Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2020年01月

Tomb Mold 『Planetary Clairvoyance』

Artist Tomb Mold
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Album 『Planetary Clairvoyance』
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Tracklist
01. Beg For Life
02. Planetary Clairvoyance (They Grow Inside Pt 2)
03. Phosphorene Ultimate
04. Infinite Resurrection
05. Accelerative Phenomenae
06. Cerulean Salvation
07. Heat Death

10年代最後の年に“10年代最高のデスメタル”と呼ぶに相応しい名盤を発表したデンバー出身のBlood Incantation。このTomb Moldの3rdアルバム『Planetary Clairvoyance』は、それこそBlood Incantation『Hidden History of the Human Race』に対する隣国カナダからの回答と言わんばかりの、それこそ新世代デスメタル女子こと環境保護活動家グレタ・トゥーンベリ広瀬すずがトゥース!ばりのデスポーズを決めながらデスボイスで「直腸陥没!」と咆哮しそうなデスメタルで、そのプログレッシブはプログレッシブでも(Protest the HeroCryptopsyを輩出した)カナダ産らしい俄然テクデス寄りのサウンドとSFライクな世界観は、否応にもBlood Incantationと共鳴するデスメタルと言える。

しかし実際は今作を聴けば聴くほどBlood Incantationとの違いが顕著に感じられる。その最たる違いが現れるのは今作のリード曲となる表題曲の#2“Planetary Clairvoyance”で、テクデス然としたアグレッシヴな曲調で進むと、一旦曲が途切れたと思ったら急にイマドキのグルーヴ・メタルみたいなリフをブッ込んできてド肝抜かれた。なんだろう、楽器の音作りやサウンド・プロダクションの面でも90年代当時の空気感を内包した伝統的なデスメタルをリスペクトしていたBlood Incantationに対して、このTomb Moldは90年代のアンダーグラウンド・メタルというよりは2000年以降の比較的現代的なメタルの音像というか音作りを特徴としていて、それこそGojiraSylosisにも精通するポスト・スラッシュ風のタイトなキザミを中心に、それと同時にDevilDriverにも通じるエクストリーム系の存外モダンでグルーヴィなリフ回しをもって、テクデスらしくファストとスローの緩急を効かせた曲構成と“イマドキのヘヴィさ”でゴリ押してくる。

この『惑星の千里眼』というタイトルといい、このデスメタル然とした読めないバンドロゴといい、そしてトドメは映画『エイリアン』にインスパイアされたようなアートワークといい、正直もっとSFなファンタジー要素を強く押し出してくると思いきや、それら諸々が醸し出すイメージとは裏腹に、実際に聴くと想像した以上にイマドキのデスメタルやってて驚いたというか、逆にそのギャップにやられた。それこそBlood Incantationは70年代のプログレッシブ・ロックにも精通する、一聴してわかる“プログレッシブさ”を取り込んだ“プログレッシブ・デスメタル”だったけど、このTomb Moldはもっとオーソドックスなヘヴィ・メタル寄りの、プログレッシヴ(な)デスメタルというよりかはテクデス然としたキレ重視のアグレッシブなスタイル。このそこはかとないモダンさをどう受け取るか、どう評価するかは聴き手次第といったところ。少なくとも、デスメタルならではの硫酸ドロドロなんでもデロデロ感はBIの方に軍配が上がる。なんだろう、適当なこと言っちゃうと、何か大手メタルレーベルのニュークリア・ブラストにいてもおかしくない感じw

そのステレオタイプのイメージが覆されて少し動揺しているうちに、ふと気づくと遠く彼方の宇宙空間にほっぽり出され、未知なる惑星=スーパーアースを彷徨うような、それこそBlood Incantation『Hidden History of the Human Race』の世界線と同じルートに入ったかのような錯覚を憶えるぐらいSF然とした宇宙空間系デスメタル・インストの#3“Phosphorene Ultimate”、タイトでヘヴィなキザミで構成された#5“Accelerative Phenomenae”今作のハイライトで、ラストを飾る#7“Heat Death”では流麗なソロワークを披露すると、最後のSEでは無数の繭から新種のエイリアン誕生という絶望的な光景を目の当たりにする(まるで気分はシガニー・ウィーバー)

ただでさえ完成度の高い今作を優に超えてくるBlood Incantationの名盤『Hidden History of the Human Race』のズバ抜けた凄みを再確認しつつも、今作は今作でタイトでヘヴィで硬派なデスメタルの良作として、気鋭のデスメタル女子に対抗する2019年の二大デスメタルとしてオヌヌメしたい一枚デス!

Liturgy 『H.A.Q.Q.』

Artist Liturgy
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Album 『H.A.Q.Q.』
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Tracklist
01. HAJJ
02. Exaco I
03. Virginity
04. Pasaqalia
05. Exaco II
06. God Of Love
07. Exaco III
08. HAQQ
09. . . . .

いきなりだけど、当ブログのレビューが完成するまでの工程というか仕組みについての話。ほとんどの読者はお気づきのとおり、自分には文章を書く上で定型的な型という型がないので、全て一から、基本的には音源を聴いて閃いた言葉=Wordを接続詞で半ば強引に繋いで文章にしていく(もはや文章の体をなしていない)スタイル。例えば本文として書く前にiPad Proのメモに閃いた言葉=Wordや書きたい短文から、一度頭の中でレビューの全体像をイメージして一つずつ構築していく形、それをパズルのように組み立てていく感じ(なお、一度もイメージ通りに書けたことはない模様)。

とはいえ、そのiPadのメモの中には様々な事情でお蔵入りとなったメモ書きが現在100本以上あって、その中の大半は書けそうなネタが見つからなくてボツになったパターンなんだけど、しかしその逆に書けるネタがあり過ぎて、メモ書きの状況から本文の文章(文字数)を想定した結果、推定1万文字を優に超える可能性があるレビューも数本かはあって、その「書け過ぎて逆に書けない」案件の記事を書くか書かないかは、その時の自分のモチベーションや気分次第、あとはタイミングが全て。(ちなみに、2018年末のBTSの記事は初めてiPad Pro+Smart Folioで記事を書いた記念日)(そっからはもうPCじゃなくてiPadがメイン)(微妙な変化に気づいた読者おる?)

このニューヨークはブルックリン出身の4人組で、爽やか変態イケメンことハンターハント・ヘンドリックス率いるLiturgyも決して例外ではなくて、彼らの名を一躍アンダーグラウンド・メタルシーンに轟かせる事となった2011年作の2ndアルバム『Aesthethica』がリリースされた時は、その音源を聴いた瞬間にこいつらはデフヘヴンと共にシーンの最重要バンドになる!と確信した。しかし、いざ張り切って記事にしようとしても一体何を書いたらいいのか分からない、事実その時(当時はiPad mini)に書いたメモには何がなんだか分からない・・・の14文字、たったそれだけだった。そんな風に一度は書くことを断念した僕が、何故またしてもこのLiturgyについて書こうとしているのか?その理由こそ、このアルバムだけは、これだけは何としても書ききらなきゃいけないと、そう心の底から思わせる傑作だからなんです。

2011年に『Aesthethica』がリリースされた当時は、同年に発表されたDeafheavenの1stアルバム『ユダ王国への道』とともに、いわゆるスクリーモや激情ハードコア側からブラック・メタルというジャンルを再解釈した、それこそ“全く新しいブラックメタル”=“New Black”の登場に、当時の音楽シーンはピッチフォークを筆頭に歓迎ムードもあれば、その一方で“ピッチ・ブラック”と揶揄する批判と戸惑いの声が飛び交っていた。2011年はその2枚のアルバムと、その(2年)後に歴史的名盤『Teethed Glory and Injury』を遺して“ポスト・ブラック界の伝説”となるアイルランドのAltar of Plaguesの2ndアルバム『Mammal』も重なって、まさにポスト・ブラックという新興ジャンルの「これからの10年」を運命づける、それこそポスト・ブラック時代の始まりを告げる金字塔という名の教典と呼ぶべきものだった。

中でもLiturgy『Aesthethica』は、その三強に次ぐUSBMのKralliceに肉薄する猟奇的なトレモロ・リフやマスコア的な変拍子を駆使した気狂いじみたカオティックな動きで、常に躁状態で精神異常をきたしたような「イッチャッテル」アルバムだった。そして2015年作の3rdアルバム『The Ark Work』では、そのイッチャッテル2ndアルバムより更にバグ感マシマシにイッチャッテル、全編クリーンボーカルでグリッチやIDMに精通する電子音を多用した、もはや実験的だとかエクスペリメンタルだとかそんな次元の話じゃない、言うなれば“ブラック・メタル化したエイフェックス・ツイン”さながらの頭のおかしな怪作で、ポストブラ界隈のファンを失意のドン底まで叩き落とした事が記憶に新しい。

そんなイッチャッテル彼らの音楽性を、仮に、仮に90年代に一大ブームを巻き起こしたミニ四駆のモーターで例えるなら、公式大会では使用禁止の価格もクソ高いゴールドチャンプや覇王ばりにぶっ飛んだ回転数を搭載するカッ飛びメタルで、それこそおもちゃ屋に設置された屋外コースのレース中にコーナーリングで場外にぶっ飛んで、そのまま車にぶっ潰されるシュールな最期を遂げる、ちょっとした“破壊の美学”すらある音楽性(やっぱわけわかんねぇ)。

ここで、この2000年代後半から2010年代初頭のポスト・ブラック黎明期を支えた三強を映画監督で例えると、まずDeafheaven『ミステリアス・スキン』『13の理由』グレッグ・アラキ監督Altar of Plagues『アンチクライスト』の鬼才ラース・フォントリアー監督、そしてLiturgy『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』の奇才アリ・アスター監督で、その流れで三強をキ◯ガイ度で例えると、Deafheavenが「ファッション・キ◯ガイ」、Altar of Plaguesが「キ◯ガイのフリをした健常者」、そしてLiturgyが「ガチモンのキ◯ガイ」って感じ。

主にキリスト教(カトリック)で常用される礼拝や典礼を意味するLiturgyという名を冠し、それこそ2ndアルバムのアートワークには十字架と逆十字を掲げているように、宗教的および哲学的な思想やスピリチュアリズムをバックグラウンドとする音楽性と、長編映画デビュー作の『ヘレディタリー』が世界中で話題を呼んだホラー映画界の新星アリ・アスター監督が描く通常のホラー映画とは一線を画する悪魔崇拝的な世界観は、音楽界と映画界という違いはあれど互いに共振するものがあって、事実この約4年ぶりの3rdアルバム『H.A.Q.Q.』は、アリ・アスター監督の新作映画『ミッドサマー』の題材=スウェーデンの田舎で催される90年に一度の真夏の祝祭の裏サントラなんじゃねえかぐらいに共振する、例えるならクラシック音楽の公式でブラックメタルやグラインドコアやマスコアやアヴァンギャルドやグリッチの数式を用いて強引に解いちゃったようなイカレ具合。

突如として怪作だった前作をフラッシュバックさせる、IDM風のゲーム音楽みたいな幕開けを飾る#1“HAJJ”から、日本の伝統芸能であり様々な公的な行事や神聖な催しの際にお目にかける雅楽でもお馴染みの龍笛や篳篥、そしてハープと奇怪なトレモロが織りなす神々しいまでに美しい音色が“和製Kayo Dot”の装いで俄然アヴァンギャルドな世界観を形成し、例えるなら子供の頃に友達とスーパーマリオやってて誰かがスーファミの角に足をぶつけた瞬間にゲーム画面が止まってスーパーマリオがイヤッフゥゥゥウウウウアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ババ゛バみたいにバグって、さっきまでワイワイ楽しかったのが急にちょっと怖くなる現象に近いバグ音が瞬く混沌の中で、まるでカタワの道化とそのワッパみたいな龍笛と篳篥が奏でるピロピロピ~と和ホラー的な恐怖を誘発する素っ頓狂な不協和音のシュールな絵面がもうアリ・アスター映画そのもので、この曲のクライマックスはまさに祝祭と言わんばかりのド派手で過激なカ(ー)ニバルが執り行われているかのような惨劇(文章もバグってる)。

衝撃的な幕開けからギャップレスな流れでクラシカルなピアノのインストに繋ぐ構成もポスト・ブラックの王道的な常套手段だし、ハープの美しすぎるイントロからブラゲ然とした幕開けを飾る#3“Virginity”では、それこそDeafheavenの1stアルバムを想起させる、ちょっと意外過ぎて軽く引くぐらい王道的で扇情的なUSBMを展開する。一転して鉄琴やビブラフォン、そして荘厳なストリングスをフィーチャーしたポストメタル系の#4“Pasaqalia”、それこそ90年に一度の祝祭が始まる夜明けの如し不気味な鐘とピアノが鳴り響くインストの#5を挟んで、そして名作ヒューマンドラマ映画のサントラばりに感動的なストリングスで始まる#6“God Of Love”は本作のハイライトで、その『愛の神』というタイトル通り、『愛』『愛』でも異常な『愛の暴力』を受けているような、まさに映画『ミッドサマー』を音像化したような、まるで気分は謎の怪奇現象に襲われてダメだダメだダメだ、こいつダメだ、こいつ怖い、こいつ危ないと口走る稲川淳二。

再びピアノのインストを挟んでからの表題曲の#8“HAQQ”は、まるで納期間近にデバック作業に追われるゲーム会社の末端社員とばかり、しかしバグがガン細胞のように増殖して頭バグリマクリスティとなり、遂にはデバッカーの頭もバグってバグったマスオさんばりに「びゃあ゛ぁ゛ぁ゛う゛ま゛ひ゛ぃ!」と発狂不可避の“バグソング”で、最後のエンディングへと繋がるアウトロも祝祭の儀式が終わった事後みたいな、それこそラスボスの『神』を倒した後に出てくる裏世界の裏ボス登場みたいなピアノと教会の鐘が不揃いに鳴り響く...それはまるで日常が手のひらからこぼれ落ちていく恐怖。そして日本のシューゲイザーアイドルの・・・・・・・・・リスペクトな#9“. . . .”はまさに無の境地で、そこに残されたのは純粋な悪意が込められた剥き出しの暴力と『神』への信仰心という名の狂気だけ。この表題曲を筆頭にグリッチ要素が今作最大のキモとなっていて、曲展開のギアチェンというかトリガーの役割を担っているのが電子的なバグ音で、いわゆる“プログレッシブ”という音楽概念に対してこんな狂った手法を用いた解釈は生まれてはじめて見た。このイカレサイコ具合を例えるなら、これはもう“ブラック・メタル化したデス・グリップス”だ。

なんだろう、ザックリと言ってしまえばクソプログレッシヴかつクソアヴァンギャルドかつクソグリッチーかつクソカオティック、そしてクソドラマティックなアルバムで、それはまるで喜劇的な舞台を観劇しているような、それはまるでシェイクスピアの名作『マクベス』『音』で観劇している気分。それこそ前作は全編クリーンボーカルで、ラップみたいな要素も取り込んだあまりにも前衛的な、それこそブラック・メタルという概念を超越(Transcendental)してアヴァンギャルドにし過ぎてヒンシュク買ったから、仕方なく2ndアルバムのマス系USBMをぶっ込んで、つまりヤベーやつとヤベーやつを光の速さでネルネルネルネしたらもっとヤベーのできた感、歪んだ畸形の音が生まれちゃった感。事実、アートワークにある今作を構成する元素のフローチャートにも記されているように、前作を中心に過去作のメロディやアレンジを引用している部分もあって、それこそ2ndアルバムと3rdアルバムがモノの見事に融合した感じ。極端な話、前作のクリーンボイスがバグったスーパーマリオに替わっただけと考えたら、むしろ逆にやってることは案外シンプルで単純明快かもしれない。それぐらい、一見破綻しているようで実は恐ろしいほど綺麗にまとまっている。あと、めちゃくちゃ音のスケールがデカくなったのも確か。

このアルバムの何が凄いって、ポスト・ブラック界の二大名盤と名高いAltar of Plagues『Teethed Glory and Injury』における儀式(リチュアル)的なアンチクライストな精神性と、Deafheaven『サンベイザー』におけるまるで気分はアガってんの?サガってんの?皆んなハッキリ言っとけ!アガッテーーーール!なイキスギたパリピ・ブラゲ、そしてその双方が持つモダンなポスト・メタル的な側面を喰らって“ポスト・ブラック界の神”となっている点。もはや神降臨してOMGって感じ。

相変わらず、このバンドの音楽を一言で表すと何がなんだかわからない・・・し、何も答えがわからないまま時間だけが過ぎて最後にはカルト宗教に洗脳された気分になるのだけど、少なくとも本作は10年代の最後にポスト・ブラックを総括するような、それこそポストブラ界の伝説的な2大名盤と肩を並べる歴史的名盤であることは確か。しかし前作の3rdアルバムで死んだフリしてる間にキチゲ溜めまくって、そして10年代の最後の最後にキチゲ放出してバグリマクリスティな大名盤ぶっ放してくるあたりガチで頭おかしいし頭バグってると思う。もはや【Explicit】どころじゃない。間違いなくレイティング【R18+】の音楽です。

それこそ、アリ・アスター映画の映像を音像化したアルバムと言っても過言じゃあなくて、そんなアリ・アスター監督の新作であり、ある種の“ペイガニズム”をテーマにした『ミッドサマー』はトレイラーを観ても明らかにヤバい映画なので、劇場公開前にこのLiturgy(典礼)のアルバムを聴いて耐性をつけておきたい。しかしこの『音』だけでも超怖いのに、それ+映像ありの映画になったら怖すぎて館内で失神するかもしれん・・・。そんなホラー映画好き待望の映画『ミッドサマー』は2月21日公開!(ただの宣伝)

AURORA 『A Different Kind Of Human (Step 2)』

Artist AURORA
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Album 『A Different Kind Of Human (Step 2)』
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Tracklist
02. Animal
03. Dance On The Moon
04. Daydreamer
05. Hunger
06. Soulless Creatures
07. In Bottles
08. A Different Kind Of Human
11. Mothership

織田nonもといのんこと能年玲奈が芸能界から干されてからというもの、そんな能年玲奈「この地獄の片隅」から救い出す『救世主=メシア』って一体誰だろう?とずっと考えてて、その『救世主』って実はこのオーロラなんじゃねぇかって。もちろん、これはただの“直感”以外のナニモノでもない。でも結局、それが実現する舞台が今年のフジロックなんじゃねえかって。

  • ビリー・アイリッシュが太鼓持ち役
僕が初めてAURORAの存在を知った2016年作の1stアルバム『All My Demons Greeting Me as a Friend』から、この3年の間に彼女を取り巻く環境は驚くほど変わった。ちょっと目を離した隙に、今や2019年だけでなく現代の音楽界を象徴するまでのポップ・アイコンとなった「ただのジョジョ好きコスプレイヤー」もとい「デンゼル・カリーの妹」ことビリー・アイリッシュや歌姫ケイティ・ペリーがこぞって太鼓持ち役を担い、あのチャーチズグライムスもライブを行った事でも知られるシアトルの音楽メディアKEXPでのパフォーマンス、アメリカで知らない人はいないジミー・ファロンのTVショーでのパフォーマンス、世界的な大型フェスロラパルーザやグラントンベリーへの出演、そしてフジロック2019でヘッドライナーを飾ったUKテクノレジェンド=ケミカル・ブラザーズとの謎コラボ曲の発表まで、要するに“ネクストブレイク”が約束された若手の登竜門を潜り抜けて「バズる」ステップを着実に踏んできている、某ZOZOZOの鬼太郎もビックリのゴリ押しっぷりに、流石に「え、、、数年前の状況とはまるで違ってるんですけど・・・」って軽くドン引きしたのは言うまでもない。

(ぶっ壊したい何もかもw)

  • 『アナと雪の女王2』の主題歌
そもそもの話、2018年の9月に2ndアルバム『Infections of a Different Kind (Step I)』がサプライズリリースされていた事にも全く気づかなくて、だからその続編に当たる3rdアルバム『A Different Kind Of Human (Step 2)』を聴く前に、前作をサブスク(Amazon HD)で予習しようと思って“AURORA”で検索してみたら、検索結果にあのディズニー映画『アナと雪の女王2』の主題歌“イントゥ・ジ・アンノウン(イディナ・メンゼル&AURORA)”って出てきて、その時は「おいおい、確かに“AURORA(オーロラ)”ってアーティスト名は同姓同名ランキング3位ぐらいに入選しそうな別段珍しい名前でもないし、だからと言って他の“オーロラ”名義のアーティストと間違えるなんて、Amazon HDのやつとんだうっかりさんだなぁw」って、でも「もしや...」と半信半疑でウェブ検索かけたらガチのマジで自分が知ってる北欧ノルウェーの“オーロラ”で、この事実に気づいた瞬間は久々に「ホーリーシェイ!ホーリーシェイ!ホーリーシェイ!」って叫んだ後に、「チョイチョイチョイチョイ、待て待て待て待て、この数年の間に一体何があったんやオーロラ・・・」ってなった。まさかビリー・アイリッシュの太鼓持ち担当はじめ数々のゴリ押しの最終地点が、いま世界で最も人気のディズニー映画である『アナ雪』の主題歌って・・・こんな“成り上がり”未だかつて見たことがない。この日本でも主題歌の「レリゴー」がバズりにバズった、全世界が注目する超大作の続編の主題歌にアーティスト名が書いてある宣伝効果ってもう想像を絶するわ...(正直、アァ~アァ~しか言ってないから尚更←コラ)。もっとも面白いのは、本家『アナ雪』のエルサ役=イディナ・メンゼルが歌う主題歌でfeaturingされているという事は、必然的に日本版『アナ雪』のエルサ役を演じる松たか子と間接的にコラボしてるみたいになっててクソ笑った。


  • オーロラ=実写版サン説
それはさて置き、今のオーロラの目の周りの赤いフェイスペイントを見て何を想起させたかって、それこそ日本のジブリアニメ『もののけ姫』のヒロインであるサンだ(本人は感情のメタファーと語っている)。そこで思ったのは、今のオーロラって「実写版サン」に最も近い人間なんじゃねぇかって。

昨今、オーロラの故郷ノルウェーの隣国スウェーデン出身の“デスメタル女子”ことグレタ・トゥーンベリが著しい地球温暖化や急激な気候変動などの環境保護を訴える抗議行動を起こし、グレタと同世代の若者を中心に世界中でデモが巻き起こった事は記憶に新しい。この日本でも地球環境に悪影響を与えるプラスチックごみを無くそうとする動きが企業を中心に加速している。日本が世界に誇るスタジオジブリのアニメ『もののけ姫』は、昨今のグローバル時代に求められる「繋がり」ではなく、その「繋がり」を断とうとする排他的な個人主義の蔓延、自然環境と人間社会の対立、そして異文化の共生をテーマにした、まさにジブリの最高傑作と呼ぶに相応しい名作だった。

何を隠そう、このオーロラの3rdアルバムには、まさにその『もののけ姫』のテーマと共振するパヤオこと宮崎駿アニメに根づくグローバル思想および現代社会が抱える環境問題に警鐘を鳴らす強力なメッセージ性が込められている。そういった作品のテーマ的にも、脇毛ボーボーな野性味に溢れたビジュアル的にも、彼女こそ『もののけ姫』サンをリアルに実写化させたような、それこそサンと同じように動物界と自然界が生み出したヒトのような、こう言ったらアレだけど今流行りのヴィーガンイズムに溢れ、今や“時の人”となったグレタ・トゥーンベリの抗議活動と共振する、それこそ「時代」が求めたアーティスト、言い方は悪いけど「今の時代」だからこそ担ぎ上げられた存在と言っても過言じゃあない。つまり、このアルバムは「今まさに世界で起こっていること」をテーマにしているのだ。今のオーロラを一言で表すと「グレタ・トゥーンベリが聴いてそうな音楽」なんですね(いや、でも電気泥棒のミュージシャンはグレタ的に全員アウトかw)。

  • オーロラ=オリィ説
ここで思ったのは、実はオーロラ=オリヴァー・サイクスなんじゃねぇか説だ。はじめに個人的な「2019年面白いランキング1位」を述べると、11月に行われたBMTHの大阪単独公演に向かう新幹線の中でオーロラの新譜=本作を聴いてたら、その週に日本で行われたオーロラのライブにBMTHオリィが観客にいたという驚きの目撃情報があった。つい先日も、オリィはツイッターで米トランプ大統領からグレタ落ち着け!と揶揄されたグレタを擁護するお前はこれまで世界が目にしてきた中でも最も醜い人間だよというローレン・メイベリー顔負けの火の玉ツイートをトランプに対して行っている。ご存知、オリィグレタと同じヴィーガンでありグレタ支持者である。ここ最近のオリィの典型的な意識高い系あるいは胡散臭いハリウッド俳優ばりのニューエイジな嗜好って、露骨に影響受けまくってるビリー・アイリッシュ以上にオーロラグレタの影響が大きいんじゃねぇかって。例えば、オリィの顔まで入ったタトゥーはオーロラのフェイスペイントリスペクトなんじゃねぇかとか、つい先日EPをサプライズ・リリースした事とか、もちろん昨年のグラストンベリーではビリー・アイリッシュBMTHとの共演、そのBMTH小島秀夫監督「繋がり」をテーマにした“インディーゲーム”『デス・ストランディング』に楽曲提供したけど、実はこのオーロラもスウェーデンのインディーゲームスタジオ制作の(こちらも「繋がり」をテーマとした)『Unravel Two』のトレイラーに楽曲(Queendom)が使用されていたりと、BMTHと同じように音楽界隈を飛び越えてゲーム界隈でも共通する部分はある(ちなみに『デススト』にも大気の発光現象である“オーロラ”が登場する)。また近年では高級ブランドのグッチが動物の毛皮使用を禁止する事を宣言したが、それこそヴィーガンを公称しているオリィは、昨年この日本でも原宿にポップアップストアを出店した自身のファッションブランド=DROP DEADも動物の毛皮を一切使用していないアンチ毛皮をアピールしている。要するに、オーロラビリー・アイリッシュグレタ・トゥーンベリは今のオリィの嗜好思想を形成する三女傑なんですねw


  • (Step 2)=『amo』
しかし、ここまでのゴリ押し、もとい持ち上げられっぷりって結局その神秘的なビジュアル面や、現代社会に直結する思想的な面での“物珍しさ”が先行している部分も少なからずあって、それこそ1stアルバムの時点では北欧の片田舎から出てきたイロモノ感は否めなかった。なんだろう、それこそ自然界で生きるリアル・サンが山奥から人間界に降り立って音楽やってる感、特に音楽メディアからはエンヤビョーク、そしてケイト・ブッシュの意思を受け継ぐ正統後継者的な扱いを受けたりと、その“物珍しさ”は音楽的な面でも同じと言える。そこで気になるのは、果たして音楽的な面でこの異常なゴリ押しを納得させる事ができるのか?ということ。

実際に本作を聴いたら2秒で納得した。確かに1stアルバムの時点では、世界的な音楽シーンのトレンドとは無縁のフックに富んだ北欧らしい(いい意味で田舎っぽい)哀愁を帯びたキャッチーなメロディを聴かせたけど(確かにこの時点でトラップとか鳴らしてたけど)、しかしそれはあくまでも北欧に生息するSSWの中の一人、あくまでも同郷スザンヌ・サンドフォーの妹分的なイメージから抜け出せるものではなかった。でも今作は幕開けを飾る#1“The River”から1stアルバムと比べてアレンジが段違いに洗練されてて、それこそ今の音楽シーンのトレンドであるEDMやヒップホップなどのイマドキの主流に迎合したトラックやダンサブルなビート感を押し出した縦ノリなサウンドを取り込んでいる。

特にエンヤの生まれ変わりを宣言するかのような、それこそチャーチズに肉薄するエレポップの#1を皮切りに、宇多田ヒカル“道”を想起させる#2“Animal”や中華風のオリエンタルなトライバリズム溢れる#5“Hunger”、ジブリアニメや北野映画でもお馴染みの久石譲を思わせるアレンジが光ると同時にこれもう新作ジブリ映画の主題歌でイイじゃん」ってなる#6“Soulless Creatures”やMVでブリット・マーリング主演の『The OA』の謎ダンスをフラッシュバックさせる、スピリチュアルかつニューエイジなダンスと流暢なラップを披露する#9“Apple Tree”を中心に、最大のウリである北欧出身の不思議ちゃんならではの神秘的な世界観を追求しながらも、一方で世界的な音楽シーンの最前線で戦える“メインストリームのポップス”に急接近する柔軟性と器用さを垣間見せている。言うなれば“北米のビリー・アイリッシュ”に対抗する“欧州のオーロラ”的な扱いを受けてもギリ耐えうる、メインストリーム市場に出しても決して引けを取らない楽曲面のクオリティがある。要するに、ここでもBMTH『amo』と直に繋がる案件というか、そもそもグラストンベリーでビリーBMTHと共演してる時点で、もう今のオーロラの立ち位置って“ソコ”=音楽シーンのド真中なんですね。もはやオーロラの存在自体が“時代のトレンド”そのものと言っても過言じゃあない。


  • 「時代」が求めた存在
なんだろう、この手の正統派なスピリチュアル系女性アーティストのアイコン的な存在って本当久々に登場したんじゃねぇかぐらい、ケイト・ブッシュエンヤに次ぐ新世代ニューエイジャーを襲名する2.5次元的なビジュアル(実写版サン)、『アナ雪2』主題歌やビリーケイティら太鼓持ちの名声、環境保護を訴えるグレタ時代、そしてシーンのトレンドを抑えた楽曲まで全ての要素が足並み揃えて、その全てがバズる追い風となって“オーロラ”という北欧イチの歌姫を創り上げている。しかし結局の所、オーロラの何が一番信用できるかって、こう少し(サンみたいに)お高そうに見えてインタビューでは“マスターベーション”とかナチュラルに発言しちゃうところw

しかし改めて、1stアルバムの時点で「なんで国内盤も出してないガチ無名なのに初来日?今回も少なくとも日本では変わらず人気してないはずなのになんで再来日?しかもソールドアウトして追加公演発表も2秒で即完?嘘でしょ?」って。正直、オーロラほどファン層、そのボリューム層がどこにあるのか全くわからない。そのエレポップな音楽性的にチャーチズグライムスらの不思議kawaii系アーティストのファン中心?正直どの予想もシックリこないなぁって。でも、今はもうその全てに納得した。今や“時の人”となったグレタ・トゥーンベリを主導とする気候変動に対する世界的な危機感、その中心人物としてビリー・アイリッシュの手により音楽側から担ぎ上げられたのがオーロラだって。まさに「今の時代」が求めたのがオーロラなんだって。全てが必然的に繋がった。

  • フジロックの申し子
なんだろう、ジブリでもフジロックでもなく『アナ雪2』主題歌に大抜擢された時点で、つまり後ろ盾にあのディズニーが付いた時点でもう何があっても驚かねぇ・・・。(間接的な意味で)今年の紅白でエルサ役の松たか子とコラボしても驚かねぇって・・・。むしろ逆に、まだフジロック出てなかったのかよと。とっくの昔からフジロック常連の“フジロックの申し子”的なイメージしかないぐらい、自分の中でオーロラほど自然に囲まれた苗山のステージが似合う、フジロック映えするアーティストって他にいないと思ってる(だから初めてライブを観るなら単独じゃなくてフジロックだとも)。この感覚を例えるなら、昨年の紅白歌合戦の出場者が発表された時に(BMTHの新木場公演にもいた)アニソン界の歌姫=LiSAの名前の後に(初)って書いてあって、LiSAって数年前から毎年のように紅白出てるイメージあったから素で驚いたのと近い。だからもう今年の苗山で(歌詞的な意味でも)“Animal”歌ってる未来しか見えねぇし、今のBMTHというかオリヴァー・サイクスの嗜好的にもフジロックが似合うし、そう言った意味でも20年代初のフジロックにオーロラBMTHビリーチャーチズグレタが来たらクソ面白いと思う(落ち着け!)。

そもそもの話、2019年のフジロックのヘッドライナーを飾ったケミカル・ブラザーズと謎コラボしてる時点で、99パーじゃなくて120パーの確率で出ると思う(是非ともフジロックで戦隊ごっこしてほしいw)。それぐらい、今のオーロラには“伏線”しかない。しかしそれ以上に、“日本のオリィ”の直感で言うと、いつになるかは分からないけど何時かのフジロックでのんこと能年玲奈とコラボしてる未来しか見えねぇんだよな。だからエロ漫画家の織田nonもといのんよ、お前は一丁前に音楽やっててオーロラに対して何も感じないのか?一体何のために音楽なんかやってんだ?このオーロラ見て何の“引力”も感じないんだとしたら、今すぐ音楽なんか辞めちまえ。以上、“日本のオリィ”が今の能年玲奈に言える唯一の言葉はこれだけです。

しかし何度も見ても『アナ雪2』の主題歌は売れすぎ・・・。オーロラ売れた・トゥーンベリ・・・。先日のLiSAの紅白初出場や今回のオーロラバズり事件を見ても、やっぱ俺ィもといオリィってアゲチンだわ・・・あいつやっぱスゲーなって。まぁ、でも1stアルバムの時点でオーロラに目を付けていた“日本の俺ィ”だからこそ書ける話で、要は20年代に入っても10年代とはしっかり「繋がってる」んだって。しかし今作も国内盤の予定がないとか・・・やっぱ日本の音楽業界ってクソだわ。どうせだからソニーはさっさと契約結んでXperiaのCMに起用しろよ(グレタ激怒)って冗談はさて置き、(輸入盤は出てるけど)もしかして国内盤が出ないのってCDという環境に悪影響を与える“プラスチックごみ”を少しでも削減する為だったり・・・?んなわけねーかw

てなわけで、間もなくこの日本でもバズり始めるであろう今後のオーロラの動きについて、能年玲奈とフジロックで共演するかジブリアニメの主題歌に抜擢されるか、君はどっちに賭ける?俺ィは両方!
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