Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2019年07月

ローレン・メイベリーはメタル

チャーチズはメタル

デブ豚主催のフェスにチャーチズ出演というわけで、(パワー系繋がりという意味で)デブ豚チャーチズはまだしもGojiraチャーチズの並びは流石にシュール過ぎて笑う(これメシュガーじゃなくてゴジラってのがキモなのかも)(このメンツの中にsukekiyoが入っても全然違和感ない)。つまり、これはもう“チャーチズはメタル”=“ローレン・メイベリーはメタル”だな!


しかし案の定、この(メタル/ラップ/ポップス/オルタナ/エレクトロごちゃ混ぜの)ラインナップに噛み付く奴=メタル界一の問題児ことHateBreedのフロントマン=ジェイミー・ジャスタローレン・メイベリーのレスバトルがツイッター上で始まって、まずジェイミーなんでゴジラの上にチャーチズおんねん・・・今の音楽業界マジクソとつぶやくと、そのイキリツイートに対してすかさずローレンデブ豚が決めたラインナップやから音楽業界云々はウチ知らんし、そもそもジャンル論争は時代遅れの化石やし、そういったジャンル間のギャップを埋めていく事の方が大事やと思うし、ウチ過去に地元グラスゴーでゴジラ観てるし、デブ豚にいたっては3回も観てるし(というリアル“ローレン・メイベリーはメタル”発言からの)、“ポップ・ミュージック”やってるからって他のジャンルに理解がないわけじゃないでという火の玉ツイートぶん投げてて、なんだろう、やっぱローレン・メイベリーには敵わねぇなって。・・・そうなんだよね、僕はローレンの超可愛いルックスなんかよりも、このカッコ良すぎる内面的な部分をリスペクトしているんだよね(嘘こけ)。

でも、今回の件でローレンがツイートで言ってることって真理に近くて、このラインナップに象徴されるようなジャンルの垣根を超えたジャンルレスな“未来志向”の音楽こそ、BMTHが最新作の『amo』でやってる事そのものなんだよね。そうなんだよね、全ては『amo』に繋がっているんだよね。世はまさに“amo時代”なんだよね。でもちょっと待って、改めてローレンゴジラのライブ観てる姿を想像したらクソ萌えたんだけど・・・ローレンすき。好きすぎてもう100回くらいライブ観てる気分なのに実際は一度も生で観れてないという・・・。ダメだ、これ一生観れない奴だ・・・。ともあれ、そんなチャーチズBMTHがラインナップされている日本のサマソニすごい・・・(アツい掌返し)。

sukekiyo 『INFINITUM』

Artist sukekiyo
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Album 『INFINITUM』
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Tracklist
01. 偶像モラトリアム
02. 猥雑
03. 沙羅螺
04. kisses
05. dorothy
06. アナタヨリウエ
07. 君は剥き出し
08. 本能お断り
09. こうも違うモノなのか、要するに
10. 濡羽色
11. ただ、まだ、私。
12. 憂染
13. 漂白フレーバー

tamapiyoもといsukekiyoといえば、DIR EN GREYのボーカリスト=のサイドプロジェクトであり、個人的に2014年に発表されたデビュー作の『IMMORTALIS』と2015年作の『VITIUM』を聴いて以降の作品は、何かライブ会場限定?の映像音源集というこのネット時代に時代錯誤な流通方式で販売されたらしく、意地になって聴かなかったというか必然的に聴けなかったわけなんだけど、しかし一方でSpotifyでは配信されている(らしい)という現代的な側面もあったりと(と思ったらフルちゃうんかいw)、世はまさに映画/ドラマならびに音楽までもが“大ストリーミング時代”、それに伴うCDという時代遅れの化石円盤は、地球環境に悪影響を与えるプラスチックゴミを増やすだけという“イマドキ”の環境意識高い系の思想の持ち主なのかは知らんけど(海外の紙ジャケってそういう配慮もあるの?)、ともあれ“いつでもSpotifyで聴ける状態だと結局いつまで経っても聴かない説”という“Spotifyあるある”の話。しかしこの度、2017年作の3rdアルバム『ADORATIO』から約2年ぶりとなる4thアルバム『INFINITUM』をリリースするタイミングで、これまで会場限定だったEPの『ANIMA』と前作の『ADORATIO』が一般流通盤として3枚同時リリースされた。勿論、個人的に意地になってSpotifyでも聴いてこなかった過去作(結局フルで配信してなかったよくあるオチ)、そして待望の最新作である『INFINITUM』“今のsukekiyo”がどうなっているのか?そういった個人的な事情からも、とても楽しみにしていた。

まずsukekiyoの音楽性をおさらいすると、Kscope主導のPost-ProgressiveをはじめいわゆるPost-系にも精通するATMS系およびアートロック志向の強い洋風な音作りに、日本のヴィジュアル系ならではの、それこそ日本を代表する久石譲ばりの“和”の叙情性を抱き合わせた歌モノのV系オルタナで、それこそ衝撃的なデビューを飾った『IMMORTALIS』はその特異なサウンド・スタイルと、怖いもの見たさの和製ホラー映画に精通する怪奇な世界観を極めし名盤だった。

今作の幕開けを飾る#1“偶像モラトリアム”から、繰り返し鳴り響く奇々怪界の怪奇音を奏でるオルタナギター、ギターベース、打ち込み、そして江戸川乱歩の怪作『孤島の鬼』並みに“アンタッチャブル”な物語の始まりを宣言するかのような、“声”を一つの“楽器”として捉えたのボイスが一つ一つ折り重なって、sukekiyoにしか描けないsukekiyoならではの極上のミニマリズムをもって、まるで気分は『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』ばりの洋風モダンホラーの世界を繰り広げる。これはずっと前から、それこそデビュー当時から思ってた事なのだけど、sukekiyoの音楽性および音楽的な変化および変遷は、Riversideのフロントマン=マリウス・デューダくんのソロプロジェクト=Lunatic Soulに近いものがあって、この洗練されたミニマルな曲構成にしてみても後期Lunatic SoulすなわちKscope系=Post-Progressiveの王道中の王道を目抜くソレで、(元々そのキライはあったけど)ここにきてインダストリアル/エクスペリメンタルなスタイルが本格化している。

これまでのsukekiyoにはなかった、本家DIR EN GREY『ARCHE』を更に重くしちゃいましたみたいな、それこそオルタナティブ・スラッジみたいな鬼ヘヴィネスをフィーチャーしたヘヴィロックの最高峰となる#2“猥雑”、パーカッションを駆使したオリエンタルな世界観をバックにタイトルの“沙羅螺”を花魁の踊り子が如し口ずさむという構図の#3における、転調から突如メタル化してバチグソにエロいGソロからGojira“Magma”っぽいフレーズに繋がるプログレスな展開は、sukekiyoなりのOpethへの回答なのか、はたまた本家DIR EN GREYへの回答なのか。

sukekiyoって元々、それこそデビュー作から往年の昭和歌謡を現代に蘇らせたような、(そもそもV系自体が古き良き昭和歌謡リバイバルであるという話はさて置き)それこそ2ndアルバムの『VITIUM』では、まるで『はぐれ刑事純情派』堀内孝雄が歌う主題歌あるいは美空ひばりが作詞した松浦亜弥“草原の人”ばりの昭和歌謡リスペクトな、言うなれば『はぐれ刑事変態派』をやってのけた。ギタリスト兼ピアニストのによるクラシカルでありながらジャズみのあるピアノが奏でる艶美な旋律との昭和歌謡リスペクトな歌メロで構成されたシングルの#4“kisses”は、まさにsukekiyoのアイデンティティが凝縮された『IMMORTALIS』の名曲“zephyr”と双璧をなす一曲と言える。

その昭和歌謡ルーツの流れを引き継いで、イントロからゲーム音楽風のシンセをフィーチャーした#5“dorothy”は、それこそTWO-MIXあるいはシティーハンターの“Get Wild”もしくはジャングルの王者ターちゃんのEDじゃないけど、とにかくaccess=浅倉大介界隈の90年代のアニソンを彷彿させる懐かしくもクサい雰囲気のある、あるいは当時アイドル視されていた中森明菜荻野目洋子、そしてテレサ・テンをはじめとする昭和の歌姫が昔の歌番組で歌っていそうなシンセ・ポップで、そのバンド・サウンドと電子音のsukekiyoらしい“オルタナティブ”なまぐわいは、初期のチャーチズばりにダーティなビートを刻むエレクトロ・ポップ風の#6“アナタヨリウエ”で真骨頂を迎える。このJ-POPにも精通するダサさは、ついさっきまで洋風モダンホラーやってたバンドとは思えないほどギャップが凄くて、この和から洋、洋から和へと自由に行き来する音楽性のフレキシブルさ=振り幅もsukekiyoならでは、魅力の一つだ。(もはやローレン・メイベリー大好き芸人からすればチャーチズっぽいシンセ要素があれば何でもいいという風潮)

Post-系はPost-系でも今度はバンド・サウンド中心のPost-Pならではのインテリジェンスとフェミニンな叙情性を発揮する#7“君は剥き出し”から、“インコにコンドーム事件”リスペクトなコンドームの暗喩が込められた歌詞がエッチな#9“こうも違うモノなのか、要するに”まで聴き終えると、僕は今作のテーマがBUCK-TICKリスペクトの“胎内回帰”である事を思い出す。そこで気づいたのが、今作って実は妊婦を模ったアートワークでお馴染みの本家DIR EN GREY『ARCHE』と対になる“裏アルケー”なんじゃねぇか説で、帯に書かれた胎内回帰への憧憬と無限の恋情を求める旋律は、終盤以降の曲に“希望”となって現れる。その中でも、ここまで溜まりに溜まりまくった情欲的な感情が激情的に溢れ出すピアノの旋律をフィーチャーした、歌舞伎で言うところの女形の役になりきる紅一点のがドストレートに“禁断の愛”を叫ぶ#11“ただ、まだ、私。”は今作のハイライトで、もしアートワークの六芒星が“子宮”の暗喩だと解釈するなら、真ん中の白い線がマンピーへと誘う“別次元”の入り口(ド下ネタ)、その線の下で光り輝くのがクリちゃんの暗喩であり(童貞並感)、もう我慢できないくらいヌレヌレでピューピューピヨピヨに鳴いちゃう#12“憂染”で遂に絶頂=オルガスムに達し、その毒毒しい“欲望”が“未来”への“希望”となって“胎内回帰”=“子宮還り”に成功した僕、するとオカンが嬉しそうにこう叫んだ。


「アンター!ひよこクラブ買ってきたわよーーーーー!!」

(お腹の子が“悪魔の子”であることも知らずに)


今作の裏テーマである“子宮還り”、あるいは“何度でも新しく生まれる”的なある種の“無限地獄”で思い出したのが、Kscope=Post-Pの創始者で知られるスティーヴン・ウィルソン『To the Bone』に他ならなかった。この『INFINITUM』は、ある意味ではSW『To the Bone』と真逆で、ある意味では同じ。生命の誕生、すなわち音楽の誕生、そして子宮を暗喩する“逆さの六芒星”、これが意味するのは“逆再生”の暗喩であり、“始まり”“終わり”の曲タイトルが漢字+カタカナという椎名林檎リスペクトな点も実に示唆的で、その漢字+カタカナシリーズで今作と強く共振しているのが、実は相対性理論『天声ジングル』というよくあるオチ

このアルバムで1番の“マンピーポイント”と呼べるのがその“終わりの曲で、アルバム中盤辺りからこれもうTrap鳴らしにきても全然おかしくない流れだと感じながらも終盤に差し掛かり半ば諦めかけたその時、その“終わりの曲となる#13“漂白フレーバー”のブレイクビーツ的なEDMというか、それこそ2019年を象徴する一枚となったBMTH『アモ』から“Fresh Bruises”を彷彿とさせるamoい打ち込みブッコミに笑った。というか、最後の最後でここ最近の世界的かつ俺的トレンドである“EDM”の伏線回収という想定外の展開。しかし、その予測不可能な“想定外”の存在がsukekiyo、その存在証明でもある。そもそも、“終わりの曲以前に#10“濡羽色”でもPost-Trapっぽい音鳴らしてて、もっと言えば前作の“純朴、無垢であろうが”の時点でTrap的な要素を取り入れた、先見の明のある変態的かつ前衛的な才能の持ち主でもあって、もはや本家よりも前衛的過ぎて薫くん「ちょっとTrapはやめてくださいよ。営業妨害でしょ・・・」って怒られちゃいそうw

もはや自分の知ってるsukekiyoじゃなくなってたってのが本音で、sukekiyoメンバー、特に楽器隊のポテンシャルはデビュー作と比べたら別人説が囁かれそうなくらいの変貌ぶりで、確かに全てが未知数だった1stアルバムとはベクトルはまるで違うけど、とにかく前作までのニッチな界隈向けのB級感あふれるオルタナ風の歌モノV系のイメージ、あくまでもオルタナの範囲内でバンド・サウンド重視だったその1stアルバムとは真逆、同時にのボイスもこれまで以上に楽器の一部としての役割が著しく強調され、つまり“京のサイドプロジェクト”の枠組みを超えた、れっきとした一つの“バンド”として本格化=“sukekiyoとしてのアイデンティティの確立と自覚”に繋がった結果、これもう本家超えちゃってるんじゃねぇかくらい全方位、全音楽ジャンルに向けて尖りまくっている。

しかし“sukekiyoらしさ”も健在で、バンドとして進化するところは着実に深化する一方で、『IMMORTALIS』時代の妖艶さだったり、持ち前の底抜けにポップでキャッチーなメロディはより優雅に、より大きな広がりを与えるチュー・マッドセンによるプロダクションも含めて音のスケール感が過去作と比べて段違い。つまり、ヴィジュアル系としてのアンダーグラウンドなマニア性=エクスペリメンタルな実験性とBMTH『アモ』=K-POPおよびJ-POPにも精通するポップでキャッチーな大衆性の両立、その絶妙なバランス感覚こそsukekiyoの真髄、sukekiyoの特色であると、今回それが極まりまくっててもう言葉にならない。

なんだろう、BMTH『アモ』Welcome To My ”俺の感性”における“ポップス”の再構築、Baroness『Gold & Grey』“俺感”におけるメタル/オルタナ/プログレそしてガルバンの再構築だと強引に解釈するなら、このsukekiyo『INFINITUM』“俺感”におけるV系/Post-系/アニソン系/EDM系の再構築なんじゃあねぇかって。この10年代の終わりを告げる2019年を象徴する3枚のアルバムは、この10年間“俺感”が書き記してきた事の全てが詰まっているといっても過言じゃあない、見事な“俺感”の総括でありマンピー。そんな事より八田エミリかわいい騙されたい(いきなり何の話)。

INFINITUM
INFINITUM
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sukekiyo
FWD Inc. (2019-06-26)
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Baroness 『Gold & Grey』

Artist Baroness
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Album 『Gold & Grey』
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Tracklist
02. I'm Already Gone
04. Sevens
06. Anchor's Lament
07. Throw Me An Anchor
09. Blankets Of Ash
10. Emmet - Radiating Light
12. Crooked Mile
14. Can Oscura
16. Assault On East Falls
17. Pale Sun

デブニャンもといバロニャンの愛称で知られるBaronessといえば、その楽曲よりも注目されがちなのが各アルバムそれぞれにポケモン方式で色分けされた、フロントマン=ジョン・ベイズリー作の芸術的なアートワークだ。まず記念すべき赤色を冠した2007年作の1stアルバムRed Albumでは、IsisPelicanに代表される00年代のヘヴィ・ミュージックのトレンドの一つであるポストメタル・ムーブメントにあやかったような作風で、いわゆるハードコアの枠組みで語られるようなアンダーグラウンド・メタル期待の新星として、メタル/ハードコアの双方からアツい熱視線を浴びると、続いて青色を冠した2009年作の2ndアルバムBlue Recordでは、一転してMastodonHigh on Fireに代表されるUS新世代メタルの領域に足を  踏み入れる。時は流れ10年代に突入し、今度は黄色緑色のリアルポケモン方式を採用した3rdアルバムYellow & Greenを発表すると、これまでは「ダメよーダメダメ」とジラシにジラシまくって批判を浴びていた禁断の聖域が遂に解禁・・・それこそ全世界待望となる“チクビ解禁”、このマンを辞しての“チクビ解禁”により、バロニャンの北欧の親戚であるオペニャンことOpeth大好きなクラシックなサイケデリック/プログレッシブ・ロックへのアプローチを強めると、次作の紫色を冠した4thアルバムPurpleからはもうショックミーーーーーーーー!!ならぬチックビーーーーーーーー!!とばかり惜しげもなく綺麗な乳首を晒していく、“名乳”もとい“名実”ともにお子ちゃま厳禁=R18のアダルトな音楽性へと進化を遂げる。

このようにして、バロニャンはポストメタル/ヘヴィロックから新世代メタルへと、まさにヘヴィ・ミュージック・シーンの移り変わりと00年代前半のIsisから00年代後半のMastodonの世代交代を追体験させるような、それこそ“時代”を象徴するようなバンドでありながら、作品ごとに音と乳首の色をカメレオンのごとく変幻自在に変化させ、デビュー当時からシーンの流行(トレンド)を審美し、常日頃から“オルタナティブ”な知性と貪欲な探究心ならぬ好奇心をもって、その類稀なる咀嚼力の高さを証明し続けてきた彼らが、次なる寄生先もとい次なる時代の“トレンド”として狙いを定めたのが、10年代の新世代メタルを象徴する“デッヘ”ことDeafheavenの存在だった。

「伝説 is Back...」

そんな、同じ“色(鎌)使い”チルボドが一方的に対抗意識を燃やしている(らしい)バロニャンはこの度、新メンバーとしてサイド刈り上げ系女性ギタリストのジーナ・グリーソンを迎え入れ、色の種類で最上級に位置する金色からの銀色と見せかけた灰色を冠する5thアルバムGold & Greyを約4年ぶりに発表した。まず、そのアルバムから一足先に先行公開された2ndシングルの“Seasons”を聴いた瞬間→「ダメだダメだダメだ、これダメだ、天才だこれ」って軽く引いたもんね。この曲の何が凄いって、まずリバーブがかった仄暗いATMSフィールドを張り巡らせる音響的な空間描写に長けたアンビエント・パートとオルタナ・ギターをチロチロジャカジャカと靡かせる、これまでのバロニャンのイメージを覆す音使いに驚愕するのもつかの間、何よりもド肝をぬかれたのが“ポストブラック界の伝説”ことAltar of Plaguesの歴史的名盤『Teethed Glory & Injury』をルーツとするギターの音像とプロダクションを経由したポスト・メタリックでソリッドかつノイジーなオルタナティブ・ヘヴィネス、そしてブラストビートからのDeafheavenAlcestに代表されるBlackgaze直系のノイジーなビッグバンが炸裂するクライマックスまで、なんかもう尋常じゃないくらいカッコヨ過ぎて泣いたのと、結論から言ってしまえば「完全に“伝説”の再来だこれ・・・」ってこと。


まず金玉アルバムを再生すると、幕開けを飾る#1“Front Toward Enemy”から“伝説”を経由したシングルの“Seasons”を経由した“ガー”“ガー”でもメシュガーが鳴らす“ガー”とは一線をがす“ガー”のオルタナ精神を宿した“伝説リフ”を中心に“オルタナティブ・スラッジ化したMastodon”をやってのけ、かと思えば一転してUlver『ユリウス・カエサルの暗殺』オマージュとばかりにアンニュイなアレンジを効かせた、それこそ(そのアルバムにも深く関わっている)キリング・ジョークキュアーをはじめとする往年のUKオルタナやシューゲイザー特有の音響意識を伴いながらメロゥなムードに誘う#2“I'm Already Gone”を筆頭に、まずアルバムを一聴して耳を捉えるのは、先述したとおりUKオルタナやシューゲイザー特有の空気感および空間表現に対する意識の高さだ。前作に引き続き今作のプロデューサーであるマーキュリー・レヴデイヴ・フリッドマンとの相互理解が2作目にして開花した結果、彼が手がけたモグワイMGMTをはじめ復活した日本のナンバガ(≠ZAZEN BOYS)ART-SCHOOL、それらの影響下にあるtricotばりにギタージャギジャギベースバキバキベギベギな、まさに「This is Alterna」な音像と音作りから成るポスト-ノイズを展開し、そして今作におけるその“オルタナティブ”な意図と目的を精密に再現するのがグレッグ・カルビによるマスタリングで、そのグレッグ・カルビといえばデッヘ界隈のNothingやピッチ界隈のThe War On Drugs、そして日本の岡田拓郎くんの作品でもお馴染みの世界的なエンジニアで、その“残響ノイズ”を意識した“オルタナティブ”なサウンド・プロダクションの伏線までも綺麗に回収しててもう完璧。ここでもしっかりと全てが“繋”がってるんだよね。


その音作りやプロダクションまで基本的には“オルタナ”をベースにしている一方で、SSWのGrouper坂本龍一、そしてスティーヴン・ウィルソン擁するNo-Manもビックリの音響意識の高いアンビエント・ポップあるいはアート・ポップ的なインストの#4“Sevens”や#8“I'd Do Anything”を聴いて思ったのは、奇しくもGrouperも新譜の『Grid Of Points』で“こっち側”に来たことを踏まえて考えると、今のバロニャンにとってこれほどまでに“シックリ”くるインストはないし、この瞬間にもうバロニャンが“そっち側”=“ピッチ側”に行ったことを示唆している。つまり、今作をわかりやすく一言で言ってしまえば“ピッチフォーク大好き”で、その“ピッチフォーク大好き”感を象徴する最大の曲と言っていい#5“Tourniquet”は、それこそバロニャンのルーツでありアイデンティティでもあるストーナー流れのメロディ=バロディをオルタナ化してリバーブを施したような、西海岸ルーツのDeafheaven直系のノスタルジーに誘うような黄金色に光り輝くメロディと“伝説リフ”がクロスした、それこそ“伝説”“伝説”の運命が交差したような、全く新しいバロニャン=シン・バロニャンを予感させる今世紀最大の轟音ポストメタルで、その#5のアウトロからピアノとストリングスが奏でるインストの#6“Anchor's Lament”へと繋がるアルバム構成とかまんまデッヘ『サンベイザー』“Dream House”“Irresistible”のオマージュ、あるいはデッヘもリスペクトするモグワイのオマージュだし、はっきり言って“デッヘ愛”というよりも“ピッチ愛”に溢れすぎている、これはもう“バロニャンなりのサンベイザー”と呼んじゃっていいかもしれない。

文字通り“ポストブラック界の伝説”ことAltar of Plaguesが2013年に残した遺作『Teethed Glory & Injury』は、これまでのポスト・ブラックメタル界の常識を覆すような、一方で“ポスト・ブラック”ד漆黒のキザミ”という前代未聞の邂逅を実現させた名盤で、そのインダストリアル×ノイズとブラック・メタルならではの“アンチ・クライスト”な“悪魔崇拝”×カルト宗教団体顔負けの狂気性を配合させた禁断のエクスペリメンタル・ブラック、それは例えるなら“オルタナティブ・スラッジ”あるいは“オルタナティブ・ブラック”とでも称するべきか、兎に角これまでのヘヴィ・ミュージックの常識を覆すような音像(プロダクション)は、奇しくも同年に発表されたポスト・ブラックの金字塔となるデッヘの『サンベイザー』と対をなす、ラース・フォントリアー映画ばりにヤバイ世界観と漆黒の邪悪ネスを身にまとった“地獄王ペイモン”を司る象徴(シンボル)であり、今作のバロニャンはそのデッヘサンベイザー』Altar of Plagues『Teethed Glory & Injury』というポストブラック界の光と闇、あるいは表と裏の二大名盤を飲み込んだ、もはや禁忌などというレベルじゃない神と悪魔が同居するアンタッチャブルな領域に足を踏み入れていて、もうこの時点でいかにこのアルバムが“ヤバイ”のかが分かるし、いやいやいや、もうなんだこの才能・・・やっぱわけわかんねぇ。なんだろう、ザックリ例えるならポスト・ブラック・メタルの音作りでフー・ファイターズやってる感じという訳のわからなさがもう天才としか。なんだろう、バロニャン史上初めて楽曲がアートワークのインパクトを超えてきた感。だからデッヘは元より、“伝説”の名前がない批評やピッチフォークは信用しない方がいいです。これ、“伝説”の存在を通して初めてその“ヤバさ”が理解できるアルバムだし、逆に“伝説”の存在なしにこのアルバム語る事の方が難しいと思う。

今作は同じ2色アルバムのバロモンイエロー&グリーンみたいに曲タイトルで色分けされておらず、ゴールドグレーの間には明確な境界線はないけど、ブックレットの折り返しから考察するに9曲目に当たるインストの“Blankets Of Ash”ゴールドグレーのちょうど中間に位置する曲だから、イエロー&グリーンと同じ9曲目から10曲目が一つの色の区切りとして考えていいと思う。で、「そういえば新メンにジーナ加入したんだったわw」とスッとぼけながら、北欧の親戚であるオペニャンあるいはテキサスのTrue Widowばりにメロゥでアコギな男女デュエットソングを披露する#10“Emmet - Radiating Light”、それこそイエロー&グリーンを彷彿とさせるヴィンテージかつフォーキッシュな香り漂う#11“Cold Blooded Angels”と、立て続けにグレー”=“灰色の世界に相応しい幕開けで始まる。このように、特定の“色”“音”で判断できるのはポケモン方式を採用しているバロニャンならではだよね。

神々しいくらいにド派手な色気のある作風だったゴールドに対して、後半のグレーは色のイメージどおりシットリ系の“いつものバロニャン”かと思いきや、今回のバロニャンは想定を超えてくる猫だった。それこそ「オメーは事実上解散したきのこ帝国あるいは初期の某Red Parkはたまた残響レコード出身者かよw」みたいなギターをガッガッガッってするあのやつ〜オルタナ系のバンドが必ずやるルーティーンみたいな弦をガッガッガッって鳴らすあのやつ〜でお馴染みのギターインストの#12“Crooked Mile”を聴けば分かるように、極端な話、今作はいわゆる日本の“残響系”に精通するほど、細部にまで徹底してこだわり抜かれた“オルタナ愛”に満ち溢れた作品である。

そしてグレーのハイライトを飾る#13“Broken Halo”と1stシングルの#15“Borderlines”は、過去すべての色の乳首をしたー・に回帰するような、それこそ旧世代メタルのMastodon大好きな王道プログレ・メタルを繰り広げ、オルタナだなんだ言ったところで結局は初恋の相手が忘れられない女々しい男のように、フロントマン=ジョン・ベイズリーの頭の中はで一杯おっぱい。しかしがいなきゃ今のバロニャンは存在しえなかったのも事実で、しかしバロニャンが評価される所以ってありがちなフォロワーに陥らない確かな審美眼と“したたかさ”の持ち主であることだ。まずデビュー作ではシーンのトレンドであるポスト・メタルに乗っかると、続く2ndアルバムのブルーで目をつけたのが当時の“新世代メタル”の象徴としていたMastodonの存在だった。ここで改めて、このアルバムの何が凄いって、そのデビュー当時のトレンドだったポスト・メタル〜(旧)新世代メタルから(現)新世代メタルを象徴するDeafheaven=ポスト・ブラックへの寄生変遷、まさにヘヴィ・ロックシーンの移り変わりを音で体現し続けてきたバンドならではの“時代”が記録された、ゴールドだけに金字塔と呼ぶに相応しい名盤で、これには乳首丸出しのビッチもといピッチもチクニー不可避の8.0点。チクニー・・・それはまたの名を・・・

ゴールド・エクスペリエンス=黄金体験

大人しく初恋のバンドに“回帰”したかと思いきや、岡田拓郎くんの“After The Rain”を彷彿とさせるエレクトロニカでド肝を抜いてくる#16“Assault On East Falls”、そしてスライドギターというかミョ〜ンとしたギターの動きやメロトロンみたいな音作りまで、もはやバロニャンなりの“21世紀のスキッツォイド・マン”をやってのける#17“Pale Sun”まで、モダンな電子音の後に60年代プログレとかギャップ萌えの度が過ぎるし、これにはスティーヴン・ウィルソンミカエル・オーカーフェルトもドン引き・・・。実はゴールドよりもグレーの方がジャンルレスな闇鍋オルタナだったというよくあるオチ。そして、本当の意味で“プログレッシブ”なのはMastodonではなくバロニャンだったという、それもよくあるオチ

結局のところ、今回の“オルタナ”と“ノイズ”のコラボレーションの行き着く先に一体何があるのか?って話で、それが、それこそが“新世代メタル”の象徴であるDeafheavenとのツーマン・ツアーに他ならなかった。今作における(デイヴ・フリッドマンが手がけた)モグワイ的なオルタナ流のノイズと、そのモグワイを敬愛するデッヘ(=伝説)およびAlcest的なBlackgaze流のノイズの粒子衝突は奇跡的な実験成功例であり、そのモグワイデッヘおよびAlcestと聞いてふと閃いたのが、他ならぬ近年ana_themaの実験的な音楽変遷とバロニャンの音楽変遷ならぬ色変遷の共振であり(キーワードはモグワイ)、つまり近年のana_themaAlcestと一緒にツアー回ったのと、2019年にバロニャンデッヘが一緒にツアー回るのって完全に韻踏めちゃう案件だよなって。そう、ここでも“Welcome to My 俺の感性”を取り巻く“繋がり”が存在していて、つまりBMTH『amo』“ポップス”面における“俺感”の総括だと解釈するなら、このバロニャン『Gold & Grey』“メタル/プログレ/オルタナ”面における“俺感”の総括と言っても過言じゃあない(もはやBMTHオリィ同様にジョン“俺感”の読者説ある)。しっかし10年代の終わりに、こいつらガチのマジに“伝説”からオルタナ系のガルバンまで全部全部ぜーーーーーんぶ“繋”げやがった・・・。もう完全に“引力”案件のアルバムだこれ。もう嬉しすぎて『amo』ぶりに泣いたわ、俺ィは一体ナニを書いてるんだ・・・って悲しすぎて泣いたもんホント。こうなったら俺ィも愛嬌いっぱいの可愛らしいチクビ解禁するしかないのか!?というわけで、これからは“チクビーマンさん”に改名したいと思います。

これ本来ならDeafheavenとの北米ツアーの流れのままツーマンで来日すべき案件でしょって、皆んなで一緒にショックミーーーーーー!!ならぬチックビーーーーーー!!したい!いや、ジーナちゃんと一緒にチックビーーーーーー!!ならぬショックミーーーーーー!!したくない?って思ったけど、ちょっと待ってデッヘの来日公演の相手皇帝じゃん・・・。そもそもこんな名盤、てっきりワードレコーズあたりが日本先行リリースしてくれるとばかり安心してたのに、(ただでさえ前作から自主レーベル化して流通クソなのに)そのワードどころか他のレーベルも国内盤を出す気配がなくて、やっぱ日本のメタルレーベルなんてどこも信用できねぇなって呆れ果てた矢先、まさかのソニー・ミュージックから10月に国内盤リリースの発表という、隅から隅までDeafheavenに乗っかっていくビッチ・パーフェクトなスタイル・・・だけど、それもよくあるオチ。まぁ、それはそうと、色界最強のゴールドが来たら次は何色か?と予想するのもバロニャンの嗜みで、そのヒントとして今回“バロニャンなりのサンベイザー”やったという事は・・・次こそ全世界のチクビーマン待望のンク“ブラック”ピンク乳首黒乳首『Black & Pinkあるぞこれw

Gold & Grey
Gold & Grey
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Baroness
Abraxan Hymns (2019-06-14)
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