Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2020年05月

Infant Island 『Sepulcher』

Artist Infant Island
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EP 『Sepulcher』
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Tracklist
01. Burrow
02. Unspoken
03. Phantom Whines
04. Awoken
05. Sepulcher

ぼくバンドキャンパー「えっ、新世代メタルバンドBandcampの新譜が$7!?やっす!ポチー」

Bandcamp「ご購入ありがとうございます!んじゃ好きなファイル形式でダウンロードしてってな!」

ぼくバンドキャンパー「やっぱり容量/音質ともに攻守最強のFLACでダウンロードポチー」

Bandcamp 「お客さんFLACをお選びとはお目が高い!今日だけ特別サービスで【96kHz/24bit】のハイレゾ音源持ってけ泥棒!(容量1ギガ)」

ぼくバンドキャンパー「えぇ・・・なにその“ありがた迷惑FLAC”・・・」

Bandcampあるあるの一つに、上記のような経験をしたBandcampユーザーことバンドキャンパーは決して少なくないはず。要約すると、Bandcampで配信されているデジタル音源を購入する際、購入者側はCD音源同等とされるいわゆるロスレス(可逆圧縮音源)のFLACを求めているのに対して、Bandcamp側というかアーティスト側は、昨今よく耳にするようになったCDを超える音質を謳うハイレゾ音源を提供してくるありがたいけど迷惑な行為。この行為のことを僕はそのまま“ありがた迷惑FLAC”と呼んでいる。

そもそもの話、FLACというのは複数あるファイル形式を選択する上での一つのフォーマットに過ぎなくて、もちろん普段のようにCDからリッピングして可逆圧縮でCD音質同等のロスレスにすることもできれば、ハイレゾ相当の高ビットレートでリッピングしてアートワークやタグを埋め込むことも可能(これがFLACが好まれる最大の利点)。しかし、BandcampでFLAC音源を買ってもDLして解凍するまでビットレートが判別できない事から、冒頭のような“ありがた迷惑FLAC”と出会ってしまう事がままある。厳密に言えば、事前にアルバムの収録時間と表記されているダウンロード容量からザックリと推測することは可能っちゃ可能(「あっ、この容量はハイレゾか?」とか、「あっ、この容量は偽レゾか?」とかw)。ちなみに、FLAC以外の形式(MP3とか)は一度もDLした事ないからわからない。というか、MP3で満足するならわざわざBandcampなんか使わないっていうw

つい最近、日本でもAmazon HDやmoraナントカがハイレゾストリーミング配信サービスをローンチした事が記憶に新しい(もちろん両方とも既に体験済み)。しかし、それ以前から海外ではラッパーのジェイ・Zが買収した事でも話題となったTIDALがハイレゾストリーミングの主流として既に存在しており(まだ日本ではローンチしてない)、いわゆる“ハイレゾ”という言葉はまだしも“ハイレゾ音源”は日本人よりも海外の人のが身近に感じている人が多い現状。その論理でいくと、ハイレゾストリーミングで配信してんのに、一方で同じデジタル配信であるはずのBandcampだけ従来のCD相当のFLAC音源を提供するとなると、なんだか変な格差が生まれちゃうのも事実で、そういった諸々の兼ね合いから“ありがた迷惑FLAC”が生まれている可能性も否定できない。勿論、全てのアーティストがそうだとは一概に言えないし、そもそもBandcampで音源をデジタル配信してるアーティストは世界でもほんの一握りに過ぎない事は百も承知の上での話。逆に、Bandcamp上で“ありがた迷惑FLAC”もといハイレゾ配信してないアーティストはストリーミングでもハイレゾ配信してない可能性が高い(ソースは極小だけど)。それこそ投げ銭音源のがビットレートが高いパターンも全然“Bandcampあるある”だし、そしてBandcampでハイレゾや偽レゾが続いてから買った音源が通常のFLAC音源だった場合、なんか損した気分になるのも“Bandcampあるある”の一つw

ハイレゾ/デジタル音源の話はさて置き、ここで“リッピングの鬼”を自称する僕が考える企業秘密のCDリッピングの方程式をコッソリ教えちゃうぞ。まずリッピングソフトは界隈でも有名なdBpowerampの有料版、ドライブはパイオニアのちょっと良いやつを使い、いわゆるAR=AccurateRip機能はオフに、そしてSecureをdBpoweramp公式が推奨する【424】に数値を合わせて無圧縮FLACでリッピングする(もはや俺レベルの“リッピングの鬼”になるとAR機能は信用しない)。ありとあらゆる試行錯誤の末、現状これ以上の最強リッピングの方程式は見当たらない。そんで今愛用してるイヤホンはEmpire Earsの約18万ぐらいの奴を4.4mmバランスで・・・って、この辺のマイリスニング環境は誰も興味なさそうなので割愛します。

話を戻して、それら“ありがた迷惑FLAC”に代表される“Bandcampあるある”という名の偏見ランキング3位あたりに食い込んできそうなのが、他ならぬ有料>>>投げ銭(無料)みたいな心理的なイメージだった。しかし、そんなBandcampあるある界の常識を真正面から覆したのが、バージニア州はフレデリックスバーグ出身のInfant Islandが今年の4月に発表したEPの『Sepulcher』で、実はその翌月にリリースされた2ndフルアルバム『Beneath』(有料)よりも、その一月前の投げ銭EPのがヤベーんじゃねぇか説がある。

2ndアルバムの時にも書いたように、このEPは1ヶ月後に出た2ndアルバムよりもレコーディング時期が最近(今年の頭)のもので、それもあってか音的には『Beneath』よりも全然こっちのがイマドキの音像というか、シンプルにこの音どうやって出してんの?って気になる【シューゲイザー×ブラックメタル=Blackgaze】すなわちブラゲでもない、例えるなら【ノイズ×Blackgaze=Noisegaze】すなわちノイゲは、それこそメタルの最先端に位置するCode Orange『Underneath』Machine Girlみたいなデジタル・ハードコアに直結する“20年代”の音を出してるのが面白い(これはスリーマン不可避)。そのコロナ禍を吹き飛ばすノイズ禍を形成するエゲツナイ音作りを皮切りに、このEPはInfant IslandがセールスポイントとしているGrouper直系のアンビエントと初期のDeafheaven直系の激情ハードコアの二面性に特化した、複数の音楽ジャンルを取り込んだ2ndアルバムとは違って要点だけにフォーカスした作品だけあって、正直『Beneath』よりも完成度高いと感じる人も少なくないはず。

「フルアルバムとEPでは担っている役割がそもそも違うだろ」というごもっともな話は置いといて、初期envyのエモ/スクリーモをルーツとする初期Deafheaven直系の激情ハードコアの#1“Burrow”と#2“Unspoken”でカオティックなノイズ禍を巻き起こし、賛美歌“アメイジング・グレイス”がドローン/アンビエント化したようなGrouper直系の#3“Phantom Whines”、そして今作のハイライトを飾る約10分の大作の#4“Awoken”は、無心にひた走る粗暴なブラストビート主体のドラミングやポストロックルーツの曲構成をはじめ、伝説の1stアルバム『ユダ王国への道』時代のDeafheavenをリスペクトした激情ゲージが振り切れるくらいの超絶epicッ!!な、それこそ『惡の華』の仲村さんが「春日くんの心の内にあるもの全部グワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっとさらけ出しちゃえ!」とばかりに地獄の底から血肉湧き上がる激情感、後先考えず今この一瞬に全てを賭ける刹那と焦燥が入り乱れる激情感、それらの日本の春ねむりとも共鳴する2020年の今だからこそ通用する「叫び」は、この時代に「怒り」を忘れた僕たちの心に突き刺さる。そのポスト・ノイズ後は恍惚の表情で天国へと導かれるように、まるでJulianna BarwickGrouperが劇伴を担当するかの如く、小鳥のさえずりと清らかな川のせせらぎの自然豊かな環境音が天上に鳴り響く表題曲の#5“Sepulcher”は、ノイズ禍のディストピアからの現実逃避であるかのようなニューエイジ幸福論と自らのハッピーバースデイを祝うかのようなパトラッシュ感溢れる名曲。

正直、2nアルバム『Beneath』の中に激情路線では#4“Awoken”を、アンビエント路線では#5“Sepulcher”を超える曲があるかと聞かれたら、そしてEPを聴き終えた後の涙腺崩壊不可避のカタルシスを上回るかと聞かれたら口を噤んでしまうのも事実。そしてInfant Islandを象徴する曲が投げ銭EPにあるという違和感。1stアルバムも含めて好みが別れそうなところだけど、このEPに限って言えばとにかく音が新世代過ぎて感動する。

Infant Island 『Beneath』

Artist Infant Island
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Album 『Beneath』
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Tracklist
01. Here We Are
02. Signed In BLood
03. Content
04. The Garden
05. One Eyed
06. Death Portrait
07. Colossal Air
08. Stare Spells
09. Someplace Else

年明け早々、ピッツバーグのCode OrangeやUKのLoathe、そしてフィンランドのOranssi Pazuzuを皮切りに、新時代の幕開けを告げる新世代メタルの波が続々と押し寄せてきている昨今。そして、それと呼応するかのように、10年代のメタルシーンをピンク色に彩ったポスト・ブラックメタル界から20年代を象徴する新星が現れた。彼らこそ、2016年に結成されたバージニア州は独立市フレデリックスバーグ出身の5人組、その名もInfant Islandだった。

10年代のメタルシーンを象徴するポスト・ブラック、そのアイコニックな存在としてポストブラシーンを牽引してきたサンフランシスコ出身のDeafheaven、彼らが10年代に築き上げた成り上がりストーリー、その「伝説の始まり」を告げる1stアルバム『ユダ王国への道』が2011年に発表された当時は、その90年代のポストロック/シューゲイザーとDeathwish由来のカオティックな激情ハードコア/スクリーモをエクストリーム合体させたBlackgaze、それはまるでメタル界に突如として現れた巨大なモノリスであるかのように、アンダーグラウンドに生息するメタラーが得体の知れない『未知との遭遇』を経験してしまったような、それほどまでに彼らの登場は当時のメタルシーンに強烈な印象と戸惑いを植えつけた。ご存知、Deafheavenはその2年後にアンダーグラウンド・シーンのみならず世界的な音楽メディアを巻き込んでピンク色の衝撃を与えた歴史的名盤の『サンベイザー』という名の“NEW BLACK”の金字塔を打ち立てたのは今は昔。

何を隠そう、そのDeafheavenの伝説の1stアルバム『ユダ王国への道』が約10年の歳月を経て一巡した結果が、このInfant Islandの2ndアルバム『Beneath』なんじゃねぇかって。この手のメタル、というよりは初期envyに精通するエモ・スクリーモ/激情ハードコアをコープスメイクとしたブラックメタルで思い出されるのは、それこそDeafheavenの伝説の1stアルバムよりも前に発表された『指Demo』、そしてチェコ出身のnicこと██████が2013年に発表した伝説の『Demo』という「2枚のDemo」に他ならなかった。つまり、あの当時のDeafheavenみたいな“時代”を映し出すノスタルジックな懐かしさと「こいつら化ける感」を漂わせまくっているのがこいつら。

実は今年、この2ndアルバムがリリースされる一足先(4月)にEPの『Sepulcher』を発表していて、そのEPはグラインドコア経由の圧死不可避の脳天直輸入激情Blackgaze/カオティック・ハードコア~ドローン/アンビエントというバンドの二面性を分かりやすくシンプルに極めた初期衝動的な傑作で、その中にはいかにも初期のDeafheavenを彷彿とさせる確信犯的な約10分にも及ぶ長尺も存在していた。しかし、2010年あたりの『Demo』ムーブメントから2020年の現在までに「変化」が起きないはずもなく、Infant Islandが今作の中でやっているのは、シューゲイザーやアンビエント、ポストロックやノイズ、ドゥームやポストメタル、エモやポスト・ハードコア、それらの10年代いや00年代以前からメタルと邂逅してきた様々な音楽的サブジャンルをサクリファイスした、それこそCode OrangeLoatheと共振する20年代のイマドキのトレンドを網羅したエクストリーム・ミュージックは、もはやポストブラック云々以前に“新世代メタル”として認識すべき案件。

19世紀のロマン派の英国人画家で知られるジョン・マーティンの絵画から引用した、水彩画タッチのアートワークが同州主要都市のリッチモンド出身のアンダーグラウンド・メタルの雄Inter Armaを想起させるあたり、いかにもピッチフォークが推しそうなオーラを醸し出しているという余談はさて置き、今作の幕開けを飾る#1“Here We Are”のイントロからデンマークのMOLあるいはEarthニューロシスを連想させるドゥーム〜スロウコアラインのそれかと思いきや、突如ブラストビートで荒涼感を撒き散らしながら、予想だにしない急転直下の展開を絡めながら不規則で不気味な不快感を催す姿は邪悪そのもの。まさに混沌に次ぐ混沌、今度はコード・オレンジLiturgyを連想させるバグったノイズ禍が俄然このバンドの「得体の知れなさ」を増幅させる#2“Signed In BLood”、アンビエント系ポストロック由来のATMSフィールドを張り巡らせるイントロからポストメタリックなリフを駆使して激情的かつドラマティックに展開していく、それこそenvyの復活作にも精通するような#3“Content”Deafheavenの盟友ことBosse-de-Nage的なポスト・ハードコアの#4“The Garden”、ポストメタリックなヘヴィネスを強調する#6“Death Portrait”、そしてGrouper顔負けのスペース・アンビエントな#7“Colossal Air”から、DeafheavenDeathwish時代に置き忘れてきた“激情”を取り戻すかのような、激情ハードコアならではの内省的な寂寥感と粗暴なバイオレンスがせめぎ合い20年代最高のemo(イーモゥ)が炸裂する#8“Stare Spells”までの流れは今作のハイライトで、そのアウトロ的な役割を果たし、モノクロ傘の露先から雨が滴り落ちるようなピアノ主体のアンビエントが極上のカタルシスへと誘う#9“Someplace Else”まで、初期Deafheaven直系のエモ/激情性とLiturgy直系の超越的なノイズ/実験性とAltar of Plagues直系のポストメタリックなヘヴィネス/音像という、世界三大ポストブラックの遺伝子を均等に受け継いだ“20年代の(ポスト)(ブラック)(メタル)”は、この手のフォロワーとして有名なデンマークのMOLとも一見近いようで遠く、またメジャー化が著しい現在のDeafheavenよりも俄然アンダーグラウンドな音を鳴らしている。

結果的にEPとフルアルバム、またDeafheavenとの差別化が図れているというか、比較的エモ/スクリーモ〜アンビエント一辺倒だったEPをベースメイクとして、そこへ多種多様なトレンド/ジャンルをしたたかな色気をもって20年代仕様にアップデイトすることに成功したのが本作。またEPのように5分以上の長尺がなく、どれもコンパクトに収まっている分、バンドの生命線でありウリであるアンビエント〜ポストロックラインのインスト曲を織り込んだ組曲的な演出が効果的に活きている。あと、これは小ネタだけど、本作をBandcampで購入すると、今作のパンチラインを担う#4と#8だけそれぞれ固有のアートワーク(同ジョン・マーティン作)が表示されるという隠し要素もニクい演出。個人的に、このバンドの何が最高って、今作の#9やEP『Sepulcher』の表題曲にも象徴されるように、アンビエントはアンビエントでも、この世のものとは思えない天上で鳴り響く環境音楽みたいなピアノ主体のアンビエント・ポップが、界隈でも著名なリズ・ハリスGrouperに匹敵する品質なのが最も推せるポイント。

これは別に珍しいことでもないけれど、ちょっと面白いと思ったのは、この2ndアルバムよりも一ヶ月前にリリースされたEPの方がレコーディング時期が最近であるという点。公式に発表されている情報に基づくと、EPは2019年の12月から今年2020年の3月まで、2ndアルバムは2018年の12月から2019年の1月までの間。ちょうど一年の時差がある。事実、EPは『Demo』時代のDeafheavenっぽい印象で、それよりも以前にレコーディングされた2ndアルバムの方が20年代のトレンドを抑えているという時系列的な矛盾も面白い。つまり、楽曲は『Demo』時代っぽいのに音自体はとても今風に洗練されたEP、それに対して楽曲はもの凄くイマドキなのにそこはかとない古さを感じる2ndアルバム、その正体の違和感。むしろその“違和感”こそ、このバンドの真髄と呼べる部分なのかもしれない。

春ねむり 『LOVETHEISM』

Artist 春ねむり
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mini album 『LOVETHEISM』
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Tracklist
02. 愛よりたしかなものなんてない
03. Pink Unicorn
04. Lovetheism
05. 海になって
06. Riot
07. りんごのうた

春ねむりって、2018年に発表された1stアルバム『春と修羅』で初めて知った当時の印象といえば、現代J-POP界のアイコンであり“君はロックを聴かない”でお馴染みのあいみょん水曜日のカンパネラDAOKOあるいは“その周辺”の日本語ラップと“ロックンロールは鳴り止まない”でお馴染みの神聖かまってちゃんみたいな中二病ノイズロックがエクストリーム合体したような印象で、そして元祖伝説のポエマーこと宮沢賢治の名作『春と修羅』から引用したタイトルで思い出されるのは、他ならぬインディーズ時代のきのこ帝国の名曲にもあるように、実は初期きのこ帝国のシューゲイザー由来のノイズを駆使したアンダーグラウンドな音楽性やあいつをどうやって殺してやろうかとイキる中二病精神は互いに通じる部分は少なからずあって、それこそ「この世界はクソのクソのクソムシだ!」と連呼する『惡の華』のヒロイン=仲村佐和が主人公=春日高男を洗脳するかのような(一人二役)、伝説のポエマーの正当後継者としてのハードコア/パンク精神とヴィジュアル系バンドDIR EN GREYに匹敵する“痛み”に訴えかける中二病精神が物理の法則に反する速度で正面衝突したようなビッグバン=初期衝動を起こしていた。

そんなNEXTブレイクが約束されている横浜出身のSSWこと春ねむり、例えるならあいみょんが若者(マジョリティ)の代弁者だとすると、この春ねむりは若者(マジョリティ)に隠れた若者(マイノリティ)のホンネをハードコアなラップやシャウトに乗せて時に激しく、時に儚く、時に粗々しく、今を生きる若者その当事者である彼女本人のリアルな痛みを代弁していく、そんなセピア色のヒリヒリした感情とリリックがドストレートにブッ刺さるノイズロックもしくはノイズラップは、先日リリースされたミニアルバム『LOVETHEISM』において更なる先鋭化が進んでいる。

荘厳なクワイアやトランペットやホルンが織りなす、某ネズミーランドのブラスバンドショー顔負けの怒涛のスケールをもって、新時代=ニューエイジの幕開けを告げるかのような新時代のJ-POPアンセムを打ち立てる#1“ファンファーレ”から、USのポスト・ブラックメタルバンドLiturgyの問題作『The Ark Work』における祝祭の“Fanfare”がフラッシュバックしてダメだダメだダメだ、こいつダメだ、こいつ危ない、こいつ怖いと稲川淳二ばりに恐怖した次の瞬間、1stアルバムを聴いた瞬間から自分の中に芽生え始めていた「春ねむり=Blackgaze説」が確信に変わった。厳密に言えば、いわゆる激情ハードコアをルーツとするBlackgazeばりのノイズや映画『ミッドサマー』に出てくるヤベー信者みたいなキケンな匂いを醸し出す春ねむり自身の刹那的な存在感は、改めて「やっぱこいつ独りLiturgyだわ・・・」ってなる。ちょっと面白いのは、このポストブラックと共振するギターノイズを鳴らしてる吉田ヨウヘイgroup西田修大氏といえば、我らが岡田拓郎くん『ノスタルジア』にも参加してるという意外な繋がりも。


先ほど記したように、神聖かまってちゃんきのこ帝国水曜日のカンパネラDAOKOなどの日本のバンドやJラップからの影響、特に1stアルバムは打ち込みのトラック的な面でもラップの面でも想像した以上に水カンに影響されてんなって驚いたぐらい強い影響をダイレクトに受けていたが(もちろん、その根底に相対性理論=やくしまるえつこがいるなんて事は今さらな話)、このミニアルバムではASMR界の姫ことビリー・アイリッシュザ・ウィークエンドの新作、つまり昨今の洋楽メインストリームのトレンドでもあるASMRの先見性を取り入れた疾走感溢れる激情系青春ポストブラックの#2“愛よりたしかなものなんてない”を皮切りに、神聖かまってちゃん系のパラッパノイズにSadistikばりのヒップホップ・アレンジをフィーチャーした曲で、まるで某ヴィジュアル系バンドのバンギャが手首をプルプルさせながら代DIEダイ!!と咆哮するような激情的なシャウトがガチモンのハードコア過ぎて鬼ヤバい#3“Pink Unicorn”、ミニマルな表題曲の“Lovetheism”、インディーズ時代のきのこ帝国ばりにディストーションかましたオルタナ系ギターリフが“病み”の底に突き落とす#5“海になって”、前作のアレンジの延長線上にあるプログレッシブ・ポップアンセムの#6“Riot”、教会で流れてる系の名曲から引用したエモエモのエモな#7“りんごのうた”まで、とにかく絶妙な配分で確信犯に近い既視感を植え付けつつも、要所要所でイマドキの洋楽メインストリームに精通するアレンジを効かせた海外志向の強い作風となっている。

1stアルバム『春と修羅』のように激情的な「怒り」の感情が具現化したノイズや衝動的なロックンロール感は控えめで、あくまで前作の延長線上にある洋楽的なアート志向を高めたシンプルなアレンジを強調しつつも、比較的バランスの取られたトータルでJ-POPとして認識できるアルバム。相対性理論をルーツとする“あの辺”の日本語ラップとノイズ、ニューエイジやASMR、それらのOranssi Pazuzuに匹敵する実験的な側面を垣間見せるオルタナティブでプログレッシブなサウンドは(JKパズズの正体=春ねむり説)、例えるならグライムスケロケロボニトに通じるコンテンポラリーなアート気質とキラキラした不思議可愛いポップさを兼ね備えている。なんだろう、ケロケロボニトと一緒に海外ツアー回ったら面白いと思うけど、春ねむりの立ち位置的には激情ハードコアバンドあるいはDeafheavenLiturgy、それこそMyrkurみたいな女ブラック勢とやった方が効果的かもしれない。まぁ、それは冗談だけど、いずれガチのハードコア作品出しても全然驚かない。

「生と死」の死生観を一つのテーマにしている、わりと現実的な言葉を使ってマシンガン朗読劇のようにリリックを刻んでいくタイプの【Explicit】系ガールだから、過去に黒歴史だったりトラウマを持つような人は聴く際に注意が必要だけど、むしろ黒歴史やトラウマを持つ人にこそ響くポエトリーというか、確かにバカ正直過ぎて動悸が起きそうなリリックのトゲに初めは引いちゃうけど、その全世界に黒歴史を晒すような、ある種の自傷行為にも近い“トゲ”が徐々に心地よい痛みに変わってくる一種のモルヒネというか麻薬みたいな魅力がある。それこそ今のポストコロナ時代に、このクソサイテーな世界の真ん中で「愛」「怒り」を叫ぶ飾らない春ねむりのリリックは、大人への階段を登っていく悩み多きティーンエイジャーの孤独とどうしようもない不安、それら若者が心の奥底に抱える痛みや焦燥感を含め目の前で起きているクソみたいな出来事を、春ねむりは若者達の先導に立って粗暴な「怒り」と激情的な「愛」で全部ぶっ壊して、若者にとって光り輝く未来に満ち溢れた2020年代に導いてくれるような、そんな彼女は現代のジャンヌダルク=『救世主(メシア)』なのかもしれない。

コロナ禍が生み出した修羅の時代に、若者の未来が奪われていく地獄の時代に、鬱屈した青春と行き場のない衝動を抱えた今の若者にとって、あいみょんの歌はただの薄っぺらい戯言にしか聴こえないだろう。しかし、“アンダーグラウンド界のあいみょん”こと春ねむりの「歌」という名の「叫び」が、これからの未来と今を懸命に生きる若者を勇気づけるに違いない。そんな若者の叫び、その代弁者が春ねむりである。これは、ポストコロナ以降の日本の音楽シーンに求められる、ポストコロナ時代のJ-POPだ。もう10年代に流行ったような偽りのJ-POPはいらない、新時代の幕開けを告げる20年代のJ-POPここに極まれりな一枚。

間違いなく、女も男も、バンドもラップも含めて今の日本で一番ロックンロールしてるのが春ねむりです。これにはロックは死んだと語るBMTHオリヴァー・サイクスロックは生きているとアツい掌返し。いや冗談じゃなしに、今の「ロックは死んだ」と叫んで炎上するBMTHロックンロールは死なないと叫ぶ春ねむりって同じ“出る杭”という点では、近からず遠からずな存在だと思う。しかし、今後の彼女がどの立ち位置から活動していくのかスゲー気になる所ではある。それこそアニメ『惡の華』の二期があったらOP曲は春ねむりで決まりみたいなオタクの願望はほっといて、今作の“(閃光)ライオット”的な意味でも、まさかの音楽ラジオ『SCHOOL OF LOCK!』のパーソナリティ路線くるか・・・?!YOU来ちゃいなYO!!講師になっちゃいなYO!!売れちゃいなYO!!(売れた春ねむりは果たして春ねむりなのかという話はさて置き)

Elder 『Omens』

Artist Elder
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Album 『Omens』
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Tracklist
01. Omens
02. In Procession
03. Halcyon
04. Embers
05. One Light Retreating

数日前の僕「PRR復活!!!!!」

今の僕「PRR復活!!!!!・・・え?『救世主』は二度復活する・・・だと?」

Elderって、2017年作の4thアルバム『Reflections Of A Floating World』をBandcampで買ったはいいけど、結局数回しか聴かなかった程度の印象しかなくて、そんな自分が奇跡の復活を遂げたネオ・プログレ界のレジェンドことPure Reason Revolutionの伝説の1stアルバムをフラッシュバックさせる、まるで彫刻家ミケランジェロのモーゼ像が朽ち果てたようなアートワークに目を惹かれて、約三年ぶりとなる5thアルバム『Omens』を聴いてみたら、実はコッチのがPRRの復活作なんじゃねぇかと錯覚するぐらい、それこそ2005年前後のネオ・プログレ経由のネオ・サイケとストーナー経由のヘヴィ・サイケが時を超えて運命的、いや必然的な出会いを果たしてて泣いた。

この手のドゥーム/ストーナー方面からプログレ方面に移行したバンドといえば、つい最近ではリトルロック出身のクマラーことPallbearerが真っ先に思い浮かぶ。しかしPallbearerの場合はプログレ化した弊害により本来の持ち味が消え失せてコレジャナイ感満載だったけど、このElderPallbearerと違ってプログレ化に大成功している。もちろん、これまでもプログレ的なバックグラウンドを持ち合わせていたけど、ここにきて遂にそれが本格化している。まずスウェーデンのAnekdotenを彷彿とさせるレトロなキーボードやメロトロンが織りなすスペースサイケな宇宙空間を演出したり、PRRの伝説の1stアルバムを彷彿とさせる電子音を駆使したモダンなアプローチだったり、それこそ2000年代のネオ・プログレッシブ的というか、それこそPRRの約10年ぶりの復活作から地続きで聴けるというか、例えるならPost-Progressiveという言葉が生まれずに、そのままネオ・プログレッシブが主流だった世界線のPRRみたいな、とにかくネオ・プログレ方面にゲージ全振りしてプログレ化計画が完了している。

まるで2005年前後の平穏な時代の世界線と2020年のポストコロナ時代の世界線が時空の歪みの影響により繋がってしまったような訳のわからなさ。今作において、その「訳のわからなさ」を象徴するのが3曲目の“Halcyon”で、この曲で聴ける内なる激情を秘めたポスト・エピックなリフレインは完全にSWソロ〜ana_themaライン、すなわち10年代のプログレを象徴するPost-Progressive路線に乗ってきている。その“Post-化”の極め付けとなる5曲目の“One Light Retreating”は、イントロのリフレインからしてPRRの正統後継者であるana_themaの金字塔とも呼べる2010年作の傑作『We're Here Because We're Here』の名曲“Thin Air”と繋がることで、00年代のネオ・プログレッシブから10年代のPost-Progressiveへと進化していった現代プログレの“歴史”を辿り、そして新時代=20年代のプログレを切り拓いていく事を堂々宣言する。なんだろう、PRRの復活と連動するように新世代のプログレとして君臨してしまった感がすごい。まるでプログレ界の“歴史”を追憶していくようなアルバムの流れは、まんまPRRが復活作の『Eupnea』でやった事と同じで、やっぱり世界線がバグってきてるとしか思えねぇわw

まず間違いなく言えるのは、これまでとは明らかにメロディの傾向が変わったこと。バンドの専売特許であるストーナー特有の“臭み”を消して、アート・ロック指数の高いミニマルでメロウなリフレインを中心に構築していくリリカルな展開美、10年代の西海岸系インスト/マスロックなどの新世代プログレ勢らと共振する、それこそ近作のIntronautを想起させるポスト・インストゥルメンタルのモダンなアプローチと、70年代を思わせる古典的なプログレ/サイケとしての側面とヘヴィロック的な側面が絶妙に均衡している。また、ケミカル臭のしないキレイメなサウンド・プロダクションも俄然その“Post-化”に貢献しており、同時にボーカルのポテンシャルもメイチの仕上げと言わんばかりのパフォーマンスで答えている。しかし、それ以上に“ソングライティング”の高さが全ての要素を飲み込んでる感じ。

もはやPallbearerと謎の逆転現象が起きてるというか、ここでふと思い出したけど、Pallbearerってドゥームメタル時代の初期ANATHEMAをリスペクトしているバンドでもあって、一方でElderは革新的な変化が起こった10年代のana_themaをリスペクトしているという点では、その世界線の違うana_THEMAの影響がそれぞれの作品にしっかりと反映されているのが面白い。そういった意味でも、Elderは完全に「プログレ知ってる人たち」なんですね。ひとえにプログレと言っても、そのオタ臭いイメージとは裏腹に音がめちゃくちゃエネルギッシュで、ここでも懐古主義的なクマラーとの違いを見せつけている。特にPost-化が最高潮に達する#5のアウトロとか、ここだけ聴いたら誰もElderとは思わないレベル。

正直、20年代は『悪夢』のメタル暗黒時代に突入すると予想してたら、2020年を迎えて半年も経たないうちに、この先10年分の名盤が駆け込み需要で押し寄せてきた感じ。PRRenvyのレジェンド達の復活作も最高傑作レベルに凄けりゃ、Oranssi PazuzuといいElderといい充実期を迎えたバンドが最高傑作を超えた歴史的名盤を連発してくるとか、マジで地球滅亡すんじゃねぇかと思うぐらいの駆け込み需要。結果的に、PRRをフラッシュバックさせたジャケからして名盤の予感しかしなかったけど、その予感は見事に的中した。何故なら、今作を聴き終えた後の第一声が「あ、これニュークリア・ブラストがアップし始めたわ」だったからw

Oranssi Pazuzu 『Mestarin kynsi』

Artist Oranssi Pazuzu
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Album 『Mestarin kynsi』

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Tracklist
1. Ilmestys
2. Tyhjyyden sakramentti
4. Oikeamielisten sali
5. Kuulen ääniä maan alta
6. Taivaan portti

オレンジパズズことフィンランド出身のOranssi Pazuzuって、まずこの手のアヴァンギャルドなブラックメタルって隣国ノルウェーの専売特許なイメージあるけど、しかしこのOranssi Pazuzuも2009年にデビューして以来、コンスタントにアルバムを発表するたびにエクストリーム・メタルの常識を覆してきた気鋭バンドの一つだ。そんなパズズは、念願のメタル最大手ニュークリア・ブラストに移籍して約4年ぶりに発表された5thアルバム『Mestarin kynsi』において、長きにわたるブラックメタル史においても前人未到の“シン・ブラックメタル”の極地に到達している。これはでのアルバムとは明らかに一線を画す“黒い公園”を耳にした瞬間、僕はある一つの仮説にたどり着いた。それが、それこそが「パズズ=JK説」だった。


冒頭の#1“Ilmestys”や#2“Tyhjyyden sakramentti”は、お化け屋敷のSEみたいに不気味な不協和音を執拗に繰り返しながら、日常が足元から崩れ落ちていく恐怖を演出する。問題は次の#3“Uusi teknokratia”に関する話で、“黒い公園”の番人である道化がアヒャヒャヒャヒャ オヒョヒョヒョヒョヒョという不敵な笑みを浮かべながら人々に不安と恐怖を煽るような不規則なメロディとDjent以降の洗練されたモダンなリズムをもって混沌の禍に引きずり込まれたかと思えば、急な転調から今度は女の人の声で「ナ~ナ~ナ~フフフ~」みたいな萌え声が聴こえてきて、その瞬間何ィ!?公園に迷い込んだ!?ここはどこだァ!?赤い公園・・・?いや、ここはまさか・・・夜中の4:44分になると赤い公園が“真っ黒”に染まる都市伝説で有名なあの黒い公園!?ってなった。個人の勝手なイメージで例えるなら、#StayHomeからの休校でお家の子供部屋に引きこもり過ぎて頭がパズって波動に目覚めたタダヒトリの“ロンリーガール”ことJKパズズが真夜中の黒い公園で暗黒舞踏ばりのコンテンポラリーなダンスを舞い踊り黒い結界を張り巡らせている、そんな自粛期間中のJKの闇が暴発したイメージ。

その瞬間にフラッシュバックしたのは、まさしく日本のガールズバンド赤い公園に対する黒い公園と言わんばかりの、それこそメジャーデビューして佐藤千明が脱退した今現在にはないインディーズ時代の赤い公園におけるランドリーで漂白を『透明なのか黒なのか』という通称黒盤”が醸し出す天性のアヴァンギャリズムに他ならなかった。遂にパズズはアヴァンギャルドの概念を超越した先にあるイマドキのJKならではのコンテンポラリーなkawaiiセンスを会得してしまった感あって、これはもうブラックメタルの皮をかぶったエクストリーム・ガールズロックだと思ったね。北欧の毛むくじゃらのオッサンメタラーがJKのコスプレしてメタル演奏してる姿を想像したら萌えたし、ここまで萌え萌えキュンキュンしたブラックメタルってAlcest以来かも。


少し話は変わるけど、2015年以降のアンダーグラウンドのシーンで、マイアミのラッパーデンゼル・カリーを中心とする“トラップ・メタル”なるジャンルが創成期を迎えていたのを読者はご存知だろうか?2020年の初めにデンゼル・カリーが発表した新作のDJミックスでフィーチャリングしているGhostemaneZillaKamiこそトラップ・メタルシーンの第一人者と呼ばれる人物である。当然、2018年の年末にデンゼル・カリーはメタルだ何だと冗談交じりに書いてた頃は、アングラシーンでそんな新興ジャンルが産声を上げていたなんて全く知らなかったし、むしろこの“トラップ・メタル”という名の“新世代ニューメタル”“基準”みたいなカリーの新作で初めて知ったぐらいの勢いなんだけど、逆に言えば2018年の時点で既にデンゼル・カリーはメタルという“伏線”を立てて、間接的に“トラップ・メタル”の存在を潜在的かつ無意識のうちに認知していたと考えたら、やっぱ音楽って“引力”で成り立ってるんだなって。というか、ZillaKamiカリーの名盤『タブー』にも参加してるし、Ghostemaneに至ってはカリーBMTHも出演した昨年のロラパルーザのメインステージでパフォーマンスしてる事を今さら気づく奴←ウケる。

何を隠そう、本作がこれまでの作品と一線を画す最大の要因となる5曲目の“Kuulen ääniä maan alta”では、それこそ“トラップ・メタル”じみたシン・ブラストビートやバグったグリッチ/ノイズなどのイマドキのトレンドを応用した、それこそ“ブラック・トラップ(EDM)”と称すべき全く新しい異形のジャンルを生み出してしまっている。しかし20年代に突入したばかりのこのタイミングで、2015年以降のアングラシーンにおけるトレンドの一つだったデンゼル・カリーをボスとするGhostemane(舎弟1号)ZillaKami(舎弟2号)らの“トラップ・メタル”と点と点がバッチバチに繋がって一本の線になる完全究極体伏線回収案件は流石にエグいて、エグ過ぎるて。

正直、この辺のデンゼル・カリーが取り仕切るトラップ・メタル界隈の話題はいつか書きたいと前々から思ってたけど、その初出しがJKパズズになるなんて想像もしてなかった。もちろん、これまでも広義の意味でEDMと呼べる前衛的な側面は決してないわけではなかったし、そのわずかなEDM成分をイマドキのJK的な解釈をもって20年代仕様にアップデイトした結果、その回答が今作の“Kuulen ääniä maan alta”における“ブラック・トラップ(EDM)”だと考えたら、今回の件は何ら意外性のない話かもしれない。なんだろう、ブラックメタルからオルタナティブに方向転換したバンドといえば同じ北欧ノルウェーのUlverが有名だけど、今作の中でJKパズズがやってる事って、まさに偉大なる先人のUlverが辿ってきた音楽遍歴の進化という名の突然変異と全く同じ音楽進化論なんですね。もはや人類における進化の歴史、その決定的瞬間を目の当たりにしちゃった気がする。

恐らく誰もが予想していたように、遂にニュークリア・ブラストに買われて音が格段にブラッシュアップされて“色気”を出してきたのは紛れもない事実だけど、結果的にこれが功を奏している。過去作で培ってきた、まるで醜形恐怖症患者の精神状態を反映したかのような不快感を催す邪悪な奇音をベースメイクとしながらも、70年代のスペース・サイケ/プログレ成分だったり、Djent以降のモダンなリズムだったり、晴れてレーベルメイトとなったポスト・ブラック界のレジェンドAlcestのポスト成分だったり、(業界最大手ニュークリア・ブラストだからといって極端にメインストリーム=売れ線になるのではなく)あくまでも日本のガールズバンドとも共鳴する“ポップなアヴァンギャルド”が構築する黒い公園の世界観(コンセプト)だったり、そして2010年代後半のアングラシーンで産声をあげたJKに大人気のトラップ・メタルというイマドキのトレンドだったり、とにかくあらゆる面で洗練化(オーバーグラウンド化)が進んだ結果、日本の某ガールズバンドみたいに女装化もといミニスカJKに化けた大傑作ですこれ。まさにブラック・メタルというジャンルをNEXTステージへとブチ上げた、それこそポスト・コロナ時代のブラックメタルのあり方、その特例であり、もはや今年だけじゃなく20年代を象徴する歴史的名盤です。

とにかく感心したのは、これまではアンダーグランド・メタルの重鎮的なイメージの強かったパズズニュークリア・ブラスト入りに伴う「オーバーグランド化計画」で、まず過去作比でも輪郭のハッキリした泣きのメロディの増加は言わずもがな、“メタル”の醍醐味の一つである転調を駆使した曲構成に対する色気、ブラックメタル以前にメタルバンドとしての“リズム感”に対するモダンな色気、Ulverの正統後継者を襲名するかのようなアングラシーンのトレンド先取りに対する色気、これらの様々な“色気”は、これ以上増え過ぎてもダメだし、これ以上少な過ぎてもダメだし、それぞれの色気というか塩梅のさじ加減が絶の妙。そして何よりも、あくまで過去作と比較した上で“ポップ化”を推進するその問いに対する答えが、まさかの“ジャパニーズ・ガールズバンドのインディーズ時代”という発想がまず前衛的過ぎる変態もとい天才(仮に変態だとしても、変態という名の紳士だよ)。これを時代の突然変異とも呼べる、新時代の幕開けを宣言する2020年にやってのけるしたたかな頭の良さも推せる。ちなみに、バンド名にあるフィンランド語の“Oranssi”って、英語だとOrangeを意味していて、まさかのここでもオレンジに繋がってくるのちょっとホラーだなって。

ある種の映画『未知との遭遇』みたいな体験だったから、未だに自分でも何書いてんのか分かんねぇ。でもちょっと泣けたのは、個人的なフィンランドの推しバンドだった、例の「深いところでオルタナティブ・ヘヴィを舐めている」アルバムのゴミみたいな音質をディスったせいで自然消滅=実質解散したGhost Brigadeへのレクイエムとしても解釈可能な点で、少なからず言えるのは、これでパズズがフィンランド最高のメタルバンドになったということ。もちろん、ここ最近のニュークリア・ブラストの囲い込みあるいは青田買いもとい商売では最高レベルの仕事です。やっぱニュークリア・ブラストってサイコーーーーーー!!あとやっぱJKってサイコーーーーーーー!!

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