Artist 岡田拓郎

EP 『The Beach EP』

Tracklist
結局、今の時代って一周回って「ポップス」が一番面白いんじゃねぇか説あって、昨年まさにそれを体現していたのがスティーヴン・ウィルソンの『To the Bone』だった。今年の11月に奇跡の来日公演を控えているSWが、その最新作『To the Bone』の中でやってのけたのは「ポップスの再定義」。時を同じくして、この日本でも「日本語ポップスの再定義」を志した若者がいた。その若者の名前は、岡田拓郎。
何を隠そう、僕は岡田くんのデビュー作『ノスタルジア』について、SWが『To the Bone』で示し出した「ポップスの再定義」の話と共振させると同時に、岡田くんはSWと同じく”AORスキー”な人物であると説いた。この配信限定EP『The Beach』は、まさに岡田拓郎がどれだけAORマニアなのかを証明するかのような一枚で、ある意味で僕が『ノスタルジア』に書いたことへの”回答”として生まれた作品でもある。というのは冗談で、今年に入ってから岡田くんは(ツイッターで)AORの曲を集めたリミックスをクラウドにアップしてて、いま思えばそのツイートが全ての伏線というか”始まり”だったんだ。
その『The Beach EP』というド直球過ぎるタイトルと、イギリスの写真家で音楽家のスティーヴ・ハイエットの作品を冠するアートワークが示唆するように、まるで青い空!澄んだ海!白い砂浜!を舞台にサンバイザー姿のピッチピチのギャルがノキャッキャする光景が浮かんでくるような、このクソ暑い夏にピッタリの「岡田拓郎なりの夏ソング2018」が堪能できる。

EP 『The Beach EP』

Tracklist
01. Shore
02. By The Pool (feat. James Blackshaw)
03. After The Rain
04. Mizu No Yukue
結局、今の時代って一周回って「ポップス」が一番面白いんじゃねぇか説あって、昨年まさにそれを体現していたのがスティーヴン・ウィルソンの『To the Bone』だった。今年の11月に奇跡の来日公演を控えているSWが、その最新作『To the Bone』の中でやってのけたのは「ポップスの再定義」。時を同じくして、この日本でも「日本語ポップスの再定義」を志した若者がいた。その若者の名前は、岡田拓郎。
何を隠そう、僕は岡田くんのデビュー作『ノスタルジア』について、SWが『To the Bone』で示し出した「ポップスの再定義」の話と共振させると同時に、岡田くんはSWと同じく”AORスキー”な人物であると説いた。この配信限定EP『The Beach』は、まさに岡田拓郎がどれだけAORマニアなのかを証明するかのような一枚で、ある意味で僕が『ノスタルジア』に書いたことへの”回答”として生まれた作品でもある。というのは冗談で、今年に入ってから岡田くんは(ツイッターで)AORの曲を集めたリミックスをクラウドにアップしてて、いま思えばそのツイートが全ての伏線というか”始まり”だったんだ。
その『The Beach EP』というド直球過ぎるタイトルと、イギリスの写真家で音楽家のスティーヴ・ハイエットの作品を冠するアートワークが示唆するように、まるで青い空!澄んだ海!白い砂浜!を舞台にサンバイザー姿のピッチピチのギャルがノキャッキャする光景が浮かんでくるような、このクソ暑い夏にピッタリの「岡田拓郎なりの夏ソング2018」が堪能できる。
森元もとい元森ことex-森は生きているのドラマー増村くんが作詞を手がけた、幕開けを飾る1曲目の”Shore”から、アンニュイにたゆたう岡田くんのジェンダーレスなボーカルとともに、80年代のAOR全盛をフラッシュバックさせるシンセ/キーボードをはじめ、『ノスタルジア』でも垣間見せた”マルチプレイヤー岡田拓郎”の類まれな才能が、この厳しい夏の夜に幾重にも重なり合う夏色の音が”打ち水”となって涼しげに眠り手に寄り添う。デビュー作の『ノスタルジア』では、それこそThe War On Drugsを彷彿させるインディ・ロック系のAOR的なアプローチを見せていたが、この曲ではTWODのベーシストデイヴィッド・ハートリーのソロ・プロジェクトNightlandsを彷彿させる、より「ポップス」に重心を傾けたドリーミーなサウンドを展開している印象(まるで音のクールビズや~)。
この”Shore”は、前作で打ち立てた「日本語ポップスの再定義」の続き、あるいは延長線上にありながらも、しかし中盤以降の蒸し暑い闇夜の中を幽幻に彷徨う増村くんによるパーカッションの鳴らし方は、それこそSWの『To the Bone』、その表題曲や”Detonation”への回答のような、その元ネタとなるペット・ショップ・ボーイズをはじめとした往年のAORへのリスペクトを込めた鳴らし方でもあって、もはや前作『ノスタルジア』の延長線上にあるというよりは、それと対になる『To the Bone』の延長線上として捉えるべき案件なのかもしれない。この時点で、あの現代インディ・ロックの名盤と名高い『ノスタルジア』を経て、あらゆる面で着実にアップデイトしてきた彼の今を知ることができる。
奇しくも波打ち際のSEから始まり、そのままDeafheavenの”You Without End”が始まりそうな、真夜中のサンビーチを佇むような2曲目の”By The Pool”は、今作のアートワークでもお馴染みのスティーヴ・ハイエットの唯一のアルバム『渚にて』からのカバー曲で、ボーカルには岡田くんの盟友でありイギリスのSSWであるジェームス・ブラックショウが参加している。この曲のサウンド・アプローチこそ、まさに今作の夏色を象徴する70年代後半から80年代中盤までのAORが奏でた本場の”夏の匂い”を、この2018年の夏に向けて届けてくれる。
ご存知、近頃のSWはエイフェックス・ツインをはじめとした「コーンウォール一派」やモダンなエレクトロニカに傾倒していて、例に漏れず「日本のSW」こと岡田くんもその手の音楽に精通していないわけがなかった。3曲目の”After The Rain”は、それこそSWのプレイリストにチョイスされているエレクトロニカ系の曲の系譜にある、真夏の夜に突如雨音が降り注ぐようなニカチューンで、それこそ”80年代”を舞台にしたNetflix『ストレンジャー・シングス』のサントラ風のミステリアスな世界観もあり、それこそスウェーデンのCarbon Based Lifeforms系の深海大好きなアトモスフェリックなサイビエントっぽくもある。その現代的なエレクトロと増村くんが奏でるパーカッションの原始的な音色が時を越えてクロスオーバーする姿は、いかにも岡田くんらしいというか、まさに岡田拓郎という一人のミュージシャンの嗜好性を表していて、つまり(これは『ノスタルジア』でも言及したけど)決して懐古主義的な存在では終わらない、むしろ全く新しい”新時代”の音楽としてイマにアップデイトし続けていく、その貪欲的かつ挑戦的な姿勢は、もはやデビュー作の『ノスタルジア』を凌駕する底知れなさがあって、またしても彼の底抜けの才能を見せつけられた気がした。とにかく、この辺のモダンなサウンド・アプローチも、彼がただの懐古主義論者ではなくイマドキの若者であることを意味していて、ここでも俄然「日本のSW」と呼ぶに相応しい側面を垣間見せてくれる。
岡田くんは森は生きているでも常に一貫して「実験的」な音楽を探求し続けていた。開口一番、デイヴィッド・シルヴィアンとエイフェックス・ツインが五次元空間で間違って邂逅してしまったようなアコギと(SWの”Detonation”でも見受けられた)電子音を靡かせる4曲目の”Mizu No Yukue”は、このEPで最も「実験的」な側面を持ち、そして彼が過去の音楽雑誌に残した「ポップスにおける普遍性=アヴァンギャルドである」という言葉を体現したような、天才いや奇才岡田拓郎の真髄と呼べる真珠の一曲だ。それはまるで森は生きているの2ndアルバム『グッド・ナイト』の”磨硝子”を彷彿させる、アヴァンギャルドかつエクスペリメンタルな方向性や実験性を極限まで極め尽くした先にある世界というか、パーカッションとアコギ、変態チックなな電子音やニューエイジをルーツとする環境音が予想だにしない交わりを見せながら、またしても「日本のSW」であると再認識させる、しかしそれ以前にエイフェックス・ツインに匹敵する変態っぷりにド肝抜かれたというか、なんかもうツイッターで「#日本のエイフェックス・ツインなの僕だ」みたいなツイート連投してそうだし、そのツイートに対して相対性理論のやくしまるえつこが嫉妬してブチギレそうな展開で笑ったわ。とにかく、インストなのにインストに聴こえない。もはや音が、自然が歌っているかのよう。
あらためて、日本語インディ・ロックの金字塔となった『ノスタルジア』と比べると、よりモダンで、より実験的なアプローチを持つ、そういった意味ではEPらしいっちゃEPらしいというか、わりと好き勝手なことしても多少は許されるEPならではの作品と言える。懐かしい往年のAORリバイバルを主としたボーカル入りの2曲と、一転して現代的な嗜好が主なインストの2曲、前半と後半、陽と陰のイメージで構成されたバランスの良さも実に器用。フルアルバムの半分にも満たないたった4曲にもかかわらず、これだけ新旧様々な音を自在にコントロールして一つの曲を組み立てていく、その「こだわり」とフレキシブルな音楽センスに尚さら脱帽するし、ここまで濃厚で深みのあるEPは未だかつて聴いたことがない。聴けば聴くほど、噛めば噛むほど味が出るEPだ。相変わらずSW作品とともにハイレゾで聴く価値のある、極上なプロダクションの気持ちよさは健在で、結論から言って彼は「日本のSW」。
そのSWとの”繋がり”という意味では、主に”現代アーティスト”としてSWに繋がる部分が前作以上に沢山あって、なんかもうホステスはチャーチズに水カン勧めてる暇があったら、さっさと岡田くんをSWに紹介すべきだろうと。それでSW来日公演のOPアクトに岡田くん呼んでくんねぇかな。とにかく、これ以上この天才という名の変態を日陰にほっておくのは日本音楽界の損失にしかならない。