Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

Post-Black

Wolves In The Throne Room - Primordial Arcana

Artist Wolves In The Throne Room
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Album 『Primordial Arcana』
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Tracklist
02. Spirit Of Lightning
03. Through Eternal Fields
04. Primal Chasm (Gift Of Fire)
05. Underworld Aurora
06. Masters Of Rain And Storm
07. Eostre
08. Skyclad Passage [bonus]

「姉さん事件です!」って、あの自然大好きDIY系USBMの雄ことWolves In The Throne RoomがRelapse Records/Century Mediaと契約した時ほど叫ばなかった言葉はなくて、だって映画『もののけ姫』のサン顔負けのスピ/リチュアルなDIY精神を貫き通してきた、約20年のキャリアを誇るあのWITTが故郷であるワシントン州の森の中から離れて、コンクリートの壁に覆われたオフィスで現代メタルシーンを代表するレーベルと契約、そしてこの最新作でIsis(アーロン・ターナー)界隈でもお馴染みのMatt Coltonをエンジニアとして迎え入れ、それこそDFHVNもビックリの現代的なポストメタル~ポスト・ブラックメタルをレコーディングするとか一体どんな風の吹き回し?それこそ「姉さん事件です!」ってならない方がおかしい。

いわゆるLiturgy=典礼あるいは儀式=Ritualな、と言っても次期総理候補の高市早苗ちゃんがハマってそうな胡散臭いスピ系に頭がやられちゃった人ではなく、それはまるで真っ当に自然を愛する心を持つDIY精神と、彼らの原典と称すべき初期の荒涼感溢れるアトモスフェリック・ブラックメタルが、いわゆる文明の利器すなわち現代のテスラ・テクノロジーによって著しくモダンに洗練された事で未知なる化学反応を起こし、ソーシャルのソの字もない幽玄かつ神秘的な森の中で動物や自然と一体化して暮らす“アンダーグラウンド”なニューエイジャーと、カリフォルニア州はサンフランシスコなど人々が密集する都市部で『マスク』と『サンバイザー』を着用しながら生活する“メインストリーム”な現代人の魂をつなぎ合わせる“イコン”即ちシシ神様の代弁者として、ソーシャルディスタンスが強制され都市部の一極集中が見直されつつある時代に、この『Primordial Arcana』という名の儀式(Ritual)を通して生きてるって何だろ 生きてるってな~に?の意味を人類に問いかけるかのよう。


それこそアイルランドのブラック・メタルバンド=Primordialばりに勇壮で超絶エピックな、そしてヘヴィでメタリックなATMSUSBMを繰り広げる#1“Mountain Magick”からして「Relapseと契約した結果」を示し、民謡的なフォーク・ミュージックとシンセが奏でる幻想的なシンフォニーがプログレスに交錯しながら自然崇拝の儀式を執り行う#2“Spirit Of Lightning”、その荘厳な“儀式”に必要不可欠となる未開の部族だけに伝わるトライバリズムをフィーチャーした曲で、ボーカルにTrap ThemGalen Baudhuinを迎えた#3“Through Eternal Fields”、US版森メタルに棲む妖精の立場から都市部に奏でるポストメタルの#4“Primal Chasm (Gift Of Fire)”、再び住む森に帰り水辺に佇むシシ神様を呼び起こす#5“Underworld Aurora”、そして自然界で暮らす人々の魂を浄化するシンフォニックなATMSBMと、都市部で暮らす人々の魂を浄化するAltar Of Plaguesさながらの現代的なポストメタル、その分断された二つの魂が一つに邂逅する#6“Masters Of Rain And Storm”は本作のハイライトで、WITTがアイデンティティとしている喜多郎リスペクトなアンビエントやニューエイジと呼ばれる環境音楽的なスピ系インストの#7“Eostre”を最後に、本編は幕を閉じる。そして、本編における自然崇拝と対をなす悪魔崇拝、すなわち邪教的な儀式という名の『人類はっぱ隊計画』による魂の浄化、すなわち『エヴァ・チンフィニティ』を完了させるボートラの#8“Skyclad Passage”まで、いわゆるアンビエント主体の抽象的(ファンタジー)な音楽に逃げず、とにかく過去イチでクソ真面目に現実的かつ叙情的な「(ブラック)メタル」やってるギャップが最高の1枚。要するに「AoP化」ですね。

Liturgy 『Origin of the Alimonies』

Artist Liturgy
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Album 『Origin of the Alimonies』
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Tracklist
01. The Seperation Of HAQQ From HAEL
02. OIOION's Birth
03. Lonely OIOION
04. The Fall Of SHIEYMN
05. SIHEYMN's Lament
06. Apparition Of The Eternal Church
07. The Armistice

【朗報】ハンター・ハント・ヘンドリックス、めちゃくちゃ可愛い女の娘だった

前作の4thアルバム『H.A.Q.Q.』を聴いて改めて思ったのは、彼らLiturgyの音楽の率直な感想として浮かび上がる「何がなんだかわからない」、そんな彼らの「わけのわからなさ」を司るのがバンドの中心人物であるハンター・ハント・ヘンドリックスの性別(SEX)のわからなさを起因としている説を証明するかのような、約1年ぶりとなる5thアルバム『Origin of the Alimonies』のキリスト教における三位一体を象ったアートワークを見た瞬間、今から二十数年前の僕の身に起きた黒歴史すなわちトラウマという名の『惡の華』が咲いたよ(ハナガサイタヨ〜)。

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その衝撃の出会いとは、まだ自分が10歳にも満たない子供の頃の話。父親のカーステにあったX JAPANのカセットテープ版『Jealousy』の表紙に写し出されたYOSHIKIの裸体アートワークを目にした時だった。人生経験の浅い10歳前後ってまだ長髪=「女性の象徴」という固定概念が根付いてる時期でもあるし、同様に胸元にあるおっぱいの膨らみもそうだった。確かに、確かに現実の世の中にはAAAカップの女性が存在している可能性もなきにしもあらずで、その女性特有の胸部の膨らみも「長髪」と同様に「女性」を象徴するアイコンの一つだった。つまり、幼少期という未知の存在に対する先入観や偏見のある子供時代の自分にとっては『Jealousy』のアートワークは『未知との遭遇』そのものであり、当然のように頭の中が混乱したわけ。それこそ「えっ、なんで・・・?この表紙に写っている黒パンティを履いた長髪の人(YOSHIKI)は女性なのに何でおっぱいがないの?!わかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないいいいいいうわああああああああああああぁぁぁぁぁあああああぁああ(ドピュ」という風に、それが思春期に差しかかる直前に起こった、自分の中にある『惡の華』が目覚めた瞬間だった。

そんな他人に言えない黒歴史を持つ僕は、この『Origin of the Alimonies』のアートワークに刻み込まれたヘンドリックスの裸体と『Jealousy』YOSHIKIの裸体が時を超えて重なり合い、ある種のトラウマとして脳裏にフラッシュバックした事は今さら言うまでもない。まず女性の象徴の一つである「長髪」と胸部にあるおっぱいの膨らみ、女性特有のファッションの一部である艶やかなネイルが施され、そしてこんな真っピンクな乳首は未だかつて見たことがなかった。それこそ「ヒャダ!!この長髪の人、ピンクチクビの美乳なのにチンコが生えてるフタナリなのかなんなのかもうわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないいいいいいいうわあああああああああぁぁぁぁっぁあああ(ドピュ」みたいな、言うなれば20年越しの「セカンド精通」を果たした黒歴史的な瞬間だった。

冗談じゃなく本当にわからないし(というか普通に男を疑う余地すらなかった)、普通に考えたらLGBTQ.Q.に属する人である事が推測できるし(恐らくトランスジェンダー)、今流行りのディープ・フェイクなのかすらわからない。なんだろう、この性別(SEX)も髪型やおっぱいなどの身体的特徴すらも「何がなんだかわからない」、その男女の性別における「曖昧さ」こそがLiturgyの音楽を紐解く上において最も重要な真髄であり真実でもあって、つまりどちらか「一つ」に定められた性別の境界線を超越(Transcendental)したブラックメタルがこのLiturgyであり、「男らしさ」や「女らしさ」という悪しき時代の呪縛から解放された、「男性(Man)」でも「女性(Women)」でもない“ジェンダー”の概念をTranscendentalした宇宙人もとい「超越者」と性別欄に記すべき存在がこのハンター・ハント・ヘンドリックスなんですね。

よって思春期を迎える前にYOSHIKIの裸体で精通している僕が、約20年の時を経てLiturgyヘンドリックスと引かれ合うことは以外でもないんでもない「別に普通」の出来事だったんですね。ある意味、僕は幼少時の時点で「ジェンダーフリーの美学」を無意識のうちに学んでいたという事でもある。無意識のうちに「ジェンダーフリーの美学」を学んでいた案件といえば、他でもない僕が「DNAレベルで日本一のジョジョオタ」である理由、それこそ女性誌の女性モデルの顔をベースに男性キャラを描く荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』という一種の「ジェンダーレス漫画」の底の根へと繋がっている話でもあって、(今でこそダイバーシティ=多様性が求められる時代だが)当時の荒木飛呂彦は週刊少年ジャンプという圧倒的に男性主人公が多い漫画雑誌で徐倫という女性キャラを主人公にしたジェンダーフリーの精神が根付いた偉大な漫画家でもある。

実は、YOSHIKIヘンドリックスには他にも共通点があって、それこそロック畑のミュージシャンでありながらクラシック/オペラにも精通している点。なんだろう、どの国も、いつの時代も、音楽界や芸術界で古い既成概念を打ち破る破天荒な異端児はクラシックに精通し、なお且つ性別をも超越しているんだなって。俄然面白いのは、YOSHIKIといえば天皇陛下御即位十年を祝う国民祭典で自身で作曲した奉祝曲を御前演奏している人物で、一方のヘンドリックスは4thアルバム『H.A.Q.Q.』の中で日本の伝統的な古典音楽=雅楽でもお馴染みの篳篥や龍笛を駆使した、例えるなら『乱歩地獄』を総合演出家エイフェックス・ツインが喜劇化したような傑作を生み出したこと。互いにクラシック音楽だけでなく日本の古典音楽や国民的な典礼(Liturgy)にも精通しているという謎の共通点w

前作のレビューでもチョロっと書いたけど、「なにがなんだかわからない」まま最終的に出した結論が「クラシック音楽の方程式でブラックメタルを解いた」のがLiturgyの音楽であるということ。何を隠そう本作の『Origin of the Alimonies』は、その問いに対するバンド直々の回答であるかのように、集大成的な前作から方向性はそのままに、ヘンドリックスという異端児を形成するクラシック/オペラの教養から展開されるクラシックならではの常識的かつ様式美的な要素とブラックメタルならではの非常識的かつ非様式美的な要素という相反する者同士が、2020年というリアルにバグった世界で運命的な邂逅を果たしたような、性別で例えるなら【ブラックメタル=男】と【クラシック=女】というように、交わりっこない音楽同士が性別を超えてTranscendentalしちゃったのが本作品(『H.A.Q.Q.』における「METAPHYSICS」パート)。そのクラシックの様式美的な固定概念と、ジェンダーの世界における固定概念がバグって(不協和)音を立てて崩れ落ちていく「破壊の美学」という点でも、もはやヘンドリックス「ブラックメタル界のYOSHIKI」と言っても過言じゃあないかもしれない。

TVゲームでもプログラミングの世界でも“バグ”というのは付き物で、(勿論ないに越したことはないんだけど)どうやっても出ちゃうのがバグという厄介な存在だ(そのためにデバッカーの仕事がある)。例えば、ゲームにおける「見えない壁」があるとする。それはオープンワールドと呼ばれるゲームでも存在する。その壁はプレイヤーの力ではどうやっても通ることができない。しかし、そのどうやっても越えられない壁を越える方法が一つだけある。それが「バグ」だ。

IT業界におけるコンピュータ・プログラムのバグ=ウイルスと同じ解釈で、ゲームにおけるバグの一つであるグリッチを音楽的ギミック=バグ表現として応用しているのがこのLiturgyに他ならなくて、彼女たちはクラシック音楽とブラックメタルの間を隔てる絶対に越えられない「見えない壁」を、そのデジタル界におけるバグ=人間界におけるウイルス=音楽界における(ババババババババ)グリッチという名の「裏技」、つまり想定外の不確定要素を逆手にとって意図的にバグらせることでその見えない壁をTranscendentalさせ、「正常」を超えた「異常」とはまた別次元の裏世界にたどり着いている。それはまるで新人類の誕生を暗示しているようでもあり、これがホントの「ウイルス進化論」ならぬ「バグ進化論」ってほどに。

実は今年、Liturgyの他にも音楽ジャンルの境界線=ボーダーラインを超えたTranscendentalなバンドが複数実在していた。それがポストブラックメタルの開祖であるUlverと、そのUlverのオルタナティブな精神を受け継ぐ後継者であるアンダーグラウンド・メタル界の重鎮Oranssi Pazuzuという2組の北欧バンドだった。その2組が今年リリースした2020年の年間BESTアルバムに共通する“トラップ”、もはやクラシックとブラックメタルの壁をTranscendentalさせた超越者にとっては、僕が提唱している「Djent=Trap説」に対する答えを用意するのはあまりに容易い事だったのかもしれない。

本作の中で最もTranscendentalしちゃってる#5“SIHEYMN's Lament”は、ジャズ風味のある前半に展開されるトラッピーなビートを刻むパートから、後半に展開される(厳密に言えばDjentの生みの親である)メシュガー然とした現代モダン・ヘヴィネス、そのクラシックとは真逆のイマドキのトラップとモダンなヘヴィネスを邂逅させるという、改めてポストメタル界におけるガニキの影響力たるや、だてに「10年代メタル総選挙ランキング同率1位」じゃないなって。

今年、まさかUlverOranssi Pazuzu以外に「メタルにおけるトラップのあり方」を正しい解釈で持ち込んだバンドが登場するなんて想像もしてなかったけど(間違った解釈の例がBABYMETAL)、冷静に考えたら不可能を可能にしちゃう実験的というよりは常識を超えた超越者兼変態であるこのLiturgyがそれをやらないわけがなかった(むしろ3rdアルバム『The Ark Work』の実験性がここへと繋がった感)。もっとも面白いのは、それらに該当するバンド全てがブラックメタル界隈からというのが何より興味深い話で、結局のところ古臭い既成概念をブチ壊すのはブラックメタルという音楽界の異端児という「よくあるオチ」でしかなくて、正直本作におけるクラシックとブラックメタルの融合ウンヌンよりも断然コッチのが凄い事やってる説まである。

Infant Island 『Beneath』

Artist Infant Island
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Album 『Beneath』
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Tracklist
01. Here We Are
02. Signed In BLood
03. Content
04. The Garden
05. One Eyed
06. Death Portrait
07. Colossal Air
08. Stare Spells
09. Someplace Else

年明け早々、ピッツバーグのCode OrangeやUKのLoathe、そしてフィンランドのOranssi Pazuzuを皮切りに、新時代の幕開けを告げる新世代メタルの波が続々と押し寄せてきている昨今。そして、それと呼応するかのように、10年代のメタルシーンをピンク色に彩ったポスト・ブラックメタル界から20年代を象徴する新星が現れた。彼らこそ、2016年に結成されたバージニア州は独立市フレデリックスバーグ出身の5人組、その名もInfant Islandだった。

10年代のメタルシーンを象徴するポスト・ブラック、そのアイコニックな存在としてポストブラシーンを牽引してきたサンフランシスコ出身のDeafheaven、彼らが10年代に築き上げた成り上がりストーリー、その「伝説の始まり」を告げる1stアルバム『ユダ王国への道』が2011年に発表された当時は、その90年代のポストロック/シューゲイザーとDeathwish由来のカオティックな激情ハードコア/スクリーモをエクストリーム合体させたBlackgaze、それはまるでメタル界に突如として現れた巨大なモノリスであるかのように、アンダーグラウンドに生息するメタラーが得体の知れない『未知との遭遇』を経験してしまったような、それほどまでに彼らの登場は当時のメタルシーンに強烈な印象と戸惑いを植えつけた。ご存知、Deafheavenはその2年後にアンダーグラウンド・シーンのみならず世界的な音楽メディアを巻き込んでピンク色の衝撃を与えた歴史的名盤の『サンベイザー』という名の“NEW BLACK”の金字塔を打ち立てたのは今は昔。

何を隠そう、そのDeafheavenの伝説の1stアルバム『ユダ王国への道』が約10年の歳月を経て一巡した結果が、このInfant Islandの2ndアルバム『Beneath』なんじゃねぇかって。この手のメタル、というよりは初期envyに精通するエモ・スクリーモ/激情ハードコアをコープスメイクとしたブラックメタルで思い出されるのは、それこそDeafheavenの伝説の1stアルバムよりも前に発表された『指Demo』、そしてチェコ出身のnicこと██████が2013年に発表した伝説の『Demo』という「2枚のDemo」に他ならなかった。つまり、あの当時のDeafheavenみたいな“時代”を映し出すノスタルジックな懐かしさと「こいつら化ける感」を漂わせまくっているのがこいつら。

実は今年、この2ndアルバムがリリースされる一足先(4月)にEPの『Sepulcher』を発表していて、そのEPはグラインドコア経由の圧死不可避の脳天直輸入激情Blackgaze/カオティック・ハードコア~ドローン/アンビエントというバンドの二面性を分かりやすくシンプルに極めた初期衝動的な傑作で、その中にはいかにも初期のDeafheavenを彷彿とさせる確信犯的な約10分にも及ぶ長尺も存在していた。しかし、2010年あたりの『Demo』ムーブメントから2020年の現在までに「変化」が起きないはずもなく、Infant Islandが今作の中でやっているのは、シューゲイザーやアンビエント、ポストロックやノイズ、ドゥームやポストメタル、エモやポスト・ハードコア、それらの10年代いや00年代以前からメタルと邂逅してきた様々な音楽的サブジャンルをサクリファイスした、それこそCode OrangeLoatheと共振する20年代のイマドキのトレンドを網羅したエクストリーム・ミュージックは、もはやポストブラック云々以前に“新世代メタル”として認識すべき案件。

19世紀のロマン派の英国人画家で知られるジョン・マーティンの絵画から引用した、水彩画タッチのアートワークが同州主要都市のリッチモンド出身のアンダーグラウンド・メタルの雄Inter Armaを想起させるあたり、いかにもピッチフォークが推しそうなオーラを醸し出しているという余談はさて置き、今作の幕開けを飾る#1“Here We Are”のイントロからデンマークのMOLあるいはEarthニューロシスを連想させるドゥーム〜スロウコアラインのそれかと思いきや、突如ブラストビートで荒涼感を撒き散らしながら、予想だにしない急転直下の展開を絡めながら不規則で不気味な不快感を催す姿は邪悪そのもの。まさに混沌に次ぐ混沌、今度はコード・オレンジLiturgyを連想させるバグったノイズ禍が俄然このバンドの「得体の知れなさ」を増幅させる#2“Signed In BLood”、アンビエント系ポストロック由来のATMSフィールドを張り巡らせるイントロからポストメタリックなリフを駆使して激情的かつドラマティックに展開していく、それこそenvyの復活作にも精通するような#3“Content”Deafheavenの盟友ことBosse-de-Nage的なポスト・ハードコアの#4“The Garden”、ポストメタリックなヘヴィネスを強調する#6“Death Portrait”、そしてGrouper顔負けのスペース・アンビエントな#7“Colossal Air”から、DeafheavenDeathwish時代に置き忘れてきた“激情”を取り戻すかのような、激情ハードコアならではの内省的な寂寥感と粗暴なバイオレンスがせめぎ合い20年代最高のemo(イーモゥ)が炸裂する#8“Stare Spells”までの流れは今作のハイライトで、そのアウトロ的な役割を果たし、モノクロ傘の露先から雨が滴り落ちるようなピアノ主体のアンビエントが極上のカタルシスへと誘う#9“Someplace Else”まで、初期Deafheaven直系のエモ/激情性とLiturgy直系の超越的なノイズ/実験性とAltar of Plagues直系のポストメタリックなヘヴィネス/音像という、世界三大ポストブラックの遺伝子を均等に受け継いだ“20年代の(ポスト)(ブラック)(メタル)”は、この手のフォロワーとして有名なデンマークのMOLとも一見近いようで遠く、またメジャー化が著しい現在のDeafheavenよりも俄然アンダーグラウンドな音を鳴らしている。

結果的にEPとフルアルバム、またDeafheavenとの差別化が図れているというか、比較的エモ/スクリーモ〜アンビエント一辺倒だったEPをベースメイクとして、そこへ多種多様なトレンド/ジャンルをしたたかな色気をもって20年代仕様にアップデイトすることに成功したのが本作。またEPのように5分以上の長尺がなく、どれもコンパクトに収まっている分、バンドの生命線でありウリであるアンビエント〜ポストロックラインのインスト曲を織り込んだ組曲的な演出が効果的に活きている。あと、これは小ネタだけど、本作をBandcampで購入すると、今作のパンチラインを担う#4と#8だけそれぞれ固有のアートワーク(同ジョン・マーティン作)が表示されるという隠し要素もニクい演出。個人的に、このバンドの何が最高って、今作の#9やEP『Sepulcher』の表題曲にも象徴されるように、アンビエントはアンビエントでも、この世のものとは思えない天上で鳴り響く環境音楽みたいなピアノ主体のアンビエント・ポップが、界隈でも著名なリズ・ハリスGrouperに匹敵する品質なのが最も推せるポイント。

これは別に珍しいことでもないけれど、ちょっと面白いと思ったのは、この2ndアルバムよりも一ヶ月前にリリースされたEPの方がレコーディング時期が最近であるという点。公式に発表されている情報に基づくと、EPは2019年の12月から今年2020年の3月まで、2ndアルバムは2018年の12月から2019年の1月までの間。ちょうど一年の時差がある。事実、EPは『Demo』時代のDeafheavenっぽい印象で、それよりも以前にレコーディングされた2ndアルバムの方が20年代のトレンドを抑えているという時系列的な矛盾も面白い。つまり、楽曲は『Demo』時代っぽいのに音自体はとても今風に洗練されたEP、それに対して楽曲はもの凄くイマドキなのにそこはかとない古さを感じる2ndアルバム、その正体の違和感。むしろその“違和感”こそ、このバンドの真髄と呼べる部分なのかもしれない。

Liturgy 『H.A.Q.Q.』

Artist Liturgy
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Album 『H.A.Q.Q.』
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Tracklist
01. HAJJ
02. Exaco I
03. Virginity
04. Pasaqalia
05. Exaco II
06. God Of Love
07. Exaco III
08. HAQQ
09. . . . .

いきなりだけど、当ブログのレビューが完成するまでの工程というか仕組みについての話。ほとんどの読者はお気づきのとおり、自分には文章を書く上で定型的な型という型がないので、全て一から、基本的には音源を聴いて閃いた言葉=Wordを接続詞で半ば強引に繋いで文章にしていく(もはや文章の体をなしていない)スタイル。例えば本文として書く前にiPad Proのメモに閃いた言葉=Wordや書きたい短文から、一度頭の中でレビューの全体像をイメージして一つずつ構築していく形、それをパズルのように組み立てていく感じ(なお、一度もイメージ通りに書けたことはない模様)。

とはいえ、そのiPadのメモの中には様々な事情でお蔵入りとなったメモ書きが現在100本以上あって、その中の大半は書けそうなネタが見つからなくてボツになったパターンなんだけど、しかしその逆に書けるネタがあり過ぎて、メモ書きの状況から本文の文章(文字数)を想定した結果、推定1万文字を優に超える可能性があるレビューも数本かはあって、その「書け過ぎて逆に書けない」案件の記事を書くか書かないかは、その時の自分のモチベーションや気分次第、あとはタイミングが全て。(ちなみに、2018年末のBTSの記事は初めてiPad Pro+Smart Folioで記事を書いた記念日)(そっからはもうPCじゃなくてiPadがメイン)(微妙な変化に気づいた読者おる?)

このニューヨークはブルックリン出身の4人組で、爽やか変態イケメンことハンターハント・ヘンドリックス率いるLiturgyも決して例外ではなくて、彼らの名を一躍アンダーグラウンド・メタルシーンに轟かせる事となった2011年作の2ndアルバム『Aesthethica』がリリースされた時は、その音源を聴いた瞬間にこいつらはデフヘヴンと共にシーンの最重要バンドになる!と確信した。しかし、いざ張り切って記事にしようとしても一体何を書いたらいいのか分からない、事実その時(当時はiPad mini)に書いたメモには何がなんだか分からない・・・の14文字、たったそれだけだった。そんな風に一度は書くことを断念した僕が、何故またしてもこのLiturgyについて書こうとしているのか?その理由こそ、このアルバムだけは、これだけは何としても書ききらなきゃいけないと、そう心の底から思わせる傑作だからなんです。

2011年に『Aesthethica』がリリースされた当時は、同年に発表されたDeafheavenの1stアルバム『ユダ王国への道』とともに、いわゆるスクリーモや激情ハードコア側からブラック・メタルというジャンルを再解釈した、それこそ“全く新しいブラックメタル”=“New Black”の登場に、当時の音楽シーンはピッチフォークを筆頭に歓迎ムードもあれば、その一方で“ピッチ・ブラック”と揶揄する批判と戸惑いの声が飛び交っていた。2011年はその2枚のアルバムと、その(2年)後に歴史的名盤『Teethed Glory and Injury』を遺して“ポスト・ブラック界の伝説”となるアイルランドのAltar of Plaguesの2ndアルバム『Mammal』も重なって、まさにポスト・ブラックという新興ジャンルの「これからの10年」を運命づける、それこそポスト・ブラック時代の始まりを告げる金字塔という名の教典と呼ぶべきものだった。

中でもLiturgy『Aesthethica』は、その三強に次ぐUSBMのKralliceに肉薄する猟奇的なトレモロ・リフやマスコア的な変拍子を駆使した気狂いじみたカオティックな動きで、常に躁状態で精神異常をきたしたような「イッチャッテル」アルバムだった。そして2015年作の3rdアルバム『The Ark Work』では、そのイッチャッテル2ndアルバムより更にバグ感マシマシにイッチャッテル、全編クリーンボーカルでグリッチやIDMに精通する電子音を多用した、もはや実験的だとかエクスペリメンタルだとかそんな次元の話じゃない、言うなれば“ブラック・メタル化したエイフェックス・ツイン”さながらの頭のおかしな怪作で、ポストブラ界隈のファンを失意のドン底まで叩き落とした事が記憶に新しい。

そんなイッチャッテル彼らの音楽性を、仮に、仮に90年代に一大ブームを巻き起こしたミニ四駆のモーターで例えるなら、公式大会では使用禁止の価格もクソ高いゴールドチャンプや覇王ばりにぶっ飛んだ回転数を搭載するカッ飛びメタルで、それこそおもちゃ屋に設置された屋外コースのレース中にコーナーリングで場外にぶっ飛んで、そのまま車にぶっ潰されるシュールな最期を遂げる、ちょっとした“破壊の美学”すらある音楽性(やっぱわけわかんねぇ)。

ここで、この2000年代後半から2010年代初頭のポスト・ブラック黎明期を支えた三強を映画監督で例えると、まずDeafheaven『ミステリアス・スキン』『13の理由』グレッグ・アラキ監督Altar of Plagues『アンチクライスト』の鬼才ラース・フォントリアー監督、そしてLiturgy『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』の奇才アリ・アスター監督で、その流れで三強をキ◯ガイ度で例えると、Deafheavenが「ファッション・キ◯ガイ」、Altar of Plaguesが「キ◯ガイのフリをした健常者」、そしてLiturgyが「ガチモンのキ◯ガイ」って感じ。

主にキリスト教(カトリック)で常用される礼拝や典礼を意味するLiturgyという名を冠し、それこそ2ndアルバムのアートワークには十字架と逆十字を掲げているように、宗教的および哲学的な思想やスピリチュアリズムをバックグラウンドとする音楽性と、長編映画デビュー作の『ヘレディタリー』が世界中で話題を呼んだホラー映画界の新星アリ・アスター監督が描く通常のホラー映画とは一線を画する悪魔崇拝的な世界観は、音楽界と映画界という違いはあれど互いに共振するものがあって、事実この約4年ぶりの3rdアルバム『H.A.Q.Q.』は、アリ・アスター監督の新作映画『ミッドサマー』の題材=スウェーデンの田舎で催される90年に一度の真夏の祝祭の裏サントラなんじゃねえかぐらいに共振する、例えるならクラシック音楽の公式でブラックメタルやグラインドコアやマスコアやアヴァンギャルドやグリッチの数式を用いて強引に解いちゃったようなイカレ具合。

突如として怪作だった前作をフラッシュバックさせる、IDM風のゲーム音楽みたいな幕開けを飾る#1“HAJJ”から、日本の伝統芸能であり様々な公的な行事や神聖な催しの際にお目にかける雅楽でもお馴染みの龍笛や篳篥、そしてハープと奇怪なトレモロが織りなす神々しいまでに美しい音色が“和製Kayo Dot”の装いで俄然アヴァンギャルドな世界観を形成し、例えるなら子供の頃に友達とスーパーマリオやってて誰かがスーファミの角に足をぶつけた瞬間にゲーム画面が止まってスーパーマリオがイヤッフゥゥゥウウウウアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ババ゛バみたいにバグって、さっきまでワイワイ楽しかったのが急にちょっと怖くなる現象に近いバグ音が瞬く混沌の中で、まるでカタワの道化とそのワッパみたいな龍笛と篳篥が奏でるピロピロピ~と和ホラー的な恐怖を誘発する素っ頓狂な不協和音のシュールな絵面がもうアリ・アスター映画そのもので、この曲のクライマックスはまさに祝祭と言わんばかりのド派手で過激なカ(ー)ニバルが執り行われているかのような惨劇(文章もバグってる)。

衝撃的な幕開けからギャップレスな流れでクラシカルなピアノのインストに繋ぐ構成もポスト・ブラックの王道的な常套手段だし、ハープの美しすぎるイントロからブラゲ然とした幕開けを飾る#3“Virginity”では、それこそDeafheavenの1stアルバムを想起させる、ちょっと意外過ぎて軽く引くぐらい王道的で扇情的なUSBMを展開する。一転して鉄琴やビブラフォン、そして荘厳なストリングスをフィーチャーしたポストメタル系の#4“Pasaqalia”、それこそ90年に一度の祝祭が始まる夜明けの如し不気味な鐘とピアノが鳴り響くインストの#5を挟んで、そして名作ヒューマンドラマ映画のサントラばりに感動的なストリングスで始まる#6“God Of Love”は本作のハイライトで、その『愛の神』というタイトル通り、『愛』『愛』でも異常な『愛の暴力』を受けているような、まさに映画『ミッドサマー』を音像化したような、まるで気分は謎の怪奇現象に襲われてダメだダメだダメだ、こいつダメだ、こいつ怖い、こいつ危ないと口走る稲川淳二。

再びピアノのインストを挟んでからの表題曲の#8“HAQQ”は、まるで納期間近にデバック作業に追われるゲーム会社の末端社員とばかり、しかしバグがガン細胞のように増殖して頭バグリマクリスティとなり、遂にはデバッカーの頭もバグってバグったマスオさんばりに「びゃあ゛ぁ゛ぁ゛う゛ま゛ひ゛ぃ!」と発狂不可避の“バグソング”で、最後のエンディングへと繋がるアウトロも祝祭の儀式が終わった事後みたいな、それこそラスボスの『神』を倒した後に出てくる裏世界の裏ボス登場みたいなピアノと教会の鐘が不揃いに鳴り響く...それはまるで日常が手のひらからこぼれ落ちていく恐怖。そして日本のシューゲイザーアイドルの・・・・・・・・・リスペクトな#9“. . . .”はまさに無の境地で、そこに残されたのは純粋な悪意が込められた剥き出しの暴力と『神』への信仰心という名の狂気だけ。この表題曲を筆頭にグリッチ要素が今作最大のキモとなっていて、曲展開のギアチェンというかトリガーの役割を担っているのが電子的なバグ音で、いわゆる“プログレッシブ”という音楽概念に対してこんな狂った手法を用いた解釈は生まれてはじめて見た。このイカレサイコ具合を例えるなら、これはもう“ブラック・メタル化したデス・グリップス”だ。

なんだろう、ザックリと言ってしまえばクソプログレッシヴかつクソアヴァンギャルドかつクソグリッチーかつクソカオティック、そしてクソドラマティックなアルバムで、それはまるで喜劇的な舞台を観劇しているような、それはまるでシェイクスピアの名作『マクベス』『音』で観劇している気分。それこそ前作は全編クリーンボーカルで、ラップみたいな要素も取り込んだあまりにも前衛的な、それこそブラック・メタルという概念を超越(Transcendental)してアヴァンギャルドにし過ぎてヒンシュク買ったから、仕方なく2ndアルバムのマス系USBMをぶっ込んで、つまりヤベーやつとヤベーやつを光の速さでネルネルネルネしたらもっとヤベーのできた感、歪んだ畸形の音が生まれちゃった感。事実、アートワークにある今作を構成する元素のフローチャートにも記されているように、前作を中心に過去作のメロディやアレンジを引用している部分もあって、それこそ2ndアルバムと3rdアルバムがモノの見事に融合した感じ。極端な話、前作のクリーンボイスがバグったスーパーマリオに替わっただけと考えたら、むしろ逆にやってることは案外シンプルで単純明快かもしれない。それぐらい、一見破綻しているようで実は恐ろしいほど綺麗にまとまっている。あと、めちゃくちゃ音のスケールがデカくなったのも確か。

このアルバムの何が凄いって、ポスト・ブラック界の二大名盤と名高いAltar of Plagues『Teethed Glory and Injury』における儀式(リチュアル)的なアンチクライストな精神性と、Deafheaven『サンベイザー』におけるまるで気分はアガってんの?サガってんの?皆んなハッキリ言っとけ!アガッテーーーール!なイキスギたパリピ・ブラゲ、そしてその双方が持つモダンなポスト・メタル的な側面を喰らって“ポスト・ブラック界の神”となっている点。もはや神降臨してOMGって感じ。

相変わらず、このバンドの音楽を一言で表すと何がなんだかわからない・・・し、何も答えがわからないまま時間だけが過ぎて最後にはカルト宗教に洗脳された気分になるのだけど、少なくとも本作は10年代の最後にポスト・ブラックを総括するような、それこそポストブラ界の伝説的な2大名盤と肩を並べる歴史的名盤であることは確か。しかし前作の3rdアルバムで死んだフリしてる間にキチゲ溜めまくって、そして10年代の最後の最後にキチゲ放出してバグリマクリスティな大名盤ぶっ放してくるあたりガチで頭おかしいし頭バグってると思う。もはや【Explicit】どころじゃない。間違いなくレイティング【R18+】の音楽です。

それこそ、アリ・アスター映画の映像を音像化したアルバムと言っても過言じゃあなくて、そんなアリ・アスター監督の新作であり、ある種の“ペイガニズム”をテーマにした『ミッドサマー』はトレイラーを観ても明らかにヤバい映画なので、劇場公開前にこのLiturgy(典礼)のアルバムを聴いて耐性をつけておきたい。しかしこの『音』だけでも超怖いのに、それ+映像ありの映画になったら怖すぎて館内で失神するかもしれん・・・。そんなホラー映画好き待望の映画『ミッドサマー』は2月21日公開!(ただの宣伝)

Alcest 『Spiritual Instinct』

Artist Alcest
images

Album 『Spiritual Instinct』
Alcest-Spiritual-Instinct-01

Tracklist
01. Les Jardins De Minuit
04. L'Île Des Morts
05. Le Miroir
06. Spiritual Instinct

だから言ったんだ。僕は“日本のメタル・メディア界のキング”として、近年のメタル界に蠢く「ある懸念」に警鐘を鳴らしていた。それが“東京一極集中”ならぬ“ニュークリア・ブラスト一極集中”だった。そして、その嫌な予感は「最悪な結果」となって目の前に現れた。それこそがフランスのレジェンド=Alcestのニュークリア・ブラスト入りだった。

このアルセもといアルセストって、海外では初期の頃からずっとProphecy Productionsという一応はアンダーグラウンドなレーベルから作品をリリースし続けていて、この日本に至ってはアルセストの絶対的な信頼感と音楽的な根幹部にあるアングラ性を担っていた、あのディスクユニオンから“帯・ライナー付国内盤仕様”というもはや“国内盤”と呼んでいのかすらわからない謎仕様(恐らく盤自体は輸入盤)=ユニオン盤としてリリースされ続けてたんだけど、ここにきて遂に海外はメタル最大手のNuclear Blast、そして国内盤はワードレコーズという、恐らく盤に至っても正真正銘の正規の国内盤がリリースされるという・・・一言で言えば「地獄」だよね。もう聴く前から「地獄」。このアルセストの絶妙なアングラ性とニッチ感および童貞オタク感=その絶対的な信頼を担保していたユニオンからミーハーメタルレーベルのワードに変わるとか「地獄」以外の何者でもない。

結局、「アルセストの魅力」ってメタルのサブジャンルの中でもニッチなPost-Black/Blackgazeとかいう同人オタク音楽の開祖としてその存在を誇示し続けながらも、(例えるならKATATONIAが初期の頃から今でもほぼずっとPeacevlleに籍を置き続けるように)メタルシーンの中でそれなりの立場にいながらも初期の頃から世話になったProphecyで生涯を全うするという、その“ガワ”の部分にこそアルセアルセストたる由縁に繋がっていたにも関わらず、このタイミングでニュークリア・ブラスト入り脱ユニオンという最悪の結果を迎えてしまったわけ。それこそ1stアルバムの頃からユニオン盤を出し続けてきて、そこさえブレなければ何があっても大丈夫なはずだってずっと思ってたし、それはずっと変わらないものだと思ってたから、まさかこの“勝利の方程式”が崩れ去るなんて想像もしてなかった。だってNBに移籍した途端、まるで“メタル中央政府”の権力を見せつけるかのようにMV連発して積極的なプロモーション攻勢に出てくるんだもん。ヤダヤダヤダヤダ!こんなの俺たちの知ってるアルセじゃない・・・とは言え、前作の『Kodama』で現状やりきった感があったのも事実。というわけで、ここからはアルセストが偉大なポストブラックの開祖であり、常にポストブラックを次のステージにアップデイトし続けてきたレジェンドである事を十分に理解した上で言わせてもらう。

“メタル本願寺”ことニュークリア・ブラストに入信したことで、アルセストの音楽性がどうなるのか想像してみてほしい。幕開けを飾る#1“Les Jardins De Minuit”から、ブラストはブラストでも今は亡き盟友ASMRもといAmesoeurs直伝のブラストビートだった2ndアルバム『Écailles De Lune』とは一味違った、ヴィンターハルターの粗暴なブラストとメロブラかよってぐらいのトレモロ・リフがキレッキレに動くのなんのって。本来のアルセストらしい幻想的なアトモスフィア、その霧のようにリバーブがかった残響感は皆無に等しくて、むしろ過去最高に激しく“メタル”な重さが備わったドラムの音作りまでアルセスト史上最高にメタリックな仕様で、とにかく音の輪郭をソリッドにクッキリカッチリと鳴らす。それもそのはずで、先述したように今作は海外/国内レーベルの“ガワ”も違えば、それと同じようにサウンド・プロダクションという名の“音のガワ”もまるで違う。今作はレコーディングとミキシングこそフランスで行われているが、最後の仕上げとなるマスタリングにはエンジニアにLOVEBITESでもお馴染みのMika Jussilaを迎え、メタル王国フィンランドのFinnvox Studiosで仕上げられている。ここで今一度冷静に考えてみてほしい。アルセストの作品にLOVEBITESと関係するエンジニアが絡んでる時点で(わりと地獄)、これまでのアッサリ醤油味を看板メニューとしていたラーメン屋が急にコッテリ豚骨味に鞍替えしたような、今作は麺の質は元より具材やスープの味付けまでもコッテコテの「バリカタ・コッテリ・メタル」を目指しているのが分かる。


このシングル“Protection”が先行公開された時、いつにも増して激しく動く、言うなれば“アグレッシヴ”に動くリフを聴いて一体何を思ったかって、それこそアルセストフォロワーでありデンマーク出身のMØLに他ならなくて、つまり「メタル化したアルセって、それもうフォロワーのMØLじゃん・・・」って。なんか久々に“アグレッシヴ”って言葉使った気がするけど、それこそMØL以来に使った気がするけど、その久々がまさかアルセだなんて夢にも思わんかったわ・・・。正直、“アグレッシヴなメタル”という脳筋バカみたいな言葉をアルセに対して使いたくなかったけど、でも実際に今作を一言で例えると“アグレッシヴなメタル”になるんだからしょうがない。そのリフや音作りの面だけじゃなく、リズムの面でもいわゆるプログレ・メタル然とした転調を駆使して、とにかく曲を機敏に動かしていく#4“L'Île Des Morts”“アグレッシヴなメタル”と揶揄できる曲で、ここまでくると流石に“ガワ”“中身”のメタル仕様は一部分ではなくて、作品の根幹部分から細部にわたりアルバム全体にまで及んでいる事を理解する。

例えば、1stアルバム『Souvenirs D'un Autre Monde』ではフランス映画『エコール』顔負けのロリータ・コンプレックス的な世界観とポストブラックとの「相性最高」、2ndアルバム『Écailles De Lune』では幻想的なフレンチアニメとポストブラックの「相性最高」、4thアルバム『Shelter』ではシガロ界隈のポストロックとポストブラックとの「相性最高」、5thアルバム『Kodama』ではジブリアニメ=『もののけ姫』2:54Esben and the WitchなどのUKオルタナと「相性最高」ときて、そして今回は“アグレッシヴなメタル”とポストブラックの「相性最悪」・・・。つまり、前作の“オルタナバンドとしてのアルセ”から一転して“メタルバンドとしてのアルセ”に180度様変わりする姿にギャップ萌え、裏を返せばアルセというバンドのフレキシブルな創造性、その豊かさの証明に他ならない。そのように、過去作との比較や前作とのギャップを知った上で考察的な観点から見ると面白いアルバムに違いないんだけど、いかんせんネージュの青春の音楽だった往年のニューウェイブ/ポストパンクすなわち“UKオルタナ”と、ニュークリア・ブラスト直伝の“アグレッシヴなメタル”、それぞれの音とアルセの相性は・・・まぁ、なんだ、「音は正直」だったよね。

賛否両論というか、恐らくそこまで悪くない内容だと思うけど(いや、やっぱ悪いか?)、いかんせん“ガワ”の部分が“中身”の部分に与えるイメージが強過ぎるせで、必要以上に悪いイメージがつきまとってくるのは確か。改めて、“中身”以前にまず“ガワ”が作り上げるバンドのイメージ、その影響力って思った以上に大きんだなって。正直、アルバムという“結果”に至るまでの過程はこれまで通り、それすなわち「未知の領域にポストブラックを進撃させる貪欲な姿勢」は何一つ変っちゃいない。しかし1番大事な“結果”が悪すぎた、“結果”が。これはあくまで結果論に過ぎないし、その攻めにいった結果がダメならもうどうしようもないし、開拓の精神を持つ挑戦者としてメタル本願寺に挑んだ結果、その結果がダメならしょうがない。少なくとも保守的な老害になるよりは全然マシ。それらを踏まえた上で、僕はこのアルバムの事を“肯定的駄作”と名付けたい。だから今回の件に関してはアルセネージュは何も悪くないです。悪いのはニュークリア・ブラストワードレコーズです。

これ「超えちゃいけないライン考えろよ」案件以外の何者でもなくて、言うなれば「アルセがガチメタルやった結果www」みたいな、でもアルセがこれやっちゃうと途端にダサくなる。なんだろう、例えるなら陽キャになりたくて無理してる陰キャみたいなね。それこそ前作がジブリのスピリチュアルな世界観を忠実に再現したコンセプトとUKオルタナという音楽的バック・グラウンドが化学反応を起こしバチっとハマった結果の名作だっただけに、それと比べるとこの『Spiritual Instinct』ならではのとっておきのパンチラインがNothing(=何もない)、要するにガワから中身まで全てが“メタル仕様”の音の方向性とコンセプトおよび世界観の統一感がまるでない。随所で前作の名残りを感じさるのがまたライティング不足というか、その世界観の構築に失敗している印象を受ける。皮肉にもタイトルの“スピリチュアル”の文字が虚しく響く、・・・そう、僕の心の叫びとともに・・・


(ディスクユニオンーーーー!!早く帰ってきてくれーーーーー!!)


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