Artist Bring Me The Horizon

EP 『Post Human: Survival Horror』

Tracklist

EP 『Post Human: Survival Horror』

Tracklist
01. Dear Diary,
02. Parasite Eve
03. Teardrops
04. Obey
05. Itch For The Cure (When Will We Be Free?)
06. Kingslayer
07. 1x1
08. Ludens
09. One Day The Only Butterflies Left Will Be In Your Chest As You March Towards Your Death
上記のスクショは、今年(2020年)の年明け(1月3日付)に日本の音楽ダウンロードサイト=moraの全体ランキングを写したもの(もちろん洋楽アルバムランキングでは1位)。ご存知、この年末年始はソニーがBMTHを広告塔として起用したXperia 5のCMをパワープッシュしていた時期で、痛感したのはネット社会となった今でもTVCMの効果って絶大なんだということ。しかしその数カ月後、世界は一変してしまう。このBMTHもコロナ禍の煽りを受けたバンドで、この世界的なパンデミックからのロックダウン中にアーティストがやる事はゲームか音楽制作の二択しかない(ただの偏見)。- 予言その1
コロナウイルスの影響により、東京オリンピック中止を予言していた大友克洋の漫画『AKIRA』が再注目される昨今。同じくして、ゲーム業界でもMGSシリーズの生みの親である小島秀夫監督の新作『デス・ストランディング』がコロナ禍の世界を予言していたんじゃないかと一部で話題を呼んだ。
今思えば、イギリスのEU離脱=ブレグジットは序章に過ぎなかった。今年の5月にはアメリカでブラック・ライヴズ・マター(BLM運動)が巻き起こり、人種のるつぼである米国内における人種間の対立は一層深まり、その後の米大統領選では民主党のジョー・バイデンが「アメリカの分断ではなく結束を目指す大統領になる」と国民に誓った。この『デス・ストランディング』は、今まさに世界中で巻き起こっているコロナ禍における人と人の「分断」、隣人や家族との「分断」、ブレグジットや米大統領選に象徴される国と国との「分断」、そしてBLMに象徴される種と種の「分断」、それらコロナ禍における様々な「分断」を描き出していた。
今思えば、イギリスのEU離脱=ブレグジットは序章に過ぎなかった。今年の5月にはアメリカでブラック・ライヴズ・マター(BLM運動)が巻き起こり、人種のるつぼである米国内における人種間の対立は一層深まり、その後の米大統領選では民主党のジョー・バイデンが「アメリカの分断ではなく結束を目指す大統領になる」と国民に誓った。この『デス・ストランディング』は、今まさに世界中で巻き起こっているコロナ禍における人と人の「分断」、隣人や家族との「分断」、ブレグジットや米大統領選に象徴される国と国との「分断」、そしてBLMに象徴される種と種の「分断」、それらコロナ禍における様々な「分断」を描き出していた。
ドイツのメタルバンド=The Oceanのアルバム・コンセプトじゃないけど、いわゆる考古学の研究において、地球上の生物種は過去に「5度の大量絶滅」を経験していると考えられてきた。その考古学から着想を得た、ゲーム内における「6度目の大量絶滅」と「アメリカの分断」を描いたポスト・アポカリプスの世界観と、一方で現実問題として「6度目の大量絶滅」の危機に瀕しているコロナ禍の現人類を共振させた作品が『デス・ストランディング』である。確かに、小説でも映画でもSFの世界において終末論を扱ったポスト・アポカリプス的な設定は別に珍しくもなんともない。では何故このゲームが予言予言と囁かれるのか?それはノーマン・リーダス演じる主人公のサム・ポーター・ブリッジズが何故か「接触恐怖症」を患っている設定である点。当時、コロナ発生前にこのゲームをプレイした人間からすれば「接触恐怖症ってなんやねんw」と主人公のサムをインキャ扱いするだけで特に深い理由は考えなかった。しかし、今まさに現実世界ではウイルス保持者とその濃厚接触者は隔離され、人と人との距離を保つソーシャルディスタンスが推奨され、いわゆるインターネット(カイラル通信)を活用したオンラインのテレワークやリモートワークが推進される社会になっている(映画やライブもオンライン配信)。果たしてこれを「偶然」と言っていいものなのか、むしろ未来を知ってなきゃそのキャラ設定にしないでしょって思うし、これを「偶然」じゃなくて「予言」と言いたくなる人の気持がわかった気がする。
しかし、いま思えば小島監督はMGS2時代ではネット社会の未来を予見するような物語を題材にしてたし、メタルギアシリーズの最終章であるMGS5に至っては、いわゆるディストピア小説で有名なジョージ・オーウェルの『1984』から着想を得ており、もちろん発売当時も「なんで最終章で『1984』ネタ?」って思ったけど、それもこれも2020年も終わりを告げようとしている今思えば、小島監督が過去のMGSシリーズの中で描いてきた世界は、それこそコロナ以降のスーパーゴールデンシティという名の超監視社会の幕開けに地続きで繋がっている話だったんだ(皮肉にも今だからこそ理解できた)。よって、小島監督は決して「予言者」なのではなく、「未来」の世界を予測することに対して人一倍に長けたクリエイターなのである。
しかし、いま思えば小島監督はMGS2時代ではネット社会の未来を予見するような物語を題材にしてたし、メタルギアシリーズの最終章であるMGS5に至っては、いわゆるディストピア小説で有名なジョージ・オーウェルの『1984』から着想を得ており、もちろん発売当時も「なんで最終章で『1984』ネタ?」って思ったけど、それもこれも2020年も終わりを告げようとしている今思えば、小島監督が過去のMGSシリーズの中で描いてきた世界は、それこそコロナ以降のスーパーゴールデンシティという名の超監視社会の幕開けに地続きで繋がっている話だったんだ(皮肉にも今だからこそ理解できた)。よって、小島監督は決して「予言者」なのではなく、「未来」の世界を予測することに対して人一倍に長けたクリエイターなのである。
- 予言その2
その『デス・ストランディング』に楽曲提供したBMTHも「予言」に大きく関わっているバンドだ。それは最新アルバム『amo』から2019年の10月に公開された“in the dark”のMVに関する話。(これは前にも書いたけど)そのMVの世界観は日系アメリカ人のキャリー・フクナガ監督が手がけた、2018年に配信されたNetflixオリジナルドラマ『マニアック』を彷彿とさせ、同時に舞台となる日系の製薬会社内には日本語で「死の一撃」と「アーク」という二つのキーワードが登場する。この『マニアック』というドラマは、主演のエマ・ストーンとジョナ・ヒルが日系企業である製薬会社の謎めいた治験に参加する話で、この時点でコロナ禍においてコロナウイルスのワクチンを治験/開発する製薬会社がボロ儲け、もといその動向が取り沙汰される現実世界と妙に繋がっている。
一つ目の「アーク」というワードは、それこそ『デス・ストランディング』にも登場する環天頂アーク(逆さ虹)へと繋がっており(昨今も現実世界で幾度となく観測されている)、すなわち普通の虹色の世界とは真逆の不吉な予兆を暗示する「逆さに虹」のメタファーであるコロナウイルスは、今現在世界で175万人の命を奪い、そしてグローバル経済を中心とした世界経済に(二つ目のワードである)「死の一撃」を与え、人々から何気ない日常と普通の生活を奪いさった。この未曾有の惨状を前に、世界のトップは口を揃えてこう言った。
一つ目の「アーク」というワードは、それこそ『デス・ストランディング』にも登場する環天頂アーク(逆さ虹)へと繋がっており(昨今も現実世界で幾度となく観測されている)、すなわち普通の虹色の世界とは真逆の不吉な予兆を暗示する「逆さに虹」のメタファーであるコロナウイルスは、今現在世界で175万人の命を奪い、そしてグローバル経済を中心とした世界経済に(二つ目のワードである)「死の一撃」を与え、人々から何気ない日常と普通の生活を奪いさった。この未曾有の惨状を前に、世界のトップは口を揃えてこう言った。
「This is a War(これは戦争だ)」
もっとも「面白いのはこれから」。このMVには東京オリンピック・パラリンピックの公式アートポスターを手がけている荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の6部の女主人公である徐倫のコスプレをしたビリー・アイリッシュの(そこから更に)コスプレをした謎の女性が登場する。そのビリー・アイリッシュといえば、BMTHのフロントマンであるオリヴァー・サイクスが世界で最もリスペクトしている人物であり、現代音楽シーンの中心にいるティーンエイジャーだ。このMVには、小島監督と荒木飛呂彦が暗に繋がって(独りでに喜んで)いるという裏話はさて置き、実はその後、ビリー・アイリッシュがキャリー・フクナガが監督を務める007の新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の主題歌を担当する事が発表され、冗談でビリーのコスプレネタを書いてた自分的にはネタじゃなくてマジだったのが流石に面白すぎて笑ったという話。実はこのMV、オリィ自身がディレクションしたもので、その時点で既に新作007の主題歌がビリー・アイリッシュだと知っていた説ある。ちなみに、キャリー・フクナガ監督と『デス・ストランディング』にも出演している米俳優のマーガレット・クアリーは交際の過去があると知って俄然ガッテンがいったというか、「え、ここまで繋がってんの・・・?」ってなった。しかし、コロナのせいで東京五輪も007の新作も延期、そして(自分もチケットを取っていた)ビリー・アイリッシュのライブに至っては延期ではなく中止となってしまったわけで、そういた意味でも、オリィが監督を務めた“in the dark”のMVが示す「予言」っぷりは小島監督並みに凄いかもしれないw
そのようにして、僕は『デス・ストランディング』の主人公サムが世界中のプレイヤーの一人一人のアバターとして、『悪夢』同然のポスト・アポカリプスの世界の中をドリームキャッチャーを背に道なき道を切り開いていく、つまり「人と人が交わる交差点」をキリスト教における十字架であると解釈した。しかし、コロナ禍の今では人と人が密に交わってはいけない人気のない交差点となり、今や世界がオレンジ色の空に染まった現代に、ウイルスの変異種が発生し尚々大変な事になっているイギリスを代表するゲーマーもといロックバンドであるBMTHがやれることは『サイバーパンク2077』、もとい全ての元凶であるCOVID-19に対して直情的な「怒り」をブチまける、ただそれだけだ。
改めて、今のオリヴァー・サイクスはビリー・アイリッシュのインスタの投稿に毎回「いいね」を押すほどの“ビリー大好き芸人”、例えるなら「男の趣味に影響される女」の逆バージョンだ。今回のBMTHのアー写は元より、本作『Post Human: Survival Horror』のアートワークも、遂には公式ツイッターやYouTubeのアイコンもオレンジ色に変わったのは、一体どんな意図があるのだろうか?あるいは、それもこれも日本贔屓ネタも全てビリー・アイリッシュに影響されただけなのか?
オレンジといえば、日本の某女ミュージシャンが残した遺作のタイトルも『オレンジ』だった。コロナ禍に乗じて、世界中で『惡の華』が咲き乱れている昨今、日本の芸能界でも実写版『惡の華』の主人公=春日高男を演じた伊藤健太郎がやらかしたと思えば、競馬界では無敗の三冠馬誕生という新時代を告げる歴史的な幕開けを飾り、馬名に「目(eye)」を冠するアーモンドアイが芝G1七勝の壁という「ルドルフの呪い」を解いてオレンジ色の華を咲かせ、鞍上のルメールが「ぴえん🥺」と涙を流せば(ちなみに、その週の地方JBCの勝ち馬は赤とオレンジ)、某女ミュージシャンが“Joy”を楽曲提供した元SMAPでオートレーサーの森くんが日本選手権をオレンジ帽で初優勝して旧友との約束を果たし「ぴえん🥺」と涙を流したのは、果たして偶然だろうか?そして、その年の「世相を表すレース」とされる競馬界きってのビッグレースで知られる先日の有馬記念では、馬名に新時代に相応しい「創世記」を冠するクロノジェネシスが優勝すれば、その紐でオレンジ枠の二頭が突っ込んできたのは果たして偶然だろうか?もし本当に有馬記念が「世相を表すレース」だとしたら、今年を表す色は「オレンジ」しかないわけで、それを知っていた人ならオレンジ枠を買えたかもしれない(だからサラキアはフィエールマンより買えた)(←なお、オレンジが飛んでくるのを知ってて買ってても大本命が飛んで15万負けるバカ)。しかし、その歴史的なレース、その全てが誰かに対する追悼レースであるかのような結果となったのは、果たして偶然だろうか?もし、この世に「偶然」なんて存在しないとしたら?もし本当に追悼レースだとするなら、いったい誰の意思で、何の目的でオレンジ色の華を咲かせたのか?無論、その答えを知る人間は誰一人として存在しない。今はただ、天国にこの世と同じ『オレンジの華』が咲いている事を切に願う。

オレンジといえば、日本の某女ミュージシャンが残した遺作のタイトルも『オレンジ』だった。コロナ禍に乗じて、世界中で『惡の華』が咲き乱れている昨今、日本の芸能界でも実写版『惡の華』の主人公=春日高男を演じた伊藤健太郎がやらかしたと思えば、競馬界では無敗の三冠馬誕生という新時代を告げる歴史的な幕開けを飾り、馬名に「目(eye)」を冠するアーモンドアイが芝G1七勝の壁という「ルドルフの呪い」を解いてオレンジ色の華を咲かせ、鞍上のルメールが「ぴえん🥺」と涙を流せば(ちなみに、その週の地方JBCの勝ち馬は赤とオレンジ)、某女ミュージシャンが“Joy”を楽曲提供した元SMAPでオートレーサーの森くんが日本選手権をオレンジ帽で初優勝して旧友との約束を果たし「ぴえん🥺」と涙を流したのは、果たして偶然だろうか?そして、その年の「世相を表すレース」とされる競馬界きってのビッグレースで知られる先日の有馬記念では、馬名に新時代に相応しい「創世記」を冠するクロノジェネシスが優勝すれば、その紐でオレンジ枠の二頭が突っ込んできたのは果たして偶然だろうか?もし本当に有馬記念が「世相を表すレース」だとしたら、今年を表す色は「オレンジ」しかないわけで、それを知っていた人ならオレンジ枠を買えたかもしれない(だからサラキアはフィエールマンより買えた)(←なお、オレンジが飛んでくるのを知ってて買ってても大本命が飛んで15万負けるバカ)。しかし、その歴史的なレース、その全てが誰かに対する追悼レースであるかのような結果となったのは、果たして偶然だろうか?もし、この世に「偶然」なんて存在しないとしたら?もし本当に追悼レースだとするなら、いったい誰の意思で、何の目的でオレンジ色の華を咲かせたのか?無論、その答えを知る人間は誰一人として存在しない。今はただ、天国にこの世と同じ『オレンジの華』が咲いている事を切に願う。

そんな2020年を取り巻くオレンジについての考察は、あくまで有馬記念で15万負けるギャンブラーの戯言に過ぎないので、華麗にスルーしてもらって構わないんですが、改めて世界がオレンジ色に染まる中、BMTHがロックダウン中に制作した本EPは、オリヴァー・サイクスの「アルバムはもう出さない」発言という「バンドマンの信じてはいけない言葉ランキング第3位」の発言からの「でもEPは出すよ」的な流れで誕生した『ポスト・ヒューマン』シリーズの第一弾。その内容としては、言うまでもなくコロナ禍により人と人の出会いや繋がりが絶たれた時代に、人類の生き残りを賭けたサバイバルホラーを題材としており、断絶された人々の手と手を再びつなぎ合わせるように、ヤングブラッドやEvanescenceのエイミー・リーをはじめ様々なアーティストとコラボした楽曲を取り揃えている。
とは言え、この世界が一変した時代に前作の『amo』のようなメインストリームのポップスを歌ったところで説得力のカケラもない。確かに「神」への信仰は自由だが、少なくとも今の世界が直面している現実を見て言えることは「神はいない」、という事だけ。皮肉にもコロナの存在によってバンドの核である「コア」の部分を取り戻し、再びメタラーとしての凶悪性を取り戻し「anti-christ(アンチ・クライスト)」と化したBMTHが、空がオレンジ色に染まったクソサイテーな世界に「FACK OFF」する#1“Dear Diary,”からして、それこそ「BMTH is Back...」を宣言するFワード連呼厨と化したオリィの咆哮、かのフレドリック・ノルドストロームがエンジニアを担当した2ndアルバム『Suicide Season』をフラッシュバックさせる初期のデスコア〜メタルコア然としたブルータルな殺傷リフや北欧産デスラッシュばりのソロワーク、そして最も注目すべきは「メタルバンドBMTH」の完全復活を象徴するラストのブレイクダウンのリフだ。
BMTHのメタル回帰、それすなわちギタリスト=リー・マリアの活躍の場が増える事を意味している。ここでは、「リー・マリアがいかに天才的なギタリストなのか?」についての話。昨年の『amo』はメタルとは真逆のメインストリームのポップスに迎合した作風で、当然ながらギタリストであるリー・マリアの出番は皆無に等しかったが、彼は少ないながら役割が求められる要所要所の場面で地味に天才的な才能を発揮していたのも事実。彼の天才的な才能を垣間見せたのがダニ・フィルスをフィーチャリングした“wonderful life”で、この曲のリフではGojiraが“メシュゴジラ化”したアルバム『Magma』から“The Cell”のリフを引用することで、“10年代メタル総合ランキング同率1位”のゴジラとメシュガーという二大モンスターバンドへのリスペクトと近代メタルシーンに対する見識を、それもピンポイントに、たった一つのリフをもって解いてしまうエグさに驚愕したのを思い出す。
これはその話の続きで、EPのオープニングを飾る“Dear Diary,”のブレイクダウンでリー・マリアが再び天才的な審美眼でチョイスしたリフ、それこそが10年周期で「ヘヴィネスの基準」を更新してくるヘヴィロック界のレジェンド=Deftonesの『恋の予感』からオープニングナンバーの“Swerve City”だった。このタイミングでしっかりとデブ豚をフォローしてくるブー太郎もといリー・マリアの「わかってる感」ったらない。というのも、デブ豚はデブ豚でメシュガーが編み出した現代ヘヴィネスをオルタナティブの解釈で現代ヘヴィロックに昇華させた天才集団で、その発端となった2010年作の『Diamond Eyes』と、それを更に大衆的にアップデイトした2012年作の『恋の予感』の革新的なヘヴィネスを引用することで(一応ここも日本要素)、またしても現メタルシーンで起こっている「ヘヴィネスの変革」に対する一発回答を示している。
このEPにおいて、リー・マリアのリフは徹底して一貫しており、「バイオハザード」と並び初代PSのホラーゲームを代表する「パラサイト・イヴ」の名を冠した#2“Parasite Eve”は(バイオみたいにリメイクの主題歌化決定?かと思ったら全然そんな事なかった)、前作『amo』におけるヒップホップ的なアレンジを踏襲しながら、オリィが「This is a War」と激しく咆哮するブレイクダウンへと収束していくダイナミックな楽曲構成もさることながら、実はこの曲のメインリフも“Dear Diary,”のブレイクダウン=“Swerve City”のヌーメタ気味のグルーヴィなリフをベースにしている(日本の漫画『東京喰種』をオマージュしたMVにも注目)。それに次ぐ#3“Teardrops”は、5thアルバム『That's The Spirit』への回帰を示唆するキーボードのメロディやアレンジで構成された曲で、コラボ以外ではこの曲が最もBMTHの標準値と言えるかもしれない。というか、まだこんな曲書けるんだという驚きの方が強いw
今年の紅白出場者を見たジェイミー・ジャスタ「日本の音楽業界クソ過ぎ!」
4曲目以降はコラボ曲が続いていく。そもそも今の、というか『amo』以降のBMTHって「メタル界のBTS」だと思っていて、それこそBMTHも(BTSとコラボした)ホールジーと映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』内の楽曲でコラボしている。しかし今回、BMTHがコラボするアーティストがBABYMETALやEvanescenceのエイミー・リーと知った時は、正直なところ「今更というか全く旬じゃないけど大丈夫なのそれ?」と感じたのも事実。昨今、よく耳にする「洋楽が売れなくなった」その解決策として、日本の音楽業界が選んだ対策が「日本のバンドとコラボさせる」という、あまりに安直過ぎる発想に到っている現状はわりと地獄で、それこそエヴァネのエイミーが和楽器冒涜バンドとコラボしたり(正直キツい案件)、あのEvanescenceがWithin Temptationとダブルヘッドライナーでツアーを回ったりする現状を見てしまうと、今のエヴァネも決して落ち目とは言わないけど、なりふり構わなくなってきた感も否めなくて、そんなこんな想いもあってジェイミー・ジャスタばりに「日本の音楽業界クソ過ぎ!」ってなった(やっぱりジェイミーは正しかったんだなって)。
コラボ第一弾は、ホールジーの現恋人でありリアルサイバーパンク野郎ことヤングブラッドとのコラボ。まず日本の特撮をオマージュしたMVもさることながら(謎のロマンスオチw)、その曲調としてもサビで「おっぺ~い」とシンガロングさせるフックの効いたキャッチーな歌モノで、もはやそう遠くない未来のサマソニで全ガロングしてる自分しか見えないぐらいの合唱曲だ。また、この曲のブレイクダウンでも、ギタリストのリー・マリアはメシュガーが産み落としてしまったDjentを匂わせる可変ヘヴィネスを披露しており、改めて「ちびまる子ちゃんのブー太郎に似てる」ただそれだけじゃない、天才ギタリストとしてのセンスを爆発させている。無論、それは『amo』の反動もあってのこと。
コラボ第二弾は、ベビメタこと日本のBABYMETALとのコラボ。これ、実は大々的にフィーチャリングしている“Kingslayer”よりも、そのイントロ的な扱いの#5“Itch For The Cure”の方が面白い説ある。というのも、その曲調自体は前作『amo』にも見受けられたような、Pendulumや65daysofstaticの影響下にあるドラムンベースなんだけど、それがもうPendulumとスティーヴン・ウィルソンがコラボした楽曲のオマージュにしか聞こえなくて、半ば強引に【ベビメタ=SW】と解釈したら一周回って面白過ぎる名曲。それと同時に、僕が『amo』のレビューにも書いた「SW=オリィ説」への回答でもあるというか、もはや“元日本一のベビオタ現ベビメタアンチ兼日本の俺ィ”への私信としか思えないような曲なんですね。確かに、ベビメタとSWの繋がりは皆無だけど、“メジャーアーティスト”という大雑把な括りでは繋がってなくはないw
そしてBABYMETALと本格的にコラボした#6“Kingslayer”は、今年歴史的なムーブメントを起こした世紀の駄作漫画『鬼滅の刃』が“デーモンスレイヤー”なら、HBOドラマ『ゲームオブスローンズ』のジェイミー・ラニスターの蔑称である“王殺し=キング・スレイヤー”の名を冠する曲で、言うなれば「PassCodeはCode Orange」への回答を示すようなサイバーパンク系ピコリーモだ。この曲により、BMTHの“MANTRA”を会場前BGMとして使用したりカバーまでしてるパスコ含めたラウド系アイドルを全て過去に葬り去ってしまったのは罪深いっちゃ罪深いレベルの曲ではある。もっとも面白いのは、特に2番の「さぁ、時の扉を開けて行こうよ」のバックの演奏がベビメタの“KARATE”を神バンドが弾いてるようにしか聞こえなくて、まさかと思いクレジットを確認しても神バンドの名前はなく、普通にBMTHの天才ギタリストことリー・マリアが弾いてるらしくて、とにかく曲の完成度云々よりも“BMTHによるKARATEオマージュ”、それが一番の衝撃だった。と思ったら、この曲の共作者にベビメタ界隈のMK-METALが参加してるらしくて納得。
ベビメタの存在よりも、改めてこいつら(BMTH)天才だと思ったのは、この曲の最後にオリィがバグったように「Is this what you want? This is what you'll fucking get you motherfuking shit」とノイズ交じりにシャウトする部分が、新世代メタルのveinやCode Orangeの存在に対するBMTHからの回答としか思えなくて、正直ベビメタコラボ云々以上に、それらの新世代メタルをしっかりと「認知」している点。この曲の本丸はコラボ相手のベビメタなんかじゃなくて、むしろそのベビメタはミスリードでしかなくて、この曲の本来の目的はベビメタという「FAKE METAL」よりもveinとCode Orangeを新世代メタルを担う本物の存在として認めている、それを暗に示唆する行為に、そのエモさに泣く。やっぱこいつら相当したたかで頭いいです。
要するに、今のBABYMETALってその程度の存在でしかなくて、というのも、先日たまたまベビメタが“トラップメタル”をやったと噂される曲のMVが出たらしくて実際に聞いてみたら、全くもってトラップメタルじゃなくて笑ったんですけど、というのも、今年その“トラップメタル”を正しい解釈でやってのけたのって、他ならぬUlverとLiturgy、そしてOranssi Pazuzuのブラックメタル勢なんですね。だからベビメタの事をトラップだなんだと言ってるような奴は信用しない方がいいです。お察しの通り、“日本のメタルメディア界のキング”である自分は未だにベビメタの3rdアルバムは未聴だし(厳密に言えば昨年夏のライブで何曲か聴いたけど覚えてない)、その似非トラップ曲を聴いたら俄然今さら聴くまでもない駄作ってのがわかります。今回の紅白初出場に至ってもそうで、もう既に旬の過ぎたオワコンだから最後っぺに大手芸能事務所(某ミューズ)の力でゴリ押したのは猿でもわかる話なんですね。つまりジェイミー・ジャスタ顔負けの「日本の音楽業界クソ過ぎ」案件なんですね。それこそBMTHとコラボして生まれた“キングスレイヤー”など、“日本の俺ィ”兼“日本のメタルメディア界のキング”の“王の盾”であるUlverとLiturgy、そしてOranssi Pazuzuによる本物のトラップ攻撃でワンパンKOです(余談だけど、アニメ『キングスレイド』のOP曲はドリームキャッチャーなのは色々な意味で示唆的)。
要するに、今のBABYMETALってその程度の存在でしかなくて、というのも、先日たまたまベビメタが“トラップメタル”をやったと噂される曲のMVが出たらしくて実際に聞いてみたら、全くもってトラップメタルじゃなくて笑ったんですけど、というのも、今年その“トラップメタル”を正しい解釈でやってのけたのって、他ならぬUlverとLiturgy、そしてOranssi Pazuzuのブラックメタル勢なんですね。だからベビメタの事をトラップだなんだと言ってるような奴は信用しない方がいいです。お察しの通り、“日本のメタルメディア界のキング”である自分は未だにベビメタの3rdアルバムは未聴だし(厳密に言えば昨年夏のライブで何曲か聴いたけど覚えてない)、その似非トラップ曲を聴いたら俄然今さら聴くまでもない駄作ってのがわかります。今回の紅白初出場に至ってもそうで、もう既に旬の過ぎたオワコンだから最後っぺに大手芸能事務所(某ミューズ)の力でゴリ押したのは猿でもわかる話なんですね。つまりジェイミー・ジャスタ顔負けの「日本の音楽業界クソ過ぎ」案件なんですね。それこそBMTHとコラボして生まれた“キングスレイヤー”など、“日本の俺ィ”兼“日本のメタルメディア界のキング”の“王の盾”であるUlverとLiturgy、そしてOranssi Pazuzuによる本物のトラップ攻撃でワンパンKOです(余談だけど、アニメ『キングスレイド』のOP曲はドリームキャッチャーなのは色々な意味で示唆的)。
紅白といえば、2019年に初出場を果たした、今年の紅白出場者でもあるアニソン界の歌姫=LiSAも観に来ていた、昨年=2019年に新木場で行われたBMTHの来日公演。実は、というか噂では、そのライブにBABYMETALのメンツが観に来ていたという嘘か真かわからないような話があって、ただもしその話が事実だとしたら、その翌年=2020年の紅白歌合戦出場者の2組が観ていた「伝説のライブ」を一緒に自分も観ていたという事になる。なお、そのライブにおける自分の真の目的、つまり“平成最悪のヴィジュアル系バンド”ことJanne Da Arcが解散したやり場のない「怒り」をBUKKAKEようと、ジャンヌのyasuが「神」と崇めるHYDEの前座の時に本気出し過ぎた結果、本番であるはずのBMTHのライブ中に死にかけて途中退場するという「日本一ダサい男」と化していた。そんな「よくあるオチ」をはじめ、色々な意味で昨年の新木場公演は「濃いメンツで飲んだ」的な「伝説のライブ」と断言できる(もち、大阪公演では“日本の俺ィ”を証明すべく最前で観た模様)。しっかし、その新木場公演を観にきていた2組が翌年の紅白出場者とか・・・やっぱ俺ィもといオリィってアゲチンやなって。どうでもいいけど、そのベビメタ紅白出場の煽りを受けて、内定濃厚だったWACKのBiSHが落選したのはべクソm9(^Д^)プギャー
BMTHが前作の『amo』でもコラボしたイーロン・マスクのパートナーであるグライムス。ロンドン出身のAmyLoveとGeorgiaSouthによるロックユニット=Nova Twinsを迎えた#7“1x1”は、過去にグライムスとコラボした(最近では初音ミクとコラボ曲を発表している)ノースカロライナ生まれでロンドン在住の新世代ラッパーAshnikkoを意識したようなダークでシリアスなトラックと、一昔前の洋楽ロックのメインストリームというかUSポストグランジみたいなオリィの歌声と、AmyLoveによるParamore全盛を思わせるポップパンク的な懐かしい歌声が映える名曲で、恐らくというかほぼ確実に、オリィの頭の中では実質AshnikkoとBMTHのコラボをイメージしてできた曲だと思う。で思ったのは、今のオリィって30才を超えてキッズ的なエモさが薄れていい具合にガレたおっさんになってきたというか、これくらいの声が一番シブくてカッコいいよなって。この“1x1”の「holding on or letting go」の「ゴゥッ↑↑」の部分は本作におけるオリィのベストボイスだと思う。
BMTHのメタル回帰、および「コアい」ぐらいに「コアさ」を象徴するブレイクダウン復活、その伏線は『デス・ストランディング』に楽曲提供された#8“Ludens”にあると言っても過言じゃあなくて、当時は超ド級のポップスだった『amo』の反動もあってか、この曲がアルバム後に発表されるや否やBMTHファン、そして小島ゲーのファンの間で歓喜の渦を巻き起こしたのは記憶に新しい。今こうやってEPにパッケージされた曲として聴いても、『デス・ストランディング』の数あるカットシーンが今でも脳裏にフラッシュバックする。この曲の関係性を司るインダストリアル〜ノイズと「無音」の伏線を見事に回収しているのが、他でもないリズ・アーメッド主演の映画『サウンド・オブ・メタル』という2020年最高のオチ。改めて、全方面に対してめちゃくちゃ「繋がり」を持つ名曲だと思う。でも少し気になったのは、この曲順の流れで聴くと、この“Ludens”だけ音質が悪いというか音がスカスカに聴こえるのは気のせい?これはあくまで憶測だけど、提供先の『デススト』が要求したカツカツの納期に間に合わせるために、ツアー先のホテルで宅録ならぬホテ録した弊害がここに現れちゃってる説ある?でもミックスはお馴染みのダン・ランカスター、マスタリングもテッド・ジェンセンというまるで疑いようのない敏腕エンジニアが担当してるから、プロダクション自体に問題はないはずなんだけどね。これ、来年リリースされるCD版でも修正される気配もなさそうだし、ただの「気のせい」って事でいいの?
今思えば『amo』の目的って、端的に言ってしまえば今はなきLinkin Parkの正統後継者を襲名するお披露目式で、その結果としてXperiaの広告塔からの日本のDLサイトのランキング1位へと繋がる。確かに、確かに日本における「現代の洋楽」の象徴となったBMTHがリンキンと共に00年代前後の洋楽ロック全盛を支えたEvanescenceのエイミー・リーとコラボするのは必然っちゃ必然かもしれないけど、コラボした曲自体は当たり障りのないバラード調の曲をオリィとエイミーがデュエットする形だから、その当たり障りの曲をEPの最後に持ってきている時点でお察しボンバー。しかし、このコラボに関しては曲の完成度云々よりも、当時の洋楽界を代表する歌姫=ディーヴァだったエイミーとデュエットする事に意味が、つまり当時のマイケミ/リンキン/ロスプロ/PATDなどの洋楽入門バンドと共にメインストリームのロックシーンで一線張ってたエイミーと意図してそれをやる事に意味があるんですね。このEPは、洋楽の入り口がマイケミ/リンキン/ロリペドもといロスプロ/パニック/ディオだった人には(ディオの浮き具合)、どこか懐かしさすら感じるかもしれない。確かに、他のコラボ相手のメンツが濃すぎるから仕方ないけど、この流れでエイミーとのコラボは浮きまくること必須だから、置ける場所が最後しかなかった感は否めないし(実際、ルーデンスとエイミーはボートラ感ある)、そんな中でもポストロック的な美メロギターを鳴らして、最後の最後まで主役の座を掻っさらっていくリー・マリアとかいう天才。
贔屓目に見ても特撮を筆頭に、アニメ/漫画/アイドルなど日本文化に溢れすぎているEP、そういった意味では“日本の俺ィ向け”、もとい日本向けの私信EPと言っても過言じゃあないかもしれない。正直、ここまで濃密なEPなかなかないというか、少なくともオリィの「もうEPしか出さない」宣言は正しかった、その裏付けにもなっている。そもそも、「EP」のフォーマットの利点って、普段のアルバムではできない実験的なイマジネーションを実現化させる所で、それは今作で言う所のアイドルであったり、普段のアルバムでは決してできないようなアーティストたちとのコラボを実現させている。それは同時に、“王の盾”であるUlverやDeftonesと共鳴するように、閉鎖的なメタルシーンにダイバーシティの波とジェンダーフリーの精神を持ち込むことに成功している。あのリンキンができなかった事を、今のBMTHはものの見事にやってのけている。やっぱこいつら普通にカッコいいし、次のEPで一体何をやってくるのか想像もつかないから俄然期待感しかない。
(最後は2020年で個人的に一番感動したスクショ)