくれ!!!!!!!!

真っ黒(CD)
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tricot 『3』

Artist tricot
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Album 『3』
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Tracklist

02. WABI-SABI
03. よそいき
04. DeDeDe
05. スキマ
06. pork side
07. ポークジンジャー
08. エコー
09. 18,19
10. 南無
11. MUNASAWAGI

「中嶋イッキュウのソロデビューとは一体なんだったのか」

ナレ「その謎を明らかにすべく、我々藤岡探検隊はアマゾン奥地へ向かった!」

ぼく藤岡隊長
new_f1923a5521c1b1e5a8ad3dfca108ca75「おぉ...ここが未開の部族が棲む秘境の地か...ん?あれはなんだ!」


ナレ「突如、我々の目の前に暗闇から何者かが現れた!」


 未開の部族
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「コレ アゲル」

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ぼく藤岡隊長
new_img_0「なんだこれは・・・無地のケースに『3』の数字が描かれているだけのCDと「2012.11」という日付のような数字が記された青いCDだ」

 未開の部族
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「コレ キイテ」

ぼく藤岡隊長
new_tanken3-26「よし、まずは青い方のCDから聞いてみよう」


青いCD「私じゃダメなの?もう好きじゃないの?


ぼく藤岡隊長
new_f1923a5521c1b1e5a8ad3dfca108ca75「林抱いて///」

 未開の部族
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「『サン』 モ キイテ」

ぼく藤岡隊長
new_img_0「こ、これは!もしやトリコットの新しいアルバムじゃないか!?おい!手抜きすんなイッキュウゥゥゥウウ!!メンヘラなれーーーーーーーーー!!」

イッキュウ中嶋
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「かかってこいやああああああああああ!!」

ぼく藤岡隊長
new_tanken3-26「Just Bring It!!Just Bring It!!」

イッキュウ中嶋
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「Just Bring It!!Just Bring It!!」


初めてこの無印のケースに「3」という数字が書いてあるだけの、歌詞カードも入ってない「シンプルイズザベストスタイル」のCDを目にした時、僕は中学生の頃に友達から借りた様々なアーティストの音源が詰まった無印の青いCDを思い出した。これはトリコットのメンバーや僕と同世代の「今ギリギリ20代」の人なら共感してもらえるような話で、今から約15年前、当時の中学もしくは高校時代って「音楽をCDに焼ける奴」=「神」みたいな存在で、そもそも「CDに焼く」という言葉も今では死語になってる気もするし、その「CDに焼く」という行為が違法行為(グレーゾーン?)だなんてのは、昨今の「ストリーミング時代」を前にしたらクソどーでもいいただの思い出話でしかなかった。僕が中学生の頃に友達から借りた上記の青いCD(現物)には、(2002年)当時流行っていたJanne Da ArcL'Arc~en~CielなどのV系ロックをはじめ、モンパチから種TM西川兄貴、ブリグリやBOAなどのJ-POPの音源が詰め込まれていて、特にその中に収録されていたJanne Da Arcのバラード”DOLLS”を初めて聴いた時は、体に稲妻のような衝撃が走ったのを今でも憶えている。それ以来、僕はJanne Da Arcの虜となり、CDは勿論のこと大阪城ホールやSSAのライブDVDを買い占めた。何を隠そう、このトリコットの3rdアルバム『3』は、中学生の頃に無印の青いCDを介してJanne Da Arcと運命的な出会いを果たし、そして僕のその後の音楽的な嗜好を決定づけたように、この『3』を聴いた今の中高校生のその後の人生に多大な影響を与えるであろう、邦楽界の歴史に名を残す名盤なのである。

ここ最近のトリコットといえば、昨年に『KABUKKAKE EP』を発表するやいなや、フロントマンのイッキュウ中嶋がソロ活動を始めたり、それこそ昨今の「洗脳ブーム」に乗っかってじゃないけど、とにかく最近のイッキュウ中嶋って「中嶋ホームオブハートイッキュウ」に改名すんじゃねーかってくらい、なんか悪い男にそそのかされて急に坊主頭にして「出家します」とか言い出しそうな、そんな戸川純リスペクトな典型的な「勘違い女」みたいな危うい雰囲気あって、終いにはゲス野郎のプロデュースで芸人の小籔野性爆弾くうちゃんとバンド結成して俄然「勘違い女」っぷりに拍車をかけ、今やライブツアーの箱も縮小して解散間際の集金ツアーみたいな典型的な落ち目バンドみたいな事やってて、トリコットがそんなハンパなことやってる間に、フォロワーの「右斜め45度女」こと率いるポルカドットスティングレイにも人気でも動員でもブチ抜かれる醜態を晒していて、傍から見てると「おいおいトリコット大丈夫かよ」みたいな、「ソロ活動は自由だけどバンドには迷惑かけんなや」とちょっと心配になるくらい、まぁ、それくらいここ最近のトリコットを取り巻く状況は、こんなオモンナイバンド見たことないってくらい、まさしく「オワコンバンド」の名に相応しい状況まで追い込まれていた。もうこの際、イッキュウ中嶋こと顔面朝勃ち女くうちゃんと一緒に『ドキュメンタル』に参加して100万円奪われとけやと。つうか、なんやねん顔面朝勃ち女て、自分の真上に発射して自分の顔にBUKKAKEんのかよ。キモすぎだろ。

2015年作の2ndアルバム『A N D』では、某BOBO氏をはじめ複数のドラマーの協力を得て制作され、昨年の『KABUKKAKE EP』では、ドラム・オーディションを開催して選出された5人のドラマーを起用した楽曲が話題となったが、実は自分もそのドラムオーディションに応募して、その結果一次選考で落選したことを今でも根に持っていて、何故なら僕がこの度のドラム・オーディションで選んだ曲がX JAPAN”ART OF LIFE”という、いわゆる(Radio Edit)ではない方の29分ジャストの方の完全版で、そしてYOSHIKIの「かかってこいやー!」からの「ヘドバンは良くない」からのアテフリプレイからドラムセット破壊まで、ライブ作品の『Art of life live』を忠実に完全再現したビデオを撮って応募したわけ。なのに一次選考で落選とか本当にショックだったし、もうトリコット聴くのやめようかと思ったほどで、少なくとも「あの時点」ではまだ僕がトリコットの三代目ドラマーとしての人生を歩んでいた「if(もしも)」の世界線が存在していたわけ。まぁ、全部ウソだけど。最終的にサポート・ドラマーに選ばれ、今回の『3』に収録された新曲を叩いているのは、ドラムオーディションを勝ち抜いた5人の内の一人である吉田雄介氏で、なんか結局安牌な結果になったというか、またしても一番面白みのない結果になって、こんな結果ならガチで僕が”ART OF LIFE”の完全版アテフリした方が面白かったわ。もっと言えば、BAND-MAIDがメジャーデビューする前にドラマーのを引き抜いてれば今頃トリコットは天下取ってたに違いない。なぜかと言うと、僕が今年の初めにBAND-MAIDのMVでのドラムプレイを見た時、以前までトリコットのサポート・ドラマーとして活躍していた”みよさん”こと山口美代子さんの叩き方とソックリな事に、ボーカルの彩ちゃんに一目惚れするよりもまず一番先にそこに驚いて、もしや親子関係あるいは師弟関係でもあるのかと一瞬勘ぐったくらい。それは行き過ぎた冗談にしても、でもが一度でいいからトリコットでドラム叩く姿を見たいって人は間違いなく僕以外にも存在するハズ。とにかく、そういった面でも、今のトリコットを取り巻く状況は「オモンナイ」の一言でしかなかった。



それはそうと、この『3』の幕開けを飾る”TOKYO VAMPIRE HOTEL”がOPテーマに起用された、園子温監督のamazonオリジナルドラマ『東京ヴァンパイアホテル』を観たのだけど、毎回OPの入り方がサイコーにカッコ良くてかなり扱いは良かった。ちなみに主題歌はMIYAVI。で、一話の初っ端からしょこたんの激しい銃乱射からの血ドバー!に始まって、謎の筒井康隆ネタから、映画『ムカデ人間』でお馴染みの俳優北村昭博や某グラドル、そして園作品でも毎度お馴染みとなった監督の嫁NTR要素とか小ネタも多いし、そして見せ場となる主演の満島ひかり(弟)と夏帆のアクションシーンは勿論のこと、おっぱいの大きいヒロイン役の女優誰かな?と思って見たら、映画『アンチポルノ』の主演でヌードも披露した(例の当選したポスターでもお馴染みの)冨手麻妙とかいう女優らしく、作中で一番体を張った演技を見せているが、その役者陣の中でも特にMVP級の活躍を見せているのが安達祐実で、さすがレジェンド子役女優だなと。それと、物語終盤に出てくるアカリ役の森七菜は今後要注目の新人女優だと思う。とにかく、レビュー自体はボロクソだけれど、これまでの園子温作品が好きならそのブッ飛んだエログロな世界観だけでも十分視聴継続できるし、確かに3話以降ホテル内の話になると急にテンポが悪くなるのは監督のいつものクセというか、そもそもテンポよくできる監督だったら4時間の映画なんて撮らねぇし、そこはご愛嬌としか。話としては終盤の展開の方が面白いかな。ちなみに、本作は既に映画版として編集されたモノが海外で上映されており、ちなみに名古屋県は豊橋市で撮影されたシーンも収録されている。

そんな『東京ヴァンパイアホテル』の世界観が堪能できる歌詞もポイントなトリコット”TOKYO VAMPIRE HOTEL”は、幕開けの疾走感触れるドラムとソリッドなリフから1stアルバム『T H E』”POOL”を彷彿させる、それこそ”タラッタラッタ”の歌詞にある「初期衝動を忘れたくないのに 古くなる事は止められないらしい」という、初期トリコットの問いかけに対する「答え」のような粗暴で荒々しい獣性むき出しの衝動性を垣間見せ、そして初期の9mm Parabellum Bullet的な、すなわちカオティック/ポスト・ハードコア然とした破天荒かつ激情的なサウンドを繰り広げていく。このトリコット節全開の音作りとサウンドから分かるのは、「This is tricot」すなわち「tricot is Back」を予感させると同時に、その中でボーカルのイッキュウ中嶋は2ndアルバム『A N D』で培った「ポップ」なセンスを巧みに昇華し、それこそ「おいおいペギーズじゃねぇんだから無理すんなBBA」とツッコミたくなるくらい、イマドキのガールズバンドで歌ってそうなくらい(顔面朝勃ち女らしからぬ)過去最高にポップな声色を織り交ぜながら、更に進化した多彩なボーカルワークを披露している。

それから間髪入れず始まる#2”WABI-SABI”は、1stアルバム『T H E』への回帰が見受けられた”TOKYO VAMPIRE HOTEL”と対になるような、今度は2ndアルバム『A N D』的なボーカルとコーラス主体に、しかしトリコットらしさに溢れた変則的なリズムで緩急を織り交ぜながら展開する曲で、この頭の2曲をワンセットみたいな形で聴かせる。その”トリコットらしさ”に溢れた幕開けから一転して、今作の象徴するような#3”よそいき”から導き出される言葉はただ一つ、それが「自由」だ。この曲はオルタナ然としたカッティング主体に展開し、イッキュウ中嶋の「イェイイェイ フッフー アーハー イエーイ」という軽快なボーカルワーク、そして2番目からはまさかの吉田美和がゲスト参加と思いきやリード・ギターキダ モティフォの歌とヒロミ・ヒロヒロの歌を織り交ぜた「トリプルボーカル」をブッ込んでくるほどの「自由さ」を発揮する。確かに、こう見ると確かに今作は「自由」っちゃ「自由」だが、しかしこれを「自由」という一言で片付けてしまったら、これまでのトリコットがやってきたことを全否定するような気もして、今作を「自由」という一言で片付けるにはあまりにも安易すぎないかと、僕が思うに、これは「自由」であること、それ以上に「自然」であると。

確かに、トリコットは初期衝動全開の『T H E』の変拍子だらけの音楽性が高く評価された。その反面、続く『A N D』では変拍子はただのギミックに過ぎないとばかり、そしてフロントマンであるイッキュウ中嶋の「#椎名林檎の後継者なの私だ」アピールを拗らせた、つまりイッキュウ中嶋が「ワンマンバンド化」を目論んだ、「アタシめっちゃ歌えるやん!」と勘違いを拗らせた「ただのJ-Pop」と各方面から批判された。つまり、僕が『A N D』のレビューで「こういうバンドこそメジャー行ったら面白い」と書いたことは、あながち間違いじゃあなくて、それくらいサブカルクソ女系のJ-Pop臭がハンパないアルバムだったのも事実で、それは一作目が高く評価されたバンドにありがちな「二作目のジンクス」みたいな側面もあって、その「脱変拍子バンド」を図った前作が批判されて日和った結果、この『3』では『T H E』『A N D』の中間みたいな、ロックバンドにありがちなクソ典型的な音楽遍歴を辿っている。「変拍子はただのギミックに過ぎない」のは、ある意味前作と何一つ変わっちゃあいなくて、その変拍子に囚われない「いい意味」でこの『3』でも踏襲している。つまり、変拍子祭りの『T H E』と脱変拍子の『A N D』で培ってきた基本的なことを忠実に守り、それを素直に表現しているという意味ではまさに「自由」と言える。

この『3』では、オルタナだマスロックだなんだ、他バンドからの影響だなんだ以前に、それ以上にトリコットなりに「普遍的なロック」を貫き通している。それこそ『T H E』『A N D』の間に生じた「意図的」な「変化」ではなく、この『3』では特定のジャンルや特定の何かを「意図的」にやろうとした気配はまるでなくて、もはや身体に染みついた「変拍子」という名の「意図的」でない「リズム」が「自然」に溶け込んでいくように、端的に言ってスタジオセッションで起こる「インプロヴィゼーション」の延長線上にある、生々しいオーガニックなトリコットなりのロックンロールを、すなわち『トリコロール 顔面朝勃ち女の章』を極めて自然体で鳴らしている。メンバー自身が、真正面からトリコットの音楽と向き合っている。これはもう、いわゆるメシュガーが「メシュガー」というジャンルなら、このトリコットは「トリコット」というジャンルだ。

この『3』を野球の球種で例えるなら、『T H E』でド真ん中のストレート、『A N D』で緩い変化球を投げてきたトリコットが、今度は「ストレート」でもあり「変化級」でもある「ツーシーム」を投げてきている。そう、「ストレート」だと思って打ちに(解釈しに)いったら手前で微妙に「変化」して、バットの根元に当たってバットがへし折れるあの「ツーシーム」だ。どうりで打てないわけだ。「ストレート」だと解釈して打ちにいってはどん詰まり、はたまた「変化球」だと予測して打ちにいっても綺麗に空振りしちゃうわけだ。何故なら、ストレートでも変化球でもそのどちらでもないのが「ツーシーム」=『3』だからだ。だから今のトリコットに野球で勝てるバンドっていないと思う。

前作の”E”を聴いた時は「デッ デッデッデーーーーーンwwwwwwwww」みたいなノリで、メタリカのマスパペでも始まるのかと思ったけど違って、今回は”DeDeDe”というタイトルで今度こそはガチでメタリカのマスパペカバーきたか!と思って聴いてみたけど違った。普通にオシャンティなジャズだった。中盤のハイライトを飾る「イー、アール、サン、スー」な#7”ポークジンジャー”では、『T H E』”おちゃんせんすぅす”を彷彿させるオリエンタルなチャイニーズ感を醸し出し、そのタイトルどおりきのこ帝国を彷彿させる白昼夢を彷徨うかのような幻想的なギターのリフレインが響き渡る#8”エコー”、キレッキレの転調や変拍子を巧みに織り交ぜながらオルタナとプログレの狭間を行き来しつつ、Misery Signals顔負けの叙情派ニュースクールハードコア然としたギターをフィーチャーした#9”18,19”ナムナムナムナムてホンマに出家しよるやんこいつってツッコンだ#10”南無”は、ふと仕事中に無限ループしてクソ迷惑だったのを思い出した。そして『KABUKKAKE EP』に収録された、最初期トリコットのリフ回しから”99.974℃”ばりの転調をキメる#12”節約家”まで、「アンチポップ」あるいは「アンチメジャー」の精神に溢れた、そして#3や#9をはじめ『KABUKKAKE EP』でも垣間見せたソングライティング面での成長、その確かな作曲能力に裏打ちされたトリコロールをぶっ放している。


ここまで書いたこと全部間違ってるし全部ゴミなんで忘れてもらっていいです。この『3』を発売日に買ってから今まで、頭に浮かんだイメージが定まらない上に全然まとまらなくて、頭が破裂しそうなくらいグチャグチャになりながらも、いざ書いてみてもやっぱりリズム感のないゴミ文章にしかならなかったからゴミ。確かに、この『3』でやってることはもの凄く「シンプル」で、しかし「シンプル」故の難しさみたいな所もあって、それは「普通」でいることの難しさでもあって、その音楽的な内面やガワの面では引っかかりがなくて俄然「シンプル」なのに、どこか別のところで妙な引っかかりを感じている自分も確かに存在して、事実このアルバムを初めて聴いた時は「気づいたら終わってた」みたいな感想しか出てこなくて、こう書くとあまり良いイメージを持たれないかもしれないが、逆にそれくらい初めて聴くのに異様に耳に馴染む感覚っつーのかな、実はその感覚こそこのアルバムの一番大事な部分のような気もして、しかしそれでも「核心的」な部分がまるで見えてこなくて、何だかすごく曖昧で、しかしこの言いようのない得体の知れない、恐ろしいナニカが潜んでいるような不気味な雰囲気に飲み込まれそうで。ここまで僕を悩ませたのは、全ては顔面朝勃ち女のメンヘラクソ女みたいな長文ブログ『シンプルがベストだと思う理由』を読んでしまったからで、特にこのブログの「CDが売れない時代」のくだりに引っかかって、何故なら僕は過去にフィジカルとデジタルの境界線に関するCDが売れない時代の話のくだりで、「椎名林檎よりもトリコットのCDを買って応援してやってほしい」と書いた憶えがあって、だからこのブログの内容を見てスゲー考えてんなこいつって思ったし、その流れで急にX JAPANネタぶっ込んできてクソ笑ったし、最終的に「自主レーベルでやりたいことを(自由に)やれてる」と「考え方をシンプルにしたかった」という話を聞いて、またしても僕は過去に「トリコットみたいなバンドこそメジャー行ったほうが面白くなりそう」みたいな事を書いてて、要するにこれらのイッキュウ中嶋の言葉は、自分が「トリコットの事を何も知らないジョン・スノウ」だったと、いや「知ろうともしなかったクソニワカ」だったと気付かされたし、このブログの内容に強く共感してしまった僕は、ヘラりながらも一つの答えにたどり着いた。それが、この『3』トリコットなりの「(実質)メジャーデビュー作」であるということ。

『3』=

この『3』は三枚目の『3』でもあり、三人組の『3』でもある。そして『3』という数字は、キリスト教にとって「三位一体」を意味する奥義であり、キリスト教にとって「神の世界」を表す聖なる数字でもある。この意味に気づいた時、この『3』に潜む「得体の知れないナニカ」を目の当たりにし、そしてトンデモナイ領域にたどり着いてしまったのではと、我々藤岡探検隊はただただ「恐怖」した。これまでのアルバムとは一線をがした、この『3』からにじみ出るような得体の知れないものこそ、全知全能の『神』そのものだったんだ。僕は、この『3』という「神の世界」の中でキリストと対面していたんだ。我々はその「恐怖」を前に体が硬直し、今更もう引き返せなかった。我々は全知全能の『神』と対峙した瞬間、もはや「ツーシーム」だとか「神降ろし」だとかそんなものはどうでもよくなっていた。僕は勇気を振り絞って最後の”メロンソーダ”を聴いた。すると涙が溢れ出して止まらなかったんだ。



この『3』は、今月いっぱいでバンドを卒業する佐藤千明と、今後は『3』ピースで活動していくことを宣言した、盟友赤い公園に対するトリコットなりのエールにしか聴こえなかった。初めてこの『3』を聴いた時から、特にアルバムの最後を飾るJ-POPナンバーの”メロンソーダ”がナニカを示唆しているようにしか聴こえなかった。その数カ月後、まるで『3』という数字が赤い公園の未来を暗示するように佐藤千明の脱退が公表されてから、改めてこの”メロンソーダ”を聴いたらもう涙が止まらなかった。確かに、この”メロンソーダ”イッキュウ中嶋の(顔面朝勃ち女らしからぬ)一際ポップでセンチメンタルな歌声をフィーチャーした、「ただのJ-POP」に聴こえるかもしれない。しかし僕には、決して「ただのJ-POP」には聴こえなかったんだ。今までずっと悩んできた全ての答えがこの”メロンソーダ”に詰まってるんじゃあないかって。皮肉にも、早々にメジャーデビューして「最悪の結末」を迎えた赤い公園とは逆に、「トリコットもメジャーいけ」という周囲の何者の声にも一切惑わされず、自身の音楽理念を信じ、それを一貫して貫き通してきたトリコットというバンドの生き様が込められた、そして「インディーズ」に足をつけながら「もしトリコットがメジャデビューしたら」という高度な「if(もしも)」を、この『3』で実現させている。これは赤い公園”サイダー”に対する”メロンソーダ”であり、赤い公園『猛烈リトミック』に対する『サン』である。最後にトリコットが示したのは、「インディーズ」にいながらも「メジャー」を超えることができるという力強い意志だ。それこそ赤い公園の津野米咲が掲げる”じぇいぽっぱー”としての「意志」を受け継ぐようなJ-POPでアルバムの最後を締めるあたり、これが「トリコットなりのJ-POP」であり、これが「トリコットなりのメジャデビューアルバム」だと、まさにマスロック界からJ-POP界へ殴り込みをかけるような歴史的名盤である。この『3』に込められた今のトリコットの生き様を見せられて、津野米咲は一体何を、そして佐藤千明は一体何を思う?

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ここまでの話は全部ゴミだからどうでもよくて、結局のところ僕がトリコットに伝えたいことはただ一つで、それはイギリスで開催されるArcTanGent FestivalTesseracTと共演した暁に、今度は是非ともTesseracTと一緒に日本でツーマンやってほしいということ。そもそも、このそうそうたるメンツの中に日本のバンドがいること自体相当凄いことで、つまり何食わぬ顔でこのメンツに名を連ねているBorisスゴい。事実、あのTesseracTを日本に呼べる、あるいは対バンできるバンドってトリコットしか他に存在しないと思うし。勿論、このTesseracT(テッセラクティー)TricoT(トリコッティー)の引かれ合いは、2ndアルバム『A N D』の中でTricoTが垣間見せたPost-Progressiveのセンス、その証明に他ならなくて、この『3』TricoTがますます世界的なバンドへと飛び立っていく未来を暗示するかのような一枚といえる。

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tricotのイッキュウ中嶋がソロデビュー始動!

かつお

ぼくかつお「お~い中嶋~!野球しようぜ~!ついでにヒロミ・ヒロヒロソロデビューしようぜ~!」

音楽メディア「tricotのメンバーがソロ活動開始!」

ぼくかつお「おっ、遂にヒロミ・ヒロヒロソロデビューキターーー!?」

音楽メディア「中嶋イッキュウがソロデビュー!」

ぼくかつお「ファッ!?」

イッキュウ中嶋「このあと3時半からユーストやります」

ぼくかつお「一体どこに向かってんだコイツ・・・」

イッキュウ中嶋「デビュー曲のMVアップしました」

ぼくかつお「しゃあない、聴いてみるか・・・(ポチ)」




ぼくかつお「イッキュウ中嶋が川本真琴、椎名林檎みたいなサブカルクソ女化してるやん!」

ぼくかつお「でもちょっと待てよ?冷静に聴いてみると思いのほかイケるんじゃあないか・・・?」


転載

今年に入って『KABUKI EP』を発表したばかりの爆裂ガールズトリオtricot、そのギター/ボーカルのイッキュウ中嶋がソロ活動を開始した。今年に入ってからというもの、遺作となった『★』をリリースしたデヴィッド・ボウイプリンス、そして新作の『Love, Fear and the Time Machine』で漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の世界に入門してきたRiversideのギタリストピョートルが相次いで亡くなり、個人的にヘラって意気消沈してたところに、たまたまイッキュウ中嶋のブログを覗いてみたら、新年の挨拶に「磯野、野球しようぜ」とかいう文字が入ったクソコラ画像みたいな上記の写真を発見して、それが自分が作ったカツオのクソコラ画像に対する回答という名の私信に感じて、なんかちょっと元気が出たというか、ちょっと笑わせてもらったナニがある。

話を戻して、イッキュウ中嶋のソロデビュー曲的なナニかについてなんだけど、まずはこのMV、ザックリと言ってしまえば「イッキュウ中嶋が真夜中の東京を歩きながら歌う」という至ってシンプルなMVで、そういえばきのこ帝国”クロノスタシス”がこんなMV撮ってたなーとか思いつつ、唯一違うのはきのこ帝国の佐藤千亜妃はソロ活動みたいな事はしてるが、ソロデビューは(まだ)していないという点か。その格好も歌舞伎町にある場末のスナックの姉チャンがへべれけになって、深夜の街をふらつく酔っぱらいにしかみえなくてウケるんだけど、というより、これはもうイッキュウなりに椎名林檎の”歌舞伎町の女”を表現したMVだ。で、そんなことより肝心の曲はどうなの?っつー話で。

この曲のタイトルは”sweet sweat sweets”、その曲調は端的にいうと初期の椎名林檎リスペクトな、それこそMVのコンセプトとも言える”歌舞伎町の女”の世界観を経由したオルタナ風のJ-POPで、本家のtricotとは一線をがした、いわゆる”歌モノ”を披露している。言わずもがな、イッキュウ中嶋の歌声や歌唱法には林檎や川本真琴ほど人を惹きつけるカリスマ性やサブカルクソ女界を牽引する”アイコン”としての魅力はない。そもそも、イッキュウって「tricotの中嶋イッキュウ」だからここまで注目されているキライもあって、逆にそのイッキュウ中嶋がバンドから離れて一体ナニを表現しようというのか、その一人の表現者としての第一歩がこの曲なんだろう。

ソロプロジェクトといえば、あのDIR EN GREYですらボーカルの京がsukekiyoやったりしてるわけで、ソロ活動自体別に珍しくもなんともない出来事なのだ。当然、フアンの中には「(tricotがイケイケの今なのに)時期早尚なんじゃあないか?」、つまりソロ活動によって本家のトリコが蔑ろになってしまうんじゃあないか?と不安を憶える人も居るだろう。しかし、それについては既にイッキュウ中嶋が「TRicotSKISKIだから無問題」的な声明を発表しているので、そこは安心していいハズ。むしろ、私はむしろ逆で、これからソロで経験する事が本家のトリコにどのような影響を、どのような相乗効果を生み落とすのか、今からワクワクしんがら前向きに捉えるべきだろう。トリコでは見れない、イッキュウ中嶋の新しい才能、そして様々なアーティストとのコラボレーションに期待したい。

本当に面白いのは、昨年にきのこ帝国の佐藤千亜妃が新作の『猫とアレルギー』の中で「#椎名林檎の後継者なの私だ」宣言をしたこと、それに対して「ちょっと待った!」をかけるの如し、イッキュウ中嶋が「#いやいや椎名林檎の後継者なの私だ」をやってのける展開は普通に面白すぎる。
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