Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

UK

Cryalot - Icarus

Artist Cryalot
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Album 『Icarus』
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Tracklist
01. Touch The Sun
02. Hurt Me
03. Hell Is Here
04. Labyrinth
05. See You Again
06. Labyrinth (Edit)

「そういえば最近ケロケロボニト見かけないな?」と思ってるそこのYou、KKBは2018年作の2ndアルバム『Time 'n' Place』以降はコンピレーションやシングルを継続的に発表してるし、当時に俺ィも一回以上は聴いた記憶があるけど、いかんせん自分の中では1stアルバムの『Bonito Generation』ほど刺さらなかったのも事実っちゃ事実(内容はめっちゃ良いはずなのに)。とは言いつつも、ポップラップ・デュオ100 gecsの曲でCharli XCXと共演してたのは流石に「売れすぎじゃね?」と驚かされたし、サラ・ボニト自身も寺田創一らの日本のミュージシャンとコラボしてるみたいだけど、それに関しては全くノーマークで追えてなかった。しかし何を隠そう、それこそケロケロボニトの1stアルバムぶりに全身にブッ刺さったのが、他でもないサラ・ボニトのソロ・プロジェクトCryalotのデビュー作となるEP『Icarus』だった。

この記念すべきデビュー作について書いていく、その前に『amo』以降のBring Me The Horizon、およびフロントマンのイーモゥボーイことオリヴァー・サイクスの不可解なムーヴを語る必要がある。というのも、バンドでは問題作の『amo』におけるグライムスとのコラボを皮切りに、2020年作のEP『Post Human: Survival Horror』においては、女性の権利とLGBTQ差別を訴えるアシュニコに見せかけたNova Twinsや膝から流血ボーイのヤングブラッド、すなわちプレイリスト「misfits 2.0」文脈との共演、その翌年に発表したポスト・マローンオマージュのシングルこと“DiE4u”をハイパーポップアーティストにリミックスさせたかと思えば、オリィ個人ではロシア・モスクワの反政府ユニットである(既にロシアを脱出したと噂の)IC3PEAKやフィリピン系オーストラリア人のdaineとの多様性溢れる共演、極めつけにはNY/LAを拠点とする中国出身のハイパーポップアーティストAlice Longyu Gaoと一緒にバッキバキに加工されたプリクラをフィーチャーしたパリピなMVと、もう一方でWACKアイドルのASPさながらのブッ飛んだサイバーパンクなMVを2パターン撮ってて、「あぁ、これがHYPE BOYか...」と全てに納得した。


それらの「misfits 2.0」文脈を中心とした一連のコラボムーヴの終着点こそ、昨今のポップパンク・リバイバルの立役者であり、現代ロックシーンにおいて良くも悪くも揶揄の対象であるMGKことマシンガン・ケリーとBMTH(オリィ)のコラボに他ならない。一見すると「何がしたいねん」とツッコミ不可避かつ不可解なムーヴに見えるかもしれないが、数年前の『amo』という問題作を全ての起点として、約3年をかけて今をときめくMGKとのコラボにたどり着くオチまで、正直ここまで「筋」の通ったムーヴをキメるバンドも今どき珍しいんじゃねぇかってほど。とにかく、改めてBMTHおよびオリィにはリスペクトしかないし、身をもって「全ては繋がってる理論」を再確認させられた次第である。

要するに、現代ロックシーンの広告塔(インフルエンサー)を担うラスボスとしてのMGKBMTH(オリヴァー・サイクス)の共演は必然っちゃ必然であり、それこそ日本のsic(boy)やサンフランシスコのdynasticは、MGKを長とするポップパンク/エモ・リバイバルのムーブメントを象徴する次世代アーティストの一人として、その名声を高めている真っ只中だ。それに関連した話で言うと、MGKBMTHおよびオリィAlice Longyu Gaoのコラボレーションというのは、sic(boy)から影響を受けている日本のハイパーポップアーティストを代表する4s4kiとニューヨークのPuppetが共演した某コラボ曲へのアンサーソングであると、いわゆる“シン・薩英同盟”を締結させた“日本の俺ィ”の中ではそう解釈することにした。

確かに、確かにその件とサラ・ボニトは全然関係なくね?と思うかもしれんけど、個人的にBMTH(オリィ)MGK(終着点)のコラボについて一旦このタイミングで書いておきたかった、それこそ伏線回収しておきたかったネタでもあるし、何よりもサラ・ボニトのソロ・プロジェクトであるCryalotが既に「misfits 2.0」の文脈にガッツリ食い込んできている、さしずめ「サラ・ボニトなりのハイパーポップ」を真正面からやってきてるんだからしょうがないというか。それこそ、今回の伏線の一つとしてある「misfits 2.0」文脈の陽キャであるPoppyの存在に、イギリスの陰キャであるサラ・ボニトが触発された説まである。ともあれ、ここまで全てが繋がってんのマジでヤベーっつー話。

それこそCryalotのアーティスト写真からして、KKBのバブルガム/ポジティヴなイメージからは一線を画した、まるで百戦錬磨のハイパーポップアーティストさながらの地獄オーラを放っている。そんなサラ・ボニトの言わば“裏の顔”が落とし込まれた『Icarus』は、幕開けを飾る一曲目の“Touch The Sun”からして、アンビエント~トリップ・ホップばりにチルい冒頭の音響的な雰囲気から一転、さながらDJサラがプレイするクラブミュージック、あるいはEDM然としたバッキバキの低音を効かせた本格志向のトラックを打ち込んだ曲で、KKBにおける野郎のトラックメイカーが生み出すガムクチャなサウンドとは明確な違いを打ち出している(ほのかにBOOM BOOM SATELLITESっぽいかも)。その一方で、ポンキッキーズのテーマ曲に採用されてもおかしくないKKB譲りのバブルガム・ボニト味をウリとする二曲目の“Hurt Me”、そしてBMTHのオリィが仕切ってるプレイリスト「misfits 2.0」文脈のド真ん中をブチ抜くシングルの三曲目“Hell Is Here”は、それこそハードコア精神に溢れたシャウトでFワードを含んだ内省的なリリックを吐き散らす、カナダのDana DentataZheaniさながらのカオティックなホラーコアを繰り広げる。


先述したKKBの1stアルバムに肉薄する最大の要因、それほどまでに自分の胸にブッ刺さった曲が四曲目の“Labyrinth”と五曲目の“See You Again”である。前者の“Labyrinth”はコーラスのリフレインがJ-POPっぽい、というより最近の代代代を彷彿とさせるグリッチ・ポップ的な、それこそ久石譲さながらのメランコリックでノスタルジックな雰囲気をまとった曲で、例えるなら『最終兵器彼女』に代表される00年代のセカイ系サブカルアニメさながらのディストピアな世界観が、不協和音を奏でながら徐々に崩壊していく様子を描くグリッチーなアプローチを打ち出す。


後者の“See You Again”は、Grouperさながらのノスタルジックなアンビエント・ポップをバックに、『進撃の巨人』の地ならしにより焦土と化した地上にただ独り、「Ah~」という祈りにも近い歌声と『破壊と創造』の美学を謳うオリジナルの日本語詩のセリフを朗読するポエトリーガールさながらの姿は、日本のポエトリーラッパーを代表する春ねむりが今年リリースした最新作の『春火燎原』において、宮沢賢治の『よだかの星』を朗読した彼女のポエトリー・リーディングはもとより、既存のJ-POPとは一線を画すユニークなトラックメイクと否応にも共振するし、まるでサラが抱える心の闇の焦燥と刹那を含んだ中盤の呼吸SE以降は(映画『猿楽町で会いましょう』の主題歌“セブンス・ヘブン”のサンプリングっぽい雰囲気)、次世代ノイズバンドのmoreruさながらのシューゲイザーを経由したアンダーグランド・ノイズのヒリついたアプローチから(~離のポエトリーをフィーチャーした某曲も伏線)、後半はストリングスを交えた青葉市子風のニューエイジ~インディポップへと流動的に姿形を変えていく。

(先述したように)これ以上ないタイミングとあらゆる意味で、日本のSSWである春ねむりを想起させる(誤解を恐れずに言うと)J-POP的なムーヴは流石に確信犯だと思う(もはや俺ィが今回のレビューを書くことすらサラは確信してそう)。というのも、何を隠そう、春ねむり自身も今年リリースした『春火燎原』において、日本の気鋭ハイパーポップアーティストをプロデュースに迎えた楽曲を書いている。そのハイパーポップに対する見識やハードコアなシャウトを含めた音楽的な要素のみならず、同ロンドンを拠点に活動する世界的な歌姫リナ・サワヤマとクィア・アーティストとしての立場を共有するドリアン・エレクトラとKKBのコラボ曲を発表しているのも、心にレインボーフラッグをはためかせている春ねむりの世界観、およびIC3PEAKの盟友プッシー・ライオット派閥のフェミニスト/ライオット・ガール然としたパンキッシュな思想および価値観を(間接的に)共有していると言っても過言ではない。よってサラ・ボニトのソロ・プロジェクトであるCryalotの存在も、BMTHおよびオリヴァー・サイクスと同じベクトルで「筋」が通り過ぎている。もはや春ねむりとツーマンしてる未来が視えるほど、とにかくイギリスの才能と日本の才能が高らかに共鳴し合っててガチでemo(イーモゥ)い。

改めて、春ねむりの新譜やBMTH×MGKのコラボ、sic(boy)dynasticの次世代アーティストが台頭し始めたこのタイミングで、それらの伏線を回収するかのような一直線に「筋」の通った作品を出してくるのはガチで凄いとしか言いようがない。さすが名古屋県生まれとしか言いようがないし、本作の内容も「こーれ天才です」としか他に言いようがない。ともあれ、このレビューの考察を「信じるか信じないかはあなた次第」ですけど、少なくとも今年のベストEPであることだけは確かです。

Muse - Will Of The People

Artist Muse
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Album 『Will Of The People』
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Tracklist
01. Will Of The People
02. Compliance
03. Liberation
04. Won’t Stand Down
05. Ghosts (How Can I Move On)
06. You Make Me Feel Like It’s Halloween
07. Kill Or Be Killed
08. Verona
09. Euphoria
10. We Are Fucking Fucked

Museはメタル・・・というのも、何を隠そう初期のMuseって一部界隈住人からはプログレ兼メタルというか、厳密に言えばオルタナティブ・ヘヴィの文脈で語られるようなバンドで、しかし近作においてはチャーチズさながらの80年代風のシンセ/エレクトロ主体の作風が相次ぎ、気づけばソッチ界隈では微塵も話題に挙がらない存在となっていた。そんなUKロックを代表するMuseが今回、初期作における“Museはメタル”の精神を引っ提げた、約4年ぶりとなる待望の新作でカムバックしてきた件について。


この『Will Of The People』の足がかりとなる、1stシングルの“Won’t Stand Down”の何にド肝を抜かれたかって、“メタル”は“メタル”でも今やUKを代表するモンスターバンドと化したBring Me the Horizonの“MANTRA”を彷彿とさせるカルト宗教の儀式的なMVをはじめ、同バンドがEDMポップスと化した問題作の『amo』における某シングルのアイコニックなリフ、そしてUSのDeftones『Diamond Eyes』で目覚め20年作の『Ohms』において確立させた“20年代のヘヴィネス”を、Museなりの解釈でオマージュしてんのがガチでヤバ過ぎる件。で、シャウトとともにザックザクにキザミに刻んでくる俄然メタリックな間奏パート、およびメインリフのヘヴィネスが入ってくる直前の“タメ”に該当するギターのギョーンギョーンギョーンも同様にアイコニックかつパンチライン過ぎて語彙力消失(バッキングのシンセの音とか、ほぼほぼジョーダン・フィッシュ)。

とにかく、今や日本のアイドル(PassCode)やガールズバンド(Trident)にオマージュや楽曲カバーされるBMTHがいかにしてアイコニックな存在となったのかを、UKロックレジェンドのMuse“MuseなりのBMTH”と呼ぶべき1stシングルを介して証明して見せるという想定外の展開に、改めて現行のヘヴィミュージックシーンはBMTHを中心に回っている事に感動を覚えた。そもそもの話、このシングルだけ『amo』以降のBMTHや最近のDIR EN GREYお抱えのエンジニアであるダン・ランカスターを迎えている時点でほぼ確信犯です。


1stシングルと並び“ミューズはメタル”の直接的なアンサーソングとなる#7“Kill Or Be Killed”は、冒頭のGojiraさながらのテック・リフとメシュガーさながらのギョーンの合せ技からして、もはや“ミューズなりのメシュゴジラ”の領域に片足を突っ込んじゃってる、それこそ3rdアルバム『Absolution』における“The Small Print”を超えるミューズ史上最高にヘヴィな曲で、その“20年代のヘヴィネス”の原型となるメシュゴジラに象徴される現代的なプログレ・メタルのアプローチやデスメタルさながらの間奏パート、そしてイケメンことハーマン・リ顔負けのピロピロギターソロが織りなす、まさに初期作の楽曲を正統にアップデイトさせたようなゴリッゴリのメタルを繰り広げている。

なんだろう、00年代を代表するUKオルタナのMuseが、当時しのぎを削ったUSオルタナのDeftonesと約20年の時を経て邂逅するエモ(amo)さったらないというか、ザックリ約20年のブランクがあるにも関わらず、現代ヘヴィミュージック界のトレンドである“20年代のヘヴィネス”を的確に捉えるマシュー・ベラミーの審美眼、その“したたかさ”に震える。リアルな話、来年のダウンロードフェスジャパンで全然トリでいけるっしょ(準トリがBMTHで)

自分の中では完全に終わったバンドという認識だったのに、今作聴いたら「ホーリーシェイ!」ってなったわ。なんだろう、近作の内容があまりに酷すぎた結果、自分みたいな初期厨のニワカファンが離れて一気に人気を落としたタイミングで、(海外ではワーナーだが、日本におけるレーベルを担う)Fソニーが「あんたら人気落ちとるからエエ加減に売れる曲書いて初期みたいなメタル回帰してもろて」みたいにケツ叩かれたとしか思えない、知らんけどw

確かに、音楽通ぶりたい批評家からは近作と同様に不評だと思うけど、俺らみたいな初期厨のニワカが寄ってたかって飛びつき、手放しで褒め称えそうな楽曲をFソニーにスパンキングされて意図的にソングライティングしてきたわけだから、そのバンドというよりはレーベルの意向を素直に汲んで受け取るべきだし、むしろMuseニワカであるメタラーの俺たちが支持したらんと誰も支持せんと思うわ今作。


そもそも、オペラさながらの大仰なクワイアが「ちんこ~ちんこ~」という空耳を連呼する表題曲の#1“Will Of The People”からして、本作におけるサウンド・スタイルの回帰を示唆するキザミを効かせたハードロック的な曲調だし、他にも前作の『Simulation Theory』における80年代路線を踏襲した、映画『ロッキー』の劇中歌であるヨーロッパの“ザ・ファイナル・カウントダウン”のオマージュとばかりのシンセをフィーチャーした曲で、この絶妙なタイミングで「昆虫すごいぜ!」のカマキリ先生こと香川照之やキャバ嬢にてめぇの爆乳さわってもいい?と聞いてそうなひろゆきに対して企業コンプライアンスの大切さを訴える#2“Compliance”、UKレジェンドことクイーンの意思を受け継ぐかの如しクラシカル/オペラティックなコーラスワークをフィーチャーした#3“Liberation”、ピアノ主体のバラードナンバーの#4“Ghosts (How Can I Move On)”、再びジョン・カーペンターの『ハロウィン』シリーズや『エルム街の悪夢』などの70年代から80年代にかけてのスラッシャー/ホラー映画的なゴシック・ミュージカルを繰り広げる#6“You Make Me Feel Like It’s Halloween”、マシュー・ベラミーのファルセットボイスをフィーチャーしたバラードの#8“Verona”、Bメロで「乳輪~」と空耳させることで再び日本人に対してコンプライアンスのギリギリを攻める#9“Euphoria”、飼い主であるFソニーに対してFワードを吐いて抗う曲で、同UKのPure Reason Revolutionさながらのクラシカルな電子ロックの#10“We Are Fucking Fucked”まで、とにかく“ファイナル・カウントダウン”オマージュといい、80年代ホラー映画の明確な影響といい、コンプライアンスのギリギリのラインを攻める下ネタ(空耳)といい、なんだろう全体的にBMTH(Deftones)meetチャーチズとでも例えたくなる作風で(Deftonesは主宰のフェスでチャーチズと共演しているのも伏線)、もはやピンズドで俺受けを狙ってるとしか思えないし、これマジでFソニーにケツぶっ叩かれてるってw

deathcrash - Return

Artist deathcrash
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Album 『Return』
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Tracklist
01. Sundown
02. Unwind
03. Horses
04. American Metal
05. Matt's Song
06. Wrestle With Jimmy
07. Metro I
08. Slowday
09. Was Living
10. What To Do
11. Doomcrash
12. The Low Anthem

UKはロンドン出身のdeathcrashの1stアルバム『Return』が掘り出し物で凄い。いわゆる90年代のemo(イーモゥ)の影響下にある寂寥感むき出しのアルペジオ・リフと内省的という概念を超えた衰弱した小動物のように弱々しい倦怠感むき出しのボーカルが支配するウェットな雰囲気、一方でポストハードコアならではの感情的な側面、そしてポストロックならではのリリシズムを内包したセンチメンタルなスロウコアを展開しており、例えるならスコットランドのレジェンドMogwaiの名盤『Rock Action』あたりの作品に精通するハードコアmeetポストロックをスロウコアmeetエモ寄りに振り切ったようなイメージで、その90年代のオルタナ愛に溢れたサウンド・プロデュースは1stアルバムにして既に非凡な才能を開花させている。

モグワイ顔負けのポストロック~スロウコアラインのローテンポな気怠い雰囲気から、ギア転調を繰り返してエモ~ポストハードコアラインへとプログレスに場面を切り替えていく自己紹介がてらの#1“Sundown”を皮切りに、常にローテンションの陰キャが全力で腹から声出した結果みたいなUKバンドらしいエモいボーカルメロディをフィーチャーした#2“Unwind”、オルタナ志向の強い#3“Horses”、ゴリゴリのアメリカンメタルと見せかけてゴリゴリリカルなポストロックの#4“American Metal”、ローファイ宅録系アコギ男子みたいな#5“Matt's Song”、内側に溜まりに溜まった鬱屈した感情を外側に全て吐き出すかのようなハードコア然とした咆哮すらも存在感(影)の薄い#6“Wrestle With Jimmy”、Bennett Theissenなる人物のボイスを導入した#7“Metro I”も実にモグワイ的というか、あるいは後期のana_themaを彷彿とさせるし、これが本当のアメリカンメタルとばかりのポストメタル然としたヘヴィネスと静寂パートのコントラストに面舵いっぱい切った#9“Was Living”、2010年に自ら命を絶ったUSインディロック・バンドSparklehorseのマーク・リンカスの(自死の引き金となった“Gun”のワードを捉えた)肉声インタビューを収録した#10“What To Do”、彼の自死に対する孤独と哀しみに苛まれるセンチメンタルな序盤から一転、この終わりのない悪夢のような世界に絶望するドゥームメタル然としたヘヴィネスを叩き込む後半の流れは何とも示唆的で、それは同時に彼らの内に秘めた危うさをも浮き彫りにしている。

一見、陰キャのイギリス人男性ならではのヒョロガリ系オルタナサウンドとは裏腹に、それこそバンド名のdeathcrashや“American Metal”はもとより、#11の“Doomcrash”というタイトルが示す絶望感に苛まれた重厚感溢れるメタル然としたサウンドも陰キャを構成するアイデンティティの一つで、そのモグワイ的なノイズ/ハードコアネスおよびオルタナイズムの繊細かつ内向きな側面と、90年代に活躍し2020年に復活を遂げたUSオルタナのHum40 Watt Sunを連想させるドゥーム/ポストメタル的な破天荒かつ外向きな側面が表裏一体化した、そんな彼らなりの存在証明が記された傑作です。見方によってはHumの亜種として認識できなくもないし、同じく初期のドゥームメタルを経て新作でスロウコア化した40 Watt Sunと聴き比べたいタイムリーな逸品。間違いなく今年の年間BEST級。

Rolo Tomassi - Where Myth Becomes Memory

Artist Rolo Tomassi
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Album 『Where Myth Becomes Memory』
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Tracklist
01. Almost Always
03. Mutual Ruin
04. Labyrinthine
05. Closer
06. Drip
07. Prescience
08. Stumbling
09. To Resist Forgetting
10. The End Of Eternity

Holy Roar Recordsの創始者であるアレックス・フィッツパトリックが複数の女性から性的暴行を告発された件で、レーベルの看板娘であり屋台骨として二人三脚で長年共に歩んできたホームグラウンドから強制退去を余儀なくされたUKポストハードコアバンド、Rolo Tomassiの約4年ぶりとなる6thアルバム『Where Myth Becomes Memory』は、Black Label SocietyHigh On Fireが在籍するニューヨークのインディーズレーベルMNRK Heavyへ移籍して初となる作品。

改めて、UKの気鋭インディーズレーベルとしてメタルヘッズから一目置かれていたHoly Roar Recordsといえば、いわゆるUKポストハードコア系のバンドを主戦としながらも、昨今のメタルシーンにおけるトレンドのDeafheavenに象徴されるポストメタルムーブメントに乗っかる事に成功し、それこそRolo TomassiがHoly Roarへの置き土産として遺した前作の5thアルバム『Time Will Die And Love Will Bury It』は、DFHVNからの色濃い影響下にあるブラックゲイズをはじめポストロックおよびポストメタルを経由したオルタナティブな側面を大胆に取り入れたエクストリーム・ミュージックの金字塔と呼べる名盤だった。

心機一転、新天地からリリースされた本作においても彼らの革新的なアイデンティティは不変で、その先見性に富んだサウンド・スタイルは複雑極まりない静と動のコントラストを効かせたポストメタル/ポストロックの方向性へと舵を切っている。それにより持ち前のカオティックなマシズモは著しく減退した印象で、鍵盤奏者のジェイムズ・スペンス兄貴が奏でるリリカルな物語性を演出する神秘的なメロディを一歩前に打ち出したスタイルを軸としている。

幕開けを飾る#1“Almost Always”からして、それこそ2015年作の『Grievances』から始まり前作の『Time Will Die And Love Will Bury It』を経て本作まで続く三部作において、平凡なTDEPフォロワーだった彼らをTranscendentalな超越した存在に仕立て上げたRitual=儀式という名の魔改造に使用した禁忌の遺伝子(DNA)であるDeafheaven『サンベイザー』ばりにピンク色のノイズを撒き散らしながら、次第にピアノをフィーチャーしたATMSフィールドをまとったアンビエントな神秘世界を形成し、すると「叫ぶ女」界の特攻隊長であるエヴァ・スペンスたそが著しく洗練されたクリーンボイスで歌い上げる、まるでクソお世話になったアレックス・フィッツパトリックに対する「グッバイ」という餞別の言葉を示唆するリリックとともに、現代的なポストメタル然とした轟音が放つ怒涛のスケールとダイナミズムが俄然ドラマティックに物語を紡ぎ出していく。

全体を通して一聴する限りでは前作から特に大きな変化はない作風だと思いがちだが、本作において彼らがいかに凄いのかを証明するのが本作のハイライトを飾る#8“To Resist Forgetting”における、それこそまさにDeftonesが2020年作の『Ohms』においてシーンに啓示した“20年代のヘヴィネス”という現代ポストメタルの基準を、Rolo Tomassiなりの解釈で次世代のブラッケンド・ヘヴィネスあるいは全く新しいオルタナティブ・ヘヴィの一つの答えとして“ヘヴィネス”の概念を新世代仕様にアップデイトしている点←この一点に尽きる。それ即ち、マスコアレジェンドTDEPのマシズモを正統に受け継ぎながらも(出自)、10年代のメタルを象徴するDeafheavenを遺伝子組み換えレベルで経由して(フィッツパトリックによる魔改造)、そして出自もDNA(PINK BLOOD)も超越した本作でDefotnesMastodonに代表される今現在のヘヴィミュージックの最先端その先っちょまで到達しちゃってるエモさったらないというか、つまりあのTDEPすらなし得なかった偉業を成し遂げているヤバさ。とにかく、古巣のHoly Roar時代に培ったオルタナティブな革新性および先見性を今なお貫き通している事実に泣くし、それが、それこそが“元親”であるアレックス・フィッツパトリック改めアレックス・やらかし・フィッツパトリックに対する“娘”からの最大級の賛辞であり、これ以上ない別れの挨拶となっている。


もちろん、作品の衝撃度という点においては前作に劣るが、その前作において確立したエクストリームメタルを著しくトレンディにブラッシュアップした本作は、2015年作から続く三部作の最終章を飾るに相応しい集大成、と同時に自ら新天地からの再出発を祝うかのような傑作です。とにかく、このRolo TomassiがVevo化したのは素直に感慨深いものがあるというか、不謹慎だけどフィッツパトリックがやらかさなかったら実現しなかった案件なのも事実。

40 Watt Sun - Perfect Light

Artist 40 Watt Sun
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Album 『Perfect Light』
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Tracklist
01. Reveal
02. Behind My Eyes
03. Until
04. Colours
05. The Spaces In Between
06. Raise Me Up
07. A Thousand Miles
08. Closure

90年代から00年代にかけて活躍したUKトラディショナル/ドゥーム・メタルバンド、Warningの中心人物であるパトリック・ウォーカーのソロプロジェクトとして始動した40 Watt Sun。彼らが2011年に発表した伝説のデビュー作『The Inside Room』といえば、古巣のWarningを基にした古典的なドゥームメタルの系譜にありながらも、USテキサスのTrue Widowを彷彿とさせるスロウコアやシューゲイザー的なノイズ要素、そして90年代に一斉を風靡したUKフューネラル/ドゥームメタル然とした内省的かつ叙情的な泣きのメロディをクロスさせた名盤で、その5年後には2ndアルバム『Wider Than The Sky』を発表すると、そこではドゥームメタルから足を洗い、俄然スロウコアの方向性に舵を切ったサウンドを展開していた。

パトリック以外のバンドメンバーが全員脱退し、名実ともに完全なるシンガーソングライターの立場から放たれる本作の3rdアルバム『Perfect Light』は、愛用のエレキギターを窓からぶん投げて、代わりにアコースティック・ギターを手にしたフォーク・ミュージックmeetスロウコアと称すべき作風となっており、音数を最小限に抑えたミニマルスティックな曲調と90年代にUKドゥーム御三家の一角として活躍した(Kscope時代の)ana_themaの影響下にある耽美的なポストロックが邂逅した、美しくも儚いメランコリックな天上の音楽を繰り広げている。まるで慈悲を乞うかのように、ただ繰り返されるだけの和音のアルペジオと優美なピアノが織りなす、聖水のごとし浄化作用を内包したアトモスフェリックなフォーク・ミュージックと、言わば“宅録系おっさんSSW”として震える声を絞り出すように歌い上げる、その中年くたびれ親父の背中から加齢臭と共に滲み出る情熱的なパッションとあゝ無情なエモーション、そんな中年オヤジの激シブな姿にただただ男泣きすること請け合い。

確かに、本作において鳴らしている音楽性にはドゥームメタルの片鱗も残されていないが、アイデンティティである初期のドゥームメタル時代に培った泣きメロの資質そのものは不変で、むしろ今回アコギを主軸とした事により一層その泣きメロにリソースを全振りしている印象。そもそも、伝説のデビュー作の時点でスロウコアをはじめとするミニマル・ミュージック寄りの気質を持ち合わせていた事を考えれば、今回のアコースティックなスタイルへの変化はごく自然で、あくまで流動的な変化でしかない。それこそ過去二作のアルバムジャケットが示すように、嵐の如く暗雲に覆われた荒涼感と死臭を醸し出すジャケの魑魅魍魎がクリーンに浄化されて徐々に光が差し込んでくる様は、まさに40 Watt Sunがこの10年の間に歩んできた音楽性の変遷を視覚的にメタしている。また、パトリックは今年のRoadburn FestivalにてロサンゼルスのSSWことEmma Ruth Rundleとのコラボを予定しており、メタルシーンのみならずオルタナ界隈からも高い支持を得ているのがわかる。

40 Watt Sunが1stアルバム→2ndアルバム→3rdアルバムで歩んできた音楽的変遷は、それこそドゥームメタル→オルタナ→ポストロックという風な音楽的変遷を辿ったana_themaを彷彿とさせ、中でもana_themaが過去作をアコースティック・アレンジで再構築した『Hindsight』のサウンド・スタイルが最もシックリくる。特にこの『Perfect Light』を象徴するかのような、ポストロック然としたアルペジオ・ギターと後期ana_themaに直結する耽美的なATMSフィールドがリリカルに、しかしドラマティックに広域展開する#2“Behind My Eyes”、ミニマリストを極め過ぎたギタリストが奏でる和音のアルペジオとアンビエント・ポップ的なピアノが至極シンプルに美しい#5“The Spaces In Between”、中期Anathema的なオルタナ味を感じる#7“A Thousand Miles”は本作のハイライトと言える。個人的に、この手の癒やし系アコギ作品と言えば、知る人ぞ知る伝説のフォークバンドことTrespassers Williamを要所々々でフラッシュバックさせる本作の凄みったらない。
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