2015年の夏、ANATHEMAの奇跡の初来日公演が実現したあの日、間違いなく僕の人生はピークを迎えた。その三年後、まさかその”人生のピーク”を更新することになるなんて、あの日の僕たちはまだ知らない。
本当に、本当に面白いと思ったのは、このスティーヴン・ウィルソンの来日公演の数日前にビートルズのポール・マッカトニーがジャパンツアーのために来日してて(ポールといえばご存知、昨年リリースされたSWの新作『To the Bone』にも間接的に繋がりのある人物であり、言わずもがなSWの音楽人生に最も影響を与えた偉大なミュージシャンの一人だ)、もはやただのポールの熱狂的な追っかけファンとしてポールと一緒のフライトで日本に前乗りしたんじゃねーか説あって、もはや久々の来日ということもあって予習がてら東京ドームでポールのライブ見てるんじゃねーか説あって、もはやポールの日本ツアーを見に来るついでに来日公演する説あって、もっと言えば珍しいレコード目当てでユニオン通いのついでに来日した説あって、しかも5日はポールは両国国技館という同じ東京でライブの予定があって、つまり来日の日程までポールに合わせて決めた説あって、しかもそのポールがX JAPANのヨシキと久々に会ってたりしてて、実はSWの『Hand. Cannot. Erase.』とX JAPANを共振させている僕としてはニチャアとしかならない案件だったりして、この「真実(truth)」に気づいてしまった僕は、「おうおうおうおう、ちょっと待てSW、マジかお前、まさか”それ”がやりたかったがために11月のこの時期に来日したのかよ、、、完敗だわ・・・」ってなると同時に、なんだろう、やっぱり全ては”繋がってる”んだなって。しかも公演二日目となる6日に至っては、SWもプレイリストに入れるくらいオキニのCigarettes After Sexがリキッドルームで来日公演を予定してて、もはや「なんだこのTo the Bone週間・・・」ってなった。
そんなSWも敬愛しているビートルズのポールに自らを重ね合わせるように、ポールと同じソロアーティストとして初となる来日公演を実現させたSW。正直、直前までウドーフェスのトラウマが蘇ってドタキャンになったりしたらどうしようと心配してたんだけど、前日のインスタに「日本に向かう途中でバンドメンバーと共に誕生日を迎えたよ。」って書いてあって安心したのと、こんな大事な記念日に日本ツアーを組んでくれたとか、改めてどんだけいいヤツなんだSW・・・(ちなみに、このポニテは義理の娘にやられたらしいw)。しかも日本人イラストレーターのmaro氏が手がけたアニメデザインのTシャツも作ってくれたりして、(ウドーフェスをはじめ決して日本に良いイメージを持ってなさそうなのに)もはやミュージシャンとして以前に人として素晴らしい人物なんだなって。
僕がホテル入りしたライブ当日となる5日、ちょうどその日の夕方のニュースで報道されていたのが、他でもないアメリカ中間選挙だった。
会場はギロッポンにあるEX THEATER ROPPONGI、いざ入場してB2前方中央の自分の座席に腰を下ろすと評判通りの見やすさに驚いたと同時に気づいた→「ちょっと待って、この位置、SWが目の前じゃん!!」って。そんな感じで開演までのんびりしてたんだけど、勘違いかもだけど某メタル雑誌の編集長いたな?
7時開演。ステージが暗転すると、SとWが組み合わさった例のロゴマークがスクリーンに現れ、すると男性ナレーションが「皆さんこんばんわ。ライブをスタートする前にあるショートフィルムをご覧いただきます。今夜のパフォーマンスを象徴する内容なので、リラックスしながら映像に浸ってください。」と前書きし、そして一番始めに黒いスクリーンを背に「truth」の文字が浮かび上がり、続いて「family」「science」「fact」「news」「compassion」「fake」「love」「information」「father」「security」「life」「enemy」「religion」「death」「ego」「hate」などの小文字英単語と、その単語に関連するイメージ画像が紙芝居のように映し出され、それが一周して再び「truth」に戻ると、今度は逆に英単語とイメージ画像が不揃いの組み合わせが延々と続き、それこそ偽の情報(fake)が執拗に繰り返される。まるで名作映画『時計じかけのオレンジ』の人体実験を疑似体験させられているかのような奇妙な感覚、この現代人として身近な英単語とイメージ画像を使った適性テストみたいなオープニング演出は、果たして何を意味するのか?
そう、これは決して疑似体験などではない。これは現代のメディアやSNSをはじめとした情報社会、それらが伝えるフェイクニュースを象徴するポスト・トゥルース時代、今まさに現実で行われているリアルであることを、僕たちが今のポスト・トゥルース時代を生きる当事者であることを突きつけるような、それこそSWが『To the Bone』のなかで描き出したコンセプトの根幹であり、僕が書いた『To the Bone』の記事を真っ向から肯定するかのような幕開けに、僕は瞬き一つせずにただただ目の前のスクリーンを見つめる事しかできなかった。
いわゆる”ポスト・トゥルース”という言葉が世界中に拡散される大きなキッカケとなった2年前のアメリカ大統領戦、そしてこのタイミングでアメリカ中間選挙があったのは、果たして偶然だろうか・・・?そして今、この時代、”メディア”という存在が全く機能していないこの日本という国にスティーヴン・ウィルソンがやってきてライブをすることの意味、そしてこの国のトップが「fake」の権化であること、その「fake」が居座る東京でライブをするというこれ以上ない皮肉、同時に反トランプを表明しているポール・マッカトニーとSWが同日にこの国でライブすることの必然性、まさにこのご時世だからこそ価値のある来日だと言えるし、これが『To the Bone』の「truth(真実)」なんだって。たった一つの真実がないポスト・トゥルース時代、つまり最高でも99%の真実しか存在しないこの時代に、最後の1%としての役割がSWの『To the Bone』だったんだ。僕が書いた99%の未完成レビューを100%の真実のレビューにしてくれたのは、やはりSW本人しかいなかった、これで全てが繋がった。まず、まずそこに「ありがとう」と言いたい。
その「truth(真実)」を知らせるオープニング以降の約3時間、翌日も合わせた約6時間は紛れもなく人生最高の6時間だったし、まさに”人生のピーク”だった。まるで気分はMGS3のザ・ボスの「ジャック、人生最高の10分間(6時間)にしよう」だ。
オープニングが終わると同時に、スポットライトがステージ中央のSWを映し出すと、例のコム・デ・ギャルソンのTシャツに裸足にフェンダーという”いつものSW”を目の当たりにした観客は一気に沸き立ち、アルバム『To the Bone』から”Nowhere Now”を軽快に披露し終わると「アリガトウ!」という日本語の挨拶から、立て続けに同アルバムからニネットとのデュエット曲”Pariah”を聴かせる。もちろん、この日はニネットは不在だけどバックのスクリーンにMVの顔がデカデカと映し出された。曲のクライマックスにフェンダーをかき鳴らすSWはめちゃカッコよかった。
今度はギターをPRSに変えて4thアルバム『Hand. Cannot. Erase.』から”Home Invasion”、そして”Regret #9”の重ね技を披露する。この2つのインスト曲で活躍するのは、他ならぬ『To the Bone』以降に刷新されたSWバンドを担うベーシストの変態三つ編みおじさんことくうちゃんもといニック・ベッグス、ドラムのクレイグ・ブランデル、キーボードのアダム・ホルツマン、ギターのアレックス・ハッチングスだ。今回の来日公演でもこのシン・SWバンドだ。このポップな表面から一気にテクニカルな側面に反転するのは、このSWバンドならではの大きな魅力だ。そして、そのアクティブな流れでPorcupine Tree時代の傑作『In Absentia』から鬼気迫るような”The Creator Has A Mastertape”が始まるとPTヲタの全俺が泣いた。
再び会場が静まり返ると、今度はアダムのピアノソロから始まって、ソロ後半にあの主旋律が聴こえてきた瞬間”Refuge”とわかって脳汁ブッパした。座椅子に腰掛けて、物語の語り手のように歌うSWと徐々に力強く盛り上がりを見せていくバンド、そしてクライマックスのハーモニカパートはSWがエモーショナルなギターソロ・アレンジを聴かせ、そこからアレックスによる涙腺崩壊不可避な泣きのソロを経由してアダムのキーボードへと向かう展開は、生で観ていることもあってマジでちょっとした宇宙だった。再びSWのテレキャスが唸りを上げる”People Who Eat Darkness”では、アニメ仕様のMVも相まってとてもライブ感に溢れていた。
事前にアナウンスされたように、この来日公演では前半と後半の二部構成となっていて、5日の前半ラストを飾ったのが『Hand. Cannot. Erase.』が誇る大作の”Ancestral”だった。改めて、SWバンドのテクニシャンっぷりに終始唖然とするばかりで、その変態的なポテンシャルが最大限に発揮されたこの曲は、ライブで見ると恐ろしいまでの迫力を前に何もかもが凄すぎて苦笑いしかできなかった。特に、クライマックスでのデレッデレデレッデレデレッデレの畳みかけとか鬼カッコ良すぎて泣いたし、途中で緩くなるパートでメンバーがステージに寝転がるのワロタ。あとドラムの人スゲーと思ったら元Frost*の人と知って更にびっくり。
約15分の休憩を挟んで、今度はニックとクレイグとSWによるシャイカー合戦が始まったかと思えば、PT時代の名作『Deadwing』の”Arriving Somewhere but Not Here”のイントロが流れてきてまた全俺が泣く。この瞬間だけは完全にPTのライブだった。この日の会場は座席指定かつ25歳以下が2人しかいない(MCでもネタにしてた)、この国の少子高齢化の波を感じさせる客層だったから、ここまで9割の人が座ってライブを鑑賞してたけど、ここでSWが「俺のライブって言うほどクリムゾンっぽいか?」みたいなジョークを絡めたMCから「Stand Up!!」と呼びかけて観客を総立ちさせる。
新作の『To the Bone』は、いわゆる”ポップス”化したことで従来のSWファンからも否定的な意見が多くて、それはもう殺害予告されるくらいには失望したファンがいたのも事実。しかし、SWはMCで「ポップス=ジャスティン・ビーバーやアリアナ・グランデではない。ポップスはポップスでもビートルズやアバ、クイーンは僕にとって最高のポップスなんだ」と力説し始めて、その時の僕は心の中で「おめーポールが来日してんの知ってて言ってるだろwバレバレやぞw」とツッコんだ。
その流れでSW史上最高のポップスである”Permanating”を披露。まるで気分はインド映画のボリウッドダンサーだ。そのインド人ばりに陽キャな”Permanating”から一転して陰キャの”Song Of I”を謎エクササイズ映像と合わせて聴かせるギャップのある流れは、まるでSWの豊かな音楽人生を象徴しているようだった。そこからPT時代の”Lazarus”で涙腺崩壊。後半ラストを飾る”Detonation”では、キモい人間が繰り返し行進する不気味な映像とともに、もはや「フェイク(fake)」か「真実(truth)」か分からない極上のトリップ・ワールドに観客を誘う。
5日のセットリスト
アンコールは『4½』から”Vermillioncore”、PT時代の『Fear of a Blank Planet』から本公演で最もっヘヴィな”Sleep Together”→”Sound Of Muzak”、そして”The Raven That Refused To Sing”まで、アンコール中はもはや涙で明日が見えなかった。オープニング除くと全17曲、休憩除くと約2時間半、未だに夢のような、あまりにも濃すぎる初来日公演だった。見やすいと評判のEXシアターはライブが始まっても評判通りの見やすさで、証明や映像の演出が必須のライブだったから本当にこの箱で良かった。
確かに、5日の公演はSWが時差ボケなのか何回かミスって仕切り直ししたけど、それもレアな光景だと思えば見れてラッキーだった。時おりファッキンを交えたユニークなMCも面白くて、年季の入ったフェンダーを自慢したりとか、メンバー紹介の時に手を振ったりとか、確かに”Sound Of Muzak”では海外だと合唱するパートを合唱できなくてSWが恥をかく場面もなくはなかったけど、6日の公演はミスなく終われたし、”Sound Of Muzak”の時でもSWが「昨日は歌ってくれなかったから僕が笑い者だったじゃないか!ネイティブじゃないからって全然問題ないから皆んなで歌ってね」とお願いしたら、海外勢ほどではないけど昨日よりは皆んな歌ってて、そんで曲が終わった後にSWが「マッチベターw」の一言。しかしSWも日本人のクワイエットさには心底驚いただろうね。
6日の公演は、事前の予告どおりセトリが『Hand. Cannot. Erase.』仕様になってて、前半では前日にも披露した”Home Invasion/Regret #9”や”Ancestral”をはじめ、表題曲の”Hand Cannot Erase”やデプレッシブな”Routine”、からの最後に”Happy Returns/Ascendant Here On...”という神がかり的な流れを見せつけられてガチで涙腺崩壊した。そもそも”Routine”単体でも泣けるのに、それからのアレは反則だって。あんなん泣くって。。。後半には、前日やらなかった”The Same Asylum As Before”をはじめ、アンコールでは90年代のPTを象徴する『Stupid Dream』から”Even Less”をギターロックばりに年代物のテレキャスをかき鳴らすSWがカッコ良すぎた。結論として、このジャパンツアー、僕みたいに2日とも観たやつが優勝です。
確かに、5日の公演はSWが時差ボケなのか何回かミスって仕切り直ししたけど、それもレアな光景だと思えば見れてラッキーだった。時おりファッキンを交えたユニークなMCも面白くて、年季の入ったフェンダーを自慢したりとか、メンバー紹介の時に手を振ったりとか、確かに”Sound Of Muzak”では海外だと合唱するパートを合唱できなくてSWが恥をかく場面もなくはなかったけど、6日の公演はミスなく終われたし、”Sound Of Muzak”の時でもSWが「昨日は歌ってくれなかったから僕が笑い者だったじゃないか!ネイティブじゃないからって全然問題ないから皆んなで歌ってね」とお願いしたら、海外勢ほどではないけど昨日よりは皆んな歌ってて、そんで曲が終わった後にSWが「マッチベターw」の一言。しかしSWも日本人のクワイエットさには心底驚いただろうね。
6日の公演は、事前の予告どおりセトリが『Hand. Cannot. Erase.』仕様になってて、前半では前日にも披露した”Home Invasion/Regret #9”や”Ancestral”をはじめ、表題曲の”Hand Cannot Erase”やデプレッシブな”Routine”、からの最後に”Happy Returns/Ascendant Here On...”という神がかり的な流れを見せつけられてガチで涙腺崩壊した。そもそも”Routine”単体でも泣けるのに、それからのアレは反則だって。あんなん泣くって。。。後半には、前日やらなかった”The Same Asylum As Before”をはじめ、アンコールでは90年代のPTを象徴する『Stupid Dream』から”Even Less”をギターロックばりに年代物のテレキャスをかき鳴らすSWがカッコ良すぎた。結論として、このジャパンツアー、僕みたいに2日とも観たやつが優勝です。
アンコールの最後に披露した”Song Of Unborn”では、ジェス・コープ氏が手がけたアニメーション仕様のMVがスクリーンに映し出され、大量の精子が子宮の卵子に突撃する受精シーンから始まった瞬間「ザ・シンプソンズかな?」ってなる子供心の僕。冗談はさて置き、この曲を日本公演の最後の曲として披露する意味の大きさったらなくて、これこそ『To the Bone』が象徴する”生命”の誕生(To the Born)であり、それこそSWが愛用しているコム・デ・ギャルソンのTシャツに描かれたLOVEの象徴でもあった。やっぱり全てが繋がっているんだって。この世界は繋がっているんだって。国境人種肌の色は関係ないんだって。人はいつだって人と繋がることができるんだって。これがSWが『To the Bone』で示した愛(love)の形なんだって。なぜSWがこの時期にこのタイミングで東アジアの一つである日本へ来たのか?僕はこのライブを観たことで全てを理解した。このタイミングだからこそ、なんだねSW。
6日はあいにくの雨だった、というよりはイギリスの気候と重ね合わせたような演出と言っていい(ana_themaもSWもリアルの天候を演出に盛り込みすぎw)。登場時はジャケット姿だったSW、6日はなんだか声の調子が悪そうで少し心配になった。もちろん集客が一番の不安要素だったけど、なんだかんだ二階にも人が入ってたくらいには埋まってたから安心した。つうか、会場がギロッポンだけあって観客の三分の一は外国人だったんじゃねーか説。確かに、ana_themaと同じくSWも最初で最後の来日公演かもしれない。しかし、諦めずにこれを次に繋げること、継続していくことが大事だと。昨今、外タレの来日が実現しづらくなっていると囁かれる中、夢にも思わなかったSWの来日が実現したことに有り難みを感じながら、しかしこれで終わりにするのではなく、この流れを継続していくことが大事だと(大事なので2回言った)。
”人生のピーク”がおよそ9Kで買えるなら安すぎってレベルじゃないんだけど、まぁでも30という節目の年に”人生のピーク”を迎えられて良かった気もする。しかし最近の俺の人生、「幸福」に満ち溢れすぎだろと。これを「黄金体験」と呼ばずして何という。でもガチで人生最大の「夢」が叶ってしまった、つまり”人生のピーク”が過ぎた男がこれから何を目標に、何に希望を見出して生きていけばいいのだろう。自殺か?それもいい。いや、違う。僕がやるべきこと・・・それは僕の妹ちゃんたちであるドリキャとアイズワン(カンちゃん)を日本でブレイクさせる使命と義務がある。そして僕の”人生のピーク”が終わる・・・
「ドルヲタが目覚める」