Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2022年03月

Denzel Curry - Melt My Eyez See Your Future

Artist Denzel Curry
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Album 『Melt My Eyez See Your Future』
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Tracklist
01. Melt Session #1
02. Walkin
03. Worst Comes To Worst
04. John Wayne
05. The Last
06. Mental
07. Troubles
08. Ain't No Way
09. X-Wing
10. Angelz
11. The Smell Of Death
12. Sanjuro
13. Zatoichi
14. The Ills

マイアミ出身の“ブラックメタル・テロリスト”ことデンゼル・カリーが2018年に発表した名盤『Ta13oo(タブー)』において、当時のビリー・アイリッシュを同年のサマソニに招致したクリマン清水社長並の審美眼をもって共演した名曲の“Sirens | Z1renz”は、その年の俺的BESTラップソングの一つだったが、当時その曲でフィーチャリングしている女性歌手が(その後に『007』の主題歌に抜擢される)あのビリー・アイリッシュだと知らない状態で聴いてたのもあり、しばらく後になってその事実に気づいた時の衝撃というか引力ったらなかった。しかし、2020年に開催予定だったビリー・アイリッシュの単独来日公演のチケットが奇跡的に取れたのに、某コロナによって開催中止に追いやられたのは今でも思い出しては泣く。

改めて、2ndアルバム『Ta13oo(タブー)』でもフィーチャリングしているZillaKamiGhosteManeに代表される昨今のトラップ・メタルムーブメントの立役者であるデンゼル・カリーといえば、マソソソ・マソソソをはじめKornGHOSTなどの新旧ヘヴィミュージックやハイパーポップのAlice Glassが在籍するワーナー傘下のレーベルLoma Vistaに所属している一方で、その『タブー』や2019年作の3rdアルバム『Zuu』に至っては、スティーヴン・ウィルソンのソロ作でもお馴染みの大手ユニバーサル傘下のCaroline International(現Virgin Music Label & Artist Services)から作品をリリースしている。要するに、彼は現代ポップス界におけるアイコンと化したビリー・アイリッシュをはじめ、バズったRATMのCoverやトラップ・メタル界はもとよりクセの強いロック畑のバンドとも親しい共通点を持った、比較的オルタナティブな立ち位置にいる珍しいラッパーで、それ故に自分のようなロック耳にも否が応にもブッ刺さる、幅広い音楽を咀嚼したロック的なサウンドとトラップ/ヒップホップならではのビートがシームレスに交錯するラップをウリとしている。

また、デンゼル・カリーは人生においてインスパイアされた作品の一つに『カウボーイビバップ』を挙げるほど、そして今現在は『呪術廻戦』にハマっていると公言するほど日本の文化やサブカルチャーに強い関心を持ったラッパーでも知られる。そんなカリーの日本文化に対する珍妙な視線は、名盤『タブー』に収録された“Sumo | Zumo”の曲名が日本の国技である相撲から名付けられている点からも明らかだ。その次作となる3rdアルバムの『Zuu』では、一転して前作『タブー』が評価された所以と呼べるジャズ/R&B的なムードや地元マイアミ特有の倦怠感のあるチルい匂いを乗せたAOR風のシンセを極力排除して、それこそ“Sumo | Zumo”の系譜にある地元マイアミ直伝のトラップ/ギャングスタ・ラップに重きを置いた、要するに自身のラッパーとしての側面を深く掘り下げた作風で、これはこれでカリーが持つ別の顔というかジモティー愛に溢れた作品で決して悪いものではなかった。


言い方は変というか無礼(者)だが、そんなカリーの「復調気配」を垣間見せたのが、2021年にDJのKenny Beatsとコラボした『Unlocked 1.5』の冒頭を飾る“So.Incredible.pkg (Robert Glasper Version)”に他ならない。その伏線を回収するかの如し、本作の『Melt My Eyez See Your Future(目が溶ける 未来を目指せ)』の幕開けを飾るジャズピアニストのロバート・グラスパーをフィーチャリングした“Melt Session #1”では、本作の根幹部を担うネオソウルとドラムンベースが融け合った、それこそ名盤『タブー』の延長線上にあるジャズ/R&B的なムード志向のクラシック・スタイルへの回帰を示すと、それをイントロ扱いとして本作のリード曲でありシングルの#2“Walkin”へとスムースに展開していく。また、#4“John Wayne”ではカリーの盟友JPEGMAFIAが、そしてファンク調の#11“The Smell Of Death”では雷猫ことサンダーキャットがプロデュースを担当している。


それらシングル曲におけるジャケの日本語表記や“相撲”ネタはもとより(某SWの『ザー・フューチャー・バイツ』リスペクトか?)、本作の目が溶ける 未来を目指せにおいても日本映画界の大スターである三船敏郎主演の黒澤明映画『椿三十郎』からインスパイアされたトラップ・メタルの#12“Sanjuro”、そして北野武版でも知られる勝新太郎主演の『座頭市』という昭和の日本映画を象徴する伝説的な作品からインスパイアされた曲で、昨年の俺的BESTヒップホップ・アルバムを獲得したUKラッパーのslowthaiをフィーチャリングしたシングルの“Zatoichi”は、(それこそslowthaiのアルバム『Tyon』で既に相性の良さを見せていたように)この曲においてもslowthai的なグライムなトラップ...というよりも、三浦大知の紅白曲でお馴染みの“EXCITE”みたいなJ-POPばりにキャッチーなラップは、恐らく本人も意図していない隠れ日本要素的な意味でも面白いっちゃ面白い(MVはカンフーを意識している)。また、『目が溶ける 未来を目指せ』というタイトルも暗にDeftonesのジャケ写を示唆しているようにしか思えなくて、カリーに対して“俺感”の読者説が芽生えたのは今さら言うまでもない。

全体的な印象としても、やはり名盤『タブー』に肉薄するジャズやR&B、そして昨今のトレンドであるローファイ・ヒップホップやアンビエント・ポップに精通するメンタルヘルシーなトラックメイクを楽曲の軸としながらも、決して『タブー』の二番煎じに陥ることのない、大げさだけど宇多田ヒカル『BADモード』と韻踏めちゃうレベルの名盤だと思う。なんだろう、今年の初めに新作の『Dawn FM』をリリースしたポップスターのザ・ウィークエンドは、彼の「優しさ」それ故に前作の傑作『After Hours』を超える事ができなかったけど、このデンゼル・カリーの場合は名盤『タブー』と同等、もしくはそれを超える可能性を十二分に秘めちゃってるのがヤバスンギる。

GHOST - Impera

Artist GHOST
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Album 『Impera』
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Tracklist
01. Imperium
02. Kaisarion
03. Spillways
06. Watcher In The Sky
07. Dominion
08. Twenties
09. Darkness At The Heart Of My Love
10. Griftwood
11. Bite Of Passage
12. Respite On The Spitalfields

パパ・エメリトゥス(コピア枢機卿)ことトビアス・フォージ主宰のGHOSTといえば、個人的にデビュー当初から不思議と刺さらなかったバンド、かつメタルシーンでそこまで持ち上げられるほどじゃないとも思ってたバンドで、しかし一転、その考えを改めざるを得なくなった出来事というか楽曲こそ、2018年作の4thアルバム『Prequelle』のリード曲である“Rats”に他ならなかった。


このマイケル・ジャクソンの名曲スリラーのMVをオマージュした、それこそ80年代初頭のMTV全盛期をリバイバルしたMVの魅力もさることながら、中でもその黄金のキザミ”に急接近したリフメイクにブッたまげた。なんだろう、それこそMastodonが2009年に発表した歴史的名盤『Crack The Skye』における黄金のキザミ”を、約10年の時を超えて80年代のクラシック/ハードロックに落とし込んだような、兎に角この瞬間彼らの過剰人気に懐疑的だった自分の評価がイロモノ枠のコミックバンドから、一転して中身と実力が知名度と注目度に追いついた正統なメタルバンドとして見方を改めた。例えるなら、奇抜なビジュアルや話題性先行のバンドに実力が伴った瞬間、そのバンドの事がめっちゃ好きになる謎の現象に近い(事実、初めてCD買った)。

前作の『Prequelle』においてGHOSTが成し遂げたのは、それこそまだお茶の間に大衆音楽としてHR/HMが認知されていた時代、つまりQUEENに代表されるハードロックがメインストリームのポップスとして嗜まれていた時代の“アリーナロック”の復権を目論む、要するに「ロックは死んだ」と囁かれ始めてからもう長い月日が過ぎたこの現代において、“サタニックムードメタル”という名の21世紀最後のアリーナロックを地獄の底から『ゴースト/ニューヨークの幻』として再び蘇らせている。

その音楽性は、同郷スウェーデンの重鎮Opethが60~70年代のブルース/クラシック・ロックに傾倒し始めた『Pale Communion』『Sorceress』の共同プロデューサーであるトム・ダルゲティを迎えるという先輩に対するリスペクトのみならず、スウェーデン人のアイデンティティであるキング・オブ・ポップことABBAを想起させる70年代のMTV全盛のポップ・ミュージック風の歌メロを中心に、オルガンをフィーチャーしたフォーク/サイケロックや北欧メタル界のレジェンドEUROPEの世界的名曲ファイナル・カウントダウンをオマージュした哀愁漂うハードロック、そしてヴィンテージなサウンド・プロダクションまでも当時のサウンドを考慮した、まさに「21世紀のクイーン」と呼ぶに相応しい内容だった。

当時のHR/HM界における、ドラッグやグルーピー絡みのスキャンダルなゴシップとは少し毛色は違うものの、2017年にはパパ・エメリトゥスことトビアス・フォージが元バンドメンバーでありネームレス・グールズの4人から権利関係すなわちカネの問題で訴訟を起こされている。確かに、GHOSTの世界観として悪魔崇拝を謳っているのにも関わらず、コスチュームの“中の人”であるトビアス・フォージのカネにがめつい人間味のある“素顔”が世間様に晒されてしまう、その俗っぽい宗教指導者さながらのモキュメンタル感は、まさに現代インドで生まれた20世紀の瞑想指導者瞑想指導者でる“Osho”ことバグワンと重なる部分があって最高に面白い。例えるなら、萌え絵のVTuberが三次元的な俗っぽいスキャンダルで引退に追い込まれるみたいな。しかし、その手のゴシップやスキャンダラスな話題すらも(皮肉にも)GHOSTというバンドを司るゴシックホラー的な世界観の一部として、よりポピュラーなエンタテインメント性に変えてしまう魔力を秘めている。そのようなネタに尽きないのはMTV全盛の当時からアリーナ級のビッグバンドが背負う宿命であり、ある種の義務と言えるのかもしれない。


“パパ・エメリトゥス三世”改め“コピア枢機卿”改め現“パパ・エメリトゥス四世”こと主宰者トビアス・フォージのバグワンさながらの不思議な魔力は、世界中の人々を生贄という名の虜にするだけでなく、この極東の地においてもGHOSTの魔力が降りかかっている。例えば、2013年のコーチェラ出演を経て2014年には(2013年出演のVolbeatや2017年出演のRoyal Bloodに象徴される)クラシックなハードロックを受け継いだ現代的なハードロックバンドの系譜としてサマソニ出演を果たし、改めてサマソニ主催者でありクリマン清水社長の先見性に感服させられたのは今でも記憶に新しい。中でも、そのアンチクライストな世界観およびホラーテイスト溢れるライブ演出やビジュアルに関する魅せ方は感心するほどで、それこそベビメタ後期のダークサイドのアプローチはGHOSTに触発された可能性すらある。最近では、アメリカの名司会者ジミー・キンメル主宰の番組『Jimmy Kimmel Live!』にてライブパフォーマンスを披露したりと、そのMTV全盛に肉薄するGHOSTの魔力は現在進行系で世界中のお茶の間へと拡大している。

そんな前作におけるアリーナロック復権の流れを踏襲した、約4年ぶりとなる5thアルバム『Impera』という名のゴスオペラの開演SEを担う#1“Imperium”に次ぐ#2“Kaisarion”からして、「おっ、TNTのトニー・ハーネルリスペクトか?」とツッコミ不可避の、それこそまだお茶の間にHR/HM特有のピーキーなハイトーンボイスが不思議と受け入れられていた「時代の歌」を披露したかと思えば、前作に引き続きレジェンドEUROPEをオマージュした#3“Spillways”では、BON JOVIのジョン・ボン・ジョヴィ風のキャッチーなコーラスワークを中心とした、前作におけるアリーナロックのスタイルを著しくポップに発展させた古き良き北欧メタルは、さしずめ前作が「21世紀のクイーン」ならば本作は「21世紀のボンジョビ」とばかりにポップな商業ロックあるいはメロハーすなわちAORとして耳馴染みよく聴かせる。

正直、ここまでリフらしいリフって久々に聴いたかもしれないくらい、いわゆるHR/HMがHR/HMたらんとする「リフ」がしっかりと「リフ」してる作品、それこそ前作の“Rats”で発現した低域をジュクジュク刻んでくる黄金のキザミ”に関しても、キザミの質量はもとよりバリエーションも増やしている印象で、中でもトラディショナルなドゥームメタルのリフを擁する#5“Hunter’s Moon”、タイトなキザミ志向の#6“Watcher In The Sky”、SEの#7を挟んでホラー映画のサントラさながらのオーケストラやクワイアが織りなす壮大なゴシックオペラの真髄を発揮する#8“Twenties”や往年のメタルバラード風の#9“Darkness At The Heart Of My Love”など、前作のMTV全盛路線を更に推し進めたポップでキャッチーな、そしてメタリカやEUROPEに代表されるメタルレジェンドのオマージュや北欧メタルへの郷土愛をエンタテインメントとして昇華した21世紀最後のアリーナロックは、“中の人”であるトビアス・フォージの俗っぽさ含めて楽しさに溢れている。ちなみに、本作にはOpethのフレドリック・オーケソンが参加。

NEMOPHILA - REVIVE

Artist NEMOPHILA
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Album 『REVIVE』
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Tracklist
01. REVIVE
02. DISSENSION
03. 鬼灯
04. HYPNOSIS
05. GAME OVER
06. Life
07. SORAI
08. Rollin'Rollin'
09. Change the world
10. 雷霆 -RAITEI-
11. OIRAN

つい最近まで「NEMOPHILAって誰?」状態だった自分とガールズメタルバンドNEMOPHILAの馴れ初め的な話をすると、もう十数年前に国内メタラーのバイブルとして一世を風靡し(そなの?)、あのタレントSHELLYを排出した音楽番組『ROCK FUJIYAMA』のyoutube版に天才少女ギタリストことLi-sa-Xが同番組のレギュラーでお馴染みのマーティ・フリードマンとROLLYと一緒にギター弾いてる姿を久々に見て、相変わらずギターうめぇなと感じるよりも先にまだ子供だった当時のイメージから急激に大人っぽく成長してる事にビビったわけ。で、その元?天才少女ギタリストが結成したLi-sa-X BANDの存在を認知したタイミングでオヌヌメに挙がってきた下記のギタープレイスルー動画を観たら、あのLi-sa-Xの超絶技巧派プレイに全く引けを取らず流麗にハモり散らかしているメガネっ娘ギタリストに萌えて「このメガネっ娘誰ッ?!」みたいな流れから、どうやらそのメガネっ娘がLi-sa-X BANDのギタリストでありNEMOPHILAってガールズメタルバンドのギタリストの葉月らしいと知る←この起点から今現在に至る。


何を隠そう、自分自身も当時『ROCK FUJIYAMA』でメタルを学んだ世代っちゃ世代のメタラーなのにも関わらず、あれから十数年が経過した今現在の自分の立ち位置すなわち世界線からでは、NEMOPHILAのネ(Ne)の字もバブリシャス(Obliviscaris)の字も出てこないし、ニアミスすらしたことないバンドだったのも事実。で、一体全体どこの文脈から派生してんの?と気になって調べてみたら、どうやらガールズメタルバンドMary's BloodのギタリストSAKIを中心に結成したバンドらしくて「なるほどガッテン」した。あと某界隈で有名人らしいドラマーのむらたたむの事も普通に知らなかった、というか普通に「村田らむ?」としかならんかった(←普段どこの辺境地に生息してんねんw)。

このように、NEMOPHILAに関して「何も知らないジョン・スノウ」ばりに何も知らない、ましてやリーダーのSAKIが在籍するMary's Bloodすら一度も聴いたことがない、通称ニワカFUJIYAMAメタラーの自分がNEMOPHILAの音楽を想像してみたところで、それこそ活動休止中のLOVEBITESのフォロワー程度のイメージしか浮かばなかったのも事実。しかし、いざバンドの記念すべき1stアルバム『REVIVE』を聴いてみたら、言うなれば「ベビメタ以降」のモダンなラウドロックをベースとしたゴリゴリのメタルやってて驚いた。というのも、初期の正統派メタルから徐々にシンフォニック・メタルに傾倒していったLOVEBITESとは真逆の音楽性に近いというか、いわゆるガールズメタルバンド=シンフォニック系みたいな安易なイメージとは一線を画した、侠気ならぬ姐気あふれる硬派なメタルを展開している事に好感しか沸かなかった。


まず何が衝撃だったかって、アルバムの幕開けを飾る表題曲の#1“REVIVE”からして、初っ端BMTHのEP『Post Human: Survival Horror』が始まったかと錯覚するギターの入りから、7弦ギターならではのローにローを重ねたモダンなヘヴィネスと共に在りし日のMachine Headばりにスラッシーかつソリッドに刻むリフ、そしてボーカルのマユはマユで開口一番に女性的な歌声ではなく激しいシャウトが織りなす、その想定外としか言いようがないゴッリゴリなサウンドに面食らいド肝を抜かれると、そのエクストリーミーな流れのまま地獄の底から響き轟くような悪魔的なスクリームをぶっ放す「スクリーマーとしてのマユ」を全面にフィーチャーしたゴリゴリのグルーヴ/メタルコアナンバーの#2“DISSENSION”、ここまで冒頭の殺傷力の高いブルータルな音波の激流によって2秒でメタラーのナニもといハートをグッと掴んでくる。

ヘタしたら「日本のガールズバンド史上最もヘヴィなんじゃねぇか説」が芽生える程度には鬼ヘヴィな冒頭の流れを引き継いで、今度は古代エジプトの黄金の装飾を身にまとったクレオパトラさながらの妖艶な存在感とフィメールボーカリストとしての表現力の高さを垣間見せる女帝マユの艷声を中心に、それこそ近年のAmorphisを彷彿とさせるオリエンタルラグいトライバリズムに溢れたフォークメタル的なアレンジを効かせた#3“鬼灯”や#4“HYPNOSIS”に象徴される、今風のヘヴィネスのみならず楽曲構成力の高さやアレンジ力の非凡さにも確かなセンスを覗かせる。

ヘヴィメタルにおいてバラードは必須科目とのことで、そのドラマー村田らむちゃんによる手数多めのドラミングのダイナミクスを“縁の下のちからむちゃん”とした、この手の情感溢れるメタルバラードを歌うために生まれてきたんじゃねぇかと錯覚するくらい映えに映えるマユのハスキーボイスから解き放たれるサビメロを聴いた瞬間、往年の演歌歌手ばりにコブシを握りながら「泣くがいい・・・セーソクの胸を借りて泣くがいい・・・」と呟いていた#5“GAME OVER”は、「バラードだから」とかそんなん関係なしに、本作において最も7弦の特性が活かされたギターのゴリッゴリなヘヴィネスで刻んでくるガチな間奏から、ギタリスト葉月とSAKIのツインギターによる慟哭のハーモニーを奏でる流麗なソロワークへと想いを紡いでいく様式美的な構成も含めて、まさに21世紀を代表するメタルバラードの名曲と呼ぶに相応しい一曲となっている。

その本作のハイライトを飾るメタルバラードと対になる、(90年代の大黒摩季あるいは相川七瀬をフラッシュバックさせる)希望に満ち溢れた前向きな明日を歌う往年のJ-POPスタイルの#7“Life”は、シンガロング推奨のアリーナロックにも映える柔軟性を内包したオールラウンダーなボーカリストと言ったら語弊がありそうだけど、とにかくメタル野郎のみならず一般大衆の琴線に訴えかける幅広いソングライティングとマユのフレキシブルな歌声は、まさにNEMOPHILAというバンドの底抜けなさと(そう遠くない未来にデカい箱で演ってる姿、その景色が目の前に浮かんでくるかのような)スケールのデカさ、および音の説得力に直結している。

ガールズメタル界のレジェンド=SHOW-YAに代表される、日本の伝統的なガールズメタル魂を継承する#7“SORAI”やハードロック調の#9“Change the world”、これまでの「ベースいらなくね」の雰囲気から一転して、どう考えても「ベースいるくね」としか言いようがないベース担当ハラグチサンによるソロプレイから始まる曲で、ベビメタはもとより既に対バンが決まっているPassCode風のシンセをはじめ、日本のアイドル文化に精通するノリのいいコール&レスポンスを擁するモダンなラウドロックの#8“Rollin'Rollin'”、メロデスばりに疾走感溢れるソリッドなリフにシンフォニーXのマイケル・ロメオ顔負けの超技巧ギターによるスリリングなソロバトルをフィーチャーした#10“雷霆”、イントロから「デレッデレッデレ」というエクストリームメタルの代名詞の如くスラッシーなリフから小悪魔が憑依したマユのスクリームにガッツポ不可避の#11“OIRAN”は、それこそジャパメタ界のレジェンドことラウドネスの二井原御大に代表される、80年代のヘヴィメタル全盛期のメタルマスターを現代的なメタルとしてREVIVEさせるかの如し、その女帝さながらのマユの雄雄しい歌声を耳にすれば2秒で跪くこと必須。

改めて、古き良きクラシックなヘヴィメタルや伝統的なジャパメタに対するリスペクトと「ベビメタ以降」の日本独自の文化的側面と現代的なヘヴィミュージックのモダンさを兼ね備えた、と同時に「ベースいらなくね」という各世代が受け継いできた“メタルあるある”を踏襲した、それこそDIR EN GREY『DUM SPIRO SPERO』を軽くいなす7弦の重いサウンドを持ち味の一つとする、全世代のメタル愛に満ち溢れたイマドキのガールズメタルバンドがこのNEMOPHILAだ。中でも、長きにわたる様々なメタルの歴史を世代を超えた現代的な解釈をもって忠実に再現する「今」のヘヴィメタルを従えて、全盛期の寺田恵子に肉薄する強い女性像を司る表情やDIR EN GREYの京に肉薄するスクリームに象徴される小悪魔的な表情他、それこそ「女版DIR EN GREY京」と称すべきマユの多彩な表情筋で魅せる表現豊かなボイスパフォーマンスは、NEMOPHILAのセンターを担うに相応しい最大の魅力と言える。

そんな、NEMOPHILAについて本当に何も知らない、ましてやX JAPANの“ベニ”や“Rusty Nail”の楽曲Coverしまくってる事すら知らない、いわゆる“ニワカFUJIYAMAメタラー”の自分が2秒でドハマリするぐらいには、想像を超えた楽曲の完成度と各メンバーのスキルに裏打ちされたバンドサウンドの説得力に圧倒させられたし、大袈裟じゃなしに「ベビメタ以降」のラウドミュージックの現在地を示す革新的な最重要アルバムの一つだと思う。少なくとも「いま最もライブが観たいバンド」なのは確かです。

dynastic - I know there's something left for you

Artist dynastic
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Album 『I know there's something left for you』
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Tracklist
01. true owl (intro)
02. ftl
03. no romance
04. sway
05. dynastic & Polygon Cove - caldecott
06. on tape
07. x2 dose
08. lake city quiet pills
09. gold medal
10. clout dracula
11. featherbrain
12. jacqueline
13. all good people are asleep (feat. saoirse dream)
14. and dreaming (feat. cvnvvn)
15. pet / dear distance

ハイパーポップ的な意味で今年のBMTH枠。というのも、UKのBring Me The Horizonが昨年に発表したエイペックス大好き芸人ことポスト・マローンを模したシングルの“DiE4u”、その音源をハイパーポップアーティストのsix impalaがリミックスした一連の不可解なムーブ、すなわちエモをルーツとするバンドとZ世代の多様性を象徴する新興ジャンルのハイパーポップの邂逅は、初期のエモ/スクリーモ~デスコア/メタルコアを経由して最終的にメインストリームのポップスとなり、そしてフロントマンのオリヴァー・サイクスとロシアの国民的ユニットIC3PEAKによる国境を超えたコラボを皮切りに、それこそ人種や国籍を超えたハイパーポップならではの多様性に則ったムーブをキメているBMTHというバンドの特定のジャンルに囚われない流動的かつオルタナティブな音楽的変遷を著しく象徴している。

カリフォルニアはサンフランシスコ出身、dynasticの1stアルバム『I know there's something left for you』の何が凄いって、それこそ冒頭の#1“true owl (intro)”からして、昨年にBandcampを中心にバズったParannoulのブッ壊れローファイメンタル三人衆を連想させる、まさに90年代サブカルチャーの金字塔であるアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ君に代表される10代の今にも張り裂けそうな心の叫びと、ティーンミュージックとしての側面を持つエモ/スクリーモのポスト・ハードコアな叫びをシンクロさせると、その後は00年代の古き良きポップパンク/エモパンクリバイバルとケロケロボニトを思わせるサブカル的な8bitのコンピューターゲーム的なチップチューンやフューチャーベースなどの電子音、そしてローファイはもとよりハイパーポップの常套手段であるオートチューンや日本のサブカルアイドル代代代『MAYBE PERFECT』ともシンクロするインダストリアル/グリッチーなトラックを融け合わせた、まるで00年代にポップパンクを嗜んでいたティーンエイジャーの心に棲むトラウマすなわちカオスとZ世代およびemoji世代のティーンが嗜んでいるハイパーポップのブッ壊れメンタル同士が互いのパリパリATフィールドで中和するようなハイブリッド型の青春ブッ壊れポップミュージックは、さしずめ「ハイパーポップ化したマイケミ」あるいは「ハイパーポップ化したFall Out Boy」、もしくは「ハイパーポップ化したロストプロフェッツ」みたいな、とにかく「あの頃の洋楽ロック」を次世代の解釈によってアップデイトさせた革新的な新しさとノスタルジックな懐かしさの同時攻撃で聴き手のローファイメンタルをブッ壊しにくる。

また、まるで日本のtoeJYOCHOがハイパーポップ化したようなアコースティックなマスロック~エモの#4“no romance”や激エモチューンの#7“x2 dose”におけるジェンティでマッシーなリズム面からも西海岸出身らしさを垣間見せ、アルバム後半の#10“clout dracula”やsaoirse dreamをフィーチャリングした#13“all good people are asleep”ではポスト・ハードコア然とした粗暴なギターをかき鳴らしている。

国内の次世代アーティストを代表する4s4ki(sic)boyもエモや洋楽ポップパンクの影響下にあるオルタナティブなラッパー兼ハイパーポップであり、個人的に前者の4s4kiに関しては今の日本で最もBMTHとコラボする可能性を持つアーティストだと思ってるのと、恐らく4s4kiにも影響を与えているであろう後者の(sic)boyは、自身の楽曲にエモのみならずニューメタル的なラウドロックの要素を取り入れている点からも今現在のハイパーポップ化したBMTHと立ち位置が否応にも重なる。もちろん、(sic)boyがラルクのHYDEはもとよりBMTHの影響が及んでいるかなんて知る由もないが、とにかく近年のBMTHの不可解過ぎる謎ムーブの伏線回収とばかりに、エモとハイパーポップのクロスオーバーが国内外問わずムーブメントを起こしている面白さったらない(改めてBMTHおよびオリィ先見性たるや)。少なからず、日英の彼ら彼女らとUSのdynasticが奏でる次世代のエモパンク型ハイパーポップは近親の存在同士であることは確か。

Bad Omens - The Death Of Peace Of Mind

Artist Bad Omens
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Album 『The Death Of Peace Of Mind』
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Tracklist
01. Concrete Jungle
02. Nowhere To Go
03. Take Me First
05. What It Cost
07. Bad Decisions
08. Just Pretend
09. The Grey
10. Who Are You?
11. Somebody Else.
12. IDWT$
13. What Do You Want From Me?
15. Miracle

今年のBMTH枠。というのも、リッチモンド出身のBad OmensといえばBMTHのフォロワー、厳密に言えば『Sempiternal』『That's The Spirit』前後のBMTHフォロワーとして有名なメタルコアバンドで、何を隠そう前作から約3年ぶりとなる3rdアルバム『The Death Of Peace Of Mind』は、それこそ前作と同年(2019年)にBMTHが発表した6thアルバム『amo』において彼らが未来へ向けて示し出した“20年代のヘヴィネス”をフォロワー最右翼ならではの正しい視点から丸々コピーしている件について。


改めて、BMTH『amo』の革新性って、一見ただのメジャーなポップ・ミュージックと見せかけて、10年代の終りに未来を見据えた“20年代のヘヴィネス”の基準の一つをヘヴィロックシーンに提示した事にある。その象徴的な曲であるダニ・フィルスをフィーチャーした“Wonderful Life”は、つい最近その某曲のリフメイクにおける(10年代メタル総合ランキング同率1位のGojiraとメシュガーを的確に捉えた)10年代のヘヴィネスを20年代のヘヴィネスとして次世代の解釈と独自の視点からアップデイトしたのが、他ならぬ日本のCVLTEPaleduskがコラボした“eat acid, see god.”である。それでは、BMTHのコピバンもといフォロワーのBad Omensは、本作において如何様にして『amo』を自分達のモノとして料理したのか?

それこそ、本作の幕開けを飾る#1“Concrete Jungle”からして、シングルの“Wonderful Life”とともに『amo』を象徴する一曲目の“I Apologise If You Feel Something”から二曲目の“Mantra”までの一連の流れを一曲に集約したかのような、トリップホップ/アートポップ風のキレイめな打ち込みとバンドの中心人物でありリードボーカルのノア・セバスチャンによるオリヴァー・サイクス顔負けのクリーンボイス、そして“Mantra”を模したドライブ感あふれるグルーヴィなリフを『amo』のサウンドを模したプロダクションに乗せて、そしてタイトルの「Concrete Jungle」というノルウェーの歌姫AURORAの“Animal”を想起させるニューエイジ思想に傾倒したリリック/ポップなメロディを中性的な歌声で歌い上げる。つまり、昨今のオリィの発言におけるリベラルな立ち位置と、今やケツモチがディズニーことAURORAの立ち位置の近親ぶりを理解したフォロワー脳じゃなきゃ実現不可能な一曲となっている。


Amorphis『Under The Red Cloud』や近年のTOOLに精通するポストキザミから形作られるポストヘヴィネスと、BMTHが“Wonderful Life”で示した現代ポストメタルにおける“20年代のヘヴィネス”の邂逅をいともたやすくやってのける#3“Take Me First”、もはやBMTHフォロワーの肩書きをブチ破るかの如し現代ポストメタルの一つの回答であるかのようなプロダクションおよびヘヴィネスを展開する#4“The Death Of Peace Of Mind”や#5“What It Cost”など、アルバム前半における全てのリフおよびヘヴィネスが“Wonderful Life”を多角的な視点から解釈した結果と言っても過言じゃあなくて、兎に角その逐一徹底したBMTH愛に脱帽する。

冒頭のAURORAのみならず、アルバム後半はEDM(Trap)のアプローチを効かせたBMTH直系バラードの#7“Bad Decisions”を皮切りに、ElsianeVERSAを連想させるエレクトロニカ/トリップホップ志向の強い#10“Who Are You?”、『amo』の隠し要素だったK-POPのLOONA顔負けのヤーウェイ系EDMをフィーチャーした#11“Somebody Else.”におけるノア・セバスチャンのジェンダーを超えた女性的な歌声は本作の聴きどころの一つと言える。もはやグライムスとフィーチャリングできないならできないなりにセルフで女体化すればイイじゃんのノリでフェミニンな色気を醸し出している。と同時に、もはや自分の中で伝説化してるVERSAをフォローアップしている時点で俺感の読者なんじゃねぇか説が芽生えるなど。とにかく、要所で垣間見せるストリングスの鳴らし方とかエレクトロな打ち込み要素をはじめ、その他細部に至るアレンジまでも『amo』をモデリングしている徹底ぶり。

ジョーダン・フィッシュ顔負けのシンセやストリングスを擁する#13“What Do You Want From Me?”は、『amo』のハイライトを担う“Mother Tongue”をラウド寄りに仕立て上げたようなポップメタルのソレで、BMTHがグライムスとコラボした“Nihilist Blues”を模したミニマルなエレクトロビーツを刻む#13“What Do You Want From Me?”、そしてアルバムの終わりがけに自分たちの出自がメタルコアバンドであるという記憶を取り戻し、アリバイ作りのために仕方なくゴリゴリのメタルコアをやってのける#14“Artificial Suicide”からの#15“Miracle”まで、総評するとオリジナリティは皆無に近いけど「BMTHフォロワー」としては100点満点だし、あの『amo』を世界一のフォロワーなりに独自解釈した結果、人によっては本家『amo』と同等、いやそれ以上に凄いことやってんじゃねぇか説を唱える人も多数いそう。

なんだろう、そのBMTHフォロワーとしてのネタ的な視点、BMTH『amo』で紡ぎ出した“20年代のヘヴィネス”の回答としてのオルタナティブな革新性、そしてAURORAVERSAを連想させるフェミニンな隠し要素が多数盛り込まれた、決して「いわゆるフォロワー」の枠にとどまらない凄みが本作にはある。かろうじてハイパーポップ化だけはしなかったのは唯一の救いか。
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