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墓っ地・ざ・ろっく!

ジョジョリオン

aikoの新曲『プラマイ』のMVにジョジョリオン

取り急ぎ。この曲好き。

ANATHEMA 『Distant Satellites』

Artist ANATHEMA
ANATHEMA

Album 『Distant Satellites』
Distant Satellites

Tracklist
01. THE LOST SONG part 1
02. THE LOST SONG part 2
03. DUSK (dark is descending)
04. ARIEL
05. THE LOST SONG part 3
06. ANATHEMA
07. YOU'RE NOT ALONE
08. FIRELIGHT
09. DISTANT SATELLITES
10. TAKE SHELTER

    -これは呪い(ANATHEMA)を解く物語-

【解散願望】・・・解散して欲しかった。約二年前、2012年にリリースされた9thアルバムWeather Systemsを数千回聴き込んだ末、遂に”俺の感性”が導き出した答えこそ→ANATHEMAは『ジョジョ』だということ、つまりANATHEMAの『Weather Systems』黄金の精神』であり、『Weather Systems』X JAPANのバラード・コレクションだということ、そして”俺の感性”一巡させた事である。そんな、10年に一度の歴史的名盤となった『Weather Systems』を超えるなんて事はもはや不可能、万が一の可能性を見い出すとすれば→それは”俺の界隈”代表取締役社長兼CEOであり8thアルバムWe're Here Because We're Hereを手がけたスティーヴン・ウィルソン氏、あの『Weather Systems』をプロデュースした張本人であるChrister André Cederberg、そして俺の界隈の裏方で知られるイェンス・ボグレンという、いわゆる”俺の界隈の三銃士”の力が必要不可欠、でもそんなこと・・・「できるわけがない!できるわけがない!できるわけがない!できるわけがない!」と四回叫び、半ば諦めかけていたその時ッ!今作『Distant Satellites』のエンジニアとしてSW氏がミックス(2曲)を、前作同様にノルウェイ人のChrister André Cederbergがプロデュース&ミックスを、そして5.1chサラウンドのミキシングに俺たちのイェンス・ボグレンが参加しているとの情報を得た僕は→あの『Weather Systems』『神の領域』すなわち『メイド・イン・ヘブン』に到達し、名実ともに”アンタッチャブル”な存在となったANATHEMAは、この『Distant Satellites』で自分自身を乗り超える、つまり【神殺しのANATHEMA】を襲名する覚悟ッを決めたんだ...そんなダイアモンドのように硬い意志を感じ取った。要するに→「神を超える」ための条件は全て整った、というわけだ。

               『ザ・ロスト・ソング パート1』

                       今夜
                   僕は解放された
                    とても自由だ

                   生まれて初めて
                     僕は目にした
                     新たな人生を
                     新たな人生を

                    呼吸を始めよう

                    そして君が現れた
                    どこからともなく
                     僕の人生は
                 すっかり変わってしまった

    (いつの日か、あなたは私を感じるわ 微風に運ばれる囁きの中に)

                   そして、あの夜
                    僕は夢の中で
                   静かに立ち去った

                  もう一つの場所へと
               そこで君は僕に話をしてくれた
                    この日のこと
                    この日のこと

                    そして君が現れた
                    どこからともなく
                      僕の人生は
                 すっかり変わってしまった

               というのも、君は僕のものであり
                   僕は君のものだから
                     死ぬまでずっと
                     死ぬまでずっと
                恐怖なんて幻想に過ぎないんだ


【THE LOST SONG=THE LAST SONG】・・・僕は涙した。まるで僕が『Weather Systems』はX JAPANのバラード・コレクションだと言った事を証明するかのような、今作『Distant Satellites』の心臓部を担う”THE LOST SONG”、その幕開けを飾る”THE LOST SONG part 1”に涙した。ハッと息を呑む壮麗かつ荘厳なストリングスから、まるで英国貴族の社交界のようにエレガンスなピアノの旋律と新メンバーのダニエル・カルドーゾによる5拍子を効かせたドラミングが織りなす、それこそソフト&ウェット(柔らかくて、そして濡れている)な黄金のリズム&血液のビートが、鼓動が魂が、山吹き色の輝きを放ちながら激しく高らかにオーバードライブしていき、前作の『Weather Systems』を堺に”ボーカリスト”としてのリミッターが解除された暴走モードのヴィンセント・カヴァナーリー・ダグラス姐さんが織りなす、まるで『幸福』についてを語り合うかのような黄金のハーモニー、そしてこの歌詞に涙したんだ。驚いた、まるでジョジョ8部『ジョジョリオン』の主人公東方定助の壮絶な運命を歌っているようではないか。そう、この歌詞に登場する”僕”とは東方定助であり、”そして君が現れた”の”君”とは広瀬康穂ではなかろうか。それこそ『ジョジョリオン』の一話と同じように、どこからともなく現れた康穂と出会った定助の人生、その運命は”すっかり変わってしまった”わけだ。では、”解放された”や”新たな人生を”は一体何を意味し、”もう一つの場所”とは一体何処なのだろうか。そして、広瀬康穂役のリー・ダグラス姐さんによる(いつの日か、あなたは私を感じるわ 微風に運ばれる囁きの中に)という意味深な歌詞は一体何を意味しているのだろうか?これらは壁の目で目覚めたジョジョリオン一話の東方定助なのか、はたまたジョジョリオン最終話での”帰るべき場所”を見つけた東方定助=Xなのか、とにかく複数の解釈が持てる謎に満ち溢れた歌詞だが、少なくともこの曲で流した僕の涙は、『ジョジョリオン』の最終話を読んで流す涙と全く同じ涙であると確信した。そもそも、この”THE LOST SONG”というタイトルは、自分の記憶を”失った”東方定助自身であり、これこそ『ジョジョリオン』のテーマソングと呼べるだろう。

jojo1

【プログレ界のART OF LIFE】・・・それはまるで『ジョジョの奇妙な冒険』の初代主人公ジョナサン・ジョースターエリナ・ペンドルトン、もしくはジョジョ8部『ジョジョリオン』の主人公東方定助広瀬康穂黄金の関係性、その関係性を黄金のハーモニーへと変えて、血液のビートを刻みながら雄大な抒情詩を宇宙という名の無限∞に広がるキャンパスに静かに、しかし深裂に描き映し、そして瞬く間に天空を駆け巡るストリングスや艶美なキーボードとニュータイプ的なプログラミング、音圧(ダイナミズム)重視のギターの轟音ヘヴィネス、俄然タイトなリズムを刻みこむドラム&ベースが互いに高め合い狂喜乱舞しながら、それら全ての音をハリケーンの如く巻き込んでいき、遂には黄金の回転エネルギー』の力が働いた巨大な音の塊、すなわち宇宙規模のサウンドスケープとなって全人類をカタルシスの渦に飲み込んでいく。その曲調としては、前作の名曲”Untouchable, Part 1”を踏襲した超絶epicッ!!ナンバーと言っていいが、当然のようにドラマティックでありながらも崇高かつ荘厳、そして神妙な雰囲気を漂わせながら、一定のリズムからなるシンプルなミニマリズムによって体内に蓄積された小さな音エネルギーを一気に爆発させるような、2012年の『ウェザー・リポート』のスタンド能力により生じた暗雲たち込める空模様に太陽の光が差しこむような、まるで【3.11】を堺に漆黒に染まった日出づる国に『愛(Love)』『勇気(Pluck)』『希望(Hope)』という生命エネルギーをズキュウウウン!!と注入するかのような、クライマックスを飾る終盤のオーケストラが解き放つ『清らかさ』は鳥肌モノってレベルじゃないし、それと同時にthe fear is just an illusionという歌詞に込められた、まるで「勇気とは怖さを知ることッ!恐怖を我が物とすることじゃあッ!」と言い放ったウィル・A・ツェペリの如く、それこそ『人間の魂』をアツく焦がすような『灼熱の魂』に、もはや”感情の限界突破”に限りなく近い胸の昂ぶりを抑止することが出来なかった。そして僕は、今にも張り裂けそうな胸の高鳴りを沈めながら閃いた→「もはやTHE LOST SONG part 1はプログレ界のART OF LIFEだッ!」ってね。

                『ザ・ロスト・ソング パート2』

                     人生には
                     必ず訪れる
                   目覚める瞬間が

                    着実に刻まれる
             あなたの心臓の鼓動の音を耳にして

                 今やあなたは解放された
                   そして私はこのまま
                   ずっと夢見ていよう 

                生きている、気づいている
                  かつて信じていた愛

             いつの日か、あなたは私を感じるわ
                微風に運ばれる囁きの中に
               そして私はあたなを見つめる
                堂々と立っているあなたを

                      戻ってきて
                    どうか信じて

                 こんな気持ちは初めてよ

            あれが幻想だったんなんて信じられない 

【東方定助×広瀬康穂】・・・幕開けを飾る”THE LOST SONG part 1”東方定助視点で描かれた曲ならば、この”THE LOST SONG part 2”はヒロインである広瀬康穂視点で描かれた曲だ。この曲は、恋人を想うあまりにも純粋なキモチが込められた歌詞を、いい意味でポップに歌い上げるリー・ダグラス姐さんの母性あふれる歌声と壮麗優美なストリングスをフューチャーした、と同時に艶かしいまでのL O V E!L O V E!L O V E!なエモーションがとめどなく溢れ出す、真珠のドローン系バラードだ。これは前作の”Untouchable Part 2”に相当する楽曲と言っていいだろう。まるで”あの頃”の思い出を懐かしむかのような、ある種のフェチズムを刺激する息遣いにブヒれるリー姐さんのコーラスと情緒感あふれる繊麗なサウンドが織りなす、儚くも美しいダイナミズムと切ないラブストーリー性には”感動”という二文字以外の他に例えようがない。そして、この歌詞にも『ジョジョリオン』の謎を紐解く鍵が隠されている気がして→まず一体何が誰が”目覚める瞬間”なのか、それは東方定助を司るもう一人の人物=Xなのか、ここでも”解放された”という意味深なフレーズをはじめ、パート1と同じ”and one day you'll feel me a whisper upon the breeze(いつの日か、あなたは私を感じるわ 微風に運ばれる囁きの中に)”という”THE LOST SONG”の核心部分に触れるような黄金のフレーズが、そして”戻ってきて”とは?”あれが幻想だった”とは?こんな風にこの歌詞を考察していたら、気づくと僕は涙を流していた。『ジョジョリオン』の東方定助と広瀬康穂が巡る数奇な運命、その黄金の軌跡』を辿るかのような歌詞に涙したんだ。

                『ザ・ロスト・ソング パート3』

                  君を見つけたからには
                   もう放すつもりはない
                    世界は回り続ける
                    魂が映し出される
              僕の心臓は君のために鼓動を鳴らす
                  身体の外へと伝えるんだ
                    今夜、心の中では
                 君に頑張って欲しいと願う

                     なぜなら愛とは
                     我々そのもの
                    どんなに近くても
                    どんなに遠くても
                       そして命は
                     真実をもたらす
                       夢の中に

【THE LOST SONG=『黄金の精神・・・ここまで、フロントマンのヴィンセントがメインのパート1とリー・ダグラスがメインのパート2の流れを見れば、前作の名曲”Untouchable”の再来、少なくともそれを素直に踏襲している事がわかる。しかし、前作の”アンタッチャブル”なANATHEMA=自分自身の存在を超えるためには、最後のワンピースが必要だ・・・でもその前に→ギラついたアルペジオ・ギターに合わせてヴィンセント&リーが大胆な掛け合いを披露する”Dusk (Dark Is Descending)”、この曲の歌詞は今作の中で最も『ジョジョリオン』の物語にリンクする歌詞で、初めてこの歌詞を読んだ時は少し恐怖を覚えるくらい、前半部の歌詞には『ジョジョリオン』第一話を、そして後半部には、まるで『ジョジョリオン』最終話を予知するかのような歌詞が記されている。続く”Ariel”は、パーカッションや電子ドラムなどのチルアウト効果を織り交ぜながら、まるでアリエールで洗った洋服のように柔らかな肌触りで優しく包み込むピアノと壮大なオーケストラをバックに、リー姐さんの天使の囁きの如しウィスパーボイスとヴィンセントの情熱的なゴッドボイスが劇的に交錯する、この世の全てのカタストロフィを浄化する黄金のハーモニーが至高の感動を呼び起こすラヴバラードで、アウトロではカヴァナー三兄弟の長兄ダニエルがその優しい歌声を披露している。この”人間愛”に満ち溢れた歌詞は、”THE LOST SONG”のフィーリングを感じさせるし、曲としてはデヴィン・タウンゼンド総裁『Ghost』を思わせるほどの透明感がある。そして遂に来たる、今作の核を担う”THE LOST SONG”の最後のワンピースこと”THE LOST SONG part 3”は、序盤のパート1&2の中で描いてきたそれぞれの想いが運命的に引かれ合い、そしてその想いが一つに重なる瞬間だ。8thアルバム『We're Here Because We're Here』”Get Off, Get Out”を彷彿とさせると同時に、着実に”THE LOST SONG part 1”の流れを汲んだ、まるで波紋使いの呼吸法のように俄然タイトなリズム&ビートからなるミニマリズムが極上のグルーヴ感およびトリップ感を生成し、まるで夜空を見上げた星の煌めきと淡い揺らめきがこだまする静寂の中で、しなやかな恍惚感を発しながら”永遠の美”を求めて優雅に舞い踊る、東方定助役のヴィンセント・カヴァナーの想いと広瀬康穂役のリー・ダグラスの想いがシャボン玉のように融け合って共鳴し合うその瞬間ッ、シルクのように繊細な焦燥感と激情的なエモーションを解き放つハーモニーが、静かに、しかし美しく魂を揺さぶる。この組曲”THE LOST SONG”を構成する3つのピースに共通するのは→まさしくLovePeaceの精神すなわち黄金の精神』であり、それこそパート3の”My Haert Beats for You (僕の灼熱のビートを君にッ!)”や”なぜなら愛とは 我々そのもの”とかいう一種の聖書的なリリックが示すように、Love即ち『愛』こそ、Love即ち『引力こそ我々人類が憧憬し崇拝すべき唯一『神』であり、それこそ『天国への階段』を登った先に啓かれた『メイド・イン・ヘヴン』なのである。これはもう恐ろしいほど純粋なラブストーリーであり、それこそ究極の『愛』の物語すなわち『愛のむきだし』、もはや音楽界の『失楽園』と言っていいレベルのセカイだ。

jojorion


-これは「呪いを解く物語-
この呪いを解くためには、ANATHEMAという過去の自分自身を乗り超えなければならない。そんな願いが込められた曲が、このバンド名を冠した”ANATHEMA”だ。感情を押し殺したヴィンセントの無慈悲な歌声と荘厳かつ重厚なオーケストラ、そして流麗なピアノがクラシカルかつシアトリカルに交錯する、それこそ初期ANATHEMAの荒寥たる世界観を持った、まさに「人間の尊厳とはナニかを具現化したような楽曲だ。音楽性の変化に伴うメンバーとの対立そして別れ、しかしその幾多の試練を乗り越えて新たなる境地に辿り着いたANATHEMA、そんな今のANATHEMAと過去のANATHEMAを約20年の時を経て再び繋ぎ合わせるかのような、それこそ今作の裏テーマである”ANATHEMA”という名の”呪い”を解く大きな鍵であり、そして導き出されたその答えこそ→『LOVE』...即ち『愛』だった・・・。その呪縛(ANATHEMA)から自らを”解放する”かのような、過去のANATHEMAとの決別を宣言するかのようなヴィンセントの魂の叫びから、まるで映画のクライマックスを飾るようなギター・ソロという名のレクイエム(鎮魂歌)を奏でる時、真の意味でANATHEMAは呪縛(ANATHEMA)から解放され、晴れて究極のカタルシスを得たのである。ちなみに、ヴィンセントのインタビューによると→自らの意志で”ANATHEMA”という曲を書こうとしたのではなくて、完成した楽曲が自然と”ANATHEMA”そのものになったらしい。そう言われると確かに、曲全体を支配する荘厳かつ無慈悲な雰囲気をはじめ一種の破滅的な、この地球この大地を轟かす”DOOM”なギターの重厚感は初期ANATHEMAをフラッシュバック!!させる。しかし、こうやっていともたやすく過去の自分自身と向き合えるのは、(音そのものは違えど)やっぱりアナセマの音の根幹にある音楽的理念がデビュー当時から現在まで一貫しているからであって、それはデビューから今まで一貫して『人間賛歌』をテーマとして描いている荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』だって同じだ。しかも、過去にANATHEMA=呪いというバンド名を改めようとしたが、かのスティーヴン・ウィルソン氏の助言によって結局改名しなかった所も、ジョジョ7部『スティール・ボール・ラン』でジョジョをやめようとしたけど、なんだかんだで結局『ジョジョ』になってしまうという、そんな荒木飛呂彦が歩んできた漫画人生とまるで同じではないか。そういった意味では、近年ANATHEMAの楽曲の中では最も特異な曲であり、過去の自分自身を乗り超えるために必然的、いや運命的に生まれた楽曲と言えるのかもしれない。こうして、ANATHEMAは”ANATHEMAの中にある、もう一人のANATHEMA”を自らの手で葬ったが、はたして『ジョジョリオン』の主人公東方定助は”もう一人の自分”を解放し、そして自らを『祝福』する事ができるのか?

アナセマ×ジョジョ

【アナセマ≒荒木飛呂彦】・・・スウェーデンの重鎮OPETHや皇帝KATATONIA、そしてフランスの貴公子ALCESTでも、それなりの地位に位置するバンドが音楽的な”変化”を起こすと、大抵は従来のファンから批判される。初期のデス/ドゥームやってた頃から今まで、音楽史上最も大きな音楽遍歴を巡りしこのANATHEMAも決して例外ではない。まず、一つ目の大きな”変化”が起こったのは4thアルバムの『Alternative 4』だろう。その”オルタナティブ”というタイトルをはじめ、これまでのスタイルと違って呪術感あふれる通称ゴシック・メタルと呼ばれるサウンドへと”変化”したのだ。続く5th『Judgement』こそ4thと差ほど変わりはしないが、しかし21世紀にさしかかると6th『A Fine Day to Exit』と7th『A Natural Disaster』を立て続けにリリースし、それこそ今のANATHEMAの”原点”と言えなくもないような、レディへリスペクトなATMOS系の浮遊感やポスト-感を内包した、実にUKミュージック然とした路線へとシフトしていった。しかし驚いたのは、いずれも批判より賞賛の声の方が大きかった事だ。これはヴィンセントがインタビューで→「”テクニック”ではなく、あくまでも”ソングライティング”に重きを置いている」と語っているが、まさに彼らの曲作りに対する信念や執念を裏付けるような話だ。同じく海外のインタビューで→ヴィンセント「批判を恐れていては真のクリエイティブな音楽は生まれない」と答えているが、まさしくそのとおりだと思う。このように”変化”に対する”批判”を恐れず、常に”変化”と”進化”を求めて前進し続ける通称クリエイティヴ・ヒューマンとしての意識の高さ、そのまさしく”オルタナティブ”な精神性こそ、現在連載中の『ジョジョリオン』で絵柄をはじめ本格派サスペンスを謳ったストーリーやコマ割りなど...今や大ベテランであるにも関わらず新たなる境地に挑み続けている漫画家荒木飛呂彦という名の吸血鬼に直結する、とどまることを知らない創作意欲およびクリエイティブ精神と言えるのではないか。僕はこれまでに”アナセマとジョジョ”の親和性、その類似点をクドイくらいに説いてきたつもりだが、その双方に対する漠然とした考察は、この『Distant Satellites』で遂に確信へと変わった。それと同時に、僕はスティーヴン・ウィルソン氏が提唱する創作精神こそ、荒木飛呂彦が持つ創作精神だと確信していて、やはり、こうやって今のANATHEMAが存在していられるのも、Kscope主宰のスティーヴン・ウィルソン氏による功績が大きいのかもしれない。ご存知のとおり、SW氏は7th以降スヤァ...っと深い眠りについていたアナセマを覚醒させるキッカケとなった8thアルバム『We're Here Because We're Here』を手がけた人物である。そんな彼は、今作でも2曲ミキシングで参加している。それが”You're Not Alone””Take Shelter”だ。

                  『ディスタント・サテライツ』

                君は自分自身を売り払った
             それでいいんだと自分に言い聞かせた
                 状態が状態を生み出し
                 高水準を乗り越えていく

                 そして僕は泣きたくなる
                  漂いながら君を捕まえた
                 そして僕は泣きたくなる
             遠く離れた人工衛星に過ぎないんだ

                だから僕を救い出しておくれ
                  僕は生きているんだ
                  僕は生きているんだ
                 この中で生きているんだ


【新境地】・・・確かに、中期アナセマの『A Natural Disaster』に収録された”Closer”ではレディへリスペクトなエレクトロニカを、前作の『Weather Systems』に収録された”The Storm Before The Calm”では、今はなき同郷のPure Reason Revolutionを彷彿とさせるダンサンブルな電子音を積極的に取り入れ、かつアナセマの音へと巧みに昇華していた。では、本作『Distant Satellites』における”新機軸”と呼べる楽曲を挙げるとすれば、それはSW氏が手がけた”You're Not Alone”や表題曲の”Distant Satellites”だろう。まず、前者の”You're Not Alone”では、遂にダニエル・カヴァナースティーヴン・ウィルソンの奇跡の共演が実現ッ!・・・と言いたい所だが、SWじゃなくてヴィンセントの声だった。初めて聴いた時はヴィンセントの声がSWに聴こえたくらい、SWを意識した少年風の歌い方だ。とにかく、そのSWとも交流のあるPendulumばりにバッキバキな打ち込みを擁したインダストリアルなドラムンベースを展開している。で、先述の”Closer””The Storm Before The Calm”における”新機軸”は、あくまでも数ある要素の一つとして取り入れられたものだったが、しかし今回ばかりは”ガチ”な感じで、完全に向こう側のジャンルの立ち位置からモダンな音を鳴らしている。これは先ほどの”批判”に繋がることだが→当然「別にアナセマがやらなくてもいい」なんて思う人も居るだろうけど、むしろ今のアナセマだからこそというか、それよか単純に曲がカッコイイというか、批判という恐怖を克服し、自らの手で未来を切り拓き、そして遂に辿り着いた”アナセマなりの新境地”に直に触れているような気がして、もはや批判とか賛否両論とかどーでもよくなるくらい、素直に楽しい気分にさせてくれた。なんつーかこの曲、ほとばしるスティーヴン・ウィルソンの影が一種の”免罪符”となってる気がしないでもない。もう次作でダブステップやり始めても全然驚かないくらいにはなってる。

ゼロ・グラビティ

【ANATHEMA=輪廻転生説】
・・・その”You're Not Alone”だけじゃあない、それ以上に”実験的”な要素を感じさせる曲こそ、ゴースト名ソングライターことジョン・ダグラスとヴィンセントが共同プロデュースした曲であり、今作のコンセプトを担う表題曲の”Distant Satellites”だ。まるで大聖堂が目の前に立ちはだかるような、”Firelight”とかいうインストの神聖なる『清らか』な風を受け継いで始まるこの曲も、打ち込み系のエレクトロニカを大胆に取り入れた、言うなれば65daysofstatic meet ANATHEMA的な楽曲で、まるで人工衛星から地球を見下ろしたような無限大の世界が目の前に広がり、その壮観さは北欧ノルウェイの上空に現れる色鮮やかなオーロラのように『清らか』で神秘的だ。しかし、一言で”エレクトロニカ”と言ってみても、あくまでも繊細で浮遊感のあるヴィンセント・カヴァナーの歌声を軸としながら、その夢心地なボーカルのメロディと心躍る上品なピアノが極楽なトリップ感を生成しながら、高鳴る心臓の鼓動のように小気味よいダンサンブルなビートを打ち込んでいく、まるで子守唄の如くフロイド感あふれるアトモスフェリックな曲調なので、逆に驚くほど違和感というものはなかった。まるで気分は映画『ゼロ・グラビティ』「あたしサンドラ・ブロック、ガチで宇宙空間を漂流中」だ。ここで、その映画『ゼロ・グラビティ』を例に出すと→前々作の8th『We're Here Because We're Here』が地上(浜辺)からの目線で地球を描いた作品ならば、リメイク作品のFalling Deeperが水中から地球を描いた作品で、前作の9th『Weather Systems』が『空から地球を見てみよう』的な作品だとすると、本作の10th『Distant Satellites』では更に遠く離れた大気圏外にある宇宙衛星の視点から地球を描いた作品だという風に解釈すると、ある一つの流れが出来上がっているのがわかる。まさか、その映画『ゼロ・グラビティ』の物語に隠された『輪廻転生』を音楽という手法を使って描き出しているんだとしたら...このアナセマというバンドは、実はとんでもない事をやろうとしてるんじゃあないか?って、そう思うと僕は少し恐怖した。事実、前々作の8th『We're Here Because We're Here』では臨死体験という名の黄金体験』を音で表現しているし、あながちそれは間違いじゃないかもしれない。もしそうだとしたら、それこそ『人間賛歌』の極みだと思うし、ジョジョ6部でプッチ神父のスタンド能力『メイド・イン・ヘヴン』によって生じた一巡した世界、すなわちパラレルワールドもある種の『輪廻転生』と言えるのではないか、それこそ初期の『破滅の音楽』から現在の『幸福の音楽』に至るまでのアナセマの音楽遍歴ですら、『ジョジョの奇妙な冒険』の初期(暗黒面)~中期(オルタナ期)~後期(黄金期)の作風および時代背景、その精神性と全く同じ道を辿っているようではないか。つまり、全てにおいて『アナセマ』と『ジョジョ』は一心同体となったのだ。このように、【ANATHEMA=輪廻転生】という説から考察してみれば、現在のアナセマは初期のアナセマが”一巡”しただけの存在すなわち同一人物でしかないと理解ッできるし、初期から現在までの音楽性の変化すらも必然的、いや運命的な出来事だったのかもしれない。

「あたしサンドラ・ブロック、ガチで宇宙空間を漂流中」

【アートとは「光るウンコ」だ】・・・そして、SW氏がミックスを手がけた”Take Shelter”のレディへ(Kid A)ライクな音響や、まるで生まれたての赤子のように生命エネルギーに満ち溢れた、シガーロス直系の神々しく純粋無垢なストリングスを耳にすれば分かるように、その90年代と00年代のオルタナティブシーンを牽引してきた二組のレジェンドを融け合わせ、それぞれの時代と時代を繋ぎ合わせるかのような、それこそ”キング・オブ・オルタナティブ”と呼べる曲であり、それすなわち”オルタナティブ・ミュージック”に傾倒していた頃の『A Natural Disaster』をはじめとした中期アナセマと、前作の『Weather Systems』を筆頭とした近年の黄金アナセマを引き合わせるかのような、もはやアナセマ自身の約20年にも及ぶ音楽人生を総括するかのような楽曲だ。それらを踏まえて→前作の『Weather Systems』が5thの『Judgement』”一巡”した結果だとすると、今作の『Distant Satellites』は7thの『A Natural Disaster』”一巡”した先のパラレルワールドなんだって、僕はそう解釈し、そう結論づけた。そして、この聖なる遺体が眠るとされる地下シェルターの扉を開くと、そこには新たなる黄金の輝きを放ちながら元気に走り回るアナセマの姿が・・・ッ! 話を戻して→要するに、常に”変化”と”深化”を求めてきたアナセマが本格的なエレクトロニカを擁する必然性、常に自らの手で過酷な未来を切り拓いていく創造者としての飽くなき探究心、そのクリエイティヴ!!に対する貪欲な姿勢こそ正真正銘の”オルタナティブ・バンド”と呼べるんじゃあないか、その創作精神こそ真の意味で”Progressive”と呼べるんじゃあないか、ってね。また、ニューヨークで活動する新星コリアン・メディア・アーティストの作品を本作のアートワーク/デザインに採用している所からも、フロントマンヴィンセント・カヴァナーの視覚面に対するアンテナの鋭さ、異文化に対する寛容の精神、懐の広さを伺わせる。それこそアレハンドロ・ホドロフスキーの名言で知られる→「アートとは「光るウンコ」だ」と言わんばかりの創作精神、その覚悟に僕は一人の音楽好きとして敬意を表したい。

                     『テイク・シェルター』
 
                     僕らは永遠
                      子どもたちが
                    駆け抜けていく...

                 君を思って自分を見失った
                 真実の中に自分を見出した
                    僕らはこの先道に迷う

                 君を思って自分を見失った
                 真実の中に自分を見出した
                 僕らはこの先自分を見失う
              そして再び時の中に自分を見い出す

 
【至ってシンプルな答え】・・・再びッ話は振り出しに戻るが→ある種の”解散願望”を持っていた僕は、アナセマの次のアルバムがどうなるかなんて全く考えてなかったし、想像すらしてなかった、というかできなかった。確かに、「最高に『ハイ!』ってやつだ!」とかいう”人間をやめちゃった人”みたいなハイテンションで、まるでドカーン!バーン!キャー!を特徴としたB級ハリウッド映画の如く、つまり”バンドサウンド”を全面に押し出した大仰かつ大胆かつド派手な展開力の高さを一番の魅力としていた前作『Weather Systems』のような、いわゆるガッシャンガッシャンしたギター・ミュージックではなくて、この『Distant Satellites』におけるギターの役割といえば、それは主に組曲”THE LOST SONG”で聴けるような極限までエッジを削ぎ落したギター・サウンドからして明白で、持ち味とする耽美なクリーン・ギターも大きく影を潜め、あくまでも重厚感(ドローン系ヘヴィネス)やポストメタリックなスケール感および重低音(ダイナミズム)を加えるだけの一つのオトでしかなくて、そういった意味では今作はかなり”メタルっぽい”と言えるのかもしれない。要するに→かのデイヴ・スチュワートがアレンジを施したオーケストラのストリングスを中心としながら、ドラムとキーボードによる”ある一定のリズム感”を大事にしたシンプルなリズム&ビート、そして英国貴族のように気高い歌詞を繊細かつ大胆に歌い上げるボーカルの反復運動に意識を向けた、ある種の”ミニマル・ミュージック”的な側面が強い作風となっている。そしてヴィンセントがインタビューで→「これまで以上にインプロヴィゼーションの要素を取り入れている」と語るように、その即興演奏で生まれた結果であろう至ってシンプルなリズム&ビートに対する感覚を研ぎ澄ますことで、より音の生々しさというか、より古風のProgressive-Rock感や独特のライヴ感が生まれている。これは彼らが”ライヴバンド”であるからこそ、なのかもしれない。同時にその”シンプルさ”は、ギター&ドラムのミニマルなリズム主導の”THE LOST SONG Part 3”をはじめ、それはアルバム後半の”新機軸”と呼べる曲に対しても「複雑になることを嫌った」と語るように、実際に複雑なことは何一つなくて、あくまでもボーカルやピアノやストリングスによる”メロディ”の反復運動を軸としており、最初から最後まで一貫して”シンプル”な分かりやすさが貫かれている。一見、音が複雑に重なり合っているように見えて、それらを一つとして聴くと驚くほど”シンプル”な音である事がわかるハズ。その俄然タイトでシンプルなリズムが、”イキ過ぎ”を抑制するために絶妙な”寸止め感”を作品に与えている。そして、これはアルバム前半の楽曲の全てに共通することだが、気のせいかポップな歌いまわしというか、”歌う”ことに対して本能の赴くまま自由に楽しんでいるヴィンセント・カヴァナーとリー・ダグラスの力強い歌にも、先ほどのインプロヴィゼーションやライブ感というのが発揮されている。この一貫した”シンプルさ”を理解ッすると、「二週間でレコーディングを終えた」というのにも納得せざるを得なかった。

    ※訴えないでください!

【Distant Satellites=内田真礼説】・・・2008年作のアコースティク作品『Hindsight』に始まって、2011年作の『Falling Deeper』からの流れを引き継いで、本格的なオーケストラとの共演を果たした昨年のライブ映像作品Universal、それらの経験から得た影響を伺わせる”THE LOST SONG”を心臓部としたクラシカルな前半部、初期のANATHEMAと現在のANATHEMAを継ぎ合わせるかのような”ANATHEMA”を挟んで、正真正銘の”オルタナティブ・バンド”としてあるべき姿...その信念を貫いた現代的かつ実験的な後半部、このように大きく2つのテーマに分かれている。この2つのテーマの狭間で生じるギャップ...それはまるで声優内田真礼「この顔からこの足」という一種のギャップ萌えのようだ。この『Distant Satellites』という名のシェルターを紐解く鍵、そのヒントはこの”まれーたそ”が握っていると言っても決して過言じゃあない。もはや俺レベルになると→黄金比』で形成された内田真礼の体型から、アナセマの壮絶なる音楽遍歴を紐解くことができる。そして僕は、あらためて”アナセマ””アイドル(2.5次元)”の親和性を再確認するのであった。まぁ、それは冗談として→ここ最近の作品の中ではキャッチーなツカミや作品の統一感は希薄だが、逆にその決して完璧ではない粗さやいい意味でアンバランスな感覚が絶妙な味となっている気がしないでもなくて、少なくとも即効性の高いここ最近の二作とは違って妙なスルメ感はある。確かに、前二作のように豊富な音数を繊細かつ緻密にリリカルに積み重ね、クライマックスに解放感のあるド派手な展開を見せるわけでもなく、(ミックス&マスターの影響もあるのか)いい意味でも悪い意味でも平坦で起伏の乏しい展開とシンプルな音使いをもって、比較的緩やかなバラード風の展開を主体にシットリと聴かせる印象。その辺りは、ギンギラギンにさり気なかった『Weather Systems』とは確実に一線を画していて、蒼天のようにカラッとした空気感ではなく、どちらかと言えばアートワークのイメージを含めて7thの頃の妖艶なオーラ、それこそ英国の変わりやすい空模様のように少し湿り気のある陰鬱な色気を纏った音で、その静謐さ溢れるアトモスフェリックな音響空間の中で、静かなる叙情と激情を冷静と情熱の狭間で爆発させている。結論からすれば→なんだかんだ、歴史的名盤だった前作に勝るとも劣らない、音楽的な面でも20年を越えるキャリア的な面でも、本当の意味で集大成と呼べる名作なんじゃあないかって。しっかし、これを聴く直前まで”解散願望”を持っていた自分が恥ずかしい。アナセマだけに...セマいアナがあったら今すぐにでも入りたい気分だ(テヘペロ///)

『ダスク(ダーク・イズ・ディセンディング)』

僕の心を光の方へと引き上げておくれ、凍えそうなんだ
僕の目を大空へと引き上げておくれ、探し物をしているんだ

自分の望む気分になろう
自分の望む姿になろう
なぜなら僕は
自分の愛を試しているんだ

僕の手を取って
連れ去っておくれ

この場所から
だってここは僕の居るべき場所じゃないんだ

この場所から、ところで、一体どうやってここに来たんだ?

この場所から
だってここは僕の居るべき場所じゃないんだ

僕の心に語りかけ
連れ去っておくれ

なんとか勇気を振り絞ろうとする
だけど、この場所で凍えるばかり
とても寒いんだ

もはや希望は捨ててしまった

-------------------------------------------------------

あの痛みと共にここに連れ戻されたんだ
どうか家に帰しておくれ

だけど、全て心の中にしまっておこう
心の中に
心の中に
心の中に

涙の向こうに飛び立つ君を見た
飛び立つ君を
飛び立つ君を
遥か遠くへと
遥か遠くへと
遥か遠くへと

歲月を経るにつれ
僕は時の中に微笑む自分を見出した

僕は夢に明かりを灯した
だけど君のことは決して忘れない
ずっと君のために生きる
全ての愛を捧げ

君はそんなに遠く離れていない 

【アナセマ×イェンス・ボグレン=引かれ合い】・・・本作は一言でいうと大人しい 、一言でいうとシンプルな作品であると同時に、過去最高にあざとくてエモくてクサくてダサくてラブい...でも最高にカッコイイ作品だ。そもそも、近年のアナセマが高く評価されている一番の理由って、ポストロックなどのモダンなオルタナティヴ・ミュージックを自身の音に昇華しているからだと思うんだけれど、でも本作にはその”モダン”なイメージは極めて薄くて、これはいい意味でも悪い意味でもオッサンが好きそうなクラシック・ミュージック(クラシカルという意味で)とクラシック音楽(古典的という意味で)に大きく歩み寄っているからなのか、それともマイナーキー主体の楽曲によるものなのか・・・いずれにせよ、ここ最近の作風を嫌味なく素直に踏襲しながらも、シンプルでありながらも実験的な新境地を切り拓くことに成功した作品である事には違いない。確かに、作品としては正直”地味”かもしれないが、しかし今回のエモーショナルな歌詞をどのように解釈するかによって、その評価がガラッと変わってきそう。そして、思春期における感情の暴走によって誕生した、ある種の”キッズ・ミュージック”とも言えなくもなかった『Weather Systems』とは違い、この『Distant Satellites』ではクラシックな大人のプログレ感を著しく強めている。それは”至ってシンプル”という概念に取り憑かれたようなリズムや音使いをはじめ、かのイェンス・ボグレンを迎えた5.1chサラウンドやハイレゾ音源(48kHz/24bit)での配信など、それら音質に対するアナセマの考え方(ポリシー)からも明白な事だ。要するに→この【アナセマ×イェンス・ボグレン】という一種の”引かれ合い”も、過去に俺の界隈の裏方として紹介したのが全ての伏線()だった、というわけです。ちなみに、自分はハイレゾ(48kHz/24bit)と5.1chサラウンド両方とも手に入れたんだけど、さすがに5.1chだけあって、特にストリングスの立ち上がりや音が収束していく部分をはじめとした、ボーカルの細かな息遣いからドラムの正確な再現力、上下左右の空間の広がりや奥行き、音の分離感、とにかく作品全体の生々しさと繊細さを併せ持った表現力とスケール感が段違いな気がする、気がする...。残念ながら、5.1chをまともに鳴らせる再生環境を持ち合わせていないので説得力は皆無だが、ともあれ自分にとってはイェンス・ボグレンアナセマの音源をミックスした、その事実だけで十分です。でも、こうやって高音質と謳われた音源で聴くとCDより音が良いってのが、もはやCDの存在意義とは何ぞや?ってくらいによく分かる。そう遠くない未来(いや、既にか)、CDという媒体はアニメ業界における円盤と同じ扱いになっていくのかなと思うと、少し寂しい気持ちになった。まぁ、そんな話は今更でしかなくて、要するに→アナセマの音楽、特にここ最近の作品は”いい音”で聴けば聴くほど、それ相応の恩恵と感動がジカに得られるハズなんで、できる限り”いい音”で楽しんで欲しい。そうすることが、アナセマの音楽に対する最大の敬意になると思うから。しっかし、『13年ぶりにリリースされた国内盤も買う』『ハイレゾ&5.1chも買う』、更には『メイキング映像付きの限定版も買う』・・・「全部」やらなくっちゃあならないってのが「幹部」のつらいところだな。『破産』の覚悟はいいか? オレはできてる。

【Distant Satellites=『ジョジョリオン最終話説】・・・正直、各音楽メディアが挙って10点中8点つけそうな『無難』な感じは否めない。しかし、僕にとっては『無難』という言葉は間違いだった。『ジョジョ』史上初となる駄作への道を歩んでいるなんて巷で囁かれているジョジョ8部『ジョジョリオン』だが...でも僕はこの『Distant Satellites』という名の『2014年宇宙の旅』が描き映す「音のイリュージョン!愛のレボリューション!」を体験し・・・再びーッ!”俺の感性””一巡”したことによって、『ジョジョリオン』最終話を読んで号泣している未来の自分が予測できた。これらは全て”日本一のジョジョヲタ”であり、”日本一のアナセマヲタ”を自称している僕だから辿りつけた唯一無二の解釈、および考察なのかもしれない。当然、東方定助広瀬康穂の運命をどのように導き定めるかは、それは作者の飛呂彦しか知る由もないこと・・・。しかし飛呂彦よ、俺は『ジョジョリオン』最終話をこの耳で...しかと目撃したぞッ!

(このレビューは、国内盤の解説を担当した鮎沢氏と歌詞・対訳の石川氏に捧げる)
 
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sukekiyo 『IMMORTALIS』

Artist sukekiyo
sukekiyo

Album 『IMMORTALIS』
IMMORTALIS

Tracklist

01. elisabeth addict
02. destrudo
03. latour
04. nine melted fiction
05. zephyr
06. hidden one
07. aftermath
08. 烏有の空
09. the daemon's cutlery
10. scars like velvet
11. mama
12. vandal
13. hemimetabolism
14.
15. 斑人間
16. in all weathers

「L、知ってるか、ジョジョ8部『ジョジョリオン』は犬神家をモチーフにしているんだぞ」・・・とかいう小ネタはさて置き、本作品はDIR EN GREYのフロントマンのソロ・プロジェクト、sukekiyoの処女作『IMMORTALIS』だ。まず、ここ最近のDIR EN GREYといえば→武道館2デイズ『DUM SPIRO SPERO』を成功させ、つまりドゥムの呪縛から解放され、要するにメンバーのフットワークが軽くなった結果生まれたのが、このsukekiyoというわけだ。昨年リリースされた映像作品『IN SITU-TABULA RASA』のインタビューを見ても、ここ最近の京は妙に左翼臭い顔つきというか、そろそろ鳥肌実と対談してもおかしくないレベルの、何とも言いがたい雰囲気を醸し出していた。別の意味では、ありのままの京を、京の本性をさらけ出しはじめたというか。そして、僕が以前からワンチャン【DIR EN GREY×BiS=BiS EN GREY】あるんじゃねーか?って言い続けてきた理由も、このフットワークの軽さからだ。当然、現実問題として”ありえない”ことは重々承知なんだけれど、それぐらい今のDIRメンからは「こいつ...動くぞ!」みたいな身軽さを感じていた。

【ロック界の岡本太郎】・・・このsukekiyoの楽曲は、大きく分けて2つに分類される。一つはオープニングを飾る”elisabeth addict”やリードトラックの”aftermath”を初めとした、アコースティック(アルペジオ)を主体に和楽器を使ってオリエンタルなムードを高めた”Post-Progressive”な楽曲、もう一つは”zephyr””斑人間”を筆頭とした、ToolやNINを連想させるインダストリアルなアレンジを際立たせたモダンなオルタナティブ・ヘヴィロックナンバーで、それらが一つになって、まるでH山中A湖畔にたたずむ洋館の片隅で秘密裏に執り行われる仮面舞踏会を、京だけに京の街の闇夜を艶美に彩る、溢れんばかりの情欲が妖艶な音世界を、まるで欧州映画のように叙情的に描き映していく。しかし、2つに分類されると言い切るには幅広い曲調を保持した、それがなかなかどうしてバラエティに富んだアルバムで、二曲目の”destrudo”では極上のATMS系インストゥルメンタルを、その一方で本家DIR EN GREYのお経みたいな#8”烏有の空”や”ディルドキャンディにディープスロート”な#9”the daemon's cutlery”、もはやsukekiyoがV系であることを真っ向から肯定するかのような、それこそHYDEもビックリの#11”mama”、ドリーミー&トリップ系の#13”hemimetabolism”、まるで北野武映画...いや久石譲”キッズ・リターン”を彷彿とさせる映画音楽風の#14”鵠”など、このsukekiyoという名の得体のしれないナニカを紐解く、その大きな鍵を握る楽曲が要所に置かれている。正直、これだけの曲数があるのにも関わらず、むしろ後半から盛り上げてくるフィジカルの強さに、このsukekiyoの本気というのか、恐ろしいまでのポテンシャルの高さを伺わせた。そして、『無から有が生まれる』ことを証明するかのような、まるでIsis『Panopticon』を彷彿とさせるアートワーク(初回限定盤)のように、まるで気分は『ゼログラビティ』サンドラ・ブロック、まるで気分は犬神家のスケタケ、まるで気分は『ジョジョ』二部のカーズのように「考えるのをやめた」京は、宇宙を形成する暗黒物質の一部として...それこそ”無”の存在となって、宇宙空間の如く無限に広がり続ける京の感性を、「芸術は爆発だ」と言い放った岡本太郎ばりに爆発させている。

【大正ロマン】・・・特に、大正時代の”わらべ歌”が現代に蘇ったかのような”elisabeth addict”Kscopeライクな”aftermath”、そしてDIRの”THE FINAL”に匹敵するsukekiyoのアンセム的な曲となるであろう”zephyr””mama”を耳にすれば分かるように、初期のDIR EN GREYを彷彿とさせなくもない、一種のムード歌謡のような京の魅惑的で官能的な歌メロが一番に耳を惹く。本家DIR EN GREYの京が人外じみた獣勝りの京ならば、sukekiyoの京は今流行の女装系男子じゃあないが、歌舞伎における”女形の京”とでも例えたらいいのか・・・要するに”男らしさ”ではなく”女々しさ”をさらけ出している。それはある意味で、出自であるV系への”原点回帰”としても受け取れるし、メールやスマホが存在しない時代の恋人への恋文を謳うような、それこそ大正ロマンを感じさせる詩的な歌詞に、艶かしいほどのエロスを禁じ得ない。とにかく、少なくとも今のDIR EN GREYとは比べ物にならないくらい京の歌に聴き応えを感じるというか、何者にも縛られず伸び伸びと素直に歌っている印象が強く、やはりソロというだけあって自由にやれているのが大きいのか、あらためてボーカリストとしての京が持つアヴァンギャルドでいてユニークなセンスに、何かと酷使して喉を潰しまくっていた”DIR EN GREYの京”とは一線を画した、”京”という名の独りの表現者の裏の顔、いや、その本性に多大な感銘を受け、そして京というニンゲンの面白さに只々共感するしかなかった。しかし僕は、これによって『虜』の京に対する神格化が更に進む事に懸念を示している。このsukekiyoが持つ諸行無常の精神を理解ッすれば分かるように、決して虜に神格化されたいがためにやってるわけじゃあないんだ。極端な話→”DIR EN GREYの京”ではなく、一人のクリエイティブ・ヒューマン(創造者)として、一人の”表現者としてのキョウ”を受け入れてやるべきだってね。

乱歩地獄・・・そもそも、ロックバンドのフロントマンがソロ活動を始めるなんてことは、もはやロックバンドの宿命もしくは恒例行事みたいなもんで、別段驚くことはないんだけれど、でもあのDIR EN GREYがソロをやると聞いて「まさか」と驚いた人は割りかし多いかもしれない。そんな、数多く存在するソロ・プロジェクトの中で、最もこのsukekiyoに近いソロって、実はポーランドのRiversideのフロントマンマリウス・デューダ君のソロ・プロジェクト、Lunatic Soulなんじゃねーかと僕は思っていて、当然そこには”和”というオリエンタルな共通意識があって、特にそれは幕開けを飾る”elisabeth addict”から、ピアノ主体のATMS系インストの#2”destrudo”、そして#3”latour”のイントロのアルペジオへと繋がる流れからして顕著だ。そしてそして、#6”hidden one”が醸し出す只ならぬプログレ力から、今作のリードトラックとなる”Post-Progressive”然とした耽美エントナンバーの#7”aftermath”、最後に#14”鵠”の尋常じゃないほどの”Post感”を耳にして、その思いは確信的なものへと変わったのだ。これはひょっとしてひょっとすると、次作あたりで”俺の界隈”の会長兼CEOとして知られるスティーヴン・ウィルソン氏とのコラボ(プロデュース)があるかもしれない(ねーよ)。そのSW関連で話を進めると→彼がプロデュースしたOpeth『Damnation』ほど江戸川乱歩作品と相性の良い音楽は他にないと僕は思っていて、それと同じくらい、このsukekiyoも乱歩作品との親和性を見いだせるバンドである事は確かで、乱歩が描き出す怪奇で幻想的で変態的な世界観は、まさに京の感性そのもの...すなわちsukekiyoが描き映す”エログロ”な音世界そのものであり、それこそ乱歩地獄ならぬ京地獄を展開するかの如く。で、sukekiyoの女々しい歌詞も、乱歩作品に登場する背徳感のある女性像を描いている気がしないでもなくて、そういった視点から聴くと俄然面白かったりする。なんにせよ、ワンチャン人間椅子との対バン、その可能性も無きにしもあらず・・・か。

【京、俳優デビュー】・・・正直、聴く前にあった懐疑的で変態的なイメージとは少し違って、想像した以上に普遍的なオルタナ・ロックやってて逆に驚いた。先日来日したホドロフスキー監督や映画『私が、生きる肌』が好きという、自身で『変態』を自称している割には、思いの外すんなり聴けたというか、とても耳馴染みのいい”マジメ”な音だったのは確かだ。しかし、この今作においても、ある種の映画監督のような表現力の高さを見せつけている。もはや、コイツそろそろ映画撮り始めるぞ・・・なんて事は、サステインの猿でも分かるセカイのお話だ。でも、その前に園子温監督の映画に俳優として出演しそうだよな、って。むしろ、ここまで来たら”ロック界の星野源”を目指すのもアリだな、って。話を戻して→わかりやすくこのsukekiyoを例えるなら、言うなれば”ソフト&ウェット”なDIR EN GREYだ。まるで湖畔に揺らめく鶴のように美しく優雅に、まるで吉原遊郭の遊女の如く可憐に舞い踊る、凄艶じみた民族舞踏を繰り広げている。これぞまさしく、旧時の遊女と現代の遊女という名の『虜』を繋ぎ合わせるような、全世界のバンギャ必聴のアルバムと言える。正直、DIRの新曲SUSTAIN THE UNTRUTHを聴いた後に、このsukekiyoを聴いてしまうと→「今年リリースされるらしいDIRのフルアルバムは、果たしてsukekyoの『IMMORTALIS』を超える事ができるのか?」という大きな疑問にブチ当たった。しかし、そもそも本家のDIR EN GREYとsukekiyoを比較するなんて事はスゲーナンセンスだし、スゲー古いなって思うんスよ。

ブックレット

【京、AVデビュー】・・・和紙テイストの繊細なブックレットの質感や詩を読むような縦書の歌詞(詩集)、乱歩作品の表紙絵もしくは挿し絵を想起させる怪奇的な世界観(斑人間というタイトルも)、元よりsukekiyoというバンド名からそのビジュアルコンセプト、そして喪服推奨ライブまで、それこそ大正時代にでもタイムスリップしたかのような錯覚を与え、そしてその時代の新聞をも駆使(オマージュ)したマーケティング戦略を見ても、このsukekiyoがどこぞのアイドル気取りのソロバンドのように、ただのメンヘラクソビッチを相手にしたアコギなソロ・プロジェクトじゃあない、本格的すなわち”ガチ”なプロジェクトだという事が理解できるし、もはや京は”男版椎名林檎”でも目指してるんじゃあないかってほどに。更には、堤幸彦の名作ドラマ『トリック』の主題歌でも知られ、芸能界の女型の巨人にサツガイ予告したメンヘラ女こと鬼束ちひろとの運命的なコラボという名の引かれ合いが実現、それこそMVだけじゃなくて、どうせだから歌でもデュエットすれば良かったのにと、このsukekiyoが創り出すフェミニンでメルヘンな世界観に、それこそ椎名林檎鬼束ちひろなどの遊女ボーカルが入る隙は腐るほどあっただけに、尚さらね。その流れで京に前衛的なAV撮って欲しいと思っちゃったんだからしょうがない。

【京×TK】・・・それはさておき、今作の初回限定盤にはV系界隈の大御所を初めとした様々なゲストを招いたリミックス盤が収録されている。おいら、V系が特別好きというわけじゃあないんで、Angeloのキリトとのコラボはまるで興味がなくて、やはり自分が一番興味を惹かれたのはTK(凛として時雨)のリミックスだ。いま思えば、昨年リリースした凛として時雨の新作i'mperfectの一曲にイェンス・ボグレンを迎えた事が、今回の伏線()だったのかもしれない。それ以前に、DIR EN GREYすなわち京が持つ中二病精神と凛として時雨すなわちTKが持つ中二病精神、その親和性の高さは、TKがリミックスを施した”zephyr”を聴けば顕著で、これは原曲が良いってのもあるけど、とにかくTK節全開のフリーダムなアレンジに笑ってしまう。他にも、P.T.Pの人がグリッチ風にリミックスを施した”鵠”、コーンのジョナサンがアブストラクト・ヒップ・ホップ風にアレンジした”in all weathers”、室姫深が手がけた”scars like velvet”を聴いて上田剛士を思い浮かべたのは僕だけじゃないハズだし、BiSでもお馴染みのGLAYのヒサシによるダ/ブロステップ風のリミックス、そして今回のリミックスを手がけたアーティスト陣の中で一番のサプライズと言っていいのが妖精帝國で、その中心人物の橘尭葉が水銀燈風もといシンフォニック・メタル風にアレンジした”mama”も原曲が良いだけあって、とにかく同人V系感がハンパない。正直、どのリミックスも割りとガチな感じで想像した以上に面白かった。

このアルバム、ミックスがいわゆるJ-Rock的なのがまた懐かしいというか、独特の青臭さや郷愁を醸し出している。でも個人的には、もっと和に振り切っても良かったんじゃあないか?という思いも。そしてあらためて、怪奇的で幻想的で変態的な京の感性は、やっぱり”俺の感性”に限りなく近いものだと再確認した次第。で、それと同時に、薫という存在の大きさを痛感させられたのも事実で、最近の薫も大概かも知れないが、それでも薫のリフセンスと音作りはDIR EN GREYの核となる絶対的な存在だって、ね。僕は反対だが、もし薫がソロ活動を始めるとするなら、有望若手ドラマーであり日本のDaniel Liljekvistこと山崎慶くんと組んだら割りと面白いバンドができるんじゃねーか、とは思う。でも、今のDIRにそんな余裕は、ない。

IMMORTALIS(初回生産限定盤)
sukekiyo
SMD itaku (music) (2014-04-30)
売り上げランキング: 167

℃-ute 『この街』 レビュー

Artist ℃-ute
℃

Single 『この街』 
この街

Track List
1. この街
2. この街 (Dance Groove Ver.)
3. この街 (Instrumental)

正直なところ(すっとぼけ)しようかと思ってたんだけど、約束した拍手5以上がマジでついちゃったみたいなんで、読者もご存知、いわゆる”俺の界隈””アヴドゥル枠”を担当する”釣りロマンアイドル”もとい”武闘派アイドル”こと、℃-uteの記念スべき20枚目のシングル『この街』のレビューの時間だああああああああああああ(つうか、どんだけブログ読者は℃を求めてんだよ...ファッ!?これは本当に℃-uteがキテる可能性が微レ存ッ!?いやいやいやいや℃-uteキテない℃-uteキテない℃-uteキテない℃-uteキテない℃-uteキテない)

℃-ute=『ジョジョの女たち』

・・・「お前らこの画像を見ても『今の℃-ute』=『ジョジョの女たち』だということが理解ッできないの...?」というジョジョ八部『ジョジョリオン』ばりの”謎/考察/問題提起”から始まる本作『この街』のレビューなんだけど(即興で作ったこの画像、我ながら良い出来だと思ふwコイツら、本当にいい素材だw)、記念スべき20枚目となる今回のシングルは事務所の先輩である森高千里さんの原曲をスローバラードにアレンジしたカバー曲で、つまり昨年4月のバラード通称『君チャリ』会いたい 会いたい 会いたいなで遂に”西野カナ化”した『今の℃-uteがつんく♂を超えた』その結果→カバーになったンゴ・・・という簡単な流れ。いわゆる黄金へと突入した昨年4月からの恵まれた勢い/流れにノって、しかも記念スべき20枚目という事で今度こそつんくボーイの本気曲クルー?と思った矢先にこのカバーしかもバラード・・・(再びッ!!)これには流石のおいらも(うーんこの事務所)としか。ゆーてもC/Wはつんくボーイの曲やろ(震え声)と思ったらC/Wも全部が森高ニキのカバー曲だと知った時はあっ…(察し)。昨年、予想以上の売上を記録した神聖なるベストアルバムからの~冬ツアー~神聖なるペンタグラム~という『神聖さ』を極めるための『修行』を乗り越えた今の『聖なる℃-ute』にとって、今年2013年は来年もしくは再来年に訪れるepicッ!!期を迎えるにあたり大事な大事な準備期間、その新年一発目のリリースから『カバー曲をモノにしろ』といういきなりの『試練ッ』すなわち『LESSON 2』を与えてくるとか...なんという『Dirty Deeds Done Dirt Cheap』だッ!! しかし、この『試練ッ』”NEXT-℃”『epicッ!!期』へと辿り着くために必要不可欠な『LESSON 2』、むしろ”武闘派アイドル”であると同時に”逆境系アイドル”である今の℃にとってはドンッ!!と来いな『試練』だと理解ッし、そして納得ッするしかない(だが俺の場合、もっと別な所でその”納得ッ”は生まれる事となった)。『試練』は乗り越えられないものに襲いかかりはしないッ!! となると、噂どおり4月にリリースされる完全オリジナル新曲その名も『CRAZY完全な大人』(このタイトルはクレイジーですよーッ!!)に対するハードルがクッソ高くなるわけで。つんくボーイの自信あり気なツイート見たら尚更。



 おっと、話が脱線しそうでアレなんだが、とりあえず『この街』のMVを見て欲しい。ご覧のとおり、MVのデキがクソとかそんな分かりきった事はもうどうでもいい話で、そんなことより個人的に奇妙な”引力”を感じた部分があって、それは「ナゼに鈴木愛理がLovePiece”のイヤリングをしているのか」という事実で、その”答え”は至ってシンプルだ。偶然か必然か、℃-ute”俺の感性””引かれ合い”が起きた同時期(2012年4月)にANATHEMAの『Weather Systemsを聴いていた、つまり”俺の感性”が極限まで研ぎ澄まされた時期に℃と引かれ合ったという時点でスデにその”答え”は出てるんだが、要するに『Weather Systems』=『ジョジョ(リオン)』の主人公東方定助『ジョジョの女』こと広瀬康穂『希望』ある未来へと築き上げていくLove & Pieceな関係性すなわち黄金の関係性”・・・そのLove & Pieceという”俺の界隈”黄金のシンボル”を身につけた『鈴木愛理=ジョジョの女』すなわち℃-ute=『ジョジョの女たち』だという結論に至った。正直、このイヤリングを見た時はちょっとドキッ♥としたと同時に「ファッ!?鈴木愛理自身が潜在的意識の中で自分が『ジョジョの女』だという事を自覚している可能性が微レ存ッ!?」って(なにいってだこいつ...)。そんな冗談はさておき、そもそも『この街』というのは東日本大震災に向けられた楽曲というナニ前提があって、通算20枚目という記念スべきシングルなのにも関わらず、何故”今”になってつんくボーイが”今の℃-ute”にこの曲を託したのか...?その”答え”『今の℃-ute』=『ジョジョの女たち』だからであり、その『ジョジョの女たち』が歌うからこそ『意味』があり『成立』する鎮魂歌(ゴールド・エクスペリエンス・レイクエム)だと納得ッし、そしてナゼに荒木飛呂彦先生が『ジョジョリオン』で震災のハナシを絡めてきたのか...つまりはそういう事だと、もはや日本一のジョジョヲタを自称する俺はそう理解ッしたぞッ!!

鈴木愛理=広瀬康穂である可能性

 僕にはもう鈴木愛理=広瀬康穂にしか見えないセカイなんだ...。ホント、ここまで書いてて自分でも(なにいってだこいつ...)としか思わないセカイなんだけど、ナゼに℃-ute”俺の界隈””アヴドゥル枠”を担当する事となったのか、”俺の感性”とやらは℃-uteとかいうアヴドゥルのドコナニに”引力”を感じたのか、あの日(2012年4月1日)から今まで漠然としたままではあるが考えに考え抜き、そして『この街』に込められた震災への想いすなわち黄金の精神”とMVのLove & Pieceイヤリングを目の当たりにした結果→「...あっ、こいつら『ジョジョの女たち』じゃん」という一つの結論に達したのは、これ以上ない大きな収穫だった。そういうわけで、ここからは少し鈴木愛理の話をしようと思う。これは写真集『この風が好き』やパーフェクトブック『Airi-aL』を読んで感じた事なんだが、まるで「きさま!見ているなッ!」と言ったディオのように”人に見られる”という意識をいつも持っている所はまさに”アイドル界のイチロー(スズキ)”と呼ぶに相応しく、”筋肉質過ぎず、女性的なラインを残してメリハリをつけていく”という美意識それを維持する類まれなる努力があるからこそ、「鈴木愛理の腰回り(いわゆるクビレ)から下半身にかけてのボディラインは『黄金』で形成されている」というおいらの持論に妙な説得力が生まれるわけで、その無数の黄金長方形で形成された下半身のヒネリ&ステップから生み出される『完全なる黄金回転エネルギー』「腰」から「背中」「肩」「ヒジ」「手首」を抜けて「指先」まで螺旋で伝える事によって、nkskヲタの竹中夏海先生が言うような、体全体の回転エネルギーを使った『気高く』そして『靭やか』な愛理のダンスが完成するわけだ。要するに、愛理のダンスというのは上手い下手というベクトルで語られるもんじゃあなくて、言うなれば魅せることに特化したダンスであって、これは℃一ダンスが上手いとされるnkskとも別の次元のセカイにあるダンス...つまりこの画像が語る鈴木愛理=広瀬康穂を結論として、やはり鈴木愛理とかいう”アイドルサイボーグ”の存在は、”荒木飛呂彦が考えるアイドル像”それすなわち『強く』『気高く』『美しく』の三拍子を取り揃えた『ジョジョの女』に限りなく近いソレだと、本作『この街』のジャケ写およびMVによって、その”答え”が俺の中で確信的なナニかに変わった。また少し『Airi-aL』のお話をすると、撮り下ろしグラビアやインタビューそしてスケジュール帳()が大半を占める本誌の中で、個人的に40ページの『A-mode』が一番『ジョジョの女』を感じさせたトコだったんだが、この”モデル愛理”を見たら(荒木飛呂彦×鈴木愛理『ジョジョの女』という企画をモード誌の『SPUR(シュプール)』に持ち込んだら面白いやろなぁ...)とかいう妄想が膨らんだ(笑 もし実現したら間違いなく愛理は天下取れますw

『A-mode』

 これは近年の『ジョジョ』および最新作『ジョジョリオン』でも顕著に表れてる事なんだが、登場人物の口元が”半開き”状態(誤解を恐れずに言うとアホっぽい)で描かれることが非常に多くなっていて、推測するまでもなくそれはキャラの表情に『色気』を出すための演出で、おいらが作った『℃-ute』=『ジョジョの女たち』の画像で説明するとだ、nksk×イギーは丸顔からクリっとした目や”常に半開き”な口元そして愛嬌までソックリを超えたもはや本人じゃんってレベルだし、舞美×ヴァレンタイン大統領も凛々しい表情から口元まで全てが”これしかない”というぐらいの一致率だし、マイマイさん×東方大弥も髪型/色気&ポージングそしてツンデレキャラほぼ年齢まで本人だし、そして本当は広瀬康穂にしようと思った愛理をルーシー・スティールにしたのは、偶然にも同じ黒インナーだった所が大きいんだけど、口元や眼差しまで表情の作り方がまた絶妙だったからこの画像をチョイスした。一番悩んだのは最後の岡井ちゃんで、本来は3部の家出少女にするつもりだったんだけど、多少の無理矢理感はあったが最終的にH・Pにすることで納得ッした。つうか、大統領って男やん?ってツッコンだ君は”自分はミーハーです”と言ってるようなもんで、それなりの”ジョジョヲタ”を自称する者ならば、『ジョジョの主要人物=全て女性』という”一つの解釈”に辿り着いているハズなんで、そらもう日本一のジョジョヲタを自称するおいらからすれば、『今の℃-ute』=『ジョジョの女たち』だという事は2秒で理解ッできます。じゃあナゼに『今の℃-ute』=『ジョジョの女たち』なのか、それは今さっき記した℃メンのビジュアルその”表情”が大きく関係していて、各雑誌のグラビアに引っ張り凧の現状を見れば理解ッできるが、今やグラビア界のホープ的存在と呼べる鈴木愛理という女は、もうなんか「ワシの表情は百八式まであるぞ」と言われても納得ッしてしまいそうなほど、まるで怪人二十面相バリの『表情の鬼』と呼びたいぐらい多種多様な顔色を持っていて、当然のようにあの『Airi-aL』も”ジャケ買い”なんだが、このジャケを初めて見た瞬間に「なるほど...これも一つの鈴木愛理か・・・ッ!う~んこの実に『ジョジョの女』らしい表情...いいゾ~これ」って。贅沢な話だが、今回の『℃-ute』=『ジョジョの女たち』の画像のチョイスで(素材が多いお陰で)最後まで迷いに迷ったのは愛理だけだった。正直、男の俺でも愛理の表情は勉強になるし、まるでエステ『シンデレラ』に通いつめる山岸由花子を見ているかのような、実にクリエイティヴッ!!な表情を魅せてくれる。ま、『表情の鬼』の称号を持つ鈴木愛理とかいう『ジョジョの女』が、近年のジョジョで垣間見せるようなその表情その口元と全く同じソレなのは当然の『結果』なわけだ。要するに...きこえますか...きこえますか...アップフロントのみなさん...『Welcome To My ”俺の感性”』の管理人です...今...あなたの...心に...直接...呼びかけています...『荒木飛呂彦×鈴木愛理』=『ジョジョの女』...という企画をモード誌の『SPUR(シュプール)』に持ち込み...それを実現...そして成功させるのです...そうすれば鈴木愛理および℃-uteは...アイドル界の天下取れます...

ジョジョの女

 さて、ここで遂に本題に入るんだが、おいらがジャケ買いした通常版に収録されている『この街』の(Dance Groove Ver.)が思いの外アレで(他盤に収録されている”ハエ男”は映画の初代が傑作だよね、うん)、そもそも、『この街』は3.11に関連したコンセプトがあるわけだから、原曲のような明るいノリだと雰囲気やイメージ的にアレだし...結果→スローバラードになるのは当然のことで、事実(Dance Groove Ver.)がアレだったから今回バラードに仕立てたのは結果として良かったとは思う。その曲調としては、自然とノスタルジーな気分にさせる、そんなシットリ系の大人風バラード。個人的には原曲よりも好きだし、あのセリフもキライじゃあない。この曲を聴いた時の率直な感想としては、昨年の”悲しきヘブン”で確立した”愛理×千聖”のツインボーカルが予想どおりキテるな、と。おいら、前から何度も言ってるんだが、岡井がいなかったら俺は℃を聴いていなかった、というか、岡井がいなかったら℃の歌なんて聴けたもんじゃあなかった。俺的2012年度BESTにも名を挙げた”悲しきヘブン”で遂に開花した岡井ニキの”ロックボーカリスト”としての才能。この曲には確かな”NEXT-岡井”の姿があった。と同時に、これまでの露骨な”愛理一強時代”からの脱却その可能性を託された”No,2の岡井”の登場と覚醒は、今の℃にとってどれだけ大きな存在か、漠然と思い知らされた曲でもあった。本作『この街』でも、岡井ニキの存在感はあの頃は大盛り食べ過ぎた結果→自身の恵体のようにデカくて、なんつうか、”ロックボーカリスト”である彼女がここまで丁寧に歌い聴かせてるってのもなかなか新鮮で面白かった。しっかし岡井ニキが歌うとなんでも”ロックバラード”になってまうんやなwウケる。特に”星はまだ夜空いっぱい”の所で声をディープに響かせる辺りがツボ。改めて、岡井ニキは歌の面でもう完全に”℃のNo,2”の座を確固たるものにしたな、って。要するに、愛理一強時代は”カナブン”で終わりを告げ、岡井千聖という存在が”ロックボーカリスト”という自分の立ち位置を初めて理解ッした結果→次の新曲『クレイジーダイヤモンド』の特典にまでゴリ押してしまうぐらい、これには流石のおいらも”引っ張りすぎィ!”としか言い様がない、そんな今の℃を代表する一曲となったわけだ。つうか、この曲の本来の姿って、表面は愛理×千聖のツインボーカルスゲーやろぉ(ドヤッ!!)りつつ、実は舞美×マイマイさん×nksk三人のダンスが主役という見方が本来の楽しみ方であって(これはライブで生で体験した人だから理解できる事なのかもしれない)、この曲を年を跨いで引っ張るのはまだ理解ッできるが、ツインボーカルがスゴイのはもう分かったから、いい加減三人のダンスメインのMVだったり作品をTeam-℃は望んでるんじゃあないの?と。事務所としても、この一曲だけで終わらせるなんて勿体ない、もう二,三曲この手のツイン曲が欲しいと考えてると思うんだが、だからこそ...(遊戯ボーイもといつんくボーイ...きこえますか...きこえますか...Welcome To My ”俺の感性”の管理人です...今...あなたの...心に...直接...呼びかけています...Janne Da Arc&Acid Black Cherryのyasuから℃への楽曲提供を呼びかけるのです...そうすれば℃-uteは...アイドル界の天下取れます...) 話を元に戻すが、今回は愛理>千聖=舞美>>>マイマイ&nkskという極端過ぎる歌割りなんだが、初めの”この街も変わったわ”と歌うマイマイさんのソロパートを聴いて、意外や意外、マイマイさんの声が一番この曲とマッチしてる気がした。けど、”この街も変わった”わ”の部分が気のせいか掠れ声になってねぇ?このレベルのテイクでOKが出てしまうって・・・これは去年の冬公演『~神聖なるペンタグラム~』でも福岡のyoutube配信を観ても思ったけど、最近のマイマイさん声のコンディション悪すぎィ!って。おいら、今年一年でマイマイさんがキスミー期の岡井ニキまで”ボーカリスト”としての立ち位置から歌えるようになれば、℃はもっと面白くなると予測していて(その時は堂々と『epicッ!!期』宣言します)、極端な話、舞美は”ボーカリスト”としてのスタートラインに立てない歌唱法というか、そういう意味ではまだnkskやマイマイさんのが”ボーカリスト”としてのスタートラインには立てていて、言うてもnkskはダンスメンだから歌に関しては誰も求めてないし...となると岡井ニキの次に”℃の三番手”になり得る可能性があるのはこのマイマイさんしかいないわけで、だからこそ『この街』はマイマイさんのソロ曲&カップリングにした方が面白かったんじゃねぇ?

以下は俺の妄想

ある雑誌の対談にて...

yasu「まずはシャ乱Qさんの活動再開おめでとうございます!」

つんくボーイ「おおきに。そういえばyasu君のABCはカバーも積極的にやるんやってね。コンビニで”未来予想図”のカバー聴いたで。」

yasu「ありがとうございます!はい、今回のカバー・アルバム第三弾『Recreation 3』では、シャ乱Qさんの”上・京・物・語”をカバーさせてもらってます!この曲、シャ乱Qさんのたくさんの名曲の中でも一番好きなんです!」

つんく「ホンマにィ!?あっ、カバーといえば、最近ウチの℃-uteも事務所の先輩森高千里さんの『この街』のカバーやってるんですわ」

yasu「ホンマですか?なんか気ィ合いますねェ」

つんく「せやな。あっ、せっかくやからこの”引かれ合い”を記念して℃に楽曲提供してくれへん?ツインボーカル向けのやつ。あっ、できれば”ダイアモンドヴァージン”や”Destination”みたいなのがエエなぁ」

yasu「いいですよ」

ワイ「やったぜ。」

・・・ファッ!?この流れと違うの?今回のカバー曲の”真の目的”って、どう見てもコレの伏線じゃないの?昨年の℃の恵まれた勢いを”ザ・ワールドッ!”するかのような、まさかまさかのカバーと思わせて実はアレでしょ?全てはこの”引かれ合い”ための伏線でしょ?えっ、違うの?・・・ファッ!?というのは全て俺の妄想および願望でしかなくて、今回の目的?そら『℃-ute』=『ジョジョの女たち』理解ッさせるため、という”俺の解釈”による”結論”が出てるからもうどうでもいいセカイだ。要するに、『yasu(大阪出身)』→『つんくボーイ(大阪出身)』→『℃-ute(武闘派アヴドゥル)』→『ジョジョの女たち』→『ジョジョ』→『俺の感性』→『yasu』→『つんく』→以下メビウスの輪のように無限ループする”引力”の流れその”黄金の関係性”の説明がつくわけだ。つんくボーイの後継者とまでは言わないが、つんくボーイと限りなく近い感性/フィーリングを持ってるのって、どうみても今の日本ではyasuしかいないからね。同じ大阪出身だったり、音楽におけるバックグラウンド(変な歌詞)だったり、おいら自身のルーツの半分は関西にあるからか、関西人特有のセンスやニオイは不思議と理解ッできる。つまり、今後の℃の方向性として、もし”エロカッコイイ”を目指すならば、ドエロの貴公子であるyasuにプロデュースしてもらおう(提案) とにかく今の俺はつんくボーイの黄金精神”が見たい、ただそれだけなんだ。こう考えてみると、なんつーか、ジョジョヲタのおいらが『ジョジョの女たち』と引かれ合うのは必然的だったわけで、『今の℃-ute』=『ジョジョの女たち』という”俺の解釈”から考える”アイドルの楽しみ方”、つまり”俺の感性”は全て『ジョジョ』に帰結するという理論は当然の”結果”でしかなくて、なんかもう全てにおいて”納得ッ”してしまった。そして今回、『今の℃-ute』=『ジョジョの女たち』だということを俺に理解ッさせたつんくボーイには心から敬意ッを表したい。これは全然関係ない話なんだが、Janne Da Arc”風にのって”という曲がある。この曲はスマトラ島沖地震にインピを受けてyasuが書いた曲で、個人的にJDAの曲で一番好きな曲で再生数もズバ抜けて多い。おいら、”音楽を聴いて泣く?(なにいってだこいつ...)”と思う性分なんだが、この”風にのって”に限ってそれは例外で、普段どおり何気ない気持ちで聴いていたハズだったのに、気づいたら”涙”を流してた時があった。”音楽を聴いて泣く”のはアレ以来ない。つまり『℃-ute=Janne Da Arc』という解釈で考えるとyasuのポジションに当たるのは鈴木愛理で、つまり結局何が言いたいんやというと、yasuのようにそろそろ愛理のソロカバーアルバム出して、どうぞ。今の鈴木愛理には”風にのって”をカバーしてもらいたい(願望)どうせなら『この街』より”風にのって”をカバーすればよかったのに(テーマ的にも)それがダメならABCのイエスをカバーしよう(提案)

 どうやらこれ以上書くと文字数が限界突破するみたいなんで、こんな曲でここまで書いてから℃ヲタ名乗れよクソカスどもー!って言いたいぐらい、なんかこの記事書いてたら調子にノッてきたみたいなんで、どうせだからこの記事の拍手が6以上ついたらnkskの新しい写真集『なかさん』買うてレビューすることにします。

俺は今回のカバーを『否定』はしない、だが『肯定』するッ!
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