Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

オルタナティブ・ヘヴィ

Petit Brabancon - Fetish

Artist Petit Brabancon
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Album 『Fetish』
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Tracklist
01. Don't forget
02. 疑音
03. OBEY
04. Ruin of Existence
05. 主張に手を伸ばす修羅
06. 
07. come to a screaming halt
08. I kill myself
09. Pull the trigger
10. 非人間、独白に在らず
11. Isolated spiral
12. 無秩序は無口と謳う
13. 渇き

DIR EN GREYのボーカリストこと京のソロ活動におけるイメージって、それこそ2013年に結成したsukekiyoを見てもわかるように、いわゆる「ヴィジュアル系バンドのボーカルのソロ・プロジェクト」←この手のステレオタイプのイメージとは一線を画していて、なんというか京自身のソロ(個人)に重きを置くのではなく(露骨に自分自分してないというか)、あくまでバンド(複数)を形成する骨格の一部としてマイクを握っているミュージシャンだと思うから、個人的にsukekiyoは京のソロ・プロジェクトと思って聴いたことは一度もなかったりする。

ナニを隠そう、DIR EN GREYの京とL'Arc~en~Cielのドラマーのyukihiroを中心に、他豪華メンバーが集結したプチブラことPetit Brabanconは、90年代のオルタナ/グランジおよびミクスチャー/ヌーメタルに象徴される古き良きニューロックから、“DV野郎”ことニューロシスやTOOLに代表される00年代のポストメタルを経由して、そして2020年代のDeftonesが新たに啓示した“20年代のヘヴィネス”を紡ぎ出す、それらの「過去」「現在」「未来」のロックミュージックの心臓部を貪り喰らいながら、新時代のヘヴィロックを切り拓かんとする反骨心むき出しのスーパーバンドで、(僭越ながら)各シーンの最前線で活躍するバンドメンバーを揃えておきながら、正直ここまで音楽的(≒非商業的)な方向性に振り切ってくるなんて想像もしてなかった(←この驚きがまず一つ)。例えるなら、V系バンドマンに対する偏見ランキング1位の「DV野郎」、そのV系バンドマンのDV野郎(偏見)とリアルDV野郎がシンクロしたシン・DV野郎の爆誕...そして解散という「よくあるオチ」みたいな(リアルにDVまがいのことをやらかして、活休中のバンドを解散に追いやったV系バンドマンがいるらしいw)。


記念すべきデビューシングルとして先行リリースされた、さしずめ“さおだけ屋ヘヴィロック”こと#6“刻”におけるギターの音作りに象徴される、ゴム毬が弾むようにギョンギョン鳴らすポスト・ジェントの領域、すなわち“10年代のヘヴィネス”を“ポスト”的にアップデイトさせた、いわゆる“20年代のヘヴィネス”に対する見識の広さに驚かされる一方で、今作のオープニングを飾る#1“Don't forget”におけるRATMさながらの90年代ミクスチャーというよりも00年代前半のDragon Ash的な、モッシュピットを自然発生させるグルーヴ感マシマシの縦ノリ邦ロックを、この豪華メンバーでプレイするギャップと贅沢さったらない。

DIR EN GREY『Withering To Death.』を想起させる、アンダーグランドかつアヴァンギャルドな不協和音系ヘヴィミュージックの#5“主張に手を伸ばす修羅”、そしてDIR EN GREY『ARCHE』における“Phenomenon”の系譜にある、ニューウェイブ/ポスト・パンクやトリップ・ホップを経由した電子音を打ち込んだモダンなポストメタルの#7“come to a screaming halt”における、それこそオルタナに傾倒し始めたKATATONIA『Viva Emptiness』、および“Bサイド”に肉薄する耽美的なオルタナイズムと病的なヘヴィロックの邂逅を筆頭に、もとよりyukihiroが奏でるスカン!スカン!したドラムの音がex-KATATONIAのDaniel Liljekvistにしか聴こえないのが笑っちゃうくらいにドンピシャ。

また本作のハイライトを飾る#10“非人間、独白に在らず”における、DV野郎(偏見)とリアルDV野郎のニューロシスの邂逅はもとより、現代ポストメタルを象徴するThou顔負けのスラッジーな邪悪ネスと、それこそ東京酒吐座THE NOVEMBERSのメンバーが真価を発揮する音響意識の高い轟音ヘヴィネスからは、もはや『DSS』リリース後の「あったかもしれないDIR EN GREYの未来」、すなわちifの世界を再現しているような錯覚すら憶える。これは冒頭に書いたことに繋がる話だけど、このように音響界隈で名を馳せるバンドメンバーの嗜好が如実に音に反映されている点も、れっきとした一組の“バンド”として著しい説得力を植え付けるとともに、そのバンドメンバー各々が奏でる色に同化するかの如し、ボイスを変幻自在に操るカメレオン人間の京だからこそ成り立つ≠ソロ・プロジェクト=“バンド”であることを再認識させる。

もはや「ヴィジュアル系バンドのボーカルのソロ・プロジェクト」からイメージされがちなポップで商業的なソレとは真逆と言っていい、それこそ京×yukihiroというアンチV系コンビ(偏見)から産み落とされる音楽は余計にイメージできな過ぎたけど、いざ蓋を開けてみるとグルーヴ感マシマシの最新型ヘヴィロックを紛れもないバンド体制で作り上げている事実に驚きと称賛しかなかった。なんだろう、各メンバーが在籍するどの本家よりも自由なことやってるというか、バンドの芸歴が長ければ長くなるほど強くなる“しがらみ”みたいなのが全て取り払われて真の自由を得た結果、心身ともにフレッシュな状態かつフラットな視点で挑めたからこそ、ヘヴィミュージックの未来を司る新世代のヘヴィネスにアクセスする事ができたのかも。

どれだけ重くとも、どれだけ激しくとも、ドラムが奏でる魔法の旋律によって全てをオルタナに変えてしまう、そんなyukihiroのサウンド面の根幹部を司る精神的支柱、その圧倒的な存在感ったらない。近年のDIR EN GREYとはまた少し違ったアプローチを見せる京のボーカルのみならず、各分野に長けた楽器隊がシナジーを起こすサウンドや音作りに対するこだわりを強く感じる作品でもあって、その著しく音楽的な表現に対する意識の高さは、それこそ京のソロ・プロジェクトに対する考え方みたいな部分に直結してくる話なんだと思う。また、シンプルに「あったかもしれない未来のDIR EN GREY」として聴くのも一考かもしれない。『ベア・ナックル2』みたいな画風のアートワークも含めて。

Bad Omens - The Death Of Peace Of Mind

Artist Bad Omens
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Album 『The Death Of Peace Of Mind』
R-21872230-1643041103-6786

Tracklist
01. Concrete Jungle
02. Nowhere To Go
03. Take Me First
05. What It Cost
07. Bad Decisions
08. Just Pretend
09. The Grey
10. Who Are You?
11. Somebody Else.
12. IDWT$
13. What Do You Want From Me?
15. Miracle

今年のBMTH枠。というのも、リッチモンド出身のBad OmensといえばBMTHのフォロワー、厳密に言えば『Sempiternal』『That's The Spirit』前後のBMTHフォロワーとして有名なメタルコアバンドで、何を隠そう前作から約3年ぶりとなる3rdアルバム『The Death Of Peace Of Mind』は、それこそ前作と同年(2019年)にBMTHが発表した6thアルバム『amo』において彼らが未来へ向けて示し出した“20年代のヘヴィネス”をフォロワー最右翼ならではの正しい視点から丸々コピーしている件について。


改めて、BMTH『amo』の革新性って、一見ただのメジャーなポップ・ミュージックと見せかけて、10年代の終りに未来を見据えた“20年代のヘヴィネス”の基準の一つをヘヴィロックシーンに提示した事にある。その象徴的な曲であるダニ・フィルスをフィーチャーした“Wonderful Life”は、つい最近その某曲のリフメイクにおける(10年代メタル総合ランキング同率1位のGojiraとメシュガーを的確に捉えた)10年代のヘヴィネスを20年代のヘヴィネスとして次世代の解釈と独自の視点からアップデイトしたのが、他ならぬ日本のCVLTEPaleduskがコラボした“eat acid, see god.”である。それでは、BMTHのコピバンもといフォロワーのBad Omensは、本作において如何様にして『amo』を自分達のモノとして料理したのか?

それこそ、本作の幕開けを飾る#1“Concrete Jungle”からして、シングルの“Wonderful Life”とともに『amo』を象徴する一曲目の“I Apologise If You Feel Something”から二曲目の“Mantra”までの一連の流れを一曲に集約したかのような、トリップホップ/アートポップ風のキレイめな打ち込みとバンドの中心人物でありリードボーカルのノア・セバスチャンによるオリヴァー・サイクス顔負けのクリーンボイス、そして“Mantra”を模したドライブ感あふれるグルーヴィなリフを『amo』のサウンドを模したプロダクションに乗せて、そしてタイトルの「Concrete Jungle」というノルウェーの歌姫AURORAの“Animal”を想起させるニューエイジ思想に傾倒したリリック/ポップなメロディを中性的な歌声で歌い上げる。つまり、昨今のオリィの発言におけるリベラルな立ち位置と、今やケツモチがディズニーことAURORAの立ち位置の近親ぶりを理解したフォロワー脳じゃなきゃ実現不可能な一曲となっている。


Amorphis『Under The Red Cloud』や近年のTOOLに精通するポストキザミから形作られるポストヘヴィネスと、BMTHが“Wonderful Life”で示した現代ポストメタルにおける“20年代のヘヴィネス”の邂逅をいともたやすくやってのける#3“Take Me First”、もはやBMTHフォロワーの肩書きをブチ破るかの如し現代ポストメタルの一つの回答であるかのようなプロダクションおよびヘヴィネスを展開する#4“The Death Of Peace Of Mind”や#5“What It Cost”など、アルバム前半における全てのリフおよびヘヴィネスが“Wonderful Life”を多角的な視点から解釈した結果と言っても過言じゃあなくて、兎に角その逐一徹底したBMTH愛に脱帽する。

冒頭のAURORAのみならず、アルバム後半はEDM(Trap)のアプローチを効かせたBMTH直系バラードの#7“Bad Decisions”を皮切りに、ElsianeVERSAを連想させるエレクトロニカ/トリップホップ志向の強い#10“Who Are You?”、『amo』の隠し要素だったK-POPのLOONA顔負けのヤーウェイ系EDMをフィーチャーした#11“Somebody Else.”におけるノア・セバスチャンのジェンダーを超えた女性的な歌声は本作の聴きどころの一つと言える。もはやグライムスとフィーチャリングできないならできないなりにセルフで女体化すればイイじゃんのノリでフェミニンな色気を醸し出している。と同時に、もはや自分の中で伝説化してるVERSAをフォローアップしている時点で俺感の読者なんじゃねぇか説が芽生えるなど。とにかく、要所で垣間見せるストリングスの鳴らし方とかエレクトロな打ち込み要素をはじめ、その他細部に至るアレンジまでも『amo』をモデリングしている徹底ぶり。

ジョーダン・フィッシュ顔負けのシンセやストリングスを擁する#13“What Do You Want From Me?”は、『amo』のハイライトを担う“Mother Tongue”をラウド寄りに仕立て上げたようなポップメタルのソレで、BMTHがグライムスとコラボした“Nihilist Blues”を模したミニマルなエレクトロビーツを刻む#13“What Do You Want From Me?”、そしてアルバムの終わりがけに自分たちの出自がメタルコアバンドであるという記憶を取り戻し、アリバイ作りのために仕方なくゴリゴリのメタルコアをやってのける#14“Artificial Suicide”からの#15“Miracle”まで、総評するとオリジナリティは皆無に近いけど「BMTHフォロワー」としては100点満点だし、あの『amo』を世界一のフォロワーなりに独自解釈した結果、人によっては本家『amo』と同等、いやそれ以上に凄いことやってんじゃねぇか説を唱える人も多数いそう。

なんだろう、そのBMTHフォロワーとしてのネタ的な視点、BMTH『amo』で紡ぎ出した“20年代のヘヴィネス”の回答としてのオルタナティブな革新性、そしてAURORAVERSAを連想させるフェミニンな隠し要素が多数盛り込まれた、決して「いわゆるフォロワー」の枠にとどまらない凄みが本作にはある。かろうじてハイパーポップ化だけはしなかったのは唯一の救いか。

Turnstile - Glow On

Artist Turnstile
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Album 『Glow On』
R-20021935-1630128644-4595

Tracklist
01. Mystery
03. Don't Play
04. Underwater Boi
05. Holiday
06. Humanoid / Shake It Up
07. Endless
08. Fly Again
09. Alien Love Call
10. Wild Wrld
11. Dance-Off
12. New Heart Design
14. No Surprise
15. Lonely Dezires

ロードランナーの秘蔵っ子ことメリーランドはボルチモア出身の5人組、Turnstileが昨年リリースした3thアルバム『Glow On』がめちゃんこヤバい。ハードコア/パンクを根っこのルーツに持ちながらも、ソリッドでエッジーなリフを中心に、カウベルやクラップ、ハイハットやパーカッションの細部にまで“こだわり”を感じさせるユーモラスなアレンジ、その「ユニークでありながらキャッチーでエッジーなオルタナティブ・ロック」って、それこそ「10年前の自分が好んでよく聴いていた奴じゃん」と少しノスタルジックな気持ちにさせる、爽快感溢れるメロディック・ハード(コア)ロック・サウンドを展開している件について。

まるで相対性理論ばりにメルヘンチックなシンセが鳴り響くイントロから、それこそ『宇宙人ポール』みたいなコメディ&SF映画を彷彿とさせる、例えるなら宇宙人転生系のラノベで可愛い宇宙人が空から舞い降りてくるシーンの効果音みたいな雰囲気で始まる#1“Mystery”からして、ドライブ感溢れるエネルギッシュかつハードロック的なリフや過去作には見受けられなかったギターソロが織りなすオルタナティブなポスト・ハードコア然とした、少なからずオールドスクール寄りだった過去作とは一線を画すような曲となっている。

1stアルバム『Nonstop Feeling』の系譜にあるハードコアならではの強靭なリフとヘヴィなブレイクダウンを交えながらダイナミックに展開する、ハイハットやパーカッションをはじめカウベルみたいなユニークなアレンジが光る#2“Blackout”、クラップやパーカッションを交えたポップなピアノの旋律と身体を突き動かすパンクビートを刻むエッジーで破天荒なリフが織りなすテンションアゲアゲなロックンロールの#3“Don't Play”、メンフィスのSSWジュリアン・ベイカーをコーラスに迎えた、90年代のオルタナを象徴するシューゲイザー/ドリーム・ポップの影響下にあるリヴァーブを効かせた曲で、ほのかにジュンスカ味というかAOR的なノスタルジーを漂わせる#4“Underwater Boi”、冒頭のド直球のパンクスからの転調パートが鬼カッコいい#6“Humanoid / Shake It Up”、UKのSSWブラッド・オレンジがコーラスで参加した#7“Endless”、デンマークのVolbeatばりにダークでメタリックなリフやメタル然としたソロワークまでもメタルメタルしてる#8“Fly Again”、再びブラッド・オレンジをスポークン・ワードとしてフィーチャリングした曲で、そして再び『宇宙人ポール』とのアブダクションを試みるかのような90年代のUKドリーム・ポップ然とした#9“Alien Love Call”、クラップに釣られてついついジャンピングモッシュしたくなる#10“Wild Wrld”、90年代から一転して今度は80年代のニューロマンティック/ポストパンク的なヘアメイクを施した#12“New Heart Design”、出自の根っこにあるハードコア・パンクに直結したサウンドとヒップホップ的なアウトロのギャップがセンスしかない#13“T.L.C.”、三度ブラッド・オレンジをメインボーカルに添えた#15“Lonely Dezires”まで、まるでおとぎ話のようなポップネスとハード(コア)の絶妙なバランス、メタル耳からしても魅力しかないエッジを効かせたリズミカルなリフの数々とエゲツないオルタナティブなアレンジセンス、そして素直に聴いてて楽しい爽快感溢れるロックンロールのキャッチーさを兼ね備えた名盤ここにあり。

それもそのはず、前作の『Time & Space』は界隈の重鎮ウィル・イップがプロデュースを担当、そして今をときめくアーサー・リザークがレコーディングに携わったド直球のハードコア/パンク作品だったのに対し、本作の『Glow On』ではエミネムやアヴリルの作品でもお馴染みのプロデューサーことマイク・エリゾンドを迎えた影響か、コアとなる音のベースはそのままに、オルタナ化およびメタル化が著しく進行した、すなわちオルタナティブ・ヘヴィとしての素質が開花した(ゲストのジュリアン・ベイカーやブラッド・オレンジの存在も含めて)メジャー感マシマシの大衆性に富んだロックンロールとして大化けしている。2021年の鬼マストアイテム。

Deftones 『Ohms』

Artist Deftones
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Album 『Ohms』
Deftones-Ohms

Tracklist
02. Ceremony
03. Urantia
04. Error
05. The Spell Of Mathematics
06. Pompeji
07. This Link Is Dead
08. Radiant City
09. Headless
10. Ohms

白ポニーこと『White Pony』から20年、白梟こと『Diamond Eyes』から10年・・・デブ豚ことDeftonesって、10年周期の節目節目にその後の10年間のヘヴィロックシーンのトレンドとなる「ヘヴィネスの基準」を更新してくるバンドで、そんなバンドが10年周期の始まりを告げる2020年に待望の新作を出してくるってんだから、その内容にも普段とは違う特別な期待を寄せずにはいられなかった。

2000年に発表された白ポニーがいかに偉大なアルバムかなんて事は散々語り尽くされているはずだから割愛するとして、個人的にデブ豚の卓越的な音楽センスって2010年に発表した白梟こと『Diamond Eyes』にあると思っていて、というのも“10年代メタル総選挙ランキング同率1位”メシュガーが編み出した現代的なヘヴィネスをオルタナティブの解釈を通して自身のヘヴィロックに落とし込むことで、10年前の白ポニー「ヘヴィネスの基準」をシーンに掲示したバンドが10年周期で新たに「ヘヴィネスの基準」を刷新した歴史的名盤に他ならないから。その白梟がシーンに及ぼした影響は計り知れず、ザッと思い出すだけでもDIR EN GREY『The Insulated World』やヘヴィロック界のレジェンド=TOOLの約13年ぶりとなる『Fear Inoculum』は、漏れなく白梟におけるガニキ考案の「ガーの精神」に則った10年代のヘヴィロックを総括するような名盤だった。そんな白梟から2年後、あのゴリゴリにトガった硬派な白梟をシーンの先駆者という立場的な意味でもメインストリーム=大衆的なヘヴィロックへとスタイリッシュにブラッシュアップしてみせた次作の『恋の予感』も、同じくしてエクストリーム・メタルの始祖メシュガー「ガーの精神」を大衆の耳に届けることに成功した名盤である。

2010年代早々にヘヴィロック界の金字塔とも呼べる2枚の名盤をリリースし、その後も安泰かと思われたDeftones。しかし、2016年作の『Gore』はバンドにとって黒歴史的な駄作となった。このアルバムの何がダメだったかって、端的に言ってしまえば「曲が書けていない」の一言に尽きると思うのだけど、その『恋の予感』にあったセクシャルなエロさも白梟にあったリフも革新的なヘヴィネスも、肝心の音作りにおいても、このアルバム特有の突出した「何か」があるというわけでもなかった。本当に何がやりたいのかわからなかった。強いて言うなら、表題曲以降の曲を聴く限りでは、「Deftonesなりのポストメタル」がやりたかったんじゃないかって。そのニューロシスに代表されるポストメタルを目指してみたはいいものの、いかんせんその前に出た二作が完璧過ぎたってのもあって、あまり好意的なイメージが持てなかったのも確か。知らんけど。

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デブ豚ってこう見えて、音楽的にもフレキシブルな感性と価値観をもってヘヴィロックを昨今にアップデイトし続けているバンドだけあって、ロックシーン以外の音楽シーンに対する見識の広さと昨今における世界的潮流の一つであるダイバーシティ=多様性への意識の高さを兼ね備えていて、最近その音楽業界や音楽ジャンルの垣根を超えたダイバーシティぶりを発揮した案件こそ、ローレン・メイベリー率いるエレポップバンド=チャーチズデンゼル・カリーとのコラボでも知られるボルチモアのラッパーJEPGMAFIA、そしてメタル界からは“10年代メタル総合ランキング同率一位”ことGojiraがラインナップされたDeftones主催のフェス『Dia De Los Deftones』の開催である。

しかし、それに対して反発したメタル界屈指の問題児ことHatebreedジェイミー・ジャスタがツイッターで放った今の音楽業界マジクソすぎ!のツイートに、チャーチズの大天使ローレンが噛みついて激しいレスバトルが繰り広げられ、そのレスバの中で大天使がゴジラ好きだという新事実が発覚したのは今も記憶に新しい(ジェイミーナイス!)。その流れで、イギリスのロック雑誌Kerrang!の表紙にデブ豚チノ・モレノローレン・メイベリーがツーショットを飾るというダイバーシティの連鎖を引き起こす。しかし、表紙の「この女があのジェイミーをレスバで負かした女か・・・怖いから近づかんとこ・・・」みたいな少し距離感のあるチノの引き顔は傑作だった。とにかく、近頃のDeftonesは音楽ジャンルの垣根を超えたフェスを主催したり、常に革新的な音楽性のみならず、各音楽シーンの「壁」を超えた対外的かつ改革的な意識でファンを驚かせてくれるレジェンドなんですね。で、この話の本筋はここからで、実はそのフェスにラインナップされたメンツの中に見覚えのあるバンドを発見した。それこそ今年、約22年ぶりの復活作をリリースしたHumで、もちろん去年の時点ではその存在すら知らなかったから、その伏線がここに繋がってたなんて思いもよらなかった。何を隠そう、本作の『Ohms』Humの約22年ぶりとなる復活作『Inlet』に対する回答的な役割を果たしているんじゃあないかって。


一聴して驚いたというか、妙な違和感を憶えたのは、本作の最後を飾る表題曲だけ少し毛色の違うヘヴィネスを披露している点で、実はその一際「異質」なヘヴィネスこそ本作を紐解く重要な鍵を握っているんじゃないかって。ある種のブルーズがかったストーナー的なイントロから始まって、その00年代のポストメタルを象徴するペリカンを彷彿とさせるミドルテンポのリフ回しを耳にした瞬間、最近どっかで聴いたようなデジャブを感じた。そのデジャブの正体こそ、Humの復活作の冒頭を飾った“Waves”に他ならなかった。その90年代のオルタナシーンを縁の下から支えたHumの復活作その内容って、それこそ2010年以降のデブ豚や現代ポストメタルのニューロシスの影響下にある現代的なヘヴィネスをバックグラウンドとした、まさに「新世代ポストメタル」と呼ぶに相応しい内容だった。そこから導き出せる答えはただ一つで、実は『Ohms』の目的って駄作だった前作の『Gore』で実践していたニューロシス型のポストメタルという名のペリカン=アートワークのゴアさん(正確にはフラミンゴだけど)を救い出すために、過去に遡って10年前の白ポニーに乗り、そして20年前に発見した1カラットのブラックダイヤモンド『恋の予感』を懐に忍ばせて、グロテスクな黒歴史として過去に葬り去られたゴアさんを救い出すメタ的なアルバムなんじゃないかって。再三の考察の末に、たった一つの『真実』にたどり着いたら、俄然『Ohms』のジャケ写ばりにぴえん🥺ってなった。まるで「失われた600万羽のペリカンを取り戻す」ならぬ「失われた600万匹の豚さんを取り戻す」とばかり、それこそ何者かによって豚さんを略奪された飼い主のような「ぴえん🥺」の気持ちだ。

冒頭の“Genesis”から、主催のフェスに何故チャーチズが呼ばれたのかを証明するような、80年代を彷彿とさせるネオン瞬くノスタルジックなシンセと、(例えるなら)真夜中に“Sextape”を再生してオキニのAV女優を発見して「ムム...これは『恋の予感』・・・!!」とガチ恋発令警報不可避のドリーミーでフェミニンなリフレインからしてぴえん🥺案件で(最近のオヌヌメ女優は梓ヒカリぐらいかなぁ)、その「人をバールのようなもので殴り続けると死ぬ」を座右の銘とするサイコパスみたいな武骨で粗暴なヘヴィネスの重さと適度なグルーヴ感は、まさに白梟『恋の予感』が芽生えかけているゴアさんのようでもり、そしてアウトロのシャウトから津波のような鬼ヘヴィネスへと畳みかける楽曲構成は、それこそ白梟をはじめ『Saturday Night Wrist』あたりの2000年代後半から2010年にかけてのデブ豚、その「ナイトプールで自撮りする水着美女の官能的なエロスの後にそびえ立つ伏魔殿に轟く重厚なヘヴィネス」という構図、それこそ映画で例えるなら『アンダー・ザ・シルバーレイク』みたいな、一見複雑のようで実はシンプルな構図で成り立っているのがデブ豚の真髄をメタしてて俄然ぴえん🥺。

本作のリフって思いのほか「動く」。盟友TOOLの傑作『Fear Inoculum』に触発されたのかは知らんけど、デブ豚にしては珍し過ぎるソリッドなキザミリフを駆使した#3“Urantia”は、これこそまさに「動けるデブ」そのもので、その「動けるデブ」の本領を発揮する『恋の予感』をベースとした「チャラいメシュガー」みたいな10年代のヘヴィネスでアップテンポにギョンギョン飛び跳ねる#4“Error”、まるでシルバーレイクの闇へと引きずり込まれるようなシンセの魅惑のアトモスフィアと、低域の底を突き破ったポストメタル然とした轟音ヘヴィネスは嫌でもハムのジューシーな新作を匂わせる通称「指パッチンメタル」の#5“The Spell Of Mathematics”、そしてゴアさんへの『恋の予感』に終止符が打たれ失恋を経験した「ぴえん🥺」な気持ちを歌った#6“Pompeji”は本作のハイライトで、10年代のヘヴィネスから抽出されるギョン成分の濃度を高めたヘヴィネスをニューロシス的なポストメタルに邂逅させたバチグソタイトなリフと、ゴアさんとの幸せだった日々の思い出を懐かしむノスタルジックなシンセと例のアートワークを暗喩するカモメさんの鳴き声がこだまする【浜辺を寄せては返す美しい波=浜辺美波】でお馴染みのアウトロのSEも確信犯で泣ける🥺。ホラー映画のサントラ的なイントロのシンセから、全盛期を思わせるバグったシャウト中心のチノのボーカルと10年代風のモダンなリフがクロスする#7“This Link Is Dead”、本作を象徴する「動くリフ」主体の#8“Radiant City”は、曲構成は元よりチノのシャウト的な面でも白梟“Rocket Skates”を2020年代仕様にアップデイトしたような曲で、もう隠す気もなく普通に「Deftonesなりのポストメタル」やっちゃう#9“Headless”、そして表題曲の“Ohms”は先ほども述べたように他と比べて明らかに異質。

冒頭で述べたように、10周年の節目となるDeftonesだからこそ、時代の動き、シーンのトレンドを先読みした流動的かつ革新的な音楽性で常に時代の最先端を走り続けてきた彼らだからこそ、この10周期の節目となる2020年に一体どんなヘヴィネスを鳴らすのか?20年前の白ポニーや10年前の白梟の時と同じように、全く新しいヘヴィネスを更新してくるに違いないと。正直そこの部分にしか興味なかった。しかし実際に伏魔殿の蓋を開けてみると、意図的なのか過去作とリンクさせるメロディやフレーズ、そしてチノのシャウトまでもどこかデジャブのような既視感を憶えたのも事実で、それこそ本作が「伏魔殿に囚われたゴアさんを救い出す物語」のメタファーであると解釈すれば、白梟『恋の予感』で培った10年代の現代ヘヴィネスとヘヴィロック全盛の00年代のヘヴィネスを、あくまでもフラットな状態で繋ぎわせたのが20年代のDeftones説あって、つまり前作のゴアさんで培ったポストメタル的な側面と革新性に溢れていた10年代と20年代のDeftonesが邂逅して“20年代のヘヴィネス”へとアップデイトしている。決して10年代のように変に色めき立つわけでもなく、色気は色気でもフラットな平常心から放たれるオーガニックなヘヴィネス、その「落とし所」が絶妙過ぎる。

その過去作からの引用を意図的なものと捉えるか、それとも単にネタ切れ的なものと捉えるかは人それぞれかもしれない。過去作で手に入れたブラックダイヤモンドや恋心を装備した豚=豚に真珠が陰毛がモシャモシャと蠢く伏魔殿からゴアさんを救い出す物語だと捉えた人には名盤に聴こえるだろうし、一方でクソゲーマー伊集院光もといチノ・モレノのボーカルワークをはじめ、表題曲を筆頭に一貫して統一性のないヘヴィネスや「動けるデブ」並みに動くリフ(これは意図して過去作をミックスしているから説)に対して「単なるネタ切れ」と捉える人には駄作に聴こえるかもしれない。

しかしTOOL『Fear Inoculum』といい、最近のメタルシーンは新時代のヘヴィネスを追求していくと最終的にポストメタルに行き着く説あって、それこそ本作は聴けば聴くほどHum『Inlet』にしか聞こえないというか、むしろ復活後のHumの方がよっぽどニューロシスmeetデブ豚やってるのは皮肉ではある。オリジナリティの面でも完成度の面でもぴえん🥺。このやって様々な面でぴえんと泣きたくなるアルバムなのは確かです。

このバンドに対して「集大成」みたいな言葉は使いたくなかったけど、「集大成」と呼ぶだけの内容になってるのも事実。自分自身の過去を総括するという意味でも、駄作を駄作と、失敗を失敗と認めて、そこからまた新たに改良を施すベテランの業に唸る作品でもある。そういった意味では、白梟よりも一年先に“10年代のヘヴィネス”を先取りしていたスウェーデンのクソゲーマーもといKATATONIAが今年出した『City Burials』と方向性は近いのかもしれない(やっぱりKATATONIAデブ豚ってボーカルの体型以外は全く繋がりないように見えて、実はめちゃくちゃ共通点があり過ぎるその意外な関係性は、この2020年においても互いの新作同士で繋がっている)。

ある意味、ある意味で本作は『Gore』の続編であり、『Gore』で本当にやりたかった事がやれている気がする。確かに、確かに白ポニーは元より、白梟『恋の予感』のような革新性は皆無に等しい。2020年という10年周期にあたる貴重な一枚を、「強奪された600万匹の豚さんを取り戻す」その一心で棒に振ったと考えれば考えるほどやっぱりぴえん🥺。これも全てゴアさんのおかげかもしれない。ゴアさんが報われて本当によかった・・・ありがとうゴアさん・・・。

Code Orange 『Underneath』

Artist Code Orange
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Album 『Underneath』
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Tracklist
01. (deeperthanbefore)
03. In Fear
04. You And You Alone(~タダヒトリ~)
05. Who I Am
06. Cold.Metal.Place
08. The Easy Way
09. Erasure Scan
10. Last Ones Left
11. Autumn And Carbine
12. Back Inside The Glass
13. A Sliver
14. Underneath(~アノヒトヲサガシテ~)

皆さんこんばんちわ、稲川淳二です。最近の私ですねぇ、世間ではコロナヴィルスが流行っているっていうんでね、お仕事の怪談活動を暫く自粛しまして、久しぶりに家でゆっくり音楽を聴こうと思いまして。でもって、何やらメタルシーンで“20年代のバンド”として注目されているバンド、アメリカのCode Orangeっていうのを聴いてみたんです。するとねぇ、アメリカのピッツバーグ出身のバンドなのに、曲の途中に男の声でただ独り・・・」や「あの人を探して・・・」という日本語がどこからともなく聞こえてきて、うわぁ〜イヤだなぁ〜怖いなぁ〜って、今流行りのコロナヴィルスよりも怖いなぁ〜成仏できない幽霊の声かな〜って、そして遂には「お前だけの✕○△□」って叫び声が聞こえてきた瞬間・・・私ねぇ、気づいちゃったんですよ。

あぁ、あたしAloneなんだって
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PassCodeはCode Orangeって、Convergeカート・バロウをエンジニアに迎えてかのDeathwishから出てきた時は、「まーたアングラからヤベーの出てきたな」感あって、次にRoadrunnerに移籍して2ndアルバム『Forever』を出してきた時は、「おっ、今度は【カート・バロウ×ウィル・イップ】の黄金コンビを迎えてオーバーグラウンドに進出してきたな?」と思って、そして約3年ぶりとなる3rdアルバム『Underneath』からリード曲の“Swallowing The Rabbit Whole”、その映画『アナイアレイション ー全滅領域ー』を彷彿とさせる深淵の精神世界あるいはダークウェブに存在する見たらアカン系のMVを見た瞬間、まるで稲川淳二が階段を語る形相でダメだダメだダメだ、こいつダメだ、こいつ怖い、こいつ危ないと恐怖に慄いた。


そんな20年代のメタルを背負ってたつ彼ら、Code Orangeがどれだけヤバい存在なのか?その理由を順に追って書き記していきたいと思う。

  • ビジュアルがヤバい
古くはキッスに始まり、ハードロック界ではLordiGWAR、ブラックメタルにおけるコープスペイント、この日本におけるヴィジュアル系、そして近年ではSlipKnoTGhostに代表されるように、実はハードロック/ヘヴィメタルシーンほどいわゆる“かぶり物”や独特のメイクアップを施してステージに立つ、ある意味で“ビジュアル系”と呼べるジャンル/文化って他に類を見ない。先ほどの“Swallowing The Rabbit Whole”のMVを見てもわかるように、メンバーの見た目がイカレサイコなボーカル/ドラム、見るからにヤベー女ギター、ポケモンのロケット団として出てきそうな胡散臭いエスパー系の研究員(プログラマー)、ネオナチパワー系のベース、ダークウェブに入り浸ってそうなネトウヨ系のギター、みたいな、これはあくまで個人の勝手な“イメージ”でしかないのだけど、まず音楽性がどうこう以前に、そのティーンエイジャーの厨二病精神をくすぐる強烈なビジュアルセンス、このように各メンバーのキャラが立ち過ぎているのもバンドのしたたかなプロデュース能力の高さを伺わせる。とにかく、こいつらのまず何がヤバいって、マスク2枚やメイク云々じゃなしに(見るからにヤベー女ギターはノーメイクなんじゃねぇか的な意味でも)“素”でこれだからw

  • 音楽性がヤバい
その強烈なビジュアルに負けず劣らずな曲の良さについて。引き続きリード曲の“Swallowing The Rabbit Whole”を例に出すと、元々デビューしたての頃はハードコア界のレジェンド Convergeの正統後継者として推されてたけど、この曲ではレジェンドはレジェンドでもマスコア界のレジェンドことThe Dillinger Escape Plan直系のカオティック・ハードコア、言うなればキッズ化したTDEP、つまりイキったTDEPすなわち“イキリデップ”、そのイキリデップが女の化粧で言うところのベースメイクで、そのベースメイク=下地に光の速さでnine inch nails直系のインダストリアル・ノイズをぶん投げたら、無事に炎上してアートワークのイカレサイコ野郎が生まれちゃった感じ。

今回、過去作と比べて何が1番変わったかって、そのNINex-マソソソ・マソソソで知られるクリス・ヴレンナがプログラミングを担当している点で、それによりNINは元よりPrurientばりのエグいインダストリアル/ノイズと従来のオラついたイキリコアがクロスオーバーしたことで、インダストリアルにキメたブレイクダウンはバッキバキにイキリまくってて、そのドギツいイキリノイズとイキリコアのコアっコアのコアが、まるで壊れた機械のように、それこそバグったスーパーマリオにようにグリっグリのグリにバグっちゃって、ある種のグリッチコアみたいになってる。

何が進化したか?1番わかりやすいところで言えば、冒頭の#2“Swallowing The Rabbit Whole”と#3“In Fear”のパンチラインとしてある無音演出、この無音演出は1stアルバムから存在するバンドの生命線で、今回その無音部分が進化し過ぎてヤバい。改めて音楽界自慢の無音の使い手であり、無音マイスターとしても知られるCode Orangeだが、この曲の無音は過去最高の無音、無音なのに音がエグい、例えるならブラックホールの中心にあるワームホール=特異点の相対性理論により音が圧縮されて、次の瞬間にビッグバンの如く超爆発を起こす感覚、あるいは撃鉄が雷管を打ち抜く時の瞬発的な衝撃に近い無音。0から100、また0から100に音圧ゲージをとイキリゲージを振り切ってくるイメージ。とにかく無音なのにバグってる。もはや無音使いの神だわ。


このインダストリアル×無音、グリッチみたいなバグ音を聴いて思い出されるのは、他ならぬBTMHが小島秀夫監督の新作ゲーム『デス・ストランディング』とコラボした“Ludens”と、その同年にポスト・ブラック界の異端児ことLiturgyが発表した名盤『H.A.Q.Q.』だった。

今でこそ“Xperiaの広告塔”となったBMTHは元はといえばデスコア出身で、一方で元はといえばハードコアの名門Deathwish出身で、今では次世代を担うメインストリームメタルの中心となったCode Orange、この2組は一見別物に見えて意外と共振する部分がある。この【ノイズ×無音×ブレイクダウン】もその一つだし、あとヤベー女ギターがメインボーカルを担うドス黒い闇が宿った闇のヘヴィネス=闇ネスが炸裂する#7“Sulfur Surrounding”の間奏とか、もはやBMTH“Throne”からサンプリングしてんじゃねぇかと思うほどパリピで、このように王道のヘヴィメタルとは一線を画したインダストリアル/ノイズを積極的に取り入れていく革新的な思想面は、ある意味でBMTHの正統後継者と呼べるかもしれない。つまりデスコア時代のBMTHがありえた世界線にいなくはない。

この「街中で出会ったら絶対に目ぇ合わせたらアカン奴ら」で最近なんかデジャブあんなと思ったら、それこそがポストブラックのLiturgyで、つまりTDEPLiturgyNINがエクストリーム合体した・・・って、ちょっと想像しただけでも頭おかしくなりそうな禁忌な配合を実際にやっちゃったイカレコアがこいつらなんですね。面白いのは、同じ20年代のメタルを背負っていくであろうUK出身のLoatheが元DeathwishDeafheavenをリスペクトしているのに対して、元DeathwishCode Orangeはポスト・ブラック界でも異端は異端のLiturgyをリスペクトしている面白さ。もはやメタルコア界の『H.A.Q.Q.』と言っても過言じゃあないかもしれない。

“Swallowing The Rabbit Whole”のMVでもグリッチーな音と恐怖と不安を誘発するバグった映像演出が相まって、いわゆるE(=Explicit)にZ指定不可避な最後の飛び降りシーンとか、いかにも情緒不安定で多感なティーンエイジャーが怖いもの見たさで見て熱狂的な狂信者になりそうな予感。そういった刹那的で衝動的な、厨二病心をくすぐるグロテスクでバイオレンスな猟奇的な描写は、日本のヴィジュアル系バンドのDIR EN GREYがアピールする中二病もとい“痛み”を連想させなくもない。事実、既に世界中でCode Orange Kidsのファンダムを築いていて、そいつらカルト狂信者がイキリヘドバンかましてる姿しか見えないぐらい、現代のコロナリスクで子供部屋に引きこもってる拗らせた陰キャキッズを救い出すスーパーヒーローだ。この【インダストリアル×カオティックコア×中二病】という点では、ほぼほぼディル『The Insulated World』と繋がるし、それらを一つに繋げるアイコニックなバンドとしてもやっぱBMTHってスゲーなって。

  • プロデュースセンスがヤバい
ほぼ全員がボーカルを各楽器と兼任しているバンドではあるけど、それらを踏まえて今作を過去作と比較しても全14曲トータル47分という、もはやハードコアじゃなくて良くも悪くも普通のメタルバンドっぽくなった。それらを象徴するのが、Code Orangeの根幹部と言っても過言じゃあないヤベー女ギターことレバ・マイヤーズがメインボーカルを担う#5,#7,#11,#13,#14で、その男勝りのヤベー歌声や歌い方は元より歌メロまでも元ロードランナーでお馴染みのDream Theaterラブリエっぽくて、もはやラブリエの娘説が芽生えるぐらいには似てて笑う(#13とか確信犯としか思えない)。

確かに、バッキバキのハードコア以外にも、この手のDTA7Xに代表されるアメリカのメタルをリスペクトしたキャッチーな歌モノ系ヘヴィメタルもできますよアピールは鼻につかないと言ったら嘘になるし、この辺は露骨なメタラーに媚び媚びでツマラナイって思う人もいると思う。確かに、確かにあざと過ぎるけど、これからメインストリームのメタルを背負って立つにはこれぐらいのしたたかさは必要経費だと思うので、そこは多めに見てあげてほしい。そもそも、それが“ロードランナーのバンド”というか、いずれはSlipKnoTの正統後継者にしたいロードランナーの思惑が透けて見えるというか(もはやむき出し)、今作における複数の大きな「変化」ってロードランナーならではの「変化」と言ったら存外シックリくるかも。確かに、いかにも“ロードランナー・メタル”な売れ線に他ならないのだけど、流石にここまで極端に振り切ってこられると素直に褒め称えたくなっちゃう、ある種の親心みたいな気持ちのが大きい。要するに、これが「メジャーなメインストリームでやっていくということ」なのかもしれない。それこそ、バンド側から新世代メタルの旗手として20年代のメタル背負っていきまっせ宣言というか、明らかに「売れること」を意識してきた、ここにきて意識的にメタルの未来を背負っていくという自覚と強い意志が音の「変化」から伝わってくる。実際に、過去にコラボした事のあるSlipKnoTコリィ・テイラーに“次世代のメタル”として名指しで指名されている事実。兎にも角にも、そのカルト的なビジュアル面でもカルト的なアレンジやイキった楽曲的な面でも、SlipKnoTの正統後継者兼Convergeの正統後継者兼TDEPの正統後継者兼BMTHの正統後継者兼NINの正統後継者兼マソソソの正統後継者兼DTの正統後継者兼イカレカルトクソバンドとして兼業しまくりなぐらい、ありとあらゆる面で色気づいてきた。むしろ色気しかない。

前作までエンジニアおよびプロデューサーとして深く関わっていたカート・バロウは不在で、継続して参加しているのはウィル・イップだけってのが全てで(ウィル・イップすごい)、コアはコアでも(EarthTrue Widowみたいなスロウコアかじった)パンクルーツのアンダーグラウンドなコアじゃなくて、メインストリームで耳にするようなメタルコアのコアさが主となっている。オールドスクールな極悪ブレイクダウンから、メタルコア系のパリピブレイクダウンに変わった感じ。それにより必然的に音がメジャーにブラッシュアップされて、もはやDeathwish時代のアングラ感は皆無に等しく、オーバーグラウンドどころか一気にメタルのメインストリームの中心地にワープしちゃった感じ。これはLoatheの時にも書いたけど、強いて言うなら「20年代のヘヴィネス」としか他に形容しようがないヘヴィネス、これこそ新世代イキリヘヴィネスだ。この新世代メタルを担う2組に共通するのは、どちらも“メタル”をリスペクトしているということ。どっちも10年代は元より00年代以降のメタルのトレンドを器用に咀嚼して、次元を超えてクロスさせるセンスが何よりも凄い。もはやDeafhevenLiturgyPower TripVeinも、その他10年代にバズったメタルバンドを“無音”に飲み込んで全て過去にする勢い。間違いなく、こいつらが20年代の“新基準”です。

#3,#14に代表される日本語を起用したエキゾチックなアプローチも、日本語ができない外国人キッズ的には「なんかヤベェ!w」と感じる不気味な恐怖と謎の魅力に繋がっているのかもしれない。もちろん日本人的には笑い要素でしかないけど、(今作は20年代の最先端という視点は元より)そういったネタ的な視点からも楽しめちゃうのは日本人だけの特権なので、日本のメタラーは漏れなく全員聴くべきだし、むしろここまで日本のメタラー向けのアルバムってなかなかない。こんなん来日不可避だろ・・・って、コロナの影響で今年のノッフェスとダウンロードフェスが延期とのことで、ワンチャン追加orバンド入れ替えでないか?つうか、これは何度も言ってるけど、Code Orangeと共に次世代のメタルを担うUKのLoatheと日本のCrystal LakeのスリーマンにDIR EN GREY追加してフォーマンするしかなくね?まぁ、なにはともあれ、乗り遅れるな!この“新世代”のビッグウェーブに!
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