Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

BMTH

Maggie Lindemann - SUCKERPUNCH

Artist Maggie Lindemann
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Album 『SUCKERPUNCH』
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Tracklist
01. intro / welcome in
02. take me nowhere
03. she knows it
04. casualty of your dreams
05. self sabotage
06. phases
07. i'm so lonely with you
08. break me!
09. girl next door
10. we never even dated
11. novocaine
12. you're not special
13. hear me out
14. how could you do this to me?
15. cages

2016年に発表したシングルの“Pretty Girl”がバズった事でも知られる、約600万人のフォロワーを誇るインスタグラマー兼シンガーソングライターこと、マギー・リンデマンの1stアルバム『SUCKERPUNCH』の何がファッキンホットかって、過去にバズった“Pretty Girl”の毒にも薬にもならないインディポップみたいな曲調に反して、(その名残として)在りし日のアヴリル・ラヴィーン的なティーン向けのガールズポップ/パンクのキャッチーさを保持しつつも、それこそ00年代の洋楽ロックシーンにおけるゴシック系オルタナティブ・ヘヴィ代表のEvanescenceFlyleafを連想させるハードロックを現代に蘇らせ、そしてエイミー・リーとFlyleafのレイシーとChvrchesのローレン・メイベリーを足して3で割ったような内省的な儚さと、いわゆるどこまでも堕ちていく系のロンリーな孤独を抱えたマギーのロリータボイスが激エモなヘヴィロックやってる件について。


決して、過去に流行った女性ボーカル物のロックの二番煎じではなく、その古き良き“00年代の洋楽ロック”と、BMTHのオリヴァー・サイクスが仕切ってる事でもお馴染みの20年代を象徴するアイコンがピックされたプレイリスト【misfits 2.0】の文脈が邂逅する、つまり在りし日の洋楽ロックの熱気とZ世代を司るハイパーポップ然としたヤニ臭いサイバーパンク精神を紡ぎ出す、それこそ次世代アーティストおよび次世代インスタグラマーを称するに相応しい、いま最もファッキンホットな存在が彼女なんですね。


その手の“雰囲気”を醸し出すイントロSEに次ぐ#2“take me nowhere”からして、00年代にタイムスリップした気分にさせる、さながら現代のエイミー・リーとばかりに奈落の底までGoing Underしながら2秒でインスタフォローするレベルのダークなロックチューンで、一転して「現代のアヴリル」あるいは【アヴリルmeetチャーチズ】、さしずめ「女版マシンガン・ケリー」とばかりにポップパンク・リバイバルよろしくな#3“she knows it”、BMTHのジョーダン・フィッシュさながらのダイナミクス溢れるシンセやトラッピーなイマドキのアレンジを効かせた#4“casualty of your dreams”、再びEvanescenceFlyleafの影響下にあるモダンなパワーバラードの#5“self sabotage”、オルタナティブな雰囲気を醸し出すPoppyヨロポッピーな#6“phases”、そして闇堕ちしたマギーの歌声と00年代オルタナ/ヘヴィロック然としたリフ回しからして、初期Evanescenceの伝説的な名盤『Fallen』を確信犯的にオマージュしてのける#7“i'm so lonely with you”は、耳にした瞬間から00年代のメインストリームの洋楽ロックリスナーなら「これごれぇ!」とガッツポしながら慟哭不可避だし、スクリレックスやプッシー・ライオット文脈のSiiickbrainをフィーチャリングした#8“break me!”においては、『amo』以降のBMTHリスペクトな客演パートの歌メロと「ウチら【misfits 2.0】入りしたいんや!チュパチュパ...」とナニをSucksするハードコアなアレンジまでもハイパーポップ然としており、そのヤニ臭い毒素とセクシャリティの解放を訴える反骨精神むき出しの主張はMVにも強く反映されている。

アルバム後半においても、Evanescenceリスペクトな重厚感溢れる#9“girl next door”、アコースティックなシットリ系のバラードも聴かせるボーカリストとしてのポテンシャルを伺わせる#10“we never even dated”、オルタナティブな#11“novocaine”、MGKファミリーらしいアヴリル風ポップパンクの#12“you're not special”、本作のハイライトを飾る#7と共にどこまでも堕ちていきながら2秒でインスタフォロー不可避の#13“hear me out”、オーランドのエモ/ポスト・ハードコアバンドSleeping With Sirensのケリン・クインをフィーチャリングしたParamore風ポップパンクの#14“how could you do this to me?”、最後に改めて現代のアヴリルを印象付ける、曲調もMVのファッションも当時のアヴリルをオマージュした#15“cages”まで、確かにギターをはじめ音作りに対する不満はないと言ったら嘘になるけど、FlyleafのCoverを発表するくらいには00年代ヘヴィロックの影響下にある音楽性、同様に影響を受けているであろうBMTHのオリィが仕切ってる【misfits 2.0】に対する求愛行為に近いアプローチも含めて、アヴリル・ラヴィーンが洋楽のアイコンだった『あの頃』のノスタルジーと、時を経てマシンガン・ケリーをアイコンとするポップパンク・リバイバル(≒BMTH~Evanescenceの共演)、およびZ世代を象徴するハイパーポップの精神性を兼ね備えたハイブリッドな洋楽ロックは、体感2秒でマギーのインスタフォローすること請け合いのファッキンホットな魅力を放っている。

【エッジランナーズのレベッカ】×【マギー・リンデマン】=【misfits 3.0】

個人的に、この手の次世代アーティスト兼インスタグラマーと聞いて想起するのは、他ならぬカナダのPoppyことモライア・ローズ・ペレイラやNova Twinsだったりするけど、このマギー・シンプソンはそのどちらにも属さない独自の路線を突き進んでいる。(一足先に合流したサラ・ボニトのように)将来的にBMTHのオリィとコラボして、晴れて【misfits 2.0】入りするかは予測不能だけど、念のため今から予言しときます→

「こーれ来年のサマソニで来日します」

Muse - Will Of The People

Artist Muse
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Album 『Will Of The People』
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Tracklist
01. Will Of The People
02. Compliance
03. Liberation
04. Won’t Stand Down
05. Ghosts (How Can I Move On)
06. You Make Me Feel Like It’s Halloween
07. Kill Or Be Killed
08. Verona
09. Euphoria
10. We Are Fucking Fucked

Museはメタル・・・というのも、何を隠そう初期のMuseって一部界隈住人からはプログレ兼メタルというか、厳密に言えばオルタナティブ・ヘヴィの文脈で語られるようなバンドで、しかし近作においてはチャーチズさながらの80年代風のシンセ/エレクトロ主体の作風が相次ぎ、気づけばソッチ界隈では微塵も話題に挙がらない存在となっていた。そんなUKロックを代表するMuseが今回、初期作における“Museはメタル”の精神を引っ提げた、約4年ぶりとなる待望の新作でカムバックしてきた件について。


この『Will Of The People』の足がかりとなる、1stシングルの“Won’t Stand Down”の何にド肝を抜かれたかって、“メタル”は“メタル”でも今やUKを代表するモンスターバンドと化したBring Me the Horizonの“MANTRA”を彷彿とさせるカルト宗教の儀式的なMVをはじめ、同バンドがEDMポップスと化した問題作の『amo』における某シングルのアイコニックなリフ、そしてUSのDeftones『Diamond Eyes』で目覚め20年作の『Ohms』において確立させた“20年代のヘヴィネス”を、Museなりの解釈でオマージュしてんのがガチでヤバ過ぎる件。で、シャウトとともにザックザクにキザミに刻んでくる俄然メタリックな間奏パート、およびメインリフのヘヴィネスが入ってくる直前の“タメ”に該当するギターのギョーンギョーンギョーンも同様にアイコニックかつパンチライン過ぎて語彙力消失(バッキングのシンセの音とか、ほぼほぼジョーダン・フィッシュ)。

とにかく、今や日本のアイドル(PassCode)やガールズバンド(Trident)にオマージュや楽曲カバーされるBMTHがいかにしてアイコニックな存在となったのかを、UKロックレジェンドのMuse“MuseなりのBMTH”と呼ぶべき1stシングルを介して証明して見せるという想定外の展開に、改めて現行のヘヴィミュージックシーンはBMTHを中心に回っている事に感動を覚えた。そもそもの話、このシングルだけ『amo』以降のBMTHや最近のDIR EN GREYお抱えのエンジニアであるダン・ランカスターを迎えている時点でほぼ確信犯です。


1stシングルと並び“ミューズはメタル”の直接的なアンサーソングとなる#7“Kill Or Be Killed”は、冒頭のGojiraさながらのテック・リフとメシュガーさながらのギョーンの合せ技からして、もはや“ミューズなりのメシュゴジラ”の領域に片足を突っ込んじゃってる、それこそ3rdアルバム『Absolution』における“The Small Print”を超えるミューズ史上最高にヘヴィな曲で、その“20年代のヘヴィネス”の原型となるメシュゴジラに象徴される現代的なプログレ・メタルのアプローチやデスメタルさながらの間奏パート、そしてイケメンことハーマン・リ顔負けのピロピロギターソロが織りなす、まさに初期作の楽曲を正統にアップデイトさせたようなゴリッゴリのメタルを繰り広げている。

なんだろう、00年代を代表するUKオルタナのMuseが、当時しのぎを削ったUSオルタナのDeftonesと約20年の時を経て邂逅するエモ(amo)さったらないというか、ザックリ約20年のブランクがあるにも関わらず、現代ヘヴィミュージック界のトレンドである“20年代のヘヴィネス”を的確に捉えるマシュー・ベラミーの審美眼、その“したたかさ”に震える。リアルな話、来年のダウンロードフェスジャパンで全然トリでいけるっしょ(準トリがBMTHで)

自分の中では完全に終わったバンドという認識だったのに、今作聴いたら「ホーリーシェイ!」ってなったわ。なんだろう、近作の内容があまりに酷すぎた結果、自分みたいな初期厨のニワカファンが離れて一気に人気を落としたタイミングで、(海外ではワーナーだが、日本におけるレーベルを担う)Fソニーが「あんたら人気落ちとるからエエ加減に売れる曲書いて初期みたいなメタル回帰してもろて」みたいにケツ叩かれたとしか思えない、知らんけどw

確かに、音楽通ぶりたい批評家からは近作と同様に不評だと思うけど、俺らみたいな初期厨のニワカが寄ってたかって飛びつき、手放しで褒め称えそうな楽曲をFソニーにスパンキングされて意図的にソングライティングしてきたわけだから、そのバンドというよりはレーベルの意向を素直に汲んで受け取るべきだし、むしろMuseニワカであるメタラーの俺たちが支持したらんと誰も支持せんと思うわ今作。


そもそも、オペラさながらの大仰なクワイアが「ちんこ~ちんこ~」という空耳を連呼する表題曲の#1“Will Of The People”からして、本作におけるサウンド・スタイルの回帰を示唆するキザミを効かせたハードロック的な曲調だし、他にも前作の『Simulation Theory』における80年代路線を踏襲した、映画『ロッキー』の劇中歌であるヨーロッパの“ザ・ファイナル・カウントダウン”のオマージュとばかりのシンセをフィーチャーした曲で、この絶妙なタイミングで「昆虫すごいぜ!」のカマキリ先生こと香川照之やキャバ嬢にてめぇの爆乳さわってもいい?と聞いてそうなひろゆきに対して企業コンプライアンスの大切さを訴える#2“Compliance”、UKレジェンドことクイーンの意思を受け継ぐかの如しクラシカル/オペラティックなコーラスワークをフィーチャーした#3“Liberation”、ピアノ主体のバラードナンバーの#4“Ghosts (How Can I Move On)”、再びジョン・カーペンターの『ハロウィン』シリーズや『エルム街の悪夢』などの70年代から80年代にかけてのスラッシャー/ホラー映画的なゴシック・ミュージカルを繰り広げる#6“You Make Me Feel Like It’s Halloween”、マシュー・ベラミーのファルセットボイスをフィーチャーしたバラードの#8“Verona”、Bメロで「乳輪~」と空耳させることで再び日本人に対してコンプライアンスのギリギリを攻める#9“Euphoria”、飼い主であるFソニーに対してFワードを吐いて抗う曲で、同UKのPure Reason Revolutionさながらのクラシカルな電子ロックの#10“We Are Fucking Fucked”まで、とにかく“ファイナル・カウントダウン”オマージュといい、80年代ホラー映画の明確な影響といい、コンプライアンスのギリギリのラインを攻める下ネタ(空耳)といい、なんだろう全体的にBMTH(Deftones)meetチャーチズとでも例えたくなる作風で(Deftonesは主宰のフェスでチャーチズと共演しているのも伏線)、もはやピンズドで俺受けを狙ってるとしか思えないし、これマジでFソニーにケツぶっ叩かれてるってw

CVLTE - HEDONIST

Artist CVLTE
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EP 『HEDONIST』
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Tracklist
01. amen.
02. eat acid, see god.
03. hedonist.
04. dancing in the rain.
05. kuromi.

『amo』以降のBring Me The Horizonって、いわゆるハイパーポップの文脈で語るべきバンドに突然変異したのかもしれない。というのも、現代のポスト・インターネット~ハイパーポップの原点である伝説のMステバックレロシアンガールことt.A.T.u.、その正統後継者でありイーロン・マスクのパートナーでもあるグライムスとのコラボ曲を皮切りに、次作のEP『POST HUMAN:SURVIVAL HORROR』ではインターネット世代を象徴するアシュニコの代役としか思えなかったロンドンのNova Twinsとのコラボや、ハイパーポップの素養の一つであるLGBTQに代表されるジェンダーの垣根を超越した存在であるヤングブラッドとのコラボ、そして今年リリースした新曲となるポスト・マローンの“I Fall Apart”をオマージュした“DiE4u”、その現代ポップスターを模した同曲をsix impalaの手によりハイパーポップ風にリミックスするBMTHのしたたかさたるや。そして極めつけは現代ロシアの国民的男女ユニットであるIC3PEAKとオリヴァー・サイクスのコラボ、そのDiE4uIC3PEAKにおけるHELL 2 U!みたいなノリで数字の3をEと読ませたり、数字の4を前置詞のforと読ませる置き換え文化もヒップホップやハイパーポップ界隈では常套手段である。ちなみに、そのIC3PEAKがトラップメタル界の猛犬であるZillaKamiGhostmaneの二人とコラボしていると知った時は全てが繋がった気がしたというか、それこそSpotifyのハイパーポップ系プレイリストの「misfits 2.0」の一部としてBMTHが組み込まれているのが全ての答えです。つまりメタルとハイパーポップって一見遠い存在のようでいて、実は一部のシーンではめちゃくちゃ近い音楽ジャンルなんですね。


そのようにして、最近のBMTHおよびオリヴァー・サイクスはハイパーポップやヒップホップにおけるフィーチャリング文化を意識した活動をしている。また、ハイパーポップを語る上で欠かせない国の一つであるロシアのアーティストとのコラボをはじめ、ベセスダゲーこと『DOOM』のサントラを手がけたミック・ゴードンをエンジニアに迎え、小島秀夫ゲーこと『デス・ストランディング』とのコラボ曲を収録したEP『POST HUMAN:SURVIVAL HORROR』において、日本のカワイイメタルを代表するベビメタことBABYMETALとコラボすることで、ゲーム業界におけるハイパーポップを(The Armedやグライムス、日本のナマコプリが参加している)音楽的にもパンキッシュなビジュアル的にも“ポスト・ヒューマン”化した俺的GOTYこと『サイバーパンク2077』のサブカル文脈とシンクロさせる事に成功していた。また、そのベビメタとBMTHをダブルでパクってるボストン娘のPoppyもハイパーポップの文脈で語られるポッピスターである事は、グライムスとのコラボをはじめt.A.T.u.の名曲“All the Things She Said”をカヴァーしている点からも明らかだ。逆に言えば、ベビメタが急激にオワコン化した理由はハイパーポップ路線に移行できなかったこと、この一点に尽きるのかもしれない。

前述したように、昨今のBMTHおよびオリヴァー・サイクスと全く同じ価値観や現代ロックシーンに対する洞察力を持ったバンドがこの日本にも存在する。そのバンドこそ、今年の5月に1stアルバムとなる『praystation 2』を(PS2といい、一部の曲でキンハーの効果音を使ってたりするからケツ持ちはFソニーか?)、そして先日EPの『HEDONIST』をリリースした札幌出身のCVLTEだ。

彼らの音楽性を誤解を恐れずに極端な表現を用いて例えるなら、それは「ゾンビの如く土の中から蘇ってK-POP化したFuneral For A Friend」である。というのも、というのも、というのも、彼らこそ新世代メタルとハイパーポップをシンクロさせる事に世界で唯一成功したバンドなんじゃねぇか説あって、それこそ「セカンドライフとは一体なんだったのか?」みたいなメタバース的な世界観全開のジャケはもとより、そもそも「K-POP化したFuneral For A Friend」って何やねんというツッコミに対し、ハイパーポップならではのジェンダーレスなラップを披露する同郷の次世代ラッパーSleet Mageをフィーチャリングした一曲目の“amen.”を例に出して答えると、(ニートtokyoに出演経験がある時点で一方的にシンパシーを感じる)バンドのフロントマンでありFFAFのマシュー・デイヴィスの歌声にクリソツなAVIELのオートチューンを効かせたBTSばりのフロウを刻むエモラップと、00年代のUKロックというか往年のポストハードコアというかFFAF的な湿り気のあるメロディの作り方、また表題曲である三曲目の“hedonist.”ではイントロからクリーントーンのギターやK-POPのボーイズグループ然としたオートチューン/エモボイスを聴かせるキャッチーなポップチューンで、そして四曲目の“dancing in the rain.”では本家のFFAFとしか思えないような往年のUK69然とした懐かしいメロディが炸裂する。そんな彼らのメロディセンスは、UK新世代メタルのLoatheや今はなきロスプロとも否応にもシン9ロする。


ハイパーポップの影響下にあるK-POPといえば、それこそ自分のもう一人の自我であるアバターに出会い、新しい世界を経験するという、いかにもアバターを使った仮想空間=メタバースの世界観をコンセプトにSMエンターテインメントが送り出す次世代グループことaespaがその名をネクストレベルに轟かせているように(僕はウィンター推しと見せかけてジゼル推しのピョンテです)、五曲目の“kuromi.”でフィーチャリングした(グライムスやAlice Glassの影響下にある)日本のハイパーポップ界を牽引する4をA(ア)と読ませる246ッカーこと4s4kiからの影響は本作のジャケにメタ(バース)的に現れており、そしてCVLTEがいかにBMTHレベルの才能を持つバンドであるかを裏付けるのが、それこそ日本の若手ラウドロックシーンを牽引するハイパーポップ野郎と言っても過言じゃあないコード・オレンジ・キッズことPaleduskを(1stアルバムに引き続き)フィーチャリングした#2“eat acid, see god.”における、いわゆる『amo』以降に象徴される“20年代のヘヴィネス”すなわちGojiraから新世代メタルのCode OrangeBMTHに血脈を分かち合った(ダニ・フィルスをフィーチャリングした某曲の)金字塔的なリフ/ヘヴィネスを応用した、要するにCVLTEが持つハイパーポップの側面とPaleduskが持つハイパーポップという名のカオスな側面を『HEDONIST』というメタバース内で配合させるという、ちょっとトンデモナイことやってるんですね。しかし改めて、コード・オレンジ・キッズとして日本に産み落とされたがこの国内の革新的なバンドと一緒に「ハイパーポップ!ハ~イ!」みたいにピョンテごっこしてるのは素直に感慨深いものがある。


この曲のNYのアーティスト=Puppetをフィーチャリングした部分の歌メロをオリヴァー・サイクスに置き換えても俄然シックリくるというか、それこそNova Twinsコラボの逆バージョンとしか思えなかった。もしベビメタの次にBMTHが日本のアーティストとコラボする可能性があるとするなら、それは4s4kiしかいないと確信しているくらい、そんな国内のハイパーポップシーンにおける最先端とラウドシーンにおける最先端を多様性の一つとしてEPならではのバラエティに富んだ実験的な作風に昇華し、そして最近のBMTH(=オリヴァー・サイクス)と同じようにヒップホップのフィーチャリング文化を尊重するCVLTEの洞察力および審美眼は、彼らが(sic)boyよりも信用に値するバンドでありアーティストであることを意味している。

ハイパーポップならではのオートチューンはもとより、ノイズやグリッチなどの新世代メタルとシン96するヒップホップとラウドロックの中間点みたいな次世代を象徴するウルトラッピーなトラックメイクは、これからの現代ラウドミュージック界を林家ペーとともに盛り上げていくバンドである事を確信させる(正直、5月にリリースした1stアルバムよりも要点がまとまってて好き)。しっかし、そのヘヴィロックからのアプローチとヒップホップからのアプローチをミクスチャーした二大トラップメタルの『BOG BOY』ことZillaKamiと遊戯ボーイことGhostmaneの偉大さたるや・・・。ともあれ、aespaが創造するサイバーパンクなメタバース空間の中でずっと書きたかった伏線、その全てをシン9ロさせて(伏線)回収できたので(つまりaespaはメタル)、改めて彼らCVLTEには感謝しかない(4s4kiについての深堀りは別の機会に、別の視点で書くかも)。

Evanescence 『The Bitter Truth』

Artist Evanescence
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Album 『The Bitter Truth』
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Tracklist
01. Artifact/The Turn
02. Broken Pieces Shine
04. Yeah Right
05. Feeding The Dark
09. Take Cover
10. Far From Heaven
11. Part Of Me
12. Blind Belief

We Are The Fallenとは一体何だったのか?・・・なんて話はさて置き、自分の中にあるEvanescenceの記憶といえば、もうかれこれ10年前にリリースされたセルフタイトルの3rdアルバム『Evanescence』に伴う、2012年に開催された来日公演を観に行ってるくらいには好きだったバンドっちゃ好きなバンドで、しかしまさか、そんなエヴァネというかエイミー・リーを久々に生存確認したのが、あのBring Me the Horizonとのコラボだったのは思いもよらぬ出来事だった。しかも、そのBMTHとのコラボに至る経緯というのが、エヴァネ側のマネージャーが「BMTHとグライムスがコラボした楽曲(Nihilist Blues)はエヴァネのパクリだ!」と訴えを起こそうとしたのを起因に、そのお詫びというじゃないけど、BMTHが2020年に発表した最新EP『Post Human: Survival Horror』の最後に収録された、やけに長いタイトルの曲でエイミーとオリヴァー・サイクスがデュエットする形で示談もとい和解を果たしている。そう考えたら、EPのサイバーパンク的な作風の中、エイミーとのコラボ曲だけ不可解に浮いてるように感じたのは、そういった“もらい事故”じゃないけど意図しない偶発的な出来事による産物、その真相にたどり着いたのはちょっと面白い話ではある。個人的にもっとも面白いのは、約10年前にエヴァネの(恐らく来日公演としては最後)ライブを観に行った僕が、現状最後に観た外タレのライブが2019年のBMTH(最前)だったりするのは、妙な因果を感じなくもなくて俄然面白いなって。


しかし、そのパクリと訴えられかけた「“Nihilist Blues”に似た曲ってエヴァネにあったっけ?ただのイチャモンだろw」とか思いつつも、てっきりオリジナル・アルバム扱いと思ってなくて今まで聴いてこなかった2017年作の4thアルバム『Synthesis』を今このタイミングで聴いてみたら(やっぱり過去曲のオケアレンジが中心)、3rdアルバム『Evanescence』に収録された“Never Go Back”の歌メロがまんま“Nihilist Blues”でグライムスが歌ってる歌メロな事に気づいて(←気づくのおせぇ...)、それがあまりにもモロパクリ案件で「ちょっと待って、これエヴァネが逆にパクってんじゃん・・・え?」と、一瞬頭ン中こんがらがるくらいにはゴリゴリのパクリで笑った。もはや完全にカヴァー曲レベルのパクリで、これは流石に訴えられるわw

約10年前に発表された3rdアルバムの『Evanescence』は、そりゃライブに足を運ぶくらいだから普通に好きなアルバムだし(“My Heart Is Broken”とか普通に名曲だと思うし)、たった今聴いている4thアルバムの『Synthesis』もオーケストラをフィーチャーしたシンフォニック~クラシカルな本格志向の作風で、その後にエヴァネが欧州シンフォニック・メタルを代表するWithin Temptationとツーマンツアーを発表した経緯、それに関する自分の一方的な誤解について、決してエヴァネが落ち目になったからではない事を今このタイミングで知るという申し訳の無さ。さっきのパクリ案件といい、自分の中にある近年エヴァネのイメージが2秒で「最悪」から「最高」に変わった瞬間でもあった。なんだろう、こういった出来事に対する『苦い真実(Bitter Truth)』を知った今思えば、エイミーが日本の和楽器バンドとコラボしたのもきっと大きな意味があるんだ・・・きっとそうに違いない!(←恐らく、というか普通にユニバーサル案件)

これまでエヴァネに対する壮大なる勘違いをしてきた、自分の中にある「都合のいいエヴァネッセンス」=「苦い真実(Bitter Truth)のエヴァネッセンス」のイメージから、ものの2秒で「真実(Truth)のエヴァネッセンス」に変わったこの自分が、今さら約4年ぶりとなる5thアルバム『The Bitter Truth』についてフラットな目線で一体何を書こうと言うのか?っつー話で、少なくとも「全く信用に値しないレビュー」と言う名の懺悔になる事を、読者には今ここで前もってお伝えしておきますw

この『The Bitter Truth』というタイトルは、言わずもがなポスト・コロナ禍におけるポスト・トゥルース時代に誰しもが、さっきまでの俺しもが都合のいい真実だけを盲信している、つまり某子供探偵の言葉を借りるならたった一つの真実ではない無数の『真実』の中にある自分にとって都合のいい真実を薬物依存症者のように摂取する様を苦い真実(Bitter Truth)としてメタ的に皮肉った表題と解釈していいだろう。

そもそもの話、過去作の名曲にオーケストラ・アレンジを施した前作の『Synthesis』をオリジナル・アルバムとして勘定するべきなのか問題もあるし、厳密にそれをオリジナル・アルバム=スタジオ・アルバムとして勘定しないとするなら、スタジオ・アルバムとしては3rdアルバムの『Evanescence』から丸々10年のブランクが存在するわけで、正直そのブランクやメンバーチェンジも重なって作品の内容に全く期待していなかった事もあって、流石にエヴァネと言ったら1stアルバム『Fallen』と2ndアルバム『The Open Door』←これらの初期の名作を超えた!なんて、いくら懺悔しろと言われてもそれだけは絶対に懺悔することはないけど、しかし最低限に設定されたハードルは優に超えてきたのは事実。なんだろう、ハッキリ言ってめちゃくちゃいいアルバムですこれ(←全然信用できねぇw)。


本作の何が凄いって、そのポイントを一つ挙げるとするなら、それはヌーメタル界のレジェンド=KoЯnが2019年に発表した『The Nothing』やジョナサン・デイヴィスのソロ作のプログラミングを手掛けたTiago Nunezを迎えている点で、仄かにインダストリアル要素をまとった00年代のヌーメタル回帰じゃないけど、なんだろう90年代ロックを象徴するグランジの名残を受け継いだ2000年代の古き良き洋楽ロックみたいな装いもあって、とにかく色々な意味で懐かしくて泣ける。ちなみに、その本作のキーマンとなるTiago Nunezが参加しているKoЯn『The Nothing』は、アルバム冒頭のバグパイプを擁したケルティックなイントロからリード曲の“Cold”に繋がるノイジーにヒリついたインダストリアル味溢れる雰囲気とか、一方的にポストブラック界のレジェンド=Altar Of Plagues味を感じて久々にKoЯnのアルバムで刺さったし、また盟友であるDeftonesの名盤『Diamond Eyes』の影響下にあるモダン・ヘヴィネス、そしてそことはかないIN FLAMES味が組み合わさって最高にツボった(←それはパクられw)。

本作の『The Bitter Truth』KoЯn『The Nothing』を意識しているのは明白であり、もちろんゴリゴリのヌーメタルあるいはグランジやってるという話ではないけど、少なくともピアノ主体の過去最高にポップな作風だった3rdアルバムよりは、いい意味で病的で堕落した初期のグランジチックな世界観、俗に言うゴシック・メタル的なダークさに回帰している印象。特にエイミーの歌メロに関してはその傾向が顕著に現れており、それこそ名曲“Bring Me To Life”のMV並に底なしの闇にどこまでも“Going Under”していくようなエイミーの「エヴァネらしい」然とした退廃的な歌メロが懐かしくも心地いい。なんだろう、前作ほど歌メロに強引さがなくて比較的丁寧というか。


その「エヴァネらしい」然としたを司るシングルの#3“The Game Is Over”や#4“Yeah Right”を皮切りに、初期作をフラッシュバックさせるダーク&ゴシックでシンプルに「ザ・エヴァネ」な#5“Feeding The Dark”はアルバム曲の中でも隠れた名曲の一つで、エイミー持ち前の繊細かつ大胆な歌声が冴え渡る王道ロックバラードの#6“Wasted On You”、本作のキーマンとなるTiago Nunezのプログラミングとヘヴィなリフが絡み合う#7“Better Without You”、ライブ映えしそうなBMTHばりのシンガロングをフィーチャーした#8“Use My Voice”、それらアルバム中盤の屋台骨となる「らしい」としか形容しがたいシングル3連発を挟んで、インダストリアル志向の強い#9“Take Cover”、壮麗なストリングが舞い散るピアノバラードの#10“Far From Heaven”、そして個人的に本作の中で最も度肝抜かれたというか、もう一つの隠れた名曲として推薦したいのがアルバム終盤を飾る#11“Part Of Me”と#12“Blind Belief”だった。この曲の何が凄いって、それこそDeftonesが最新作『Ohms』の中で示した“20年代のヘヴィネス”の系譜にある現代ポストメタルと共振するヘヴィネスと、前作における“My Heart Is Broken”と同等の立ち位置にあると言っても過言じゃないエイミーの堕ち尽くす歌メロが極みに極まってるのが最高。この辺りでしっかりとKoЯnDeftones、そしてLinkin Parkラインの同期じゃないけど、今では様々な事情で散り散りとなった「俺たち世代の洋楽」を象徴する、00年代ヘヴィロックシーンの一時代を築いた盟友同士の面影と現代ヘヴィロックのトレンドを抑えてきてるのは、とても10年のブランクがあるようには見えなくて俄然エモいし、そんで最終的には「やっぱエイミー様には敵わねぇや・・・」ってなる。

確かに、本音を言うと(最後の2曲以外は)バンドの音自体は貧弱でつまらなく感じるし、まだ前作のがリフ的な意味でも(初期作とは一線を画す)モダンなメタルとしてゴリゴリ鳴らしてた気がするのも事実(それこそパクられ曲の“Never Go Back”の原曲とか)。もしも全編に渡って終盤のポストメタル路線だったらガチで初期の名作超えてた可能性があっただけに、そこだけは唯一惜しい点かな。とにかく、自分自身そんなつもり微塵もなかったのに、「なんだかんだ自分の中で想像した以上に楽しめたアルバム」だなんだと言ったところで、こんなFAKEレビューなんて誰も信用しちゃあいないと思うのでアレだけど、なんだかんだ10年ぶりに「ライブ観てぇ」と素直に思わせるくらいの底力とシーンにおける確かな存在感を示してくるのは、本当に本当にエイミー様様といった感じ(今となってはパクリ屋のオリヴァー・サイクスにエイミーの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいw)。もうこうなったらデブ豚と一緒に今年のスパソニで来日したらエエんちゃう?

我儘ラキア 『WAGAMAMARAKIA』

Artist 我儘ラキア
EqlFUo2UwAAy1cd

EP 『WAGAMAMARAKIA』
71qGq+6AMzL._AC_SX679_

Tracklist
01. SURVIVE
02. Letting Go
03. New World
04. One
05. Like The Stars
06. Ambivalent

「皆さんこんばんわ、稲川淳二です。実は昨年、アメリカの次世代メタルバンド=Code Orangeと出会ってからというもの、ずっと私の背後にオレンジの亡霊が取り憑いているようなヤ~な気配がしてまして、これは大霊界からのサインなのかなぁ~と閃いた。昨年末の有馬記念でもオレンジ帽サラキアが飛んでくる気配をビンビンに感じて、私の狙っている本命馬と一緒に馬券を買っていざレースに挑んだんだ。そしてゴール前、予想通りオレンジ帽サラキアフィエールマンが突っ込んできて「ッシャアッ!」と芸能人格付けのGACKTばりにガッツポーズしたのもつかの間、妙に変だなぁ~って。だっておかしいじゃない。大霊界のお告げ通りにオレンジ帽サラキアが突っ込んできたのに、私の本命馬は未だにゴール板を通過していない。うわぁ~イヤだなぁ~怖いなぁ~って。その数秒後、私の本命馬がノッソリとゴール板を通過したのを見た瞬間・・・私ねぇ、気づいちゃった」

「あぁ、あたし15万負けたんだって」
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デビュー当時はコアなシャウトにFワードを連呼していたBring Me The Horizonのフロントマン=オリヴァー・サイクスは、2019年に発表した6thアルバム『amo』に伴うインタビューの中で、「今のロックはクソ、ラップ/ヒップホップこそロックでありパンクだ」と発言するや否や2秒で炎上した。例えば、古くは韓国メタル界いや韓国音楽界のレジェンド=ソテジことソテジワアイドゥルから現在までのK-POPとラップは切っても切れない関係だったけど、それと同じように【メタル】と【ヒップホップ】と【K-POP】は全て繋がっている事を証明したのが『amo』だった。

先に補足しておくと、我儘ラキアの個人的な認知度って「名前だけは知ってた程度」で、だから音源もこれまで一度も聴いたことがなかった。じゃあ何故このタイミングで、2021年の年明け早々に聴いているのか?その理由をざっくりと一言で言ってしまえば「引力」としか他に形容しようがなくて、それは全て昨年末の「有馬記念のサラキアは買えた」に繋がってくる話でもある。競馬のグランプリレースである有馬記念が「世相を反映するレース」だとするなら、それは同時に「未来を予言するレース」でもあるんじゃあないか?その伏線として、つまりオレンジ枠だからサラキアは買えた僕が、年明け早々に我儘ラキアを聴いている「未来」を無意識のうちに予知していたから説。

ここ最近は毎年のように、年始から1月いっぱいまではアイドルソングを聴いて正月ボケした頭ん中を一度リセットする習慣が身についていて、この2021年はPassCodeの3rdアルバムと我儘ラキアのEPを聴いて頭ん中カラっぽにした結果、見事に何も書けなくなった模様(この1月はパスコとラキアのレビューだけで十分、むしろパスコとラキアの2本だけアップする事に大きな意味がある)。それはそうと、この我儘ラキアもパスコと同じく大阪を拠点に活動する四人組のアイドルグループで、例えばPassCodeというアイドルを形成する最大のアイデンティティーがちゆなこと今田夢菜のシャウトにあるとするならば、我儘ラキアを司る最大のアイデンティティーはMIRIのラップであり、シャウトとラップでは方向性は違えど各グループそれぞれに明確な「武器」と呼べるものがある。この我儘ラキアは、BMTHのオリィが炎上する事となった問題発言内の【ラップ/ヒップホップ】をラウド系アイドルに持ち込んだ次世代ハイブリッド系アイドルの最右翼で、それこそPassCodeが「いま最も堅実なアイドル」だとするなら、そのパスコを超える未知の可能性を秘めたアイドルがこの我儘ラキアである。


言葉で語るより先に手っ取り早く我儘ラキアのことを知りたければ、2020年末に発表したセルフタイトルのEP『WAGAMAMARAKIA』のオープニングを飾る“SURVIVE”を聴くことだ。初っ端からいかにもラウドル然としたシンセを乗せた、それこそBMTHの“Shadow Moses”顔負けのコアいヘヴィネスを叩き込むイントロから、ラキアのメインボーカルを担うサイバーパンクな緑髪が目印の星熊南巫はWACK系アイドルを彷彿とさせる息づかいを駆使した感傷的な歌声をもって、世界が混迷しフェイクという名の『惡の華』が咲き乱れる種の生き残りを賭けたサバイバルホラー、そんな一点の曇りもない青い空がオレンジ色に染まった極限の状況下から「逃げたい」と声を漏らす刹那と焦燥が揺れ動く内なる表現力と、その見えない不安と恐怖に立ち向かって「叫べ」と衝動的な感情を解き放つフックに富んだサビを歌い上げる、そんなボーカリストとしての多様性を持つ星熊南巫の存在はバチクソにエモく、そこに星熊の相方であるパッと見モモコグミカンパニーの妹分みたいなラップ担当のMIRIによる「ババババババーン!」とブチ込んでくるキレッキレのイキリラップが絡み合い、そして自称オレンジの人こと川崎怜奈“我儘ラキアのアイドル担当”こと海羽凛が中心のパートでは、北欧メロデス的な単音リフを駆使したメタル然とした攻撃性を垣間見せる。またEDM〜トラッピーなビートを裏で刻んだり、中間にポストロック的なパートを挟んでドラマティックに演出する楽曲構成は「次世代アイドル」を謳うだけあり、それこそBMTH『amo』で証明した【メタル】と【ヒップホップ】と【K-POP】は全て繋がっている事を裏付けるような曲でもある。とにかく、リード曲(シングル)というかグループ名を冠した表題作の幕開けに相応しい、まるで今年のアイドルシーンを昨年の有馬記念のサラキアばりに人気薄でブチ抜いてくる事を暗示するかのような、我儘ラキアを象徴する要素が凝縮された疾走感溢れるキラーチューンとなっている。


この“SURVIVE”のMVで初めて我儘ラキアの曲を聴いた瞬間、そのモダンな曲調とMVのロケーションも相まって、自分の頭の中であるものがフラッシュバックした。それこそ、初期の某メイドというか、例えるなら“the non-fiction days”あたりのまだモダンなヘヴィロックやってた頃のメイドが脳裏に浮かんだ。それは当時、“the non-fiction days”のMVを観た瞬間にビビッと閃いて、そのMVを延々リピートしてたあの感覚と限りなく近いものだった。もちろん、アイドルグループとバンドでは少し形式に違いはあるけど(小鳩ミクは元地下ドルなので実質似たようなもん)、ラキアのメインボーカルである星熊と相方のMIRIの関係性と、某メイドのメインボーカルである彩姫と相方の小鳩の関係性はやはり重なる部分がある。現時点での星熊は当時まだ青二才だった彩姫レベルと言ったらわかりやすいかもしれない。逆に言えば、それはボーカリストとしてまだ完成していない、つまり更なる上積みを感じさせる将来性に溢れ、いずれは彩姫を超えるポテンシャルを秘めたボーカリストであるという事。少なくとも、現時点ではX JAPANYOSHIKIの前で“Endless Rain(出山ホームオブハート彩姫Ver.)”を披露していた彩姫は超えている星熊の仄かにハスキー成分を含んだ歌声は、シングルの“SURVIVE”で言うところの「限界で歩き疲れたよ ニゲタイ」のパートに心が完堕ちして「舎弟になりてぇ」と切に思うぐらいには歌いっぷりがカッコいい。まず星熊南巫って名前がカッコいい、名前が。あと性別は違うけど、星熊さんにはボーカリストとしては元より、その“ファッションアイコン”的な存在としてDIR EN GREYの京を目標にしてほしいと思うくらい(自傷はNG)、いわゆる「男が惚れる男」と同じニュアンスで「男が惚れるアイドル」というか、(これは今のパスコもそうだけど)その楽曲は元よりビジュアル的な面でも、一般的なアイドル的な「可愛さ」よりも「カッコ良さ」が優先される次世代アイドルが我儘ラキアなんですね。ともかく、某メイドの一番良かった時期とダブる、言わば「売れる気配」しかない時期特有の雰囲気を漂わせていて、要するに今のラキアの立ち位置=某メイドの初期頃と仮定すると、さてここからどこまで上に行けるのか?その答えが知りたい人は、今すぐ某メイドからラキアに推し変するべきです。

その“SURVIVE”をプロデュースしたマイファスのNobをはじめ、このEPは国産ラウド〜ロックシーンで活躍するバンドマンが楽曲プロデュースを担当しており、ちなみに某メイドと同じポニーキャニオン所属のラウドル系K-POPを代表するDreamcatcherの日本向けシングル“Endless Night”を手がけている元TOTALFATkubotyが#2“Letting Go”と#5“Like The Stars”のプロデュースを担当しており、前者の#2はまるで「ハロウィンはメロコア」とばかりに某ジャーマンメタル界のレジェンド=Helloweenばりのツインリードのピロピロギターが炸裂する臭メロ全開メロスパー歓喜の曲で、イントロは“メロコア化したイーグルフライフリー” かと思えば、歌メロからは大阪は枚方出身の某“平成最悪のヴィジュアル系バンド”ことジャンヌダルクの“霞ゆく空背にして”を彷彿とさせたり、また(英語歌詞中心だから)どっかの洋楽カバーっぽい雰囲気もあるという、とにかく色んな曲がごちゃ混ぜになった闇鍋感溢れた曲となっている。後者の#5は、これまたポニーキャニオン所属のジャパニーズ・メロコア界のレジェンド=SHAKALABBITSを彷彿とさせるオレンジの人をフィーチャーしたバリバリのメロコアチューン。このように、一概に“ラウド系”と言ってみても、その根底には青春パンクやメロコアの流れを汲んでいる点はパスコも同じだ。


実のところ、我儘ラキアのようなヘヴィメタルやラウドロックをベースとしたアイドルとラップを融合させたラウドルって、K-POPのDreamcatcherが先にやってる事ではあるんですね。もちろん、その【メタル】と【ラップ】と【ダンス】をクロスオーバーさせた、K-POPの原点であり韓国音楽界のレジェンド=ソテジが先駆者として存在する上で。そのソテジは日本のX JAPANの今はなきベーシストであるTAIJIに強い影響を与えている。というか、ソテジのテジはTAIJIと書く点からもモロですね。つまり、ソテジは韓国のみならず日本の音楽業界にも間接的にではあるが影響を与えている偉大なバンドで、それが約30年の時を経て、今ここで日韓ラウドルシーンで繋がるのはわりとマジでエモいし、その日韓ラウドルの架け橋役となっているkuboty、わりとマジで凄い説(そんなソテジの音楽をフィーチャーした韓国産ホラー映画『ザ・コール』はオススメ)。しかし、最近めっきりドリキャについて書かなくなったのに、このタイミングでシレッとフォローするあたり、俺ってちょっと粋な奴じゃないですか?え、そうでもないですか?それはそうと以前、『龍が如く』シリーズの次回作に「ドリキャメンバー出して」みたいな事を書いたら、開発陣にその願いが届いたのかはいざ知らず、『龍が如く7』に登場する韓国系マフィア=コミジュルの女幹部であるソンヒ(紫髪)と、“Endless Night”のMVのジユの髪色が同じなのは果たして偶然だろうか・・・?それとも俺への私信だろうか・・・?(←ただの勘違い野郎)


NOISEMAKERのメンバーが手がけた#3“New World”は、それこそBMTHグライムスとコラボした“Nihilist Blues”に対するラキアなりの回答であり、BMTHのキーボーディスト=ジョーダン・フィッシュ顔負けのシンセをはじめ、UlverLiturgy、そしてOranssi Pazuzuらの“王の盾”の系譜を受け継ぐEDM〜トラップラインの「次世代」を予感させるトラックからは、間違った解釈でトラップやってる紅白出場歌手のBABYMETALを煽るようなイキリを感じさせ、この手のK-POPにも通じるダンサブルなサウンドとMIRIによるバッキバキに捲し立てるラップは映えに映えまくる。再びマイファスのNobが手がけ、一転してガールズバンドねごとみたいなオルタナ風のアレンジとピアノを中心としたバラードの#4“One”は、まず何よりも想定外だったのはラキアの中でこの手のJ-POP系バラードに一番映えるのが星熊ではなく“我儘ラキアのアイドル担当”こと海羽凛である事で、少なくともこの曲に限っては星熊の脇にいるのが勿体ないと思わせるくらいにはバラード映えする良い歌声を聴かせる。ちなみに凛ちゃんは宮崎出身とのことで、(オカンが薩摩の女なのに里帰り出産で何故か鹿児島じゃなく宮崎の病院で生まれた自分は凛ちゃんに謎の親近感を抱きつつも)そんな凛ちゃんのちょっとしたシンガーソングライターにいそうな、少し低域寄りの艶のある声質と落ち着いたバラードとの相性がグンバツだし(特に「ゆらゆら揺れ」と「溢れ出す色」あたりは最高)、MIRIのラップじゃない普通の歌声のギャップ萌えもエモいし、その曲調によって適材適所で映えるメンバーが変わるのがこのグループの強みでもあって、逆に言えば星熊MIRIの「二人だけ」のグループでは決してない、メンバーそれぞれのソロ曲を期待させるレベルの各メンバーのポテンシャルの高さがそれを可能にさせている(ゴリゴリのバラード歌えるアイドルとか俄然推せる)。

そもそも何故このタイミングで我儘ラキアを聴こうと思ったかって、それこそ今作のプロデュース陣の中にCrystal Lakeのギタリスト=YDが参加しているからと言っても過言じゃあなくて、そのYDが手がけた#6“Ambivalent”は、聴く前はCLならではのゴリゴリのトラップ・メタルやってくるかと想像してたら、CLCLでも海外インスト/マスロック界隈に精通するオシャンティなエクスペリメンタル/スピリチュアル/ニューエイジ的な独特の浮遊感を持つアンビエント・メタル(CLで言うところの“Apollo”的な)、言うなれば“ラウドル化したBMTH”みたいな、とにかく今のBMTHに肉薄するYDの意表をついたアレンジセンスに脱帽する。あとMIRIの独壇場と化す後半のチャラいラップパートもバチクソにカッコいい。

ご覧の通り本EPは、ラウド/パンク/ヒップホップ/オルタナごった煮アルバムで、プロデュース陣に国産ラウドロックを牽引するメンツを迎えているだけあって、我儘ラキアというアイドルグループの概要を知るには打って付けの、それこそ新しい名刺代わりとしてタイトルにグループ名を掲げた意味しか伝わってこない、まさに自分みたいなラキア新規を取り込む入口としての大きな役割を担う一枚となっている。こうなってくると「何やってもラキアになる」、いい意味で節操のない「掴み所のなさ」を今のラキアの強みに変えた本作の功績はあまりに大きい。極端な話、冒頭にも書いた【メタル】【ヒップホップ】【K-POP】その全てが繋がっている話、その解釈を国産ラウドロックに落とし込んだのが我儘ラキアで、例えばベビメタがアイドルの概念を変えた偉大なアイドルならば、この我儘ラキアは「アイドル」と「それ以外」の垣根を超越したアイドル界の真の革命児なのかもしれない。そう言った意味でも、今のBMTHに最も近い精神性を持っているのは、BMTHがコラボしたBABYMETALでもMANTRAカバーしたPassCodeでもMANTRA丸パクリしたLiSAでもなく、在りし日の“洋楽の象徴”だったリンキンパークの正当後継者であるBMTH、その両バンドをリスペクトおよび楽曲をカバーし、オリィのファッションブランド=DROP DEADを身につけている筋金入りのBMTHフリークである星熊南巫率いるこの我儘ラキアなのかもしれない。


何故なら今回のEP、BMTH『amo』は元より、本日(1月27日)に国内盤CDがリリースされた最新EPPOST HUMAN: SURVIVAL HORRORともバリバリに共鳴する作品で、レビューにも書いたけど『amo』ってEDMやトラップ・ラップなどのメインストリームに迎合した一種のK-POPやJ-POPとして聴けちゃうポップスで、そこから日本贔屓が過ぎるEPで実現した日本のアイドルとのコラボからオリィによる星熊インスタフォローという、もはや匂わせどころじゃない必然的な流れが出来上がっていたのも事実。今やBTSとコラボしたホールジーと(その恋人ヤングブラッドとも)コラボしている「メタル界のBTS」と言っても過言ではない近年のBMTHと、本作における我儘ラキアは冗談じゃなしに共振する部分が沢山ある。まずコロナ禍における人類の存続を賭けたサバイバルホラーをコンセプトとするポスト・ヒューマン~と、シングル曲である“SURVIVE”のタイトルは元より歌詞も自然と今の世界的な状況と重なる。また、『amo』におけるEDM〜トラップ〜K-POPのライン上に乗った多様性を示すジャンルレスかつジェンダーフリーな精神性と、従来のアイドル像その固定概念をブチ壊さんとする我儘ラキアの革新性とファッション性のリンクは、オリィにインスタフォローされる理由としては十分過ぎるし、BMTHフリークであるCrystal LakeYDDreamcatcher案件のkubotyのみならず、日本が誇るCode Orange Kidsこと福岡出身のPaleduskがアレンジした楽曲(Why?)を持つのも「次世代ハイブリッドアイドル」の証左と言える(Paledusk=Code Orange Kidsである根拠は彼らの最新シングル“WIND BACK”を聴けば一目瞭然)。また、過去にアイドル界のレジェンド=鈴木愛理と某番組で共演していると聞いて俄然「こいつらわかってる感」しかなくて(愛理は同番組でパスコとも共演している)、そんな現代ラウドル界を牽引するパスコとラキアの二強と既に共演済みの鈴木愛理はラウドル界の裏ボス説という冗談はさて置き・・・とにかく、今の国産ラウドロックシーンの“現世代”と“次世代”のトレンドをしたたかに取り込みつつ、今度は自分たちがシーンの中心に駆け上がっていく未来しか見えてなさそうな、そういう運命に我儘ラキアを導いているここのプロデューサーは相当なやり手です。


ちょろっと以前のアルバムを聴いてみたんだけど、EDMは元よりPerfumeばりにピコピコキラキラしたシンセを全面に押し出した、誤解を恐れずにいうとPassCodeの丸パクリもといフォロワーみたいな、というか普通に平地がプロデュースした曲があって驚いた。とにかく、いかにもインディーズなラウドルって感じ(これはこれで悪くない)。しかし、その流れに著しい変化・起点となったのは2020年にリリースされたシングルで、中でもベビメタで言うところの“KARATE”に肉薄するDjent的なモダン・ヘヴィネスをフィーチャーした“rain”(MIRIのポエトリー風ラップも光る)、そしてPaleduskとのコラボが実現した“Why?”、それら2020年に発表したシングルから続くいい血の巡りが目に見えた形として本EPに現れている。このEP、別に“メジャー”と断定するわけじゃないけど、明らかにもっと高みを目指したい貪欲な気持ち、隠しきれない色気がムンムンに漂っている。もちろん、その貪欲な色気は結果的にオリィの星熊インスタフォローに繋がってくる話でもあって、星熊も星熊でリスペクトするオリィにフォローされてビリー・アイリッシュアシュニコグライムスに並んだと変に勘違いしたり、それに甘んずることなく、しかし世界的なフォロワーと同列にいる事を自覚して、またそれに恥じない所=テッペンまで辿り着けるように頑張ってほしい。

どれくらい「偶然」が重なれば「必然」に変わるのかは知らんけど、このタイミングで、厳密に言えば年明け早々このEPをリピートしてる最中に、リアルタイムでBMTHオリヴァー・サイクスが星熊のインスタをフォローするのは流石にビビった(そんな偶然ある?)。またしてもオリィがWelcome to my 俺ィの感性の読者である事を証明してしまったというか、それこそ『amo』のリリース以降は、イギリスのオリィの感性と日本の俺ィの感性がバチバチに共鳴しまくってて、今回の案件も「引力」の一言で片付けられるレベルの話ではない件。そんな風にリアルタイムでネタを提供してくるイギリスのオリィさんに、日本の俺ィからとっておきのネタを提供したい。

ここまでの話は全て忘れてもらってもいいくらい、本当に面白くて本当に怖い話はこれから。改めて、オリヴァー・サイクスにインスタフォローされているメインボーカルの星熊南巫、実は2019年の11月に開催されたBMTHの大阪公演を観に来てたらしいのね。それを知った時、同じくしてその大阪公演を最前で観た日本の俺ィはある事を思い出した。それは開場待ち、まだ整列前にロッカーの付近で待機してる時に、自分の視界内に一際奇抜な髪色をした女が恐らく物販代行らしき人物と何かやり取りしてて、俺ィは「へ〜、こんなサイバーパンクな女ファンもおるんやな〜」みたいに思った断片的な記憶が自分の中にあって、まさかそれって星熊じゃないよな・・・?もしそれが星熊本人だったとしたら、それは流石に完全究極体伏線回収過ぎて怖すぎん?つまり、2021年年明け早々に起きた「引力」の「伏線」が2019年に行われたBMTHの大阪公演の待ち時間にあったと考えたら怖すぎん?もちろん確証はないし、もし単なる人違いなら申し訳ないけど(普通に別人だと思うw)、少なくとも星熊があのライブ会場にいたのは事実らしいので。俄然面白いのは、どうやらその大阪公演にはラキアのメンツだけじゃなくて、Paleduskのメンバーも観にきていたとの話もあって、つまり同年の8月に行われた新木場公演には前座にHYDE、観客席には同年の紅白出場者となるLiSAと翌年の紅白出場者となるBABYMETALが、その東京公演から数ヶ月後の大阪公演では次世代アイドルの我儘ラキアコード・オレンジ・キッズPaleduskが観にきていたとか・・・なんだろう、「引力」って怖くね?それよりもラキアのメンバーに自称オレンジの人がいんの一番怖くね?

この話を一旦整理すると、昨年末におけるBMTH『ブラックアルバム』ならぬオレンジアルバムことEPポスト・ヒューマン:サバイバル・ホラー、からの「有馬記念のサラキア(オレンジ帽)は買えた」、からの我儘(サ)ラキアに至るまでのオレンジの伏線、その全ては2019年に行われたBMTHの来日公演に仕掛けられていた・・・?いやいやいやいや、普通に怖くね?そもそもなんだよオレンジの人って・・・これもうオレンジの人日本の俺ィが「繋」がらなきゃおかしいレベルの「引力」案件だろ(←ただのドルヲタ脳)。もしや昨年の有馬記念で人気薄のサラキアが外から我儘に突っ込んできたのは、その翌年となる2021年に我儘(サ)ラキアのブレイクを予言するレースでもあった・・・?そして、『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦が描いた2021年の年賀状のメインカラーもオレンジ。まるで全ての出来事がオレンジに導かれていく、これがホントのサバイバルホラー・・・なんつってw いや冗談じゃなしに、これもうポスト・ヒューマン~シリーズの実質第二弾EPだろ・・・というより、本日(1月27日)発売の国内盤CDリリースの実質番宣だろこれw

昨今におけるBMTHオリヴァー・サイクスを取り巻く、アニソン界の本命馬であるLiSA、アイドル界の本命馬であるBABYMETAL、ラウドル界の本命馬であるPassCode、誰が最もBMTH愛(amo)が大きいのかを競い合う4角関係に「待った!」をかける次世代アイドル界の大本命馬の我儘ラキアが昨年の有馬記念のサラキアばりに我儘に突っ込んできて鼻差で差し切ってゴールイン!最終的にオリィが選んだのは我儘ラキア星熊南巫というラウドル界のバチェラー完結、と思いきや2秒で取っ組み合いのキャットファイトが始まる模様。こうなったらキャットファイトじゃなくて仲良くコラボすべきじゃね?実際、ベビメタとBMTHがコラボした“キングスレイヤー(王殺し)”に対抗するには、ここは無難にプロデュースはCLYDか、中穴でヴィジュアル系ラウドロック代表のlynch.葉月(むしろYDと悠介くんの共演の方に期待)、大穴でメタルコア系バンドマン上がりのAyase(YOASOBI)。ゴリゴリのBMTHフリークであるAyaseがラキアに楽曲提供する理由なんて星熊インスタフォロー案件で十分だし(実は昨年の紅白にはゴリゴリのBMTHフリークが3組も出演していた事実)(紅組と白組の他に一部オレンジ組が混じってた説すき)。んで、“いま最もエモいアイドル”であるPassCodeちゆなとフィーチャリングして、葉月が監修したちゆなのシャウトとMIRIのラップのバトルパートをブチ込んだラウドル界最強ソングを完成させるしかなくね?もちろん、曲のタイトルは“キングスレイヤー(王殺し)”にちなんで“キングズガード(王の盾)”で、そして『龍が如く』シリーズの次回作の主題歌に決定・・・っと、ダメだダメだダメだ、妄想が捗り過ぎる・・・w (でもLynch.との対バンぐらいは普通にありそう)

正直、年明け早々まだ正月ボケが抜けない状態でこんなオレンジ爆弾投げられても困るわ。結論を言えば、「エモさ」を忘れた在りし日のベビメタは元より、今やドリキャのバックバンドがお似合いの某メイドやWACK系アイドルに飽きた人は今すぐ乗り換えをオススメします。ラウ/ドルヲタでもそうでなくとも、この一年こいつらのこと追いかけてみたら、ちょっとは面白いものが見れるんじゃないの?とハッタリかましたくなるくらい、今のラキアには確かな「エモさ」がある。あの心の底から込み上げてくる刹那い「エモさ」が。それよかイギリスの本家オリィと日本の俺ィがバックアップしててブレイクしなかったら逆に怖くね?逆に。これもう実質サマソニ内定みたいなもんでしょ。逆に、まだサマソニ出てないの?じゃあ本家オリィに代わって日本の俺ィが「予言」します。こいつらサマソニ出ます(←誰でもできる予言w)。いや、でもこれでホントにサマソニ出たらオリィのやつマジでアゲチン過ぎね?これ次のフルアルバム?で跳ねなかったら嘘でしょ。ヘタしたらFソニー・ミュージックからメジャーデビューあるぞこれw
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