2. rainy rainy rainy blues
3. 声
4. カタワレ
5. 甘い煙
6. 転がるビー玉
7. リナリア
8. 棺
9. Love her...
10. 愛が通り過ぎて
11. ランドマーク
12. 橙ラプソディー
コロナ禍という生者と死者の関係すらも分断された世界で、因果不明のままこの世を去った人々を『ルックバック』する、即ち「きっと忘れない」と想う気持ちを込めて故人を『追憶』する作為的なイベントがあちこちの界隈で起こったり起こらなかったりした昨今。もはや、その大切な『メッセージ』に気づけなかった人は信用に値しないレベルと言っても過言じゃあない。
まぁ、そんな冗談は置いといて、きのこ帝国の佐藤千亜妃がバンドが活動休止してソロ活動を本格化させ、満を持して発表した待望のソロデビュー作となるEPのタイトルが『SickSickSickSick』と知った時に「正体現したね」とツッコんで以来、その間は佐藤のプライベートに関する真偽不明の噂を耳にしたりしなかった中で、久々にその名前に出くわす事となったのが映画『花束みたいな恋をした』の作中で、きのこ帝国の名曲“クロノスタシス”が使われてプチバズリした時だった。そのままのらりくらりして、約2年ぶりとなる2ndアルバム『KOE』がリリースされた今の今まで聴くタイミングがなかったのも事実。しかも本作を聴くまでに至る動機が、佐藤千亜妃本人に対する関心ではなく本作に参加しているゲストミュージシャンに関連する事にあった。
2019年、自分の中にBring Me the Horizonの『amo』とKing Gnuの『Sympa』という二つの世界線、その分岐の選択を迫られた当時、後者のハイレゾ音源を買っていながらも悩みに悩んでBMTHの世界線に足を踏み入れた僕は、最終的にコロナ禍になる前に実質「最後のライブ」として観たのが、同年に開催されたBMTHの大阪公演(最前列)だった。もちろん、当時BMTHと並行してキンググヌゥにハマっていた事をわざわざ書いてはこなかったけれど、UKのBMTHがソニーの広告塔としてXperiaのCMに抜擢されて世間への認知度を高めれば、それに対抗して日本のヌーはヌーでソニーのワイヤレスイヤホンのCMに抜擢され、それこそBMTHと全く同じ“ソニーの広告塔”として活躍している姿を目にしては(ニチャア)としたり、そして常田大希がモデルのemmaとの熱愛が発覚した時も同じように(ニチャア)としたりしたわけ。で、その解釈で言うと、もし当時にBMTHではなくキンググヌゥの世界線に足を踏み入れていたとしたら、それこそフジロック2021に出演したヌーのライブを最前列で観ていた“もう一つの未来”が生まれていた可能性もなきにしもあらず。
この話がどうやって佐藤千亜妃の新作に関わってくんねんという至極ごもっともな話をすると、本作のタイトルである『KOE』を象徴する佐藤のアカペラから幕を開ける#1“Who Am I”から、それこそキンググヌゥのベーシストである新井和輝他豪華なゲストを迎えてレコーディングされた、ザックリと言えば初期椎名林檎みたいな往年のオルタナ系J-POPのステレオタイプだが、この曲のキモとなる楽器隊をフィーチャーしたアウトロの疾走感溢れるアヴァンギャルドかつグルーヴィな空気感を聴いてフラッシュバックした存在こそ、赤い公園の『黒盤』から“透明”のアウトロの空気感に他ならなかった。この曲に関して、佐藤本人のツイッターで「去年、人の生き死にに関るショッキングなニュースがあり、そんな時どうしても書かずにはいられなかった曲です」のツイートを見た時は、一瞬「ちょっと待って、去年ってなんか事件でもあったっけ?」と思い返したら、2秒でトラウマ級の記憶が蘇った(←お前が一番信用できねぇw)。もちろん、この曲が赤い公園の津野米咲を「きっと忘れない」と追憶する想いを意図して込めた曲かなんて知る由もないし、あくまでも個人的な感想として赤い公園の空気をこの曲から感じ取ったのは少なからず事実。
実は、冒頭に書いた「ゲストミュージシャンに関連する話」って、もちろんキンググヌゥの新井くんもそうなのだけど、その新井くんを超える大本命こそSSWの岡田拓郎くんの存在に他ならなかった。先日、この話に関して衝撃的な事実を知ったのだけど、それがヌーの新井くんと岡田くんは同じ東京出身であり(学年は一個違い)、高校生の頃に新井くんの地元である福生のチキンジャックというライブハウスで互いにセッションし合う仲だったという衝撃の事実だ。もっとも面白いのは、今やMステの常連でありフジロックのヘッドライナーを務めるまでのゴリゴリのメジャーアーティストとなったヌーに対し、今やソロミュージシャンとしてアンダーグラウンド界の帝王となったと見せかけて、シレッとMステに出演するまでのメインストリームな存在となった岡田拓郎、この二人のMステ出演者の過去に繋がる“意外な共通点”を、今このタイミングで再び再会させた本作はメインストリームとアンダーグラウンドの“イイトコ”を両方知ってる作品と言える。しかしながら、一緒にセッションしていた学生時代から約十数年が経過し、現在は音楽シーンを代表するバンドとSSWとしてそれぞれ別の角度から“ポップス”を探求し続けている姿を見たら、流石にエモすぎて(ニチャア)しながら泣くよな普通に。
そして何より、その岡田くんと佐藤千亜妃の共演にただただ感動する#2“rainy rainy rainy blues”は、岡田くんの“らしい”ギターや素朴なピアノをはじめ、ほのかにフォーキーさを装ったアナログチックなアレンジを効かせた、これまでの佐藤関連作品としてはありそうでなかったトクマルタイプの現代的なシティポップというか“Left-Field Music”で、広義の意味では岡田拓郎くんのソロ作の流れで聴けなくもない曲となっている。その岡田くん参加の曲を挟んで、再び新井くんが参加している表題曲の#3“声”は、本作を司る佐藤の『声』にフォーカスしたストリングス主体のバラードで、例えるならアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』における主人公のヴァイオレットが依頼人の代わりに想いを記した手紙を書く“代筆者”ならば、この『KOE』において様々な曲調に合わせて憑依的な『声』で歌い上げる佐藤は(ある種のイタコ芸)、『声』を出したくても出せなくなってしまった人たちの“声なき声”に代わって想いを伝える“代弁者”としての役割を担っている。
そして何より、その岡田くんと佐藤千亜妃の共演にただただ感動する#2“rainy rainy rainy blues”は、岡田くんの“らしい”ギターや素朴なピアノをはじめ、ほのかにフォーキーさを装ったアナログチックなアレンジを効かせた、これまでの佐藤関連作品としてはありそうでなかったトクマルタイプの現代的なシティポップというか“Left-Field Music”で、広義の意味では岡田拓郎くんのソロ作の流れで聴けなくもない曲となっている。その岡田くん参加の曲を挟んで、再び新井くんが参加している表題曲の#3“声”は、本作を司る佐藤の『声』にフォーカスしたストリングス主体のバラードで、例えるならアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』における主人公のヴァイオレットが依頼人の代わりに想いを記した手紙を書く“代筆者”ならば、この『KOE』において様々な曲調に合わせて憑依的な『声』で歌い上げる佐藤は(ある種のイタコ芸)、『声』を出したくても出せなくなってしまった人たちの“声なき声”に代わって想いを伝える“代弁者”としての役割を担っている。
上記のことから、どうしても自分の中では冒頭の3曲で完結させたいアルバムというか、この3曲に色々な追憶の想いを凝縮させたい気持ちが強くあるけど、だからといって個人的な関心の9割を占める冒頭が終わった後は実質ボートラみたいな扱いをするわけにもいかず。事実、この他にもローファイ風のアプローチを効かせながら、ファンキーなギターやトランペット/サックスが織りなすジャジーに大人びた雰囲気の#5“甘い煙”、映画『転がるビー玉』の主題歌となった#6、メロディやアレンジまでほぼほぼ“ソロ版桜が咲く前に”なバラードの#7“リナリア”、個人的にその存在を見て見ぬ振りしてきた気鋭のギタリスト=Ichikaをギターではなくハープ奏者として迎えた、無慈悲なストリングス・アレンジと今にも消えてなくなりそうな佐藤の絞り出すような『声』が昭和歌謡並に泣かせるオルタナバラードの#8“棺”、#5の系譜にあるローファイヒップホップ的なイマドキの洋楽的なオシャアレンジを施した宇多田ヒカルリスペクトなR&B調の#9“Love her...”、開始2秒で椎名林檎の“闇に降る雨”を追憶させるストリングス主体の#10“愛が通り過ぎて”、ブルージーでノイジーな#11“ランドマーク”など、さすがに『声』を冠するだけあって、作風の傾向として必然的にローテンポのバラードやラブソング色が強くなるのは致し方なき事で、そのバラードもJ-POPにおける王道中の王道だし、確かにベタだけど佐藤の『声』がダイレクトに鼓膜に伝わるのでそれもまた良し。意味深なタイトルを冠する#8あたりの佐藤は、(Ichikaの美しすぎるハープの音色も相まって)もはやフジロッカー青葉市子レベルのシン・ニューエイジャーの領域に入りつつあると感じた。
要所にイマドキっぽいアレンジを匂わせつつも、基本的にはメジャー以降のきのこ帝国をベースに、佐藤が尊敬してやまない宇多田ヒカルと同EMIの大先輩である椎名林檎(東京事変)の影響下にある、もはや「いつの時代のJ-POPだよ」とツッコミ不可避なくらいには、今どき珍しいゴリゴリのJ-POPを繰り広げている。誤解を恐れずに言うと、そのJ-POP然としたキャッチーなメロディやストリングのアレンジも実質現代に蘇ったZARDみたいなもんで、その辺りの制作者側が意図した既視感に何を感じ何を思うかは聞き手次第といった所ではある。ちなみに、本作のほぼ半数以上の楽曲にアレンジャーとして携わっている河野圭氏は、ヒッキーや(Mステで岡田拓郎と共演した)BiSHのアイナ・ジ・エンドをはじめとするメジャーなJ-POPや、海外では女優のIUにも楽曲提供/プロデュースとして関わっている、言うなれば“J-POPとは何か”を知り尽くしている人物の協力のもとで成り立っている事実が全ての答えなのかもしれない。少なからず言えるのは、佐藤のアクの強いナルシスティックな側面が表面化したような、“ソロ”だから可能にした自由な想いと祈りを真正面から体現したかのような1枚であるという事。
最後に、キンググヌゥの新井くんと岡田くんが古くからのセッション仲間という事実に衝撃を受けた話に次いで、個人的に佐藤千亜妃に関して最近知って驚いた事といえば、佐藤が自分と同じ1988年生まれだった事(ずっと年下のイメージだったから)。あの大天使ローレン・メイベリーと同学年でありながら、佐藤と同じ88年生である自分が88年会の仲間に対して悪いことなんて書けるわけねぇよな、っていう話。








・・・「誰かと出会いたい一心で音楽をやっている」
・・・「佐藤千亜妃...僕と出会おう!」
・・・「アホくせぇ」
・・・「てか佐藤の下の名前標記って千亜妃だったの!?」
・・・「イカくせぇ」
・・・「イカ大王様だーーーーーーーーー!!」











