Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

LGBTQ.Q.

Violet Cold 『Empire of Love』

Artist Violet Cold
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Album 『Empire of Love』
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Tracklist
01. Cradle
02. Pride
03. Be Like Magic
04. We Met During The Revolution
05. Shegnificant
06. Working Class
07. Togetherness
08. Life Dimensions

Liturgyのハンターハント・ヘンドリックスは、いわゆるLGBTQ.Q.に属するトランスジェンダーの一人として男女の性別=SEXの概念を超越(Transcendental)した革新性をブラック・メタルに持ち込んだメタル界の風雲児であり、そのヘンドリックスの呼びかけという名のカミングアウトに呼応したのが、アジアとヨーロッパをつなぐ中近東(西アジア)に位置するアゼルバイジャンは首都バクー出身のエミン・グリエフ氏による実験音楽プロジェクト、その名もViolet Coldだった。このViolet Coldは、その音楽はもとよりアートワークやミックス/マスタリングまで全てエミン氏独りで手掛けているDIYな独りブラゲで、2014年に1stアルバム『Lilu』でアンダーグラウンド・メタルシーンに登場するや否や、一年に一枚のハイペースでコンスタントに作品を発表し続けている、その手のマニアの間では知る人ぞ知るアーティストである。

そんなViolet ColdLiturgyがどのような文脈で繋がってくるのか?何を隠そう、彼の出身国であるアゼルバイジャンという国は、隣国であるトルコやアルメニアと並び、アンチLGBT国家のワースト1位(最下位)にランクインしている国家であり、近年でもLGBTの性的嗜好を持つ人々が逮捕されたり、その他様々な理不尽とも言える言論弾圧に対し世界中の人権派から非難を浴びている国として知られる。そんな“しがらみ”に囲まれた国に生まれたエミン・グリエフ氏はこの度、母国アゼルバイジャンを裏で操る隣国トルコの国旗をLGBTのシンボルである6色のレインボーフラッグに染め上げたアルバム、その名も『Empire of Love』という国家権力に抗う革命児とばかりの作品を発表、しかし(隣)国が(隣)国だけに、宗教が宗教だけに、これヘタしたらアンチLGBTの過激派に、というか国家権力そのものに命を狙われてもおかしくないレベルの“ガワ”からして既にパンク過ぎて逆に心配の気持ちが勝るのも事実。

Violet Coldは、先述したように初期の頃から実験的な側面を持つ音楽で知られ、例えばエレクトロニカやアンビエント、ネオクラシカルやウィッチハウスなどのブラック・メタルとは無縁の音楽ジャンルを取り込んだハイブリッドなスタイル、端的に言えば「アンダーグラウンド界のハンターハント・ヘンドリックス」がエミン・グリエフ氏である。しかし本作の『Empire of Love』では、これまでの比較的王道のブラックゲイズから一転して、アルバムの幕開けを飾る#1“Cradle”から母国アゼルバイジャンに伝わる民謡的な楽器(マンドリン的な)をフィーチャーした遊牧民的なオリエンタリズムを繰り広げたかと思えば、次の#2“Pride”が始まった瞬間・・・

そんなん言うてもな~んも知らんよ♪

・・・という、中東近辺に属する国の生まれらしいエスニックな香りを帯びた、恐らくアゼルバイジャン語?で歌う謎の女性コーラスパートが、もはやタモリ倶楽部の空耳アワーに投稿不可避の空耳で笑った。

ともあれ、本作はテーマがテーマだけに、それらの女性ボーカルによるイーサリアルなコーラスワークを効果的に起用した、過去最高にアンニュイでエピックな作風となっており、それはまるでレインボーフラッグが青々と澄み切った大空を恍惚の表情で凱旋し、ヘイトや分断ではなく、寛容とつながりに満ち溢れた虹色の世界の実現を祈るような高揚感溢れる音世界は終始めちゃめちゃエピックで、方や女性ボーカルによる癒やしと安らぎに溢れ、方や中東地帯は今なお復讐と報復の連鎖が続いている事実を訴えるようなエミン氏の絶望的なシャウト、それらの儚くも残酷な現実世界を虹色に包み込むかのようなノイズの壁に、まさに今の今、つまり「平和の祭典」であるはずの東京五輪が強行されようとしている真っ只中、それこそ2020年、アゼルバイジャンと隣国アルメニアの旧ソ連同士の歴史的な因縁を持つ領土問題や宗教対立を起因とする紛争(第二次ナゴルノ=カラバフ紛争)が再燃、本作はアンチLGBTに対する抗議のみならず、アゼルバイジャン周辺国との領土・宗教対立による、ドローン兵器が投入された近代的な軍事衝突(あるいは代理戦争)を皮肉交じりに映し出す鏡のような作品となっている。このようにLGBT問題のみならず、民族紛争の要因である宗教的なタブーにも切り込んでいくエミン氏の当事者としての“国民の叫び”が込められた命懸けの覚悟と勇気に、僕は敬意を表したい。「激情...あゝ激情」。

本作におけるブラックゲイズのベースとなっている基礎的な部分がデフヘヴンの金字塔『サンベイザー』という、ある意味でLGBT的な隠語となっているのも俄然皮肉めいた面白さがあって(メタル過激派にゲイと揶揄された作品)、とにかく宗教の厳しい戒律に縛られた保守的な国家権力に抗うかの如く、LGBTコミュニティへの締付けや抑圧に対して抗議行動(プロテスト)する歌詞には、理不尽なヒエラルキーに反対するアナーキズムをはじめ、ブラック・メタルの本質であるアンチ・クライスト(アンチ宗教)が啓示されている。そして、#3“Be Like Magic”のような犯罪者風モザイクボイスのラップ/トラップやエレクトロニカの要素を寛容の精神をもって柔軟に取り入れる革新性、それこそ超越者(ハンターハント・ヘンドリックス)から受け継いだ超越(Transcendental)的な音楽的な才能を開花させている。

本作を聴いて、僕は「平和の祭典」というクソッタレな雄弁を盾にした東京利権五輪が強行開催されようとしている日本という国に生きる一人の人間として、日本のミュージシャンに音楽を知っている椎名林檎が存在する事に心から安堵すると同時に、純粋に彼女の存在を誇りにしたいと思った。確かに、そんなん言うてもなんも知らんよと思われてもしょうがないけど、なんだかんだ叫んだって今の世界にはViolet Coldが提唱する寛容のオプティミスト精神が必要ってことで・・・さぁ、皆さんご一緒に→

そんなん言うてもな~んも知らんよ♪

Liturgy 『Origin of the Alimonies』

Artist Liturgy
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Album 『Origin of the Alimonies』
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Tracklist
01. The Seperation Of HAQQ From HAEL
02. OIOION's Birth
03. Lonely OIOION
04. The Fall Of SHIEYMN
05. SIHEYMN's Lament
06. Apparition Of The Eternal Church
07. The Armistice

【朗報】ハンター・ハント・ヘンドリックス、めちゃくちゃ可愛い女の娘だった

前作の4thアルバム『H.A.Q.Q.』を聴いて改めて思ったのは、彼らLiturgyの音楽の率直な感想として浮かび上がる「何がなんだかわからない」、そんな彼らの「わけのわからなさ」を司るのがバンドの中心人物であるハンター・ハント・ヘンドリックスの性別(SEX)のわからなさを起因としている説を証明するかのような、約1年ぶりとなる5thアルバム『Origin of the Alimonies』のキリスト教における三位一体を象ったアートワークを見た瞬間、今から二十数年前の僕の身に起きた黒歴史すなわちトラウマという名の『惡の華』が咲いたよ(ハナガサイタヨ〜)。

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その衝撃の出会いとは、まだ自分が10歳にも満たない子供の頃の話。父親のカーステにあったX JAPANのカセットテープ版『Jealousy』の表紙に写し出されたYOSHIKIの裸体アートワークを目にした時だった。人生経験の浅い10歳前後ってまだ長髪=「女性の象徴」という固定概念が根付いてる時期でもあるし、同様に胸元にあるおっぱいの膨らみもそうだった。確かに、確かに現実の世の中にはAAAカップの女性が存在している可能性もなきにしもあらずで、その女性特有の胸部の膨らみも「長髪」と同様に「女性」を象徴するアイコンの一つだった。つまり、幼少期という未知の存在に対する先入観や偏見のある子供時代の自分にとっては『Jealousy』のアートワークは『未知との遭遇』そのものであり、当然のように頭の中が混乱したわけ。それこそ「えっ、なんで・・・?この表紙に写っている黒パンティを履いた長髪の人(YOSHIKI)は女性なのに何でおっぱいがないの?!わかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないいいいいいうわああああああああああああぁぁぁぁぁあああああぁああ(ドピュ」という風に、それが思春期に差しかかる直前に起こった、自分の中にある『惡の華』が目覚めた瞬間だった。

そんな他人に言えない黒歴史を持つ僕は、この『Origin of the Alimonies』のアートワークに刻み込まれたヘンドリックスの裸体と『Jealousy』YOSHIKIの裸体が時を超えて重なり合い、ある種のトラウマとして脳裏にフラッシュバックした事は今さら言うまでもない。まず女性の象徴の一つである「長髪」と胸部にあるおっぱいの膨らみ、女性特有のファッションの一部である艶やかなネイルが施され、そしてこんな真っピンクな乳首は未だかつて見たことがなかった。それこそ「ヒャダ!!この長髪の人、ピンクチクビの美乳なのにチンコが生えてるフタナリなのかなんなのかもうわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないいいいいいいうわあああああああああぁぁぁぁっぁあああ(ドピュ」みたいな、言うなれば20年越しの「セカンド精通」を果たした黒歴史的な瞬間だった。

冗談じゃなく本当にわからないし(というか普通に男を疑う余地すらなかった)、普通に考えたらLGBTQ.Q.に属する人である事が推測できるし(恐らくトランスジェンダー)、今流行りのディープ・フェイクなのかすらわからない。なんだろう、この性別(SEX)も髪型やおっぱいなどの身体的特徴すらも「何がなんだかわからない」、その男女の性別における「曖昧さ」こそがLiturgyの音楽を紐解く上において最も重要な真髄であり真実でもあって、つまりどちらか「一つ」に定められた性別の境界線を超越(Transcendental)したブラックメタルがこのLiturgyであり、「男らしさ」や「女らしさ」という悪しき時代の呪縛から解放された、「男性(Man)」でも「女性(Women)」でもない“ジェンダー”の概念をTranscendentalした宇宙人もとい「超越者」と性別欄に記すべき存在がこのハンター・ハント・ヘンドリックスなんですね。

よって思春期を迎える前にYOSHIKIの裸体で精通している僕が、約20年の時を経てLiturgyヘンドリックスと引かれ合うことは以外でもないんでもない「別に普通」の出来事だったんですね。ある意味、僕は幼少時の時点で「ジェンダーフリーの美学」を無意識のうちに学んでいたという事でもある。無意識のうちに「ジェンダーフリーの美学」を学んでいた案件といえば、他でもない僕が「DNAレベルで日本一のジョジョオタ」である理由、それこそ女性誌の女性モデルの顔をベースに男性キャラを描く荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』という一種の「ジェンダーレス漫画」の底の根へと繋がっている話でもあって、(今でこそダイバーシティ=多様性が求められる時代だが)当時の荒木飛呂彦は週刊少年ジャンプという圧倒的に男性主人公が多い漫画雑誌で徐倫という女性キャラを主人公にしたジェンダーフリーの精神が根付いた偉大な漫画家でもある。

実は、YOSHIKIヘンドリックスには他にも共通点があって、それこそロック畑のミュージシャンでありながらクラシック/オペラにも精通している点。なんだろう、どの国も、いつの時代も、音楽界や芸術界で古い既成概念を打ち破る破天荒な異端児はクラシックに精通し、なお且つ性別をも超越しているんだなって。俄然面白いのは、YOSHIKIといえば天皇陛下御即位十年を祝う国民祭典で自身で作曲した奉祝曲を御前演奏している人物で、一方のヘンドリックスは4thアルバム『H.A.Q.Q.』の中で日本の伝統的な古典音楽=雅楽でもお馴染みの篳篥や龍笛を駆使した、例えるなら『乱歩地獄』を総合演出家エイフェックス・ツインが喜劇化したような傑作を生み出したこと。互いにクラシック音楽だけでなく日本の古典音楽や国民的な典礼(Liturgy)にも精通しているという謎の共通点w

前作のレビューでもチョロっと書いたけど、「なにがなんだかわからない」まま最終的に出した結論が「クラシック音楽の方程式でブラックメタルを解いた」のがLiturgyの音楽であるということ。何を隠そう本作の『Origin of the Alimonies』は、その問いに対するバンド直々の回答であるかのように、集大成的な前作から方向性はそのままに、ヘンドリックスという異端児を形成するクラシック/オペラの教養から展開されるクラシックならではの常識的かつ様式美的な要素とブラックメタルならではの非常識的かつ非様式美的な要素という相反する者同士が、2020年というリアルにバグった世界で運命的な邂逅を果たしたような、性別で例えるなら【ブラックメタル=男】と【クラシック=女】というように、交わりっこない音楽同士が性別を超えてTranscendentalしちゃったのが本作品(『H.A.Q.Q.』における「METAPHYSICS」パート)。そのクラシックの様式美的な固定概念と、ジェンダーの世界における固定概念がバグって(不協和)音を立てて崩れ落ちていく「破壊の美学」という点でも、もはやヘンドリックス「ブラックメタル界のYOSHIKI」と言っても過言じゃあないかもしれない。

TVゲームでもプログラミングの世界でも“バグ”というのは付き物で、(勿論ないに越したことはないんだけど)どうやっても出ちゃうのがバグという厄介な存在だ(そのためにデバッカーの仕事がある)。例えば、ゲームにおける「見えない壁」があるとする。それはオープンワールドと呼ばれるゲームでも存在する。その壁はプレイヤーの力ではどうやっても通ることができない。しかし、そのどうやっても越えられない壁を越える方法が一つだけある。それが「バグ」だ。

IT業界におけるコンピュータ・プログラムのバグ=ウイルスと同じ解釈で、ゲームにおけるバグの一つであるグリッチを音楽的ギミック=バグ表現として応用しているのがこのLiturgyに他ならなくて、彼女たちはクラシック音楽とブラックメタルの間を隔てる絶対に越えられない「見えない壁」を、そのデジタル界におけるバグ=人間界におけるウイルス=音楽界における(ババババババババ)グリッチという名の「裏技」、つまり想定外の不確定要素を逆手にとって意図的にバグらせることでその見えない壁をTranscendentalさせ、「正常」を超えた「異常」とはまた別次元の裏世界にたどり着いている。それはまるで新人類の誕生を暗示しているようでもあり、これがホントの「ウイルス進化論」ならぬ「バグ進化論」ってほどに。

実は今年、Liturgyの他にも音楽ジャンルの境界線=ボーダーラインを超えたTranscendentalなバンドが複数実在していた。それがポストブラックメタルの開祖であるUlverと、そのUlverのオルタナティブな精神を受け継ぐ後継者であるアンダーグラウンド・メタル界の重鎮Oranssi Pazuzuという2組の北欧バンドだった。その2組が今年リリースした2020年の年間BESTアルバムに共通する“トラップ”、もはやクラシックとブラックメタルの壁をTranscendentalさせた超越者にとっては、僕が提唱している「Djent=Trap説」に対する答えを用意するのはあまりに容易い事だったのかもしれない。

本作の中で最もTranscendentalしちゃってる#5“SIHEYMN's Lament”は、ジャズ風味のある前半に展開されるトラッピーなビートを刻むパートから、後半に展開される(厳密に言えばDjentの生みの親である)メシュガー然とした現代モダン・ヘヴィネス、そのクラシックとは真逆のイマドキのトラップとモダンなヘヴィネスを邂逅させるという、改めてポストメタル界におけるガニキの影響力たるや、だてに「10年代メタル総選挙ランキング同率1位」じゃないなって。

今年、まさかUlverOranssi Pazuzu以外に「メタルにおけるトラップのあり方」を正しい解釈で持ち込んだバンドが登場するなんて想像もしてなかったけど(間違った解釈の例がBABYMETAL)、冷静に考えたら不可能を可能にしちゃう実験的というよりは常識を超えた超越者兼変態であるこのLiturgyがそれをやらないわけがなかった(むしろ3rdアルバム『The Ark Work』の実験性がここへと繋がった感)。もっとも面白いのは、それらに該当するバンド全てがブラックメタル界隈からというのが何より興味深い話で、結局のところ古臭い既成概念をブチ壊すのはブラックメタルという音楽界の異端児という「よくあるオチ」でしかなくて、正直本作におけるクラシックとブラックメタルの融合ウンヌンよりも断然コッチのが凄い事やってる説まである。
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