Artist Petit Brabancon
Album 『Fetish』
Tracklist
01. Don't forget
02. 疑音
03. OBEY
04. Ruin of Existence
05. 主張に手を伸ばす修羅
06. 刻
07. come to a screaming halt
08. I kill myself
09. Pull the trigger
10. 非人間、独白に在らず
11. Isolated spiral
12. 無秩序は無口と謳う
13. 渇き
Album 『Fetish』
Tracklist
01. Don't forget
02. 疑音
03. OBEY
04. Ruin of Existence
05. 主張に手を伸ばす修羅
06. 刻
07. come to a screaming halt
08. I kill myself
09. Pull the trigger
10. 非人間、独白に在らず
11. Isolated spiral
12. 無秩序は無口と謳う
13. 渇き
DIR EN GREYのボーカリストこと京のソロ活動におけるイメージって、それこそ2013年に結成したsukekiyoを見てもわかるように、いわゆる「ヴィジュアル系バンドのボーカルのソロ・プロジェクト」←この手のステレオタイプのイメージとは一線を画していて、なんというか京自身のソロ(個人)に重きを置くのではなく(露骨に自分自分してないというか)、あくまでバンド(複数)を形成する骨格の一部としてマイクを握っているミュージシャンだと思うから、個人的にsukekiyoは京のソロ・プロジェクトと思って聴いたことは一度もなかったりする。
ナニを隠そう、DIR EN GREYの京とL'Arc~en~Cielのドラマーのyukihiroを中心に、他豪華メンバーが集結したプチブラことPetit Brabanconは、90年代のオルタナ/グランジおよびミクスチャー/ヌーメタルに象徴される古き良きニューロックから、“DV野郎”ことニューロシスやTOOLに代表される00年代のポストメタルを経由して、そして2020年代のDeftonesが新たに啓示した“20年代のヘヴィネス”を紡ぎ出す、それらの「過去」「現在」「未来」のロックミュージックの心臓部を貪り喰らいながら、新時代のヘヴィロックを切り拓かんとする反骨心むき出しのスーパーバンドで、(僭越ながら)各シーンの最前線で活躍するバンドメンバーを揃えておきながら、正直ここまで音楽的(≒非商業的)な方向性に振り切ってくるなんて想像もしてなかった(←この驚きがまず一つ)。例えるなら、V系バンドマンに対する偏見ランキング1位の「DV野郎」、そのV系バンドマンのDV野郎(偏見)とリアルDV野郎がシンクロしたシン・DV野郎の爆誕...そして解散という「よくあるオチ」みたいな(リアルにDVまがいのことをやらかして、活休中のバンドを解散に追いやったV系バンドマンがいるらしいw)。
記念すべきデビューシングルとして先行リリースされた、さしずめ“さおだけ屋ヘヴィロック”こと#6“刻”におけるギターの音作りに象徴される、ゴム毬が弾むようにギョンギョン鳴らすポスト・ジェントの領域、すなわち“10年代のヘヴィネス”を“ポスト”的にアップデイトさせた、いわゆる“20年代のヘヴィネス”に対する見識の広さに驚かされる一方で、今作のオープニングを飾る#1“Don't forget”におけるRATMさながらの90年代ミクスチャーというよりも00年代前半のDragon Ash的な、モッシュピットを自然発生させるグルーヴ感マシマシの縦ノリ邦ロックを、この豪華メンバーでプレイするギャップと贅沢さったらない。
DIR EN GREYの『Withering To Death.』を想起させる、アンダーグランドかつアヴァンギャルドな不協和音系ヘヴィミュージックの#5“主張に手を伸ばす修羅”、そしてDIR EN GREYの『ARCHE』における“Phenomenon”の系譜にある、ニューウェイブ/ポスト・パンクやトリップ・ホップを経由した電子音を打ち込んだモダンなポストメタルの#7“come to a screaming halt”における、それこそオルタナに傾倒し始めたKATATONIAの『Viva Emptiness』、および“Bサイド”に肉薄する耽美的なオルタナイズムと病的なヘヴィロックの邂逅を筆頭に、もとよりyukihiroが奏でるスカン!スカン!したドラムの音がex-KATATONIAのDaniel Liljekvistにしか聴こえないのが笑っちゃうくらいにドンピシャ。
DIR EN GREYの『Withering To Death.』を想起させる、アンダーグランドかつアヴァンギャルドな不協和音系ヘヴィミュージックの#5“主張に手を伸ばす修羅”、そしてDIR EN GREYの『ARCHE』における“Phenomenon”の系譜にある、ニューウェイブ/ポスト・パンクやトリップ・ホップを経由した電子音を打ち込んだモダンなポストメタルの#7“come to a screaming halt”における、それこそオルタナに傾倒し始めたKATATONIAの『Viva Emptiness』、および“Bサイド”に肉薄する耽美的なオルタナイズムと病的なヘヴィロックの邂逅を筆頭に、もとよりyukihiroが奏でるスカン!スカン!したドラムの音がex-KATATONIAのDaniel Liljekvistにしか聴こえないのが笑っちゃうくらいにドンピシャ。
また本作のハイライトを飾る#10“非人間、独白に在らず”における、DV野郎(偏見)とリアルDV野郎のニューロシスの邂逅はもとより、現代ポストメタルを象徴するThou顔負けのスラッジーな邪悪ネスと、それこそ東京酒吐座やTHE NOVEMBERSのメンバーが真価を発揮する音響意識の高い轟音ヘヴィネスからは、もはや『DSS』リリース後の「あったかもしれないDIR EN GREYの未来」、すなわちifの世界を再現しているような錯覚すら憶える。これは冒頭に書いたことに繋がる話だけど、このように音響界隈で名を馳せるバンドメンバーの嗜好が如実に音に反映されている点も、れっきとした一組の“バンド”として著しい説得力を植え付けるとともに、そのバンドメンバー各々が奏でる色に同化するかの如し、ボイスを変幻自在に操るカメレオン人間の京だからこそ成り立つ≠ソロ・プロジェクト=“バンド”であることを再認識させる。
もはや「ヴィジュアル系バンドのボーカルのソロ・プロジェクト」からイメージされがちなポップで商業的なソレとは真逆と言っていい、それこそ京×yukihiroというアンチV系コンビ(偏見)から産み落とされる音楽は余計にイメージできな過ぎたけど、いざ蓋を開けてみるとグルーヴ感マシマシの最新型ヘヴィロックを紛れもないバンド体制で作り上げている事実に驚きと称賛しかなかった。なんだろう、各メンバーが在籍するどの本家よりも自由なことやってるというか、バンドの芸歴が長ければ長くなるほど強くなる“しがらみ”みたいなのが全て取り払われて真の自由を得た結果、心身ともにフレッシュな状態かつフラットな視点で挑めたからこそ、ヘヴィミュージックの未来を司る新世代のヘヴィネスにアクセスする事ができたのかも。
どれだけ重くとも、どれだけ激しくとも、ドラムが奏でる魔法の旋律によって全てをオルタナに変えてしまう、そんなyukihiroのサウンド面の根幹部を司る精神的支柱、その圧倒的な存在感ったらない。近年のDIR EN GREYとはまた少し違ったアプローチを見せる京のボーカルのみならず、各分野に長けた楽器隊がシナジーを起こすサウンドや音作りに対するこだわりを強く感じる作品でもあって、その著しく音楽的な表現に対する意識の高さは、それこそ京のソロ・プロジェクトに対する考え方みたいな部分に直結してくる話なんだと思う。また、シンプルに「あったかもしれない未来のDIR EN GREY」として聴くのも一考かもしれない。『ベア・ナックル2』みたいな画風のアートワークも含めて。