Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2020年11月

Marika Hackman 『Covers』

Artist Marika Hackman
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Cover Album 『Covers』
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Tracklist
01. You Never Wash Up After Yourself
02. Phantom Limb
03. Playground Love
04. Realiti
05. Jupiter 4
06. Pink Light
07. Between The Bars
08. Temporary Loan
09. In Undertow
10. All Night

いわゆる“カバーアルバム”とかって、個人的にスティーヴン・ウィルソンのカバーアルバムですらCDは買うだけ買って一度も聴いてないぐらいには興味ないジャンルなんだけど、UKのSSWことマリカ・ハックマンが歌うカバーだけは唯一の例外で、今回のカバーアルバムはここ数ヶ月間のステイホーム中にレコーディングされ、最新作の3rdアルバム『Any Human Friend』の共同プロデュースを担当した巨匠デイヴィッド・レンチをミキシングエンジニアに迎えている。

今作のカバーにはマリカが「しばらく夢中になって聴いていた曲」が主に選曲されており、その内約としてはレディオヘッドなどのロックやイーロン・マスクのパートナーとして知られるグライムスやアメリカの歌姫ビヨンセなどのメインストリームのポップスをはじめ、他にもフォーク/カントリーやインディ/SSWなどのバラエティに富んだ選曲となっている。その中でも、特に僕のマリカに対する信頼を俄然高める事となったのが、僕がグライムスの曲で一番大好きな“Realiti(現実)”をチョイスしている点。もしかすると、ロンドンのThe Japanese Houseも選曲されてるかと思ったらなかったw

マリカといえば、2015年作の1stアルバム『We Slept At Last』ではジャパニーズフォーク界のレジェンド=さだまさしは元より、日本のSSWを代表するトクマルシューゴ岡田拓郎もビックリの「UKの森田童子」あるいは「UKの山崎ハコ」を襲名するかのような、湿度99パーセントのジメジメとした陰気なフォークミュージックを展開したかと思えば、2017年作の2ndアルバムの『I'm Not Your Man』と2019年作の3rdアルバム『Any Human Friend』では一転して、例えるなら大学デビューを果たしたモテない喪女が学祭でニルヴァーナのコピバンして人気者になる妄想を現実化したようなオルタナティブ・ロックに鞍替えした事は今も記憶に新しい。もちろん、UKのガールズバンド=The Big Moonを携えてバンドサウンド化したアルバムも甲乙つけ難い良作だったけど、その一方で1stアルバム至上主義の僕みたいな人間がいるのも事実。
 
何を隠そう、このカバーアルバムはまるで僕のような1stアルバム至上主義者への救済措置と言っても過言じゃあない、それこそ1stアルバム時代の湿度99パーセントの全面ブルーカラーの部屋のベッドの上で独り佇む、倦怠感むき出しの陰鬱なマリカに回帰しているという嬉しい誤算で、まさに内省的な寂寥感に苛まれる「孤独こそ癒やし」みたいな彼女の信念が貫かれたような快作となっている。

失礼ながら知ってる原曲がレディヘグライムスしかないけど、むしろ原曲を知らない方が楽しめるパターンのカバーアルバムだと思った。というのも、主軸のメロディからアレンジまでほぼ全ての曲が1stアルバム時代のマリカ節に染まっているので、極端な話、原曲を知らなかったら1stアルバムの世界線に残ったSSWのマリカが書いたオリジナル曲にしか聴こえないレベル。


個人的に原曲を知ってて、なおかつリピートしまくった曲がグライムスの“Realiti(現実)”しかないから原曲と比較みたいな事はできないけど、唯一この曲で言うならモノクロームな幽玄さとダウナーにたゆたう感覚をまとったシンセとギターのアレンジでマリカ色に染めつつも、原曲というか厳密に言えば「名古屋飛ばし」をしなかった事でお馴染みのMV音源のどこかシティポップにも通じるエキセントリックでエキゾチックな世界観を崩すことなく再現しているのは見事としか言いようがない。とにかく、サイケポップ感覚でトリップできちゃう近年稀に見る名カバーだと思う。

幕開けを飾るレディへのカバーを皮切りに、岡田拓郎マニアが喜びそうなシンセのアレンジを施した#2“Phantom Limb”、ハイハットのトラッピーなビートを刻むイマドキなアレンジが光る#3“Playground Love”、ドリーミーなアレンジや歌メロを含めたメロディなど全体的に#4“Realiti(現実)”の雰囲気を踏襲した#6“Pink Light”、俄然1stアルバムの名曲“Claude's Girl”でもお馴染みのX JAPANの“Voiceless Screaming”ばりにフォーキーな#7“Between The Bars”、アコギ一本で語り弾く“宅録フォーク女子”の本領を発揮する#8“Temporary Loan”など、全体的に倦怠感丸出しの雰囲気は1stアルバムを踏襲しているけど、しかし楽曲のアレンジは洗練されたイマドキっぽさもある。

あとはやっぱり前作同様にフランク・オーシャンを手掛けた名プロデューサーのデイヴィッド・レンチを迎えているだけあって、どのカバーもアレンジが凝りに凝っていて、よくあるカバーアルバムとして聴き流すにはもったいないぐらいの強い「こだわり」とミュージシャンシップに則った「本気度」が詰まった(それは本作がセルフリリースではなくSub Popから出ている事からも明白)、もはやフルアルバムと同等の扱いを受けるべき、むしろマリカのディスコグラフィーの中でも最重要作として位置づけるべき価値ある作品だと思う。

Emma Ruth Rundle & Thou 『May Our Chambers Be Full』

Artist Emma Ruth Rundle & Thou
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Collaboration Album 『May Our Chambers Be Full』
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Tracklist
01. Killing Floor
02. Monolith
03. Out Of Existence
04. Ancestral Recall
05. Magickal Cost
06. Into Being
07. The Valley

チェルシー・ウルフの姐御といえば、同レーベルSargent HouseのポストメタルバンドRussian Circlesとのコラボに感化されて何かに目覚めたのか、ポストメタル界のレジェンド=Isisのアーロン・ターナーを迎えた4thアルバム『Abyss』以降、明確にゴシック・ドゥーム/ポストメタル路線に方向転換して驚いたのも今は昔。そんなチェルシー姐さんを筆頭に、実はこの手の女性SSWとポストメタルという一見関連性のなさそうなジャンル同士の異文化交流は古くから独自のルートを通じてあるにはあって、(SSWではないけど)一つ例を挙げるなら「しばらく冬眠するわ」と無期限活動休止を宣言したのに、ブルックリン出身のJulie Christmasとのコラボ作品で何事もなかったように復活したスウェーデンのCult of Lunaが記憶に新しい。それらに象徴される「コラボレーション」の機運が著しく高まってきている流れを汲んで、満を持してチェルシー姐さんの妹分であり同じカリフォルニア出身の同レーベルで同い年のEmma Ruth Rundleが、日本のVampilliaとのコラボでもお馴染みのThe Bodyの盟友でありルイジアナ州の激遅重ヘヴィロックバンド=Thouとのコラボを実現させるという神コラボ展開。

Emma Ruth Rundleって、元はといえばIsis人脈が立ち上げたRed Sparowesのメンバーで、2010年を境にバンドの活動が止まってからはソロ名義でSSWとして活動しつつ、2015年にはMarriagesというポストロック系のバンドでアルバムを発表したり、当時まだ同レーベルだったDeafheavenのツアーにソロで参加したりと、もう完全に「ポストメタル界の姫」のイメージが定着しているSSWだ。しかし、実際に彼女がソロ作でやってる音楽性といえば、ポストメタルとは無縁のTrespassers WilliamやUKのEsben And The Witchとも共振するインディ/ドリーム・ポップやドリーン/ノイズの素養を含んだポストロックの影響下にあるネオフォーク的な抒情的な憂いを帯びたメランコリックな音楽で、例えば姉貴分のチェルシー姐さんがゴシック/イーサリアルをルーツとするSSWなら、妹分のエマはフォーク・ミュージックをルーツとするSSWといったイメージ。変な言い方だけど、それら数々の“前科”があるERRThouのコラボは不思議でもなんでもない案件なんですね。

ちなみに、初期の頃は「UKの相対性理論」だったEsben And The Witchも今やスティーヴ・アルビニを長とするノイズ界隈の一員として活動し、今やSeason Of Mistというバリバリのメタルレーベル所属で、過去にはアンダーグラウンド/ヘヴィミュージックの祭典Roadburn Festivalにも出演している。ちなみに、残念ながら中止が発表された今年のRoadburnではEER40 Watt Sunのコラボをはじめ(←このコラボはエグい)、冒頭のJulie Christmasや2020年のメタルを象徴するOranssi PazuzuRussian CirclesRed Sparowesの再結成ライブ、そしてCult of Lunaのフロントマン=ヨハネスの出演が予定されており、俄然それらの夢のコラボや夢の再結成ライブが実現しなかったのは本当に残念で仕方ない(来年に期待)。要するに、「Roadburn界隈」の一言で全部説明できちゃう案件が今回のコラボなんですねw

今年のヘヴィミュージック界隈で一番興味深い出来事って、それこそ22年ぶりに復活作の『Inlet』を発表したUSオルタナ界のレジェンド=Humが、Deftonesの新作にも影響与えてんじゃねえかぐらいの、むしろDeftonesが新作の『Ohms』で本当にやりたかった事をHumがやっちゃったんじゃねぇかぐらいの、その新時代の「ヘヴィネスの基準」をヘヴィミュージック・シーンに提示してきた事で、何を隠そう、今回のERRThouによるコラボ作品は、結論から言えば「新世代ポストメタル」のビッグウェーブに乗っかった傑作なんですね。

ERRのSSWとしての音楽性が持つエモーショナルな叙情性と、Thouの音楽性が持つ(Nirvanaのカヴァーからもわかるように)90年代のシアトルサウンドをリスペクトしたハードコア/パンク精神溢れるスラッジーなDIYヘヴィネスの相性はこの上なくグンバツで、一見、水と油のように交わることのないモノ同士だからこそ、言わば光と影の関係性のように、闇の中にある一筋の光、あるいは光の中に差し込む闇の如し、(男と女の関係のように)切っても切れない表裏一体の関係性から成り立つ相乗効果により、お互いの新たな一面と未知のポテンシャルを引き出し合っている。これは本当に極端な例えだけど、ERRのインディ・フォーク的な側面とThouのブルージーな側面は、まさに日本のSSWを代表する岡田拓郎がドゥームメタル化したらこんな感じになると妄想しても存外シックリきちゃうのがまた面白い。

初期のPallbearerを彷彿とさせる、フューネラル・ドゥーム然とした重厚なヘヴィネスと一種のメロドゥーム的な慟哭不可避のギターのフレーズや叙情的なギターソロが織りなすポスト・アポカリプス時代の『死亡遊戯』を描き出す#1“Killing Floor”とThouバンド主体のスラッジーな#2“Monolith”、チェルシー姐さんリスペクトなERRによる艶美なパートと獰猛な咆哮とエゲツない重低音を轟かせるThouパートの対比を描きながら、ブルーズじみた泣きのギターソロ/フレーズと著しく感情的に歌い上げるエマのエモーショナルな歌声が邂逅する哀愁ダダ漏れの終盤の展開、その想定外にドラマティックな楽曲構成に脳天ブチ抜かれる#3“Out Of Existence”、スラッジ/デスメタル要素の色濃い#4“Ancestral Recall”、同レーベルのレジェンド=EarthCult of Lunaを連想させるブルーズ臭溢れるスロウコアな前半パートからブラストでブルデス化する後半パートに分かれた#5“Magickal Cost”、そして本作のハイライトを飾る約9分にも及ぶ#7“The Valley”は、冒頭から西部劇映画のサントラ顔負けの情緒的なフィドルの音色をフィーチャーした、それこそERRの叙情的なアンビエント~ポストロックの側面が表面化したような曲で、まさに「女版Hum」を襲名するかのような新世代ポストメタル然としたヘヴィネスをクライマックスに持ってくる完璧な流れ。

改めて今回の異種コラボ、単なるThouのソロとERRのソロをミックスさせただけのコラボじゃない所がミソで、むしろPallbearerに代表される現代ヘヴィロック界のトレンドと直結するような、それこそPallbearerの1stアルバム~2ndアルバムにおけるトラディショナル・ドゥームとポスト・メタルの狭間にあるような抒情的なヘヴィミュージックで、そして90年代のグランジにも精通しているのも俄然同時期にアンダーグラウンドで名を馳せたHum、彼らが発表した今年のヘヴィロックを象徴する金字塔であり復活作の『Inlet』へと結びついていく。そこからたぐり寄せた紐の先にある謎の覆面の正体こそ「女版Hum」だったという「よくあるオチ」。ERRERRで、エマよりもいち早くヘヴィミュージックを取り入れたチェルシー姐さんをイメージ/オマージュしている部分もあって、実際にERRのソロ作におけるメロディを聴いてもDeftonesに影響されてそうな曲もあったりするので、そういった意味でも俄然なるべくしてなった必然的なコラボと言える。

Nothing 『The Great Dismal』

Artist Nothing
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Album 『The Great Dismal』
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Tracklist
01. A Fabricated Life
02. Say Less
03. April Ha Ha
04. Catch a Fade
05. Famine Asylum
06. Bernie Sanders
07. In Blueberry Memories
08. Blue Mecca
09. Just a Story
10. Ask the Rust

前作の3rdアルバム『Dance On The Blacktop』を聴いて、このバンドの存在意義がある日突然暴漢に襲われ慢性外傷性脳症(CTE)を患い自殺を考えたフロントマン=ドメニク・パレルモの「音楽療法」であることを知った。改めて考えさせられたのは、人は自死を選んだところで「Nothing=何もない」ということ。本人にも、そして何よりも残された人たちにとっても「Nothing=何もない」ということ。それこそ、先日の某女ギタリストの訃報に対して一言述べるとするならばWhen I Die, Will I Get Better?っつー話で、つまり死んだところで現状は何も変わらないし、何より誰も救われない。

そんな「淫乱テディベア」のメガシンカみたいなパンチの効き過ぎているジャケからしてド肝を抜いてくる、フィラデルフィア出身のNothingが約3年ぶりに放つ4thアルバム『The Great Dismal』は、同郷フィラデルフィア出身の若き天才SSWアレックスGやジュリアナ・バーウィックとともに来日経験もあるハープ奏者のメアリー・ラティモアがゲスト参加し、お馴染みのウィル・イップがプロデューサー兼エンジニアを担当している。そのジュリアナ人脈で思い出したのは、彼らが2019年に発表したBサイド集をGrouperの曲をカヴァーしてて驚いた記憶があって、今回のフィラデルフィア人脈はその点と点が線に繋がる案件でもあった。ちなみに、パレルモの右腕だったギタリストのブランドン・セッタは前作を最後に脱退し、本作における影のプロデューサーであるニック・バセットくんと新ユニット=Pink Slipを結成、代わりの新メンバーとして同レーベル(Relapse)のCloakroomのドイル・マーティンを迎えている。


この『すげぇ憂鬱』という直球タイトルを冠する本作は、真夜中にこんなんに出くわしたら全力ダッシュ不可避のヘタな幽霊より怖いジャケからは想像つかない、もはやポストロックの領域に片足突っ込んじゃってるドリーミーな音響空間で2ndアルバムでもお馴染みのヴァイオリン奏者シェリー・ワイズによるストリングスとメアリー・ラティモアによるハープが神聖なる黄泉世界の入り口へと誘う#1“A Fabricated Life”からして、持ち前のノイズともヘヴィネスとも無縁の「ドゥームゲイズの肩書きとは?」と言わんばかりの意表を突いた幕開けを飾る。しかし、その黄泉の世界から一転して淫乱テディベアの幻覚攻撃を喰らったかのようなリード曲の#2“Say Less”では、一種の自傷行為のメタファーであるギターノイズが炸裂し、UKロック界のレジェンド=キリング・ジョーク的なインダストリアル/ポストパンクを装ったフェミニンでヒステリック、そしてサイコデリックな堕落した「淫夢」という名の「悪夢」に飲み込まれる。前作で言うところの“Blue Line Baby”を連想させる、グランジ界のレジェンド=Nirvanaがシューゲイザー化したようなドゥームゲイズ然とした#3“April Ha Ha”は、後半からアレックスGが歌うパートのそこはかとないスティーヴン・ウィルソンの1stアルバム感すき。

(アレックスGさん・・・)

近年のデフヘヴンを連想させるというか、というのも最新作の『堕落した普通の人間の愛』American Footballに代表されるアメリカ中西部を発信源とする90’sエモ/ポストロックへの「隣人愛」を示した実にキリスト教的かつリベラル(民主党)的な作風で、その90年代emo(イーモゥ)に精通するリフレイン主体の美メロが咲き乱れる#4“Catch a Fade”、サビのバッキングがメランコリックな「シンプルイズベスト」の#5“Famine Asylum”、2020年のアメリカを象徴するブラック・ライヴズ・マターに賛同し、自身のBandcampを介した売り上げを黒人コミュニティに寄付するほどの筋金入りの「民主党バンド」であることを示唆する#6“Bernie Sanders”は、その名の通り渦中の「Vote is Metal(選挙はメタル)」こと米大統領選の民主党内における最有力候補の一人だった上院議員バーニー・サンダースから拝借したもので、自分が知る所ではデフヘヴンローレン・メイベリーなどの海外のインテリ系ミュージシャン界隈はサンダースを根強く支持していたが、最終的に彼は民主党の候補者指名争いから撤退を余儀なくされた。しかし、なぜ彼がミュージシャンに好かれるのか?それは彼が持つ音楽への造詣の深さ故である。ちょっと面白いのは、このNothingの出身地は今回の選挙で不正を疑われてトランプに提訴された激戦区のペンシルバニア州はフィラデルフィアってのもまたタイムリー過ぎる話(ジャケのヤベー奴はメガシンカしたサンダース説w)。

前作にはあったメタリックなコアさは皆無に近く(どちらかと言えば2ndアルバム的)、しかしシューゲイザーやオルタナ、エモやポストロックなどの90年代リバイバルな新世代グランジは不変で、このNothingが奏でる音楽こそ大病を患いながらもパレルモが生き続ける意味、この世に存在し続ける理由、その存在証明である事を再確認させる。タイトルの「Dismal」が示す「憂鬱」で「陰気」なメロディと「荒涼」としたギターノイズが「もの哀しさ」に満ちたサウンドスケープを構築していく、その中でも今はなき日本の女ギタリストや今はなききのこ帝国が歓喜しそうなシューゲイザーならではのリバーヴを効かせた音響意識と美しいリフレーンを描き出すギター、まさにコレに尽きる。とにかく「ポストシューゲイザー」としての本領が遺憾なく発揮された、これが音楽療法のチカラかと唸るような安定の一枚。
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