Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2021年06月

東京事変 『音楽』

Artist 東京事変
DuY

Album 『音楽』
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01. 孔雀
02. 毒味
03. 紫電
04. 命の帳
05. 黄金比
06. 青のID
07. 闇なる白
09. 銀河民
10. 獣の理
11. 緑酒
12. 薬漬
13. 一服

おいら、もうずっと自分の中で椎名林檎=「日本のスティーヴン・ウィルソン」と信じてやまなくて、事実これまでもその自分勝手な“説”について書いたり書かなかったりしたわけ。近年、その“説”に俄然説得力を与える出来事があって、それは現代プログレ界を牽引してきたSWことスティーヴン・ウィルソンのバンド=Porcupine Treeが活動休止し、そのタイミングでSWは00年代後半にソロデビューを果たし、そして2017年の5thアルバム『To the Bone』を境にアンダーグランド界の帝王が満を持してメジャーデビュー、何を隠そう、その移籍先というのが業界最王手ユニバーサル・ミュージック傘下のEMI系に当たるCaroline International(2021年2月18日、Virgin Music Label & Artist Services.に改名)、つまりデビュー当時から東芝EMI/Virgin Music~ユニバーサル・ミュージックに籍を置く椎名林檎SWは、はれて実質的な意味で“レーベルメイト”となったわけ。

また、椎名林檎SWは、自身のバンドとソロ名義という大きく分けて2つのプロジェクトでキャリアを積み重ねてきた。無論、ソロ名義でキャリアを始め後に東京事変を旗揚げした椎名林檎と、Porcupine Treeというバンドでキャリアを始め後にソロへと移行したSWでは少し境遇というか勝手が違うけども。ともあれ、そのような前置きがありつつ、2012年に一度活動終了(解散)した東京事変は、その8年後の2020年に復活という名の「再生」を果たし、それこそお待たせしました。お待たせしすぎたかもしれませんの全裸監督精神に則り、実に約10年ぶりに発表された6thアルバム『音楽』が、もはや椎名林檎本人が「日本のスティーヴン・ウィルソン」であるという説を真正面から肯定するかのような大傑作となっている件について。

・・・と、いざ「ドヤ顔」で言ってみても、個人的には当時の東京事変よりもソロ名義の椎名林檎のがずっと好みだったのも事実で、そこまで思い入れがあるというわけではない自分が本作の『音楽』を聴いて思うのは、結局のところ東京事変って、例えるなら椎名林檎という名の頭脳=スティーヴン・ウィルソンのバックバンドにサンダーキャットスクエアプッシャーが参加してるような天才集団でしかないんだなってこと。

10年ぶりとなるアルバムの幕開けを飾る#1“孔雀”は、仏教において克服すべき3つの煩悩である「貪・瞋・痴」の三毒を題材とした、メタル並みのクソダサジャケットでお馴染みの2019年作の林檎ソロ『三毒史』のオープニングを飾る“鶏と蛇と豚”の伏線回収とばかり、仏教の般若心経いわゆる“お経”をリリックとして取り入れたアダルトでファンキーなある種の仏教ラップで、ちなみに“三毒”といえば同年に復活したUSオルタナ界のレジェンド=TOOLFear Inoculumのレビューにも三毒ネタを書いたのを思い出して、それは椎名林檎『三毒史』から無意識下で着想を得たのか、はたまた偶然に仏教的なネタが被ったのかは不明であるw

なんだろう、本作における【サンダーキャット~スクエアプッシャー~スティーヴン・ウィルソン】ラインで全て解決できちゃうような、つまり椎名林檎=「日本のスティーヴン・ウィルソン」説を裏付けるようなファンクやジャズ/フュージョンをバックグランドとしたプログレッシブなアート・ロック、メンバー全員作曲できる事変メンバーの中でもメインコンポーザーであり鍵盤奏者の伊澤っち作曲の楽曲は特にそれが顕著で、例えば#3“紫電”のピアノの美しく優雅な旋律を耳にすれば、もうそれはSWバンドの鍵盤奏者=アダム・ホルツマンが演奏しているような錯覚を憶え、そして終盤の「ドヤ顔ですよね」の下りのダ~ンダ~ンダ~ンの転調パートを耳にすれば、それはもうSWSWでも特にジャズ色の強い2ndアルバム『Grace For Drowning』の“Sectarian”と同等の楽曲構成にしか聴こえない。この『音楽』って、実質的にSW作品を聴いているような感覚と全く同じソレというか、ソロになって著しくジャズ/フュージョン化が進んだSWと同じように、この東京事変における椎名林檎も各分野のプロフェッショナルが織りなすジャズ~プログレベースのアート・ロック、あくまでセッションでメシ食ってる職人集団によるセッション軸のオシャンティかつグルーヴィな『音楽』に、林檎の才色兼備な歌メロが加わるだけで化学反応を超越したプチ事変が巻き起こっちゃうでしょ。なんだろう、これはもう「椎名林檎なりの『The Raven That Refused To Sing』」と言っても過言じゃないかもしれない。事実、この『音楽』の後にSWソロの初期作聴くとシックリきすぎて笑うし。それぐらい、ポップス云々以前に現代的なプログレとしても聴かせる『音楽』の面白さはちょっと異常だし、このメンツにイギリスのサックス/フルート奏者のテオ・トラヴィスが加入した音源妄想すんの楽しすぎw



林檎ソロにも通じる#4“命の帳”のクリーントーンのギターひとつとってもSWを想起させるし、武富士の某CMをイメージさせるAORチックな武富士シンセによるメインリフとUSインディロックみたいな浮雲の小気味よいカッティングギター、そして中盤の転調からはスペースロックmeetフュージョン・ファンク風に東京事変なりのシティ・ポップを繰り広げる#5“黄金比”で建築された“黄金都市”、初期のまだ雑味のあった頃の事変を想起させる#6“青のID”、開始2秒いや0.2秒で伊澤っち作曲だとわかるジャズいなピアノを軸に、浮雲中心のファンキーなパートから転調を織り交ぜて林檎中心のジャズパートへ、そして伊澤っちの筋肉がはち切れんばかりのスリリングなソロパートが絡み合う、隅から隅までサンダーキャット然とし過ぎている#7“闇なる白”、そしてローファイ味を無くした雷猫みたいなスペースサイケ風を装って始まる#9“銀河民”は、伊澤っちパートの歌詞に「ちょ大丈夫人類 ケンチャナヨ退化してんじゃね 進化しよういっそ早う遊ぼう」ってのがあって(「ちょ」はキムタクリスペクトか?w)、そのタイトルの“銀河民”といい、劉慈欣のSF小説『三体』に登場する“主”を待ち望む降臨派の心の内を歌っているかのような、あるいは東京五輪の開会式・閉会式のプランニングチームに就任していた“過去”を持つ椎名林檎が東京五輪を取り巻く“現状”を憐れむかのような曲の気がしないでもないというか、このコロナ禍において自由と尊厳を奪われたニッポンの衆に再び尊厳と自由、そして勇気を与えるかのような、とにかく「これこそが真のオリンピア精神だ」と言わんばかりの皮肉と母なる愛が込められている。ちなみに、この曲には「ケンチャナヨ(大丈夫)」の他に「クロッタニカ(そうだから)」や「ケイセッキ(←そんな歌詞ねぇからw)」などの韓国語をブッ込んできて驚いたというか、これまでネトウヨマーケティングを展開してきた椎名林檎がこのタイミングでブッ込んできたのは、もはやイギリス人のSWもビックリのトンデモナイ皮肉に感じちゃう。というか、韓国の歌姫であるIUの新譜の最後の曲について初期の椎名林檎っぽいって書いたけど、その伏線がこんな形で回収されるとは思ってもみなかった引力。


亀田っちは流石に“林檎らしさ”を引き出すのが一番うまいと再確認させる、例えるなら斉藤和義の“歩いて帰ろう”と『勝訴ストリップ(というか“虚言症”)の頃の椎名林檎がタイムトリップして邂逅を果たしたような#10“獣の理”、東京利権五輪の「おもてなし」なんかよりもこの曲のMVを世界に発信したほうがよっぽど有意義な#11“緑酒”、そして本作のハイライト、いや「再生」宣言以降のハイライトを飾る#12“薬漬”は、日本の赤いガールズバンドが後世に残した黒盤をフラッシュバックさせる、となると自然とSWとも共振する“副流煙”を浴びせるように幽玄かつサイケデリックなムードから、ノイズロック然とした浮雲によるダーティかつソリッドなギター、そしてクライマックスを飾る林檎の狼狽に共鳴して唸り声をあげる浮雲のメタル魂が炸裂するギター・・・なんだろう、自分の中にあるもう一人の日本のスティーヴン・ウィルソンが影で一緒に弾いてるようにしか思えなくて、これもう実質ブラック・ゲイズだろみたいな轟音ノイズ(これ絶対にアイツが浮雲に憑依してるでしょw)、このカタルシスを呼び覚ます轟音パートすらもSW的というか、例えるなら“Pariah”のようにクライマックスに向けて段階的に盛り上がっていく曲構成と目玉となる【女性の狼狽】【ゲイズ】の組み合わせ・・・この黒猫でも雷猫でもない稲妻の如しギュルギュル鳴らす系のゲイズって、どう聴いてもただのシューゲイザーじゃない、いわゆるシューゲイザー・メタルに片足突っ込んでる轟音ノイズってどっかで聴いたことある気がしたけど、なかなかどうして思い出せない・・・(喉元まで出てきてるのに)。まず真っ先にAlcestではない、とするとDeafheavenか・・・?と、ずっと曖昧なまま本当の答えが導き出せないでいた次の瞬間・・・・・

「あーーーーーーーー!!思い出したーーーーーーーー!!このゲイズって完全にアナセマの“スプリングフィールド”だーーーーーーーーーーーーー!!あ゛ーーーーーーーーーーーーーー!!あ゛ーーーーーーーーーーーーーー!!あ゛ーーーーーーーーーーーーーー!!ケイセッキヤァーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!あーーーーーーーーーーー!!スッキリしたーーーーーー!!そしてまた全てが繋がったーーーーーーーーーーーーー!!やっぱ林檎ちゃん天才だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

というか、この曲も伊澤っち作曲かよ・・・ただの天才じゃん(やっぱり「筋肉」は嘘つかないよなw)。でも改めて、「日本のスティーヴン・ウィルソン」としての完全究極体伏線回収(勝手な決めつけ)、そして「もう一人の日本のスティーヴン・ウィルソン」こと某ギタリストへの鎮魂曲を書いてくれたことに、今はただ林檎ちゃんには感謝の念しかない。間違いなく天まで轟いてる、というか、しつこいようだけどアイツも裏で一緒に弾いてるだろこれw 確かに、この曲のタイトルが“薬漬け”なのは「シャレにならない、もう笑えない」けど、一周回って逆に粋なのか?逆に。

この『音楽』におけるが示す“色”の役割とその意味について。端的に言ってしまえば、このアルバムが“孔雀”から始まっているのが全てを物語っていて、要するに孔雀と題して虹色をメタとして示すことで、あらゆる世界の分断を憂い、虹色の世界=環天頂アークの実現を祈る椎名林檎なりのリベラリズムと人類への愛がダイレクトに込められている。ここまでストレートな“答え”がある『音楽』って、林檎関連作品の中でも稀なんじゃないか?ぐらい。一見、この手の反知性主義者を揶揄するようなリリックやリベラル的な歌詞って説教臭いと受け止められがちだけど(別に林檎が近所の説教臭いお節介おばさんになったという訳ではなくて)、そこまで極端に思慮的ではなく、それでいてもの凄く楽観的(Optimist)な包容力のあるリリックをもって、今の世界を取り巻く現状について優しく語りかけている。事実、このタイミングでSWと同じリベラルな“left-field music”を示すように、アルバムラストを飾る“一服”にもあるセンターライン(中道)周辺のリリックの伏線回収としている。もはやニッポンの衆は全員、一人残らず椎名林檎の子宮から生まれてきたんじゃねーか説が芽生えるくらい、つまり「日本の母=ビッグ・ママ」こそ椎名林檎であり、ただただ圧倒的な「母なる愛」に抱かれる。ハッ・・・もしや彼女こそ三体世界における“主”だったのか・・・?

なんだろう、SWがソロ名義でやってることと全く同じ、つまりメジャーデビュー以降のSWが発表した『To the Bone』と今年のThe Future Bitesは、昨今のポスト・トゥルース時代における危機感をリアルな声としてリリックに込めた非常にパーソナルな作品だったけど、今回の事変も全くもってそれと同じなんですね。要するに、初期のジャズ~プログレラインの音楽的側面と“今”の現実世界で巻き起こっている出来事の“今”の“今”を映し出すリリック/コンセプトの両立という、SWでもなし得なかった難関をクリアしちゃったのが今回の事変なんですね。奇しくも同年に、SW東京事変の新譜が発表される因果(前者は延期で、後者も2020年にほぼ完成していたらしい)、そのThe Future Bites“left-field music”を示したスティーヴン・ウィルソンへの回答として、「日本のスティーヴン・ウィルソン」なりの“left-field music”を提示した『音楽』は、同じ「ポップ・ミュージック」あるいは「ポスト・ポップ」として否応なしビンビンに共鳴しまくっている。それこそ、事変が主題歌を担当した某子供探偵の名台詞「真実はいつもひとつ」ならぬ「真実はいつも『音楽』の中にある」ことを改めて思い知らされた一枚。いや、このアルバム相当ヤバいな・・・。間違いなく「何かが宿ってる」、色々な意味で宿ってる『音楽』だと思う。しっかし、こんな名盤を聴かずして逝っちゃうなんて、アイツもとんだ大馬鹿野郎だな~~~!!って、そうそう、本作を象徴する“虹色”に必要不可欠なオレンジ色が“誰”で補完されてるなんて、もう言わなくてもわかるよな?

Noctule 『Wretched Abyss』

Artist Noctule
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Album 『Wretched Abyss』
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Tracklist
01. Elven Sword
02. Labyrinthian
03. Wretched Abyss
04. Evenaar
05. Winterhold
06. Deathbell Harvest
07. Unrelenting Force
08. Become Ethereal

スカイリムはメタル・・・そう熱弁するのは、UKポスト・ハードコアバンド=Svalbardの紅一点フロントウーマンのセレナ・チェリー。彼女は、昨年イギリスがロックダウンしている期間に、ベセスダが誇る世界的人気ゲームシリーズ「The Elder Scrolls」の通称「TES5」こと『スカイリム』をテーマにしたブラック・メタルアルバムを制作、そんなセレナ・チェリーによる新しいプロジェクト=Noctuleのソロデビュー作となるのが本作の『Wretched Abyss』である。

小島秀夫監督の『デス・ストランディング』『サイバーパンク2077』に代表されるAAAタイトルのゲームとメタル、その親和性の高さを再確認させる案件が立て続く昨今の流れに乗って、遂に一つのゲームシリーズから更に一つのタイトルにピックアップして、それをコンセプトにした音楽アルバムを作っちゃった「スカイリム大好き芸人」がこのセレナ・チェリーだ。曰く、彼女は過去にブラック・メタルバンドで演奏していた前歴があり、それこそ本家のSvalbardはUKポストハードコアをベースにしながらもブラック・メタルの影響も垣間見せるハイブリッドメタルで、そんなゴリゴリのブラックメタラーでもある彼女の音楽的ルーツと、本家Svalbardが持つもう一つの側面がこのプロジェクトに集約されている。確かに、SvalbardでもBlackgazeとして聴ける楽曲も多数見受けられたが、セレナの“ソロ”プロジェクトである本作は自分の思うように好き勝手にブラックメタルできちゃうというわけ。これは余談だけど、一本のゲームをコンセプトにした音楽作品といえば、ポーランドのプログレバンド=Riversideの7thアルバム『Wasteland』は、『スカイリム』と同じベセスダゲーの『フォールアウト4』からインスパイアされた作品で知られている。

本作のジャケには、TESシリーズにおけるアイコニックな存在である“ドラゴン”が翼を広げて飛び立つ姿が描かれており、また楽曲のタイトルも全て『スカイリム』関連の用語を採用し、その歌詞も『スカイリム』の舞台となる極寒の雪山や内省的なテーマ、そして北欧神話に精通するバックボーンについて歌われている。そしてきっと、きっとTESシリーズ屈指の名ゼリフである膝に矢を受けてしまってなでお馴染みのあの元兵士の気持も歌われているハズ・・・!

初っ端からキチガイハードコアのGulchが始まったかと錯覚するくらいの、ブラック・メタル然としたグロテスクな金切り声=“シャウト”に、あいも変わらず男勝りなセレナ姐さん芸を見せつけられるデジャブしかない#1“Elven Sword”は、それこそエルフの両手剣を装備してマン振り脳筋プレイでドラゴンをボコってた自身のゲームプレイを約10年ぶりにフラッシュバックさせる、不気味の山脈に吹雪が舞い散るかの如し荒涼感溢れるトレモロ・リフが神ゲー『スカイリム』ならではの幽玄な音世界を描き出す。

古くは初期Alcestを長とする、いわゆるアトモスフェリック・ブラックの王道を行く#2“Labyrinthian”では、アコギを駆使したフォーキッシュなメロウパートを折り込んで静と動のコントラストを覗かせ、セレナのギタリストとしての才能を垣間見せるような、近年のSvalbardEnslavedにも通じる勇壮かつ超絶エピックなギタープレイが冴え渡る#3“Wretched Abyss”、ブラック・メタルというよりはポストロック的なギターの幽玄なフレーズやけたたましいブラストビートをフィーチャーしたデンマークのMOLを想起させる#4“Evenaar”、『スカイリム』プレイ中の僕→「フッ...“力”こそ全てであるこの我にウィンターホールド大学の学位(魔力)なんぞ必要ないわ!」みたいな当時の脳筋中二病プレイ(黒歴史)がフラッシュバックして頭を抱える#5“Winterhold”、フランスのドラゴンならぬゴジラ顔負けのエクストリーム・メタル然としたキザミを駆使した#6“Deathbell Harvest”、『スカイリム』の特殊能力である“シャウト”の一つである「揺るぎ無き力」を文字通りシャウトして敵をなぎ倒す#7“Unrelenting Force”、これまた“シャウト”の一つである「霊体化」を歌った壮大なインストナンバーの#8“Become Ethereal”まで、なんだろうブラック・メタル云々以前にメタルとして完成度高いです。そして、どんだけ『スカイリム』のこと好きやねんと、いや確かに神ゲーだけども。

今から10年前、PS3で『スカイリム』が出た時に初めてTESシリーズをプレイして、まんまとその壮大な世界観にハマったエルフの民としては、ドラゴンとの激しい死闘を繰り広げる傍ら、「スカイリムはノルド(ストームクローク)のもの」問題などの種族間に起こる様々なイザコザ、そんなイザコザには無関心な民ののどかな暮らし、雄大な大地や壮観な雪景色、それらの超スケールで描かれるファンタジーオブファンタジーの世界観が懐かしくなると同時に、恋しくなってくること請け合い。個人的にも、フィジカル全振りステータスキャラの両手剣マン振り脳筋ゴリ押しプレイしてたら物語の終盤で詰んで辞めたのを思い出したり(大人しく大学通っとくんだった・・・)、時に進行不能バグに出会ったり、時に戦闘がクソだったり、時に膝に矢を受けてしまったり、時に従者リディアと仲良くしてみたり、時に吟遊詩人の歌に癒やされたり、そんな楽しい思い出の数々がフラッシュバックした。

そんな神ゲー『スカイリム』も今年で10周年記念。既に続編のアナウンスがされている『TES6』がガチで発売されたその日には、それを「スカイリム大好き芸人」の異名を持つセレナがトロコンするまでSvalbardの新作は諦めるしかないな・・・。というか、もし本当にTES6が出たらソロプロジェクトが本業になりそうな勢いだなw

Evanescence 『The Bitter Truth』

Artist Evanescence
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Album 『The Bitter Truth』
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Tracklist
01. Artifact/The Turn
02. Broken Pieces Shine
04. Yeah Right
05. Feeding The Dark
09. Take Cover
10. Far From Heaven
11. Part Of Me
12. Blind Belief

We Are The Fallenとは一体何だったのか?・・・なんて話はさて置き、自分の中にあるEvanescenceの記憶といえば、もうかれこれ10年前にリリースされたセルフタイトルの3rdアルバム『Evanescence』に伴う、2012年に開催された来日公演を観に行ってるくらいには好きだったバンドっちゃ好きなバンドで、しかしまさか、そんなエヴァネというかエイミー・リーを久々に生存確認したのが、あのBring Me the Horizonとのコラボだったのは思いもよらぬ出来事だった。しかも、そのBMTHとのコラボに至る経緯というのが、エヴァネ側のマネージャーが「BMTHとグライムスがコラボした楽曲(Nihilist Blues)はエヴァネのパクリだ!」と訴えを起こそうとしたのを起因に、そのお詫びというじゃないけど、BMTHが2020年に発表した最新EP『Post Human: Survival Horror』の最後に収録された、やけに長いタイトルの曲でエイミーとオリヴァー・サイクスがデュエットする形で示談もとい和解を果たしている。そう考えたら、EPのサイバーパンク的な作風の中、エイミーとのコラボ曲だけ不可解に浮いてるように感じたのは、そういった“もらい事故”じゃないけど意図しない偶発的な出来事による産物、その真相にたどり着いたのはちょっと面白い話ではある。個人的にもっとも面白いのは、約10年前にエヴァネの(恐らく来日公演としては最後)ライブを観に行った僕が、現状最後に観た外タレのライブが2019年のBMTH(最前)だったりするのは、妙な因果を感じなくもなくて俄然面白いなって。


しかし、そのパクリと訴えられかけた「“Nihilist Blues”に似た曲ってエヴァネにあったっけ?ただのイチャモンだろw」とか思いつつも、てっきりオリジナル・アルバム扱いと思ってなくて今まで聴いてこなかった2017年作の4thアルバム『Synthesis』を今このタイミングで聴いてみたら(やっぱり過去曲のオケアレンジが中心)、3rdアルバム『Evanescence』に収録された“Never Go Back”の歌メロがまんま“Nihilist Blues”でグライムスが歌ってる歌メロな事に気づいて(←気づくのおせぇ...)、それがあまりにもモロパクリ案件で「ちょっと待って、これエヴァネが逆にパクってんじゃん・・・え?」と、一瞬頭ン中こんがらがるくらいにはゴリゴリのパクリで笑った。もはや完全にカヴァー曲レベルのパクリで、これは流石に訴えられるわw

約10年前に発表された3rdアルバムの『Evanescence』は、そりゃライブに足を運ぶくらいだから普通に好きなアルバムだし(“My Heart Is Broken”とか普通に名曲だと思うし)、たった今聴いている4thアルバムの『Synthesis』もオーケストラをフィーチャーしたシンフォニック~クラシカルな本格志向の作風で、その後にエヴァネが欧州シンフォニック・メタルを代表するWithin Temptationとツーマンツアーを発表した経緯、それに関する自分の一方的な誤解について、決してエヴァネが落ち目になったからではない事を今このタイミングで知るという申し訳の無さ。さっきのパクリ案件といい、自分の中にある近年エヴァネのイメージが2秒で「最悪」から「最高」に変わった瞬間でもあった。なんだろう、こういった出来事に対する『苦い真実(Bitter Truth)』を知った今思えば、エイミーが日本の和楽器バンドとコラボしたのもきっと大きな意味があるんだ・・・きっとそうに違いない!(←恐らく、というか普通にユニバーサル案件)

これまでエヴァネに対する壮大なる勘違いをしてきた、自分の中にある「都合のいいエヴァネッセンス」=「苦い真実(Bitter Truth)のエヴァネッセンス」のイメージから、ものの2秒で「真実(Truth)のエヴァネッセンス」に変わったこの自分が、今さら約4年ぶりとなる5thアルバム『The Bitter Truth』についてフラットな目線で一体何を書こうと言うのか?っつー話で、少なくとも「全く信用に値しないレビュー」と言う名の懺悔になる事を、読者には今ここで前もってお伝えしておきますw

この『The Bitter Truth』というタイトルは、言わずもがなポスト・コロナ禍におけるポスト・トゥルース時代に誰しもが、さっきまでの俺しもが都合のいい真実だけを盲信している、つまり某子供探偵の言葉を借りるならたった一つの真実ではない無数の『真実』の中にある自分にとって都合のいい真実を薬物依存症者のように摂取する様を苦い真実(Bitter Truth)としてメタ的に皮肉った表題と解釈していいだろう。

そもそもの話、過去作の名曲にオーケストラ・アレンジを施した前作の『Synthesis』をオリジナル・アルバムとして勘定するべきなのか問題もあるし、厳密にそれをオリジナル・アルバム=スタジオ・アルバムとして勘定しないとするなら、スタジオ・アルバムとしては3rdアルバムの『Evanescence』から丸々10年のブランクが存在するわけで、正直そのブランクやメンバーチェンジも重なって作品の内容に全く期待していなかった事もあって、流石にエヴァネと言ったら1stアルバム『Fallen』と2ndアルバム『The Open Door』←これらの初期の名作を超えた!なんて、いくら懺悔しろと言われてもそれだけは絶対に懺悔することはないけど、しかし最低限に設定されたハードルは優に超えてきたのは事実。なんだろう、ハッキリ言ってめちゃくちゃいいアルバムですこれ(←全然信用できねぇw)。


本作の何が凄いって、そのポイントを一つ挙げるとするなら、それはヌーメタル界のレジェンド=KoЯnが2019年に発表した『The Nothing』やジョナサン・デイヴィスのソロ作のプログラミングを手掛けたTiago Nunezを迎えている点で、仄かにインダストリアル要素をまとった00年代のヌーメタル回帰じゃないけど、なんだろう90年代ロックを象徴するグランジの名残を受け継いだ2000年代の古き良き洋楽ロックみたいな装いもあって、とにかく色々な意味で懐かしくて泣ける。ちなみに、その本作のキーマンとなるTiago Nunezが参加しているKoЯn『The Nothing』は、アルバム冒頭のバグパイプを擁したケルティックなイントロからリード曲の“Cold”に繋がるノイジーにヒリついたインダストリアル味溢れる雰囲気とか、一方的にポストブラック界のレジェンド=Altar Of Plagues味を感じて久々にKoЯnのアルバムで刺さったし、また盟友であるDeftonesの名盤『Diamond Eyes』の影響下にあるモダン・ヘヴィネス、そしてそことはかないIN FLAMES味が組み合わさって最高にツボった(←それはパクられw)。

本作の『The Bitter Truth』KoЯn『The Nothing』を意識しているのは明白であり、もちろんゴリゴリのヌーメタルあるいはグランジやってるという話ではないけど、少なくともピアノ主体の過去最高にポップな作風だった3rdアルバムよりは、いい意味で病的で堕落した初期のグランジチックな世界観、俗に言うゴシック・メタル的なダークさに回帰している印象。特にエイミーの歌メロに関してはその傾向が顕著に現れており、それこそ名曲“Bring Me To Life”のMV並に底なしの闇にどこまでも“Going Under”していくようなエイミーの「エヴァネらしい」然とした退廃的な歌メロが懐かしくも心地いい。なんだろう、前作ほど歌メロに強引さがなくて比較的丁寧というか。


その「エヴァネらしい」然としたを司るシングルの#3“The Game Is Over”や#4“Yeah Right”を皮切りに、初期作をフラッシュバックさせるダーク&ゴシックでシンプルに「ザ・エヴァネ」な#5“Feeding The Dark”はアルバム曲の中でも隠れた名曲の一つで、エイミー持ち前の繊細かつ大胆な歌声が冴え渡る王道ロックバラードの#6“Wasted On You”、本作のキーマンとなるTiago Nunezのプログラミングとヘヴィなリフが絡み合う#7“Better Without You”、ライブ映えしそうなBMTHばりのシンガロングをフィーチャーした#8“Use My Voice”、それらアルバム中盤の屋台骨となる「らしい」としか形容しがたいシングル3連発を挟んで、インダストリアル志向の強い#9“Take Cover”、壮麗なストリングが舞い散るピアノバラードの#10“Far From Heaven”、そして個人的に本作の中で最も度肝抜かれたというか、もう一つの隠れた名曲として推薦したいのがアルバム終盤を飾る#11“Part Of Me”と#12“Blind Belief”だった。この曲の何が凄いって、それこそDeftonesが最新作『Ohms』の中で示した“20年代のヘヴィネス”の系譜にある現代ポストメタルと共振するヘヴィネスと、前作における“My Heart Is Broken”と同等の立ち位置にあると言っても過言じゃないエイミーの堕ち尽くす歌メロが極みに極まってるのが最高。この辺りでしっかりとKoЯnDeftones、そしてLinkin Parkラインの同期じゃないけど、今では様々な事情で散り散りとなった「俺たち世代の洋楽」を象徴する、00年代ヘヴィロックシーンの一時代を築いた盟友同士の面影と現代ヘヴィロックのトレンドを抑えてきてるのは、とても10年のブランクがあるようには見えなくて俄然エモいし、そんで最終的には「やっぱエイミー様には敵わねぇや・・・」ってなる。

確かに、本音を言うと(最後の2曲以外は)バンドの音自体は貧弱でつまらなく感じるし、まだ前作のがリフ的な意味でも(初期作とは一線を画す)モダンなメタルとしてゴリゴリ鳴らしてた気がするのも事実(それこそパクられ曲の“Never Go Back”の原曲とか)。もしも全編に渡って終盤のポストメタル路線だったらガチで初期の名作超えてた可能性があっただけに、そこだけは唯一惜しい点かな。とにかく、自分自身そんなつもり微塵もなかったのに、「なんだかんだ自分の中で想像した以上に楽しめたアルバム」だなんだと言ったところで、こんなFAKEレビューなんて誰も信用しちゃあいないと思うのでアレだけど、なんだかんだ10年ぶりに「ライブ観てぇ」と素直に思わせるくらいの底力とシーンにおける確かな存在感を示してくるのは、本当に本当にエイミー様様といった感じ(今となってはパクリ屋のオリヴァー・サイクスにエイミーの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいw)。もうこうなったらデブ豚と一緒に今年のスパソニで来日したらエエんちゃう?
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