02. 君に夢中
03. One Last Kiss
04. PINK BLOOD
05.
Time
06. 気分じゃないの (Not In The Mood)
07. 誰にも言わない
08. Find Love
09. Face My Fears (Japanese Version)
10. Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー
Bonus Track
11. Beautiful World (Da Capo Version)
12. キレイな人 (Find Love)
13. Face My Fears (English Version)
14. Face My Fears (A.G. Cook Remix)
2010年の「人間活動」と称した活動休止、そして2016年に活動再開してからのヒッキーといえば、それこそ2016年作の6thアルバム『Fantôme』は復活を祝すに相応しい個人的にもパンチラインな作品だったけど、一転して2018年作の7thアルバム『初恋』はイメージ通りバラード志向の強い、いわゆる一般的なJ-POPの域を出ない作風で個人的に全くと言っていいほど刺さらなかったというか、単純にディープなヒッキーファンではない自分が聴くような音源ではなかった。
そんな風にノラリクラリしてたら、この度は約4年ぶりとなる待望の8thアルバム『BADモード』がリリースされたとの事で、いざ表題曲の#1“BADモード”を再生してみて(厳密に言えば)2分18秒までは「まぁ、いつもの感じかなぁ」くらいに思った次の瞬間→「な、なんじゃこりゃああああああああああああああ」と椅子から転げ落ちるくらいの、それこそ「いつものポップス(と見せかせて)」から日本のSSWこと岡田拓郎や本家SW、そして雷猫ことサンダーキャットもビックリのアンビエント・ポップ~ニューエイジ~ファンク~ジャズへと緩やかな流動性をもってスムースに展開していく楽曲構成、それはまるで森は生きているの『グッド・ナイト』を想起させる場面の転換を伝えるアルペジオ・ギターと幽玄なアトモスフィアを運んでくるプログレ然としたシンセが「宇多田ヒカルなりの美しきポスト・プログレッシブの調べ」を奏で始めたこの瞬間、僕は今回の宇多田ヒカルは「なにか違う、なにか絶対にヤバい」と全てを察する事となった。
そのイギリスに籍を置く音楽レーベル=Kscopeに象徴されるアートポップ/ポスト・プログレッシブを連想させる、それこそ近二作とはかけ離れた本作の『BADモード』における岡田拓郎を凌駕する鬼ヤバいトラックメイク、そのトラックの「ヤバさ」を司る象徴的な楽器が存在する。それこそがドラムを構成するハイハットの「鳴り」に他ならない。
近年、ハイハットをトラックの基とした音楽ジャンルといえば、いわゆる現代ヒップホップにおけるトレンドの一つであるトラップ、そのトラップにおけるハイハットの概念に新たな解釈を加えたハイハットの表現法を、世界中のアーティストが自身の楽曲内で披露する熾烈な争い、それは現代音楽シーンにおける「ハイハット鳴らし大合戦」に宇多田ヒカルが満を持して電撃参戦してきた事を意味しており、本作におけるヒッキーは“日本の歌姫”ではなく“ハイハット使いの女王”の異名を持つ一人のトラッピストとして堂々君臨している。
例として挙げると、『GOODモード』な旋律を奏でるピアノと対をなす『BADモード』な旋律を奏でるシンセが人間の心や感情が持ちうる二面性のメタファーとして繰り返し鳴り響く#2“君に夢中”における独立した強い意思を持ったハイハットの「鳴り」を皮切りに、いわゆるトラップにおけるハイハットの王道的なビートを打ち込む#5“Time”、在りし日のPerfumeみたいな中田ヤスタカサウンド感を醸し出すエレポップな#8“Find Love”のハイハッティな三曲がそれに該当する。
冒頭のシンバルの鳴りからしてムーディなジャズの調べを奏でる前半パートから、シームレスにアンビエント~ニューエイジ化していく美しい流れがポスト・プログレッシブ然とした#6“気分じゃないの (Not In The Mood)”は、ジャズ本来の姿であるインプロヴィゼーションを示唆するような、続きの存在を想像させる曲の終わり方もより生々しいライブ感を印象づける(終盤に入るメルヘンチックな少女の歌声は猛烈なデジャブを感じた)。そのジャジーな雰囲気から、チェンバー・ミュージックとシェイカーやパーカッションによるトライバルなアプローチとエレクトロな打ち込みが交錯する、俄然コンテンポラリーかつアヴァンギャルドな気質を兼ね備えた#7“誰にも言わない”では、完全に岡田拓郎の上位互換とでも呼ぶべき年の功と格の違いを見せつけている。このハイハットの「鳴り」とアンビエント/ニューエイジを経由したアートポップの邂逅といえば、それ即ち日本の岡田拓郎とノルウェーのUlverが現在進行系で探求している現代音楽のソレに他ならなくて、それこそ(2021年のAOTYにも挙げた)Ulverが『惡の華』を再構築したライブアルバム『Hexahedron』におけるコンテンポラリーかつインプロ的な生バンドならではのライブ感は、まさに宇多田ヒカルの『BADモード』におけるライブ感と波長が同じで、そういった意味でも本作は一種の“ライブ音源”と認識すべき作品と言えるのかもしれない。
その実質ライブ音源である『BADモード』と『Hexahedron』の共鳴を著しく裏付ける、現代ポップ・ミュージック界におけるトレンド、その条件の最重要項目である「3分以内の曲」には一切見向きもしない、まるで“宇多田ヒカルなりのポップス”をシーンに再提示するかのような本編ラストを飾る約12分に及ぶ#10“Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー”に象徴される本作の革新性と実験性、その宇多田ヒカルの音楽史を司るオルタナティブな流動性と『Hexahedron』という名の“エヴァ∞インフィニティ”案件、およびUlverの音楽史を司るオルタナティブな流動性が骨の髄まで共振しまくる点からも、この『Hexahedron』は本作の『BADモード』を紐解く上で欠かせない最重要作品なんですね。また、映画『シン・エヴァンゲリオン』の冒頭のシーンに赤く染まったフランスのパリ旧市街とエッフェル塔の描写があって、この“ーマルセイユ辺りー”における岡田拓郎風のパーカションやハイハッティをはじめ、テクノミュージックのビートを刻む打ち込みとシンセ✝ウェイブが織りなすミニマルスティックな曲調が本作の中で最も『Hexahedron』のライブ感に近いのは俄然面白いし、俄然“エヴァ∞インフィニティ”の共∞鳴を感じる。とにかく、そのヒッキー史上最も前衛的でありレフトフィールド内で音を鳴らしている作風といい、普段からJ-POPをナメてる岡田拓郎をワンパンKOするかのようなサウンドメイクに終始『GOODモード』気分。
確かに、活動再開してからのヒッキーは明らかにKscope界隈に通じる気質が芽生え始めていたし、過去作におけるヒップホップ/ラッパーとのフィーチャリングはもとより、クラブミュージックの重鎮であるSkrillexとのコラボに象徴されるような、現代音楽シーンにおけるトレンディな音を自身の楽曲に常識の範囲内で巧みに取り入れてきたアーティストの一人で、本作におけるローファイ・ヒップホップばりに気分はBADモードなリラクゼーション効果のあるアンビエント~ジャズ~ニューエイジを経由した現代ポップスは、彼女にとってあくまで流動的な変化に過ぎないと捉えるべきというか、そう考えれば考えるほどあまりにも流動的で必然的な結果と言える。それこそ、本作の楽曲一つ一つを司る物質や原子の流動性がそのままダイレクトに宇多田ヒカルという存在、また彼女が歩んできた「嫉妬されるべき人生」の流動性へと直結している。要するに、2010年の活動休止を挟んで前作から約8年の『空白』が生んだ復活作『Fantôme』における音の変化と、2018年作の『初恋』から約4年の『空白』が生んだ2022年作の『BADモード』における音の変化、どんぶり勘定で倍の時間差があるにも関わらず、その変化量(前作比)の差は言わずもがな『Fantôme』よりも『BADモード』の方が遥かに大きい。その『空白』部分は、ヒッキーが本作において成し遂げている事の大きさを如実に現している。
結局のところ、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』および『新劇場版:破』の主題歌である“Beautiful World”、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の主題歌であり「宇多田ヒカルなりのポスト・プログレッシブ」の源流である“桜流し”、そしてシリーズ完結編となる『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の主題歌となる“One Last Kiss”と本作のボートラに収録された“Beautiful World (Da Capo Version)”という、新劇エヴァシリーズの『音楽』を背負っている宇多田ヒカルと岡田拓郎やUlverは、現代ポップ・ミュージック界におけるトラッピスト的な意味でも、“エヴァ・インフィニティ”案件的な意味でもニアリーイコールの立ち位置から音楽と向き合っている事を証明してみせたのが本作の『BADモード』なんですね。
また話の文脈的に全く関係なさそうなスクリレックスの存在は、過去のKORNやBMTHのコラボ相手あるいはEDM(Trap)もしくはキンハーくらいしか繋がりを見出すこと以外のネタも関心もないし、そして伊集院パワハラ光のお笑い枠も含めて、要するに2021年の俺的年間BESTと地続きで繋がってる案件、それこそ13位のスティーヴン・ウィルソンと1位の東京事変(椎名林檎)が対角線上で守護するAOTYを真の意味で『総合』するかのような完全究極体伏線回収アルバムなんですね。ある意味で、2021年の年間BESTのランキングで『BADモード』の内容を潜在的に未来予知していたと考えたら、やっぱ俺って未来人(ニート)なんかなぁ?w
また話の文脈的に全く関係なさそうなスクリレックスの存在は、過去のKORNやBMTHのコラボ相手あるいはEDM(Trap)もしくはキンハーくらいしか繋がりを見出すこと以外のネタも関心もないし、そして伊集院パワハラ光のお笑い枠も含めて、要するに2021年の俺的年間BESTと地続きで繋がってる案件、それこそ13位のスティーヴン・ウィルソンと1位の東京事変(椎名林檎)が対角線上で守護するAOTYを真の意味で『総合』するかのような完全究極体伏線回収アルバムなんですね。ある意味で、2021年の年間BESTのランキングで『BADモード』の内容を潜在的に未来予知していたと考えたら、やっぱ俺って未来人(ニート)なんかなぁ?w
この『BADモード』は「カラオケで歌われること」を前提としていない音楽、ミックスもプロダクションも根本から一般的なJ-POPとは一線を画した、それこそヒッキーの「声」が「歌」以前に楽器の一つとして機能している作品、みたいなチープな表現でしか言語化できなくて大変恐縮だけども、とにかく近代J-POP最大のクソダサコンテンツこと「THE FIRST TAKE」に出演してマジ顔で歌ってるようなカラオケマイスターとの(比べるまでもない)立場の差というか、長年のヒッキーファンがヒックーもとい戸惑いそうなくらいには『音楽』としての次元がダンチ。今後、J-POPとかいうジャンルはコレを最低基準にしなきゃダメだと思うホントに。あれ?でも本作って「THE FIRST TAKE」のケツモチであるFソニーミュージックからリリースされてね?wっつー話は置いといて、これが年明け早々に登場するのはもはやチートでしかなくて、ともあれ昨年のAOTY(1位)である東京事変からバトンを引き継いだ、今年2022年のAOTY暫定1位の作品です。