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墓っ地・ざ・ろっく!

2022年度BEST

結束バンド - 結束バンド

Artist 結束バンド
20221107233007

Album 結束バンド』
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Tracklist
01. 青春コンプレックス
02. ひとりぼっち東京
03. Distortion‼
04. ひみつ基地
05. ギターと孤独と蒼い惑星
06. ラブソングが歌えない
07. あのバンド
08. カラカラ
09. 小さな海
10. なにが悪い
11. 忘れてやらない
12. 星座になれたら
13. フラッシュバッカー
14. 転がる岩、君に朝が降る

陰キャならロックをやれ!!!

昨年の10月某日、いつもの日課でAmazonプライムビデオを立ち上げてみると、黒光りしたギターを抱えたピンクジャージ&ピンクヘアーの二次元キャラがこちらを見つめながら独りぼっちで佇んでいたので、「おっ、『けいおん!』の二番煎じアニメか?」と察するも、ちょうど暇だったから軽い気持ちでそのアニメ一話目を視聴した結果→2秒で「こーれ覇権です」と確信したのが、2022年度のアニメ業界を震撼させた『ぼっち・ざ・ろっく!』に他ならなかった(もちろん原作の存在すら知らなかった)。

何を隠そう、アニメ最終話を迎えて絶賛ぼっちロス状態と化した世界中のオタクたちを救済する聖杯、すなわち主人公の後藤ひとりを中心とする結束バンドの記念すべきデビューアルバムのリリース日であるクリスマスの二日前(イヴの前日)に、結束バンドならぬ(尿管)結石バンドを結成して独りもがき苦しんでいた超個人的な黒歴史はさて置き、いわゆるサブカルの聖地とされる東京の下北沢(シェルター)を舞台に紡ぎ出される『ぼっち・ざ・ろっく!』は、「まんがタイムきらら」にて絶賛連載中の原作漫画の作者はまじあき先生がアジカンに代表される00年代以降の邦ロックフリークである事からもわかるように、それこそ登場人物の名前をアジカンメンバーの名字から拝借したり、アジカンの楽曲タイトルをアニメ各話のタイトルとして引用するほどのアジカンフリークだ。そして、この結束バンドのデビュー作も(原作/アニメに負けず劣らず)00年代以降の邦ロックの文脈がサウンドの根底に脈々と流れた傑作となっている。

まずアニメの内容に関しても(アニメ版『惡の華』さながらの)ロトスコープアニメばりにヌルヌルと動くスムースな作画/流動的な演出をはじめ、それこそアジカンが主題歌を担当した森見登美彦原作のアニメ『四畳半神話大系』や『ピンポン』を手がけた=湯浅政明アニメに通じるシュールなギャグ要素を継承した世界観の中で、その奇抜なビジュアルで注目される八十八ヶ所巡礼や幾何学模様さながらのサイケロック然としたトリップな演出、実写の(ダム)映像やクレイアニメを駆使した実験的な演出、中でも2022年における「もう一つの覇権アニメ」こと『サイバーパンク エッジランナーズ』と共鳴するかのようなノイズ/グリッチ、さしずめハイパーポップ的な演出はあまりに衝撃的だったのと(「ぼっち・ざ・らじお!」#9参照)、個人的に2022年に視聴して最も印象的だった90年代アニメの『serial experiments lain』と奇しくもシンクロする一般相対性理論ネタが含まれていた点も、MBTI診断の結果がINTP-Tだった僕が『ぼっち・ざ・ろっく!』にドハマリした要因の一つで、2022年を象徴する覇権アニメとして世界的に大成功を収めた理由の一つだろう。少なくとも、今から十数年前にバンドブームを巻き起こした同「まんがタイムきらら」の4コマ漫画をアニメ化した『けいおん!』とは一線を画す作品と言っていい。


『ぼっち・ざ・ろっく!』の世界的な成功はアニメのみならず、メディアミックスの一環として結束バンドが昨年のクリスマスにセルフタイトルの1stアルバム『結束バンド』を発表するやいなや、単なる音楽系アニメにありがちな内輪向けのメディアミックスのソレとは明らかに違う、あたかも本当に実在するバンドさながらの絶大な人気と注目を集める事となった。結束バンドが世に放った渾身のアルバムは、正直ここまでギターロックとして本格的な志向を持った音楽アニメ/アニソンはかつて存在しただろうかってほど、その「ロック」を題材とした作品ならではの実に音楽的なアプローチは、国内外のアニヲタのみならず世界中のロックファンを魅了し、その熱狂的なバズ現象を裏付ける証明として、結束バンドの楽曲は今なおビルボード/ストリーミングのバイラルチャートを大いに賑わせている。

当事者含む業界からは「ロックはオワコン」と揶揄され、終いにはTHE LAST ROCKSTARSとかいうクソダサバンドがイキリ散らかしてしまう現代のロックシーンに対して、UKパンクロックを代表するThe Clashの「白い暴動」ならぬ「ピンクの暴動」とばかりのアナーキズムを以って権威に抗うかのごとし、さしずめ「結束バンドなりのガールズロックバンド革命」の狼煙を上げる“青春コンプレックス”からして、それこそイントロから聴こえてくるL側のカッティングはtricotのKDMTFことキダモティフォが、R側すなわちぼっちちゃん側のトリッキーなフレーズは、まるで赤い公園のギターヒーロー津野米咲先生が愛機のフェンダーをかき鳴らしているようにしか自分の耳には聴こえなくて自然と涙が溢れた(自分の耳がバグってる可能性大)。確かに、そんなことは物理的に絶対ありえない話ではあるんだけど、とにかくアニメのオープニングを担う“青春コンプレックス”の左右のステレオ感を強調させたギターワークを耳にした瞬間に、自分の中でぼざろの覇権は確定したんだ。


中でもサビの前にLRLRと空間をカッティングしていく、さしずめ音響系というか残響系のオルタナティブなアプローチ、および津野米咲先生さながらのフェンダーイズムを感じさせる遊び心に溢れたギターワークに関しても、それこそガールズバンド繋がりのかてぃ率いるHazeを頭ん中に想起させると同時に、赤い公園の初期の名盤である『透明なのか黒なのか』に(“副流煙”も)収録された“透明”とHazeの“煙霧”が否応にもシンクロニシティとオルタナティヴェートを引き起こした。つまり、二次元(アニメ)の世界から飛び出した結束バンドがリアルの世界で対バンすべき相手こそ、リアルの世界でぼっちちゃん顔負けの“引きこもりロック”を歌ってるHazeしか他にいないと思う。

この『結束バンド』は、現代の邦ロックを代表するKANA-BOONの谷口鮪が“Distortion‼”の作詞/作曲を、世界を股にかけるtricotのイッキュウ中嶋が“カラカラ”の作詞/作曲を、そしてガールズバンドthe peggiesの北澤ゆうほが“なにが悪い”の作詞/作曲を手がけるなど、その他著名なミュージシャンがコンポーザーとして参加している。HAKO-BOONの谷口鮪が担当した“Distortion‼”は、ギター/ボーカル担当の喜多郁代の活発的(陽キャ)な性格に則ったザ・アニソンらしいアップテンポな青春ロックナンバーで、一方でイッキュウ中嶋が手がけた“カラカラ”はtricot節としか他に形容しようがない“メタルリフ”を駆使したマスロック然としたサウンドの中に、イッキュウ中嶋がボーカルを担うジェニーハイでもお馴染みの川谷絵音のソロプロジェクトこと美的計画的なエッセンスを感じるベーシストの山田リョウのウェットなコーラスが映えるし、北澤ゆうほが手がけた“なにが悪い”はアニメ『るろうに剣心』のOPでも知られる川本真琴の“1/2”のオマージュで、CV.内田まれいの伊地知星歌を姉に持つドラマーの伊地知虹夏(僕の推しメン)の歌声にウッテツケのカラッと乾いた雰囲気がアルバムに多様性をもたらしている。

この『ぼっち・ざ・ろっく!』における象徴的な存在、そして絶対的な関係でもあるアジカンの背中を見続けてきた、KANA-BOONやtricotに代表される中堅ロックバンドとともに10年代の邦ロックシーンを深紅色に彩ってきたのが、本来であれば『結束バンド』の作詞/作曲者としてクレジットされていたであろう赤い公園すなわち津野米咲先生の存在、その2010年代の邦ロックシーンを語る上で欠かせない、そして決して忘れてはならない、忘れてやらない存在が“透明”のように透けて見えた、いや...量子物理学を介して実態としてそこに存在していた事が既に泣けるというか、もはや生半可な言葉では表わすことのできない真の「エモさ」を結束バンドが奏でる音楽から感じ取ることができた。事実、アニメの記念すべき一話目で主人公の後藤ひとりとドラマーの伊地知虹夏が運命的な出会いを果たす場所が、“赤いベンチ”の代わりに“転がる赤いジャングルジム”が設置された「公園」だという偶然も俄然エモく重なって涙腺にキターン!

また、赤い公園のオリジナルアルバムのタイトルには“ある法則”が存在する。例としてメジャーデビュー作となる『公園デビュー』を挙げると、【公園】+【デビュー】というように【漢字(二文字)】+【カタカナ】の組み合わせで表記を統一しており、奇しくも【結束】+【バンド】の『結束バンド』と全く同じ構図というわけ(遺作となった『THE PARK』だけがローマ字表記)。何が言いたいかというと、この『結束バンド』を聴いてる時につい「うっせぇわ」とツッコミたくなっちゃうほど、コンプかけまくった音圧のエグさとか諸々の偶然を含めた猛烈なデジャブ感は、まるで赤い公園の名盤『猛烈リトミック』を聴いている瞬間と同じ、その唸るような「歪」の一文字に集約されているんですね。正直、この真実にたどり着いた時は「何も言えねぇ」っつーか「そんなことある?」って。もちろん、原作者のはまじあき先生が赤い公園を聴いているか否か、なんて知る由もないけど。

CV.ソノヤ・ミズノ「そんな偶然は存在しないわ

実在する邦ロックの現役バンドマンを迎えた楽曲の内容も、ギターをはじめ各楽器に対するこだわりが如実に伝わってくるサウンド・プロダクションに関しても、『けいおん!』はじめ従来のアニメ/アニソンの枠組みを超えた本作品。アニメ最終話「君に朝が降る」では、ぼっちちゃんと喜多郁代が通う秀華高校の文化祭(秀華祭)で演奏している最中に、ギターの弦が切れたぼっちちゃんが咄嗟に変則ボトルネック奏法で神アレンジした“星座になれたら”は、竹内まりやを象徴とする古き良きファンキーなシティポップを原点としつつ、やくしまるえつこ率いる(一般)相対性理論のメルヘンチックなサブカルワールドを(伏線回収とばかりに)経由して、そして何かとシティポップ・リバイバルが話題に挙がるこの昨今に、まるで“透明”になった津野米咲先生の作詞/作曲スキルを拝借した結束バンドが令和代表として紡ぎ出すような、さしずめ“シモキティポップ”とでも呼ぶべき名曲の一つで、もはや某「めざましテレビ」のテーマソングに採用されても全然おかしくない。それこそ、アニメ『四畳半神話大系』のOP曲がアジカンで、相対性理論のやくしまるえつこがED曲のマイクを握っている点からも、ありとあらゆる伏線を回収するキーラーチューンと言えるかもしれない。また、奇しくもサンフランシスコ出身のZ世代ぼっちアーティストのdynasticの新作において、森見登美彦の原作を湯浅政明監督がアニメ化した映画『夜は短し歩けよ乙女』から星野源と花澤香菜さんのセリフをサンプリングした件は、何度も繰り返すけど偶然にしては面白いシンクロニシティだと。

「転がる岩、君に朝が降る」

そんなアニメ本編のクライマックスを飾るに相応しい名曲に引き続き、ほんのりローファイなイントロからして”ブッ壊れローファイメンタル”ことぼっちちゃんの陰気ャかつモノクロームな性格が具現化したような“フラッシュバッカー”は、もはやオルタナはオルタナでもドリーム・ポップやシューゲイザーに肉薄するノイジーな歪みとリヴァーブを効かせた、音響意識マシマシのエモエモの激エモアリーナバラードとなっている(例えるならtricotの“artsick”的な)。そして、この神がかり的なアルバム終盤の流れを締めくくる=大トリを飾るのが、「歌うこと」だけは「むむむむむむ無理」と頑なに断固拒否していた“ぼっちちゃん”こと主人公の後藤ひとりを見事に演じきった天才声優青山吉能だからこそ成せる、アニメ最終話ではEDとして起用されたアジカンの“転がる岩、君に朝が降る”の神カバーだ。

このご時世だからこそ脳髄にブッ刺さるリリックと、校内放送でデスメタルを流しちゃう中二病を患った陰キャらしいイキリと、Z世代のサブカルモンスターことParannoulとシンクロ率100㌫の内省的な感情が露呈した、それこそ熊本県出身の青山吉能が福岡県出身のYUIのデビュー当時さながらの刹那と焦燥に駆られて激しく狼狽する歌唱法(息遣い)を以ってアジカンの名曲を歌いこなす神業には素直に感動させられたし(ゴッチ版より好き)、最終話のEDでこの神カバーが流れた時は「こーれ覇権超えました」ってね(ぼっちちゃんのソロやアウトロのギターフレーズが微かにデフヘヴンをフラッシュバッカーさせてイーモゥ)。とにかく、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』と『結束バンド』における「エモさにピーク」にアジカンのカバー曲を持ってくる粋なニクい演出まで、原作漫画を起点としてアニメ→バンドというマルチメディアムーブが完璧すぎて、あまりに神がかりすぎて、アニメ最終話からしばらく経った今でも信じられない自分がいる。もはや特別枠として今年のサマソニに出演させるべき存在です。

今はただ「これ描いて死ね」ならぬ「これ聴いて死ね」としか他に言葉が出ない。でも、今このレビューを書き終えて、自分の中でようやく正真正銘の覇権アニメとして、本当の意味で最終回を迎えた気がする。だから二期はよ(先に伊地知姉妹の映画化もあり)(アーティストとして活躍するまれいの起用は、そこまでの可能性を見込んでの事だと思いたい)。

Trhä - Vat gëlénva!!!

Artist Trhä
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Album 『Vat gëlénva!!!』
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Tracklist
01. Ljúshtaeshrhendlhë jecan glézma
02. Grã sôhhlen bem rhôn trhãthàs
03. Ödënthändelä vòn la gönmëtwa
04. Sëtrharhanlha
05. Jadështahhdlha nudahhhana dëvét

イリノイ州郊外のオークパーク村を拠点に活動する、97年メキシコ生まれの若き才能ことThét Älëfによる独りブラックメタル・プロジェクト、その名もTrhäの5thアルバム『Vat gëlénva!!!』の何が凄いって、それこそJRPGの地下ダンジョンで流れるBGMみたいな、(アンダーグランドシーンのトレンドでもある)シンフォニックなダンジョン・シンセをフィーチャーした、生々しい狂気とファンタジーな幻夢世界が入り乱れる規格外のロー・ブラックメタルで、今年の3月と8月に発表した二枚のアルバム、というより全一曲でトータル40分超えの長尺という、それこそCD買取が停止されつつあるストリーミング時代におけるマージンの存在を真っ向から否定するかのような彼の規格外っぷりを象徴する近作に引き続き、今年に入って三作目となる本作においても一曲の尺が10分を優に超える、全5曲トータル65分という超尺志向を踏襲しながらも、(近作におけるブラックメタルとモダン・クラシカル~ミニマル・アンビエントがスムースに往来する喜劇的な狂想曲さながらの)それこそAAAタイトルの大作RPGさながらの起承転結を効かせたドラマ仕立ての楽曲構成は、その確かなソングライティングに裏打ちされた、それこそガンキマってる発狂アートワークに裏打ちされた、長さを全く感じさせない唯一無二の魔力(ホーリーシー)を放っている。

近作におけるローファイ・ブラックメタルというよりは、ロー・ブラックメタル然としたソリッドなキレと殺傷力高めのメロブラ的なリフや粗暴なブラストビートをはじめ、オールドスクールのブラックメタルの要素で構成された深界一層の#1“Ljúshtaeshrhendlhë jecan glézma”、在りし日のShining(SWE)を連想させるスーサイダル~デプレッシブ・ブラックメタルならではの内省的な自傷作用を促しながら、気づけば深界二層の上昇負荷の影響を被るダンジョンに迷い込み、そして浄化作用を促す終盤のドラマティックな展開に圧倒される#2“Grã sôhhlen bem rhôn trhãthàs”、まるで「踊れるブラックメタル」と言わんばかりに、昭和モダン風の魅惑的な香りが施されたシンセによるクサメロ的な旋律と、地下ダンジョンの迷宮の如し転調と緩急を織り交ぜながら、緻密な地形に合わせて様々な表情でプレイヤーを迎え入れる深界三層の#3“Ödënthändelä vòn la gönmëtwa”、一転して近作におけるモダン・クラシカルな優美さ及びシンフォニックな大仰さと超絶エピックなスケール感をまとった、それこそD F H V NLiturgyさながらの現代的なブラックゲイズ然とした激情的な荒涼感に包まれて成れ果てと化す深界四層の#4“Sëtrharhanlha”、そして深界五層の呪いにかけられたような混沌蠢く絶望感に苛まれる#5“Jadështahhdlha nudahhhana dëvét”まで、そのオカルティックな黒魔術を唱えるかのごとしアトモスフェリックでプリミティヴなブラックメタルは、それこそ今作を聴き終えた後には二時間映画の鑑賞後の満足感と脱力感が味わえる。なんだろう、感覚的にはブラックメタルの文脈でというよりは、Bandcamp界隈でもお馴染みのsonhos tomam contaと同じ文脈で語るべき存在なのかもしれない。

Cryalot - Icarus

Artist Cryalot
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Album 『Icarus』
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Tracklist
01. Touch The Sun
02. Hurt Me
03. Hell Is Here
04. Labyrinth
05. See You Again
06. Labyrinth (Edit)

「そういえば最近ケロケロボニト見かけないな?」と思ってるそこのYou、KKBは2018年作の2ndアルバム『Time 'n' Place』以降はコンピレーションやシングルを継続的に発表してるし、当時に俺ィも一回以上は聴いた記憶があるけど、いかんせん自分の中では1stアルバムの『Bonito Generation』ほど刺さらなかったのも事実っちゃ事実(内容はめっちゃ良いはずなのに)。とは言いつつも、ポップラップ・デュオ100 gecsの曲でCharli XCXと共演してたのは流石に「売れすぎじゃね?」と驚かされたし、サラ・ボニト自身も寺田創一らの日本のミュージシャンとコラボしてるみたいだけど、それに関しては全くノーマークで追えてなかった。しかし何を隠そう、それこそケロケロボニトの1stアルバムぶりに全身にブッ刺さったのが、他でもないサラ・ボニトのソロ・プロジェクトCryalotのデビュー作となるEP『Icarus』だった。

この記念すべきデビュー作について書いていく、その前に『amo』以降のBring Me The Horizon、およびフロントマンのイーモゥボーイことオリヴァー・サイクスの不可解なムーヴを語る必要がある。というのも、バンドでは問題作の『amo』におけるグライムスとのコラボを皮切りに、2020年作のEP『Post Human: Survival Horror』においては、女性の権利とLGBTQ差別を訴えるアシュニコに見せかけたNova Twinsや膝から流血ボーイのヤングブラッド、すなわちプレイリスト「misfits 2.0」文脈との共演、その翌年に発表したポスト・マローンオマージュのシングルこと“DiE4u”をハイパーポップアーティストにリミックスさせたかと思えば、オリィ個人ではロシア・モスクワの反政府ユニットである(既にロシアを脱出したと噂の)IC3PEAKやフィリピン系オーストラリア人のdaineとの多様性溢れる共演、極めつけにはNY/LAを拠点とする中国出身のハイパーポップアーティストAlice Longyu Gaoと一緒にバッキバキに加工されたプリクラをフィーチャーしたパリピなMVと、もう一方でWACKアイドルのASPさながらのブッ飛んだサイバーパンクなMVを2パターン撮ってて、「あぁ、これがHYPE BOYか...」と全てに納得した。


それらの「misfits 2.0」文脈を中心とした一連のコラボムーヴの終着点こそ、昨今のポップパンク・リバイバルの立役者であり、現代ロックシーンにおいて良くも悪くも揶揄の対象であるMGKことマシンガン・ケリーとBMTH(オリィ)のコラボに他ならない。一見すると「何がしたいねん」とツッコミ不可避かつ不可解なムーヴに見えるかもしれないが、数年前の『amo』という問題作を全ての起点として、約3年をかけて今をときめくMGKとのコラボにたどり着くオチまで、正直ここまで「筋」の通ったムーヴをキメるバンドも今どき珍しいんじゃねぇかってほど。とにかく、改めてBMTHおよびオリィにはリスペクトしかないし、身をもって「全ては繋がってる理論」を再確認させられた次第である。

要するに、現代ロックシーンの広告塔(インフルエンサー)を担うラスボスとしてのMGKBMTH(オリヴァー・サイクス)の共演は必然っちゃ必然であり、それこそ日本のsic(boy)やサンフランシスコのdynasticは、MGKを長とするポップパンク/エモ・リバイバルのムーブメントを象徴する次世代アーティストの一人として、その名声を高めている真っ只中だ。それに関連した話で言うと、MGKBMTHおよびオリィAlice Longyu Gaoのコラボレーションというのは、sic(boy)から影響を受けている日本のハイパーポップアーティストを代表する4s4kiとニューヨークのPuppetが共演した某コラボ曲へのアンサーソングであると、いわゆる“シン・薩英同盟”を締結させた“日本の俺ィ”の中ではそう解釈することにした。

確かに、確かにその件とサラ・ボニトは全然関係なくね?と思うかもしれんけど、個人的にBMTH(オリィ)MGK(終着点)のコラボについて一旦このタイミングで書いておきたかった、それこそ伏線回収しておきたかったネタでもあるし、何よりもサラ・ボニトのソロ・プロジェクトであるCryalotが既に「misfits 2.0」の文脈にガッツリ食い込んできている、さしずめ「サラ・ボニトなりのハイパーポップ」を真正面からやってきてるんだからしょうがないというか。それこそ、今回の伏線の一つとしてある「misfits 2.0」文脈の陽キャであるPoppyの存在に、イギリスの陰キャであるサラ・ボニトが触発された説まである。ともあれ、ここまで全てが繋がってんのマジでヤベーっつー話。

それこそCryalotのアーティスト写真からして、KKBのバブルガム/ポジティヴなイメージからは一線を画した、まるで百戦錬磨のハイパーポップアーティストさながらの地獄オーラを放っている。そんなサラ・ボニトの言わば“裏の顔”が落とし込まれた『Icarus』は、幕開けを飾る一曲目の“Touch The Sun”からして、アンビエント~トリップ・ホップばりにチルい冒頭の音響的な雰囲気から一転、さながらDJサラがプレイするクラブミュージック、あるいはEDM然としたバッキバキの低音を効かせた本格志向のトラックを打ち込んだ曲で、KKBにおける野郎のトラックメイカーが生み出すガムクチャなサウンドとは明確な違いを打ち出している(ほのかにBOOM BOOM SATELLITESっぽいかも)。その一方で、ポンキッキーズのテーマ曲に採用されてもおかしくないKKB譲りのバブルガム・ボニト味をウリとする二曲目の“Hurt Me”、そしてBMTHのオリィが仕切ってるプレイリスト「misfits 2.0」文脈のド真ん中をブチ抜くシングルの三曲目“Hell Is Here”は、それこそハードコア精神に溢れたシャウトでFワードを含んだ内省的なリリックを吐き散らす、カナダのDana DentataZheaniさながらのカオティックなホラーコアを繰り広げる。


先述したKKBの1stアルバムに肉薄する最大の要因、それほどまでに自分の胸にブッ刺さった曲が四曲目の“Labyrinth”と五曲目の“See You Again”である。前者の“Labyrinth”はコーラスのリフレインがJ-POPっぽい、というより最近の代代代を彷彿とさせるグリッチ・ポップ的な、それこそ久石譲さながらのメランコリックでノスタルジックな雰囲気をまとった曲で、例えるなら『最終兵器彼女』に代表される00年代のセカイ系サブカルアニメさながらのディストピアな世界観が、不協和音を奏でながら徐々に崩壊していく様子を描くグリッチーなアプローチを打ち出す。


後者の“See You Again”は、Grouperさながらのノスタルジックなアンビエント・ポップをバックに、『進撃の巨人』の地ならしにより焦土と化した地上にただ独り、「Ah~」という祈りにも近い歌声と『破壊と創造』の美学を謳うオリジナルの日本語詩のセリフを朗読するポエトリーガールさながらの姿は、日本のポエトリーラッパーを代表する春ねむりが今年リリースした最新作の『春火燎原』において、宮沢賢治の『よだかの星』を朗読した彼女のポエトリー・リーディングはもとより、既存のJ-POPとは一線を画すユニークなトラックメイクと否応にも共振するし、まるでサラが抱える心の闇の焦燥と刹那を含んだ中盤の呼吸SE以降は(映画『猿楽町で会いましょう』の主題歌“セブンス・ヘブン”のサンプリングっぽい雰囲気)、次世代ノイズバンドのmoreruさながらのシューゲイザーを経由したアンダーグランド・ノイズのヒリついたアプローチから(~離のポエトリーをフィーチャーした某曲も伏線)、後半はストリングスを交えた青葉市子風のニューエイジ~インディポップへと流動的に姿形を変えていく。

(先述したように)これ以上ないタイミングとあらゆる意味で、日本のSSWである春ねむりを想起させる(誤解を恐れずに言うと)J-POP的なムーヴは流石に確信犯だと思う(もはや俺ィが今回のレビューを書くことすらサラは確信してそう)。というのも、何を隠そう、春ねむり自身も今年リリースした『春火燎原』において、日本の気鋭ハイパーポップアーティストをプロデュースに迎えた楽曲を書いている。そのハイパーポップに対する見識やハードコアなシャウトを含めた音楽的な要素のみならず、同ロンドンを拠点に活動する世界的な歌姫リナ・サワヤマとクィア・アーティストとしての立場を共有するドリアン・エレクトラとKKBのコラボ曲を発表しているのも、心にレインボーフラッグをはためかせている春ねむりの世界観、およびIC3PEAKの盟友プッシー・ライオット派閥のフェミニスト/ライオット・ガール然としたパンキッシュな思想および価値観を(間接的に)共有していると言っても過言ではない。よってサラ・ボニトのソロ・プロジェクトであるCryalotの存在も、BMTHおよびオリヴァー・サイクスと同じベクトルで「筋」が通り過ぎている。もはや春ねむりとツーマンしてる未来が視えるほど、とにかくイギリスの才能と日本の才能が高らかに共鳴し合っててガチでemo(イーモゥ)い。

改めて、春ねむりの新譜やBMTH×MGKのコラボ、sic(boy)dynasticの次世代アーティストが台頭し始めたこのタイミングで、それらの伏線を回収するかのような一直線に「筋」の通った作品を出してくるのはガチで凄いとしか言いようがない。さすが名古屋県生まれとしか言いようがないし、本作の内容も「こーれ天才です」としか他に言いようがない。ともあれ、このレビューの考察を「信じるか信じないかはあなた次第」ですけど、少なくとも今年のベストEPであることだけは確かです。

Crestfallen Dusk - Crestfallen Dusk

Artist Crestfallen Dusk
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Album 『Crestfallen Dusk』
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Tracklist
01. Beneath The Cool, Calm Soil
02. The Blackness Come Creepin' In
03. Burn In Hell
04. Our Old, Rotting Cabin
05. On The Outside Of Town
06. My Clouds Have Not A Silver Lining

1900年代前半に米国南部でアフリカ系アメリカ人の間から生まれたブルースを著しく発展させた60年代のブルース・ロックと現代のブラックメタルをエクストリーム合体させたのが、スイス出身ニューヨーク在住のマニュエル・ギャノーによる音楽プロジェクトことZeal & Ardorだとするなら、この米国南部はテネシー州出身のライアンとショーンによる2人ブラックメタルプロジェクトのCrestfallen Duskは、ブルースはブルースでも特に呪術的とされる“ミシシッピ・ヒル・カントリー・ブルース”を代表するR.L. バーンサイドやジュニア・キンブロウの影響下にあるブルース・ロックをはじめ、先日伝記映画となり話題を呼んだエルヴィス・プレスリーばりにファンキーなカントリー/アメリカーナと、ミネソタの独りブラックメタルことPanopticonさながらの「ただ独り」の小屋アートワークが示唆するプリミティヴかつローファイなブラックメタルが、物理的にローファイな音の悪さと音楽ジャンルを意図するローファイな音の悪さが次元を超えて邂逅したような、それこそ真の意味で田舎同士を結ぶ“ブラック・カントリー・ニュー・ロード”と称すべきアヴァンギャルドな音楽性を繰り広げている。

セルフタイトルのデビュー作となる本作は、冒頭の#1“Beneath The Cool, Calm Soil”からして、グルーヴ感溢れる古き良きブルース・ロックならではの呪詛的なリフメイクとブラックメタルならではのプリミティヴなプロダクションが違和感なく絡み合いながら、シンセを駆使したアトモスフェリック・ブラックらしいトレモロ・リフや金切り声、そして粗暴なブラストビートがDissonantな不協和音を端的に表現するや否や、続く#2“The Blackness Come Creepin' In”の古き良きブルース・ロック然としたファンキーな歌声を披露する60年代パートと荒涼感溢れるブラストビート&トレモロを駆使した2000年代のブラックメタルパートが時を超えてスムースに切り替わる楽曲構成は、まさにCrestfallen Duskの特異的な音楽性を裏付けている。

南部のいい意味で汚らしいブルースならではのイカしたカッティングギターやソロワークに対する、もはや激流葬ばりに雪崩込んでくるトレモリーなブラックメタルの切り返しが斬新すぎる約10分に及ぶ#3“Burn In Hell”、南部は南部でも南部ゴシックさながらのポスト・パンクな魅惑のリフレーンをフィーチャーした#4“Our Old, Rotting Cabin”、「ただ独り」の孤独を極めた人間の背後に流れる崇高なシンセをバックに、本作において最も南部っぽいというか汚くてダイナミックなギター・サウンドを響かせる、それこそ90年代のグランジとシンクロするさしずめブルース・メタルとでも呼ぶべきミドルテンポの#5“On The Outside Of Town”、そして本作で最もブラックメタルの濃度が高い約10分を超える大作の#6“My Clouds Have Not A Silver Lining”まで、既存のブラックメタルとカントリー/フォークを調和させたメタルバンドとは一線を画す、全く新しいブラックメタルのあり方を提示している。それこそ、Zeal & Ardorよりも南部特有のダーティさとブラックメタルならではの呪詛的な側面を深く理解した一枚かもしれない。

Ashenspire - Hostile Architecture

Artist Ashenspire
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Album 『Hostile Architecture』
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Tracklist
01. The Law Of Asbestos
02. Béton Brut
03. Plattenbau Persephone Praxis
04. How The Mighty Have Vision
06. Apathy As Arsenic Lethargy As Lead
07. Palimpsest
08. Cable Street Again

ニューヨークのImperial Triumphantが生み出した、かのケニー・Gを客演に迎えたアヴァンギャルド・メタルの傑作に対抗するかのように、スコットランドを代表するポスト・ブラックことFallochのメンバー擁するグラスゴー出身のAshenspireによる2ndアルバム『Hostile Architecture』は、壮麗優美なヴァイオリンやケニー・Gさながらのサックス、そして中東の民族楽器であるダルシマーが織りなすジャジーなアヴァン・プログmeetブラックメタルをベースに、CynicVoivod...ひいてはTOOLの近作を連想させる現代ポストメタル風の無機的なポスト・キザミ成分、資本主義を確立した産業革命が後の社会に及ぼした影響、そのUKという名の階級社会において抑圧された労働者階級の視点で描かれるアナーキズムに溢れたパンキッシュなリリック、および権力への抵抗を示す喜劇的なボーカルワークが(血税が投入された)バロック的な建築様式に則って、さしずめシニカルなスコティッシュ・ブルータル・デカダンスを繰り広げている。


幕開けを飾る#1“The Law Of Asbestos”からして、過去に同レーベルのCode666に在籍していたOGのネ・バブリシャスさながらの超絶epicッ!!なヴァイオリン擁するdissonantなアヴァン・ブラックと、近年のCynicを彷彿とさせるインテリジェンスなポスト・キザミが交錯するプログレッシブかつカオティックな楽曲構築力を垣間見せたかと思えば、継続してネ・バブリシャス的な粗暴なブラストビートを効かせたブラックメタルらしい#2“Béton Brut”、ローズ・ピアノとヴァイオリンが奏でる内省的なアプローチを内包した悲壮感溢れるデプレッシブ・ブラックメタルの#3“Plattenbau Persephone Praxis”、それこそImperial Triumphantさながらのコンテンポラリーな喜劇を演じるかの如しオペラティックなボーカルとクワイアが織りなす#4“How The Mighty Have Vision”、冒頭からMastodonを想起させるスラッシュメタルmeetテック/ポストメタル然としたモダンなリフ回しを叩き込むパンク/ハードコア精神に溢れた#5“Tragic Heroin”、継続してタイトなポスト・キザミを中心にプログレ・メタル然とした転調を繰り返す#6“Apathy As Arsenic Lethargy As Lead”、在りし日のKATATONIAを彷彿とさせるイントロのリフレインを皮切りに、シタールが奏でる民謡的なフレーズとジャジーなサックスが織りなすミニマルなインストの#7“Palimpsest”、冒頭からネ・バブリシャスやICDDさながらのエクストリームメタル然としたブルータリティを粗暴に吐き散らしながら、一方で悪夢の如し生々しいトラウマをフラッシュバックさせるKATATONIAのBサイドさながらの陰鬱で内省的なブレイクパートを織り込んだ、それこそ“スコティッシュ・ブルータル・デカダンス”と呼ぶに相応しい大作の#8“Cable Street Again”まで、Imperial Triumphantや初期のネ・バブリシャスなどのエクストリーム/ブラックメタル勢のみならず、最近のVoivodCynicに肉薄するポスト・スラッシュおよびポスト・メタルを経由したポスト・キザミの使い手として、今年のメタルアルバムの中ではマストの傑作と断言できる(Fallochフアンはもとより)。
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