Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

レビュー (D)

dynastic - Rare Haunts, Pt. I

Artist dynastic
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Album 『Rare Haunts, Pt. I』
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Tracklist
01. the actor
02. 54320 (feat. DJ Re:Code)
03. lovely aka fire away (feat. Jedwill)
04. 8 months in my head (feat. goji!)
05. brand new rainbow
06. still watching? (feat. PSX)
07. bela fujoshi's dead
08. karma! (feat. mothgirl)
09. mary kate & executioner (feat. Eichlers, oldphone)
10. pining, revisited
11. dattebayo

さしずめ“ハイパーポップ化したマイケミ”とでも称すべき、記念すべき1stアルバムI Know There's Something Left for Youを今年の2月に発表したサンフランシスコ出身のdynasticといえば、それこそ「あの頃の洋楽」を象徴するマイケミさながらのエモ/ポップパンクとZ世代を象徴する音楽ジャンルであるハイパーポップ、そして昨今のBandcamp界隈のトレンドが混沌とした現代社会の闇渦の中で邂逅した、日本の(sic)boyとともに「第5世代のエモ」を司る次世代アーティストの一人だ。

そんなdynasticの約半年ぶりとなる2ndアルバム『Rare Haunts, Pt. I』は、それこそ幕開けを飾る#1“the actor”からして、「古き良き俺たちの洋楽」を司るコテコテのポップパンクにイマドキのトラッピーなビートを打ち込んだハイパーロック!を繰り広げると、互いの作品でフィーチャリングし合う仲の盟友DJ Re:Codeを迎えた#2“54320”、ハイパーポップならではのカオスを内包したグリッチーなアレンジとエモパンクが交錯する#3“lovely aka fire away”、いわゆるバンキャン・ミュージックとしての側面を垣間見せるローファイ志向の強い#4“8 months in my head”、ハードロックさながらのエッジを効かせたギターを打ち出したドライヴ感あふれるポスト・ハードコアの#5“brand new rainbow”や同曲よりも俄然ソリッドでヘヴィな#6“still watching?”、その全てを飲み込まんとする激情的なシャウトとポスト・メタリックな轟音ギターがブルータルなデカダンスを奏でる曲で、日本のサブカルを司る“腐女子”を冠する#7“bela fujoshi's dead”、米南部のカントリー/ブルース風の冒頭から一転してテキサスのGonemageMachine Girlさながらのカオティックなニンテンドーコアを展開する#8“karma!”を筆頭に、ローファイやノイズ/グリッチ、バキバキのオートチューンや“emo(イーモゥ)”特有の内省的なメロディ、そしてケロケロボニト的なバブルガム/サブカル要素の巧みなクロスオーバーを実現させた、ハイパーポップならではのバラエティに富んだ1stアルバムに対して、この2ndアルバムはあくまでフィーチャリングの楽曲を中心としながらも、ポップパンク・リバイバルの視点はもとより、俄然ポストハードコアに肉薄するエッジを効かせたギター・サウンドに著しく傾倒している印象。もはやハイパーポップ云々は抜きにしてメロコア好きなら絶対に聴いてほしいレベル。


そしてdynasticのサブカルヲタクっぷりを確信付ける#10“pining, revisited”では、冒頭から見栄なり流行なり妄想なり阿呆なり、あらゆるものを呑み込んで、たとえ行く手に待つのが失恋という奈落であっても、暗闇に跳躍すべき瞬間があるのではないか(それができりゃ苦労しないよ)。今ここで跳ばなければ、未来永劫、薄暗い青春の片隅をくるくる回り続けるだけではないのか。このまま彼女に想いを打ち明けることなく、ひとりぼっちで明日死んでも悔いはないと言える者がいるか。いるならば前へ!とかいう、湯浅政明監督のアニメ映画『夜は短し歩けよ乙女』の先輩役CVの星野源のセリフのサンプリングが飛び込んできたと思ったら、最後は同作に“黒髪の乙女”のCVとして出演している花澤香菜さんの大切にしますのサンプリングで締めくくる神オチ。なんだろう、今回のサンプリングはParannoulがアニメ『NHKにようこそ!』からサンプリングした某曲を彷彿とさせる激情ハードコア味を感じた(サンボマスターじゃないけど)。


まさかの星野源、まさかの花澤香菜さんのサンプリングは流石に笑ったけど、その謎めいたJapanese fujoshi要素は、実はdynasticが2021年に発表した“火事! 金玉で!!”とかいうタイトルのコラボ曲(謎すぎるタイトルや下ネタ全開の歌詞に反してめっちゃいい曲)において、日本語の歌詞を交えてフィーチャリングしたのが今回の伏線として存在しているのも事実。中でも、地元がサンフランシスコの“外人”が英語の歌詞が思いつかなかったから日本語でてめぇの爆乳さわってもいい?とか言っちゃうスクールカースト最底辺の非モテを極めたリリックは、もはやEワードを超えたDT(童貞)ワード過ぎて笑う(この曲がたった500再生程度とか...もう人類は音楽を聴く資格ないです)。

DIR EN GREY - Phalaris

Artist DIR EN GREY
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Album 『Phalaris』
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Tracklist
01. Schadenfreude
02.
03. The Perfume Of Sins
04. 13
05. 現、忘我を喰らう
06. 落ちた事のある空
07. 盲愛に処す
08. 響
09. Eddie
10. 御伽
11. カムイ

2014年作の9thアルバム『ARCHE』以降のDIR EN GREYを司る邪神的な存在というと、インダストリアル~エレクトロ風のモダンな打ち込みを持ちより、DIR EN GREYの楽曲に彩りを与えた張本人であり、いわゆるマニピュレーターとして裏側からバンドを支えるsukekiyoでもお馴染みの匠師匠の存在に他ならなくて、前作から約3年9ヵ月ぶり通算11作目となる本作の『Phalaris』においても、裏方という普段は目立たない立場から“実質プロデューサー”として表立つかの如し、俺たちの匠師匠の存在感は日に日に増すばかりだ。

近作のDIR EN GREYにおいて、その存在を誇示する匠の象徴的な仕事といえば、2018年作の10thアルバム『The Insulated World』の翌年にリリースされたシングルの“The World Of Mercy”に他ならない。この曲は、前作における“Ranunculus”の延長線上にあるモダンな打ち込みを中心に構築された大作であり、まるで近年のBMTHPorcupine Treeのスティーヴン・ウィルソン(SWワークス)さながらの著しい打ち込み志向とシンクロするかのような、同時に彼らが古くから嗜好してきた大作路線の新機軸を切り開くかのような一曲だった。

そんなDIR EN GREYの大作志向の高まりを予感させた時期というか楽曲といえば、古くは『MACABRE』に始まり、中でも彼らの最高傑作と名高い『UROBOROS』を代表する“Vinushka”やDSSこと『DUM SPIRO SPERO』を代表する“The Blossoming Beelzebub”と“Diabolos”は、彼らが長年培ってきた大作路線のピーク期と言える。それら過去の名曲をはじめ、シングルの“The World Of Mercy”の大作志向を引き継ぐように本作の幕開けを飾る#1“Schadenfreude”からして、名盤『UROBOROS』と共鳴する呪詛的なニューエイジズムを内包したエクスペリメンタリズムと、傑作『DSS』における破滅的なドゥームネスが約十数年の時を経て邂逅する冒頭に始まり、そのイコンとなる二枚の傑作や名シングルの“激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇”に象徴される、言うなればDIR EN GREYの黄金期と呼ぶべき時代のエクストリーム・ミュージックを司るブルータルな殺傷リフ、『ARCHE』における“Un Deux”や『The Insulated World』で培った「メシュガーをディルなりに再解釈」したマシらないギョントコア系のリフ、そして地獄の業火に晒されながら狂乱する京のアッチョンブリケボイスを咀嚼しながら『MACABRE』流の構築力で仕上げたような、それこそウロボ以降の集大成とでも言うべき大作らしい大作となっている。

「KATATONIAは好きですか?」

まるで“実質プロデューサー”の匠が「あの頃」のイェンス・ボグレン、そしてイェンスの右腕で知られるフランク・デフォルトに代わって、レトロモダンなキーボードと優美なストリングスを指揮する、要するにイェンス・ボグレン時代のKATATONIAで馴染み深い、いわゆる「Bサイド」と称されるゴシカルな耽美性を醸し出す#2“朧”は、先ほどとは一転してsukekiyoの支配下にある京の官能的な歌声をフィーチャーしたミドルテンポのオルタナチューンで、この手の「カタトニア好きか?」としか言いようがない曲は近作の中でも珍しいというか、ある意味ではウロボ以前の世界観に近い曲なのかもしれない。そういった意味でも、全盛期のKATATONIAとイェンス・ボグレンおよび今現在のDIR EN GREYと匠師匠の関係性は、いわゆる“実質プロデューサー”という枠組みでニアリーイコールと解釈すべきかもしれない。

ディルのフォロワーでもあるエクストリーム同人ヴィジュアル系メタルこと、Imperial Circus Dead Decadenceが先日発表した3rdアルバム殯――死へ耽る想いは戮辱すら喰らい、彼方の生を愛する為に命を讃える――。と本作の『Phalaris』って、実はめちゃめちゃ韻を踏めちゃう作品同士で、それこそICDDに対する本家からの回答とばかり、“実質プロデューサー”によるサイコスリラー映画のサントロの如し魑魅魍魎蠢くシンフォニーを抱えて、ドラムのシンヤが珍しくエクストリームメタル然としたブラストビートを刻みながら狂喜乱舞する#3“The Perfume Of Sins”は、本家ディルが誇る道化さながらの狂言師ならぬ京言師が取り仕切る見世物小屋でアヴァンギャルディなからくりサーカスを繰り広げる。

その後も「アルケー好きアルケ?」とツッコミ不可避なほど『ARCHE』の雰囲気を引きずったリフメイクとフックの効いた京の歌メロにフォーカスした#4“13”、京言師ならではのボイスパフォーマンスを発揮する#5“現、忘我を喰らう”、『DSS』を代表するDSこと“Different Sense”の系譜にあたるシングルの#6“落ちた事のある空”、再び“実質プロデューサー”である匠師匠の業に裏打ちされたスケキヨmeet懐春みたいな#8“響”、前作のパンク/ハードコアっぽさを踏襲した古き良きヴィジュアル系のヘドバン(BPM)を刻む#9“Eddie”、冒頭から『ARCHE』の名曲“Behind A Vacant Image”を思わせる匠ノイズを打ち出した#10“御伽”、そして本作における“体内性”を司る冒頭の“Schadenfreude”と対となる曲で、本作における“体外性”を司る同大作の#11“カムイ”は、過去作由来のエクストリーミーなアプローチを強調した同大作に対して、この曲では“朧”におけるKATATONIAのBサイドやsukekiyo的なオーケストレーション/アコースティックギターを軸に『MACABRE』的な構成で仕上げたような、言うなればSWもビックリの「ディルなりのポスト・プログレッシブ」であり、またバンドサウンドが合流する中盤以降はDeftones『Ohms』で啓示した“20年代のヘヴィネス”の在り方をディルなりに再現している。

ここまで本作を端的に総括すると、『ウロボ』や『DSS』はもとより、厳密に言えば『ARCHE』以降の近三作を総括する「集大成」的な作風であり、裏側から見れば“実質プロデューサー”である「匠の集大成」とも言えなくもない本作品。一方で、集大成っぽい要素を多分に孕んでいる作品群にありがちな「うん、そうだね」みたいな想定内の感想しか出てこないのも事実。正直、フォロワーのIDCCに喰われちゃってるというリアルな話はさて置き、シンプルにソングライティングに対して懸念を抱いた虜も少なからずいるはず。それほど既視感ならぬ既聴感が強い、悪くいえばネタ切れ、それこそ引用元の過去曲のが面白いという至極単純明快な話というか。だから虜は一度でいいからICDDの最新作と『Phalaris』を聴き比べてもろて。絶対に「feat.小岩井ことりィ?!」ってなるから。

ただ一つだけ言えることは、何度も「アルケーとカタトニア好きか?」とツッコまざるをえないほど、良くも悪くも「KATATONIA」の存在が一つの大きなキーワードとなっている本作品。というのも、当記事の冒頭部に『ARCHE』以降の【DIR EN GREYと匠師匠】ニアリーイコール【KATATONIAとイェンス・ボグレン】と書いたように、KATATONIAとイェンスが離別してリリースされた『死の王』こと『Dead End Kings』において、メンバー自身がエンジニアとしてミックスを手がけた結果どうなったか?その結果として、まるで「音が死んでる」ようなクソ音質の駄作が誕生してしまった事は、長いメタル史の記録に悪い意味で名を刻む悲劇として人々に記憶された。

重度のKATATONIAフアンである僕が当記事で提唱したい説...それこそが『Phalaris』=『Dead End Kings』説、つまりDIR EN GREYなりの『死の王』であるということ。もとより色素の薄い音楽を奏でるバンドが、著しく無印良品みたいなモノクロームの無機的な世界観に振り切った本作品、その要因となるサウンド・プロダクションやメロディの点でも、近作において最も取っつきにくい印象を受ける。繰り返し聴いても過去一で「音が悪い」、メンバー全員の難聴を疑うほど音質が悪い。それもそのはず、本作のエンジニアにはBFMVのセルフタイトル作品や、過去に俺的クソ音質大賞を受賞しているTrivium『In Waves』を手がけたカール・バウンが関わってると知ったら全てに納得したというか(クソ音質マイスターとクソ音質メイカーは引かれ合うじゃないけど)、もはやここまでくると確信犯というか、こいつらわざとクソ音質にしてる説が濃厚になった。わざとじゃなきゃここまでクソ音質ムーブしないはずだから。とにかく、本作の「音が死んでる」ようなモコモコした淡白な音質を耳にしたら、歴史的駄作である『死の王』『In Waves』のトラウマが蘇ってしまった。

確かに、過去この“死音”を擁して面白いアルバムが作られていたとしたら全然納得できるけど、残念ながらこの世に一枚も存在しないのも事実で、むしろ歴史的な駄作と評価されることの方が断然多い。このクソ音質を好意的に解釈すると、このクソ音質を背負って史上初めて面白い作品に挑んだ歴史的な作品であるということ。つまり、ヴィジュアル系を代表するクソ音質マイスターが史上最悪のクソ音質をもって面白い作品を生み出さんとする、それこそチクビームのクソ音質を知りながらも故意にクソ音質を追求するド変態、もとい貪欲な姿勢に何を感じるかによって、本作の評価を大きく左右する事になりそう。少なくとも、本作を聴いて真っ先にチクビームのアレがフラッシュバックした自分みたいな人は、トラウマ級の作品になってしまうかもしれない。そのクソチクビを知っているor知らないかで評価が一転する奇々怪々が過ぎる作品・・・要するに、チクビームが全部悪いw

俄然このクソ音質を好意的に解釈するなら、あえて「音を殺している」んじゃねぇか説だ。つまり、本作におけるクソ音質は「ディルなりのデスメタル」のメタファーだったんだよ!な~んてエクストリーム擁護はさて置き、この『Phalaris』に内在するブルータル/デスメタル由来のエクストリームメタルのアプローチに対する、ある種の好意的な忌避の可能性というか。例えば、サウンド・プロダクションが音楽ジャンルを司る上において最たる要素であると仮定するなら、今作は“メタル”ではなく、あくまで“ヴィジュアル系”としての立場を暗喩しているとも言えるし、もしそうだとしたら全てに納得できなくもない。そのサウンド・プロダクションの是非についての考え方が、ヘヴィ・ミュージック界の中でヴィジュアル系として生き残る術であり、その術を模索し続けた結果を体現したような本作におけるヴィジュアル系宣言は、ただただエモ過ぎて泣く。

マジメな話、かのイェンス・ボグレンが手がけたシングルの“激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇”がアルバム版でクソ音質化した逸話に象徴されるように、古くからDIR EN GREYはサウンド・プロダクションの悪さに定評のあるバンドで、それこそ当時『UROBOROS』がメタリカの『Load/Reload』に匹敵するクソ音質と揶揄され過ぎた結果、『DSS』を手がけた海外エンジニアのチュー・マッドセンを迎えてリマスタリングされた同作が、今ではその超越的な音楽性と原盤のクソ音質が正解だった事実を鑑みれば、今作におけるクソ音質も彼らにとっては「最高音質」なんですね。つまりメンバー全員が難聴だとか、全く音にこだわってないからクソ音質になっているのではなく、人一倍に音にこだわっているからこそのクソ音質、つまり全て意図されたクソ音質であると。

本作のような「音質に“答え”が書いてある作品」というのは、サウンド・プロダクションだけで「PTの音」だと知らしめていたPorcupine Treeの復活作が、奇しくも本作と同じ11thアルバムだったのは果たして偶然だろうか。ともあれ、作品ごとにミックス/プロダクションを変化させて独自の世界観を創造したり、一方で世界の色を殺したりと、彼らの音質に対するこだわりは並のバンドの比ではない、言わば「創造的破壊」の思想が根底にあるのだと改めて痛感させられた。しかし、その好意的クソ音質のサウンド・プロダクションと、著しく鮮度の落ちたソングライティングの兼ね合いをフラットな視点から批評すると、正直なところ「ディルなりのメシュガー」をやってのけた前作の方が俄然ユニークで面白かったと言わざるをえない。一つだけ確かなことは、本作に点数を付ける場合、10点満点中7点以上は絶対に付けられないアルバム。それだけは確かだと思う。

Denzel Curry - Melt My Eyez See Your Future

Artist Denzel Curry
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Album 『Melt My Eyez See Your Future』
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Tracklist
01. Melt Session #1
02. Walkin
03. Worst Comes To Worst
04. John Wayne
05. The Last
06. Mental
07. Troubles
08. Ain't No Way
09. X-Wing
10. Angelz
11. The Smell Of Death
12. Sanjuro
13. Zatoichi
14. The Ills

マイアミ出身の“ブラックメタル・テロリスト”ことデンゼル・カリーが2018年に発表した名盤『Ta13oo(タブー)』において、当時のビリー・アイリッシュを同年のサマソニに招致したクリマン清水社長並の審美眼をもって共演した名曲の“Sirens | Z1renz”は、その年の俺的BESTラップソングの一つだったが、当時その曲でフィーチャリングしている女性歌手が(その後に『007』の主題歌に抜擢される)あのビリー・アイリッシュだと知らない状態で聴いてたのもあり、しばらく後になってその事実に気づいた時の衝撃というか引力ったらなかった。しかし、2020年に開催予定だったビリー・アイリッシュの単独来日公演のチケットが奇跡的に取れたのに、某コロナによって開催中止に追いやられたのは今でも思い出しては泣く。

改めて、2ndアルバム『Ta13oo(タブー)』でもフィーチャリングしているZillaKamiGhosteManeに代表される昨今のトラップ・メタルムーブメントの立役者であるデンゼル・カリーといえば、マソソソ・マソソソをはじめKornGHOSTなどの新旧ヘヴィミュージックやハイパーポップのAlice Glassが在籍するワーナー傘下のレーベルLoma Vistaに所属している一方で、その『タブー』や2019年作の3rdアルバム『Zuu』に至っては、スティーヴン・ウィルソンのソロ作でもお馴染みの大手ユニバーサル傘下のCaroline International(現Virgin Music Label & Artist Services)から作品をリリースしている。要するに、彼は現代ポップス界におけるアイコンと化したビリー・アイリッシュをはじめ、バズったRATMのCoverやトラップ・メタル界はもとよりクセの強いロック畑のバンドとも親しい共通点を持った、比較的オルタナティブな立ち位置にいる珍しいラッパーで、それ故に自分のようなロック耳にも否が応にもブッ刺さる、幅広い音楽を咀嚼したロック的なサウンドとトラップ/ヒップホップならではのビートがシームレスに交錯するラップをウリとしている。

また、デンゼル・カリーは人生においてインスパイアされた作品の一つに『カウボーイビバップ』を挙げるほど、そして今現在は『呪術廻戦』にハマっていると公言するほど日本の文化やサブカルチャーに強い関心を持ったラッパーでも知られる。そんなカリーの日本文化に対する珍妙な視線は、名盤『タブー』に収録された“Sumo | Zumo”の曲名が日本の国技である相撲から名付けられている点からも明らかだ。その次作となる3rdアルバムの『Zuu』では、一転して前作『タブー』が評価された所以と呼べるジャズ/R&B的なムードや地元マイアミ特有の倦怠感のあるチルい匂いを乗せたAOR風のシンセを極力排除して、それこそ“Sumo | Zumo”の系譜にある地元マイアミ直伝のトラップ/ギャングスタ・ラップに重きを置いた、要するに自身のラッパーとしての側面を深く掘り下げた作風で、これはこれでカリーが持つ別の顔というかジモティー愛に溢れた作品で決して悪いものではなかった。


言い方は変というか無礼(者)だが、そんなカリーの「復調気配」を垣間見せたのが、2021年にDJのKenny Beatsとコラボした『Unlocked 1.5』の冒頭を飾る“So.Incredible.pkg (Robert Glasper Version)”に他ならない。その伏線を回収するかの如し、本作の『Melt My Eyez See Your Future(目が溶ける 未来を目指せ)』の幕開けを飾るジャズピアニストのロバート・グラスパーをフィーチャリングした“Melt Session #1”では、本作の根幹部を担うネオソウルとドラムンベースが融け合った、それこそ名盤『タブー』の延長線上にあるジャズ/R&B的なムード志向のクラシック・スタイルへの回帰を示すと、それをイントロ扱いとして本作のリード曲でありシングルの#2“Walkin”へとスムースに展開していく。また、#4“John Wayne”ではカリーの盟友JPEGMAFIAが、そしてファンク調の#11“The Smell Of Death”では雷猫ことサンダーキャットがプロデュースを担当している。


それらシングル曲におけるジャケの日本語表記や“相撲”ネタはもとより(某SWの『ザー・フューチャー・バイツ』リスペクトか?)、本作の目が溶ける 未来を目指せにおいても日本映画界の大スターである三船敏郎主演の黒澤明映画『椿三十郎』からインスパイアされたトラップ・メタルの#12“Sanjuro”、そして北野武版でも知られる勝新太郎主演の『座頭市』という昭和の日本映画を象徴する伝説的な作品からインスパイアされた曲で、昨年の俺的BESTヒップホップ・アルバムを獲得したUKラッパーのslowthaiをフィーチャリングしたシングルの“Zatoichi”は、(それこそslowthaiのアルバム『Tyon』で既に相性の良さを見せていたように)この曲においてもslowthai的なグライムなトラップ...というよりも、三浦大知の紅白曲でお馴染みの“EXCITE”みたいなJ-POPばりにキャッチーなラップは、恐らく本人も意図していない隠れ日本要素的な意味でも面白いっちゃ面白い(MVはカンフーを意識している)。また、『目が溶ける 未来を目指せ』というタイトルも暗にDeftonesのジャケ写を示唆しているようにしか思えなくて、カリーに対して“俺感”の読者説が芽生えたのは今さら言うまでもない。

全体的な印象としても、やはり名盤『タブー』に肉薄するジャズやR&B、そして昨今のトレンドであるローファイ・ヒップホップやアンビエント・ポップに精通するメンタルヘルシーなトラックメイクを楽曲の軸としながらも、決して『タブー』の二番煎じに陥ることのない、大げさだけど宇多田ヒカル『BADモード』と韻踏めちゃうレベルの名盤だと思う。なんだろう、今年の初めに新作の『Dawn FM』をリリースしたポップスターのザ・ウィークエンドは、彼の「優しさ」それ故に前作の傑作『After Hours』を超える事ができなかったけど、このデンゼル・カリーの場合は名盤『タブー』と同等、もしくはそれを超える可能性を十二分に秘めちゃってるのがヤバスンギる。

dynastic - I know there's something left for you

Artist dynastic
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Album 『I know there's something left for you』
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Tracklist
01. true owl (intro)
02. ftl
03. no romance
04. sway
05. dynastic & Polygon Cove - caldecott
06. on tape
07. x2 dose
08. lake city quiet pills
09. gold medal
10. clout dracula
11. featherbrain
12. jacqueline
13. all good people are asleep (feat. saoirse dream)
14. and dreaming (feat. cvnvvn)
15. pet / dear distance

ハイパーポップ的な意味で今年のBMTH枠。というのも、UKのBring Me The Horizonが昨年に発表したエイペックス大好き芸人ことポスト・マローンを模したシングルの“DiE4u”、その音源をハイパーポップアーティストのsix impalaがリミックスした一連の不可解なムーブ、すなわちエモをルーツとするバンドとZ世代の多様性を象徴する新興ジャンルのハイパーポップの邂逅は、初期のエモ/スクリーモ~デスコア/メタルコアを経由して最終的にメインストリームのポップスとなり、そしてフロントマンのオリヴァー・サイクスとロシアの国民的ユニットIC3PEAKによる国境を超えたコラボを皮切りに、それこそ人種や国籍を超えたハイパーポップならではの多様性に則ったムーブをキメているBMTHというバンドの特定のジャンルに囚われない流動的かつオルタナティブな音楽的変遷を著しく象徴している。

カリフォルニアはサンフランシスコ出身、dynasticの1stアルバム『I know there's something left for you』の何が凄いって、それこそ冒頭の#1“true owl (intro)”からして、昨年にBandcampを中心にバズったParannoulのブッ壊れローファイメンタル三人衆を連想させる、まさに90年代サブカルチャーの金字塔であるアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ君に代表される10代の今にも張り裂けそうな心の叫びと、ティーンミュージックとしての側面を持つエモ/スクリーモのポスト・ハードコアな叫びをシンクロさせると、その後は00年代の古き良きポップパンク/エモパンクリバイバルとケロケロボニトを思わせるサブカル的な8bitのコンピューターゲーム的なチップチューンやフューチャーベースなどの電子音、そしてローファイはもとよりハイパーポップの常套手段であるオートチューンや日本のサブカルアイドル代代代『MAYBE PERFECT』ともシンクロするインダストリアル/グリッチーなトラックを融け合わせた、まるで00年代にポップパンクを嗜んでいたティーンエイジャーの心に棲むトラウマすなわちカオスとZ世代およびemoji世代のティーンが嗜んでいるハイパーポップのブッ壊れメンタル同士が互いのパリパリATフィールドで中和するようなハイブリッド型の青春ブッ壊れポップミュージックは、さしずめ「ハイパーポップ化したマイケミ」あるいは「ハイパーポップ化したFall Out Boy」、もしくは「ハイパーポップ化したロストプロフェッツ」みたいな、とにかく「あの頃の洋楽ロック」を次世代の解釈によってアップデイトさせた革新的な新しさとノスタルジックな懐かしさの同時攻撃で聴き手のローファイメンタルをブッ壊しにくる。

また、まるで日本のtoeJYOCHOがハイパーポップ化したようなアコースティックなマスロック~エモの#4“no romance”や激エモチューンの#7“x2 dose”におけるジェンティでマッシーなリズム面からも西海岸出身らしさを垣間見せ、アルバム後半の#10“clout dracula”やsaoirse dreamをフィーチャリングした#13“all good people are asleep”ではポスト・ハードコア然とした粗暴なギターをかき鳴らしている。

国内の次世代アーティストを代表する4s4ki(sic)boyもエモや洋楽ポップパンクの影響下にあるオルタナティブなラッパー兼ハイパーポップであり、個人的に前者の4s4kiに関しては今の日本で最もBMTHとコラボする可能性を持つアーティストだと思ってるのと、恐らく4s4kiにも影響を与えているであろう後者の(sic)boyは、自身の楽曲にエモのみならずニューメタル的なラウドロックの要素を取り入れている点からも今現在のハイパーポップ化したBMTHと立ち位置が否応にも重なる。もちろん、(sic)boyがラルクのHYDEはもとよりBMTHの影響が及んでいるかなんて知る由もないが、とにかく近年のBMTHの不可解過ぎる謎ムーブの伏線回収とばかりに、エモとハイパーポップのクロスオーバーが国内外問わずムーブメントを起こしている面白さったらない(改めてBMTHおよびオリィ先見性たるや)。少なからず、日英の彼ら彼女らとUSのdynasticが奏でる次世代のエモパンク型ハイパーポップは近親の存在同士であることは確か。

deathcrash - Return

Artist deathcrash
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Album 『Return』
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Tracklist
01. Sundown
02. Unwind
03. Horses
04. American Metal
05. Matt's Song
06. Wrestle With Jimmy
07. Metro I
08. Slowday
09. Was Living
10. What To Do
11. Doomcrash
12. The Low Anthem

UKはロンドン出身のdeathcrashの1stアルバム『Return』が掘り出し物で凄い。いわゆる90年代のemo(イーモゥ)の影響下にある寂寥感むき出しのアルペジオ・リフと内省的という概念を超えた衰弱した小動物のように弱々しい倦怠感むき出しのボーカルが支配するウェットな雰囲気、一方でポストハードコアならではの感情的な側面、そしてポストロックならではのリリシズムを内包したセンチメンタルなスロウコアを展開しており、例えるならスコットランドのレジェンドMogwaiの名盤『Rock Action』あたりの作品に精通するハードコアmeetポストロックをスロウコアmeetエモ寄りに振り切ったようなイメージで、その90年代のオルタナ愛に溢れたサウンド・プロデュースは1stアルバムにして既に非凡な才能を開花させている。

モグワイ顔負けのポストロック~スロウコアラインのローテンポな気怠い雰囲気から、ギア転調を繰り返してエモ~ポストハードコアラインへとプログレスに場面を切り替えていく自己紹介がてらの#1“Sundown”を皮切りに、常にローテンションの陰キャが全力で腹から声出した結果みたいなUKバンドらしいエモいボーカルメロディをフィーチャーした#2“Unwind”、オルタナ志向の強い#3“Horses”、ゴリゴリのアメリカンメタルと見せかけてゴリゴリリカルなポストロックの#4“American Metal”、ローファイ宅録系アコギ男子みたいな#5“Matt's Song”、内側に溜まりに溜まった鬱屈した感情を外側に全て吐き出すかのようなハードコア然とした咆哮すらも存在感(影)の薄い#6“Wrestle With Jimmy”、Bennett Theissenなる人物のボイスを導入した#7“Metro I”も実にモグワイ的というか、あるいは後期のana_themaを彷彿とさせるし、これが本当のアメリカンメタルとばかりのポストメタル然としたヘヴィネスと静寂パートのコントラストに面舵いっぱい切った#9“Was Living”、2010年に自ら命を絶ったUSインディロック・バンドSparklehorseのマーク・リンカスの(自死の引き金となった“Gun”のワードを捉えた)肉声インタビューを収録した#10“What To Do”、彼の自死に対する孤独と哀しみに苛まれるセンチメンタルな序盤から一転、この終わりのない悪夢のような世界に絶望するドゥームメタル然としたヘヴィネスを叩き込む後半の流れは何とも示唆的で、それは同時に彼らの内に秘めた危うさをも浮き彫りにしている。

一見、陰キャのイギリス人男性ならではのヒョロガリ系オルタナサウンドとは裏腹に、それこそバンド名のdeathcrashや“American Metal”はもとより、#11の“Doomcrash”というタイトルが示す絶望感に苛まれた重厚感溢れるメタル然としたサウンドも陰キャを構成するアイデンティティの一つで、そのモグワイ的なノイズ/ハードコアネスおよびオルタナイズムの繊細かつ内向きな側面と、90年代に活躍し2020年に復活を遂げたUSオルタナのHum40 Watt Sunを連想させるドゥーム/ポストメタル的な破天荒かつ外向きな側面が表裏一体化した、そんな彼らなりの存在証明が記された傑作です。見方によってはHumの亜種として認識できなくもないし、同じく初期のドゥームメタルを経て新作でスロウコア化した40 Watt Sunと聴き比べたいタイムリーな逸品。間違いなく今年の年間BEST級。
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