Artist tricot

Album 『3』

Tracklist
ぼく藤岡隊長
「おぉ...ここが未開の部族が棲む秘境の地か...ん?あれはなんだ!」
未開の部族
「コレ アゲル」

ぼく藤岡隊長
「なんだこれは・・・無地のケースに『3』の数字が描かれているだけのCDと「2012.11」という日付のような数字が記された青いCDだ」
未開の部族
「コレ キイテ」
ぼく藤岡隊長
「よし、まずは青い方のCDから聞いてみよう」
ぼく藤岡隊長
「林抱いて///」
未開の部族
「『サン』 モ キイテ」
ぼく藤岡隊長
「こ、これは!もしやトリコットの新しいアルバムじゃないか!?おい!手抜きすんなイッキュウゥゥゥウウ!!メンヘラなれーーーーーーーーー!!」
イッキュウ中嶋
「かかってこいやああああああああああ!!」
ぼく藤岡隊長
「Just Bring It!!Just Bring It!!」
イッキュウ中嶋
「Just Bring It!!Just Bring It!!」
初めてこの無印のケースに「3」という数字が書いてあるだけの、歌詞カードも入ってない「シンプルイズザベストスタイル」のCDを目にした時、僕は中学生の頃に友達から借りた様々なアーティストの音源が詰まった無印の青いCDを思い出した。これはトリコットのメンバーや僕と同世代の「今ギリギリ20代」の人なら共感してもらえるような話で、今から約15年前、当時の中学もしくは高校時代って「音楽をCDに焼ける奴」=「神」みたいな存在で、そもそも「CDに焼く」という言葉も今では死語になってる気もするし、その「CDに焼く」という行為が違法行為(グレーゾーン?)だなんてのは、昨今の「ストリーミング時代」を前にしたらクソどーでもいいただの思い出話でしかなかった。僕が中学生の頃に友達から借りた上記の青いCD(現物)には、(2002年)当時流行っていたJanne Da ArcやL'Arc~en~CielなどのV系ロックをはじめ、モンパチから種TM西川兄貴、ブリグリやBOAなどのJ-POPの音源が詰め込まれていて、特にその中に収録されていたJanne Da Arcのバラード”DOLLS”を初めて聴いた時は、体に稲妻のような衝撃が走ったのを今でも憶えている。それ以来、僕はJanne Da Arcの虜となり、CDは勿論のこと大阪城ホールやSSAのライブDVDを買い占めた。何を隠そう、このトリコットの3rdアルバム『3』は、中学生の頃に無印の青いCDを介してJanne Da Arcと運命的な出会いを果たし、そして僕のその後の音楽的な嗜好を決定づけたように、この『3』を聴いた今の中高校生のその後の人生に多大な影響を与えるであろう、邦楽界の歴史に名を残す名盤なのである。

Album 『3』

Tracklist
02. WABI-SABI
03. よそいき
04. DeDeDe
05. スキマ
06. pork side
07. ポークジンジャー
08. エコー
09. 18,19
10. 南無
11. MUNASAWAGI
12. 節約家
13. メロンソーダ
「中嶋イッキュウのソロデビューとは一体なんだったのか」
ナレ「その謎を明らかにすべく、我々藤岡探検隊はアマゾン奥地へ向かった!」
ぼく藤岡隊長
「おぉ...ここが未開の部族が棲む秘境の地か...ん?あれはなんだ!」ナレ「突如、我々の目の前に暗闇から何者かが現れた!」
未開の部族
「コレ アゲル」
ぼく藤岡隊長
「なんだこれは・・・無地のケースに『3』の数字が描かれているだけのCDと「2012.11」という日付のような数字が記された青いCDだ」未開の部族
「コレ キイテ」ぼく藤岡隊長
「よし、まずは青い方のCDから聞いてみよう」青いCD「私じゃダメなの?もう好きじゃないの?」
ぼく藤岡隊長
「林抱いて///」未開の部族
「『サン』 モ キイテ」ぼく藤岡隊長
「こ、これは!もしやトリコットの新しいアルバムじゃないか!?おい!手抜きすんなイッキュウゥゥゥウウ!!メンヘラなれーーーーーーーーー!!」イッキュウ中嶋
「かかってこいやああああああああああ!!」ぼく藤岡隊長
「Just Bring It!!Just Bring It!!」イッキュウ中嶋
「Just Bring It!!Just Bring It!!」初めてこの無印のケースに「3」という数字が書いてあるだけの、歌詞カードも入ってない「シンプルイズザベストスタイル」のCDを目にした時、僕は中学生の頃に友達から借りた様々なアーティストの音源が詰まった無印の青いCDを思い出した。これはトリコットのメンバーや僕と同世代の「今ギリギリ20代」の人なら共感してもらえるような話で、今から約15年前、当時の中学もしくは高校時代って「音楽をCDに焼ける奴」=「神」みたいな存在で、そもそも「CDに焼く」という言葉も今では死語になってる気もするし、その「CDに焼く」という行為が違法行為(グレーゾーン?)だなんてのは、昨今の「ストリーミング時代」を前にしたらクソどーでもいいただの思い出話でしかなかった。僕が中学生の頃に友達から借りた上記の青いCD(現物)には、(2002年)当時流行っていたJanne Da ArcやL'Arc~en~CielなどのV系ロックをはじめ、モンパチから種TM西川兄貴、ブリグリやBOAなどのJ-POPの音源が詰め込まれていて、特にその中に収録されていたJanne Da Arcのバラード”DOLLS”を初めて聴いた時は、体に稲妻のような衝撃が走ったのを今でも憶えている。それ以来、僕はJanne Da Arcの虜となり、CDは勿論のこと大阪城ホールやSSAのライブDVDを買い占めた。何を隠そう、このトリコットの3rdアルバム『3』は、中学生の頃に無印の青いCDを介してJanne Da Arcと運命的な出会いを果たし、そして僕のその後の音楽的な嗜好を決定づけたように、この『3』を聴いた今の中高校生のその後の人生に多大な影響を与えるであろう、邦楽界の歴史に名を残す名盤なのである。
ここ最近のトリコットといえば、昨年に『KABUKKAKE EP』を発表するやいなや、フロントマンのイッキュウ中嶋がソロ活動を始めたり、それこそ昨今の「洗脳ブーム」に乗っかってじゃないけど、とにかく最近のイッキュウ中嶋って「中嶋ホームオブハートイッキュウ」に改名すんじゃねーかってくらい、なんか悪い男にそそのかされて急に坊主頭にして「出家します」とか言い出しそうな、そんな戸川純リスペクトな典型的な「勘違い女」みたいな危うい雰囲気あって、終いにはゲス野郎のプロデュースで芸人の小籔や野性爆弾くうちゃんとバンド結成して俄然「勘違い女」っぷりに拍車をかけ、今やライブツアーの箱も縮小して解散間際の集金ツアーみたいな典型的な落ち目バンドみたいな事やってて、トリコットがそんなハンパなことやってる間に、フォロワーの「右斜め45度女」こと零率いるポルカドットスティングレイにも人気でも動員でもブチ抜かれる醜態を晒していて、傍から見てると「おいおいトリコット大丈夫かよ」みたいな、「ソロ活動は自由だけどバンドには迷惑かけんなや」とちょっと心配になるくらい、まぁ、それくらいここ最近のトリコットを取り巻く状況は、こんなオモンナイバンド見たことないってくらい、まさしく「オワコンバンド」の名に相応しい状況まで追い込まれていた。もうこの際、イッキュウ中嶋こと顔面朝勃ち女はくうちゃんと一緒に『ドキュメンタル』に参加して100万円奪われとけやと。つうか、なんやねん顔面朝勃ち女て、自分の真上に発射して自分の顔にBUKKAKEんのかよ。キモすぎだろ。
2015年作の2ndアルバム『A N D』では、某BOBO氏をはじめ複数のドラマーの協力を得て制作され、昨年の『KABUKKAKE EP』では、ドラム・オーディションを開催して選出された5人のドラマーを起用した楽曲が話題となったが、実は自分もそのドラムオーディションに応募して、その結果一次選考で落選したことを今でも根に持っていて、何故なら僕がこの度のドラム・オーディションで選んだ曲がX JAPANの”ART OF LIFE”という、いわゆる(Radio Edit)ではない方の29分ジャストの方の完全版で、そしてYOSHIKIの「かかってこいやー!」からの「ヘドバンは良くない」からのアテフリプレイからドラムセット破壊まで、ライブ作品の『Art of life live』を忠実に完全再現したビデオを撮って応募したわけ。なのに一次選考で落選とか本当にショックだったし、もうトリコット聴くのやめようかと思ったほどで、少なくとも「あの時点」ではまだ僕がトリコットの三代目ドラマーとしての人生を歩んでいた「if(もしも)」の世界線が存在していたわけ。まぁ、全部ウソだけど。最終的にサポート・ドラマーに選ばれ、今回の『3』に収録された新曲を叩いているのは、ドラムオーディションを勝ち抜いた5人の内の一人である吉田雄介氏で、なんか結局安牌な結果になったというか、またしても一番面白みのない結果になって、こんな結果ならガチで僕が”ART OF LIFE”の完全版アテフリした方が面白かったわ。もっと言えば、BAND-MAIDがメジャーデビューする前にドラマーの茜を引き抜いてれば今頃トリコットは天下取ってたに違いない。なぜ茜かと言うと、僕が今年の初めにBAND-MAIDのMVで茜のドラムプレイを見た時、以前までトリコットのサポート・ドラマーとして活躍していた”みよさん”こと山口美代子さんの叩き方とソックリな事に、ボーカルの彩ちゃんに一目惚れするよりもまず一番先にそこに驚いて、もしや親子関係あるいは師弟関係でもあるのかと一瞬勘ぐったくらい。それは行き過ぎた冗談にしても、でも茜が一度でいいからトリコットでドラム叩く姿を見たいって人は間違いなく僕以外にも存在するハズ。とにかく、そういった面でも、今のトリコットを取り巻く状況は「オモンナイ」の一言でしかなかった。
それはそうと、この『3』の幕開けを飾る”TOKYO VAMPIRE HOTEL”がOPテーマに起用された、園子温監督のamazonオリジナルドラマ『東京ヴァンパイアホテル』を観たのだけど、毎回OPの入り方がサイコーにカッコ良くてかなり扱いは良かった。ちなみに主題歌はMIYAVI。で、一話の初っ端からしょこたんの激しい銃乱射からの血ドバー!に始まって、謎の筒井康隆ネタから、映画『ムカデ人間』でお馴染みの俳優北村昭博や某グラドル、そして園作品でも毎度お馴染みとなった監督の嫁NTR要素とか小ネタも多いし、そして見せ場となる主演の満島ひかり(弟)と夏帆のアクションシーンは勿論のこと、おっぱいの大きいヒロイン役の女優誰かな?と思って見たら、映画『アンチポルノ』の主演でヌードも披露した(例の当選したポスターでもお馴染みの)冨手麻妙とかいう女優らしく、作中で一番体を張った演技を見せているが、その役者陣の中でも特にMVP級の活躍を見せているのが安達祐実で、さすがレジェンド子役女優だなと。それと、物語終盤に出てくるアカリ役の森七菜は今後要注目の新人女優だと思う。とにかく、レビュー自体はボロクソだけれど、これまでの園子温作品が好きならそのブッ飛んだエログロな世界観だけでも十分視聴継続できるし、確かに3話以降ホテル内の話になると急にテンポが悪くなるのは監督のいつものクセというか、そもそもテンポよくできる監督だったら4時間の映画なんて撮らねぇし、そこはご愛嬌としか。話としては終盤の展開の方が面白いかな。ちなみに、本作は既に映画版として編集されたモノが海外で上映されており、ちなみに名古屋県は豊橋市で撮影されたシーンも収録されている。
そんな『東京ヴァンパイアホテル』の世界観が堪能できる歌詞もポイントなトリコットの”TOKYO VAMPIRE HOTEL”は、幕開けの疾走感触れるドラムとソリッドなリフから1stアルバム『T H E』の”POOL”を彷彿させる、それこそ”タラッタラッタ”の歌詞にある「初期衝動を忘れたくないのに 古くなる事は止められないらしい」という、初期トリコットの問いかけに対する「答え」のような粗暴で荒々しい獣性むき出しの衝動性を垣間見せ、そして初期の9mm Parabellum Bullet的な、すなわちカオティック/ポスト・ハードコア然とした破天荒かつ激情的なサウンドを繰り広げていく。このトリコット節全開の音作りとサウンドから分かるのは、「This is tricot」すなわち「tricot is Back」を予感させると同時に、その中でボーカルのイッキュウ中嶋は2ndアルバム『A N D』で培った「ポップ」なセンスを巧みに昇華し、それこそ「おいおいペギーズじゃねぇんだから無理すんなBBA」とツッコミたくなるくらい、イマドキのガールズバンドで歌ってそうなくらい(顔面朝勃ち女らしからぬ)過去最高にポップな声色を織り交ぜながら、更に進化した多彩なボーカルワークを披露している。
それから間髪入れず始まる#2”WABI-SABI”は、1stアルバム『T H E』への回帰が見受けられた”TOKYO VAMPIRE HOTEL”と対になるような、今度は2ndアルバム『A N D』的なボーカルとコーラス主体に、しかしトリコットらしさに溢れた変則的なリズムで緩急を織り交ぜながら展開する曲で、この頭の2曲をワンセットみたいな形で聴かせる。その”トリコットらしさ”に溢れた幕開けから一転して、今作の象徴するような#3”よそいき”から導き出される言葉はただ一つ、それが「自由」だ。この曲はオルタナ然としたカッティング主体に展開し、イッキュウ中嶋の「イェイイェイ フッフー アーハー イエーイ」という軽快なボーカルワーク、そして2番目からはまさかの吉田美和がゲスト参加と思いきやリード・ギターキダ モティフォの歌とヒロミ・ヒロヒロの歌を織り交ぜた「トリプルボーカル」をブッ込んでくるほどの「自由さ」を発揮する。確かに、こう見ると確かに今作は「自由」っちゃ「自由」だが、しかしこれを「自由」という一言で片付けてしまったら、これまでのトリコットがやってきたことを全否定するような気もして、今作を「自由」という一言で片付けるにはあまりにも安易すぎないかと、僕が思うに、これは「自由」であること、それ以上に「自然」であると。
確かに、トリコットは初期衝動全開の『T H E』の変拍子だらけの音楽性が高く評価された。その反面、続く『A N D』では変拍子はただのギミックに過ぎないとばかり、そしてフロントマンであるイッキュウ中嶋の「#椎名林檎の後継者なの私だ」アピールを拗らせた、つまりイッキュウ中嶋が「ワンマンバンド化」を目論んだ、「アタシめっちゃ歌えるやん!」と勘違いを拗らせた「ただのJ-Pop」と各方面から批判された。つまり、僕が『A N D』のレビューで「こういうバンドこそメジャー行ったら面白い」と書いたことは、あながち間違いじゃあなくて、それくらいサブカルクソ女系のJ-Pop臭がハンパないアルバムだったのも事実で、それは一作目が高く評価されたバンドにありがちな「二作目のジンクス」みたいな側面もあって、その「脱変拍子バンド」を図った前作が批判されて日和った結果、この『3』では『T H E』と『A N D』の中間みたいな、ロックバンドにありがちなクソ典型的な音楽遍歴を辿っている。「変拍子はただのギミックに過ぎない」のは、ある意味前作と何一つ変わっちゃあいなくて、その変拍子に囚われない「いい意味」でこの『3』でも踏襲している。つまり、変拍子祭りの『T H E』と脱変拍子の『A N D』で培ってきた基本的なことを忠実に守り、それを素直に表現しているという意味ではまさに「自由」と言える。
この『3』では、オルタナだマスロックだなんだ、他バンドからの影響だなんだ以前に、それ以上にトリコットなりに「普遍的なロック」を貫き通している。それこそ『T H E』と『A N D』の間に生じた「意図的」な「変化」ではなく、この『3』では特定のジャンルや特定の何かを「意図的」にやろうとした気配はまるでなくて、もはや身体に染みついた「変拍子」という名の「意図的」でない「リズム」が「自然」に溶け込んでいくように、端的に言ってスタジオセッションで起こる「インプロヴィゼーション」の延長線上にある、生々しいオーガニックなトリコットなりのロックンロールを、すなわち『トリコロール 顔面朝勃ち女の章』を極めて自然体で鳴らしている。メンバー自身が、真正面からトリコットの音楽と向き合っている。これはもう、いわゆるメシュガーが「メシュガー」というジャンルなら、このトリコットは「トリコット」というジャンルだ。
この『3』を野球の球種で例えるなら、『T H E』でド真ん中のストレート、『A N D』で緩い変化球を投げてきたトリコットが、今度は「ストレート」でもあり「変化級」でもある「ツーシーム」を投げてきている。そう、「ストレート」だと思って打ちに(解釈しに)いったら手前で微妙に「変化」して、バットの根元に当たってバットがへし折れるあの「ツーシーム」だ。どうりで打てないわけだ。「ストレート」だと解釈して打ちにいってはどん詰まり、はたまた「変化球」だと予測して打ちにいっても綺麗に空振りしちゃうわけだ。何故なら、ストレートでも変化球でもそのどちらでもないのが「ツーシーム」=『3』だからだ。だから今のトリコットに野球で勝てるバンドっていないと思う。
前作の”E”を聴いた時は「デッ デッデッデーーーーーンwwwwwwwww」みたいなノリで、メタリカのマスパペでも始まるのかと思ったけど違って、今回は”DeDeDe”というタイトルで今度こそはガチでメタリカのマスパペカバーきたか!と思って聴いてみたけど違った。普通にオシャンティなジャズだった。中盤のハイライトを飾る「イー、アール、サン、スー」な#7”ポークジンジャー”では、『T H E』の”おちゃんせんすぅす”を彷彿させるオリエンタルなチャイニーズ感を醸し出し、そのタイトルどおりきのこ帝国を彷彿させる白昼夢を彷徨うかのような幻想的なギターのリフレインが響き渡る#8”エコー”、キレッキレの転調や変拍子を巧みに織り交ぜながらオルタナとプログレの狭間を行き来しつつ、Misery Signals顔負けの叙情派ニュースクールハードコア然としたギターをフィーチャーした#9”18,19”、「ナムナムナムナム」てホンマに出家しよるやんこいつってツッコンだ#10”南無”は、ふと仕事中に無限ループしてクソ迷惑だったのを思い出した。そして『KABUKKAKE EP』に収録された、最初期トリコットのリフ回しから”99.974℃”ばりの転調をキメる#12”節約家”まで、「アンチポップ」あるいは「アンチメジャー」の精神に溢れた、そして#3や#9をはじめ『KABUKKAKE EP』でも垣間見せたソングライティング面での成長、その確かな作曲能力に裏打ちされたトリコロールをぶっ放している。
ここまで書いたこと全部間違ってるし全部ゴミなんで忘れてもらっていいです。この『3』を発売日に買ってから今まで、頭に浮かんだイメージが定まらない上に全然まとまらなくて、頭が破裂しそうなくらいグチャグチャになりながらも、いざ書いてみてもやっぱりリズム感のないゴミ文章にしかならなかったからゴミ。確かに、この『3』でやってることはもの凄く「シンプル」で、しかし「シンプル」故の難しさみたいな所もあって、それは「普通」でいることの難しさでもあって、その音楽的な内面やガワの面では引っかかりがなくて俄然「シンプル」なのに、どこか別のところで妙な引っかかりを感じている自分も確かに存在して、事実このアルバムを初めて聴いた時は「気づいたら終わってた」みたいな感想しか出てこなくて、こう書くとあまり良いイメージを持たれないかもしれないが、逆にそれくらい初めて聴くのに異様に耳に馴染む感覚っつーのかな、実はその感覚こそこのアルバムの一番大事な部分のような気もして、しかしそれでも「核心的」な部分がまるで見えてこなくて、何だかすごく曖昧で、しかしこの言いようのない得体の知れない、恐ろしいナニカが潜んでいるような不気味な雰囲気に飲み込まれそうで。ここまで僕を悩ませたのは、全ては顔面朝勃ち女のメンヘラクソ女みたいな長文ブログ『シンプルがベストだと思う理由』を読んでしまったからで、特にこのブログの「CDが売れない時代」のくだりに引っかかって、何故なら僕は過去にフィジカルとデジタルの境界線に関する「CDが売れない時代」の話のくだりで、「椎名林檎よりもトリコットのCDを買って応援してやってほしい」と書いた憶えがあって、だからこのブログの内容を見てスゲー考えてんなこいつって思ったし、その流れで急にX JAPANネタぶっ込んできてクソ笑ったし、最終的に「自主レーベルでやりたいことを(自由に)やれてる」と「考え方をシンプルにしたかった」という話を聞いて、またしても僕は過去に「トリコットみたいなバンドこそメジャー行ったほうが面白くなりそう」みたいな事を書いてて、要するにこれらのイッキュウ中嶋の言葉は、自分が「トリコットの事を何も知らないジョン・スノウ」だったと、いや「知ろうともしなかったクソニワカ」だったと気付かされたし、このブログの内容に強く共感してしまった僕は、ヘラりながらも一つの答えにたどり着いた。それが、この『3』はトリコットなりの「(実質)メジャーデビュー作」であるということ。
『3』=
この『3』は三枚目の『3』でもあり、三人組の『3』でもある。そして『3』という数字は、キリスト教にとって「三位一体」を意味する奥義であり、キリスト教にとって「神の世界」を表す聖なる数字でもある。この意味に気づいた時、この『3』に潜む「得体の知れないナニカ」を目の当たりにし、そしてトンデモナイ領域にたどり着いてしまったのではと、我々藤岡探検隊はただただ「恐怖」した。これまでのアルバムとは一線をがした、この『3』からにじみ出るような得体の知れないものこそ、全知全能の『神』そのものだったんだ。僕は、この『3』という「神の世界」の中でキリストと対面していたんだ。我々はその「恐怖」を前に体が硬直し、今更もう引き返せなかった。我々は全知全能の『神』と対峙した瞬間、もはや「ツーシーム」だとか「神降ろし」だとかそんなものはどうでもよくなっていた。僕は勇気を振り絞って最後の”メロンソーダ”を聴いた。すると涙が溢れ出して止まらなかったんだ。
この『3』は、今月いっぱいでバンドを卒業する佐藤千明と、今後は『3』ピースで活動していくことを宣言した、盟友赤い公園に対するトリコットなりのエールにしか聴こえなかった。初めてこの『3』を聴いた時から、特にアルバムの最後を飾るJ-POPナンバーの”メロンソーダ”がナニカを示唆しているようにしか聴こえなかった。その数カ月後、まるで『3』という数字が赤い公園の未来を暗示するように佐藤千明の脱退が公表されてから、改めてこの”メロンソーダ”を聴いたらもう涙が止まらなかった。確かに、この”メロンソーダ”はイッキュウ中嶋の(顔面朝勃ち女らしからぬ)一際ポップでセンチメンタルな歌声をフィーチャーした、「ただのJ-POP」に聴こえるかもしれない。しかし僕には、決して「ただのJ-POP」には聴こえなかったんだ。今までずっと悩んできた全ての答えがこの”メロンソーダ”に詰まってるんじゃあないかって。皮肉にも、早々にメジャーデビューして「最悪の結末」を迎えた赤い公園とは逆に、「トリコットもメジャーいけ」という周囲の何者の声にも一切惑わされず、自身の音楽理念を信じ、それを一貫して貫き通してきたトリコットというバンドの生き様が込められた、そして「インディーズ」に足をつけながら「もしトリコットがメジャデビューしたら」という高度な「if(もしも)」を、この『3』で実現させている。これは赤い公園の”サイダー”に対する”メロンソーダ”であり、赤い公園の『猛烈リトミック』に対する『サン』である。最後にトリコットが示したのは、「インディーズ」にいながらも「メジャー」を超えることができるという力強い意志だ。それこそ赤い公園の津野米咲が掲げる”じぇいぽっぱー”としての「意志」を受け継ぐようなJ-POPでアルバムの最後を締めるあたり、これが「トリコットなりのJ-POP」であり、これが「トリコットなりのメジャデビューアルバム」だと、まさにマスロック界からJ-POP界へ殴り込みをかけるような歴史的名盤である。この『3』に込められた今のトリコットの生き様を見せられて、津野米咲は一体何を、そして佐藤千明は一体何を思う?

ここまでの話は全部ゴミだからどうでもよくて、結局のところ僕がトリコットに伝えたいことはただ一つで、それはイギリスで開催されるArcTanGent FestivalでTesseracTと共演した暁に、今度は是非ともTesseracTと一緒に日本でツーマンやってほしいということ。そもそも、このそうそうたるメンツの中に日本のバンドがいること自体相当凄いことで、つまり何食わぬ顔でこのメンツに名を連ねているBorisスゴい。事実、あのTesseracTを日本に呼べる、あるいは対バンできるバンドってトリコットしか他に存在しないと思うし。勿論、このTesseracT(テッセラクティー)とTricoT(トリコッティー)の引かれ合いは、2ndアルバム『A N D』の中でTricoTが垣間見せたPost-Progressiveのセンス、その証明に他ならなくて、この『3』はTricoTがますます世界的なバンドへと飛び立っていく未来を暗示するかのような一枚といえる。



・・・「誰かと出会いたい一心で音楽をやっている」
・・・「佐藤千亜妃...僕と出会おう!」
・・・「アホくせぇ」
・・・「てか佐藤の下の名前標記って千亜妃だったの!?」
・・・「イカくせぇ」
・・・「イカ大王様だーーーーーーーーー!!」













