Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2019年度BEST

Defeater 『Defeater』

Artist Defeater
0015742575_10

Album 『Defeater』
a0206333202_10

Tracklist
01. The Worst of Fates
02. List & Heel
03. Atheists in Foxholes
05. Desperate
06. All Roads
07. Stale Smoke
08. Dealer / Debtor
09. No Guilt
10. Hourglass
11. No Man Born Evil

久々に2ndアルバムの名曲“Dear Father”を聴いたらディァ゙ファ゙ザァ゙!ディァ゙ファ゙ザァ゙!と顔クシャクシャにして泣き叫びながら胸掻きむしりたくなる衝動に駆られた、そんなマサチューセッツはボストン出身のメロディック・ハードコアバンド=Defeaterの名門エピタフレコードからリリースされた約4年ぶりとなる5thアルバムは、自身のバンド名を掲げた初のセルフタイトル作品。

初っ端からI Won’t Be Coming Back Homeという意味深な歌詞から不穏な幕開けを暗示する#1“The Worst of Fates”からして、仲間たちとバカやって青春時代を謳歌していたあの頃の青春パンクとは一転して重苦しいダークでヘヴィな世界観を繰り広げ、続く#2“List & Heel”では仄暗い水の底から、あるいは陽の当たらない真っ暗闇の独房の片隅で虚しくこだまする助けを呼ぶ悲痛な叫びと堕ちるとこまで堕ちた男の悲壮感が溢れ出す慟哭のメロディが、聴き手のメンタルを“ドン底”へと突き落とすかのような一種の“堕落コア”で、今から9年前の2ndアルバム『Empty Days & Sleepless Nights』の冒頭と今作の冒頭を比較すると同じバンドとは到底思えない変貌っぷりに驚愕した。

この変貌っぷりを例えるなら、人生無敵だったはずの10代のイキリハーコーキッズがある時から道を踏み外して、ギャンブル、ドラッグ、酒に溺れてアラフォー髭面のヤサグレたおっさんになって、人生最後の一発逆転狙いで裏カジノのポーカーに残りの全財産を全ベットするも見事に惨敗して、「もう終わりだぁ!」と人生に絶望して悲観主義者=ペシミストとなったリアルカイジの転落人生を見ているかの如し劇的な変わりよう。なんだろう、ドラッグでハイになった反動で極度の鬱状態に陥ってる感覚。それこそ日本の公営ギャンブルの競馬で例えるなら、つい最近で言うと芝のG1馬が初ダート挑戦で重賞勝利したモズアスコットみたいな感じ(モズアスコットは買えた)(なお相手)。

まず一つ目にフロントマン=デレク・アーシャンボルトの声が汚な過ぎて、初めて聴いた時は本当にボーカル変わったかと思った。初期BMTHオリヴァー・サイクスっぽい典型的なエモ/スクリーモスタイルの歌声だったのが、なんだか酒焼けしてPower Tripライリー・ゲイルみたくなってる。この辺も悲観主義者のオッサンが主役の“堕落コア”に合わせて“あえて”喉を潰したのか、それともリアルに堕落した生活を送った「ありのままの姿」なのかは不明。

二つ目は、その冒頭の冒頭から体の軋みや歪みを体現するかのような歪んだギター、それこそ在りし日のKEN modeを彷彿とさせるノイズロックばりに低音効かせまくりの骨太なベースライン、それらの「とにかく汚い音の変化」を象徴する、冒頭からザラついたギターを乗せて猪突猛進するBlack Breathばりのクラストパンクの#3“Atheists in Foxholes”、筆頭すべき今作のパンチラインとなる#5“Desperate”は、レジェンドEarthTrue Widowなどのストーナー/サイケならではの泥臭いダーティさと、Cult of Lunaをはじめとする轟音系ポストメタル/スロウコアの内省的なダウナーさが共存した、要するにバンドのローなテンションや音の感度がドゥームやスラッジあるいはクラストのそれで、まるで年を重ねるにつれて高域が聞き取りづらくなるという医学的な根拠を身をもって証明するかのように、年齢と反比例するかの如く音の腰は低い重心を保ち、中年のおっさんが聞き取りやすい低域重視のサウンド・スタイルに変化している。そう言った意味でも、俄然それらのアンダーグランド・メタル界隈に精通するヘヴィでダークならぬ“ダート”な音作りで、(初期の頃からメタリックな側面はあったし、だからこそ気に入ったバンドなんだけど)同時にメロディの作りがメロコアよりもメタル寄りの点でも俄然メタリック・ハードコアに近いノリで聴けなくもない。これはどうでもいいけど、#3のアウトロがMastodon『Crack the Skye』っぽくて半ば強引に丼と共振できなくもないw

じゃあ完全にメロコアからメタルになったかと言えばそうでもなくて、息つく暇も与えないノンストップかつギャップレスに曲を繋いでいく流れはメロコアならではの焦燥感を作る演出だし、またそのギャップレスな流れを利用した激情的な曲構成(主に#7〜#8の流れ)や持ち前の胸掻き毟りたくなる衝動的かつ刹那的なメロディは、言うなれば2ndアルバムのハイな高揚感から転換してローな高揚感=静なる激情を誘発する。このメロディの本質的な部分は紛れもなく『Defeater』そのものだし、つまり扇情的かつエピックで激情的なメロディセンスは美メロが悲メロに変わっただけで本質的には何一つ不変。むしろ地べたに這いつくばって泥まみれになりながらも生きながらえる、“底”まで堕ちきったド底辺男の背中が醸し出す哀愁が宿ったメロディは、その辺のヘタなエモよりもエモい「本物のエモ」である。

そして、今作が何故セルフタイトルを掲げているのか?その意味を知ることとなるのがラストの#11“No Man Born Evil”で、まるで失った青春を取り戻すかのように、真っ暗闇の道に希望という名の光が差し込んでくるかのようなカタルシス全開のラストは、それこそ全世界の悲観主義者=ペシミストに贈るレクイエムだ。つい衝動的に胸掻き毟りたくなって胸掻きむしったら中年オジサンのモジャモジャの胸毛を掻きむしっていた気分だ。ハッ、この毟り取った胸毛が「エモさ」の代償なのか・・・?

ちょっと待って、めちゃめちゃ完成度高いやんと。これ普通に傑作やんと。これヘタしたら2ndアルバム超えてますやんと。それもそのはず、今作の共同プロデューサーにはNothingの2ndアルバムやLa Disputeでもお馴染みの、この手のエモ/スクリーモ界隈で知らない人はいない信頼と安心のウィル・イップってんだから納得(ちなみにマスタリングはSterling Sound)。しかしながら【エピタフ× Will Yip】とか、競馬で例えるならこの【血統×調教師】コンビは「買い」と言ってるようなもんです。しかし改めて、あの2ndアルバム以降全く冴えなかった終わったバンドを完全復活させるウィル・イップってやっぱ天才だと思うし、この復活作でセルフタイトルを冠する意味を考えたらエモ過ぎて泣ける。

Liturgy 『H.A.Q.Q.』

Artist Liturgy
28_022615_P4K_Liturgy_EbruYildiz_322

Album 『H.A.Q.Q.』
a2767654837_10

Tracklist
01. HAJJ
02. Exaco I
03. Virginity
04. Pasaqalia
05. Exaco II
06. God Of Love
07. Exaco III
08. HAQQ
09. . . . .

いきなりだけど、当ブログのレビューが完成するまでの工程というか仕組みについての話。ほとんどの読者はお気づきのとおり、自分には文章を書く上で定型的な型という型がないので、全て一から、基本的には音源を聴いて閃いた言葉=Wordを接続詞で半ば強引に繋いで文章にしていく(もはや文章の体をなしていない)スタイル。例えば本文として書く前にiPad Proのメモに閃いた言葉=Wordや書きたい短文から、一度頭の中でレビューの全体像をイメージして一つずつ構築していく形、それをパズルのように組み立てていく感じ(なお、一度もイメージ通りに書けたことはない模様)。

とはいえ、そのiPadのメモの中には様々な事情でお蔵入りとなったメモ書きが現在100本以上あって、その中の大半は書けそうなネタが見つからなくてボツになったパターンなんだけど、しかしその逆に書けるネタがあり過ぎて、メモ書きの状況から本文の文章(文字数)を想定した結果、推定1万文字を優に超える可能性があるレビューも数本かはあって、その「書け過ぎて逆に書けない」案件の記事を書くか書かないかは、その時の自分のモチベーションや気分次第、あとはタイミングが全て。(ちなみに、2018年末のBTSの記事は初めてiPad Pro+Smart Folioで記事を書いた記念日)(そっからはもうPCじゃなくてiPadがメイン)(微妙な変化に気づいた読者おる?)

このニューヨークはブルックリン出身の4人組で、爽やか変態イケメンことハンターハント・ヘンドリックス率いるLiturgyも決して例外ではなくて、彼らの名を一躍アンダーグラウンド・メタルシーンに轟かせる事となった2011年作の2ndアルバム『Aesthethica』がリリースされた時は、その音源を聴いた瞬間にこいつらはデフヘヴンと共にシーンの最重要バンドになる!と確信した。しかし、いざ張り切って記事にしようとしても一体何を書いたらいいのか分からない、事実その時(当時はiPad mini)に書いたメモには何がなんだか分からない・・・の14文字、たったそれだけだった。そんな風に一度は書くことを断念した僕が、何故またしてもこのLiturgyについて書こうとしているのか?その理由こそ、このアルバムだけは、これだけは何としても書ききらなきゃいけないと、そう心の底から思わせる傑作だからなんです。

2011年に『Aesthethica』がリリースされた当時は、同年に発表されたDeafheavenの1stアルバム『ユダ王国への道』とともに、いわゆるスクリーモや激情ハードコア側からブラック・メタルというジャンルを再解釈した、それこそ“全く新しいブラックメタル”=“New Black”の登場に、当時の音楽シーンはピッチフォークを筆頭に歓迎ムードもあれば、その一方で“ピッチ・ブラック”と揶揄する批判と戸惑いの声が飛び交っていた。2011年はその2枚のアルバムと、その(2年)後に歴史的名盤『Teethed Glory and Injury』を遺して“ポスト・ブラック界の伝説”となるアイルランドのAltar of Plaguesの2ndアルバム『Mammal』も重なって、まさにポスト・ブラックという新興ジャンルの「これからの10年」を運命づける、それこそポスト・ブラック時代の始まりを告げる金字塔という名の教典と呼ぶべきものだった。

中でもLiturgy『Aesthethica』は、その三強に次ぐUSBMのKralliceに肉薄する猟奇的なトレモロ・リフやマスコア的な変拍子を駆使した気狂いじみたカオティックな動きで、常に躁状態で精神異常をきたしたような「イッチャッテル」アルバムだった。そして2015年作の3rdアルバム『The Ark Work』では、そのイッチャッテル2ndアルバムより更にバグ感マシマシにイッチャッテル、全編クリーンボーカルでグリッチやIDMに精通する電子音を多用した、もはや実験的だとかエクスペリメンタルだとかそんな次元の話じゃない、言うなれば“ブラック・メタル化したエイフェックス・ツイン”さながらの頭のおかしな怪作で、ポストブラ界隈のファンを失意のドン底まで叩き落とした事が記憶に新しい。

そんなイッチャッテル彼らの音楽性を、仮に、仮に90年代に一大ブームを巻き起こしたミニ四駆のモーターで例えるなら、公式大会では使用禁止の価格もクソ高いゴールドチャンプや覇王ばりにぶっ飛んだ回転数を搭載するカッ飛びメタルで、それこそおもちゃ屋に設置された屋外コースのレース中にコーナーリングで場外にぶっ飛んで、そのまま車にぶっ潰されるシュールな最期を遂げる、ちょっとした“破壊の美学”すらある音楽性(やっぱわけわかんねぇ)。

ここで、この2000年代後半から2010年代初頭のポスト・ブラック黎明期を支えた三強を映画監督で例えると、まずDeafheaven『ミステリアス・スキン』『13の理由』グレッグ・アラキ監督Altar of Plagues『アンチクライスト』の鬼才ラース・フォントリアー監督、そしてLiturgy『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』の奇才アリ・アスター監督で、その流れで三強をキ◯ガイ度で例えると、Deafheavenが「ファッション・キ◯ガイ」、Altar of Plaguesが「キ◯ガイのフリをした健常者」、そしてLiturgyが「ガチモンのキ◯ガイ」って感じ。

主にキリスト教(カトリック)で常用される礼拝や典礼を意味するLiturgyという名を冠し、それこそ2ndアルバムのアートワークには十字架と逆十字を掲げているように、宗教的および哲学的な思想やスピリチュアリズムをバックグラウンドとする音楽性と、長編映画デビュー作の『ヘレディタリー』が世界中で話題を呼んだホラー映画界の新星アリ・アスター監督が描く通常のホラー映画とは一線を画する悪魔崇拝的な世界観は、音楽界と映画界という違いはあれど互いに共振するものがあって、事実この約4年ぶりの3rdアルバム『H.A.Q.Q.』は、アリ・アスター監督の新作映画『ミッドサマー』の題材=スウェーデンの田舎で催される90年に一度の真夏の祝祭の裏サントラなんじゃねえかぐらいに共振する、例えるならクラシック音楽の公式でブラックメタルやグラインドコアやマスコアやアヴァンギャルドやグリッチの数式を用いて強引に解いちゃったようなイカレ具合。

突如として怪作だった前作をフラッシュバックさせる、IDM風のゲーム音楽みたいな幕開けを飾る#1“HAJJ”から、日本の伝統芸能であり様々な公的な行事や神聖な催しの際にお目にかける雅楽でもお馴染みの龍笛や篳篥、そしてハープと奇怪なトレモロが織りなす神々しいまでに美しい音色が“和製Kayo Dot”の装いで俄然アヴァンギャルドな世界観を形成し、例えるなら子供の頃に友達とスーパーマリオやってて誰かがスーファミの角に足をぶつけた瞬間にゲーム画面が止まってスーパーマリオがイヤッフゥゥゥウウウウアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ババ゛バみたいにバグって、さっきまでワイワイ楽しかったのが急にちょっと怖くなる現象に近いバグ音が瞬く混沌の中で、まるでカタワの道化とそのワッパみたいな龍笛と篳篥が奏でるピロピロピ~と和ホラー的な恐怖を誘発する素っ頓狂な不協和音のシュールな絵面がもうアリ・アスター映画そのもので、この曲のクライマックスはまさに祝祭と言わんばかりのド派手で過激なカ(ー)ニバルが執り行われているかのような惨劇(文章もバグってる)。

衝撃的な幕開けからギャップレスな流れでクラシカルなピアノのインストに繋ぐ構成もポスト・ブラックの王道的な常套手段だし、ハープの美しすぎるイントロからブラゲ然とした幕開けを飾る#3“Virginity”では、それこそDeafheavenの1stアルバムを想起させる、ちょっと意外過ぎて軽く引くぐらい王道的で扇情的なUSBMを展開する。一転して鉄琴やビブラフォン、そして荘厳なストリングスをフィーチャーしたポストメタル系の#4“Pasaqalia”、それこそ90年に一度の祝祭が始まる夜明けの如し不気味な鐘とピアノが鳴り響くインストの#5を挟んで、そして名作ヒューマンドラマ映画のサントラばりに感動的なストリングスで始まる#6“God Of Love”は本作のハイライトで、その『愛の神』というタイトル通り、『愛』『愛』でも異常な『愛の暴力』を受けているような、まさに映画『ミッドサマー』を音像化したような、まるで気分は謎の怪奇現象に襲われてダメだダメだダメだ、こいつダメだ、こいつ怖い、こいつ危ないと口走る稲川淳二。

再びピアノのインストを挟んでからの表題曲の#8“HAQQ”は、まるで納期間近にデバック作業に追われるゲーム会社の末端社員とばかり、しかしバグがガン細胞のように増殖して頭バグリマクリスティとなり、遂にはデバッカーの頭もバグってバグったマスオさんばりに「びゃあ゛ぁ゛ぁ゛う゛ま゛ひ゛ぃ!」と発狂不可避の“バグソング”で、最後のエンディングへと繋がるアウトロも祝祭の儀式が終わった事後みたいな、それこそラスボスの『神』を倒した後に出てくる裏世界の裏ボス登場みたいなピアノと教会の鐘が不揃いに鳴り響く...それはまるで日常が手のひらからこぼれ落ちていく恐怖。そして日本のシューゲイザーアイドルの・・・・・・・・・リスペクトな#9“. . . .”はまさに無の境地で、そこに残されたのは純粋な悪意が込められた剥き出しの暴力と『神』への信仰心という名の狂気だけ。この表題曲を筆頭にグリッチ要素が今作最大のキモとなっていて、曲展開のギアチェンというかトリガーの役割を担っているのが電子的なバグ音で、いわゆる“プログレッシブ”という音楽概念に対してこんな狂った手法を用いた解釈は生まれてはじめて見た。このイカレサイコ具合を例えるなら、これはもう“ブラック・メタル化したデス・グリップス”だ。

なんだろう、ザックリと言ってしまえばクソプログレッシヴかつクソアヴァンギャルドかつクソグリッチーかつクソカオティック、そしてクソドラマティックなアルバムで、それはまるで喜劇的な舞台を観劇しているような、それはまるでシェイクスピアの名作『マクベス』『音』で観劇している気分。それこそ前作は全編クリーンボーカルで、ラップみたいな要素も取り込んだあまりにも前衛的な、それこそブラック・メタルという概念を超越(Transcendental)してアヴァンギャルドにし過ぎてヒンシュク買ったから、仕方なく2ndアルバムのマス系USBMをぶっ込んで、つまりヤベーやつとヤベーやつを光の速さでネルネルネルネしたらもっとヤベーのできた感、歪んだ畸形の音が生まれちゃった感。事実、アートワークにある今作を構成する元素のフローチャートにも記されているように、前作を中心に過去作のメロディやアレンジを引用している部分もあって、それこそ2ndアルバムと3rdアルバムがモノの見事に融合した感じ。極端な話、前作のクリーンボイスがバグったスーパーマリオに替わっただけと考えたら、むしろ逆にやってることは案外シンプルで単純明快かもしれない。それぐらい、一見破綻しているようで実は恐ろしいほど綺麗にまとまっている。あと、めちゃくちゃ音のスケールがデカくなったのも確か。

このアルバムの何が凄いって、ポスト・ブラック界の二大名盤と名高いAltar of Plagues『Teethed Glory and Injury』における儀式(リチュアル)的なアンチクライストな精神性と、Deafheaven『サンベイザー』におけるまるで気分はアガってんの?サガってんの?皆んなハッキリ言っとけ!アガッテーーーール!なイキスギたパリピ・ブラゲ、そしてその双方が持つモダンなポスト・メタル的な側面を喰らって“ポスト・ブラック界の神”となっている点。もはや神降臨してOMGって感じ。

相変わらず、このバンドの音楽を一言で表すと何がなんだかわからない・・・し、何も答えがわからないまま時間だけが過ぎて最後にはカルト宗教に洗脳された気分になるのだけど、少なくとも本作は10年代の最後にポスト・ブラックを総括するような、それこそポストブラ界の伝説的な2大名盤と肩を並べる歴史的名盤であることは確か。しかし前作の3rdアルバムで死んだフリしてる間にキチゲ溜めまくって、そして10年代の最後の最後にキチゲ放出してバグリマクリスティな大名盤ぶっ放してくるあたりガチで頭おかしいし頭バグってると思う。もはや【Explicit】どころじゃない。間違いなくレイティング【R18+】の音楽です。

それこそ、アリ・アスター映画の映像を音像化したアルバムと言っても過言じゃあなくて、そんなアリ・アスター監督の新作であり、ある種の“ペイガニズム”をテーマにした『ミッドサマー』はトレイラーを観ても明らかにヤバい映画なので、劇場公開前にこのLiturgy(典礼)のアルバムを聴いて耐性をつけておきたい。しかしこの『音』だけでも超怖いのに、それ+映像ありの映画になったら怖すぎて館内で失神するかもしれん・・・。そんなホラー映画好き待望の映画『ミッドサマー』は2月21日公開!(ただの宣伝)

AURORA 『A Different Kind Of Human (Step 2)』

Artist AURORA
aurora-main-1-2000-920x584-then-a-different-kind-of-human-step-2

Album 『A Different Kind Of Human (Step 2)』
00000003.1560340874.3603orig

Tracklist
02. Animal
03. Dance On The Moon
04. Daydreamer
05. Hunger
06. Soulless Creatures
07. In Bottles
08. A Different Kind Of Human
11. Mothership

織田nonもといのんこと能年玲奈が芸能界から干されてからというもの、そんな能年玲奈「この地獄の片隅」から救い出す『救世主=メシア』って一体誰だろう?とずっと考えてて、その『救世主』って実はこのオーロラなんじゃねぇかって。もちろん、これはただの“直感”以外のナニモノでもない。でも結局、それが実現する舞台が今年のフジロックなんじゃねえかって。

  • ビリー・アイリッシュが太鼓持ち役
僕が初めてAURORAの存在を知った2016年作の1stアルバム『All My Demons Greeting Me as a Friend』から、この3年の間に彼女を取り巻く環境は驚くほど変わった。ちょっと目を離した隙に、今や2019年だけでなく現代の音楽界を象徴するまでのポップ・アイコンとなった「ただのジョジョ好きコスプレイヤー」もとい「デンゼル・カリーの妹」ことビリー・アイリッシュや歌姫ケイティ・ペリーがこぞって太鼓持ち役を担い、あのチャーチズグライムスもライブを行った事でも知られるシアトルの音楽メディアKEXPでのパフォーマンス、アメリカで知らない人はいないジミー・ファロンのTVショーでのパフォーマンス、世界的な大型フェスロラパルーザやグラントンベリーへの出演、そしてフジロック2019でヘッドライナーを飾ったUKテクノレジェンド=ケミカル・ブラザーズとの謎コラボ曲の発表まで、要するに“ネクストブレイク”が約束された若手の登竜門を潜り抜けて「バズる」ステップを着実に踏んできている、某ZOZOZOの鬼太郎もビックリのゴリ押しっぷりに、流石に「え、、、数年前の状況とはまるで違ってるんですけど・・・」って軽くドン引きしたのは言うまでもない。

(ぶっ壊したい何もかもw)

  • 『アナと雪の女王2』の主題歌
そもそもの話、2018年の9月に2ndアルバム『Infections of a Different Kind (Step I)』がサプライズリリースされていた事にも全く気づかなくて、だからその続編に当たる3rdアルバム『A Different Kind Of Human (Step 2)』を聴く前に、前作をサブスク(Amazon HD)で予習しようと思って“AURORA”で検索してみたら、検索結果にあのディズニー映画『アナと雪の女王2』の主題歌“イントゥ・ジ・アンノウン(イディナ・メンゼル&AURORA)”って出てきて、その時は「おいおい、確かに“AURORA(オーロラ)”ってアーティスト名は同姓同名ランキング3位ぐらいに入選しそうな別段珍しい名前でもないし、だからと言って他の“オーロラ”名義のアーティストと間違えるなんて、Amazon HDのやつとんだうっかりさんだなぁw」って、でも「もしや...」と半信半疑でウェブ検索かけたらガチのマジで自分が知ってる北欧ノルウェーの“オーロラ”で、この事実に気づいた瞬間は久々に「ホーリーシェイ!ホーリーシェイ!ホーリーシェイ!」って叫んだ後に、「チョイチョイチョイチョイ、待て待て待て待て、この数年の間に一体何があったんやオーロラ・・・」ってなった。まさかビリー・アイリッシュの太鼓持ち担当はじめ数々のゴリ押しの最終地点が、いま世界で最も人気のディズニー映画である『アナ雪』の主題歌って・・・こんな“成り上がり”未だかつて見たことがない。この日本でも主題歌の「レリゴー」がバズりにバズった、全世界が注目する超大作の続編の主題歌にアーティスト名が書いてある宣伝効果ってもう想像を絶するわ...(正直、アァ~アァ~しか言ってないから尚更←コラ)。もっとも面白いのは、本家『アナ雪』のエルサ役=イディナ・メンゼルが歌う主題歌でfeaturingされているという事は、必然的に日本版『アナ雪』のエルサ役を演じる松たか子と間接的にコラボしてるみたいになっててクソ笑った。


  • オーロラ=実写版サン説
それはさて置き、今のオーロラの目の周りの赤いフェイスペイントを見て何を想起させたかって、それこそ日本のジブリアニメ『もののけ姫』のヒロインであるサンだ(本人は感情のメタファーと語っている)。そこで思ったのは、今のオーロラって「実写版サン」に最も近い人間なんじゃねぇかって。

昨今、オーロラの故郷ノルウェーの隣国スウェーデン出身の“デスメタル女子”ことグレタ・トゥーンベリが著しい地球温暖化や急激な気候変動などの環境保護を訴える抗議行動を起こし、グレタと同世代の若者を中心に世界中でデモが巻き起こった事は記憶に新しい。この日本でも地球環境に悪影響を与えるプラスチックごみを無くそうとする動きが企業を中心に加速している。日本が世界に誇るスタジオジブリのアニメ『もののけ姫』は、昨今のグローバル時代に求められる「繋がり」ではなく、その「繋がり」を断とうとする排他的な個人主義の蔓延、自然環境と人間社会の対立、そして異文化の共生をテーマにした、まさにジブリの最高傑作と呼ぶに相応しい名作だった。

何を隠そう、このオーロラの3rdアルバムには、まさにその『もののけ姫』のテーマと共振するパヤオこと宮崎駿アニメに根づくグローバル思想および現代社会が抱える環境問題に警鐘を鳴らす強力なメッセージ性が込められている。そういった作品のテーマ的にも、脇毛ボーボーな野性味に溢れたビジュアル的にも、彼女こそ『もののけ姫』サンをリアルに実写化させたような、それこそサンと同じように動物界と自然界が生み出したヒトのような、こう言ったらアレだけど今流行りのヴィーガンイズムに溢れ、今や“時の人”となったグレタ・トゥーンベリの抗議活動と共振する、それこそ「時代」が求めたアーティスト、言い方は悪いけど「今の時代」だからこそ担ぎ上げられた存在と言っても過言じゃあない。つまり、このアルバムは「今まさに世界で起こっていること」をテーマにしているのだ。今のオーロラを一言で表すと「グレタ・トゥーンベリが聴いてそうな音楽」なんですね(いや、でも電気泥棒のミュージシャンはグレタ的に全員アウトかw)。

  • オーロラ=オリィ説
ここで思ったのは、実はオーロラ=オリヴァー・サイクスなんじゃねぇか説だ。はじめに個人的な「2019年面白いランキング1位」を述べると、11月に行われたBMTHの大阪単独公演に向かう新幹線の中でオーロラの新譜=本作を聴いてたら、その週に日本で行われたオーロラのライブにBMTHオリィが観客にいたという驚きの目撃情報があった。つい先日も、オリィはツイッターで米トランプ大統領からグレタ落ち着け!と揶揄されたグレタを擁護するお前はこれまで世界が目にしてきた中でも最も醜い人間だよというローレン・メイベリー顔負けの火の玉ツイートをトランプに対して行っている。ご存知、オリィグレタと同じヴィーガンでありグレタ支持者である。ここ最近のオリィの典型的な意識高い系あるいは胡散臭いハリウッド俳優ばりのニューエイジな嗜好って、露骨に影響受けまくってるビリー・アイリッシュ以上にオーロラグレタの影響が大きいんじゃねぇかって。例えば、オリィの顔まで入ったタトゥーはオーロラのフェイスペイントリスペクトなんじゃねぇかとか、つい先日EPをサプライズ・リリースした事とか、もちろん昨年のグラストンベリーではビリー・アイリッシュBMTHとの共演、そのBMTH小島秀夫監督「繋がり」をテーマにした“インディーゲーム”『デス・ストランディング』に楽曲提供したけど、実はこのオーロラもスウェーデンのインディーゲームスタジオ制作の(こちらも「繋がり」をテーマとした)『Unravel Two』のトレイラーに楽曲(Queendom)が使用されていたりと、BMTHと同じように音楽界隈を飛び越えてゲーム界隈でも共通する部分はある(ちなみに『デススト』にも大気の発光現象である“オーロラ”が登場する)。また近年では高級ブランドのグッチが動物の毛皮使用を禁止する事を宣言したが、それこそヴィーガンを公称しているオリィは、昨年この日本でも原宿にポップアップストアを出店した自身のファッションブランド=DROP DEADも動物の毛皮を一切使用していないアンチ毛皮をアピールしている。要するに、オーロラビリー・アイリッシュグレタ・トゥーンベリは今のオリィの嗜好思想を形成する三女傑なんですねw


  • (Step 2)=『amo』
しかし、ここまでのゴリ押し、もとい持ち上げられっぷりって結局その神秘的なビジュアル面や、現代社会に直結する思想的な面での“物珍しさ”が先行している部分も少なからずあって、それこそ1stアルバムの時点では北欧の片田舎から出てきたイロモノ感は否めなかった。なんだろう、それこそ自然界で生きるリアル・サンが山奥から人間界に降り立って音楽やってる感、特に音楽メディアからはエンヤビョーク、そしてケイト・ブッシュの意思を受け継ぐ正統後継者的な扱いを受けたりと、その“物珍しさ”は音楽的な面でも同じと言える。そこで気になるのは、果たして音楽的な面でこの異常なゴリ押しを納得させる事ができるのか?ということ。

実際に本作を聴いたら2秒で納得した。確かに1stアルバムの時点では、世界的な音楽シーンのトレンドとは無縁のフックに富んだ北欧らしい(いい意味で田舎っぽい)哀愁を帯びたキャッチーなメロディを聴かせたけど(確かにこの時点でトラップとか鳴らしてたけど)、しかしそれはあくまでも北欧に生息するSSWの中の一人、あくまでも同郷スザンヌ・サンドフォーの妹分的なイメージから抜け出せるものではなかった。でも今作は幕開けを飾る#1“The River”から1stアルバムと比べてアレンジが段違いに洗練されてて、それこそ今の音楽シーンのトレンドであるEDMやヒップホップなどのイマドキの主流に迎合したトラックやダンサブルなビート感を押し出した縦ノリなサウンドを取り込んでいる。

特にエンヤの生まれ変わりを宣言するかのような、それこそチャーチズに肉薄するエレポップの#1を皮切りに、宇多田ヒカル“道”を想起させる#2“Animal”や中華風のオリエンタルなトライバリズム溢れる#5“Hunger”、ジブリアニメや北野映画でもお馴染みの久石譲を思わせるアレンジが光ると同時にこれもう新作ジブリ映画の主題歌でイイじゃん」ってなる#6“Soulless Creatures”やMVでブリット・マーリング主演の『The OA』の謎ダンスをフラッシュバックさせる、スピリチュアルかつニューエイジなダンスと流暢なラップを披露する#9“Apple Tree”を中心に、最大のウリである北欧出身の不思議ちゃんならではの神秘的な世界観を追求しながらも、一方で世界的な音楽シーンの最前線で戦える“メインストリームのポップス”に急接近する柔軟性と器用さを垣間見せている。言うなれば“北米のビリー・アイリッシュ”に対抗する“欧州のオーロラ”的な扱いを受けてもギリ耐えうる、メインストリーム市場に出しても決して引けを取らない楽曲面のクオリティがある。要するに、ここでもBMTH『amo』と直に繋がる案件というか、そもそもグラストンベリーでビリーBMTHと共演してる時点で、もう今のオーロラの立ち位置って“ソコ”=音楽シーンのド真中なんですね。もはやオーロラの存在自体が“時代のトレンド”そのものと言っても過言じゃあない。


  • 「時代」が求めた存在
なんだろう、この手の正統派なスピリチュアル系女性アーティストのアイコン的な存在って本当久々に登場したんじゃねぇかぐらい、ケイト・ブッシュエンヤに次ぐ新世代ニューエイジャーを襲名する2.5次元的なビジュアル(実写版サン)、『アナ雪2』主題歌やビリーケイティら太鼓持ちの名声、環境保護を訴えるグレタ時代、そしてシーンのトレンドを抑えた楽曲まで全ての要素が足並み揃えて、その全てがバズる追い風となって“オーロラ”という北欧イチの歌姫を創り上げている。しかし結局の所、オーロラの何が一番信用できるかって、こう少し(サンみたいに)お高そうに見えてインタビューでは“マスターベーション”とかナチュラルに発言しちゃうところw

しかし改めて、1stアルバムの時点で「なんで国内盤も出してないガチ無名なのに初来日?今回も少なくとも日本では変わらず人気してないはずなのになんで再来日?しかもソールドアウトして追加公演発表も2秒で即完?嘘でしょ?」って。正直、オーロラほどファン層、そのボリューム層がどこにあるのか全くわからない。そのエレポップな音楽性的にチャーチズグライムスらの不思議kawaii系アーティストのファン中心?正直どの予想もシックリこないなぁって。でも、今はもうその全てに納得した。今や“時の人”となったグレタ・トゥーンベリを主導とする気候変動に対する世界的な危機感、その中心人物としてビリー・アイリッシュの手により音楽側から担ぎ上げられたのがオーロラだって。まさに「今の時代」が求めたのがオーロラなんだって。全てが必然的に繋がった。

  • フジロックの申し子
なんだろう、ジブリでもフジロックでもなく『アナ雪2』主題歌に大抜擢された時点で、つまり後ろ盾にあのディズニーが付いた時点でもう何があっても驚かねぇ・・・。(間接的な意味で)今年の紅白でエルサ役の松たか子とコラボしても驚かねぇって・・・。むしろ逆に、まだフジロック出てなかったのかよと。とっくの昔からフジロック常連の“フジロックの申し子”的なイメージしかないぐらい、自分の中でオーロラほど自然に囲まれた苗山のステージが似合う、フジロック映えするアーティストって他にいないと思ってる(だから初めてライブを観るなら単独じゃなくてフジロックだとも)。この感覚を例えるなら、昨年の紅白歌合戦の出場者が発表された時に(BMTHの新木場公演にもいた)アニソン界の歌姫=LiSAの名前の後に(初)って書いてあって、LiSAって数年前から毎年のように紅白出てるイメージあったから素で驚いたのと近い。だからもう今年の苗山で(歌詞的な意味でも)“Animal”歌ってる未来しか見えねぇし、今のBMTHというかオリヴァー・サイクスの嗜好的にもフジロックが似合うし、そう言った意味でも20年代初のフジロックにオーロラBMTHビリーチャーチズグレタが来たらクソ面白いと思う(落ち着け!)。

そもそもの話、2019年のフジロックのヘッドライナーを飾ったケミカル・ブラザーズと謎コラボしてる時点で、99パーじゃなくて120パーの確率で出ると思う(是非ともフジロックで戦隊ごっこしてほしいw)。それぐらい、今のオーロラには“伏線”しかない。しかしそれ以上に、“日本のオリィ”の直感で言うと、いつになるかは分からないけど何時かのフジロックでのんこと能年玲奈とコラボしてる未来しか見えねぇんだよな。だからエロ漫画家の織田nonもといのんよ、お前は一丁前に音楽やっててオーロラに対して何も感じないのか?一体何のために音楽なんかやってんだ?このオーロラ見て何の“引力”も感じないんだとしたら、今すぐ音楽なんか辞めちまえ。以上、“日本のオリィ”が今の能年玲奈に言える唯一の言葉はこれだけです。

しかし何度も見ても『アナ雪2』の主題歌は売れすぎ・・・。オーロラ売れた・トゥーンベリ・・・。先日のLiSAの紅白初出場や今回のオーロラバズり事件を見ても、やっぱ俺ィもといオリィってアゲチンだわ・・・あいつやっぱスゲーなって。まぁ、でも1stアルバムの時点でオーロラに目を付けていた“日本の俺ィ”だからこそ書ける話で、要は20年代に入っても10年代とはしっかり「繋がってる」んだって。しかし今作も国内盤の予定がないとか・・・やっぱ日本の音楽業界ってクソだわ。どうせだからソニーはさっさと契約結んでXperiaのCMに起用しろよ(グレタ激怒)って冗談はさて置き、(輸入盤は出てるけど)もしかして国内盤が出ないのってCDという環境に悪影響を与える“プラスチックごみ”を少しでも削減する為だったり・・・?んなわけねーかw

てなわけで、間もなくこの日本でもバズり始めるであろう今後のオーロラの動きについて、能年玲奈とフジロックで共演するかジブリアニメの主題歌に抜擢されるか、君はどっちに賭ける?俺ィは両方!

Blood Incantation 『Hidden History Of The Human Race』

Artist Blood Incantation
0017973464_0

Album 『Hidden History Of The Human Race』
0017501871_20

Tracklist
02. The Giza Power Plant
04. Awakening From The Dream Of Existence To The Multidimensional Nature Of Our Reality (Mirror Of The Soul)

デスメタル女子を代表するスウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリや日本の女優広瀬すずがデスメタルシーンで台頭する中、そのデスメタル女子に負けじと2010年代の最後にデスメタル男子のプライドを賭けた“10年代最高のデスメタル”をリリースしたのが、USはコロラド州デンバー出身の4人組、その名もBlood Incantationだ。

このBlood Incantationの2ndアルバム『Hidden History Of The Human Race』は、デスメタルはデスメタルでもデスメタル界のレジェンド=Deathの影響下にあるチョイテクなデスメタルでも、一方でピンク・フロイドみたいな70年代風のプログレやシュメール文明のアヌンナキをモチーフとした神話およびSF/オカルト/スピリチュアルな世界観が共存するデスメタルで、幕開けを飾る#1からリヴァプールの残虐王ミナミノもといカーカスばりに硫酸ドロドロなブルータリティとKreatorPower Tripを連想させる猟奇的なソロワークがクロスオーバーしたスラッシュみたいな感覚のデスメタルで、アヌンナキの神々が光臨なさるエスニックなプログレッシブ・ドゥームの#2、極端な話オルタナにまで急接近する器用さと意外性を垣間見せる、それこそデスメタル界の天外魔境あるいはデスメタル版ピンク・フロイドなインストの#3、そして彼らの全てが集約されている一曲で、アヌンナキの神々による『神VS.神』の如しデロデロなリフに次ぐドロドロなリフの応酬に直腸陥没不可避な約18分にも及ぶ長大作の#4は、まるで(イギリスのSF作家ブライアン・オールディス『Space, Time And Nathaniel』のカバーアートを手がけたブルース・ペニントンの)アートワークの宇宙人に連れ去られて目覚めたらデスメタル女子の広瀬すずに改造されてトゥース!ばりのデスポーズを決めながら「直腸陥没!」とデスボイスで叫ぶこと請け合いな、それこそ「00年代最高のプログレッシヴ・デスメタル」であるGojira“The Art of Dying”に対する「10年代最高のプログレッシヴ・デスメタル」と言っても過言じゃあない名曲で、また哀愁のアコギを靡かせてカタルシスを誘うアウトロの演出が某40 Watt Sunをフラッシュバックして全俺が咽び泣いた。

なんだろう、90年代に一時代を築いた往年のデスメタルと伝統的なクラシック・メタルのコンビネーションが絶妙な塩梅でせめぎ合う、ザックリと言ってしまうとデスメタル版Pallbearerみたいな、それほどまでにデスメタルはデスメタルでも想像した以上にプログレ色が強い、本当の意味でプログレッシヴなデスメタルやってるアルバムで、それこそメタル大国フィンランドの映画『ヘヴィ・トリップ』やデスメタル女子の広瀬すず主演の映画『一度死んでみた』を観てデスメタルに興味を持った人にオヌヌメしたい大名盤デス!

HIDDEN HISTORY OF THE HUMAN RACE
BLOOD INCANTATION
Daymare Recordings (2020-02-19)
売り上げランキング: 76,227

Marika Hackman 『Any Human Friend』

Artist Marika Hackman
images

Album 『Any Human Friend』
a0084904430_10

Tracklist
01. wanderlust
04. blow
06. send my love
08. conventional ride
09. come undone
10. hold on
11. any human friend

LGBTQを公表してるミュージシャンは今では数知れず、それこそイギリスではクイーンフレディ・マーキュリーを筆頭に、エルトン・ジョン“メタルゴッド”ことロブ・ハルフォードが有名だけど、実は今回のアートワークを見て真っ先に思い出したのが、いわゆる“スウェディッシュ・デスメタルバンドのベース”こと山田孝之くん主演の『全裸監督』もといサム・スミスがインスタに投稿するや否や瞬く間に世界中でバズった例の裸体写真だった。まるでサムと同じLGBTQ“L”として彼の勇気に賛同するかの如く、この3rdアルバム『Any Human Friend』のアートワークに映し出されているのは、他ならぬ「ありのままの姿」を曝け出したマリカ・ハックマン本人の姿であった。

(エロ注意)

ここ最近の〇〇解禁の流行に乗って、危うくマリカもチクビ解禁すんじゃねぇかと思って心配したんですけど、可愛い子豚ちゃんのお陰で助かった。そんな女型の巨人もとい女露出狂もといAV(アニマルビデオ)監督もとい「ありのままの私を見てよ」と言わんばかりの出落ちが過ぎる誰得アートワークは百歩譲るとして、しかし今作のリード曲の一つである#7“hand solo”の初めは巻貝や洗濯バサミに始まり、カプチーノの模様やベッドシーツのシワ、ボーリング玉やコインランドリー、そしてアメリカ国防省ペンタゴンから最後には地球まで(その地球がオルガスムを迎えて銀河に飛び散るラストw)、目に写る全ての穴という穴が女性器a.k.a.アワビa.k.a.ヴァギナa.k.a.マンピーa.k.a.Gスポットa.k.a.クリちゃんa.k.a.大陰唇(←コラ)に見えてしまう、そのタイトル通り女性の“独り運動会”あるいは“独りオナニー”もしくは“マスターベーション”すなわち自慰行為をテーマとした超絶下ネタソングのMVを見たときは、まるでオナ禁70日を超えた俺ィの女版がマリカなんじゃねぇか説が芽生えるぐらい、性欲を持て余している欲求不満の彼女に「マリカ、あなた疲れてるのよ」とスカリーばりに心配せざるを得なかった。そもそもの話、マリカのMVってどれもクセが凄くて、中には幼虫?が大量発生してるリアルに閲覧注意のグロいMVもあるけど、今回のMVは喪女の歪んだ性癖が露わとなってしまったMVと言える。

マリカといえば、alt-Jのプロデューサーでもお馴染みのチャーリー・アンドリュー全面プロデュースの元、UKインディロック界屈指のインディレーベル=Dirty Hitからデビュー作となる『We Slept at Last』“女版SW”あるいは“UKの森田童子”やったかと思えば、一転してUSのオルタナ/グランジの震源地であるSub Popからリリースされた2017年作の2ndアルバム『I'm Not Your Man』では、今度は彼女の青春時代の思い出である(レーベルの大先輩でありグランジレジェンド)Nirvanaのコピバンとばかりに、ロンドンのガールズバンド=The Big Moonをバックバンドに携えた“マリカバンド”を結成すると、青春時代に陰キャだった喪女なら誰もが一度は妄想したであろうガルバン結成(理想はWarpaint)して文化祭で演奏する夢をリアルに実現させてしまう。その90年代の脱オルタナと脱チャーリー・アンドリューを図った3rdアルバム『Any Human Friend』は、フランク・オーシャンThe xxなどの作品を手がけたウェールズ出身のエンジニア兼プロデューサーであるデイヴィッド・レンチマリカの共同プロデュースとなっている。

アルバムの幕開けを飾る#1“wanderlust”こそ、マリカのアイデンティティであるアコースティックな“宅録系Lo-Fi女子”で、これだけでもう今作がマリカのアルバムという証拠を示す、言わばマリカ印の封蝋が押されている時点で作品の品質は最低保障されたようなもんで、そのアウトロのホラー映画にありがちなフォワワワワ〜みたいな効果音でもお馴染みの電子楽器=テルミンによる不気味なホラー描写からして、ついに伝説の1stアルバム回帰くるーーーーー?と思いきや、前作で培ったウォーペイントリスペクトな音響系のオルタナ=バンド・サウンドを堅実に引き継ぎながらも、しかし一方で過去2作にはない80年代のAOR香るシンセと軽快なカッティングギターとノイズ・ポップ的なギターがパワー・ポップ的な塩梅でせめぎ合う#2“the one”、メジャー以降のきのこ帝国・・・それこそメジャー2ndアルバム『愛のゆくえ』じゃないけど、厳密にいえばメジャー以降のきのこ帝国の理想みたいなインディロックの装いを醸し出す、インディロックならではのアコースティックなストリングスがたゆたう倦怠感の中にシューゲイズ風のギターがけたたましく鳴り響く#3“all night”を挟んで、もはやロックというよりシンセ・ポップならぬシンセ・ロック的なダンサブルなビートを刻む、それこそ80年代のディスコ・ミュージック的なダンス・ポップの側面を備えた#4“blow”と、それこそチャーチズあるいはケロケロボニトを連想させる煌びやかなシンセが舞い踊るシングルの#5“i'm not where you are”は、特に“それ”が顕著に現れている。

(出オチ感)

“それ”とは、今作を司るペット・ショップ・ボーイズなどのニューウェーブを彷彿とさせるような80年代リバイバルバリのシンセ・サウンドに他ならない。そして“それ”を象徴する最たる曲が#6“send my love”で、それこそネオ・サイケデリック風のレトロなシンセにアメリカーナの精神が息づく倦怠感むき出しの雰囲気からしてThe War On Drugsリスペクトな曲となっていて、もう笑っちゃうくらいには確信犯です。なんだろう、まず自分の中でマリカって“女版SW”と思ってて、また自分の中で“日本のSW”=岡田拓郎くんとも思ってる部分があるのだけど、実は岡田くんのソロアルバム『ノスタルジア』もほぼほぼThe War On Drugsの影響下にある作品で、つまり“日本のSW”こと岡田拓郎くんと“女版SW”ことマリカがダイレクトに繋がるアルバムと言ってしまえば、それはそれで少し強引かもしれない。とはいえ、同じThe War On Drugsをバック・グラウンドいや根幹の一つとしつつ、同じマルチプレイヤーならではのDIY精神に溢れたアコースティックなキーボード/シンセやストリングス、そして多彩な音色を奏でるギターから浮かび上がるインストゥルメント、そして同じようにしてそれらを一つの“ポップ・ミュージック”に昇華させる作曲面での器用さだったり、どっかで聴いたことあるけど思い出せない絶妙過ぎる“キャッチーさ”、そのスティーヴン・ウィルソン岡田くんに匹敵する咀嚼能力の高さ、そのバランス感覚というか調味料のさじ加減が実に「うまい」と唸ること請け合い。

ここ数年、海外で日本のシティポップがちょっとしたブームになっている・・・そんな噂を耳にする事が多くなった。実際に海外のリイシューレーベルからPacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976-1986』なる、その名のとおり日本のシティポップやAORを集めたコンピアルバムがリリースされたりと、その噂はあながち嘘じゃないかもしれない。何を隠そう、その日本のシティポップ・ブームを裏づけるような曲が#9“come undone”で、初めて聴いた時は「これもう日本のシティポップだろ」とリアルに感じたくらい、テレレレッテテーレレ↑↑みたいなポルカドットチンポコグレイばりに楽しいギターリフや“UKの森田童子”と呼ばれた人物と同じに思えないほど(例えるなら鬱状態から一転して躁状態になった)感情豊かにポップでキャッチーな歌声を披露するマリカは、もはや“UKの相対性理論”以外の例えが見つからない。極端な話、日本の女SSWがお手本にしそうな“親しみやすさ”すらある。元々、1stアルバムの時点で“UK版森田童子”みたいな陰キャのイメージだったし、それこそX JAPAN“Voiceless Screaming”ばりの昭和のジャパニーズ・フォークと共振する、いわゆる“日本要素”は元からあったけど、それが今度は岡田くん的な日本語インディロックや海外でブームになってる日本のシティポップやAORに精通するとなると、そろそろ噂や冗談じゃ済まなくなってくる。

日本=Japanese要素といえば、いわゆる“Japanese”の名を冠したJapanese一族のアーティストは多々いるけれど、近年のトレンドなのはUSのJapanese Breakfast、そして2019年のSSWシーンに登場するや否や話題沸騰なのが、UKはバッキンガムシャー出身のアンバー・ベインによるThe Japanese Houseだ(グランジ界のJapanese Voyeursを忘れるな・・・!)。彼女の音楽はイマドキのエレクトロやGrouperなどのアンビエント・ポップとアコースティックな要素がクロスした内省的なシンセ・ポップという事で・・・妙に変だな〜って。だっておかしいじゃない、Dirty Hitの秘蔵っ子であるアンバー・ベインThe Japanese Houseの1stアルバムGood at Fallingの曲に“Marika is Sleeping(マリカは寝ている)”と意味深なタイトルを付けたかと思えば、その私信に答えるように今度はDirty Hitを古巣とするマリカThe Japanese Houseみたいなシンセ・ポップ化するんだもん。うわ〜ヤダな〜怖いなぁ〜って、そのまま恐る恐るアルバムを聴き続けてみたんだ・・・そしたら私ねぇ、気づいちゃったんですよ。

「あぁ、この子マリカの彼氏だって」
images

このマリカアンバーの内密な関係の2人に共通するのは“テラスハウス芸人”ことチャーチズという・・・「やっぱローレン・メイベリーって神だわ」って話はさて置き、マリカってヘタしたらThe Japanese Houseよりもジャパニーズ感あんじゃねぇかぐらいの、前作で一度バンドを経験してワンクッション置いた意味がわかるような内容で、正直前作を聴いた時はこのまま1stアルバムのイメージからかけ離れていくのかなと思ってたら、もしろ意表を突くかのようにド真ん中のコースにグッと急接近してきた感じ。確かに、確かに“独り運動会”のMVで初めて彼女の存在を知った人には「なんだこの欲求不満の淫乱SSW・・・」とセルフ風評被害みたいな誤解を与えかねないけど、陰鬱な1stアルバムとは対極にある新規にも取っつきやすい“ポップさ”をフィーチャーした、少なくとも前作を凌ぐ完成度だと思う。しかし1stアルバムと2ndアルバムでオルタナのWarpaint(長女)愛を示したかと思えば、この3rdアルバムでシンセ・ポップのチャーチズ(三女)やインディトロニカのPhantogram(次女)という、自分の中にある“三姉妹”に繋がったのは流石にょっと面白過ぎるし、もはやマリカ読者説あるわ(ネーよ)。

このアルバム、“日本のSW”“女版SW”が某アーティストを経由して繋がったり、昨今の「日本のシティポップブーム」への回答だったり、そして某Japaneseへの私信だったりと(#1の1st回帰はアンバーへの恋文だった説エモい)、色々とツッコミどころが満載過ぎるただの傑作なんだけど、そんな今作を“真の傑作”たらしめている存在って実は#10“hold on”なんじゃねぇかって。この曲の慈悲深いストリングスと共鳴するマリカ本来の内省的な歌声、そのトリップ・ホップ的な音と言葉尻に低域を際立たせるマリカの歌い回しがまんまカナダのElsianeリスペクトで、これもThe War On Drugsと同じくらい確信犯過ぎる案件で、同時にマリカやっぱ信頼できるなって。いや、ホントにこのアルバムもう実質俺ィ≒Zapaneseへの私信アルバムだろってくらい、もしやマリカ・・・俺ィの性癖知ってる説。もうジャケのデカパン女型の巨人のマリカに襲われる悪夢見そうでホント怖い・・・。冗談じゃなしに、彼氏もといアンバー・ベインみたくイマドキのトレンドを狙っていくんじゃなくて、(明確にポップ化していく流れの中でも)あくまでElsianeみたいな知る人ぞ知るアンダーグラウンドなヒネくれた陰キャ精神を決して忘れちゃいないとこが、僕のマリカに対する絶対の信頼感、わかってる感に繋がってるんだよね。とにかく、抑えるとこをしっかりと抑えてて最強。

ちょっと待って、今年の9月にThe Japanese Houseが初来日公演を実現させたって事は・・・これもうマリカアンバーの日本で共同生活あるぞこれ(ネーよ)。でも彼氏が来日したんだからマリカも来るしかないな。もちろん、前座は岡田くんでw

Any Human Friend
Any Human Friend
posted with amazlet at 19.11.02
Marika Hackman
Caroline (2019-08-09)
売り上げランキング: 193,867
記事検索
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 累計: