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レビュー (R)

Rolo Tomassi - Where Myth Becomes Memory

Artist Rolo Tomassi
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Album 『Where Myth Becomes Memory』
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Tracklist
01. Almost Always
03. Mutual Ruin
04. Labyrinthine
05. Closer
06. Drip
07. Prescience
08. Stumbling
09. To Resist Forgetting
10. The End Of Eternity

Holy Roar Recordsの創始者であるアレックス・フィッツパトリックが複数の女性から性的暴行を告発された件で、レーベルの看板娘であり屋台骨として二人三脚で長年共に歩んできたホームグラウンドから強制退去を余儀なくされたUKポストハードコアバンド、Rolo Tomassiの約4年ぶりとなる6thアルバム『Where Myth Becomes Memory』は、Black Label SocietyHigh On Fireが在籍するニューヨークのインディーズレーベルMNRK Heavyへ移籍して初となる作品。

改めて、UKの気鋭インディーズレーベルとしてメタルヘッズから一目置かれていたHoly Roar Recordsといえば、いわゆるUKポストハードコア系のバンドを主戦としながらも、昨今のメタルシーンにおけるトレンドのDeafheavenに象徴されるポストメタルムーブメントに乗っかる事に成功し、それこそRolo TomassiがHoly Roarへの置き土産として遺した前作の5thアルバム『Time Will Die And Love Will Bury It』は、DFHVNからの色濃い影響下にあるブラックゲイズをはじめポストロックおよびポストメタルを経由したオルタナティブな側面を大胆に取り入れたエクストリーム・ミュージックの金字塔と呼べる名盤だった。

心機一転、新天地からリリースされた本作においても彼らの革新的なアイデンティティは不変で、その先見性に富んだサウンド・スタイルは複雑極まりない静と動のコントラストを効かせたポストメタル/ポストロックの方向性へと舵を切っている。それにより持ち前のカオティックなマシズモは著しく減退した印象で、鍵盤奏者のジェイムズ・スペンス兄貴が奏でるリリカルな物語性を演出する神秘的なメロディを一歩前に打ち出したスタイルを軸としている。

幕開けを飾る#1“Almost Always”からして、それこそ2015年作の『Grievances』から始まり前作の『Time Will Die And Love Will Bury It』を経て本作まで続く三部作において、平凡なTDEPフォロワーだった彼らをTranscendentalな超越した存在に仕立て上げたRitual=儀式という名の魔改造に使用した禁忌の遺伝子(DNA)であるDeafheaven『サンベイザー』ばりにピンク色のノイズを撒き散らしながら、次第にピアノをフィーチャーしたATMSフィールドをまとったアンビエントな神秘世界を形成し、すると「叫ぶ女」界の特攻隊長であるエヴァ・スペンスたそが著しく洗練されたクリーンボイスで歌い上げる、まるでクソお世話になったアレックス・フィッツパトリックに対する「グッバイ」という餞別の言葉を示唆するリリックとともに、現代的なポストメタル然とした轟音が放つ怒涛のスケールとダイナミズムが俄然ドラマティックに物語を紡ぎ出していく。

全体を通して一聴する限りでは前作から特に大きな変化はない作風だと思いがちだが、本作において彼らがいかに凄いのかを証明するのが本作のハイライトを飾る#8“To Resist Forgetting”における、それこそまさにDeftonesが2020年作の『Ohms』においてシーンに啓示した“20年代のヘヴィネス”という現代ポストメタルの基準を、Rolo Tomassiなりの解釈で次世代のブラッケンド・ヘヴィネスあるいは全く新しいオルタナティブ・ヘヴィの一つの答えとして“ヘヴィネス”の概念を新世代仕様にアップデイトしている点←この一点に尽きる。それ即ち、マスコアレジェンドTDEPのマシズモを正統に受け継ぎながらも(出自)、10年代のメタルを象徴するDeafheavenを遺伝子組み換えレベルで経由して(フィッツパトリックによる魔改造)、そして出自もDNA(PINK BLOOD)も超越した本作でDefotnesMastodonに代表される今現在のヘヴィミュージックの最先端その先っちょまで到達しちゃってるエモさったらないというか、つまりあのTDEPすらなし得なかった偉業を成し遂げているヤバさ。とにかく、古巣のHoly Roar時代に培ったオルタナティブな革新性および先見性を今なお貫き通している事実に泣くし、それが、それこそが“元親”であるアレックス・フィッツパトリック改めアレックス・やらかし・フィッツパトリックに対する“娘”からの最大級の賛辞であり、これ以上ない別れの挨拶となっている。


もちろん、作品の衝撃度という点においては前作に劣るが、その前作において確立したエクストリームメタルを著しくトレンディにブラッシュアップした本作は、2015年作から続く三部作の最終章を飾るに相応しい集大成、と同時に自ら新天地からの再出発を祝うかのような傑作です。とにかく、このRolo TomassiがVevo化したのは素直に感慨深いものがあるというか、不謹慎だけどフィッツパトリックがやらかさなかったら実現しなかった案件なのも事実。

Replicant - Malignant Reality

Artist Replicant
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Album 『Malignant Reality』
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Tracklist
01. Caverns Of Insipid Reflection
02. Relinquish The Self
03. Excess Womb
04. Death Curse
05. Coerced To Be
06. Rabid Future
07. Chassis Of Deceit
08. Dressed In Violence
09. Ektoskull
10. The Ubiquity Of Time

2021年のデスメタル界を象徴するイタリア出身のAd Nauseamの名盤『Imperative Imperceptible Impulse』の鍵を握るキーワードの一つとしてあったのが、他ならぬ“不協和音”を意味する“Dissonant”という言葉(要素)だった。個人的に、音楽用語としての不協和音(Dissonant)と聞いて真っ先に思い出すのは、主にConvergeに代表されるカオティック・ハードコアやの人外ボイスパフォーマンスを含めた近年のDIR EN GREYだったりするのだけど、実は昨今のデスメタルシーンにおける不協和音(Dissonant)を謳い文句とした“Dissonant Death Metal”の台頭、その“Dissonant Death Metal”を代表するニュー・ジャージー州はニューブランズウィック出身の若手トリオ、Replicantの2ndアルバム『Malignant Reality』は、それこそ自身のBandcampのアルバムタイトルの横に念を入れて(Dissonant Death Metal)と表記しているように、また彼らは昨年にUK童貞デスメタル界の新星ことCryptic ShiftInoculationとのスプリット作品を発表している事からも分かるように、いわゆるGorgutsの系譜にあるテクデスを基調にカオティック・ハードコア気質の高いボーカルの遠吠え、トレンドである不協和音(Dissonant)的な不快感を催す目まぐるしい奇音やソリッドかつグルーヴィな暗黒ヘヴィネス、そしてジャズに精通するメロゥでキャッチーな要素を兼ね備えたプログレッシブなブラッケンド・デスメタルは、日本のデスメタル女子を代表する広瀬すず主演の邦画をわざわざ劇場に足を運んでまで観る一般層に「バカ」の代名詞として受け止められている“デスメタル”をインテリジェンスな音楽へと昇華する事に成功している。その現代的かつ先進的なインテリ系デスメタルとしての“Dissonant Death Metal”は、著しく勢いを増すデスメタルシーンのイコンとなり得るか?

Rolo Tomassi 『Time Will Die And Love Will Bury It』

Artist Rolo Tomassi
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Album 『Time Will Die And Love Will Bury It』
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Tracklist
01. Towards Dawn
04. The Hollow Hour
05. Balancing The Dark
06. Alma Mater
07. A Flood Of Light
08. Whispers Among Us
09. Contretemps
10. Risen

今、この日本でもPassCodeちゆなこと今田夢菜ちゃんに代表される「叫ぶアイドル」が、俺たちのスターレス高嶋にもパスコ=スティーヴン・ウィルソンと言わしめるほど(謎理論)、いわゆる「叫ぶ女」というのは世界中に存在していて、例えばメタルシーンで最も有名な「叫ぶ女」といえば元アチエネのアンジェラ・ゴソウと現アチエネのアリッサの二人だ。USを代表する「叫ぶ女」といえば、ハードコアバンドWalls Of JerichoキャンディスちゃんとIn This Momentマリア・ブリンク嬢の二人だが、ではUKで「叫ぶ女」をイメージした時に真っ先に思い浮かんだのが、シェフィールド出身のマスコアバンドRolo Tomassiエバ・スペンスちゃんである。



とにかく、MVになったこの#2”Aftermath”がトンデモなさ過ぎた。まずは幕開けを飾る#1”Towards Dawn”から、デヴィン・タウンゼンド『Ghost』を彷彿とさせるニューエイジ/スペース・アンビエントとモダンなエレクトロを駆使したオシャンティな雰囲気作りからして、これまでの”ハードコア”を軸とした彼らの音楽性とは一線を画している。そのスピリチュアルなイントロに継いで始まる本命の”Aftermath”は、まるでグラスゴー出身のレジェンドモグワイを彷彿とさせる音響派ポストロックならではの深海と身体が一体化したような幻想的な空間の中で、まるでチャーチズローレン・メイベリー顔負けの可愛らしいキュートな歌声で、惜しまれつつ解散したUKポスト・ハードコア界のレジェンドFuneral for a Friendをはじめ、往年のUKメロコアが現代に蘇ったかのようなエバちゃんによるemoい歌メロ、そしてEnter Shikariあるいは脱デスコア化したBMTHを連想させる、直下から突き上げるようなラウドネス/ポスト・ヘヴィネスが、睡眠中の深海魚もギョギョギョ!!と覚醒して一斉にヘドバンおっ始めそうな、ある種の刹那的かつ激情的なサウンドスケープとなって聞き手を飲み込んでいき、肝心の「叫ぶ女」ことエバちゃんがいつ叫ぶのかと今か今かと待ち構えてたら、そのまま曲が終わってワロタ。

この曲の何が凄いって、音だけ聴いたら完全にUKの大型新人マスロック・バンドなんだけど、ポストロックやエレクトロ・ポップやエモ/ポストハードコアなど、現在UKのメインストリームで活躍するラウドロック・バンドやエレクトロ・ユニットに隣接する音のスケール感が完全にメジャーアーティストのソレで、それと同時に全盛期のUKポストハードコアのエモーションを受け継ぐような、これからのUKロックを背負っていく覚悟と勇気に溢れた、まさに「キング・オブ・UK」を襲名するかのような新時代の”オルタナティブ・ラウド”だ。とにかく、そのローレン・メイベリー顔負けの”ポップ”なクリーンボイスとポストロック然とした音響的なアプローチは、今作を紐解く上で欠かすことのできない重要なポイントであることを暗に示唆している。



UKを代表する「叫ぶ女」は、いつの間にか「叫ばない女」へと変貌を遂げていた・・・と少し落胆したのもつかの間、1stシングルの#3”Rituals”では一転して、USのTrap ThemBlack Breathなどのクラスト/ブラッケンド・ハードコア直系の「黒」い暗黒物質を撒き散らしながら、名盤『Jane Doe』時代のConverge直系のカオティックなハードコア・パンクを繰り広げ、これこそ「光と闇」、あるいは「天国と地獄」、もしくは「ギャップ萌え」の極地で、一瞬にして「holy...」って声が漏れたくらい、やっぱこいつら只者じゃねぇって頭で理解する。


あらためて、前作の4thアルバム『Grievances』で彼らがやってのけたのは、Blackgaze化したRolo Tomassi、それ即ち「女版デフヘヴン」に他ならなかった。そのDEAFHEAVENが同年の2015年に発表したのが、『New Bermuda』とかいう80sスラッシュ・メタルのソリッドな「キザミ」を取り入れた、デッへ史上最高に「メタル」の側面を表面化させた傑作だった。で、もう僕が言わんとしていることを察してる人もいると思うけど、「女版デフヘヴン」であるこのRolo Tomassiがその影響を受けてないはずがない。それを象徴するのが、不穏な空気を醸し出すシンセとジャズのアプローチを効かせたイントロから、エバちゃんの「Strike!!」という咆哮を合図にブラッケンド/ハードコアに展開する#5”Balancing The Dark”、それとギャップレスに繋がる#6”Alma Mater”で、その2曲に共通するモノこそ、デッへ『New Bermuda』ばりにソリッドな「キザミ」要素なのだ。そのスラッシーな「キザミ」を中心としたメタル要素は今作最大のキモと呼べる部分で、これがもう全曲キザんでるんじゃねぇかってくらいキザミまくってて最高なんだ。

今作の”衝撃”は決してそれだけじゃあない。本作に収録されたトラックリストを眺めて真っ先に気づいたのは、約8分にも及ぶ長尺の曲が3曲も存在することだった。確かに、過去作にも7分台の長尺はあるにはあったけど、しかしそれはあくまでもアルバムの最後を締めくくる「演出」的な意味合いの方が大きかった。しかし、今作の長尺曲は過去の長尺曲とはまるで役割が違うくて、より本格的に”プログレッシブ”な曲構成をもって、それこそ「演出」ではなく「曲」として聴かせることに成功しているというか、つまり大作の曲も書けることを今作の中で証明してみせている。その長尺第一弾となる#4”The Hollow Hour”は、幕開けと同時にUKのana_themaやフランスのAlcestを連想させる、いわゆるPost_系のミニマルなリフ回しで始まり、エゲツない咆哮とエモーショナルなクリーンボイスを自在に操るエバちゃんのボーカル、楽器隊は楽器隊でエバ兄貴の儚いピアノソロと今作のキモである強靭なリフや「キザミ」を交錯させながら、音の強弱とメリハリをつけてドラマティックに展開していく。

そして長尺第二弾となる#7”A Flood Of Light”は、今作のハイライトを飾る感動的な名曲だ。イントロからNetflix『ストレンジャー・シングス』のサントラ風の80年代シンセがミステリアスで悲哀に帯びたSF的な世界観を形成し、再び今作の”ヒロイン”的な役割を担う”Aftermath”譲りのFuneral for a Friend直系のエモい歌メロと地盤沈下すんじゃねえかくらいのポスト・ヘヴィネスでダイナミックに展開、そして中盤の見せ場では映画『インターステラー』『ゼロ・グラビティ』ばりのスケール感溢れるATMSフィールドを全域に張り巡らせ、遂には聞き手をワームホールからの5次元空間にほっぽり出す。

次の#8”Whispers Among Us”では、再び全盛期のConvergeに急接近する重厚なブルータル/ハードコアかと思いきや、まさかのここでも”Among Us”繋がりでana_thema”Angels Walk Among Us”が収録されたアルバム『We're Here Because We're Here』をフラッシュバックさせる、これぞPost-Progressiveな展開美を披露する。そして長尺第三弾となる#9”Contretemps”は、もはやDEAFHEAVENのフロントマンジョージ・クラークの妹分とでも呼びたいくらいのエグい咆哮と、初期D F H V Nを彷彿とさせるBlackgazeおよびポストロック的な激情パートを織り交ぜた、今ここに「女版デフヘヴン」の称号を完全なものにするかのような、それこそ新世代ブラック・メタル然としたepicな曲構成でブチ上げる。その流れで、今度は音響派は音響派でもドリーム・ポップ系の音響ライクなリフレインを靡かせる#10”Risen”を最後に、アルバムを美しく締めくくる。こんな隙のないアルバムの流れは、少なくともここ最近では記憶にないくらい完璧。

なんだろうな・・・凄すぎてなんと言ったらいいのか分からない。USのMastodonやフランスのGojiraをはじめ、現行のメタルシーンで活躍するモンスター級のバンドに多大なる影響を与えた歴史的名盤であるConverge『Jane Doe』を、同じくそれらに強くインスパイアされているD F H V NPower Tripなどの新世代メタルに新解釈を加える一方で、自国UK発祥の音響派ポストロックやポストハードコアなどのPost-系、そしてKerrang!系のラウドロックやエレクトロ・ポップ、それらの「過去の遺産」と「未来の新世代」を全部ひっくるめて、自らの集大成とばかり刹那的なエモさと激情的な感情をビッグバンの如く爆発させて、サッカー電通代表の”自分たちのサッカー”ならぬUKロック代表として”自分たちのヘヴィロック”を産み落としている。

正直、これまでのRolo Tomassiのイメージってと、TDEPConvergeのフォロワー、それ以上↑でもそれ以下↓でもない印象だったけど、このアルバムで完全に見る目変わったわ。完全に化けた。つうか器用過ぎて笑う。こんな器用なこと並のバンドじゃできない。変態かよ。精々フォロワー止まりかと思ってたけど、とんでもねぇポテンシャルを秘めてやがった。とにかくセンスが異常過ぎる。しかしまさか、このRolo TomassiD F H V NPower Tripと真正面から対等に殴り合える新世代バンドの仲間入りを果たすとは夢にも思わなかったわ。もはや今年のBESTどころの話じゃねぇだろこれ。キングだ。

Riverside 『Love, Fear and the Time Machine』

Artist Riverside
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Album 『Love, Fear and the Time Machine』
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Tracklist
01. Lost (Why Should I Be Frightened By A Hat?)
02. Under The Pillow
03. #Addicted
04. Caterpillar And The Barbed Wire
05. Saturate Me
06. Afloat
08. Towards The Blue Horizon
09. Time Travellers

R.I.P. ・・・イギリスの奇才、デヴィッド・ボウイが亡くなった。80年代の音楽シーンに多大なる影響を与え、音楽面は元よりビジュアル面から思想に至る所まで、いわゆるPost-Progressive界隈並びに現代プログレ界の第一人者であるスティーヴン・ウィルソンに計り知れないほどの影響を及ぼし、そして"日本のスティーヴン・ウィルソン"こと漫画家荒木飛呂彦の感性および『ジョジョの奇妙な冒険』に絶大なる影響を与えた、その最もたる偉人が亡くなった。この時間旅行は、そのデヴィッド・ボウイに対する壮大な鎮魂曲なのかもしれない。

プログレ回帰 ・・・このポーランド出身のRiversideというのは、かのスティーヴン・ウィルソン主宰の新興レーベルKscopeが提唱する、いわゆる"Post-Progressive"とかいう流行りのシーンに決して流されることなく、個性あふれる独自のプログレッシブ・ロックを構築していることから世界的に高い評価を得ているバンドで、2013年に発表された5thアルバムShrine of New Generation Slavesは、現代に蔓延るブラック企業の社畜という名の『新世界の奴隷』をテーマに、それこそ新世代のスーパーヒーロー『アイアム・ア・ノマド・フリーマン』が現代の行き過ぎた資本主義に警鐘を鳴らすような一枚だった。一方で、その音楽的には往年のクラシック・ロックに対する理解を著しく深めていた彼らだが、前作から約二年ぶりとなる6thアルバム『Love, Fear and the Time Machine』では、そのクラシック・ロックを基にしたサウンドを着実に踏襲しつつも、しかしこれ以上懐古路線に傾倒することなく、いわゆる「超えちゃいけないライン」を超えない程度に、あくまでも"プログレ"として成立させている。正確には"プログレ回帰"した作風となっていて、しかし一言で"プログレ回帰"と言ってみても、これまでとは一味違ったプログレであることは確かで、何を隠そう、これまで意図的にPost-Progressiveという新興ジャンルから一定の距離を保ってきた彼らが遂に、というか、ここに来てようやくPost-Progressiveの世界に介入してきたのである。

(Love) ・・・ここ最近のPost-Progressive界隈では、イギリスのANATHEMAやフランスのAlcestが新しく立ち上げた新興勢力、その名も黄金界隈』が幅を利かせている状況で、この事態を受け、Post-P(ポスト-ピー)界隈の代表取締役社長兼CEOで知られるスティーヴン・ウィルソンも、2015年に発表した自身のソロアルバムHand. Cannot. Erase.の中で、SWなりの黄金の音』というのを黄金界隈』に掲示してみせた。その異常事態を察知した、SWのクローンことマリウス・デューダきゅん率いるRiversideも、敬愛するSWの後を追従するように黄金界隈』からRiversideなりのPost-Progressiveを展開している。まず、今作のタイトルに含まれたLove(愛)」Fear(恐怖)」という2つのワードからして、いわゆる"LovePeace"を最大のテーマとして掲げる黄金界隈』に、彼らRiversideが入門してきたことを意味する。何を隠そう、その『Love(愛)』『Fear(恐怖)』というキーワードは、荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』にも深い関わりを持つ。例えば→引力、即ち愛(Love)であることや、おれは「恐怖(Fear)」を克服することが「生きる」ことだと思う。世界の頂点に立つ者は!ほんのちっぽけな「恐怖(Fear)」をも持たぬ者ッ!という三部DIOや、『勇気』とはいったい何か!? 『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!『恐怖(Fear)』を我が物とすることじゃあッ!と言い放ったツェペリ男爵の名言を筆頭に、ジョジョに登場するキャラクターの言動および行動原理には、他でもない『Love(愛)』『Fear(恐怖)』という二大概念が存在している。人間は『恐怖』を乗り超えることで『勇気』を得ることができる、その言葉どおり、Riversideはこの6thアルバム『愛・おぼえていますか』の中で、これまで見て見ぬふりをし続けてきたPost-Progressiveと真正面から向かい合い、その『恐怖(Fear)』という名の時空を超えて真実の『愛(Love)』を掴みとっている。

恐怖(Fear)  ・・・人は誰しもが【変わる】ことに恐怖(Fear)し、世界的に【新しい】異分子となるものを排除する潮流にあり、その【新しい】異分子が原因で起こる問題に人々は恐怖(Fear)する。おいら、以前からPost-Progressive界の第一人者スティーヴン・ウィルソン荒木飛呂彦は限りなく近い、【≒】の存在であると考えていて、なお且つ黄金界隈』の創始者でありPost-P界の幹部でもあるANATHEMA"オルタナティブ"な音楽遍歴と黄金の精神』を提唱する『ジョジョ』の"オルタナティブ"な冒険遍歴も【≒】の存在であるという独自解釈を持っている。そもそも、『ジョジョの奇妙な冒険』というのは音楽漫画でありプログレ漫画でもある、という前置きはさておき、【ANATHEMA≒ジョジョ】であるという根拠の一つに、ANATHEMAが2014年に発表したDistant Satellitesを象徴する”The Lost Song”という組曲にも、他でもない『Love(愛)』『Fear(恐怖)』の二大概念がテーマに組み込まれていて、中でも”The Lost Song Part 1”のラストシーンにあるThe Fear is Just an Illusionつまり恐怖なんて幻想に過ぎないんだという『ジョジョ』然とした人間讃歌あふれる歌詞(セリフ)を筆頭に、ジョジョ8部『ジョジョリオン』「呪い(ANATHEMA)を解く物語」であること、バンド名を冠した"ANATHEMA"即ち"呪い"の中には『Love(愛)』が込められていること、そのANATHEMAがまさかの来日公演を果たしたこと、そして今回満を持してRiverside"LovePeace"即ち黄金の精神』を描き始めたこと、全てが糸のように繋がっている気がしてならないんだ。現代日本の"リアル"を暴き出していくジョジョ8部『ジョジョリオン』の中で、全く【新しいジョジョ】を切り拓かんとする荒木飛呂彦恐怖(Fear)は想像を絶するものがあるが、しかしその恐怖(Fear)を乗り超えられたならば、歴代最低の評価を受けている『ジョジョリオン』は晴れて傑作の評価を得ることになるだろう。
 

Love:12g⇄Fear:11g ・・・愛(Love)恐怖(Fear)よりも重いのだろうか・・・?人は恐怖(Fear)を乗り超えることで愛(Love)を知るのだろうか・・・?この『愛・おぼえていますか』を司る『Fear(恐怖)』『Love(愛)』、そして『Peace』という3つのワードが一つに集約され、リリックビデオとして先行公開された”Discard Your Fear”からして、アンニュイでメロマンティックな世界観やThe Cure”Fascination Street”をオマージュしたベースラインをはじめ、"オルタナティブ"なクリーン・トーン中心のフレーズやバッキング・ギターに魅了される。そして何よりも→Fear of new life Fear of days of the unknown No more fear of loveという、今作のコンセプトその本質を表した歌詞が全てを物語っている。その80年代のUK音楽リスペクトな耽美的なムードは、オープニングを飾る#1”Lost”から惜しげもなく発揮されていて、前作のリード・トラックである”Celebrity Touch”を彷彿とさせるクラシック・ロック譲りのリフ回し、今作のアートワークの如しどこまでも続く地平線に淡色に揺らめく夕焼けを映し出すようなリヴァーヴィでドリーミーなメロディ、そしてデビュー作『Out Of Myself』の頃にファスト・トラベルさせる抒情的かつ幽玄な旋律を奏でるギター・ワークまで、まさに彼らの『過去』へとタイムトラベルするかのような、今作の幕開けを飾るに相応しい一曲だ。で、ANATHEMAがPost-P界隈の仲間入りを果たし、いわゆる黄金界隈』創設に至る大きなキッカケとなった傑作『We're Here Because We're Here』直系のクリーン・ギターを擁したミニマルなリフで始まり、中盤からエキセントリックなハモンド・オルガンやメロトロンを駆使してグッと場を盛り上げてから、後半にかけて「キング・オブ・プログレ」としか例えようがないPost-然とした展開力を発揮する#2”Under The Pillow”、そして【新しい】ことに対する『Fear(恐怖)』と対峙する#3”#Addicted”は、イントロからPorcupine Tree”Fear of a Blank Planet”を彷彿とさせるポップなビート感に度肝を抜かれ、そのリズムからギター・フレーズ、そしてマリウスきゅんのフェミニンなボーカルを筆頭に、ニュー・ウェーブ/ゴシック・ロックが一世を風靡した80年代のイギリス音楽愛即ちLoveに溢れた、それこそ「ロマンスがありあまる」ような名曲だ。そして、この曲のアルペジオが入ってくるアウトロの場面転換というか、それこそ"イェンス・マジック"により化けたMoonspell”Medusalem”を彷彿とさせる、要するに80年代のUK音楽と現代的プログレを邂逅させたこの瞬間というのは、このRiversideがPost-Progressive界入りを宣言した歴史的瞬間でもあった。
 


タイムトラベル ・・・自らの原点である『過去』や自らの音楽的なルーツでもある80年代の音楽シーンに回帰した彼らは、今度は2ndアルバム『Second Life Syndrome』と3rdアルバム『Rapid Eye Movement』の頃にタイムトラベルする。暗鬱で内省的な世界観やポスト系のキザミで構成されたリフ回しをはじめ、中期のPorcupine TreeあるいはThe Pineapple Thiefを連想させる、それこそイギリスの空模様のようにソフト&ウェットな、それこそPost-Progressive然としたアコギを織り込みながら、ラストは一種の小宇宙を形成するようなエピカルなバンド・アンサンブルでキメる。次はそのメタリックな側面を更に追い求めるかのように、すなわち4thアルバムAnno Domini High Definitionへとタイムトラベルする#5”Saturate Me”は、プログレ・メタル然としたアクティヴでテクニカルなインストをはじめ、マリウスきゅんによるミカエル・オーカーフェルト顔負けの抒情的なボーカル・メロディとキーボードのエピカルでスペイシーな演出とともに、カタルシスを誘うアウトロのアルペジオまで揺るぎない音のスケールで繰り広げる。悪夢を見ているかのようなダーティで物哀しいマリウスきゅんのボーカルをメインに聴かせる#6”Afloat”Alcest顔負けの美しいアルペジオとアート・ロック志向のピアノ、そしてマリウスきゅんのヨンシーばりの繊細な歌声をもって恍惚感に溢れた幕開けを飾る#8”Towards The Blue Horizon”は、そのアルプスの遊牧民と化す幕開けから一転して、Opethの名曲”Bleak”Riversideなりに再解釈した猟奇的なギター・フレーズから徐々に暗黒面に堕ちていく曲で、というより、Pale Communion”River”をイントロから見せ場のスリラーなインストパートまで丸々オマージュしたような曲調で、あらためてOpethがマリウスきゅんおよびRiversideに与えた影響、その大きさを物語っている。そのタイトルどおり、それこそLet's go back to the world That was 30 years ago And let's believe this is our timeと繰り返される歌詞にあるように、『現在』から30年前の『過去』へとタイムトラベルした長旅の疲れを癒やすような、その思い出話に花を咲かせるようなフォーキーなアコギ中心の#9”Time Travellers”、そしてPink Floyd”High Hopes”をオマージュしたようなMVの映像美が見所の#10”Found”を最後に、デヴィッド・ボウイと並びPost-Progressiveの一つのルーツであるフロイドに敬意を表することで、これにてRiversideのPost-P界入りが正式に『許可』される。



再構築 ・・・「僕たちが愛した音楽、そのルーツがどこにあるのか?」を過去30年まで遡って彼らが導き出した答え、「僕たちの音楽」がこの『Love, Fear and the Time Machine』なのだ。マリウスが子供の頃に夢中になった80年代のイギリス音楽、大人になったマリウスが夢中になったPorcupine Treeおよびスティーヴン・ウィルソンOpethおよびミカエル・オーカーフェルト、それらを含むマリウス・デューダが愛した世界中の音楽との再会、つまりタイムトラベルの後遺症により"Lost"した記憶(思い出)をトリモロス(再構築)する音の時間旅行なのだ。子供の頃の記憶を取り戻し、大人になって成長した今の自分を紡ぎ出すことに成功した主人公マリウスは、右手には愛(Love)を左手には勇気(Pluck)を持って、Post-Progressiveという未知なる恐怖(Fear)に立ち向かい、その恐怖(Fear)を乗り超えた先で掴みとった【新しいRiverside】の姿が今作に刻み込まれている。そもそも、往年のクラシック・ロックの音作りでガチのプログレやるパティーンというのは、最近ではMastodon『Crack the Skye』CynicKindly Bent to Free Us、そしてOpethPale Communionが記憶に新しいが、紛れもなくこの『Love, Fear and the Time Machine』もそれらの作品と同じ系譜にあるアルバムと言える。中でも、スティーヴン・ウィルソンが手がけた『Pale Communion』は、今作に多大な影響を及ぼした一枚なのは確かで、Opeth自身もそのアルバムの中で自らの『過去』を再解釈/再構築していたが、このRiversideの場合は自らの『過去』を経由して、更にそこから30年前の音楽を再構築するという、それはまるでスティーヴン・ウィルソンミカエル・オーカーフェルトの間に生まれたマリウス・デューダという名の子供が、親の離婚という『未来』を変えるために『過去』へタイムトラベルして再構築を目指すような、それはまるで未知なる惑星へと向かう途中、ガルガンチュア内部に突入する恐怖(Fear)時空(Spacetime)を超えて究極の親子愛(Love)に辿り着いた、映画『インターステラー』マシュー・マコノヒーばりに前代未聞の事を成し遂げている。そして子(マリウス)が親(SW&MO)という絶対的な存在を超越した瞬間、気がつくと僕はマシュー・マコノヒーばりに咽び泣いていた。

繋ぎの意識 ・・・今作、とにかく曲展開の"繋ぎ"とアウトロに対する意識の高さが尋常じゃない。その繋ぎやアウトロといえば→デフヘヴンの新しいバミューダ海峡が一種のプログレに通じていたのは、他でもない展開の繋ぎとアウトロの意識の高さにあって、今作のRiversideも例外はなく、繋ぎのメリハリを強調することによりプログレという名の様式美/構成美が刻まれていく。そして、いかに今作がOpeth『Pale Communion』をお手本にしてるのかが分かる。特に、#2,#3,#4のクライマックスで垣間見せる、四人の個が互いに高め合いながら一つになり、ナニモノも立ち入ることを許さない"四人だけのセカイ"を構築する孤高のバンド・アンサンブル、それは現代のプログレと称されるポストロック的ですらある、まさにポストでモダン、リリカルでエピカルなPost-Progressive然とした展開力、ある種の「静寂の中にある狂気」は息を呑むほどに「ロマンスがありあまる」。もはやバンドとしての一体感は、ポスト界隈の幹部勢を優に超えたものがあるかもしれない。

変わる ・・・初期二作のクサメロ全開の辺境プログレっぷりから、一転して3rdアルバムではTool直系のモダン/オルタナ化したと思えば、次の4thアルバムではメタリックなモダン・ヘヴィネス化したりと、元々Riversideって【変わる】ことを決して恐れないバンドではあるのだけど、この『Love, Fear and the Time Machine』における【変わる】の意味は、これまでの【変わる】とは意味合いがまるで違う。ピョートル(兄)のギター・ワークからアコギおよびアルペジオをはじめ、それに伴う曲作り/曲構成、そしてリリック面に至るまで、全ての音のトーンが完全にポスト化へとシフトしている。いわゆる洗練されたとかモダン化したとか、そんなベクトルの話とは違くて、ただただ「これがプログレなんだ」感しかない。マリウス&ミシャのインテリコンビとガチムチ系ピョートル兄弟からなる、この凸凹過ぎるギャッピーなビジュアルからは想像つかないほどの、音楽に対する柔軟性や器用さを過去最高レベルで発揮している。中心人物であるマリウスきゅんはマリウスきゅんで、クリエイターとしての才能とソングライターとしての才能を過去最高に高い次元で爆発させている。そして過去最高にSW愛に満ち溢れた作品でもあって、ソロプロジェクトのLunatic Soulで垣間見せたSW愛をそのままバンドに持ち込んだような形とも言える。僕は今作における【変わる】の意味に対して、「軸がブレた」とか、「オリジナリティが薄れた」とは微塵も思わない。むしろSWの正統なクローンだからこそ実現可能にした、紛れもなく真のオリジナリティだ。
 
Love, Fear & the Time Machine
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Riverside
Imports (2015-09-11)
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赤い公園 『透明なのか黒なのか』×『ランドリーで漂白を』

Artist 赤い公園
赤い公園

EP 『透明なのか黒なのか』
透明なのか黒なのか

Tracklist

01.
02. 透明
03. 潤いの人
04. 副流煙
05. 世紀末

EP 『ランドリーで漂白を』
ランドリーで漂白を

Tracklist

01.
ナンバーシックス
02. よなよな
03. 血の巡り
04. ランドリー
05. 何を言う

EP ランドリー黒なのか』
ランドリーで黒なのか

Tracklist
01. 塊
02. ナンバーシックス
03. 透明
04. よなよな
05. 潤いの人
06. 血の巡り
07. 副流煙
08. ランドリー
09. 世紀末
10. 何を言う

・・・赤い公園の1stフル公園デビューは、2ndフル猛烈リトミックの一つの原形となるアルバムで、その『猛烈リトミック』は言うなれば非リアが大学デビューしてキョロ充化したような名盤だった。なんだろう→1stの『公園デビュー』では”赤い公園”という名のジャンルをやってたが、2ndの『猛烈リトミック』では”ノイズロック””メタル”という名の”音楽ジャンル”を演奏している”理性的”な感覚があって、そういった意味ではオリジナリティというか、赤い公園の”本能的”な部分は1stの方が上かもしれないし、それがプロデューサーを迎えるという事なのかもしれない。で、この赤い公園『公園デビュー』の一年前に、『透明なのか黒なのか』『ランドリーで漂白を』という二枚のEPを連続でリリースしていて、前者が黒盤で後者が白盤の2つで1つ的な位置づけで、黒盤が奇数番で白盤が偶数番というパズルのようにリンクする仕様。それぞれ曲間に数秒から数十秒のシークレット・トラックが隠されている。

ランドリー黒なのか ・・・その『公園デビュー』は、俄然初期相対性理論っぽいサブカル向けの雰囲気を醸し出しつつ、音的には尖った初期衝動を纏いながらカオティックにゴリ推していくツンツントゲトゲしたアルバムだったが、その謎の相対性理論っぽさは、このEPにex-相対性理論真部デトックス脩一西浦謙助とかいう二人のサブカルクソ野郎の名がクレジットされているのを見れば、我々は全てを察することができるだろう。この二枚のEPでは、俄然その相対性理論リスペクトなシューゲイザー/ポストロック主体の楽曲を展開していて、赤い公園の等身大すなわちスッピンをありのまま見せつけていた『公園デビュー』よりも、各メンバーの音楽的ルーツや嗜好が素直な形で音に反映されたアルバムと言える。というわけで、せっかくだから仕様どおり一枚に組み合わせて、つまりランドリー黒なのか』として聴いてみた→まず、先にリリースされた『透明なのか黒なのか』の幕開けを飾る#1”塊”から、まるで「スラッジメタルかな?」ってくらいの轟音ギターにド肝を抜かれ、歌よりもモノマネの方が上手いことで知られるVo佐藤千明が毒気のある歌詞を声を張り上げて激情的に歌い上げる、それこそ初期椎名林檎あるいは鬼束ちひろを連想させるヤンデレ系のダーティさを纏った、まさしく黒盤のイメージとリンクするかのようなオープニング曲で、さしずめ渡辺真知子の名曲『かもめが翔んだ日』への現代からのカウンター・ソングといったところか。で、い方の幕開けを飾る#2”ナンバーシックス”は、一転してゆるふわ系のあざといコーラスやカウベルなどの軽音楽器を駆使した、それこそ相対性理論を彷彿とさせる日常系の歌詞をユル~く歌い上げるVo佐藤と真部デトックス脩一のウザキモいコーラスが織りなす、シュールでファンキーかつファニーな脱力系ガールズ・ロックナンバーで、この黒盤白盤を一曲づつ聴いただけで→赤い公園そのコンポーザーである津野米咲の音楽的バックグラウンド、その振り幅の異常な広さや新人バンドとは思えないズバ抜けたアレンジ・センス、そして何よりも”Post-系”に対する意識の高さに圧倒される。再び黒盤から、まるでWhirr顔負けのリヴァーヴィなシューゲイジング・アプローチを垣間みせる#3”透明”、一方の白盤からkawaiiアレンジを効かせたガールズ・ロック直系の#4”よなよな”、コーラスとアコギが奏でる不協和音のように不規則なリズムと病んだ雰囲気で始まって、Rolo Tomassiを思わせる8bit系ゲーム音楽や椎名林檎っぽいアダルト&ジャジー風のフェミニンなアレンジを振りまきながらアヴァンギャルディに展開する#5”潤いの人”、一転して白盤からウザいくらい賑やかに展開する#6”血の巡り”、そして名盤『猛烈リトミック』を語る上で欠かせない一つのポイントとなっていたのが”タバコ”という名の毒素で、まるでMonoや近年ANATHEMAを連想させるATMS系ポストロッキンな#7”副流煙”は、ミニマルなメロディがタバコの煙となって身体にネットリとまとわりつき、息もできなくらい大気に充満していく。そのダーティな余韻を深く味わいつつ、イタリアの至宝Klimt 1918の1stアルバム『Undressed Momento』を彷彿とさせる#8”ランドリー”の、それこそオルタナ系の恍惚感のあるメランコリックなメロディに衝撃を受けた僕は→「My Heart is アヒ~ン...」とかいう言葉を発しながらその場で絶頂してしまった。まぁ、それは冗談として→そもそも赤い公園って、メロディの質が洋風っぽいってのは今さら言わずもがなで、その中でも僕がピンポイントで聴いている海外バンドに直結するメロディ・センスっつーか、自分でもまさか赤い公園の曲を聴いててWhirrKlimt 1918、そしてWarpaintの存在が脳裏に浮かび上がるなんて...まるで想像してなかった。まぁ、一言で”オルタナティブ”って言っちゃえばそれまでなんだけど。とにかく、赤い公園津野米咲の”ルーツ”を伺わせるシューゲイザー/オルタナティブなセンス、それこそ”邦楽界のWarpaint”と言っても過言じゃあない、その音響意識の高いアレンジ・センスからは、この赤い公園が近頃のメロディを蔑ろにしているクソみたいな邦楽ロックバンドとは一線を画した無二の存在、その証明となっている。おいら、だから”海外でウケる、ウケない”という意味では、tricotよりも赤い公園のが”ウケる”ような気がするし、だからこそ一例として”俺の界隈”代表取締役社長兼CEOで知られるスティーヴン・ウィルソンの名を挙げている思惑というかナニがあったりして、実際黒盤とかSWが聴いたら絶対に喜ぶだろなーって。もはや僕レベルになると、黒盤初期DIR EN GREYの親和性を見出し始めている。お話を戻して→その黒盤っぽさの薄い#9”世紀末”から、ピアノ主体で聴かせる#10”何を言う”まで、最後に醤油ネタをぶっ込んでくるところも、それこそ赤い公園のラジオやライブMCのように、いちいち笑えるフリークでフリーダムなセンスに溢れている。

猛烈リトミック

右手にポップス、左手にクソ ・・・当然、個人的=Welcome To My ”俺の感性”の嗜好を考慮すると黒盤のが俄然好みだけど、正直この二枚を合わせて聴くと驚くほど馴染むというか、違和感とか一切なくて、むしろ組み合わせて聴くことを前提に作られているせいか、もはや『猛烈リトミック』同等...いや、それ以上の完成度に驚かされる。少なくとも、楽曲アレンジの練り具合はリトミックより秀逸だ。初期椎名林檎系の少し奇をてらった歌詞や幽玄かつフェミニンなムーディズム、ハードなギター・サウンドやアヴァンギャルドで予測不可能な展開力の高さをウリとするガールズ・ロックらしからぬ黒盤と、一方で持ち前のゆるふわ系のコーラス・ワークやガヤみたいなSEや赤い公園の秘密兵器であるカウベルを駆使した、実にユニークかつファニーなアレンジで楽しく聴かせるサブカル系ガールズ・ロックらしい白盤、この二面性こそ赤い公園を構成している女の子らしい”ユルさ”『惡の華』のヒロイン仲村佐和顔負けの深い闇を抱えたドス黒い”狂気性”、わかりやすく言い換えれば『右手にポップス、左手にクソ』を両手に絶妙なバランスで均衡を保った『猛烈リトミック』の正統な”ルーツ”と言っても過言じゃあないし、いや単体でも十分に凄いアルバムなんだけど、い”ポップ”な部分があるからこそ”クソムシ”な部分がより際立つというか、なんだろう...この二枚のEPや1stフル『公園デビュー』があってこそ、それらを大衆向けに”再構築”して出来たのがあの『猛烈リトミック』なんじゃねーかって。それこそポップスの中に魔性の毒を込めた、その一種のギャップ萌えが『猛烈リトミック』の面白さでもあるんだなぁと。そう考察してみると、あの『猛烈リトミック』って本当にアソビが一切ないマジメなアルバムで、本当に売れたくて売れたくてしょうがないアルバムだっったんだなーって。でも売れない・・・そこが赤い公園の絶対的な”エモさ”だ。

シークレット曲=木 ・・・これは今作に参加しているex-相対性理論の真部が加入したVampilliaの楽曲にも繋がってくる事なんだけど、黒盤のシークレット曲に”season of mine”ってのがあって、それがアニメ『惡の華』のEDやVampillia”endless summer”っぽい感じがして、他にも津野米咲が男性ボーカルとデュエットした”CRAZY 4 U '12 winter ver.”とかいうシークレット曲を聴けば、数多く存在する赤い公園の”ルーツ”の一つに”昭和歌謡”が存在するのが分かる。だからVo佐藤千明『かもめが翔んだ日』を歌って欲しいと思っちゃったんだからしょうがない。で、白盤”uh-huh, OK”って曲では、真部か誰かがキモく唸ってて、それらシークレット曲ひとつ取ってみても、赤い公園のルーツや嗜好回路が顕著に垣間見えてくる。あとこれらのシークレット曲は『猛烈リトミック』”木”の歌詞で出来ているって・・・これマジ?

逆輸入 ・・・このEP、初期の林檎や理論が好きな僕が気に入らないわけがなかった。でも椎名林檎とも相対性理論とも違った方向へと向かっているのが、この赤い公園の面白いところでもあって。少し心配なのは、この若さで異常に音楽を知りすぎているし、いい意味でも悪い意味でも完成されすぎている所で、要するに色々な意味で赤い公園の集大成となった『猛烈リトミック』の次に一体ナニやんの?っつー話で、何度何度も忠告のように言うけど、”これ以上ポップになったら誰も聴かなくなる”のは目に見えているから、理想は今の立ち位置から二歩か三歩くらい下がって、そしてスティーヴン・ウィルソンをプロデューサーに迎えて黒盤白盤の再来をやる!・・・ってのが僕の妄想です。いや、わりとマジでコイツらならSWと組めるんじゃあねーかって。つまり・・・国内で売れないなら海外から逆輸入や!
 
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