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墓っ地・ざ・ろっく!

2015年度BEST

2015年間BEST

スクリーンショット (1)

2015年には、まさかのANATHEMAの初来日公演が実現して、しかも2デイズも演ったなんて今でも信じられなくて、今でもあれは夢だったんじゃねーかと思ってる。あらためて、彼らの初来日を実現させたマサ伊藤には感謝の言葉しかない。あの日の出来事は、あのステージの上では『善』と『悪』の境界線(ボーダーライン)に立って、すなわち漫画『デビルマン』の『神の軍団』VS.『大魔神サタン』が対峙した神がかり的なラストシーン、その先にある壮絶な世界をこのステージ上で繰り広げていた。音楽の世界では、いわゆる「音楽の神様が降りてきた」なんて過度な表現がなされる事が度々あるが、このANATHEMAのライブには『神』と『悪魔』が同時にステージに降り立って、バンドが奏でるセンセーショナルかつエモーショナルな凄音をバックに、その『神』と『悪魔』が戯れ合うように狂喜乱舞していた。その境界線上には、どちらが『正義』でどちらが『悪』という概念は存在しなかった。原作者の永井豪先生ですら描けなかった『デビルマンの続き』を、このANATHEMAは『音』の世界で描き出していたんだ。その奇跡的な光景を目の当たりにした僕は、気づくと体全身の細胞が裏返るほどの興奮と感動を憶えた。あの時から、僕の細胞は未だに裏返ったままだ。いずれにせよ、あの二日間が僕の『人生のピーク』だった事に変わりはなかった。その伏線回収として、BARKSの記事にある人生のピークを決めるのは自分次第という林保徳の言葉は一際胸に突き刺さった。サンキュー林。

まぁ、そんな前置きはここまでにして、つい最近まで岐阜飛騨の女の子と身体が入れ替わってたみたいで、なんか世界線というか時間軸がズレてるような気がするけど、気を取り直して数年遅れの2015年の年間BESTの発表でつ。

Tesseract 『Polaris』
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12位Tesseract『Polaris』。実質的なオリジナル・ボーカリストのダニエル・トンプキンス君が復帰し、かのKcopeからリリースされた。正直、これしばらく聴き込んで映画『インターステラー』のサントラを手がけたハンス・ジマーからの影響と、三次元空間の僕がTesseract(テッセラクト)すなわち四次元立方体を介して五次元空間の住人すなわちThey=彼らであるスティーヴン・ウィルソンのニコやかな笑顔をワームホールという名の空間の歪みの刹那に垣間見た瞬間に、それこそATMSフィールドをエヴァンゲリオンの如く両手でこじ開けながら→「SWよ、日本一のジョジョヲタをナメるなよ」とドヤ顔で言い放ってなかったら間違いなく駄作認定してた一枚でもある。つまり、このテッセラクト(四次元空間)を裏で操っていた未来人こそ、他ならぬハンス・ジマーでありSWだった、というわけです。

Chvrches 『Every Open Eye』
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11位Chvrches『Every Open Eye』。正直、2015年の年間BESTのキーパーソンって誰かと言ったら、それは当ブログのヘッダー画像が示すとおり、Chvrchesローレン・メイベリーだ。詳しくは10位に続く・・・

Acid Black Cherry 『L-エル-』
L-エル-

10位Acid Black Cherry『L-エル-』。これ初めて聴いた時は、「林の深刻なライティング不足からコンセプト・アルバムに逃げた典型的なバンドあるあるな駄作」だと思った。それからというもの、まるで駄作と認めさせないと言わんばかり、本格的な小説化を皮切りに豪華声優陣を迎えた朗読、そして遂には広瀬アリスを主演に迎え、音楽アルバムでは初の映画化までされた本作。正直、ここまでされたら駄作なんて言いたくても言えねぇみたいな風潮もあって、というか、それくらい複数の媒体でメディア展開できる魅力が本作にはあるもの事実で、そんなことより僕が声を大にして言いたいのは、この物語の主人公である「エルたそ」の正体がチャーチズのローレン・メイベリーであると言うこと(えっ)。

きのこ帝国 『猫とアレルギー』
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9位きのこ帝国『猫とアレルギー』。メジャーデビューしてから初のフルアルバム。なんだかんだ、きのこ帝国らしい毒素と王道的なJ-POPのバランスが見事な一枚で、きのこ帝国というバンドの新たな側面と未来への様々な可能性を感じさせる一枚だった。特に佐藤千亜妃の底知れぬ「#現代の椎名林檎なの私だ感」は大きな見どころだ。その翌年にドロップされた『愛のゆくえ』は、『猫とアレルギー』とほぼ同時期に曲作りされたのもで、また一味違ったきのこ帝国の側面を垣間見せている。

ねごと 『VISION』
VISION

8位ねごと『VISION』。ちょっと面白いと思ったのは、このアルバムのレビューでは「いま最も評価されるべきバンド」とか「日本のANATHEMA」みたいな大層なこと書いてて、それと同時期にBoom Boom Satellites『Shine Like a Billion Suns』を聴いてライブにも足を運んで、同じように「BBSはANATHEMAの未来」みたいな事も書いてて、しかしその翌年にBBSの川島さんが亡くなって、まるで川島さんが残したBBSの『魂』を受け継ぐように、中野雅之氏が参加した『アシンメトリ e.p.』をドロップしたのは『運命』すなわち『DESTINY』としか思えなくて、ちょっとエモーショナルってレベルじゃなかった。ちょっと出来すぎだろっていう。

Moonspell 『Extinct』
Extinct

7位Moonspell『Extinct』。ちょっと驚いたのは、このアルバムのレビューを書いてからというもの、世界中で噴出する中東問題が爆発するように激化の一途をたどり、翌年の2016年には世界的に「変化」を求めた運動が巻き起こり、それが結果として顕著に現れた。世界中が中東/移民問題に揺れる中、まるで中東の波に飲み込まれる欧州はじめ世界情勢を皮肉るかのように、本作をプロデュースしたイェンス・ボグレンとかいう男は、このタイミングでMoonspellの新作に中東要素を取り入れ、これからの「シン・時代」に必要な精神および思想は一体何なのか?その答えの一つが黄金のリベラリズム」であることをここに指し示した。

Susanne Sundfør 『Ten Love Songs』
Ten Love Songs

6位Susanne Sundfør『Ten Love Songs』。これはまるで70年代の懐メロ代表の北欧のレジェンドABBAと80年代の懐メロ代表の荻野目洋子と21世紀代表の西野カナがワームホールという名の五次元空間の中で邂逅した奇跡の「テン・ラブソング」だ。中でも本作一番の目玉となる”Kamikaze”は、ジブリは今すぐにでもこの曲のMVを制作すべきだと思ったくらい、そのエモーショナルな歌詞と零戦が飛び立つSEを交えた壮絶な世界観、そしてスザンヌの片言過ぎる「カミカズィ~」が僕たち日本人の心を強烈に打ち付ける名曲だ。この際、今話題の映画『この世界の片隅に』みたいな絵でも良い。既に自分の中ではある程度の画は妄想で出来上がってたりする。ちなみに、2016年に発表した同郷のRöyksoppとのコラボ曲も北欧のチャーチズやっててオススメ。

sukekiyo 『VITIUM』
VITIUM

5位sukekiyo『VITIUM』。まさかのランクインの理由は完全にスティーヴン・ウィルソンの新譜ジャケに「繋がり」を感じ取ったから、という言わばバーターみたいな理由で、その内容もsukekiyoならではのHENTAI性と往年のムード歌謡が更に深いところでマッチアップした、それこそ『はぐれ刑事変態派』としか他に例えようがなかった。

Steven Wilson 『Hand. Cannot. Erase.』
Hand. Cannot. Erase.

4位Steven Wilson『Hand. Cannot. Erase.』Porcupine Treeスティーヴン・ウィルソンが放つ通算4作目となる本作は、男の執拗なDVから逃れるも幾多の不幸が重なったことで命を亡くし、その死後か約二年余りも発見されなかったジョイス・キャロル・ヴィンセントという実在した女性の悲劇的な人生からインスピレーションを受け、彼女の『悲しみ』と『苦しみ』、そして『絶望的』な『希望』を謳ったコンセプト・アルバムだ。偶然か必然か、Acid Black Cherry『L -エル-』という架空の女性を廻る数奇な運命を綴ったコンセプト・アルバムで、ここでも2015年を象徴するかのような強烈な「繋がり」を感じざるを得なかった。また、翌年にドロップされた『4 ½』では『Hand. Cannot. Erase.』を補完しつつ、次のアルバムに向けての伏線を仕込んだ力作となっている。

Amorphis 『Under the Red Cloud』
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3位Amorphis『Under the Red Cloud』。個人的に、今年の年間BEST映画の3位くらいに『マッドマックス 怒りのデスロード』がランクインしたのもあって、まさにその『怒りのデスロード』を彷彿とさせる映画的スケール感とアフガニスタンなどの中東を舞台にした世界観と絶妙にマッチした傑作で、そして何よりもプロデューサーに俺たちのイェンス・ボグレンを迎え、エンジニアにデイヴィッド・カスティロを起用した時点で「勝確」が決まっていたアルバムでもあった。イェンスとデイヴィッドの組み合わせだからこそ成せる黄金のヘヴィネス」は極上の一言。世はまさに「Death of a King!!」

Riverside
『Love, Fear and the Time Machine』
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2位Riverside『Love, Fear and the Time Machine』。今年2016年は国内外で何かとビッグな出来事が話題を呼んだが、僕個人としてはギタリストピョートルの急逝というショッキングなニュースを超えるものはなかった。フロントマンのマリウスきゅん以上に、デビュー作から現在まで「オルタナティヴ」な音楽遍歴を辿ってきたRiversideに最も大きな変化をもたらしてきたのは他ならぬ彼のギター・プレイで、東欧マフィアみたいな見た目とは裏腹に、これだけ音に変化を付けられて、なお且つ多彩なフレーズが宝のように溢れ出てくる、あんな器用なギタリストって僕が知る限りでは彼以外知らない。それはこのアルバムのコンセプトでもある、彼らが子供の頃に聴いて育ったデヴィッド・ボウイをはじめとした80年代のUKミュージックと70年代のプログレッシブ・ロックという二大ルーツを廻る『愛』の邂逅の旅、それこそ同時期に亡くなったデヴィッド・ボウイに対するレクイエムでもあり、そしてピョートル自身へのレクイエムでもあったんだ。皮肉にも、Riversideが初めてスティーヴン・ウィルソンの存在を超えたアルバムとなった。ピョートル不在のRiversideなんて実質解散状態というか、もう既にファンは解散の覚悟もしている。何故なら彼以外にRiversideのギタリストは務まらないからだ。R.I.P.

DEAFHEAVEN 『シン・バミューダ』
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1位DEAFHEAVEN『シン・バミューダ』。今年2016年はAV業界のドス黒い『闇』が暴かれた年でもあった。某国民的アニメ『ラ○ライブ!』声優のAV出演疑惑を皮切りに、ちな松岡の謎の事故→引退や北野のぞみの失踪、岩井俊二監督の映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』でレジェンドAV女優の夏目ナナの生存確認してからの同期のレジェンド潮吹き女優の急逝まで、まるで暗い業界の未来を暗示していかのようなアルバムとなった。言ってしまえば、このアルバムは企画モノのAVで【BUKKAKEられる側】のAV女優の恍惚の表情の裏に潜むドス黒い闇と【BUKKAKEる側】の汁男優の「イカなきゃ(使命感)」という焦燥感が真正面から衝突した、言うなれば「BUKKAKEミュージック」、あるいはレジェンドAV女優の桃谷エリカが俺たちの吉村卓に顔面ベロチューされまくった彼女の激情的な心の叫びと悲哀を描いた、それこそ『桃尻女とシューゲイザー』ならぬ『桃谷エリカと吉村卓』とかいう裏邦題が名付けられるほどの名盤だった。前作の『サンベイザー』で音楽シーンに衝撃を与え、次作へのハードルが爆上がりしてる状態の中、80年代の伝統的なスラッシュ・メタルと現代的なエクストリーム・ミュージックを邂逅させ、前作で釣ったピッチ厨とメタラーともにWin-Winになる落とし所を見極める能力を発揮した秋葉系男子ことケリー・マッコイの「したたかさ」っつーのは見習うべきモノがあるし、とにかくケリーの「本物のアメリカ人」ならぬ「本物のオタク」っぷりに涙不可避の一枚だった。かくして、文句なしに年間一位です。

まず、2015年を漢字一文字で表すとすれば、その一文字は『繋』だ。『繋がり』という名目でBESTにランクインしてるバーターがチラホラ入ってるのはご愛嬌だが、それくらい『繋がり』を重視したランキングと思ってくれたらいいです。つまり、今年2015年にドロップされた音楽アルバムが、翌年2016年に起こった様々な出来事を示唆していたというか、言わば未来を暗示をしていたとしか思えなくて、それは2015年から→2016年への『繋がり』という意味でも、2015年の年間BESTアルバム同士の『繋がり』という意味でも、映画と音楽の密接な『繋がり』という意味でも、とにかく2015年は音楽的なこと以上に、それ以外の部分で面白さを見出していた年だった気がする。


特に猛烈な『繋がり』を感じた出来事といえば、Acid Black Cherryの『L -エル-』の正体がローレン・メイベリーだったことだ。もちろんローレン・メイベリーの頭文字がLというだけじゃあ『説得力』に欠ける。しかし、これ以上ないタイミングで例の記事がWEB上にアップされた。当然、この記事に書いてある内容は決して喜ばしいことではないし、決して許されざることなんだけれど、しかし『L -エル-』の正体がローレン・メイベリーである事を裏付ける重要な証拠としか考えられないし、この記事を初めて目にした時は「遂に『繋』がったあああぁぁあぁぁ!!yes!!yes!!jens!!」と不謹慎ながらガッツポーズしてしまった。ローレンの過去のDV体験というのは、SWの『Hand. Cannot. Erase.』にインスピレーションを与えた同じDV被害者であるジョイスと、同じくDV経験者である『エルたそ』を『繋』ぐ大きな大きな役割を担っている。ナゼにブログのヘッダー画像をローレンにしていたのか?ただ「可愛い」という理由だけなのか?ナゼに2015年のキーパーソンがローレンだったのか?それは、この偶然にしては奇妙な『繋がり』から察して、そして理解してもらえるハズだ。こんな感じで年間BESTも書き終えたところで、そろそろヘッダの画像変えたい。けど良い画像がない件。 

(PS. セーソクへ、2017年はKATATONIAをよろしくお願いしますw)

Marika Hackman 『We Slept At Last』

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Tracklist
01. Drown
02. Before I Sleep
04. Open Wide
05. Skin
06. Claude’s Girl
08. In Words
09. Monday Afternoon
10. Undone, Undress
11. Next Year
12. Let Me In

UKのシンガー・ソングライター事情といえば・・・実はよく知らないんだが、とは言えイングランド南部はハンプシャー州出身のマリカ・ハックマンのデビュー・アルバム『We Slept At Last』が、寂れた郊外のバーで語り弾きする光景が脳裏に浮かびそうなくらいダーティなムード漂う激シブなインディ・フォークやってて、例えるならex-Trespassers WilliamLotte KestnerがUSのChelsea WolfeTrue Widow、あるいはUKの2:54みたいな暗黒面に堕ちたヤンデレ系フォーク・ミュージックやってて、とにかく一見ありがちなインディ・フォークかと思いきや、そこはUK出身ならではの”オルタナティブ”なアレンジ/メロディ・センスを垣間見せたりと、なんとも「イギリスらしいシンガー・ソングライター」としか他に形容しがたいSSWだ。
 

イントロから不協和音にも近い不穏な空気感をまといながら、気だるくも落ち着いた、しかしどこか色気のあるマリカの歌声とアコギのリフレインが、Kayo Dotばりの暗黒物質という名の多彩なアレンジとともに絶妙な距離感で調和し、素直に心地良く、しかしどこか深い闇がある音世界を構築するオープニング曲の”Drown”、いわゆるスティーヴン・ウィルソン界隈を彷彿とさせるArt-Rock然とした音使いと叙情的なストリングス・アレンジの絡みが完全にPost-系のソレな二曲目の”Before I Sleep”Trespassers Williamリスペクトな#3”Ophelia”、そしてもはや確信犯と言っていい四曲目の”Open Wide”では、一転してバンド・サウンドを主体に、USのWarpaint顔負けのダウナーなドリーム・ポップを繰り広げる。この序盤の流れを耳にすれば、彼女のシンガー・ソングライターとしての才能は元より、一人のマルチミュージシャンとしての才能にド肝を抜かれる事ウケアイで、それと同時に彼女が産み落とす音楽が”俺の感性”のド真ん中であるということが理解できる。それすなわち、Warpaint大好き芸人のスティーヴン・ウィルソンが一番のオキニにしそうなSSWである、ということ。



再びダーティなアコギを靡かせながら、ロンドン出身のSivuとかいう男性ボーカルとのデュエットを披露する#5”Skin”、70年代のフォーク・ソングのカバー曲と言われても疑わない#6”Claude’s Girl”、一転してDevin Townsend”Blackberry”ばりのカントリー調でノリよく展開する#7”Animal Fear”、哀愁漂うシンプルな#8”In Words”、遊牧民を誘き出すようなフルートや優美なストリングスを擁した民謡風の曲調からポスト-系の展開力を発揮する#9”Monday Afternoon”、そして後半のハイライトを飾る#10”Undone, Undress”は、そのタイトルどおり、まるで「UKの森田童子」と言わんばかりの、底すらない闇へとどこまでも堕ちていくような、ただそこに蠢くドス黒い狂気の中に彼女の底知れぬ『闇』を垣間見る。Opethミカエル・オーカーフェルトが悶絶しそうなメロトロンとフルートの音色が俄然サイケかつサイコに演出する#11”Next Year”、最後はアコギを片手にドチャシブな歌声を聴かせる。

なんだろう、一見至って普通のシンガー・ソングライターかと思いきや、全然普通じゃない、とにかく闇が深すぎるSSWだった。 ピアノやシンセ、メロトロンやオルガンをはじめ、民族楽器のサーランギーやディルルバまで難なく弾きこなす、それこそプログレ界隈もビックリのマルチな才能が遺憾なく発揮された傑作です。

もはや「UKのSusanne Sundfør」と呼んでも差し支えないレベルだし、もちろん我らがスティーヴン・ウィルソンをはじめ、少しベクトルは違うがUSのRhye、そして近年のUlverOpethなど、そして最終的にはビートルズという偉大な先人をルーツに浮かび上がらせる、そのメランコリーでサイコーパスな音楽性は、普段の日常生活の中に潜む『闇』に気づいたらスッと片足突っ込んじゃってた感すらある。

あとは単純にメロディが素晴らしいのと、何度も言うけど曲の展開が一々ポスト-系のソレでツボ過ぎる。正直、ここまでPost-Progressive系のアーティストとリンクするSSWは他に類を見ない。逆に「繋がり」が一切ない事の方がおかしいレベル。でも逆に「繋がり」がないからこそ「面白い」くもある。
 
We Slept At Last
We Slept At Last
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Marika Hackman
Imports (2015-02-24)
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きのこ帝国 『猫とアレルギー』

Artist きのこ帝国
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Album 『猫とアレルギー』
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Tracklist

03. 夏の夜の街
04. 35℃
05. スカルプチャー
06. ドライブ
08. ハッカ
09. ありふれた言葉
10. YOUTHFUL ANGER
11. 名前を呼んで
12. ひとひら

フロントマンの佐藤千亜妃曰く→「絶望の中から見上げる希望」と語った、2014年に発表された2ndフルアルバムフェイクワールドワンダーランドは、初期の『渦になる』『eureka』の頃の音楽性を全否定するかのような、言うなれば初期の椎名林檎”CHE.R.RY”以降のYUIがクロスオーバーしたような、『絶望』から一転して『希望』に満ち溢れた普遍的なJ-POPへとその姿を変え、その翌年には椎名林檎の後を追うようにEMI Recordsへと移籍し、2015年初頭に発表されたメジャー1stシングル桜が咲く前にでは、これまでにないほどメジャー色に染まったきのこ帝国を披露してみせた。

そんなきのこ帝国は、次なるメジャー1stアルバム『猫とアレルギー』で一体どんな姿を見せたのだろうか。何を隠そう、まず僕はアルバムのリードトラックであり表題曲でもある”猫とアレルギー”のMVに映る佐藤千亜妃の姿に興味を惹かれた。これまでは、その音楽性と同調するかのようにボクっ娘あるいはボーイッシュなビジュアルイメージで売っていた佐藤千亜妃が、このMVではまるで「ユニクロの新作ニットのCMかな?」と見間違えるくらい、音楽性を含め色々な意味で『黒』を好む男性的(中性的)なイメージから一転して、エクステや純のセーターに身をまとい、何時にもなく『女性的』なシンボル(象徴)を身につけ、何時にもなく『女性的』なアイコンとして輝き放つ佐藤千亜妃のビジュアルに度肝を抜かれた。それすなわち→佐藤千亜妃が都会色に染まりきったことを示唆していた。気づくと僕は、「東京コワイ」と呟いていた。



その佐藤千亜妃のビジュアルよりも驚かされたのは、他でもないその『楽曲』イメージで、シングルの『桜が咲く前に』の路線を素直に踏襲しつつも、しかし随所に椎名林檎”虚言症”に対するオマージュ&リスペクトを織り交ぜながら、柔らかなピアノの音色と壮麗優美なストリングスというJ-POP界の専売特許と言わんばかりの音を大胆にフューチャーした、教科書通りのJ-POPを繰り広げる。まさに新生きのこ帝国の襲名と同時に、椎名林檎の正統後継者を宣言するかのような、まるでツイッターのハッシュタグに「#椎名林檎の後継者なの私だ」と付けてツイートしてそうな佐藤千亜妃の圧倒的な存在感に震える。
 

表題曲と並んでアルバムのリードトラックを担う#2”怪獣の腕のなか”は、一定に鳴り続けるミニマルなメロディと和音ギターのリフレインと音(残)響をフューチャーした曲で、過去に「あいつをどうやって殺してやろうか」と歌ってた中二病バンドと同じバンドとは到底思えない可愛い歌詞まで、その全てに度肝を抜かれる。一見「普通のポップス」に聴こえるこの曲の凄い所は、出自のセンスを感じさせるギターのリヴァーヴィな音響意識にあって、USのWarpaint”Intro”直系の空気圧/空間描写からは、奇しくもきのこ帝国と同じく2014年間BESTに名を連ねたウィーペイントと同レベルの音響世界、その更なる高みに到達したことを意味していた。その#2の音響意識を受け継いだ曲で、音響指数ビンビンな#3”夏の夜の街”でも、懐かしい郷愁を呼び起こすケルティックなメロディを靡かせながら、#2と同じく和音ギターのリフレインと出自を想起させるシューゲイザー的なアプローチで聴かせる。

次の”35℃”は、USのWhirrを彷彿とさせる焦燥感溢れるノイズポップ風のギター、バンドの土台(低域)をガッチリと支える谷口君のベースとロックなリズム&ビート感を刻む西村コン君のドラムが織りなすアンサンブル、そして佐藤千亜妃の幼少期にタイムスリップさせる歌声と、思春期の焦燥と刹那、そして煩悩といったあらゆる感情が交錯する、むせ返るような真夏の夜の切ない恋模様を描き出すエモい歌詞が絶妙にマッチした、ここまで90年代のJ-POPを意識したコード進行はないってくらい王道的なポップスで、これはもはやきのこ帝国なりのホワイトべりー”夏祭り”、あるいはレベッカ”フレンズ”と言っても過言じゃあない。当然、この曲でも”普通のポップス”ではないことを、ノイズという名の音の蜃気楼を巻き起こす轟音パートを耳にすれば分かるはずだ。

昭和の匂いを内包したジャズ風味のピアノをフューチャーした”スカルプチャー”は、椎名林檎”罪と罰”みたいにガッツリ巻き舌する勇気はないけれど、少しオラついた演歌歌手ばりにコブシを握って椎名林檎になりきる佐藤千亜妃が、別れたオトコの匂いに執着するオンナの未練と怨念が込められたダーティな歌詞を熱唱する、それこそ佐藤千亜妃「#椎名林檎の後継者なの私だ」とツイート連投してそうな歌謡曲で、これはもうきのこ帝国なりの”歌舞伎町の女王”ならぬ”メンヘラストーカーの女王”だ。しっかし、思春期の無垢で甘酸っぱい片想いを歌った”35℃”から一転してオトナのオンナに化けるギャップ、というか曲の振り幅に柔軟に対応する佐藤千亜妃の表現力≒演技力には、伊達に女優業やってなかったと関心してしまった。

さっきまでの『夏』をテーマにした曲とは一転して『冬』をテーマにした”ドライブ”は、その『冬』のイメージどおり、Daughter2:54をはじめとしたUKインディ直系のリヴァーヴィな音像と北欧ポストロック的な幽玄なメロディがリフレインするダウナーなスロウコアで、一言で「洋楽っぽい」とかそういったチープな表現はナンセンスで、とにかく初期の”ユーリカ”を彷彿とさせる激シブいアンサンブルと、森田童子ばりに陰鬱な佐藤千亜妃の歌声が真冬の夜の淫夢へと誘うかのような子守唄ソングだ。

そして、今作のハイライトを飾る#4~#6までの流れを締めくくるように、シングルとは違ってピアノのイントロで意表を突いてくる”桜が咲く前に”を中盤の山場に迎えるが、正直アルバムに収録される上でここまで効果的なシングルになるなんて想像してなかったし、単体じゃなくアルバムの流れの中で聴くと、俄然この曲が持つ他とは一線を画した力強いエネルギーと凄みを感じる。

それ以降も→若手SSWの片平里菜からの影響を感じさせる、実質佐藤千亜妃のソロとして聴けなくもないシンプルなピアノの語り弾きを聴かせる”ハッカ”、在りし日のYUIが歌ってそうな賑やかでアップテンポなポップチューンの”ありふれた言葉”、一転してニルヴァーナばりにダーティなヘヴィネスと椎名林檎”弁解ドビュッシー”を想起させるメンヘラ風ボコーダーを効かせた佐藤千亜妃の歌、そしてポストブラックメタルばりの不協和音的なメロディが狂気じみてる”YOUTHFUL ANGER”は、別の意味で(G)ソロもあって完全に「マッシュルーム・エンパイアはメタル」なセイント・アンガーばりの一曲で、在りし日の僕に「東京コワイ」を痛感させた『CAN'T BUY MY LOVE』の頃のYUIをイメージさせる、「女の趣味は全部オトコの影響!きのこ帝国の変化はオトコの影響!」と言わんばかりの”名前を呼んで”、ラストの”ひとひら”ねごと辺りが演ってそうなストレートなロックナンバー。

序盤は新生きのこ帝国の始まりを告げるような、出自のセンスと天才的なアレンジを王道的なJ-POPに落とし込んだ楽曲、アルバム一番の見せ場である中盤は、ライブの十八番になりそうな90年代のJ-POPを地でいく曲や佐藤千亜妃の椎名林檎化が著しい曲をはじめ極端に振り切ったガチなキラーチューンの応酬、アルバム後半ではガチのメタル曲や佐藤千亜妃がソロ化する新機軸とも受け取れる曲を擁して最後まで楽しませる。ハッキリ言って、前作とは比べものにならないくらい驚きと面白さに満ち溢れれた内容で、表面上は「ただのポップス、普通のポップス」に見せかけて、一体どこにそんな才能隠してたんだ?ってくらい、音の細部にまで徹底した”こだわり”を感じさせるアレンジやメロディセンス、そしてライティングの凄みにビビる。とにかくアルバムとしての完成度、一つの作品として聴かせる熱量がこれまでとは段違いだ。前作『フェイク~』の時点で『面白い』というポテンシャルは未知数にあったけれど、まさかここまでとは思わなくて、前作で予感させた並々ならぬ『面白さ』が開花した結果というか...でもあの『eureka』という傑作を作ったバンドって事を考えたら至極妥当だし、全く不思議じゃあない。音の傾向として和音のリフレイン主体の至極シンプルな構成と音使いで、ここまでの曲が書けるのは彼らが本物であるという何よりの証拠だと思う。

フロントマンの佐藤千亜妃は、このアルバムの中でボーカリストとしての役割、コンポーザーとしての天才的な才能、そしてシンガーソングライターとしての未知なる可能性を開花させている。近年激化する椎名林檎の後継者問題に終止符を打つかのような、もはや椎名林檎の正統な後継者は赤い公園津野米咲でもなく、tricotイッキュウ中嶋でもない、赤い公園佐藤千明もといきのこ帝国佐藤千亜妃だ。その佐藤千亜妃からの要求に真正面から答える、特にリズム隊の男性陣が強力なアンサンブルを生み出しているのも聴きどころの一つだ。もはやシングルの『東京』以降、エンジニアを担当している椎名林檎でもお馴染みの井上うに氏のキャリアの中でも上位に食い込むであろう作品なんじゃねーかレベル。

『前作のライングラフ』
超えちゃいけないライン

そもそも、そもそも前作の『フェイクワールドワンダーランド』は、いわゆる「超えちゃいけないライン」からは少し外れた所に位置する作品で、2014年当時その「超えちゃいけないライン」の線上に立っていたのが、他でもない赤い公園の2ndアルバム『猛烈リトミック』だった。何を隠そう、赤い公園というガールズバンドも、きのこ帝国と同様に初期の拗らせたアンダーグラウンドな音楽性から、今現在のメインストリームすなわち大衆性すなわちメジャー感あふれる音楽性へと流動的な変化を遂げたバンドの一つで、おいら、『フェイク~』の時に「きのこ帝国に足りないのは津野米咲の存在」みたいなニュアンスで、遂には「次作は津野米咲にプロデュースさせるべき」みたいな事もレビューに書いてて、それは今思うと本当に面白くて、ナニが面白いって→この『猫とアレルギー』で遂にきのこ帝国佐藤千亜妃「超えちゃいけないライン」の線上に立って音を鳴らしている事実に面白さしかなくて、一方『猛烈リトミック』「超えちゃいけないライン」に立った赤い公園が次作の純情ランドセルでどうなったのか?「それはまた、別のお話」。

猫とアレルギー
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きのこ帝国
ユニバーサル ミュージック (2015-11-11)
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Riverside 『Love, Fear and the Time Machine』

Artist Riverside
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Album 『Love, Fear and the Time Machine』
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Tracklist
01. Lost (Why Should I Be Frightened By A Hat?)
02. Under The Pillow
03. #Addicted
04. Caterpillar And The Barbed Wire
05. Saturate Me
06. Afloat
08. Towards The Blue Horizon
09. Time Travellers

R.I.P. ・・・イギリスの奇才、デヴィッド・ボウイが亡くなった。80年代の音楽シーンに多大なる影響を与え、音楽面は元よりビジュアル面から思想に至る所まで、いわゆるPost-Progressive界隈並びに現代プログレ界の第一人者であるスティーヴン・ウィルソンに計り知れないほどの影響を及ぼし、そして"日本のスティーヴン・ウィルソン"こと漫画家荒木飛呂彦の感性および『ジョジョの奇妙な冒険』に絶大なる影響を与えた、その最もたる偉人が亡くなった。この時間旅行は、そのデヴィッド・ボウイに対する壮大な鎮魂曲なのかもしれない。

プログレ回帰 ・・・このポーランド出身のRiversideというのは、かのスティーヴン・ウィルソン主宰の新興レーベルKscopeが提唱する、いわゆる"Post-Progressive"とかいう流行りのシーンに決して流されることなく、個性あふれる独自のプログレッシブ・ロックを構築していることから世界的に高い評価を得ているバンドで、2013年に発表された5thアルバムShrine of New Generation Slavesは、現代に蔓延るブラック企業の社畜という名の『新世界の奴隷』をテーマに、それこそ新世代のスーパーヒーロー『アイアム・ア・ノマド・フリーマン』が現代の行き過ぎた資本主義に警鐘を鳴らすような一枚だった。一方で、その音楽的には往年のクラシック・ロックに対する理解を著しく深めていた彼らだが、前作から約二年ぶりとなる6thアルバム『Love, Fear and the Time Machine』では、そのクラシック・ロックを基にしたサウンドを着実に踏襲しつつも、しかしこれ以上懐古路線に傾倒することなく、いわゆる「超えちゃいけないライン」を超えない程度に、あくまでも"プログレ"として成立させている。正確には"プログレ回帰"した作風となっていて、しかし一言で"プログレ回帰"と言ってみても、これまでとは一味違ったプログレであることは確かで、何を隠そう、これまで意図的にPost-Progressiveという新興ジャンルから一定の距離を保ってきた彼らが遂に、というか、ここに来てようやくPost-Progressiveの世界に介入してきたのである。

(Love) ・・・ここ最近のPost-Progressive界隈では、イギリスのANATHEMAやフランスのAlcestが新しく立ち上げた新興勢力、その名も黄金界隈』が幅を利かせている状況で、この事態を受け、Post-P(ポスト-ピー)界隈の代表取締役社長兼CEOで知られるスティーヴン・ウィルソンも、2015年に発表した自身のソロアルバムHand. Cannot. Erase.の中で、SWなりの黄金の音』というのを黄金界隈』に掲示してみせた。その異常事態を察知した、SWのクローンことマリウス・デューダきゅん率いるRiversideも、敬愛するSWの後を追従するように黄金界隈』からRiversideなりのPost-Progressiveを展開している。まず、今作のタイトルに含まれたLove(愛)」Fear(恐怖)」という2つのワードからして、いわゆる"LovePeace"を最大のテーマとして掲げる黄金界隈』に、彼らRiversideが入門してきたことを意味する。何を隠そう、その『Love(愛)』『Fear(恐怖)』というキーワードは、荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』にも深い関わりを持つ。例えば→引力、即ち愛(Love)であることや、おれは「恐怖(Fear)」を克服することが「生きる」ことだと思う。世界の頂点に立つ者は!ほんのちっぽけな「恐怖(Fear)」をも持たぬ者ッ!という三部DIOや、『勇気』とはいったい何か!? 『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!『恐怖(Fear)』を我が物とすることじゃあッ!と言い放ったツェペリ男爵の名言を筆頭に、ジョジョに登場するキャラクターの言動および行動原理には、他でもない『Love(愛)』『Fear(恐怖)』という二大概念が存在している。人間は『恐怖』を乗り超えることで『勇気』を得ることができる、その言葉どおり、Riversideはこの6thアルバム『愛・おぼえていますか』の中で、これまで見て見ぬふりをし続けてきたPost-Progressiveと真正面から向かい合い、その『恐怖(Fear)』という名の時空を超えて真実の『愛(Love)』を掴みとっている。

恐怖(Fear)  ・・・人は誰しもが【変わる】ことに恐怖(Fear)し、世界的に【新しい】異分子となるものを排除する潮流にあり、その【新しい】異分子が原因で起こる問題に人々は恐怖(Fear)する。おいら、以前からPost-Progressive界の第一人者スティーヴン・ウィルソン荒木飛呂彦は限りなく近い、【≒】の存在であると考えていて、なお且つ黄金界隈』の創始者でありPost-P界の幹部でもあるANATHEMA"オルタナティブ"な音楽遍歴と黄金の精神』を提唱する『ジョジョ』の"オルタナティブ"な冒険遍歴も【≒】の存在であるという独自解釈を持っている。そもそも、『ジョジョの奇妙な冒険』というのは音楽漫画でありプログレ漫画でもある、という前置きはさておき、【ANATHEMA≒ジョジョ】であるという根拠の一つに、ANATHEMAが2014年に発表したDistant Satellitesを象徴する”The Lost Song”という組曲にも、他でもない『Love(愛)』『Fear(恐怖)』の二大概念がテーマに組み込まれていて、中でも”The Lost Song Part 1”のラストシーンにあるThe Fear is Just an Illusionつまり恐怖なんて幻想に過ぎないんだという『ジョジョ』然とした人間讃歌あふれる歌詞(セリフ)を筆頭に、ジョジョ8部『ジョジョリオン』「呪い(ANATHEMA)を解く物語」であること、バンド名を冠した"ANATHEMA"即ち"呪い"の中には『Love(愛)』が込められていること、そのANATHEMAがまさかの来日公演を果たしたこと、そして今回満を持してRiverside"LovePeace"即ち黄金の精神』を描き始めたこと、全てが糸のように繋がっている気がしてならないんだ。現代日本の"リアル"を暴き出していくジョジョ8部『ジョジョリオン』の中で、全く【新しいジョジョ】を切り拓かんとする荒木飛呂彦恐怖(Fear)は想像を絶するものがあるが、しかしその恐怖(Fear)を乗り超えられたならば、歴代最低の評価を受けている『ジョジョリオン』は晴れて傑作の評価を得ることになるだろう。
 

Love:12g⇄Fear:11g ・・・愛(Love)恐怖(Fear)よりも重いのだろうか・・・?人は恐怖(Fear)を乗り超えることで愛(Love)を知るのだろうか・・・?この『愛・おぼえていますか』を司る『Fear(恐怖)』『Love(愛)』、そして『Peace』という3つのワードが一つに集約され、リリックビデオとして先行公開された”Discard Your Fear”からして、アンニュイでメロマンティックな世界観やThe Cure”Fascination Street”をオマージュしたベースラインをはじめ、"オルタナティブ"なクリーン・トーン中心のフレーズやバッキング・ギターに魅了される。そして何よりも→Fear of new life Fear of days of the unknown No more fear of loveという、今作のコンセプトその本質を表した歌詞が全てを物語っている。その80年代のUK音楽リスペクトな耽美的なムードは、オープニングを飾る#1”Lost”から惜しげもなく発揮されていて、前作のリード・トラックである”Celebrity Touch”を彷彿とさせるクラシック・ロック譲りのリフ回し、今作のアートワークの如しどこまでも続く地平線に淡色に揺らめく夕焼けを映し出すようなリヴァーヴィでドリーミーなメロディ、そしてデビュー作『Out Of Myself』の頃にファスト・トラベルさせる抒情的かつ幽玄な旋律を奏でるギター・ワークまで、まさに彼らの『過去』へとタイムトラベルするかのような、今作の幕開けを飾るに相応しい一曲だ。で、ANATHEMAがPost-P界隈の仲間入りを果たし、いわゆる黄金界隈』創設に至る大きなキッカケとなった傑作『We're Here Because We're Here』直系のクリーン・ギターを擁したミニマルなリフで始まり、中盤からエキセントリックなハモンド・オルガンやメロトロンを駆使してグッと場を盛り上げてから、後半にかけて「キング・オブ・プログレ」としか例えようがないPost-然とした展開力を発揮する#2”Under The Pillow”、そして【新しい】ことに対する『Fear(恐怖)』と対峙する#3”#Addicted”は、イントロからPorcupine Tree”Fear of a Blank Planet”を彷彿とさせるポップなビート感に度肝を抜かれ、そのリズムからギター・フレーズ、そしてマリウスきゅんのフェミニンなボーカルを筆頭に、ニュー・ウェーブ/ゴシック・ロックが一世を風靡した80年代のイギリス音楽愛即ちLoveに溢れた、それこそ「ロマンスがありあまる」ような名曲だ。そして、この曲のアルペジオが入ってくるアウトロの場面転換というか、それこそ"イェンス・マジック"により化けたMoonspell”Medusalem”を彷彿とさせる、要するに80年代のUK音楽と現代的プログレを邂逅させたこの瞬間というのは、このRiversideがPost-Progressive界入りを宣言した歴史的瞬間でもあった。
 


タイムトラベル ・・・自らの原点である『過去』や自らの音楽的なルーツでもある80年代の音楽シーンに回帰した彼らは、今度は2ndアルバム『Second Life Syndrome』と3rdアルバム『Rapid Eye Movement』の頃にタイムトラベルする。暗鬱で内省的な世界観やポスト系のキザミで構成されたリフ回しをはじめ、中期のPorcupine TreeあるいはThe Pineapple Thiefを連想させる、それこそイギリスの空模様のようにソフト&ウェットな、それこそPost-Progressive然としたアコギを織り込みながら、ラストは一種の小宇宙を形成するようなエピカルなバンド・アンサンブルでキメる。次はそのメタリックな側面を更に追い求めるかのように、すなわち4thアルバムAnno Domini High Definitionへとタイムトラベルする#5”Saturate Me”は、プログレ・メタル然としたアクティヴでテクニカルなインストをはじめ、マリウスきゅんによるミカエル・オーカーフェルト顔負けの抒情的なボーカル・メロディとキーボードのエピカルでスペイシーな演出とともに、カタルシスを誘うアウトロのアルペジオまで揺るぎない音のスケールで繰り広げる。悪夢を見ているかのようなダーティで物哀しいマリウスきゅんのボーカルをメインに聴かせる#6”Afloat”Alcest顔負けの美しいアルペジオとアート・ロック志向のピアノ、そしてマリウスきゅんのヨンシーばりの繊細な歌声をもって恍惚感に溢れた幕開けを飾る#8”Towards The Blue Horizon”は、そのアルプスの遊牧民と化す幕開けから一転して、Opethの名曲”Bleak”Riversideなりに再解釈した猟奇的なギター・フレーズから徐々に暗黒面に堕ちていく曲で、というより、Pale Communion”River”をイントロから見せ場のスリラーなインストパートまで丸々オマージュしたような曲調で、あらためてOpethがマリウスきゅんおよびRiversideに与えた影響、その大きさを物語っている。そのタイトルどおり、それこそLet's go back to the world That was 30 years ago And let's believe this is our timeと繰り返される歌詞にあるように、『現在』から30年前の『過去』へとタイムトラベルした長旅の疲れを癒やすような、その思い出話に花を咲かせるようなフォーキーなアコギ中心の#9”Time Travellers”、そしてPink Floyd”High Hopes”をオマージュしたようなMVの映像美が見所の#10”Found”を最後に、デヴィッド・ボウイと並びPost-Progressiveの一つのルーツであるフロイドに敬意を表することで、これにてRiversideのPost-P界入りが正式に『許可』される。



再構築 ・・・「僕たちが愛した音楽、そのルーツがどこにあるのか?」を過去30年まで遡って彼らが導き出した答え、「僕たちの音楽」がこの『Love, Fear and the Time Machine』なのだ。マリウスが子供の頃に夢中になった80年代のイギリス音楽、大人になったマリウスが夢中になったPorcupine Treeおよびスティーヴン・ウィルソンOpethおよびミカエル・オーカーフェルト、それらを含むマリウス・デューダが愛した世界中の音楽との再会、つまりタイムトラベルの後遺症により"Lost"した記憶(思い出)をトリモロス(再構築)する音の時間旅行なのだ。子供の頃の記憶を取り戻し、大人になって成長した今の自分を紡ぎ出すことに成功した主人公マリウスは、右手には愛(Love)を左手には勇気(Pluck)を持って、Post-Progressiveという未知なる恐怖(Fear)に立ち向かい、その恐怖(Fear)を乗り超えた先で掴みとった【新しいRiverside】の姿が今作に刻み込まれている。そもそも、往年のクラシック・ロックの音作りでガチのプログレやるパティーンというのは、最近ではMastodon『Crack the Skye』CynicKindly Bent to Free Us、そしてOpethPale Communionが記憶に新しいが、紛れもなくこの『Love, Fear and the Time Machine』もそれらの作品と同じ系譜にあるアルバムと言える。中でも、スティーヴン・ウィルソンが手がけた『Pale Communion』は、今作に多大な影響を及ぼした一枚なのは確かで、Opeth自身もそのアルバムの中で自らの『過去』を再解釈/再構築していたが、このRiversideの場合は自らの『過去』を経由して、更にそこから30年前の音楽を再構築するという、それはまるでスティーヴン・ウィルソンミカエル・オーカーフェルトの間に生まれたマリウス・デューダという名の子供が、親の離婚という『未来』を変えるために『過去』へタイムトラベルして再構築を目指すような、それはまるで未知なる惑星へと向かう途中、ガルガンチュア内部に突入する恐怖(Fear)時空(Spacetime)を超えて究極の親子愛(Love)に辿り着いた、映画『インターステラー』マシュー・マコノヒーばりに前代未聞の事を成し遂げている。そして子(マリウス)が親(SW&MO)という絶対的な存在を超越した瞬間、気がつくと僕はマシュー・マコノヒーばりに咽び泣いていた。

繋ぎの意識 ・・・今作、とにかく曲展開の"繋ぎ"とアウトロに対する意識の高さが尋常じゃない。その繋ぎやアウトロといえば→デフヘヴンの新しいバミューダ海峡が一種のプログレに通じていたのは、他でもない展開の繋ぎとアウトロの意識の高さにあって、今作のRiversideも例外はなく、繋ぎのメリハリを強調することによりプログレという名の様式美/構成美が刻まれていく。そして、いかに今作がOpeth『Pale Communion』をお手本にしてるのかが分かる。特に、#2,#3,#4のクライマックスで垣間見せる、四人の個が互いに高め合いながら一つになり、ナニモノも立ち入ることを許さない"四人だけのセカイ"を構築する孤高のバンド・アンサンブル、それは現代のプログレと称されるポストロック的ですらある、まさにポストでモダン、リリカルでエピカルなPost-Progressive然とした展開力、ある種の「静寂の中にある狂気」は息を呑むほどに「ロマンスがありあまる」。もはやバンドとしての一体感は、ポスト界隈の幹部勢を優に超えたものがあるかもしれない。

変わる ・・・初期二作のクサメロ全開の辺境プログレっぷりから、一転して3rdアルバムではTool直系のモダン/オルタナ化したと思えば、次の4thアルバムではメタリックなモダン・ヘヴィネス化したりと、元々Riversideって【変わる】ことを決して恐れないバンドではあるのだけど、この『Love, Fear and the Time Machine』における【変わる】の意味は、これまでの【変わる】とは意味合いがまるで違う。ピョートル(兄)のギター・ワークからアコギおよびアルペジオをはじめ、それに伴う曲作り/曲構成、そしてリリック面に至るまで、全ての音のトーンが完全にポスト化へとシフトしている。いわゆる洗練されたとかモダン化したとか、そんなベクトルの話とは違くて、ただただ「これがプログレなんだ」感しかない。マリウス&ミシャのインテリコンビとガチムチ系ピョートル兄弟からなる、この凸凹過ぎるギャッピーなビジュアルからは想像つかないほどの、音楽に対する柔軟性や器用さを過去最高レベルで発揮している。中心人物であるマリウスきゅんはマリウスきゅんで、クリエイターとしての才能とソングライターとしての才能を過去最高に高い次元で爆発させている。そして過去最高にSW愛に満ち溢れた作品でもあって、ソロプロジェクトのLunatic Soulで垣間見せたSW愛をそのままバンドに持ち込んだような形とも言える。僕は今作における【変わる】の意味に対して、「軸がブレた」とか、「オリジナリティが薄れた」とは微塵も思わない。むしろSWの正統なクローンだからこそ実現可能にした、紛れもなく真のオリジナリティだ。
 
Love, Fear & the Time Machine
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Riverside
Imports (2015-09-11)
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CHVRCHES 『Every Open Eye』

Artist CHVRCHES
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Album 『Every Open Eye』
_SL1500_

Tracklist

01. Never Ending Circles
03. Keep You On My Side
04. Make Them Gold
06. High Enough To Carry You Over
08. Down Side Of Me
09. Playing Dead
10. Bury It
11. Afterglow
12. Get Away
13. Follow You
14. Bow Down
15. Leave A Trace (Four Tet remix)

「ローレン!ローレン!ローレン!ローレンぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ローレンローレンローレンぅううぁわぁああああ!!!あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくんはぁっ!ローレン・メイベリーたんのブロンドの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!MVのローレンたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!ピッチフォークに評価されて良かったねローレンたん!あぁあああああ!かわいい!ローレンたん!かわいい!あっああぁああ!セカンドアルバムも発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!ぐあああああああああああ!!!セカンドアルバムなんて現実じゃない!!!!あ…三度目の来日もよく考えたら…ロ ー レ ン ち ゃ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!グラスゴーぁああああ!!この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?L-エル-のローレンちゃんが僕を見てる?表紙絵のローレンちゃんが僕を見てるぞ!ローレンちゃんが僕を見てるぞ!挿絵のローレンちゃんが僕を見てるぞ!!再来日のローレンちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはローレンちゃんがいる!!やったよ!!ひとりでできるもん!!!あ、セカンドアルバムのローレンちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!あっあんああっああんあぁあ!!イ、イアン・クック!!マーティン・ドハーティぃいいいいいい!!!ぁあああ!!ううっうぅうう!!俺の想いよローレンへ届け!!グラスゴーのローレンへ届け!」

Lたそ ・・・おいら、アルバムが発表される度に例の"ローレンコピペ"を貼らなきゃ気が済まない身体になってて、しかしまさかAcid Black Cherryの4thアルバムL-エル-の悲劇のヒロイン『L』の正体がローレン・メイベリーだなんて、一体誰が予想したことだろう。今やTVでカバーしちゃうくらいMuseマシュー・ベラミーをお熱にさせ、そしてあのピッチフォークに「kawaiiは正義」であるという「この世の真理」を証明させた、SEALDsの親玉もとい"Lたそ"ことローレン・メイベリー率いるグラスゴーの三人トリオ、CHVRCHESの約二年ぶりの2ndアルバム『Every Open Eye』は、鮮烈なデビューを飾った2013年作の1stアルバムBones of What You Believeを素直に、ありのまま踏襲したポップでポップでポップな内容となっている。

aaaa

処女性 ・・・ここまで「私たちは何も変わってない」アピールするアーティストも珍しいというか、UK出身アーティストの宿命とも言える「二作目のジンクス」を徹底して回避してきている。というより、「リスナー側がチャーチズに何を求めているのか?」を自分たちで理解しきっているというか、この手のフロントマンがkawaiiが故にデビュー作でアイドル扱いされたアーティストって、まるで「私たちはアイドルじゃない!私たちはアーティストなの!」と、いわゆるアーティスト病を拗らせた某アイドルグループのように、次の二作目でデビュー作をメタクソに全否定して黒歴史にするパティーンがテンプレだ。しかし、チャーチズはこの二作目で、むしろ「私たちアイドルですが何か?」と言わんばかりの、むしろ既存のアイドル的なイメージを真っ向から肯定している。その「何も変わっていない」は、先行シングルとして発表された一曲目の”Never Ending Circles”と二曲目の”Leave A Trace”から顕著で、この二曲をシングルとして先駆けて発表することで、デビュー作で獲得したフアンや音楽メディアに対して釘を刺すという念の入れよう。そのシングル二曲をアルバムの冒頭に持ってくる采配からも、チャーチズは「何も変わっていない」という事実を開始早々印象付けると同時に、フアンに対して一種の母性に近い安心感を与える。確かに、「ローレンの処女性が失われた・・・そんなの嫌だああああああああああああ!!」と、まるでアイドル声優にスキャンダルが発覚した時のオタク語録打線ばりに阿鼻叫喚する『覚悟』を決めたフアンも中にはいたかもしれない。しかし「安心してください、ローレンの処女性は失われてませんよ」と今年の流行語として連呼したくなるくらい、とにかく曲のアレンジから根本的なソングライティングまで前作から何一つ「変わっていない」。



歌モノ ・・・結局のところ、チャーチズの音楽ってローレンが「どれだけ俺たちをブヒらせてくれるか?」が最重要課題で、まずイントロからフェティッシュでウィスパーな息遣いでブヒらせる#1”Never Ending Circles””Leave A Trace”では、まるでロックマンが死んだ時のティウンティウンティウンみたいに弾け飛ぶシンセとWoob Woobなアクセントを加えつつ、Depeche Modeをはじめとした往年のシンセ・ポップとローレンのロリキュートな歌声をもってシンプルかつアッパーに聴かせる。その冒頭から一転して、イントロから死ね死ね団ばりの「シネーシネーシネーシネー」という呪いの呪文にブヒるというより軽くビビる#3”Keep You On My Side”では、80年代特有のクサミが施されたアレンジとブリンブリンにウネるダーティな低音部が力強いグルーヴ&ロックなビートを刻み、そして少しオトナオーラをまとったローレンの歌声でキレキレに聴かせる。この序盤を聴いて感じるのは、イマドキのエレクトロ感は極力控えめに、より80年代リスペクトなM83風シンセ・ポップと、それこそジャケの薔薇が似合う凛としたオトナの女性へと成長した、フロントマンローレン・メイベリーの力強い歌声を全面に押し出した至ってシンプルな"歌モノ"、その傾向が著しく増した印象。今作で惜しげもなく行われる「ローレン推し」は、”Leave A Trace”「ローレンしか映ってないMV」が何よりの証拠であり、この二作目でチャーチズが結論づけた「答え」だ。


三姉妹 ・・・前作で言うところの”Tether””Science/Visions”を連想させる、ミニマルでアゲポヨな展開にブチアガる3rdシングルの#5”Clearest Blue”、前作の6曲目”Under the Tide”と同じようにマーティンをメインボーカルとして携えた6曲目のHigh Enough To Carry You Over、このアルバム中盤の意図的というか確信的な曲順やアルバムの流れは、デビュー作から「何も変わってない」という今作の裏コンセプトを重ね重ね強く印象づける。しかし、ここまで全てが変わってない流れの中で、持ち前のミニマリズムとトリップ・ホップ的な音使いをもってアダルティに展開する#8”Down Side Of Me”は、「変わってない」が合言葉の今作で唯一「変わった」すなわち新機軸と呼べる一曲かもしれない。この曲は、【長女=Warpaint】【次女=Phantgram】【三女=CHVRCHES】揃って三姉妹的な解釈を持っている自分的に、三女のローレンが二人の姉姉妹の色気を学んだ結果みたいで面白かった。

『死亡遊戯 ・・・いわゆる”UKのアヴリル”を演じてみせた前作の”Recover”を彷彿とさせ、グワッと沈み込むようなイントロから名曲臭漂う#9”Playing Dead”は、そのタイトルどおり、まるで「前作から何も”変わってない”のに前作並に評価しない奴は殺す。ピッチフォーク殺す」というローレンの明確な『殺意』が込められた、それこそJanne Da Arc”ナイフ”の歌詞の如く「ローレンに”ナイフ”という名の”釘”を刺されたい!」、すなわち【Lたそ=ローレン・メイベリー】に僕の身体で『死亡遊戯』してほしいと思っちゃったんだからしょうがない。そしてイントロから「デデッデデデッデデデッデデデデデ♪」とハイテンションな#10”Bury It”は、二番目の「Bury It!! Bury It!!」からの「デデッデデデッデデデッデデデデデ♪」の後にローレンが「wow!!」とブッ込んでくる所なんて、ローレンコピペ連呼せざるを得ないくらい今世紀最大の萌パートだし、このアイドル然とした「あざとさ」すなわち【処女性】を失っていない、むしろオタクがブヒりそうな萌え要素を随所に散りばめた事が、いわゆる「二作目のジンクス」に陥らなかった一番の要因なんじゃないかって。本編ラストを飾る#11”Afterglow”は、いわゆる三姉妹の従姉妹に位置するノルウェーのSusanne Sundførを彷彿とさせる、崇高かつ神聖な雰囲気をまとったこの曲を最後の鎮魂歌に、ローレン・メイベリーという名のリアル天使に手招きされ、僕たち童貞は妖精となって『天国』すなわち『メイド・イン・ヘブン』へと旅立っていく・・・。この終盤にかけても「変わっていない」ことを、これでもかと釘を刺すような楽曲で一気に畳みかける。安心してください、今作を聴き終えた後には「ローレンに刺し殺されたい...」と思いますよ。もうなんか「ローレンに始まりローレンに終わる」ような、それくらい「ローレン推し」の一枚となっている。そして何を隠そう、このトキメキは・・・そう、僕の初恋であるキャリスタ・フロックハートに感じたあのトキメキと同じだった。

「ブヒ」 ・・・前作同様、相変わらずキャッチーなポップ・サウンドを実現しているのだけど、前作のように全曲シングルカットできるくらいの売れ線を狙った「あざとさ」は薄くなっている。僕たちの前立腺を駆け巡るようにカラッとした、思春期のフレッシュなピチピチキラキラした雰囲気も希薄となり、良くも悪くもロリっぽい幼さをウリとしていたローレンの歌声は、今作で少し大人っぽい落ち着きというか洗練された印象を受ける。そのお陰か、前作では少し違和感を感じたタイプの曲調が今作では違和感なくハマっている。10代のキッズのように情緒不安定なアゲポヨ的な曲展開も控えめで、曲のアレンジがアチラコチラにとっ散らかってないから前作ほど耳は忙しくないし、小気味良い転調を織り込みながらも、しかしあくまでもシンプルかつストレートな曲調/構成でノリよく聴かせる。もはや今流行の「余計な音を削ぎ落とした」系の作品と言い切れるかもしれない。曲単位ではなく、「アルバム」としてまとまってる感は前作より上か。それ故に「気づいたら終わってた」みたいな感覚も。一聴しただけでは捨て曲に感じる曲でも、「あ、ここブヒれる」みたいなパートが必ず一箇所はあったりするし、少なからず前作並に評価すべき(されるべき)作品だと思う。ローレンに刺し殺されたいってんなら別だが(いや、むしろローレンに刺し殺されたいんじゃないのか・・・?)



闇堕ち ・・・このようにメディアおよびフアンに対して付け入る隙を一切与えない、ディスる暇もない潔さという点では、デフヘヴンの新しいバミューダ海峡を彷彿とさせる。もはやチャーチズが闇堕ちしたらデフヘヴンになんじゃねーかって。まぁ、それは冗談として→今作、【新しい音楽をやってる=いい音楽】という思考の人にはまるで向かないアルバムです。確かに、ここまで【変わってない】となると、引き出しが少ないとか、結局これしかできないみたいな批判をされがちだ。でもおいら、【新しさ】より大事なのは【ソングライティング】だと思ってる人間で、僕がLiturgy『The Ark Work』よりDeafheaven『新しいバミューダ海峡』を高く評価する理由もそこにある。結論として、この『Every Open Eye』の勝因は徹底して【新しさ】を捨てたことです。つまり、Hostessさんはチャーチズを日本に呼ぶついでにデフヘヴンも呼んでくださいw

エヴリ・オープン・アイ
チャーチズ
ホステス (2015-09-25)
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