Artist Gojira

Album 『Fortitude』

Tracklist

Album 『Fortitude』

Tracklist
02. Amazonia
03. Another World
04. Hold On!
05. New Found
06. Fortitude
07. The Chant
08. Sphinx
09. Into The Storm
10. The Trails
11. Grind
この時代にシングルを5枚も出すほどの「今最も景気の良いメタルバンド」であり、Deftones主催のフェスではローレン・メイベリー率いるチャーチズと共演し、そしてディズニー映画『アナと雪の少女』の主題歌でも知られるノルウェーの歌姫AURORAからも支持されている、言うなれば「世界一モテるメタルバンド」が今現在のGojiraだ。
1stシングル「Another World」
度重なるアップデートによってクソゲーから神ゲーへと進化したゲーこと『No Man’s Sky』を想起させる、そのゲーム風のアバターと化したゴジラメンバーが宇宙へと旅立つフランスらしいアニメ仕立てのSFチックなMVからして(ラストは映画『猿の惑星』オマージュ)、小島秀夫監督の『デス・ストランディング』や『サイバーパンク2077』からも垣間見れるように、昨今のトレンドの一つと言っても過言じゃないゲーム音楽界隈とヘヴィ・ミュージック界隈のコラボレーションを的確にオマージュしつつ、そのサウンドもフランスメタル界のレジェンド=Gojiraがフランスのプログレ界を代表するレジェンド=Magmaをエクストリーム・メタルの解釈で再構築したような前作の6thアルバム『Magma』の流れを素直に踏襲した、あのTOOLに肉薄する“ポスト・キザミ”を駆使した要は「ポスト・スラッシュの行き着く先」、その最終地点であるかのようなエクストリーム・プログレを展開する(Spotifyだとこの曲だけ音量デカい説)。
2ndシングル「Born For One Thing」
Gojiraほど近年のメタルシーンに影響を与えたバンドは他にいないんじゃないかって。中でも、彼らの最高傑作と名高い2008年作の『The Way Of All Flesh』と2005年作の『From Mars To Sirius』が後のメタルシーンに与えた影響力というのは凄まじいものがある。例として挙げると、10年代メタルシーンのトレンドの一つだったDjentを代表するTesseracTや20年代の新世代メタルを象徴するVein、彼らは00年代最高のメタルソングの一つと称されるGojira屈指の名曲であり、X JAPANの“Art Of Life”と双璧をなすクラシック狂想曲こと“The art of dying”のカバー曲レベルのリスペクトソングを書いている。また、彼らの影響力の高まりがピークに達した事を決定づける出来事といえば、いわゆる「メジャーなメタル」を代表するBring Me the Horizonがメインストリームのポップスやってのけたアルバム『amo』には、前作『Magma』に収録された“The Cell”のメシュゴジラ化を象徴するリフ/ヘヴィネスを引用したと思われる楽曲が見受けられた。本作『Fortitude』の幕開けを飾るこの2ndシングルは、“メタル総選挙ランキング同率1位”でお馴染みのMeshuggahとの同化政策や、レーベルメイトのコード・オレンジに代表される現代モダン・ヘヴィネス勢との相互関係をはじめ、そして何よりフロントマンであり世界一かっこいい「GOッ!!」を叫ぶ男ことジョセフ・デュプランティエによる合言葉から、彼らのシンボルでありアイデンティティでもあるキュルキュルしたクジラの鳴き声リフを交えたDjent〜メシュガーラインの変拍子が大海原に轟く後半のブレイクダウンパートは、もはやVeinに影響し返されたんじゃねぇかと思うほど、つまり影響を与える側が逆にフォロワーから影響を受ける一種の“回答ソング”と解釈できなくもない(#5“New Found”の冒頭は女DjentのDestiny Potatoのオマージュっぽく聴こえるのも面白い)。とにかく、00年代以降の全メタルバンドに影響を与えていると言っても過言じゃあない「メタルの基本」、その中心点がGojiraだった事は歴史的事実なのである。
3rdシングル「Amazonia」
本作について、バンドは(ジョー・デュプランティエの古巣でもある)カヴァレラ兄弟擁するブラジリアン・メタル界のレジェンド=Cavalera Conspiracyをリスペクトしていると語るように、そもそも「アマゾニア」というタイトルからも2秒で察しがつくように、その楽曲も南米アマゾンの未開の地に生息する未接触部族的なトライバリズム溢れる世界観を構築しており、これは前作のオルタナティブな側面その広義の解釈が進んだ結果と言えるのかもしれない。そのサウンド・アプローチもヌー・メタルやオルタナ・メタルならではの独特のグルーヴとウネりが特徴的。しかし、本作における仏教的というか木魚みたいなポンポンシー♪なパーカッションなどの俄然トライバリックな要素って、別に本作が初出というわけでもないし、それこそバンド屈指の名曲“The art of dying”もトライバルなイントロから始まるという点では、ある意味で“全ての始まりであり原点”がそこにあるのかもしれない。
4thシングル「Into The Storm」
4thシングルは、彼らがメシュゴジラ化を象徴する前作の“The Cell”と5thアルバム『L'Enfant Sauvage』が融合したような曲。なんだろう、ここまで来ると前作までには少なからず存在していた革新性というのは皆無となり、特にソングライティングの面で前作のイメージを引きずり過ぎているキライが目立つ印象。それは、この作品特有のオリジナリティの欠如を意味し、既に確立された音楽性から脱却することは偉大なる彼らをもってしても不可能であることをマザマザと見せつけられた気分だった。リフ不足をはじめ、フレーズ不足、ポスト・キザミ不足、あらゆる面で引き出しの少なさが露呈してしまっている。あと何よりもサウンド・プロダクションがTriviumの某アルバムみたいにモコモコした、要するに自分の嫌いな「音が死んでる」メタルの音質で(ドラムの音は特にドイヒー)、そういった意味でも過去最悪に推せないアルバムです(これぞアンディ・ウォレスクオリティw)。
5thシングル「The Chant」
トライバリズム溢れる本作を象徴するチベット密教系ナンバーである表題曲の“Fortitude”との組曲であり、これまた前作から“The Shooting Star”のセルフカバー曲かな?と勘違いしそうな5thシングルでは、BaronessやTrue WidowなどのUSストーナー/スロウコア的なポスト・ヘヴィネスと雄大なチベット高原にこだまするコーラスワークは、世界中の少数民族を鼓舞するかの如し。しかし、本作はCavalera Conspiracyからインスパイアされたと言うわりには、いかんせん肝心のアマゾニア成分が著しく乏しい気がするというか、どうせならもっと思い切って大胆にアプローチすべきだったと思う。なんかどれも中途半端になっちゃってるというか、それこそトライバルとヘヴィ・ミュージックの代表的なのといえばTOOLだけど、そのTOOLとは天と地の差を感じるし、それっぽい実験的な側面を含んでいた前作とそこまで印象は変わらないというか、まだ前作のが創造性豊かにミックスできていた気もする。本作は「変化」という点でも過去最高に乏しく、皮肉っぽい事を言えばメンバーの服装がH&Mばりにカジュアルになったら「音」もソリッド感ゼロのカジュアルになり、そこで初めて僕らはH&MがHEAVY METALの略称じゃなかった事を知るのであった(←当たり前だ)。
なんだろう、そろそろGojiraを持ち上げてツウぶれる時代は10年代で終わりを告げた事を意味するような一枚。少なからず、前作まではまだメタルシーンに影響力のある擁護可能な作品だったけど、本作に至っては後世に与える革新性および影響力というのは皆無、それこそ新世代メタルバンドもフォローしようとは到底思えないような、確かに一聴するとフォロワー回答アルバムに聴こえなくもないけど、実は単なるフォロワーに降参アルバムになっちゃってる。例えば、今のゴジラができるスーパーキュルキュルアタックもといエクストリーム・メタルの持ちうる全てを凝縮した、アルバムの最後を飾る“Grind”では、新世代ロードランナーメタルの後輩コード・オレンジに年季の違いを見せつけようとしたら、逆に返り討ちにされちゃった感じ(まるで気分は伝説の白鯨vs.顔面炎上サイコ野郎)。なんだろう、そのコード・オレンジやVeinらの新世代メタルと現役トップメタルバンドであるGojiraがそれぞれ相互作用の働いた曲同士でタイマンを張るも、見るも無残にもゴジラ側が引導を渡されていく姿はあまりに悲しすぎる。
これまでの彼ららしいインテリジェンスのカケラもない「駄作」と呼ばれてもしょうがない一枚。確かに、近年のメタルシーンに多大なる影響と功績を残した偉大なバンドの新作に対して「駄作」と言っちゃいけない雰囲気ってどうしてもあるけど、でもそこは勇気を持って「これは駄作」と言ってあげた方がGojiraのためだと思う。皮肉だけど、ちょっと売れて調子に乗ると駄作が出来上がる、露出すればするほどつまらなくなる典型みたいな構図はメタルの王道っちゃ王道で、その歴代メタル王が繰り返してきた「メタルあるある」の伝統芸能を現代メタルの頂点に君臨するゴジラがしっかりと受け継いでいるのは、なんだろう歴史は繰り返す感しかなくて逆に微笑ましくなる。いかにもそろそろ駄作出してきそうな雰囲気の中で、満を辞してその期待に全身全霊で答えるかのような駄作を出してくるあたり、それすなわち紛れもなくGojiraが時代のトップに君臨していた事を裏付ける決定的な証拠となっている。駄作は駄作だけど「愛すべき駄作」と呼ぶべきかもしれない。
そして改めて思ったのは、「これが噂のロードランナータイマーか・・・」ということ。何を隠そう、10年代に入るとスリップノットと同じ“ロードランナーバンド”となって久しいゴジラだが、そのRRからリリースした1発目の5thアルバム『L'Enfant Sauvage』からUSメタルコア的なモダンさと独自のポストスラッシュ〜プログレ路線に著しく傾倒し始め、前作の6thアルバム『Magma』でワンクッション置いてから、RRデビュー3作目となる本作『Fortitude』で遂にソニータイマーならぬ“ロードランナータイマー”が発動し、過去イチで「メジャーなメタル(=メインストリーム・メタル?)」に品種改良されて大衆向けに聴きやすくした結果の駄作なんですね。確かに、メタリカをはじめとする80年代の著名なメタルバンド以外に、00年代以降のメタルシーンを背負って立つ現役バリバリのバンドでこの立ち位置を任されるのって彼らの他にいないのも事実、つまり替えのきかない存在であると考えた時に、あくまで本作は「メジャーなメタル」への登竜門、その通過儀礼に過ぎず、この結果はむしろ必然的というか、逆にニッチなメタルをメインストリームに届けてくれている事に感謝すべきと共に、最大限にリスペクトすべきだとは思う。しかし、それ(立場)とこれ(作品)の内容が比例しないのがこの話の難しいところ。だから本作は今年のワーストメタルアルバムに違いないし、レジェンド級のモンスターバンドが一度この手の露骨な駄作を出すと2度と復活の見込みがないのも定説だけに、個人的に今作に対するショックは計り知れないものがある。
過去最多にシングルカットされた曲のMVに関しても、アマゾンの熱帯雨林破壊(あるいは森林火災)とか、インド・チベット問題(反中思想)とか、いかにも彼ら(フランス人)らしいリベラリズムを垣間見る事ができて大変素晴らしいと思うのだけど、しかし残念ながらそのイメージが先行し過ぎて曲の内容が追いついていない印象。今回のMVのコンセプトから察するに、そういった思想的な部分で(ローレン・メイベリーやAURORA、そしてアンソニー・ファンタノなどのリベラル界隈)から支持されている面も多少なりともあるのかもしれない。昨今の世界情勢における人権問題や環境問題などの点で、ゴジラの根っこにあるグリーンピース精神もといインテリ思想とポスト・コロナの世界がカチッとフィットした感じ。本作は、それらの出来事や以前までの世界とは異なる=“Another World”に対するゴジラなりの“祈り”と“慈悲”を乞うかのような作品であることを重々承知した上での厳しい評価と思ってもらいたい。