Artist Deafheaven
Album 『Ordinary Corrupt Human Love』
Tracklist
Album 『Ordinary Corrupt Human Love』
Tracklist
1. You Without End
2. Honeycomb
3. Canary Yellow
4. Near
5. Glint
6. Night People
7. Worthless Animal
「人は心のなかに、いまだ存在していないいくつかの場をもっており、そこに苦しみが入ることでその場は存在するようになる----------レオン・ブロワ」
「人は心のなかに、いまだ存在していないいくつかの場をもっており、そこに苦しみが入ることでその場は存在するようになる----------レオン・ブロワ」
『真実の愛』とは・・・それは多分、もしかすると、例えばこのクソサイテーな世界の片隅で、クソみたいな『胸いっぱいの愛』を叫ぶのが新生アイドル研究会のBiS(二期)なら、このクソサイコーな西海岸のド真ん中で『普通の堕落した人間の愛』を叫ぶバンドが彼らDeafheavenなのかもしれない。そんなDFHVNの約3年ぶりとなる4thアルバム『Ordinary Corrupt Human Love』、このタイトルはイギリスの小説家グレアム・グリーンの『情事の終り(The End Of The Affair)』から引用したものでで、その「Ordinary Corrupt Human Love」すなわち「普通の堕落した人間の愛」とは、物語の主人公である作家モーリス・ベンドリックスと不倫関係にある人妻サラ・マイルズが自身の日記に書き残した言葉である(いわゆる「不倫」を少しカッコよく言ったのが「普通の堕落した人間の愛」というわけ)。この小説の内容としては、それは「禁断の愛」か?それとも「真実の愛」か?その狭間で神(キリスト)の存在すなわち神(あなた)への信仰心を問いかけ、そして「愛と神」の間で激しく揺れ動く人間の情念を赤裸々に暴き出す究極のラブ・ストーリーである。
おいら、彼らの音楽を比喩する時に必ずと言っていいほど用意する画像がある。それが、日系三世のグレッグ・アラキ監督の映画『ミステリアス・スキン(謎めいた肌)』の冒頭、いわゆるBUKKAKEのメタファーを描写する衝撃のシーンだ。DFHVNは、いわゆる新世代メタルの金字塔と呼び声の高い歴史的名盤『サンベイザー』の中で、思春期真っ只中のティーンエイジャーが生まれて初めて精通する瞬間を刹那的に描き出したかと思えば、一転して次作の3rdアルバム『シン・バミューダ』では、「イカなきゃ」という使命感に駆られた汁男優の白濁色のラブシャワーをBUKKAKEられたAV女優の笑顔の裏側に潜むドス黒い闇、あるいはAV男優吉村卓に顔面ベロチュウされまくって引退した桃谷エリカの絶望感を、地平線のように果てしなく続く激情をもって描ききっていた。彼らは、いつだって自らの音楽の中に人間が犯した「罪と罰」、「祈りと赦し」を神に乞い続けてきた。
近年、自分の中でここ数年で最も衝撃的な出来事が、音楽界隈ではなく海外ドラマ界隈で起こった。それこそ、シーズン1が公開されるとまたたく間に世界中でブームを起こしたNetflixオリジナルドラマ『13の理由』のシーズン2の1話をちょうど見終えた時だった。普段からNetflixにあるドラマシリーズを嗜んでいる人には伝わるはずだけど、Netflixドラマ特有の最後のクレジットをすっ飛ばして次の話に移る自動スキップ機能が発動する前にほんの一瞬だけ映る一番最初のクレジットに、あのグレッグ・アラキ(Gregg Araki)の名前が出てきた。その瞬間、僕は「え、ちょっと待って、いまグレッグ・アラキ(GREGG ARAKI)って出なかった?え?」って、初めは幻覚なんじゃねぇかと自分の目を疑った。「絶対にありえないこと」が起こっていることに一瞬戸惑った。そのまま続けて2話も見た。2話のクレジットもグレッグ・アラキだった。僕は嬉しくて涙が出た。
何を隠そう、おいら、もう10年以上も前に映画『ミステリアス・スキン』を観て、まだ今ほどブレイクしていない精々子役上がりのジョセフ・ゴードン=レヴィットくんを初めて目にした時、その役柄といいアジア人体型に近い華奢な体つきに妙な親近感を感じて男ながらに一目惚れしたのと、しまいには「抱きたい」と思っちゃったんだからしょうがない(それぐらい衝撃的な出会いだった)。で、この映画での体を張った演技やラブコメ映画『500日のサマー』をキッカケに一気にハリウッドスターに駆け上がったジョセフくんと、映画『ドント・ブリーズ』や『13の理由』の主演を務め一躍人気俳優の仲間入りを果たしたディラン・ミネットくんは似た者同士というか、役者としてかなり近いフィーリングを僕は感じ取っていた。だから尚さら、こうやってグレッグ・アラキと『13の理由』が十数年の時を経て繋がったのは、こんな引かれ合い見たことないってくらい驚きというか奇跡的な出来事で、というか、また今気づいたけどシーズン1から複数話監督してたみたいで俄然驚いた(自分の気づかなさに)。そもそも『13の理由』のテーマの一つであるLGBTQ.Q.に対する差別や性暴力みたいな事って、それこそグレッグ・アラキが『ミステリアス・スキン』の中で表現してたりするわけで。ちなみに、グレッグが監督したドラマシリーズで最も重要な1話と2話ともにグレッグ・アラキのゲイならではの”性的嗜好”が画に表れていて、個人的にこれはもう『ミステリアス・スキン』の地続きの続編としか観れなかった。そう考えたら、この出会いは奇跡でも何でもない、ただの必然だったように思う。しかし、映画『ミステリアス・スキン』の内容が内容だけに、今や売れっ子となったジョセフくんが円盤化NGにしてるんじゃねえかと疑ってて、もしそうならNetflixが責任を持って配信すべきでしょってずっと思ってたんだけど、ちょっと調べてみたら2017年に日本でも円盤化されたと知ってソッコーでポチったけど、何か質問ある?(ちなみに、円盤の特典はゴードンくんの生写真w)
(ここまでの文章は、2018年8月13日に書いた文を微編集したもの)
本作のアートワークに描かれた、風を切るように颯爽と情熱的にマフラーを靡かせるダンディなグラサン姿のパンク婆からして、何やらこれまでとは違う雰囲気を醸し出す。幕開けを飾る#1“You Without End”からして、彼らの地元であるサンフランシスコが位置する西海岸のビーチの浜辺に寄せては返す美しいさざ波(浜辺美波)のSEとともに、まるで官能小説の一幕にありがちな事後のピロートークのような、フェミニンでアンニュイ、ホモセクシャルでハラスメントな倦怠感むき出しのギター、そしてエルトン・ジョン顔負けのジャズ風のピアノが流れ出し、“あの頃”をフラッシュバックさせる女性の語り声(スポークン・ワード)が「過去」の記憶を呼び起こす。それはまるで、かつてのダチでありバンドメンバーだったニック・バセット率いるWhirrというルーツと原点回帰を示唆するような、まだプロではなくただ純粋に音楽が好きだった“あの頃”の親友ニックと共に「この指Demoマジにサイコー過ぎるだろwww俺たちピッチに見つかっちゃうかもなwwwチュパチュパwwwこの指ハッピーターンの粉の味して超ウメェwwwお前も舐めてみな、飛ぶぞwww」だなんだと、西海岸の浜辺でワチャワチャはしゃいでいた“あの頃”の淡い思い出が蘇る。
未来への希望に満ちていた青春時代、いつしか疎遠になってしまったニックと交わした言葉、それが最後の会話になるとも知らずに、「And then the world will grow(ズッ友だよ~♪)And then the world will grow(ズッ友だよ~♪)」と約束したひと夏の青春の記憶を運んでくるコーラスワークと共鳴するように、「ズットモダヤ゛ォ゛ォ゛!!ズットモダヤ゛ォ゛ォ゛!!」と青春の痛みを痛みで補うようにシャウトするフロントマンのジョージ・クラーク、そして思春期の黒歴史が走馬灯のようにフラッシュバックさせる、衝動的に胸を掻きむしりたくなるアキバ系ギタリスト=ケリー・マッコイが奏でるトレモロに呼応する、それは怒りか、それとも愛か、もはや体がねじ切れるんじゃねぇかくらいのスクリーム→「イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ヤ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」は、それはまるで西海岸の名所である砂漠地帯のデスバレー(死の谷)へと続く道、道路脇にパームツリーが立ち並ぶ灼熱のアスファルトが照らし出す蜃気楼の中で、亡霊のように浮かんでは消え、そしてまたおぼろげに浮かんでは消える、そんな燃え盛るようなむき出しの愛を込めたジョージ・クラークの叫びは、それこそ冒頭に書いた「人は心の隙間を苦痛で埋めることで、その存在証明を示す」というフランスの小説家レオン・ブロワの言葉を実践するように、苦しみや痛みを叫ぶことで心に空いた隙間を埋めていくかのごとし。
確かに、DFHVNの作品にはピアノをフィーチャーした楽曲がバンドの個性を際立たせる役割を担っており、そういった意味ではDFHVNを象徴する最たる楽器がピアノと言っても過言ではないほど、彼らにとってピアノは切っても切れない関係にあって、特に本作ではそのピアノが音出しの一発目からメインの旋律として機能させている所からも、あらゆる面で過去作と一線を画す作品である事を示唆している。というよりは、それこそ2ndアルバム『サンベイザー』の根幹部を担う“Dream House”からの“Irresistible”というピアノインストの世界線と現在を紡ぎ出す続編と解釈するのもアリかもしれない。また、この“You Without End”に至っては、他の楽曲と比較しても意図的にマイルドなサウンド・プロダクションに聴こえるというか、なんだろう、いい意味で普通のロックバンドじゃないけど、ある種のピアノ・ロック的な“エルトンメタル”あるいは“エルトンゲイズ”とでも呼称したいくらいには、ピアノを軸に構築された楽曲と言える。
デスバレーの熱波に頭がやられた影響か、二曲目の“Honeycomb”では先ほどまでの優美で甘味な音世界から一転、冒頭の不穏なSEから青春時代の淡い思い出がズタズタに切り裂かれ、エルム街の悪夢が襲いかかるようなBlackgaze然としたゲイズギターや思春期のトラウマをエグり出すようなトレモロが、激しい動悸とともに徐々に加速していくBPM(平常心)に合わせて狂気乱舞したかと思えば、4分30秒以降の「シュ~」とパンク婆が高速で風を切るような擬音を合図に、まるで気分は海外ドラマ『フルハウス』のOPとばかり、(地元愛に溢れたMVにも登場する)西海岸の名所であるゴールデン・ゲート・ブリッジを時速300キロで(道路脇から飛び抜けちゃう勢いで)リア充がウェーイ!と突っ走るような、まるで日本のメロコアや青春パンクばりに爽やかなギターソロが炸裂するロックンロールゲイズを繰り広げる(この時のドラムがクソ気持ちいい)。このタイミングでメタル界の格言である「アチエネはメロコア」の正統後継者として「デフヘヴンはメロコア」が爆誕するという神展開。
アメリカ屈指の経済都市としても知られるカリフォルニア州といえば、バークレー出身のグリーン・デイをはじめとする青春パンクやメロコア、90年代のパンクブームを象徴する通称“エピタフ系”と呼ばれるバンドが主流である。ある意味で「デフヘヴンはメロコア」と仮定するならば、このDFHVNもLAパンクの一種としてカテゴライズできなくもない。もちろん、彼らの地元サンフランシスコのバンドといえばメタル界のレジェンドであるメタリカが最も有名だが、そんな彼らに対するジモティー愛は既に前作の『シン・バミューダ』で示している通りだ。
実は、この『普通の堕落した人間の愛』って、サンフランシスコという“一つの州”の概念を超えた“一つの国”への地元愛や土着愛に満ち溢れたマイルドヤンキー系ブラックであると同時に、DFHVNのもう一つのルーツ=第二の故郷がアメリカ中西部にあることを示唆する作品でもある。そのアメリカ中西部といえば、90年代に独自のエモシーンを確立した土地として知られ、いわゆる「エモ」ではなく伝統的な「emo(イーモゥ)」の精神を受け継ぐ、American Footballに代表されるようなMidwest emoが盛んである。何を隠そう、本作は全編に渡ってメロディの湿度がMidwest emoを経由している気がしてならなくて、そのアメリカ中西部が生み出した本物のemo(イーモゥ)への憧憬が顕著に現れたのが三曲目の“Canary Yellow”である。この曲はemoやポスト・ハードコアをルーツとするポストメタルで、このクソサイテーなモノクロの世界に蜜蜂風味のキャンディポップのフルーティな香りとカラフルな彩りを施すメロディ、リズム隊が織りなすマスロックをイメージさせる徹底したグルーヴ、そしてクライマックスでのケリー・マッコイによるギタリストとしての遊び心を忘れないブルージーなソロワークから、“あの頃”の地元のマブダチと一緒に肩を組んで童話『かごめかごめ』のような円を作って、皆で「On and on and on we choke on(死ぬまで一生ズッ友だよ~♪)On and on and on we choke on(死ぬまで一生ズッ友だよ~♪)」とシンガロングする輪の中心で『真実の愛』を叫ぶジョージ・クラーク→
「ズットモダヤ゛ォ゛ォ゛!!ズットモダヤ゛ォ゛ォ゛!!」
四曲目の“Near”は、Alcestとのコラボでも知られるスロウダイヴや一発屋と化したシガレッツ・アフター・セックスを連想させるスロウコア/ドリーム・ポップで、この曲では驚くべき事にジョージがバンド史上初となるクリーンボイスを披露している。このジョージのクリーンボイス導入は、2021年8月20日にリリースされる彼らの5thアルバム『Infinite Granite』への伏線となっている。
小説『情事の終り』の主人公モーリス・ベンドリックスとその愛人サラ、二人の間を引き裂くのは悪魔か、それとも神か。憎しみと妬みが欺瞞と疑惑を生み、互いの想いはすれ違い、そして神への信仰から食い違う愛の形に対面した二人の苦悩が儚く散りゆくイントロのメロディから、突如としてシングルの“From The Kettle Onto The Coil”のセルフオマージュの如く唸るようなゲイズギターが炸裂する#5“Glint”、複数の作家・小説家から引用した情緒的で官能的な本作品のロマン主義を象徴する#6“Night People”は、『普通の堕落した人間の愛』を求めて暗闇の世界を彷徨うサラの情熱的な想いと『真実の愛』に気づいたモーリスが悲哀の恋文あるいは激情的なロマンスを語り合うかのような二人の求愛行為、その二人を演じるようにしてレーベルメイトのSSWチェルシー・ウルフとジョージ(クリーンボイス)がデュエットするピアノバラードで、いわゆるコンセプト・アルバムとしての側面が色濃い作風だからこそ可能にした楽曲と言える。
ピアノをフィーチャーした#1“You Without End”から漂うそこはかとないジャズ・ロック的な伏線は、アルバムのラストを飾る#7“Worthless Animal”で見事に回収される事となる。#1における「いい意味で普通のロックバンド」たらしめている“普遍性”とその要因となるキーマンこそ、他ならぬ本作から新加入したベーシストのクリス・ジョンソンによるものだと確信できる。何故なら、以前までのDFHVNって極端な話だけどメタル界の格言である「ベースいらなくね」案件のサウンドで、しかし本作では一転して「ベースいるくね」のバンドに大変身を遂げている。特に#7ではジャズいアプローチをもってバンドに新しい風を運んでおり、そんな彼のブッリブリなベースラインとドラムのダニエル・トレイシーが織りなすリズム隊のプレイが、バンド史上最高のグルーヴ感とバチグソなタイト感を生み出している。気のせいか、BPM指数が体感的に歴代最低に感じるのも、同じBPMなのに彼のプレイによって俄然タイトなイメージに錯覚させるというか、なんだろう、「ロックバンドとしてのデフヘヴン」を司る上で欠かせない最後のピースがカチッとハマった感。そして、その「ロックバンドとしての普遍性」が今後の彼らにもたらすものとは?それこそメタルというジャンルを超越したモンスターロックバンドとしての、つまり“ポスト・メタリカ”としての座である(ごめん盛った)。そういった意味では、今の彼らは俄然フジロックじゃなくてサマソニで観たいバンドになった。
全ての物語に“始まり”があれば、それはいつか“終わり”を迎える。愛人サラの突然の死によって、悲劇的な幕切れを迎えた三角関係のその後。小説『情事の終り』の終盤に示される答えは、不倫という『普通の堕落した人間の愛』ではなく、妬みや憎悪を超えた先にある“隣人愛”だった。著者であるグレアム・グリーンは、キリスト教における“隣人愛”もまた、人間を肯定する正しい愛の形、あるいは性別を超えた人間愛であると。小説の終盤、いわゆる腐女子視点だとカップリングできちゃう主人公モーリス・ベンドリックスとサラの夫ヘンリー・マイルズの間に奇妙な友情が芽生え、サラの亡き後に恋敵であるはずの男二人で同棲生活を始めちゃうも、なんだかんだで最終的には神に全てを寝取られるという、これがホントの神展開w
「こいつらどんだけしたたかで頭いいんだ」と改めて感心するのは、小説『情事の終り』の終盤で提示されたサラと主人公ベンドリックスの『真実の愛』と見せかけた男同士の禁断の“隣人愛”と、本作『普通の堕落した人間の愛』における地元愛と見せかけた中西部(Midwest emo)に対する“隣人愛”を共振させている点で(これはゲイと揶揄されたDFHVNの隠語的なメタファーである)、つまり本作は地元愛と中西部への憧憬、この2つの州や地域を股にかけた青春時代の記憶(ノスタルジー)と自らのルーツ(DNA)を辿る音の旅であると。それこそ“音の旅”といえば、イギリスのアナセマも西海岸を舞台にした遺作を発表したが、本作もまたサンフランシスコ生まれのネイティブ仲間で地元を巡ってたら飛ばし過ぎて中西部にも寄り道しちゃった音の旅。寄り道したと言っても、#1の冒頭と#7のアウトロが同じ浜辺に寄せて返す美しい波(浜辺美波)SEを使っている事から、地元サンフランシスコで燃えるような大恋愛を経験したパンク婆が年月を経て地元に帰ると、まだ若かりし頃に「やっぱ地元サイコー!」とか言いながら仲間とビーチでサンバイザーを付けてウェーイ!してた思い出が蘇り、そして「過去」と「現在」が無限ループする輪廻転生的な考察や解釈の余地を持つ“シスコゲイズ”であると。
確かに、基本的なギターのフレーズや楽曲構成諸々に関しては過去作を踏襲している、言い換えれば“集大成”と呼んでも差し支えない内容で、その一方でクリーンボイスの導入やロックバンドとしての普遍的なアプローチなど、次作への布石が要所に散りばめられている。しかし本作は、音楽的な部分よりも諸々のコンセプトありきの作品であることは確かで、それこそ一冊の小説を読んでいるかのような純文学的な作風で、その小説『情事の終り』などから引用したコンセプティブな隣人愛と中西部のemo(イーモゥ)愛を共振させる『真実の愛』に気づいた当時は、正直これは凄すぎて書けないと途中で断念したくらいには、リアルタイムというか今でも思い入れのある作品の一つと断言してもいいくらいには当時めちゃくちゃ聴き込んでて、でも逆に思い入れが強くなり過ぎて当時は書ききれなかった代物。それくらい、ここまでたどり着いてようやく正当な評価を下せる作品だと、2018年のリリース当時から約3年経ってようやく書けた今だからこそ改めて思う。しかし今となっては、当時まだ存命していたBiS二期が解散し、映画『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノが手がけた新作ドラマ『僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE』が制作される始末...(時の流れ怖い)。ちなみに、当時(2018年)に書き残していた冒頭文の微編集した箇所は時系列のタイムパラドックス修正がほとんど。
事実、来月に本作から約3年ぶりの新作となる5thアルバム『Infinite Granite』のリリースが予定されている状況の中、本作について書けるラストチャンスが今このタイミングだった。というより、上半期のBandcamp界隈でバズったParannoulの『To See the Next Part of the Dream』に触発されたのが一番大きくて、何故ならその作品におけるemo(イーモゥ)とシューゲイザーの邂逅的な音楽性って、まさにDFHVNが数年前にやった事でもあったから。ちなみに、そのParannoulの新譜と本作『普通の堕落した人間の愛』は、奇しくもトータルタイムが1時間1分と全く同じなのも偶然にしては面白いなって。
逆に、観客が10人くらいしかいなかった「伝説の名古屋公演」をほぼ最前で観ている自分が書かなきゃ誰が書くねん的な謎の使命感と、あとは単純に自らのモチベを奮い立たせるために「デッへのレビュー書けたら可愛い女の子と3Pできる!デッへのレビュー書けたら可愛い女の子と3Pできる!絶対に3Pできる!」と自分をだまくらかした結果、なんだかんだ当時のiPadにメモっといた膨大な短文(黒歴史)を引っ張り出して、それをいつもどおりパズルのように組み立てたら、恐らく当時もこのような事が書きたかったんだろうな~的な感じのレビューが書けたと思うので・・・今から僕と3Pしてくれる可愛い読者の女の子募集します!某選手村に対抗して選手ムラムラ3P堕落プレイがしたいです!僕の目の前に『NHKにようこそ!』における岬ちゃん現れてください!もし3Pしてくれたら当時海外マーチから取り寄せた『サンベイザー』5周年記念ピンクTシャツをプレゼントします!(←林家ペー・パー子かよw)というか、むしろそれを女の子に着てもらって3Pしたいです!よろしくお願いします!3Pーー!!3Pーーー!!3Pーーーー!!