Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2020年06月

岡田拓郎 『Morning Sun』

Artist 岡田拓郎
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Album 『Morning Sun』
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Tracklist
01. Morning Sun
02. Nights
03. Birds
04. Lost
05. Shades
06. No Way
07. Stay
08. New Morning

ここ数年、日本のミュージシャンやバンドの新作をリリース日に買って聴くことって岡田くんただ1人と言っても過言じゃあなくて、そんな元森は生きているの中心人物だった岡田拓郎の2017年作のソロデビュー作『ノスタルジア』は、かのスティーヴン・ウィルソンデンゼル・カリーと同じレーベルの某Hostess Entertainmentから発表されたので、てっきり2ndアルバムも継続してHostessからと思いきや、昨年の後半あたりに岡田くんをはじめHostessに所属する日本のミュージシャンやバンドマンが挙って「CDの流通が停止しました」的な話が俄かに囁かれ始めて、実際にHostessのHPを見たら新作のリリースもTwitterも更新停止している始末。そこから推測するに、どうやら昨年の9月あたりで夜逃げしたみたい(夜逃げ言うなw)。

そんな、音楽業界では別に珍しくもなさそうな夜逃げ(だから夜逃げ言うなw)(間接的にSWもw)被害にあった岡田くんの約3年ぶりとなる2ndアルバム『Morning Sun』は、リライト芸人でお馴染みのアジカンのゴッチ主宰のレーベルからリリースとのことで、この件に関して個人的には「残念」な思いが強い。もちろん、岡田くんの音楽活動をバックアップしてくれる事は素直に感謝だし、それこそ1stアルバムの頃からゴッチに囲われていたのも知ってるけど、あくまで個人的な意見を述べると「残念」としか。なぜ「残念」なのかは「察して」ほしいです。単純に、岡田くんほどの才能は誰かに囲われておかしな影響を受けて欲しくない、それが一番の理由と思ってください。


本作『Morning Sun』の話をする前に、先日リリースされた岡田くんとコンポーザーで知られる福岡在住のduennとのコラボ作品『都市計画』について。自分のnoteに感想的なことを書こうとして結局書かなかったけど、まさかそのコラボ作品が本作『Morning Sun』の核心的な部分に繋がる伏線だったとは思っても見なかった。まず再生した瞬間、自分の中の目玉親父が「おい鬼太郎!起きるんじゃ鬼太郎!」と叫ぶような、鬼太郎は鬼太郎でも名前の由来がガチであの鬼太郎からだと知って衝撃を受けた、日本の環境音楽/ニューエイジ界の第一人者で知られる伝説の音楽家“喜太郎”の名盤『シルクロード・絲綢之路』を照らし出す夕焼けの如しアトモスフィア、あるいは架空の世界を体験する伝説のPSゲーム『ワールド・ネバーランド』の白昼夢を彷徨うようなBGMやスウェーデンのアンビエント・ユニット=Carbon Based Lifeformsを連想させる、未開の地の奈良県南部に生息する八咫烏の民に伝承される幻の秘境にあるパワースポットから湧き出るようなスピリチュアリズムに溢れた、そのタイトル『都市計画』という言葉のイメージに直結するようなアンビエント作品となっている。

都市化が進むにつれ人々の暮らしは様変わりし、その中でも「モノがない暮らし」を推奨するミニマリストと呼ばれる人がにわかに増えているとの噂を耳にする昨今。この『都市計画』は、映画『そんな彼なら捨てちゃえば?』ならぬ『そんな音なら捨てちゃえば?』のノリで、それこそ人々が雑多に行き交う大都市で生活する現代人のように、日々の日常に必要のない物を捨てちゃう行為=断捨離を得意とするイマドキのミニマリストが「モノ」を断捨離するのと同じように、「ヒト」との濃厚接触(コミニュケーション)を避けるため人と人の距離を保つソーシャル・ディスタンスが推進されるこの2020年において、つまり「モノ」よりも「ヒト」と距離を断捨離することが最重要課題とされる新時代=ニューエイジが音に反映された、人間関係やあらゆるモノとの関わり=無駄を極限まで省いたミニマルなアンビエントと言える。

ソロデビュー作となった1stアルバム『ノスタルジア』は、The War On DragsをはじめとするUSインディー/サイケを装った音楽性と、トクマルシューゴの正当後継者を襲名するかのような、岡田拓郎というミュージシャンのマルチな才能をこれでもかと音に詰め込んだような作風で、2018年作のEP『The Beach EP』では「岡田くんのなりのトラップ」というEPならではの実験性に富んだ作風だった。この2ndアルバム『Morning Sun』は、それらの過去作とはかなり毛色が違う印象で、ご覧の通り曲タイトルもハンス・ジマーのサントラ並にシンプルなら、その音楽性もミニマルなシンプルさを突き詰めたようなサウンドで、例えるなら夏至の蒸し暑いアパート内で行われる昼下がりの情事もとい昼下がりの日常にそっと寄り添うかのようなBGM、そのBGMを「モノ」で例えるなら“風鈴”だと僕は思った。紛れもない“日本の夏”の風物詩である風鈴、“日本の夏”の風景を涼しげに彩るあの風鈴だ。

本作の『Morning Sun』をメタ的に語る上で、まさにその風鈴のイメージがピッタリな例えだと思った。何故なら、日本の夏の日常として人々に寄り添うような、リラクゼーション効果のある風鈴の音は一種の環境音楽/アンビエントであること。しかしながら、日々の生活において風鈴が奏でる「チリンチリン」という一般的な効果音って“意識的(Conscious)”に耳を傾けないと案外気づかないことが多くて、でもその感覚ってアンビエントと一緒だってことに気づいた。その風鈴と環境音楽/アンビエントが持つ日常性を宿した音楽というか、例えば「あまりにも日常的すぎて誰も気づかない音」のイメージ、あるいは「手を伸ばせばすぐそこにある音なのに、当たり前すぎて逆に気づかない音」、つまり“意識的”に耳を傾けないと聞こえない音楽、というより人々が耳から入ってくる「音」「音」として正しく“認識”することで初めてその存在が許される音楽、これまでは“意識的”に聞こうとしなかっただけで、実は生命が生まれた瞬間から既にそこにあった音楽、いい意味でBGMとして軽いノリで聞き流してしまう、いや、もはや聞き流していることすら気づかない、どのタイミングで次の曲に転換したのかすら気づかない、もはや存在しているのかすら曖昧な音楽、それがアンビエントである。

ここから書くことは話半分に聞いてもらえると嬉しいです。まず量子力学における有名な思考実験があって、一つは誰もが一度は耳にしたことのある「シュレディンガーの猫」、そしてもう一つは「二重スリット実験」と呼ばれるものである。量子論では物質は【波動】であり【粒子】であるという二重性を説いていて、また波動は観測する前はどこにいるか分からないが、観測しようとすると物質化する、つまり不確定なものを意識すると確定するとも言われ、これを物理学では「観測問題」と呼ばれている。

本作の『Morning Sun』をアンビエント/環境音楽である風鈴、そして量子力学における「二重スリット実験」の解釈を用いて紐解いていくと、今作は前作同様にポップスの【粒子】であると同時に、『都市計画』と同じアンビエントの【波動】でもあるという、量子論における「二面性」を兼ね備えた作品であるということ。聴き手(観測者)が“意識的”に認識するとポップス=【粒子】となり、逆に目を閉じた“無意識”のままではアンビエント=【波動】となる。つまり聴く側=観察する側の人間が本作をどのように認識し、意識し、そして認知したか?その認識/意識/解釈の違いによって音が変化する「二重スリット実験」を音楽の世界で応用した二面性の音楽、本当の意味で“実験”的でエクスペリメンタルな作品と呼べるのかもしれない。確かに、確かに「お前は一体何を言っているんだ?」って話だけど、なんとな~くのイメージでわかってくれたらいいです。めちゃくちゃ極端な話、人間に“意識”が存在しなければ元から宇宙は存在しえなかった、逆に言えば今の世界は全て人間の“意識”が創り出したものである、という映画『マトリックス』的なオチw

例えるなら『ノスタルジア』がマクロの世界の音楽なら、この『Morning Sun』はミクロの世界で描かれる音楽のイメージ。それこそアートワークの陽の当たる場所(ポップス)と、陽の当たらない影の場所(アンビエント)のコントラストをメタファーとして解釈するなら、地球規模(マクロ)の世界で起こる夏至の部分日食を、いつもの部屋(ミクロ)の世界で起こる部分日食を描いたのが本作。まさに風鈴の音色を奏でるように、DIYを極めしミニマリストの如く余分な音を断捨離しまくった結果、極端に少ない音数で動きの振れ幅を常に最小公倍数で導き出されたアンビエント的な解釈がなされたミニマルなリフレインや素朴で淡々としたローファイなメロディを中心に構成され(相対的に「歌」に関してはいつもより感傷的に聴こえなくはない)、相対的に曲自体も一定に低体温が保たれた、夏日に映える風鈴と同じ環境音楽にもアンビエントにもBGMにもポップスにもなりうる「自由」な音楽。あえて、意図的に、二面的に聴けるようなギミックが仕掛けられた、その最終判断は聴き手(観測者)の潜在意識の中にある、そんな音楽。少なくとも、他力本願とは真逆の自力本願みたいなDIY精神に溢れた作風である事は確かで、全部一人で作ってる感=SSW感は過去最高にあるかもしれない。

どこか抽象的な曖昧さを漂わせている、その掴み所のない曖昧さこそアンビエントの正体であり、それを象徴するのがアルバムの最後を飾る“New Morning”で、これはもう岡田拓郎なりのアンビエント・ポップと解釈しちゃっていいような曲で、そしてGrouperのアルバム『Grid Of Points』のピアノが奏でる主旋律と共鳴するような、この曲の全編にわたって冴え渡る内省的でエモーショナルな岡田くんのソロワークおよびフレーズセンスは、ここまで一貫して感情の起伏を抑えてミニマルかつシンプルにやってきたからこそ俄然エモ映えする。ただただ、なんてエモーショナルなんだと、こんなにシンプルなのに何故こんなに懐かしくて、温かくて、優しくて、そして美しいんだ・・・とにかく、この曲の序盤のフォーク~ポップ調から徐々に環境音楽~アンビエント~ニューエイジに境界なく自然に移り変わっていく様は、まさに本作における「二面性」その真髄を表している。

何事もなく過ぎていく日常のように、もう既にそこにあるものとして目の前を通り過ぎていくような・・・いや、この音楽は通りすぎる事すらしないのかもしれない。あの頃のまま時が止まった日常がそこにある、そんな日常のありがたさ、日々のありがたさを、今この時代に改めて再認識させてくれるような、平凡な1日の終わり、いつもと変わらない日常の終わりを迎え、そして新しい朝という名の明日すなわち希望を手にする。次の日、いつもと同じ朝、いつもと同じ日常が始まる。しかし、昨日とは別の世界線のパラレルワールドに輪廻している事にも気づかない、それすなわち日常。もはや某ハルヒの「エンドレスエイト」ばりの無限ループって怖くね?

こう言っちゃあなんだけど、アルバムを一回通して聴いただけでその全貌を把握できてしまうほど、音と音の隙間がスカスカに感じるシンプルさや現代のポスト・トゥルース時代における“曖昧さ”を象徴するアンビエント的な解釈がなされた作品で思い出されるのは、他ならぬ昨年13年ぶりの新作を発表したTOOL『Fear Inoculum』で、それを初めて聴いた時と全く同じデジャブを感じたのも事実。これは仏教的なスピリチュアリズムとアンビエントの切っても切れない強い関係性を示す事案で、それこそ僕が子供の頃に父親のカーステから稀に聴こえてきた喜太郎、そしてTOOLの新作における仏教的な輪廻感との繋がりを示唆している。つまり昨日の自分とは違う新しい自分、悟りを開いて潜在意識で生きている解脱者のように、もはや時間の概念すら存在しない世界で、アルバムを再生したことにすら、終わった事にすら気づかない(それは恐らくアルツハイマー)、“色気”とは無縁の究極的なまでに自然体の状態で生み出されたような、新世代天然ニューエイジャーの降臨を目の当たりにした気分。もはや俺は果たしてこの世に存在しているのだろうかと(それは恐らく哲学)。その繋がりに物語性を与えるなら、TOOL“777,777empest”の発動により“これまでの日常”が崩れ去り、いつもの風景が奪われた非日常を生きる現代人の新生活様式下における人と人の距離、その間に生じる空間の隙間を埋める役割を果たすのが岡田くん『Morning Sun』なんじゃないかって。それぞれ2つの世界線は、実は一つに繋がっていると考察したら俄然面白いかもしれない。

ギターもピアノも単色単音主体の“シンプルさ”が終始貫かれている中にも、ビートルズを例にアヴァンギャルドこそポップスにおける普遍的な要素と語る岡田くんなりの実験性が随所に散りばめられており、またブルージーなギターワークを披露するプレイヤーとしての才能も健在。しかし1stアルバムやEPとは180度違う意識を持った作品で、どちらかといえば森は生きている時代で培ってきた経験が活かされているように感じた。あと、岡田くんの楽曲って何故か某ガールズバンドの某公園のインディーズ時代をフラッシュバックさせる事が多くて、今作でも4曲目の“Lost”がそれに該当して何かモニャっとなる。そんな事より、単純に今回ピアノの旋律その音階が最近のGrouperと共振する点が多くて、今回ついに岡田くんGrouperが繋がった事が何よりも嬉しい出来事かも(それはただのアポフェニア)。

世界的に日本のシティポップの再評価の流れがある昨今、それと同じ現象が日本産の環境音楽にも起きていて、岡田くん現代人はポップスでも何でもサブスクのプレイリストをBGMとして消費するという発言にもあるように、環境音楽という聴き流すためにある専用の音楽とサブスクのプレイリストで聞き流される現代のポップスは同じ“BGM”だという考察、つまり“音楽のBGM化”に対する岡田くんなりの回答が凝縮されたような本作品。この音楽だけで岡田くんの意図が全て理解できるような、そんな彼の優しさ、そして愛に満ち溢れたアルバム。言葉でうまく説明できない難解な「二重スリット実験」を音楽の理論で解いてみせた天才岡田拓郎ここに極まれりな一枚(まるで気分はアインシュタイン)。リアルな話、そろそろNHK教育あたりに楽曲提供しそうな雰囲気ない?

Cryptic Shift 『Visitations From Enceladus』

Artist Cryptic Shift
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Album 『Visitations From Enceladus』
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Tracklist
01. Moonbelt Immolator
    1 - Detached From The Xenoverse
    2 - Skirmish Above HD 10180 h
    3 - Interstellar Lands
    4 - Black Ore
    5 - Lair Of The Time-Ghouls
    6 - Progeny Echoes
02. (Petrified In The) Hypogean Gaol
03. The Arctic Chasm
04. Planetary Hypnosis

『池の水ぜんぶ抜く大作戦』ならぬ『土星の水ぜんぶ抜く大作戦』みたいなノリで、どっかの宇宙生態学者が「(スッ...)未知の外来種らしき亀みっけました〜」と手を掲げるシュールな絵面が思い浮かぶ、そんなパンチの効きすぎたクソダサB級デザインを記念すべき1stアルバムのジャケとして採用しちゃうヤベー奴らこと、UKはリーズ出身の4人組=Cryptic Shiftの1stアルバム『Visitations From Enceladus』が、クソダサジャケだけにとどまらず冒頭の1曲目から約26分の超大作という童貞丸出しの頭の悪いデスメタルで最高に笑える話。

まず土星の周りを公転する有機物が存在する氷の衛星“エンケラドゥス”を意味する表題からも分かるように、いかにもファンタジーなSFをモチーフにした世界観/コンセプトをウリとするデスメタルで、近年この手のSFを題材にしたデスメタルと聞いて思い出されるのは、他ならぬ“10年代最高のデスメタル”ことBlood IncantationTomb Moldという近代デスメタルを象徴する二大デスメタルだ。このCryptic Shiftは、まさにその二大デスメタルのイトコドリみたいなデスメタル、厳密に言えば“同じデスメタル”なんだけどそれぞれ別の世界線/惑星で起きている未知の体験みたいな(例えるならTomb Moldが映画『エイリアン』の世界線、Blood Incantationがシュメール文明の神々アヌンナキが支配する世界線)、端的に言うとデスメタル女子こと広瀬すずがトゥース!ばりのデスポーズを決めながら「直腸陥没!」とデスボイスで叫ぶような2020年最高のデスメタル。

アルバムの冒頭を飾る、全部で6つのシーンで構成される約26分に及ぶ超大作の#1“Moonbelt Immolator”から既に頭おかしくて、まるで気分は居住可能惑星探索を行うためワームホールを突き抜けるマシュー・マコノヒーとばかりのSEに次いで、Oranssi Pazuzu顔負けの不協和音なリズムと不規則なリフ回しをもってアヴァンギャルド/スペース・サイケな雰囲気を形成しながら、DEATHCynicに代表される90年代デスメタル・レジェンド経由のデクデスならではの混沌が混沌を、謎が謎を呼ぶ複雑怪奇な動きをベースメイクに、速いところはKreatorばりにパンキッシュかつスラッシーに刻み、また場面が移り変わると今度はドラフォのイケメンばりにピロピロ弾き倒すゲーム音楽的というか某エアーマンが倒せない”ばりにファイナルファンタジーかつスリリングなソロバトルを折り込み、それらが目まぐるしくプログレッシヴにクロスオーバーしていき、そして人類が紆余曲折の末ついに土星の地表に降り立ち、地底の奥深くまでたどり着いたその時、そこには地底人(イメージは映画『ディセント』)と人類の『未知との遭遇』が待ち構えていた(まるで気分はシガニー・ウィーバー)そんな超スペクタクル超スケールで描かれるSF超大作

同じSF系デスメタルはSF系デスメタルでも、Blood IncantationTomb Moldとは一線を画す最大のパンチラインとしてあるのが、他ならぬレジェンドCynicポール・マスヴィダルを彷彿とさせる、このB級を極めたアートワークからは想像できないジャズ/フュージョン経由のワウワウミョ~ンとした流麗なソロワークで、それらの神秘的な側面を含めて「まるで一本のSF映画を見終えたような感覚」みたいなチープな感想しか出てこないほど、それこそ映画『インターステラー』みたいに6つの惑星で人類に待ち受ける超常現象や地球外生命体との未知との遭遇を疑似体験させる。

このバンドを大雑把に例えるなら“スラッシュ・メタル化したBlood Incantation”なんだけど、キモとなるスラッシュ・メタル以外にも要所要所で的確にCynicPortalをリスペクトしてくるバンドでもあって、そのレジェンド、そして亡きショーンへのレクイエムを奏でるかの如く幻夢的なソロワークを軸に、デスメタルらしからぬスピリチュアルな精神性を内包したオシャンティなメロディセンスはいかにもUKバンドって感じだし、とにかく土星の環を生成するような魅惑のメロディを豊富な宇宙資源としているので、デスメタル女子の広瀬すずが喜びそうな「直腸陥没」系のデスメタルというよりは、むしろアンドラ公国のPersefoneやフランスのGojiraに近いプログレ・メタル的な感度が強調されたデスメタル。もはやスラッシュメタルやデスメタル云々以前に、Cryptic Shiftの音楽には古き良きアンダーグラウンド・メタルの世界とその魅力に満ち溢れている。

奇しくもBlood Incantationの歴史的名盤『Hidden History of the Human Race』と同じ全4曲で、最後の曲が18分の大作だったBlood Incantationに対して、記念すべき1stアルバムの一曲目からそれを更新する約26分の超大作をやってのけた変態バンドことCryptic Shift。でも、それぐらい極端なことやって爪痕を残さないと、10年代最高の二大デスメタルには到底敵わないってことなんだろうね。実際、今作は“20年代最高のデスメタル”の一つとして20年代の終わりに語り継がれること請け合いの作品なのは確かだから、パンチの効きすぎたジャケも含めて結果的に良かったと思うw
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