Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2022年07月

Imperial Triumphant - Spirit Of Ecstasy

Artist Imperial Triumphant
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Album 『Spirit Of Ecstasy』
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Tracklist
01. Chump Change
02. Metrovertigo
05. Death On A Highway
06. In The Pleasure Of Their Company
07. Bezumnaya
08. Maximalist Scream

今年のDissonant Death Metal枠は満場一致でArtificial Brainで決まりかと思いきや、まさかImperial Triumphantがそれを超えてくる展開は予想外過ぎた。というのも、2020年作にリリースされた前作の4thアルバム『Alphaville』は、その名の通りフランス映画界の巨匠ジャン=リュック・ゴダールが1965年に発表したSF映画『アルファヴィル』にインスパイアされたコンセプト・アルバムで、その超監視・管理社会の黄金都市スーパー・ゴールデン・シティを舞台に、同巨匠キューブリック監督の映画『時計じかけのオレンジの主人公アレックスやホームオブハートに洗脳された某ヴィジュアル系バンドのボーカルと共鳴する、それこそカルト宗教に洗脳された日本人女性扮するヨシコ・オハラ氏の発狂した絶叫が聞き手に極度の不安すなわちトラウマを植え付け、マインドコントロールにより人権を剥奪されて奴隷および家畜と化した国民が「民主主義の危機だ」と叫ぶ茶番は、皮肉にも2020年以降にディストピア化したリアルの世界情勢を予見するかのような傑作だった。

過去作と同様にコリン・マーストン案件となる本作の5thアルバム『Spirit Of Ecstasy』は、幕開けを飾る#1“Chump Change”からして、Dissonant Death Metalならではの不協和音リフとモダンでソリッドかつスラッジーな邪悪ネスが織りなす、ヘタなホラー映画なんかよりも全然恐怖心を煽るブラックメタルを軸に、黄金都市に棲むマインドコントロールされて「おそらきれい...」状態の黄金国民の如し奇奇怪怪の耽美イズムをはじめ、フュージョン風のテクニカルなソロワークを織り交ぜたアヴァンギャルド/ジャズ、そしてプログレ・メタル然とした対比的な楽曲構成とコンテンポラリーな世界観からは、比較的アヴァンギャルド寄りの作風だった前作よりも、オールドスタイルのヘヴィメタルに傾倒している印象を与える。


「Dissonant Death Metal化したGojira」の#2“Metrovertigo”、それこそ伊藤潤二の『うずまき』を読んでいる感覚に近い混沌とした不協和音全開のリフをはじめ、前作のトラウマが蘇るヨシコ・オハラ氏の猟奇的なスクリームや洗脳されて恍惚感を得ていると錯覚する耽美的なメロディパート、そしてメシュガーさながらのモダンなマシズモがエクストリーミーに融合した#3“Tower Of Glory, City Of Shame”、メシュガーのドラマーTomas Haakeが太鼓で参加していた前作に対して、まさかのサックス界のレジェンドことケニー・Gが客演として参加している#4“Merkurius Gilded”は、もはやホラー映画というより押井守のアニメ映画『天使のたまご』を彷彿とさせる、それこそ旧約聖書におけるノアの方舟の世界観を司る崇高なクワイアがケイオスとコンテンポラリーの狭間の渦に聞き手を放り込む。

「Dissonant Death Metal化したTOOL」の異名を裏付ける曲で、それこそTOOL『Fear Inoculum』における黄金のキザミ”に肉薄するグルーヴィなリフやSF映画さながらのサイケデリックなシンセが密教的なエクスペリメンタリズムを描き出す#5“Death On A Highway”、冒頭からジャズ/フュージョン然としたアヴァン・プログの調べを奏でるインストの#6“In The Pleasure Of Their Company”、一転して劇団四季『ライオンキング』顔負けの部族的なクワイアとヨシコ・オハラ氏のスクリームが織りなす邪教の黒魔術さながらの#7“Bezumnaya”、その名の通りカルトに洗脳された日本人女性扮するヨシコ・オハラ氏の本気マキシマム・スクリームが炸裂する、もはや色んな意味で笑えない#8“Maximalist Scream”は、Voivodのスネイクを道化のゲストボーカルとして招き入れ、俄然70年代のプログレッシヴ・ロック~アヴァンギャルドとの親和性、および理知的なインテリジェンスを強調する流れで締める。

あまりの恐怖に全く聞き込めなかった前作よりは全然優しいし(ケニー・G効果?)、とにかくメロディめっちゃある。しかし、あくまでヘヴィメタルの枠組みに身を寄せつつ、一方でトレンディなDissonant Death Metalにアプローチする器用さも伺わせる、とにかくカルト宗教に洗脳された人間の精神状態(精神崩壊)が共有できる大傑作です。これは皮肉の3㌧ハンマー以外の何者でもないけど、カルト集団に国家を支配されたリアルアルファヴィルの世界に棲む日本人こそ、いま最も聴くべき一枚ですw

Goon - Hour of Green Evening

Artist Goon
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Album 『Hour of Green Evening』
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Tlacklist
01. Pink and Orange
02. Angelnumber 1210
03. Another Window
04. Buffalo
05. Wavy Maze
06. Emily Says
07. Bend Back
08. Maple Dawn
09. Ochre
10. Lyra
11. Last Light On

2015年に中心人物であるケニー・ベッカーのBandcampソロプロジェクトとして始動した、サンフランシスコはLA出身のGoon。今年の二月にリリースしたEPの『Paint by Numbers, Vol. 1』は、それこそ日本のSSWこと岡田拓郎さながらのフィールドレコーディング/ニューエイジを経由したインディトロニカを皮切りに、UKのSSWことマリカ・ハックマンを想起させるオルタナ/グランジ、USのWarpaintを彷彿とさせるドリーム・ポップ/シューゲイザー/ネオサイケ、それらのUKロック風の内省的なアプローチやシティポップ的なローファイかつミニマルなリフレインをはじめ、すなわち昨今のBandcamp界隈におけるトレンドを器用に咀嚼した、EPならではのバラエティに富んだバンタンならぬバンキャン・ミュージックの良作だった。

その“バンキャン大好き芸人”が手放しで持ち上げる彼らの音楽は、約7ヶ月ぶりとなる本作の2ndアルバム『Hour of Green Evening』においても不変で、優美なストリングスやシンセを擁するアート気質の高いインディロックをベースとしながらも、白昼夢を彷徨う夢遊病者のごとしシューゲイザー然とした独特の浮遊感や、フロンロマンのベッカーによるベッドルーム・ミュージック風のウィスパーボイスが織りなす、それこそパームツリーが等間隔でそびえ立つサンフランシスコ・ネイティヴならではの倦怠感、そのネオ・サイケデリアにトリップすること必須。

中でも、中期Porcupine Treeの名盤『In Absentia』『Lightbulb Sun』を連想させる、アコースティックギターと仄暗くなり過ぎない絶妙な塩梅を効かせた朝焼けの絶景を照らし出すようなノスタルジーたゆたう心地よい世界観は、有無を言わさずプログレリスナーの琴線を揺るがし、さらなる隠し味として#5“Wavy Maze”ではスラッジーかつハードコアな側面を垣間見せる“意欲的”な姿勢も高評価。確かに、諸々に既視感は全くないと言ったら嘘になるが、バラエティに富んだEPと比較すると、ヘタに実験的なことには手を出さずに、わりと一貫性のあるシンプルなサイケロックを最後まで貫いている印象。

摩天楼オペラ - 真実を知っていく物語

Artist 摩天楼オペラ
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Album 『真実を知っていく物語』
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Tracklist
01. 真っ白な闇がすべてを塗り替えても
02. 零れ落ちていく未来
03. 赤い糸は隠したまま
04. 桜
05. 残された世界
06. 黒い海
07. 終わらぬ涙の海で
08. 悲しみは僕への罰
09. 流星の雨
10. 儚く消える愛の讃歌
11. 真実を知っていく物語

当方、ティーンエイジャーの頃からのX JAPANを経由した(“ナイフ”を延々リピートしてた)ゴリゴリのジャンナー(Janne Da Arcフアンの呼称)なので、例に漏れず00年代以降のいわゆるネオ・ヴィジュアル系バンドのシーンには疎いわけです。

疎いながらも認識している事だけを話すと、まずX JAPANを火付け役とする90年代のヴィジュアル系ブーム以降に発展を遂げた、ネオ・ヴィジュアル系の先駆け的な存在であるJanne Da Arcや同期のDIR EN GREYに代表される「99年組」よりも後、それこそ00年代以降にデビューしたヴィジュアル系の音楽性は多様性を極めている。一例として挙げると、デスコアやメタルコアの影響下にあるDEXCORENOCTURNAL BLOODLUSTなどのV系バンドは、90年代ヴィジュアル系の後継というよりも、現代メタルシーンのサブジャンルから派生したエクストリーミーなスタイルを特徴としている印象。もとより、X JAPANが活躍した90年代ヴィジュアル系からV系とヘヴィメタルは切っても切れない関係性にあり、とにかくヴィジュアル系というジャンルの音楽的な変遷はなかなかに興味深いものがある。


00年代のネオ・ヴィジュアル系を代表するVersaillesのKamijo主宰のレーベル出身の摩天楼オペラも同上である。そんな自分と摩天楼オペラの出会いというか馴れ初めを述べると、それこそex-A Ghost of Flareのドラムスである響がジャンヌやX JAPANをはじめ、スリッペやHalloweenなどのゴリゴリのメタルソングをドラムカバーしている動画をYouTubeで(約一年前くらいに)観たのがキッカケというわけでもないけど、それよか今年はDIR EN GREYやフォロワーのICDDことImperial Circus Dead Decadenceの新譜が立て続けにリリースされるなど、言わばヴィジュアル系のプチリバイバル的なリリースラッシュが起こっているのも事実。で、それらとほぼ同タイミングで摩天楼オペラが発表した9thアルバム『真実を知っていく物語』が、あまりに伝統的なヴィジュアル系のド真ん中をブチ抜いている件について。

まず『真実を知っていく物語』という昨今の混迷を極めし現代社会をメタする、いわゆるポスト・トゥルース時代のピークを超えたディストピアを暗喩したタイトルからして、一方的な引力を感じ取ったのも事実。そんな摩天楼オペラは、先述したネオ・ヴィジュアル系の中でも古き良き90年代ヴィジュアル系の伝統的なスタイルを踏襲したバンドで、そのバンド名に違わぬ、それこそVersaillesの系譜にあるオペラティックなシンフォニックメタルをベースとしており、ある意味では『真実』の対義語と呼べる「真っな闇」という、いかにもポスト・トゥルース的なメタワードを冠する冒頭の#1“真っ白な闇がすべてを塗り替えても”からして、X JAPANの代表曲である“Silent Jealousy”や“DAHLIA”の系譜にあるスラッシーなキザミとツーバスドコドコ、ギターとキーボードのスリリングなソロバトル、そして出山ホームオブハート利三を彷彿とさせるボーカル苑のヴィジュアル系ならではのナルシシズム全開のビブラートを効かせたハイトーンボイスが織りなす、条件反射でバンギャのヘドバンを誘発するBPMを刻む疾走感溢れるメロスピチューンで、往年のヴィジュアル系を聴いて育った世代としては無条件でナヨること請け合い。


この摩天楼オペラと他のネオ・ヴィジュアル系バンドの明確な違いを挙げるとするなら、それはバンドメンバーにキーボーディスト(彩雨)がいる比較的珍しい編成である点に他ならない。特に、#3“赤い糸は隠したまま”の冒頭のシンセの音色からして、同じくキーボーディストのkiyoちゃん擁するJanne Da Arcの初期の名作である『D・N・A』時代、中でもデビューシングルの“RED ZONE”や“Stranger”を連想させるエキセントリックなシンセの旋律を皮切りに、正直ここまでJanne Da Arcの影響を感じさせるV系は他にないってほどに(ドラムの響のみならず、ボーカルの苑もジャンヌの曲をカバーしている)、とにかく全編に渡って主張するkiyoちゃんさながらのキラキラシンセは、文字通りバンドの光を握っている。そもそも、ジャンヌはメンバー自身で「V系らしくないV系」と自称するほど、どちらかと言えば同時期に活躍したSIAM SHADE寄りの立ち位置だったJanne Da ArcというV系シーンにおける“曖昧”な存在を、(もちろん、同じキーボード編成という意味でも)ネオ・ヴィジュアル系を代表して2022年のV系シーンに連れ戻してくれた摩天楼オペラには只々感謝しかないし、ジャンナーとして素直に嬉しい。

Janne Da Arcのメジャーデビュー作『D・N・A』の“桜”も名曲だが、この摩天楼オペラが描き出す同名の“桜”もkiyoちゃんさながらの瑞々しいポップなキラキラシンセをフィーチャーした曲となっている。また、X JAPANにおける“Say Anything”や“Tears”、Janne Da Arcにおける“DOLLS”や“Rainy~愛の調べ~”に代表される、要するに「ヴィジュアル系≒バラード」みたいな格言を裏付けるように、V系における数々の名曲バラードに肉薄するコテコテのV系バラードの#5“残された世界”、シンフォニックメタル然としたSEを引っ提げたギターインストの#6“黒い海”という名の序章に次ぐ組曲の#7“終わらぬ涙の海で”は、まるで「摩天楼オペラなりのEagle Fly Free」と言わんばかりのメロスパー歓喜のキラーチューンで、冒頭から響のシンフォニック・ブラックメタル然としたブラストビートを擁して壮大なスケールで描き出す#8“悲しみは僕への罰”、マスロック的なギターインストをフィーチャーしたV系らしからぬほどポップでキャッチーな#9“流星の雨”、フォーキッシュなニューエイジズム溢れるアレンジを効かせた#10“儚く消える愛の讃歌”、そしてこの物語の大団円を迎えるに相応しい表題曲の#11“真実を知っていく物語”まで、とにかくメロスパーの血湧き肉躍るメロスピとV系ならではのバラートという、変化球なしの潔さにも好感しかない。

ともあれ、V系好きを自称すなら、今年はICDD『殯――死へ耽る想いは戮辱すら喰らい、彼方の生を愛する為に命を讃える――。』DIR EN GREY『PHALARIS』、そして摩天楼オペラ『真実を知っていく物語』の実質三部作だけで全然間に合います。

DIR EN GREY - Phalaris

Artist DIR EN GREY
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Album 『Phalaris』
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Tracklist
01. Schadenfreude
02.
03. The Perfume Of Sins
04. 13
05. 現、忘我を喰らう
06. 落ちた事のある空
07. 盲愛に処す
08. 響
09. Eddie
10. 御伽
11. カムイ

2014年作の9thアルバム『ARCHE』以降のDIR EN GREYを司る邪神的な存在というと、インダストリアル~エレクトロ風のモダンな打ち込みを持ちより、DIR EN GREYの楽曲に彩りを与えた張本人であり、いわゆるマニピュレーターとして裏側からバンドを支えるsukekiyoでもお馴染みの匠師匠の存在に他ならなくて、前作から約3年9ヵ月ぶり通算11作目となる本作の『Phalaris』においても、裏方という普段は目立たない立場から“実質プロデューサー”として表立つかの如し、俺たちの匠師匠の存在感は日に日に増すばかりだ。

近作のDIR EN GREYにおいて、その存在を誇示する匠の象徴的な仕事といえば、2018年作の10thアルバム『The Insulated World』の翌年にリリースされたシングルの“The World Of Mercy”に他ならない。この曲は、前作における“Ranunculus”の延長線上にあるモダンな打ち込みを中心に構築された大作であり、まるで近年のBMTHPorcupine Treeのスティーヴン・ウィルソン(SWワークス)さながらの著しい打ち込み志向とシンクロするかのような、同時に彼らが古くから嗜好してきた大作路線の新機軸を切り開くかのような一曲だった。

そんなDIR EN GREYの大作志向の高まりを予感させた時期というか楽曲といえば、古くは『MACABRE』に始まり、中でも彼らの最高傑作と名高い『UROBOROS』を代表する“Vinushka”やDSSこと『DUM SPIRO SPERO』を代表する“The Blossoming Beelzebub”と“Diabolos”は、彼らが長年培ってきた大作路線のピーク期と言える。それら過去の名曲をはじめ、シングルの“The World Of Mercy”の大作志向を引き継ぐように本作の幕開けを飾る#1“Schadenfreude”からして、名盤『UROBOROS』と共鳴する呪詛的なニューエイジズムを内包したエクスペリメンタリズムと、傑作『DSS』における破滅的なドゥームネスが約十数年の時を経て邂逅する冒頭に始まり、そのイコンとなる二枚の傑作や名シングルの“激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇”に象徴される、言うなればDIR EN GREYの黄金期と呼ぶべき時代のエクストリーム・ミュージックを司るブルータルな殺傷リフ、『ARCHE』における“Un Deux”や『The Insulated World』で培った「メシュガーをディルなりに再解釈」したマシらないギョントコア系のリフ、そして地獄の業火に晒されながら狂乱する京のアッチョンブリケボイスを咀嚼しながら『MACABRE』流の構築力で仕上げたような、それこそウロボ以降の集大成とでも言うべき大作らしい大作となっている。

「KATATONIAは好きですか?」

まるで“実質プロデューサー”の匠が「あの頃」のイェンス・ボグレン、そしてイェンスの右腕で知られるフランク・デフォルトに代わって、レトロモダンなキーボードと優美なストリングスを指揮する、要するにイェンス・ボグレン時代のKATATONIAで馴染み深い、いわゆる「Bサイド」と称されるゴシカルな耽美性を醸し出す#2“朧”は、先ほどとは一転してsukekiyoの支配下にある京の官能的な歌声をフィーチャーしたミドルテンポのオルタナチューンで、この手の「カタトニア好きか?」としか言いようがない曲は近作の中でも珍しいというか、ある意味ではウロボ以前の世界観に近い曲なのかもしれない。そういった意味でも、全盛期のKATATONIAとイェンス・ボグレンおよび今現在のDIR EN GREYと匠師匠の関係性は、いわゆる“実質プロデューサー”という枠組みでニアリーイコールと解釈すべきかもしれない。

ディルのフォロワーでもあるエクストリーム同人ヴィジュアル系メタルこと、Imperial Circus Dead Decadenceが先日発表した3rdアルバム殯――死へ耽る想いは戮辱すら喰らい、彼方の生を愛する為に命を讃える――。と本作の『Phalaris』って、実はめちゃめちゃ韻を踏めちゃう作品同士で、それこそICDDに対する本家からの回答とばかり、“実質プロデューサー”によるサイコスリラー映画のサントロの如し魑魅魍魎蠢くシンフォニーを抱えて、ドラムのシンヤが珍しくエクストリームメタル然としたブラストビートを刻みながら狂喜乱舞する#3“The Perfume Of Sins”は、本家ディルが誇る道化さながらの狂言師ならぬ京言師が取り仕切る見世物小屋でアヴァンギャルディなからくりサーカスを繰り広げる。

その後も「アルケー好きアルケ?」とツッコミ不可避なほど『ARCHE』の雰囲気を引きずったリフメイクとフックの効いた京の歌メロにフォーカスした#4“13”、京言師ならではのボイスパフォーマンスを発揮する#5“現、忘我を喰らう”、『DSS』を代表するDSこと“Different Sense”の系譜にあたるシングルの#6“落ちた事のある空”、再び“実質プロデューサー”である匠師匠の業に裏打ちされたスケキヨmeet懐春みたいな#8“響”、前作のパンク/ハードコアっぽさを踏襲した古き良きヴィジュアル系のヘドバン(BPM)を刻む#9“Eddie”、冒頭から『ARCHE』の名曲“Behind A Vacant Image”を思わせる匠ノイズを打ち出した#10“御伽”、そして本作における“体内性”を司る冒頭の“Schadenfreude”と対となる曲で、本作における“体外性”を司る同大作の#11“カムイ”は、過去作由来のエクストリーミーなアプローチを強調した同大作に対して、この曲では“朧”におけるKATATONIAのBサイドやsukekiyo的なオーケストレーション/アコースティックギターを軸に『MACABRE』的な構成で仕上げたような、言うなればSWもビックリの「ディルなりのポスト・プログレッシブ」であり、またバンドサウンドが合流する中盤以降はDeftones『Ohms』で啓示した“20年代のヘヴィネス”の在り方をディルなりに再現している。

ここまで本作を端的に総括すると、『ウロボ』や『DSS』はもとより、厳密に言えば『ARCHE』以降の近三作を総括する「集大成」的な作風であり、裏側から見れば“実質プロデューサー”である「匠の集大成」とも言えなくもない本作品。一方で、集大成っぽい要素を多分に孕んでいる作品群にありがちな「うん、そうだね」みたいな想定内の感想しか出てこないのも事実。正直、フォロワーのIDCCに喰われちゃってるというリアルな話はさて置き、シンプルにソングライティングに対して懸念を抱いた虜も少なからずいるはず。それほど既視感ならぬ既聴感が強い、悪くいえばネタ切れ、それこそ引用元の過去曲のが面白いという至極単純明快な話というか。だから虜は一度でいいからICDDの最新作と『Phalaris』を聴き比べてもろて。絶対に「feat.小岩井ことりィ?!」ってなるから。

ただ一つだけ言えることは、何度も「アルケーとカタトニア好きか?」とツッコまざるをえないほど、良くも悪くも「KATATONIA」の存在が一つの大きなキーワードとなっている本作品。というのも、当記事の冒頭部に『ARCHE』以降の【DIR EN GREYと匠師匠】ニアリーイコール【KATATONIAとイェンス・ボグレン】と書いたように、KATATONIAとイェンスが離別してリリースされた『死の王』こと『Dead End Kings』において、メンバー自身がエンジニアとしてミックスを手がけた結果どうなったか?その結果として、まるで「音が死んでる」ようなクソ音質の駄作が誕生してしまった事は、長いメタル史の記録に悪い意味で名を刻む悲劇として人々に記憶された。

重度のKATATONIAフアンである僕が当記事で提唱したい説...それこそが『Phalaris』=『Dead End Kings』説、つまりDIR EN GREYなりの『死の王』であるということ。もとより色素の薄い音楽を奏でるバンドが、著しく無印良品みたいなモノクロームの無機的な世界観に振り切った本作品、その要因となるサウンド・プロダクションやメロディの点でも、近作において最も取っつきにくい印象を受ける。繰り返し聴いても過去一で「音が悪い」、メンバー全員の難聴を疑うほど音質が悪い。それもそのはず、本作のエンジニアにはBFMVのセルフタイトル作品や、過去に俺的クソ音質大賞を受賞しているTrivium『In Waves』を手がけたカール・バウンが関わってると知ったら全てに納得したというか(クソ音質マイスターとクソ音質メイカーは引かれ合うじゃないけど)、もはやここまでくると確信犯というか、こいつらわざとクソ音質にしてる説が濃厚になった。わざとじゃなきゃここまでクソ音質ムーブしないはずだから。とにかく、本作の「音が死んでる」ようなモコモコした淡白な音質を耳にしたら、歴史的駄作である『死の王』『In Waves』のトラウマが蘇ってしまった。

確かに、過去この“死音”を擁して面白いアルバムが作られていたとしたら全然納得できるけど、残念ながらこの世に一枚も存在しないのも事実で、むしろ歴史的な駄作と評価されることの方が断然多い。このクソ音質を好意的に解釈すると、このクソ音質を背負って史上初めて面白い作品に挑んだ歴史的な作品であるということ。つまり、ヴィジュアル系を代表するクソ音質マイスターが史上最悪のクソ音質をもって面白い作品を生み出さんとする、それこそチクビームのクソ音質を知りながらも故意にクソ音質を追求するド変態、もとい貪欲な姿勢に何を感じるかによって、本作の評価を大きく左右する事になりそう。少なくとも、本作を聴いて真っ先にチクビームのアレがフラッシュバックした自分みたいな人は、トラウマ級の作品になってしまうかもしれない。そのクソチクビを知っているor知らないかで評価が一転する奇々怪々が過ぎる作品・・・要するに、チクビームが全部悪いw

俄然このクソ音質を好意的に解釈するなら、あえて「音を殺している」んじゃねぇか説だ。つまり、本作におけるクソ音質は「ディルなりのデスメタル」のメタファーだったんだよ!な~んてエクストリーム擁護はさて置き、この『Phalaris』に内在するブルータル/デスメタル由来のエクストリームメタルのアプローチに対する、ある種の好意的な忌避の可能性というか。例えば、サウンド・プロダクションが音楽ジャンルを司る上において最たる要素であると仮定するなら、今作は“メタル”ではなく、あくまで“ヴィジュアル系”としての立場を暗喩しているとも言えるし、もしそうだとしたら全てに納得できなくもない。そのサウンド・プロダクションの是非についての考え方が、ヘヴィ・ミュージック界の中でヴィジュアル系として生き残る術であり、その術を模索し続けた結果を体現したような本作におけるヴィジュアル系宣言は、ただただエモ過ぎて泣く。

マジメな話、かのイェンス・ボグレンが手がけたシングルの“激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇”がアルバム版でクソ音質化した逸話に象徴されるように、古くからDIR EN GREYはサウンド・プロダクションの悪さに定評のあるバンドで、それこそ当時『UROBOROS』がメタリカの『Load/Reload』に匹敵するクソ音質と揶揄され過ぎた結果、『DSS』を手がけた海外エンジニアのチュー・マッドセンを迎えてリマスタリングされた同作が、今ではその超越的な音楽性と原盤のクソ音質が正解だった事実を鑑みれば、今作におけるクソ音質も彼らにとっては「最高音質」なんですね。つまりメンバー全員が難聴だとか、全く音にこだわってないからクソ音質になっているのではなく、人一倍に音にこだわっているからこそのクソ音質、つまり全て意図されたクソ音質であると。

本作のような「音質に“答え”が書いてある作品」というのは、サウンド・プロダクションだけで「PTの音」だと知らしめていたPorcupine Treeの復活作が、奇しくも本作と同じ11thアルバムだったのは果たして偶然だろうか。ともあれ、作品ごとにミックス/プロダクションを変化させて独自の世界観を創造したり、一方で世界の色を殺したりと、彼らの音質に対するこだわりは並のバンドの比ではない、言わば「創造的破壊」の思想が根底にあるのだと改めて痛感させられた。しかし、その好意的クソ音質のサウンド・プロダクションと、著しく鮮度の落ちたソングライティングの兼ね合いをフラットな視点から批評すると、正直なところ「ディルなりのメシュガー」をやってのけた前作の方が俄然ユニークで面白かったと言わざるをえない。一つだけ確かなことは、本作に点数を付ける場合、10点満点中7点以上は絶対に付けられないアルバム。それだけは確かだと思う。

Valleyheart - Heal My Head

Artist Valleyheart
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Album 『Heal My Head』
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Tracklist
01. Birth
02. The Numbers
03. Miracle
04. Heal My Head
05. Vampire Smile
06. Your Favorite Jacket
07. Back & Forth
08. Warning Signs
09. Ceiling
10. Carousel
11. The Days
12. 6:26

マサチューセッツ州はセイラム出身のスリーピースバンド、Valleyheartの2ndアルバム『Heal My Head』の何が良いって、それこそブルックリンのHENTAIバンドことCigarettes After Sexのグレッグ・ゴンザレスに肉薄する、いわゆるベッドルーム・ミュージックならではの倦怠感溢れる中性的なボーカルと、(その変態セックスはもとより)知る人ぞ知るTrespassers WilliamThe War On Drugsを連想させる、アンビエント/ドリーム・ポップを経由したインディロック/フォークトロニカの佇まいが絶妙なバランスで調和した、古き良きオルタナティブ・ロックの調べを奏でている件について。


それこそ「古き良き洋楽」を象徴する、往年のオエイシスを全力でオマージュしたアルバム冒頭の#1“Birth”から「洋楽最高!」と言わんばかりの煽りに対し、こちらからも「こういうのでいいんだよ」とレスポンスしたくなる気分になる。なんだろう、それ以上のものはないけど「良いものはいい」みたいな理論。続く#2“The Numbers”では、イントロから古き良きポップパンクみたいな力強いビートを刻むと、サビでは古き良き洋楽をフラッシュバックさせるフックの効いた爽やかなボーカルメロディを聴かせる。

それ以降もフォーキーなアプローチを効かせたインディロック寄りの#3“Miracle”、ウェットに富んだシンセポップ的なアプローチを効かせた表題曲の#4“Heal My Head”、(変態セックスはもとより)Trespassers WilliamThe War On Drugsを連想させるペダルスチールを駆使した倦怠感むき出しの#5“Vampire Smile”、再び「洋楽最高!」と叫びたくなるコード進行とフックに富んだ爽快感溢れるボーカルメロディをフィーチャーした#6“Your Favorite Jacket”、イーサリアルなドリームポップの#7“Back & Forth”や#11“The Days”、もはや変態セックスがPost-Progを学んでスピッツ化したような#8“Warning Signs”など、例えるならUKのSSWマリカ・ハックマンの男バンドバージョンみたいなイメージというか、ジャンル云々というよりも古き良き「ザ・洋楽」って感じの雰囲気を楽しむべき作品である事だけは確か。

いわゆるエピタフ系と並んで、アメリカのエモ/ハードコア界を牛耳るRise Recordsからデビューしている事からもわかるように、そのポスト・ハードコア的な傾向を顕著に垣間見せていたデビュー作に対して、かのUnderoathが在籍するTooth & Nail Recordsに移籍した本作では、よりオルタナ/インディ寄りの方向性に舵を切っている。このようにコアな方向性からコテコテのオルタナティブ・ロック!に方向転換したバンドというと、最近ではロードランナーのTurnstileを彷彿とさせなくもない。ともあれ、変態セックス好きはもとより、往年のオルタナティブ・ロックや古き良き洋楽の雰囲気を楽しみたい人にウッテツケの良盤です。
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