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墓っ地・ざ・ろっく!

DIR

DIR EN GREY - Phalaris

Artist DIR EN GREY
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Album 『Phalaris』
712YrBBMTWL._AC_

Tracklist
01. Schadenfreude
02.
03. The Perfume Of Sins
04. 13
05. 現、忘我を喰らう
06. 落ちた事のある空
07. 盲愛に処す
08. 響
09. Eddie
10. 御伽
11. カムイ

2014年作の9thアルバム『ARCHE』以降のDIR EN GREYを司る邪神的な存在というと、インダストリアル~エレクトロ風のモダンな打ち込みを持ちより、DIR EN GREYの楽曲に彩りを与えた張本人であり、いわゆるマニピュレーターとして裏側からバンドを支えるsukekiyoでもお馴染みの匠師匠の存在に他ならなくて、前作から約3年9ヵ月ぶり通算11作目となる本作の『Phalaris』においても、裏方という普段は目立たない立場から“実質プロデューサー”として表立つかの如し、俺たちの匠師匠の存在感は日に日に増すばかりだ。

近作のDIR EN GREYにおいて、その存在を誇示する匠の象徴的な仕事といえば、2018年作の10thアルバム『The Insulated World』の翌年にリリースされたシングルの“The World Of Mercy”に他ならない。この曲は、前作における“Ranunculus”の延長線上にあるモダンな打ち込みを中心に構築された大作であり、まるで近年のBMTHPorcupine Treeのスティーヴン・ウィルソン(SWワークス)さながらの著しい打ち込み志向とシンクロするかのような、同時に彼らが古くから嗜好してきた大作路線の新機軸を切り開くかのような一曲だった。

そんなDIR EN GREYの大作志向の高まりを予感させた時期というか楽曲といえば、古くは『MACABRE』に始まり、中でも彼らの最高傑作と名高い『UROBOROS』を代表する“Vinushka”やDSSこと『DUM SPIRO SPERO』を代表する“The Blossoming Beelzebub”と“Diabolos”は、彼らが長年培ってきた大作路線のピーク期と言える。それら過去の名曲をはじめ、シングルの“The World Of Mercy”の大作志向を引き継ぐように本作の幕開けを飾る#1“Schadenfreude”からして、名盤『UROBOROS』と共鳴する呪詛的なニューエイジズムを内包したエクスペリメンタリズムと、傑作『DSS』における破滅的なドゥームネスが約十数年の時を経て邂逅する冒頭に始まり、そのイコンとなる二枚の傑作や名シングルの“激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇”に象徴される、言うなればDIR EN GREYの黄金期と呼ぶべき時代のエクストリーム・ミュージックを司るブルータルな殺傷リフ、『ARCHE』における“Un Deux”や『The Insulated World』で培った「メシュガーをディルなりに再解釈」したマシらないギョントコア系のリフ、そして地獄の業火に晒されながら狂乱する京のアッチョンブリケボイスを咀嚼しながら『MACABRE』流の構築力で仕上げたような、それこそウロボ以降の集大成とでも言うべき大作らしい大作となっている。

「KATATONIAは好きですか?」

まるで“実質プロデューサー”の匠が「あの頃」のイェンス・ボグレン、そしてイェンスの右腕で知られるフランク・デフォルトに代わって、レトロモダンなキーボードと優美なストリングスを指揮する、要するにイェンス・ボグレン時代のKATATONIAで馴染み深い、いわゆる「Bサイド」と称されるゴシカルな耽美性を醸し出す#2“朧”は、先ほどとは一転してsukekiyoの支配下にある京の官能的な歌声をフィーチャーしたミドルテンポのオルタナチューンで、この手の「カタトニア好きか?」としか言いようがない曲は近作の中でも珍しいというか、ある意味ではウロボ以前の世界観に近い曲なのかもしれない。そういった意味でも、全盛期のKATATONIAとイェンス・ボグレンおよび今現在のDIR EN GREYと匠師匠の関係性は、いわゆる“実質プロデューサー”という枠組みでニアリーイコールと解釈すべきかもしれない。

ディルのフォロワーでもあるエクストリーム同人ヴィジュアル系メタルこと、Imperial Circus Dead Decadenceが先日発表した3rdアルバム殯――死へ耽る想いは戮辱すら喰らい、彼方の生を愛する為に命を讃える――。と本作の『Phalaris』って、実はめちゃめちゃ韻を踏めちゃう作品同士で、それこそICDDに対する本家からの回答とばかり、“実質プロデューサー”によるサイコスリラー映画のサントロの如し魑魅魍魎蠢くシンフォニーを抱えて、ドラムのシンヤが珍しくエクストリームメタル然としたブラストビートを刻みながら狂喜乱舞する#3“The Perfume Of Sins”は、本家ディルが誇る道化さながらの狂言師ならぬ京言師が取り仕切る見世物小屋でアヴァンギャルディなからくりサーカスを繰り広げる。

その後も「アルケー好きアルケ?」とツッコミ不可避なほど『ARCHE』の雰囲気を引きずったリフメイクとフックの効いた京の歌メロにフォーカスした#4“13”、京言師ならではのボイスパフォーマンスを発揮する#5“現、忘我を喰らう”、『DSS』を代表するDSこと“Different Sense”の系譜にあたるシングルの#6“落ちた事のある空”、再び“実質プロデューサー”である匠師匠の業に裏打ちされたスケキヨmeet懐春みたいな#8“響”、前作のパンク/ハードコアっぽさを踏襲した古き良きヴィジュアル系のヘドバン(BPM)を刻む#9“Eddie”、冒頭から『ARCHE』の名曲“Behind A Vacant Image”を思わせる匠ノイズを打ち出した#10“御伽”、そして本作における“体内性”を司る冒頭の“Schadenfreude”と対となる曲で、本作における“体外性”を司る同大作の#11“カムイ”は、過去作由来のエクストリーミーなアプローチを強調した同大作に対して、この曲では“朧”におけるKATATONIAのBサイドやsukekiyo的なオーケストレーション/アコースティックギターを軸に『MACABRE』的な構成で仕上げたような、言うなればSWもビックリの「ディルなりのポスト・プログレッシブ」であり、またバンドサウンドが合流する中盤以降はDeftones『Ohms』で啓示した“20年代のヘヴィネス”の在り方をディルなりに再現している。

ここまで本作を端的に総括すると、『ウロボ』や『DSS』はもとより、厳密に言えば『ARCHE』以降の近三作を総括する「集大成」的な作風であり、裏側から見れば“実質プロデューサー”である「匠の集大成」とも言えなくもない本作品。一方で、集大成っぽい要素を多分に孕んでいる作品群にありがちな「うん、そうだね」みたいな想定内の感想しか出てこないのも事実。正直、フォロワーのIDCCに喰われちゃってるというリアルな話はさて置き、シンプルにソングライティングに対して懸念を抱いた虜も少なからずいるはず。それほど既視感ならぬ既聴感が強い、悪くいえばネタ切れ、それこそ引用元の過去曲のが面白いという至極単純明快な話というか。だから虜は一度でいいからICDDの最新作と『Phalaris』を聴き比べてもろて。絶対に「feat.小岩井ことりィ?!」ってなるから。

ただ一つだけ言えることは、何度も「アルケーとカタトニア好きか?」とツッコまざるをえないほど、良くも悪くも「KATATONIA」の存在が一つの大きなキーワードとなっている本作品。というのも、当記事の冒頭部に『ARCHE』以降の【DIR EN GREYと匠師匠】ニアリーイコール【KATATONIAとイェンス・ボグレン】と書いたように、KATATONIAとイェンスが離別してリリースされた『死の王』こと『Dead End Kings』において、メンバー自身がエンジニアとしてミックスを手がけた結果どうなったか?その結果として、まるで「音が死んでる」ようなクソ音質の駄作が誕生してしまった事は、長いメタル史の記録に悪い意味で名を刻む悲劇として人々に記憶された。

重度のKATATONIAフアンである僕が当記事で提唱したい説...それこそが『Phalaris』=『Dead End Kings』説、つまりDIR EN GREYなりの『死の王』であるということ。もとより色素の薄い音楽を奏でるバンドが、著しく無印良品みたいなモノクロームの無機的な世界観に振り切った本作品、その要因となるサウンド・プロダクションやメロディの点でも、近作において最も取っつきにくい印象を受ける。繰り返し聴いても過去一で「音が悪い」、メンバー全員の難聴を疑うほど音質が悪い。それもそのはず、本作のエンジニアにはBFMVのセルフタイトル作品や、過去に俺的クソ音質大賞を受賞しているTrivium『In Waves』を手がけたカール・バウンが関わってると知ったら全てに納得したというか(クソ音質マイスターとクソ音質メイカーは引かれ合うじゃないけど)、もはやここまでくると確信犯というか、こいつらわざとクソ音質にしてる説が濃厚になった。わざとじゃなきゃここまでクソ音質ムーブしないはずだから。とにかく、本作の「音が死んでる」ようなモコモコした淡白な音質を耳にしたら、歴史的駄作である『死の王』『In Waves』のトラウマが蘇ってしまった。

確かに、過去この“死音”を擁して面白いアルバムが作られていたとしたら全然納得できるけど、残念ながらこの世に一枚も存在しないのも事実で、むしろ歴史的な駄作と評価されることの方が断然多い。このクソ音質を好意的に解釈すると、このクソ音質を背負って史上初めて面白い作品に挑んだ歴史的な作品であるということ。つまり、ヴィジュアル系を代表するクソ音質マイスターが史上最悪のクソ音質をもって面白い作品を生み出さんとする、それこそチクビームのクソ音質を知りながらも故意にクソ音質を追求するド変態、もとい貪欲な姿勢に何を感じるかによって、本作の評価を大きく左右する事になりそう。少なくとも、本作を聴いて真っ先にチクビームのアレがフラッシュバックした自分みたいな人は、トラウマ級の作品になってしまうかもしれない。そのクソチクビを知っているor知らないかで評価が一転する奇々怪々が過ぎる作品・・・要するに、チクビームが全部悪いw

俄然このクソ音質を好意的に解釈するなら、あえて「音を殺している」んじゃねぇか説だ。つまり、本作におけるクソ音質は「ディルなりのデスメタル」のメタファーだったんだよ!な~んてエクストリーム擁護はさて置き、この『Phalaris』に内在するブルータル/デスメタル由来のエクストリームメタルのアプローチに対する、ある種の好意的な忌避の可能性というか。例えば、サウンド・プロダクションが音楽ジャンルを司る上において最たる要素であると仮定するなら、今作は“メタル”ではなく、あくまで“ヴィジュアル系”としての立場を暗喩しているとも言えるし、もしそうだとしたら全てに納得できなくもない。そのサウンド・プロダクションの是非についての考え方が、ヘヴィ・ミュージック界の中でヴィジュアル系として生き残る術であり、その術を模索し続けた結果を体現したような本作におけるヴィジュアル系宣言は、ただただエモ過ぎて泣く。

マジメな話、かのイェンス・ボグレンが手がけたシングルの“激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇”がアルバム版でクソ音質化した逸話に象徴されるように、古くからDIR EN GREYはサウンド・プロダクションの悪さに定評のあるバンドで、それこそ当時『UROBOROS』がメタリカの『Load/Reload』に匹敵するクソ音質と揶揄され過ぎた結果、『DSS』を手がけた海外エンジニアのチュー・マッドセンを迎えてリマスタリングされた同作が、今ではその超越的な音楽性と原盤のクソ音質が正解だった事実を鑑みれば、今作におけるクソ音質も彼らにとっては「最高音質」なんですね。つまりメンバー全員が難聴だとか、全く音にこだわってないからクソ音質になっているのではなく、人一倍に音にこだわっているからこそのクソ音質、つまり全て意図されたクソ音質であると。

本作のような「音質に“答え”が書いてある作品」というのは、サウンド・プロダクションだけで「PTの音」だと知らしめていたPorcupine Treeの復活作が、奇しくも本作と同じ11thアルバムだったのは果たして偶然だろうか。ともあれ、作品ごとにミックス/プロダクションを変化させて独自の世界観を創造したり、一方で世界の色を殺したりと、彼らの音質に対するこだわりは並のバンドの比ではない、言わば「創造的破壊」の思想が根底にあるのだと改めて痛感させられた。しかし、その好意的クソ音質のサウンド・プロダクションと、著しく鮮度の落ちたソングライティングの兼ね合いをフラットな視点から批評すると、正直なところ「ディルなりのメシュガー」をやってのけた前作の方が俄然ユニークで面白かったと言わざるをえない。一つだけ確かなことは、本作に点数を付ける場合、10点満点中7点以上は絶対に付けられないアルバム。それだけは確かだと思う。

sukekiyo 『INFINITUM』

Artist sukekiyo
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Album 『INFINITUM』
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Tracklist
01. 偶像モラトリアム
02. 猥雑
03. 沙羅螺
04. kisses
05. dorothy
06. アナタヨリウエ
07. 君は剥き出し
08. 本能お断り
09. こうも違うモノなのか、要するに
10. 濡羽色
11. ただ、まだ、私。
12. 憂染
13. 漂白フレーバー

tamapiyoもといsukekiyoといえば、DIR EN GREYのボーカリスト=のサイドプロジェクトであり、個人的に2014年に発表されたデビュー作の『IMMORTALIS』と2015年作の『VITIUM』を聴いて以降の作品は、何かライブ会場限定?の映像音源集というこのネット時代に時代錯誤な流通方式で販売されたらしく、意地になって聴かなかったというか必然的に聴けなかったわけなんだけど、しかし一方でSpotifyでは配信されている(らしい)という現代的な側面もあったりと(と思ったらフルちゃうんかいw)、世はまさに映画/ドラマならびに音楽までもが“大ストリーミング時代”、それに伴うCDという時代遅れの化石円盤は、地球環境に悪影響を与えるプラスチックゴミを増やすだけという“イマドキ”の環境意識高い系の思想の持ち主なのかは知らんけど(海外の紙ジャケってそういう配慮もあるの?)、ともあれ“いつでもSpotifyで聴ける状態だと結局いつまで経っても聴かない説”という“Spotifyあるある”の話。しかしこの度、2017年作の3rdアルバム『ADORATIO』から約2年ぶりとなる4thアルバム『INFINITUM』をリリースするタイミングで、これまで会場限定だったEPの『ANIMA』と前作の『ADORATIO』が一般流通盤として3枚同時リリースされた。勿論、個人的に意地になってSpotifyでも聴いてこなかった過去作(結局フルで配信してなかったよくあるオチ)、そして待望の最新作である『INFINITUM』“今のsukekiyo”がどうなっているのか?そういった個人的な事情からも、とても楽しみにしていた。

まずsukekiyoの音楽性をおさらいすると、Kscope主導のPost-ProgressiveをはじめいわゆるPost-系にも精通するATMS系およびアートロック志向の強い洋風な音作りに、日本のヴィジュアル系ならではの、それこそ日本を代表する久石譲ばりの“和”の叙情性を抱き合わせた歌モノのV系オルタナで、それこそ衝撃的なデビューを飾った『IMMORTALIS』はその特異なサウンド・スタイルと、怖いもの見たさの和製ホラー映画に精通する怪奇な世界観を極めし名盤だった。

今作の幕開けを飾る#1“偶像モラトリアム”から、繰り返し鳴り響く奇々怪界の怪奇音を奏でるオルタナギター、ギターベース、打ち込み、そして江戸川乱歩の怪作『孤島の鬼』並みに“アンタッチャブル”な物語の始まりを宣言するかのような、“声”を一つの“楽器”として捉えたのボイスが一つ一つ折り重なって、sukekiyoにしか描けないsukekiyoならではの極上のミニマリズムをもって、まるで気分は『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』ばりの洋風モダンホラーの世界を繰り広げる。これはずっと前から、それこそデビュー当時から思ってた事なのだけど、sukekiyoの音楽性および音楽的な変化および変遷は、Riversideのフロントマン=マリウス・デューダくんのソロプロジェクト=Lunatic Soulに近いものがあって、この洗練されたミニマルな曲構成にしてみても後期Lunatic SoulすなわちKscope系=Post-Progressiveの王道中の王道を目抜くソレで、(元々そのキライはあったけど)ここにきてインダストリアル/エクスペリメンタルなスタイルが本格化している。

これまでのsukekiyoにはなかった、本家DIR EN GREY『ARCHE』を更に重くしちゃいましたみたいな、それこそオルタナティブ・スラッジみたいな鬼ヘヴィネスをフィーチャーしたヘヴィロックの最高峰となる#2“猥雑”、パーカッションを駆使したオリエンタルな世界観をバックにタイトルの“沙羅螺”を花魁の踊り子が如し口ずさむという構図の#3における、転調から突如メタル化してバチグソにエロいGソロからGojira“Magma”っぽいフレーズに繋がるプログレスな展開は、sukekiyoなりのOpethへの回答なのか、はたまた本家DIR EN GREYへの回答なのか。

sukekiyoって元々、それこそデビュー作から往年の昭和歌謡を現代に蘇らせたような、(そもそもV系自体が古き良き昭和歌謡リバイバルであるという話はさて置き)それこそ2ndアルバムの『VITIUM』では、まるで『はぐれ刑事純情派』堀内孝雄が歌う主題歌あるいは美空ひばりが作詞した松浦亜弥“草原の人”ばりの昭和歌謡リスペクトな、言うなれば『はぐれ刑事変態派』をやってのけた。ギタリスト兼ピアニストのによるクラシカルでありながらジャズみのあるピアノが奏でる艶美な旋律との昭和歌謡リスペクトな歌メロで構成されたシングルの#4“kisses”は、まさにsukekiyoのアイデンティティが凝縮された『IMMORTALIS』の名曲“zephyr”と双璧をなす一曲と言える。

その昭和歌謡ルーツの流れを引き継いで、イントロからゲーム音楽風のシンセをフィーチャーした#5“dorothy”は、それこそTWO-MIXあるいはシティーハンターの“Get Wild”もしくはジャングルの王者ターちゃんのEDじゃないけど、とにかくaccess=浅倉大介界隈の90年代のアニソンを彷彿させる懐かしくもクサい雰囲気のある、あるいは当時アイドル視されていた中森明菜荻野目洋子、そしてテレサ・テンをはじめとする昭和の歌姫が昔の歌番組で歌っていそうなシンセ・ポップで、そのバンド・サウンドと電子音のsukekiyoらしい“オルタナティブ”なまぐわいは、初期のチャーチズばりにダーティなビートを刻むエレクトロ・ポップ風の#6“アナタヨリウエ”で真骨頂を迎える。このJ-POPにも精通するダサさは、ついさっきまで洋風モダンホラーやってたバンドとは思えないほどギャップが凄くて、この和から洋、洋から和へと自由に行き来する音楽性のフレキシブルさ=振り幅もsukekiyoならでは、魅力の一つだ。(もはやローレン・メイベリー大好き芸人からすればチャーチズっぽいシンセ要素があれば何でもいいという風潮)

Post-系はPost-系でも今度はバンド・サウンド中心のPost-Pならではのインテリジェンスとフェミニンな叙情性を発揮する#7“君は剥き出し”から、“インコにコンドーム事件”リスペクトなコンドームの暗喩が込められた歌詞がエッチな#9“こうも違うモノなのか、要するに”まで聴き終えると、僕は今作のテーマがBUCK-TICKリスペクトの“胎内回帰”である事を思い出す。そこで気づいたのが、今作って実は妊婦を模ったアートワークでお馴染みの本家DIR EN GREY『ARCHE』と対になる“裏アルケー”なんじゃねぇか説で、帯に書かれた胎内回帰への憧憬と無限の恋情を求める旋律は、終盤以降の曲に“希望”となって現れる。その中でも、ここまで溜まりに溜まりまくった情欲的な感情が激情的に溢れ出すピアノの旋律をフィーチャーした、歌舞伎で言うところの女形の役になりきる紅一点のがドストレートに“禁断の愛”を叫ぶ#11“ただ、まだ、私。”は今作のハイライトで、もしアートワークの六芒星が“子宮”の暗喩だと解釈するなら、真ん中の白い線がマンピーへと誘う“別次元”の入り口(ド下ネタ)、その線の下で光り輝くのがクリちゃんの暗喩であり(童貞並感)、もう我慢できないくらいヌレヌレでピューピューピヨピヨに鳴いちゃう#12“憂染”で遂に絶頂=オルガスムに達し、その毒毒しい“欲望”が“未来”への“希望”となって“胎内回帰”=“子宮還り”に成功した僕、するとオカンが嬉しそうにこう叫んだ。


「アンター!ひよこクラブ買ってきたわよーーーーー!!」

(お腹の子が“悪魔の子”であることも知らずに)


今作の裏テーマである“子宮還り”、あるいは“何度でも新しく生まれる”的なある種の“無限地獄”で思い出したのが、Kscope=Post-Pの創始者で知られるスティーヴン・ウィルソン『To the Bone』に他ならなかった。この『INFINITUM』は、ある意味ではSW『To the Bone』と真逆で、ある意味では同じ。生命の誕生、すなわち音楽の誕生、そして子宮を暗喩する“逆さの六芒星”、これが意味するのは“逆再生”の暗喩であり、“始まり”“終わり”の曲タイトルが漢字+カタカナという椎名林檎リスペクトな点も実に示唆的で、その漢字+カタカナシリーズで今作と強く共振しているのが、実は相対性理論『天声ジングル』というよくあるオチ

このアルバムで1番の“マンピーポイント”と呼べるのがその“終わりの曲で、アルバム中盤辺りからこれもうTrap鳴らしにきても全然おかしくない流れだと感じながらも終盤に差し掛かり半ば諦めかけたその時、その“終わりの曲となる#13“漂白フレーバー”のブレイクビーツ的なEDMというか、それこそ2019年を象徴する一枚となったBMTH『アモ』から“Fresh Bruises”を彷彿とさせるamoい打ち込みブッコミに笑った。というか、最後の最後でここ最近の世界的かつ俺的トレンドである“EDM”の伏線回収という想定外の展開。しかし、その予測不可能な“想定外”の存在がsukekiyo、その存在証明でもある。そもそも、“終わりの曲以前に#10“濡羽色”でもPost-Trapっぽい音鳴らしてて、もっと言えば前作の“純朴、無垢であろうが”の時点でTrap的な要素を取り入れた、先見の明のある変態的かつ前衛的な才能の持ち主でもあって、もはや本家よりも前衛的過ぎて薫くん「ちょっとTrapはやめてくださいよ。営業妨害でしょ・・・」って怒られちゃいそうw

もはや自分の知ってるsukekiyoじゃなくなってたってのが本音で、sukekiyoメンバー、特に楽器隊のポテンシャルはデビュー作と比べたら別人説が囁かれそうなくらいの変貌ぶりで、確かに全てが未知数だった1stアルバムとはベクトルはまるで違うけど、とにかく前作までのニッチな界隈向けのB級感あふれるオルタナ風の歌モノV系のイメージ、あくまでもオルタナの範囲内でバンド・サウンド重視だったその1stアルバムとは真逆、同時にのボイスもこれまで以上に楽器の一部としての役割が著しく強調され、つまり“京のサイドプロジェクト”の枠組みを超えた、れっきとした一つの“バンド”として本格化=“sukekiyoとしてのアイデンティティの確立と自覚”に繋がった結果、これもう本家超えちゃってるんじゃねぇかくらい全方位、全音楽ジャンルに向けて尖りまくっている。

しかし“sukekiyoらしさ”も健在で、バンドとして進化するところは着実に深化する一方で、『IMMORTALIS』時代の妖艶さだったり、持ち前の底抜けにポップでキャッチーなメロディはより優雅に、より大きな広がりを与えるチュー・マッドセンによるプロダクションも含めて音のスケール感が過去作と比べて段違い。つまり、ヴィジュアル系としてのアンダーグラウンドなマニア性=エクスペリメンタルな実験性とBMTH『アモ』=K-POPおよびJ-POPにも精通するポップでキャッチーな大衆性の両立、その絶妙なバランス感覚こそsukekiyoの真髄、sukekiyoの特色であると、今回それが極まりまくっててもう言葉にならない。

なんだろう、BMTH『アモ』Welcome To My ”俺の感性”における“ポップス”の再構築、Baroness『Gold & Grey』“俺感”におけるメタル/オルタナ/プログレそしてガルバンの再構築だと強引に解釈するなら、このsukekiyo『INFINITUM』“俺感”におけるV系/Post-系/アニソン系/EDM系の再構築なんじゃあねぇかって。この10年代の終わりを告げる2019年を象徴する3枚のアルバムは、この10年間“俺感”が書き記してきた事の全てが詰まっているといっても過言じゃあない、見事な“俺感”の総括でありマンピー。そんな事より八田エミリかわいい騙されたい(いきなり何の話)。

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DIR EN GREYの新曲『人間を被る』を聴いた

DIR EN GREYさん(@direngrey_official)がシェアした投稿 -


ようやく聴いたDIR EN GREYの新曲『人間を被る』。もう2ヶ月前のシングル発売日の時、DIR EN GREY公式のインスタにMeshuggahの最新作『The Violent Sleep of Reason』のTシャツを着た薫くんのクールな姿がアップされたのって、そういう意図あるいは伏線があったんだなって、この”人間を被る”を聴いてみたら本当に今更になって理解することができた。

それというのも、DIR EN GREYのギタリストの薫くんってもうずっとメシュガー好きのヲタクで、それこそ8thアルバムの『DUM SPIRO SPERO』から7弦ギターを使い始めたのもメシュガーの影響された説あって、しかし一方のDieは7弦ギター否定派との噂もあったり、虜の中には「7弦ギターを使い始めてからディルは終わった」みたいな論調も一部で生まれていた事も忘れてはならない。とにかく、それくらい7弦ギターがDIR EN GREYに(主に楽曲面で)与えた影響は計り知れなくて、近年のDIR EN GREYに起きた後にも先にもない大きな「転換期」だったと言える。

2010年代のメタルシーンでは、以前よりメシュガーが独自に展開していたフレドリック・トーデンダルによる7弦ギターと複雑な変拍子を刻むリズム隊が織りなす変態的なエクストリーム・メタル、そのメシュガーの音楽性から派生した”Djent”とかいうジャンルが産声を上げた。このように、メシュガーは00年代以降のメタルシーンに最も影響を与えた偉大なバンドである。ここ最近でも、同郷のPain of Salvasionメシュガーをリスペクトした奇跡の復活作をリリースしたのが記憶に新しい。

DIR EN GREYは、その偉大なメシュガー以上にUSのデブ豚ことDeftonesにも強い影響を受けていて、何を隠そうデブ豚の6thアルバム『Diamond Eyes』メシュガニキに対するUS側からの回答に他ならなくて、ガニキの7弦スタイルを”現代のモダン・ヘヴィネス”あるいは”現代のオルタナティブ・メタル”と解釈して”自分たちのヘヴィロック”に落とし込んだのがデブ豚である。その『Diamond Eyes』の中で聴かせるガーガガ ガーガガ ガーガガ ガーガーガーと延々とガーガー鳴らすもはやガーガー連呼厨みたいなオールフリーならぬオールガーで展開する頑固なリフ回しこそ、7弦ギターならではの専売特許みたいなもんで、平気な顔してこれができるデブ豚ってやっぱ天才だなって再確認させられたもの事実。そして、その両者に影響を受けているDIR EN GREYがこの『人間を被る』を発表するのは、もはや時間の問題だったのかもしれない。

ご存知のとおり、8thアルバム以降のDIR EN GREYはもうずっと7弦ギター大好き芸人なのだけど、個人的にDIR EN GREYと7弦ギターが一番ハマった曲って実はミニアルバム『THE UNRAVELING』”Unraveling”だと思ってて(この曲が先日のBESTアルバムに収録されなかったのは疑問)、この曲って要するにさっき書いたガー主体のリフ回しとDjent顔負けのリズムを刻む、メタル界屈指の「ガー族」の族長であるデブ豚ガニキに対する、その子供DIR EN GREYからの回答だった。

その”Unraveling”は、実際にはガニキデブ豚というより、あくまでもDjent的なモダンなアプローチで展開する言うなればPost-Djent的な方向性だったが、この”人間を被る”はそれ以上にモロ出しDjentで、それこそデブ豚『Diamond Eyes』を彷彿とさせる、いわゆるガー族の血脈を受け継ぐガー主体のリフ回し、つまり7弦ギターの魅力を過去最高に発揮させている。メインリフのほぼ全てをガーでキメるギターヲタク丸出しの曲調は”Unraveling”の正統後継者と言えるし、無論この曲は”Unraveling”のPost-Djentという伏線があったからこそ生まれた曲だ。その”Unraveling”はバッキングの”リズム”でDjentを刻んでいたけど、この”人間を被る”では”リフ”でDjentを刻んでいる、そのアプローチの違いは一つのポイントでもある。それらの→Djent_Post-Djent_ガニキ_デブ豚←この辺の微妙で繊細な関係性を理解していないとなかなか難しい話かもしれないが、薫くんはソコを知っている変態なので、、、すき。

この手の7弦ギターを応用したガニキ_スタイルで最も重要なのは、実はリフではなく音作りだと思うのだけど、7弦化以降のDIR EN GREYって7弦は7弦でもいわゆるDjentやガニキとは一線をがした、いわゆるヘヴィロック的な音作りで、9thアルバム『ARCHE』はまさに国内のチンカスラウドロック勢を地獄へ葬るかのような、7弦型ヘヴィロックの最高峰に君臨する傑作だった。しかし、その7弦ヘヴィロックに特化した『ARCHE』やPost-Djentの”Unraveling”でもやってこなかった7弦ギターを司る象徴的な音像が今作にはある、それが「ギョン」だった。

「ギョン」・・・それは漫画『ガンツ』に出てくるXガンの発射音ではない(ギョーン)、それは主にモダンなDjentバンドが鳴らす7弦ギターの音である。この”人間を被る”からは、Djentの代名詞であるゴムみたいにウネる、モダンがかったギョンの音が聴こえる。この新曲で一番驚いたというかちょっと感動したのは、DIR EN GREYってこの手のギョンのギター音出せるんだってこと。それくらい珍しいというか、これまでは7弦ギターなのに7弦ギターっぽく聴こえない独特な音作りがいい意味でも悪い意味でも”らしさ”や”こだわり”だったと思うのだけど、この曲に限っては明確にDjentの音作りをフォローしにきててバビった。

ここで改めて、こいつらスゲー器用なバンドだなって思ったのは、8thアルバム以降に確立した”自分たちの7弦ヘヴィロック”的な音作りと、Djentをはじめとした海外7弦勢のカドが立つようなガー系の音作りを絶妙な配合で混ぜ合わせたような、つまり”自分たちの7弦ヘヴィロック”の中にDjentを象徴するギョンの音像すなわちギョン像を、ピンセットで摘むようにして繊細な面持ちで落とし込む、その鬼ババみたいな器用さ。その唯一無二の音作りはDIR EN GREYではなく何よりも薫くんのギターリストとしての”こだわり”と言えるのかもしれない。ちなみに、ウォークマンZX300IE800Sなら僕が力説するギョンの音像はしっかりと感じ取れます。iPhoneや付属のイヤホンとかだとギョンは掴みづらいかも。恐らく、Campfire Audioの新作イヤホンのAtlasでもギョン余裕(ギョンユー)だと思うので、実際に試してみたいので誰か僕にAtlas買ってくださいw

【グロ注意】


Post-系のアルペジオから静かに幕を開け、初っ端のドラムこそ”激闇”を彷彿とさせるけど、全体的なサウンド・アプローチやインダストリアルなアレンジはアルバム『ARCHE』の世界観を素直に踏襲していて、メインリフとなるガーリフをキザミながら徐々にテンポアップしつつ、そしてサビへの繋ぎ方も『ARCHE』以降、前作シングルの”詩踏み”をフォローしている。今作を象徴するガーリフだけじゃなくて終盤の展開もイカす。とにかく、これまでは特定のジャンルやバンドを想起させない、唯一無二のオリジナリティを確立してきたバンドでもあったから、だからこそ色々と露骨に、メンバーというより薫くんの趣味嗜好がむき出しとなったこのシングルには驚きと素直な感動があって、それこそ『ARCHE』のレビューにも書いた今のDIR EN GREYは外に開かれているという僕の言葉を裏付けるような曲でもあった。

一応はカップリング扱いとなる”Ash”は、中期DIR EN GREYみたいなクロスオーバー/ハードコア的なテンションを保ちつつ、アコギのアルペジオからの”人間を被る”にはなかったGソロを見せ場に、とにかく緩急を織り交ぜながら目まぐるしくスピーディに展開していく曲で、実はこっちのが”シングル”っぽいと感じるほど、もはや両A面シングルでも良かったんじゃねぇかくらいの完成度(アルバムに向けて相当気合入れてきてんな!)。なんだろう、現在進行系DIR EN GREYによるシンプル至極な”人間を被る”と、アルバム『ARCHE』によって”呪い”が解かれた旧Dir en greyによる複雑怪奇な”Ash”みたいな対比あるいは解釈も可能。しかしこうなってくると、そろそろ出そうな10thアルバムの内容がどうなるのか、正直全く読めない。唯一心配なのは、このガーリフを薫くんとDieが実際にライブで弾けるのかということ・・・(余計なお世話)。

DECAYS 『Baby who wanders』

Artist DECAYS
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Album 『Baby who wanders』
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Tracklist

01. Aesthetics of the transgression
02. Zero Paradise
03. 愛と哀を遺さず... <Baby who wanders Ver.>
04. Drifting litter
05. Where are you going?
06. Vagabond
07. Imprisonment Leaving
08. シークレットモード
09. HELLO!NEW I
10. Eve
11. Rana
12. D/D
13. 綺麗な指

今どきロックバンドのフロントマンがソロプロジェクトを始めるなんて事は珍しくもないし、むしろソロ活動しない方がおかしいレベルで、同じようにフロントマン以外のバンドメンバーもソロプロジェクトなるものを始めるのも何も珍しいことではないし、むしろフロントマンのソロ活動以上に活き活きとしてるのが多いくらいだ。それは、僕がティーンエイジャーの頃に夢中だったJanne Da Arcも決して例外ではなかった。ジャンヌダルクは今から約10年前に活動休止状態に入ると同時に、メンバーはそれぞれソロ活動を開始し、ご存じフロントマンのyasuAcid Black Cherryとかいうソロプロジェクトを継続して早くも十周年を迎える。その後、ベーシストのka-yuDAMIJAWとかいう自身のバンドを立ち上げ、ドラムのshujiおじさんもサポメンみたいな形でバンドに参加していた。でもちょっと待ってほしい、この話のポイントはバンドのソロ活動に対する賛否の話ではなくて、例えばロックバンドのフロントマンが自身でボーカルを務めるソロバンドを組むのは誰も疑問に思わないが(例ABC)、ではフロントマン以外の、例えばベーシストやギタリストがソロプロジェクトでバンドを組んだ場合(例DAMIJAW)、肝心のボーカルは一体誰がやるんだ・・・?という単純な疑問が生まれる。僕は、そんなシンプルな疑問を抱えながら、いざダミジョウ初音源のサンプルを試聴した時→え、これ歌ってるの粥やん。いやいやいや、粥めっちゃ歌ってるやん。いやいやいや、なに歌ってんねん粥ってなったし、その時の驚きというか不思議な感覚は、今でも昨日のことのように思い出せる。
 
その例え話と全く同じ話がこのDECAYSだ。DIR EN GREYのフロントマンであるは、sukekiyoとかいうソロプロジェクトを始めて久しいが、このDECAYSはギタリストのDieMOON CHILD樫山氏を中心としたユニットで、現メンバーにはシンガーソングライターの中村中と「美人過ぎるバイオリニスト」のAyasaを迎えた6人編成となっている。しかし、およそ10年前に「粥のトラウマ」を経験している僕は、一抹の不安を抱えながら、2016年に発表された彼らのメジャー1stアルバム『Baby who wanders』を聴いてみた。

    Die
DIEナントカカントカトランスミッション! 

 ぼく下僕
new_136947878325513121615_jojorion20_2「ナントカカントカトランスミッション?!」 

    Die
DIEナントカカントカトランスミッション!」 

 ぼく下僕
new_18「粥ダミジョウ...寄与ツイッタ芸人...湯ギター侍...修二オッサン...うっ、頭が」 

僕は耳を疑った。「いやいやいや、ダイ君めっちゃ歌ってるやん。いやいやいや、ダイ君めっちゃナントカカントカトランスミッションしてるやん」と。 それこそ、「粥のトラウマ」が10年の時を経て現代にトランスミッションしたかと思った。まぁ、厳密にはAesthetics of the transgressionなんだけど、アルバムの幕開けを飾るこの曲は、近未来溢れるモダンな電子音とベースがウネウネと鳴り響く妖しげなイントロから始まり、「90年代」という今よりはまだ日本がイケイケだった頃の音楽シーンを賑わせたTKこと小室哲哉TM NETWORKリバイバルみたいなDie君によるナントカカントカトランスミッション!X JAPAN”WEEK END”を彷彿とさせるサビメロ、要所でAyasaの妖艶に演出するヴァイオリンをフューチャーしつつ、Die君のパリピボイスと中さんによるツインボーカルならではの掛け合いを披露し、つまり90年代のパリピ音楽を作り上げたTKとV系とかいうジャンルをメインストリームにブチ上げたX JAPAN(YOSHIKI)とかいう日本の音楽界にムーブメントを起こした二大アーティストが、約20年の時を経て『音楽』という名の『五次元空間(ワームホール)』の中で邂逅した・・・って、それどこのV2だよ。



その幕開けから、それこそMOON CHILDとかいう90年代を代表する”ESCAPE”だけの「一発屋」をはじめ、バブル崩壊後とは言えまだ日本がイケイケだった頃の謎のパリピ感というか無駄に自己評価の高いキモナルシスティックな社会的ムード、その良くも悪くもノスタルジックな世界観および音像をこの21世紀に蘇らせるのが、このDECAYSというバンドだ。と思えば、2曲目の”Zero Paradise”では一転してメロコア然とした疾走感溢れるサウンドに爽やかなDieのボーカル・メロディを乗せたシンプルでキャッチーなギターロックが聞こえてきて、それこそティーンエージャー向けのポップな青春エモパンクみたいな曲で、僕は「ダイ君これダミジョウよりわかんねぇな...」とか思いつつも、とにかくその感情表現豊かなクサい歌詞を筆頭に、全ての面においてDie君がDIR EN GREYでやってる事と180度違う、もはや可愛いメイドさん達が「北斗の拳イチゴ味」みたいなノリで鬼ごっついメタルやること以上の「ギャップ萌え」は面白いっちゃ面白いかもしれないが、その「面白さ」より勝るのが「戸惑い」であることは、このアルバムを再生すれば2秒で分かることだ。

Dieがメインボーカルを務めた”Zero Paradise”と対になる曲で、今度は中さんがメインボーカルとなる3曲目の”愛と哀を遺さず...”、このDie中さんがそれぞれメインを飾る、言うなればダブル・リードソングでアルバムのツカミを強烈に演出する。また一転して、まるで魔界に迷い込んだような重苦しい世界観が繰り広げられる#4”Drifting litter”は、それこそ魔界で開催される晩餐会の大トリを務める『闇の宝塚』歌劇団、その男役トップに君臨する中さんと女役トップのDie君が織りなす凄艶じみた舞踏会である。これ初め聴いた時は、男のゲストボーカルかな?と思ったら普通に中さんでビビったというか、中村中さんって時々男性ボーカルに聴こえるくらい中性的というか独特の歌声の持ち主で、だから偶に中さんの声とDieの声が男女逆転して性別不能になるというか、それこそジェンダーの壁を超えたツインボーカルは、このDECAYSを語る上で欠かせないとても大きな魅力の一つと言える。

このDECAYSの妖艶な世界観を作り上げるのに最も効果的な存在としてあるのが、他ならぬ「美人すぎるヴァイオリニスト」こと岡部磨知もといAyasaだ。つうか、「美人すぎるヴァイオリニスト」って何人おんねん!とツッコミたくなる気持ちを抑えながらも、Ayasaの他を顧みず自由気ままに弾き倒すヴァイオリンの存在は、DECAYSの耽美的かつ官能的な異世界設定の根幹を司る重要な演者であることは確かだ。そのAyasaSubRosaばりに妖しく響き渡るヴァイオリンを大々的にフューチャーした#5”Where are you going?”中さんメインの曲でちょっとだけDirっぽいネットリ感のある#6”Vagabond”、今度はジェンダーの垣根を超えた二人のツインボーカルが冴え渡る曲で、モダンなV系っぽい雰囲気を纏った#7”Imprisonment Leaving”、再び90年代風のナルシスティックさとディスコ感溢れるビートを「鼓動」のようにズンチャズンチャと刻みながら高速道路を駆け抜ける#8”シークレットモード”Boom Boom Satellitesリスペクトなデジロックの#9”HELLO!NEW I”、Dirにも通じるDie君らしい神秘的かつメロディアスなギターから壮大に展開していく#10”Eve”は今作のハイライトで、キーボードのポップなメロディを乗せたアップテンポで疾走感溢れる#11”Rana”AyasaのヴァイオリンとDie君らしいギターとエロい歌声が織りなす#13”綺麗な指”を最後に、この悪魔城の奇妙な晩餐会は盛大のうちに幕を閉じる。これはアニメ『悪魔城ドラキュラ』の主題歌あるんじゃねー的な。

正直、Die君がナントカカントカトランスミッション!とか言い始めた時点で、10年前の「粥のトラウマ」が蘇って聴くのやめようかと思ったけど、次々に曲を聴いていくうちにその「戸惑い」は晴れ、 「これ普通にダサカッコイイじゃん」ってなります。確かに、DIR EN GREYというバンドからイメージされる音楽からは程遠い、【TKパリピサウンド×90年代V系】からBIGMAMAを彷彿とさせる歌モノ系のメロコア曲まで、それこそ中心でやってるsukekiyoよりもDie君以外のメンバーの存在感が強すぎるお陰で、音楽的な方向性がどうこうよりも割りと好きなことを好き勝手にやってる印象。TK的な音楽という意味でも、このDECAYSって冷静に見ると相当エイベックスの息がかかったメンツが揃ってるんだけど、でもこれだけ濃ゆいメンツを集めて、そのそれぞれに尖った個性をよくここまで一つにまとめたな感は、このアルバムで最も感心させる所だ。

失礼ながら、自分の中で中村中のイメージって随分前にMステ出てたくらいの印象しかなくて、それこそロックを歌うイメージなんてなかった。でも今回のアルバムを聞いたら、中さんとロックって思いの外ハマってるというか、もの凄い適当なことを言うと中さんて凄い「パンクだな」と感じる所があって面白かったし、シンガーソングライターの彼女にとってもバンドのグループの一員として歌うのは全くの「新境地」だと思う。そのメンバーそれぞれの「新境地」という科学的要素の集合体が化学反応を起こし、DECAYSとして産声を上げ、そして『Baby who wanders』の中で花開いている。
 
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【1/13】 DIR EN GREY 『TOUR16-17 FROM DEPRESSION TO ________ [mode of UROBOROS]』@Zepp名古屋

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先週の日曜日にZepp名古屋で行われたBiSHのライブで清掃員にリアル清掃されかけてできた脇腹の痣が未だに治らない状態で、その翌週にDIR EN GREYのライブに行くという行為・・・なかなかエモくない? 奇しくも、2017年のライブ初めとなったBiSH『NEVERMiND TOUR』の一発目をZepp名古屋を皮切りにスタートし、このDIR EN GREY『mode of~』シリーズ待望の『UROBOROS』の一発目をZepp名古屋を皮切りにスタートするあたり、あらためてBiS改めBiSH「アイドル界のDIR EN GREY」であるということ、そしてBiS(H)からDIR EN GREYへのバトンタッチは「あの頃」の思い出をフラッシュバックさせた。当然、新年早々BiSHからの→DIR EN GREYで回した清掃員兼虜も少なくないだろう。

結局のところ、なんだかんだ叫んだって、「DIR EN GREYの最高傑作は?」の問に『UROBOROS(原盤)』以外の答えを選択する余地なんて果たして存在するのかってくらい、今から約8年前の2008年にリリースされた『UROBOROS(原盤)』は紛れもなく誰がなんと言おうとDIR EN GREYの最高傑作だ。僕はこの問と答えに対して何ら異論もないし、自分自身『ウロボロス』を冠したライブは初めてだし、今まで待ち望んでいたウロボツアーが満を持して発表された時は、ただただ嬉しみしかなかった。しかし、一昨年のツアーTHE UNSTOPPABLE LIFEがあまりにも酷い、クソみたいなライブ・パフォーマンスを見せられて「ナメてんのかこいつら」と思って以来、約一年以上もDIR EN GREYのライブに行くことはなかった。だがしかし、久々のDIR EN GREYのライブ&待望のウロボツアーは、あのクソみたいなパフォーマンスをしていたバンドとはもはや別人のような、まさに俺たちが求めていた「カテゴライズ不能かつ不要バンド」ことDIR EN GREYの本来の姿だと、そして『ウロボロス』がDIR EN GREYの最高傑作であることを証明するかのような、まるで鬼神の如し怒涛のライブを繰り広げていたんだ。

まずオープニングの”SA BIR”から”VINUSHKA”へと繋がる幕開けから「Holy Shit...」みたいな声が漏れたし、何よりも評価できるのは”SA BIR”がしっかりと原盤の音源を使用しているところで、正直ウロボの凄みはこの冒頭に集約されていると言っても過言じゃあないので、この時点で今日のライブはパネーことになるのは容易にに想像できた。で、いわゆる「ここが真実だ芸人」としてはフロントマン京の「ここが真実だ」を聴くまで帰れねぇ!と思ってたから、念願の「ここが真実だ」が聴けてよかった。あと「京やればできんじゃん」って言ってやりたいくらい、今日の京は最高のパフォーマンスだった。衣装はロブ・ハルフォードリスペクトかな?って思ったけど。基本的にウロボ曲を微妙に曲順を入れ替えつつも(ほぼ)全曲披露していくスタイルで、ハイライトは”慟哭と去りぬ”→”GLASS SKIN”→”Behind a vacant image”までの中盤の流れで、ここで初めてウロボ以外の曲のチョイスが”Behind~”なのはホント「分かってる」セトリだと思った。あと『チンポロス』っていわゆる「宗教的」というか「仏教的」なレッテルを貼られてるイメージがあるけど、”Behind~””INCONVENIENT~”の間に教会から聞こえてきそうなミサの賛美歌的な演出を、「仏教的」なイメージを持たれる『チンポロス』と同じ世界線に違和感なく結合させたところは、あらためてチンポの懐の深さ、その広さに驚かされたし、それこそレッテル貼りが効かない=「カテゴライズ不能かつ不要」と呼ぶに最も相応しいアルバムだと再確認させる。彼らは、その宗教的な概念その垣根を超えた先にある世界を、遂にスタートを切った[mode of UROBOROS]のステージ上で表現していくつもりなのかもしれない。

ほんと一年ぶりくらいに見たら、そんなわけ『アルケー』の曲はだいぶ「モノ」にしているというか、オーディエンスの反応含めてだいぶ板についてきた印象。新曲の”詩踏み”はあまりいい評判を聞かないながらも、ライブだと普通に盛り上がってた。アンコールは最近の定番曲で、EN一発目の”空谷の跫音”のライブ・アレンジかっこよーとか思いつつ、それでもラストはやっぱりウロボ曲で〆る。冷血の演出! あと「いいライブ」って本当にあっという間に感じるんだなと再確認した。

つうか、今回ばかりは気合い入れてHP先行でチケ取って発券したら1200番くらいで笑ったというか、「これがウロボの力なのか・・・ッ!?」ってなったし、恐らく今日のライブで唯一演らなかった”我、闇とて・・・”がセトリに入ってくるであろう14日も行こうとしたら速攻でソールドアウトして笑った。あと全曲終わってトシヤが投げたタオルが後ろまで飛んできて隣の人がゲットした。ニアミスかよ・・・。

【1/13】セットリスト
01. SA BIR
02. VINUSHKA
03. RED SOIL
04. 蜷局
05. BUGABOO
06. 慟哭と去りぬ
07. GLASS SKIN
08. Behind a vacant image
09. INCONVENIENT IDEAL
10. DOZING GREEN
11. 凱歌、沈黙が眠る頃
12. Revelation of mankind
13. 詩踏み

EN
01. 空谷の跫音
02. SUSTAIN THE UNTRUTH
03. Chain repulsion
04. STUCK MAN
05. 冷血なりせば
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