Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2021年09月

Spiritbox - Eternal Blue

Artist Spiritbox
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Album 『Eternal Blue』
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Tracklist
01. Sun Killer
03. Yellowjacket [feat. Sam Carter]
04. The Summit
06. Silk In The Strings
08. Eternal Blue
09. We Live In A Strange World
10. Halcyon

私は熊と格闘したことがあることIwrestledabearonceの元メンバーであり夫婦でもある二代目ボーカリストのコートニーとマイクを中心にカナダはブリティッシュ・コロンビアで結成された4人組=Spiritboxの1stアルバム『Eternal Blue』は、それこそPeripheryTesseracTあるいはAnimals As Leadersに代表されるDjent以降のモダン・ヘヴィネス/エクストリーム・メタルコアで、そこは流石の出自がex-Iwrestledabearonceだけあって、『amo』以降のBMTHみたいなエクスペリメンタルな打ち込みを効かせた音響意識の高いアレンジを軸に、00年代以降に流行ったマスコアと10年代以降のジェントすなわち総称すると“テクニカル・メタル”、その一つのジャンルの時代の変遷を辿ってきたフロントウーマンのコートニーによるスペンサー・ソーテロ顔負けのエグいスクリーム、さしずめ「女版ダニエル・トンプキンズ」みたいな叙情的なフィメールボイス、そしてVildhjarta級の鬼ヘヴィネスやGojira級のスラッジーなヘヴィネスを内蔵した極悪ブレイクダウンのエゲツない重厚感が高次元レベルで均衡したサウンドスケープを繰り広げている。


ex-Volumesのダニエル・ブラウンシュタインがプロデュース/エンジニアを手がけ、メタルコア界の雄Architectsのサム・カーターを迎えた#3やCrystal LakeのRyoとフィーチャリングしたリミックス版が公開されている#7、そしてマスタリングにイェンス・ボグレンを迎えている案件の時点で、そんじょそこらのモブではない界隈きっての期待の新星として認識すべき事がわかるし、現にジェント以降のメタルコア/新世代メタルとして、その完成度は既に折り紙付きと言っていい。中でもゴリゴリの打ち込み主体の#9“We Live In A Strange World”をはじめ、本作のハイライトを飾る#11“Circle With Me”では今はなきVERSAThe Birthday Massacreを連想させるモダンなゴス/ダークウェイブの影を感じさせて完全に優勝する。


しかしながら、PassCodeに新加入した有馬えみりをはじめ、「アイドル界のIwrestledabearonce」こと神激涙染あまねや新世代ガールズロックバンド玉冷え。もとい花冷え。ユキナに代表される日本のラウドル(kawaiicore)に触発されてか、本家Iwrestledabearonceの二代目ボーカリストのコートニー“ジョジョメタル”ことLucreciaジャッキー・グラバーちゃんという新星の登場からも、昨今この「新世代叫ぶ女」界隈がアツすぎるってレベルじゃない件について。これもう皆んな集めて『kawaiicore』フェス開くしかなくね?(呼び屋募集)

佐藤千亜妃 - KOE

Artist 佐藤千亜妃
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Album 『KOE』
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Tracklist
1. Who Am I
2. rainy rainy rainy blues
3.
4. カタワレ
5. 甘い煙
6. 転がるビー玉
7. リナリア
8.
9. Love her...
10. 愛が通り過ぎて
11. ランドマーク
12. 橙ラプソディー

コロナ禍という生者と死者の関係すらも分断された世界で、因果不明のままこの世を去った人々を『ルックバック』する、即ち「きっと忘れない」と想う気持ちを込めて故人を『追憶』する作為的なイベントがあちこちの界隈で起こったり起こらなかったりした昨今。もはや、その大切な『メッセージ』に気づけなかった人は信用に値しないレベルと言っても過言じゃあない。

まぁ、そんな冗談は置いといて、きのこ帝国佐藤千亜妃がバンドが活動休止してソロ活動を本格化させ、満を持して発表した待望のソロデビュー作となるEPのタイトルが『SickSickSickSick』と知った時に「正体現したね」とツッコんで以来、その間は佐藤のプライベートに関する真偽不明の噂を耳にしたりしなかった中で、久々にその名前に出くわす事となったのが映画『花束みたいな恋をした』の作中で、きのこ帝国の名曲“クロノスタシス”が使われてプチバズリした時だった。そのままのらりくらりして、約2年ぶりとなる2ndアルバム『KOE』がリリースされた今の今まで聴くタイミングがなかったのも事実。しかも本作を聴くまでに至る動機が、佐藤千亜妃本人に対する関心ではなく本作に参加しているゲストミュージシャンに関連する事にあった。

2019年、自分の中にBring Me the Horizon『amo』King Gnu『Sympa』という二つの世界線、その分岐の選択を迫られた当時、後者のハイレゾ音源を買っていながらも悩みに悩んでBMTHの世界線に足を踏み入れた僕は、最終的にコロナ禍になる前に実質「最後のライブ」として観たのが、同年に開催されたBMTHの大阪公演(最前列)だった。もちろん、当時BMTHと並行してキンググヌゥにハマっていた事をわざわざ書いてはこなかったけれど、UKのBMTHがソニーの広告塔としてXperiaのCMに抜擢されて世間への認知度を高めれば、それに対抗して日本のヌーヌーでソニーのワイヤレスイヤホンのCMに抜擢され、それこそBMTHと全く同じ“ソニーの広告塔”として活躍している姿を目にしては(ニチャア)としたり、そして常田大希がモデルのemmaとの熱愛が発覚した時も同じように(ニチャア)としたりしたわけ。で、その解釈で言うと、もし当時にBMTHではなくキンググヌゥの世界線に足を踏み入れていたとしたら、それこそフジロック2021に出演したヌーのライブを最前列で観ていた“もう一つの未来”が生まれていた可能性もなきにしもあらず。


この話がどうやって佐藤千亜妃の新作に関わってくんねんという至極ごもっともな話をすると、本作のタイトルである『KOE』を象徴する佐藤のアカペラから幕を開ける#1“Who Am I”から、それこそキンググヌゥのベーシストである新井和輝他豪華なゲストを迎えてレコーディングされた、ザックリと言えば初期椎名林檎みたいな往年のオルタナ系J-POPのステレオタイプだが、この曲のキモとなる楽器隊をフィーチャーしたアウトロの疾走感溢れるアヴァンギャルドかつグルーヴィな空気感を聴いてフラッシュバックした存在こそ、赤い公園『黒盤』から“透明”のアウトロの空気感に他ならなかった。この曲に関して、佐藤本人のツイッターで去年、人の生き死にに関るショッキングなニュースがあり、そんな時どうしても書かずにはいられなかった曲ですのツイートを見た時は、一瞬「ちょっと待って、去年ってなんか事件でもあったっけ?」と思い返したら、2秒でトラウマ級の記憶が蘇った(←お前が一番信用できねぇw)。もちろん、この曲が赤い公園の津野米咲を「きっと忘れない」と追憶する想いを意図して込めた曲かなんて知る由もないし、あくまでも個人的な感想として赤い公園の空気をこの曲から感じ取ったのは少なからず事実。

実は、冒頭に書いた「ゲストミュージシャンに関連する話」って、もちろんキンググヌゥの新井くんもそうなのだけど、その新井くんを超える大本命こそSSWの岡田拓郎くんの存在に他ならなかった。先日、この話に関して衝撃的な事実を知ったのだけど、それがヌーの新井くんと岡田くんは同じ東京出身であり(学年は一個違い)、高校生の頃に新井くんの地元である福生のチキンジャックというライブハウスで互いにセッションし合う仲だったという衝撃の事実だ。もっとも面白いのは、今やMステの常連でありフジロックのヘッドライナーを務めるまでのゴリゴリのメジャーアーティストとなったヌーに対し、今やソロミュージシャンとしてアンダーグラウンド界の帝王となったと見せかけて、シレッとMステに出演するまでのメインストリームな存在となった岡田拓郎、この二人のMステ出演者の過去に繋がる“意外な共通点”を、今このタイミングで再び再会させた本作はメインストリームとアンダーグラウンドの“イイトコ”を両方知ってる作品と言える。しかしながら、一緒にセッションしていた学生時代から約十数年が経過し、現在は音楽シーンを代表するバンドとSSWとしてそれぞれ別の角度から“ポップス”を探求し続けている姿を見たら、流石にエモすぎて(ニチャア)しながら泣くよな普通に。

そして何より、その岡田くんと佐藤千亜妃の共演にただただ感動する#2“rainy rainy rainy blues”は、岡田くんの“らしい”ギターや素朴なピアノをはじめ、ほのかにフォーキーさを装ったアナログチックなアレンジを効かせた、これまでの佐藤関連作品としてはありそうでなかったトクマルタイプの現代的なシティポップというか“Left-Field Music”で、広義の意味では岡田拓郎くんのソロ作の流れで聴けなくもない曲となっている。その岡田くん参加の曲を挟んで、再び新井くんが参加している表題曲の#3“声”は、本作を司る佐藤の『声』にフォーカスしたストリングス主体のバラードで、例えるならアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』における主人公のヴァイオレットが依頼人の代わりに想いを記した手紙を書く“代筆者”ならば、この『KOE』において様々な曲調に合わせて憑依的な『声』で歌い上げる佐藤は(ある種のイタコ芸)、『声』を出したくても出せなくなってしまった人たちの“声なき声”に代わって想いを伝える“代弁者”としての役割を担っている。

上記のことから、どうしても自分の中では冒頭の3曲で完結させたいアルバムというか、この3曲に色々な追憶の想いを凝縮させたい気持ちが強くあるけど、だからといって個人的な関心の9割を占める冒頭が終わった後は実質ボートラみたいな扱いをするわけにもいかず。事実、この他にもローファイ風のアプローチを効かせながら、ファンキーなギターやトランペット/サックスが織りなすジャジーに大人びた雰囲気の#5“甘い煙”、映画『転がるビー玉』の主題歌となった#6、メロディやアレンジまでほぼほぼ“ソロ版桜が咲く前に”なバラードの#7“リナリア”、個人的にその存在を見て見ぬ振りしてきた気鋭のギタリスト=Ichikaをギターではなくハープ奏者として迎えた、無慈悲なストリングス・アレンジと今にも消えてなくなりそうな佐藤の絞り出すような『声』が昭和歌謡並に泣かせるオルタナバラードの#8“棺”、#5の系譜にあるローファイヒップホップ的なイマドキの洋楽的なオシャアレンジを施した宇多田ヒカルリスペクトなR&B調の#9“Love her...”、開始2秒で椎名林檎の“闇に降る雨”を追憶させるストリングス主体の#10“愛が通り過ぎて”、ブルージーでノイジーな#11“ランドマーク”など、さすがに『声』を冠するだけあって、作風の傾向として必然的にローテンポのバラードやラブソング色が強くなるのは致し方なき事で、そのバラードもJ-POPにおける王道中の王道だし、確かにベタだけど佐藤の『声』がダイレクトに鼓膜に伝わるのでそれもまた良し。意味深なタイトルを冠する#8あたりの佐藤は、(Ichikaの美しすぎるハープの音色も相まって)もはやフジロッカー青葉市子レベルのシン・ニューエイジャーの領域に入りつつあると感じた。

要所にイマドキっぽいアレンジを匂わせつつも、基本的にはメジャー以降のきのこ帝国をベースに、佐藤が尊敬してやまない宇多田ヒカルと同EMIの大先輩である椎名林檎(東京事変)の影響下にある、もはや「いつの時代のJ-POPだよ」とツッコミ不可避なくらいには、今どき珍しいゴリゴリのJ-POPを繰り広げている。誤解を恐れずに言うと、そのJ-POP然としたキャッチーなメロディやストリングのアレンジも実質現代に蘇ったZARDみたいなもんで、その辺りの制作者側が意図した既視感に何を感じ何を思うかは聞き手次第といった所ではある。ちなみに、本作のほぼ半数以上の楽曲にアレンジャーとして携わっている河野圭氏は、ヒッキーや(Mステで岡田拓郎と共演した)BiSHアイナ・ジ・エンドをはじめとするメジャーなJ-POPや、海外では女優のIUにも楽曲提供/プロデュースとして関わっている、言うなれば“J-POPとは何か”を知り尽くしている人物の協力のもとで成り立っている事実が全ての答えなのかもしれない。少なからず言えるのは、佐藤のアクの強いナルシスティックな側面が表面化したような、“ソロ”だから可能にした自由な想いと祈りを真正面から体現したかのような1枚であるという事。

最後に、キンググヌゥの新井くんと岡田くんが古くからのセッション仲間という事実に衝撃を受けた話に次いで、個人的に佐藤千亜妃に関して最近知って驚いた事といえば、佐藤が自分と同じ1988年生まれだった事(ずっと年下のイメージだったから)。あの大天使ローレン・メイベリーと同学年でありながら、佐藤と同じ88年生である自分が88年会の仲間に対して悪いことなんて書けるわけねぇよな、っていう話。

Ulver 『Hexahedron - Live At Henie Onstad Kunstsenter』

Artist Ulver
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Live Album 『Hexahedron - Live At Henie Onstad Kunstsenter』
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Tracklist
01. Enter The Void
02. Aeon Blue
03. Bounty Hunter
04. A Fearful Symmetry
05. The Long Way Home

個人的に、いわゆる“ライブアルバム”とされる音源って普段からそこまで興味ないというか(ライブ映像は別として)、現にこのブログにも書いてこなかった案件なんだけど、しかしこの北欧ノルウェーのブラック・メタル界の異端児=Ulverが先日発表したライブ作品『Hexahedron – Live at Henie Onstad Kunstsenter』は、2018年にオスロ郊外の岬にあるヘニー・オンスタッド美術館の伝説的なスタジオでの(ソールドアウトした)ショーを記録したライブアルバムで、その“芸術”という言葉の原点であるピカソの絵画や壁画、そして草間彌生の実験的な作品をはじめ、世界各国の現代美術作品約4000点を収蔵/展示したノルウェーを代表する美術センター内にあるコンサートホールで、出自がゴリゴリのブラックメタルバンドがライブを開催するという前代未聞の出来事に対し、バンドの頭脳であるTore Ylwizakerは、昨年出版された彼らのキャリアを網羅した書籍『Wolves Evolve - The Ulver Story』の中でこう語っている→

私たちの音楽を芸術の場に導くことは、私にとって魅力的なことです

そう、デビュー当時はノルウェー=ブラックメタルというステレオタイプの王道イメージのブラックメタルバンドだった彼らが、今や草間彌生級の“芸術品”あるいはピカソ級の“美術品”の一つとして認識される“アーティスト”になるまでの変遷を遂げ、曰くウルヴェルの歴史(The Ulver Story)のハイライトと自負する本作の『Hexahedron』は、約60分間のライブセッションを5つのパートに分けたライブ作品となっており、その内容もDNAの突然変異としか形容しがたい彼らの音楽的変遷の歴史をこの広大な宇宙空間に映し出すような、その実験的かつインプロヴィゼーション精神に溢れた音楽は、まさに“芸術”の一言である。

しかし、自分の中で【ウルヴェル】【ライブ】と聞いて真っ先に思い出されるのは、彼らが2011年に発表したライブ映像作品『The Norwegian National Opera』に他ならなくて、その内容も本公演のゲストとして迎えられたオーストリア人ギタリスト=クリスチャン・フェネスの影響下にある、“中期Ulver”を司るエクスペリメンタル~アンビエントな電子音楽を繰り広げていた。また、その芸術点の高い音楽のみならず、後方のスクリーンに映し出される人類の歴史における二大大罪の一つであるホロコーストに関係する映像と、日本の前衛芸術として知られる暗黒舞踏を想起させる奇妙で狂気的な舞台演出をかけ合わせた、色んな意味でパンチやチンポの効いた18禁の映像作品だった。

実は、このUlverを生み出した【ノルウェー】と【ホロコースト】は切っても切れない歴史的因縁があり、それこそ今年公開された『ホロコーストの罪人』という第二次世界大戦中のナチスによるホロコーストに加担したノルウェー最大の罪を描く実話を元にした映画の公開を皮切りに、近年というか2021年は何かとホロコーストを題材とした映画が連鎖するように公開された偶然(必然)もあり、ともあれ1940年にノルウェー本国がドイツ軍に占領された歴史的背景も含めて、ノルウェー人の中には今なおホロコーストに加担した罪への贖罪の念を背負っているのではないかと。言わずもがな、先の大戦の当事国である日本は日本でユダヤ人を救った英雄として崇められる杉原千畝を題材とした数々の映画に記録されているように、ノルウェー人と同じくして日本人とホロコーストも切っても切れない歴史的な深い結びつきがある。

そんな、音楽的にもビジュアル・コンセプト的にも今現在の彼らにダイレクトに繋がるライブ作品だった約10年前の『The Norwegian National Opera』を伏線として経た本作の『Hexahedron』は、ライブの幕開けを飾る#1“Enter The Void”からして、それこそレーベルメイトのトビー・ドライバー(Kayo Dot)をはじめ、クリストファー・ノーラン作品でもお馴染みの巨匠ハンス・ジマー坂本龍一とも共振するSF映画の劇伴的なスペース・アンビエント~デューン~ドローンのエレクトロな電子スタイルを軸に、時おり教会に響きわたるようなパイプオルガンの神秘的な音色を靡かせながら、約15分に及ぶミニマルなアンビエントを終始一貫して繰り広げる変態ぶりは、いかにもウルヴェルというバンドの“バンドじゃない別の何か”、そのアンタッチャブルなライブそのものを暗喩している。

その電子的な流れを引き継いだ#2“Aeon Blue”は、昨年リリースされた『惡の華(Flowers Of Evil)』の“One Last Dance”を、タンバリンやスネア/パーカッションなどの打楽器はもとより、トクマルシューゴばりに木琴の凛として弾むようなポップな音色が俄然インプロヴィゼーションの精神に則って再構築したような、それこそ中期Ulverによるエレクトロ資本が配給した映画音楽のような一種の電子パルスロックで、この曲の元々の世界観が喜多郎『シルクロード(絲綢之路)』風な事もあって、その音響意識の高いライブアレンジとの著しい相乗効果を生んでいる。原曲におけるスポークン・ワードがない分、俄然喜多郎感マシマシで、これもうUlverなりの『シン・シルクロード』だろっていうw

もうお気づきの通り、2018年に行われたライブなのになんで2020年作の『惡の華』の楽曲が使われてんの?って。それは言うまでもなく、その当時既に『惡の華』の原型の種という名の伏線が蒔かれていたということ。しかし逆に、逆に、ある意味、ある意味で真の原曲がライブ音源にあると解釈したら軽い狂気に近いなって。まるでエイリアンに捕食されたリプリーのように、一曲10分~15分の尺がクソなげぇ魑魅魍魎の天外魔境からリプリーの肉体を引っ張り出して、その肉片から『惡の華』のような80年代リバイバルな“ポップ・ミュージック”に再構築するとか...イヤイヤイヤイヤ、考えれば考えるほどやっぱこいつら天才過ぎてありえないだろ・・・。


俄然坂本龍一的というか、それこそキタノブルーに染まった久石譲顔負けの日本的な和音と、よりトライバリックかつオーガニックなパーカッションを中心とした#3“Bounty Hunter”、『惡の華』を象徴する名曲“Little Boy”を再構築した#4“A Fearful Symmetry”は、その原曲をよりグルーヴィかつミニマルスティックにアレンジしつつも、中盤以降は“パパベアー”ことKristoffer Ryggのスポークン・ワード風のボーカルやシンセウェイブなチルい要素をフィーチャーした、本公演の中で最も原曲のシンセ・ポップに近い曲となっている。その合法トリップ音楽とブラックボックス化した多次元世界に誘う映像技術が高次元でアセンションするかの如し、まるで『エヴァ・インフィニティ』さながらの上記のライブ映像は全人類必見。

それはまるで『The Norwegian National Opera』におけるホロコーストと対をなす、人類史における「もう一つのホロコースト(大量虐殺)」である原爆投下を10年の時を経て、それはまるで“戦争の知っている世代”の「記憶」と“戦争を知らない世代”の「記憶」を再び紡ぎ出すかのように、#4の原曲である“Little Boy”から核分裂して生まれた#5“The Long Way Home”は、“リトルボーイ”の原典におけるヒップ・ホップのバイブスを感じるトラップ的な革新的アプローチをはじめ、エイフェックス・ツインばりのダークなエレクトロやトライバリズム溢れるパーカッションからは、それこそ日本のSSWを代表する岡田拓郎の(サブスクでも一番人気の)名曲“Shore”を彷彿とさせ、またBPMを少し落としてAOR風のレトロ・シンセをフィーチャーした中盤以降の展開も岡田拓郎『The Beach EP』をインプロヴィゼーション意識全開で再構築し過ぎていて、流石にノルウェーと日本で共鳴しすぎやろと若干引きつつも、改めてこの界隈ホントに面白いなぁと。なんだろう、海外からはハンス・ジマーフェネス、日本からはそのフェネスと交流のある坂本龍一をはじめ、岡田拓郎(+duenn)喜多郎らの“ダブル郎”、そしてトクマルシューゴROTH BART BARONに代表される、それらのインプロ精神をモットーとしているLeft-Field Music集団を南米の未開の部族の儀式によってヘニー・オンスタッド美術館のステージ上に降霊させちゃってる、とにかくヤバすぎて身体が勝手にニート暗黒舞踏し始めるくらいにはヤバい。

大袈裟じゃなしに、約19分に及ぶ最後の“The Long Way Home”はマジで凄いと思った、というかライブ作品である本作のレビューを書く理由に相応しい名曲。それこそ、ライブアルバムの優先度が著しくスタジオアルバムより低い自分が聴いても、もはや原曲超えてじゃねぇかと感じるくらいの(原曲の定義はさて置き)、事実この曲の最後に聞こえてくる観客の盛大な歓声を耳にしてようやく、ここまで聴いてきた音の全てがライブ音源だったと気づいたくらいには、いわゆる一般的なライブ作品のイメージや概念を180度覆された、もはや“ライブ”であって“ライブ”じゃない実質“半スタジオアルバム”みたいな作品。よって単なるライブ作品と侮るなかれ、気づいた時には目の前が虚構か現実かわからない多次元構造の世界に迷い込み、そして“意識”するたびに時空を超えまくりなマトリックス状態になること必須の合法トリップ音楽です。要するに、フジロックはいい加減にUlverを苗場に呼んで平沢進御大とコラボさせるべきw

Carbon Based Lifeforms - Stochastic

Artist Carbon Based Lifeforms
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Album 『Stochastic』
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Tracklist
01. 6EQUJ5
02. Holding Time
03. Hello from the children of planet earth
04. Probability Approaches Infinity
05. Stókhos
06. Mycorrhizal Network
07. Delsjön
08. Sphere Eversion
09. Eigenvector
10. Finite State Space

スウェーデンのアンビエントユニット、Carbon Based Lifeformsのスタジオアルバムとしては2017年作の『Derelicts』から約4年ぶりとなる『Stochastic』は、CBLがこれまで一貫してきたアンビエント~サイビエント~ニューエイジラインの環境音楽然としたリラクゼーション効果の高いチルい音楽は不変で、それこそ幕開けを飾る#1“6EQUJ5”からして、自然豊かな地球が発する川のせせらぎや小鳥のさえずりをはじめ、(初期のテクノ/エレクトロニカ路線の名盤『Interloper』ではなく)近作の延長線上にあるハンス・ジマーばりのスペース・アンビエント然とした環境音と、死海さながらの赤く淀んだ海の波を繰り返し描く「デュ~~~~~ン」としたドローンな重力音が量子もつれを起こす。それはまるで死海の底の底にある海淵で交互にこだまする未知の音楽、つまり人類の魂の浄化を目的とした『人類補完計画』におけるセカンドインパクト「海の浄化)」、その計画の最終段階となるフォースインパクト「魂の浄化」を描いた作品が本作なんですね(しかし尺がクソなげぇ)。

Alora Crucible ‎– Thymiamatascension

Artist Alora Crucible
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Album 『Thymiamatascension』
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Tracklist
01. Livanomancy in Jasper
02. Synaxarion of John Isangelous
03. Synaxarion of John Abject
04. Bottomless Madrugada
05. Barriers Hymn
06. Psalloed Illusions

Alora Crucibleって誰かなぁ?と思ったら、あのVauraKayo Dotの中心人物として知られるトビー・ドライバーの新しい通名と知って驚いた。何が驚いたって、トビーといえば本家Kayo Dotではアヴァンギャルドmeetブラックメタルを、サイドプロジェクトのVauraではニューウェイヴmeetブラックゲイズを、Toby Driver名義のソロプロジェクトではストリングをフィーチャーしたネオクラシカルを、そして今回新たに始動した本プロジェクトでは、これまでの各プロジェクト同様に実験的は実験的ながらも、いわゆるニューエイジやアンビエントに振り切った、より音響的なアプローチを強めた音楽性を終始一貫して追求している。それこそ本作の『Thymiamatascension』は、ノルウェーのレジェンド=Ulverも在籍するレーベルのHouse of Mythologyからリリースされている事実が全ての答え合わせと言っても過言じゃあない。

いわゆるポストロックやスロウコア的なミニマル・ミュージックに、チェンバー・ミュージック然とした静謐的なストリングスや喜多郎顔負けのニューエイジ/アンビエントならではの幻想的なシンセが、まるで雨の日に傘から滴り落ちる水玉のようにこまだするインスト中心の楽曲における、それこそ彼がソロ名義で2018年に発表した『They Are The Shield』の延長線上にある、まるで現世の慈悲深さに慟哭するかの如しストリングスの音色は、Ulverが本国のオーケストラとコラボした『Messe I​.​X​-​VI​.​X』と否応なしに共鳴すると同時に、その自然な流れから日本のSSWシーンを代表する青葉市子岡田拓郎らが音楽的なバックグラウンドとして持つニューエイジの側面とも重なって聴こえる。なんだろう、ソロ名義よりも俄然ストリングスの鳴り方が日本の伝統音楽である雅楽はもとより、それこそ韓国のJambinaiをイメージさせる民族楽器風の荘厳な音色を奏でている。

もちろん、過去の関連プロジェクトと比較すると曲の抑揚や展開は最小限に抑制されており、あくまで“繰り返しの美学”を追求したミニマル地獄という名の、要は断捨離が好きなミニマリスト向けの癒やしの音楽を提示している。それこそ、ソロ名義の流れを踏襲したギターのリフレインがフェードインして始まる#1“Livanomancy in Jasper”からして、Ulver『Messe I​.​X​-​VI​.​X』における名曲“As Syrians Pour In, Lebanon Grapples With Ghosts Of A Bloody Past”をフラッシュバックさせ、俄然ポストロックmeetUlverな#2“Synaxarion of John Isangelous”、イントロから儚くも美しい悲哀を帯びた#3“Synaxarion of John Abject”、アジアの伝統楽器さながらの荘厳かつ優美なストリングスをフィーチャーした#4“Bottomless Madrugada”、トビーがボブ・ディラン顔負けのダーティな語り弾きオジサンと化す本作唯一のボーカル曲であり、またSSWやマルチプレイヤーとしての才能以前に彼(US版岡田拓郎として)のギターリストとしての才能が炸裂する#5“Barriers Hymn”、そしてニューエイジ指数の高い流行りのダンジョン・シンセを駆使した#6“Psalloed Illusions”まで、派手さのない地味な音楽ながらも幻想的かつ叙情的な世界観をバックに奏でられる、美しくも聡明なストリングスの音色に汚れた心が浄化されること請け合いの一枚。個人的にはソロ名義よりも好きな作風。
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