Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

ANATHEMA

ana_thema 『The Optimist』

Artist ana_thema
anathema

Album 『The Optimist』

_SL1000_

Tracklist
01. 32.63N 117.14W
02. Leaving It Behind
03. Endless Ways
04. The Optimist
05. San Francisco
07. Ghosts
08. Can't Let Go
09. Close Your Eyes
10. Wildfires
11. Back To The Start

2015年の夏に奇跡の初来日公演を果たしたアナセマことANATHEMA。バンド結成から27年目を迎えたアナセマは、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦の作品遍歴と同じく、音楽遍歴が「流動的」なことでも有名なバンドで、その音楽性の移り変わりはザックリと大きく3つに分類することができる。

1990年にリヴァプールで結成された当初はPagan Angelという名で活動していたANATHEMAは、その憂鬱で破滅的かつ絶望的な世界と隣接した音楽性から、同じPeaceville一派であるMy Dying BrideParadise Lostと並んでUKゴシックメタルの「御三家」としてその名を馳せると、バンドは00年代に差し掛かると大きな転換期を迎える。それこそアナセマの長い音楽史の中でも「最も幸福だった日々」すなわち『Fine Days』とも呼ばれる黄金期」で、それは1999年作の『Judgement』を皮切りに、2001年作の『A Fine Day to Exit』と2003年作の『A Natural Disaster』では「90年代」のオルタナやグランジからの影響を感じさせる作品を立て続けに発表し、その『Fine Days』の時期に培った彼らの「オルタナティブ」に対する意識は、その後のana_themaの音楽性にも大きな影響を与える事となる。

その『Fine Days』の頃に世話になった所属レーベルのMusic For Nationsが買収されるとバンドはしばらく小休止となるが、バンドは2008年にスティーヴン・ウィルソンが主宰する新興レーベルのKscopeから過去作の名曲をリメイクした『Hindsight』をリリースし、「生まれ変わったアナセマ」を宣言すると、2010年に同じKscopeから奇跡の復活作となる『We're Here Because We're Here』を発表し、SWが掲げる「Post-Progressive」の右腕としてその存在感を誇示し始める。2012年にはプロデューサーにChrister André Cederbergを迎え、最高傑作と名高い『Weather Systems』というまるで「世界を一巡」させるような作品をリリースし、2014年には自身のバンド名であるANATHEMAという「呪い」を解く物語のような『Distant Satellites』をドロップすると、その翌年には奇跡の初来日公演を実現させる。

その初来日公演でアナセマは、それこそ漫画『デビルマン』のラストシーン(神VSサタン)の「その後」を新説書ならぬ新説音として描き出すような、それこそ「神堕ろしのアナセマ」となって、そして最終的には「神殺しのアナセマ」として空前絶後の壮絶的なライブを繰り広げた。その後、Netflix資本で湯浅政明監督の手によって漫画史上最高とも言える衝撃的な展開と壮大なラストシーンを描く『デビルマン』の新作アニメが制作発表されたのは、もはや全てが何かと繋がっているような、もはや何かの因果としか思えなかった。そして、その「神殺しのアナセマ」は今度はana_themaへと姿を変え、約3年ぶりに通算11作目となるオリジナルアルバム、その名も『The Optimist』を世に放つ。

「The Optimist」
意味:楽観主義者

今作のタイトル「The Optimist」の意味が「楽観主義者(オプティミスト)であると知った時、「え、それ俺じゃん」ってなった人も少なくないかもしれない。それはともかく、今作の『The Optimist』は、2001年作の『A Fine Day to Exit』のアートワークにインスパイアされた、言ってしまえば実質続編と解釈できる自身初となるコンセプト・アルバムで、その「旅」をテーマとした『A Fine Day to Exit』の中で、絶望の淵に追いやられたペシミスト(悲観主義者)の主人公が最後に行き着いた先、それがこの『The Optimist』「始まり」となる浜辺で、つまりこの物語は、それまでネガティブで後ろ向きな思考を持つペシミスト(悲観主義者)だった主人公が、一転して前向きでポジティブな思考を持つオプティミスト(楽観主義者)へと心変わりしていく「人生の旅」、その話の続きを描き出している。確かに、アナ_セマって元々コンセプチュアルなバンドではあるけれど(その中でも『A Fine Day to Exit』は特に)、はなっから「コンセプト・アルバム」を明言した作品は今作が初めてだ。

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改めて、今のアナ_セマって理論物理学の最高権威で知られるスティーヴン・ホーキング博士が主宰するStarmus Festivalに招待されて映画音楽界の巨匠ハンス・ジマーや歌姫サラ・ブライトマンと共演しちゃうくらい、今やあのU2と肩を並べるくらい「意識高い系バンド」の一つで、そもそもバンドの中心人物であるダニー・キャヴァナーの「意識の高さ」っつーのは過去のラジオ出演などからも明白であり、当然その「意識の高さ」は音楽面にも強く反映されていて、いつ何時だってアナ_セマはその時代その時代の音楽シーンの流行りを的確に捉え、そして自分たちの音楽に昇華してきた。決して二番煎じに陥らない確固たるオリジナリティをもって。

そんな、20年以上にも及ぶ彼らの音楽人生の中で一番の転機となったのは、アナ_セマ『Fine Days』すなわち黄金期」の真っ只中にいた2001年の『A Fine Day to Exit』だと断言していいだろう。少し前に「ノストラダムスの大予言」が世間を騒がせたかと思えば、今度は「2000年問題」が騒がれ始めた時代に発表されたこのアルバムは、「90年代」のロックを象徴するオルタナ/グランジの影響下にある作風で、それまでは広義の意味で言うとまだ「ゴシックメタル」の枠組みにいたアナ_セマが初めて「脱メタル」をアナウンスした瞬間でもあった。面白いのは、その「脱メタル」した先がオルタナ/グランジというメタルを「メタルの暗黒期」と呼ばれる時代に追いやった、言うなればメタル界の「敵」と呼ばれる音楽に寝返ったことだ。しかし、その一つの枠に囚われない貪欲な姿勢、その「したたかさ」こそアナ_セマの魅力の一つと言える。

 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「こんばんは、稲川VR淳二です。」

 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「実は私ねぇ、こう見えて怖い話の他にも音楽がひと一倍好きな人間で、特に最近はイマドキのプログレにハマっていましてねぇ、そんなイマドキのプログレの中でも特にお気に入りなのがアナセマというイギリスのバンドでしてねぇ、まずその”アナセマ”とかいうギリシャ語で”呪い”を意味するバンド名からしてホラー要素に溢れているわけなんですが、まぁ、それはともかく、実は今回そのアナセマが約3年ぶりに新作を発表したっていうんでね、早速聴いてみたわけなんですよ」

 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「恐る恐る一曲目を再生してみると、何やら浜辺に打ち付けるような波の音と息の荒い男の気配がする。その”Panic”状態に陥った「謎の男」は車に乗り込むと、大きく深い溜め息をついてからエンジンをかけ、そしてカーステレオをオンにして車を走らせる。ラジオからの情報によると、どうやら(サンフランシスコ・)ベイエリアが氾濫するほどの異常気象(Weather Systems)が起こっているらしい。私はそれを聴いた瞬間、うわぁ~嫌だなぁ~怖いなぁ~って。するとねぇ、今度はラジオから音楽が聴こえてくる。そしたら次の瞬間・・・」


ティキドゥンドゥン


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 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「なんだなんだなんだなんだなんだ、ダメだダメだダメだダメだ、だっておかしいじゃない。私の知ってるアナセマはロックバンドなのに、まるでEDM顔負けの打ち込みが聴こてくるんだもん。妙に変だなぁと思って、怖いもの見たさもあって我慢して聴き続けてみた。すると私ねぇ、気づいちゃったんですよ・・・」

「あぁ、これシン_ブンブンサテライツだって」
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「32.63N 117.14W」
32.63N 117.14W

この物語は、”32.63N 117.14W”という「とある場所」を示した曲から始まる。この「北緯32.63度 西経117.14度」をグーグルマップで調べてみると、そこはカリフォルニア州サンディエゴ郊外にあるシルバー・ストランド・ステート・ビーチの位置を示していた。ご存知、この場所はトラヴィス・スミスが手がけた『A Fine Day to Exit』のアートワークが撮影された場所だ。つまり、主人公のペシミストが『A Fine Day to Exit』の最後の曲である”Temporary Peace”の中で辿り着いた浜辺である。主人公のペシミストは、この場所から新しい人生の一歩を踏み出していく。そう、何度でも新しく生まれ変わるように・・・。

アナ_セマが2014年作の『Distant Satellites』について語っていたのは、これまでにない「インプロヴィゼーション」だったり、「エレクトロニック」な要素をはじめとした「実験的」なアプローチで、その「実験的」な要素を最も象徴していたのが表題曲の”Distant Satellites”だった。この曲は、いわゆるEDMにも精通するダンサブルなビートを刻み込む、20年にも及ぶ音楽の「旅」でアナ_セマが辿り着いた「ロックの未来形」であり、それはまさしく日本のBoom Boom Satellitesが示した「全く新しいロックの形」だった。それらの「伏線」を全て飲み込んだのが、実質オープニングナンバーと言える”Leaving It Behind”だ。

まずイントロから「あれ?俺ってEDMの音源なんて持ってたっけ」状態になる。その鳴り止まないダンサブルな電子音を皮切りに、いつにもなくエッジに尖った、それこそ『A Fine Day to Exit』を彷彿させるグラ_ンジ譲りのダーティでザラザラしたギターの音作りを、『We're Here Because We're Here』の立ち位置から再解釈したような、それはまるで赤い公園”ボール”のようなミニマルなリフ回し、それに覆いかぶさるように今度はAlice in Chains顔負けのボーカルが聴こえてきて、遂にはダンスフロアという名の宇宙に放り込まれるような場面もあって、正直ここまでどれだけの情報が詰め込まれているのかと、とにかくその情報量の多さに何をどう理解していいのか戸惑う。

「アナ_セマ」=「シン_ブンブンサテライツ」

まず足元から激しく打ち上げるような重低音が、本気と書いてマジでEDMなイントロからド肝を抜かれる。そして、2分50秒からのクラブのダンスフロアにタイムリープしたような、自然と体が踊りだすようなダンサブルなパートを耳にした瞬間、過去に僕はこの音に出会ったことがあると思った。それこそ、2015年に観たBoom Boom Satellitesと2017年に観たねごとのライブで体感したダンスフロアと全く同じビート感だった。この大胆不敵なエレクトリック・ロック、本当にBoom Boom Satellitesが蘇ったかと錯覚するほどだった。とにかく、これで全てが繋がった。僕は過去にBoom Boom Satellites「アナ_セマの未来である」と説いたことがある。しかし、アナ_セマよりひと足先にBBSの「意志」を受け継いだのが、日本のガールズバンドねごとだった。ねごとBBS中野雅之氏をプロデュースに迎えた『ETERNALBEAT』は、まさに「シン・ブンブンサテライツ」と呼ぶに相応しいアルバムだった。この”Leaving It Behind”は、まさに「アナ_セマの未来」を示すものであり、同時にねごとが示した「シン・ブンブンサテライツ」に対する彼らなりの答えでもある。

この曲の、言うなれば「90年代」のオルタナ/グランジ回帰は全て意図的なものである。カリフォルニアのビーチサイドから始まった人生の再起を図る旅は、まだ旅の序盤も序盤で、主人公のペシミストは未だ『A Fine Day to Exit』の頃の破滅主義者のような憂鬱な気分に後ろ髪を引かれている。フロントマンであるヴィンセント・カヴァナーの無感情で倦怠感溢れるボーカルは、まさにアリチェンニルヴァーナに代表される「90年代」のグランジ全盛を彷彿とさせ、主人公のペシミストが置かれた状況、その感情のままに歌っている。『A Fine Day to Exit』”Underworld”は、それこそグランジを象徴するダークで退廃的なヘヴィネスを忠実に再現していたが、この”Leaving It Behind”では『We're Here Because We're Here』のウェットに富んだクリーンなギターを、意図的にグランジ的な歪みを効かせたような乾いた音作りからも、これはファッション業界や映画界が中心となって世界的にあらゆる業界で囁かれている「90年代リバイバル」を、流行に敏感なアナ_セマなりにそのリバイバルブームに乗っかったと解釈できるし、改めてアナ_セマとかいうバンドがいかに「したたか」なバンドであるのかを再確認させる。

物語の主人公であるペシミストは、とりあえず太平洋沿岸を沿って車を走らせるも、未だに「90年代」の記憶の中に取り残されている。開幕から優しく包み込むようなピアノをバックに、「現代プログレ界のサッチャー」ことリー・ダグラスHold Onというラブリィな歌詞を繰り返すバラードの”Endless Ways”は、未だ鳴り止まない打ち込みと優美なストリングスで静寂的に幕を開け、そしてバンド・サウンドとともにU2顔負けのソリッドなカッティング・ギターで超絶epicッ!!に展開していく。全く新しいロックナンバーの”Leaving It Behind”と「バラードでツーバスドコドコして何が悪いの?」と一種の開き直りすら感じる究極のロック・バラードの”Endless Ways”、この対になるような曲楽曲の流れは、ここ最近の『We're~』から『Distant~』までの「三部作」を素直に踏襲している。しかし、その三部作と決定的に違うのは「90年代」「過去」「現在」「ana_thema」が邂逅した歴史的な「引かれ合い」が存在すること。今作における新しい名義となるana_thema「_」は、まさに「過去(ana)」「未来(thema)」を繋ぐ架け橋(あるいは境界線)となる「現在地(_)」で、SF的な表現に言い換えるとワームホール的な役割とその意味を果たしている。


それらのEDM的な要素をはじめ、Hold OnDreamを含んだバラードを歌う上で必要不可欠なエモい歌詞とU2やOG産のオル_タナバンドにも通じるカッティングを駆使した、まさに超絶epic!!「オルタナティブ・バラード」を聴いて思い出す事と言えば、他でもないBAND-MAID”Daydreaming”だったりするんだけど、これ聴いたらKATATONIAANATHEMA=ANATONIAの「オルタナティブ」にも精通するBAND-MAIDって実は凄いバンドなんじゃねーかって思ったりして、なんだろう、自分がBAND-MAIDに惹かれた理由が分かったというか、なんというか「音楽」即ち「引力」だなって改めて思ったりして、なんか本当に面白かったというか、何よりもPost-Progressiveとかいうジャンルがいかに「女性的」なジャンルなのかを思い知らされたような気がする。ハッ、もしかしてana_thema「_」BAND-MAID「-」をリスペクトしていた・・・?

改めて、アナ_セマスティーヴン・ウィルソン主宰のKscopeに移籍してから発表した『We're Here Because We're Here』『Weather Systems』、そして『Distant Satellites』までの俗にいう「三部作」というのは、まず始めに「地上」から、次に「空」から、そして最後は「宇宙」からという、ある意味で「神」すなわち「人類の創造者」からの視点で描かれていた。しかし、それまでの壮大なシチュエーションから一区切りするように、ここにきて再び「車の中」という現実的な世界に回帰したのが今作の『The Optimist』だ。名義の変更をはじめ、「90年代リバイバル」を目論んだサウンドから「コンセプト・アルバム」という点からも、間違いなく「三部作」とは一線を画した、少なくとも過去最高に挑戦的な作風と断言できる。決してただのリバイバル音楽ではなくて、常にその先にある「未来」を見据えているのがアナ_セマで、そういった面でも彼らは本当の意味で「オルタナティブ」な存在と言える。

再び主人公のペシミストは、「ある目的」を胸にサンフランシスコに向かって4時間ほど走らせるが、先ほどの予報どおり雨脚は更に酷くなるばかりだ。すると、この嵐に近い大雨の中、たった1人でヒッチハイクしている人を見かけた。主人公は「なんて不幸な人なんだ。彼は僕と同じペシミストかもしれない。」と少し同情した様子で、そのヒッチハイカーを車に乗せた。主人公が「your name.(君の名前は。)」と聞くと、そのヒッチハイカーはこう答えた。「I, Optimist(わたしは、オプティミスト)」であると。これが、それぞれの「過去」と「宿命」を背負った二人の「運命の出会い」だった。思えば、それはまるで映画『テルマ&ルイーズ』のような刹那的な逃避行だった。まさに、その二人の「過去」からの「この素晴らしき逃避行」を歌った曲が表題曲の”The Optimist”である。それはまるで、同じ目的同士で引かれ合った二人の行末を優しく見守るような、茨の道だった「過去」と決別して輝かしい「未来」を切り拓こうとする二人の道筋を黄金色に染め上げるような、二人の主人公に待ち受ける過酷な「運命」を映し出すような曲である。

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二人は更に4時間ほど走らせと、遂に旅の目的地である”San Francisco”に辿り着く。すると主人公のペシミストは、何かに取り憑かれるようにして強くハンドルを握ると、その勢いのままサンフランシスコの観光名所で知られるゴールデン・ゲート・ブリッジに向かって更に車を加速させる。まるで金門橋から眺める美しい夜景のように、疾走感溢れる晴れ晴れとしたキーボードの音色と、無数に建ち並ぶ高層ビル群の灯りが色めき立つ大都市を描き映すような、それこそ65daysofstatic直系の綺羅びやなエレクトロが、この凍えるように冷え込んだ闇夜のハイウェイに差し込む「希望」の光となって主人公の二人を暖かく出迎える。ついさっきまで口々に「死にたい」と自殺をほのめかしていた主人公のペシミストは、旅の途中で出会ったもう一人の主人公オプティミストの存在によって、少しずつであるが「前向き」な気持ちが芽生えつつあった。主人公のペシミストは、当初はこのサンフランシスコで自らの人生を終わらせるつもりだった。美しい夜景が楽しめる名所である一方で、自殺の名所でもあるこの金門橋から身を投げ出そうと覚悟を決めていたのだ。しかし、その「人生の終着点」に向かう途中で出会ったオプティミストの存在が、不思議と主人公のペシミストを「もう少しだけ」という考えにさせた。



なんでこんなとてつもない才能がアナ_セマに隠れとんねん笑うって。お前一体ナニモノやねんと。とにかく、まずは前作の『Distant Satellites』はエレクトロやドラムンベースなどの電子音楽の要素を大胆に取り入れるという「変化」があった。それと同時に、アナ_セマというバンドにも大きな「変化」があった事を思い出してほしい。言わずもがな、それこそ新しいドラマーとしてダニエル・カルドーゾを迎えたことだ。僕は前作のレビューにも書いたように、次作では彼の影響が表面化するだろうと予測した。その結果はどうだったのか?それは今作『The Optimist』Boom Boom Satellites顔負けの本格志向のエレクトロニカを耳にすれば納得するだろうし、それこそ彼が手がけたCardhouseによるエモいニカチューンを聴けば否応なしに分かる。しっかし、ドラムできて曲も書けるって天才かよ。最近はめっきり隠居状態のジョン・ダグラスもメインコンポーザーとして曲が書けるドラマーだし、なんかもうドラム叩けてピアノも弾けて曲も書けるとかYOSHIKIかな?とにかく、そういった面でも、ダニエル・カルドーゾの存在はアナ_セマをNEXT-ステージに押し上げた張本人と言っていい。

今作を語る上で欠かせない大きなポイントの一つとしてあるのが、今作のプロデュースを担当したトニー・ドゥーガンの存在だ。ご存知、彼はポストロック界のレジェンドであるモグワイをはじめ、国内ではART-SCHOOLくるりの作品を手がけた事でも知られるスコットランドを代表するエンジニアだ。この『The Optimist』は、プロデューサーのトニー・ドゥーガンモグワイが所有するグラスゴーのCastle Of Doom Studiosで制作され、マスタリングにはそのモグワイをはじめ、ニューオーダーアーケイド・ファイアなどの作品でも知られるFrank Arkwrightを迎えている。

いわゆる「ポストロック」とかいう90年代後半に誕生した音楽ジャンルは、現在のアナ_セマにとって、少なくともKscopeに移籍してからのアナ_セマにとって切っても切れない関係にある。そのアナ_セマがポストロックを意識し始めたのが、Kscopeに移籍して一発目にリリースされた、過去のアルバムをポストロック風に再解釈した2008年作の『Hindsight』で、そのPost-的な解釈とモダンな方向性をオリジナルアルバムに落とし込んだのが復活作の『We're Here Because We're Here』である。一方で、ポストロックは「現代のプログレッシブ・ロック」だと言う人もいるのも事実で、まさにその問に対する答えを示したのが、他ならぬ現代プログレッシブ・ロックの旗手とされるアナ_セマだったのは、やはり何かの因果としか思えなかった。

事実、Kscopeに移籍してからのアナ_セマは、そのポストロックに精通する「繰り返しの美学」に目覚めると、「究極のミニマリズム」とは何かを探るべく、1人のミニマリストとしてミニマリズムの極意を追い求めていた。曲を例に出すと、「三部作」の一部となる『We're Here Because We're Here』では”Thin Air”、二部となる『Weather Systems』では”Untouchable Part”、三部となる『Distant Satellites』では”The Lost Song Part”、これらの(組)曲に共通するのは、執拗に同じ音をミニマルに繰り返し繰り返し、その繰り返す「努力」を積み重ねていくことで曲の「未来」を切り拓いていく、まるで人の人生その一生を見ているような錯覚を憶えるほど、彼らは音楽人生を賭けてその哲学的とも呼べるテーマを自身の楽曲に込めてきた。その「繰り返しの美学」を貪欲に追い求めてきたアナ_セマが、この『The Optimist』でたどり着いたのは、「全く新しいロックの未来形」であり、そして「全く新しいポストロックの形」だった。

ところで、君たちは「細胞が裏返る」という経験をしたことがあるか?僕はある。それは2015年の夏に行われたアナ_セマの初来日公演での出来事だった。今でも思い出深いのは、2DAYS公演の二日目の日に拠点の品川から恵比寿駅に降りた瞬間に大雨が降ってきて、「おいおい、『Weather Systems』の演出にしてはえらい粋な演出だな」と思ったんだけど、この日のライブでその『Weather Systems』から「嵐の前の静けさ」ならぬ「静けさの前の嵐」でお馴染みの”The Storm Before The Calm”を演ったのは偶然にしては面白かった。でもライブで初めて”The Lost Song Part 1”を聴いた時は本当に細胞が裏返ったかと思った。その”The Lost Song Part 1”は、まさに彼らが語るような「インプロヴィゼーション」を強く感じさせる曲で、そのシンプルな音の積み重ねによるイキ過ぎを抑制しつつ、あくまでも段階的に絶頂へのリミッターを解除していく寸止めプレイみたいな曲構成である。この『The Optimist』は、その方向性を更に推し進めた俄然生々しくオーガニックなサウンドを突き詰めており、そして「三部作」の中で一貫して貫かれてきた「繰り返しの美学」、それらに対する答えが一つに集約されたのが今作のリード曲となる”Springfield”だ。



初期モグワイ直系のおセンチな寂寥感を伴うオーガニックで乾いたギター・プロダクションから、ピアノ→プログラミング→キーボード、そしてドラム&ベースのリズム隊の順に合流していく様は、それこそスタジオセッションの延長線上にある生々しいライブ感に溢れていて、そこへリー・ダグラスHow did I get here? I don’t belong hereという歌詞を、もはや「歌」というより「声」という名の楽器を繰り返し、その「繰り返しの美学」を追求した音の繰り返しが幾倍もの回転エネルギーへと姿を変え、そのエネルギーの蓄積が臨界点を超えて遂にビッグバンを引き起こすと、幾重にも折り重なったトレモロが天をも貫く稲妻となり、ただひたすらにかき鳴らされる轟音が大地を揺るがし、それと共鳴するようにとめどない感情が溢れ出すキーボード、そしてリー・ダグラスのまるで喜劇女優の如し狼狽を合図に、それは「怒り」か、あるいは「激情」か、はたまた「衝動」か、それらの抑えきれない感情が全てを破壊し尽くすようなAlcest直系の轟音ノイズとなって、未だかつて誰も辿り着けなかった「轟音の先にある轟音」のシン・世界へと旅の者を導いていく。

なんだこの超絶epicッ!!な高揚感と恍惚感、なんだこのカタルシス・・・。冗談じゃなしにリアルにメスイキしたわ。まずはリー・ダグラスのボイスと同じ旋律を奏でるトレモロから、そこから更にキュルキュルキュルキュルキュルキュルと唸りを上げるギター、過去の名曲”A Simple Mistake”直系のエモいキーボード、そしてリー・ダグラスによる2回の狼狽から鬼の形相で迫りくる轟音・・・それはまるでモノリスという文明に触れたことで「感情」や「知性」や「痛み」を繰り返し学習した猿がヒトとして進化する瞬間のような、それこそ宇宙の誕生、そして人類の進化の過程を見ているかのような、その生物学における「進化論」と全く同じように「音」がシン化していくような、ヒトが持つ五感のリミッターを段階的に解除していく。なんかもう5回はメスイキしたわ。それこそ「イケ!イッちゃえ!」とばかり、過去の「三部作」で自らが早漏だと知ってしまったアナ_セマは、早漏のウィークポイントである「イキスギ」を抑制するため、新たに「スローセックス」を会得したのである。

確かに、Kscopeへとレーベルを移してからのアナ_セマは、いわゆるポストロックの影響下にあるバンドへと様変わりした。しかし、それはあくまでも「テイスト」レベルの話で、決して本場本職のソレとは一線を画するものだった。だが遂に、このアルバムでは本場本職のモグワイ界隈のエンジニアとスタジオを借りて、ある種の『夢』を実現させている。いま思えば、この新作に伴うツアーのサポートにAlcestを指名したのが答えだったのかもしれない。ご存知、いわゆる「ポストブラック」の第一人者であるAlcestは、シガーロス界隈の人材を迎えた4thアルバム『Shelter』の中で、ずっと憧れだったSlowdiveニール・ハルステッドとの共演という子供の頃からの『夢』を実現させている。今回の件は、Alcest『Shelter』でやった事と全く同じで、本場本職の景色を知らなかったアナ_セマが初めて本場の景色から音楽と向き合っている。この曲は「Post-の世界」をよく知る彼らだからこそできた、それこそ「ポストロック」と「ポストブラック」の邂逅である。これは、ポストロックは「現代のプログレッシブ・ロック」という一つの解釈に対する彼らなりの答えでもあるんだ。

表題曲の”The Optimist”から”Springfield”に至るまでの流れを見ても分かるように、今作の「ボーカル」というのはあってないようなもので、要するに「歌モノ」として聴くのではなく、極端な話「インストモノ」として解釈すべき作品で、そういった面でも過去の「三部作」とは一線を画しているし、それにより俄然コンセプチュアルな世界を構築する上でとても大事なギミックとして働いている。特に”Springfield”でのリー・ダグラスなんて、それこそJulianna Barwickばりに環境ボイス化している。「三部作」の最終部で自らに降り掛かった「呪い」から解き放たれたアナ_セマは、「三部作」ではメインパートを担っていた「ボーカル」の要素すら徹底した「繰り返し美学」を強要しているのだ。

そのシンプルな音の積み重ねを、日々繰り返される何気ない日常のように繰り返し繰り返し、そこから更に執拗に繰り返しエンドレスにループし、その無限に繰り返した先で「黄金長方形」を描き出し、そして遂に「過去」から「未来」へと次元を超えていくような、それこそ「無音」から「轟音」へと姿を変えていく様は、まさに主人公のペシミストがもう一人の主人公であるオプティミストに生まれ変わっていく、ある種の輪廻転生を暗喩している。いや、主人公のペシミストは自分の中に眠るオプティミストの姿を夢見ていたのかもしれない。

サンフランシスコの名所であるゴールデン・ゲートブリッジを車で渡りきろうとした瞬間、この闇夜のハイウェイを切り裂くような雷鳴とともに降り注ぐ、それはまるでブラック・ホールの如しけたたかしい轟音を直に浴びた主人公のペシミストは車の中で気を失ってしまう。これは一種の臨死体験なのかもしれない。しばらくして目覚めると、助手席に居たはずのオプティミストの姿がない。ペシミストは車を降りて周囲を見渡すが、それでも彼の姿は見当たらない。近くにあった標識に目をやると、そこには「スプリングフィールド」と書かれていた。しかし轟音を浴びたせいで未だに記憶が少し曖昧で、意識も朦朧としたままだ。さっきまで助手席に居たはずのオプティミストが本当に実在した人物なのかすら怪しくなってきた。この世界の何が「夢」で何が「現実」なのか、自分が誰で一体何者なのか、もはや生きているのか死んでいるのか、この世界が三次元なのか二次元なのかすら正確に判別できない。とにかく、ペシミストは憔悴しきった今の自分を落ち着かせるため、その場から目と鼻の先にある表札に「モー・タバーン」と書かれた案内に吸い寄せられるようにして扉を開いた。

Moes-tavern

  ペシミスト
new_018「ガチャ」


(そこは、やけに年季の入った少し寂れたバーだった)


  店主モー
new_o035002911341988472963「へいっ!いらっしゃい!何にする?」

  ペシミスト
new_018「とりあえずビールで」

  店主モー
new_o035002911341988472963「あいよっ!ダフビールねっ!」


(ダフビール・・・初めて聞く銘柄だ)


  ペシミスト
new_018「(ゴクゴクゴク)」


(それはカラッカラの喉を潤した)


  店主モー
new_o035002911341988472963「お客さん新顔だねぇ、どっからこの街へ?」


(どうやら普段は常連客を相手にしているらしい)


  ペシミスト
new_018「いや、サンディエゴから金門橋を渡ってここへ」

  店主モー
new_o035002911341988472963「へ~、ってことは旅の人か。わざわざご苦労なこって」


(すると、ここで店に新たな客人が現れた)


  ホーマー
beb8d593f4db1a17371da429c6c66261--article-html「よぉ~、モ~元気かぁ~?」


(その小太りの中年男は、どうやらこの店の常連のようだ)


  店主モー
new_o035002911341988472963「よぉホーマー、今日はレニーとカールは一緒じゃないのか」

  ホーマー
beb8d593f4db1a17371da429c6c66261--article-html「おう、今日は一人だ・・・ん?隣の奴、ここらで見ない顔だなぁ?」

  店主モー
new_o035002911341988472963「あぁ、彼はサンディエゴからの客人さ」

  ペシミスト
new_018「どうも」

  ホーマー
new_f04d8f8625e48e7ea61ac81993241cc6「まっ、ここには原発とダフビールとドーナツしかないけど、楽しんでってくれ」

  店主モー
new_o035002911341988472963「それよりホーマー、今日は平日だってのに仕事の方はいいのかい?」

  ホーマー
new_9724b2c637ff896b96fa4be9060b2b93「D'oh!!でも別にいっか」

  店主モー
new_o035002911341988472963「相変わらずの楽観主義者だなぁお前さんは」


(わたしは、その”楽観主義者”という言葉に妙な引っかかりを憶えた)


  ペシミスト
new_018「そうだ、オプティミストを探さなきゃ」


(ペシミストは、そそくさと店を後にする)


  店主モー
new_o035002911341988472963「もう行っちまうのかい?またな」

  楽観主義者
new_ba7d70cca458777e2945bba9a21528de「じゃね~」

「しかし、さっきの店は一体何だったんだ・・・?まるでテレビアニメのような・・・そうだ、あれは確か『シンプソンズ』のキャラクターじゃないか?」ペシミストは、酒の酔も相まって著しく頭の中が混乱した。ということは、これは『夢』なのか?これは悪夢だ、そうに違いない。ここは三次元ではなく、二次元の「アンダーワールド」なのか?確かに、『シンプソンズ』ホーマー・シンプソンはアニメ界最大の「楽観主義者」かもしれない。しかし、さっきまで助手席にいたオプティミストではない。それは確かだ。ペシミストは再びオプティミストの行方を追って、この周囲をくまなく探すことにした。

主人公のペシミストは、未だに「過去」の亡霊(Ghost)に取り憑かれている。7曲目の”Ghost”では、アルバム『We're Here Because We're Here』”Angels Walk Among Us”のメロディを引用したリー・ダグラスのボーカル曲で、続く#8”Can't Let Go”でも同アルバムから”Get Off Get Out”を彷彿させるクラップを交えたポップなビート感とニューエイジ風のコミカルなアレンジが施されている。面白いのは、7曲目以降は気のせいかデヴィン・タウンゼンドのアルバム『Ghost』に精通するスピリチュアルな、それこそニューエイジっぽい雰囲気もあって、俄然そのコンセプトの理解を深める大きな要素になっている。

改めて、この『The Optimist』はアメリカ西海岸を舞台に繰り広げられるコンセプト・アルバムだ。このアルバムには、「90年代」のオルタナ/グランジをはじめ、ポスト・ロックやインストゥルメンタル、今流行りのEDMやエレクトロ、そしてジャズに至るまで、とりあえずエレクトロからのジャズって聞くと「おいおい、映画『ラ・ラ・ランド』かよ」ってなるんだけど、とにかく「過去」と「現在」の様々な要素が入り交じった闇鍋に近い音楽やってて、確かに「ソングライティング」の面では過去の「三部作」に劣るかもしれないし、そこは否定しない。なんだろう、どんなギミックよりも「ソングライティング」を創作活動における最重要課題として自由にライティングしてきた彼らが、初めて「コンセプト」に注視してライティングしてきた印象。それは曲間にSEの演出を挟んでアルバムの物語を構築している事からも、つまり「アルバム」のフォーマットを最大限に活かしたアルバムと言える。思ったのは、プロデューサーにトニー・ドゥーガンを迎えたことでガラッと作風が変わるかと思いきや、「過去」のanathemaと「現在」のana_themaがやってきた事を素直に踏襲しつつ、そこに新解釈を加えた結果でしかなくて、目に見えてトニー要素を感じる曲といえば”San Francisco””Springfield”、そして”Wildfires”だけなのが逆に功を奏していると思った。

俺は一体誰なんだ?!

周囲を探せど探せど、一向にオプティミストの姿は見当たらない。ペシミストは、長旅の疲れもあって、この日は近くのモーテルで一夜を過ごすことにした。憔悴しきった彼は、ベッドに横になると2秒で深い眠りについた。9曲目の”Close your eyes”は、これまでの奇妙な旅路の疲れを癒やすような歌詞とともに、リー・ダグラスの歌とトロンボーンとコントラバスがジャズバーのムードを醸し出し、それが心地よい子守唄となって彼を一層深い眠りへと誘う。すると再び「悪夢」がペシミストに襲いかかる。たちまち山火事の如し轟音ノイズが彼に襲いかかり、またしても「過去」のトラウマがフラッシュバックする。「もう手遅れだ...」・・・彼は「悪夢」にうなされる中でWho am I?(俺は一体誰なんだ?!)」と自問自答する。すると、ここで見覚えのある部屋と聴き覚えのある音に目が覚める。

そこには聴き覚えのある砂浜に波が打ち付ける音とともに、アコースティック・ギターを手にして弾き語る男が現れる。そして、「Back to the Start」というかけ声と鳴り止まない拍手喝采をバックに、この物語は大団円を迎える。すると目の前にいた謎の男は急に立ち上がり、ペシミストが泊まっている部屋の扉を開き、そしてこう呟いた。

How are you?

そして、物語が幕を閉じた後のシークレットトラックには、アコギを靡かせる中年の男とその子供の幼女が楽しそうに話す姿が映し出される。その男の顔はボヤケて分からない。そこにいるのは前世の自分か、それとも未来の自分か、はたまた平行世界の自分か、しかしそんなことはどうでもよかった。何故なら、目の前にいる彼はペシミストではなく、オプティミストとして「幸福」だったあの頃へと立ち返り、再び人生のスタート_ラインに立って人生の再出発という名の新しい旅路につこうとしているのだから。

再び人生のスタートラインに立った主人公は気づく。これまでの自分はペシミストの仮面を被ったオプティミストだったという真実に。後ろ向きの性格だったペシミストが、前向きな性格のオプティミストへと姿を変える。それはまるで繰り返しながら無限ループする「運命」のように、「終わりのないのが終わり」・・・主人公はオプティミストとして再び人生のスタートラインに立ったんだ。それはまるで約138億年前に起こったビッグバンから宇宙が始まったように。

今作の大きなキーワードとしてあるのが「線(_)」である。「線(_)」、それは「境界線」を意味している。この『The Optimist』における「境界線」は、あらゆる物事に対するメタファーであり、その一方で「光と闇」、「善と悪」、「絶望と希望」、「ana_thema」、「神とサタン」、「空条仗世文と吉良吉影」、「アルファとオメガ」、「黄金の精神と漆黒の意志」、「無と有」、「過去と未来」、そして「楽観主義者(オプティミスト)と悲観主義者(ペシミスト)」、それらのあらゆる「境界線」を繋ぎ合わせる意味での「_」でもあったんだ。つまり、ana_themaにおける境界線(_)の意味というのは、「過去」anathemaとの決別を表しており、それこそスティーヴン・ウィルソンが自らの半生を自伝化したようなメジャーデビュー作を発表したように、これはオプティミスト(ana_thema)ペシミスト(anathema)という過去と決別した事を示す一種の比喩的表現でもある。今作のアナ_セマの何が凄いって、まず2曲目の”Leaving It Behind”で「過去のアナセマ」と「現在のアナセマ」を曲単位で表現したかと思えば、アルバム単位ではペシミスト(悲観主義者)とオプティミスト(楽観主義者)という対比を用いてそのコンセプトを高めつつ、そして新しいバンド表記であるana_thema「_」で「過去との決別」と同時に「過去との結合」を図っているところで、実はこういったミステリー小説みたいな「謎」のギミックが好きなバンドなんですね彼ら。

確かに、この『The Optimist』『A Fine Day to Exit』にインスパイアされたアルバムだが、僕の解釈はちょっと違った。僕は今作を”Temporary Peace”における5分の無音部分から生まれた作品だと理解した。ご存知、『A Fine Day to Exit』のラストを飾るこの曲は、約18分のうち実質初めの5,6分が曲と呼べるもので、その後は浜辺(シルバー・ストランド・ステート・ビーチ)のさざなみのSEと病んだ男の声、それ以降は5分間の無音部分、そして最後には「隠しトラック(Hidden Track)」として”In the Dog's House”が収録されている。

「無」から何も生まれない。しかし、138億年前に起きたビッグバンにより宇宙が誕生した。このアルバムは、”Temporary Peace”の約5分間の空白部分を補完して未完成品を完成品にするように、つまりビッグバンと同じ原理で例えると「0から1」になる瞬間、「0」から生まれた「1の音楽」である。つまり、”Temporary Peace”の無音部分が「境界線(_)」であり、その「境界線(_)」の空白を埋めるのがこの『The Optimist』である。決して『A Fine Day to Exit』のパート2ではないという事から、この『The Optimist』はそれを補完する一つの「サイドストーリー」として解釈すべきかもしれない。

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アナ_セマはいつだってこの僕を「日本一のジョジョヲタ」へと押し上げてくれる。僕は以前からアナ_セマのフレキシブルな音楽遍歴と漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の「フレキシブルさ」は全く同じであると、上記の相関図を使って説明してきた。例に漏れず、今作の『The Optimist』『ジョジョの奇妙な冒険』と大きな関わりを見せている。

まず、数年ぶりにアップデイトした上記の相関図を見てほしい。面白いのは、前作の『Distant Satellites』『A Natural Disaster』の世界を「一巡」させたアルバムだとすると、今作の『The Optimist』は言わずもがな『A Fine Day to Exit』の世界を「一巡」させたアルバムと解釈できる。これをジョジョの各部に当てはめてみると、ジョジョ4部が『A Fine Day to Exit』であり、そして『The Optimist』が現在連載中のジョジョ8部『ジョジョリオン』だ。ご存知、ジョジョ4部とジョジョ8部『ジョジョリオン』は世界の「一巡前」と「一巡後」のパラレルワールドで、設定としては同じ杜王町を舞台にしている。もっとも面白いのは、ジョジョ7部『スティール・ボール・ラン』ではアメリカ大陸レースとかいうスケールのデカい物語だった反面、次作となる『ジョジョリオン』では一つの家族というスケールの小さいミニマムな世界観を展開しており、一方のアナ_セマも前作の『Distant Satellites』で宇宙規模の話をやった後、次作の『The Optimist』では「車の中」という超絶ミニマムなスケールで話を展開していて、これも『ジョジョリオン』の世界設定と密接関係にある。そして、歌詞の中にあるWho am I?(俺は一体誰なんだ?!)という物語の核心を突くような言葉も、まさに『ジョジョリオン』の主人公である東方定助が放った叫びとリンクしている。そして最後のHow are you?に関して、僕は『ジョジョリオン』のラストシーンを見ているような気がしてならなかった。

ご存知、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』は7部の途中で週刊ジャンプからウルトラジャンプに連載を移した。今回のana_themaにおける「境界線(_)」をジョジョに当てはめてみると、週刊少年ジャンプで連載していた「過去のジョジョ」と完全に決別したのが、この『ジョジョリオン』である。しかし、その『ジョジョリオン』は巷で駄作だと嘆かれている。それには同意するし、同意もしない。僕は『ジョジョリオン』のことを面白い駄作と評価している。確かに、『ジョジョリオン』はこれまでのジョジョシリーズとは全く異なる描かれ方をした全く新しいジョ_ジョだ。だから「これまでのジョジョ」と同じ読み方をしている人には駄作と感じてしまうのも仕方がない。

それでは、「呪いを解く物語」として2011年の3.11をキッカケに始まった『ジョジョリオン』における「境界線(_)」は一体どこにあるのか?それこそ「3.11以前の日本」と「3.11以降の日本」を繋ぐ、そして「3.11以降の日本」と「2020年までの日本」を繋ぐメタファーとして物語を紡いでいるんじゃあないか、ということ。よく映画の感想などで「メタ的な」とか「メタ発言」とか耳にするけど、この『ジョジョリオン』はまさに「3.11以降の日本」を「メタ的な物語」として描いた漫画なのだ。事実、3.11以降に浮き彫りとなったのは、SNSが関係した10代のイジメ問題、自殺問題、幼児虐待、ネグレクト、薬物問題、仮想通貨など、3.11以降の日本に降り掛かった一種の「呪い」を解く物語、そのメタファーとしての『ジョジョリオン』である。今の荒木飛呂彦というのは、まさにスティーヴン・ウィルソンダニー・キャヴァナーばりに「意識高い系」の漫画家なのだ。そして「日本一のジョジョヲタ」である僕は「意識高い系インターネットレビューマン」なのである!

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ana-themaの新作『The Optimist』が6月9日にリリース!

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前作の10thアルバム『Distant Satellites』から約三年ぶり通算11作目となる新作タイトルは『The Optimist』、意味は『楽観主義者』で、プロデューサーにはMogwaiをはじめ、国内ではくるりART-SCHOOLの作品を手がけたトニー・ドゥーガンを迎え、アイルランドのドニゴールとグラスゴーのスタジオで製作されたもの。アルバムのアイデア/コンセプトは、かのトラヴィス・スミス氏が手掛けたアートワーク的にも『 A Fine Day To Exit』の続編?、というか「完全版」みたいなアルバムになるとのこと。公開されたティザーの音源を聴くと、お馴染みのリー・ダグラス姐さんの凄艶過ぎる歌をフィーチャーしつつ、どこかほの暗い、もはや深淵の底まで到達した感のあるダークなサウンドで、自ら「挑戦的で予想外の音楽」と語るほどで、これは俄然期待しかない。
 

ねごと 『ETERNALBEAT』

Artist ねごと
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Album 『ETERNALBEAT』
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Tracklist
01. ETERNALBEAT
02. アシンメトリ
03. シグナル
04. mellow
05. 君の夢
06. DESTINY
07. cross motion
08. holy night
09. Ribbon
10. PLANET
11. 凛夜

DESTINY』のぼく
new_13「ねごとがNEXTステージへと向かうには【Satellites】のビートが必要だ(しかし、いくら優等生のねごとでも流石にできるわけがない!)」

    ねごと
蒼山幸子「できるわけがない!できるわけがない!できるわけがない!できるわけがない!」

   ぼく
new_20131031220005「ほら!『4回』も『できるわけがない』って言ったぁ!ねごとはオワコン!」

   ねごと
澤村小夜子「ANATHEMAの未来ことBoom Boom Satellitesと邂逅してシン・ねごとになったぞ」

  ぼく
new_UJ「なにそれすごい」

なんだろう、「運命の引かれ合い」って、漫画の世界の話だけじゃなくて現実の世界でも起こりうるんだなって、そう実感させられた出来事だった。僕は、2015年作のVISIONの時にねごとの事に対して、何の根拠もないままに「いま最も評価されるべきバンド」と断言したけれど、その言葉は何一つ間違っちゃいなかったんだって。
 
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というのも、その『VISION』から約3ヶ月後に発表されたシングルのDESTINYの時に、僕はねごとメンバーに対してANATHEMAの”Distant Satellites”みたいな曲が書けるかという『レッスン4 できるわけがない試練』を与えた。そのシングルのDESTINYで、ロックバンドとして一段と成熟した今のねごと「オルタナティブバンド」としてNEXTステージに行く為には、それこそ”Distant Satellites”みたいな実験的なロックを極めるしか他に道はないと。だから僕は前作『VISION』の時から記事中に【ANATHEMA】【Satellites】というキーワードという名の伏線を忍ばせていて、それ以降も事あるごとに執拗にねごとANATHEMAの存在をリンクさせてきた。



もっと面白いのはここからで、僕はねごと『VISION』を聴いた翌月に、(tricotに釣られて)名古屋クワトロでBoom Boom Satellitesのライブを観て、アルバムSHINE LIKE A BILLION SUNSを聴いて、そして【Boom Boom Satellites=ANATHEMAの未来】である事を確信した。ご存じのとおり、ANATHEMAは通算10作目となるアルバムDistant Satellitesの中で実験的な、それこそ「オルタナティブバンド」たる所以を証明するかのような、プログラミングやエレクトロな打ち込み系の音を駆使したダンサブルなサウンドを展開し、中でも表題曲となる”Distant Satellites”の鼓動を激しく打ち付けるようなエレクトロなビートとダイナミクスを内包したロックなビートが融合した姿は、まさにBoom Boom Satellitesの音世界そのものだった。
【2015年8月31日】ANATHEMA 奇跡の来日公演
【2016年5月31日】Boom Boom Satellites活動終了
【2017年3月19日】ねごとの『ETERNALBEAT』を書き上げる
【2017年3月20日】ねごとの『ETERNALBEAT』ツアーを観る(宇宙の終わり)
 
正直、あの時は「ねごとのNEXTステージはANATHEMAのDistant Satellites」だとか、「Boom Boom Satellites=ANATHEMAの未来」だとか、一体ナニを思って書いたのか自分でもよく分かっていなくて、そもそも自分は基本的にレビューを書く時に最も重視するのが「ひらめき」で、そしてスキあらば伏線を散りばめていく文章スタイルなのだけど、2014年にDistant Satellitesがこの世に爆誕して以降、その翌年の2015年にねごとANATHEMABoom Boom Satellitesのライブを観たこと、そして2016年にBoom Boom Satellitesが活動終了を発表するまで、それら一連の流れと伏線をまとめた上記の時系列を見れば、今回の『運命』すなわち『DESTINY』”引かれ合い”はその「ひらめき」が上手くハマった結果の出来事だったというのが分かるハズだ。というより、ここ三年はこのアルバムを書くためのちょっと長い準備期間だったのかもしれない。僕は常に、いつだってどんな時もどんな時もねごとの事を気にかけていた、というのは流石に嘘だけれど、ここ三年の僕は『地球』に存在しながらも『Satellites』という『衛生音楽』を介して『宇宙』を彷徨っていた、そんな気がしてならなかった。同時に僕は、2015年度BESTの記事の中で2015年は『繋がり』を強く意識させた年だと言及したけれど、その『繋がり』を感じた最もたる部分の一つが、他ならぬねごとを中心とした人物と音楽だったのは、今さら言うまでもない。

もう何を言いたいのかお分かりの方もいると思うが、このねごとは僕が与えた試練、その「答え」として、Boom Boom Satellitesが残した『魂』のビートを「受け継ぐ」ような形で、昨年の『アシンメトリ e.p.』、そして本作の『ETERNALBEAT』へと『繋がって』いる。その100点満点の回答に対して僕ができる唯一のことと言えば、赤ペン先生ばりに上から目線で100点満点の返信をするしかなくて、つうか、こんな回答出されたら100点付けて終わりじゃんこれ。俺もう何も言えねぇじゃん。「エモい」とか「泣ける」とか、そんなチープな言葉じゃ何も伝えられない。自分の語彙力のなさに泣けるくらい。というか、こんなとんでもねぇアルバム聴かせられたら、僕が何を書こうと『説得力』のカケラもないし、正直ナニも書けないからもうナニも書きたくないです。



ねごと
Boom Boom Satellites(ANATHEMAの未来)との邂逅という名の引かれ合いが実現した”アシンメトリ”は、シン・ねごとという名のシン・ブンブンサテライツ譲りのイントロから打ち込み主体のダンサブルな、鼓動を打ち付けるような音のビートが波紋のビートとなって体全体に刻み込み、中盤以降のアトモスフェリックな空間表現や崇高さ漂うコーラスワーク、そしてギターの残響音が宇宙を構成する無数無限の微粒子となり、それこそ【左右非対称】や【不均衡】という意味合いを持つ『アシンメトリ』という無数の四次元立方体(テッセラクト)が無限に不均衡に重なり合って、この『ETERNALBEAT』という名の三次元と五次元を繋ぐ『ワームホール』への入り口をこじ開けていく、その姿はまるで自らの手で『運命』『未来』を切り拓いていくねごとの生き様を、この宇宙この銀河の果てまで映し出すかのよう。

ねごとがデビュー当時から一貫してきた「オルタナティブ・ミュージック」への探究心は一つの極地へと到達し、この宇宙からもの凄く遠くて(Distant)、ありえないほど近い銀河の果てにある”ANATHEMA””Boom Boom”という2つの”Satellites=人工衛星”が取得した惑星データと量子データを応用して、相対性理論やくしまるえつこがソロで解き明かした宇宙最大の謎である「特異点」と同じ答えをワームホールに示し出し、そして遂にねごとは次元の壁を超えてThey=彼らと再会する。これにはえつこX次元へようこそとばかり、人工衛星マギオンからほくそ笑んでいるに違いない。冗談じゃなしに、今のシン・ねごとの比較対象ってその辺のガールズバンドじゃなくて、わりとマジでやくしまるえつこ率いる相対性理論だと思う。
 

ねごととダンスミュージックの融合、その相性はアルバムの幕開けを飾る表題曲の”ETERNALBEAT”から遺憾なく発揮されていて、前作のようなロック歌唱ではなくウェットでシットリした幸子(Vo,Key)のオトナ系ボーカルをリードに、この『ETERNALBEAT』という名の小宇宙の幕開けを飾るに相応しい、ミラーボールのようにカラフルなサウンドと永遠に鳴り止まない「始まり」のビートを刻んでいく。”アシンメトリ”と同じく、BBSの中野雅之氏がプロデュースを手掛けた#3”シグナル”は、クラブ系のイントロからバッキバキなエレクトロニカを効果的に鳴らしつつも、要所で幸子のボーカル&キーボードと瑞紀のギターでメリハリを効かせながら展開し、クライマックスではギターのリフとクラップで縦ノリ的な盛り上がりを見せる。

シングル『DESTINY』 の時に「グリッチホップっぽい」と一体どういう意図で書いたのか、自分でもよく分からないのだけど、この4曲目の”mellow”のグリッチホップ的なトラックを耳にしたら至極納得したというか、それこそ同シングルに収録された瑞紀が手がけた”シンクロマニカ”のリミックスという名の伏線を回収するかのような一曲だった。哀愁を帯びたメロディを歌いこなす幸子のボーカルと、そのリミックス風のクール&ドライなトラックが、絶妙な切なさとエモさを呼び起こすバラードナンバーだ。また幸子が奏でるマリンバのノスタルジックな音色が絶妙なアクセントとしてその存在感を示している。

まるで森田童子みたいなノスタルジーの世界へと誘うような、幸子の歌と小夜子と瑞紀のコーラスでゆるふわっと始まる#5”君の夢”は、ある種のドラムンベース的な疾走感溢れるビートを刻むトラックとファンタジックなプログラミングが、まるで白昼夢を見せられているかのような、摩訶不思議なシン・ねごとワールドを構築していく。



なんだろう、何度も言うけどこの”DESTINY”ってねごとの音楽人生、その未来を大きく変えた、言うなれば【特異点】だったと思うのだけど、なんだろう、「全てはここから始まった」じゃあないが、なんだろう、それこそ【過去のねごと】【現在進行系のねごと】【未来のねごと】を紡ぎ出すキートラックというか、なんだろう、ねごと『運命』すなわち『DESTINY』を繋ぐいわゆる四次元立方体(テッセラクト)的な役割を担っているのがこの曲で、このシン・ねごとによる『ETERNALBEAT』の実験的なアルバム前半の曲と、ex-ねごとらしいバンド・サウンド全開でお送りするアルバム後半の曲、それぞれ別次元に存在する粒子を同次元へと繋ぐワームホール、すなわち橋渡し的な役割を担っている。

この”DESTINY”という【特異点】を起点に、打ち込みを駆使したアルバム前半の実験的な流れから一転して、持ち前のエネルギッシュなバンド・サウンドを全面に押し出してくる。ROVOの益子樹氏プロデュースの#7”cross motion”やシングルにも収録された同氏プロデュースの#8”holy night”では、イントロからスペースワールド感&ピコピコ感マシマシの曲で、特に#7はガールズ・バンド界のレジェンドZONE愛を伺わせる幸子のボーカル・ワークが個人的にお気に入り。

アルバム終盤は、前作『VISION』のバンド・サウンドを継承した”Ribbon”、ゆるふわゲーこと『リトルビッグプラネット』風のゆるふわな世界観の中で軽快なロック・ビートを刻んでいく#10”PLANET”、そしてYUI”TOKYO”を彷彿とさせる切ない歌詞をエモく歌い上げる幸子の歌とバラエティ豊かな幅広いアレンジを効かせたアコースティックなトラックがサイコーなラストの#11”凛夜”まで、アルバム後半はex-ねごとらしいバンド・サウンド主体でありながらも、アルバム前半の実験的なサウンド・アプローチを受け継ぐ所はシッカリと受け継いでいる。とにかく、聴き終えた後の「余韻スゲぇ...なんだこのアルバム...宇宙かよ」ってなる。なんだろう、「傑作」とかそんな生半可なもんじゃあないです。単純に「僕の好き」が詰まってる。なんだこれ。

このアルバム、もはや『進化』というよりも『突然変異』と表現したほうが正しいのかもしれない。確かに、前作の『VISION』でド真ん中のストレートな、それこそ自分たちの中でナニかが吹っ切れたようなバンド・サウンドを展開していたねごとが、なぜ一転して打ち込み主体のダンサブルな縦ノリ系のバンドに変貌を遂げたのか?しかし、果たして本当に突然変異なのだろうか?元々、ねごとメンバーの4人が織りなすバンド・サウンドには、グルーヴィでアンサンブルな縦ノリにも横ノリにも強い、ロックバンドとしての柔軟性の高さとそのスキルが備わっていて、だからこの手の打ち込み系との相性もグンバツなのは聴く前から分かりきっていたし、そして何よりも以前からギターの沙田瑞紀がリミックス音源を通して「実験的」なサウンド×ねごとを散々試みてきた事もあって、むしろこの『突然変異』はイメージ通りでしかなかった。あの”アシンメトリ”にしても、そのまんまBoom Boom Satellitesのビートを借りてきたというわけじゃあなくて、あくまでもねごとがデビュー当時から一貫して探求してきた『宇宙』に対する強い”憧憬”と元々の素養から全ては内側から生まれ出た音であり、そのBBSから受け継いだ『魂』のビートと「ガールズバンドねごと」としてのファンタジックなポップネスが、ワームホールを抜けた先にある宇宙の果てでクロスオーバーした必然の結果に過ぎない。つまり、【彼ら=They】が作り出した五次元空間の中で見た【未来のねごと】は、その【彼ら=Theyの正体が実は【ex-ねごと】だったという宇宙の『真実』に到達していたんだ。

あらためて、今作はねごとの音楽的価値観が宇宙を一巡して一回り大きくなってスケール感を増した、シン・ねごとによるオトナ・サウンドを展開していく。彼女たちの音楽的な見識の広さとロック・バンドとしての柔軟性を垣間見せるような、それこそ「オルタナティブバンドとしてのねごと」が持つプライドとポテンシャルがビッグバンを起こした奇跡的な作品だ。楽曲のアレンジ力が格段にアップしたこと、特にトラック面の強化は目を見張るものがある。今作におけるボーカル&キーボード担当の幸子の歌は、無理に声を張り上げるような歌い方ではなく、非常に落ち着いていて相当耳障りが良くてオトナっぽいです。彼女の「ボーカリスト」としての成長および変化は、このアルバムの中で地味に大きな微粒子として存在しているし、ほんの微粒子レベルに些細なことかもしれないが、その微粒子レベルの変化が及ぼす大きな『バタフライ・エフェクト』は地味に評価されるべき所だと思う。単純に歌ってるメロディが心地いい。つうか、そろそろ幸子はANATHEMAヴィンセントChvrchesローレン・メイベリーみたいにドラム叩き始めそうな予感。
 
『繋がり』という点で言うと、シン・ねごとBoom Boom SatellitesROVOもソニー系列のバンドで、面白いことにANATHEMAも「彼らが最もオルタナティブやってた」と評される中期の頃に所属していたMusic for Nationsの親会社がソニー・ミュージックと合併してソニーBMGとなり(詳しくは『Fine Days: 1999 - 2004』参照)、そして2004年にMFNは正式に閉鎖され、ご存じそれ以降のANATHEMAは露頭に迷ってしまうのだが、しかし今思うと、その合併騒動がなければ【今のANATHEMA】は存在しなかったかもしれないし、そう考えると【バタフライ効果】【オルタナティブ】には”引かれ合う”「ナニか」があるのかもしれない。そういった些細な『繋がり』からも、ソニーがやってる事業で一番評価されるべきなのって、ソニー損保のCM事業でもゲーム事業でもなくて音楽事業だよなって再確認した次第。今のねごとは、ソニーの「モノづくり」に対する【オルタナティブ】な姿勢とその信念を受け継ぎ、それを守り続ける音楽界最後の砦、言うなれば「邦楽界のマシュー・マコノヒー」すなわち「シン・オルタナティブ・ヒーロー」だ。彼女たち4人の他に「代わりは、代わりはいないんだ」。

昨今は「ガールズバンド戦国時代」だなんだと囁かれているが、正直そんなことより「ガールズバンド戦国時代」という名の「殺し合いの螺旋」から降りた今のねごとの生き様に刮目せよと、「いま最も評価されるべきバンド」以前に、「いま最も面白いバンド」であり「いま最もカッコイイバンド」でもあり、そして「いま最もオルタナティブなバンド」がこいつらだって、今のねごとを正当に評価してから戦国時代だなんだと騒げよと、ハッキリ言って今のex-ねごとの前では「ガールズバンド戦国時代」なんて子供のお遊戯会でしかない。わかったか、ガルバンの当て振り鳩女ども。

実際にねごとは、「いま最も評価されるべきバンド」その根拠をこのアルバムで、宇宙最大の難問である「特異点」の方程式を解き明かすことで、それを証明してみせた。なんだろう、僕自身がこの『ETERNALBEAT』における『バタフライ・エフェクト』その一部の粒子として存在していた、な~んて勘違いも甚だしいのは重々承知の助だし、なんかもう「ありがとう...」それしか言う言葉がみつからないというか、こんなビッグバンレベルのアルバム出しちゃっていいのかよって。もう本当にナニも言えねぇ。当然、僕はこの【シン・ねごと路線】を全面的に支持するというか、ねごとはこれまで数々の伏線を辿ってきて『今』という『未来』を描いているので、やっぱ何も言えねぇし、やっぱ瑞紀サイコーだ。
 
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【9/1】 ANATHEMA 『ROCK OF CHAOS vol.2』二日目@恵比寿リキッドルーム

「ライオンキングみたい」

ANATHEMA二日目、待ちに待った一日目はあまりにも冷静を欠いた状態だったので、今だにあれは現実だったのか、はたまた夢だったのかすら理解できない状態だった。しかし二日目は存外落ち着いて鑑賞できた気がする。一日目と違って二日目はイス席で、しかも周りをガールに囲まれた状態になったから、「ANATHEMAはポスト-ジャニーズ系」とか思った。しかも僕の前方には可愛い子がいたりいなかったりで、この可愛い子がソルスターフィア目当てだったらクソ萌えるな...って思ったら、ソルスターフィア終演後にその可愛い子が連れの女性に「なんかライオン・キングみたい」とかいう感想を述べてて萌え死んだ。。。ということは、つまり彼女はアナセマフアンである事を暗に裏付けていて、「オイオイオイオイ、こんな可愛い子がアナセマフアンとか・・・ああ神様仏様」ってなった。この日のソルスターフィアは、一日目以上にフロントマンが演歌歌手さながらのスキンシップを観客へと図る。この日も短い持ち時間の中で強烈なパフォーマンスを印象づけていた。正直、ANATHEMAよりもソルスターフィアが日本で観れる事の方がレアだし、それこそ最初で最後の来日公演になりかねないくらい、とても貴重なパフォーマンスをシッカリと目に焼き付けた。

そしてANATHEMAの出番。メンバーが登場すると同時にダニーが「スタンドアップ!」と煽りを決める。そして一日目同様、バンド名を冠したANATHEMAから怒涛に幕を開ける。まるでこの世のカタストロフィや呪いを浄化せんとする世界観をはじめ、圧倒的な重厚感とスケール感が会場を覆い尽くすばかり。そして名曲アンタッチャブルパート1&2、からのザ・ロスト・ソングパート1~3までの組曲コンボを立て続けに披露し、確実にオーディエンスを殺りに来る。一日目にヴィンセントがセトリを変えると発言したとおり、このタイミングでArielをプレイ。リー姐さん主体の序盤からヴィンセントとの黄金のハーモニーを響かせる後半、そしてダニーによるアウトロまで、ライブではよりドラマティックな展開を見せる。その流れから日本初披露となるLightning Song~The Storm Before the Calmで会場をダンスフロアに変える。特にThe Storm Before the Calmは本公演のハイライトと言っても過言じゃあなかった。そして、ヴィンセントが「古いフアンに捧げる」的な事を言ってからのまさかのDeepという、最初期のデスメタル曲を期待したガチのオールドフアンの期待を他所に、もはや中期のフアンすら”オールド”であるという事実と、同時に今のアナセマとの違いを明確化するかのような一曲でもあった。正直、セトリを変えるにしても本編ラストの三曲と入れ替えかな~って予想してたから、まさか近年アナセマの代表曲であるThin AirとA Simple Mistakeを外すなんて思いもよらなかった。だからその予想外の展開はスゲー面白かったし、その二曲をセトリから外す勇気、外してもなお一日目を上回る神セトリを組める凄さ、ひとえにアナセマが持つソングライティングの賜物としか思えなかった。わかりやすい話→一日目がアルバム『We're Here Because We're Here』寄りのセトリで、二日目が『Weather Systems』~『Distant Satellites』寄りのセトリと言った感じ。だから、一日目のがバンド・サウンドを押し出したアグレッシヴな曲主体で、二日目はリー姐さん主体の癒し系というか横ノリ/ダンサンブル系が多めだった気がする。そういった意味では、二日目にガールが多かった事は幸運だったのかも? でもDeepが聴けた二日目のが絶対にレア度高い。しかしDreaming Lightを演らなかったのだけは『意外』だった。なんというか次回の来日公演までのお預け感凄い。あと二日目はサイドの立ち見を立入禁止にして代わりにカメラが入ってたので、もしかしたらワンチャン映像化ある・・・?でもダニーが肝心なところでピアノミスったのバレちゃうかららめえええええええええええええええ!

 『アナサーの姫プロジェクト』

これはアナセマもMCで強く言っていたのだけど、僕たちアナセマフアンは今回の来日に尽力してくれたマサ・イトーには感謝しても感謝しきれないです。もはや今年のBESTライブとかそういう次元の話じゃあなくて、もはや生涯のBESTライブ、いや僕の人生のピークがこの二日間だったと言っても決して過言じゃあないんだ。しかしアナセマは、「来年も来日するぜ!」的なマウスサービスをしてくれていて、是非とも来年のフジロックからの単独に期待したいところ。もう僕の人生のピークを超えるには、来年のフジロックで頭の弱そうな喋り方をした可愛いアナセマフアンをオタサーの姫ならぬアナサーの姫として祭りあげて、そしてアンタッチャブルパート1の時にアナサーの姫をアナサーのアナで囲って、「I had to let you go To the setting sun I had to let you go And find a way back home」と一般人を巻き込こんで数百人規模でシンガロングしながら一斉にジャンプするという、名づけて『アナサーの姫プロジェクト』を発足し実現させるしか他ないので、もし例の頭の弱そうな喋り方をした、なお且つソルスターフィアに対して「ライオンキングみたい」という名言を残したアナサーの姫がもしこのブログを見ていたとしたら、是非とも僕のツイッターかこのブログに直接ご連絡ください!僕の人生のピークを塗り替えるのはあなたしかいません!よろしくお願いします!どうか、この『アナサーの姫プロジェクト』に賛同頂ける方は拍手のほどよろしくお願いします!(圧倒的出会い厨)
 

???「スネーーク!まだだ!人生のピークはまだ終わっちゃいなーーい!」

セットリスト
1. Anathema
2. Untouchable, Part 1
3. Untouchable, Part 2
4. The Lost Song Part 1
5. The Lost Song Part 2
6. The Lost Song Part 3
7. Ariel
8. Lightning Song
9. The Storm Before the Calm
10. Deep
11. The Beginning and the End
12. Universal
13. Closer

SE Firelight

アンコール
14. Distant Satellites
15. A Natural Disaster
16. Fragile Dreams


「ピークが終わる、Vが目覚める。」
FTyrr
 

【8/31】 ANATHEMA 『ROCK OF CHAOS vol.2』@恵比寿リキッドルーム

神の中に悪魔を見た

今まで僕は、ANATHEMAは『神の使いだと信じきっていた。しかし、今回の初来日公演を観て、その考えが間違いだという事がわかった。ANATHEMAの音楽が黄金色に輝いていたのは、それこそ漫画『デビルマン』のラストシーンの如く、神の軍勢VSデビルマン=ANATHEMAの最終決戦、つまり悪魔の殺戮による神の 黄金の返り血 が、デビルマンであるANATHEMAを身体を黄金色に染め上げていたのだ。この初来日公演は、そんな狂気と恍惚が蠢くステージだった。そして、この初来日公演を観た日本一のジョジョヲタである僕は、ジョジョ8部『ジョジョリオン』が荒木飛呂彦流の『デビルマン』を描こうとしているのではないか? そんなキングクリムゾンばりの予測が脳裏に浮かび上がってきた。

…まあ、そんな冗談は置いといて→このライブを観て、やはり今のANATHEMAは究極のミニマルミュージックを体現していると確信した。とりあえず、初っ端からANATHEMAというバンド名を冠したアンセムによって、この日本に降りかかった呪いを解き放たんとする。ダニーによるあのピアノのメロディを浴びた瞬間、全身に鳥肌が逆立ち、まるで某X JAPANの出山ホームオブハート利三のように、リアルに涙で明日が見えなくなった。その『呪いを解く物語』から、ANATHEMA屈指の名曲アンタッチャブルパート1を披露する。イス席の客のナニを色々な意味でブチアゲる。この時のシンガロングは会場のオーディエンスを一つにした。パート2では、例の如くリー・ダグラス姐さんが登場し、その溢れんばかりの美声を会場に響かせる。手拍子の煽りを 受けた黄金の風を挟んで、最新作『Distant Satellites』から組曲ザ・ロストソングを立て続けに披露。結局のところ、このパート1は『デビルマン』の世界観を直に表しているといっても過言じゃあなくて、前作のアンタッチャブルと違って、イキ過ぎを抑制するダニエル・カルドーソによる俄然タイトなドラミングを軸に、ミニマルな音が繰り返し繰り返しぶつかり合って、最後には神の軍勢VSデビルマンばりの高みへと幾多の音をオーバードライブさせていく。再びリー姐さんをフューチャーしたパート2を挟んで、言うなればパート1の裏設定となるパート3では、いかに今のANATHEMAの音楽が究極のミニマルミュージックであるのか?を確信的に証明してみせる。そして、本公演のハイライトを飾るは、ダニエルのお気に入りであるA Sinple~だ。何もダニエルだけじゃあない、大多数のANATHEMAフアンがフェイバリットに挙げるであろうこの曲は、ミニマルな序盤から徐々にドラマティックに展開し、壮絶的かつ感動的なラストつまり極上のカタルシスを迎える。生で聴いたらマジで泣いちゃうんじゃあないかと思ってたけど、そのステージングがあまりにも迫真に迫る勢いで、泣くというよりも感極まり過ぎてただただ唖然とするしかなかった。ここまでの本気と書いてマジな流れに一息置くThe Begining〜、再び荘厳かつ崇高な世界観を引き連れるUniversal、本編ラストはヴィンセントのボコーダーボイスがクセになるCloser、ここでは作風同様ポストメタリックなヘヴィネスを際立たせる。

メンバーが引き上げると、間もなくSEが流れメンバーが再登場、SEの流れからアンコール一発目に最新作の表題曲を披露。あらためて、ここでも究極のミニマリズムを発揮する。そして、このライブでは新メンバーのダニエルカルドーソのドラミングが一つの聞き所となっている事に気づく。これまでドラムを務めていたダグラスは今回パーカッションでの参加となっているが(実質ツインドラム)、そのダグラスを窓際族に追いやるレベルのダニエルのドラマーとしてのポテンシャルが、このライブでは一際に輝いていた。とにかく、彼のドラミングには異様なグルーヴがあるし、今のANATHEMAに最も必要なメンバーと言っても過言じゃあない。再びリー姐さんをフューチャーした名曲A Natural〜では、ダニーが携帯のライトアップでステージを照らすようにオーディエンスに指示。しかし、いかんせん携帯の電池が30%を切っていた僕はその演出を泣く泣く断念。しかも充電器コッチに持ってくるの忘れたからリアルにピンチw で、アンコールラストには中期の名曲Fragile〜を披露し、旧来のフアンの心もシッカリと掴み取る。最後の最後はビートルズの曲に合わせてカンパーイw

ダニーによると二日目のセトリはちょっと変わるとかナントカ。そしてヴィンセントが来年も来日したい的な事を言っていたので、是非とも念願のフジロックに出てもらいましょう。ともあれ、オーディエンスに対するダニーの煽りがハンパなくて、色々な意味でANATHEMAはライブバンドであると証明するライブでもあった。そんなわけで、二日目も最高のライブになる事に違いないので、迷ってる人は死んでも観るべきライブです。つうか、感情の渦に飲み込まれて死ね。つうか、ここ最近安保だなんだ、ラブアンドピースだなんだと国会前で叫んでるシールズこそ、このANATHEMAのライブを観るべきなんじゃあないかって。ANATHEMAのライブを観てない輩がラブアンドピースを語るなんて笑止千万だ。本物のラブアンドピースはANATHEMAのライブにある、そう言い切れるほど実にピースフルでハートフルなライブだった。こんな幸せな空間は今まで経験した事がなかった。まさに、これこそ黄金体験』と呼ぶに相応しい、約1時間50分の『奇跡体験アンタッチャボー』だった。ちなみに、アイスランド出身のソルスターフィアは持ち時間が短いなりにも十分なインパクトを残せたと思う。特に、演歌歌手のように観客席に降りて客と握手して回ったフロントマンw 肝心のパフォーマンスはサザンブラックみたいで、とにかくシブさがハンパなくカッコ良かった。でもイス席ありの特殊なライブだったからメンバー的に少し戸惑いもあったのかなー。

セットリスト
1. ANATHEMA
2. Untouchable Part, 1
3. Untouchable Part, 2
4. Thin Air
5. The Lost Song Part 1
6. The Lost Song Part 2
7. The Lost Song Part 3
8. A Simple Mistake
9. The Beginning and the End
10. Universal
11. Closer

SE Firelight

アンコール
12. Distant Satellites
13. A Natural Disaster
14. Fragile Dreams

PS. お前らダニーやヴィンセントだけじゃなくてジミーちゃんにも声援を送ってやれよ…
PS 2. 会場BGMにDEPソロやカタトニアやCrosessの曲が流れててニヤリ
PS 3. スターレス高嶋いた?セーソクいた?

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