Artist DIR EN GREY

Album 『Phalaris』

Tracklist
01. Schadenfreude

Album 『Phalaris』

Tracklist
01. Schadenfreude
02. 朧
03. The Perfume Of Sins
04. 13
05. 現、忘我を喰らう
06. 落ちた事のある空
07. 盲愛に処す
08. 響
09. Eddie
10. 御伽
11. カムイ
2014年作の9thアルバム『ARCHE』以降のDIR EN GREYを司る邪神的な存在というと、インダストリアル~エレクトロ風のモダンな打ち込みを持ちより、DIR EN GREYの楽曲に彩りを与えた張本人であり、いわゆるマニピュレーターとして裏側からバンドを支えるsukekiyoでもお馴染みの匠師匠の存在に他ならなくて、前作から約3年9ヵ月ぶり通算11作目となる本作の『Phalaris』においても、裏方という普段は目立たない立場から“実質プロデューサー”として表立つかの如し、俺たちの匠師匠の存在感は日に日に増すばかりだ。
近作のDIR EN GREYにおいて、その存在を誇示する匠の象徴的な仕事といえば、2018年作の10thアルバム『The Insulated World』の翌年にリリースされたシングルの“The World Of Mercy”に他ならない。この曲は、前作における“Ranunculus”の延長線上にあるモダンな打ち込みを中心に構築された大作であり、まるで近年のBMTHやPorcupine Treeのスティーヴン・ウィルソン(SWワークス)さながらの著しい打ち込み志向とシンクロするかのような、同時に彼らが古くから嗜好してきた大作路線の新機軸を切り開くかのような一曲だった。
そんなDIR EN GREYの大作志向の高まりを予感させた時期というか楽曲といえば、古くは『MACABRE』に始まり、中でも彼らの最高傑作と名高い『UROBOROS』を代表する“Vinushka”やDSSこと『DUM SPIRO SPERO』を代表する“The Blossoming Beelzebub”と“Diabolos”は、彼らが長年培ってきた大作路線のピーク期と言える。それら過去の名曲をはじめ、シングルの“The World Of Mercy”の大作志向を引き継ぐように本作の幕開けを飾る#1“Schadenfreude”からして、名盤『UROBOROS』と共鳴する呪詛的なニューエイジズムを内包したエクスペリメンタリズムと、傑作『DSS』における破滅的なドゥームネスが約十数年の時を経て邂逅する冒頭に始まり、そのイコンとなる二枚の傑作や名シングルの“激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇”に象徴される、言うなればDIR EN GREYの黄金期と呼ぶべき時代のエクストリーム・ミュージックを司るブルータルな殺傷リフ、『ARCHE』における“Un Deux”や『The Insulated World』で培った「メシュガーをディルなりに再解釈」したマシらないギョントコア系のリフ、そして地獄の業火に晒されながら狂乱する京のアッチョンブリケボイスを咀嚼しながら『MACABRE』流の構築力で仕上げたような、それこそウロボ以降の集大成とでも言うべき大作らしい大作となっている。
そんなDIR EN GREYの大作志向の高まりを予感させた時期というか楽曲といえば、古くは『MACABRE』に始まり、中でも彼らの最高傑作と名高い『UROBOROS』を代表する“Vinushka”やDSSこと『DUM SPIRO SPERO』を代表する“The Blossoming Beelzebub”と“Diabolos”は、彼らが長年培ってきた大作路線のピーク期と言える。それら過去の名曲をはじめ、シングルの“The World Of Mercy”の大作志向を引き継ぐように本作の幕開けを飾る#1“Schadenfreude”からして、名盤『UROBOROS』と共鳴する呪詛的なニューエイジズムを内包したエクスペリメンタリズムと、傑作『DSS』における破滅的なドゥームネスが約十数年の時を経て邂逅する冒頭に始まり、そのイコンとなる二枚の傑作や名シングルの“激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇”に象徴される、言うなればDIR EN GREYの黄金期と呼ぶべき時代のエクストリーム・ミュージックを司るブルータルな殺傷リフ、『ARCHE』における“Un Deux”や『The Insulated World』で培った「メシュガーをディルなりに再解釈」したマシらないギョントコア系のリフ、そして地獄の業火に晒されながら狂乱する京のアッチョンブリケボイスを咀嚼しながら『MACABRE』流の構築力で仕上げたような、それこそウロボ以降の集大成とでも言うべき大作らしい大作となっている。
「KATATONIAは好きですか?」
まるで“実質プロデューサー”の匠が「あの頃」のイェンス・ボグレン、そしてイェンスの右腕で知られるフランク・デフォルトに代わって、レトロモダンなキーボードと優美なストリングスを指揮する、要するにイェンス・ボグレン時代のKATATONIAで馴染み深い、いわゆる「Bサイド」と称されるゴシカルな耽美性を醸し出す#2“朧”は、先ほどとは一転してsukekiyoの支配下にある京の官能的な歌声をフィーチャーしたミドルテンポのオルタナチューンで、この手の「カタトニア好きか?」としか言いようがない曲は近作の中でも珍しいというか、ある意味ではウロボ以前の世界観に近い曲なのかもしれない。そういった意味でも、全盛期のKATATONIAとイェンス・ボグレンおよび今現在のDIR EN GREYと匠師匠の関係性は、いわゆる“実質プロデューサー”という枠組みでニアリーイコールと解釈すべきかもしれない。
ディルのフォロワーでもあるエクストリーム同人ヴィジュアル系メタルこと、Imperial Circus Dead Decadenceが先日発表した3rdアルバム『殯――死へ耽る想いは戮辱すら喰らい、彼方の生を愛する為に命を讃える――。』と本作の『Phalaris』って、実はめちゃめちゃ韻を踏めちゃう作品同士で、それこそICDDに対する本家からの回答とばかり、“実質プロデューサー”によるサイコスリラー映画のサントロの如し魑魅魍魎蠢くシンフォニーを抱えて、ドラムのシンヤが珍しくエクストリームメタル然としたブラストビートを刻みながら狂喜乱舞する#3“The Perfume Of Sins”は、本家ディルが誇る道化さながらの狂言師ならぬ京言師が取り仕切る見世物小屋でアヴァンギャルディなからくりサーカスを繰り広げる。
その後も「アルケー好きアルケ?」とツッコミ不可避なほど『ARCHE』の雰囲気を引きずったリフメイクとフックの効いた京の歌メロにフォーカスした#4“13”、京言師ならではのボイスパフォーマンスを発揮する#5“現、忘我を喰らう”、『DSS』を代表するDSこと“Different Sense”の系譜にあたるシングルの#6“落ちた事のある空”、再び“実質プロデューサー”である匠師匠の業に裏打ちされたスケキヨmeet懐春みたいな#8“響”、前作のパンク/ハードコアっぽさを踏襲した古き良きヴィジュアル系のヘドバン(BPM)を刻む#9“Eddie”、冒頭から『ARCHE』の名曲“Behind A Vacant Image”を思わせる匠ノイズを打ち出した#10“御伽”、そして本作における“体内性”を司る冒頭の“Schadenfreude”と対となる曲で、本作における“体外性”を司る同大作の#11“カムイ”は、過去作由来のエクストリーミーなアプローチを強調した同大作に対して、この曲では“朧”におけるKATATONIAのBサイドやsukekiyo的なオーケストレーション/アコースティックギターを軸に『MACABRE』的な構成で仕上げたような、言うなればSWもビックリの「ディルなりのポスト・プログレッシブ」であり、またバンドサウンドが合流する中盤以降はDeftonesが『Ohms』で啓示した“20年代のヘヴィネス”の在り方をディルなりに再現している。
ここまで本作を端的に総括すると、『ウロボ』や『DSS』はもとより、厳密に言えば『ARCHE』以降の近三作を総括する「集大成」的な作風であり、裏側から見れば“実質プロデューサー”である「匠の集大成」とも言えなくもない本作品。一方で、集大成っぽい要素を多分に孕んでいる作品群にありがちな「うん、そうだね」みたいな想定内の感想しか出てこないのも事実。正直、フォロワーのIDCCに喰われちゃってるというリアルな話はさて置き、シンプルにソングライティングに対して懸念を抱いた虜も少なからずいるはず。それほど既視感ならぬ既聴感が強い、悪くいえばネタ切れ、それこそ引用元の過去曲のが面白いという至極単純明快な話というか。だから虜は一度でいいからICDDの最新作と『Phalaris』を聴き比べてもろて。絶対に「feat.小岩井ことりィ?!」ってなるから。
ただ一つだけ言えることは、何度も「アルケーとカタトニア好きか?」とツッコまざるをえないほど、良くも悪くも「KATATONIA」の存在が一つの大きなキーワードとなっている本作品。というのも、当記事の冒頭部に『ARCHE』以降の【DIR EN GREYと匠師匠】ニアリーイコール【KATATONIAとイェンス・ボグレン】と書いたように、KATATONIAとイェンスが離別してリリースされた『死の王』こと『Dead End Kings』において、メンバー自身がエンジニアとしてミックスを手がけた結果どうなったか?その結果として、まるで「音が死んでる」ようなクソ音質の駄作が誕生してしまった事は、長いメタル史の記録に悪い意味で名を刻む悲劇として人々に記憶された。
重度のKATATONIAフアンである僕が当記事で提唱したい説...それこそが『Phalaris』=『Dead End Kings』説、つまりDIR EN GREYなりの『死の王』であるということ。もとより色素の薄い音楽を奏でるバンドが、著しく無印良品みたいなモノクロームの無機的な世界観に振り切った本作品、その要因となるサウンド・プロダクションやメロディの点でも、近作において最も取っつきにくい印象を受ける。繰り返し聴いても過去一で「音が悪い」、メンバー全員の難聴を疑うほど音質が悪い。それもそのはず、本作のエンジニアにはBFMVのセルフタイトル作品や、過去に俺的クソ音質大賞を受賞しているTriviumの『In Waves』を手がけたカール・バウンが関わってると知ったら全てに納得したというか(クソ音質マイスターとクソ音質メイカーは引かれ合うじゃないけど)、もはやここまでくると確信犯というか、こいつらわざとクソ音質にしてる説が濃厚になった。わざとじゃなきゃここまでクソ音質ムーブしないはずだから。とにかく、本作の「音が死んでる」ようなモコモコした淡白な音質を耳にしたら、歴史的駄作である『死の王』と『In Waves』のトラウマが蘇ってしまった。
確かに、過去この“死音”を擁して面白いアルバムが作られていたとしたら全然納得できるけど、残念ながらこの世に一枚も存在しないのも事実で、むしろ歴史的な駄作と評価されることの方が断然多い。このクソ音質を好意的に解釈すると、このクソ音質を背負って史上初めて面白い作品に挑んだ歴史的な作品であるということ。つまり、ヴィジュアル系を代表するクソ音質マイスターが史上最悪のクソ音質をもって面白い作品を生み出さんとする、それこそチクビームのクソ音質を知りながらも故意にクソ音質を追求するド変態、もとい貪欲な姿勢に何を感じるかによって、本作の評価を大きく左右する事になりそう。少なくとも、本作を聴いて真っ先にチクビームのアレがフラッシュバックした自分みたいな人は、トラウマ級の作品になってしまうかもしれない。そのクソチクビを知っているor知らないかで評価が一転する奇々怪々が過ぎる作品・・・要するに、チクビームが全部悪いw
俄然このクソ音質を好意的に解釈するなら、あえて「音を殺している」んじゃねぇか説だ。つまり、本作におけるクソ音質は「ディルなりのデスメタル」のメタファーだったんだよ!な~んてエクストリーム擁護はさて置き、この『Phalaris』に内在するブルータル/デスメタル由来のエクストリームメタルのアプローチに対する、ある種の好意的な忌避の可能性というか。例えば、サウンド・プロダクションが音楽ジャンルを司る上において最たる要素であると仮定するなら、今作は“メタル”ではなく、あくまで“ヴィジュアル系”としての立場を暗喩しているとも言えるし、もしそうだとしたら全てに納得できなくもない。そのサウンド・プロダクションの是非についての考え方が、ヘヴィ・ミュージック界の中でヴィジュアル系として生き残る術であり、その術を模索し続けた結果を体現したような本作におけるヴィジュアル系宣言は、ただただエモ過ぎて泣く。
俄然このクソ音質を好意的に解釈するなら、あえて「音を殺している」んじゃねぇか説だ。つまり、本作におけるクソ音質は「ディルなりのデスメタル」のメタファーだったんだよ!な~んてエクストリーム擁護はさて置き、この『Phalaris』に内在するブルータル/デスメタル由来のエクストリームメタルのアプローチに対する、ある種の好意的な忌避の可能性というか。例えば、サウンド・プロダクションが音楽ジャンルを司る上において最たる要素であると仮定するなら、今作は“メタル”ではなく、あくまで“ヴィジュアル系”としての立場を暗喩しているとも言えるし、もしそうだとしたら全てに納得できなくもない。そのサウンド・プロダクションの是非についての考え方が、ヘヴィ・ミュージック界の中でヴィジュアル系として生き残る術であり、その術を模索し続けた結果を体現したような本作におけるヴィジュアル系宣言は、ただただエモ過ぎて泣く。
マジメな話、かのイェンス・ボグレンが手がけたシングルの“激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇”がアルバム版でクソ音質化した逸話に象徴されるように、古くからDIR EN GREYはサウンド・プロダクションの悪さに定評のあるバンドで、それこそ当時『UROBOROS』がメタリカの『Load/Reload』に匹敵するクソ音質と揶揄され過ぎた結果、『DSS』を手がけた海外エンジニアのチュー・マッドセンを迎えてリマスタリングされた同作が、今ではその超越的な音楽性と原盤のクソ音質が正解だった事実を鑑みれば、今作におけるクソ音質も彼らにとっては「最高音質」なんですね。つまりメンバー全員が難聴だとか、全く音にこだわってないからクソ音質になっているのではなく、人一倍に音にこだわっているからこそのクソ音質、つまり全て意図されたクソ音質であると。
本作のような「音質に“答え”が書いてある作品」というのは、サウンド・プロダクションだけで「PTの音」だと知らしめていたPorcupine Treeの復活作が、奇しくも本作と同じ11thアルバムだったのは果たして偶然だろうか。ともあれ、作品ごとにミックス/プロダクションを変化させて独自の世界観を創造したり、一方で世界の色を殺したりと、彼らの音質に対するこだわりは並のバンドの比ではない、言わば「創造的破壊」の思想が根底にあるのだと改めて痛感させられた。しかし、その好意的クソ音質のサウンド・プロダクションと、著しく鮮度の落ちたソングライティングの兼ね合いをフラットな視点から批評すると、正直なところ「ディルなりのメシュガー」をやってのけた前作の方が俄然ユニークで面白かったと言わざるをえない。一つだけ確かなことは、本作に点数を付ける場合、10点満点中7点以上は絶対に付けられないアルバム。それだけは確かだと思う。





「ナントカカントカトランスミッション!」
「ナントカカントカトランスミッション?!」
「粥ダミジョウ...寄与ツイッタ芸人...湯ギター侍...修二オッサン...うっ、頭が」 






