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墓っ地・ざ・ろっく!

フランス

Gojira 『Fortitude』

Artist Gojira
Gojira-2021

Album 『Fortitude』
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Tracklist
04. Hold On!
05. New Found
06. Fortitude
08. Sphinx
09. Into The Storm
10. The Trails
11. Grind

この時代にシングルを5枚も出すほどの「今最も景気の良いメタルバンド」であり、Deftones主催のフェスではローレン・メイベリー率いるチャーチズと共演し、そしてディズニー映画『アナと雪の少女』の主題歌でも知られるノルウェーの歌姫AURORAからも支持されている、言うなれば「世界一モテるメタルバンド」が今現在のGojiraだ。

1stシングル「Another World」

度重なるアップデートによってクソゲーから神ゲーへと進化したゲーこと『No Man’s Sky』を想起させる、そのゲーム風のアバターと化したゴジラメンバーが宇宙へと旅立つフランスらしいアニメ仕立てのSFチックなMVからして(ラストは映画『猿の惑星』オマージュ)、小島秀夫監督の『デス・ストランディング』や『サイバーパンク2077』からも垣間見れるように、昨今のトレンドの一つと言っても過言じゃないゲーム音楽界隈とヘヴィ・ミュージック界隈のコラボレーションを的確にオマージュしつつ、そのサウンドもフランスメタル界のレジェンド=Gojiraがフランスのプログレ界を代表するレジェンド=Magmaをエクストリーム・メタルの解釈で再構築したような前作の6thアルバム『Magma』の流れを素直に踏襲した、あのTOOLに肉薄する“ポスト・キザミ”を駆使した要は「ポスト・スラッシュの行き着く先」、その最終地点であるかのようなエクストリーム・プログレを展開する(Spotifyだとこの曲だけ音量デカい説)。

2ndシングル「Born For One Thing」

Gojiraほど近年のメタルシーンに影響を与えたバンドは他にいないんじゃないかって。中でも、彼らの最高傑作と名高い2008年作の『The Way Of All Flesh』と2005年作の『From Mars To Sirius』が後のメタルシーンに与えた影響力というのは凄まじいものがある。例として挙げると、10年代メタルシーンのトレンドの一つだったDjentを代表するTesseracTや20年代の新世代メタルを象徴するVein、彼らは00年代最高のメタルソングの一つと称されるGojira屈指の名曲であり、X JAPANの“Art Of Life”と双璧をなすクラシック狂想曲こと“The art of dying”のカバー曲レベルのリスペクトソングを書いている。また、彼らの影響力の高まりがピークに達した事を決定づける出来事といえば、いわゆる「メジャーなメタル」を代表するBring Me the Horizonがメインストリームのポップスやってのけたアルバム『amo』には、前作『Magma』に収録された“The Cell”のメシュゴジラ化を象徴するリフ/ヘヴィネスを引用したと思われる楽曲が見受けられた。本作『Fortitude』の幕開けを飾るこの2ndシングルは、“メタル総選挙ランキング同率1位”でお馴染みのMeshuggahとの同化政策や、レーベルメイトのコード・オレンジに代表される現代モダン・ヘヴィネス勢との相互関係をはじめ、そして何よりフロントマンであり世界一かっこいい「GOッ!!」を叫ぶ男ことジョセフ・デュプランティエによる合言葉から、彼らのシンボルでありアイデンティティでもあるキュルキュルしたクジラの鳴き声リフを交えたDjent〜メシュガーラインの変拍子が大海原に轟く後半のブレイクダウンパートは、もはやVeinに影響し返されたんじゃねぇかと思うほど、つまり影響を与える側が逆にフォロワーから影響を受ける一種の“回答ソング”と解釈できなくもない(#5“New Found”の冒頭は女DjentのDestiny Potatoのオマージュっぽく聴こえるのも面白い)。とにかく、00年代以降の全メタルバンドに影響を与えていると言っても過言じゃあない「メタルの基本」、その中心点がGojiraだった事は歴史的事実なのである。

3rdシングル「Amazonia」

本作について、バンドは(ジョー・デュプランティエの古巣でもある)カヴァレラ兄弟擁するブラジリアン・メタル界のレジェンド=Cavalera Conspiracyをリスペクトしていると語るように、そもそも「アマゾニア」というタイトルからも2秒で察しがつくように、その楽曲も南米アマゾンの未開の地に生息する未接触部族的なトライバリズム溢れる世界観を構築しており、これは前作のオルタナティブな側面その広義の解釈が進んだ結果と言えるのかもしれない。そのサウンド・アプローチもヌー・メタルやオルタナ・メタルならではの独特のグルーヴとウネりが特徴的。しかし、本作における仏教的というか木魚みたいなポンポンシー♪なパーカッションなどの俄然トライバリックな要素って、別に本作が初出というわけでもないし、それこそバンド屈指の名曲“The art of dying”もトライバルなイントロから始まるという点では、ある意味で“全ての始まりであり原点”がそこにあるのかもしれない。

4thシングル「Into The Storm」
4thシングルは、彼らがメシュゴジラ化を象徴する前作の“The Cell”と5thアルバム『L'Enfant Sauvage』が融合したような曲。なんだろう、ここまで来ると前作までには少なからず存在していた革新性というのは皆無となり、特にソングライティングの面で前作のイメージを引きずり過ぎているキライが目立つ印象。それは、この作品特有のオリジナリティの欠如を意味し、既に確立された音楽性から脱却することは偉大なる彼らをもってしても不可能であることをマザマザと見せつけられた気分だった。リフ不足をはじめ、フレーズ不足、ポスト・キザミ不足、あらゆる面で引き出しの少なさが露呈してしまっている。あと何よりもサウンド・プロダクションがTriviumの某アルバムみたいにモコモコした、要するに自分の嫌いな「音が死んでる」メタルの音質で(ドラムの音は特にドイヒー)、そういった意味でも過去最悪に推せないアルバムです(これぞアンディ・ウォレスクオリティw)。

5thシングル「The Chant」

トライバリズム溢れる本作を象徴するチベット密教系ナンバーである表題曲の“Fortitude”との組曲であり、これまた前作から“The Shooting Star”のセルフカバー曲かな?と勘違いしそうな5thシングルでは、BaronessTrue WidowなどのUSストーナー/スロウコア的なポスト・ヘヴィネスと雄大なチベット高原にこだまするコーラスワークは、世界中の少数民族を鼓舞するかの如し。しかし、本作はCavalera Conspiracyからインスパイアされたと言うわりには、いかんせん肝心のアマゾニア成分が著しく乏しい気がするというか、どうせならもっと思い切って大胆にアプローチすべきだったと思う。なんかどれも中途半端になっちゃってるというか、それこそトライバルとヘヴィ・ミュージックの代表的なのといえばTOOLだけど、そのTOOLとは天と地の差を感じるし、それっぽい実験的な側面を含んでいた前作とそこまで印象は変わらないというか、まだ前作のが創造性豊かにミックスできていた気もする。本作は「変化」という点でも過去最高に乏しく、皮肉っぽい事を言えばメンバーの服装がH&Mばりにカジュアルになったら「音」もソリッド感ゼロのカジュアルになり、そこで初めて僕らはH&MがHEAVY METALの略称じゃなかった事を知るのであった(←当たり前だ)。

なんだろう、そろそろGojiraを持ち上げてツウぶれる時代は10年代で終わりを告げた事を意味するような一枚。少なからず、前作まではまだメタルシーンに影響力のある擁護可能な作品だったけど、本作に至っては後世に与える革新性および影響力というのは皆無、それこそ新世代メタルバンドもフォローしようとは到底思えないような、確かに一聴するとフォロワー回答アルバムに聴こえなくもないけど、実は単なるフォロワーに降参アルバムになっちゃってる。例えば、今のゴジラができるスーパーキュルキュルアタックもといエクストリーム・メタルの持ちうる全てを凝縮した、アルバムの最後を飾る“Grind”では、新世代ロードランナーメタルの後輩コード・オレンジに年季の違いを見せつけようとしたら、逆に返り討ちにされちゃった感じ(まるで気分は伝説の白鯨vs.顔面炎上サイコ野郎)。なんだろう、そのコード・オレンジVeinらの新世代メタルと現役トップメタルバンドであるGojiraがそれぞれ相互作用の働いた曲同士でタイマンを張るも、見るも無残にもゴジラ側が引導を渡されていく姿はあまりに悲しすぎる。

これまでの彼ららしいインテリジェンスのカケラもない「駄作」と呼ばれてもしょうがない一枚。確かに、近年のメタルシーンに多大なる影響と功績を残した偉大なバンドの新作に対して「駄作」と言っちゃいけない雰囲気ってどうしてもあるけど、でもそこは勇気を持って「これは駄作」と言ってあげた方がGojiraのためだと思う。皮肉だけど、ちょっと売れて調子に乗ると駄作が出来上がる、露出すればするほどつまらなくなる典型みたいな構図はメタルの王道っちゃ王道で、その歴代メタル王が繰り返してきた「メタルあるある」の伝統芸能を現代メタルの頂点に君臨するゴジラがしっかりと受け継いでいるのは、なんだろう歴史は繰り返す感しかなくて逆に微笑ましくなる。いかにもそろそろ駄作出してきそうな雰囲気の中で、満を辞してその期待に全身全霊で答えるかのような駄作を出してくるあたり、それすなわち紛れもなくGojiraが時代のトップに君臨していた事を裏付ける決定的な証拠となっている。駄作は駄作だけど「愛すべき駄作」と呼ぶべきかもしれない。

そして改めて思ったのは、「これが噂のロードランナータイマーか・・・」ということ。何を隠そう、10年代に入るとスリップノットと同じ“ロードランナーバンド”となって久しいゴジラだが、そのRRからリリースした1発目の5thアルバム『L'Enfant Sauvage』からUSメタルコア的なモダンさと独自のポストスラッシュ〜プログレ路線に著しく傾倒し始め、前作の6thアルバム『Magma』でワンクッション置いてから、RRデビュー3作目となる本作『Fortitude』で遂にソニータイマーならぬ“ロードランナータイマー”が発動し、過去イチで「メジャーなメタル(=メインストリーム・メタル?)」に品種改良されて大衆向けに聴きやすくした結果の駄作なんですね。確かに、メタリカをはじめとする80年代の著名なメタルバンド以外に、00年代以降のメタルシーンを背負って立つ現役バリバリのバンドでこの立ち位置を任されるのって彼らの他にいないのも事実、つまり替えのきかない存在であると考えた時に、あくまで本作は「メジャーなメタル」への登竜門、その通過儀礼に過ぎず、この結果はむしろ必然的というか、逆にニッチなメタルをメインストリームに届けてくれている事に感謝すべきと共に、最大限にリスペクトすべきだとは思う。しかし、それ(立場)とこれ(作品)の内容が比例しないのがこの話の難しいところ。だから本作は今年のワーストメタルアルバムに違いないし、レジェンド級のモンスターバンドが一度この手の露骨な駄作を出すと2度と復活の見込みがないのも定説だけに、個人的に今作に対するショックは計り知れないものがある。

過去最多にシングルカットされた曲のMVに関しても、アマゾンの熱帯雨林破壊(あるいは森林火災)とか、インド・チベット問題(反中思想)とか、いかにも彼ら(フランス人)らしいリベラリズムを垣間見る事ができて大変素晴らしいと思うのだけど、しかし残念ながらそのイメージが先行し過ぎて曲の内容が追いついていない印象。今回のMVのコンセプトから察するに、そういった思想的な部分で(ローレン・メイベリーやAURORA、そしてアンソニー・ファンタノなどのリベラル界隈)から支持されている面も多少なりともあるのかもしれない。昨今の世界情勢における人権問題や環境問題などの点で、ゴジラの根っこにあるグリーンピース精神もといインテリ思想とポスト・コロナの世界がカチッとフィットした感じ。本作は、それらの出来事や以前までの世界とは異なる=“Another World”に対するゴジラなりの“祈り”と“慈悲”を乞うかのような作品であることを重々承知した上での厳しい評価と思ってもらいたい。

Alcest 『Spiritual Instinct』

Artist Alcest
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Album 『Spiritual Instinct』
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Tracklist
01. Les Jardins De Minuit
04. L'Île Des Morts
05. Le Miroir
06. Spiritual Instinct

だから言ったんだ。僕は“日本のメタル・メディア界のキング”として、近年のメタル界に蠢く「ある懸念」に警鐘を鳴らしていた。それが“東京一極集中”ならぬ“ニュークリア・ブラスト一極集中”だった。そして、その嫌な予感は「最悪な結果」となって目の前に現れた。それこそがフランスのレジェンド=Alcestのニュークリア・ブラスト入りだった。

このアルセもといアルセストって、海外では初期の頃からずっとProphecy Productionsという一応はアンダーグラウンドなレーベルから作品をリリースし続けていて、この日本に至ってはアルセストの絶対的な信頼感と音楽的な根幹部にあるアングラ性を担っていた、あのディスクユニオンから“帯・ライナー付国内盤仕様”というもはや“国内盤”と呼んでいのかすらわからない謎仕様(恐らく盤自体は輸入盤)=ユニオン盤としてリリースされ続けてたんだけど、ここにきて遂に海外はメタル最大手のNuclear Blast、そして国内盤はワードレコーズという、恐らく盤に至っても正真正銘の正規の国内盤がリリースされるという・・・一言で言えば「地獄」だよね。もう聴く前から「地獄」。このアルセストの絶妙なアングラ性とニッチ感および童貞オタク感=その絶対的な信頼を担保していたユニオンからミーハーメタルレーベルのワードに変わるとか「地獄」以外の何者でもない。

結局、「アルセストの魅力」ってメタルのサブジャンルの中でもニッチなPost-Black/Blackgazeとかいう同人オタク音楽の開祖としてその存在を誇示し続けながらも、(例えるならKATATONIAが初期の頃から今でもほぼずっとPeacevlleに籍を置き続けるように)メタルシーンの中でそれなりの立場にいながらも初期の頃から世話になったProphecyで生涯を全うするという、その“ガワ”の部分にこそアルセアルセストたる由縁に繋がっていたにも関わらず、このタイミングでニュークリア・ブラスト入り脱ユニオンという最悪の結果を迎えてしまったわけ。それこそ1stアルバムの頃からユニオン盤を出し続けてきて、そこさえブレなければ何があっても大丈夫なはずだってずっと思ってたし、それはずっと変わらないものだと思ってたから、まさかこの“勝利の方程式”が崩れ去るなんて想像もしてなかった。だってNBに移籍した途端、まるで“メタル中央政府”の権力を見せつけるかのようにMV連発して積極的なプロモーション攻勢に出てくるんだもん。ヤダヤダヤダヤダ!こんなの俺たちの知ってるアルセじゃない・・・とは言え、前作の『Kodama』で現状やりきった感があったのも事実。というわけで、ここからはアルセストが偉大なポストブラックの開祖であり、常にポストブラックを次のステージにアップデイトし続けてきたレジェンドである事を十分に理解した上で言わせてもらう。

“メタル本願寺”ことニュークリア・ブラストに入信したことで、アルセストの音楽性がどうなるのか想像してみてほしい。幕開けを飾る#1“Les Jardins De Minuit”から、ブラストはブラストでも今は亡き盟友ASMRもといAmesoeurs直伝のブラストビートだった2ndアルバム『Écailles De Lune』とは一味違った、ヴィンターハルターの粗暴なブラストとメロブラかよってぐらいのトレモロ・リフがキレッキレに動くのなんのって。本来のアルセストらしい幻想的なアトモスフィア、その霧のようにリバーブがかった残響感は皆無に等しくて、むしろ過去最高に激しく“メタル”な重さが備わったドラムの音作りまでアルセスト史上最高にメタリックな仕様で、とにかく音の輪郭をソリッドにクッキリカッチリと鳴らす。それもそのはずで、先述したように今作は海外/国内レーベルの“ガワ”も違えば、それと同じようにサウンド・プロダクションという名の“音のガワ”もまるで違う。今作はレコーディングとミキシングこそフランスで行われているが、最後の仕上げとなるマスタリングにはエンジニアにLOVEBITESでもお馴染みのMika Jussilaを迎え、メタル王国フィンランドのFinnvox Studiosで仕上げられている。ここで今一度冷静に考えてみてほしい。アルセストの作品にLOVEBITESと関係するエンジニアが絡んでる時点で(わりと地獄)、これまでのアッサリ醤油味を看板メニューとしていたラーメン屋が急にコッテリ豚骨味に鞍替えしたような、今作は麺の質は元より具材やスープの味付けまでもコッテコテの「バリカタ・コッテリ・メタル」を目指しているのが分かる。


このシングル“Protection”が先行公開された時、いつにも増して激しく動く、言うなれば“アグレッシヴ”に動くリフを聴いて一体何を思ったかって、それこそアルセストフォロワーでありデンマーク出身のMØLに他ならなくて、つまり「メタル化したアルセって、それもうフォロワーのMØLじゃん・・・」って。なんか久々に“アグレッシヴ”って言葉使った気がするけど、それこそMØL以来に使った気がするけど、その久々がまさかアルセだなんて夢にも思わんかったわ・・・。正直、“アグレッシヴなメタル”という脳筋バカみたいな言葉をアルセに対して使いたくなかったけど、でも実際に今作を一言で例えると“アグレッシヴなメタル”になるんだからしょうがない。そのリフや音作りの面だけじゃなく、リズムの面でもいわゆるプログレ・メタル然とした転調を駆使して、とにかく曲を機敏に動かしていく#4“L'Île Des Morts”“アグレッシヴなメタル”と揶揄できる曲で、ここまでくると流石に“ガワ”“中身”のメタル仕様は一部分ではなくて、作品の根幹部分から細部にわたりアルバム全体にまで及んでいる事を理解する。

例えば、1stアルバム『Souvenirs D'un Autre Monde』ではフランス映画『エコール』顔負けのロリータ・コンプレックス的な世界観とポストブラックとの「相性最高」、2ndアルバム『Écailles De Lune』では幻想的なフレンチアニメとポストブラックの「相性最高」、4thアルバム『Shelter』ではシガロ界隈のポストロックとポストブラックとの「相性最高」、5thアルバム『Kodama』ではジブリアニメ=『もののけ姫』2:54Esben and the WitchなどのUKオルタナと「相性最高」ときて、そして今回は“アグレッシヴなメタル”とポストブラックの「相性最悪」・・・。つまり、前作の“オルタナバンドとしてのアルセ”から一転して“メタルバンドとしてのアルセ”に180度様変わりする姿にギャップ萌え、裏を返せばアルセというバンドのフレキシブルな創造性、その豊かさの証明に他ならない。そのように、過去作との比較や前作とのギャップを知った上で考察的な観点から見ると面白いアルバムに違いないんだけど、いかんせんネージュの青春の音楽だった往年のニューウェイブ/ポストパンクすなわち“UKオルタナ”と、ニュークリア・ブラスト直伝の“アグレッシヴなメタル”、それぞれの音とアルセの相性は・・・まぁ、なんだ、「音は正直」だったよね。

賛否両論というか、恐らくそこまで悪くない内容だと思うけど(いや、やっぱ悪いか?)、いかんせん“ガワ”の部分が“中身”の部分に与えるイメージが強過ぎるせで、必要以上に悪いイメージがつきまとってくるのは確か。改めて、“中身”以前にまず“ガワ”が作り上げるバンドのイメージ、その影響力って思った以上に大きんだなって。正直、アルバムという“結果”に至るまでの過程はこれまで通り、それすなわち「未知の領域にポストブラックを進撃させる貪欲な姿勢」は何一つ変っちゃいない。しかし1番大事な“結果”が悪すぎた、“結果”が。これはあくまで結果論に過ぎないし、その攻めにいった結果がダメならもうどうしようもないし、開拓の精神を持つ挑戦者としてメタル本願寺に挑んだ結果、その結果がダメならしょうがない。少なくとも保守的な老害になるよりは全然マシ。それらを踏まえた上で、僕はこのアルバムの事を“肯定的駄作”と名付けたい。だから今回の件に関してはアルセネージュは何も悪くないです。悪いのはニュークリア・ブラストワードレコーズです。

これ「超えちゃいけないライン考えろよ」案件以外の何者でもなくて、言うなれば「アルセがガチメタルやった結果www」みたいな、でもアルセがこれやっちゃうと途端にダサくなる。なんだろう、例えるなら陽キャになりたくて無理してる陰キャみたいなね。それこそ前作がジブリのスピリチュアルな世界観を忠実に再現したコンセプトとUKオルタナという音楽的バック・グラウンドが化学反応を起こしバチっとハマった結果の名作だっただけに、それと比べるとこの『Spiritual Instinct』ならではのとっておきのパンチラインがNothing(=何もない)、要するにガワから中身まで全てが“メタル仕様”の音の方向性とコンセプトおよび世界観の統一感がまるでない。随所で前作の名残りを感じさるのがまたライティング不足というか、その世界観の構築に失敗している印象を受ける。皮肉にもタイトルの“スピリチュアル”の文字が虚しく響く、・・・そう、僕の心の叫びとともに・・・


(ディスクユニオンーーーー!!早く帰ってきてくれーーーーー!!)


Alcest 『Kodama』

Artist Alcest
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Album 『Kodama』
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Traclist

01. Kodama
02. Eclosion
03. Je Suis D'ailleurs
04. Untouched
05. Oiseaux De Proie
06. Onyx

先日、長編アニメーション作品への現役復帰宣言をした宮﨑駿の何が凄いって、国内外のアニメーター/クリエイターへの影響は元より、その「アニメ」という枠組み、垣根を超えて今や多岐の分野にわたって根強く影響を与え続けている所で、最近ではブリット・マーリング主演のNetflixオリジナルドラマ『The OA』の役作りにも『もののけ姫』の影響があったり、そして何そ隠そう、某NPBの加藤◯三氏のご厚意により、「Alcest」の正式名称が「アルセ」あらため「アルセスト」あらため「アルセ」あらため「ンアルセストゥ」に統一された、そのンアルセストゥの首謀者でありフランスの貴公子ンネージュゥも、宮﨑駿の最高傑作である『もののけ姫』をはじめ、80年代や90年代の日本のTVアニメシリーズやビデオゲームなどの日本のサブカルチャーからインスピレーションを受けたと語るほど日本贔屓な人で知られている。それらを含めて宮﨑駿作品の「影響力」というのは、歴代ジブリ作品の売上をブチ抜いた君の名は。新海誠監督にはない言わば「オリジナリティ」であり、そこがパヤオと誠の大きな差であり違いでもあった。

この「アルセ」あらため「アルセスト」あらため「アルセ」あらため「ンアルセストゥ」といえば、今から約10年前にリリースされた1stフルアルバム『Souvenirs d'un autre monde』で衝撃的なデビューを飾り、2010年にはその歴史的名盤と対になる2ndアルバムÉcailles de Luneを発表し、いわゆる【Post-Black/Blackgaze】の先駆者および元祖としてその名を世界中に轟かせる。しかし、その二年後に3rdアルバムの『Les voyages de l'âme』をドロップしたンネージュゥは、ポストブラック・メタルの『可能性』とその『未来』に対して一抹の不安と迷いを感じ始める。転機となったのは、他ならぬ新世代のポストブラック・メタルシーンを担うDEAFHEAVENの台頭で、彼らはピッチフォークをはじめインディ系の音楽メディアから祭り上げられる事となる2ndアルバムのサンベイザーを世に放ち、ンアルセストゥンネージュゥが見失いかけていたポストブラック・メタルの全く新しい形、すなわちポストブラック・メタルの『未来』をシーンに提示し、ンネージュゥが独りでに長年思いを馳せていたピッチフォーク・メディアへの強い『憧憬』『夢』、その想いをンアルセストゥの正統後継者であるデフヘヴンが受け継ぐ展開、それこそまさに世代交代の瞬間じゃあないが、ポストブラック・メタルの元祖および教祖のンネージュゥが叶えられなかった『夢』『ユメ』を次世代のデフヘヴンへと委ねていく、この一連の流れは、いま思い出すだけでも胸が熱くなるような出来事として記憶に残っている。

あの歴史を動かしたサンベイザーに触発されたのか、ンネージュゥの心の奥底(インサイド)に隠された秘密の扉が徐々に外側(アウトサイド)へと開かれていき、もはやポストブラック・メタルの先駆者および元祖としての立場から解放されたンネージュゥは、長年の自らの『夢』を叶えんと、2014年に4thアルバムとなるシェルターを発表する。まず一つめの『夢』は、アイスランドのレジェンドことシガーロスへの強い憧憬で、ビョークやシガロ作品でお馴染みのエンジニアBirgir Jón Birgisson「ヨンシー親衛隊」ことストリングスカルテットのAmiinaを迎えて、アイスランドのSundlaugin Studioで録音、そしてマスタリングには世界的な売れっ子エンジニアテッド・ジェンセンが所属するSterling Soundにて行われ、まるでフランスの片田舎出身の陰キャの陽キャの都会人に対するコンプレックスが暴発したかのような、これ以上ない万全の録音体制で挑まれている。そして2つめの『夢』は、他ならぬシューゲイザー界のレジェンドSlowdiveへの憧憬で、デフヘヴン『サンベイザー』に「ポストブラック界のレジェンド」として迎え入れられたンネージュゥは、今度は自身の作品に「シューゲイザー界のレジェンド」としてSlowdiveニール・ハルステッドを迎えてみせた。だけあって、その音世界もアイスランドの大自然と純白の雪景色を太陽のように眩い光が照らし出すかの如し、それこそ2013年にツアーを共にしたUKのANATHEMAが組織する黄金界隈」の仲間入りを果たすべく、その言うなれば黄金期のジャンプ漫画」ばりに前向きな「勇気」と「希望」に溢れた神々しい世界観を繰り広げ、まさに「日本人向け」と釘打てるほどの音楽だった。 

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このドラゴンボール顔負けの「元気玉」のような「太陽」すなわち「サン」が次作への伏線だったのかなんて知る由もないが、前作のシェルターから約二年ぶりとなる5thアルバム『Kodama』は、日本人イラストレーターの山本タカト氏の作品にインスパイヤされた、日本のエログロ大好きなフランスの二人組グラフィックデザイナーFørtifemが手がけた、『もののけ姫』のヒロインサンをモデルにしたアートワーク、そして「Spirit of the Tree」を意味する「コダマ(木霊)」を冠したそのタイトルが示すとおり、二度(三度目)の来日公演と圓能寺でのスペシャルなアコースティックライブを経験し、科学的技術が発達した日本社会ならびにクレイジーなオタク文化を目にして「日本人は時代の先を行ってるよ」と海外の反応シリーズばりに衝撃を受け、しかし文明が発達した現代社会の中にも日本人の「伝統」や「自然」、そして日本人の「美徳(おもてなしの心)」と「精神性」が共存している、それこそ『もののけ姫』の主題の一つである「神秘主義と合理主義の対立」すなわち「テクノロジーが発達した現代社会」と「そこに住む原始的かつ土着的な人々」と対比(コントラスト)に感銘を受けたと語る、そんなンネージュゥの創作イマジネーションが爆発した、過去最高にスピリチュアルな「ギミック」とコンセプティブな「ワード」が込められた、言い換えればこれはもう「キングオブ・ビッグ・イン・ジャパン」アルバムだ。

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『Kodama』の音楽的な方向性とサウンドプロダクションならびにアイデンティを象徴するキートラックとなる表題曲の”Kodama”は、まず何が驚いたって、兄弟分のLes Discretsを彷彿とさせる慟哭不可避なイントロに次いで、ボーカルの裏でなるバッキングのガリガリしたダーティなギターリフを耳にした時に、UKの女性デュオ2:54”Revolving”が脳裏に過ぎり、そこから更に遡ってThe Cureをはじめとした80年代のポストパンク/ニューウェーブ、そして90年代のオルタナ/グランジからの影響を伺わせるサウンド・アプローチを聞いて僕は→「なるどほ・・・そう来たか!」と、「アイスランドから離れて今度はUKに来ちゃったか!」と呟いた。その90年代のオルタナ然とした渇いたギターと過去最高に強靭なリズムを刻むドラム、そして北風小僧の寒太郎ばりに素朴な『和』を表現した、それこそ『もののけ姫』の豊かな森林に住む精霊コダマの合唱が大森林に反響するかのような神秘的なメロディや、まるで「シシ神様」の如しKathrine Shepardの聖なるコーラスをフィーチャーしながら、それらの80年代~90年代の音楽をルーツとする幅広い音楽的素養と「ええいああ 君からもらい泣き」と俄然民謡的なメロディを奏でるンネージュゥの歌とお馴染みのシューゲイズ要素をダイナミックかつプログレスに交錯させていく、それこそ『もののけ姫』のサントラとして聴けちゃう崇高かつ壮大な世界観と極上のサウンドスケープを展開していく。これまでのどのアルバムとも違う全く新しいンアルセストゥ、それこそシン・ンアルセストゥの幕開けを宣言するかのような一曲であり、この曲のアウトロまで徹底して「オルタナ」の意識を貫き通しているのは、今作のサウンド面のキーワードが「オルタナティブ」であることを暗に示唆しているからだ。

いわゆる「静と動」のコントラストを活かした、要するに往年のンアルセストゥ-スタイルへと回帰した”Kodama”に次ぐ2曲目の”Eclosion”は、「UKの相対性理論」ことEsben and the Witchを彷彿とさせる幻想的なメロディをフィーチャーしながら、徐々にギアチェンしていきブラストで粗暴に疾走するエモーショナルな展開を見せてからの、そしてもう何年も聴くことがなかったンネージュゥ「世界一エモーショナルな金切り声」が聞こえてきて、僕は泣きながら・・・

「ン゛ア゛ル゛セ゛ス゛ト゛ゥ゛ウ゛ウ゛ッ゛ッ゛!!」 

ン゛
イ゛ズッ゛ッ゛ッ゛」 

「ヴァ゛ア゛ア゛ア゛ッ゛ッ゛ッ゛ク゛ク゛ッ
!!」 

・・・と、ンネージュゥに負けじと絶叫した。

そんなンネージュゥ自身も「トラディショナル・ソング」と語る3曲目の”Je Suis D'ailleurs”は、1stアルバム『Souvenirs d'un autre monde』や2ndアルバム『Écailles de Lune』を連想させる刹那的に歪んだリフとンネージュゥのスクリームでシンプルに展開し、特に終盤の目玉となる間奏のラブリーなメロディは、ンネージュゥの「メロディスト」としての才能が垣間見れる。「短めの曲尺的にもポップな雰囲気的にも前作のイメージがまだ残っている曲」とンネージュゥは語る4曲目の”Untouched”、実質的に最後の曲となる5曲目の”Oiseaux de Proie”は、再び90年代のオルタナを彷彿とさせるリフと1stアルバム的なシューゲ・サウンド、より神秘主義的で民族的なアプローチを効かせた曲で、そしてここでもドラムのブラストとンネージュゥのスクリームで「痛み」を撒き散らしながら、俄然ブラック・メタル然とした粗暴な展開を見せる。色んな意味で表題曲の”Kodama”と対になる曲と言える。その流れのまま、物語のエンディングを迎える6曲目の”Onyx”へと繋がる。

作品を重ねる毎に初期のブラック・メタル的な要素が徐々に削がれていき、遂には前作の『シェルター』では正式に「ポストブラックやめる宣言」がアナウンスされた。と思いきや、この『Kodama』で初期のポストブラックメタルへの原点回帰、つまり「ンアルセストゥ is Back」を高らかに宣言する。確かに、いわゆる「二次元」的なアニメっぽい世界観から、いわゆる「静と動」のコントラストを効かせたメリハリのある往年のスタイル、Blackgaze然としたノイジーでダークなギターリフとンネージュゥの金切り声、長尺主体の全6曲(実質5曲)トータル約40分弱など、そういったギミック面の部分では、イメージ的に一番近いのは2ndアルバムの『Écailles de Lune』と言えるかもしれない。確かに、その表面的なガワだけを見れば往年のAlcestに回帰したような印象を受けるが、しかし中身の部分その細部では著しい「変化」が巻き起こっていた。

彼らは、より「スペシャル」で「エクスペリメンタル」なアルバムを生み出すために、これまでのAlcestにはない実験的なアプローチをもって今作に挑んでいる。まずギタボのンネージュゥは、これまでの作品ではギター主導で作曲していたが、今回はこれまでとは全く違うやり方で、ボーカルのリズミカルな面を押し出した歌主導で曲作りすることを決めた。それに対して、ドラマーのWinterhalterは、一種の民族的なあるいはポストパンク的なドラムパターンを多く取り入れたと語る。その言葉どおり、これまでの作品と比べて最も大きな「変化」を感じるのは、他ならぬWinterhalterのドラムパートと言っても過言じゃあなくて、とにかくドラムの音がオーガニックな響き方で、シューゲイザーやら何やらの音楽ジャンルの固定概念に囚われない、一人のドラマーとしてそのポテンシャルを遺憾なく発揮し、一つの「ロックバンド」としてのグルーヴ感が『Kodama』のサウンド、その生命の樹を司る根幹部として絶対的な存在感を示している。特に、#2”Eclosion”や#3”Je Suis D'ailleurs”は、完全に彼の跳躍感溢れるグルーヴィなドラミングありきの曲と言っていいくらい。正直、こんなにロックなドラムドラムした彼は今まで見たことがなかったから単に新鮮だし、Alcestって「ンネージュゥのバンド」だけじゃなくて「Winterhalterのバンド」でもあるんだなって、今更そんな当たり前のことを気付かされた。

ギターについては、より多くのリフを演奏する「Alcestらしさ」と「静と動」のコントラストを意識的に取り入れ、そして更なるギターの可能性を模索した。今作でンネージュゥが使用したギターは、『Kodama』のインフルエンサーとして名が挙げられたマイブラをはじめ、Dinosaur Jr.Sonic Youthなどの90年代のオルタナ系バンドのギタリストが愛用しているフェンダー・ジャズマスターのシングル・コイルで、そのクリーンなギターサウンドとノイジーな極上の歪み得る代わりに時々トリッキーな過剰反応を見せる、そんな可愛らしいジャズマスの特性を最大限に活かすことで、ギタープレイの幅を無限に広げることに成功し、今作では「シューゲイザー・ギタリスト」としてのンネージュゥは元より、「オルタナティブ・ギタリスト」としてのンネージュゥの才能が開花している。その80年代のポストパンク/ニューウェーブ愛や90年代のオルタナ愛に溢れた、ンネージュゥのギタリストとしてのパフォーマンス力は、この『Kodama』のサウンドを著しく高める大きな要因として存在している。彼は、今作におけるギターのプロダクション/音作りまで徹底した「オルタナ」の再現を果たすと同時に、持ち前の「メロディスト」としての側面や作品の世界観およびコンセプトの面まで、そしてプレイヤーとしてのパフォーマンス面にも細部にまで「こだわり」が行き渡った職人気質に脱帽する。

ンネージュゥ
のボーカルについては、往年の金切り声から森のせせらぎのような環境ボイス、そして山霧のように曇りがかったATMS系ボイスまで、前作のように自分を制御することなく、一人の「ボーカリスト」としての可能性を見極めている。ンネージュゥは、ボーカリストとしてもギタリストとしても自らのリミッターを解除して、自らが持つポテンシャルを超える勢いで覚醒している。正直、リズム&グルーヴ重視のAlcestがここまでカッコよくハマるなんて素直に驚いたし、それくらい今作は二人のプレイヤーに視点をフォーカスした、過去最高にAlcestの生々しいオーガニックな「バンド・サウンド」が著しく表面化したアルバムと言える。

この『Kodama』は、映画『もののけ姫』のヒロインサンという『人間』として生まれながらも、犬神である『モロの君』に娘として育てられ、そして自然豊かな森林が我が家である、そんなある種の「自然界と人間界の間の子」的なサンのルーツを探る音旅でもあるかのような、それすなわちAlcestというバンド自らの音楽的ルーツを巡る音旅でもあったのだ。サンのように自然や大地、野生動物と共存し、ありのままの姿で、つまり文明の利器=テクノロジーが発達した現代社会にはない原始的かつ土着的な、より人間的な尊厳と郷土愛、自然愛、オルタナ愛、伝統愛、日本愛、様々な『愛』すなわち『LOVE』に溢れた作品で、その『もののけ姫』の最大のテーマである「人間と自然」の関わりと「神秘主義と合理主義の対立」 、そして今現在なお絶えることのない、ウイルスのように増殖し続ける「人と人の争い」、から起こる「人間の憎悪の増幅作用」による「憎しみの連鎖」と「報復の連鎖」、つまり今作の「静と動」の対比(コントラスト)は、Alcestらしさへの回帰を意味するだけのものではなく、『もののけ姫』のテーマである自然界の安らぎと人間界の醜い争いの対比など、その他様々な対立構造を表現しているようにしか思えなかった。このアルバムには、そんなヒトと動物と自然が争うことのない優しい世界への強い憧憬が込められている。

昨年公開された新海誠監督の『君の名は。』「今だからこそ売れた作品」だが、だからといって必ずしも「今観なきゃいけない映画」というわけではなかった。しかし、今から約20年前に公開された宮﨑駿『もののけ姫』「今だからこそ観なきゃいけない映画」だって、そう気付かされたような作品だった。最近は、外国人から日本の良さを聞くみたいな、その手のTV番組が増えているとよく耳にするが、この『Kodama』は、まさしく『YOUは何しに日本へ?』の取材クルーから真っ先にインタビューされるレベルの、それこそ「外国から見た日本」を知ることが出来る、それこそ教育勅語に記すべき、国歌よりも子供の頃から聴かせるべき、超絶怒涛の日本愛に溢れた極上のビッグ・イン・ジャパン作品だ。 

話を戻すと、その国独自の文化やサブカルチャーというのは一方的にゴリ押したり、ましてや自分からドヤ顔で「クールジャパン!」などと言っていいものでは決してなくて、それこそンネージュゥのように子供の頃から日本のTVアニメを見て、生活の一部として根付いている環境や大人になって実際に来日して感じた実体験から、その国の人や文化に実際に触れてみて、その邂逅と結果が今回の『Kodama』に純粋な形となって音として具現化することが真の「影響力」と言えるのではないか。僕自身このアルバムを通して、昨今国が推し進めている「クールジャパン」のゴリ押しに対する懐疑心が確信へと変わり、そしてその日本人自身の日本文化に対する勘違いに気付かされた一人だ。
 
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Gojira 『Magma』

Artist Gojira
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Album 『Magma』
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Tracklist
01. The Shooting Star
03. The Cell
04. Stranded
05. Yellow Stone
06. Magma
07. Pray
08. Only Pain
10. Liberation
 
東宝の人気特撮シリーズ『ゴジラ』から名付けられた、デュプランティエ兄弟率いるフランスのGojiraといえば→今作に伴うツアーのサポートに抜擢されたUKのTesseractなどのDjent界隈をはじめ、海外もとい日本国内では「GJ!」「Good Job!」の略ではなく「GJira」「GJ!」だと言うくらいのBABYMETALやゴジラと間接的に関わりのあるDIR EN GREY、そして今をトキメクUSのDEAFHEAVENにも強い影響を与え、時代や世代を超えて常に「現代エクストリーム・ミュージックのキホン」あるいはその「象徴」としてシーンの頂点に君臨し続ける獣王だ。

そんな彼らを伝説の巨大クジラ『白鯨』としてその名を世界に知らしめる事となった、2005年作の3rdアルバム『From Mars to Sirius』では、この手のエクストリーム・ミュージック界の旗手として欧州での人気を確固たるものにした。そして欧州の覇者となった呉爾羅が次に襲来したのがアメリカだった。2008年作の4thアルバム『The Way of All Flesh』では、現レーベルメイトのLamb Of GodGODZILLAと同じく「クジラ大好き芸人」のMastodonをはじめとした、現代のアメリカを代表する「アメリカのメタル」を一飲で喰らい尽くし、そしてレーベルをロード・ランナーに移して発表された2012年作の5thアルバム『L'enfant sauvage』では、4thアルバムに引き続きアメリカ流の「モダン・コア化」が著しく進行し、徐々に本来のデス・メタルをルーツとしたスタイルからの脱却を図ろうとしていた。それらUSを代表する猛獣を喰い尽くすことに飽き飽きした怪獣ゴジラが次なる獲物として目をつけたのが、他ならぬUSのプログレ/ヘヴィ・ミュージック界の”タブー”こと『邪神』Toolだった。



4年ぶりに地上へと姿を現した巨大怪獣は、何もかも全てが新しい『シン・ゴジラ』へと突然変異という名の進化を遂げていた。その『変化』は、幕開けを飾る#1”The Shooting Star”から顕著で、『The Hunter』Mastodonを彷彿とさせる、地に足の着いたモダンでポストスラッジーな轟音ヘヴィネスやフロントマンジョー・デュプランティエのサイケデリックなクリーンボイス、そして刻んでるのか刻んでないのかすらわからない空キザミからしても、これまでの「世界一美しくセンセーショナル」と称されたジョーの獣性むき出しの咆哮や「エクストリーム・ミュージックのキホン」とも謳われた粗暴さや速さが抑えられた、意図的に暴虐性なアグレッションや持ち前のスラッシュ・メタル的なキザミ要素を排除したミドルテンポの曲となっている。
 


そのMastodonLamb Of Godがエクストリーム合体したようなモダン・メタルコアの#2”Silvera”デュプランティエ(弟)ことマリオのインテリズムが炸裂する変則的なドラムビートに乗せて、高速テンポで小刻みに刻むスリリングなキザミで始まり、気づけばゴジラの同胞でありインテリキチガイの一角を担うMeshuggahDeftonesなどの現代モダン・ヘヴィネスをも体内に取り込んでいた#3”The Cell”、もはや「スラッシュ・メタルへのアンチ・テーゼ」とも取れるインテリ気取ったリード・シングルで、『ゴジラ』という名の巨大クジラが起こす巨大津波の衝撃波のようなリフから、オーディエンスにシンガロングさせるボーカル・メロディとオーガニックなヘヴィメタルスタイルのリフで展開し、そして今は亡きAgalloch直系の哀愁ただようクリーン・パートへと繋がる#4”Stranded”は、まさに【反知性主義】万歳の暴虐性と叙情性のコントラストを効かせたプログレ然としたナンバーだ。

イラストレーターのHibiki Miyazaki氏が手がけたアートワークのように、一向に捕鯨を禁止しようとしない日本に対する『怒り』が爆発、つまりマグマのように頭が噴火し、遂にインテリこじらせすぎて頭パープリンになってしまったゴジラを、インテリ系エクストリーム・メタルバンドの境地へと、それこそ「フランスのトゥール」と呼ばざるをえない絶対的な存在へと押し上げたのが、他ならぬ表題曲の”Magma”だ。チャルメラ屋さんの例の音頭が謎の妖術によってラリったようなギターの旋律が、まるでフランスのアニメ映画『ファンタスティック・プラネット』ばりに70年代風サイケデリックかつ幽玄な世界観を構築し、前作で培った出自がスラッシュ・メタル畑だからこそ成せる黄金のキザミ』をはじめ、近年のBaronessを彷彿とさせるソロワークや楽曲構成力からは、それこそマストドンの名盤『Crack the Skye』に匹敵する凄みを感じさせる。ある意味、この曲このアルバムは、フレンチ産プログレッシブ・ロック界のレジェンドであるMagmaに対するGojiraなりのリスペクトなのかもしれない。今思うと、Lamb Of Godに近づいてアメリカ市場に本格参入した本当の目的は、アメリカのヘヴィミュージック界の最高権力者であるToolに接近する為の布石でしかなかったんだ、ということ。
 

その未開の部族の妖しげな宴に導かれるように、フルートの音色を擁するオリエンタルなイントロから、メシュガーの”Bleed”直系のリフをはじめ、それこそメシュガーの産物であるDjentにも、しまいには『ADHD』期のRiversideなどのモダン・ヘヴィネス勢の影響を垣間見せる#7”Pray”や#8”Only Pain”、気づけば北欧ノルウェーの獣神Enslaved(のエルブラン・ラーセン)も喰らっていた#9”Low Lands”、そしてアコギとパーカッションの組み合わせに一瞬耳を疑う#10”Liberation”のインスト最後に、この映画『シン・ゴジラ』は幕を下ろす。

これは『怒り』を原動力にしていた初代のゴジラでもなく、魔改造されたメカニカルでテクニカルなメカゴジラでもなく、『インテリ』を気取った平成の呉爾羅でもなく、アメリカ産のGODZILLAでもない。今の時代に突然変異して産まれた『シン・ゴジラ』である。どの組織にも、どのジャンルにも属さない、当然(ポスト)スラッシュ・メタルでもなければ、もはやエクストリーム・ミュージックですらないが、しかし現代的(モダン)であり一方でクラシックでもある。これまでエクストリーム・ミュージックの舞台で戦ってきたゴジラとは一線を画した、特に『Crack the Skye』以降のマストドンをはじめ、ここまであらゆる方面からの『影響』を直に感じさせる作品は歴代のゴジラの中でも初めてだ。もちろん賛否両論はあるが、ある意味もの凄く実験的なアルバムというか、これは世界の獣神を喰らい尽くし、もう喰らうモノがなくなった末、つまり極限まで飢えに飢えたゴジラが辿り着いた一つの境地と言える。同時に全てが『新しい』ようにみえて、全てが『過去』のオマージュでもある。個人的に、これはこれで「面白い」と思うし、むしろ正統な進化なのかもしれない。

『変化』には代償が付き物だ。その『変化』を恐れず『シン・ゴジラ』へと変貌した勇気は素直にリスペクトできるし、そこが本作を面白くしている一番の要因でもある。『変異』というと、北欧のEnslavedOpeth、そしてKATATONIAなども同じような『変異』を遂げた。今作ではテッド・ジェンセンをマスタリングに迎え、ジョーがセルフでミキシングしている。このモダンなメタルやりたいのかプログレやりたいのかハッキリしない曖昧なプロダクションをはじめ、まるで死の灰を撒き散らす『シ・ゴジラ』みたいな死鳥をシンボルとして掲げたKATATONIA『死の王』を彷彿とさせる、灰色の荒廃した世界観にあの時のトラウマが蘇って「うっ、頭が・・・!」ってなる。でもインテリこじらせすぎてインディ・フォーク化する最後の曲とか、もう一体何のバンド聴いてんのかわけわからなくなるし、それこそ「これはもうシン・ゴジラだ」としか他に例えようがなかった。KATATONIA『死の王』は紛れもなく駄作だったが、この『Magma』KATATONIA『死の王』でやりたかった事を自由にやってると感じた。

最後に従来のファンの目線を代弁すると→やっぱりGojiraといえばゴジラの鳴き声SEのように、Gojiraの専売特許である、クジラが尖頭銛でぶっ刺された時に鳴き叫ぶような「キュルルゥゥ!!」というあの鳴き声ギターが俺たちは聞きてぇンだよ!今のインテリ気取ったGojiraにはクジラの血が足りねぇ!もっともっと日本は捕鯨しろ!そしてモリを片手にこう叫べッ!

「KILL 'EM WHALE!!
 
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Alcest 『シェルター』 レビュー

Artist Alcest
Alcest

Album 『Shelter』
Shelter

Tracklist
01. Wings
02. Opale
03. La Nuit Marche Avec Moi
04. Voix Sereines
05. L'Eveil Des Muses
06. Shelter
07. Away [feat. Neil Halstead]
08. Délivrance
09. Into The Waves

【元々ブラックメタルなんか興味なかったのさ、あの頃の僕はどうかしてたんだ】・・・そんなネージュのホンネが込められているような、先行シングルとなる”Opale”をこの世に解き放ち、自身が生み出したポストブラックなる一つのジャンルに終止符を打った、ポストブラ界のアイドルことネージュ率いるAlcestの約二年ぶり通算四作目となる『Shelter』がリリースされた。まず、この実にShoegazer然としたラブいジャケが暗示するとおり、あのANATHEMAとのツアーを経験し、あの名盤Weather Systemsが発する黄金色に光り輝く生命エネルギーをズキュゥゥゥン!!と浴びてしまったLove & Peaceなアートワークから全てを察する事ができるんだが、結論から言ってしまうと→ネージュ「俺はポストブラックをやめるぞジョジョー!」と高らかに宣言するような、いわゆるポストブラックと称されるジャンルの一時代を築き上げてきた自身の過去との決別を宣言するかのような、北国からの風をうけて新たに生まれ変わったアルセストが奏でる極上のサウンドスケープが、そよ風にのって優しく心の中に吹き込んでくるかのような一枚となっている。



【Post-Black is DEAD】
・・・まず、翼の生えた天使が舞い降りてくるかのような、まるで気分は「パトラッシュ、僕はもう疲れたよ...」な神々しいイントロの#1で幕を開け、その流れで始まる#2”Opale”が今作の『シェルター』を象徴していると言っても過言じゃあない。”オパール”という名の【幸運の石】が意味する→【人生の暗闇に希望をもたらすような明るさに満ちた石であり、憂鬱を払い、何事にも囚われない柔軟さや人に左右されない自分自身の核を作る】・・・そんなオパールに秘められたヒーリング効果をフルに発揮するかのような、これまでの少し内向的だったAlcestとは一線を画した、まるでSigur Rós直系の優雅なグロッケンシュピール(鉄琴)を用いたポストロッキンな音使いと、まるでANATHEMAヴィンセント&リー・ダグラス黄金コンビを想起させる、貴公子Neige【幸福】を呼び寄せる清らかな歌声とBillie Lindahlの天使のようなコーラスが織りなす黄金のハーモニーと共に、まるで生まれたての赤子のように純粋無垢なメロディとLove & Peaceな多幸感に満ち溢れた、眩いくらいの音の洪水にMy Heart is Happy!! しかし、なぜこの『シェルター』がここまでシガロリスペクトなのか?その答えは至って簡単だ→なんと今作のミキシング&プロデューサーには、数多くのシガロ作品を手がけてきた重鎮Birgir Jón Birgissonを迎え、そのシガロをはじめSólstafirKontinuumらのアイスランド勢の作品を世に送り出してきた、アイスランドが誇るSundlaugin Studioでレコーディングされた作品だからだ。更に、チェロやヴァイオリンなどのストリングス勢もヨンシーの親衛隊として知られるAmiinaの4人組を起用しており、様々な面においてシガロ界隈でお馴染みの人材で揃えてきている所に、もうワンランク上のおっさんを目指したいという、アルセすなわちネージュのクリエイティヴ!!な音楽に対する貪欲な姿勢と揺るぎない強い意志、そして今作に対する本気度を伺わせる。ちなみに、今作のマスタリングにはDIR EN GREYやくしまるえつこの新曲でも知られる、世界一の売れっ子エンジニアことテッド・ジェンセン擁する世界最高峰のマスタリングスタジオ、STERLING SOUNDJoe LaPortaが担当している。まさしく最強の布陣だ。

 地球のみんな!オラに力を分けてくれ!

【最後のノイズ・・・そんな、今作を象徴する”オパール”が解き放つ、まるで水晶球のように一点の曇りのない光がこの世界を明るく照らし出しながら、次の”La Nuit Marche Avec Moi”へと物語は続いていく。この曲では、ほのかに前作の匂いを感じさせるアンニュイでありながら優しく繊細なメロディをもって、極上のリヴァーヴを効かせた美しきドリーム・スケープを展開していく。そして、今作のハイライトであり、アルセストの過去と今を象徴かつ証明するかのような#4の”Voix sereine”は、まるで朝日が登り始める合図(イントロ)から、情緒感に溢れたネージュの歌声とヨンシー親衛隊による優美なストリングスや鉄琴、それらの繊細なタッチで丁寧に紡がれていくリリカルなメロディをもって、まるで「地球のみんな!オラに力を分けてくれ!」と言わんばかりの『愛』『勇気』『希望』が込められた活力みなぎる力強い音の生命エネルギーを蓄積させながら、まるで過去との別れを惜しむかのような、まるで『ジョジョ』のツェペリ一族が最期に「JOJOーーーおれの最後の波紋(ノイズ)だぜーーーうけとってくれーーッ」という魂の叫びが込められた『人間の魂』と、まるでX次元へようこそでネコ化したやくしまるえつこと同調するかのようなネージュの「ニャ~ニャ~ニャ~♪」というコーラスを交えながら、押し寄せる恍惚感とepicッ!!な胸の高鳴りと共に、中盤からクライマックスにかけてエモーショナルな感情を爆発させていく圧倒的なダイナミズムは、まさしくANATHEMAの名曲”Untouchable, Part 1”に直結するドラマティックでシネマティックなソウル・ソサエティを形成し、この世の【不幸】を洗い流し、そして全てを浄化していく...。この世界中から呼び込んだ生命エネルギーを一つにした元気玉こそ、ネージュが歩んできた音楽人生すなわち物語の一つの終着点であり、この北風と太陽のような『光』の塊こそネージュの黄金の精神』なんだと僕は悟った。

メディアブック

黄金期のジャンプ】・・・あらためて、この#4”Voix sereine”で披露している、初期のポストメタルミュージックへの回帰が込められた、これまで内側に溜め込んでいたヒキコモリエネルギーを、これみよがしに一気に外側に解放するかの如しノイジーなギターは、過去の自分を捨てて、『希望』に向かって未来へと一歩前へ踏み出すような、今にも溢れ出しそうなネージュの内向きではなく前向きな願いと想いが込められている。僕はこのノイズという名の幸福の渦に身を任せ、そのノイズの渦に贅沢に溺れる中で、Alcestとの出会いから今までの思い出が走馬灯のように頭を駆け巡り、そして気づくと僕は→「ありがとう」...それしか言う言葉が見つからない...と呟きながら、ただただ流れる涙を抑えることができなかった。それほどまでに、今までネージュが心の奥底に密かに封印しておいた『シェルター』という名の『ココロのトビラ』を開き、ネージュが求めていた輝かしき栄光の光を掴み取る瞬間・・・すなわちナポレオンの復活!を目の当たりにしているような感動すら憶えた。そして僕は、この”Voix sereine”が解き放つ恍惚感あふれるエモーションと「左手はそえるだけ...」みたいな桜木花道的なアートワークに、ジョジョ8部『ジョジョリオン』の最終話もしくはラストシーンを垣間見たような気がした。要するに、今作のテーマは→さしずめ黄金期のジャンプ』ミュージックといった所か。

【Shoegazerへの憧憬】・・・過去のAlcestに別れを告げ、リバーブの効いた冷たい北風が地肌を儚く刺激するドリーム・ハウスの中で、再びネージュとBillie Lindahlによる黄金のハーモニーを披露する#5”L'Eveil Des Muses”、まるで太陽のような輝きを放つイントロからアコースティックな音色を使ってハートフルなエネルギーを放出する表題曲の#6”Shelter”、そしてネージュのShoegazerに対する意識の高さ、すなわち『LOVE』を#7の”Away”で再確認する事となる。デフヘヴンの2nd『サンベイザー』にネージュを迎え入れたように、それこそネージュの『シェルター』を開く鍵すなわち黄金の回転エネルギーとして、マイブラと並んでShoegazerというジャンルの絶対的アイコンである伝説のシューゲイザー・バンド、Slowdiveニール・ハルステッドをリードボーカルとして迎え、ヨンシーの追っかけことAmiinaの優美なストリングスとアコースティックなフォーキーな音色を引き連れて、アイスランドの雄大な大地と情緒に溢れた自然豊かな『メランコリア』を描き出している。その、まるでネージュが「貴方が僕の『シェルター』の鍵です。私の心の扉を開くのはあな~た~♪」と言わんばかりのエモい流れから、本編ラストの約10分ある大作の”Délivrance”へと物語は進んでいく。終盤のハイライトを飾るこの曲は、まるで映画『メランコリア』の壮大かつ壮絶なラストシーンをリアルに体感しているかのような、それこそネージュという一人の人間の『真実の物語』を深裂に描き出すかのような名曲で、ネージュによる民謡風のコーラスや真綿のように繊細緻密なメロディをもってリリカルに展開しながら、特にクライマックスを飾る終盤での壮観なスケールを目の前にした僕は為す術がなく、燃えさかる灼熱の太陽に手をかざしながら、一刻一刻と迫りくる感動の渦にただただ身を委ねるしかなかった。まるで、この世に蠢く全てのカタストロフィを『無』にするかのような、それこそ『清らか』な遺体で構築された賛美歌を最期に、これにてネージュという名の聖人が後世に残した『人間賛歌』は堂々の完結を迎える。

【キーワードはJulianna Barwick】・・・主に#1,#2,#5,#8でコーラスを担当している、スウェーデン出身のインディ・フォーク系SSWPromise and the MonsterBillie Lindahlをリードボーカルとして迎えた、世界で3000枚限定のハードカバーブック盤に収録されているボートラの#9”Into The Waves”の破壊力ったらない。本編ではネージュと共に崇高なコーラス/ハーモニーを披露することで、今作をより映画のサントラ的なスケールを与え、その聖歌隊の如し神聖なるコーラスが一つのキモとなっている所からも、USのJulianna Barwickを想起させるヒーリング・ミュージック的な意識が強い作品と言える。なんつーか、インディ寄りとでも言うのかな。そんな彼女の歌声だが、このボートラではチャーチズローレンたそを少しウィスパーにした天使のような萌声を全面にフューチャーしており、それこそCD一枚に一曲という贅沢させちゃうのにも十分納得してしまうほどの良曲となっている。正直、このボートラを聴くか聴かないかによって、今作に対する評価が180度変わってしまうんじゃあないか?ってレベル。なんにしても、アルセストの新譜といいウォーペイントの新譜といい、それらを紐解く鍵となるのが、この『シェルター』と同じBirgir Jón Birgissonがエンジニアとして携わった、新作(2nd)を昨年リリースしたジュリアナ・バーウィックってのが俄然面白いね。いつぞやに彼女のデビュー作をレビューした記憶があるが、まさかそれがこの伏線()だったなんて・・・。

  シェルター
 
【ネージュの『ユメ』『夢』】・・・あらためて、今作の『シェルター』ではBlackgaze特有の無骨なブラストやノイジーなギター、そしてネージュの怒りが込められたスクリームやプログレスな展開力も影を潜め、ありのまま素直にShoegazerやってる。まるで一種の桃源郷、いや黄金にでも迷い込んだかのような幻夢的(二次元的)な世界観は皆無に近く、その薄霧がかった幻想的な森を抜けると『シェルター』という名の現実空間(三次元)への入り口が目の前に現れ、その扉を黄金の回転を使ってこじ開けると、そこには『ユメ』ではなく『夢』の世界が広がっていたんだ。それこそ、初期作品で空想という名の『ユメ』の中で『夢』を一貫して描き続け、子供の頃から憧れ続けていたネージュの『夢』が真の意味で現実となった瞬間なんだと。正直、この『シェルター』を解き放つことを使命に、ネージュはこの世に生を受けたんだと思う。しかも、かつて”オパール”【不幸の石】と呼ばれた時代もあったってんだから尚さら面白い。この言葉の意味が、ネージュの音楽人生の全てを象徴していると言っても過言じゃあない。これぞ『人間賛歌』だと。

【Pitch-Blackへの憧憬】・・・そんなネージュのアツい想いが込められた『シェルター』だが、彼らの最も身近なピッチミュージックといえば...そう、今やiPhoneの広告塔にまで成り上がった、いわゆるファッション・サブカル系男子のアイドルことDEAFHEAVENが存在する。昨年、そのD F H V Nサンベイザーが大手音楽メディアPitchforkに高く評価された結果→言わば後輩であるハズのデフヘヴン人気が、先輩のアルセスト人気を大きく上回るという逆転現象が起こった。少なくとも前作までは、根暗のニワカブラックメタラーを相手に阿漕な商売をしながら自身の立ち位置を確立してきたアルセストだが、このまさかの逆転現象に流石のネージュも「アカン」と感づいたらしく、今作ではD F H V Nに負けじと音響ライクな音作りやメロディの質、プロデューサーやゲスト陣から録音面まで全てがリア充仕様もといメジャー仕様に合わせてきてる。この変化をナニかに例えるなら→あの頃のヒキコモリ系男子がシュガーロス・ダイエットによって生まれ変わり、まるでアニヲタが脱ヲタに成功したような、まるで田舎から上京したての大学生のような、まるでキョロ充のような雰囲気すら漂っている。要するに→いくら来日公演ができるほどの人気があると言ったって、所詮はニッチな界隈でしか評価されない...そんなインディ界隈すなわちピッチメディアに対してサイレント・ジェラシーを感じていたネージュの”メタラーとしてのコンプレックス”が炸裂してしまった作品、そんな皮肉めいた受け取り方もできなくないわけだ。あらためて、”コンプレックス”というモノは人をクリエイティヴッ!!にする大きな源だと再認識した次第で。なお、ピッチのレビューではボロクソの模様。

【Post-Black is Not DEAD】・・・自分の中で、ずっとアルセストとデフヘヴンって”全くベクトルの違うポストブラック”という認識があったから、この両者の関係を考察しようなんて気持ちは微塵も湧かなかったけれど、昨年の『サンベイザー』と今作の『シェルター』を聴き比べてみたら、その愚かな考えを改めざるを得なくなった。デフへが二作目で、アルセストがその倍の四作目にしてようやくポストブラックというジャンルにおける最終目的地『メイド・イン・デフヘヴン』に到達し、お互いに引かれ合い、影響を受け与えながらも最後は互いに笑顔で歩み寄った、その良きライバルであると同時に良き理解者、もはや師弟や兄弟というような概念を超越した関係性こそ、まるでディオとジョジョのような黄金の関係性』と言えるのかもしれない。そうなんだ、『シェルター』の中で『サンベイザー』というサウンドスケープに包まれている瞬間だけが、ぼっちの僕がリア充気分になれる唯一の瞬間なんだ。僕は今、浜辺でいちゃつくリア充カップルのようにウキウキでラブラブなんだ...。というわけで、一時はポストブラックは終焉を迎えたように見えた・・・が、どうやら間違いだったようだ→俺たちポストブラックの戦いはこれからだッ!

遠回りこそ一番の近道

【遠回りこそ一番の近道】・・・正直、前作を聴いて”終わりの始まり”を感じたというか(だから年間BESTにも入れてない)、曲展開やメロディそのものが少しあざとく聴こえてしまい、その漠然としたポストブラックやめたい感・・・そんなネージュの心の揺らぎが顕著に表れてしまった前作は、初期の名作と比べるとどうしてもネタ切れ感が拭いきれなかった。しかし、そのメロディに込められた黄金の音エネルギーは着実に今作の楽曲に活かされていて、例えばOpethで言うところのWatershedを深く突き詰めた結果がHeritageである事と全く同じように、前作のLes voyages de l'âmeがあってこその『シェルター』だと僕は思う。だから、今作を聴いて「初めからShoegazerやっとけばよかったのに」というクソみたいなニワカ発言には一切興味なくて、それこそジョジョ7部のジャイロが放った名言のように、ネージュにとっても【遠回りこそ一番の近道】だったんだ。事実、前作と同じ意識のままだったら駄作しか生まれなかった、つまりオワコン化不可避だっただけに、そんな中で吹っ切れた、潔い行動を取ったアルセストを僕は素直に正しく評価したい。そして何よりもネージュの覚悟に敬意を表したい。

【引かれ合い】・・・このように、全ては”俺の界隈”の頂点に君臨するANATHEMA黄金の精神、すなわち俺の界隈の中心へと”引かれ合う”ように集まってくる。昨年のKATATONIAも、今年のAlcestも必然的に...いや、運命的にね。なんにせよ、後輩のD F H V Nの奇跡の再来日(伝説の名古屋公演)が再び決まったからには、このアルセストにも来日して頂かないとナニも始まらないしナニも面白くならない・・・と思った矢先に来日キター!
 
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Prophecy (Koch) (2014-02-18)
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