Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2019年12月

Blood Incantation 『Hidden History Of The Human Race』

Artist Blood Incantation
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Album 『Hidden History Of The Human Race』
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Tracklist
02. The Giza Power Plant
04. Awakening From The Dream Of Existence To The Multidimensional Nature Of Our Reality (Mirror Of The Soul)

デスメタル女子を代表するスウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリや日本の女優広瀬すずがデスメタルシーンで台頭する中、そのデスメタル女子に負けじと2010年代の最後にデスメタル男子のプライドを賭けた“10年代最高のデスメタル”をリリースしたのが、USはコロラド州デンバー出身の4人組、その名もBlood Incantationだ。

このBlood Incantationの2ndアルバム『Hidden History Of The Human Race』は、デスメタルはデスメタルでもデスメタル界のレジェンド=Deathの影響下にあるチョイテクなデスメタルでも、一方でピンク・フロイドみたいな70年代風のプログレやシュメール文明のアヌンナキをモチーフとした神話およびSF/オカルト/スピリチュアルな世界観が共存するデスメタルで、幕開けを飾る#1からリヴァプールの残虐王ミナミノもといカーカスばりに硫酸ドロドロなブルータリティとKreatorPower Tripを連想させる猟奇的なソロワークがクロスオーバーしたスラッシュみたいな感覚のデスメタルで、アヌンナキの神々が光臨なさるエスニックなプログレッシブ・ドゥームの#2、極端な話オルタナにまで急接近する器用さと意外性を垣間見せる、それこそデスメタル界の天外魔境あるいはデスメタル版ピンク・フロイドなインストの#3、そして彼らの全てが集約されている一曲で、アヌンナキの神々による『神VS.神』の如しデロデロなリフに次ぐドロドロなリフの応酬に直腸陥没不可避な約18分にも及ぶ長大作の#4は、まるで(イギリスのSF作家ブライアン・オールディス『Space, Time And Nathaniel』のカバーアートを手がけたブルース・ペニントンの)アートワークの宇宙人に連れ去られて目覚めたらデスメタル女子の広瀬すずに改造されてトゥース!ばりのデスポーズを決めながら「直腸陥没!」とデスボイスで叫ぶこと請け合いな、それこそ「00年代最高のプログレッシヴ・デスメタル」であるGojira“The Art of Dying”に対する「10年代最高のプログレッシヴ・デスメタル」と言っても過言じゃあない名曲で、また哀愁のアコギを靡かせてカタルシスを誘うアウトロの演出が某40 Watt Sunをフラッシュバックして全俺が咽び泣いた。

なんだろう、90年代に一時代を築いた往年のデスメタルと伝統的なクラシック・メタルのコンビネーションが絶妙な塩梅でせめぎ合う、ザックリと言ってしまうとデスメタル版Pallbearerみたいな、それほどまでにデスメタルはデスメタルでも想像した以上にプログレ色が強い、本当の意味でプログレッシヴなデスメタルやってるアルバムで、それこそメタル大国フィンランドの映画『ヘヴィ・トリップ』やデスメタル女子の広瀬すず主演の映画『一度死んでみた』を観てデスメタルに興味を持った人にオヌヌメしたい大名盤デス!

HIDDEN HISTORY OF THE HUMAN RACE
BLOOD INCANTATION
Daymare Recordings (2020-02-19)
売り上げランキング: 76,227

Bring Me The Horizon LIVE IN OSAKA@Zepp Osaka Bayside

「BMTH売れた(売れんの早ぇ)」

なんだろう、この日のライブで神番引いて最前でシンガロングしまくった結果、喉風邪っぽくなって暫くブログの更新サボってたという言い訳はさて置き、9月に開催されたサマソニで久々の来日、そして約5年ぶりとなる単独ライブ=新木場公演からほんの2ヶ月でBMTHの身に色んな事があり過ぎて一体何から話せばいいのか、どこから書けばいいのか正直わからないけど、しかしその全ての“繋がり”の中心にいたのが小島秀夫監督の新作ゲーム『デス・ストランディング』であった事を、あの日の僕たちはまだ知らない。


まず今年の上半期にリリースされたBMTH『amo』って一体どんなアルバムだったのか?それをバンドのフロントマン=オリヴァー・サイクスの言葉を引用するとこれまでロックに興味がなかった人、ロックに飽きた人に届けたい、そんな意図した願いが込められたアルバムだった。まさに、そんなオリィの言葉を裏打ちするような出来事がこの2ヶ月の間に起こった。まず一つ目は、今年のIFAのソニー・カンファレンスで発表された新型スマホのXperia 5、その広告塔として大抜擢されたことだ。そのカンファレンス内で使用された宣伝映像こそ、後にBMTHが出演するXperia 5のCMの一部分を切り取ったものだった。これ何が凄いって、(あの宣伝映像がガチのCMだった話は元より)あくまで“海外向け”のCMだろうと思いきや、どうやら日本でもTVCMとしてガッツリ地上波で放映されるのと、一足先にIFAで映像を見た時も衣装のカッコ良さとは別に妙な違和感みたいなものを感じたんだけど、いま思えばその違和感って全身顔までタトゥーだらけのオリィのタトゥーを隠すための長袖の衣装と特殊メイクだと気づいた時は爆笑した(メイクさんの技量に感無量)。つまり、未だにタトゥーに偏見のある日本でCMを打つ為に、わざわざ全身タトゥーのBMTHメンバーにタトゥー隠しの衣装とメイクを施してまで、(それ以前に炎上芸人としても)そのリスキーな側面と今や日本では“洋楽”が死んだ時代=誰も知らないイギリスの無名バンドをCMとして(洋楽の音源起用自体は珍しくないけど本人=バンド登場は近年では異例)、それこそ死語となった“洋楽”として起用するソニーという企業の肝っ玉のデカさ、金玉のヘヴィさに脱帽せざるを得なかった(ここまで来たらXperiaに乗り換えるまである)(もうファッキソ・ソニーなんて言えねぇ・・・)。実際に11月のCM放映開始からYouTubeの広告では頻繁に目にしたけど、個人的にあんましテレビ見ないのもあってなかなかテレビCMで見ないな〜って諦めかけたその時、まるで“日本の俺ィ”をピンポイントで狙い撃ちしたかのように『月曜から夜更かし』『孤独のグルメ』の番組前にこのCMが流れて「おぉ〜」ってなった、「おぉ〜〜」って。しっかし、このBTMHがまさか「CMの人」と化すなんて『amo』が出た時点では誰一人として想像してなかったはず(このCM、地味にパワープレイされてるっぽいし)。

そして二つ目の衝撃。実は『メタルギア』シリーズでお馴染みの小島秀夫監督BMTHにはちょっとした「繋がり」があって、というのもBMTHの過去の曲に“Shadow Mosses”という小島監督の代表作である『メタルギア』の舞台となるシャドーモセス島からインスパイアされた楽曲およびMVがある。そして9月の新木場ライブ後に突如発表された、小島監督の新作ゲーム『デス・ストランディング』への楽曲提供、その名も“ルーデンス”。いま思えば、9月の来日の際に彼らBMTH一行が真っ先に向かった先が“ソニーの裏CEO”である小島監督率いるコジマプロダクションだったのは、後に発表される“Xperiaの広告塔”=“ソニーの広告塔”として、この『デス・ストランディング』の楽曲提供その伏線、そしてコジプロのマスコットキャラである“ルーデンス”とのズッ友写真を撮ることが真の目的だったんだなって。そら今後の展開を考えれば誰よりも先に秀夫に会いに行くよな(誰だってそうする、俺だってそうする)。

しかし9月の新木場単独公演の際、個人的な諸事情により前座のHYDEで本気出しすぎて人生初のフロアから途中退出をカマしてからというもの、BMTHの音楽が“2019年度BESTアルバム”から“トラウマの音楽”に変わってしまった。そのトラウマのライブ以降、それこそ久々にBMTHの曲を聴く事となったのが『デス・ストランディング』のゲーム内にあるプライベートルーム(休憩所みたいな所)のミュージック・プレイヤーで聴ける提供曲の“ルーデンス”に他ならなかった。



小島秀夫監督の新作ゲーム『デス・ストランディング』に提供されたこの曲、実は海外では売れっ子のBMTHが納期カツカツの状態でツアーの合間を縫って宅録ならぬホテ録したDIYソングで、その曲調としては『amo』の延長線上にある、それこそ『amo』でもコラボしたグライムス的なインダストリアル・ポップ風のサウンドから、そしてGive me a breakを合図に(ある種、“Shadow Mosess”への回答としての)ベッタベタなブレイクダウン。この手のベタな落とし方はBMTHにとってはお手の物過ぎて、たった数日でホテ録した手抜き曲もといMVの赤ちゃん=BBOK可愛い。

この『デス・ストランディング』を演出/構成する一つの重要なファクターとして“音楽”があるのは間違いなくて、『デススト』のインスパイアアルバムには世界的なDJのアラン・ウォーカーやR&B界の新星カリードをはじめ、その他豪華コラボアーティストの中にBMTHチャーチズも参加している。しかし、実際にこのゲームをプレイしていくと主にメインのゲームプレイに使われている音楽は、Low Roarというアイスランドを拠点とするアーティストで、実はこの名前とこの音楽どっかで見たこと聴いたことあるなって。ふと思い出した、この手のアコースティックなフォークソングっぽい世界観・・・確かスティーヴン・ウィルソンが過去にSpotifyの“プレイリスト”に入れてた奴だ!だからどっかで聴いたことあったんだ!って(勘違いだったらゴメン)。この時点で俺ィが以前から唱えている「スティーヴン・ウィルソン=小島秀夫説」に直通する決定的な証拠で、もうこれ以上の事を話す必要ないウルトラスーパートンデモ伏線回収案件なんですけど、そもそも日本のSILENT POETSをはじめ、この手のアコースティック〜フォーク〜トリップ・ホップな音楽自体がSWの大好物だからね。

つまり、これまでの話は全て“日本の俺ィ”『amo』のレビューに書いた事が全ての“伏線”として繋がっていると言っても過言じゃあない。引き続き“プレイリスト”に関する話をすると、『デス・ストランディング』のゲーム内のプライベートルームにあるミュージック・プレイヤーの(プレイ序盤から聴ける)プレイリストの最後から2番目にBMTH“ルーデンス”が収録されている。そして、そのプレイリストの最後に選曲されているのが他ならぬ星野源“Pop Virus”で、実は俺ィが書いた『amo』のレビューでも星野源の名前を出してて、奇しくもBMTH星野源がゲーム内のプレイリストで直に繋がったというか、(自慢じゃないけど)今年の3月の時点で星野源BMTHが繋がる未来を予言してたのって恐らく世界でも俺ィただ一人だけだと思う(その時点ではまだ星野源の曲がデスストに使われるという話はなかったと思う)(たぶん)。勿論、『amo』のレビューに星野源の名前を出したのは半ば意図的で、そもそも『amo』自体がJ-POPやK-POPにも精通する、と同時にSW『To the Bone』に匹敵する“ポップスの再定義”を図った作品で、そう言った意味では『デス・ストランディング』=『To the Bone』『amo』と断言していいかもしれない。つまり『amo』の中にあるJ-POP代表が星野源ならば、『amo』の中にあるK-POP代表としてレビューにも名前を出したのがBTSに他ならない。端的に言って『amo』ってBTSのアルバム『LOVE YOURSELF』とダイレクトに韻踏めちゃうアルバムだと思ってて、ちょっと面白いのはBTSも過去にスマホ(LG)のCMに起用されてる所も「繋がり」がある。

ところで、オリィがツイッターで動画のリンクとともに「BTS」ってつぶやいてて、遂に「繋がった・・・」と思ったら「(B)ehind (T)he (S)cenes(舞台裏)」の略でワロタ・・・と諦めかけたその時、つい先日BMTHがサプライズリリースしたEP(言うなれば『amo』をトラップやらチルい打ち込みやらハンス・ジマーばりのSF映画『インターステラー』のサントラ仕様に再構築(リミックス)した作品)の中で、BTSともコラボしたホールジーとのコラボ曲があってガチで「繋がった・・・」ってなった。もはやメタル界のBTSBMTHなんですね。

まだクリアしてないのに(映画『新聞記者』松坂桃李くんすでらクリアしてるのに)結論云々言い出すのは本当にナンだけど(でも終盤も終盤)、それら俺ィが書いた『amo』のレビューにある数々の“伏線”を一つに繋げていった結果、最終的にWelcome to My 俺の感性=『デス・ストランディング』説に行き着いた(えっ)。まず、この『デススト』は一体どんなゲームかって、一言で言うと「アメリカを繋ぎ直す」という、荒廃したアメリカを点と点でネットワーク(カイラル通信)で一つに繋いでいく物語だ(それでもザックリした曖昧な感じは否めない)。まず小島秀夫監督は今作に対して「繋がり」以外にも「メタファー」「ネット時代」という言葉をキーワードに挙げていて、その「メタファー」「ネット時代」という言葉を介して当ブログ=Welcome to My 俺の感性を紐解いていくと、その“答え”は想像した以上にシンプルかもしれない。

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主人公は“伝説の配達人”ことサム・ポーター・ブリッジズ扮する某ゾンビドラマでもお馴染みのノーマン・リーダスで、近年を代表するSF映画の『メッセージ』『オデッセイ』あるいは『インターステラー』を連想させる(某『P.T.』でも垣間見せたホラー要素が散りばめられた)世界観を背景に荷物(メッセージ)を運ぶ配達人(メッセンジャー)としての言わば「孤独の配達人」、その主人公サムが肌離さず胸に抱えているのがBMTHのMVにも登場する“へその緒(臍帯)がまだ繋がったままの胎児”=BB(ブリッジベイビー)だ。この“まだへその緒が繋がったままの胎児”を見た時に真っ先に思い出したのが、他ならぬSW『To the Bone』のアートワーク、言うなれば「胎盤の中で眠るまだケツの青い胎児」に扮するSWだ。そのアートワークが一体何を意味しているのか?SWにとって一体何の「メタファー」なのか?それこそ、これまでプログレというニッチなジャンルの中で生きてきたSWは、2017年作の5thソロアルバム『To the Bone』を機に大手メジャーのユニバーサル・ミュージック傘下の(デンゼル・カリーと同じ)レーベルに移籍して、つまり一から新しく生まれ変わった全く新しいSW、そのメタファーを象ったかのようなアートワークだった。

ところで俺ィが書いた『To the Bone』レビューには、要約すると『To the Bone』におけるスティーヴン・ウィルソンは『君の名は。』における新海誠と全く同じ状態であると記していて、つまり『君の名は。』における新海誠『To the Bone』におけるSW全く同じ状態にいるのが、コナミを退社してソニー傘下に入って制作された『デス・ストランディング』における小島秀夫監督と言えるんじゃあないかって。ちょっとした違いを言うなら、小島監督『デススト』の事をいわゆるAAAタイトルではなくて流行りの「インディゲーム」と呼んでいる点。例えば『メタルギア』シリーズや『ホライゾン』などのAAAタイトルとインディゲームの中間に位置する、言うなれば「マイナーメジャー」の立ち位置にいる点。もっとも面白いのは、実は『君の名は。』にも『メタルギア』関連の小ネタが仕込まれていて、その『君の名は。』におる新海誠への小島監督からの回答として、この『デススト』にはお馴染みの“クレーター”新海誠作品の象徴とも呼べる“(時)雨”が物語の重要なファクターとして登場する(なお、自分は未だに新作の『天気の子』は観てない模様)(その理由は2作連続で同じアーティストを起用するタブーを犯した新海誠の音楽センスに絶望したから)。

また主人公のサム『悪夢』避けの御守りでも知られる装飾である「ドリームキャッチャー」を身につけている。当ブログWelcome to My 俺の感性における「ドリームキャッチャー」と言えば、勿論あの「ドリームキャッチャー」と共振する要素だ。ちょっと繋がったのは、『デススト』のインスパイアアルバムにも参加しているアラン・ウォーカーの名曲“Faded”のカバーをドリームキャッチャーの赤坂ブリッツのライブで観ていること。また「アメリカを繋ぎ直す」=「アメリカの記憶を繋ぎ直す」=「アメリカの歴史を繋ぎ直す」というザックリとしたゲームのコンセプトは、つい先日書いた“10年代最高の漫画”である『進撃の巨人』と共振させたTOOL『Fear Inoculum』のレビューを思い出した。

改めて、この『デススト』の主人公サムは分断されたアメリカを再編するために荷物を運ぶ運び屋である。極端な話、そのゲーム性としては単純明快「荷物を運ぶ」ただそれだけ。普通のゲームなら、いわゆる“お使いゲー”と揶揄されるゲーム性だ。しかし、この『デススト』“普通のゲーム”じゃない。その単純なゲーム性も何かしらの「メタファー」がある。例えば、重い荷物を左右に振られながら「道無き道」を自らの手と足で掻き分けていく姿は、まさに「人生」という名の道悪を、時に大きな岩につまずいたり、時に高い山から転げ落ちたり(挫折)、時に大きな壁にぶち当たったり、その「人生」という険しい山道をどんなに辛くとも、どんなに挫けそうになっても一方通行の『時』に流れに身を任せながら、そして『時』とともに「未来」へと成長/発展してきた「地球」と「人類」そのもの、つまりこれは今を生きる人の「人生そのもの」のメタファーである。オーバーグラウンドだのアンダーグラウンドだの普遍性だのと語るそれ以前に、「人」として生まれ産声をあげた瞬間から始まる「人生」の物語だ。確かに、それはほんの一部分に過ぎないかもしれないけど、どこかしら何かしらの部分で自分の人生と繋がっている事がわかるはず。だからアメリカを舞台にしているから世界観に入り込めないなんてことは絶対にない。それは実際にプレイしてみればわかるはず。でもそれは実際に自分の手でプレイしてみないと分からない事でもある。わかりやすく言えば、今流行りの「これは僕/私の物語だ」案件と言ったらわかりやすいかもしれない。主人公サムの背中に山ほど積み重なった荷物はまさに人生経験の積み重ね(RPGで言うところの経験値)、そのメタファーであり、たった一度の「過ち」によって人生の荷物という名の「経験」「信頼」あるいは「繋がり」を失っても、また一からその荷物という名の「人生」のカケラを拾い集めて、それでも生きていく、それでも前に進んでいく「山あり谷ありの人生」そのもの。こう言ったらアレだけど、これほどまでにマーシーやエリカ様、(何故か大昔のヒデラジにも出たことのある)小向美奈子やえつみんにプレイしてほしいゲームは他にないし、この4人が大晦日に集まって「デスストクリアするまで帰れま10」放送したら紅白の視聴率超えると思うw

もう一つのキーワードである「ネット時代」も一味違った形でゲーム性として現れている。いわゆる協力/対人マルチゲーのように“向こう側”にいる人がアバター(仮の姿)として一緒に協力したりゲーム内のメッセージ機能やボイチャを介してほぼリアルに近い形でコミュニケーションを取るようなゲームとは違って、確かに“向こう側”にいるけど顔も姿形もないプレイヤー(マスクマン)の“目に見えない優しさ”がゲームを進めていくうちに徐々に“目に見える優しさ”へと変わっていく、それはまるで辛い人生でも決して独りじゃないと、姿形のない全くの他人から施される「無償の愛」が輝かしい未来を照らし出し、さっきまでの道無き道が黄金の道」となって目の前に現れる。無論、誰一人として一卵性双生児とて全く同じ「人生」を歩むわけではない。自分の「人生」に大きく関わる人がいる反面、全く関わらない人もいる。しかし自分=サムが歩んできた「人生」という名の「道」と、“向こう側”にいる他のプレイヤー=サムが歩んだ「人生」という名の「道」が無数にすれ違うことで生まれる「十字路」、つまり人と人が、種と種が交わる「出会いの交差点」、それこそが「壁」のない「国境なき道」なんだよね。その「十字路」をキリスト教における「十字架」のメタファーとして解釈すると、この『デススト』の思想的な背景にはキリスト教における「無償の愛」「自己犠牲の精神」が根付いていることがわかる。

キリスト教および旧約聖書をモチーフにした日本の創作品は沢山あって、例によって代表されるのがカルト的な人気を誇る『エヴァンゲリオン』だ。実は、この『デス・ストランディング』には一部『エヴァ』からインスパイアされたであろうビジュアルが採用されている(特に遺体の描写)。他には荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』飛呂彦が学生時代にいわゆるキリスト系列の学校に通っていた影響もあって、必然的に海外の宗教絵画からの画風的な影響や思想的な面でもキリスト教からインスパイアされた、それこそキリスト教における「自己犠牲の精神」に対する飛呂彦なりの解釈が作中に反映されている。この『デススト』は、小島秀夫なりの宗教観や生死観および考古学的な進化論すらメタ的に描き出しているのも注目すべき点だ。ここで誤解して欲しくないのは、小島監督はクリスチャンではないし(←ここ重要)、同じく荒木飛呂彦もクリスチャンではない所(←ここも重要)。とにかく、その壮大なSFに見せかけた世界観をミスリードにして、実は誰もが経験する「人生」のメタファーだと理解した時は、「な、なんてエモーショナルなんだ・・・!」と目頭が熱くなった。そして圧倒的な「人間愛」および「隣人愛」に満ち溢れたゲームであると、これはもはや“ゲーム”という概念を超えたある種の“文学”だ。この“文学”をゲームというツールを介してプレイしていること自体が「真のSF」だって。だから「全く新しい革新的なゲーム体験」という各ゲーム業界の評価は妥当で、知れば知るほど、理解すれば理解するほど「これは凄い...」という言葉しか出てこない。

ここからは更に“日本の俺ィ”らしく少しヒネくれたというか偏った目線で『デススト』を考察してみる。まず、このゲームにはギミックとして“虹”が出てくるのだけど、その“虹”が弧を描く通常の虹ではなく“逆さ”の状態で登場する意味について。実際にゲームをプレイしてて思ったのは、“逆さの虹”ってことは“向こう側”にいる人には本来の”正しい虹”に見えているわけだよなって。この手の“多元宇宙論”的な解釈でフラッシュバックしたのがブリット・マーリング主演の映画『アナザー・プラネット』。この映画は、ある日突然「もう一つの地球」が現れるという知る人ぞ知るSF映画の名作で、つまり“向こう側の地球”にいる“自分”からすれば同じく“向こう側の地球”というわけだ。ここで話は変わるけど、新海誠『君の名は。』って「否定と肯定」の世界、つまり「真実と偽りの世界」の二面性、その対比だと思ってて、つまりこの『デス・ストランディング』の裏テーマってやっぱりSW『To the Bone』と全く同じ(2016年の米大統領選にまつわるフェイクニュースの台頭を起因とする)ポスト・トゥルース時代における「真実の物語」なんじゃねえかって。“虹”が何を象徴するかってシンプルに考えたら、差別や偏見のない“虹色の世界=Wonderland”に他ならない。しかし『デススト』で描かれている虹は「逆さの虹」、この「偽りの虹」は不吉な出来事が起こる予兆あるいは前触れでしかなくて、つまり自分が見ている世界と“向こう側の人たち”が見ている世界、どちらが「真実」でどちらが「偽り」の世界なのかを問う、ある種のサスペンス/ミステリー小説ばりの裏テーマが仕込まれているんじゃあないかって。

「ネット時代」におけるインターネットって良い面もあれば、もちろん悪い面もある。とある国では、ネット上の心無い誹謗中傷により芸能人やアイドルが自殺に追い込まれるケースが後をたたないでいる。もっとも「地獄」なのは、一向にその風潮が改善される兆しが微塵も感じられないこと。そんな「地獄」のようなネット時代に小島秀夫監督は、「ネット時代における悪しき風潮」をどのようにして表現して見せたのか。この『デス・ストランディング』には、わかりやすく言えば敵として目に見えないBTなる地獄の住人がいる。彼らはゲームの中ではサムを地獄の沼に引き摺り込もうとするので、そのBTに捕まらないようにプレイヤーはうまくサムを操作する必要がある。小島監督は、「ネット時代における悪しき風潮」としてSNSをはじめネットで誹謗中傷を繰り返す顔の見えないダークウェブに棲む匿名の住人(アノニマス)、そのメタファーとしての役割を担っているのがBTなんじゃないかって。また、『Death Stranding』の頭文字を略すと「DS」、その「DS」といえばアメリカのネット界には「ディープステート(Deep State)」なる呼称で呼ばれた、一説にはトランプ大統領に敵対する「国家の中の国家」を自称する闇の集団が存在するらしい。確かに、小島秀夫監督とあろう世界的なクリエイターがこの『デス・ストランディング』を制作するに当たって、「アメリカ」を舞台に「ネット時代」「メタファー」として、あくまでも一説によると“DS=ディープステート”という「闇の政府」を自称する集団がアメリカを代表するトランプ大統領を失脚させようとしている(詳しくはユーチューバーのオナキンマンもといナオキマンの動画でw)、そんな格好のネタをオカルト/ホラー好きの小島秀夫が自身のゲームに取り込まないわけがない。例えば『メタルギア』シリーズで言うところの“愛国者たち”に近い何か。とは言え、これらの見解はWelcome to My 俺の感性を介したあくまで一個人の一方的な解釈でしかないので無視してくれていいです(ハッ、もしや“俺感”はダークウェブだった・・・?)。

話を元に戻して、BMTHのライブについて。この日はあいにくの雨模様、大阪公演の会場=ゼップベイサイドの最寄り駅で降りた自分は「時雨かな?」とか思いながらパーカーのフードをシュインと被る姿は、まるでリアル・サム・ポーター・ブリッジズ。個人的な諸事情により人生初の途中退場をカマした9月の新木場単独公演の“リベンジ”としての大阪単独ライブ、人生初の神番を引いて最前で(世界初披露となる)一曲目の“ルーデンス”を聴くという、つまり“イギリスのオリィ”“日本の俺ィ”の邂逅が実現するという、これがホントの神展開。それこそ「ジャンヌダルク解散」という「人生の逆ピーク」を踏み台にして「人生のピーク」という最後の伏線を自らの手で掴み取るという、まさに「地獄」から「天国」へと急転直上。しかし面白いのは、2015年に行われたana_themaの奇跡の来日公演で「人生のピーク」を更新すると、今度は2018年に行われたスティーヴン・ウィルソンの奇跡の来日公演で「人生のピーク」を更新、そして今回のBMTHのライブで約一年ぶりに「人生のピーク」を更新するという完全究極体伏線回収。その「人生のピーク」を更新したライブが全てイギリスのバンドで、イギリスのバンドらしくライブ当日は全て時雨模様だったのは偶然にしては出来過ぎて笑う。もっとも面白いのは、2015年のana_themaのライブ日とほぼ同日にリリースされたのが、他ならぬ小島秀夫監督『メタルギア』シリーズの遺作となった『MGS5』で、その『メタルギア』シリーズでもお馴染みの声優やゲーム業界の(コナミを退社したことで)一度途絶えた「繋がり」を、また一から繋ぎ直して完成させた新作の『デス・ストランディング』『MGS5』の(4年経った今でも現役バリバリの)同梱版PS4でプレイするエモさったらない(やっぱり『デススト』“俺感”は繋がってる)。急な自分語りだけど“日本のオリィ”小島監督作品との出会いは、コナミの看板ゲーム『パワプロ』のオマケで付いてきた『MGS1』の体験版で、そっからはPSPの『MPO』『MGSPW』をはじめ全ての『メタルギア』シリーズをプレイしてきたし、(厳密にはA HIDEO KOJIMA GAMEではない)PSPの『MPO』に至っては+版も買うぐらい、今は亡き謎のポータルサイトでコミュニティを作って仲間内で交流しながらオンライン対戦にハマったのを今でも鮮明に覚えている。もちろん今は亡きヒデラジもフルコンプするほど、中でも声優が出演する回に至っては最低5回以上は聴くほどのヘヴィリスナーだったから、改めて『デススト』で明夫スネークや某17才の声を耳にするだけで泣けた。だから『デススト』ってまさに小島秀夫という天才の「人生」その一部分、いや「人生そのもの」を切り取ったような、ある意味で「小島秀夫の記憶」を繋ぎ合わせる作品でもあるんじゃないかって。

また脱線した話を元に戻して、最前で観たBMTHのライブについて。そりゃもうシンガロングできるところは全てシンガロングしたよ(その結果、無事ノド風邪になった模様)。例えば、“Shadow Mosess”ではWe're going nowhere“Happy Song”ではO」「P」「P」「A」「I、Xperia 5に使用された“Medicine”ではYou need a taste of your own medicine~、某ダニ・フィルスがスクリーンに登場する“Wonderful Life”では「Lone, getting high on a Saturday night I’m on the edge of a knife~」とか全部シンガロングしたし、目の前にサマソニでも帯同していた謎のダンサーが目の前で白煙放射器ぶっ放す姿もシュール過ぎて笑ったけど、それ以上に今回のライブは“Antivist”の時にオリィに指名されてステージに上ってBMTHメンバーと共演した一般人のアツシが全部持ってたわ。しかし(LiSAと一緒にシンガロングできたことが唯一の思い出だった)9月の新木場公演と比べて今回の大阪公演の何が凄いって、新木場はHYDEが前座ってのもあって2秒でソールドアウトだったけど、大阪もそれなりのキャパなのに(前座なしのガチ単独で)わりと早い段階で事前ソールドアウトしたこと。いや、マジで9月の来日時に“厄払い”かなんかしたでしょ?としか思えない。どう考えても「売れる儀式」を成功させたとしか思えない・・・それが一体何なのかは知らんけど(いま思えば人生最高の神番も「売れる儀式」を成功させたご褒美だったのかも)(しかし2秒でクリマン3A会員の元取れたわ)。あと大阪会場はフロアに柵があったのでサーフはあったけど圧縮は少なくて助かったw

しかし、いくら前回の来日キャンセル分を取り戻すにしても、“Xperiaの広告塔”をはじめ『デススト』への楽曲提供、そして原宿にオリィのファッションブランド=DROP DEADをポップアップストアするまで、いくらなんでも度が過ぎるほどの日本贔屓という名の怒濤の日本マーケット戦略、その理由はもちろん複数あると思うのだけど、まずアルバム『amo』にゲスト参加しているグライムスは日本を含めたアジア圏の文化をリスペクトしているアーティストとして有名だけど、実はそのグライムス以上に近年のオリィが崇拝し傾倒している人物こそ、2019年の音楽界における象徴であり、恐らく2020年代の音楽界におけるニューヒロインとなるビリー・アイリッシュなんじゃねえかって。

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わりと個人的に2019年の衝撃的な出来事の一つだったのは、天下のビリー・アイリッシュ「ただのジョジョヲタ」だと知ったこと(上記の画像を見たときはコラだと思った)。それと同時にビリー・アイリッシュに関する案件で後に知って驚いたのは、2018年にリリースされたデンゼル・カリーの名盤『タブー』のレビューの中で“Sirens”「今年一のラップソング」って書いたのだけど、実はその曲にコーラスとしてゲスト参加してたのが他ならぬビリー・アイリッシュで(当時は誰だこの女性コーラスって思ったけど、まさかそれがビリーだとは・・・10代の声には聴こえねぇって・・・)、その「ただのジョジョヲタ」であるビリーオリィの日本贔屓に影響を与える大きな要因となっていたこと、そして日本の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』と直に繋がっていたと知った時の衝撃ったらない。もちろん“日本の俺ィ”であり“DNAレベルで日本一のジョジョヲタ”である僕は『amo』のレビューにも「デンゼル・カリーはメタル」だと言及していて、(今年のロラパルーザでBMTHと共演した)デンゼル・カリーが(今年のグラストンベリーでBMTHと共演した)ビリー・アイリッシュ“妹分”として認めている事(つまり兄妹で日本好き)、そのデンゼル・カリーがカバーしたRATMが先日復活を宣言するという完全究極体伏線回収。つまり、BMTH=オリィを経由して小島秀夫監督荒木飛呂彦という“俺の感性”の生みの親同士が繋がるという衝撃の神展開(ファミ通満点でも繋がった・・・←コラ)。もはや「全ては繋がっている」レベルを超えたような話だよね。だってBMTHオリィは今年のサマソニで漫画『バトルロワイアル』がプリントされたTシャツ着てたわけだし。それこそWelcome to My 俺の感性で立ててきた過去の伏線の点と点が線となって繋がった=『デススト』感しかない。しかし海外のファッション誌にインスパイアされているジョジョのコスプレしたビリーがファッション誌の表紙飾ってるの、なんか一周回った感あってスゲーなって(ヘタしたらビリー飛呂彦のコラボあるんじゃね?)。


かの有名なハリウッド俳優フォレスト・ウィテカー主演のMV、「アーク」「死の一撃」など謎の日本語が描かれたとある研究施設と思わしき場所で人体実験をしている映像で思い出したのは、他ならぬレア・セドゥがボンドガールを演じる次期『007』シリーズに抜擢された日系人監督=キャリー・ジョージ・フクナガのNetflixオリジナルドラマ『マニアック』だった(このMVには厳密に言えば“ジョジョの徐倫のコスプレをしたビリー・アイリッシュのコスプレをした誰か”が出ているのも確信犯w)。実は“Mantra”のMVもインドの某宗教団体を扱ったNetflixのドキュメンタリー『ワイルド・ワイルド・カントリー』にインスパイアされたとオリィは語っていて、実はそのインドの宗教団体をモデルにしたのが日本の某カルト宗教団体に他ならなくて、つい先日BMTHがその日本の某カルト宗教団体をネタにした映像をアップしたらプチ炎上するという炎上芸人としての真価を発揮した。どうやら何も知らないニワカが騒いでるようだけど(もちろん“日本の俺ィ”は2作とも配信直後に観てる)、既に伏線は“Mantra”のMVにあって、今回の話もそれが繋がっているだけなんですね。かつてBMTHと対バンした日本のクソダサ炎上バンドも某カルト宗教団体のポアネタやってる時点で、これもただBMTHと直に繋がってるだけなんですね。だから何も知らないニワカのジョン・スノウは黙っててくれ!頼むからニワカは自分がニワカだという「最低限の自覚」を持ってくれ頼むNIWAKAAAAAAAAAAA!!

(コラ感すげぇ・・・)
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「繋がり」といえば、もちろんスティーヴン・ウィルソンもNetflixオリジナルドラマの『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』を筆頭に、ナタリー・ポートマン主演の迷作ジョジョ映画『アナイアレイション』を2018年の年間BESTに挙げている。そんなSW『To the Bone』も映画/小説/音楽、そして現代社会は直に繋がっていると思わせる作品だったけど、実はSWはゲームとも深い関わり持つ人でもあって、過去にSW“Drive Home”をはじめ数々のMVを担当したJess Cope氏によるクレイ・アニメをフィーチャーした、それこそ「インディゲーム」に分類される『Last Day Of June』のサントラをSWが担当しているんだよね。いや、「繋がり」ハンパないでしょつー話は元より、このゲームが当時発売された時にPS4でも出てるからやろうかな!って思ったんだけど(普通に高評価だし)、かのSteamに日本語版はあるけどPSストアにはなくて結局未だにプレイできてない状態なのマジ今世紀最大のファッキソ・ソニー案件。

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それと同じくして、BMTH『amo』小島秀夫監督『デス・ストランディング』も映画/小説/音楽(そしてNetflixという一つの映像ジャンル)、そして現代社会は全て繋がっている案件、その回答となる作品だった。ここで三度思い出したのが、チャーチズDeftones主催のフェスに出演することが決まった時に、メタル界一の問題児ことジェイミー・ジャスタのイキリツイートに反論するローレン・メイベリーの某ツイートで、そのツイートを要約するとジャンル別に分断された孤立を無くし、ジャンル間のギャップを埋めていく事の方が大事やねんという未来志向の願いで、実はこのローレンのツイートは『デススト』並びに現代社会へと直に繋がる伏線ツイートでもあったんだよね。そして、その伏線は遂にイギリスを代表するロック雑誌のペヤングもといKerrang!の表紙をデブ豚チノと共に飾り、ジャンルとジャンルの「壁」は超えられる事を自ら証明してみせた(チノの顔が何ともいえない感じなのがウケる)。

しかし、今まさに世界は「繋がり」とは真逆の「分断」の道筋を辿ろうとしている。その最たる事案がイギリスのEU離脱=Brexit(ブレグジット)である。つい先日、国民投票による選挙の結果でEU離脱が決定的になったというニュースが話題になったばかりだ。もちろん、イギリス人のスティーヴン・ウィルソンブレグジットに対して当初から反対声明を出しており、チャーチズの(地元スコットランドにおいては離脱反対派が多数)ローレンはこの投票結果を受けてツイッターでFuckBrexit」「FuckBorisと怒りの緊急声明を出している(やっぱ最高にパンクな女だぜ)。恐らくBMTHオリィも離脱反対派だろうと勝手に推測するのは(現に関するツイートしてる)、そもそもイギリスのバンドやミュージシャンがイギリス以外でライブする際にまず真っ先にツアーを組むのが、アメリカではなくイギリスから1番近い欧州=EUなわけで、だからイギリス出身のバンドマンやミュージシャンが欧州連合から離脱して得られるメリットは皆無で、むしろデメリットしかないわけです。

この「最悪の結果」を受けて、チャーチズの地元であるスコットランドは早くもイギリスからの「独立」に向けて動きはじめている。言うまでもなく、イギリス=UKはイングランド、スコットランド、アイルランドの連合、正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」であり、その連合王国からの独立だ。チャーチズの3rdアルバム『Love is Dead』は、いま思えばブレグジットという「分断」の未来を予期するかのような作品で、この最悪の結果を予期しつつもローレンが夢見たのは「Wonderland=虹色の世界」だったんだよね。それと共鳴するように、BMTHはポルトガル語でLOVE(愛)を意味する『amo 』を出したんだよね。だからオリィローレンほど「強い繋がり」を持つミュージシャンは他にいない、つまりローレン=サム・ポーター・ブリッジズであり、オリィ=サム・ポーター・ブリッジズでもあるという、誰しもが主人公サムになれる事を証明する存在なわけです。なぜ『デススト』にイギリス出身のBMTHとスコットランド出身のチャーチズに至っては重要なタイトル曲に起用されたのか?この全てにメタ的な「繋がり」があって、全てにメタ的な「意味」がある。この『デススト』が発売されて間もなくBrexitの是非を問う投票結果で離脱派が上回ったのは決して偶然なんかじゃない、今まさに現実世界で起こっている事なんだよね。つまり「人と人」の、「種と種」のBrexit(分断)ではなく、「人と人」の、「種と種」のBridge(橋)を繋げるのが『デススト』の思想なんですね。正直、小島監督ほど「エモーショナルな男」は未だかつて見た事がない。もはや小島秀夫の世界への愛しかない、愛しか。ついさっきまでサンプラザ中野走る走る俺たち~と歌い続ける脳内BGMが流れてる状態の爆風配達人サムから一転して、この「真実の愛」に気づいてしまった僕が操作する主人公のサムは涙で明日が見えないくなった模様。

一方で、この日本でも度重なるフェイク案件が巻き起こっていて、まさに「ポスト・トゥルース時代」のど真ん中にいる当事者なんですね。つまりBrexitのイギリス人やアナル・トランプのアメリカ人と“フェイク王”が支配する日本人が置かれている状況は全く同じと言っても過言じゃあないわけです。それこそ反出生主義じゃないけど、子供が生まれてきたいと思わない「真実」が曖昧なポスト・トゥルース時代=ディストピアに、そんな「愛」が死んだ時代に、そんな「ロック」が死んだ地獄のような時代に、小島監督産みの暴力(=Birth of Violence)ではなく徹底した「産みの肯定」「種の肯定」『デススト』の中で描き出している。

その一方で“俺の感性”の生みの片親である荒木飛呂彦は、この国のトップである反社レイパー擁護の“フェイク王”から招待された2014年の「桜の会」に参加した結果、晴れて2020年の東京パラリンピックの五輪利権を手に入れた。言わずもがな『デススト』における「アメリカ大陸横断」「キリスト教的な思想」「遺体」「大統領」などのギミック面はジョジョ6部の『SBR』を彷彿とさせる。もっとも皮肉なのは、“俺の感性”の片親である荒木飛呂彦「桜の会」に参加して権力者=“フェイク王”の犬となり、「10年代最悪の駄作漫画」であるジョジョ8部『ジョジョリオン』を描いている合間に、もう一人の片親である小島秀夫は巨人のごとく『ジョジョ』を喰らって「日本一のクリエイター」になっていたという・・・これはもう「10年代最高の皮肉」と言っても過言じゃあない(かのスティーヴン・ホーキング博士が例の島に訪れていたのと被るのもクソ皮肉)。しかし今の飛呂彦を見たら天国の手塚治虫大先生も泣くだろうな。権力の犬と化した老害漫画家を目にして。結局のところ「日本一ダサい男」の親は「日本一ダサい漫画家」だったというよくあるオチ

つい最近のインタビューでオリィ「もうアルバムは作らない」的な事を発言していて、確かにミュージシャンのこの手の発言は話半分に聞いておくべきかもしれないけど(現に先日EPは出したけど)、でもその話を真面目に捉えるならば、『amo』って「そういうアルバム」の一つの答えなんじゃねえかって。初めにも書いたけど、『amo』「これまでロックを聴いてこなかった人や聴くのをやめた人」に意図して作られたアルバムで、その結果が『デススト』のコラボやXperiaのCMという偉業という、この流れはまさにその証明でしかない。その『amo』「そういうアルバム」なら、それと同じくして『デススト』「そういうゲーム」だと考えるべきだ。それこそ『メタルギア』シリーズはオリジナルキャラで構成されていた一方で、この『デススト』はボンドガールのレア・セドゥ『処刑人』ノーマン・リーダス、そして北欧の至宝マッツ・ミケルセンなど実在する海外ドラマや映画界の俳優をはじめ、『ドライヴ』ニコラス・レフン監督や『シェイプ・オブ・ウォーター』デルトロ監督などの映画監督もそのままの姿で登場する。そしてゲームの「難易度」においても今までゲームをプレイしてこなかった人向けに特別なイージーモードが用意されている(すなわち役者目当でプレイする人用)。つまり『amo』『デススト』も既存のファン以上に、例えば『amo』なら「ロック好き以外の人」に、『デススト』なら「ゲームをやった事のない映画好きの人」に向けられた「優しさ」がある。これまでのようにAAAタイトルでは実現不可能だった、まさにインディゲームならではの工夫が垣間見れる。しかしソニーは2020年末に発売されるPS5について噂によると「コアゲーマー向け」であることを示唆しているらしく、つまり「ゲーム」「全く新しい基準」を作り出した『デススト』とは真逆の考えを持っているようで、さっきの『Last Day Of June』の件じゃないけど不信感しかないのが現状。個人的には、PS5にはゲームの「広がり」を期待したい。それは『デススト』が示した「広がり」に他ならない。「広がり」というのは勿論、コアゲーマーからライトゲーマーは元より非ゲーマーをも巻き込んだユーザー層の「広がり」である。そう考えたら、PS5の発売日から一年前に『デススト』が出てよかったと思う。『デススト』が示したゲームの可能性をソニーが理解していればPS5の失敗はないです。


何が恐ろしいって、BMTH『デススト』勢やXperia勢の新規ファンという名のカイラル結晶を、つまり『amo』“メインターゲット”を未だに回収してないところが末恐ろしい。となると、この新規ファンという名のカイラル結晶をどこでいつ回収しに来るか?そりゃ早ければ早い方が良いけど、クリマン的には来年のダウンロードフェスが本命か。個人的には『デススト』で得た新規ファンという点ではチャーチズも同じだから、それこそケラングに負けじとBMTHチャーチズのダブル・ヘッドライナーで『デス(スト)・フェス』開催するしかなくね?実際、これができる国って世界でも日本しかなくね?だからソニーとクリマンは早いとこ企画立てといて(他人任せ)。しかし先日のゲームアワードでクリフメイクでパフォーマンスしたローレンタソ凄すぎ・・・。

実はライブの後日談が一番面白かったという話。というのも、大阪公演と同じ週に日本で開催された北欧ノルウェーのSSWことオーロラのライブにBMTHオリィがいたという目撃談があったらしくて(どうやらオリィだけ日本に滞在してたっぽい)、だとしたらもう完全にオリィ=日本の俺ィとして繋がったというレベルの話じゃない。何故って、BMTHの大阪公演に向かう時に新幹線の中で聴いてた音源が他ならぬオーロラの新譜だったという・・・もはや「繋がり」が過ぎて怖えぇわ。もちろん、このオーロラオリィがリスペクトするビリー・アイリッシュが太鼓持ちしてるアーティストで(繋がり)、そのオリィが日本でオーロラのライブを観に行ってたと聞いたらもうレビュー書くしかねえじゃん(勿論、書けるネタはクソほど挙がってる)。いや、これダウンロードフェスと見せかけて来年のフジロックでオーロラBMTHの共演からのコラボあるぞこれ(それでも僕は『デス(スト)・フェス』を諦めない)。でも今のオリィの嗜好って如何にもフジロックって感じするし。もし来年のフジロック来るなら、ついでに雨仲間のana_themaも連れてこいやオリィ

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スティーヴン・ウィルソン『To the Bone』を年間BESTの1位に挙げた2017年の総括記事に、無意識で繋がりが必要とされる時代みたいなこと書いた気がするけど、まさにその伏線回収が10年代の最後の年となるこの2019年に起きたという話で、数年規模の伏線...いやブログを始めた約10年間の伏線が今ここで回収された事に感無量というか、この10年間は決して無駄じゃなかったんだって、この10年間には全て意味があったんだって、それをミュージシャンやクリエイターが証明してくれた事に、今はただ感謝してもしきれない。確かに、今年の初めに『amo』と出会った瞬間から「今年このアルバム追ってりゃ間違いなく“面白い”が待っている」という確信はあったけど、でも流石にここまでの展開は想定外過ぎたし、もはや「面白い」の概念を超えた「クソ面白い」案件だった。これもう「2019年面白い出来事ランキング1位」だろっていう。しかし来年以降「人生のピーク」を更新するには、現状もうチャーチズのライブでローレンを拝むか齋藤飛鳥「繋がる」かのどっちかしかないわ・・・(←コラ)。

・・・だから言ったっしょ?全ては繋がってるんだって。これが・・・10年代の最後の最後に“日本のメタルメディア界のキング”が全世界に贈る・・・

「完全究極体伏線回収だッ!!」

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