Artist Parannoul
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Album 『To See the Next Part of the Dream』
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Tracklist
01. Beautiful World
02. Excuse
03. Analog Sentimentalism
04. White Ceiling
05. To See the Next Part of the Dream
06. Age of Fluctuation
07. Youth Rebellion
08. Extra Story
09. Chicken
10. I Can Feel My Heart Touching You

蒼井優「何聴いてんの?

市原隼人「リリイ・シュシュ

2021年、上半期のBandcamp界隈でバズった代表的な作品の一つが、Parannoulなる韓国出身の「彼」が発表した2ndアルバム『To See the Next Part of the Dream』だ。この作品の何が凄いって、まず一曲目の“Beautiful World”からして岩井俊二監督の伝説的青春映画『リリイ・シュシュのすべて』の劇中、電車内での主人公(市原隼人)とヒロイン(蒼井優)の会話のサンプリングで幕を開けると、まるで多感な思春期を迎えたティーンエイジャーの心の内に潜むトラウマや黒歴史の傷跡を爪を立ててガリガリとなぞるようなシューゲイザー然とした轟音ノイズ、耽美的なピアノとペシミスト然とした倦怠感むき出しのボーカル、そしてNothing顔負けの古谷実漫画の主人公ばりにヒ(ミ)ズんだギターのリフレインを垂れ流し始めた瞬間に、その手の好きものは慟哭しながらガッツポーズ不可避の案件が確定する。

曰く、本作には「彼」自身の思春期に影響を与えた映画『リリイ・シュシュのすべて』をはじめ、滝本竜彦の小説/アニメ『NHKにようこそ!』、浅野いにおの漫画『おやすみプンプン』『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズなどの日本のサブカルチャーを代表する作品からの引用の他→

    「妄想」  「劣等感」      「過去」   「不適応」 
  
           「逃避」        「妄想と幻滅」       「闘争」

    「最も平凡な存在」         「無気力」        「自殺」

・・・など、「彼」がこの三年間に感じたこれらの負の感情が込められている。

それはまるでリアル碇シンジ君、あるいは古谷実漫画に登場する主人公みたいな、内向的なマイナス思考や否定的な負の感情、ありとあらゆる身体的なコンプレックスにより醜く歪みきった人生を送る中二病の負け犬が紛れのない素直な気持ちをぶつけて完成した音楽が「彼」=Parannoulの音楽である。「彼」の言葉を要約すると、本作は巨大財閥に入社できなければチキン屋になるしかないケセッキ(犬野郎)同然の負け犬に対する応援歌でもなく、ましてや慰めの言葉でもないと。しかし、現代は「彼」と同じような人生の負け組でもインターネットという文明の利器によって生み出した音楽を通して外界に何かしらのメセージを発信することはできると。これまで否定的な感情で生きてきた「彼」は、唯一それについてだけは肯定的な考えを持っている。それが、それこそが「負け犬」ができる唯一の存在証明だと言わんばかりに。

上記の「彼」の思春期に影響を与えた作品の内容を知っている人はわかると思うけど、まず誰しもが知る負け犬界を代表するエヴァの碇シンジの迷言である逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目​だをはじめ、大学を中退した引きこもりの主人公を描いた『NHKにようこそ!』、「絵が可愛い古谷実漫画」こと浅野いにおの『おやすみプンプン』、これらほぼ全ての作品に共通しているのは主人公が思春期真っ只中のマイナス思考のペシミストで、そして全ての作品の検索結果のサジェスト上位に「鬱」が表示される、そんな世界中の人々のトラウマ作りに貢献した作品から強く影響された思春期を過ごした「彼」に「僕」をはじめシンパシーを感じる人多数。例えば、イジメられた暗い青春を過ごした人、誰もが羨む淡い青春を過ごした人、あるいは孤独の性春を過ごした人など、十人いれば十人十色の青春時代の思い出を持つ少年少女の心にトゲトゲの針がぶっ刺さること請け合い。それこそ、リアルに野球に飽きて大学中退した負け犬の「僕」のために用意された青春音楽だった。そして、何かにつけて「俺は悪くない!政治が悪い!」とネットで憂さ晴らししている負け犬人生のサウンド・トラックでもあると。

それらの「鬱アニメ」や「鬱映画」や「鬱漫画」の引用元を起因とする、内省的な感情を超越した先の暗黒面へと堕落した精神性はズシンと心に訴えかけるものがあるが、実は音楽的な部分にこそ「彼」の底しれぬ才能が詰まっていると言っても過言ではない。まず「彼」が生み出すサウンドの特徴の一つであるローファイな音作りは、それこそ古谷実漫画の代表作である『ヒミズ』や『ヒメアノ~ル』に登場する“何か”が“ぶっ壊れ”ちゃった人間の苦しみと痛みに傷ついた”心音”を表現し、その普通の人が聴いたら不快に感じそうなローファイな音の劣悪さはもとより、思春期から青春期へと移り変わる時期の少年少女の不安定な精神状態を描き出すシューゲイザー然としたノイズとアンダーグランド臭を内包した倦怠感丸出しのボーカルは、デビュー当時のAlcest=ネージュ氏を彷彿とさせた。また、日本のサブカルチャーのみならず、音楽的な面ではナンバーガールをはじめ、神聖かまってちゃんミドリをフェイバリットに挙げているのも「彼」の音楽に対する信頼の証としては十分過ぎる嗜好の持ち主と言える。

それこそ、日本のサブカルチャーの影響下にあるシューゲイザーといえばフランスのAlcestも代表的なバンドで、そのネージュ氏率いるAlcestが二次元のファンタジー(理想)を歌っているシューゲイズに対して、Parannoulの「彼」は三次元のリアリティ(現実)という名の鋭いナイフを喉元に突きつけてくるようなシューゲイズで、しかし本作を象徴する#1“Beautiful World”のゴス/ダークなポスト・パンク感は、Alcestというよりは盟友のLes Discretsをイメージさせなくもない。また、「彼」は“Beautiful World”の中盤から垣間見せるような“ハードコア”な精神性(闘争心)を兼ね備えたアーティストであり、ローファイなぶっ壊れメンタルを維持しつつ#2“Excuse”では90年代のポスト・ハードコアやマスロック気質に溢れたポスト・ヘヴィネスを繰り広げ、この手の初期Alcestに通じるシューゲイザーとオルタナティブなポスト・ヘヴィネスを奏でる韓国のアンダーグランド・ロックと聞いて思い出されるのは、他ならぬジャバンノリもとい韓国のインディーズ・シーンを代表するJAMBINAIであり、彼らも2019年に発表した最新作『ONDA』の中で、AlcestTOOLなどのオルタナ/ヘヴィ・ミュージックの血が通ったポスト・ゲイズを展開していた。

そんな「彼」の反骨心むき出しのハードコア精神を象徴するのが#4“White Ceiling”で、この曲では日本のシューゲイザー界を代表するFor Tracy Hydeとも共振する、未来という希望と光に満ち溢れた輝かしい青春を儚くも美しく照らし出すような、いわゆる「エモ」ではない90年代の伝統的なemo(イーモゥ)リスペクトなギターのリフレインとキーボードの甘味なメロディでミニマルスティックに展開する10分ジャストの曲で、中盤以降は徐々にギアチェンさせクライマックスではアニメ『NHKにようこそ!』の引きこもり主人公のあんたらにわかるわけねーよ!あ゛ァ゛ァ゛ァー!!あ゛ァ゛ァ゛ァ゛ー!!あ゛ァ゛ァ゛ァ゛ー!!という悲鳴や叫び声のサンプリングを起用し、まるでNHK(日本ひきこもり協会)からの攻撃を碇シンジばりのA.T.フィールドを展開して阻止するかのような、要するに主人公のサンプリングを一種の激情ハードコアの咆哮として応用するというあまりに斬新で天才的な発想を持った、「僕ら」=負け犬の心と脳みそをグワングワンと揺さぶってくる神曲で、そのジェットコースター級の感情の揺れ動きは最終的に「NHKをぶっ壊す!」の感情へと変わるw

「彼」の音楽的バックグランドはシューゲイザーやハードコアだけにとどまらず、再び映画『リリイ・シュシュのすべて』の劇中会話のサンプリングとともにフェードインしてくる表題曲の#5“To See the Next Part of the Dream”は、それこそ2010年代のAnathema(中でも『We're Here Because We're Here』)や日本のマスロックレジェンド=toeの影響下にあるポストロック然とした寂寥感溢れるリフレインのミニマルな「繰り返しの美学」から解き放たれる「エモ」ではなく本物のemo(イーモゥ)に咽び泣く。

かと思えば、最近ではemo(イーモゥ)とBlackgazeをクロスオーバーさせたブラジルのインディーズシーンで活躍するsonhos tomam contaが面白い存在として注目される中、それこそAlcestDeafheavenに象徴される往年のBlackgaze然とした、本作の中で最もヘヴィでメタリックな暗黒ノイズがフェードインしてくる#6“Age of Fluctuation”、このアルセ=デッへラインのブラゲ感マシマシの流れ以降は当然のようにデッへ化するのが恒例で、イーモゥ然とした#7“Youth Rebellion”と短尺の#8“Extra Story”を挟んで、その“デッへ化”を象徴するチキン屋マンセーな#9“Chicken”と#10“I Can Feel My Heart Touching You”では、Nothingとも共振する90年代のグランジやポスト・ハードコア風のリフは元より、それこそDeafheavenの4thアルバム『普通の堕落した人間の愛』並の90年代イーモゥ愛を垣間見せる、アキバ系ギタリストのケリー・マッコイと共鳴するリヴァーブかがった官能的なリフレインが、西海岸に位置するデスバレーの灼熱のアスファルトが放つ匂いを運んでくるかのよう。なんだろう、このように彼の音楽的ルーツは90年代ロックのみならず10年代以降の現代的な音楽にも深く精通している事がわかる。

個人的に最も驚きだったというか面白い共通点を語るとすれば、表題曲はもとより、#4や#6に象徴されるように、使徒(日本ひきこもり協会)のATフィールドという名の心の壁という名の次元を超えていくような、序盤からミニマルに溜めて溜めて溜めまくった鬱屈したひきこもりエネルギーを外界へとぶっ放さんとする、それこそ後期Anathemaと共鳴する超絶エピック精神と楽曲構成がとてつもないドラマ性を生み出している点で、まさか後期Anathemaの超絶激情メンタルが韓国のインディーズシーンに繋がってくるのは面白い話で(確かに、『Distant Satellites』のアートワークは韓国人のメディアクリエイターによるものだがw)、そういった意味でも「彼」の音楽はただもんじゃない説得力に溢れている。

「彼」曰く、驚くべきことに本作に収録されている全ての楽器はDTMのDAW(Virtual Studio Technologyプラグイン)によるもので、このような楽曲制作の工程の大半をPC内で済ませるイマドキの楽曲制作って、それこそ最近の日本だとYOASOBIAyaseが有名だけど、日本のみならず韓国の音楽シーンにもその流れが押し寄せているんだなって。しかし、これが「彼」の言うようにヒキコモリという名のアクティヴな負け犬でもできる音楽制作の例の一つとして、何かとヒキコモリが推奨される昨今のご時世も相まって、つまり河北彩花の復活作でシコって寝るだけの生活を繰り返している、パソコン/スマホの前の「君」と「僕」に対する「彼」からの「独りDTMゲイズのススメ」的メッセージだ。

今年の2月23日にリリースされた本作品、その後に奇しくも『NHKにようこそ!』の著者である滝本氏が20年ぶりの続編となる『新・NHKにようこそ!』の制作を発表、そして『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズの完結となる『シン・エヴァンゲリオン』が劇場公開されたりと、本作は何かとタイムリーな作品であることは確か。しかし、そんな事よりも寝ても覚めても頭ん中でSEXのことしか考えてない古谷実漫画の主人公ばりの「僕」みたいな負け犬のために、そろそろ古谷実は新作漫画を描くべき案件でしょ。ってぐらい、実は「彼」が影響を公言しているどの作品よりも、「彼」の音楽は古谷実漫画のサントラとしてシックリき過ぎている。リアルな話、「古谷実×音楽」は結構面白くなると思うw