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Live感想

2月24日、33歳の誕生日に我儘ラキアのライブに行った話

COVID-19が音楽業界に与えた影響は計りしれず、日本でも毎年数多く開催される音楽フェスの開催中止を皮切りに、各地のライブハウスの閉店のニュースや海外のバンドを専門とする洋楽系プロモーターの経営難など、今まさにリアルタイムで「ライブ文化」というのが失われつつある時代を前に、たかだか一音楽好きに過ぎない自分ができる事ってなんだろう?と自問自答する、そんな歯痒さと無力さに苛まれる日々が過ぎ去り、約一年の月日が経過した。自分自身、ここ10年は一年に一回は必ずライブハウスに足を運んでいた気がするけど、未知のウイルスであるCOVID-19が世界中で猛威を奮い始めた2020年は初めて一度もライブに行かない(行けない)年となった。

現時点で、最後に観たライブが2019年の11月に開催されたBMTHの大阪公演で、そのBMTHのライブからダイレクトに直結する完全究極体伏線回収の一環とばかりに、BMTHの為に加入したクリマンAAA会員を利用してBMTHのオリィがリスペクトするビリー・アイリッシュの単独来日公演のチケットに運よく当選したものの、ご存知のとおりビリー・アイリッシュのみならず2020年以降に来日公演を予定していた海外アーティストのライブはほぼ全て延期、または中止となってしまった。まさかこんな形で数年前から継続していた“伏線”が断ち切られるなんて思ってもみなかった。こうなってくるともう開き直るしかないというか、例えばこのまま一生ライブに行けなくなったとしても、人生最後に観たライブがBMTH(しかも最前)という最高の思い出のままでいられるわけだから、むしろそっちの方が好都合だっりするわけ。要は、COVID-19が収束するまでは無理してライブに行く必要ないと。だってそうじゃない、最後に観たライブ=BMTH(最前)の伏線を回収するためには、徐倫のコスプレイヤーでもあるビリー・アイリッシュのライブの他になかったわけで、それが中止になったらもうビリー・アイリッシュと対等に渡り合える伏線なんかこの世に存在しないだろうと、完全に諦めかけたその時・・・私ねぇ、奴らと出会っちゃった。

コロナ禍の世界をテーマに、昨年末にリリースされたBMTHの最新EP『ポストヒューマン』から、同じく昨年末に開催された有馬記念で穴馬として突っ込んできたオレンジ帽のサラキア、まるでその全てが「オレンジの亡霊」に導かれるようにして、2021年明け早々に自称“オレンジの人”こと川崎怜奈が所属する次世代アイドルグループ=我儘(サ)ラキアと引かれ合い、そして昨年末にリリースされた最新EP『WAGAMAMARAKIA』をリピートしている真っ只中に、BMTHのオリヴァー・サイクスが我儘ラキアのメインボーカルを務める“緑髪の女”こと星熊南巫のインスタをフォローする現場をリアルタイムで目撃してしまう、そんなビリー・アイリッシュとも対等にやり合える唯一にして今世紀最大の「引力」が発生してしまった。要するに、オリィがインスタでフォローしているビリー・アイリッシュやアシュニコをはじめ、そうそうたるメンツの中にラキアの星熊が名を連ねているという、ちょっとよくわからないような出来事が起こったのだ。なんだろう、COVID-19という想定外の存在により「2020年にビリー・アイリッシュのライブを観る」という完全究極体伏線回収業者への道が絶たれたかと思ったら、その代わりに別の世界線から別の伏線が目の前に現れたような感覚?これはもうライブに行くしかないと。でもちょっと待てよと。確かに、それだけの猛烈な「引力」が発生しているのは事実だけど、率直な疑問として果たしてそれはビリー・アイリッシュレベルの伏線なのか?と、また2月は特に仕事の納期が早いのに残業放棄してまで行くほどの価値が本当にあるのか?と。で、近場でライブがある日を検索したら【2月24日】という、まさかの自分の33歳のゾロ目誕生日の日にライブがあって、その瞬間もう完全に「引力」だろこれ・・・と、僕は納期カツカツにも関わらず残業を放棄して定時上がりでガチる事を決意した。逆に誕生日じゃなかったら行ってなかったというか、冷静に考えて33歳の誕生日に地下ドルのライブに行く男ってめちゃくちゃ気持ち悪くないですか?

もはや「シン・薩英同盟」が締結された命により行くしか選択枠はないに等しかった。いわゆる「パーソナル・ショッパー(買い物代行)」ならぬ「パーソナル・ライバー(ライブ代行)」として、それこそ保護者会じゃないけど、例えるなら旦那のオリィがイギリスから渡航不可能だから代わりに666代目薩摩藩主を代表して日本の俺ィがライブを観に行ってる→「どうも、“オレンジの人”の親どす///」みたいなノリでw

そんなオレンジの亡霊を起因とする猛烈な「引力」に引き寄せられた結果、自分自身ほぼ1年ぶりのライブ、アイドルに限定すると数億年ぶりかもしれないライブに行く事となった。本来なら「何もかもが懐かしい・・・」と感傷に浸るべきところだが、想像したとおりコロナ禍におけるライブを取り巻く環境は一変した。入場時はマスク着用は元より、入場前の検温や除菌対策、チケットも紙ではなくデジタルチケットオンリー、そしてフロアに入ると人と人の距離(ソーシャル・ディスタンス)を保つための対策が敷かれている。このリアルな現状を前にして僕は「おぉ...これがスーパー(ゴールデン)シティ...もとい新生活様式ライブか・・・」と深く噛み締めた。しかし、ひとえに「ライブ」と釘打ってみても、本日の公演は我儘ラキアが所属する事務所=QOOLONG所属のアイドルNightOwlとのツーマン形式の『HOME PARADE』で、我儘ラキアの単独公演というよりはイベントに近いライブだった。

初めに登場したのは5人組のNightOwl。まずNightOwl(夜梟)っていう名前がいいね、名前が。つまり『白梟』のDeftonesリスペクトって事だよね?え、違うの?みたいな冗談はさて置き、その夜梟が登場して1発目にやった曲が我儘ラキアの1stアルバム『StartingOver』でも聞き覚えのある“Precious Time”で驚いた。イマイチ相互関係がよくわかってないからアレだけど、ラキアもラキアでMIRI加入前の曲やアルバムがあったり、ラキアもラキアで路線変更してるっぽいっちゃしてるっぽいので、どうやらその辺の兼ね合いもあるのかもしれない。(MCの話によると)つい最近新メンバーが2人増えて5人組として生まれ変わった新生夜梟のタイプ的には、まず音楽性は原曲よりもテンポアップした“Precious Time”からもわかるように、曲を知らなくてもノレるEDM周辺のダイナミックでエネルギッシュなサウンドを特徴としており、ひたむきでガムシャラな感じはいかにもアイドルって感じで、少しだけ初期のBiSを思い出させなくもなかった。中でも真っピンクヘアーの子のダンスがキレキレで、自然と目で追ってしまった。赤髪のメインボーカルも、何か特徴的な武器と呼べるものがあるともっと良くなりそう。少なくとも、ラキア目当てで来た人にもグループごと推し変させるだけのポテンシャルは十二分に備えているし、むしろ5人組になったこれからが面白くなる存在だと思う。その辺はラキアとの差別化という点でも事務所の力量が問われるところ。約30分間のパフォーマンスで、ある意味では2019年のBMTHの最前ライブから約1年ぶりに観たライブがラキアではなく前座扱いのNightOwlだったオチはちょっと面白い。

約5分くらいの間があって、ついに本丸である我儘ラキアが登場。主にディスコイベントでも使用されるこのライブハウス(名古屋ReNY Limited)特有の天井にあるミラーボールが音の振動でガタガタ揺れるぐらいにはバキバキに鳴らすEDM調のSEを引き連れて、一足先に“オレンジの人”こと川崎玲奈と凛ちゃんとMIRIの3人が登場し、キレのあるダンスを披露。満を辞してメインボーカルの星熊が登場すると開口一番にこう言った→→→

我儘ラキアはじめます

その一言を聞いた瞬間、僕は「オイオイオイオイオイ、ちょいちょいちょいちょいちょい、待て待て待て待て」と心の中で場を制した。何を隠そう、ステージに登場した星熊が開口一番に放ったその言葉を耳にしてフラッシュバックした景色こそ、今や電通の広告塔に成り下がった某ガールズバンドの某メイドに他ならなくて、実は某メイドもまだ対バンしてた初期の頃はライブが始まる前にメインボーカルの彩姫が「お給仕はじめます」のセリフを言ってて、しかしそれもいつ頃から言わなくなった。いま思えば、その「お給仕はじめます」を言わなくなったタイミングが某メイドの終わりの始まりだったんだなって。この他にも某メイドと我儘ラキアの偶然の一致みたいなのがあって、ラキアは今年の2月初めに名古屋の『でらロックフェスティバル』に出演した際、ラキアが出演するタイムテーブルの一つ前の演者がENTHという、それこそ自分が数年前に豊橋のライブハウスまで某メイドを初めて観に行った時の対バンイベントで、某メイドの前に演ったバンドがENTHだったのは果たして偶然だろうか・・・?その対バンイベントで初めて某メイドに行って「お給仕はじめます」を生で聞いた僕が、今このタイミングで我儘ラキアのライブで「我儘ラキアはじめます」を生で聞いているのは果たして本当に偶然だろうか・・・?

そんな『白梟』大好きな都市伝説じみた話はさて置き、星熊が「我儘ラキアはじめます」に次いで一発目に最新EPから“New World”を披露。この曲でも大活躍するラップ担当のMIRIによるパッキパキのラップは元より、他の曲でも思ったのは、こう見えてMIRIってラップだけじゃなくダンスもこなせるし、意外と普通に歌うパートも多くて、かなりのオールラウンダーなタイプ、多才なアイドルだってことに驚いたというか、まだまだ全然底を見せてない感じがした。ライブを観る前は“星熊第一主義”のグループみたいな偏見というかイメージがあったから、実際にライブを観たらそのイメージが根底から覆された。むしろ“MIRI第一主義”のグループなんじゃねぇかと錯覚するくらい、とにかくMIRIの主人公補正っぷりにいい意味で驚かされたのが本公演の最初にして最大のファーストインプレッション。このグループにおけるMIRIの存在感、その計り知れない大きさをマジマジと思い知らされた気分というか、これ何も知らない不特定多数にラキアのライブ観せたら全員MIRI推しになるんじゃねぇかぐらいには存在感が抜けてる。あとMIRIといえば、てっきりゴリゴリの東京出身かと思ってたら静岡に実家があるっぽくて、個人的な話だけど高校時代のチームメイトに静岡出身の子がおって語尾に「〜だらぁ」とか「〜だるら」みたいなゴリゴリの静岡弁?喋ってたの思い出した。もしやMIRIの巻き舌ラップは静岡弁がルーツ説あるw

やはり実際のライブじゃなきゃわからない事って少なくない。もちろん音源を聞くだけなら聴覚さえ機能してればいいんだけど、しかし生のライブとなると聴覚の他に視覚が大活躍するのを改めて思い知った(アイドルに限っては視覚メインみたいな)。この話は、ラキアが今では当たり前となった配信ライブを一切しないグループ、その理由にも繋がってくる話で、アイドルといえばその魅力的なダンスパフォーマンスも見どころの一つで、唯一ダンスだけは聴覚ではなく視覚を必要とする。何を隠そう、“オレンジの人”こと川崎玲奈のダンスを目にしたら、「イギリスのオリィの代わりにオレンジ子の保護者としてライブに来た」←その本来の設定・目的を忘れるくらいには、メンバーの中で一人だけダンスの質が違って笑った。一人だけダンスのルーツがヒップホップ・ダンスにあるみたいな(適当)。正直ナメてた所もあって、ライブ以前にこのグループって星熊の歌とMIRIのラップを売りにしているだけで、他のダンスとかは結構適当なんだろうなwって。しかし蓋を開けてみると「ちょっと待って、オレンジ子のダンスガチじゃん・・・ダンスガチなやつじゃん・・・動きが完全にダンス知ってる人のソレですやん・・・」と。

ここで思ったのは、自称「日本一かっこいいアイドル」を司るものこそ(自称すんのはダサいけど)、ラキアの「カッコよさ」その真髄こそが川崎玲奈のダンスなんじゃねぇかって。しかもそのカッコ良さ、その真価が発揮されるのが「ライブ」というリアルタイムにライブハウスに足を運んで、実際に自分の目と耳で体験する事で初めてわかる「カッコ良さ」に直結してるんじゃねぇかって。またラキアが配信ライブをしない理由とか、その辺の意図というか個人的な考察その全てに合点がいった時は、あまりにエモすぎて保護者代理なのに涙が出そうだった。「ラキアの“真のエモさ”を背負ってるオレンジ子ったら凄いわ・・・アンタ(オリィ)にも観せてあげたいわ(泣)」と。あとアイドル担当の凛ちゃんは踊れんやろうと思ったら地味に踊れてるの、まさにギャップ萌えって感じだし、数あるアイドルの中でも凛ちゃんの歌声はレア度高い気がするのでもっと歌割り増やすべき。そういえば冒頭のSEでラッパーのMIRIもダンサーの一人として踊ってたのはなんか良いなって、なんか。

星熊の歌とミリのラップを軸に聴覚で楽しませる部分と、オレンジ子のダンスを軸に視覚的に魅せる部分、4人それぞれの「個」が究極的なバランスで成り立ち、一つの曲の中で多角的な表情を魅せるメリハリのあるライブパフォーマンスは相当な見応えがあった。この世界情勢を踏まえたら尚更、心技体のモチベーションを維持するのが大変なこのご時世に、一瞬だけでもそんな地獄のような現実を忘れさせてくれるような、これだけのパフォーマンスを魅せられたら惚れない男はいないです。もちろん、男女関係における「惚れる」の意味ではなくて、性別(ジェンダー)関係なしに人としてリスペクトするという意味で「惚れる」わ。そう考えただけでエモい、ただただエモい。この圧倒的不利な状況を逆境という名の「エモさ」にブチ上げるラキアは、既に並のアイドルではないことを物語っている。だからこそ、今のラキアは実際にライブハウスに足を運んで生でライブを観た方がいいです。むしろ、あえてコロナ禍の今だからこそ観るべき魅力が今のラキアにはあります。もちろん、ライブハウスの存続という意味でも、事実ライブハウス側もこれ以上対策しようがないぐらい対策しているので(演者側は常にそのリスクを背負っている)、決して無理にとは言わんけど、今のラキアは今だからこそ一度は観ておいた方がいいと思うよ(←誕生日じゃなかったら行ってなかったとか言ってなかったか)。瞬く間に箱デカくなっていくと思うから。

ほぼMCなしで約30分ぶっ続けで(最新EPからは“New World”と“SURVIVE”と“Ambivalent”)、しかも生バンドじゃない状態でこの満足度は相当コスパ高いと思う(代表曲の“Melody”は流石にアガった)。改めて、我儘ラキアは「生のライブ」でこそ「日本一カッコいいアイドル」としての真価を発揮するグループだと、楽曲的な面でもパフォーマンス的な面でも素直に「ライブ映えハンパない...」と感服しつつも、心の奥底では「今はまだ過小評価しとけ」と忠告するもう一人の自分がいるのも事実。グループ全体、中でもメインボーカルの星熊に至ってはメンバーの中で最も過小評価しているので、この日の星熊の歌についての感想は特にNothing(何もない)です。今年一杯はラキアの事を「所詮は地下ドル」と「過小評価」するつもりなので、あえて好き勝手書かせてもらうんですけど、いくらオリィにインスタフォローされているからといって、いくらLiSAにツイッターフォローされているからといって(フォローというよりは決闘の申し込みにしか見えなくて笑う)、何かが特別に凄いというわけでもないので、何度も言ってるけど現状「過小評価」した状態では星熊の歌に関する感想は特にないです(←星熊にだけ異常に厳しい保護者)。

改めて約1年ぶりのライブ、後方から観ていたにも関わらず終演後に耳ピーン鳴るくらいには音源バッキバキに喰らったわ。あと前半の夜梟も含めて(推すならピンクちゃんかな)、やっぱり「可愛いは正義」だなって。保護者代行で行ったつもりなのに、美しいオレンジヘアーのオレンジ子にガチ恋して(見た目ゴリゴリのギャルなのも最高)、今はもうオレンジの亡霊に取り憑かれた人みたいになってる。もはや毎週残業放棄して毎週ホムパ行きたい気分。あと素直に「ライブっていいな」ってこと。単純にアイドルが放つエネルギーって凄いなって(←ただのドルヲタ脳)。とは言えラキアに関しては、今はまだ「過小評価」すべき時期なので、「所詮は地下ドル」というバイアスをかけて上から目線で鑑賞するつもりが俄然「売れる」予感しかしなかったのも事実。ENTHの件といい、「~はじめます」の件といい、もはやデジャブかってくらい、ここまで全て数年前の某メイドと流れというか雰囲気が全く一緒なんですね。悔しいけど「こいつら売れる」感しかないのも。唯一の違いは「コロナ禍」というだけ。なんだろう、過去にタイムリープしたんじゃねぇかと、過去にタイムリープしたことで世界線がコロナの世界線に移動したみたいな。これもう『時をかける少女』ならぬ『時をかけるドルヲタ』じゃんw

(ドヤ顔で言いてぇ・・・今年いっぱいは「過小評価」するつもりなのに「こいつら売れる」ってドヤ顔で言いてぇ・・・こいつら売れてサマソニ出るって言いてぇ・・・けど、今はこいつらの為にならないから言えねぇ・・・)(冷静に考えて、昨年末から続く“オレンジサイン”からの33歳のゾロ目誕生日ライブって・・・いやいやいや、これでブレイクせんかったら逆に怖くね?逆に)

「BMTH最前」という最高の思い出のまま、2度とライブ行けなくてもいいと一時は思ったけど、唯一ラキアだけは「引力」的な意味でセーフらしいので、今年2021年はラキアにどれだけ貢げるかを目標にして、最低“月一ラキア”は目指したいですね(当然、遠征はしないルール)。既に今月のホムパも取れたし(残業放棄確定)、4月からは待ちに待った単独ツアーの開催が発表され(ファイナルは新木場)、もちろん自分は最速先行で当選したので、あの頃の某メイドがいた別の世界線に今のラキアがいると解釈したら(タイムリープ説)、4月のワンマンは実質最前レベルの神番が引けるはず・・・!このツアーだけは絶対に『TFB™️』製のワクチンぶち込んででも行くわ(中身はアストラゼネカw)。正直、今回のような対バン形式じゃなくて、ワンマンで現状どれだけやれんのか?っつー話だし、またバンドセットなのもあって俄然期待したいけど、しかし今はまだ「所詮は地下ドル」と「過小評価」しているので、過度な期待はしないでおきますw

Bring Me The Horizon LIVE IN OSAKA@Zepp Osaka Bayside

「BMTH売れた(売れんの早ぇ)」

なんだろう、この日のライブで神番引いて最前でシンガロングしまくった結果、喉風邪っぽくなって暫くブログの更新サボってたという言い訳はさて置き、9月に開催されたサマソニで久々の来日、そして約5年ぶりとなる単独ライブ=新木場公演からほんの2ヶ月でBMTHの身に色んな事があり過ぎて一体何から話せばいいのか、どこから書けばいいのか正直わからないけど、しかしその全ての“繋がり”の中心にいたのが小島秀夫監督の新作ゲーム『デス・ストランディング』であった事を、あの日の僕たちはまだ知らない。


まず今年の上半期にリリースされたBMTH『amo』って一体どんなアルバムだったのか?それをバンドのフロントマン=オリヴァー・サイクスの言葉を引用するとこれまでロックに興味がなかった人、ロックに飽きた人に届けたい、そんな意図した願いが込められたアルバムだった。まさに、そんなオリィの言葉を裏打ちするような出来事がこの2ヶ月の間に起こった。まず一つ目は、今年のIFAのソニー・カンファレンスで発表された新型スマホのXperia 5、その広告塔として大抜擢されたことだ。そのカンファレンス内で使用された宣伝映像こそ、後にBMTHが出演するXperia 5のCMの一部分を切り取ったものだった。これ何が凄いって、(あの宣伝映像がガチのCMだった話は元より)あくまで“海外向け”のCMだろうと思いきや、どうやら日本でもTVCMとしてガッツリ地上波で放映されるのと、一足先にIFAで映像を見た時も衣装のカッコ良さとは別に妙な違和感みたいなものを感じたんだけど、いま思えばその違和感って全身顔までタトゥーだらけのオリィのタトゥーを隠すための長袖の衣装と特殊メイクだと気づいた時は爆笑した(メイクさんの技量に感無量)。つまり、未だにタトゥーに偏見のある日本でCMを打つ為に、わざわざ全身タトゥーのBMTHメンバーにタトゥー隠しの衣装とメイクを施してまで、(それ以前に炎上芸人としても)そのリスキーな側面と今や日本では“洋楽”が死んだ時代=誰も知らないイギリスの無名バンドをCMとして(洋楽の音源起用自体は珍しくないけど本人=バンド登場は近年では異例)、それこそ死語となった“洋楽”として起用するソニーという企業の肝っ玉のデカさ、金玉のヘヴィさに脱帽せざるを得なかった(ここまで来たらXperiaに乗り換えるまである)(もうファッキソ・ソニーなんて言えねぇ・・・)。実際に11月のCM放映開始からYouTubeの広告では頻繁に目にしたけど、個人的にあんましテレビ見ないのもあってなかなかテレビCMで見ないな〜って諦めかけたその時、まるで“日本の俺ィ”をピンポイントで狙い撃ちしたかのように『月曜から夜更かし』『孤独のグルメ』の番組前にこのCMが流れて「おぉ〜」ってなった、「おぉ〜〜」って。しっかし、このBTMHがまさか「CMの人」と化すなんて『amo』が出た時点では誰一人として想像してなかったはず(このCM、地味にパワープレイされてるっぽいし)。

そして二つ目の衝撃。実は『メタルギア』シリーズでお馴染みの小島秀夫監督BMTHにはちょっとした「繋がり」があって、というのもBMTHの過去の曲に“Shadow Mosses”という小島監督の代表作である『メタルギア』の舞台となるシャドーモセス島からインスパイアされた楽曲およびMVがある。そして9月の新木場ライブ後に突如発表された、小島監督の新作ゲーム『デス・ストランディング』への楽曲提供、その名も“ルーデンス”。いま思えば、9月の来日の際に彼らBMTH一行が真っ先に向かった先が“ソニーの裏CEO”である小島監督率いるコジマプロダクションだったのは、後に発表される“Xperiaの広告塔”=“ソニーの広告塔”として、この『デス・ストランディング』の楽曲提供その伏線、そしてコジプロのマスコットキャラである“ルーデンス”とのズッ友写真を撮ることが真の目的だったんだなって。そら今後の展開を考えれば誰よりも先に秀夫に会いに行くよな(誰だってそうする、俺だってそうする)。

しかし9月の新木場単独公演の際、個人的な諸事情により前座のHYDEで本気出しすぎて人生初のフロアから途中退出をカマしてからというもの、BMTHの音楽が“2019年度BESTアルバム”から“トラウマの音楽”に変わってしまった。そのトラウマのライブ以降、それこそ久々にBMTHの曲を聴く事となったのが『デス・ストランディング』のゲーム内にあるプライベートルーム(休憩所みたいな所)のミュージック・プレイヤーで聴ける提供曲の“ルーデンス”に他ならなかった。



小島秀夫監督の新作ゲーム『デス・ストランディング』に提供されたこの曲、実は海外では売れっ子のBMTHが納期カツカツの状態でツアーの合間を縫って宅録ならぬホテ録したDIYソングで、その曲調としては『amo』の延長線上にある、それこそ『amo』でもコラボしたグライムス的なインダストリアル・ポップ風のサウンドから、そしてGive me a breakを合図に(ある種、“Shadow Mosess”への回答としての)ベッタベタなブレイクダウン。この手のベタな落とし方はBMTHにとってはお手の物過ぎて、たった数日でホテ録した手抜き曲もといMVの赤ちゃん=BBOK可愛い。

この『デス・ストランディング』を演出/構成する一つの重要なファクターとして“音楽”があるのは間違いなくて、『デススト』のインスパイアアルバムには世界的なDJのアラン・ウォーカーやR&B界の新星カリードをはじめ、その他豪華コラボアーティストの中にBMTHチャーチズも参加している。しかし、実際にこのゲームをプレイしていくと主にメインのゲームプレイに使われている音楽は、Low Roarというアイスランドを拠点とするアーティストで、実はこの名前とこの音楽どっかで見たこと聴いたことあるなって。ふと思い出した、この手のアコースティックなフォークソングっぽい世界観・・・確かスティーヴン・ウィルソンが過去にSpotifyの“プレイリスト”に入れてた奴だ!だからどっかで聴いたことあったんだ!って(勘違いだったらゴメン)。この時点で俺ィが以前から唱えている「スティーヴン・ウィルソン=小島秀夫説」に直通する決定的な証拠で、もうこれ以上の事を話す必要ないウルトラスーパートンデモ伏線回収案件なんですけど、そもそも日本のSILENT POETSをはじめ、この手のアコースティック〜フォーク〜トリップ・ホップな音楽自体がSWの大好物だからね。

つまり、これまでの話は全て“日本の俺ィ”『amo』のレビューに書いた事が全ての“伏線”として繋がっていると言っても過言じゃあない。引き続き“プレイリスト”に関する話をすると、『デス・ストランディング』のゲーム内のプライベートルームにあるミュージック・プレイヤーの(プレイ序盤から聴ける)プレイリストの最後から2番目にBMTH“ルーデンス”が収録されている。そして、そのプレイリストの最後に選曲されているのが他ならぬ星野源“Pop Virus”で、実は俺ィが書いた『amo』のレビューでも星野源の名前を出してて、奇しくもBMTH星野源がゲーム内のプレイリストで直に繋がったというか、(自慢じゃないけど)今年の3月の時点で星野源BMTHが繋がる未来を予言してたのって恐らく世界でも俺ィただ一人だけだと思う(その時点ではまだ星野源の曲がデスストに使われるという話はなかったと思う)(たぶん)。勿論、『amo』のレビューに星野源の名前を出したのは半ば意図的で、そもそも『amo』自体がJ-POPやK-POPにも精通する、と同時にSW『To the Bone』に匹敵する“ポップスの再定義”を図った作品で、そう言った意味では『デス・ストランディング』=『To the Bone』『amo』と断言していいかもしれない。つまり『amo』の中にあるJ-POP代表が星野源ならば、『amo』の中にあるK-POP代表としてレビューにも名前を出したのがBTSに他ならない。端的に言って『amo』ってBTSのアルバム『LOVE YOURSELF』とダイレクトに韻踏めちゃうアルバムだと思ってて、ちょっと面白いのはBTSも過去にスマホ(LG)のCMに起用されてる所も「繋がり」がある。

ところで、オリィがツイッターで動画のリンクとともに「BTS」ってつぶやいてて、遂に「繋がった・・・」と思ったら「(B)ehind (T)he (S)cenes(舞台裏)」の略でワロタ・・・と諦めかけたその時、つい先日BMTHがサプライズリリースしたEP(言うなれば『amo』をトラップやらチルい打ち込みやらハンス・ジマーばりのSF映画『インターステラー』のサントラ仕様に再構築(リミックス)した作品)の中で、BTSともコラボしたホールジーとのコラボ曲があってガチで「繋がった・・・」ってなった。もはやメタル界のBTSBMTHなんですね。

まだクリアしてないのに(映画『新聞記者』松坂桃李くんすでらクリアしてるのに)結論云々言い出すのは本当にナンだけど(でも終盤も終盤)、それら俺ィが書いた『amo』のレビューにある数々の“伏線”を一つに繋げていった結果、最終的にWelcome to My 俺の感性=『デス・ストランディング』説に行き着いた(えっ)。まず、この『デススト』は一体どんなゲームかって、一言で言うと「アメリカを繋ぎ直す」という、荒廃したアメリカを点と点でネットワーク(カイラル通信)で一つに繋いでいく物語だ(それでもザックリした曖昧な感じは否めない)。まず小島秀夫監督は今作に対して「繋がり」以外にも「メタファー」「ネット時代」という言葉をキーワードに挙げていて、その「メタファー」「ネット時代」という言葉を介して当ブログ=Welcome to My 俺の感性を紐解いていくと、その“答え”は想像した以上にシンプルかもしれない。

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主人公は“伝説の配達人”ことサム・ポーター・ブリッジズ扮する某ゾンビドラマでもお馴染みのノーマン・リーダスで、近年を代表するSF映画の『メッセージ』『オデッセイ』あるいは『インターステラー』を連想させる(某『P.T.』でも垣間見せたホラー要素が散りばめられた)世界観を背景に荷物(メッセージ)を運ぶ配達人(メッセンジャー)としての言わば「孤独の配達人」、その主人公サムが肌離さず胸に抱えているのがBMTHのMVにも登場する“へその緒(臍帯)がまだ繋がったままの胎児”=BB(ブリッジベイビー)だ。この“まだへその緒が繋がったままの胎児”を見た時に真っ先に思い出したのが、他ならぬSW『To the Bone』のアートワーク、言うなれば「胎盤の中で眠るまだケツの青い胎児」に扮するSWだ。そのアートワークが一体何を意味しているのか?SWにとって一体何の「メタファー」なのか?それこそ、これまでプログレというニッチなジャンルの中で生きてきたSWは、2017年作の5thソロアルバム『To the Bone』を機に大手メジャーのユニバーサル・ミュージック傘下の(デンゼル・カリーと同じ)レーベルに移籍して、つまり一から新しく生まれ変わった全く新しいSW、そのメタファーを象ったかのようなアートワークだった。

ところで俺ィが書いた『To the Bone』レビューには、要約すると『To the Bone』におけるスティーヴン・ウィルソンは『君の名は。』における新海誠と全く同じ状態であると記していて、つまり『君の名は。』における新海誠『To the Bone』におけるSW全く同じ状態にいるのが、コナミを退社してソニー傘下に入って制作された『デス・ストランディング』における小島秀夫監督と言えるんじゃあないかって。ちょっとした違いを言うなら、小島監督『デススト』の事をいわゆるAAAタイトルではなくて流行りの「インディゲーム」と呼んでいる点。例えば『メタルギア』シリーズや『ホライゾン』などのAAAタイトルとインディゲームの中間に位置する、言うなれば「マイナーメジャー」の立ち位置にいる点。もっとも面白いのは、実は『君の名は。』にも『メタルギア』関連の小ネタが仕込まれていて、その『君の名は。』におる新海誠への小島監督からの回答として、この『デススト』にはお馴染みの“クレーター”新海誠作品の象徴とも呼べる“(時)雨”が物語の重要なファクターとして登場する(なお、自分は未だに新作の『天気の子』は観てない模様)(その理由は2作連続で同じアーティストを起用するタブーを犯した新海誠の音楽センスに絶望したから)。

また主人公のサム『悪夢』避けの御守りでも知られる装飾である「ドリームキャッチャー」を身につけている。当ブログWelcome to My 俺の感性における「ドリームキャッチャー」と言えば、勿論あの「ドリームキャッチャー」と共振する要素だ。ちょっと繋がったのは、『デススト』のインスパイアアルバムにも参加しているアラン・ウォーカーの名曲“Faded”のカバーをドリームキャッチャーの赤坂ブリッツのライブで観ていること。また「アメリカを繋ぎ直す」=「アメリカの記憶を繋ぎ直す」=「アメリカの歴史を繋ぎ直す」というザックリとしたゲームのコンセプトは、つい先日書いた“10年代最高の漫画”である『進撃の巨人』と共振させたTOOL『Fear Inoculum』のレビューを思い出した。

改めて、この『デススト』の主人公サムは分断されたアメリカを再編するために荷物を運ぶ運び屋である。極端な話、そのゲーム性としては単純明快「荷物を運ぶ」ただそれだけ。普通のゲームなら、いわゆる“お使いゲー”と揶揄されるゲーム性だ。しかし、この『デススト』“普通のゲーム”じゃない。その単純なゲーム性も何かしらの「メタファー」がある。例えば、重い荷物を左右に振られながら「道無き道」を自らの手と足で掻き分けていく姿は、まさに「人生」という名の道悪を、時に大きな岩につまずいたり、時に高い山から転げ落ちたり(挫折)、時に大きな壁にぶち当たったり、その「人生」という険しい山道をどんなに辛くとも、どんなに挫けそうになっても一方通行の『時』に流れに身を任せながら、そして『時』とともに「未来」へと成長/発展してきた「地球」と「人類」そのもの、つまりこれは今を生きる人の「人生そのもの」のメタファーである。オーバーグラウンドだのアンダーグラウンドだの普遍性だのと語るそれ以前に、「人」として生まれ産声をあげた瞬間から始まる「人生」の物語だ。確かに、それはほんの一部分に過ぎないかもしれないけど、どこかしら何かしらの部分で自分の人生と繋がっている事がわかるはず。だからアメリカを舞台にしているから世界観に入り込めないなんてことは絶対にない。それは実際にプレイしてみればわかるはず。でもそれは実際に自分の手でプレイしてみないと分からない事でもある。わかりやすく言えば、今流行りの「これは僕/私の物語だ」案件と言ったらわかりやすいかもしれない。主人公サムの背中に山ほど積み重なった荷物はまさに人生経験の積み重ね(RPGで言うところの経験値)、そのメタファーであり、たった一度の「過ち」によって人生の荷物という名の「経験」「信頼」あるいは「繋がり」を失っても、また一からその荷物という名の「人生」のカケラを拾い集めて、それでも生きていく、それでも前に進んでいく「山あり谷ありの人生」そのもの。こう言ったらアレだけど、これほどまでにマーシーやエリカ様、(何故か大昔のヒデラジにも出たことのある)小向美奈子やえつみんにプレイしてほしいゲームは他にないし、この4人が大晦日に集まって「デスストクリアするまで帰れま10」放送したら紅白の視聴率超えると思うw

もう一つのキーワードである「ネット時代」も一味違った形でゲーム性として現れている。いわゆる協力/対人マルチゲーのように“向こう側”にいる人がアバター(仮の姿)として一緒に協力したりゲーム内のメッセージ機能やボイチャを介してほぼリアルに近い形でコミュニケーションを取るようなゲームとは違って、確かに“向こう側”にいるけど顔も姿形もないプレイヤー(マスクマン)の“目に見えない優しさ”がゲームを進めていくうちに徐々に“目に見える優しさ”へと変わっていく、それはまるで辛い人生でも決して独りじゃないと、姿形のない全くの他人から施される「無償の愛」が輝かしい未来を照らし出し、さっきまでの道無き道が黄金の道」となって目の前に現れる。無論、誰一人として一卵性双生児とて全く同じ「人生」を歩むわけではない。自分の「人生」に大きく関わる人がいる反面、全く関わらない人もいる。しかし自分=サムが歩んできた「人生」という名の「道」と、“向こう側”にいる他のプレイヤー=サムが歩んだ「人生」という名の「道」が無数にすれ違うことで生まれる「十字路」、つまり人と人が、種と種が交わる「出会いの交差点」、それこそが「壁」のない「国境なき道」なんだよね。その「十字路」をキリスト教における「十字架」のメタファーとして解釈すると、この『デススト』の思想的な背景にはキリスト教における「無償の愛」「自己犠牲の精神」が根付いていることがわかる。

キリスト教および旧約聖書をモチーフにした日本の創作品は沢山あって、例によって代表されるのがカルト的な人気を誇る『エヴァンゲリオン』だ。実は、この『デス・ストランディング』には一部『エヴァ』からインスパイアされたであろうビジュアルが採用されている(特に遺体の描写)。他には荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』飛呂彦が学生時代にいわゆるキリスト系列の学校に通っていた影響もあって、必然的に海外の宗教絵画からの画風的な影響や思想的な面でもキリスト教からインスパイアされた、それこそキリスト教における「自己犠牲の精神」に対する飛呂彦なりの解釈が作中に反映されている。この『デススト』は、小島秀夫なりの宗教観や生死観および考古学的な進化論すらメタ的に描き出しているのも注目すべき点だ。ここで誤解して欲しくないのは、小島監督はクリスチャンではないし(←ここ重要)、同じく荒木飛呂彦もクリスチャンではない所(←ここも重要)。とにかく、その壮大なSFに見せかけた世界観をミスリードにして、実は誰もが経験する「人生」のメタファーだと理解した時は、「な、なんてエモーショナルなんだ・・・!」と目頭が熱くなった。そして圧倒的な「人間愛」および「隣人愛」に満ち溢れたゲームであると、これはもはや“ゲーム”という概念を超えたある種の“文学”だ。この“文学”をゲームというツールを介してプレイしていること自体が「真のSF」だって。だから「全く新しい革新的なゲーム体験」という各ゲーム業界の評価は妥当で、知れば知るほど、理解すれば理解するほど「これは凄い...」という言葉しか出てこない。

ここからは更に“日本の俺ィ”らしく少しヒネくれたというか偏った目線で『デススト』を考察してみる。まず、このゲームにはギミックとして“虹”が出てくるのだけど、その“虹”が弧を描く通常の虹ではなく“逆さ”の状態で登場する意味について。実際にゲームをプレイしてて思ったのは、“逆さの虹”ってことは“向こう側”にいる人には本来の”正しい虹”に見えているわけだよなって。この手の“多元宇宙論”的な解釈でフラッシュバックしたのがブリット・マーリング主演の映画『アナザー・プラネット』。この映画は、ある日突然「もう一つの地球」が現れるという知る人ぞ知るSF映画の名作で、つまり“向こう側の地球”にいる“自分”からすれば同じく“向こう側の地球”というわけだ。ここで話は変わるけど、新海誠『君の名は。』って「否定と肯定」の世界、つまり「真実と偽りの世界」の二面性、その対比だと思ってて、つまりこの『デス・ストランディング』の裏テーマってやっぱりSW『To the Bone』と全く同じ(2016年の米大統領選にまつわるフェイクニュースの台頭を起因とする)ポスト・トゥルース時代における「真実の物語」なんじゃねえかって。“虹”が何を象徴するかってシンプルに考えたら、差別や偏見のない“虹色の世界=Wonderland”に他ならない。しかし『デススト』で描かれている虹は「逆さの虹」、この「偽りの虹」は不吉な出来事が起こる予兆あるいは前触れでしかなくて、つまり自分が見ている世界と“向こう側の人たち”が見ている世界、どちらが「真実」でどちらが「偽り」の世界なのかを問う、ある種のサスペンス/ミステリー小説ばりの裏テーマが仕込まれているんじゃあないかって。

「ネット時代」におけるインターネットって良い面もあれば、もちろん悪い面もある。とある国では、ネット上の心無い誹謗中傷により芸能人やアイドルが自殺に追い込まれるケースが後をたたないでいる。もっとも「地獄」なのは、一向にその風潮が改善される兆しが微塵も感じられないこと。そんな「地獄」のようなネット時代に小島秀夫監督は、「ネット時代における悪しき風潮」をどのようにして表現して見せたのか。この『デス・ストランディング』には、わかりやすく言えば敵として目に見えないBTなる地獄の住人がいる。彼らはゲームの中ではサムを地獄の沼に引き摺り込もうとするので、そのBTに捕まらないようにプレイヤーはうまくサムを操作する必要がある。小島監督は、「ネット時代における悪しき風潮」としてSNSをはじめネットで誹謗中傷を繰り返す顔の見えないダークウェブに棲む匿名の住人(アノニマス)、そのメタファーとしての役割を担っているのがBTなんじゃないかって。また、『Death Stranding』の頭文字を略すと「DS」、その「DS」といえばアメリカのネット界には「ディープステート(Deep State)」なる呼称で呼ばれた、一説にはトランプ大統領に敵対する「国家の中の国家」を自称する闇の集団が存在するらしい。確かに、小島秀夫監督とあろう世界的なクリエイターがこの『デス・ストランディング』を制作するに当たって、「アメリカ」を舞台に「ネット時代」「メタファー」として、あくまでも一説によると“DS=ディープステート”という「闇の政府」を自称する集団がアメリカを代表するトランプ大統領を失脚させようとしている(詳しくはユーチューバーのオナキンマンもといナオキマンの動画でw)、そんな格好のネタをオカルト/ホラー好きの小島秀夫が自身のゲームに取り込まないわけがない。例えば『メタルギア』シリーズで言うところの“愛国者たち”に近い何か。とは言え、これらの見解はWelcome to My 俺の感性を介したあくまで一個人の一方的な解釈でしかないので無視してくれていいです(ハッ、もしや“俺感”はダークウェブだった・・・?)。

話を元に戻して、BMTHのライブについて。この日はあいにくの雨模様、大阪公演の会場=ゼップベイサイドの最寄り駅で降りた自分は「時雨かな?」とか思いながらパーカーのフードをシュインと被る姿は、まるでリアル・サム・ポーター・ブリッジズ。個人的な諸事情により人生初の途中退場をカマした9月の新木場単独公演の“リベンジ”としての大阪単独ライブ、人生初の神番を引いて最前で(世界初披露となる)一曲目の“ルーデンス”を聴くという、つまり“イギリスのオリィ”“日本の俺ィ”の邂逅が実現するという、これがホントの神展開。それこそ「ジャンヌダルク解散」という「人生の逆ピーク」を踏み台にして「人生のピーク」という最後の伏線を自らの手で掴み取るという、まさに「地獄」から「天国」へと急転直上。しかし面白いのは、2015年に行われたana_themaの奇跡の来日公演で「人生のピーク」を更新すると、今度は2018年に行われたスティーヴン・ウィルソンの奇跡の来日公演で「人生のピーク」を更新、そして今回のBMTHのライブで約一年ぶりに「人生のピーク」を更新するという完全究極体伏線回収。その「人生のピーク」を更新したライブが全てイギリスのバンドで、イギリスのバンドらしくライブ当日は全て時雨模様だったのは偶然にしては出来過ぎて笑う。もっとも面白いのは、2015年のana_themaのライブ日とほぼ同日にリリースされたのが、他ならぬ小島秀夫監督『メタルギア』シリーズの遺作となった『MGS5』で、その『メタルギア』シリーズでもお馴染みの声優やゲーム業界の(コナミを退社したことで)一度途絶えた「繋がり」を、また一から繋ぎ直して完成させた新作の『デス・ストランディング』『MGS5』の(4年経った今でも現役バリバリの)同梱版PS4でプレイするエモさったらない(やっぱり『デススト』“俺感”は繋がってる)。急な自分語りだけど“日本のオリィ”小島監督作品との出会いは、コナミの看板ゲーム『パワプロ』のオマケで付いてきた『MGS1』の体験版で、そっからはPSPの『MPO』『MGSPW』をはじめ全ての『メタルギア』シリーズをプレイしてきたし、(厳密にはA HIDEO KOJIMA GAMEではない)PSPの『MPO』に至っては+版も買うぐらい、今は亡き謎のポータルサイトでコミュニティを作って仲間内で交流しながらオンライン対戦にハマったのを今でも鮮明に覚えている。もちろん今は亡きヒデラジもフルコンプするほど、中でも声優が出演する回に至っては最低5回以上は聴くほどのヘヴィリスナーだったから、改めて『デススト』で明夫スネークや某17才の声を耳にするだけで泣けた。だから『デススト』ってまさに小島秀夫という天才の「人生」その一部分、いや「人生そのもの」を切り取ったような、ある意味で「小島秀夫の記憶」を繋ぎ合わせる作品でもあるんじゃないかって。

また脱線した話を元に戻して、最前で観たBMTHのライブについて。そりゃもうシンガロングできるところは全てシンガロングしたよ(その結果、無事ノド風邪になった模様)。例えば、“Shadow Mosess”ではWe're going nowhere“Happy Song”ではO」「P」「P」「A」「I、Xperia 5に使用された“Medicine”ではYou need a taste of your own medicine~、某ダニ・フィルスがスクリーンに登場する“Wonderful Life”では「Lone, getting high on a Saturday night I’m on the edge of a knife~」とか全部シンガロングしたし、目の前にサマソニでも帯同していた謎のダンサーが目の前で白煙放射器ぶっ放す姿もシュール過ぎて笑ったけど、それ以上に今回のライブは“Antivist”の時にオリィに指名されてステージに上ってBMTHメンバーと共演した一般人のアツシが全部持ってたわ。しかし(LiSAと一緒にシンガロングできたことが唯一の思い出だった)9月の新木場公演と比べて今回の大阪公演の何が凄いって、新木場はHYDEが前座ってのもあって2秒でソールドアウトだったけど、大阪もそれなりのキャパなのに(前座なしのガチ単独で)わりと早い段階で事前ソールドアウトしたこと。いや、マジで9月の来日時に“厄払い”かなんかしたでしょ?としか思えない。どう考えても「売れる儀式」を成功させたとしか思えない・・・それが一体何なのかは知らんけど(いま思えば人生最高の神番も「売れる儀式」を成功させたご褒美だったのかも)(しかし2秒でクリマン3A会員の元取れたわ)。あと大阪会場はフロアに柵があったのでサーフはあったけど圧縮は少なくて助かったw

しかし、いくら前回の来日キャンセル分を取り戻すにしても、“Xperiaの広告塔”をはじめ『デススト』への楽曲提供、そして原宿にオリィのファッションブランド=DROP DEADをポップアップストアするまで、いくらなんでも度が過ぎるほどの日本贔屓という名の怒濤の日本マーケット戦略、その理由はもちろん複数あると思うのだけど、まずアルバム『amo』にゲスト参加しているグライムスは日本を含めたアジア圏の文化をリスペクトしているアーティストとして有名だけど、実はそのグライムス以上に近年のオリィが崇拝し傾倒している人物こそ、2019年の音楽界における象徴であり、恐らく2020年代の音楽界におけるニューヒロインとなるビリー・アイリッシュなんじゃねえかって。

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わりと個人的に2019年の衝撃的な出来事の一つだったのは、天下のビリー・アイリッシュ「ただのジョジョヲタ」だと知ったこと(上記の画像を見たときはコラだと思った)。それと同時にビリー・アイリッシュに関する案件で後に知って驚いたのは、2018年にリリースされたデンゼル・カリーの名盤『タブー』のレビューの中で“Sirens”「今年一のラップソング」って書いたのだけど、実はその曲にコーラスとしてゲスト参加してたのが他ならぬビリー・アイリッシュで(当時は誰だこの女性コーラスって思ったけど、まさかそれがビリーだとは・・・10代の声には聴こえねぇって・・・)、その「ただのジョジョヲタ」であるビリーオリィの日本贔屓に影響を与える大きな要因となっていたこと、そして日本の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』と直に繋がっていたと知った時の衝撃ったらない。もちろん“日本の俺ィ”であり“DNAレベルで日本一のジョジョヲタ”である僕は『amo』のレビューにも「デンゼル・カリーはメタル」だと言及していて、(今年のロラパルーザでBMTHと共演した)デンゼル・カリーが(今年のグラストンベリーでBMTHと共演した)ビリー・アイリッシュ“妹分”として認めている事(つまり兄妹で日本好き)、そのデンゼル・カリーがカバーしたRATMが先日復活を宣言するという完全究極体伏線回収。つまり、BMTH=オリィを経由して小島秀夫監督荒木飛呂彦という“俺の感性”の生みの親同士が繋がるという衝撃の神展開(ファミ通満点でも繋がった・・・←コラ)。もはや「全ては繋がっている」レベルを超えたような話だよね。だってBMTHオリィは今年のサマソニで漫画『バトルロワイアル』がプリントされたTシャツ着てたわけだし。それこそWelcome to My 俺の感性で立ててきた過去の伏線の点と点が線となって繋がった=『デススト』感しかない。しかし海外のファッション誌にインスパイアされているジョジョのコスプレしたビリーがファッション誌の表紙飾ってるの、なんか一周回った感あってスゲーなって(ヘタしたらビリー飛呂彦のコラボあるんじゃね?)。


かの有名なハリウッド俳優フォレスト・ウィテカー主演のMV、「アーク」「死の一撃」など謎の日本語が描かれたとある研究施設と思わしき場所で人体実験をしている映像で思い出したのは、他ならぬレア・セドゥがボンドガールを演じる次期『007』シリーズに抜擢された日系人監督=キャリー・ジョージ・フクナガのNetflixオリジナルドラマ『マニアック』だった(このMVには厳密に言えば“ジョジョの徐倫のコスプレをしたビリー・アイリッシュのコスプレをした誰か”が出ているのも確信犯w)。実は“Mantra”のMVもインドの某宗教団体を扱ったNetflixのドキュメンタリー『ワイルド・ワイルド・カントリー』にインスパイアされたとオリィは語っていて、実はそのインドの宗教団体をモデルにしたのが日本の某カルト宗教団体に他ならなくて、つい先日BMTHがその日本の某カルト宗教団体をネタにした映像をアップしたらプチ炎上するという炎上芸人としての真価を発揮した。どうやら何も知らないニワカが騒いでるようだけど(もちろん“日本の俺ィ”は2作とも配信直後に観てる)、既に伏線は“Mantra”のMVにあって、今回の話もそれが繋がっているだけなんですね。かつてBMTHと対バンした日本のクソダサ炎上バンドも某カルト宗教団体のポアネタやってる時点で、これもただBMTHと直に繋がってるだけなんですね。だから何も知らないニワカのジョン・スノウは黙っててくれ!頼むからニワカは自分がニワカだという「最低限の自覚」を持ってくれ頼むNIWAKAAAAAAAAAAA!!

(コラ感すげぇ・・・)
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「繋がり」といえば、もちろんスティーヴン・ウィルソンもNetflixオリジナルドラマの『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』を筆頭に、ナタリー・ポートマン主演の迷作ジョジョ映画『アナイアレイション』を2018年の年間BESTに挙げている。そんなSW『To the Bone』も映画/小説/音楽、そして現代社会は直に繋がっていると思わせる作品だったけど、実はSWはゲームとも深い関わり持つ人でもあって、過去にSW“Drive Home”をはじめ数々のMVを担当したJess Cope氏によるクレイ・アニメをフィーチャーした、それこそ「インディゲーム」に分類される『Last Day Of June』のサントラをSWが担当しているんだよね。いや、「繋がり」ハンパないでしょつー話は元より、このゲームが当時発売された時にPS4でも出てるからやろうかな!って思ったんだけど(普通に高評価だし)、かのSteamに日本語版はあるけどPSストアにはなくて結局未だにプレイできてない状態なのマジ今世紀最大のファッキソ・ソニー案件。

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それと同じくして、BMTH『amo』小島秀夫監督『デス・ストランディング』も映画/小説/音楽(そしてNetflixという一つの映像ジャンル)、そして現代社会は全て繋がっている案件、その回答となる作品だった。ここで三度思い出したのが、チャーチズDeftones主催のフェスに出演することが決まった時に、メタル界一の問題児ことジェイミー・ジャスタのイキリツイートに反論するローレン・メイベリーの某ツイートで、そのツイートを要約するとジャンル別に分断された孤立を無くし、ジャンル間のギャップを埋めていく事の方が大事やねんという未来志向の願いで、実はこのローレンのツイートは『デススト』並びに現代社会へと直に繋がる伏線ツイートでもあったんだよね。そして、その伏線は遂にイギリスを代表するロック雑誌のペヤングもといKerrang!の表紙をデブ豚チノと共に飾り、ジャンルとジャンルの「壁」は超えられる事を自ら証明してみせた(チノの顔が何ともいえない感じなのがウケる)。

しかし、今まさに世界は「繋がり」とは真逆の「分断」の道筋を辿ろうとしている。その最たる事案がイギリスのEU離脱=Brexit(ブレグジット)である。つい先日、国民投票による選挙の結果でEU離脱が決定的になったというニュースが話題になったばかりだ。もちろん、イギリス人のスティーヴン・ウィルソンブレグジットに対して当初から反対声明を出しており、チャーチズの(地元スコットランドにおいては離脱反対派が多数)ローレンはこの投票結果を受けてツイッターでFuckBrexit」「FuckBorisと怒りの緊急声明を出している(やっぱ最高にパンクな女だぜ)。恐らくBMTHオリィも離脱反対派だろうと勝手に推測するのは(現に関するツイートしてる)、そもそもイギリスのバンドやミュージシャンがイギリス以外でライブする際にまず真っ先にツアーを組むのが、アメリカではなくイギリスから1番近い欧州=EUなわけで、だからイギリス出身のバンドマンやミュージシャンが欧州連合から離脱して得られるメリットは皆無で、むしろデメリットしかないわけです。

この「最悪の結果」を受けて、チャーチズの地元であるスコットランドは早くもイギリスからの「独立」に向けて動きはじめている。言うまでもなく、イギリス=UKはイングランド、スコットランド、アイルランドの連合、正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」であり、その連合王国からの独立だ。チャーチズの3rdアルバム『Love is Dead』は、いま思えばブレグジットという「分断」の未来を予期するかのような作品で、この最悪の結果を予期しつつもローレンが夢見たのは「Wonderland=虹色の世界」だったんだよね。それと共鳴するように、BMTHはポルトガル語でLOVE(愛)を意味する『amo 』を出したんだよね。だからオリィローレンほど「強い繋がり」を持つミュージシャンは他にいない、つまりローレン=サム・ポーター・ブリッジズであり、オリィ=サム・ポーター・ブリッジズでもあるという、誰しもが主人公サムになれる事を証明する存在なわけです。なぜ『デススト』にイギリス出身のBMTHとスコットランド出身のチャーチズに至っては重要なタイトル曲に起用されたのか?この全てにメタ的な「繋がり」があって、全てにメタ的な「意味」がある。この『デススト』が発売されて間もなくBrexitの是非を問う投票結果で離脱派が上回ったのは決して偶然なんかじゃない、今まさに現実世界で起こっている事なんだよね。つまり「人と人」の、「種と種」のBrexit(分断)ではなく、「人と人」の、「種と種」のBridge(橋)を繋げるのが『デススト』の思想なんですね。正直、小島監督ほど「エモーショナルな男」は未だかつて見た事がない。もはや小島秀夫の世界への愛しかない、愛しか。ついさっきまでサンプラザ中野走る走る俺たち~と歌い続ける脳内BGMが流れてる状態の爆風配達人サムから一転して、この「真実の愛」に気づいてしまった僕が操作する主人公のサムは涙で明日が見えないくなった模様。

一方で、この日本でも度重なるフェイク案件が巻き起こっていて、まさに「ポスト・トゥルース時代」のど真ん中にいる当事者なんですね。つまりBrexitのイギリス人やアナル・トランプのアメリカ人と“フェイク王”が支配する日本人が置かれている状況は全く同じと言っても過言じゃあないわけです。それこそ反出生主義じゃないけど、子供が生まれてきたいと思わない「真実」が曖昧なポスト・トゥルース時代=ディストピアに、そんな「愛」が死んだ時代に、そんな「ロック」が死んだ地獄のような時代に、小島監督産みの暴力(=Birth of Violence)ではなく徹底した「産みの肯定」「種の肯定」『デススト』の中で描き出している。

その一方で“俺の感性”の生みの片親である荒木飛呂彦は、この国のトップである反社レイパー擁護の“フェイク王”から招待された2014年の「桜の会」に参加した結果、晴れて2020年の東京パラリンピックの五輪利権を手に入れた。言わずもがな『デススト』における「アメリカ大陸横断」「キリスト教的な思想」「遺体」「大統領」などのギミック面はジョジョ6部の『SBR』を彷彿とさせる。もっとも皮肉なのは、“俺の感性”の片親である荒木飛呂彦「桜の会」に参加して権力者=“フェイク王”の犬となり、「10年代最悪の駄作漫画」であるジョジョ8部『ジョジョリオン』を描いている合間に、もう一人の片親である小島秀夫は巨人のごとく『ジョジョ』を喰らって「日本一のクリエイター」になっていたという・・・これはもう「10年代最高の皮肉」と言っても過言じゃあない(かのスティーヴン・ホーキング博士が例の島に訪れていたのと被るのもクソ皮肉)。しかし今の飛呂彦を見たら天国の手塚治虫大先生も泣くだろうな。権力の犬と化した老害漫画家を目にして。結局のところ「日本一ダサい男」の親は「日本一ダサい漫画家」だったというよくあるオチ

つい最近のインタビューでオリィ「もうアルバムは作らない」的な事を発言していて、確かにミュージシャンのこの手の発言は話半分に聞いておくべきかもしれないけど(現に先日EPは出したけど)、でもその話を真面目に捉えるならば、『amo』って「そういうアルバム」の一つの答えなんじゃねえかって。初めにも書いたけど、『amo』「これまでロックを聴いてこなかった人や聴くのをやめた人」に意図して作られたアルバムで、その結果が『デススト』のコラボやXperiaのCMという偉業という、この流れはまさにその証明でしかない。その『amo』「そういうアルバム」なら、それと同じくして『デススト』「そういうゲーム」だと考えるべきだ。それこそ『メタルギア』シリーズはオリジナルキャラで構成されていた一方で、この『デススト』はボンドガールのレア・セドゥ『処刑人』ノーマン・リーダス、そして北欧の至宝マッツ・ミケルセンなど実在する海外ドラマや映画界の俳優をはじめ、『ドライヴ』ニコラス・レフン監督や『シェイプ・オブ・ウォーター』デルトロ監督などの映画監督もそのままの姿で登場する。そしてゲームの「難易度」においても今までゲームをプレイしてこなかった人向けに特別なイージーモードが用意されている(すなわち役者目当でプレイする人用)。つまり『amo』『デススト』も既存のファン以上に、例えば『amo』なら「ロック好き以外の人」に、『デススト』なら「ゲームをやった事のない映画好きの人」に向けられた「優しさ」がある。これまでのようにAAAタイトルでは実現不可能だった、まさにインディゲームならではの工夫が垣間見れる。しかしソニーは2020年末に発売されるPS5について噂によると「コアゲーマー向け」であることを示唆しているらしく、つまり「ゲーム」「全く新しい基準」を作り出した『デススト』とは真逆の考えを持っているようで、さっきの『Last Day Of June』の件じゃないけど不信感しかないのが現状。個人的には、PS5にはゲームの「広がり」を期待したい。それは『デススト』が示した「広がり」に他ならない。「広がり」というのは勿論、コアゲーマーからライトゲーマーは元より非ゲーマーをも巻き込んだユーザー層の「広がり」である。そう考えたら、PS5の発売日から一年前に『デススト』が出てよかったと思う。『デススト』が示したゲームの可能性をソニーが理解していればPS5の失敗はないです。


何が恐ろしいって、BMTH『デススト』勢やXperia勢の新規ファンという名のカイラル結晶を、つまり『amo』“メインターゲット”を未だに回収してないところが末恐ろしい。となると、この新規ファンという名のカイラル結晶をどこでいつ回収しに来るか?そりゃ早ければ早い方が良いけど、クリマン的には来年のダウンロードフェスが本命か。個人的には『デススト』で得た新規ファンという点ではチャーチズも同じだから、それこそケラングに負けじとBMTHチャーチズのダブル・ヘッドライナーで『デス(スト)・フェス』開催するしかなくね?実際、これができる国って世界でも日本しかなくね?だからソニーとクリマンは早いとこ企画立てといて(他人任せ)。しかし先日のゲームアワードでクリフメイクでパフォーマンスしたローレンタソ凄すぎ・・・。

実はライブの後日談が一番面白かったという話。というのも、大阪公演と同じ週に日本で開催された北欧ノルウェーのSSWことオーロラのライブにBMTHオリィがいたという目撃談があったらしくて(どうやらオリィだけ日本に滞在してたっぽい)、だとしたらもう完全にオリィ=日本の俺ィとして繋がったというレベルの話じゃない。何故って、BMTHの大阪公演に向かう時に新幹線の中で聴いてた音源が他ならぬオーロラの新譜だったという・・・もはや「繋がり」が過ぎて怖えぇわ。もちろん、このオーロラオリィがリスペクトするビリー・アイリッシュが太鼓持ちしてるアーティストで(繋がり)、そのオリィが日本でオーロラのライブを観に行ってたと聞いたらもうレビュー書くしかねえじゃん(勿論、書けるネタはクソほど挙がってる)。いや、これダウンロードフェスと見せかけて来年のフジロックでオーロラBMTHの共演からのコラボあるぞこれ(それでも僕は『デス(スト)・フェス』を諦めない)。でも今のオリィの嗜好って如何にもフジロックって感じするし。もし来年のフジロック来るなら、ついでに雨仲間のana_themaも連れてこいやオリィ

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スティーヴン・ウィルソン『To the Bone』を年間BESTの1位に挙げた2017年の総括記事に、無意識で繋がりが必要とされる時代みたいなこと書いた気がするけど、まさにその伏線回収が10年代の最後の年となるこの2019年に起きたという話で、数年規模の伏線...いやブログを始めた約10年間の伏線が今ここで回収された事に感無量というか、この10年間は決して無駄じゃなかったんだって、この10年間には全て意味があったんだって、それをミュージシャンやクリエイターが証明してくれた事に、今はただ感謝してもしきれない。確かに、今年の初めに『amo』と出会った瞬間から「今年このアルバム追ってりゃ間違いなく“面白い”が待っている」という確信はあったけど、でも流石にここまでの展開は想定外過ぎたし、もはや「面白い」の概念を超えた「クソ面白い」案件だった。これもう「2019年面白い出来事ランキング1位」だろっていう。しかし来年以降「人生のピーク」を更新するには、現状もうチャーチズのライブでローレンを拝むか齋藤飛鳥「繋がる」かのどっちかしかないわ・・・(←コラ)。

・・・だから言ったっしょ?全ては繋がってるんだって。これが・・・10年代の最後の最後に“日本のメタルメディア界のキング”が全世界に贈る・・・

「完全究極体伏線回収だッ!!」

無題

【8/19】Bring Me The Horizon@新木場スタジオコースト

『俺ィ=HYDEに本気出しすぎてBMTHの途中で逝く日本一ダサい男』

なんだろう、結論から言ってしまうと→ここ最近のリアル生活の“厄祓い”を兼ねてBMTHのライブに行ったら、まさかの俺ィこそ“厄”そのものだったという・・・よくあるオチ。その数日後、リアルの世界で久々にガチ恋した小倉唯似のポスト・ヤンキー女に奇跡的に再会して“普通の堕落した人間の愛”を『amo』という名の“愛の弾丸”に込めて撃ち込んだら見事にフラれるという・・・それもよくあるオチ

はじめに、俺ィがBMTHの『amo』のレビューで書いたことって“伏線”という名の“繋がり”で、毎年の如くその年の年間BESTの1位って伏線というかサイン的な何かを張り巡らせるように、それも無意識のうちに書いているとこがあって(勿論、その伏線を回収するしないも俺ィ次第なのだけど)、じゃあ今年2019年を象徴する一枚で、そして10年代を締めくくる『amo』に仕込まれた伏線ってなんだろう?

このレビュー、初っ端から某都市伝説芸人リスペクトな陰毛論ネタで始まってるのが全てで、まず“第一の伏線”は日本のビジュアル系バンドJanne Da Arcのキーボーディスト=kiyoと、そのkiyo似のデブことBMTHのギタリスト=リー・マリアと『ちびまる子ちゃん』のブー太郎を共振させ、その“第一の伏線”は『amo』を象徴する名曲“Mother Tounge”とかつて名を馳せたUKバンドLostprophetsのフロントマン=イアン・ワトキンスのやらかしとJanne Da Arcのベーシスト=粥のやらかし、その数週間後に“ジャンヌ解散”という衝撃的な伏線を回収してみせた。それと同時に、このレビューの中で“ロリペドクソ野郎”と煽った結果、この半年間で日本とアメリカで一体ナニが起こったかは知らんけど(なんか急にピザ食いたくなってきた)、その話題の事件に関係する著名な人物の中に(ana_themaと繋がりのある)あのスティーヴン・ホーキング博士も例の島に訪れていたという噂もあって、もしそれが事実だとしたら俺の界隈的な意味でもショッキングな話だし、そして何よりも『amo』のレビューに書いた“グライムスそっちのけでダフト・パンクとチャーチズとana_themaが宇宙の果てでスティーヴン・ホーキング博士と出会ってヨロピクしちゃった”の伏線回収し過ぎててちょっと怖すぎるんですけど。それはともあれ、少なくともロストプロフェッツの“ロリペドクソ野郎”は自分のanaに携帯を隠して刑務所の中に持ち込もうとしていたのは確かです、これだけは事実です(遂に堕ちるところまで堕ちた感)。この案件は、昨今より耳にする事が多くなった“フェイクニュース”や陰毛論が実際に起こりうる可能性を示した案件であり、これじゃあ『amo』じゃなくて『Inmo』じゃねーかwというツッコミはさて置き、要するに俺ィが書いた『amo』のレビューはスティーヴン・ウィルソンの『To the Bone』のレビューに地続きで繋がってる話なんだよね。

そのレビューの中で、俺ィは「BMTHのオリィはスティーヴン・ウィルソンの正統後継者である」と冗談交じりに書いた。それじゃあ『amo』と地続きで繋がっているSWの『To the Bone』のレビューで俺ィは“誰”と“誰”を共振させたのか?それこそ「スティーヴン・ウィルソン=小島秀夫監督=荒木飛呂彦説」だった。もう何が言いたいのかわかる人もいるかと思うけど、BMTH御一行が今回の来日で日本に到着してまず真っ先に足を運んだ場所、それが『メタルギア』シリーズの小島秀夫監督率いるコジマプロダクションであり、そこでBMTHメンバーが小島監督にサイン入りの『amo』を手渡した瞬間こそ、他ならぬ“第二の伏線”回収だった。それというのも、BMTHの3rdアルバム『Sempiternal』に“Shadow Moses”という曲があって、まずこの“シャドーモセス”というタイトルがMGS1の舞台となる島と同じ名前で(例の島かな?)、そのMVもMGS1と全く同じ吹雪で覆われた演出的からももはや確信犯だし、更にこの曲のイントロSEにMGS1の某曲が逆再生で引用されているという噂もあったりと、これだけの証拠を揃えて“Shadow Moses”の元ネタがMGSじゃなかったら逆に怖いというか、そもそもイギリスの野郎が5人もいてMGSを知らないんだとしたら、それはもう“イギリス人エアプ”みたいなもんで、よって今回の『メタルギア』シリーズの生みの親である小島秀夫監督とBMTHの“引力”という名の“繋がり”は必然であり(互いに“ソニー”繋がりでもある)、双方のファンとして素直に喜ばしい出来事だった。

そもそもの話、“俺ィの感性”自体が小島秀夫監督と荒木飛呂彦の「恐るべき子供達計画」により生まれた“子供”だと仮定すると、ある意味でこの2人は俺ィの実質的な“親”と言っても過言じゃあないわけです。そんな小島監督といえば、今回BMTHとズッ友写真を撮る前に『amo』にもゲスト参加しているイーロン・マスクもといグライムスやチャーチズのローレン・メイベリーともズッ友おじさんであり、俺ィがネットの電脳世界で書いた『amo』のレビューという名の“伏線”を、リアルの世界で一つに繋げて見せたのが俺ィの実質“親”だったのはちょっと面白い。そして『amo』のレビューのコンセプトとして“繋がり”を連呼しているのも小島秀夫監督の最新作『デス・ストランディング』の影響に他ならなくて、あのレビューはその『デス・ストランディング』の物語へと直結して繋がる話で(俺ィは既に予約済み)(なお通常版)、そうなんだよね、“日本の俺ィ”である僕が掲げた『amo』の裏テーマこそ『デススト』の主人公=“サム・ポーター・ブリッジス”として、ジャンル別に分断された音楽の世界を一つに繋げる事だったんだよね。ちょっと皮肉だなと思ったのは、小島監督が『メタルギア』シリーズから離れた途端、『デススト』のトレーラー音楽にフィンランドのチェロ・メタルバンド=アポカリプティカの“Path”を起用したり、ここ最近の監督の趣味嗜好が“メタル”方面に寄ってきたのも全てBMTHと出会う伏線だったのかもしれない。余談だけど、新海誠監督の『君の名は。』にもMGSネタが登場しているのも“繋がっている”感あって、新作の『デス・ストランディング』は“小島秀夫なりの君の名は。”的な側面を持つ作品になると予想。

そういえば、小島監督といえば映画『ドライブ』や『ネオン・デーモン』でお馴染みのニコラス・ウェンディング・レフン監督のamazonオリジナル映画ドラマ『Too Old Too Die Young』に(遂にゲーム内だけに留まらず)リアルの実写作品で友情出演してて笑ったんですけど(その監督出演シーンが日本のヤクザがコリアンマフィアの指を日本刀で切り落とすシーンなのがなんとも風刺の効いた皮肉で最高w)、このドラマ観てて思ったのが主演のマイルズ・テラーってBMTHのオリィにちょっと似てるなってこと。なんだろう、例えるなら“速水もこみちと速水イマイチ”ならぬ、オリィ・イマイチがマイルズ・テラーみたいなw そう言った意味でも、小島秀夫監督は『amo』の伏線を全部全部ぜーーーーーんぶ回収してくれた気がして、BMTHファンとして、“A HIDEO KOJIMA GAME”ファンとして、そして“俺ィの感性”を生み出した親として本当に頭が上がらない。勿論、これができるのって日本でも世界でも小島監督ただ1人だからね。しかし、ここ数年で小島監督って人間国宝級の、少なくとも東京パラリンピックのポスター制作に携わる荒木飛呂彦と並ぶ日本一のクリエイターになったよなって。


この『amo』がどれだけヤバいアルバムなのか?それはBMTHが来日する直前に発表した“sugar honey ice & tea”のMVを見てもわかる。さっきの“シャドーモセス”の件にしても、オリィをはじめとしたBMTHメンバーって“ただのオタク”で、このMVにも日本のアニメ『この素晴らしい世界に祝福を!』を皮切りに、隠し要素としてのドラミちゃん、そして最後に『らき☆すた』のキャラクターが登場する。もちろん“日本の俺ィ”である僕は、当時ニコ生で放送していた『らき☆すた』をリアルタイムで完走するほどのアニオタで、そこでもオリィと俺ィの綿密な伏線と“繋がり”があって(オリィ=俺ィ説)、それを踏まえた上で改めて『amo』のレビューを見てもらえれば、このアルバムがいかに「シャレにならない もう笑えないアルバム」なのかわかってもらえると思う。

あとオリィは今年のサマソニで漫画『バトルロワイヤル』の相馬光子のヌッコロシーンがプリントされた謎のTシャツ着てて笑った。サマソニの配信映像を観てて思ったのは、ロストプロフェッツの“ロリペドクソ野郎”がムショで自分のアナルに携帯をブチ込んでいた一方で、今年のサマソニでスタジアム級のモンスターバンドとして優勝パフォーマンスを披露したていたオリィ、一体どこで差がついた?ってこと。しかし、メインステージのじゃないのにダンサー引き連れたガチのセット組んできてるあたり、今回の来日に対する意気込みというか気の入りようが他とダンチで、次にサマソニ出る頃には間違いなくリンキンの後釜としてメイン張ってると思う。結局、『amo』って“そういうアルバム”であって、それ以上でもそれ以下でもない。ロックというジャンルに飽きて聴かなくなった奴ら、元からロックなんて興味ない奴ら、もはやJ-POP好きな奴らも引っくるめて全部引っ張ってくるアルバムなんだよね。

再び“第一の伏線”に戻す。俺ィ、それこそ周りの(野球部の)チームメイトがやれバンプだ、やれ湘南乃風だ、やれエルレだ、やれレンジだと騒ぐ中、ひっそり隠れてJanne Da Arcの“ナイフ”を延々リピートしてメンタルを安定させていた筋金入りのジャンナーで、もちろん高校生の頃はラルクよりもジャンヌ派で、それ以前に小学生の頃に『Jealousy』のカセットテープのヨシキの裸体で精通しているV系エリートで、そして覚悟しつつも遂にやってきた今年3月いっぱいのジャンヌ解散の悲報。その悲報から、この10年間ジャンヌ復活を待ち続けてきた俺ィの中で芽生えたやり場のない怒り、その様々な感情その想いをぶつける場所を探し求めていた。そして発表された、ジャンヌのフロントマン=yasuが“神”と崇拝するHYDEの前座出演だった(これは“第一の伏線”が“第三の伏線”に変わる瞬間だった)。俺ィは「ここだ、ここしかない」と思った。ライブ当日、156もといHYDEの姿を見た瞬間に、そのジャンヌに対する想いが、様々な感情が一気に溢れ出した俺ィは「神の名において、“メシア”=『救世主』が“平成サイアクのヴィジュアル系バンド”としてキャリアにピリオドを打ったことをどうかお赦しください」と“神”の前で懺悔した。・・・そう、このBMTHの来日公演における俺ィの真の目的、それは“メタルメディア界のキング”としてでもなく、ましてや“日本の俺ィ”でもなく、ただ1人のジャンナーとしてyasuこと林保徳の魂をこの新木場に召喚し、156もとい“神”の前で“救世主”=ジャンヌダルクが犯した“罪”を告白させ、そして懺悔させる事だったんだ。

「キャーーーーーーー!!156もといハイドーーーーーーー!!今すぐ俺ィのこと抱いてーーーーー!!キャーーーーーー!!ハイドーーーーー!!その水という名の聖水を顔にかけて顔に!キャーーーーーーーー!!ハイドーーーーー!!その水という名のスペルマを口に出して口に!キャーーーーー!!ハイドーーーーーー!!ほっちゃーん! ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」

あの瞬間だけは“俺ィ=林保徳”だった。今回のBMTHの来日公演は、(いま1番ライブが観たいのは小倉唯だという話はさて置き)2019年の最重要案件であり、昨年のスティーヴン・ウィルソン来日公演の“続き”として、そして“人生のピーク”を約一年ぶりに更新するために絶対に観なきゃいけないライブだから、一生加入することはないと思っていたクリマン3A会員になって手に入れたチケ番は200番代。番号順にフロアに入ると5列目まではほぼHYDE目当てのマダムが陣取っていて、俺ィから6列目以降はBMTH勢みたいな。さっきも書いたけど、156もといHYDEの姿が見えた瞬間さすがにテンション上がったというか(なお)、半径5メートル以内に“神”がいるのがちょっと信じられないくらいで、もちろん人生の中で生で見た知名度ランキング断トツで1位が156もといHYDEになったし、流石にV系エリート兼ジャンナーの血が騒がずにいられなかったわ。正直、HYDEソロの楽曲を初めて聴いた感想はNothing=(何もない)んだけど(1曲目はTrapっぽかった?)、曲を一曲も知らないのにまるでHYDEを“神”と拝めてます!とばかりの勢いでノレたのはHYDE自身の求心力以外のナニモノでもない。また、HYDEはMCで(まるでBMTHの前座に決まった時に生じた一部の批判を和らげるように)「また(BMTHが日本に)来てくれるようにお願いするんで〜」と時おり謙虚な姿勢を見せる。もはや日本で知らない人はいない“神”と称される男が、ここまで謙虚に、しかも(噂によると)ノーギャラで前座を受けたらしく、HYDE自身も相当BMTHに惚れ込んで影響受けまくってるのがわかるし、HYDEレベルの日本の音楽界のトップにいる人が完全アウェーの中ここまでストイックな姿勢でいられるのってなかなかできないことだと思う。完全アウェーとか言ってもフロア前方圧縮祭りだしHYDEのダイブもあるし(1メートル先にHYDEがいたけど触れなかった)、そしてHYDEが飲んだペットボトルの水という名の聖水を顔面にBUKKAKEられて、更にペットボトルの水という名のスペルマが口に入った瞬間→「え、ちょっと待って、これってHYDEと間接キスってこと・・・?え、やだ嬉しい///」ってなった(羨ましいか林)。とにかく、日本の俺ィとして以前に1人のジャンナーとして、ジャンヌ解散発表以降どうしようもないただの屍となった僕を156もとい大きな愛で受け止めてくれたHYDEには感謝してもしきれない。しかしジャンヌ復活待ちの10年の間に“日本のメタル・メディア界のキング”になってた“日本の俺ィ”がBMTHの前座で“神”を拝む構図は流石にエモ過ぎるというか、ちょっと出来すぎた面白さだと思う。でも薄々勘づいていたけどね、今日のライブの本命がBMTHじゃなくてHYDEだってことを。あと、ライブ前に懸念された大半がHYDEファンで埋まってる状況では決してなかったし、むしろBMTH勢がHYDEマダムを潰す勢いで圧縮しにきてた。

HYDEの前座が決まったと聞いて思ったのは、「LiSAと林のヤツお忍びで来てんじゃねーの?んなわけねーかw」みたいな、そもそもLiSAとHYDEに繋がりがあるなら、必然的にジャンヌの林もLiSAと実質的な繋がりあるでしょ?って冗談言ってたら、どうやらガチのマジでLiSAが見に来てたらしくて、どうやら関係者席にいたらしい。この夏フェスシーズン真っ只中のクソ忙しい中来てくれたんだと思うと、LiSAマジ愛してる。結局、『amo』のレビューの最後の最後にLiSAの名前を出しているのも全て“意図的”というか“伏線”以外のナニモノでもなくて、ここまで“第一の伏線”〜“第二の伏線”〜“第三の伏線”ときて、それらを一つに繋ぎ合わせる最後のピースとしてのLiSAという名の女神が新木場に現れた。その瞬間、“第四の伏線”として全てが繋がった。ちなみに、LiSAも俺ィも同じZX300使いなのも強引な繋がりを見出せるし、これもう後継機のZX500買うしかねぇなって。もしZX500のLiSAモデルが出たら2秒で乗り換えます。なのでお願いしますスパイダーマンの件で絶賛炎上中のファッキソソニーさん。

「キャーーーーーーー!!オリィーーーーーーー!!今すぐ日本の俺ィのこと抱い・・・シュババババババババババババババ(前回キャンセル分の鬱憤を晴らすためにBMTHガチ勢が走り寄ってくる音)ほげえええええええええええええええええええええ」

このライブで俺ィがBMTHについて語ることはNothing=(何もない)です。まず、このライブの1番の思い出が「LiSAと一緒にシンガロングできたこと」だからね。だって、諸事情によりHYDEのライブで本気出しすぎたのと、HYDE終わった後にHYDE目当てのマダムが減って少しラクになるかと思いきやむしろ更に圧縮エグくなって、この時点で「あ、これはダメかもわからんね」と察した。実際にサマソニと同じバトロアTシャツを着たオリィ他メンバーが登場して“Mantra”で幕を開けると、そっからはもう地獄。一曲が終わるたびに3メートルぐらい後ろに流されて、“Shadow Moses”からの“Mother Tounge”で「もうどうにでもなーれ」とばかり最後の力を振りしぼってシンガロング決めて、そっから“Can You Feel My Heart”の時に後方の柵まで流されきった所で遂に限界がきて(マジ一生分の汗かいたわ)、ライブ途中でフロアから退出するという人生初の経験をした模様(HYDEから流し込まれた聖水数滴じゃBMTHのライブを乗り越えるには少な過ぎた)。その後の事は察してください。オリィがMCで11月の再来日を示唆するような発言をしたことすら知らない時点で、僕の名誉のために本当に察してください。でもフロアから脱出してちょっと落ち着いてから思った、前回の来日がキャンセルになったBMTHが“日本の俺ィ”という名の“厄”をフロア外に追い払って“厄祓い”に成功した、これは即ち今以上にBMTHが日本でビッグになる、それこそリンキン並みに売れる合図なのかもしれない、と。そう考えたら「ククク・・・逆に面白い、逆に(ニチャア)」ってなった。そのBMTHのオリィと日本の俺ィが計画した“売れる儀式”をミスなく成功させるため、俺ィという名の“厄”は二度とフロアに戻ることはなかった。

img_1567225412俺ィ「てか~、てか~、てか~、LINE聞いたらダメなやつなんだっけ」

img_1567226050小倉唯似の女「LINEわぁ・・・(彼氏に)怒られちゃいます♪」

img_1567225607俺ィ「そっかーそっかーそっかー(なにィ!?(CV.ベジータ)イケメン高身長の俺ィがフラれる・・・だと・・・?)」

img_1567226050小倉唯似の女「また近場に寄ったら顔出しますね♫」

img_1567225607俺ィ「えっ、あっ、えっ、うん・・・(そのフォローは余計にヘラるやつや)」

ここでパーソナルな話を聞いて欲しいんですけど、つい先日に久々にリアルの世界でガチ恋した小倉唯似の女にLINE聞きそびれて終わった話の続きで、実はこのライブの2日後に小倉唯似の女が実質俺ィに会いにくるっていう知らせを受けて、「はいきた、これは99パーじゃなくて100パーLINEゲット、それすなわちこの小倉唯似の女もゲット〜はい俺ィすごい〜」とばかり、何故なら「今の俺ィはHYDEという“日本一のモテ男”の“モテ成分”が詰まった聖水およびスペルマを浴びた156HYDEならぬ実質181HYDEの“神”であり、この日のためにオナ禁30日超えのスーパーサイヤ人、あとデフォでイケメン高身長だから(ゴメン盛った)」と余裕ブチかましながら、奇跡的に再会した小倉唯似の女との会話の最後にLINE聞いたらまさかの彼氏持ちだったという、よくあるオチ・・・(普通に会話してるだけでカウパー出てワロタ)。ちょっと待って、これじゃあ俺ィただの“日本一ダサい男”じゃん。今の俺ィの存在価値とかもはや東京湾に浮かぶウンコと同じレベルだろ。しかし断られた瞬間の俺ィの引きつった顔は傑作だったし、それを見かねた年下の女にたしなめられるというかフォローされる俺ィクソダサすぎワロタ・・・。でも薄々感づいてはいたけどね、ピアスのリングの中にリング入れてる女って“つまりはそういうこと”って察してたけども。

全国の女性の皆さんへ、男からLINE聞かれた時にそれを断る場合、()の中に急に男の影が出てくるような感じの断り方ホントやめてくれませんか?しかも近場に寄ったら顔出すって絶対に嘘ですやん・・・(女の嘘とか2秒でわかるし)。もし来たら来たで性懲りもなくメシ誘って撃沈する未来しか見えねぇ〜〜〜〜〜うんこ。これだけ偉そうなこと言っといてBMTHの途中でギブするわ、その2日後にガチ恋女にフラれるわで、もうダメだな俺ィ・・・ダサすぎて泣ける。これもう実質HYDEさんのせいみたいなもんなんで、V系エリートとしてライブ盛り上げたのも査定に加味していただいて、HYDEさんは僕に可愛い女の子紹介してもらっていいですか?ちなみに、今の僕の好みは“ポスト・ヤンキー化した小倉唯”です。そのHYDEのコネで何でか知らんけど、何でか知らんけどGLAYのteruから何でか知らんけど女ユーチューバーのこばしりを紹介される神展開ないですか?ないですか・・・。ハァ・・・これもう実質“平成サイアクのヴィジュアル系バンド”のせいだろ・・・あいつらマジでクソだなw

BMTHさん並びにオリィさんには大変恐縮なのですが、土下座でもなんでもするんで“リベンジ”させてもらっていいですか?今回の単独公演は5年越しのBMTHガチ勢キッズの圧勝で終わったリベンジライブだったから、今度こそ“日本の俺ィ”のリベンジさせてもらっていいですか。でオリィがMCで発言したらしい今年の11月に再来日する話(奇しくも『デススト』発売月に再来日の可能性とか今度はヒデオからデススト日本版を手渡される神展開あるぞこれw)、現段階での噂ではベビメタの前座で来日する可能性があるらしいとのことで、正直ベビメタは先月の単独で観てるので個人的に微妙な案件。それよか、今回の“繋がり”的にもHYDE主催のフェスかなんかで呼んでもらって(co-ヘッドライナーとか)、それこそ今度は演者としてLiSAとBMTH、LiSAとHYDEが共演する姿が見たいじゃん。事実、LiSAにはそれを望む権利があるわけじゃん。そんなLiSAさんには、是非とも暇人ニートの林保徳に楽曲プロデュースという形で仕事を与えていただけたら嬉しいです。そしてLiSAを女版yasuにしよう!ってそれエイルや!(←コラ)

なんだろう、“人生のピーク”から2秒で“人生の逆ピーク”に転げ落ちていく、これを“神展開”と呼ばずして何という。このライブから数日の間に2019年いや10年代のイベントが凝縮されすぎでクソワロタ。この数日でフィジカルバッキバキ、メンタルボッロボロになったわ・・・。ある意味、人生最大のトラウマの一週間だった。しかしまさか『amo』がリアルの世界に食い込んでくるトラウマの作品になるとは思っても見なくて、なんだろう、いい“オチ”がついたなって。さらなる後日談として、つい最近職場の上司に「なんかいい事あった?」って普段聞かれないような事を急にゆあれて、(逆ゥー!逆ゥー!フラれてるから逆ゥー!)ってなったけど、やっぱガチ恋してると雰囲気で他人にもバレるんだなって(めちゃめちゃ恥ずかしいですやん・・・小学生かよ俺は)。そんなわけで、いま人生最高にメンタルボロボロのヘラヘラなので、高校時代と同じようにジャンヌの“ナイフ”を延々リピートして精神落ち着けて、落ち着いたらまたブログの更新再開します。

最後に、ここ最近の一連の流れ、『amo』のレビューにおける“第五の伏線”がLiSAと林のコラボだったらいいなぁって、それに続く“第六の伏線”が“ベビメタ包囲網”の総仕上げとなっていた事を、2019年の最後に“日本のメタルメディア界のキング”であり“日本の俺ィ”が書くのは「ベビメタを終わらせるレビュー」である事を・・・

「あの日の僕たちはまだ知らない。」

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スティーヴン・ウィルソン LIVE IN TOKYO 2018@EX THEATER ROPPONGI

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2015年の夏、ANATHEMAの奇跡の初来日公演が実現したあの日、間違いなく僕の人生はピークを迎えた。その三年後、まさかその”人生のピーク”を更新することになるなんて、あの日の僕たちはまだ知らない。

本当に、本当に面白いと思ったのは、このスティーヴン・ウィルソンの来日公演の数日前にビートルズのポール・マッカトニーがジャパンツアーのために来日してて(ポールといえばご存知、昨年リリースされたSWの新作To the Boneにも間接的に繋がりのある人物であり、言わずもがなSWの音楽人生に最も影響を与えた偉大なミュージシャンの一人だ)、もはやただのポールの熱狂的な追っかけファンとしてポールと一緒のフライトで日本に前乗りしたんじゃねーか説あって、もはや久々の来日ということもあって予習がてら東京ドームでポールのライブ見てるんじゃねーか説あって、もはやポールの日本ツアーを見に来るついでに来日公演する説あって、もっと言えば珍しいレコード目当てでユニオン通いのついでに来日した説あって、しかも5日はポールは両国国技館という同じ東京でライブの予定があって、つまり来日の日程までポールに合わせて決めた説あって、しかもそのポールがX JAPANのヨシキと久々に会ってたりしてて、実はSW『Hand. Cannot. Erase.』X JAPANを共振させている僕としてはニチャアとしかならない案件だったりして、この「真実(truth)」に気づいてしまった僕は、「おうおうおうおう、ちょっと待てSW、マジかお前、まさか”それ”がやりたかったがために11月のこの時期に来日したのかよ、、、完敗だわ・・・」ってなると同時に、なんだろう、やっぱり全ては”繋がってる”んだなって。しかも公演二日目となる6日に至っては、SWもプレイリストに入れるくらいオキニのCigarettes After Sexがリキッドルームで来日公演を予定してて、もはや「なんだこのTo the Bone週間・・・」ってなった。


そんなSWも敬愛しているビートルズのポールに自らを重ね合わせるように、ポールと同じソロアーティストとして初となる来日公演を実現させたSW。正直、直前までウドーフェスのトラウマが蘇ってドタキャンになったりしたらどうしようと心配してたんだけど、前日のインスタに「日本に向かう途中でバンドメンバーと共に誕生日を迎えたよ。」って書いてあって安心したのと、こんな大事な記念日に日本ツアーを組んでくれたとか、改めてどんだけいいヤツなんだSW・・・(ちなみに、このポニテは義理の娘にやられたらしいw)。しかも日本人イラストレーターのmaro氏が手がけたアニメデザインのTシャツも作ってくれたりして、(ウドーフェスをはじめ決して日本に良いイメージを持ってなさそうなのに)もはやミュージシャンとして以前に人として素晴らしい人物なんだなって。

僕がホテル入りしたライブ当日となる5日、ちょうどその日の夕方のニュースで報道されていたのが、他でもないアメリカ中間選挙だった。

会場はギロッポンにあるEX THEATER ROPPONGI、いざ入場してB2前方中央の自分の座席に腰を下ろすと評判通りの見やすさに驚いたと同時に気づいた→「ちょっと待って、この位置、SWが目の前じゃん!!」って。そんな感じで開演までのんびりしてたんだけど、勘違いかもだけど某メタル雑誌の編集長いたな?

7時開演。ステージが暗転すると、SとWが組み合わさった例のロゴマークがスクリーンに現れ、すると男性ナレーションが「皆さんこんばんわ。ライブをスタートする前にあるショートフィルムをご覧いただきます。今夜のパフォーマンスを象徴する内容なので、リラックスしながら映像に浸ってください。」と前書きし、そして一番始めに黒いスクリーンを背に「truth」の文字が浮かび上がり、続いて「family」「science」「fact」「news」「compassion」「fake」「love」「information」「father」「security」「life」「enemy」「religion」「death」「ego」「hate」などの小文字英単語と、その単語に関連するイメージ画像が紙芝居のように映し出され、それが一周して再び「truth」に戻ると、今度は逆に英単語とイメージ画像が不揃いの組み合わせが延々と続き、それこそ偽の情報(fake)が執拗に繰り返される。まるで名作映画『時計じかけのオレンジ』の人体実験を疑似体験させられているかのような奇妙な感覚、この現代人として身近な英単語とイメージ画像を使った適性テストみたいなオープニング演出は、果たして何を意味するのか?

そう、これは決して疑似体験などではない。これは現代のメディアやSNSをはじめとした情報社会、それらが伝えるフェイクニュースを象徴するポスト・トゥルース時代、今まさに現実で行われているリアルであることを、僕たちが今のポスト・トゥルース時代を生きる当事者であることを突きつけるような、それこそSWTo the Boneのなかで描き出したコンセプトの根幹であり、僕が書いたTo the Boneの記事を真っ向から肯定するかのような幕開けに、僕は瞬き一つせずにただただ目の前のスクリーンを見つめる事しかできなかった。

いわゆる”ポスト・トゥルース”という言葉が世界中に拡散される大きなキッカケとなった2年前のアメリカ大統領戦、そしてこのタイミングでアメリカ中間選挙があったのは、果たして偶然だろうか・・・?そして今、この時代、”メディア”という存在が全く機能していないこの日本という国にスティーヴン・ウィルソンがやってきてライブをすることの意味、そしてこの国のトップが「fake」の権化であること、その「fake」が居座る東京でライブをするというこれ以上ない皮肉、同時に反トランプを表明しているポール・マッカトニーSWが同日にこの国でライブすることの必然性、まさにこのご時世だからこそ価値のある来日だと言えるし、これがTo the Bone「truth(真実)」なんだって。たった一つの真実がないポスト・トゥルース時代、つまり最高でも99%の真実しか存在しないこの時代に、最後の1%としての役割がSWTo the Boneだったんだ。僕が書いた99%の未完成レビューを100%の真実のレビューにしてくれたのは、やはりSW本人しかいなかった、これで全てが繋がった。まず、まずそこに「ありがとう」と言いたい。

その「truth(真実)」を知らせるオープニング以降の約3時間、翌日も合わせた約6時間は紛れもなく人生最高の6時間だったし、まさに”人生のピーク”だった。まるで気分はMGS3のザ・ボスの「ジャック、人生最高の10分間(6時間)にしよう」だ。

オープニングが終わると同時に、スポットライトがステージ中央のSWを映し出すと、例のコム・デ・ギャルソンのTシャツに裸足にフェンダーという”いつものSW”を目の当たりにした観客は一気に沸き立ち、アルバムTo the Boneから”Nowhere Now”を軽快に披露し終わると「アリガトウ!」という日本語の挨拶から、立て続けに同アルバムからニネットとのデュエット曲”Pariah”を聴かせる。もちろん、この日はニネットは不在だけどバックのスクリーンにMVの顔がデカデカと映し出された。曲のクライマックスにフェンダーをかき鳴らすSWはめちゃカッコよかった。

今度はギターをPRSに変えて4thアルバム『Hand. Cannot. Erase.』から”Home Invasion”、そして”Regret #9”の重ね技を披露する。この2つのインスト曲で活躍するのは、他ならぬ『To the Bone以降に刷新されたSWバンドを担うベーシストの変態三つ編みおじさんことくうちゃんもといニック・ベッグス、ドラムのクレイグ・ブランデル、キーボードのアダム・ホルツマン、ギターのアレックス・ハッチングスだ。今回の来日公演でもこのシン・SWバンドだ。このポップな表面から一気にテクニカルな側面に反転するのは、このSWバンドならではの大きな魅力だ。そして、そのアクティブな流れでPorcupine Tree時代の傑作『In Absentia』から鬼気迫るような”The Creator Has A Mastertape”が始まるとPTヲタの全俺が泣いた。

再び会場が静まり返ると、今度はアダムのピアノソロから始まって、ソロ後半にあの主旋律が聴こえてきた瞬間”Refuge”とわかって脳汁ブッパした。座椅子に腰掛けて、物語の語り手のように歌うSWと徐々に力強く盛り上がりを見せていくバンド、そしてクライマックスのハーモニカパートはSWがエモーショナルなギターソロ・アレンジを聴かせ、そこからアレックスによる涙腺崩壊不可避な泣きのソロを経由してアダムのキーボードへと向かう展開は、生で観ていることもあってマジでちょっとした宇宙だった。再びSWのテレキャスが唸りを上げる”People Who Eat Darkness”では、アニメ仕様のMVも相まってとてもライブ感に溢れていた。

事前にアナウンスされたように、この来日公演では前半と後半の二部構成となっていて、5日の前半ラストを飾ったのが『Hand. Cannot. Erase.』が誇る大作の”Ancestral”だった。改めて、SWバンドのテクニシャンっぷりに終始唖然とするばかりで、その変態的なポテンシャルが最大限に発揮されたこの曲は、ライブで見ると恐ろしいまでの迫力を前に何もかもが凄すぎて苦笑いしかできなかった。特に、クライマックスでのデレッデレデレッデレデレッデレの畳みかけとか鬼カッコ良すぎて泣いたし、途中で緩くなるパートでメンバーがステージに寝転がるのワロタ。あとドラムの人スゲーと思ったら元Frost*の人と知って更にびっくり。

約15分の休憩を挟んで、今度はニックとクレイグとSWによるシャイカー合戦が始まったかと思えば、PT時代の名作『Deadwing』”Arriving Somewhere but Not Here”のイントロが流れてきてまた全俺が泣く。この瞬間だけは完全にPTのライブだった。この日の会場は座席指定かつ25歳以下が2人しかいない(MCでもネタにしてた)、この国の少子高齢化の波を感じさせる客層だったから、ここまで9割の人が座ってライブを鑑賞してたけど、ここでSW「俺のライブって言うほどクリムゾンっぽいか?」みたいなジョークを絡めたMCから「Stand Up!!」と呼びかけて観客を総立ちさせる。

新作のTo the Boneは、いわゆる”ポップス”化したことで従来のSWファンからも否定的な意見が多くて、それはもう殺害予告されるくらいには失望したファンがいたのも事実。しかし、SWはMCで「ポップス=ジャスティン・ビーバーやアリアナ・グランデではない。ポップスはポップスでもビートルズやアバ、クイーンは僕にとって最高のポップスなんだ」と力説し始めて、その時の僕は心の中で「おめーポールが来日してんの知ってて言ってるだろwバレバレやぞw」とツッコんだ。

その流れでSW史上最高のポップスである”Permanating”を披露。まるで気分はインド映画のボリウッドダンサーだ。そのインド人ばりに陽キャな”Permanating”から一転して陰キャの”Song Of I”を謎エクササイズ映像と合わせて聴かせるギャップのある流れは、まるでSWの豊かな音楽人生を象徴しているようだった。そこからPT時代の”Lazarus”で涙腺崩壊。後半ラストを飾る”Detonation”では、キモい人間が繰り返し行進する不気味な映像とともに、もはや「フェイク(fake)」「真実(truth)」か分からない極上のトリップ・ワールドに観客を誘う。

5日のセットリスト


アンコールは『4½』から”Vermillioncore”PT時代の『Fear of a Blank Planet』から本公演で最もっヘヴィな”Sleep Together””Sound Of Muzak”、そして”The Raven That Refused To Sing”まで、アンコール中はもはや涙で明日が見えなかった。オープニング除くと全17曲、休憩除くと約2時間半、未だに夢のような、あまりにも濃すぎる初来日公演だった。見やすいと評判のEXシアターはライブが始まっても評判通りの見やすさで、証明や映像の演出が必須のライブだったから本当にこの箱で良かった。

確かに、5日の公演はSWが時差ボケなのか何回かミスって仕切り直ししたけど、それもレアな光景だと思えば見れてラッキーだった。時おりファッキンを交えたユニークなMCも面白くて、年季の入ったフェンダーを自慢したりとか、メンバー紹介の時に手を振ったりとか、確かに”Sound Of Muzak”では海外だと合唱するパートを合唱できなくてSWが恥をかく場面もなくはなかったけど、6日の公演はミスなく終われたし、”Sound Of Muzak”の時でもSW「昨日は歌ってくれなかったから僕が笑い者だったじゃないか!ネイティブじゃないからって全然問題ないから皆んなで歌ってね」とお願いしたら、海外勢ほどではないけど昨日よりは皆んな歌ってて、そんで曲が終わった後にSWが「マッチベターw」の一言。しかしSWも日本人のクワイエットさには心底驚いただろうね。

6日の公演は、事前の予告どおりセトリが『Hand. Cannot. Erase.』仕様になってて、前半では前日にも披露した”Home Invasion/Regret #9””Ancestral”をはじめ、表題曲の”Hand Cannot Erase”やデプレッシブな”Routine”、からの最後に”Happy Returns/Ascendant Here On...”という神がかり的な流れを見せつけられてガチで涙腺崩壊した。そもそも”Routine”単体でも泣けるのに、それからのアレは反則だって。あんなん泣くって。。。後半には、前日やらなかった”The Same Asylum As Before”をはじめ、アンコールでは90年代のPTを象徴する『Stupid Dream』から”Even Less”をギターロックばりに年代物のテレキャスをかき鳴らすSWがカッコ良すぎた。結論として、このジャパンツアー、僕みたいに2日とも観たやつが優勝です。

アンコールの最後に披露した”Song Of Unborn”では、ジェス・コープ氏が手がけたアニメーション仕様のMVがスクリーンに映し出され、大量の精子が子宮の卵子に突撃する受精シーンから始まった瞬間「ザ・シンプソンズかな?」ってなる子供心の僕。冗談はさて置き、この曲を日本公演の最後の曲として披露する意味の大きさったらなくて、これこそTo the Boneが象徴する”生命”の誕生(To the Born)であり、それこそSWが愛用しているコム・デ・ギャルソンのTシャツに描かれたLOVEの象徴でもあった。やっぱり全てが繋がっているんだって。この世界は繋がっているんだって。国境人種肌の色は関係ないんだって。人はいつだって人と繋がることができるんだって。これがSWTo the Boneで示した愛(love)の形なんだって。なぜSWがこの時期にこのタイミングで東アジアの一つである日本へ来たのか?僕はこのライブを観たことで全てを理解した。このタイミングだからこそ、なんだねSW

6日はあいにくの雨だった、というよりはイギリスの気候と重ね合わせたような演出と言っていい(ana_themaもSWもリアルの天候を演出に盛り込みすぎw)。登場時はジャケット姿だったSW、6日はなんだか声の調子が悪そうで少し心配になった。もちろん集客が一番の不安要素だったけど、なんだかんだ二階にも人が入ってたくらいには埋まってたから安心した。つうか、会場がギロッポンだけあって観客の三分の一は外国人だったんじゃねーか説。確かに、ana_themaと同じくSWも最初で最後の来日公演かもしれない。しかし、諦めずにこれを次に繋げること、継続していくことが大事だと。昨今、外タレの来日が実現しづらくなっていると囁かれる中、夢にも思わなかったSWの来日が実現したことに有り難みを感じながら、しかしこれで終わりにするのではなく、この流れを継続していくことが大事だと(大事なので2回言った)。

”人生のピーク”がおよそ9Kで買えるなら安すぎってレベルじゃないんだけど、まぁでも30という節目の年に”人生のピーク”を迎えられて良かった気もする。しかし最近の俺の人生、「幸福」に満ち溢れすぎだろと。これを黄金体験」と呼ばずして何という。でもガチで人生最大の「夢」が叶ってしまった、つまり”人生のピーク”が過ぎた男がこれから何を目標に、何に希望を見出して生きていけばいいのだろう。自殺か?それもいい。いや、違う。僕がやるべきこと・・・それは僕の妹ちゃんたちであるドリキャとアイズワン(カンちゃん)を日本でブレイクさせる使命と義務がある。そして僕の”人生のピーク”が終わる・・・



「ドルヲタが目覚める


POWER TRIP Japan Tour 2018@Huck Finn

PowerTrip_flyer_black2

来日に関してちょっと話したいことがあって、Deafheavenって(自分の記憶が正しければ)フジロック2016で来日したのを最後に、めっきり単独でも来日しなくなったよなって。その原因って一体なんだ?って考えた時に、まず思い浮かんだ理由は、今やピッチフォーク主導のバズマーケティングのお陰で世界中で売れてるから日本は放置プレイされているのが一つ、そしてもう一つが2ndアルバム『サンベイザー』まではDaymare Recordingsから国内盤がリリースされていたのにも関わらず、3rdアルバム『New Bermuda』以降は国内盤が出されておらず(しかし3rdの国内盤は何故かソニーから出ている)、これは恐らくDeafheavenが本国のレーベルをDeathwishからAnti-に移した説が濃厚。もともと、デイメアDeathwishにコネがあって、その兼ね合いでDeafheavenの国内盤をリリースしていたと同時に、まだ無名だった彼らを奇跡的に初来日させた1stアルバムと彼らがブレイクするキッカケとなった2ndアルバムに伴う単独公演も実現させてくれた、国内でも有数の素晴らしいレーベルだった。今でも思い出すのは、初来日公演の時に観客が13人しかいなかった「伝説の名古屋公演」で、今やアリーナ級のモンスターバンドになりつつある彼らのライブを、その13人分の1人として伝説を目撃できたのは、今でこそ感慨深いものがある。そのデイメアDeafheavenから離れたのと同じタイミングで単独での来日がなくなったという事は、つまりはそういうことで、様々な権利関係のアレなことを察する事ができる(ファッキンソニー案件)。

確かに、デイメアDeathwishの他にも密な関係を持つレーベルが複数あって、その中の一つにSouthern Lordがある。この度、あの「伝説の名古屋公演」を実現させたデイメアが、ある意味でデフヘヴンの後釜として初来日させたバンドこそ、Southern Lordが生んだ現メタル界で最も重要なバンドであり、それがPower Tripだった。何を隠そう、Power Tripは昨年リリースした2ndアルバム『Nightmare Logic』がメタル界隈でもバズりにバズって、そのNYハードコア/パンクとスレイヤーやエクソダスなどのレジェンドがクロスオーバーした獣性むき出しの極悪スラッシュ、そして旧世代のMastodon的な世代間をDeafheavenとともに受け継いだ新世代メタルの中心がこいつらだ。つまり、今のPower Tripは紛れもなくDeafheavenの系譜にあるバンドで、そのPower Tripの初来日公演を実現させたのが、Deafheavenの初来日公演を実現させたデイメアだったのは何の因果か、あの「伝説の名古屋公演」を生で観ている自分としては妙な感動があって、とにかく今はデイメアに対する感謝の気持ちしかない。そんな心持で、僕はTWICEの新譜を聴いて「あぁ~ナヨンにイジメられてぇ~」とか思いながら、本日のライブ会場となるHuck Finnへと向かった。

ライブが始まってわかった。Power Tripのライブは、スラッシュ・メタルというより完全にパンクのソレだったんだ。2ndアルバムから1曲目の”Soul Sacrifice”と2017年度最高のバズソングこと”Executioner's Tax (Swing of the Axe)”を立て続けに披露し一気にブチ上げ、そしてフロントマンライリー・ゲイルのイキのいい煽りにまんまとノせられて、ヘドバン、ダイブ、サーフ、モッシュ、そしてサーコピッ!!まで、これもう完全にパンクだって。実際に曲を聴けば分かると思うけど、彼らが2013年に発表した1stアルバム『Manifest Decimation』ってメタルというより完全にハードコア/パンクなんですね。そんで2ndアルバムで化けすぎた結果、そこで初めてスラッシャーおよびメタラーに見つかって、想像以上にバズりすぎたってのもあって、そのバズり具合に実は本人たちが1番戸惑ってる説あって、明日にでも解散してガチで伝説のバンドになっちゃわないか心配になるくらい。実際、どこまで自分たちが想像した未来なのかは知る由もないけどね。

ライブの感想としては、テキサス仕込みのめちゃくちゃ強いパワーにトリップしたわ(ひでぇ感想)。リアルに2ndアルバムの音源の数百倍ものキレッキレのキレ味で、もはやエグいを通り越して目の前で殺戮が執り行われているような錯覚を覚えるほどの殺傷力。まるで料亭でさばかれる生魚を、その場で包丁でさばいて直で口に放り込まれるような新鮮な脂の乗ったキザミ。逆にライブであんな気持ちいい音出せるんだなって。真顔でマーシャルすげぇなって。あと、なんだろう、こうライブが始まってみると2ndアルバムの曲がパンクっぽく聴こえて、逆に1stアルバムの曲がスラッシュ・メタルとして生き返る逆転現象がまた面白くて、そういった意味でもこいつら完全にライブバンドだなって。

驚いたという意味ではセトリもそうだった。割合的には1stと2ndの曲が半々、むしろアンコールを含めると1stからの方が多かったかもしれない。普通のバンドならバズった2ndアルバムの曲を中心に選曲するはずだけど、決してそうじゃないのがテキサス親父らしいというか、この辺のセトリからも垣間見れる彼らの出自がパンクである証拠、決してメタルに日和ったわけではないというパンクスとしてのプライド、今回の賛否両論?ありそうなセトリは、そんな彼らの反骨心の現れなのかも。事実、1stアルバムなしじゃ今の立場もなかっただろうからね。

行く前は「伝説の名古屋公演」のトラウマが蘇ってきて不安だったけど、さすがに今回は休日だし、デフヘヴンの初来日公演の時とは状況が違う、ましてやバズり具合も違う。てなわけで、自分が到着した7時くらいには会場は既に7,8割は埋まってた感じ(なお半数以上パンクス)。演奏時間は体感で15分しか経ってないんじゃねぇかくらい、実際は45分~くらいの短さだったけど、終わった頃には新鮮な刺し身の切り身を延々と食べ続けてたような満腹感すらあった。「今、観なきゃ損する」とはこのこと。あれ?これもしかして来年のダンロードフェス・ジャパンで、deafheavenPower Tripとかいう”新世代”の共演あるんじゃね?清水社長~!

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