Artist Ulver
ULVER_HOK_BOARDROOM_APRIL_2018-Copy-700x470

Live Album 『Hexahedron - Live At Henie Onstad Kunstsenter』
a0591587363_16

Tracklist
01. Enter The Void
02. Aeon Blue
03. Bounty Hunter
04. A Fearful Symmetry
05. The Long Way Home

個人的に、いわゆる“ライブアルバム”とされる音源って普段からそこまで興味ないというか(ライブ映像は別として)、現にこのブログにも書いてこなかった案件なんだけど、しかしこの北欧ノルウェーのブラック・メタル界の異端児=Ulverが先日発表したライブ作品『Hexahedron – Live at Henie Onstad Kunstsenter』は、2018年にオスロ郊外の岬にあるヘニー・オンスタッド美術館の伝説的なスタジオでの(ソールドアウトした)ショーを記録したライブアルバムで、その“芸術”という言葉の原点であるピカソの絵画や壁画、そして草間彌生の実験的な作品をはじめ、世界各国の現代美術作品約4000点を収蔵/展示したノルウェーを代表する美術センター内にあるコンサートホールで、出自がゴリゴリのブラックメタルバンドがライブを開催するという前代未聞の出来事に対し、バンドの頭脳であるTore Ylwizakerは、昨年出版された彼らのキャリアを網羅した書籍『Wolves Evolve - The Ulver Story』の中でこう語っている→

私たちの音楽を芸術の場に導くことは、私にとって魅力的なことです

そう、デビュー当時はノルウェー=ブラックメタルというステレオタイプの王道イメージのブラックメタルバンドだった彼らが、今や草間彌生級の“芸術品”あるいはピカソ級の“美術品”の一つとして認識される“アーティスト”になるまでの変遷を遂げ、曰くウルヴェルの歴史(The Ulver Story)のハイライトと自負する本作の『Hexahedron』は、約60分間のライブセッションを5つのパートに分けたライブ作品となっており、その内容もDNAの突然変異としか形容しがたい彼らの音楽的変遷の歴史をこの広大な宇宙空間に映し出すような、その実験的かつインプロヴィゼーション精神に溢れた音楽は、まさに“芸術”の一言である。

しかし、自分の中で【ウルヴェル】【ライブ】と聞いて真っ先に思い出されるのは、彼らが2011年に発表したライブ映像作品『The Norwegian National Opera』に他ならなくて、その内容も本公演のゲストとして迎えられたオーストリア人ギタリスト=クリスチャン・フェネスの影響下にある、“中期Ulver”を司るエクスペリメンタル~アンビエントな電子音楽を繰り広げていた。また、その芸術点の高い音楽のみならず、後方のスクリーンに映し出される人類の歴史における二大大罪の一つであるホロコーストに関係する映像と、日本の前衛芸術として知られる暗黒舞踏を想起させる奇妙で狂気的な舞台演出をかけ合わせた、色んな意味でパンチやチンポの効いた18禁の映像作品だった。

実は、このUlverを生み出した【ノルウェー】と【ホロコースト】は切っても切れない歴史的因縁があり、それこそ今年公開された『ホロコーストの罪人』という第二次世界大戦中のナチスによるホロコーストに加担したノルウェー最大の罪を描く実話を元にした映画の公開を皮切りに、近年というか2021年は何かとホロコーストを題材とした映画が連鎖するように公開された偶然(必然)もあり、ともあれ1940年にノルウェー本国がドイツ軍に占領された歴史的背景も含めて、ノルウェー人の中には今なおホロコーストに加担した罪への贖罪の念を背負っているのではないかと。言わずもがな、先の大戦の当事国である日本は日本でユダヤ人を救った英雄として崇められる杉原千畝を題材とした数々の映画に記録されているように、ノルウェー人と同じくして日本人とホロコーストも切っても切れない歴史的な深い結びつきがある。

そんな、音楽的にもビジュアル・コンセプト的にも今現在の彼らにダイレクトに繋がるライブ作品だった約10年前の『The Norwegian National Opera』を伏線として経た本作の『Hexahedron』は、ライブの幕開けを飾る#1“Enter The Void”からして、それこそレーベルメイトのトビー・ドライバー(Kayo Dot)をはじめ、クリストファー・ノーラン作品でもお馴染みの巨匠ハンス・ジマー坂本龍一とも共振するSF映画の劇伴的なスペース・アンビエント~デューン~ドローンのエレクトロな電子スタイルを軸に、時おり教会に響きわたるようなパイプオルガンの神秘的な音色を靡かせながら、約15分に及ぶミニマルなアンビエントを終始一貫して繰り広げる変態ぶりは、いかにもウルヴェルというバンドの“バンドじゃない別の何か”、そのアンタッチャブルなライブそのものを暗喩している。

その電子的な流れを引き継いだ#2“Aeon Blue”は、昨年リリースされた『惡の華(Flowers Of Evil)』の“One Last Dance”を、タンバリンやスネア/パーカッションなどの打楽器はもとより、トクマルシューゴばりに木琴の凛として弾むようなポップな音色が俄然インプロヴィゼーションの精神に則って再構築したような、それこそ中期Ulverによるエレクトロ資本が配給した映画音楽のような一種の電子パルスロックで、この曲の元々の世界観が喜多郎『シルクロード(絲綢之路)』風な事もあって、その音響意識の高いライブアレンジとの著しい相乗効果を生んでいる。原曲におけるスポークン・ワードがない分、俄然喜多郎感マシマシで、これもうUlverなりの『シン・シルクロード』だろっていうw

もうお気づきの通り、2018年に行われたライブなのになんで2020年作の『惡の華』の楽曲が使われてんの?って。それは言うまでもなく、その当時既に『惡の華』の原型の種という名の伏線が蒔かれていたということ。しかし逆に、逆に、ある意味、ある意味で真の原曲がライブ音源にあると解釈したら軽い狂気に近いなって。まるでエイリアンに捕食されたリプリーのように、一曲10分~15分の尺がクソなげぇ魑魅魍魎の天外魔境からリプリーの肉体を引っ張り出して、その肉片から『惡の華』のような80年代リバイバルな“ポップ・ミュージック”に再構築するとか...イヤイヤイヤイヤ、考えれば考えるほどやっぱこいつら天才過ぎてありえないだろ・・・。


俄然坂本龍一的というか、それこそキタノブルーに染まった久石譲顔負けの日本的な和音と、よりトライバリックかつオーガニックなパーカッションを中心とした#3“Bounty Hunter”、『惡の華』を象徴する名曲“Little Boy”を再構築した#4“A Fearful Symmetry”は、その原曲をよりグルーヴィかつミニマルスティックにアレンジしつつも、中盤以降は“パパベアー”ことKristoffer Ryggのスポークン・ワード風のボーカルやシンセウェイブなチルい要素をフィーチャーした、本公演の中で最も原曲のシンセ・ポップに近い曲となっている。その合法トリップ音楽とブラックボックス化した多次元世界に誘う映像技術が高次元でアセンションするかの如し、まるで『エヴァ・インフィニティ』さながらの上記のライブ映像は全人類必見。

それはまるで『The Norwegian National Opera』におけるホロコーストと対をなす、人類史における「もう一つのホロコースト(大量虐殺)」である原爆投下を10年の時を経て、それはまるで“戦争の知っている世代”の「記憶」と“戦争を知らない世代”の「記憶」を再び紡ぎ出すかのように、#4の原曲である“Little Boy”から核分裂して生まれた#5“The Long Way Home”は、“リトルボーイ”の原典におけるヒップ・ホップのバイブスを感じるトラップ的な革新的アプローチをはじめ、エイフェックス・ツインばりのダークなエレクトロやトライバリズム溢れるパーカッションからは、それこそ日本のSSWを代表する岡田拓郎の(サブスクでも一番人気の)名曲“Shore”を彷彿とさせ、またBPMを少し落としてAOR風のレトロ・シンセをフィーチャーした中盤以降の展開も岡田拓郎『The Beach EP』をインプロヴィゼーション意識全開で再構築し過ぎていて、流石にノルウェーと日本で共鳴しすぎやろと若干引きつつも、改めてこの界隈ホントに面白いなぁと。なんだろう、海外からはハンス・ジマーフェネス、日本からはそのフェネスと交流のある坂本龍一をはじめ、岡田拓郎(+duenn)喜多郎らの“ダブル郎”、そしてトクマルシューゴROTH BART BARONに代表される、それらのインプロ精神をモットーとしているLeft-Field Music集団を南米の未開の部族の儀式によってヘニー・オンスタッド美術館のステージ上に降霊させちゃってる、とにかくヤバすぎて身体が勝手にニート暗黒舞踏し始めるくらいにはヤバい。

大袈裟じゃなしに、約19分に及ぶ最後の“The Long Way Home”はマジで凄いと思った、というかライブ作品である本作のレビューを書く理由に相応しい名曲。それこそ、ライブアルバムの優先度が著しくスタジオアルバムより低い自分が聴いても、もはや原曲超えてじゃねぇかと感じるくらいの(原曲の定義はさて置き)、事実この曲の最後に聞こえてくる観客の盛大な歓声を耳にしてようやく、ここまで聴いてきた音の全てがライブ音源だったと気づいたくらいには、いわゆる一般的なライブ作品のイメージや概念を180度覆された、もはや“ライブ”であって“ライブ”じゃない実質“半スタジオアルバム”みたいな作品。よって単なるライブ作品と侮るなかれ、気づいた時には目の前が虚構か現実かわからない多次元構造の世界に迷い込み、そして“意識”するたびに時空を超えまくりなマトリックス状態になること必須の合法トリップ音楽です。要するに、フジロックはいい加減にUlverを苗場に呼んで平沢進御大とコラボさせるべきw