2019年10月
Artist TOOL

Album 『Fear Inoculum』

Tracklist

Album 『Fear Inoculum』

Tracklist
01. Fear Inoculum
02. Pneuma
03. Invincible
04. Descending
05. Culling Voices
06. Chocolate Chip Trip
07. 7empest
TOOLって、今や死語となった“洋楽”として聴いてる人、Alice in ChainsやRATMなど90年代以降のグランジ/ヌー・メタル、その“オルタナティブ”な意志を受け継いだ2000年以降のヘヴィロック黎明期をDeftonesと共に支えた功労者として聴いてる人、普通にオルタナとして聴いてる人、あるいはハードコア/パンクとして聴いてる人、もしくはメタルとして、プログレッシブ・メタルおよびプログレッシブ・ロック、それこそキング・クリムゾンやピンク・フロイドの正統後継者として聴いてる人、はたまたこれ以外の別角度から聴いてる人、それら様々な立ち位置から選局できるチャンネル数の多さ、それぞれどの立場から、どの角度から、どの文脈で語るかによって(言わば眺める角度によって色や模様が変わる宝石のように)見え方が変わるのもTOOLの凄さと面白さでもあって、そんな色々とある中で“日本のメタル・メディア界のキング”の異名を持つ自分からすると、TOOLは「メタルの文脈で語るべき」であると考えていて、厳密に言えばTOOL=“キザミの王説”にその根本的な理由がある。
「“キザミ”を制するものは世界を制す」
当ブログの読者なら、ウチのレビューを読んでて「“黄金のキザミ”って何やねん」とツッコミ入れた人も少なくないはず。しかし、その“答え”はひとえに「TOOLを聴けばわかる」んですね。というのも、実はTOOLって“キザミ”とともにこの音楽シーンを歩み、ともに成長してきたと言っても過言じゃあなくて、TOOLは何時だって常に“キザミ”という名の“メタル愛”を様々な形で自身の音楽の中に忍び込ませてきた。そんな彼らが音楽シーンは元よりロックシーンに与えた影響って計り知れないものがあって、その一例として挙げると現代のプログレ界を代表するスティーヴン・ウィルソン、彼が率いる後期のPorcupine Treeは“PTなりのTOOL”と言っても差し支えないくらいTOOLの影響をモロに受けている事からも、その影響力は今さら説明不要だ。しかしプログレ界隈は元より、特に2006年作の4thアルバム『10,000 Days』がメタルシーンに与えた影響は未曾有で、中でもギタリスト=アダム・ジョーンズによるメシュガーの影響下にある“ガーの精神”およびギョンギョン系のギター・アプローチは、当時(メシュガー以降)のメタルのトレンドを的確に捉えていて、特に『10,000 Days』はメシュガーやGojiraと全く同じチューニングで聴けちゃう、10年代以降のDjentやモダン・ヘヴィネスのハシリ、かつサウンド・プロダクションおよび音圧、そして“メタル”の醍醐味であるダイナミックな曲構成までもTOOL史上最高に“メタル”をクソマジメにやってのけた作品と言っていい。それは同時に、“キザミ”の才能が開花した“キザミ王”としての目覚め、“キザミ王”としての自覚が芽生え始めたのが『10,000 Days』に他ならなかった。いわゆる“黄金のキザミ”の一例として挙げると、個人的によくイヤホンを視聴する際のリファレンスにしているのが冒頭の“Vicarious”と“Jambi”の“キザミ”で、特に“Jambi”の開始30秒の“黄金のキザミ”をどれだけ気持ちよくキザめているか、どれだけ正確な質量をもってジュクジュク鳴らせているか、とにかく“黄金のキザミ”を図る指標としても欠かせない一品である。
その『10,000 Days』からいつまで経っても新作が出ない、いわゆる“アルバム出す出す詐欺”を某ナントカJAPANの某ヨシキと競い合っていたTOOL。もはやファンの間で「リアル10000日後に出すんじゃねぇか」みたいなマジか冗談か分からないような雑音が聞こえてくるほどだった。そんな生ける伝説ことTOOLは、某ヨシキとの“アルバム出す出す詐欺”の10,000日耐久チキンレースに敗れた結果、約13年ぶり=4,868日ぶりにt待望の新作となる5thアルバム『Fear Inoculum』を発表した・・・けど、その前に、TOOLが前作から13年も瞑想している間に世界の音楽を取り巻く環境はガラリと変わった。その最たる変化を与えたのが“ストリーミング”の登場に他ならなかった。今や映画/ドラマ/アニメ/音楽まで、世はまさに“大ストリーミング時代”である。しかしTOOLが瞑想していたこの13年、前作とほぼ同時期に誕生した今や知らない人はいない動画サイトのYouTubeは元より、今から11年前の2008年にサービスを開始した“音楽ストリーミング”の先駆けとなるSpotifyの存在も知らぬまま、もはや“トゥール“といえば「何も知らないジョン・スノウ」と同じ“時代遅れの化石”あるいは“保守的な老害”の代名詞となっていた。しかし、驚くべきことにTOOLは4,868日ぶりに目覚めると、これまで“時代遅れの化石”と揶揄してきた世界の、人類のド肝を抜いた。それが13年ぶりの新作を筆頭に、旧譜のチクビ解禁もといストリーミング/デジタル配信解禁、そして公式YouTubeチャンネルに過去のMVフル解禁だった。
このチクビ解禁、もといストリーミング解禁の何が衝撃的かって、その辺の音楽界の重鎮がストリーミング解禁するのとは訳が違って、(4インチのHDスクリーン仕様の完全生産限定盤を見てもわかるように)世界で一番フィジカルの“ガワ”にこだわってきたフィジカルモンスターのTOOLがデジタル解禁した事の衝撃だ。それにまつわる笑撃話として、(時代遅れのCD通常盤は後回しで初回は限定盤のHDスクリーン仕様にしたお陰で)Spotifyのストリーミング音源で(10年ブログやってきて)初めてレビューを書く事になったのが、まさかのTOOLだったのは流石に面白すぎる話だよね。でもこれって時代の変化、音楽を取り巻く環境の変化がダイレクトに反映された、それこそ13年の月日を物語る結果以外の何者でもなくて、そういった意味でもTOOLってつくづく偉大なバンドだと、もはや「TOOLのある所に時代の変化あり」だ。しかし当ブログWelcome To My ”俺の感性”を立ち上げた当初は、PCオーディオ→数年前からポタオデ→現在はDAPのSpotifyアプリから直接ストリーミングでTOOLの新譜を聴いてレビューを書くという・・・この“新時代感”たるや。
でもTOOLの13年ぶりの新作発表およびサブスク解禁に関する話で一番面白かったのは、他ならぬ(イェンス・ボグレンとマブダチの)全米一の歌姫テイラー・スウィフトとビルボードチャート1位の座を争う結果になったこと。過去にマージンの件でSpotifyと一悶着あった“ゴネ得お姉さん”と13年間瞑想していた“時代遅れの化石”の因縁対決は、我らがTOOLに軍配が上がった。すると案の定テイラーファン=スウィフティーズが「誰なんだよこのハゲわーーーーーー!!」とブチギレた模様。いわゆる“ロックは死んだ”と揶揄される時代に、全米いや“洋楽”を代表する歌姫を打ち負かすTOOLのレジェンドっぷりに改めて脱帽(どうでもいけど、テイラーの曲をSpotifyで聴くのちょっと皮肉っぽくて好き)。今作の真の面白さって、実はそういった場外乱闘的な部分にあるんじゃあないかって。ちなみに、テイラーとともに洋楽ポップシーンを代表するジャスティン・ビーバーもTOOLのフアンを公言していて、つい最近ジャスティンが人気カントリーデュオとコラボした曲タイトルが“10,000 Hours”ってのは確信犯過ぎるけどw
しかし、この“サブスク解禁”という現代の主流それこそ大衆に迎合する行為、デビューから一貫して音楽的にも精神的にも全てが“規格外”で、尖りに尖りまくってきた本物のパンクバンドが遂に日和ったかのように見えた。しかし、蓋を開けてみれば全10曲トータル約85分という“規格外”過ぎる内容・・・だが、ここでお気づきの通り、いわゆる“普通のCD”って収録可能時間が74分から80分が限度、つまり今回は85分の限度を超えるCD版だけはインストを抜いた全7曲トータル75分の仕様となっていて、もはや収録時間すらCDを“時代遅れの化石”と捉えた“不完全版”にしているのも、それすなわち収録時間に制限のないストリーミング・デジタル配信が言わば“完全版”として位置づけているもの全て意図的にしか思えなかった。一方でストリーミング時代におけるメインストリームのポップスは約3分が標準的なフォーマットであるにも関わらず、むしろ逆にCD盤は全7曲トータル75分、つまり全曲10分超えという、当然のようにシングルすらラジオで流せない、ロック史の中で例えるなら『ボヘミアンラプソディー』の頃のクイーンと同じ状態にある時点で、メインストリームの対極に位置するパンク精神はむしろ逆に際限なく極まっていた。TOOLはこれっぽっちも日和ってなんかいなかった。むしろTOOLはTOOLだった。TOOLこそ紛れもない本物のパンクバンド、その証明でしかなかった。
さっきも書いたように、世界一フィジカルにこだわってきたTOOLですらCDは二の次、しかし初回は4インチのHDスクリーン仕様という訳の分からない限定盤なのは、いわゆる“現物のパッケージを含めて一つの作品”という従来の捉え方、一貫してフィジカルにこだわってきたバンドならではの普遍性とプライドを垣間見せる。そんな世界一のフィジカルモンスターだったTOOLでもデジタル化の時代の流れに抗えないわけで、だから今の時代にフィジカル重視は“時代遅れの化石”と揶揄されても仕方がない。そもそもの話、誰だってアートワークやブックレットなどの“ガワ”にこだわって作ってるのなんか当たり前だし、誰だってパッケージが成す意味を含めて一つの作品だと思ってるに決まってるし、正直に言っちゃうとストリーミング時代だから仕方なくサブスク解禁してるアーティストが殆どだと思うし、だからこの期に及んで未だに“パッケージ含めて一つの作品”と古典的な言い訳してる奴らはただのエゴでしかないですね。あの星野源ですらストリーミング解禁したってのに(どうでもいいけど『逃げ恥』の“恋”って初期のP!ATDだよな)、そして時代遅れのフィジカルモンスターの最後の砦(心の拠り所)だったTOOLがチクビ解禁したってのにね。TOOLの影響下にないバンドはまだしも、ましてTOOLに影響されているヘヴィロックバンドでサブスク解禁してない奴らとか本当にダサすぎて目も当てられない。え・・・?まさか日本にそんなクソダセェバンドはいないよな・・・?もしいたとしたら・・・そんなクソつまんねぇバンドはクソつまんねぇユーチューバーとコラボして2秒で炎上してろ!w
約13年ぶり、厳密に言えば4,868Daysぶりの新曲、アルバムより一足先に先行公開された表題曲でありシングルの“Fear Inoculum”を恐る恐る再生した瞬間、まるで蛇神ナーガラージャの巨大な蛇鱗に象られた迷宮を彷徨う、それこそ人生の無限ループの輪廻から逃れられない無間地獄に引きずり込まれた。確かに、確かにイントロからパーカッションを駆使したチベット密教的な、民俗音楽的な側面を持つTOOLらしいトライバリズムが確かに存在していた。その音作り及び音使いから何までTOOL以外の何者でもない、それこそ『10,000 Days』後の続きとして聴いても全然違和感のない、まぎれもなくTOOLの音そのもので、前作から10,000Days(厳密に言えば4,868Days)ぶりのブランクを微塵も感じさせない事に感心する。そして、何よりもウン千年ぶりに“TOOLの新曲”を聴いている事実に素直に感動しつつも、しかし一方で「このそことはかない“曖昧さ”は一体何なんだ・・・?」と、その謂れのない“したたかな恐怖”=“Fear”を感じている自分がいた。それはまるで中身の抜かれた蛇の抜け殻のような、どの音楽ジャンルにも属さない、地に足のついていない幽霊のような、確かに“そこ”に存在するのに手で掴もうとしても掴めない透明人間(=Invisible Man)のような、確かに“そこ”にいるはずなのに実体が伴ってない感覚、“そこ”にあるはずなのにNothing(=何もない)状態、その実体に比べて「質量にあるべき重量に達していない」ような、それはまるで人の記憶のように“曖昧”で、確かな過去の記憶(思い出)と誰かに記憶を改竄されたような“曖昧な記憶”が入り混じるかのような、それはまるでポスト・トゥルース時代における『真実』という言葉の“曖昧さ”を皮肉るかのようでもあった。
この表題曲が醸し出す不可解な“曖昧さ”、それは結論からすれば「本来刻むべき所で刻んでない」にあった。この曲自体、正直“メタル”と呼ぶには少し物足りなくて、強いて言えばメタル要素を諸々ぶっこ抜いたアンビエント・ポップ的なオルタナというか、そのメタル減オルタナ増は、本来なら“キザミ”であるはずの7分17秒以降のリフが象徴していた。イントロから曲中盤までは(過去の記憶を思い出すように)緩やかに進行していき、僕のようにTOOLを「メタルの文脈」で認知している人なら、ここいらで「(キザミが)くるぞ・・・(キザミが)くるぞ・・・」とニヤニヤしながら待ち構えると思うのだけど、蓋を開けてみたら「(キザミ)がくるぞ・・・くるぞ・・・(シーーーン...)・・・なにィィィィイイッ!!何故だ、何故そこで刻まないィィィ!!トオルーーーーーーーーーーーッ!!」ってなった。この7分17秒以降の“メタル”になりきらないキザミ、本来の“キザミかた”を忘れた“曖昧なキザミ=ポスト・キザミ”、例えるなら「俺たちはメタルじゃない俺たちはメタルじゃない絶対にメタルじゃない」とオラつく某ヴィジュアル系バンド並みに「絶対にメタルに陥らない」という確固たる意志を感じるキザミとギターの音作りも、まるで焦らしプレイのように不可解な曲にしか思えなかった。
その不可解な“曖昧さ”は、2曲目の“Pneuma”で更なる迷宮へと誘う。イントロから『孤独のグルメ』の「俺は一体誰なんだ・・・?やはり俺の正体は個人輸入雑貨商なのか・・・?そんな事より、腹が減ってきた・・・」が脳内再現されるポンポンポンポン♪とグルメな擬音がどこか夢を見ているかのようで、それは未だに抜け出せない『空腹』もとい『悪夢』にうなされているかの様な、無間地獄という名の絶望の淵を彷徨うかのようなポスト・ドゥーム的なヘヴィネスが身体にまとわり付く。表題曲がアンビエント・ポップだと解釈するならば、この曲はアンビエント・ドゥームみたいな感じで、この曲でも本来の“キザミ王”としての威光がTOOLの記憶から抹消された、オルタナ然とした世界観の中でポスト・キザミを軸に10年代のポストメタルへの回答を示す。中盤以降はSF映画『メトロポリス』的ディストピアな世界観を描写するスペース・アンビエントなシンセが鳴り響き、約12分の曲も終わりに近づき半ば諦めかけていた次の瞬間・・・それこそMastodonの“The Czar”と共振し合うソリッドな“キザミ”が“記憶の断片”として脳裏にフラッシュバックする。すかさず僕は「え゛っ、あ゛っ、ちょ!?!?!?!?!?!」っと動揺するも、直ぐさま冷静になって「トゥールのアルバムなのに、なぜマストドンの“The Czar”なんだ・・・?」と、この『悪夢』から抜け出す解決の糸口かと思えば、むしろより難解で曖昧な深い深い沼に足を踏み入れてしまったような気がした。しかし、やはり、やはりこの巨大な迷宮から抜け出す鍵を握っているのは“キザミ”だった。
今やアメリカのメタルを象徴するまでとなったMastodonの最高傑作と名高い2008年作の『Crack the Skye』って、実はTOOLの『10,000 Days』を意識したんじゃねぇか説あって(なお、本人たちは「過剰に装飾されたクリスマスツリーのようだ」と自虐している模様)(確かに、これはジングルベルばりにチンチン鳴りまくってるけどw)、実際この『Crack the Skye』にはTOOLの『10,000 Days』に肉薄する“黄金のキザミ”が秘められた、『10,000 Days』を超える唯一の“キザミアルバム”と言っても過言じゃあない。あれから10年(厳密には11年)経って“キザミ王”であるTOOLが“記憶の断片”として再び脳裏にフラッシュバックさせたのは、改めて『Crack the Skye』が“黄金のキザミ”を受け継ぐ正統後継者にして唯一無二の存在であり、この『Crack the Skye』が歴史的名盤と称される理由、それをたらしめる“記憶”の伏線回収以外のナニモノでもなかった。もう10年代が終わりを迎えようとしている今こそ、“00年代のメタル”を象徴する名盤として再評価すべきタイミングなのかもしれない(なお本人たち)。
実は、Mastodonの『Crack the Skye』と同じく再評価すべき“隠れ黄金のキザミアルバム”としてあるのが、同年の2008年にリリースされたIn Mourningの“デビュー作にして最高傑作”の『Shrouded Divine』に他ならない。この作品も後にAmorphisの『Under the Red Cloud』に影響与えてんじゃねぇかぐらいの隠れた名作で、実は同郷スウェーデンの重鎮Opethの名盤『Ghost Reveries』をバックグラウンドとしている事でも知られる。ご存知、Opethの『Ghost Reveries』はOpeth史上最もTOOLに影響された作品でもあって、その同郷繋がりの伏線があって、その(一時はツーマンツアーを期待されたぐらいの)TOOLとOpethの後継者と呼ぶべきMastodonとIn Mourningのキザミアルバムが奇しくも同年に発表されたのは、いま思えば必然的な出来事だったのかもしれない。その年間BESTアルバムにも挙げた2枚のキザミ作が出たちょうどこの頃から“キザミ”の存在を明確に意識し始めた時期でもあって、そう考えたらこの数々の“10年”という月日は“キザミ”を追い求めた10年といっても過言じゃないかもしれない。
某個人輸入雑貨商が空腹を鳴らしているポンポン♪した擬音と、お坊さんが木魚をポンポン叩くようなドラムの一定のリズムが再び人類に記憶障害を呼び起こす3曲目の“Invisible”は、曖昧な記憶のまま自分の正体が約15年ぶりに新作を発表したA Perfect Circleのボーカリスト=メイナード・キーナンであるという“過去の記憶”を取り戻しかけた次の瞬間・・・「ダッダッダッダッ ダッダッダッダッ」という巨大な足音を象った“キザミ”が壁を突き破り、地上を激しく揺るがしたその日、人類は思い出した。“ヤツら”に支配されていた恐怖を...鳥籠の中に囚われていた屈辱を...。それは“透明人間=Invisible Man”が八百万の神ならぬ八百万のキザミを質量として実体(巨大)化したような超大型や女型、そして変則的な動きを見せる奇行種まで、“ヤツら”は(質量と重量が比例しない)様々な種類の“キザミ”に姿を変えて次から次へと壁内の人類に襲いかかり、地上の生物を容赦なく蹂躙していく・・・。
4曲目の“Descending”は、巨人の蹂躙によって壁内が文字通り「無」となり、この世の地獄に絶望した人類を無情にも嘲笑うかのような静けさを運んでくるさざなみのSEから始まる。しかし、そのさざなみは静寂と共に絶望した人類に“黄金の風”を運んできていたことを、あの日の僕たちはまだ知らない・・・。巨人に大切なものを奪われた人類の「怒り」が電子信号という名の伏線となり、支配者層によって改竄された“過去の記憶”を一つ一つ紡ぎ出し、そしてメイナード・キーナンの「Stay Alive!! Stay Alive!!(戦え、戦え、そして抗い続けろ!)」という“過去”からの『メッセージ』に呼応し、「駆逐してやる・・・!」と心臓を捧げた一人の少年がいた。そう、彼の名は・・・
『進撃の井之頭五郎』


それは人類の「希望」か?それとも「個人輸入雑貨商」もとい「悪魔」か?“座標”の持ち主である進撃の井之頭五郎は、“キザミ”の原型を作った始祖ラタタラスの記憶が“黄金のキザミ”を経由して、これまでの伏線という名の記憶が一つに繋がった瞬間、自らが“キザミ王”である事に目覚め、そして『進撃の巨人』として覚醒する。この“Descending”の9分30秒以降の始祖ラタタラスから受け継いだ千里眼により巨人体解剖学の記憶という名のネットリと絡みついてウネるキザミは、壁内屈指の“キザミ鑑定人”である私が審査してきた歴代“黄金のキザミ”ランキング1位の記録を更新したほど、ここまで実体の質量と重量が“黄金比”で比例するキザミは未だかつて見たことがなかった。
しかし、始祖ラタタラス王の記憶を受け継いだ“座標”を奪い返すため、“ヤツら”は最終兵器である“Culling Voice”という名の“叫び”を発動させ、その選ばれし人種だけに伝わる電子信号を受信したユミルの民ならぬキザミの民が巨人化(奇行種)し、再び人類を破滅へと追いやっていく・・・。
“キザミ王”こと“進撃の井之頭五郎”は、人類救済の最後の手段として、全ての煩悩を捨て去り「我はオナ禁70日超えの解脱者である」と闇堕ちする覚悟で、“Chocolate Chip Trip”という名の精神と時の子供部屋に引きこもり、そして10,000 Days後にオナ禁の修行から舞い戻ると、なんと“進撃の井之頭五郎”は“進撃の巨チン”へと姿を変えていた・・・!
この『Fear Inoculum』は“7”という数字が一つのキーワードとなっていて、つまりは不完全版と思われた全7曲トータル75分のCD盤が実は“真の完全版”だったというよくあるオチで、その“7”という数字を象徴するのが他ならぬ“7empest”とかいう、例えばCrossesを†††にしちゃうやつとか、Bを8にしちゃうアイドルとか、それこそVを7にしちゃうサスペンス映画とか、終いには全文字入れ換えちゃうラッパーとかw、そんな厨二病のティーンネイジャーが好みそうなギミックを取り入れた“7empest”は、この物語『進撃の井之頭五郎』のクライマックスを飾るに相応しい名曲となっている。
先に言っておきたいのは、約15年ぶりにリリースされたAPCの新譜が“ロックは死んだ=ギターの時代の終わり”を象徴するかのような内容だったこと。それとは対照的に約16分にも及ぶこの曲では、「13年も瞑想してたんだから“ロックは死んだ”とか知らねぇよゴミ」とばかり、それこそ『amo』を出した途端「ロックは生きている」とアツい手のひら返しをカマしたBMTHのオリィリスペクトな、もはや13年どころじゃなくアダム・ジョーンズがギターリストとして目覚めた時から今までのキャリアの全てが凝縮された、始まった瞬間から“The Pot”や“Jambi”を筆頭に『10,000 Days』前の記憶の断片が一つの“歴史(ヒストリア)”として一本に繋がり、“座標”を持つ“キザミ王”改め“キザミ神”として歴代キザミ王固有のキザミを百式観音ばりに叩き込む音とリヴァイ兵長が巨人(奇行種)のうなじを屠るキザミ音が入り乱れながら、10,000 Daysの瞑想から目覚めたギター仙人ばりに叙情的な孤高のソロワーク、そしてハードコアのブレイクダウンならぬ(アダムが影響された)メシュガーあるいはPost-Djentな“ブレイクキザミ”、それら剥き出しのエゴから解き放たれる“メタル”然としたギタープレイが“地鳴らし”を誘発し、イェンス・ボグレンのマブダチやジャスティン・ビーバーを筆頭に、クソみたいな地上=メインストリームのポップスをまたたく間に蹂躙、壁内外の全ての生物を容赦なく滅ぼし、そしてこの地球をまっさらな「無」に還す・・・。これが、これがギターを必要としなくなった時代におけるギターの存在意義、巨人の支配から開放され「自由」を手にしたギターの存在証明である。
この曲の何が凄いって、それこそアダムのエゴ丸出しのギタープレイの一言に尽きるのだけど、これはもうアダムが影響を公言しているメシュガーのギタリスト=フレドリック・トーデンダルとマルテン・ハグストロームが編み出した、それこそ10年代のメタルを象徴するメシュガーの音=ギョンギョンギョンをポスト・メシュガーあるいはポスト・ジェント的な解釈をもって、この10年代の終わりに10年代のメタルギターを総括する重大案件だという事。この最先端のモダンなヘヴィネス=トレンドを知ってる時点で、13年も眠っていた“時代遅れの化石”とは真逆のギターリスト、その証拠に他ならなくて、とにかく今回はギターのエゲツない音作りや“キザミ”のバリエーションが異常で、もはやギターという楽器が表現可能な限界値を完全に超えちゃってるんじゃねぇかぐらい、今まさにプレイヤーとして全盛期を迎えたギターリストによる世界一のギターアルバムと言っても過言じゃない。しかし、この歳=還暦近くなってから、いわゆるギターヒーローと呼ばれるレジェンド達が棲む神の領域に足を踏み入れるとか・・・こんなカッコいいジジイたち他にいねぇよ。だてにテイラー女子負かしてないです。
最後まで聴いて俄然面白いと思ったのは、幕開けを飾る表題曲の“Fear Inoculum”がユミルの民ならぬキザミの民の記憶が改竄された“曖昧な曲”だったのも意図的な演出で、その表題曲と歴代キザミ王の記憶が蘇った最後の“7empest”はキザミの質量差から見ても表と裏の対比構造となっていて、今思い返せばあの不可解な“曖昧さ”にも全て意味があって、その全てが繋がっていたことに気づく。
今作最大のキーワードとしてある“曖昧さ”は、ありとあらゆる原因その起因としてアルバムの根幹部分に繋がっている。まずはジャンルとしてメタルでもオルタナでもハードコアでもない、その定位置が定まらない“曖昧さ”にある。元々、アンビエント的な側面を持つバンドだから表題曲は『10,000 Days』のミニマルなアンビエント調の表題曲の延長線上にあるものとして咀嚼可能。しかし、今作における“アンビエント”という表現はあくまで“感覚”としての“アンビエント”で、それを踏まえると全面的に“曲”としてではなく“音”として捉えるべき作品というか、少なからず聞き手の審美眼が試されるアルバムに違いないのは確かで、というより聞き手の姿勢にアンビエント・リスナー的な素養が求められる、と言った方がシックリくるかもしれない。どのジャンルにも、どちらの性別にも属さない“曖昧さ”や“女々しさ”こそ、今作を魅了する最大のパンチラインと言える。
いわゆるプログレ・メタルにありがちな転調転調雨転調みたいなド派手な展開は皆無で、むしろキレのない、起伏のない同じテンポと同じ雰囲気が際限なく続くイメージ。もちろん全く“動き”がないというわけではなく、無駄のない最小限の展開に抑えられ、かつ余分な音という名の贅肉が削ぎ落とされた、要するに“シンプルさ”を極めた裸同然のPost-TOOL(ある意味でTOOLの原型)、すなわちNaked-TOOL(ネイキッド・トゥール)のようでもあって、よりオーガニックでライブ感溢れる生々しいサウンド・プロダクションもこの“シンプルさ”に拍車をかけている。それにより音と音の隙間がスカスカに感じる部分も少なからずある。しかし驚くべきは音と音の距離感が黄金比率で保たれている所で、その明確の意図をもって計算し尽くされた音と音の隙間を埋めるような、ディストピア映画ならではの世界観を構築するシンセの役割、その存在はあまりにも大きい。アトモスフェリックな空間描写を担うシンセ効果により、冒頭の2曲ではEarthなどのポストロックやポストメタルに精通する部分がより際立ち、俄然ピンク・フロイドのような70年代のプログレをイメージさせ、それと同時にフォロワーであるRiversideの『Love, Fear And The Time Machine』やPorcupine Treeの『Fear of a Blank Planet』という現代プログレ界を代表するフォロワーへの回答、そして「2つのFear」への伏線を回収する。その“透明人間”と“Descending”以降のボコーダーやアルペジオを駆使した無機的な雰囲気は、俄然PTやana_themaに代表されるPost-Progressiveなモダンさを垣間見せる。
それと同調するかのように、ボーカリスト=メイナード・キーナンの歌に関しても必然的にハードコアなシャウトは皆無で、だからといってAPCに近いかと聞かれたらそれともまたちょっと違うスタイルというか、俄然お経を唱えるような歌い回しというか。一本調子と言ったら聞こえは悪いけど、メイナードも断食する修行僧みたいなリアル坊主と化している。少し変な例えをするなら、今作は動物のナマケモノがTOOLの曲を演奏してみた感覚、今風に言うと“ヴィーガン化したTOOL”みたいなね。なんだろう、これは「過去」「現在」「未来」の記憶の相互関係に近くて、例えばブラックホールの中では時間が遅くなるのと似た感覚。まるでメイナードの代わりにナマケモノが歌って演奏している、まるで休日になるとナマケモノになる自分が歌って演奏していると考えたら不思議と許せちゃうというか、というのは冗談でメイナードの隠しきれない年齢から来る衰えを、一方で衰え知らずの楽器隊が鬼神のようなパフォーマンスで支え合い、不足する部分を互いに補っている。それこそキャリア三十年近く経った今になって初めて、本来ならバンド結成当初の頃に経験する初期衝動を伴った、バンドらしいバンド・サウンドをやってる事に、とにかく楽器隊が老体にムチ打ってる感あって泣ける(特にダニーのドラムと音作りは過去イチで好きだし、#6のニカ×ドラムのバトルなんてマヂ最高)。なんだろう、精神と時の子供部屋で10,000日過ごして時空が歪んだ結果、これがホントの“デビュー作にして最高傑作”みたいな感じになってる。
一回通して聴いただけでアルバムの全体像がある程度把握できてしまったほど、実際にやってる事は過去最高に“シンプル”で、例えば曲終盤のクライマックスに向けて盛り上がり始めたと思ったら寸止めで終わるシンプルな曲構成、この煮え切らない生殺し感こそ今作を司る“曖昧さ”を象徴している。言ってしまえば、曲がメイチに盛り上がってきた所で“キザミ”、クライマックスのメインディッシュが“キザミ”、要するに“キザミ(質量30%)”から“キザミ(70%)”からの“キザミ(質量90%)”へと繋がる“黄金のキザミリレー”みたいな、もはや“曲構成”ではなく“キザミ構成”と言ったほうが適切かもしれない。このように、曲の見せ場としてある“キザミ(質量ウン%)”の部分にこそ“曖昧な曲”の“サビ”が実在する。
極端な話、表題曲の“刻まないキザミ”を皮切りにほぼ全ての曲に“キザミ”があって、例えば3曲目の“Invisible”ではある意味ソフトなメシュガー=ポスト・メシュガーと呼んでも差し支えないグルーヴィなキザミを中心とした、まるで“10年代の音”を作り上げたメシュガーに忠誠を誓わずして10年代は終われねぇと言わんばかりの、10年代を締め括るに相応しいポストメタルの新しい形としてキザミを再現している。ザックリと説明すると、いわゆるスラッシュ・メタルから派生したガニキやゴジラに代表されるポスト・スラッシュ、そのポスト・スラッシュから“スラッシュ”ではなく“ポスト”の方を抜き出したのがTOOLの“キザミ”なんですね。TOOLの凄さって、そのシーンで流行りのトレンドを惜しげもなく取り入れるフレキシブルさ(柔軟性)、そして精神と時の子供部屋の中で波紋の呼吸を修得したんじゃねぇかぐらいの“若さ”と“吸収力”にあるんじゃねえかって。しっかし、TOOLみたいなガチモンのレジェンドからDeftonesにも影響与えちゃうメシュガーの偉大さを改めて思い知らされた。
わかりやすい話で言うと、3rdアルバム『Lateralus』の“The Grudge”のイントロの“キザミ”が“Descending”では主食の“サビ”になっている、つまりは扱いが“真逆”になってるんだよね。しかし最終的には、その“曖昧さ”のお陰で歴代キザミ王が集結する“7empest”がアルバムのクライマックスとして“映える”わけで。つまり13年もの瞑想によって失われた“キザミ王”としての“記憶”を繋いでいく壮大な物語、そういった意味でも7曲で一つの曲みたいなコンセプト・アルバム的な解釈を成すべき重厚な世界観がある。その名作SF映画『メトロポリス』に通じるディストピアな世界観は、自ずと「10年代最高の漫画」である『進撃の巨人』と共鳴しないはずがなかった。いま思えば、表題曲を聴いた時に感じた“実体のなさ”の正体、その答えが“キザミ王”が“キザミ神”へと脱皮した後の抜け殻だったってこと。既に、既に“キザミ王”としてのTOOLは“そこ”にいなかった。だからこそ“実体のない曖昧さ”だけが“そこ”に残っていたんだ。だから初めは「中身スカスカやん」と油断するも、ふと気づけば濃く深い、深すぎる沼に引きずり込まれていた。むしろ“シンプル”過ぎる作りだからこそ、一つ一つの音の重みと質量、その精密度がこれまでとは比べ物にならないぐらい鋭利に研ぎ澄まされ、音数は最小なのに密度は最大限に詰まったギャップが凄まじい。
極端な話、表題曲の“刻まないキザミ”を皮切りにほぼ全ての曲に“キザミ”があって、例えば3曲目の“Invisible”ではある意味ソフトなメシュガー=ポスト・メシュガーと呼んでも差し支えないグルーヴィなキザミを中心とした、まるで“10年代の音”を作り上げたメシュガーに忠誠を誓わずして10年代は終われねぇと言わんばかりの、10年代を締め括るに相応しいポストメタルの新しい形としてキザミを再現している。ザックリと説明すると、いわゆるスラッシュ・メタルから派生したガニキやゴジラに代表されるポスト・スラッシュ、そのポスト・スラッシュから“スラッシュ”ではなく“ポスト”の方を抜き出したのがTOOLの“キザミ”なんですね。TOOLの凄さって、そのシーンで流行りのトレンドを惜しげもなく取り入れるフレキシブルさ(柔軟性)、そして精神と時の子供部屋の中で波紋の呼吸を修得したんじゃねぇかぐらいの“若さ”と“吸収力”にあるんじゃねえかって。しっかし、TOOLみたいなガチモンのレジェンドからDeftonesにも影響与えちゃうメシュガーの偉大さを改めて思い知らされた。
わかりやすい話で言うと、3rdアルバム『Lateralus』の“The Grudge”のイントロの“キザミ”が“Descending”では主食の“サビ”になっている、つまりは扱いが“真逆”になってるんだよね。しかし最終的には、その“曖昧さ”のお陰で歴代キザミ王が集結する“7empest”がアルバムのクライマックスとして“映える”わけで。つまり13年もの瞑想によって失われた“キザミ王”としての“記憶”を繋いでいく壮大な物語、そういった意味でも7曲で一つの曲みたいなコンセプト・アルバム的な解釈を成すべき重厚な世界観がある。その名作SF映画『メトロポリス』に通じるディストピアな世界観は、自ずと「10年代最高の漫画」である『進撃の巨人』と共鳴しないはずがなかった。いま思えば、表題曲を聴いた時に感じた“実体のなさ”の正体、その答えが“キザミ王”が“キザミ神”へと脱皮した後の抜け殻だったってこと。既に、既に“キザミ王”としてのTOOLは“そこ”にいなかった。だからこそ“実体のない曖昧さ”だけが“そこ”に残っていたんだ。だから初めは「中身スカスカやん」と油断するも、ふと気づけば濃く深い、深すぎる沼に引きずり込まれていた。むしろ“シンプル”過ぎる作りだからこそ、一つ一つの音の重みと質量、その精密度がこれまでとは比べ物にならないぐらい鋭利に研ぎ澄まされ、音数は最小なのに密度は最大限に詰まったギャップが凄まじい。
この重さ、深さ、質量、BPM、まるで人種のように多種多様な音作りとバリエーションで刻んでくる“キザミ”、その「キザミとは何か?」を知らなければ今作の『真実』には一生たどり着けない。結局のところは、『マツコの知らない“黄金のキザミ”の世界』を理解しているかどうかの話に繋がってくる。“シンプルさ”を極めすぎて“キザミ”以外の余計な音はいらんと、この質量と重量が比例した“黄金のキザミ”を永久に続けるだけでいいと、“シンプルさ”こそ“黄金のキザミ”が光り輝く条件とばかりに。それこそ“Jambi”の冒頭30秒間を延々リピートできる僕みたいな、ジュクジュクと黄金色に刻んでるだけで、刻まれる弦の音一つでシコれる僕みたいな、ある“特定の音”=“キザミ”を求めている人、その“たった一つのキザミ”を10000Days待ち続けるドMな修行僧なら無間地獄の中でも延々聴いていられるアルバムだと思う。そして「ビンッ ビンッ ビビビビンッ ビンッ」と音を立てて刻まれるたびにナニがビンッ ビンッに反応するドMの修行僧は、「ダメだ!煩悩に惑わされるな!(ビンッ ビンッ)オナ禁70日超えの自分を信じろ!(ビンッ ビンッ)」という戒めも虚しく、その煩悩に敗れ去った後に「こ、これはもう“キザミのASMR”だ・・・!」という、たった一つの『真実』見抜く・・・。
しかしTOOLレベルのレジェンドが考える“シンプルさ”はもはや狂気に近いものがある。今作の彼らは、物欲、食欲、性欲、SNS時代における承認欲求などの人間の行動原理における様々な欲求、それら108の煩悩の根本にある「貧」「瞋」「癡」の三毒から解放され「無」の境地にたどり着いた解脱者、すなわち“釈迦”なんじゃんじゃねえかって。つまり、『10,000 Days』という名の4,868日の修行により、「人は肉体を捨て、自我を捨て、他との境界を捨てて、一つの仏となり、そして仏から分かれて、他との境界を得て、自我を持ち、肉体を得て生まれる」という仏教に伝わる輪廻転生のルーティンからの解放、すなわち釈迦の目指した解脱に成功した結果、開拓者ではなく解脱者として一つの“極み”にたどり着いたのがこの『Fear Inoculum』なんじゃあないかって。
まさに“産みの恐怖”=Fearを超越したTOOLは、「過去」から「現在」に進むのではなく「現在」から「過去」に転生するかの如く、それこそ『進撃の巨人』で例えるなら過去の歴代王の記憶を通して未来を変える主人公エレン・イェーガーの如く、この『10,000 Days』後の現代のネイキッド・トゥールのナマケモノ状態に変態的な煩悩を手にして肉付けしていくと過去作のどれかに行き着くような感覚。結局それって今作がTOOL以外の何者でもないと、この13年の間決して自分たちを見失ったわけではなく、むしろ13年間自分たちの事しか見てこなかった結果、つまり自らの手でTOOLという名の『進撃の巨人』を一度解剖して、また一から再構築した結果、まじりっ気のない天然物のTOOL、それこそTOOLの“原型”であり、TOOLの根っこの部分が生まれたんだと思う。だから決して玄人向けなんかではない、この日を今か今かと待ちわびた根っからのTOOLファンに向けられた、そう・・・「2000年後の君へ」ならぬ「10,000日後の君へ」というメッセージが込められた、これがTOOLというバンド物語の“一話目”、すなわち“始まり”=創世を意味する黙示録であると。
もう何も言うことはない。僕がTOOLに求めていたモノの全てが詰まっている。そして、10年代の幕切れにWelcome To My ”俺の感性”がやり残していた唯一の謎である“黄金のキザミ”案件の“完全究極体伏線回収”以外のナニモノでもなかった。正直、ここまで自分の中にスッと嫌味なく入ってきたのは、BMTHの『amo』、Baronssの『Gold & Grey』、そしてsukekiyoの『INFINITUM』という、今年2019年を象徴する3枚の言うなれば“俺感総括アルバム”という名の“引力”と全く同じだったからだ。改めてキザミの王がキザミの王たる所以、そして「“黄金のキザミ”とは何か?」の答えを全世界に示してくれた事に感謝してもしきれない。あと、このアルバムに伴う北米ツアーの前座にキリング・ジョークをチョイスする辺り、やっぱTOOLって“わかってる”感あって安心する。つまり“日本のメタル・メディア界のキング”がこの『10,000 Days』ならぬ15,765文字Daysレビューを書いたって事は・・・あとは分かるな?
遂に来てしまった・・・“俺ィの感性”の実質“親”による“完全究極体伏線回収”ってヤツが...。
冗談じゃなしに、まさか『デス・ストランディング』のエンディング曲にチャーチズとか予想外過ぎて笑った。確かに、確かにここ最近のローレン・メイベリーはテラスハウスの部屋でOP曲の“Graves”を素足でライブパフォーマンスしてみたり(素足で)、更には「Sunn O)))」ツイートしちゃったりと天才メタラーアピールという名の実質“日本のメタル・メディア界のキング”である俺ィへの私信に余念がなかったけど(←おい)、この伏線回収は流石に想定外過ぎてダメだ・・・。しかも、このタイミングで先日の来日の際に小島秀夫監督と念願のズッ友写真を収めたBMTHとキーボーディストのジョーダンが「ルーデンス」とかいうデススト案件のツイートする始末・・・もうダメだこれ・・・(サントラというか“デススト・インスパイア”アルバムにチャーチズとBMTH参加確定...)。もう“完全究極体伏線回収”って次元の話じゃあない・・・。もはや「Kojima is God」というレベルじゃない・・・。
もっと言えば、もっと言えば、もうこのタイミングで書いちゃうけど、実は先日ドイツで開催されたIFA 2019のソニー・カンファレンスで、最大の目玉となるXperia 5の宣伝映像に、恐らくこの日のために新規に撮り下ろされた映像にBMTHが起用されてて(そこには新作の『amo』から“Medicine”をバックにオリィがソニーのヘッドホンしてレコーディングする風景やバンド演奏など)、それ即ちBMTHが新たな“ソニーの広告塔”として、新たな“Xperiaの広告塔”として採用された事を意味していて・・・そう、先日のサマソニで来日した際、真っ先にBMTHの面々が向かった先、それが小島プロダクション=小島秀夫監督の元だった真の理由、それってBMTHとかいうイギリス野郎が(曲名に“シャドーモセス”と名付けちゃうくらい)ただの『メタルギア』シリーズのファンだったからじゃなくて、それこそ“ソニーの広告塔”として今や実質的にソニーの“裏CEO”と呼んでも過言じゃあない小島秀夫監督のもとへ挨拶に行ったと解釈すると、今回の『デス・ストランディング』のメインテーマでもある“繋がり”という名の伏線回収、その全てに納得がいく。
このカンファレンスを(ちょうど暇だったから)生で見てたら急にBMTHが出てきて超絶バビったし、しかもこの映像に反応してたの日本で俺ィただ一人だけだったんじゃねぇか説あって(もはや俺ィにしか見えてない映像かと思った)、改めて「やっぱ俺って“日本の俺ィ”なんかなぁ?」とか思ったりしたんだけど、まさかその先にこんなドデカイ伏線がそそり立っていたなんて、まさか本家ソニーが“最後の伏線”を回収しにくるなんて夢にも思わなかったから、驚きというよりも軽く引いたよね。(ハッ!まさか、つい最近までスパイダーマンの件でソニーが炎上していたのは、音楽界が誇る炎上芸人ことBMTHを広告塔に起用する伏線だった・・・?)(しかしオリィはん、もはやソニーとズブズブな関係ですやんw)
これもうBMTHが“ソニーの広告塔”になっちゃったのなら、IFA 2019の直後に発表された新型ウォークマン=ZX500シリーズのオリヴェモデルもといLiSAモデルが99パーセントじゃなくて120パーセントの確率で出るって事じゃん・・・。正直、今回のIFA 2019の件は11月の再来日=ベビメタの前座と大阪単独、俺ィも参加予定の大阪単独のレポついでに書くネタだったのだけど、実質“親”である小島監督とチャーチズ=ローレン・メイベリーにこんな“完全究極体伏線回収”されたら、もう先にネタバレするしかないじゃん・・・。ちょっと待って、どうしようマジで・・・。というか、これ11月の大阪単独でデススト曲の「ルーデンス」演っちゃうフラグビンビンじゃね?オイオイオイオイオイオイオイ...マジかよ、一体どんな曲なんだ・・・。
話を戻して、『Death Stranding』の名を冠したチャーチズのエンディング曲、デスストの世界観そのビジュアル・イメージに反して、程よいぐらいに今のチャーチズのメインストリーム路線を踏襲した前向きでポップさのある(しかし1stアルバムっぽくもある)(いや、むしろかなり1st寄りの曲じゃね?)、しかし一方でエンディング曲ならではの「別れ」あるいは「儚さ」だったり、同時に「未来」への「希望」を抱かせるSF映画的な(神秘的な)雰囲気を併せ持つamoいもといemoい曲で、これは俄然デスストが楽しみになってきたってレベルじゃない、さっきから。エンディングでこの曲が流れてきたら泣いちゃう自信あるわ。
冗談じゃなしに、まさか『デス・ストランディング』のエンディング曲にチャーチズとか予想外過ぎて笑った。確かに、確かにここ最近のローレン・メイベリーはテラスハウスの部屋でOP曲の“Graves”を素足でライブパフォーマンスしてみたり(素足で)、更には「Sunn O)))」ツイートしちゃったりと天才メタラーアピールという名の実質“日本のメタル・メディア界のキング”である俺ィへの私信に余念がなかったけど(←おい)、この伏線回収は流石に想定外過ぎてダメだ・・・。しかも、このタイミングで先日の来日の際に小島秀夫監督と念願のズッ友写真を収めたBMTHとキーボーディストのジョーダンが「ルーデンス」とかいうデススト案件のツイートする始末・・・もうダメだこれ・・・(サントラというか“デススト・インスパイア”アルバムにチャーチズとBMTH参加確定...)。もう“完全究極体伏線回収”って次元の話じゃあない・・・。もはや「Kojima is God」というレベルじゃない・・・。
もっと言えば、もっと言えば、もうこのタイミングで書いちゃうけど、実は先日ドイツで開催されたIFA 2019のソニー・カンファレンスで、最大の目玉となるXperia 5の宣伝映像に、恐らくこの日のために新規に撮り下ろされた映像にBMTHが起用されてて(そこには新作の『amo』から“Medicine”をバックにオリィがソニーのヘッドホンしてレコーディングする風景やバンド演奏など)、それ即ちBMTHが新たな“ソニーの広告塔”として、新たな“Xperiaの広告塔”として採用された事を意味していて・・・そう、先日のサマソニで来日した際、真っ先にBMTHの面々が向かった先、それが小島プロダクション=小島秀夫監督の元だった真の理由、それってBMTHとかいうイギリス野郎が(曲名に“シャドーモセス”と名付けちゃうくらい)ただの『メタルギア』シリーズのファンだったからじゃなくて、それこそ“ソニーの広告塔”として今や実質的にソニーの“裏CEO”と呼んでも過言じゃあない小島秀夫監督のもとへ挨拶に行ったと解釈すると、今回の『デス・ストランディング』のメインテーマでもある“繋がり”という名の伏線回収、その全てに納得がいく。
このカンファレンスを(ちょうど暇だったから)生で見てたら急にBMTHが出てきて超絶バビったし、しかもこの映像に反応してたの日本で俺ィただ一人だけだったんじゃねぇか説あって(もはや俺ィにしか見えてない映像かと思った)、改めて「やっぱ俺って“日本の俺ィ”なんかなぁ?」とか思ったりしたんだけど、まさかその先にこんなドデカイ伏線がそそり立っていたなんて、まさか本家ソニーが“最後の伏線”を回収しにくるなんて夢にも思わなかったから、驚きというよりも軽く引いたよね。(ハッ!まさか、つい最近までスパイダーマンの件でソニーが炎上していたのは、音楽界が誇る炎上芸人ことBMTHを広告塔に起用する伏線だった・・・?)(しかしオリィはん、もはやソニーとズブズブな関係ですやんw)
これもうBMTHが“ソニーの広告塔”になっちゃったのなら、IFA 2019の直後に発表された新型ウォークマン=ZX500シリーズのオリヴェモデルもといLiSAモデルが99パーセントじゃなくて120パーセントの確率で出るって事じゃん・・・。正直、今回のIFA 2019の件は11月の再来日=ベビメタの前座と大阪単独、俺ィも参加予定の大阪単独のレポついでに書くネタだったのだけど、実質“親”である小島監督とチャーチズ=ローレン・メイベリーにこんな“完全究極体伏線回収”されたら、もう先にネタバレするしかないじゃん・・・。ちょっと待って、どうしようマジで・・・。というか、これ11月の大阪単独でデススト曲の「ルーデンス」演っちゃうフラグビンビンじゃね?オイオイオイオイオイオイオイ...マジかよ、一体どんな曲なんだ・・・。
話を戻して、『Death Stranding』の名を冠したチャーチズのエンディング曲、デスストの世界観そのビジュアル・イメージに反して、程よいぐらいに今のチャーチズのメインストリーム路線を踏襲した前向きでポップさのある(しかし1stアルバムっぽくもある)(いや、むしろかなり1st寄りの曲じゃね?)、しかし一方でエンディング曲ならではの「別れ」あるいは「儚さ」だったり、同時に「未来」への「希望」を抱かせるSF映画的な(神秘的な)雰囲気を併せ持つamoいもといemoい曲で、これは俄然デスストが楽しみになってきたってレベルじゃない、さっきから。エンディングでこの曲が流れてきたら泣いちゃう自信あるわ。
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