Artist 東京事変
DuY

Album 『音楽』
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01. 孔雀
02. 毒味
03. 紫電
04. 命の帳
05. 黄金比
06. 青のID
07. 闇なる白
09. 銀河民
10. 獣の理
11. 緑酒
12. 薬漬
13. 一服

おいら、もうずっと自分の中で椎名林檎=「日本のスティーヴン・ウィルソン」と信じてやまなくて、事実これまでもその自分勝手な“説”について書いたり書かなかったりしたわけ。近年、その“説”に俄然説得力を与える出来事があって、それは現代プログレ界を牽引してきたSWことスティーヴン・ウィルソンのバンド=Porcupine Treeが活動休止し、そのタイミングでSWは00年代後半にソロデビューを果たし、そして2017年の5thアルバム『To the Bone』を境にアンダーグランド界の帝王が満を持してメジャーデビュー、何を隠そう、その移籍先というのが業界最王手ユニバーサル・ミュージック傘下のEMI系に当たるCaroline International(2021年2月18日、Virgin Music Label & Artist Services.に改名)、つまりデビュー当時から東芝EMI/Virgin Music~ユニバーサル・ミュージックに籍を置く椎名林檎SWは、はれて実質的な意味で“レーベルメイト”となったわけ。

また、椎名林檎SWは、自身のバンドとソロ名義という大きく分けて2つのプロジェクトでキャリアを積み重ねてきた。無論、ソロ名義でキャリアを始め後に東京事変を旗揚げした椎名林檎と、Porcupine Treeというバンドでキャリアを始め後にソロへと移行したSWでは少し境遇というか勝手が違うけども。ともあれ、そのような前置きがありつつ、2012年に一度活動終了(解散)した東京事変は、その8年後の2020年に復活という名の「再生」を果たし、それこそお待たせしました。お待たせしすぎたかもしれませんの全裸監督精神に則り、実に約10年ぶりに発表された6thアルバム『音楽』が、もはや椎名林檎本人が「日本のスティーヴン・ウィルソン」であるという説を真正面から肯定するかのような大傑作となっている件について。

・・・と、いざ「ドヤ顔」で言ってみても、個人的には当時の東京事変よりもソロ名義の椎名林檎のがずっと好みだったのも事実で、そこまで思い入れがあるというわけではない自分が本作の『音楽』を聴いて思うのは、結局のところ東京事変って、例えるなら椎名林檎という名の頭脳=スティーヴン・ウィルソンのバックバンドにサンダーキャットスクエアプッシャーが参加してるような天才集団でしかないんだなってこと。

10年ぶりとなるアルバムの幕開けを飾る#1“孔雀”は、仏教において克服すべき3つの煩悩である「貪・瞋・痴」の三毒を題材とした、メタル並みのクソダサジャケットでお馴染みの2019年作の林檎ソロ『三毒史』のオープニングを飾る“鶏と蛇と豚”の伏線回収とばかり、仏教の般若心経いわゆる“お経”をリリックとして取り入れたアダルトでファンキーなある種の仏教ラップで、ちなみに“三毒”といえば同年に復活したUSオルタナ界のレジェンド=TOOLFear Inoculumのレビューにも三毒ネタを書いたのを思い出して、それは椎名林檎『三毒史』から無意識下で着想を得たのか、はたまた偶然に仏教的なネタが被ったのかは不明であるw

なんだろう、本作における【サンダーキャット~スクエアプッシャー~スティーヴン・ウィルソン】ラインで全て解決できちゃうような、つまり椎名林檎=「日本のスティーヴン・ウィルソン」説を裏付けるようなファンクやジャズ/フュージョンをバックグランドとしたプログレッシブなアート・ロック、メンバー全員作曲できる事変メンバーの中でもメインコンポーザーであり鍵盤奏者の伊澤っち作曲の楽曲は特にそれが顕著で、例えば#3“紫電”のピアノの美しく優雅な旋律を耳にすれば、もうそれはSWバンドの鍵盤奏者=アダム・ホルツマンが演奏しているような錯覚を憶え、そして終盤の「ドヤ顔ですよね」の下りのダ~ンダ~ンダ~ンの転調パートを耳にすれば、それはもうSWSWでも特にジャズ色の強い2ndアルバム『Grace For Drowning』の“Sectarian”と同等の楽曲構成にしか聴こえない。この『音楽』って、実質的にSW作品を聴いているような感覚と全く同じソレというか、ソロになって著しくジャズ/フュージョン化が進んだSWと同じように、この東京事変における椎名林檎も各分野のプロフェッショナルが織りなすジャズ~プログレベースのアート・ロック、あくまでセッションでメシ食ってる職人集団によるセッション軸のオシャンティかつグルーヴィな『音楽』に、林檎の才色兼備な歌メロが加わるだけで化学反応を超越したプチ事変が巻き起こっちゃうでしょ。なんだろう、これはもう「椎名林檎なりの『The Raven That Refused To Sing』」と言っても過言じゃないかもしれない。事実、この『音楽』の後にSWソロの初期作聴くとシックリきすぎて笑うし。それぐらい、ポップス云々以前に現代的なプログレとしても聴かせる『音楽』の面白さはちょっと異常だし、このメンツにイギリスのサックス/フルート奏者のテオ・トラヴィスが加入した音源妄想すんの楽しすぎw



林檎ソロにも通じる#4“命の帳”のクリーントーンのギターひとつとってもSWを想起させるし、武富士の某CMをイメージさせるAORチックな武富士シンセによるメインリフとUSインディロックみたいな浮雲の小気味よいカッティングギター、そして中盤の転調からはスペースロックmeetフュージョン・ファンク風に東京事変なりのシティ・ポップを繰り広げる#5“黄金比”で建築された“黄金都市”、初期のまだ雑味のあった頃の事変を想起させる#6“青のID”、開始2秒いや0.2秒で伊澤っち作曲だとわかるジャズいなピアノを軸に、浮雲中心のファンキーなパートから転調を織り交ぜて林檎中心のジャズパートへ、そして伊澤っちの筋肉がはち切れんばかりのスリリングなソロパートが絡み合う、隅から隅までサンダーキャット然とし過ぎている#7“闇なる白”、そしてローファイ味を無くした雷猫みたいなスペースサイケ風を装って始まる#9“銀河民”は、伊澤っちパートの歌詞に「ちょ大丈夫人類 ケンチャナヨ退化してんじゃね 進化しよういっそ早う遊ぼう」ってのがあって(「ちょ」はキムタクリスペクトか?w)、そのタイトルの“銀河民”といい、劉慈欣のSF小説『三体』に登場する“主”を待ち望む降臨派の心の内を歌っているかのような、あるいは東京五輪の開会式・閉会式のプランニングチームに就任していた“過去”を持つ椎名林檎が東京五輪を取り巻く“現状”を憐れむかのような曲の気がしないでもないというか、このコロナ禍において自由と尊厳を奪われたニッポンの衆に再び尊厳と自由、そして勇気を与えるかのような、とにかく「これこそが真のオリンピア精神だ」と言わんばかりの皮肉と母なる愛が込められている。ちなみに、この曲には「ケンチャナヨ(大丈夫)」の他に「クロッタニカ(そうだから)」や「ケイセッキ(←そんな歌詞ねぇからw)」などの韓国語をブッ込んできて驚いたというか、これまでネトウヨマーケティングを展開してきた椎名林檎がこのタイミングでブッ込んできたのは、もはやイギリス人のSWもビックリのトンデモナイ皮肉に感じちゃう。というか、韓国の歌姫であるIUの新譜の最後の曲について初期の椎名林檎っぽいって書いたけど、その伏線がこんな形で回収されるとは思ってもみなかった引力。


亀田っちは流石に“林檎らしさ”を引き出すのが一番うまいと再確認させる、例えるなら斉藤和義の“歩いて帰ろう”と『勝訴ストリップ(というか“虚言症”)の頃の椎名林檎がタイムトリップして邂逅を果たしたような#10“獣の理”、東京利権五輪の「おもてなし」なんかよりもこの曲のMVを世界に発信したほうがよっぽど有意義な#11“緑酒”、そして本作のハイライト、いや「再生」宣言以降のハイライトを飾る#12“薬漬”は、日本の赤いガールズバンドが後世に残した黒盤をフラッシュバックさせる、となると自然とSWとも共振する“副流煙”を浴びせるように幽玄かつサイケデリックなムードから、ノイズロック然とした浮雲によるダーティかつソリッドなギター、そしてクライマックスを飾る林檎の狼狽に共鳴して唸り声をあげる浮雲のメタル魂が炸裂するギター・・・なんだろう、自分の中にあるもう一人の日本のスティーヴン・ウィルソンが影で一緒に弾いてるようにしか思えなくて、これもう実質ブラック・ゲイズだろみたいな轟音ノイズ(これ絶対にアイツが浮雲に憑依してるでしょw)、このカタルシスを呼び覚ます轟音パートすらもSW的というか、例えるなら“Pariah”のようにクライマックスに向けて段階的に盛り上がっていく曲構成と目玉となる【女性の狼狽】【ゲイズ】の組み合わせ・・・この黒猫でも雷猫でもない稲妻の如しギュルギュル鳴らす系のゲイズって、どう聴いてもただのシューゲイザーじゃない、いわゆるシューゲイザー・メタルに片足突っ込んでる轟音ノイズってどっかで聴いたことある気がしたけど、なかなかどうして思い出せない・・・(喉元まで出てきてるのに)。まず真っ先にAlcestではない、とするとDeafheavenか・・・?と、ずっと曖昧なまま本当の答えが導き出せないでいた次の瞬間・・・・・

「あーーーーーーーー!!思い出したーーーーーーーー!!このゲイズって完全にアナセマの“スプリングフィールド”だーーーーーーーーーーーーー!!あ゛ーーーーーーーーーーーーーー!!あ゛ーーーーーーーーーーーーーー!!あ゛ーーーーーーーーーーーーーー!!ケイセッキヤァーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!あーーーーーーーーーーー!!スッキリしたーーーーーー!!そしてまた全てが繋がったーーーーーーーーーーーーー!!やっぱ林檎ちゃん天才だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

というか、この曲も伊澤っち作曲かよ・・・ただの天才じゃん(やっぱり「筋肉」は嘘つかないよなw)。でも改めて、「日本のスティーヴン・ウィルソン」としての完全究極体伏線回収(勝手な決めつけ)、そして「もう一人の日本のスティーヴン・ウィルソン」こと某ギタリストへの鎮魂曲を書いてくれたことに、今はただ林檎ちゃんには感謝の念しかない。間違いなく天まで轟いてる、というか、しつこいようだけどアイツも裏で一緒に弾いてるだろこれw 確かに、この曲のタイトルが“薬漬け”なのは「シャレにならない、もう笑えない」けど、一周回って逆に粋なのか?逆に。

この『音楽』におけるが示す“色”の役割とその意味について。端的に言ってしまえば、このアルバムが“孔雀”から始まっているのが全てを物語っていて、要するに孔雀と題して虹色をメタとして示すことで、あらゆる世界の分断を憂い、虹色の世界=環天頂アークの実現を祈る椎名林檎なりのリベラリズムと人類への愛がダイレクトに込められている。ここまでストレートな“答え”がある『音楽』って、林檎関連作品の中でも稀なんじゃないか?ぐらい。一見、この手の反知性主義者を揶揄するようなリリックやリベラル的な歌詞って説教臭いと受け止められがちだけど(別に林檎が近所の説教臭いお節介おばさんになったという訳ではなくて)、そこまで極端に思慮的ではなく、それでいてもの凄く楽観的(Optimist)な包容力のあるリリックをもって、今の世界を取り巻く現状について優しく語りかけている。事実、このタイミングでSWと同じリベラルな“left-field music”を示すように、アルバムラストを飾る“一服”にもあるセンターライン(中道)周辺のリリックの伏線回収としている。もはやニッポンの衆は全員、一人残らず椎名林檎の子宮から生まれてきたんじゃねーか説が芽生えるくらい、つまり「日本の母=ビッグ・ママ」こそ椎名林檎であり、ただただ圧倒的な「母なる愛」に抱かれる。ハッ・・・もしや彼女こそ三体世界における“主”だったのか・・・?

なんだろう、SWがソロ名義でやってることと全く同じ、つまりメジャーデビュー以降のSWが発表した『To the Bone』と今年のThe Future Bitesは、昨今のポスト・トゥルース時代における危機感をリアルな声としてリリックに込めた非常にパーソナルな作品だったけど、今回の事変も全くもってそれと同じなんですね。要するに、初期のジャズ~プログレラインの音楽的側面と“今”の現実世界で巻き起こっている出来事の“今”の“今”を映し出すリリック/コンセプトの両立という、SWでもなし得なかった難関をクリアしちゃったのが今回の事変なんですね。奇しくも同年に、SW東京事変の新譜が発表される因果(前者は延期で、後者も2020年にほぼ完成していたらしい)、そのThe Future Bites“left-field music”を示したスティーヴン・ウィルソンへの回答として、「日本のスティーヴン・ウィルソン」なりの“left-field music”を提示した『音楽』は、同じ「ポップ・ミュージック」あるいは「ポスト・ポップ」として否応なしビンビンに共鳴しまくっている。それこそ、事変が主題歌を担当した某子供探偵の名台詞「真実はいつもひとつ」ならぬ「真実はいつも『音楽』の中にある」ことを改めて思い知らされた一枚。いや、このアルバム相当ヤバいな・・・。間違いなく「何かが宿ってる」、色々な意味で宿ってる『音楽』だと思う。しっかし、こんな名盤を聴かずして逝っちゃうなんて、アイツもとんだ大馬鹿野郎だな~~~!!って、そうそう、本作を象徴する“虹色”に必要不可欠なオレンジ色が“誰”で補完されてるなんて、もう言わなくてもわかるよな?