Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2019年11月

Whirr 『Feel Like You』

Atrist Whirr
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Album 『Feel Like You』
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Tracklist
01. Mellow
02. Wavelength
03. Younger Than You
04. Rose Cold
05. Before You Head Off
06. How Time Stretches
07. Rental
08. Vividly
09. Play The Slow Ones
10. Under The Same Name

今でも思い出す。もう10年前近く前に伝説のデビュー作『桃尻女とシューゲイザー』と出会った時の衝撃を。10年近く経った今でも、このEPと共にPhantogramのEP『Nightlife』を聴いて、ちょうど今ぐらいからの孤独のクリスマスシーズンを乗り越えた甘酸っぱい記憶が色あせず鮮明に蘇る。

そして遂に、俺たちのニック・バセットが、俺たちのWhirrが帰ってきた。2010年作のデビューEP『桃尻女とシューゲイザー』アンダーグラウンド・シーンに衝撃を与えるも、相次ぐ女性ボーカルの脱退という幾多の苦難を経験し、もう開き直って男性ボーカルに鞍替えして、因縁の相手=Deafheavenでもお馴染みのジャック・シャーリーをプロデューサーに迎えた2014年作の3rdアルバム『Sway』から約5年ぶりとなる4thアルバム『Feel Like You』は、これでもかというぐらい素直なシューゲイザーを聴かせる、完全復活を告げるに相応しい「Whirr is Back...」な一枚となっている。

セルフリリースとなった今作では、かのRelapse Recods所属のCloakroomを手掛けたザック・モンテスをプロデューサーに迎え、そのCloakroom譲りのスロウコアmeetシューゲイザーを展開していく。前作までは、オルタナやノイズ・ポップ、あるいはJesuリスペクトなドローン〜ポストメタル的なアプローチをもって、時にポップな疾走感、時に轟音なヘヴィネスを鳴らしてたけど、それよりもずっとシューゲイザー〜ドリーム・ポップ寄りの、(レジェンドのマイブラスロウダイブは元より)それこそ数年前に話題となったブルックリンのCigarettes After Sexを彷彿とさせる文字通り“Mellow”な幕開けから、今にも消えてしまいそうなウィスパー・ボイスと(今作のアートワークからイメージされる)1950年代の古き良きハリウッドのラブロマンス映画さながらのセクシャルでハラスメント、そしてエロティックでロマンティックな官能世界へと誘うドリーミーでリバーヴィな魅惑のリフレインを中心に、これからの独身男性に容赦なく襲いかかる悪夢のクリスマスシーズンに向けて、胸キュン不可避な“甘味で繊細な美メロ”という名の凶器を持って殺しにくる。その鋭利な凶器に対して、僕ら独身男性はなす術なくSOSの遭難信号を発信し続ける・・・(キュン死)。

特に、物語の終幕を飾る男女の官能的なセリフ混じりの“Under The Same Name”は今作イチのパンチラインで、それこそ伝説のデビューEPの幕開けを飾った“Preface”の女性のセリフを“Flashback”させる、それこそ“Cigarettes After Sex=セックスの後のタバコ”に対抗してじゃないけど、いわゆる事後のピロートークでこの愛は永遠さみたいなメロドラマ臭い男女の会話演出は、完全に往年のラブロマンス映画『昼下がりの情事』そのもの。また、曲間をギャップレスに繋いでいく演出も一本の映画を観ているかのような没入感を与える。この妙に生々しい演出は、ヘタしたらCigarettes After Sexよりも童貞煽り度高いかもしれない。いや、もはや今のCigarettes After Sexみたいな“変態”とは比べ物にならないほどの完成度バリタカで、ブルックリンの“変態野郎”みたいな童貞煽りのフェイクバンドとは違う“本物感”しかない。

ようやく真正面から伝説の『桃尻女とシューゲイザー』と対等に渡り合える“美尻の桃尻男”、すなわち『桃尻男とシューゲイザー』が出てきた感じ。世の独身男性は、僕と一緒にこの桃尻男の美尻を愛でながらこれからの悪夢を乗り越えよう!SOS!SOS!

Alcest 『Spiritual Instinct』

Artist Alcest
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Album 『Spiritual Instinct』
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Tracklist
01. Les Jardins De Minuit
04. L'Île Des Morts
05. Le Miroir
06. Spiritual Instinct

だから言ったんだ。僕は“日本のメタル・メディア界のキング”として、近年のメタル界に蠢く「ある懸念」に警鐘を鳴らしていた。それが“東京一極集中”ならぬ“ニュークリア・ブラスト一極集中”だった。そして、その嫌な予感は「最悪な結果」となって目の前に現れた。それこそがフランスのレジェンド=Alcestのニュークリア・ブラスト入りだった。

このアルセもといアルセストって、海外では初期の頃からずっとProphecy Productionsという一応はアンダーグラウンドなレーベルから作品をリリースし続けていて、この日本に至ってはアルセストの絶対的な信頼感と音楽的な根幹部にあるアングラ性を担っていた、あのディスクユニオンから“帯・ライナー付国内盤仕様”というもはや“国内盤”と呼んでいのかすらわからない謎仕様(恐らく盤自体は輸入盤)=ユニオン盤としてリリースされ続けてたんだけど、ここにきて遂に海外はメタル最大手のNuclear Blast、そして国内盤はワードレコーズという、恐らく盤に至っても正真正銘の正規の国内盤がリリースされるという・・・一言で言えば「地獄」だよね。もう聴く前から「地獄」。このアルセストの絶妙なアングラ性とニッチ感および童貞オタク感=その絶対的な信頼を担保していたユニオンからミーハーメタルレーベルのワードに変わるとか「地獄」以外の何者でもない。

結局、「アルセストの魅力」ってメタルのサブジャンルの中でもニッチなPost-Black/Blackgazeとかいう同人オタク音楽の開祖としてその存在を誇示し続けながらも、(例えるならKATATONIAが初期の頃から今でもほぼずっとPeacevlleに籍を置き続けるように)メタルシーンの中でそれなりの立場にいながらも初期の頃から世話になったProphecyで生涯を全うするという、その“ガワ”の部分にこそアルセアルセストたる由縁に繋がっていたにも関わらず、このタイミングでニュークリア・ブラスト入り脱ユニオンという最悪の結果を迎えてしまったわけ。それこそ1stアルバムの頃からユニオン盤を出し続けてきて、そこさえブレなければ何があっても大丈夫なはずだってずっと思ってたし、それはずっと変わらないものだと思ってたから、まさかこの“勝利の方程式”が崩れ去るなんて想像もしてなかった。だってNBに移籍した途端、まるで“メタル中央政府”の権力を見せつけるかのようにMV連発して積極的なプロモーション攻勢に出てくるんだもん。ヤダヤダヤダヤダ!こんなの俺たちの知ってるアルセじゃない・・・とは言え、前作の『Kodama』で現状やりきった感があったのも事実。というわけで、ここからはアルセストが偉大なポストブラックの開祖であり、常にポストブラックを次のステージにアップデイトし続けてきたレジェンドである事を十分に理解した上で言わせてもらう。

“メタル本願寺”ことニュークリア・ブラストに入信したことで、アルセストの音楽性がどうなるのか想像してみてほしい。幕開けを飾る#1“Les Jardins De Minuit”から、ブラストはブラストでも今は亡き盟友ASMRもといAmesoeurs直伝のブラストビートだった2ndアルバム『Écailles De Lune』とは一味違った、ヴィンターハルターの粗暴なブラストとメロブラかよってぐらいのトレモロ・リフがキレッキレに動くのなんのって。本来のアルセストらしい幻想的なアトモスフィア、その霧のようにリバーブがかった残響感は皆無に等しくて、むしろ過去最高に激しく“メタル”な重さが備わったドラムの音作りまでアルセスト史上最高にメタリックな仕様で、とにかく音の輪郭をソリッドにクッキリカッチリと鳴らす。それもそのはずで、先述したように今作は海外/国内レーベルの“ガワ”も違えば、それと同じようにサウンド・プロダクションという名の“音のガワ”もまるで違う。今作はレコーディングとミキシングこそフランスで行われているが、最後の仕上げとなるマスタリングにはエンジニアにLOVEBITESでもお馴染みのMika Jussilaを迎え、メタル王国フィンランドのFinnvox Studiosで仕上げられている。ここで今一度冷静に考えてみてほしい。アルセストの作品にLOVEBITESと関係するエンジニアが絡んでる時点で(わりと地獄)、これまでのアッサリ醤油味を看板メニューとしていたラーメン屋が急にコッテリ豚骨味に鞍替えしたような、今作は麺の質は元より具材やスープの味付けまでもコッテコテの「バリカタ・コッテリ・メタル」を目指しているのが分かる。


このシングル“Protection”が先行公開された時、いつにも増して激しく動く、言うなれば“アグレッシヴ”に動くリフを聴いて一体何を思ったかって、それこそアルセストフォロワーでありデンマーク出身のMØLに他ならなくて、つまり「メタル化したアルセって、それもうフォロワーのMØLじゃん・・・」って。なんか久々に“アグレッシヴ”って言葉使った気がするけど、それこそMØL以来に使った気がするけど、その久々がまさかアルセだなんて夢にも思わんかったわ・・・。正直、“アグレッシヴなメタル”という脳筋バカみたいな言葉をアルセに対して使いたくなかったけど、でも実際に今作を一言で例えると“アグレッシヴなメタル”になるんだからしょうがない。そのリフや音作りの面だけじゃなく、リズムの面でもいわゆるプログレ・メタル然とした転調を駆使して、とにかく曲を機敏に動かしていく#4“L'Île Des Morts”“アグレッシヴなメタル”と揶揄できる曲で、ここまでくると流石に“ガワ”“中身”のメタル仕様は一部分ではなくて、作品の根幹部分から細部にわたりアルバム全体にまで及んでいる事を理解する。

例えば、1stアルバム『Souvenirs D'un Autre Monde』ではフランス映画『エコール』顔負けのロリータ・コンプレックス的な世界観とポストブラックとの「相性最高」、2ndアルバム『Écailles De Lune』では幻想的なフレンチアニメとポストブラックの「相性最高」、4thアルバム『Shelter』ではシガロ界隈のポストロックとポストブラックとの「相性最高」、5thアルバム『Kodama』ではジブリアニメ=『もののけ姫』2:54Esben and the WitchなどのUKオルタナと「相性最高」ときて、そして今回は“アグレッシヴなメタル”とポストブラックの「相性最悪」・・・。つまり、前作の“オルタナバンドとしてのアルセ”から一転して“メタルバンドとしてのアルセ”に180度様変わりする姿にギャップ萌え、裏を返せばアルセというバンドのフレキシブルな創造性、その豊かさの証明に他ならない。そのように、過去作との比較や前作とのギャップを知った上で考察的な観点から見ると面白いアルバムに違いないんだけど、いかんせんネージュの青春の音楽だった往年のニューウェイブ/ポストパンクすなわち“UKオルタナ”と、ニュークリア・ブラスト直伝の“アグレッシヴなメタル”、それぞれの音とアルセの相性は・・・まぁ、なんだ、「音は正直」だったよね。

賛否両論というか、恐らくそこまで悪くない内容だと思うけど(いや、やっぱ悪いか?)、いかんせん“ガワ”の部分が“中身”の部分に与えるイメージが強過ぎるせで、必要以上に悪いイメージがつきまとってくるのは確か。改めて、“中身”以前にまず“ガワ”が作り上げるバンドのイメージ、その影響力って思った以上に大きんだなって。正直、アルバムという“結果”に至るまでの過程はこれまで通り、それすなわち「未知の領域にポストブラックを進撃させる貪欲な姿勢」は何一つ変っちゃいない。しかし1番大事な“結果”が悪すぎた、“結果”が。これはあくまで結果論に過ぎないし、その攻めにいった結果がダメならもうどうしようもないし、開拓の精神を持つ挑戦者としてメタル本願寺に挑んだ結果、その結果がダメならしょうがない。少なくとも保守的な老害になるよりは全然マシ。それらを踏まえた上で、僕はこのアルバムの事を“肯定的駄作”と名付けたい。だから今回の件に関してはアルセネージュは何も悪くないです。悪いのはニュークリア・ブラストワードレコーズです。

これ「超えちゃいけないライン考えろよ」案件以外の何者でもなくて、言うなれば「アルセがガチメタルやった結果www」みたいな、でもアルセがこれやっちゃうと途端にダサくなる。なんだろう、例えるなら陽キャになりたくて無理してる陰キャみたいなね。それこそ前作がジブリのスピリチュアルな世界観を忠実に再現したコンセプトとUKオルタナという音楽的バック・グラウンドが化学反応を起こしバチっとハマった結果の名作だっただけに、それと比べるとこの『Spiritual Instinct』ならではのとっておきのパンチラインがNothing(=何もない)、要するにガワから中身まで全てが“メタル仕様”の音の方向性とコンセプトおよび世界観の統一感がまるでない。随所で前作の名残りを感じさるのがまたライティング不足というか、その世界観の構築に失敗している印象を受ける。皮肉にもタイトルの“スピリチュアル”の文字が虚しく響く、・・・そう、僕の心の叫びとともに・・・


(ディスクユニオンーーーー!!早く帰ってきてくれーーーーー!!)


Slipknot 『We Are Not Your Kind』

Artist Slipknot
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Album 『We Are Not Your Kind』
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Tracklist
01. Insert Coin
03. Birth Of The Cruel
04. Death Because Of Death
07. Liar's Funeral
08. Red Flag
09. What's Next
10. Spiders
11. Orphan
12. My Pain
13. Not Long For This World
14. Solway Firth

10年代の終わりを前にして、ふと「10年代の“メタルバンド総合ランキング1位”って一体どのバンドだろう?」って考えた時に、まず真っ先にNo. 1候補に挙がったのがスウェーデンのメシュガーに他ならなくて、それを証明する最大の根拠としてあるのが、13年ぶり(厳密に言えば4,868日ぶり)となるアルバムを発表したTOOL『Fear Inoculum』が、この10年代の終わりに“10年代の音”=“メシュガーの音”を総括するような実質“ポスト・メシュガー”と言っても過言じゃない傑作を出してきた事で、もしメシュガーの影響がなければ“イェンス・ボグレンのマブダチ”こと歌姫テイラー・スウィフトとの米ビルボードチャートの首位争いに敗れていたかもしれないと考えたら、そんな元フィジカルモンスターバンドTOOL=ギタリストのアダム・ジョーンズに多大な影響を与えちゃってるメシュガーは、まぎれもなく10年代のメタルを象徴するバンドの一つであり、それこそ“10年代メタル総合ランキング1位”と断言しても不満を述べるメタラーは誰一人としていないはず。しかし、そんなメタル殿堂入り不可避のメシュガーに唯一対抗できるメタルバンドが世界で1組だけ存在する。それがフランス出身のGojiraだ。このGojiraがいかに“10年代のメタル”を象徴する“10年代メタル総合ランキング1位”に相応しいメタルバンドなのか?その理由を各界隈の著名人が証言してくれた。

  • 証言その1 ローレン・メイベリー(チャーチズ)
以下のツイートは、デブ豚ことDeftones主催のフェスでゴジラローレン・メイベリー擁するチャーチズが共演すること(その出演順=格付け)に対して、メタル界一の問題児で知られるHatebreedジェイミー・ジャスタが苦言を呈したディスツイートに対するローレンのリプライで、その反論ツイートにはウチな、地元のグラスゴーでゴジラのライブ観たことあんねんという実質“ローレン・メイベリーはメタル”説を本人が実証するかのような一文が記されていて、あの小島秀夫監督の新作『デス・ストランディング』のエンディング曲に抜擢された“テラスハウス芸人”、もといチャーチズの大天使がゴジラのライブでヘドバンしてる光景を想像(妄想)しただけで萌え死んだ。僕はゴジラのライブを観ているローレンたそを観たい。


てなわけで、ここでその“ローレン・メイベリーはメタル説”“必然性”を僕なりに考察していきたいと思う。まずゴジラのライブを観たというローレンの地元スコットランドのグラスゴーって、(恐らく揚げマーズバーが原因で)イギリスの中でも特に平均寿命が短い地域、それすなわちバッリバリのブルーカラー=労働者階級が住む工業地帯である。その一方で“ヘヴィ・メタル”の開祖で知られるブラック・サバスの故郷、つまり“メタルの聖地”であるイギリスのバーミンガムも工業地帯の中心地で、グラスゴーと同じく数多くの労働者階級が生活する工業都市だ。つまり、ローレンはイギリスの階級社会=格差社会におけるフェミニストとしての立場は元より、古くは産業革命により目覚ましい発展から著しい衰退を遂げた地元グラスゴーとメタルの聖地バーミンガム、その2つの都市の歴史的な背景やヘヴィな土地柄および地域性的なものにシンパシーを感じているからこそ、被差別音楽ジャンルのメタルに対する偏見が皆無なんじゃねぇかって。そう考えたら、もしかしたらローレンって“世界一信用できるメタラー”なんじゃねぇかって(ローレンマジ愛す)。

面白いのは、主催のDeftonesも10年代の始まりを飾る2010年作の『Diamond Eyes』で盟友TOOLと同じようにいち早く“ポスト・メシュガー”な音を取り入れたバンドの一つで、そんなメシュガーに長年『恋の予感』を抱き続けてきた10年代のデブ豚が、自身が主催するフェスにメシュガーではなくゴジラを招待したのは、もちろんメシュガーは音楽的にもビジュアル的にも硬派なイメージを貫く必要があるので、チャーチズをはじめ他ジャンルのアーティストと共演なんて“もってのほか”だから仕方がない面も少なからずある一方で、ゴジラの面々は他ジャンルとの異種格闘技戦にも積極的に参加する柔軟なフレキシブルさがある。その音楽性についても、4thアルバム『The Way of All Flesh』までは欧州のモンスターバンドとしてその名を轟かせていたが、転機となったのは数多くの大物メタルバンドを輩出している大手ロードランナーに移籍した5thアルバム『L'enfant sauvage』で、それこそUSメタルコア界の神ことLamb of God的な“コア”っぽい新機軸を打ち出し、欧州のみならずUS市場をも飲み込んで一気に世界的なギガモンスターバンドへと駆け上がっていった。その柔軟な動きを可能にするバンドの柱=デュプランティエ兄弟のしたたかなインテリジェンスはメタル界屈指と言える。

  • 証言その2 マイルズ・ケネディ(Alter Bridge)
まず「このバンド(Alter Bridge)ってNapalmみたいなコテコテの欧州メタルレーベルに所属するようなバンドだったっけ・・・?」って割と驚いた話はさて置き、このUSハードロックバンドのフロントマン=マイルズ・ケネディゴジラについて現代で最も重要なメタルバンドとつい最近のインタビューで証言していて、更には彼らが2019年に発表した6thアルバム『Walk The Sky』に収録されたNative Sonのリフは、まさにゴジラを聴いている最中に書いた紛れもなくゴジラに影響された曲と発言している。事実、そのリフはもはやエクストリーム・メタルに精通するヘヴィなリフで、「え、Alter Bridgeってこんなヘヴィな音も出すんだ」みたいに感心したと同時に、コテコテのメタルレーベルから新作をリリースした謎にも至極納得がいった。このように、ゴジラのようなエクストリーム系のバンドとは少し逸れたハードロック系のバンドにもガッツリ影響を与えている事からも、ゴジラの音楽性、その魅力はメシュガーと並んでメタル界随一と言える。

  • 証言その3 Djent界代表TesseracT
10年代のメタルシーンを語る上で欠かせないのが“Djent”なる“メシュガーの産物”、そういった意味では“ポスト・メシュガー”と呼べるバンドが大量生産された時代とも言える。しかし、Djentの生みの親であるメシュガー「ジェントみたいな粗悪品を生み出しちゃってサーセンw」的な立場を取っている。そのように、Djentって生みの親であるメシュガーが自責の念を表明するほど、根っからの“メシュガーの音”の系譜にあるメタルのサブジャンルなんだけど、とはいえDjentを代表するUKのTesseracTは親のメシュガーと同等レベルに影響を受けているのがゴジラに他ならなくて、特に彼らを代表するDeception Pt 2ゴジラの名曲“The Art of Dying”の影響下にあるのがその証拠だ。

  • 証言その4 新世代メタル代表Vein
そのゴジラ史上最高の名曲“The Art of Dying”がメタルシーンに与えた影響は計り知れず、その中でもボストンハードコアをルーツとする新世代メタルのVeinのデビュー作にもその名曲のカバー曲かと錯覚するレベルの曲があって、俄然面白いのはその次の曲がメシュガーっぽいという・・・これぞまさに“10年代のメタル”を象徴する二大バンドが産んだ新世代メタルといった感じで微笑ましい。そして同じく、10年代の新世代メタルを代表するバンドと言っていいDeafheavenも3rdアルバム『シン・バミューダ』の中でスラッシュ・メタル然としたソリッドな“キザミ”を取り入れ、中でも4曲目の“Come Back”ゴジラに影響受けてんじゃねぇかぐらいのヘヴィネスが印象的な曲だ。US市場をも飲み込んだゴジラは、あのピッチフォークも認めるデフヘヴンやハードコア寄りのアンダーグランドな若手バンドにも幅広く影響を与えている。その世代を超えて受け継がれるゴジラのメタル精神は、メシュガーを退けて“10年代メタル総合ランキング1位”に推薦されるには十分過ぎる理由だ。

  • 証言その5 Mastodonの“キザミ”
ゴジラと最もよく比較されるバンドがUS中世代メタルを代表するMastodonで、某グリーンピース大好き芸人もといクジラ大好き芸人でも知られるゴジラは、そのエクストリーミーな音楽性的にもクジラ大好き芸人的にもマストドンに色々とパクられ・・・もとい影響を与えまくっている。例として挙げると、メタル界の歴史的名盤とされる2009年作の『Crack The Skye』“キザミ王”であるTOOLの影響ではなく、たった一年前後の作品ながらゴジラの2008年作の4thアルバム『The Way of All Flesh』と激しく共鳴する、いわゆるポスト・スラッシュをルーツとする黄金のキザミアルバム”だという説が今では主流となっている。新世代メタルのみならず中世代メタルのにも真似されるゴジラ is God・・・。

  • 証言その6 Slipknotの最新作『We Are Not Your Kind
そして最後の証言者こそ、他ならぬゴジラのレーベルメイトであり、約5年ぶりとなる6thアルバムWe Are Not Your Kindを発表したスリップノットだ。(来年、日本でも『ノットフェスジャパン』開催が決まった)この新作に伴う北米ツアー『KNOTFEST Roadshow』VolbeatBehemothなどの怪物と共に怪獣ゴジラも帯同しており、そこでもゴジラの出演順がVolbeatの格下扱いされてて、それによりスリップノットゴジラとかいう欧州とUSを代表する二大メガモンスターバンドに挟まれる形となったVolbeatが、案の定ライブ中にスリッペキッズから不当な扱いを受けたらしくて軽く同情した(じゃあデブ豚ゴジラに挟まれたチャーチズは・・・ローレンたそは僕が守る!)。それはそうと、USのヌーメタル界を代表するDeftonesSlipknotチャーチズとヴォルビートよりも格下 というナメた扱いを受けるゴジラ、もとい二大ヌーメタ勢と当たり前のように共演するゴジラ“格”“ベヒーモス以上チャーチズ未満”、もといその“ゴジラ”という名前を世界に普及させた功績を称え、元ネタである本家ゴジラを生んだ東宝が終身名誉賞を与えるべき偉大なレジェンドであることにもはや疑いの余地はない。


ここまで6つの証言を集めてきた理由、それがシングルの#2“Unsainted”のメインリフにゴジラが“コア化”した『L'enfant sauvage』“Explosia”のキュルゥリフとダブった所にあって(もしかしてイントロのクワイアってヴォルビートと同じハーレム・ゴスペル・クワイアかな?とか、中盤の歌メロがマシへロブ・フリンっぽいなとか)、珍しくスラッシーなキザミ主体の#5“Nero Forte”ゴジラ感あるし、珍しくメロデスっぽい#14“Solway Firth”とか、これヘタしたら過去一でメタルやってるアルバムなんじゃねぇかって(#10,#12はスティーヴン・ウィルソンっぽい)(コリィが言うにはデヴィッド・ボウイ風らしい)。

実はこのアルバム、ゴジラの他にもう一つ自分の記憶の中でフラッシュバックしたアルバムというか曲があって、それこそDIR EN GREYの8thアルバム『DUM SPIRO SPERO』“「欲巣にDREAMBOX」あるいは成熟の理念と冷たい雨”で、特に6曲目の“Critical Darling”が何というかギターのリフ回しは元より、ラウド~ヘヴィロック系のギターの音作りがほほほぼデロリアン“「欲巣にDREAMBOX」~”っぽいというだけの話なんだけど(これは#8や#11も)。もちろん、デロリアン自体スリプクノットの影響受けまくってるのは周知の事実だけど、その逆パターンはなかなか珍しくてちょっと面白いなって。そう言った意味では、来年日本で開催されるノッフェスにゴジラデロリアンが来たら激アツじゃね?って。

このアルバムの出来とか正直どうでもよくて(でも過去一でメタルやってるから普通に好き)、結局のところは「ゴジラすごい」←この一言に尽きる。やっぱりゴジラの凄さを知らずして10年代のメタルは語れない。だから2010年代の終わりに僕がどうしても言いたかったこと、それがゴジラこそ“10年代メタル総合ランキング1位”のバンドだと証明することだった。このトンデモナイ怪獣を前にしたら、スリプクノットガニキトオルデブ豚デロリアンも全部ガッズィーラより“格下”ですw

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Marika Hackman 『Any Human Friend』

Artist Marika Hackman
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Album 『Any Human Friend』
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Tracklist
01. wanderlust
04. blow
06. send my love
08. conventional ride
09. come undone
10. hold on
11. any human friend

LGBTQを公表してるミュージシャンは今では数知れず、それこそイギリスではクイーンフレディ・マーキュリーを筆頭に、エルトン・ジョン“メタルゴッド”ことロブ・ハルフォードが有名だけど、実は今回のアートワークを見て真っ先に思い出したのが、いわゆる“スウェディッシュ・デスメタルバンドのベース”こと山田孝之くん主演の『全裸監督』もといサム・スミスがインスタに投稿するや否や瞬く間に世界中でバズった例の裸体写真だった。まるでサムと同じLGBTQ“L”として彼の勇気に賛同するかの如く、この3rdアルバム『Any Human Friend』のアートワークに映し出されているのは、他ならぬ「ありのままの姿」を曝け出したマリカ・ハックマン本人の姿であった。

(エロ注意)

ここ最近の〇〇解禁の流行に乗って、危うくマリカもチクビ解禁すんじゃねぇかと思って心配したんですけど、可愛い子豚ちゃんのお陰で助かった。そんな女型の巨人もとい女露出狂もといAV(アニマルビデオ)監督もとい「ありのままの私を見てよ」と言わんばかりの出落ちが過ぎる誰得アートワークは百歩譲るとして、しかし今作のリード曲の一つである#7“hand solo”の初めは巻貝や洗濯バサミに始まり、カプチーノの模様やベッドシーツのシワ、ボーリング玉やコインランドリー、そしてアメリカ国防省ペンタゴンから最後には地球まで(その地球がオルガスムを迎えて銀河に飛び散るラストw)、目に写る全ての穴という穴が女性器a.k.a.アワビa.k.a.ヴァギナa.k.a.マンピーa.k.a.Gスポットa.k.a.クリちゃんa.k.a.大陰唇(←コラ)に見えてしまう、そのタイトル通り女性の“独り運動会”あるいは“独りオナニー”もしくは“マスターベーション”すなわち自慰行為をテーマとした超絶下ネタソングのMVを見たときは、まるでオナ禁70日を超えた俺ィの女版がマリカなんじゃねぇか説が芽生えるぐらい、性欲を持て余している欲求不満の彼女に「マリカ、あなた疲れてるのよ」とスカリーばりに心配せざるを得なかった。そもそもの話、マリカのMVってどれもクセが凄くて、中には幼虫?が大量発生してるリアルに閲覧注意のグロいMVもあるけど、今回のMVは喪女の歪んだ性癖が露わとなってしまったMVと言える。

マリカといえば、alt-Jのプロデューサーでもお馴染みのチャーリー・アンドリュー全面プロデュースの元、UKインディロック界屈指のインディレーベル=Dirty Hitからデビュー作となる『We Slept at Last』“女版SW”あるいは“UKの森田童子”やったかと思えば、一転してUSのオルタナ/グランジの震源地であるSub Popからリリースされた2017年作の2ndアルバム『I'm Not Your Man』では、今度は彼女の青春時代の思い出である(レーベルの大先輩でありグランジレジェンド)Nirvanaのコピバンとばかりに、ロンドンのガールズバンド=The Big Moonをバックバンドに携えた“マリカバンド”を結成すると、青春時代に陰キャだった喪女なら誰もが一度は妄想したであろうガルバン結成(理想はWarpaint)して文化祭で演奏する夢をリアルに実現させてしまう。その90年代の脱オルタナと脱チャーリー・アンドリューを図った3rdアルバム『Any Human Friend』は、フランク・オーシャンThe xxなどの作品を手がけたウェールズ出身のエンジニア兼プロデューサーであるデイヴィッド・レンチマリカの共同プロデュースとなっている。

アルバムの幕開けを飾る#1“wanderlust”こそ、マリカのアイデンティティであるアコースティックな“宅録系Lo-Fi女子”で、これだけでもう今作がマリカのアルバムという証拠を示す、言わばマリカ印の封蝋が押されている時点で作品の品質は最低保障されたようなもんで、そのアウトロのホラー映画にありがちなフォワワワワ〜みたいな効果音でもお馴染みの電子楽器=テルミンによる不気味なホラー描写からして、ついに伝説の1stアルバム回帰くるーーーーー?と思いきや、前作で培ったウォーペイントリスペクトな音響系のオルタナ=バンド・サウンドを堅実に引き継ぎながらも、しかし一方で過去2作にはない80年代のAOR香るシンセと軽快なカッティングギターとノイズ・ポップ的なギターがパワー・ポップ的な塩梅でせめぎ合う#2“the one”、メジャー以降のきのこ帝国・・・それこそメジャー2ndアルバム『愛のゆくえ』じゃないけど、厳密にいえばメジャー以降のきのこ帝国の理想みたいなインディロックの装いを醸し出す、インディロックならではのアコースティックなストリングスがたゆたう倦怠感の中にシューゲイズ風のギターがけたたましく鳴り響く#3“all night”を挟んで、もはやロックというよりシンセ・ポップならぬシンセ・ロック的なダンサブルなビートを刻む、それこそ80年代のディスコ・ミュージック的なダンス・ポップの側面を備えた#4“blow”と、それこそチャーチズあるいはケロケロボニトを連想させる煌びやかなシンセが舞い踊るシングルの#5“i'm not where you are”は、特に“それ”が顕著に現れている。

(出オチ感)

“それ”とは、今作を司るペット・ショップ・ボーイズなどのニューウェーブを彷彿とさせるような80年代リバイバルバリのシンセ・サウンドに他ならない。そして“それ”を象徴する最たる曲が#6“send my love”で、それこそネオ・サイケデリック風のレトロなシンセにアメリカーナの精神が息づく倦怠感むき出しの雰囲気からしてThe War On Drugsリスペクトな曲となっていて、もう笑っちゃうくらいには確信犯です。なんだろう、まず自分の中でマリカって“女版SW”と思ってて、また自分の中で“日本のSW”=岡田拓郎くんとも思ってる部分があるのだけど、実は岡田くんのソロアルバム『ノスタルジア』もほぼほぼThe War On Drugsの影響下にある作品で、つまり“日本のSW”こと岡田拓郎くんと“女版SW”ことマリカがダイレクトに繋がるアルバムと言ってしまえば、それはそれで少し強引かもしれない。とはいえ、同じThe War On Drugsをバック・グラウンドいや根幹の一つとしつつ、同じマルチプレイヤーならではのDIY精神に溢れたアコースティックなキーボード/シンセやストリングス、そして多彩な音色を奏でるギターから浮かび上がるインストゥルメント、そして同じようにしてそれらを一つの“ポップ・ミュージック”に昇華させる作曲面での器用さだったり、どっかで聴いたことあるけど思い出せない絶妙過ぎる“キャッチーさ”、そのスティーヴン・ウィルソン岡田くんに匹敵する咀嚼能力の高さ、そのバランス感覚というか調味料のさじ加減が実に「うまい」と唸ること請け合い。

ここ数年、海外で日本のシティポップがちょっとしたブームになっている・・・そんな噂を耳にする事が多くなった。実際に海外のリイシューレーベルからPacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976-1986』なる、その名のとおり日本のシティポップやAORを集めたコンピアルバムがリリースされたりと、その噂はあながち嘘じゃないかもしれない。何を隠そう、その日本のシティポップ・ブームを裏づけるような曲が#9“come undone”で、初めて聴いた時は「これもう日本のシティポップだろ」とリアルに感じたくらい、テレレレッテテーレレ↑↑みたいなポルカドットチンポコグレイばりに楽しいギターリフや“UKの森田童子”と呼ばれた人物と同じに思えないほど(例えるなら鬱状態から一転して躁状態になった)感情豊かにポップでキャッチーな歌声を披露するマリカは、もはや“UKの相対性理論”以外の例えが見つからない。極端な話、日本の女SSWがお手本にしそうな“親しみやすさ”すらある。元々、1stアルバムの時点で“UK版森田童子”みたいな陰キャのイメージだったし、それこそX JAPAN“Voiceless Screaming”ばりの昭和のジャパニーズ・フォークと共振する、いわゆる“日本要素”は元からあったけど、それが今度は岡田くん的な日本語インディロックや海外でブームになってる日本のシティポップやAORに精通するとなると、そろそろ噂や冗談じゃ済まなくなってくる。

日本=Japanese要素といえば、いわゆる“Japanese”の名を冠したJapanese一族のアーティストは多々いるけれど、近年のトレンドなのはUSのJapanese Breakfast、そして2019年のSSWシーンに登場するや否や話題沸騰なのが、UKはバッキンガムシャー出身のアンバー・ベインによるThe Japanese Houseだ(グランジ界のJapanese Voyeursを忘れるな・・・!)。彼女の音楽はイマドキのエレクトロやGrouperなどのアンビエント・ポップとアコースティックな要素がクロスした内省的なシンセ・ポップという事で・・・妙に変だな〜って。だっておかしいじゃない、Dirty Hitの秘蔵っ子であるアンバー・ベインThe Japanese Houseの1stアルバムGood at Fallingの曲に“Marika is Sleeping(マリカは寝ている)”と意味深なタイトルを付けたかと思えば、その私信に答えるように今度はDirty Hitを古巣とするマリカThe Japanese Houseみたいなシンセ・ポップ化するんだもん。うわ〜ヤダな〜怖いなぁ〜って、そのまま恐る恐るアルバムを聴き続けてみたんだ・・・そしたら私ねぇ、気づいちゃったんですよ。

「あぁ、この子マリカの彼氏だって」
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このマリカアンバーの内密な関係の2人に共通するのは“テラスハウス芸人”ことチャーチズという・・・「やっぱローレン・メイベリーって神だわ」って話はさて置き、マリカってヘタしたらThe Japanese Houseよりもジャパニーズ感あんじゃねぇかぐらいの、前作で一度バンドを経験してワンクッション置いた意味がわかるような内容で、正直前作を聴いた時はこのまま1stアルバムのイメージからかけ離れていくのかなと思ってたら、もしろ意表を突くかのようにド真ん中のコースにグッと急接近してきた感じ。確かに、確かに“独り運動会”のMVで初めて彼女の存在を知った人には「なんだこの欲求不満の淫乱SSW・・・」とセルフ風評被害みたいな誤解を与えかねないけど、陰鬱な1stアルバムとは対極にある新規にも取っつきやすい“ポップさ”をフィーチャーした、少なくとも前作を凌ぐ完成度だと思う。しかし1stアルバムと2ndアルバムでオルタナのWarpaint(長女)愛を示したかと思えば、この3rdアルバムでシンセ・ポップのチャーチズ(三女)やインディトロニカのPhantogram(次女)という、自分の中にある“三姉妹”に繋がったのは流石にょっと面白過ぎるし、もはやマリカ読者説あるわ(ネーよ)。

このアルバム、“日本のSW”“女版SW”が某アーティストを経由して繋がったり、昨今の「日本のシティポップブーム」への回答だったり、そして某Japaneseへの私信だったりと(#1の1st回帰はアンバーへの恋文だった説エモい)、色々とツッコミどころが満載過ぎるただの傑作なんだけど、そんな今作を“真の傑作”たらしめている存在って実は#10“hold on”なんじゃねぇかって。この曲の慈悲深いストリングスと共鳴するマリカ本来の内省的な歌声、そのトリップ・ホップ的な音と言葉尻に低域を際立たせるマリカの歌い回しがまんまカナダのElsianeリスペクトで、これもThe War On Drugsと同じくらい確信犯過ぎる案件で、同時にマリカやっぱ信頼できるなって。いや、ホントにこのアルバムもう実質俺ィ≒Zapaneseへの私信アルバムだろってくらい、もしやマリカ・・・俺ィの性癖知ってる説。もうジャケのデカパン女型の巨人のマリカに襲われる悪夢見そうでホント怖い・・・。冗談じゃなしに、彼氏もといアンバー・ベインみたくイマドキのトレンドを狙っていくんじゃなくて、(明確にポップ化していく流れの中でも)あくまでElsianeみたいな知る人ぞ知るアンダーグラウンドなヒネくれた陰キャ精神を決して忘れちゃいないとこが、僕のマリカに対する絶対の信頼感、わかってる感に繋がってるんだよね。とにかく、抑えるとこをしっかりと抑えてて最強。

ちょっと待って、今年の9月にThe Japanese Houseが初来日公演を実現させたって事は・・・これもうマリカアンバーの日本で共同生活あるぞこれ(ネーよ)。でも彼氏が来日したんだからマリカも来るしかないな。もちろん、前座は岡田くんでw

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