Artist Bring Me The Horizon

Album 『amo』

Tracklist

Album 『amo』

Tracklist
01. I Apologise If You Feel Something
02. Mantra
03. Nihilist Blues (featuring Grimes)
04. In the Dark
05. Wonderful Life (featuring Dani Filth)
06. Ouch
07. Medicine
08. Sugar Honey Ice & Tea
09. Why You Gotta Kick Me When I'm Down?
10. Fresh Bruises
11. Mother Tongue
12. Heavy Metal (featuring Rahzel)
13. I Don't Know What To Say
???「だから言ったっしょ?」
「メタルとヒップホップとK-POP、全ては“繋”がってるんだよね」

・・・という、トンデモねぇ陰毛論ネタを駆使した出オチっぷりがハンパない始まり方が全てで、一体全体それは何故かっつーことを、今からちょっくら書いてくわ。っとその前に・・・BMTHのアー写見るたびに毎回ギターのデブがJanne Da Arcのkiyoちゃんに見えてしょうがないのと、今回のアー写もメタリカTの人殺めてそうなサイコパスヤク中デブみたいな感じホントすき。あとちびまる子ちゃんのブー太郎にも似てんなって。
- 『デンゼル・カリーは“メタル”』
まず、昨年末の最後に書いたBTSの記事の中で書いたのは、近頃のロック・ミュージシャンが口々に言うのは“いま世界で一番ロックしてるのはラップ/ヒップ・ホップである”というようなニュアンスで、実のところ僕がその例として挙げた言葉を引用させてもらった人物こそ、他ならぬBMTHのフロントマンオリヴァー・サイクスだった。昨年、そのオリィの問題?発言を収めたインタビューがWEBに公開されるやいなや、案の定ガチメタラーを中心に大量のBMTHアンチからボコボコに叩かれて大炎上したことが記憶に新しいよね。そのインタビューの中でオリィは、要約すると“最近のロック/メタルはクソ”であると、同時に今の時代「“いい音楽”は“メインストリーム”=“ポップス”や“ヒップ・ホップ”にある」と語っているんだよね。つまり、“ラップこそ新しいロックでありパンク”だと。
普通なら、自分も他のガチメタラーに同調してオリィの問題発言を叩くべきなのかもしれない。しかし、今の自分にはオリィの発言が正論にしか思えなかった。何故なら、僕もオリィと全く同じ意見を持ち始めていたからだ。それもつい最近。もっと言えば、昨年末のBTSからのデンゼル・カリー、そしてSadistikのトラップ三連発は、まさにこの“伏線”だったとしか思えなかった。つまり、オリィの言う“いい音楽”がある“メインストリーム=ポップス”のド真ん中をブチ抜いている「BTSはメタル」であると、そして自称“ブラック・メタル・テロリスト”のデンゼル・カリーも“メタル”なんだよね。
まさかそのデンゼル・カリーがヒップ・ホップ側の人間を代表して、まるでオリィの“ヒップ・ホップはメタル”発言に対する直接的な回答、その伏線回収をRATMのカバーという形で提示してくれたのは感謝しかなくて、これこそ本当の意味で“メタルとヒップ・ホップ”の邂逅なんだよね。とにかく、もう数十年前から“ロックは死んだ”状態のままの時代に、オリィは「ロックに興味がない人にロックを好きになるキッカケとなるバンドになりたい」と語っていて(なお、この発言も炎上)、それこそ今の時代に“ヒップ・ホップが一番メタル”だと“知っている人”ならではの発想、考え方であり、まさにそのオリィが感じている今のクソみたいなロック/メタルシーンに対する怒りと反骨心(パンク精神)によって生まれたアルバムが今作の『アダモちゃん』もとい『アモ』だ。ちなみに、この『アモ(amo)』とはポルトガル語で『愛(LOVE)』を意味しているんだよね。
その“Hip-Hop”と“EDM”は、今やR &Bと並んでストリーミングを中心に世界の音楽市場を牛耳っている二大音楽ジャンルで、その世界的に音楽の二大トレンドであるヒップ・ホップとEDMを積極的に取り入れ、そしてビルボードをはじめとしたメインストリーム・チャートにランクインするような“最先端のポップス”へとブチ上げることに成功したのが“K-POP”だ。ご存知、グライムスといえば先ほどの新曲をリリースする一方で、2017年にK-POPアイドルの今月の少女ことLOONAともコラボ作品を発表している。何を隠そう、そのLOONAの新曲“Butterfly”こそBMTHの『アモ』を紐解く重要なカギを握っているんじゃねえか説だ。この“Butterfly”は、まさに姉貴分であるグライムス譲りのエレクトロ・ポップから“世界”=“メインストリーム”を予感させる最先端のEDMまでも巧みに昇華した、それこそチャーチズともコラボしている世界的なDJマシュメロもビックリの2019年最高峰のポップスだったよね。この『アモ』は、そんなグライムスが内包するエレクトロなポップネスだったり、あるいはK-POPが内包するEDMなどのメインストリームの世界で通用する要素を大胆に取り入れた、言うなれば初期の頃から唯一無二の前衛性を伴いながら進化し続けてきた彼らの“終着点”とも呼べる、BMTH史上最も“実験性”に富んだ作品なんだよね。
- 『グライムスという“ポップ・アイコン”』
オリィは、ヒップ・ホップが最先端のロック・ミュージックであると説くと同時に、今の世の中の“いい曲”はメインストリーム・チャートにあると断言している。今やテスラCEOことイーロン・マスクのパートナーであり、現代のポップスのアイコンであるグライムスとのコラボが何よりの証拠だ。そんなグライムスは、つい最近新曲の“We Apperciate Power”という同郷のThe Birthday Massacreや自身も影響を公言しているNine Inch Nails風のサイバーパンク/インダストリアル・ロックを発表していて、今回BMTHがグライムスとコラボしたセカオワの“YOKOHAMA blues”ならぬ“Nihilist Blues”は、そのインダストリーかつ無機的な雰囲気を踏襲した、もはやグライムスそっちのけでダフト・パンクとチャーチズとana_themaが宇宙の果てでスティーヴン・ホーキング博士と出会ってヨロピクしちゃったような、ユーロビート感マシマシのパリピなアゲポヨ・ダンス・チューンとなっている。
- 『メシュガーはポップス』
BMTHのオリィと同じように、“今のメタルは古臭い・・・w”と発言してガチメタラーは元より今をときめく気鋭のメタルレーベルことHoly Roarの社長に手紙でガチ説教されるという前代未聞の大炎上芸をカマしたのが、他ならぬBMTHの元レーベルメイトでもあるBFMVの筋肉ダルビッシュもとい筋肉ダルマットで、その社長の手紙の中にはBMTHを引き合いに出してBFMVをディスっていたのがまた笑いに拍車をかけていたのも事実。とまあ、そんな炎上話はさて置き・・・その筋肉ダルマとオリィが口を揃えて“今のメタルはクソだ”と言うのは果たして本当なのか?確かに、某国某B!のメタルメディアから一方的に“メタル暗黒時代”の烙印を押されながらも、その実情は長きにわたるメタル史の中でも屈指の面白さを誇っていた“90年代”はまだしも、00年代からこの10年代にかけてのメタルシーンで生まれた“新しい音”を挙げるとなると、しいて言えば“メシュガーの音”ただそれだけなのかもしれない。この“メシュガーの音”というのは、その名の通りスウェーデン出身のメシュガーがその音をメタルシーンの中で確立し時代の“トレンド”となるやいなや、それは後にDjentなるメタルのサブジャンルを産み落とし、10年代のシーンを微力ながら活気づけ、最近ではUSのデブ豚ことDeftonesはガニキの音をオルタナティブ・ヘヴィの解釈で自らの音に持ち込んだ『Diamond Eyes』と『恋の予感』、それと同じくして同郷のKATATONIAも『Night Is the New Day』という傑作を生み出したのは今でも記憶に新しいよね。
シンフォブラ界の“アイコン”であるダニ・フィルスをここまで“おもちゃ”にしても許されるバンドって、間違いなく世界でもコイツらしかいないです。昨年このMVが公開された時は「ま〜た炎上するのか・・・」って思ったんだけど、それはもとより重要なのはファニーなMVじゃなくてこの楽曲の方だ。それこそ00年代以降のメタルの“トレンド”となったガニキのサウンド・スタイルを、10年代も終わりを告げようとしている暦の締めくくりに、ガニキ特有のヘヴィネスとガニキ特有のリズムをメインストリームの“ポップス”に落とし込む大馬鹿野郎が現れるなんて一体誰が想像した?要するに、BMTHは“メインストリーム”の対極に位置する“メタル”という“アンダーグランド”のヘヴィネスを“ポップス”にブチ上げちゃってるんですね。恐らく、ガニキの音をアンダーグランドからメジャーにブチ上げた最初で最後のバンドになるんじゃあないか(某メイドも?w)。それくらい“やることやってる感”がハンパないというか、“今のロックはクソだ”というオリィの言葉に裏打ちされた炎上上等の説得力ったらない。あのレジェンドガニキの音すらいとも容易く“ポップス”に変えてしまうあたり、ソニー・ミュージック(RCA)に切り捨てられたBFMVとは対照的に、冷静に考えてコイツらガチの天才です。もはや天才を超えた別のナニカです。むしろ才能しかない。
- 『ヘヴィ・メタル=ヒップ・ホップ』
そのポップスと並んで・・・いや、今やそのポップス以上に世界のメインストリーム・チャートを圧巻しているのがヒップ・ホップだよね。俺が昨年末に書いたBTS→デンゼル・カリ→Sadistikまでのいわゆる“トラップ祭り”は、その“時代”の流れ=“引力”的なものに釣られて“書かされた”ものであると同時に、このBMTHの『アモ』に対する“伏線”となっていたことを、あの日の僕たちはまだ知らないんだよね。そんな中、オリィの執拗なまでのヒップ・ホップに対する“愛”という名の“コンプレックス”の裏返しは、9曲目の“Why You Gotta Kick Me When I'm Down?”という曲で遂に爆発してしまう。
それこそ昨年末のBTS→デンゼル・カリ→Sadistikまでのトラップ祭りという伏線の答えがこの曲で、この曲ではオリィのダーティなラップを皮切りに、トラックまでもいわゆる“トラップ・ラップ”をルーツとするヒップ・ホップを披露している。何が凄いって、初っ端のオリィのラップのメロからしてSadistikのコディにしか聴こえなくて軽く泣いたのと、まるで“ブラックメタル・テロリスト”が乗り移ったかのような、しかし初期のようにハードコアに咆哮するのではなく、ハードコアはハードコアでも初期の叫び声から本場の黒人ラッパー顔負けに激しく吐き散らすタイプのハードコア・ラップに“変化”しており、この“叫び方”の違いは彼らが歩んできた音楽遍歴の進化を象徴するかのようであると同時に、それは今作の真髄的な部分にも直接的に“繋”がっている。言ったら、これもう『タブー』だよね。こいつらメタル界が唯一の“禁忌”としているはずの『タブー』を犯しちゃってるんだよね。そう、彼らはもう既にパンドラの箱を開いてしまっているんだよね。しかも挙げ句の果てには、“Heavy Metal”という名前を冠する曲でヒューマンビートボックス界の神で知られるラゼールとコラボするという二度目,三度目の禁忌=タブーを犯しているんだよね。またもや初期厨とガチメタラーがブチギレ炎上不可避の案件で、もはや一周回って笑ったというか、でもこれがオリィの考える“ヘヴィ・メタル=ヒップ・ホップ”に対する“答え”なんだなって。オリィにとって、これが“メタルの未来”であり真のメタルの精神なんだなって。だからこの『アモ』は、メタルやロックを聴いている時の感覚よりもヒップ・ホップを聴いている時の感覚に近いんだよね。例えば、4曲目のアレンジもSadistikの『Flowers for My Father』を彷彿とさせるくらいには“ヒップ・ホップ側”にルーツがあるよね。オリィもインタビューで「ディスられなきゃ“いい曲”は作れない」と発言しているけど、まさにそのとおりで、実際にそれを有言実行するオリィマジかっけえ(なお炎上)。
- 『ロリペドクソ野郎の後継者』
ここまでオリィの考える“ロックという名のヒップホップ”あるいは“ヒップホップという名のロック”をこれでもかと、クソッタレのロックシーンに『Am(m)o』という名の弾丸を撃ち込むッ!かのごとく、アルバム後半の流れはほぼほぼヒップ・ホップかと思いきや、ところがどっこい今作のハイライトを飾る“Mother Tongue”という曲で、いわゆる“ロリペドクソ野郎”が起こした某事件のせいでロックシーンの天下を取り損ねたロストプロフェッツの後継者を襲名し、今度はkiyo似のデブがやらかすフラグをビンビンにおっ立てる(おい)。正直ここで泣いたもんマジで。今現在も刑務所で( ˘ω˘ ) スヤァ...状態のロリペドクソ野郎への鎮魂歌(レクイエム)をここで、このロックの歴史を変える金字塔となりうる『アモ』でそれをやってのけるオリィの漢気に泣いたもんホント。もはやサビの「amo」が「エーーーモーーーー!」に空耳するぐらいエモいし、もう自分にはロリペドクソ野郎がステージ上でいつしか夢見ていたであろうロックの未来、そして現在のロックの希望を背負ったオリィが一緒になってシンガロングしているようにしか聴こえなかった。そしてロストプロフェッツ亡き今、ロック界の“アイコン”が不在の状態で、一体誰が今後のロックシーンを引っ張っていくのか?そのロックの未来を背負っていくというBMTHの力強い意思と炎上覚悟のガチメタラー煽りに僕は涙した(はい炎上)。
その曲のストリングスやキラキラしたシンセの鳴らし方が星野源や宇多田ヒカルばりのJ-POPという話はさて置き、同じくリード曲の“Mantra”や“Medicine”のようなロック系の曲にも似たようなことが言えるのだけど、中でも筆頭すべきは“Medicine”で、それこそ“ロックが死んだ時代”における“ギターの居場所”を提供しつつ、そしてチャーチズ的なエレクトロやBメロのTrap的なリズム、そのチャーチズとコラボしたマシュメロ、宇多田ヒカルとコラボしたスクリレックス、IZ*ONEとコラボしたジョナス・ブルーをはじめとしたトラップ使いのDJを連想させる、まさにメインストリーム・チャートのド真ん中をブチ抜くヤ〜ウェイ宇宙人の親戚的なアレンジ・・・まず、これを聴いて何を思い出したかって、他ならぬBTSの“FAKE LOVE”だったんだよね。なんだろう、ロック系の曲に限ってことごとくDJをはじめそれらの“メインストリーム”を経由した“ポップス”を象徴するアレンジが、ほぼほぼK-POPを聴いてるような錯覚を憶えるというか、アルバム聴いてても途中で「あれ?俺って今Kポ聴いてたっけ?」みたいな気分になるんだよね。これもう“BTSはメタル”というメタル側からの実質的な回答ですね。つまり、“いい曲”のある“メインストリーム”=“ポップス”のアレンジを積極的に取り込んでいるK-POPと全く同じ要領で、それこそ初めにLOONAの“Butterfly”が今作のカギを握っていると言った理由は全てこれらの“伏線”だったんだよね。もちろん、その“Butterfly”にトラップ的なアプローチがないわけではないよね。だから言ったっしょ?“メタル”と“ヒップ・ホップ”と“K-POP”、全部全部全部ぜーーーーーーーーーんぶ、“繋”がってるんだよね。そして、オリィはやっぱり今の時代“ポップスが1番面白い”ってことを“知ってる人”なんだということ。
- 『Post-Progressiveの未来』
EDMからヒップ・ホップからポップスまで、あらゆる“メインストリーム”のジャンルを“自分たちのサッカー”ならぬ“自分たちのロック”に落とし込むという、ある種の衝動にも近い実験的な前衛性、しかしその“実験的”なアプローチは一体どこからやってきたものなのか?そこで、僕が注目したのはPost-系という隠し味の存在だった。
今作は1曲目からティキティキニカニカなエレクトロとストリングスというまさにPost-系の常套手段を応用し、グライムスを迎えた3曲目のダンサブルなアプローチはもとより、4曲目の“In the Dark”はもはやヒップ・ホップとアート・ロックの邂逅と呼べる曲だし、6曲目の“Ouch”に至ってはUKの65daysofstaticやスティーヴン・ウィルソンとのコラボでも知られるPendulumを連想させる。中でも筆頭すべきは、10曲目の“Fresh Bruises”というブレイクビート的な打ち込みナンバーで、このRadioheadの影響下にあるアンビエント的な音響効果を伴うATMSフィールドは、それこそ“ana_themaがEDMを取り入れた“Distant Satellites”の実験性を更にワンランク上へとアップデイトさせた”と表現した方がシックリくる。つまり、今作には隠し味として“Post-Progressive”というUK発祥のアンダーグラウンド・ミュージックの“実験性”を隠し味として持ち込んでいて、そういった面でも俄然今作は2000年以降のアンダーグラウンドからメインストリームまでのUKロックを総括するという重要な役割を果たしている。また、今作は『amo』=“愛”をテーマとしている点でも、いわゆる“Love & Peace”を信条に掲げる秘密結社Kscopeと俄然韻を踏める要素で(同じソニー系列という点でも)、要するにこれもう“新世代のPost-Progressive”、すなわち“Post-Progressiveの未来”なんだよね。
アルバムのラストを飾る“Don't Know What To Say”も意味深な存在としてあって、まるでニーチェが提唱する“ニヒリズム”の立場を踏襲したオリィの苦しみや叫び、口を開けば炎上炎上雨炎上の炎上芸人である彼の心情そのものがこのタイトルに表れていて、ある意味で「なんかもうわかんねぇ音楽」みたいな今のBMTHが置かれた状況を歌ったかのような、まさしくこれがホントの“ニヒリスト・ブルース”ってオチ(しかしニヒリストもテロリストも同居するこのアルバムスゲーなマジで)。その曲としてもやはり意味深で、まず神妙な面持ちにさせるストリングスとアコギによるPost-系の王道となる組み合わせからニヤリとさせ、まるでニーチェが乗り移ったかのようなオリィが話の語り部として“なんかもうわかんねえ”と悟りを開きながら抒情的に進行し、するとデイヴィッド・ギルモアがアレンジしてそうな壮麗優美なストリングスから時空をこじ開けるかの如しギターの轟音とともにバンド・サウンドが合流、再びPost-系ならではのインテリジェンスを垣間見せながらクライマックスへ向けて“タメ”を作り、そしてオリィが“Don't Know What To Say”と自らに問いかけるような“叫び”というより訴えにも近い歌声から、過去の自分たちに降りかかった“呪い”=“ANATHEMA”をブラックホールん中に葬り去るかのような、バンド史上最も超絶epicッ!!なGソロを轟かせて大団円からのカタルシス...。“Don't Know What To Say”・・・それは、ロックが死んだ時代のロックシーンに生きるオリィが成せる唯一の抵抗、そして叫びだった。
このKscopeが提唱するアートロックイズムを継承した音使いから曲構成、そしてその存在意義まで、それこそana_themaの“ANATHEMA”の構成とほぼほぼ全く同じで、その曲が収録されたana_themaの『Distant Satellites』にはスティーヴン・ウィルソンをゲストに迎えたペンデュラムリスペクトな曲もあって、この『アモ』は聴けば聴くほど後期ana_themaと重なる部分が多すぎる。ちょっと面白いのは、その『Distant Satellites』の赤いオーロラの如しアートワークは韓国のメディア・クリエイターが手がけたものなんだよね。もう怖いくらい“繋”がってるんだよね。そういった細部の面も含めて、『アモ』の隠し味は『Distant Satellites』〜『The Optimist』の中でana_themaがテーマとして掲げた“実験性”に驚くほど瓜二つで、初期から現在までの音楽性の変化という点でもana_themaはBMTHの先輩に当たる(もはやモデルケース)。もう恐ろしいくらい綺麗に全部が“繋”がってるんだよね。もちろん、BMTHは初期の頃から前衛的な素質を垣間見せてきたけど、その内に秘めた前衛性を開花させた大きなターニングポイントとなったのが、他ならぬ2012年に加入したキーボードのジョーダン・フィッシュの存在だった。当然、他者に口出しされずここまで好き勝手やるため、今作はオリィとジョーダンのセルフプロデュースによるもの。
- 『オリィなりのポップスの再定義』
気づいた。これもうBMTHなりの“ポップスの再定義”なんじゃねえかって。“ポップスの再定義”と聞いてまず思い出すのは、ご存知スティーヴン・ウィルソンの『To the Bone』だよね。ここで改めて、BMTHのオリィはエレクトロ〜EDM〜ヒップ・ホップというメインストリームの“ポップス”を自分たちのロックという名のポップスにパッケージングした人間、つまり“ポップスが1番面白い時代”だと“知ってる人”なんだよね。それと同じくして、SWはホームである70年代のプログレだけでなく、コクトー・ツインズやディス・モータル・コイルをはじめとした80年代の4AD勢にも精通することを示すと同時に、一方でバンクシーもといマッシブアタックは元よりエイフェックス・ツインやスクエア・プッシャーに代表されるいわゆる“コーンウォール一派”の影響下にある打ち込み/エレクトロの要素を、大手ユニバーサル・ミュージック傘下のレーベルを介してメインストリームのロック(ポップス)にブチ上げたのが新作の『To the Bone』だった。つまり、SWも“ポップスが1番面白い時代”だと“知ってる人”なんだよね。その大手レーベル所属の“VEVO友”同士で“繋”がってる2人が、方やソニーから発表した『アモ』と、方やユニバーサルから発表した『To the Bone』の中でやってることって全く同じ“ポップスの再定義”なんだよね。オリィが“ヘヴィメタル”というアンダーグラウンドで培った経験と技術を“メインストリーム”というメジャーシーンにブチ上げた手法は、SWが“プログレ”というアンダーグラウンドで培った経験と技術を“メインストリーム”というメジャーシーンにブチ上げた『To the Bone』の手法と全く同じ、要するにこれは“メジャーマイナー論”なんですね。方や“メタル側からのポップスの再定義”、方や“プログレ側からのポップスの再定義”なんだよね。
本当に面白いと思ったのは、SWがコクトー・ツインズやデッド・カン・ダンスをはじめとした80年代の4AD勢からの影響を公言している『To the Bone』に対して、BMTHは現在の4ADの看板娘であるイーロン・マスクもといグライムスとコラボした所も綿密に“繋”がっている。あと『To the Bone』の最後の曲の歌詞に“Don't be afraid”ってあるのだけど、BMTHは逆に1曲目の“I Apologise If You Feel Something”という曲の歌詞に“Don't be afraid”を持ってきているのは偶然にしては面白くて、SWとオリィそれぞれの新作に共通するこの言葉の意味を解釈するならば、恐らくそれは“変化を恐れるな”という意味なんだと思う。それは勿論、音楽性の面は元より、環境の面や精神的な面に対する意味も含まれている。(他の隠し要素としてSWがプリンスとデヴィッド・ボウイへのレクイエム、オリィがロリペドクソ野郎へのレクイエムだし、アー写の❤️マークはSWがいつも愛用しているコムデギャルソンのTシャツリスペクトだし...えっ)
また、オリィは「なぜ“ヘヴィメタル”はラップのようにストリーミング・チャートを圧巻する存在になれないのか」と嘆いている(2秒で炎上)。ご存知、SWの『To the Bone』って実はSpotifyをはじめとしたストリーミングで音楽を聴くイマドキの環境にも対応する工夫がなされていて、それもあってシングルが地元イギリスのBuzzチャートにランクインしたのは記憶に新しいよね。その“知ってる人”同士で“繋”がってる、年は親と子ほど離れた2人の“ストリーミング市場”に対する共通認識もラップのように韻を踏んでいて、もはやSW=オリィと見ていいです。とにかく、それくらいBMTHの『アモ』とSWの『To the Bone』は作品の温度や構図、その“真実(truth)”の“愛(Love)”という精神性までも同じなんですね。同時に、様々なジャンル別の曲をギャップレスに“繋”いでいく、聴き手に考える余地を与えない“したたか”なギミックも『To the Bone』的なんだよね。そう言った意味では、今作は“オリィのソロアルバム”と解釈すべき作品なのかもしれない。ともあれ、SWの正統後継者がBMTHのオリィというオチは流石に想定外すぎて笑ったし、あと“やっぱ音楽おもしれえ”って。余裕でことしの年間BEST一位確定だし、年明け早々からBMTHとLOONAのワンツーフィニッシュで年間BESTが決まっちゃうとか・・・2019年幸先良すぎw
- 『オリィ=俺ィ説』
気づいた。これもうオリィ=俺なんじゃねえかって。だってこのアルバム、どう聴いても“ぼくがかんがえたさいきょうのぽっぷす”なんだもん。先ほどの“ポップスの再定義”といい、ana_themaといい、K-POPとの共振といい、だって4曲目の女性的なウィスパーボイスとかSadistik聴いてなきゃ絶対に書けないし、これもう確信犯でしょ。完全に昨年末の“トラップ祭り”の流れで韻踏めちゃうヤツなんだよね。なんだろう、これもう10年代後半のWelcome to My “俺の感性”を総括したアルバムでしょ。その“全ての始まり”こそ、2016年の相対性理論の『天声ジングル』なんだよね(やっぱえつこってスゲーわ)。もはや“俺の感性”ならぬ“オリィの感性”でしょ。もしやオリィって俺ィのブログの読者なんじゃねえか説あるわ。もう今日からWelcome to My “オリィの感性”に改名するわ。そんな冗談言いたくなるくらいには、もう完全にイギリスのオリィが日本の俺ィに書かせにきてる案件で、でもこうやってアーティスト側が“回答”を出してくれる有り難さったらなくて、マジこれ聴きながらドヤ顔で拍手したもんね。こんなに笑って泣けるアルバムとか本当に久々だった。
結局、普段からヒップ・ホップを聴いてる音楽ライターはデンゼル・カリーのRATMカバーには一切の関心を示さないし(予想通り)、方や普段から“俺たちはB!とは違う!”と豪語しているニワカメタラー御用達雑誌こと『ヘドバン』の奴らも案の定無反応だし、これってつまりヒップ・ホップとメタルを両方聴いてるオリィと俺ィだけが反応できる案件なんですね。同じようにK-POPもそうだよね。Kポやデンゼルを聴いてない奴がこの『amo』を語っても説得力のカケラもないし、あらためて今の時代ヒップ・ホップ聴いてない奴は信用できないし、逆に今の時代メタル聴いてない奴も信用できない。つまり、今ってメタルとヒップ・ホップ、そしてKポ聴いてる奴が1番信用できる時代なんですね。ちょっとまって・・・それってやっぱり俺ィのことじゃん!って、だから『ヘドバン』とかいうニワカ雑誌は信用しなくていいです。逆にWelcome to My “俺ィの感性”だけは信用してくれていいです。もはや“俺ィの感性”からすればB!も『ヘドバン』も老害メタラー以外のナニモノでもない、同じanaのムジナです。何度も言ってるけど、ガチメタラーはオリィじゃなくて真のニワカ雑誌である『ヘドバン』を叩くべきだ(ガチメタラーが叩いてた人物が実は1番メタルの未来を考えていたという皮肉)。俺ィは“アークライトの生き残り”として、現日本の“メタルメディア界のキング”として(えっ)、ニワカメタラー御用達の『ヘドバン』を野放しにするわけにはいかないッ!
そのオリィが目指したBMTHの“メインストリーム進出計画”の成果として、早くも2019年のロラパルーザ出演決定、それすなわちデンゼル・カリーとの共演という“引力”という名の“繋”がりを爆発させている(だから言ったっしょ?)。完全アウェーのなか“メタル”を代表してロラパに単騎で殴り込みかける格好良さハンパないんですけど、それじゃあ日本で開催される今年のサマソニはどうだろう?当然、俺ィの頭の中にはサマソニでデンゼルとBMTHがコラボしてRATMのカバーやったら間違いなく“伝説のサマソニ”になるという思惑はあったけど、いざ蓋を開けてみればデンゼルの“デ”の字もなく、どこの馬の骨かもわからない邦ロックがラインナップされるというちょっとした地獄を見せられてて、つまり業界を代表するクリマン清水ですら“その程度”という地獄。まあ、“その程度”なのが日本のフェスで、サマソニの限界なんですね。
そんなクソみたいなサマソニじゃなくて単独で来日しろやオリィ。オリィはさっさと日本の俺ィに会いに来いや・・・って、ちょっとまって、オリィって俺ィより年上だったのかよ・・・マジか。オリィお前おっさんやん・・・。確かに、2ndアルバム『スイサイド・シーズン』の頃はまだお互い若かったな。それから約11年の年月を重ね、お互い三十路のオッサンになってから再び邂逅するなんて夢にも見なかった(あっ、年上だから“オリィくん”だね///)。でも“男は30から”ってのもあながち嘘じゃないかもなって。そんなオリィきゅん、1人目の嫁に浮気されて離婚してブラジル人女性と再婚して真の愛に目覚めた結果が、このポルトガル語で“愛”を意味する『アモ』だと考えたらクソエモいし、愛(LOVE)は愛(LOVE)でも片方の愛は『Love is Dead』感あるのが本当に面白い。もはや全世界何十億分の1あるいは2、つまり嫁と俺ィの2人だけに作ってくれたアルバムなんじゃねーか説。そう妄想したら、なんかもう『ammo』という愛の弾丸(ラブバレット)に撃ち抜かれて妊娠したわ。男なのに孕んだわ・・・(ええ!?シュワちゃんが妊娠!?)
冗談はさて置き、それこそ2018年の奇跡だったSW来日からのデンゼル・カリー来日の韻を踏む流れを汲んで、もし本当にBMTHの単独来日公演があったとして(サマソニの熱が冷めやらぬうちが理想)、前座で日本のCrystal LakeとSadistikが来たらヤバイなって(ゼッテーねーw)。そんで客の半数がリンキンとロストプロフェッツの元ファンで埋まってたら胸アツだよな。でも今のコイツらなら、その様々な理由でメジャーなロックシーンから突如として姿を消した二大ロックバンドの元ファン全員かっさらえますね(ロックに飽きた奴らを含め)。そんでBMTHファンでも知られるLiSAとAimerと一緒に「エーーーモーーーー!!」の所でシンガロングしてムショのロリペドクソ野郎と“繋”がりたい!(おい)
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