Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2020年03月

Loathe 『I Let It In And It Took Everything』

Artist Loathe
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Album 『I Let It In And It Took Everything』
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Tracklist
01. Theme
02. Aggressive Evolution
03. Broken Vision Rhythm
05. 451 Days
06. New Faces In The Dark
07. Red Room
08. Screaming
09. Is It Really You?
10. Gored
11. Heavy Is The Head That Falls With The Weight Of A Thousand Thoughts
12. A Sad Cartoon
13. A Sad Cartoon (Reprise)
14. I Let It In And It Took Everything…

10年代が瞬く間に終わりを告げ、メタルシーンではメロデス界のレジェンド=チルボドがメタル史において過去類を見ない最悪の解散宣言を引き金に、90年代の“メタル暗黒時代”という『悪夢』が再びさし迫ろうとしていたその時、まるでこれからの20年代という激動の時代の幕開けを告げるかのように、20年代に突入すると同時に「新世代の波」がメタルシーンに押し寄せていたことを、あの日の僕たちはまだ知らない。

ここで10年代のヘヴィネス界隈を振り返ってみると、10年代を象徴するヘヴィネスとして最も影響を与えたのが“メシュガーの音”であり、その“メシュガーの音”はUSヘヴィロック界のレジェンドTOOLDeftones、そのメシュガーと並んで“10年代のメタル総合ランキング1位”でお馴染みのモンスターバンドGojiraにも多大なる影響を与えるほどで、そして何と言っても10年代のメタルシーンで一つのトレンドとしてあったDjentなるジャンルを生み出したのも記憶に新しい(なお)。例えば、Gojiraで言うところの2016年作の『Magma』TOOLで言うところの2019年作の『Fear Inoculum』は、いわゆる“メシュガーの音”の影響が著しく表面化した作品である。

そしてデブ豚ことDeftonesはというと、それこそ10年代のデブ豚の何が凄いって、それこそ“メシュガーの音”をオルタナティブの解釈をもって自身の音楽性に取り入れた所にあって、まさにその金字塔と呼べるのが、10年代のデブ豚Repriseに移籍して1発目となる2010年作の『Diamond Eyes』であり、そのアルバムから2年後にデブ豚にしては珍しく感覚を詰めてリリースした2012年作の『恋の予感』という、こっちはメシュガーというよりはDjent的な解釈をもってライトな感覚でスタイリッシュに聴かせる作品で、それら2010年代のデブ豚を象徴する2大名盤を10年代に入ってスグに発表した、その先見の明とその才能に改めて脱帽する(なお次のGoreさん)。

面白いのは、この手の“メシュガーの音”をオルタナとして解釈したモダン・ヘヴィネスが、今はポストメタルの一種として分類され始めているところで、その潮流を決定的なものとしたのが、10年代の最後にTOOLが13年ぶりに発表したアルバム『Fear Inoculum』なんじゃねえか説。とにかく、もはやデブ豚TOOLは従来のポストメタルが持つ規定概念を覆しちゃった変態なんですね。そして、そのデブ豚TOOLが10年代にシーンに示した革新的なモダン・ヘヴィネス、全く新しいポストメタルの形を受け継いで、そこから更に“20年代のヘヴィネス”としてアップデイトしたのが、このUKはリヴァプール出身のLoatheだった。

このLoatheを一言で例えるなら、白ポニー時代のDeftones“20年代のヘヴィネス”にアップデイトしたようなバンドで、2ndアルバムとなる今作『I Let It In And It Took Everything』のリード曲を飾る“Aggressive Evolution”を聴けばわかるように、マスコア界のレジェンドThe Dillinger Escape Planの影響下にあるカオティックなコアさ、UKのレジェンドSikthを思わせるヌーメタル系特有のウネり、“10年代のヘヴィネス”を20年代のヘヴィネスへと“アグレッシヴ”に進化させた重低音、そしてリードボーカルによる教科書通りのクリーンボイスから放たれるナルいエモ系入ったセンチな歌メロ、それらの要素が相対性理論を無視して光の速さでクロスオーバーした、それこそ20年代のメタルを牽引していくであろうアメリカのCode Orangeに対するイギリスからの回答、という少しチープな例え。


この“新世代”を予感させる“伏線”みたいなのって何かあったっけ?って考えた時に、まず真っ先にBMTHが昨年発表した『amo』を思い出した。実は2018年の終わりぐらいに、それこそちょうどDIR EN GREY『The Insulated World』を聴き込んでいた時期に、例のダニ・フィルスをおもちゃにしたリード曲“Wonderful Life”のMVを見た瞬間、久々にBMTHについて書くことになるだろうと確信を得たほどの革新的なヘヴィネスだと直感的に思った。この曲の何がヤバイって、まずメシュガー化したGojiraを象徴する“The Cell”のモダン・ヘヴィネスを引用することで、たった一曲のヘヴィネスでメシュガーゴジラメシュゴジという“10年代のメタルバンド総合ランキング”のワンツーへの理解とリスペクトを示している点。あの『amo』って、出自がデスコアのBMTH“Xperiaの広告塔”に成り上がらせた、一見ただのメインストリームのポップスと見せかけて、実は次世代=20年代のヘヴィネスまで先取りしちゃってて、やっぱこいつら洒落にならないほど天才だなって。そういったメタル界のトレンドをしっかりと理解した上で、オリィ今のメタルはクソだと言ってるんですね。炎上覚悟で文句を言いつつも、ちゃんと“メタルの未来”が見えてたんですね。

そしてもう一つ、先述したように2018年にBMTH“Wonderful Life”と出会う瞬間まで聴き込んでいたのが他ならぬDIR EN GREY『The Insulated World』だったという事にも大きな「繋がり」と意味があって、実はこのアルバムもデブ豚と同じようにメシュガー以降の10年代のヘヴィネスをオルタナティブな解釈で自身の作品に落とし込んだ案件で、まさにディルがこのアルバムの中で表現したヘヴィネスこそ“新世代”の伏線である、と同時に『The Insulated World』の凄さは翌年にアルバムをリリースしたBMTHTOOL、そして20年代の新世代を象徴するLoatheの存在が証明しているんですね。例えば、BMTH“Mantra”の少しインダストリアルなヘヴィネスはディルの“Sustain the untruth(シングル版)”と共振するし、そもそもディル自体がBMTHTOOLに影響されまくっているバンドなので今更感はあるけど、本来とっくの昔に書いているべき『The Insulated World』のレビューは全部知っているからこそ(BMTH +TOOL=DIR EN GREY)、これら全ての「繋がり」を知っているからこそ書けない。書けすぎて書けない、厳密に言えばメンドクセーから書かないw


確かに、クリーンボーカルの歌い方やエフェクトも歌メロもほぼほぼデブ豚チノのモノマネ芸人かってぐらいには露骨に白ポニー時代のデブ豚なんだけど、『恋の予感』を誘発するロマンティックなシンセが官能的でラブリィなムードを生成するバラードの#4“Two-Way Mirror”は、白ポニーというよりは『恋の予感』デブ豚っぽくて、UKポストハードコアレジェンドのFuneral For A Friendリスペクトな#8“Screaming”はいかにもUKらしいバンドって感じだし、レディへみたいなイントロから始まるエモエモのエモなバラードの#9“Is It Really You?”は、ドゥームゲイズじゃないけどNothingや同じデブ豚フォロワーのJuniusっぽいし、#10“Gored”はデスコア系ジェントというか全盛期のBorn Of Osirisっぽいし、そういった意味では00年代のデブ豚と10年代のデブ豚を繋ぎ合わせるかのようなバンドでもある。

デブ豚も90年代のシューゲイザーをバックグラウンドの一つとしているけど、このLoatheはシューゲイザーはシューゲイザーでも初期のWhirrNothingをはじめ、それこそ“10年代のヘヴィネス”とともに10年代を象徴するジャンルとして黎明期を迎えたポスト・ブラックメタル、そのシーンのアイコニックな存在となったDeafheaven界隈にも通じる側面を持っている。例えば、ドリーム・ポップ〜アンビエント〜シューゲイザーのラインを行き来するCigarettes After Sex的なアンニュイでフェニミンな浮遊感を内包した、まるで夜のネオン街を艶かしく照らし出すノスタルジックなシンセ、あるいはUlverRadioheadを連想させるアンビエントなアトモスフィア、それらの曲間に挟み込まれる白昼夢を彷徨うかの如しモノクロームの音響センスは、Deathwish時代のデッヘを嫌でもフラッシュバックさせる。ここまでデッヘFFAFUKマスコア新世代モダン・ヘヴィネスでって、もはやRolo Tomassiへの回答であるかのような#11“Heavy Is The Head That Falls With The Weight Of A Thousand Thoughts”は、デッヘは元より新世代フォロワーのMølっぽいというよりもHoly Roar感。ここでも近年のUKバンドを象徴するRolo Tomassiをしっかりとフォローしている点も、ただのデブ豚フォロワーと切り捨てるには時期早々だと思わせる。なんだろう、一見ただのデブ豚フォロワーに過ぎないかと思いきや、実は10年代のメタル界のトレンド全部載せみたいな、ありとあらゆる“イマドキ”のトレンドをクロスオーバーさせた20年代のオルタナティブ・ヘヴィ。ちょっと前まではデッヘが新世代メタルとしてメディアに担ぎ上げられてたのに、20年代に入って早くも次の新世代が現れた感。次世代の波が押し寄せてきた感。

これは後になって気づいたことなんだけど、バッリバリのイマドキ系かと思いきや、10年代のメタルシーンで最も成り上がったエンジニアであり“テイラー・スウィフトのマブダチ”ことイェンス・ボグレンを今作のマスタリングとしてフォローしているコアなメタラー気質も推せる。この手のエモ寄りのバンドとイェンスの組み合わせって結構珍しいし、本当の本当に聴くまで全く知らなかったから、そういった引力的な意味でも俄然推せる。しかし、それを差し置いて1番に面白かった事実は、Loatheが所属しているレーベルが日本一のメタルバンドであるCrystal Lakeと同じSharpToneってのが最も信用できる要素だけど、恐らく2秒でSumerianないしは、それこそ(Reprise)的な意味でもデブ豚と同じRepriseあたりに引き抜かれそう・・・と思ったら、既にメタル最王手のニュークリアブラストの魔の手が・・・w

確かに、この手のポストハードコア系ラウドロックが好きな人には刺さると思うけど、そうじゃない人にはただのデブ豚フォロワーの域を出ないかもしれない。しかし明らかにDjentやメシュガーをはじめとする10年代のヘヴィネス、その従来のモダン・ヘヴィネスのどれとも違う、強いて言うなら“新世代のヘヴィネス”としか例えようがないのも事実。まさに重の重の底まで出力する次世代のヘヴィネスに『恋の予感』が芽生えること請け合いです。これ同じ新世代枠のCode OrangeCrystal Lakeのスリーマンないっすかね?え、コロナでそれどころじゃないって?ホーリーシー・・・。

Intronaut 『Fluid Existential Inversions』

Artist Intronaut
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Album 『Fluid Existential Inversions』
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Tracklist
01. Procurement Of The Victuals
03. The Cull
04. Contrapasso
06. Tripolar
07. Check Your Misfortune
08. Pangloss
09. Sour Everythings

Isisがポストメタル界の絶対王者の座を返上してからというもの、その絶対王者の正統後継者の座を争っているのが、スウェーデンのCult of LunaとドイツのThe Oceanの二強だが、その揺るぎない二強体制に待ったをかけたのがこのIntronautだった。

USはLA出身の三人トリオ、Intronautの約5年ぶりとなる6thアルバム『Fluid Existential Inversions』。相変わらず、イントロ節というか、レジェンドCynicMastodonBaronessをはじめとするUSテクデス/プログレ・スラッジ勢のクソ真面目なフォロワーでありながらも、時にオルタナにも精通するセンスフルな独特の浮遊感を内包した宇宙規模のスーパーアトモスフィアは今作でも不変で、ただただ心地よい安心感を生み落とす。イマドキ、ここまで堅実なバンドってなかなか珍しいし、メタル界においてもっと評価されるべきバンドの一つだと素直に思う。10年代が終わって20年代に突入してもなお自分たちのスタイルを貫く姿勢は“いぶし銀”持ちのバッターみたいでシブかっこいい。

初期の頃から連れそったレーベルのCentury Mediaから離れ心機一転、本作からポストメタル界の二大巨頭であるCult of LunaThe Oceanも所属する気鋭集団Metal Bladeに移籍した影響は、今作の幕開けを飾る(イントロの#1を含む)冒頭の3曲から顕著で、というのも近年(と言っても5年以上前だけど)の傾向として、Djentの生みの親であるメシュガーTOOLをはじめとする“10年代のメタル”を象徴する現代的なモダン・ヘヴィネスに迎合を図る流れは引き続き顕著で、同時にAnimals as Leadersに代表されるDjentは元より、古くはScale The Summitに代表される、CHONポリフィアなどの近年成長著しい新世代テクニカル・メタル系のインスト界隈が作り上げたテクメタルシーンのトレンドを巧みに吸収する、ある種の“したたかさ”を発揮している。ちなみに、今作の#3と#9に対バン経験もある盟友Cloudkickerベン・シャープがゲスト参加している。

初期の3作までは、まるでイナゴの大群が押し寄せるような、「怒り」を内包したスラッジーなヘヴィネスと癒しを施すようなメロディを擁し、いわゆる急転直下型の緩急を効かせて緻密に構築していくスタイルだったけど、初期のマストドン的なスラッジmeetシニック路線というよりは、今作はもっとオーガニックでソリッド、俄然The Oceanリスペクトなポスト・メタリックな側面を強調した作風で、いわゆる“静と動”のコントラスト重視というよりは、近年のオーシャン直系の瞬発力に優れたゴッリゴリなヘヴィネスとザックザクに刻む強靭なリフでゴリ押していく、よりダイナミックに、よりアグレッシヴに動き回るメタリックなヘヴィネス重視の作風となっている。それこそポストメタル・キングことIsisなき今、現代ポストメタル界を牽引する二大モンスターバンド擁するレーベルの色というのが顕著に音として現れている。

メタルシーンにおける彼らの評価の高さは、前作のミキシングにかのデヴィン・タウンゼント総裁を迎えている事からも周知の事実で、そして今作のミキシングにはConvergeカート・バロウという“ガワ”の面でも“信頼と安心”の証を揃えている。このオールドスクールなメタル界のレジェンドとハードコア界のレジェンドから支持される所も、このバンドが持つ水彩画のように美しく芸術的なメロディとコア的なヘヴィネスを駆使したフレキシブルな音楽的解釈を意味している。そのカート・バロウによる俄然ブルータルでソリッドなプロダクションも相まって、過去イチでアグレッシヴかつヘヴィ、そして過去イチで殺傷力の高い音作りでゴリゴリに聴かせる。


スペーシーな宇宙空間を生成する、ピンク・フロイド的なシンセを効果的に活用したATMS系ポストメタルの#3“The Cull”や#4“Contrapasso”は、ボーカルワークから何まで、ほぼほぼオーシャンリスペクト。2020年を迎えた矢先、USテクデス界のレジェンドCynicのドラマーことショーン・レイナートが亡くなったという悲報は、世界中のメタラーに悲しみと衝撃を与えた。そのレジェンドがメタルシーンに残した意志を受け継ぐかのような、そしてショーンへのレクイエムとなる#5“Speaking Of Orbs”、イントロからコンヴァージ譲りの殺傷力を発揮する#6“Tripolar”、#7“Check Your Misfortune”の間奏部のLo-fiチックな内省的なメロディセンスも相変わらず非凡。もはや“10年代のテクニカルメタル総括”と呼びたいぐらいには、咀嚼力の高さ、引用センスの高さはメタル界随一のものがある。このアルバムを境に、カルト&オーシャンと一緒に“ポストメタル三銃士”と呼ばれ始めるに違いないw

確かに、言ってしまえば毎回同じことかもしれないし、特別な意外性はないかもしれないけど、しかしメタラーが求めているものをしっかりと理解したうえで、毎回質の高い楽曲を提供してくれるIntronautは、逆に今の時代では貴重なバンドなのかもしれない。安定の良作。

tricot 『真っ黒』

Artist tricot
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Album 『真っ黒』
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Tracklist
01. 混ぜるな危険
04. みてて
05. 秘蜜
06. 低速道路
07. 順風満帆
08. なか
09. ワンシーズン
10. 危なくなく無い街へ
11. 真っ白

メジャー行って終わったバンドって星の数ほどいるけれど、まさかあのtricotがメジャー行って終わるなんて思ってもみなかった。

つい最近、自分の中にある「メジャー行って終わったバンド」を挙げるとするなら、それは2019年に解散したSiggy Jr.以外に考えつかなかった。もう何年前だろう、2015年前後に初めてインディーズ時代のSiggy Jr.を知って、その突き抜けたポップセンスがたちまち巷で評判を呼ぶと、彼らは瞬く間に大手レーベルからメジャーデビューを果たした。しかし、メジャー1発目のシングルを聴いた時、僕は「これはダメだ、インディーズ時代にあったシギーの良さがまるで消え去っている」と、自分が過去のレビューに書いた事とは真逆の事をやっていると思った。しかもインディーズ時代のウリだった池田智子の“オタサーの姫”感を排除しようとする動き、例えるなら上京して間もない田舎のカッペ女が無理して都会の女に染まろうとするビジュアル面での変化も今思えば致命的だった。このように、メジャーデビューしてからユニークな楽曲センスや個性的なビジュアル面でも脱オタサーの姫を図り、インディーズ時代に培った個性を捨てて平凡なJ-POPを目指している事を知ってからは、僕は二度とシギーに興味を示すことはなかった(広瀬すず池田智子のCM共演を除いて)(今思えばこれもメジャー効果か)。もちろん、このアーティストの個性をなくすような“イメチェン”はレーベルからの指示なのか、それとも自らの意思で行った事なのかは知る由もなかった。

そして、また今から数年前に大手は大手でも(自分がアーティストの墓場だと認識してる)レーベルに移籍という名の“都落ち”したという話を耳にしてから間もなくして「解散」が発表された時は「やっぱりか...」と全てを悟った。もちろん、自分にはあの“メジャーデビュー曲”を聴いた瞬間にこの最悪の結末が見えてしまったので、いざ「解散」の文字を見てもさして驚きはなかった。この書き方だと、まるで売れなくて解散したみたいな感じになってるけど、それは恐らく誤解で、きっとSiggy Jr.のメンバーはメジャーシーンでやれる事を全てやりきった結果、バンドが持ちうる才能を全て出し切った結果、その結論として導き出した答えが解散の道だったというだけで、決してネガティブな解散ではないのは想像しなくても分かる。しかし、このシギーが歩んだインディーズ時代からメジャーデビュー、そして解散までの流れは、自分の中にある「メジャー行って終わったバンド」リストに追加しないわけにはいかないほど、自分の中に広さ1mm、深さ30cm程のトラウマを残した。他で「(結果的に)メジャー行って終わったバンド」を挙げるとすれば、それは2019年に活動休止を発表したきのこ帝国で、まぁきのこ帝国の晩年は佐藤千亜妃「うちソロやりたいねん」オーラに飲み込まれた感じだけどw

そんな前振りがあっての、本題となる“インディーズ界の女番長”の異名を持つtricotのメジャーデビューに関する話。確かに、確かにtricotがメジャーデビューすること自体は意外でも何でもない、ほとんどの人にとって“想定内”かも知れない。事実、僕は過去のレビューにこういうバンドがメジャー行ったら面白いと書いた憶えがある。実際、昨年にtricotがメジャーデビューすると聞いた時は「おぉ、遂に来たか!」と、むしろ肯定的な反応を示した。そしてメジャーデビューするにあたって一番肝心のレーベル先について、それが業界最大手のエイベックスだと知った時も「エイベックソ...うん、まぁ、いいんじゃない?」と。しかし、厳密にというか細部に言うとエイベックス内のカッティングエッジ(cutting edge)に所属すると聞いた時は自分の耳を疑った。次の瞬間、自分の中で『悪夢』が蘇り、まるで稲川淳二が怪談を語る時のような形相でダメだダメだダメだ、こいつらダメだ、こいつら危ない、こいつら“平成最悪のヴィジュアル系バンド”の後継者だ、こいつら2秒で解散だと恐怖に慄いた。

平成最悪のヴィジュアル系バンド・・・その正体こそ、十数年間の活動休止を経て令和元年に解散は解散でも“やらかし解散”を発表したJanne Da Arcに他ならない。確かに、tricotジャンヌダルクなんて世代も活動時期もジャンルも違うし共通点なんてあるはずもない。しかし、tricotがメジャーデビューしたことで一生相容れる事のない2組のバンドにある一つの「繋がり」が生まれた。それというのも、実は“平成最悪のヴィジュアル系バンド”ことジャンヌダルクも、1999年にエイベックソ内のカッティングエッジ(のちにサブレーベルのmotolodに所属)から“ヴィジュアル系バンドの最終兵器”として鳴り物入りでメジャーデビューしたバンドで、しかし2007年に活動休止という名の長きにわたる実質的な解散状態を経て、令和元年4月1日に公式に解散を発表したことが記憶に新しい。かつては“ヴィジュアル系バンドの最終兵器”と謳われたバンドの最期が“平成最悪のヴィジュアル系バンド”という汚名を背負う最悪の結末を迎えたかと思いきや、よくよく考えてみたらV系界ではよくあるオチでしかなかった。

時を同じくして令和元年、その“平成最悪のヴィジュアル系バンド”の解散と入れ替わるようにして、同じ関西出身のtricotが同じエイベックソ内のカッティングエッジからメジャーデビューするなんて、周り(野球部)のチームメイトがやれバンプだ、やれレンジだ、やれザイルだ、やれ湘南乃風だ、やれケツメイシ“桜”だ、やれ全盛期の鈴木えみだ、やれなんだと盛り上がるなか隠れてジャンヌ“桜”を聴いて青春時代を過ごした自分からしたら、今回の件は『悪夢』としか言いようがなかった(神はなぜ僕を追い詰めるのだろう)。この理屈から極論を言うと、どうせtricotジャンヌと同じようにやらかして解散する運命にある。とは言っても、女メンバーが中心のtricotの誰がやらかすって?そもそも過去に在籍していた男ドラマーが既にやらかしてんじゃん(←ってコラw)。それに懲りて唯一の男メンバーであり新ドラマーの(“新”ってもう付けなくてもいい)吉田くんは間違いなく聖人男性だから、身辺調査してもホコリひとつ落ちてこないと思うし。それじゃあ一体誰がやらかすって?そりゃ反社とのズブズブの繋がりを指摘された吉本興業所属の稲垣メンバーおよび毒キノコも在籍する実質反社マッキーバンド、その名もジェニーハイのフロントウーマンを務めるイッキュウ中嶋がやらかすに決まってる(ジェニーハイの“ハイ”はドラッグで“ハイ”になってるから説)。というか、吉本興業の芸人とバンド組んでる時点でもう既に実質やらかしてるのと同じでしょ(よって解散)。何がシャレにならない、もう笑えないって、実は“平成最悪のヴィジュアル系バンド”が活動休止という名の事実上の解散状態だった頃に、フロントマンであるyasuこと林保徳のソロプロジェクト=Acid Black Cherryがリリースしたアルバムを筆頭にほぼ全ての作品のクレジットには、これまた反社への闇営業が発覚して活動自粛に追いやられた吉本芸人の“ロンドンブーツ1号&2号”の名前が(しかも作品の内容と全く関わりがなくても)クレジットされていること(はい解散)(既に解散)(解散解散雨解散)。

ただでさえ、実質ジャンヌダルクを解散に追いやったエイベックソ内のcutting edgeというトラウマ級の「繋がり」があるのに、これまた皮肉にもベーシストのが反社絡みでやらかしたジャンヌダルクと同じように、またフロント(ウー)マンのサイドプロジェクトでも反社とズブズブの吉本案件でもtricot、厳密に言えばイッキュウ中嶋は根深く繋がっているんだよね(2秒で解散)。つまり、今のtricotを取り巻く全ての環境が“平成最悪のヴィジュアル系バンド”の正統後継者と断言していいんですね。このまま(皮肉にも同じ京都出身の)おとぼけビ〜バ〜『いてこまヒッツ』されて、海外における評価もメルトバナナの正統後継者としての立場を奪われて“令和最悪のオトボ系バンド”として2秒で解散する未来しか見えねぇわ・・・。しかし、まさか本当にイッキュウ中嶋が変な反社男にそそのかされてバンド生命が終わるなんて・・・こうなったのも全てこういうバンドがメジャー行ったら面白いと進言した僕のせいです。今ここで全世界のトリコットファンに謝罪します。ちなみに、僕は反社ではなく親しみやすい街づくりを、より良い社会ををモットーに今を生きる“親社”です!!!!!!!よろしくお願いします!!!!!!!

そんな青春のトラウマをエグるような『悪夢』にうなされながら、もはやインディーズ最後のアルバムとなった『3』から約3年ぶり、いわゆる“メジャーデビューアルバム”と称される4thアルバム『真っ黒』を聴く前の時点で、本作におけるtricotを取り巻く環境=ガワの部分が地獄としか言いようがないので、どうせやらかして解散するのでわざわざ聴くまでもなく普通に駄作です。まぁ、これでトリコットも見納めならぬ聴き納めとばかり、一回だけ、せめて最初の一曲だけ聴いてイテコマしようと思い、今作の幕開けを飾る#1“混ぜるな危険”を再生した瞬間、それこそAudiotreeの生々しいスタジオライブ感を引き連れてくるセンターラインのヒロミヒロヒロのベース、間髪入れずに右側から入ってくるリフ、そして45秒からの右からイッキュウ中嶋、左からKDMTFが引き倒す超絶epicなリフバトルを耳にして開口一番に出てきた言葉が、数週間ぶり、厳密にいえばレジェンドenvyの新譜ぶりの「ホーリーシー」だった。なんだろう、この気分をドラッグのように“ハイ”にさせるエピック感って。なんだろう、身近な音で例えるならSWことスティーヴン・ウィルソンがエクストリームメタル化した“Ancestral”の「デレッ デレッデレッデレッ」的な、それと同じようにこの曲のリフを口ギターで例えると「デデッ デッ デッ デッ デデッ デッ デッ デッ」みたいな。要するに、いわゆるプログレ側のバンドがメタル化する典型的なリフ回しからして勝ち確。

元々、自分の中でトリコットSWって共振する部分があって、もしかすると今回のメジャーデビューもSWが大手のユニバーサルミュージックからメジャーデビューしたことを意識してのことかもしれない(ネーよ)。ともあれ、これまでずっとインディーズというか自主レーベルでやってきた“インディーズ界の最終兵器”がなぜ今になってメジャーデビューなのか?そもそもインディーズバンドのメジャーデビューが音楽ファンに嫌われる理由って様々だと思うけど、その最たる理由の一つが「音楽性が変わる」ことに対する懸念と言える。それこそ少しマニアックというか、それこそコアでアンダーグラウンドな音楽性が高く評価されているトリコットなんてのは、このテーマには持ってこいな「まさに」って感じのバンドだ。

俺流の「メジャーマイナー」理論で例えるなら、これまではインディーズ=「マイナーマイナー」の立ち位置で自分たちの音楽と向き合ってきたトリコット。しかし、厳密にいえば前作『3』の最後に収録された“メロンソーダ”に至るまでが「マイナーマイナー」で、そして“メロンソーダ”で明確に「マイナーメジャー」に変わった事を示唆し、この度のメジャー行き路線の切符という名の伏線をおっ立てていたのも事実。さらに厳密にいえば、初期衝動的を内包した1stアルバム『T H E』、耳を慣れさせるようにJ-POP的な側面を垣間見せた2ndアルバム『A N D』、次作の『3』で再びマスロック路線に回帰したかと思いきや、最後の最後に“メロンソーダ”という名の伏線を回収してからメジャーデビュー。そういった意味では、“メロンソーダ”がメジャー行きへの伏線、その最後のトリガーを引いたと言っても過言じゃなくて、その真意はともかくとして少なくとも自分の中では“メロンソーダ”から地続きで繋がってるのが、このアルバム『真っ黒』なんですね。


インディーズバンドがメジャー行って終わる大きな要因の一つとして挙げられるのは、単純に「ポップ化」すること、いわゆる“売れ線”と呼ばれる曲を乱発し始める懸念だ。しかし、このトリコットの場合はポップ化するよりむしろ逆に初っ端からエピック・メタルばりのリフを叩き込んだかと思えば、イントロから“らしさ”が光るリード曲の#3“あふれる”宇宙コンビニのオマージュみたいな転調パートでは、日本を代表するデスメタル女子こと広瀬すずリスペクトな90年代デスメタルの雄DEATHばりのベースラインを披露する。この時点で「こんなリフ今まで聴いたことがない!」の連続で、もはやトリコット“メジャーデビュー”したのではなく“デスメタルデビュー”したんだと確信した(そもそも、こいつら日本のメタリカみたいなもんだしw)。

その広瀬すずばりに“デスメタル化したトリコット”から一転して、#4“みてて”ではピンポイントで(今や“東京コロリンピックの広告塔”であり晴れて“日本一ダサい女”となった)椎名林檎の2ndアルバム『勝訴ストリップ』をリスペクトしつつ、今度は自身の2ndアルバムの“走れ”をルーツとする#5“秘蜜”では、三十路の“オトナ女子”が醸し出すアンニュイでフェミニンな香りがタバコの“副流煙”のように徐々に体内へと侵食し、猥雑な欲にまみれた底なし沼にどこまでも堕ちていくような、中盤以降の緩やかにトリップしていく感覚はそこはかとないSW臭というよりも、初期のアイツら思い出した。そのアウトロ的な位置づけの曲で、2ndアルバムの“神戸ナンバー”への回答を示す#6“低速道路”

歌詞に関してもメジャー行って終わる、もとい変わる。ここでまた“平成最悪のヴィジュアル系バンド”ことジャンヌダルクを例に出すと、インディーズ時代はV系バンド然とした病んだメンヘラ女の日常みたいな歌詞が多かったのに対して、メジャーデビューして期間が長くなるにつれてメンヘラ女の日常から普通のOL女の日常みたいな歌詞ばかりになって、最終的にアニソンバンドに成り下がって、そのまま最悪の結末=やらかして解散したのがジャンヌだ。実のところ音楽的にポップ化して終わる云々よりも、この歌詞に関する変化こそが「メジャーデビューするということ」なのかもしれない。

インディーズ時代の隠れた名曲“slow line”をメジャー化させたような#7“順風満帆”は、何故かジャンヌダルクの最後のオリジナルアルバムとなった『Joker』“D DROP”の底抜けにポジティブな日常系の歌詞を思い出した(やっぱり解散)。メジャー行って終わるどころか、むしろメジャー然とした“ポップでキャッチー”で“売れ線”のこの“順風満帆”が一番良いまである。どうでもいいけど、歌詞にあるアジアで今流行ってるヤバイ病は〜の部分は、まるで某コロナの発生を予言していたかのような歌詞で、それと同時にコロナリスクのせいで自分の誕生日に開催されたトリコリコのワンマン『真っ白』ツアーに行くのやめた事を思い出して(今回のライブはガチで行きたかった・・・)、色々な意味でシャレにならない、もう笑えない歌詞だなって。

素っ頓狂なユル〜い気怠さをまとったラップ調と歌詞が印象的な#8“なか”は、コミカルなアレンジが宇宙コンビニ〜森は生きているラインを連想させる。実は、このアルバムを聴いた当初から今作の裏には何かがあると、何かが潜んでいると。なんだろうこの正体・・・って。その正体は#9“ワンシーズン”の中にあって、そのコーラスワークや一瞬だけ垣間見せる空間描写をはじめダウナーな雰囲気からして「ハッ!?初期のウォーペイントやんこれ。裏にウォーペイントおるやん」と。これまでは全然(というほどでもないけど)そんなイメージなかったのに、今作はめちゃくちゃウォーペイント味を感じる。なんだろう、1曲目の“混ぜるな危険”のセッション的なライブ感の正体って、それこそウォーペイント『S/T』“Intro”を聴いた時に感じた「ほんの2分に満たない尺の中に圧倒的な“凄み”が凝縮されてる感じ」のそれに近くて、その伏線回収というか全てが繋がったような気がした。もちろん、鳴らしてる音の出所はまるで違うのだけど、その空間と空間にある隙間が醸し出す空気感が瓜二つなんですね。しかしながら、AURORAの新譜の“In Bottles”といい、今年に入って立て続けにウォーペイントを連想させる案件は一体なんの伏線なんだ・・・?

ここまで書いて思ったのは、トリコットがメジャー行って一番変わった事って、実はイッキュウ中嶋の歌なんじゃねえかって。過去作と比較して今作の何が1番のパンチラインかって、まず真っ先にイッキュウ中嶋の歌が普通に上手くなってて困惑すること。失礼ながら、インディーズ時代のトリコットには歌唱力というか歌い手としての表現力はそこまで求められないし、求めていない音楽性だったと思うのだけど、しかしメジャーデビューするにあたってJ-POPないしメインストリームないしオーバーグラウンドでやっていくからには、例えば地上波のTVに出しても恥ずかしくないボーカリストとしての表現力が必要だと思ったのかは知る由もないけど、それこそジェニーハイにおけるイッキュウ中嶋の活動って、ギターという重荷を捨てて“歌”に集中できる環境に身を置いて、自身のボーカル力の向上のみならず、本家のトリコットには不可能なMステをはじめする地上波のTV出演で得られる知名度の貢献、それらのジェニーハイにおける活動は全てトリコットの音楽に(不足しているものを)還元するために必要不可欠な動きだったと考えたら、こんなスケールのデカい女巨人見たことねぇ、どんだけ“いい女”なんだってなるけど、それは流石に言い過ぎかw もちろん、イッキュウ中嶋の知名度なんてヘタしたら佐村河内もとい新垣隆以下だろうし、実際にイッキュウをTVで見たら「紅一点のはずなのに華がなさすぎるだろ・・・」ってなったけどw でも素直に歌うまなったのは評価すべき点ではある(トリコットなのに歌がいいとはこれいかに)。

タイトルの『真っ黒』から推測するに表題の“真っ黒”と対となる“真っ白”にピークを持ってくるかと思いきや、実は今作のハイライトはその前にある#10“危なく無い街へ”にあって、イントロからリヴァーブを効かせたシューゲイザー要素やイッキュウ中嶋の歌手として著しく成長した表現力を垣間見せつつ、そしてクライマックスを飾るきのこ帝国のギタリスト=あーちゃんの陰陽座魂が憑依してんじゃねえかぐらいのKDMTFによるバンド史上初?となる泣きのギターソロに涙腺崩壊。この一貫してドリーミーなアレンジを効かせた意味深な曲、ある意味でメジャー行って終わったきのこ帝国へ贈るレクイエムなんじゃねえかと思ったら更に涙腺崩壊。

音作りという点でもメジャー化の影響は少なからずあって、それこそナンバーガールの影響下にあるアンダーグラウンドなジャギい“コアさ”は皆無に近くて、例えるならギターの毒素を内包していた音の先端のトゲやエッジをヤスリで丸く整えて音がソフトに柔らかくなって洗練された印象(カッティングエッジなのに“エッジ”がないとはこれいかにw)。それこそ変拍子に頼ったコアベースのマスロックというより、それこそトリコットと一緒に北米ツアーを回ったCHONがJ-POP化したみたいな、とにかくギターの音作りや暖かな音色、そして西海岸の匂いまで、今作のほぼ全てのインストにCHONが参加してんじゃねぇかと錯覚するぐらいにはCHON。そのCHONがフジロックをはじめ日本のフェスに何食わぬ顔で出演してたのは流石に笑ったけど。そのCHONも影響を受けている日本のマスロックレジェンドtoeリスペクトなミニマルなインストの#11“真っ白”。ちなみに、海外ではtoeトリコットはレーベルメイトで、実は初期のDefeaterもメイトでありAudiotree仲間でもある。

トリコリコのアルバムの最後の曲ってアルバムのハイライトやアイコニックな何かを象徴するのではなく、あくまでもトリコットの源流にあるものというか、バンドの標準値あるいは標語的な音というか、最終的に「普通」で居られる唯一の場所“帰るべき場所”に帰ってくるイメージあって、今作のラストを飾る“真っ黒”もいい意味で過去曲のセルフカバーなんじゃねぇかと錯覚するぐらいには既視感しかない曲で、「すげぇ、何も変わってねぇ」って安心する。なんだろう、そういった意味では「マイナーメジャー」“メロンソーダ”へのカウンターとしての「メジャーメイナー」なインディーズという名の故郷に帰ってきたノスタルジックな感覚。

この“真っ白”“真っ黒”というワードから思い出されるのは、他ならぬトリコットの盟友某RED PARKがインディーズ時代に発表した『透明なのか黒なのか』『ランドリーで漂白を』という通称“白黒盤”だ。トリコットは前作の『3』のパッケージが“透明”で本作が“黒”、そして今作に伴うツアータイトルが『真っ白ツアー』ということで、この辺は佐藤千亜妃じゃない方の佐藤千明が脱退して実質解散した盟友のインディーズ時代を意識してのことなのかは知らんけど、少なからず今作を構成するシューゲイザー〜ドリーム・ポップ〜オルタナ的な側面および細かいギミック面は、某RED PARKときのこ帝国がインディーズでやってきたことのオマージュであり、それを盟友のトリコットがメジャーの舞台でやってのけていると解釈したら、つまりこれってトリコットなりの『猛烈リトミック』なんじゃねぇかと考えたら、ちょっとは泣けるんじゃねぇの。知らんけど。

なんだろう、インディーズ側からの引力とメジャー側からの引力とくが互いに均等な力で引き合っている感覚、つまりインディーズとメジャーの垣根を超え、海外も国内もボーダーレスに自由気ままに行き来する自由人となったトリコリコは、メジャーとマイナーのド真ん中の線上=“超えちゃいけないライン”の上で大道芸人ばりにパフォーマンスを披露する天才と言える。厳密に言えば、“平成最悪のヴィジュアル系バンド”の正統後継者兼天才だ。それこそ、自らの道を見失って解散したSiggy Jr.とは真逆の発想、言うなれば「インディーズ=自由」「メジャー=不自由」みたいな一方的な偏った印象で語られる、メジャーでは様々な制約だったり何かを強制されるイメージとは真逆の発想であり、むしろこのトリコットにとってはメジャーこそ「自由」のある場所だったんだ。むしろこれまでは“インディーズ”という言葉に縛られていたかのように。トリコットがメジャーデビューして手にしたのは、インディーズとメジャーの壁を超えた「自由な音楽」、音楽が本来あるべき「自由」な姿を取り戻したんだ。「音楽イズ自由」だってことをこの歳になって改めて思い知らされた。だから、このアルバムを聴くたびに「自分らまだこんなリフ書けるんや」とか、「こんなに歌えるんだなw」とか、メジャー行って晴れて「自由」の身となりあらゆるギミックが解禁されたお陰で、インディーズ時代では聴けなかったような音や歌の引き出しの多さ、豊富なバリエーションに常にワクワクドキドキしっぱなしで、とにかく単純なことで驚きが多かった。それこそ“メジャーデビュー作”とかいう日本の音楽業界特有の謎の表現、そのクソみたいな概念をぶっ壊すような、メジャーやインディーズという概念を再定義するかのような金字塔と呼べる、もはや“逆メジャー”という全く新しい概念を生み出している。とにかくメジャー行ってようやく本気出し始めたんじゃねぇかって、その勢いでどさくさに紛れてウォーペイントのベースみたいにイッキュウがチクビ解禁すんじゃねぇかと焦った。そしてこういうバンドがメジャー行ったら面白いと進言した僕の目に狂いはなかったんだって。むしろ逆にメジャー行って始まったバンドとしてブレイク待ったなしです。もう今にもイッキュウ林保徳みたいにライブMCで「“エイベックソ”って言わんとってなw」みたいなこと言い出しそうだし、そんでABCみたいにエイベックス主催のa-nationに出ても全然驚かねぇわw

こう見えてやってることはめちゃくちゃシンプルで、一つはこれまでのインディーズ時代に培ったもの、2つは(たかだか数本ライブしただけで“海外ツアー”を名乗るチンカスバンドとは違う)本場北米のバンドと本物の“ツアー”を成し遂げて得た経験、そのCHONウォーペイントをはじめとする海外勢からの影響、3つはメジャー行ったことでより表面化したメンバーが10代の多感な時期に影響された椎名林檎リスペクト、そして4つはジェニーハイでフロントウーマンとして得たボーカル力、つまりポップ化するところはとことんポップに、デスメタル化するところではとことんデスメタルに、それらを分かりやすく表面化させた結果がこの『真っ黒』なんですね。誤解して欲しくないのは、決して“わかりやすい”=“つまらない”ではなくて、確かに音が丸くなったっていう批判も至極真っ当な意見だと思うけど、しかしそれ以上に過去イチのメタルリフ、過去イチの歌、J-POPならではのセンチな気分にさせる過去イチの切ないメロディ、全ての音が“過去イチ”に更新されているヤバさのが上回る。変拍子うんぬん以前に、ロックというジャンルにおける最も普遍的な要素、それらの基準値が過去作と比べてダンチにカッコいい。もはや“完全究極体トリコリコ”に化けた感ある。

今のtricotと今のenvyって少し境遇が似てて、マネー的にも、音楽的にも、そして女としても“色気づいてきた”と言っていいかもしれない。マネー的には元メンバー前澤友作のZOZOマネーを後ろ盾とするenvyと(←コラ)、一方で知らない人はいない最大手レーベルのエイベックソ所属のtricot、音楽的には“コア化”ではなく“メタル化”が著しく進んだという点でenvy『The Fallen Crimson』tricot『真っ黒』は同じと言える。「メジャーマイナー」論で例えるなら、(tricot自体は邦ロックのメインストリームとは意図的に逸らした立ち位置だけど)邦ロックバンドの9mmのギタリスト滝くんを迎えたことでオーバーグラウンドに接近して「マイナーメジャー」化した今のenvy「メジャーマイナー」化したtricotは共振する部分は少なくない。今作のどの曲にもインディーズ時代の面影があって、変な例え方だけど、南極にある“メジャー”な釣り堀から釣り糸を垂らしてインディーズ時代の音という名の魚を釣り上げているみたいな、そして釣った魚を“超えちゃいけないライン”という名の氷の上で鮮度抜群の刺身にして捌いてるイメージ。つまり、アンダーグラウンドからオーバーグランドへ向かったenvyと、アンダーグラウンドからメジャー行って終わった、もといメジャー行ってから更に地下に潜ったtricotが上と下に磁石のように引かれ合っているのは実に興味深く、両者にはバンド名の小文字表記繋がり以上に確かな“繋がり”がある。20年代に突入して早々、このまま2020年間BESTアルバムのワンツーフィニッシュ決める可能性濃厚接触のバンド同士、これはもう対バン待ったなしでしょ。と思ったら、まさかのCrystal Laketricotの対バンのが先だったというよくあるオチ。このまま日本三大メタルバンドでスリーマンするしかないなw

いや、なんかもう魔除けとしてドリームキャッチャー買ってこようかなと思うほど、ジャンヌダルク解散という『悪夢』でありトラウマとともにあの頃の青春時代が帰ってきたような、もはや私信のレベルを遥かに超えたとんでもない私信アルバムだった。音楽聴いてて、ここまで「笑って泣けるバンド」って今まで生きてきた中でジャンヌダルクトリコリコしかいないかもしれない。何やら如何わしい部分での「繋がり」ではなくて、そこだけは、そこだけは確かな根拠をもって「繋がってる」部分だと思うし、そう信じたい。

佐藤千亜妃じゃない方の佐藤千明が脱退して実質解散したRED PARK、ベーシストが家業を継ぐために脱退して活動休止という名の事実上解散したきのこ帝国、そして“マスロック”をコンビニのビニ本のように身近なものとする事を使命に生まれ、マスロック界期待の星として登場するも東京コロリンピックの影響で2015年に解散した(皮肉にも同じ京都出身の)宇宙コンビニ、そしてそしてベーシストの「脱退してから解散」したジャンヌダルク、それらの様々な理由によって音楽シーンから消えたバンドたちへのレクイエムを奏でるかのような、それと同時に幾多の「解散」によって傷心したそれぞれのバンドのファンの傷を癒すかのような、「解散」の2文字とは真逆の「続き」に満ち溢れた、そんなアルバムだと思った。だからイッキュウ頼む!これ以上、俺にトラウマを増やさないでくれ!もし「解散」するなら200年後とは言わない!「解散」するならせめて100年後に「解散」してくれ!!!!!!!!

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