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レビュー(Z)

Zeal & Ardor - Zeal & Ardor

Artist Zeal & Ardor
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Album 『Zeal & Ardor』
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Tracklist
01. Zeal & Ardor
02. Run
03. Death To The Holy
04. Emersion
06. Erase
07. Bow
08. Feed The Machine
09. I Caught You
10. Church Burns
11. Götterdämmerung
12. Hold Your Head Low
13. J-M-B
14. A-H-I-L

ヘヴィメタルのジャンル、それこそアヴァンギャルドなメタルも含めてメタルのサブジャンルは数知れず、このニューヨークを拠点に活動するスイス出身のマニュエル・ギャノーによるブラックメタルプロジェクト、その名もZeal & Ardorがやってる音楽は、長きにわたるメタル史においても過去類を見ない“アヴァンギャルド”の概念を超越(transcendental)したエクストリームミュージックで、約4年ぶりとなるRun The Jewels風のジャケを模した表題作の『Zeal & Ardor』がゴイゴイスーな件について。

時にファンクやゴスペルに代表される70年代のソウル・ミュージックの影響を受けたブルースシンガー、時に北欧ヴァイキングの白人至上主義のブラックメタラー扮するマニュエル・ギャノーの荒涼感溢れる金切り声が織りなす、例えるなら雷猫ことサンダーキャットの音楽を遺伝子操作してブラックメタル化させたような、それこそメタル(悪魔)側とソウル(天使)側が混沌(ケイオス)と愛情的なパッションをもってバトゥーキするかのようなサウンドは、(これは彼が永世中立国として知られるスイス生まれという出自が関係しているのかは不明だが)1950~60年代にアフリカ系アメリカ人がゴスペルとブルースを合わせて発展させたブラック・ミュージックを象徴する大衆音楽のソウル・ミュージックと、それこそ正統派メタルバンドIced Earthのジョン・シェイファーをはじめ、2021年の「アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」の際にも取り沙汰された白人至上主義のネオナチ系ヴァイキング/ブラック・メタラーの指名手配犯を排出しているメタルの中でもアングラなブラックメタルという、確かに“色”的には同じ“ブラック”だが思想信条的には相反する二つの対照的な音楽ジャンルを融合させている。その人種間の対立やイザコザを超えた先にある存在同士が対面して、円状の輪(ホーダ)を描きながらキング牧師さながらの“音の対話”すなわち“讃歌”を重ねに重ねる、その光景はまるで音楽界の異種格闘技戦のような、そして「水と油」すなわち「白と黒」の関係性をメタする二つのジャンルが異なる文化や特性をリスペクトしながら、互いに対角線上で支え合う表裏一体型の音楽として成立(異文化交流)させている超越的な音楽、それこそが真の意味で「自由」を司る音楽である。これはもうブラックミュージックとブラック(ホワイト)メタルによる愛のJogo(ジョーゴ)だ!

この表題作の一体何が凄いって、一見ただのRun The Jewelsの表題作のオマージュと見せかけた、現代の社会問題である人種間の対立のように白と黒を配色した対照的なアートワークにも大きな意味とメタファーが組み込まれている点。ご存知のとおり、Run The Jewelsといえば黒人ラッパーと白人ラッパーの二人組ヒップホップユニットである。ただでさえ本作の『Zeal & Ardor』における【ブラックミュージック×ブラックメタル】はもとより、Fear Factoryばりのインダストリアルメタルやエレクトロニカなどの様々な要素がある中で、唯一取り入れられていないジャンルのラップ/ヒップホップの存在を示唆するメタ的な要素を裏設定というかビジュアル面として採用することで、止まない雨のように終わらない白人と黒人の対立を永世中立(神様視点)の立場から痛烈に皮肉っている。マニュエルは決して黒人と白人の争いに文字通り「黒」付けようってんじゃなく、あくまでもJogo(ジョーゴ)という名の対話によって怒りと暴力の連鎖を断ち切らんとしている。

そのビジュアル面のみならず、本作における楽曲にも人種間の対立を煽る、もとい皮肉るようなギミックが組み込まれている。さしずめ「天使と悪魔のバトゥーキ」、あるいは白(魔術)と黒(魔術)によるスピ(リチュアル)な呪術廻戦さながらの対話の幕開けを飾る表題曲であり“Zeal & Ardor”の名を関する#1からして、CoLの新譜じゃないけどコード・オレンジ的なインダストリアルメタルとソウルミュージックの交わりを示すと、その“Death To The Holy”というタイトルどおりにデス/ブラックメタル=悪魔的な感情とソウルフル=愛情的な感情が「愛と死のバトゥーキ」を繰り広げる#3、一転してチップチューン的な電子音とParannoul界隈やViolet Coldに代表されるアングラ系Blackgazeを連想させる激情サウンドがバトゥーキする#4“Emersion”、中でも筆頭すべき#10“Church Burns”ではジミヘンに代表される黒人が生み出した古典的なブルースと白人至上主義およびキリスト教原理主義が今なお根強く残るアメリカ南部の白人を発祥とするカントリーという歴史的に相容れない二つのジャンルが融合した男臭いサザンロックを演じることで、東海岸のニューヨーカーであるマニュエル・ギャノーShinedownのブレント・スミスばりに泥臭いアメリカンロックを歌い上げる皮肉と、それこそ南北戦争という過去の歴史をメタしたバトゥーキを実現させている。

また#12“Hold Your Head Low”では、日本のSSW岡田拓郎もビックリの本場のブルース然としたクラシックなギターワークと現代メタルを象徴するDeafheavenもビックリのデプレッシブなブラックゲイズの激情的な対話を実現させ、その数々の「そうはならんやろ」とツッコミ不可避のポストブラック界における多様性をも咀嚼するマニュエル・ギャノーのリベラリズムと音楽的な審美眼の高さに脱帽する。一転してエルトン・ジョン的なピアノが炸裂するパンキッシュなノリとフュージョンがバトゥーキする#13“J-M-B”、アルバムのアウトロの役割を担うインストの#14“A-H-I-L”まで、とにかく本作は音楽的なトレンドのみならず、昨今の現代メタルシーンにおける気鋭のエンジニアと名高いウィル・パットニー案件である事からも、細部にわたって徹底して隙がなさすぎてビビる。そして何より、出身や肌(スキン)の色も含めてあらゆる意味で彼にしかできない人種の多様性への理解と愛(LOVE)に泣く。

ヴァイキングの北欧神話に傾倒するネオナチを題材とした映画『SKIN/スキン』にも白人至上主義者がヘヴィメタルを嗜んでいる描写が(さも当然のように)あるが、その白人至上主義者(KKK)というヘヴィメタルの歴史における負の象徴、それらの忌避すべき存在すらも彼は肯定というよりは包摂と寛容の愛でもてなさんとしている。それこそドナルド・トランプの台頭をはじめ、現代社会においてヘヴィメタル好き=白人至上主義者と結び付けられかねない状況下にあるのも事実で、またサブジャンル含めた全てのメタルが世間から否定的に見られる可能性に晒されているメタラーこそレイシズムの思想を積極的に否定すべき立場にあると。事実、いくら否定したところでヘヴィメタルと白人至上主義の関係性や歴史がリセットされるわけでもないし、何よりIced Earthのジョン・シェイファーの件はそれを象徴している。

【ブラックミュージック×ブラックメタル】のバトゥーキ←素の状態でわけわかんねぇ事やってるのにも関わらず、そのアヴァンギャルドな土台から更にイマドキのトレンディなサウンドをゴチャ混ぜにするという、あまりに異質で異常な音楽性をはじめ、ブラックメタルならではの金切り声とゴスペルならではのソウルフルな歌声を使い分ける、その今まで出会ったことのない、かつ誰も真似できないオリジナリティとアイデンティティに満ち溢れた本作は、よりエクストリームでオルタナティブなアヴァンギャルドメタルとして、前作よりもギュッと身が締まった印象。正直、聴きながらずっとダイアン津田と中西ばりに「ゴイゴイゴイゴイゴイゴイゴイスー!」としかならんかった。とにかく、何故このような音楽をやるに至ったのか気になりすぎる...と思ったら、どうやらこのユニークなアイデアの起源は4chanだった模様。そんな皮肉めいたオチを最後に、これを聴きいて皆んなで一緒にブラックサンダー咥えながらバトゥーキしようぜ!

ZillaKami - DOG BOY

Artist ZillaKami
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Album 『DOG BOY』
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Tracklist
1. Chewing Gum!
3. Lemon Juice
5. Hello
7. 631 MAKES ME
8. IHY
10. Tactical Nuke
11. НАНА ИNACO
12. Nissan Only
13. Black Cats
14. dedgrl
15. Frosty
16. Cowboy Bebop

“ブラックメタル・テロリスト”の異名を持つデンゼル・カリーJPEGMAFIAとも交流の深いトラップ・メタル界のホープ、ZillaKamiが満を持して発表した待望の1stアルバム『DOG BOY』は、それこそ冒頭のジラカミ“史上最高のボーカリスト”と崇拝するSlipknotコリィ・テイラー本人の声でThis is Corey Taylor and you’re tuning in to DOG BOY Radio(こちらはコリィ・テイラーがお送りするDOG BOY Radioです)というアナウンスから、KORNばりにヌーメタ然とした病的なリフとトラッピーなビートが、色んな意味で「トラップ・メタルとは何たるか」を改めてシーンに指し示すかのような、(足にアイオワマスクのタトゥーを彫るくらい)そのコリィとスリッペの筋金入りの狂信者であるジラと“神”の邂逅をブッ込んでくる出オチからして優勝案件の作品となっている。

ディストーションを強調したギターとラップならではの低音バキバキのトラックが低次元でアセンションする#2“Chains”、デビュー当時のDeftonesみたいなヘヴィロック然としたリフをフィーチャーした#3“Lemon Juice”、ラップそっちのけでカート・コバーン顔負けの病的な歌を披露する#4“Not Worth It”を伏線に、そしてNirvanaの名曲“Smells Like Teen Spirit”の世界一有名な“リフ”と世界一有名な“リリック”を丸々引用した、さしずめ“トラップ・グランジをやってのける#5“Hello”、イントロから(JPEGMAFIAと主催のフェスで共演した)90年代ヌーメタルの大御所であるDeftonesばりにセクシャルでエモいオルタナギターを擁する鬱ロックで、トラップ・メタル界の始祖であるデンゼル・カリーをフィーチャリングした#6“Bleach”、終始ゴリゴリのメタルギターが炸裂する#7“631 MAKES ME”、そして#9“Badass”では、全米を代表するピンクダイヤ埋め込み系大物ラッパーのリル・ウージー・ヴァートを迎えている。これ何が凄いって、逆に言えばリル・ウージーを迎えることでラップ界の頂点とまだロックが主流だった90年代を、つまり本当の意味で【ラップ】と【ロック】を紡ぎ出さんとしていると解釈したら、ジラが本作の中でやってる事ってちょっと所じゃない歴史的な出来事だと思う。


再び、ニルヴァーナ然としたバンドサウンドとカート・コバーン風の歌をフィーチャーした#12“Black Cats”を皮切りに、今度はKORNのジョナサン・デイヴィス風の病的な歌を披露する#13“dedgrl”、ジョナサン風を装いながらオルタナ/グランジ然としたロックサウンドを展開する#14“Frosty”、そして本作の集大成を飾る鬱ラップの#15“Cowboy Bebop”までのアルバム後半の流れは、90年代のオルタナ/グランジを代表する三大鬱ロッカーであるカート・コバーンジョナサン・デイヴィスコリィ・テイラーに影響された現代の鬱ラッパーを代表するジラが1人4役をこなしながら、もはやラップそっちのけで90年代ヘヴィロック・リバイバルを繰り広げている。一般的なラップからイメージするステレオタイプとは真逆の、アルバム全編に渡って病的なギターリフとフロウよりも歌っている割合のが多いんじゃねぇかぐらいのジラによる内省的な歌声をフィーチャーした、それこそ彼のパーソナルな趣味嗜好が具現化したような一枚と呼べる。よって本作は、普段からラップのディグに勤しんでいる人向けというよりは、普段からヘヴィー・ミュージックを主食としている人に向けた作品と解釈すべきかもしれない。しかし、ゴリゴリにラップしてる曲よりも鬱ロック風に歌唱している曲のが良いという本末転倒的な問題も無きにしもあらずw

そもそもの話、今のラップ界におけるトレンドの一つにあるエモ・ラップ自体がemo(イーモゥ)はもとより、90年代のオルタナやグランジなどのロック文脈から強く影響された新興ジャンルで、そのジャンルとジャンルの垣根を真の意味で飛び越えたラップ界の異端児がジラなんですね。それこそ、スリッペのコリィじゃなくて2021年のノットフェスLAにも参加するBMTHのオリィがロックは死んだ」「ラップこそロックだと語って2秒で炎上したように、もはや今の時代に“ロック”という言葉に深い意味はなく、ラップという名の新時代のロックにこそ本質的な意味が移行した事を裏付けるような存在がジラであると。そういった意味では、トラップ・メタル界の貴公子ことGhostemaneよりも全然ジッラのが凄いと思う。


個人的に、ジラ関連のエモ・ラップで特に好きなのが、それこそ2019年にコリィがSNSでフックアップした事でもお馴染みの、ZillaKamiSosMulaThraxxのメンバーで構成されたギャングスタ・ラップユニット=City Morgueのアルバム『City Morgue Vol. 2: As Good As Dead』デンゼル・カリーをフィーチャーした“Draino”という曲。この曲のリリックや世界観なんか完全にエモ・ラップのソレであり、これこそ現代のグランジなんですね。

何がビビったって、メタル然としたギターリフやオルタナ/グランジに対するこだわりを感じさせるリフだったり、見た目いかついラッパーなのに想像した以上にクソマジメなトラップ・メタルやっててビビったというか、もはやラップ云々以前に90年代に既存のヘヴィメタルをボコったオルタナ/グランジやヌーメタル/ラップメタルに象徴されるような、それこそ内省的な感情をさらけ出すリリックとエモ・ラップのルーツである90年代リバイバルの病的なロックサウンドに合わせて、ジラがチェスター・ベニントンばりにエモーショナルに歌ってるのが、俗に言う鬱ラップと鬱ロックの邂逅=鬱死不可避でガチ泣ける。いや、ジラどんだけ90年代のヘヴィロック好きやねんと。どんだけスリッペとコリィ・テイラーすき家ねんと。


事実、ジラは2020年にスリッペのパーカッション奏者ショーン・“クラウン”・クラハンのポッドキャストに出演したり、また同年にコリィがソロで発表した(メタルゴッドちゃんやベビメタやクソダサ炎上バンドも出演している)“CMFT Must Be Stopped”にもカメオ出演しており、過去に共演していながらも自身の作品では今回が初共演となる本作品は、ジラにとってドラッグよりもハイになる案件に違いない。ある種、ジラが“神”と拝むコリィ・テイラーをすっ飛ばしてNirvanaKORNへの一つの回答としてのアルバム『DOG BOY』と言えなくもない。というわけで、メタラー的にも全然推せるラッパーなんで是非とも推してやってほしい(Nissan Only的な意味でもw)。
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