Artist Ad Nauseam
Album 『Imperative Imperceptible Impulse』
Tracklist
世間一般的な人間からすると、普段の日常生活で音楽を鑑賞している時に、例えばその曲を誰が作曲したのかとか、誰がアレンジしたのかとか、それはまだしも、その曲を誰がプロデュースしたのかってほとんど気にしない人ばかりだと思うのだけど、だとしたら当然その曲を誰がミキシング/マスタリングしたかなんて興味もなかったりするんだろうな、っていうただの偏見。
Album 『Imperative Imperceptible Impulse』
Tracklist
01. Sub Specie Aeternitatis
02. Inexorably Ousted Sente
03. Coincidentia Oppositorum
04. Imperative Imperceptible Impulse
05. Horror Vacui
06. Human Interface To No God
世間一般的な人間からすると、普段の日常生活で音楽を鑑賞している時に、例えばその曲を誰が作曲したのかとか、誰がアレンジしたのかとか、それはまだしも、その曲を誰がプロデュースしたのかってほとんど気にしない人ばかりだと思うのだけど、だとしたら当然その曲を誰がミキシング/マスタリングしたかなんて興味もなかったりするんだろうな、っていうただの偏見。
このイタリア出身のデスメタルバンド=Ad Nauseamの2ndアルバム『Imperative Imperceptible Impulse』は、本人たち曰くレコーディングに使用されるドラム・パーツやキャビネット、ベース/ギター/その他スタジオ関連機材の研究・設計・製作に携わっているメンバーたちによるDIY精神に溢れたデスメタルで、僕らは普段から現代的すなわちデジタルに加工・録音された音楽を聴いているせいか、本作を聴いて真っ先に感じたのは「音悪くね?」というか「楽器の音ちっさくね?」ということ。無論、それは全くの誤解でありただの偏見で、むしろ自分たちが普段耳にしている音源こそイコライザやコンプレッサーでバキバキに加工された添加物モリモリの加工肉のような音、つまり本来の自然な音質からかけ離れた贋物相当の音質なんですね。そんなデジタル至上主義が蔓延る中、彼らはその現代音楽のトレンドには一切見向きもせず、レコーディングで使用する機材は元より、ミキシング・マスタリングという音楽制作に必要な工程を全てセルフプロデュースで行い、ひいてはクラシック音楽の録音に使われるのと同じ原理で録音された本作は、彼らがバンドマン以前にオーディオマニアである事を証明するこだわり抜かれたサウンド・プロダクションと、その卓越したソングライティングが噛み合って初めて名盤と呼ばれる音源が成立する事を、そして「録音」も楽曲の一部であることを改めて思い知らされるような、とにかく「音」に対する尋常じゃないこだわりが詰め込まれた、一種の哲学的かつオーガニックなDIYデスメタルの傑作となっている。
その音楽性としては、あくまでアヴァンギャルド・メタルが持つエクスペリメンタリズムを音の支柱としながら、真っ先にUlcerateやDeathspell Omegaを連想させるカオティックなプログレッシヴ/デスメタル、Kralliceばりの不協和音が更なる不協和音を誘うトレモロ・リフが目まぐるしく蠢くブラックメタルの側面、TDEPやMastodonを連想させるマスコア的な現代的で斬新なアプローチ、スラッジ・メタルやジャズ、そしてSFアンビエントなどの様々な要素が入り乱れた真のエクストリーム・メタルで、まるで人類とアヌンナキの最終決戦みたいな、一見こんなん人間の頭じゃ到底理解不能でしょうと一方的に突き放しに来ているようでいて、しかしジックリと肝を据えて聴いてみると思いのほかメインストリーム・メタルやコア系のヘヴィ・ミュージックにも精通する耳障りのいいギミックやメロディが組み込まれた、これはもう一種の「アメとムチ系デスメタル」だってね。この手のアンビエント〜ジャズ〜アヴァンギャルドラインのデス/ブラックというと、最近だとUSのImperial TriumphantやフィンランドのOranssi Pazuzuをイメージさせなくもない。確かに、広義の意味では90年代のオールドスクールデスメタルの影響下にあるテクデスっちゃテクデスだけど、しかしテクデスと耳にしてイメージするような一般的なテクデスのソレではなく、彼らの場合は意図して複雑かつテクニカルに演奏しているというより、いわゆる“テクニカル”と聴き手に解釈される緻密さや複雑さが潜在意識の中で既に備わっている感じ。
バンド曰く「ストラヴィンスキー、シュスタコヴィッチ、クセナキス、シェルシ、ペンデレツキ、リゲティなど、20世紀のクラシック作曲家から影響を受けている」と語っているように、本作の作曲過程では和声と旋律の両方の概念がせめぎ合いながら、不調和によって和声が得られ、不協和音によって旋律が得られるような音楽となっている。このように、デスメタルをクラシック音楽の方程式を用いて解いちゃった系の超越メタルといえば、ブラックメタルをクラシックの方程式で解いちゃった系のLiturgyに近い才能を感じる。中でも本作の表題曲のクラシック愛に溢れたイントロのストリングスは、否応にもLiturgyの“GOD OF LOVE”をフラッシュバックさせ、Imperial Triumphantの『アルファヴィル』的な黄金都市感とDIR EN GREYの再構築的なデスコア感とポストコア感がインテリ系ポストメタルとも共振する#3“Coincidentia Oppositorum”は、彼らが作曲面でも非凡な才能の持ち主である事を裏付けるような一曲となっている。
「私が聞きたいのは楽器の音であって、プロセッサーの音ではない」という、かの巨匠スティーヴ・アルビニの言葉を引用している事からもわかるように、本作は楽器本来の生音を大事にした、まるでリアルに演奏している隣で聴いているような錯覚を憶えるほど、各楽器の音の分離・定位のバランスと生音感が尋常じゃないほどリアルで、例えるならメタリカの名盤『メタル・ジャスティス』が生み出した「ベースいらなくね」のカウンターパンチみたいな「ベースいるくね」の音質。ちなみに、彼らのBandcampでは[Full Dnamic Range DR11]と謳った、その名の通り真の意味での“LIVE音源”が目の前に広がるような立体的なサウンドが楽しめる音源を配信しているので(特にリズム隊の生茶感がハンパなくて笑う)、彼らのこだわりを知るためにも是が非にもBandcampの音源なりCDなりを手に入れてほしい。それでドラムだけ聴いて一回、右のギターだけ聴いて一回、左のギターだけ聴いて一回、ベースだけ聴いて一回、ボーカルだけ聴いて一回、少なくとも最低5回は楽しめる保証付きだし、そっから先は無限の組み合わせと新しい発見を求めて、聴く人の嗜好によって無限の可能性を追求できる、そして最高品質の録音で魅了する20年代最高のDIYデスメタルだ。そういった意味では、新しいイヤホンやヘッドホンを新調する時のリファレンスとして最適な作品なのかもしれない。だからメタラーのみならず、全ミュージシャンが参照すべき理想的な音作りだと思う。
それこそ本作の音源がSpotifyで配信されていないのは、少しでも良い音質で楽しんで欲しいという彼らの“こだわり”の強い現れなのか、それとも単にレーベルの意向なのか。ともあれ、「今年もデスメタルが熱い」ことを証明するかのような、無限に重なり合う不協和音の醜くも美しい美旋律と極度の不安に襲われる鬱屈した精神状態が卑しく調和するデスメタルの傑作デス。
それこそ本作の音源がSpotifyで配信されていないのは、少しでも良い音質で楽しんで欲しいという彼らの“こだわり”の強い現れなのか、それとも単にレーベルの意向なのか。ともあれ、「今年もデスメタルが熱い」ことを証明するかのような、無限に重なり合う不協和音の醜くも美しい美旋律と極度の不安に襲われる鬱屈した精神状態が卑しく調和するデスメタルの傑作デス。