Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2020年09月

Ulver 『惡の華』

Artist Ulver
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Album 『Flowers of Evil』
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Tracklist
01. One Last Dance
03. Machine Guns And Peacock Feathers
04. Hour Of The Wolf
05. Apocalypse 1993
06. Little Boy
07. Nostalgia
08. A Thousand Cuts

『惡の華』って、この僕が今最も2期あるいは続編を渇望しているアニメの原作漫画で、そんな中あのUlver『惡の華(Flowers of Evil)』という名前を2期アニメ開始の伏線として自身のフルアルバムの表題に採用するという神展開。ちなみに、『惡の華』の海外版タイトルは言わずもがな『Flowers of Evil』です。実のところ、アニメ版の『惡の華』って海外ではそれなりに高い評価を受けているのに、一方のアニメ先進国とされる日本では2期が始まる気配すらない、それすなわち日本のアニオタ=世界のアニメを知らないニワカであることを証明しているんですね。もちろん、本作における本当の元ネタはアニメ『惡の華』にも登場するフランスの詩人シャルル・ピエール・ボードレールの詩集『悪の華』から。

まぁ、そんな冗談はさて置き、ここで読者の皆にちょっとした質問がある。もし『惡の華』という言葉を比喩的な表現として用いる場合、どのようなシチュエーションあるいは現象をイメージし、それを想像するだろう。そりゃ『悪』=『Evil』という文字が入ってる時点でロクなもんじゃないのは確かだけど、実はその問いの答えこそ僕たち日本人が一番よく知るモノなんじゃないかって。まず人類史を例にして、『悪』と聞いて真っ先に思い浮かべるのが戦争あるいは紛争行為であり、日本も先の大戦で枢軸国として参加した当事者である事は「歴史」が証明している。その第二次世界大戦中に我々人類が犯した、決して忘れてはならない人類が犯した「負の歴史」を象徴する最たる『悪』、その『世界二大大罪』の一つが当時日本の同盟国だったナチス・ドイツがアウシュビッツ強制収容所で行ったホロコーストであり、そしてもう一つが1945年8月6日に広島に投下されたリトルボーイ(Little Boy)、1945年8月9日に長崎に投下されたファットマン(Fat Man)という日本に投下された2つの原子爆弾に他ならない。

惡の華

度々、例えがアニメや漫画の話で「悪」いけど、漫画『ハンターハンター』のキメラアント編に出てくる人間の底すら無い悪意を・・・!の名言でも知られるネテロ会長の技名に、時限爆弾のキノコ雲を“薔薇”の花として比喩した「貧者の薔薇」というのがある。恐らく、これは現実世界で言うところの核爆弾を意図しており、それと全く同じようにUlverも原爆が地上に炸裂して発生するキノコ雲を『惡の華』として比喩したのが本作である。本作における2ndシングルの“Little Boy”のアートワークには、自分の記憶が正しければ日本の教科書にも記載されている世界一有名なキノコ雲が使われている。

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アートワークの話で言うならば、本作のジャケットのデザインを初めて見た時、2つのイメージが頭の中に浮かび上がった。一つは言うまでもなくアウシュビッツ強制収容所でガス室送りにされる女性の哀しみを超えた何とも言えないような表情であり、そしてもう一つがNetflixのオリジナルドラマアンオーソドックスの強烈過ぎるトップ画だった。このドラマは、ホロコーストの当事者であるドイツを舞台に、ユダヤ教の超正統派ハシディック(サトマール派)の厳しい戒律から逃れるハンガリー系ユダヤ人女性が音楽と出会うダイバーシティ案件の社会派ドラマで、歴史資料でもホロコーストで犠牲となった600万人の中にはハンガリー系ユダヤ人女性も数多く、そのハンガリー系ユダヤ人女性がドイツのベルリンへ逃避行する物語ならば、このドラマの裏に隠されたテーマがホロコーストなのは明白だ。

ハシディックの戒律には成人した女性は髪を剃るというしきたりがあって、アンオーソドックスのトップ画はまさにその瞬間を捉えたワンシーンで、もちろんホロコーストにおける女性の断髪とハシディックにおける戒律は全くの別物であるのだけど、その戒律によって頭を剃られたドラマの女性=エスティの哀しみを超えた慟哭の表情と、本作『惡の華』のガス室送りにされる前に髪の毛を切られる女性の絶望を超えた悲哀の表情が自分の中で重なってしまったのも事実。だから初めは確証がなかった。このアートワークの女性がガス室送りにされる前の表情なのか、それともハシディックの戒律により頭を剃られる女性の表情なのか。でもドラマを観て気づいた、それはある意味で同じ表情なんじゃないかって。人間として、女性として、「毛髪を奪う」という尊厳という名の魂を奪われた二人の女性の表情が示す二面性、二つで一つの顔を持つ表情であると解釈したら、俄然このアートワークには今から約80年前に行われたホロコーストの解釈と、この2020年においてNetflixアンオーソドックスを通して世界中に知れ渡った超正統派ハシディックの信仰心、正直どちらもUlverが題材にしそうな事でもあるし、むしろ両方の意味合いがあると考えた方が面白いし、こう言っちゃ怒られるかもしれんけどそっちの方が皮肉っぽいです。恐らく、というか普通にホロコーストだと思われるけど。何故なら、ホロコーストは原爆投下という『惡の華』と同等の人類の大罪だから(もちろん、その国や立場によって『罪』の大きさや『悪』の解釈は変わってくるが)。しかしながら、Ulver『惡の華』とNetflixアンオーソドックスが2020年代のタイミングで登場したということは、これからの20年代が人類の命と尊厳を揺るがす時代になる事を暗示しているのかもしれない。

ところで、ホロコーストを題材にした近年の映画(もちろん名作『シンドラーのリスト』以外)で、個人的に最も印象に残った映画を一つ挙げるとすならば、それは間違いなく『サウルの息子』だと思う。この映画も第二次世界大戦下のアウシュビッツ強制収容所を舞台に、ゾンダーコマンドの囚人であるユダヤ系ハンガリー人の主人公=サウルが自分の息子と思わしき遺体を、せめてもの報いとしてユダヤ教に則った尊厳ある埋葬をするために奔走する、音楽ジャンルで例えるならポストブラック・メタルのように激情的でエモーショナルなハンガリー映画で、この映画もわりかしメタ的な解釈を必要としていた憶えがある。この映画の何が凄いって、初めは自分の息子と思わしき遺体を抱えて強制収容所を奔走するサウルが、途中から旧約聖書に登場するイスラエル王国の最初の王=サウルへと姿を変え、『サウル(自分)の息子』ではなく、サウル=イスラエル王の息子=『ユダヤ人の息子』にタイトルの意味が変わる衝撃的なメタ展開で、同じようにハンガリー系ユダヤ人を扱ったアンオーソドックスの主人公=エスティがあるシーンの時に放つ失われた600万人を取り戻すという台詞は、必然的に『サウルの息子』とも時代を超えてなお激しく共振する。

北欧ノルウェイの森のクマさんことUlverは、初期のブラック・メタル時代からオルタナティブな音楽変遷を辿り、そして2020年の現在に至るまで、思想/信仰/神話/文化/歴史/芸術への執着にも近い関心をもって、一貫して人類が犯してきた『罪』をメタ的に描き出し、現実とファンタジーの境界線を曖昧にさせるモノクロームのディストピア、つまり今現在の世界と共鳴する“一匹狼”の名に相応しい孤高の世界観を築き上げてきた。例えば、前作の『ユリウス・カエサルの暗殺』では、ローマ神話に登場する(ギリシャ神話ではアルテミスに相当する)ディアナと“プリンセス・オブ・ウェールズ”の愛称で親しまれたダイアナ妃の悲劇的な運命を共振させ、2016年の米大統領選以降、欧米を皮切りにアジア、そして日本でも顕著に目立ち始めたポピュリズムの台頭を予見していた。このように、Ulverは自身のライブ作品の世界観を形成する演出の一つとしてホロコーストを利用する、誤解を恐れずにいうと彼らが一種の“社会派バンド”である事を念頭において話すと、一方の原子爆弾というのも、今をトキメクBTSがネタにしたり(←コラ)日本のDIR EN GREYが楽曲コンセプトとして採用し、ライブ演出としても自らを司る世界観の一つとして取り入れているアーティストは決して少なくない。では、アジア人としては57年ぶりに坂本九“Sukiyaki”が持つビルボードチャート1位の記録を塗り替えた(原爆をネタにして炎上した)BTSと、それらの大罪をアーティストの世界観を司る『メッセージ』として自らの作品に盛り込んだUlverDIR EN GREY、果たしてどちらがミュージシャンとして優れているのだろうか?

な〜んて話はさて置き、歌詞の中にもタイトルのFlowers of Evilが込められた曲で、本作の『惡の華』の名を象徴する2ndシングルの#6“Little Boy”を聴いて連想したのは、日本のSSWで知られる岡田拓郎くん“Shore”DIR EN GREY率いるsukekiyo“濡羽色”で、この2つの曲に通じるものこそ“トラップ”である。この“Little Boy”は、終始鳴り響くハイハットの不規則なトラッピーなビートを刻んでくるのは確信犯だし(2分20秒からは特に顕著)、ラップの常套句である「YO(ヨ〜)」という所からも、これはもう「Ulverなりの(ト)ラップ」なんですね。しかし彼らがこれまでやってきたこと、それらの伏線を辿れば全く違和感ない着地点ではあるし、逆に必然的だし、思えば前作の最後の曲=“Coming Home”が伏線だったのかもしれない。また、アウトロでは前作に引き続きエンジニア/実質プロデューサーとしてキリング・ジョーク“Youth”によるケルティックなバグパイプが、まるで雲の上の存在=「神」の視点から人類同士の醜い争いによってそして誰もいなくなった地上を憐むような表情で無慈悲な音色を奏でる様は、目の前に「真実の歴史」をまざまざと突きつけられた気がした。

旧約聖書の一文献である『伝道の書(コヘレトの言葉)』から一部歌詞を引用した#1“One Last Dance”は、坂本龍一とのコラボで知られるクリスチャン・フェネスハンス・ジマー顔負けのスペース・アンビエント的なスコア感を醸し出しながら、まるで人類の故郷である地球で起きた人類の歴史、あるいは偽りの歴史、改竄された歴史、そして真実の歴史、それら人類が歩んできた尊い「歴史」を追憶するように、大沢たかお主演の『深夜特急』あるいは喜多郎顔負けの『シルクロード』上に淡い夕焼けと共に映し出すと、Holy Mountain(聖なる山)の山頂にあるレーダー峰から「主よ!これが我々人類という名の猿=ウッキーモンスターの限界です!この「歴史」こそ我々ウッキーモンスターの限界であり、その証明です!今すぐ地球に降臨し我々ウッキーモンスターに知恵を授けたまえ!ウッキー!」という「人類の限界説」を、地球から4光年先の三体星系に棲む(救世)主である三体人への『メッセージ』として送信し(←ただの三体脳)、そして聴きようによってはケニーGばりのサックスにも聴こえるフェネスのノイジーなギターソロが、人類の「正の歴史」「負の歴史」「記憶」「記録」が走馬灯のように脳裏を駆け巡る瞬間の如し、それこそガス室送りにされるユダヤ人女性の表情とアンオーソドックスのハンガリー人女性と全く同じ慟哭の表情で、人類が犯した大罪を懺悔し、贖罪と救済を求めるかのような、それはまるで燃え盛る教会の中で「終末のワルツ」を踊る降臨派の如し異様な光景だった(←ただの三体脳)。

それはまるで時空を超えて「歴史」という名の過去の遺産を掘り起こすかのような、それこそ某『映像の世紀』みたいなドキュメンタリーを見ているかのような、当時のモノクロ映像が現代の映像技術の進歩によりカラーで鮮明に蘇ったような、人類の歴史の闇の深層部に迫るような、緻密な構成で人類史の光と闇を照らし出す、全人類に共通する地球という名の故郷=『ノスタルジア』を描き出すサウンド・トラックのようだった。

本作を司る“Little Boy”のトラッピーなビートの名残をほのかに漂わせるのは、この“One Last Dance”がリトルボーイと共に本作を象徴する一曲だからであって、Under the Moonというお馴染みの歌詞を筆頭に、そのアンビエント〜スポークン・ワード的なムーディでポエトリーな世界観は、前作を踏襲しているというよりは中期Ulverが発表したアイコニックな作品である『Shadows of the Sun』の抒情的なアプローチに近い印象。その映画のスコアのような壮大で重厚なサウンドスケープは、坂本龍一ジム・オルーク、そしてデヴィッド・シルヴィアンとのコラボでも知られるクリスチャン・フェネスが得意とする電子音楽が根幹となっている。この電子的なアプローチやギターのアレンジ、その全てがフェネスの音を起因としている。フェネスはこの一曲目しか参加してないのにも関わらず、その後の全ての曲に影響与えているんじゃねぇかぐらいの存在感。少なからず言えることは、中期Ulverのエレクトロ路線はフェネスの影響が大きかったということ。それすなわち、ジム・オルーク坂本龍一をリスペクトし、そして自身でも『都市計画(Urban Planning)』というアンビエント作品を発表している日本の岡田拓郎くんUlver“トラップ”以外の点でも超自然的に繋がる。


しかし前作『ユリウス・カエサルの暗殺』の要素が全くないと言えば嘘で、むしろベースメイクは前作を基調とした作品であると断言できる。それを分かりやすく証明するのが1stシングルの#2“Russian Doll”で、彼女は1989年に生まれたという歌詞から始まるこの曲は、前作と同様にデペッシュ・モードキリング・ジョークなどの80年代ニューウェイブ/シンセポップに代表される、いわゆる80年代リバイバル然とした優美なシンセウェイブを展開する(何よりもUlverの伝説の1stアルバム『Bergtatt』のTシャツを着たデスメタル女子がダンスを踊るMVが「女性の解放」を表現しているような、これぞまさしく音楽ジャンルを超えたダイバーシティで、出自がメタルのバンドがこのMVを撮るのはちょっと衝撃的過ぎてマジ最高)(もちろんLOONAの例のMVを思い出した)。その80年代リバイバル路線を更にテンポアップさせた、二人のディスコクイーンとのデュエットを披露する#3“Machine Guns And Peacock Feathers”は、俄然80年代リバイバルが鮮明化したような、ほとばしるユーロビート感を内包したセンセーショナルなシンセとヘヴィっちゃヘヴィなギターリフで展開する。前作で言うところの“Angelus Novus”を彷彿とさせるミニマルな曲で、幽玄でノイジーなアトモスフィアを形成するギターとストリングスが闇夜に交錯する#4“Hour Of The Wolf”、そして前作は元より狼史上最もポップな#5“Apocalypse 1993”は、その名の通り1993年にテキサス州ウェーコで起きた宗教団体ブランチ・ダビディアン=新約聖書のヨハネの黙示録に記された「世界の終わり」を暗示する終末思想を思想体系とするセクトで81人の死者を出した陰惨な出来事を題材にした曲で、そんな元ネタのカルト宗教団体の終末思想と2020年というリアルタイムで大衆文化や歴史が奪われている現代社会をメタ的に共振させている。ちなみに、この曲の間奏には教祖であるデビッド・コレシュの肉声が記録されている。ちなみに、“デビッド”はイスラエル王国のダビデ王から、“コレシュ”はバビロン捕囚ユダヤ人を解放したキュロス二世から名を拝借している。もっとも皮肉なのは、こんな悲劇的な出来事を謳った曲なのに、その曲調はキラキラシンセ全開のキャッチーなポップスである点。しかし、改めてブランチ・ダビディアン事件をネタにするようなバンドである事を再認識させ、彼らUlverの楽曲に込められたシニカルなメッセージ性は計り知れない重さと確かな説得力がある。

初めて聴いた時は「へぇ〜、Ulverさんそんなオシャンティなメロディ鳴らしちゃうんだ」って良い意味で驚いた3rdシングルの#7“Nostalgia(ノスタルジア)”は、ファンキーなカッティング系のギターリフとジャズというか古き良き時代のソウル/シャッフルを彷彿とさせる、スローワルツというか社交ダンスのイメージがしっくりくる曲。ナチス・ファシスト政権下のイタリアを舞台にしたカルト映画『ソドムの市』から歌詞を引用した#8“A Thousand Cuts”は、ダンテの『神曲』を構成する「地獄の門」「変態地獄」「糞尿地獄」「血の地獄」という4つの章からなる悪魔崇拝的な狂気に満ち溢れた、セックス&バイオレンスなエログロ/スカトロなんでもござれな伝説的な映画の内容とは裏腹に、UKニューロマンティック界のレジェンドことキュアーTalk Talkばりに官能的でセクシャルなシンセの旋律をフィーチャーした、徹底したムード志向、徹底したアート志向を極め尽くしている。この第二次世界大戦末期の【イタリア】を舞台にした映画を元ネタにすることで、これにてキノコ雲という名の『惡の華』が咲いた【日本】とホロコーストの発信地である【ドイツ】、いわゆる枢軸国とされる【日独伊三国同盟】が成立する。実は、映画『ソドムの市』こそ『惡の華』という言葉が最も似合うアート作品なのかもしれない(僕は十数年前に観たけど途中で挫折した)。この血生臭い「生と死」を扱った退廃的で官能的な世界観は、Ulverの音楽その根幹部へと繋がっているのもまた事実。また、本作のキーワードの一つである「髪を切られる」という行為は、まさにこの映画の内容とも共振してくる。しかしながら、原爆やホロコーストという人類の悲劇をここまで大々的かつ直接的に描いているのに、そこから奏でられる音はUlver史上最も美しく、ポピュリストばりに一般大衆に媚びたポップスという皮肉。しかもアウトロの(まるで人類の大罪を聖水で洗い流すような)浜辺に寄せては返す美しい波=“浜辺美波”のSEで幕を閉じるのも、それこそ“10年代最高のメタル”と言っていいTOOL『Fear Inoculum』岡田拓郎『The Beach EP』と超自然的に繋がってくる話で、人類が贖罪と救済を得て夜明けを迎えた先にたどり着いた美しき「楽園」こそファシズムという皮肉。もはや浜辺のSE入ってるアルバム全部名盤説あるわw

は、更なる深淵へと導かれ、Trap=現代音楽と80年代の歴史と文化的なロマンス、そして人類の「記憶」を繋ぎ合わせる事に成功している。確かに、前作のようにドゥンドゥンと低域を響かせるダンサブルでダイナミックな派手さは控えめで、あくまでもシンプルでレトロなシンセの旋律とジャジーなムーディさを徹底している。とにかく、今作はシンセの鳴らし方が前作とはダンチで、より懐古主義的=レトロで、よりニューロマンティックで、より官能的な毒を持つ花のように妖しく、そして極上に美しい。前作ではオルタナ然としていたカリカリ系ギターは、(クリスチャン・フェネスに影響されてか)ノイズのように歪ませた残響音だったり、リバーブやエフェクトを効かせた音響効果に対する意識を持った俄然裏方的なムード形成の役割を果たしている。そういった面でも量子学論で例えるなら、前作の『ユリウス・カエサルの暗殺』がマクロ次元の音楽、今作の『惡の華』はミクロ次元の音楽。それこそ岡田くん『ノスタルジア』→『New Mourning』に近いイメージ。

しかし2020年のメタルシーンの何がヤバイって、隣国フィンランドのOranssi PazuzuがUSのラッパーGHOSTEMANEを中心とするトラップ・メタルを取り込んだ新時代のブラックメタル、それこそUlverのオルタナティブな音楽的思想を正統に受け継いだ歴史的名盤を発表したかと思えば、その回答として本家のUlverがトラップを革新的な方法で取り入れたのは言わば必然、いや運命だったのかもしれない。彼ら凄さはそれだけじゃなくて、こうやって出自であるブラックメタルの新世代をフォローしつつも、それと同時に過去にUlverも所属したことのあるKscopeを主宰するSWことスティーヴン・ウィルソン「ポップスの再定義」を図った2017年作の『To the Bone』に対する回答を示している。何を隠そう、Ulverはそこから更にトラップという、遡ると2018年末にトラップ・メタル界の長であるデンゼル・カリー〜BTSのトラップ=伏線を回収しつつ、そして2019年のメタルを象徴するBMTH『amo』から新時代の幕開けを飾る2020年のOranssi Pazuzu“80年代リバイバル”ザ・ウィークエンドまで直通する、つまりSW「ポップスの再定義」に始まり「メインストリームのトラップ=伏線」から「アンダーグランドのトラップメタル」、そして「80年代リバイバル」まで全ての伏線を器用に回収しつつ、更にそれ=音楽の世界にとどまらずNetflixという新時代の映像メディアとの確信的な繋がりをもって、怒涛の勢いで過去のメタル/ポップス/プログレを20年代仕様にアップデイトした、もはや「完全究極体伏線回収アルバム」と言っても過言じゃあない歴史的名盤です。完全に20年代仕様のUlver、完全に20年代仕様のロック、完全に20年代仕様のプログレですこれ。まさか界隈でも高く評価された前作を、こういう形で超えてくるなんて想像もしてなかったし、表面上は前作同様に80年代リバイバルと見せかけて、実は全てが20年代仕様=最先端にある次元の音楽やってるんですね。とにかく、「2020年の僕が一番求めていた音楽」そのもの過ぎて泣いた。ダメだこれ、ありえん天才だって。やはり、やはり“彼ら”は我々が想像する以上の遥か先にいた。なんだろう、いつ何時もレジェンドから全てが始まるんやなって。

もう2020年で一番ヤベー音源聴いてる気しかしなくて、今年よっぽどのことがない限りは年間BESTの一位は確定です。それぐらい、新時代の幕開けを飾るに相応しいアルバムで、もはやメインストリームのポップスからアンダーグランドのプログレまで、その全てを審美する上での新しい基準がこの『惡の華』です。もはや「引力」という概念を超えた何か別の力が働いているんじゃねえかレベルの、少なくとも“俺の感性”をNEXTステージへと向かわせる“特異点”となる作品である事は確かです。2017年にSW『To the Bone』を介して僕にポスト・トゥルース時代の幕開けを書かせたのが必然だとするなら、『惡の華』を介してこの2020年という名のポストアポカリプス時代における人類の尊厳と選別を、八咫烏の民=ユダヤ系日本人である僕に書かせたのも必然であり、全ては運命決定論のシナリオ通りなのかもしれない。そうオカルトあるいはアポフェニアの話に繋げたくなっちゃうほど、当ブログWelcome To My ”俺の感性”が書き記してきたサイン=伏線を漏れなく全て回収してきている。もうDNAレベルでユダヤ系日本人の俺しか書けへん案件やんと(ハッ!?まさかは僕がユダヤ系日本人であることを知ってて「完全究極体伏線回収アルバム」という『メッセージ』として私信してきたのか!?)。こうなってくると、つまりSW『To the Bone』後に単独来日公演を決めたとなると、Ulverは流石に来日公演とまではいかないが、フェネス繋がりで本家の坂本龍一とのコラボが実現したら、あるいはアニメ『惡の華』の2期が発表されたりなんかしたら最高に嬉しいな〜なんて。

Necrot 『Mortal』

Artist Necrot
Necrot_Band

Album 『Mortal』
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Tracklist
01. Your Hell
02. Dying Life
03. Stench Of Decay
04. Asleep Forever
05. Sinister Will
06. Malevolent Intentions
07. Mortal

デスメタル女子「直腸陥没!!」

フェイク王「直腸陥没!!」

ぼく「直腸陥没!!(計画通り・・・ニチャア)」

今年に入ってからというもの、日本が世界に誇るデスメタル女子の広瀬すずに負けじと、例年以上に自主的にイケてるデスメタルをディグる強化月間が続いてて、ここ最近ディグった中ではドイツのCytotoxinやUSのKarmacipherあたりのテクデスが好感触だった。その中でも特に良かったのが、他ならぬカリフォルニアはオークランド出身の3人トリオ=Necrotの2ndアルバム『Mortal』で、一曲目からデスメタル女子の宇垣美里が生み出した名言私には私の地獄がある、その回答としての“Your Hell”=「あなたの地獄」という闇キャラアピールの激しい意味深なタイトルにもあるように、カリフォルニアの空がコード・オレンジ色に染まる現世こそ「地獄」そのものであるという話はさて置き、まるで日本のドクサレ政治家の末路=「Go To Hell」を暗示するかのような、それこそデスメタル女子の広瀬すず宇垣美里フェイク王が仲良く揃ってトゥース!ばりのデスポーズを決めながら「ドクサレ政権の生皮剥いで直腸陥没!!」とデスボイス不可避の“GoToデスメタル”

近年デスメタル界と言えば、「アヌンナキ降臨派系デスメタル」Blood Incantation「土星の水全部抜く系童貞デスメタル」Cryptic Shiftに代表されるSF系デスメタルがトレンドの一つだけど、彼らNecrotはデスメタルはデスメタルでも一体どのタイプのデスメタルにカテゴライズされるか?強いて言うなら、カナダのTomb Moldに近い比較的硬派なデスメタルやってて、要するに流麗なソロワークを挟みつつ「Go To Hell」=「地獄行き」に相応しい極悪人の生皮剥いで地獄という名の三体世界に突き落とすような暴虐非道のブルータルなリフやタイトでヘヴィなキザミを駆使した、オールドスタイルのヘヴィメタルにも精通するデスメタル。

Vein 『新しいマシンの古いデータ Vol. 1』

Artist Vein
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Compilation 『Old Data In A New Machine Vol. 1』
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Tracklist
01. 20 Seconds : 20 Hours
02. Ripple+
03. Heretic+
04. TR+
05. Broken Glass [Nightstalker mix]
06. Paincanbetrusted [Rough mix]
07. virus://vibrance [3 Wheel mix]
08. Doomtech [Crooked Jaw mix]
09. Old Data In A Dead Machine [Demo 2016]
10. Quitting Infinity [Demo 2016]
11. Untitled [Demo 2016]

『新しいマシンの古いデータ』という謎の日本語タイトルからも察せるように、2018年に1stアルバム『errorzone』を発表するや否や新世代メタルの最右翼として名乗りをあげたボストン出身の5人組=Veinの新作は、いかにして彼らが「普通のハードコア」とは一線を画す特異な存在なのかを示す一枚となっている。

昨年に日本の某ラウドロックバンドの前座かなんかでシレッと初来日を果たしたとかしてないとか?なんだか変な界隈に利用されちゃってて、なんかちょっと勘弁してほしい感じのVeinさんなんですが、(その来日の思い出補正もあってか)わざわざ日本語で「新しいマシンの古いデータ(olddetainanewmachine)」と謳っているという事は、本作品は完全新作というよりは単刀直入に要約すると過去の音源に新しい要素を加えたリミックス/コンピレーション作品となっている。

『errorzone』“Untitled”をアコースティックに再構築した、それこそ「普通のハードコア」とは真逆の全編クリーンボーカルで展開する、Deftonesは元よりDeftonesフォロワーの新世代UKメタルのLoathe、あるいは在りし日のリンキンばりにダークアーバンなエモエモの#1“20 Seconds : 20 Hours”を皮切りに、#2から#4は「+」とあるように2015年作のEP『Terrors Realm』の楽曲に今っぽく手を加えたVeinらしいヘヴィなハードコアが続く。そして、本作品のメインディッシュパートであり、いかにしてVeinが「ただのハードコア」とは一線を画したexperimental=実験的なバンドなのか?それを証明するのが#5から#8まで続くリミックス音源である。

このリミックス音源がまた秀逸で、インダストリアル〜ブレイクビーツ風のパリピったビートを刻む音を聴いて妙に既視感あるなと思ったら、それこそニューヨークの独りデジタルハードコアことMachine GirlCode Orangeなどの新世代ハードコアラインに直に繋がる案件で、そして楽曲以外で彼らに共通するのはどちらも謎の日本語の使い手であるということ。まぁ、それは冗談として、元々バンドが持っているボストン生まれらしいアーバンでドライな雰囲気がブレイクビーツ風のリミックスによって、俄然チャッキーやフレディ顔負けの猟奇的ホラー映画のサントラ感に拍車をかけている。

オマケ扱いにしておくには勿体ない後半のデモ音源は、デモ音源らしくいい意味で粗悪なノイズ混じりの音質が生々しく映える粗暴なハードコアで、このデモ音源からは彼らの出自がアンダーグランドのハードコアにある事が理解できる。むしろ逆に、デモ音源のが良いと感じる人も少なくないであろう事が容易に想像できる“未完成品”ならではの魅力に満ちている(そこはかとなくInfant Island感も)。それこそ“Untitled”を美しいアコギで再構築した一曲目と最後を飾るデモ版のギャップこそVeinの真骨頂と言えるのかも。このようにアンダーグラウンドのハードコアからデブ豚リンキンに代表されるメインストリームのヘヴィロックに至るまで、改めて彼らが「普通のハードコア」ではないオルタナティブな才能の持ち主である事を再認識させる。そして自ずと次のフルアルバムにも期待がかかる。
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