Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

椎名林檎

東京事変 『音楽』

Artist 東京事変
DuY

Album 『音楽』
wWc

01. 孔雀
02. 毒味
03. 紫電
04. 命の帳
05. 黄金比
06. 青のID
07. 闇なる白
09. 銀河民
10. 獣の理
11. 緑酒
12. 薬漬
13. 一服

おいら、もうずっと自分の中で椎名林檎=「日本のスティーヴン・ウィルソン」と信じてやまなくて、事実これまでもその自分勝手な“説”について書いたり書かなかったりしたわけ。近年、その“説”に俄然説得力を与える出来事があって、それは現代プログレ界を牽引してきたSWことスティーヴン・ウィルソンのバンド=Porcupine Treeが活動休止し、そのタイミングでSWは00年代後半にソロデビューを果たし、そして2017年の5thアルバム『To the Bone』を境にアンダーグランド界の帝王が満を持してメジャーデビュー、何を隠そう、その移籍先というのが業界最王手ユニバーサル・ミュージック傘下のEMI系に当たるCaroline International(2021年2月18日、Virgin Music Label & Artist Services.に改名)、つまりデビュー当時から東芝EMI/Virgin Music~ユニバーサル・ミュージックに籍を置く椎名林檎SWは、はれて実質的な意味で“レーベルメイト”となったわけ。

また、椎名林檎SWは、自身のバンドとソロ名義という大きく分けて2つのプロジェクトでキャリアを積み重ねてきた。無論、ソロ名義でキャリアを始め後に東京事変を旗揚げした椎名林檎と、Porcupine Treeというバンドでキャリアを始め後にソロへと移行したSWでは少し境遇というか勝手が違うけども。ともあれ、そのような前置きがありつつ、2012年に一度活動終了(解散)した東京事変は、その8年後の2020年に復活という名の「再生」を果たし、それこそお待たせしました。お待たせしすぎたかもしれませんの全裸監督精神に則り、実に約10年ぶりに発表された6thアルバム『音楽』が、もはや椎名林檎本人が「日本のスティーヴン・ウィルソン」であるという説を真正面から肯定するかのような大傑作となっている件について。

・・・と、いざ「ドヤ顔」で言ってみても、個人的には当時の東京事変よりもソロ名義の椎名林檎のがずっと好みだったのも事実で、そこまで思い入れがあるというわけではない自分が本作の『音楽』を聴いて思うのは、結局のところ東京事変って、例えるなら椎名林檎という名の頭脳=スティーヴン・ウィルソンのバックバンドにサンダーキャットスクエアプッシャーが参加してるような天才集団でしかないんだなってこと。

10年ぶりとなるアルバムの幕開けを飾る#1“孔雀”は、仏教において克服すべき3つの煩悩である「貪・瞋・痴」の三毒を題材とした、メタル並みのクソダサジャケットでお馴染みの2019年作の林檎ソロ『三毒史』のオープニングを飾る“鶏と蛇と豚”の伏線回収とばかり、仏教の般若心経いわゆる“お経”をリリックとして取り入れたアダルトでファンキーなある種の仏教ラップで、ちなみに“三毒”といえば同年に復活したUSオルタナ界のレジェンド=TOOLFear Inoculumのレビューにも三毒ネタを書いたのを思い出して、それは椎名林檎『三毒史』から無意識下で着想を得たのか、はたまた偶然に仏教的なネタが被ったのかは不明であるw

なんだろう、本作における【サンダーキャット~スクエアプッシャー~スティーヴン・ウィルソン】ラインで全て解決できちゃうような、つまり椎名林檎=「日本のスティーヴン・ウィルソン」説を裏付けるようなファンクやジャズ/フュージョンをバックグランドとしたプログレッシブなアート・ロック、メンバー全員作曲できる事変メンバーの中でもメインコンポーザーであり鍵盤奏者の伊澤っち作曲の楽曲は特にそれが顕著で、例えば#3“紫電”のピアノの美しく優雅な旋律を耳にすれば、もうそれはSWバンドの鍵盤奏者=アダム・ホルツマンが演奏しているような錯覚を憶え、そして終盤の「ドヤ顔ですよね」の下りのダ~ンダ~ンダ~ンの転調パートを耳にすれば、それはもうSWSWでも特にジャズ色の強い2ndアルバム『Grace For Drowning』の“Sectarian”と同等の楽曲構成にしか聴こえない。この『音楽』って、実質的にSW作品を聴いているような感覚と全く同じソレというか、ソロになって著しくジャズ/フュージョン化が進んだSWと同じように、この東京事変における椎名林檎も各分野のプロフェッショナルが織りなすジャズ~プログレベースのアート・ロック、あくまでセッションでメシ食ってる職人集団によるセッション軸のオシャンティかつグルーヴィな『音楽』に、林檎の才色兼備な歌メロが加わるだけで化学反応を超越したプチ事変が巻き起こっちゃうでしょ。なんだろう、これはもう「椎名林檎なりの『The Raven That Refused To Sing』」と言っても過言じゃないかもしれない。事実、この『音楽』の後にSWソロの初期作聴くとシックリきすぎて笑うし。それぐらい、ポップス云々以前に現代的なプログレとしても聴かせる『音楽』の面白さはちょっと異常だし、このメンツにイギリスのサックス/フルート奏者のテオ・トラヴィスが加入した音源妄想すんの楽しすぎw



林檎ソロにも通じる#4“命の帳”のクリーントーンのギターひとつとってもSWを想起させるし、武富士の某CMをイメージさせるAORチックな武富士シンセによるメインリフとUSインディロックみたいな浮雲の小気味よいカッティングギター、そして中盤の転調からはスペースロックmeetフュージョン・ファンク風に東京事変なりのシティ・ポップを繰り広げる#5“黄金比”で建築された“黄金都市”、初期のまだ雑味のあった頃の事変を想起させる#6“青のID”、開始2秒いや0.2秒で伊澤っち作曲だとわかるジャズいなピアノを軸に、浮雲中心のファンキーなパートから転調を織り交ぜて林檎中心のジャズパートへ、そして伊澤っちの筋肉がはち切れんばかりのスリリングなソロパートが絡み合う、隅から隅までサンダーキャット然とし過ぎている#7“闇なる白”、そしてローファイ味を無くした雷猫みたいなスペースサイケ風を装って始まる#9“銀河民”は、伊澤っちパートの歌詞に「ちょ大丈夫人類 ケンチャナヨ退化してんじゃね 進化しよういっそ早う遊ぼう」ってのがあって(「ちょ」はキムタクリスペクトか?w)、そのタイトルの“銀河民”といい、劉慈欣のSF小説『三体』に登場する“主”を待ち望む降臨派の心の内を歌っているかのような、あるいは東京五輪の開会式・閉会式のプランニングチームに就任していた“過去”を持つ椎名林檎が東京五輪を取り巻く“現状”を憐れむかのような曲の気がしないでもないというか、このコロナ禍において自由と尊厳を奪われたニッポンの衆に再び尊厳と自由、そして勇気を与えるかのような、とにかく「これこそが真のオリンピア精神だ」と言わんばかりの皮肉と母なる愛が込められている。ちなみに、この曲には「ケンチャナヨ(大丈夫)」の他に「クロッタニカ(そうだから)」や「ケイセッキ(←そんな歌詞ねぇからw)」などの韓国語をブッ込んできて驚いたというか、これまでネトウヨマーケティングを展開してきた椎名林檎がこのタイミングでブッ込んできたのは、もはやイギリス人のSWもビックリのトンデモナイ皮肉に感じちゃう。というか、韓国の歌姫であるIUの新譜の最後の曲について初期の椎名林檎っぽいって書いたけど、その伏線がこんな形で回収されるとは思ってもみなかった引力。


亀田っちは流石に“林檎らしさ”を引き出すのが一番うまいと再確認させる、例えるなら斉藤和義の“歩いて帰ろう”と『勝訴ストリップ(というか“虚言症”)の頃の椎名林檎がタイムトリップして邂逅を果たしたような#10“獣の理”、東京利権五輪の「おもてなし」なんかよりもこの曲のMVを世界に発信したほうがよっぽど有意義な#11“緑酒”、そして本作のハイライト、いや「再生」宣言以降のハイライトを飾る#12“薬漬”は、日本の赤いガールズバンドが後世に残した黒盤をフラッシュバックさせる、となると自然とSWとも共振する“副流煙”を浴びせるように幽玄かつサイケデリックなムードから、ノイズロック然とした浮雲によるダーティかつソリッドなギター、そしてクライマックスを飾る林檎の狼狽に共鳴して唸り声をあげる浮雲のメタル魂が炸裂するギター・・・なんだろう、自分の中にあるもう一人の日本のスティーヴン・ウィルソンが影で一緒に弾いてるようにしか思えなくて、これもう実質ブラック・ゲイズだろみたいな轟音ノイズ(これ絶対にアイツが浮雲に憑依してるでしょw)、このカタルシスを呼び覚ます轟音パートすらもSW的というか、例えるなら“Pariah”のようにクライマックスに向けて段階的に盛り上がっていく曲構成と目玉となる【女性の狼狽】【ゲイズ】の組み合わせ・・・この黒猫でも雷猫でもない稲妻の如しギュルギュル鳴らす系のゲイズって、どう聴いてもただのシューゲイザーじゃない、いわゆるシューゲイザー・メタルに片足突っ込んでる轟音ノイズってどっかで聴いたことある気がしたけど、なかなかどうして思い出せない・・・(喉元まで出てきてるのに)。まず真っ先にAlcestではない、とするとDeafheavenか・・・?と、ずっと曖昧なまま本当の答えが導き出せないでいた次の瞬間・・・・・

「あーーーーーーーー!!思い出したーーーーーーーー!!このゲイズって完全にアナセマの“スプリングフィールド”だーーーーーーーーーーーーー!!あ゛ーーーーーーーーーーーーーー!!あ゛ーーーーーーーーーーーーーー!!あ゛ーーーーーーーーーーーーーー!!ケイセッキヤァーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!あーーーーーーーーーーー!!スッキリしたーーーーーー!!そしてまた全てが繋がったーーーーーーーーーーーーー!!やっぱ林檎ちゃん天才だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

というか、この曲も伊澤っち作曲かよ・・・ただの天才じゃん(やっぱり「筋肉」は嘘つかないよなw)。でも改めて、「日本のスティーヴン・ウィルソン」としての完全究極体伏線回収(勝手な決めつけ)、そして「もう一人の日本のスティーヴン・ウィルソン」こと某ギタリストへの鎮魂曲を書いてくれたことに、今はただ林檎ちゃんには感謝の念しかない。間違いなく天まで轟いてる、というか、しつこいようだけどアイツも裏で一緒に弾いてるだろこれw 確かに、この曲のタイトルが“薬漬け”なのは「シャレにならない、もう笑えない」けど、一周回って逆に粋なのか?逆に。

この『音楽』におけるが示す“色”の役割とその意味について。端的に言ってしまえば、このアルバムが“孔雀”から始まっているのが全てを物語っていて、要するに孔雀と題して虹色をメタとして示すことで、あらゆる世界の分断を憂い、虹色の世界=環天頂アークの実現を祈る椎名林檎なりのリベラリズムと人類への愛がダイレクトに込められている。ここまでストレートな“答え”がある『音楽』って、林檎関連作品の中でも稀なんじゃないか?ぐらい。一見、この手の反知性主義者を揶揄するようなリリックやリベラル的な歌詞って説教臭いと受け止められがちだけど(別に林檎が近所の説教臭いお節介おばさんになったという訳ではなくて)、そこまで極端に思慮的ではなく、それでいてもの凄く楽観的(Optimist)な包容力のあるリリックをもって、今の世界を取り巻く現状について優しく語りかけている。事実、このタイミングでSWと同じリベラルな“left-field music”を示すように、アルバムラストを飾る“一服”にもあるセンターライン(中道)周辺のリリックの伏線回収としている。もはやニッポンの衆は全員、一人残らず椎名林檎の子宮から生まれてきたんじゃねーか説が芽生えるくらい、つまり「日本の母=ビッグ・ママ」こそ椎名林檎であり、ただただ圧倒的な「母なる愛」に抱かれる。ハッ・・・もしや彼女こそ三体世界における“主”だったのか・・・?

なんだろう、SWがソロ名義でやってることと全く同じ、つまりメジャーデビュー以降のSWが発表した『To the Bone』と今年のThe Future Bitesは、昨今のポスト・トゥルース時代における危機感をリアルな声としてリリックに込めた非常にパーソナルな作品だったけど、今回の事変も全くもってそれと同じなんですね。要するに、初期のジャズ~プログレラインの音楽的側面と“今”の現実世界で巻き起こっている出来事の“今”の“今”を映し出すリリック/コンセプトの両立という、SWでもなし得なかった難関をクリアしちゃったのが今回の事変なんですね。奇しくも同年に、SW東京事変の新譜が発表される因果(前者は延期で、後者も2020年にほぼ完成していたらしい)、そのThe Future Bites“left-field music”を示したスティーヴン・ウィルソンへの回答として、「日本のスティーヴン・ウィルソン」なりの“left-field music”を提示した『音楽』は、同じ「ポップ・ミュージック」あるいは「ポスト・ポップ」として否応なしビンビンに共鳴しまくっている。それこそ、事変が主題歌を担当した某子供探偵の名台詞「真実はいつもひとつ」ならぬ「真実はいつも『音楽』の中にある」ことを改めて思い知らされた一枚。いや、このアルバム相当ヤバいな・・・。間違いなく「何かが宿ってる」、色々な意味で宿ってる『音楽』だと思う。しっかし、こんな名盤を聴かずして逝っちゃうなんて、アイツもとんだ大馬鹿野郎だな~~~!!って、そうそう、本作を象徴する“虹色”に必要不可欠なオレンジ色が“誰”で補完されてるなんて、もう言わなくてもわかるよな?

BiSH 『GiANT KiLLERS』

Artist BiSH
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mini album 『GiANT KiLLERS』
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Tracklist

1. GiANT KiLLERS
2. Marionette
3. Nothing.
4. 社会のルール
5. VOMiT SONG

ずっと見たい見たいと思ってた、自称「楽器を持たないパンクバンド」ことBiSHのライブを今年の1月にようやく見れたと思ったら、ライブ中に清掃員(BiSHファンの総称)の清掃活動に巻き込まれて左脇腹にクソでかい痣ができてからというもの、一転して「さっさと清掃員とBiSHは解散しろ」と強く願ってやまなくて(アユニは別)、どうせ来年いや年内で「いま最もキテるメイドバンド」ことBAND-MAIDにブチ抜かれるのは目に見えてから「どーでもよ~」みたいな、だからBiSHは今のうちにBAND-MAIDと対バンさせて頂いて、つまり【楽器を持たないパンクバンド VS. 楽器は持っているが弾くとは言ってないメイドバンド】で、松隈さん率いるSCRAMBLES作曲の”FREEDOM”彩ちゃんアイナ・ジ・エンドでツインボーカル披露しろよと、冗談じゃなしにそれくらい、ハッキリ言って今のBABYMETALや今のBiSHよりも今のBAND-MAIDのが数千倍面白いです。でもおいら、BiSHのライブにはもう二度と行かないと胸に誓いながらも、BiSHの「アユニと楽曲だけは別」という、いわゆる「楽曲派」とかいうドルヲタ特有のタチの悪い考えを持っているクズなので、昨年リリースされたメジャー1stアルバムKiLLER BiSHから約一年ぶりとなるミニアルバム『GiANT KiLLERS』が、6月8日限定でitunesで買うとアユニ加入後の2017年版BESTアルバムが付いて900円という破格の値段で投げ売りされてたから早速聴いてみた。

金かけすぎだろ


ここ最近のBiSHは、メジャー1stアルバムのリードトラックの”オーケストラ”や今年発表されたした2ndシングルの”プロミスザスター”みたいな、いわゆる「メジャー感」溢れるポップさを押し出した大衆向けの曲をプッシュし露骨に「売れ線」を狙い始めていて、つまり「パンクバンド」らしからぬアンチパンク精神むき出しな感じが、どうにもブレを感じてしまってしょうがなかった。しかし、その不満感を払拭するかのように、この『GiANT KiLLERS』の幕開けを飾る表題曲の”GiANT KiLLERS”から、パンクでファンクなBiSHらしいヘドバン不可避なリズム/テンポで進む曲で、まずは戸川純顔負けのアイナの破天荒ボイスを先頭に、そのアイナと対照的な気だるい存在感を放つチッチ、この手のパンキッシュな曲だとリンリンが頭おかしなって「キエェェェェエイ!!」と奇声上げ始めるし、一人だけいつもと変わらないハシヤスメの絶望的なリズム感のなさとマイペースさが逆に個性として映えるし、モモコグミはおるのかおらんのか分からん存在感の薄さが”らしく”て最高だし、そして「欲しがりません 後は 戦え」というこの曲で一番美味しいサビの歌詞パートを任されたアユニの悪ガキ感全開のヤンチャな歌声は”My distinction”の「キモ~!」に匹敵する名ギャップフレーズだし、そこへ清掃員のキモいシンガロングとコールが組み合わさって、まさしく「メリーゴーランド」と見せかけてジェットコースターのように目まぐるしくてんてこ舞いに展開する、それこそ竜宮寺育氏の「歌詞」とメンバーの尖りまくった「個性」とクソみたいな「清掃員」のクソさ加減が共鳴しあった、すなわち一体感とライブ感が一つになった、もはや「BiSHと言えばコレ」な一曲と言える。

アイナメインだった”My distinction”と対になるチッチメイン、というより、もはやチッチのソロ曲レベルにチッチのエモい歌をフィーチャーした2曲目の”Marionette”は、まずイントロからBiS”Fly”への回答を示しつつ、ショーケースの中に入れられた「人形」の孤独な哀しみをアイドルという「操り人形」に投影させる、そのモモコグミが作詞したメンヘラもとい耽美的な歌詞とチッチの持ち味であるエモさが古き良きV系ロック的なイメージを強調し、アイナパートの「届かない本当の声が」の所では北欧フィンランドの至宝The Rasmusラウリ・ヨーネンのハスキーボイスとアイナのハスキーボイスが共振する。実は、”GiANT KiLLERS”のチッチパートの「全て飲み込んで行こうぜ」の部分が初期椎名林檎を彷彿させたのもあって、チッチが意図的に椎名林檎を意識して歌ってたかは知らないが、この曲ではよりチッチ椎名林檎成分が出てるというか、ちょっと面白いのは、アイナ戸川純チッチ椎名林檎という構図が既に出来上がっているところで、あらためてBiSHの最大の魅力はこのアイナチッチのツインボーカルにあると再確認させる。正直、今のアイナってVampillia経由で戸川純と共演してもおかしくない器のデカさある。



3曲目の”Nothing.”は、いわゆる近年のBiSHが傾倒している”オーケストラ”系のメジャ感溢れる青春ポップソングで、この曲の歌詞もモモコグミが手がけており、あらためてモモコの作詞家としての才能に脱帽するし、他にもチッチの裏声も注目ポイント。一転してスカっぽいコミカルなノリで展開するハシヤスメ作詞の”社会のルール”では、歌詞の中にハシヤスメをブッ込んでくるくらいハシヤスメの自己主張が凄い。最後の”VOMiT SONG”も往年のBiSを彷彿させるリンリン作詞の胸キュン哀愁ナンバーで、この曲も(特にアイナが)謎のThe Rasmus感あって笑う。これ聴いたら、あらためてリンリン作詞の曲にハズレなしだと思った。ここまで全5曲のミニアルバムながら、メンバー全員の個性および作詞スキル、そして「アユニと楽曲だけは別」という言葉の説得力が増す曲の良さまで、とにかく良くも悪くもメジャー以降のBiSHが持ちうる魅力の全てが凝縮された、悔しいけどやっぱBiSHスゲーと思い知らされた一枚。正直、無駄がないぶんフルアルバムよりも良いかもしれない。

確かに、いくつかの曲はBiSH専用というよりWACK界隈特有の曲調およびノリだが、しかしそこはBiSHの魅力で、メンバー作詞の歌詞とアイナとチッチのツインボーカルがあればなんでもBiSH色に、クソ色に染め上げてしまう、それくらいクソ最高なミニアルバムならぬクソアルバムだ。でもやっぱり清掃員とBiSHはクソだから(アユニは別)さっさと解散するかバンメと対バンしろ。

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BiSH
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宇多田ヒカル 『Fantôme』

20160809-utadahikaru

Tracklist

01.
02. 俺の彼女
03. 花束を君に
04. 二時間だけのバカンス (feat. 椎名林檎)
05. 人魚
06. ともだち with 小袋成彬
07. 真夏の通り雨
08. 荒野の狼
09. 忘却 (feat. KOHH)
10: 人生最高の日
11: 桜流し

ヒッキーこと宇多田ヒカルの約8年ぶり通算6作目となる新作、その名も『Fantôme』はフランス語で「幻」や「気配」を意味する言葉らしい。

自分の中で宇多田ヒカルっていうと、まだ日本で音楽番組が盛んだった時代に一世を風靡した女性歌手、みたいな漠然としたミーハーなイメージしか持っていないのだけど、当然、代表的な曲はTVや街中から聴こえてくるBGMとして耳にしていたからよく知っている。しかしどうだろう、今の時代どの街を歩いてみても「音楽」というか「音」そのものが街中から消えてしまった、ここ数年そんな言葉をよく耳にするようになって久しい。

では最近、「宇多田ヒカル」の名前を明確に意識したのって何時だろう?と記憶を巡らせてみた。それは数年前に『宇多田ヒカルのうた -13組の音楽家による13の解釈について-』をたまたま姉から譲り受けて聴いた時だった。この作品は、ヒッキーと同じ1998年デビュー組の椎名林檎浜崎あゆみをはじめとした著名なアーティストが宇多田ヒカルの名曲をカバーしたコンピレーション・アルバムで、日本がまだ音楽に対して強い関心があった時代にシノギを削り合ってた歌姫同士が、十数年の時を経て互いに認め合うかのようでもあって妙に胸がアツくなった。

思わず「ハッ」っと目が醒めるようなイントロで始まる一曲目の”道”から、荊棘のように険しく、しかし薔薇のように美しい『人生』という名の『道』を力強く踏みしめていくようなリリックと、往年の宇多田ヒカルらしくもありながらも、しかしwoob woobもといダブステップなどのイマドキ感溢れる打ち込みを擁したR&B調のリズム&ビートを刻んでいく、それこそオープニングを飾るに相応しいアリアナ・グランデもビックリの「王道的」な「ポップス」で、もはや「日本の音楽は全て宇多田ヒカルから始まる」と言わんばかりの、それこそ「シン・J-POP時代」の幕開けを宣言するかのような名曲だ。この曲だけで海外のitunesチャートを一時席巻したというヒッキー本人もビックリのニュースに多少なりの説得力が持てるんじゃあないだろうか。

何が面白いって、それこそこの『Fantôme』を勝利への『道』へと、スピリチュアな『道』へと導くかのようなイントロ及びバッキバキの打ち込みやミニマルなフレーズを耳にした瞬間、天声ジングルをドロップした相対性理論やくしまるえつこが嫉妬して更に病んでしまう事案が容易に想像できてしまったことだ。世界中の人が「これが本物のJ-POPなのか」と思ったハズ。あとサビに挟まれる「Run」がyoutubeのドッキリシリーズ『Jalals Run』を思い出してどうしても笑ってしまう。

まるで全てのJ-POPを過去のものにするかのような、大袈裟じゃなしにそれくらい今のJ-POP界に大きな風穴を開けるような”ファースト・インパクト”となる幕開けの余韻に後ろ髪を引かれながらも、盟友椎名林檎リスペクトな少しオラついた歌い方で始まる二曲目の”俺の彼女”は、男視点のダーティな歌詞と女視点の歌詞を演じ分ける”ジェンダー”なボイス・パフォーマンスを筆頭に、中盤から終盤にかけて美しくも儚い人生を優雅に彩るようなストリングスを全面に押し出した、それこそポスト-系にも通じる壮麗優美な展開には只ならぬエネルギーを感じさせる。あと終盤の「俺には夢がない~」以降のもう本当にどうしようもない歌詞がもう本当にどうしようもなくてサイコー。

『ブス姉ちゃん』こと高畑充希主演の朝ドラ主題歌として、毎朝半ば強制的に聞かされていた三曲目の”花束を君に”、フレンチポップみたいなイントロから始まる四曲目の”二時間だけのバカンス”では椎名林檎とのデュエットを披露していて、正直椎名林檎が宇多田ヒカルの曲をカバーしただけでも十分凄いことだというのに、まさか宇多田ヒカルのオリジナル・アルバムでガチでコラボしちゃうなんて思いもしなかったというか、これは朝ドラ主題歌の件もそうだのだけど、ここ最近の椎名林檎の目覚ましい活躍が活動休止中のヒッキーにどれだけの勇気と刺激を与えたのか、そしてどれだけ大きな影響を与えたのかが分かる事案でもある。もはや禁断の果実の如し、アンタッチャブルな二人の歌姫による小百合ナンバーだ。

ハープの音色による幻想的な世界観を繰り広げる#5”人魚”、小袋成彬氏をゲストに迎えた曲でtoeっぽいミニマルなアコギ主体の#6”ともだち”、某ニュース番組のED曲の#7”真夏の通り雨”、オシャンティなトラックと歌謡曲を経由した往年のJ-POPらしいヒッキーの歌が素晴らしい8”荒野の狼”、アトモスフィアな音響空間の中で日本語ラップ界の新生KOHHによって尾崎豊を現代に蘇らせる#9”忘却”、そのタイトルどおりめっちゃ前向きなJ-POPチューンの#10”人生最高の日”

実はカバー集の『宇多田ヒカルのうた』よりも前に「やっぱ宇多田ヒカルってスゲーわ」と思い知らされた出来事があって、それが『新劇場版エヴァンゲリオンQ』の主題歌として起用された”桜流し”を聴いた時だ。この曲を初めて耳にした瞬間、昨年奇跡の来日公演を果たしたANATHEMA”Untouchable, Part 2”が脳裏に過ぎったくらい、いわゆるPost-系バラードの一つの完成形で、僕はここでも「なぜ日本におけるPost-Progressiveとかいうジャンルが女性的なジャンルであるのか」を再確認した。もっとも面白いのは、この曲はヒッキーとイギリス人プロデューサーであるポール・カーター氏の共作であるところで、このそこはかとないUKミュージックっぽい感じの正体は、他ならぬ彼によるものだったのだ。

まるでメンヘラクソ女の自撮りみたいなジャケから放たれるは、『シン・J-POP時代』の幕開けだった。自分は熱心な宇多田ヒカルフアンとかではないので、このアルバムを椎名林檎『日出処』相対性理論天声ジングルというメンヘラサブカルクソ女フィルターを通してでしか分析できないが、正直それ抜きにしてもJ-POPとして文句なしの傑作だし、この日本にはまだ「曲が書ける」人が存在するんだって素直に喜びを噛み締めた。でもやっぱり椎名林ンゴの影響力ってスゲーな思うし、恐らく2020年に開催される東京ンゴ輪ではきっと何かしらの楽曲提供、あるいは林ンゴと一緒に音楽面でのバックアップが期待できると思うし、当然期待したい。あと始めと終わりの曲がずば抜けて凄いところや、”人生最高の日”から”桜流し”の流れが、『天声ジングル』”おやすみ地球”から”FLASHBACK”の流れに似たナニかを感じたから、やっぱこれ聴いたえつこ嫉妬してヘラってるわ多分。

今のように複数形態やCDという名の握手券などの”アコギ”な売り方が当たり前ではなかった、「あの頃」のように通常一形態でのリリースという潔さからは、正しい音楽のあり方を、正しい音楽の楽しみ方を忘れてしまった現代の僕たちを戒めるかのよう。まるで宇多田ヒカルというファントームに導かれ、「あの頃」と全く同じ音楽体験そのノスタルジーと記憶をフラッシュバックさせる。もはや宇多田ヒカルの歌声は、「音楽」の価値というものが著しく失われつつあるこの現代社会を生きる人々に、まだ「音楽」が日常として身近に存在していた「あの頃」と同じように、それ即ち「気配」と同じように人々の側にソッと常に寄り添うかのよう。まさしくこれが「生ける音楽」なのかもしれない。
 
Fantôme
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宇多田ヒカル
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tricotのイッキュウ中嶋がソロデビュー始動!

かつお

ぼくかつお「お~い中嶋~!野球しようぜ~!ついでにヒロミ・ヒロヒロソロデビューしようぜ~!」

音楽メディア「tricotのメンバーがソロ活動開始!」

ぼくかつお「おっ、遂にヒロミ・ヒロヒロソロデビューキターーー!?」

音楽メディア「中嶋イッキュウがソロデビュー!」

ぼくかつお「ファッ!?」

イッキュウ中嶋「このあと3時半からユーストやります」

ぼくかつお「一体どこに向かってんだコイツ・・・」

イッキュウ中嶋「デビュー曲のMVアップしました」

ぼくかつお「しゃあない、聴いてみるか・・・(ポチ)」




ぼくかつお「イッキュウ中嶋が川本真琴、椎名林檎みたいなサブカルクソ女化してるやん!」

ぼくかつお「でもちょっと待てよ?冷静に聴いてみると思いのほかイケるんじゃあないか・・・?」


転載

今年に入って『KABUKI EP』を発表したばかりの爆裂ガールズトリオtricot、そのギター/ボーカルのイッキュウ中嶋がソロ活動を開始した。今年に入ってからというもの、遺作となった『★』をリリースしたデヴィッド・ボウイプリンス、そして新作の『Love, Fear and the Time Machine』で漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の世界に入門してきたRiversideのギタリストピョートルが相次いで亡くなり、個人的にヘラって意気消沈してたところに、たまたまイッキュウ中嶋のブログを覗いてみたら、新年の挨拶に「磯野、野球しようぜ」とかいう文字が入ったクソコラ画像みたいな上記の写真を発見して、それが自分が作ったカツオのクソコラ画像に対する回答という名の私信に感じて、なんかちょっと元気が出たというか、ちょっと笑わせてもらったナニがある。

話を戻して、イッキュウ中嶋のソロデビュー曲的なナニかについてなんだけど、まずはこのMV、ザックリと言ってしまえば「イッキュウ中嶋が真夜中の東京を歩きながら歌う」という至ってシンプルなMVで、そういえばきのこ帝国”クロノスタシス”がこんなMV撮ってたなーとか思いつつ、唯一違うのはきのこ帝国の佐藤千亜妃はソロ活動みたいな事はしてるが、ソロデビューは(まだ)していないという点か。その格好も歌舞伎町にある場末のスナックの姉チャンがへべれけになって、深夜の街をふらつく酔っぱらいにしかみえなくてウケるんだけど、というより、これはもうイッキュウなりに椎名林檎の”歌舞伎町の女”を表現したMVだ。で、そんなことより肝心の曲はどうなの?っつー話で。

この曲のタイトルは”sweet sweat sweets”、その曲調は端的にいうと初期の椎名林檎リスペクトな、それこそMVのコンセプトとも言える”歌舞伎町の女”の世界観を経由したオルタナ風のJ-POPで、本家のtricotとは一線をがした、いわゆる”歌モノ”を披露している。言わずもがな、イッキュウ中嶋の歌声や歌唱法には林檎や川本真琴ほど人を惹きつけるカリスマ性やサブカルクソ女界を牽引する”アイコン”としての魅力はない。そもそも、イッキュウって「tricotの中嶋イッキュウ」だからここまで注目されているキライもあって、逆にそのイッキュウ中嶋がバンドから離れて一体ナニを表現しようというのか、その一人の表現者としての第一歩がこの曲なんだろう。

ソロプロジェクトといえば、あのDIR EN GREYですらボーカルの京がsukekiyoやったりしてるわけで、ソロ活動自体別に珍しくもなんともない出来事なのだ。当然、フアンの中には「(tricotがイケイケの今なのに)時期早尚なんじゃあないか?」、つまりソロ活動によって本家のトリコが蔑ろになってしまうんじゃあないか?と不安を憶える人も居るだろう。しかし、それについては既にイッキュウ中嶋が「TRicotSKISKIだから無問題」的な声明を発表しているので、そこは安心していいハズ。むしろ、私はむしろ逆で、これからソロで経験する事が本家のトリコにどのような影響を、どのような相乗効果を生み落とすのか、今からワクワクしんがら前向きに捉えるべきだろう。トリコでは見れない、イッキュウ中嶋の新しい才能、そして様々なアーティストとのコラボレーションに期待したい。

本当に面白いのは、昨年にきのこ帝国の佐藤千亜妃が新作の『猫とアレルギー』の中で「#椎名林檎の後継者なの私だ」宣言をしたこと、それに対して「ちょっと待った!」をかけるの如し、イッキュウ中嶋が「#いやいや椎名林檎の後継者なの私だ」をやってのける展開は普通に面白すぎる。

【祝】Apple Musicサービス開始!

2015年6月30日、日本では7月1日、遂にApple Musicのサンビスが開始された。そこには、新しい音楽の未来が広がっていた。

さて、近頃はゴネ得ババアもといアメリカの歌姫テイラー・スウィフトと収益についてアツいプロレスを繰り広げていたApple Musicさんだが、この日本でも何事もなく無事にサンビスが開始されたということで、さっそくApple Musicを使ってみた。まずApple Musicを利用するには、初めにクレカの登録もしくはitunesの残高が980円以上ある人しか利用できないという若干ハードルを設けており、サンビス開始から三ヶ月間無料なのにも関わらずバリバリ課金させる前提のApple Musicさんだが、まぁ、それは仕方がないとして、とりあえずどんな音楽が配信されてるのか、一番に気になる所だ。手始めに当ブログでもお馴染みのスティーヴン・ウィルソンANATHEMA率いるPost-Progressive勢をチェックした結果、当然のように最新作以外のほぼ全アルバム配信されてて素直に驚いたというか、「海外の人はこんなバケモンチートツールを数年前から日常的に使ってたのか・・・」みたいな、なんかスゲー時代というか世界に取り残された感あったし、それこそ「音楽界の夜明けぜよ...」的な坂本龍馬もビックリの衝撃を受けた。でもなにか足りないことに気づいた、ANATHEMAがソニー傘下のMusic for Nationsからリリースした『Judgement』『A Fine Day to Exit』『A Natural Disaster』、通称Fine Days 1999 - 2004だけピンポイントで配信されてない!ソニー許すまじ!

JDAとABCのトップソングに連なる月光花とイエスを見たyasu→「俺たちはバラードバンドじゃない!」

勿論、洋楽はほぼほぼ揃ってる。それなら邦楽およびV系界隈はどうか調べてみた。まず驚いたのは、Janne Da ArcAcid Black Cherryがほぼ全アルバム、ABCに至ってはカバーアルバムまで配信されてたのは予想外だった。Janne Da Arcはまだしも、というかJDAはエイベが仕掛けた国産定額制ストリーミングサービスAWAの広告塔になってたから、てっきりAWA独占かと思ってた。それよりも驚いたのはABCの方だ。イメージ的に、yasuってこの手のサンビスにどちらかと言えば否定的な人間だと思ってたから、余計に驚いたというか、やっぱJanne Da Arcyasuって本当にリスペクトできる存在だなって、考えが改まった。しかもka-yuのソロプロジェクトであるDAMIJAWkiyoのソロ・アルバムまで配信されてるってんだから、ジャンヌメンバーには本当に頭が上がらない。だってさ、腐っても一応は海外でも活動しているDIR EN GREYXなんかは一切配信されていないし、やっぱ俺の中でDIR EN GREYJanne Da Arcを超えることはないなって、この出来事からも再認識した次第だ。正直、Xに至ってはヨシキがツイッターで「俺たちは世界で人気だぜ!」みたいなハッタリかましといて、こういう音楽シーンの動きには全く疎いから俄然日頃の発言に説得力が生まれないというか、しかーし、X JAPANの約20年ぶりとなる新作の発表コメントに→YOSHIKI「今後音楽がストリーミングに移行していく中、なぜフルアルバムが必要なのかと考え...」とあって、これから日本にも『大ストリーミング時代』がやって来ることをきちんと理解してるみたいだから許した。ついでにX JAPAN主宰の『Xフェス』『救世主復活』させたらもっと許す。とは言え、楽曲を配信するor配信しないなんてのは所属レーベルの方針だってのは百も承知だし、配信しているアーティストが偉いだとか配信してないアーティストがダメとかの話ではないけど、それでもやっぱり配信してないアーティストってちょっとダサいと思う。皮肉なもんで、活動休止状態のJanne Da Arcが定額制に積極的な未来志向を持ったバンドで、今現在活動中のDIR EN GREYが旧来志向であるという逆転現象は何とも皮肉な面白さしかない。というか、むしろV系みたいなバンギャ主導のニッチな界隈にこそ、定額制ストリーミングを積極的に使ってパンピーを引っ張って来るべき、そういう時代だと思うんだけど。ともあれ、やっぱりJanne Da Arcがナンバーワン!林LOVE!


もう一つ気になったのは→「CDはもうダメでしょ」の名言で知られる椎名林檎の動向で、それが物の見事に配信してなくて正直「ん?」ってなった。まさかあんな発言しといて配信なしとか→「なに?日出処のジャケみたいにテイラー・スウィフトごっこでもしてんの?lol」って、あの発言からこの動きはちょっと説得力に欠けるなって、ちょっと皮肉交じりに小言を言いたくなった。とは言え、何度も言うけど配信するしないはアーティストの意向というより各レーベルの方針でしかなくて、実際に大手のソニーはApple Musicに楽曲提供しないことを以前から表明していて、事実ソニー系列のねごとは一曲も配信されていなかった(LINE MUSIC独占?)。しかし近い世代のtricot赤い公園tricotに至ってはシングルを含め(つまりヒロミ・ヒロヒロ作曲のダイバーまで!)最新作やEP含む全アルバム配信していてサスガだなと関心した。意外だったのは相対性理論が全アルバム配信してた事(さすが俺たちのえつこ!LOVEズキュウウウン!!)。で、今年メジャー移籍組のShiggy Jr.きのこ帝国はメジャー移籍後の最新シングルのみ配信されている所を見るに、やっぱり以前まで所属していた各レーベルに大きな権限があるのだと理解できる。最も関心したのは、tricotに至ってはいち早くApple Musicを利用したライブの宣伝をツイッターに投下していて、それは「今なら無料だから予習してライブに来てね」という趣旨の話だ。個人的にタイムリーな話になるんだが、おいら、今年に入ってtricotのワンマンライブを「音源の予習ができなかったから」という理由でチケを発券したにも関わらず行かなかった、という苦い経験がある。つまり、もしApple Musicのサンビス開始があと数カ月早まっていたなら、このようにApple Musicで音源を予習してtricotのワンマンを観に行ったという、そんな"もう一つの未来"もあったかもしれないわけだ。しかし、このApple Musicの登場によって、もう二度と僕のような過ちを犯す人はまず大幅に軽減されるだろうし、CDは買わないけどApple Music含む定額制音楽サンビスで音源を聴いて、そして気に入ったからライブへ足を運ぶ(運んでみよう)とする、この【CD→ライブ】という一連の流れこそ新時代の音楽体験、この【CD→ライブ】への移行こそ今後の主流となってくるのではないか?というお話。というより、このやり方が新時代を迎えた日本の音楽シーンで、バンドおよびアーティストが生き残っていく唯一の方法なんじゃあないかって。これも皮肉なもんで、椎名林檎の影響を受けた赤い公園tricotが常に邦楽界の最先端を歩んできた椎名林檎を追い抜いて、既に定額制音楽サービスを駆使した最先端の音楽活動を始めている、この逆転現象は皮肉と面白さしかない。だから今の若い子やキッズは、椎名林檎ねごとよりも、tricot赤い公園のライブに、それこそ上記ツイートのライブに率先して行ってやって欲しい。そして、他でもないこいつらが新時代の音楽シーンに生きる最先端のバンドだって、そう信じてサポートしてやって欲しい。さすれば君は、晴れて俺たちペリー提督率いる黒船団の新たな一員として仲間入りを果たすだろう。まぁ、それは冗談として→そんな事よりテメーらApple Musicヒロミ・ヒロヒロ”ダイバー”を聴いて萌死ね!

おいら、『創作の価値』なんて小難しい話ができるほど頭が良くないので、その辺の議論は知識人に任せます。一つ要望を挙げるとすれば、プレイリスト機能を使って『◯◯の曲で打線組んだ』シリーズ作りたいんで、プレイリストをブログに埋め込みできるようにして欲しい。ともあれ、これからは配信していないアーティスト=時代遅れのダサいアーティストみたいな角印を押されかねない時代になってくるんじゃあないかって。だから今の林檎、ちょっとダセーなw そしてソニー、やっぱりダセーなw
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