Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2017年12月

岡田拓郎 『ノスタルジア』

Artist 岡田拓郎
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Album 『ノスタルジア』
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Tracklist
01. アルコポン
02. ナンバー
03. アモルフェ(Feat. 三船雅也)
04. ノスタルジア
06. イクタス
07. 手のひらの景色
08. ブレイド
09. グリーン・リヴァー・ブルーズ
10. 遠い街角(Feat. 優河)

「森は生きているとは何だったのか?

スティーヴン・ウィルソンTo the Boneのレビューを書いている約一ヶ月間、そのSWの音楽を聴きながら頭の中で常に気にかけていた事があって、それというのも、2015年に解散した森は生きているの中心人物である岡田拓郎くんがOkada Takuro名義で「ソロデビュー・アルバム」を、同じくユニバーサルから「メジャーデビュー」を果たしたSW『To the Bone』と同じくあのHostess Entertainmentからリリースされると知ったからで、僕にとってこの一連の出来事はもはや「運命の引かれ合い」としか思えなかった。

先日、AbemaTVの『72時間ホンネテレビ』を観てて何よりも嬉しかったのは、元スマップの「森(くん)は生きている」ことで、しかしその一方でバンドの方の森は生きているが2015年に突如として解散したことが、個人的にここ最近の中で最もショッキングな出来事としてあって、何故なら森は生きているの存在は、現在はイギリスを拠点に活動する神戸出身のThe fin.とともに、このクソみたいな邦ロックが蔓延る今の邦楽シーンおよび日本語ロックシーンに現れた「救世主」、まさに「希望」そのものだったからだ。


改めて、森は生きているの遺作となった2ndアルバム『グッド・ナイト』は、それこそピンク・フロイドをはじめとした60年代から70年代のプログレッシブ・ロックおよびサイケデリック・ロックに代表されるアンダーグランド・ロック、トラディショナルなジャパニーズ・フォーク、アヴァンギャルド、アンビエントや環境音楽、そして現代的なポストロックが時を超えてクロスオーバーしたような、これぞまさにイギリスを発信源とするPost-Progressiveに対する極東からの回答であるかのようだった。その中でも約17分の大作”煙夜の夢”は、(まずこの曲をMVにしちゃう変態っぷりも然ることながら)それこそSWの創作理念の一つである聴き手を「音の旅」に連れて行くような、ちょっと童貞クサい純文学を実写映画化したような壮大なスケールで綴られた組曲で、それはまるでSW率いるPorcupine Treeの初期の名曲”The Sky Moves Sideways Phase”への回答のようでもあり、もはや森は生きている「日本のPorcupine Tree」あるいは「日本のTemples」に値する存在その証明でもあり、そのバンド内で中心的な役割を担っていた岡田くんSWは「ほぼ同一人物」と呼んじゃっても差し支えないくらい自分の中で親近感を持つ存在で、その僕がリスペクトする二人の音楽家が遂にこの2017年に邂逅してしまったのは、今世紀最大の衝撃だったし、同時に泣きそうなくらい嬉しかった。

「SWは『To the Bone』で何を示したのか?

スティーヴン・ウィルソンは、この「メジャーデビュー・アルバム」で自身のことを「プログレ側の人間」であると同時に「ポップス側の人間」であるということ、そして何よりも誰よりも「ニューエイジ側の人間」であるという自己紹介、あるいは明確な意思表示を音の中に詰め込んでいた。それはまるで現代の「キング・オブ・ニューエイジ」として「シン・時代」の幕開けを宣言するかのような歴史的な一枚だった。音楽的な面で特に『To the Bone』最大のコンセプトとして掲げていたのが、他ならぬ「ポップ・ミュージックの再定義」である。この度、SWがメジャー・デビューする上で避けて通れなかったのは、現代の音楽シーンの変化は元より、音楽リスナー側の環境の変化への対応で、つまり従来の「アルバム」として聴く時代は終わりを告げ、現代の音楽リスナーはSpotifyApple Musicなどのサブスクを使って「プレイリスト」という形で「自分だけのアルバム」を作って聴く「シン・時代」、それに対する適応である。これまでアンダーグランドの世界で「プログレ側の人間」として、当たり前のように「アルバム」で聴くことを前提に作品をクリエイトしてきた彼が、今度は一般大衆が「プレイリスト」で聴くことを前提にした、いわゆる「一口サイズのポップス」に挑戦しているのだ。結局このアルバムの何が凄いって、いわゆる「初老」と呼ばれ始める保守的になりがちな年齢(アラフィフ)にありながらも、あえて先進的で未来志向(リベラル)な考え方を選択する、あえて「困難」へと挑戦し続ける姿勢はまさに「ミュージシャン」、それ以前に「人」として人間の鑑だと呼べるし、それは同時に彼がこの地球上で最も「Progressive(進歩的)」な存在であることを証明している。このアルバムは、まさにそんな彼の「存在証明」でもあった。

そのSW『To the Bone』で示し出した「ポップスの再定義」・・・何を隠そう、岡田拓郎くんはこの『ノスタルジア』の中でSWと全く同じことをやってのけているのだ。この『ノスタルジア』は、森は生きているのどの作品とも違う。端的に言ってしまえば、SW『To the Bone』で80年代の洋楽ポップスを現代の音にアップデイトしたならば、岡田くんはこの『ノスタルジア』で当時のポップス(大衆音楽)だった70年代の歌謡曲をはじめ、吉田拓郎さだまさしなどの伝統的なジャパニーズ・フォークを現代の音に結合することで、この2017年の現代においる「ポップスの再定義」を実現させている。もちろん、SWがイメージする「ポップス」が「ただのポップス」でなかったように、岡田くんがクリエイトする「ポップス」も「ただのポップス」ではない。決してただの懐古主義的なノリではなくて、あくまでも「イマ」の音楽として邂逅させることを目的としている。お互いに共通するのは、まずSW『To the Bone』というタイトルは、あらゆる意味で自身を構築する「骨」となった「過去」への憧憬、あるいは「郷愁」であり、それすなわち岡田くんの『ノスタルジア』へとイコールで繋がる。

アルバムの幕開けを飾る一曲目の”アルコポン”から、それこそ2017年を象徴するバンドの一つと言っても過言じゃあない、ブルックリンのCigarettes After Sexにも精通するスロウコア然としたミニマルでローなテンポ/リズム、プログレ/サイケ界隈では定番のミョ~ン♫としたエフェクトを効かせたペダルスティールをはじめ、「80年代」のシューゲイザーをルーツとした電子ギターのリフレインやアコースティック・ギター、ピアノやパーカッション、マンドリンやオートハープ、それらの森は生きているでもお馴染みの楽器が奏でる色彩豊かな音色が調和した、その優美なサウンドにソッと寄り添うようにたゆたう岡田くんの優しい歌声と文学青年の悶々とした日々を綴った歌詞世界が、まるで休日の部屋に差し込む日差しを浴びながら昼寝しているような心地よい倦怠感ムンムンの蜃気楼を描き出していく様は、まさに表題である『ノスタルジア』「郷愁」の世界そのものであり、もはや「日本のThe War On Drugs」としか例えようがない、まるで80年代のAORを聴いているような懐かしさに苛まれそうになる。何を隠そう、SW『To the Bone』で「80年代愛」を叫んだように、そのSWと同じように岡田くんはペット・ショップ・ボーイズに代表される「80年代」のAORを愛する人間の1人で、この曲の中にはそんな彼の「80年代愛」が凝縮されている。なんだろう、確かに自然豊かな森のささやきのように多彩な音使いは森は生きているを素直に踏襲しているけど、そのいわゆる「ピッチフォークリスナー」ライクな雰囲気というか、森は生きているで培ってきた従来の音使いにモダンなアプローチを加えることで一転してグンと洗練された美音へと、そのベースにある音像/音響としては「ピッチフォーク大好き芸人」みたいなイマドキのインディへと意図的な「変化」を起こしている。その「変化」を裏付ける証拠に、今作のマスタリング・エンジニアにはボブ・ディランをはじめ、それこそCigarettes After SexThe War On Drugsの作品を手がけた(テッド・ジェンセン擁する)STERLING SOUNDグレッグ・カルビを迎えている事が何かもう全ての答え合わせです。

今作は岡田くん初のソロ・アルバムというわけで、森は生きているでは主にコーラスやコンポーザーなど言わば裏方の面でその才能を遺憾なく発揮していたけど、このソロアルバムでは「シンガーソングライター」としてボーカルは勿論のこと、森は生きているでは今作にもサポートで参加しているドラマーの増村くんが歌詞を書いていたが、今作では作曲は元より作詞まで自身で手がけ、ミックスからプロデュース、他ミュージシャンとのコラボレーション、そして様々な楽器を操るマルチプレイヤーとして、1人のミュージシャンとしてそのポテンシャルを爆発させている。ところで、SW『To the Bone』の中で強烈に印象づけたのは、ヘタなギタリストよりもギターに精通してないと出せないようなギターの音作りに対する徹底した「こだわり」だった。同じように岡田くんも今作の中でギターリストとして音楽オタクならではの「こだわり」を、ギターに対する「プレイヤー」としての「こだわり」を、様々なエフェクターやギター奏法を駆使しながら理想的な音作りを貪欲に追求している。それと同時に、SW『To the Bone』で垣間見せたのは、「80年代」という「過去」の音楽に対する咀嚼力の高さで、つまり創作における基本的な創作技術を忠実に守ることによって、SWがこのアルバムで掲げた「ポップスの再定義」を実現させる上で最大の近道へと繋がった。そのSSW界の先輩であるSWの背中を追うように、バンド時代では実現不可能だった、ある種の『夢』をこの岡田くん(SW)は果たそうとしていて、その『夢』を実現する過程の中で最重要課題となる「過去の音楽」への向き合い方、しかしその「過去」という『ノスタルジア』をどう理解(解釈)し、そしてどう料理するか、その最善かつ最適な方法を彼らは既に熟知している。

話は変わるけど、2013年に相対性理論『TOWN AGE』がリリースされた当初の主な評価として挙げられた、何故に「やくしまるえつこのソロっぽい」という風にフアンの間で賛否両論を巻き起こしたのかって、それこそトクマルシューゴ大友良英をはじめとした国内の実験音楽やニューエイジ界隈に影響されたやくしまるえつこヤクマルシューゴに変身したからだ。何を隠そう、岡田くんが”ナンバー”という曲の中でやってることって、(こう言ったら岡田くんに怒られるかもしれないが)端的に言ってしまえば「岡田拓郎なりのシティ・ポップ」、すなわち『NEW (TOWN) AGE』なのだ。つまり、さっきまで「80年代」のAORのノスタルジーに浸っていた彼は、今度は「90年代」に一世を風靡した「渋谷系」への憧憬あるいは「郷愁」に浸ることで、昨今オザケンの復帰により俄然現実味を帯びてきた「90年代リバイバル」に対する岡田くんなりの「答え」を示し出している。

話を戻すと、その”ナンバー”が付く曲タイトルは数多くあるけれど、”名古屋ナンバー”には気をつけろっていう話は置いといて、例えばトリコットの場合だと”神戸ナンバー”だったり、実は相対性理論の曲にも”品川ナンバー”とかいう名曲がある。勿論、その曲を意図して名づけられた訳ではないと思うが、そういった面でも、この曲には相対性理論(やくしまるえつこ)と岡田くんの強い「繋がり」を(少々強引だが)見出した。しっかし、このタイミングであの問題作『TOWN AGE』再評価の流れ、それを作り出した本人が森は生きているの岡田くんという神展開・・・こんなん泣くでしょ。

改めて、この『ノスタルジア』を聴いて思うのは、やっぱりトクマルシューゴというかヤクマルシューゴ的ないわゆる理系ミュージシャンの系譜に合流した感はあって、そのナントカシューゴ界隈をはじめジム・オルーク大友良英など、あらゆる界隈から岡田拓郎という1人の音楽家の「ルーツ」すなわち「骨」を紐解いていくようなアルバムだ。なんだろう、今後岡田くんはトクマルシューゴヤクマルシューゴの間の子であるオカマルシューゴと名乗るべきだし、もはやトクマルシューゴの後継者争いはヤクマルオカマルの一騎打ちだ。

現代...というか今年は特にだったけど、今って「映画」と「音楽」と「小説(文学)」それぞれの分野が隣り合わせで密接に関係している、つまり「繋がっている」ことを切に実感させられる時代でもあって、もはや言わずもがな、当たり前のようにこの岡田くんも得体の知れない「ナニか」と「繋がっている」。例えるなら、SW『To the Bone』を聴いて、その「80年代」のイメージを最も的確に表した映画がジョン・カーニー監督『シング・ストリート 未来へのうた 』だとすると、岡田くんの『ノスタルジア』は井の頭公園の開園100周年を記念して製作された、橋本愛主演の映画『PARKS パークス』だ。

この映画『PARKS パークス』は、『孤独のグルメ』の原作者ふらっと久住のバンドザ・スクリーントーンズによるDIY精神溢れる音楽をバックに、今にも井之頭五郎が登場してきそうなほど、緑に囲まれた井の頭公園を華やかに彩るような色とりどりの楽器が鳴り響く音楽映画だ。驚くなかれ、この映画の音楽を監修したのが他ならぬトクマルシューゴで、しかもそのエンディング曲を担当しているのが相対性理論ってんだから、更にそのサントラの中に大友良英と岡田くんも参加してるってんだからもう何か凄い。

改めて、劇中に井之頭五郎がヒョコっと登場してきそうなくらい、『孤独のグルメ』の音楽にも精通するパーカッションやアコギや笛などの楽器を駆使した、それこそトクマルシューゴ節全開のDIYな音楽に彩られたこの映画『PARKS パークス』は、リアル世界の井の頭公園でも園内放送されたやくしまるえつこによる園内アナウンスから幕を開ける。話の内容としては、序盤は「50年前に作られた曲に込められた恋人たちの記憶」を巡って奔走する普通の青春音楽ドラマっぽい感じだったけど、後半から急に「過去」「現在」「未来」が複雑に絡んでくるSFサスペンス・ドラマ的な序盤のイメージに反して予想だにしない展開に変わって、その瞬間に「あ、この映画普通じゃないな」って察した。というか、そもそも相対性理論の曲がテーマ曲になっている時点で察するべきだった。劇中クライマックスで「何が起こった!?」って考えている内に、エンディングの”弁天様はスピリチュア”が流れてきた時点で全てを察したよね。

とりあえず、能年玲奈系の顔立ちをした若手女優の永野芽郁橋本愛大友良英の組み合わせってだけで某『あまちゃん』を思い出して「うっ、頭が・・・」ってなるんだけど、まぁ、それはともかくとして、主演の橋本愛がギターを抱えて演奏するシーンとかきのこ帝国佐藤千亜妃にソックリだし、この映画にはトクマルや「謎のデブ」こと澤部渡(スカート)を筆頭に、今作のサントラにも参加しているミュージシャンがカメオ出演しているのだけど、中でも音楽監修のトクマル本人が出てきたシーンのトクマルの演技がヤバすぎてクソ笑ったんだけど。

オカマルシューゴ

そしてエンドクレジットで岡田くんと相対性理論が一緒の画に収まっているの見たら、「うわうわうわうわうわ・・・遂に繋がっちゃったよ・・・こんなん泣くって」ってなった。正直、ここまでクレジットを凝視した映画は初めてかもしれない。で、気になる岡田くんが手がけた曲は”Music For Film”というタイトルで、曲自体はまさに劇中クライマックスで「現実か虚構か」の狭間でSFっぽくなる絶妙なタイミングで登場するのだけど、肝心の曲調はそれこそハンス・ジマー坂本龍一『async』みたいなアンビエントで、なんだろう、ここでも再度「繋がってんなぁ・・・ハア」とため息ついた。

しかし、この映画『PARKS パークス』に関してもっとも面白い話は他にある。それというのは、映画の話の中で主演の橋本愛染谷悠太がバンドを組むってことになるんだけど、そこでバンドメンバーを集めて奔走する場面のシーンを筆頭に、それこそジョン・カーニー監督『はじまりのうた』をオマージュしたような演出が随所にあって、なんだろう、ここで初めてSWと岡田くん、そしてやくしまるえつこが「音楽」という枠組みを超えて、その「音楽」と密接に関係する「映画」を通して一本の線で繋がった瞬間だった。なんかもう面白すぎて泣いたよね。なんだろう、人って面白すぎると泣けるんだなって。

ポップスにおける普遍性=アヴァンギャルド

これらの「映画」「音楽」「文学」の垣根を超えた「繋がり」からも分かるように、いわゆる「シューゴ界隈」からの実験的な音楽に対して敬意を払いつつも、何だかんだ叫んだって彼は森は生きているを一番の「ルーツ」としていて、それこそROTH BART BARON三船雅也をゲストに迎えた”アモルフェ”は、いわゆる「New Age」を一つのルーツとする岡田くんのミュージシャンとしての本質をピンズドで突くような「ニューエイジ・フォーク」だ。個人的に、この曲を聴いた時にまず真っ先に頭に浮かんだのがデヴィン・タウンゼンド『Ghost』で、このアルバムはデヴィンの変態的な才能が岡本太郎ばりに爆発した、サブカル系ニューエイジ・フォークの傑作である。そのアルバムの表題曲”Ghost”のカントリー・フォーク然とした曲と岡田くんの”アモルフェ”には、「アヴァンギャルド」と「ポップス」という2つの精神が混在している。面白いのは、かつて音楽雑誌『ストレンジ・デイズ』森は生きている『グッド・ナイト』を取り上げた時のインタビューで(その号の表紙はSW『Hand. Cannot. Erase.』)、岡田くんはポップスにおける普遍性=アヴァンギャルドであると語っている。この彼の発言というのは、それこそ音楽界の異才あるいは奇才あるいは変態と称されるデヴィンSWの創作理念と共通する一つの「答え」で、その「答え」を突き詰めていくと最終的に辿り着くのが、それこそ今なおポップス界の頂点に君臨するビートルズである事は、もはや人類の共通認識でなければならない。



改めて、SW『To the Bone』で最大の野望として掲げていた「ポップスの再定義」、その「野望」あるいは「夢」を実現させるには従来の考えを捨てて、全く新しいやり方で一般大衆の耳に届くような、いわゆる「一口サイズのポップス」の制作に早急に取りかからなきゃならなかった。それは『To the Bone』に収録されたシングル曲を見れば分かるように、これまで「プログレ側の人間」として10分を超える長尺曲を得意としてきた彼が、いわゆる「ポピュラー音楽」として必須条件とも呼べる曲の長さが3分から4分の曲を中心にアルバムを構成している。その「一口サイズのポップス」、それは岡田くんもこの『ノスタルジア』の中で全く同じ考え方を示していて、もちろん森は生きている”煙夜の夢”のような超大作は皆無で、基本的に2分から3分の一口サイズの曲を意図的に書いてきているのが見て取れる。これは森は生きていると最も違う所の一つで、ひとえに「ポップスとは何か」を考えた時に、まず真っ先に曲が一口サイズになる現象は、SWと岡田くんに共通するものである。

表題曲の#4”ノスタルジア”やMVにもなっている#5”硝子瓶のアイロニー”は、まさに今作における「一口サイズのポップス」を象徴するような曲で、序盤のフォーク・ロック的な流れから一転して、ポップス然としたアップテンポなビートアンサンブルをはじめ、クラップやスライド・ギター、そして「80年代」のニューウェーブ/ポストパンクの影響下にあるモダンなアプローチを効かせたシンセを大々的にフィーチャーしている。これもバンド時代にはなかった試みの一つで、大衆の心を鷲掴みにするポップスならではの「キャッチー」な要素を与えている。しかし、一見「王道」のポップスのように見えて「ただのポップスじゃない」、その「実験性」と「大衆性」の狭間で蜃気楼のように揺れ動く幽玄な音世界は、まさに「70年代」の革新的かつ実験的な音楽から脱却を図ろうとする「80年代」の音楽が持つ最大の魅力でもある。その流れからの#6”イクタス”は、例えるならRoyal Blood的なブルージーな解釈がなされた岡田くんなりの哀愁バラードで、これがまたサイコーに良い。

様々な分野で、とある作品やとあるモノを評価する際に、よく「メジャーマイナー」「マイナーメジャー」という表現を用いた例え方をされる場合がある。例えば、漫画の世界だと『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦なんかは典型的な「メジャーマイナー」の作家である。その表現法を「音楽」の分野に応用して、この『ノスタルジア』がどれに分類されるのかちょっと考えてみた。はじめに、『To the Bone』におけるSW「メジャーマイナー」だと仮定すると、岡田くんの『ノスタルジア』トリコット『3』「マイナーメジャー」に分類される。まずSW『To the Bone』で、3大メジャーレーベルのユニバーサルから「メジャー」デビュー、Spotifyを活用した「イマドキ」のプロモーションやバズマーケティング、オエイシスの作品でも知られる「メジャー」なプロデューサーを迎え、ぞしてその音楽性は「80年代」のポピュラー音楽をリスペクトした「ポップスの再定義」を図っていることから、少なくともガワの面では「メジャーメジャー」と言っていいくらい「メジャー」だが、しかしその反面、音楽性は幼少の頃から「プログレ側の人間」かつ「ニューエイジ側の人間」であるSWがクリエイトするポップスはポップスでも「ただのポップス」ではない「マイナー」な音楽だから、SW『To the Bone』「メジャーマイナー」という結論に至る。あっ、予め言っておくと、「音楽」の分野に「メジャーマイナー」「マイナーメジャー」などの表現を使う場合、とあるモノや作品の知名度や人気を表わす本来の使い方ではなくて、今回の場合はあくまでも「音楽性」とその「精神性」を表しているので、その辺の誤用はあしからず。

それでは、岡田くんの『ノスタルジア』トリコット『3』が何故「マイナーメジャー」に分類されるのか?まずトリコット『3』の場合は、ひと足先に「メジャー」に行って「最悪の結果」に終わった盟友赤い公園に対するアンチテーゼとして解釈すると、この『3』でトリコットが示したのは、それこそ「インディーズ」=「マイナー」からでも「メジャー」を超えられる、「メジャー超え」できるという歴史的な証明である。まずアルバム一枚1500円ポッキリという点も「インディーズ」ならではのプロモーション戦略と言えるし、その音楽性もいわゆる「マスロック」とかいう「マイナー」な音楽ジャンルと、いわゆるJ-POPという「メジャー」なポピュラー音楽をクロスオーバーさせた、まさに「マイナーメジャー」と呼ぶに相応しい作品だった。

改めて、SW『To the Bone』「メジャーマイナー」ならば、岡田くんの『ノスタルジア』「マイナーメジャー」である。まずは森は生きているの存在をこの言葉を応用して表すならば、それは「マイナーマイナー」だ。その童貞文学青年みたいな、60年代や70年代の音楽が大好きなサイコーにオタク臭い音楽性から、その知名度的にも『ストレンジ・デイズ』みたいなオタク全開の音楽雑誌を愛読しているような童貞オタクしか知らない、これ以上ないってほど「マイナーマイナー」な存在である。それでは、その「マイナーマイナー」森は生きている「マイナーメジャー」の岡田くんは一体何がどう違うのか?まずは岡田くんがこの『ノスタルジア』でやってること、それは紛れもなく「ポップスの再定義」である。SW『To the Bone』で「80年代」の音楽をイマドキのポップスに再定義すると、この岡田くんは「マイナーマイナー」森は生きているを音楽的ルーツにしながらも、ピッチフォークリスナーライクな「マイナーメジャー」然としたインディ・ムードや「メジャー」に洗練されたプロダクション、そして70年代のジャパニーズ・フォークをルーツとする「大衆的(ポピュラー)」なメロディを駆使して、「日本の伝統的な大衆音楽」をイマドキのポップスにアップデイトしている所は、もう完全に「マイナーメジャー」としか言いようがない。でも結局のところ、「メジャーマイナー」とか「マイナーメジャー」とか、正直そんなんどうでもよくて、最終的にお互いに一緒の「ホステス所属」ってことに落ち着くし、なんかもうそれが全てですね。

この『ノスタルジア』「マイナーメジャー」的な作品である、その真実を紐解くような曲が#7”手のひらの景色”だ。僕は以前、椎名林檎『日出処』のレビュー記事の際に、とある曲で森は生きているの名前を出した憶えがある。そのお返しとばかりに、この曲は初期の椎名林檎やメジャー以降のきのこ帝国がやっててもおかしくないオルタナ系のJ-POPで、さっきまでは「マイナーメジャー」だった彼が一転して「メジャーマイナー」に変化する瞬間の怖さというか、あわよくば椎名林檎みたいなドが付くほど超メジャーなポップスに急接近するとか・・・岡田くん本当に天才すぎる。ある意味、これは「アンダーグランド」から「メインストリーム」のJ-POPに対するカウンターパンチだ。皮肉にも彼はSWと同じように、「アンダーグランド」の人間こそ「メインストリーム」の事情を最もよく知る人間であるという事実を、岡田くんはこのアルバムで証明している。なんかもう赤い公園津野米咲に聴かせてやりたい気分だ。

確かに、今作は「一口サイズのポップス」が詰まったアルバムだが、その中で最も長尺(6分台)となる#8”ブレイド”は今作のハイライトで、それこそ森は生きているのプログレッシブな側面を岡田くんなりに料理した名曲だ。まずイントロのフルートやサックス、そしてインプロ感むき出しのジャズビートを刻むドラムとピアノの音使い、叙情的な音作りまでSWがソロでやってきた事、すなわち「Post-Progressive」の音世界そのもので、特に暗転パートのシュールなアコギの響かせ方、音の空間の作り方がStorm CorrosionあるいはSWの2ndアルバム『Grace for Drowning』に匹敵するセンスを感じさせるし、更にはクライマックスを飾るメタル界のLGBT代表ことポール・マスヴィダル顔負けのフュージョンの流れを汲んだソロワークとか、なんかもう天才かよってなったし、この曲聞いてる間はずっと「holy...」連呼してたくらい。この曲は、まさに岡田くんの音楽的ルーツの一つでもあるジャズ/フュージョンに対する愛が凝縮されたような曲で、何を隠そう、SW『To the Bone』にもジャズ/フュージョンを扱った”Detonation”という”ブレイド”と同じくアルバム最長の曲があって、そういった「繋がり」を改めて感じさせたと同時に、なんかもう岡田くんマジ天才ってなった。26歳で既にSWと肩を並べる、いやもう超えてるんじゃないかってくらい、もはや嫉妬通り越して結婚したいわ。ごめん俺、もう岡田くんと結婚するわ。大袈裟じゃなしに、この曲をSWに聴かせたら2秒で来日するレベル。

そこからギャップレスで#9”グリーン・リヴァー・ブルーズ”に繋いで、流水のように瑞々しいピアノと初期Porcupine Treeみたいなアンビエンスを効かせた音響系のピアノインストぶっ込んでくる余裕・・・なにそれ天才かよ。そんなん「え、もしかして坂本龍一の後継者ですか?」ってなるし。

SW『To the Bone』って、ある意味では彼が幼少期に母親からドナ・サマー『誘惑』をプレゼントされた事を伏線とした、言うなれば「女性的」なアルバムだったわけです。勿論、僕はずっと前から「Post-Progressive」とかいうジャンルは「女性的」なジャンルであると説いてきた。まさにそれを証明するかのような作品だった。この『ノスタルジア』にも、やっぱり「女性的」な、どこかフェミニンな雰囲気があって、そのアンニュイな作風は『To the Bone』と瓜二つと言える。例えば日本のアイドル界隈を見れば分かるように、「女性」というのは大衆のアイコンとして存在し続けるものである。この『ノスタルジア』における「象徴」として存在しうるのが、他ならぬシンガーソングライターの優河をボーカルに迎えた#10”遠い街角”である。

元々、森は生きているのデビュー当時から「ポップス」に対する素養の高さ、その若かりし野心と類まれなるセンスを断片的に垣間見せていたけれど、この岡田くんのソロでは表面的に、かつ真正面から「ポップス」を描き出している。その結果が、「ポップス=アヴァンギャルド」であるという答えだった。なんだろう、自然に寄り添うようなアンプラグド的なDIY精神を貫いていた森は生きているに対して、一転して現代的というか未来志向のモダンなアレンジを取り入れた岡田くんソロといった感じで、例えるなら森は生きているがこってり味の豚骨ラーメンで、岡田くんのソロがアッサリしょうゆ味みたいな感覚もあって、なんだろう、毎年ノーベル文学賞が発表される時期になると集合する重度のハルキストが、村上春樹を差し置いてノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロに寝返ったような感覚もあって、なんだろう、村上春樹作品に出てくる主人公がSEXして童貞卒業したような感覚。まぁ、それは冗談として、そのヴィンテージな音世界とモダンなサウンドとの融合、それこそ「懐かしい、でも新しい」みたいな糸井重里のキャッチコピーにありそうな音楽は、まんま『To the Bone』の世界に繋がっている。

確かに、どんだけ岡田くん好きなの俺みたいなところもあって、でもこんなん聴かされたら流石のやくしまるえつこも岡田くんを認めざるを得ないでしょ。何故なら、岡田くんを否定することはスティーヴン・ウィルソンを否定する事となり、それすなわち「日本のSW」であるえつこ自身を否定することになってしまうからだ。それはともかくとして、岡田くんはこの『ノスタルジア』で、やくしまるえつこに肩を並べる「日本のSW」である事を証明してみせたのだ。リアルな話、もしSWがライブをするために来日した場合、この今の日本でSWのサポートできるミュージシャンって岡田くんしかいないでしょ(えつこは元より)。というか、SWに見せても恥ずかしくない唯一の「日本の音楽」が岡田くんの音楽です。それくらい、「繋がり」という点からこの『ノスタルジア』は、ありとあらゆる角度からSW『To the Bone』を補完するものであり、そしてこの「2017年」を締めくくるに相応しいサイコーのアルバムだ。

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メリークリ◯リス!


なんつうか、クリスマスに必死に音楽のレビューを書き続ける人生とかサイコーにハイってやつだと自分でも思う。こうしてる今でも某オカマルシューゴのデビュー作についてせっせとカタカタ書いている状況マジアナルトランプ。これがまた年間BEST間違いなしのサイコーに面白いアルバムで、しかし面白いだけあって書き手側からするとSWの『To the Bone』と同じくらいハードモード。つうか、オカマルくんがこのデビュー・アルバムでやってることって、SWが『To the Bone』でやった事と同じだから、これも俺しか書けないことだから俺が書くしかない。

年間BESTは狩猟解禁までには出したい(願望)。年末中には今まで逃げ続けてきたana_thema書き上げたい(願望)。それが終わってようやく下半期の良さげなアルバムに着手していくような状況。メタルは元より、邦楽でも赤い公園とかポルカとか未だに聴けてないのは本当に酷いと思う。なんかもう俺の文句はメイドに言えって感じ(責任転嫁)。ともかく、でもこれ1月中じゃぜってー無理だわ・・・。

今年のWelcome To My 俺のメリクリソング

【12/09】BAND-MAID お給仕 TOUR Autumn-Winter 2017 追加公演 「燃えたの?萌えたの?どっちだったの?」〜燃 vs 萌〜@Zeppダイバーシティ

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なんだろう、「色々あった」としか言いようがないんだけど、とりあえず俺たちダイバー完全敗北して笑った。

新木場スタジオコーストで開催されたワンマンお給仕ツアーファイナルからから2週間ぶりに追加公演のお給仕を受けに東京に来たわけなんだけど、なんかもう東京に住んだ方が早いんじゃねーかって感じなんだけど、だから東京の音楽業界の方いたら僕を雇ってくだちい、なんつって。そうだ!良いこと思いついた!サイコパス渡辺に雇ってもらおう!なんつって。でも、今日のお給仕の前日にWACKのフェスがあったのはちょっと面白かった。

まぁ、そんな冗談は置いといて、とりあえず前回のツアーファイナルのお給仕で見せた過去最大規模の演出、その高いハードルをこの追加公演でどう超えてくるかに期待と注目が集まった。個人的にツアーファイナルの記事の中でダイバーシティの見所として挙げたのは以下の5項目だ。

【12/09】追加公演Zeppダイバーシティの見所
  • 「お給仕はじめます」で始まるか否か
  • メンバーも自身ありげなセットリスト
  • 改めてステージング&舞台演出
  • ダイブ賛成派VS.ダイブ否定派の最終決戦
  • 女ダイバーの回収(右手の童貞卒業)
今日のお給仕の整理番号は新木場をゆうに超える、それこそ最前中の彩前が狙えるクッソ良番で、開場から数分で会場入りするとドセンから上手にかけて一人ずつ最前が埋まっていき、そして自分の番になってまだ空いている上手側の最前に陣取った。ほぼ新木場の時と同じ、つまりギターの歌波が真ん前にくる位置だ。ステージは新木場よりも横に広く、ステージには新木場と同じく草が装飾された5枚のモニターと大きなシャンデリア。ここらは新木場と変わらない。

6時開演。お馴染みのSEでメンバー登場かと思いきや、なんとSEが新バージョンに!後ろのモニターにはロゴがアイアンメイデン風に変わったBAND-MAIDの文字が浮かび上がる!僕は「おうおうおうおう、そうきたか」とワクワク感がマシマシになる中、まずは初っ端の見所として挙げた「お給仕はじめます」で始まるか否か、その運命の結果は「お給仕はじめます」は今回もなかった。おいら、今回のお給仕で「お給仕はじめます」で始まるか否かを確認することで、このバンドメイドの本性が「従順なメイドなのか」、はたまた「ただの勘違い女バンドなのか」を図る大きなポイントとして捉えていて、何故ならこうやって「メイドらしさ」のある演出、つまり個性を無くしていくことで、一般大衆に結合していく売り方に変わっていくことに僕は否定的だからだ。なんだろう、そのロックバンドにあるまじき「ハンパ」な行為というか、そのロックバンドらしからぬ「ブレ」みたいなのってどうも日和って見えるしクソダサい。だから、今日のお給仕で「お給仕はじめます」がなかった場合、僕はバンメアンチになって今後はバンメをディスってやろうと考えていた。で、シン・SEが鳴り終わって静寂の中でまず一番に聴こえてきた音は、なんと彩ちゃんの「お給仕はじめます」ではなく、歌波のギターだった。その瞬間「あっ・・・」ってなったのもつかの間、「でもちょっと待って、なんだこのクソカッコイイ始まり・・・って、これ新曲じゃん!」ってなった。バックのLEDモニターには歌詞が映し出され、とにかくこの新曲は歌詞がこれまでになく強烈な意志が込められた歌詞で、その中でも「宣告」の文字が一際印象に残った。その新曲のタイトルは”World Domination”、これは来年2月14日にリリースされる2ndフルアルバム『WORLD DOMINATION』すなわちバンドメイドが結成当初に掲げた『世界征服』宣告するかのような曲で、その曲調自体もメジャー感マシマシでカッコイイんだけど、特にブレイクダウンみたいなパートが”モラトリアム”みたいな感じで頭振れそうだった。恐らく、この新曲は2ndフルアルバムの一曲目に収録されると予想。


メイドは常に前進し進化し続けていたんだ。「過去」に囚われていたのは俺たちご主人様だったんだ。たかが「お給仕はじめます」で始まるか否かでバンドの全てを測ろうとするなんて愚の骨頂だったんだ。今のバンドメイドにとって、ステージ演出およびバンドの世界観をより良いものにしていく上で、「お給仕はじめます」の存在はその世界征服の足かせにしかならないのだ。そう考えたら、「お給仕はじめます」を排除したことはお給仕における大きなエポックメーキングに値するかもしれない。この「変化」は「正しい選択」なのか「間違った選択」なのか、それはまだ今の段階では判断できない。

続いて、バンメンバーも自信ありげなツイートしてた今日のセットリストについてなんだけど、まず初っ端から新曲ブッ込んできた時点で今日のセトリはもう本当に予測不能で、その新曲の後に2曲目で”alone”が始まった時は「エ゛エ゛~!?ここでマジアローン?!」っていう感じで、映画『ホームアローン』のマコーレ・カルキンみたいになった。で次に3曲目に”FREEDOM”が来た時は「えうっそ、えうっそ、早くないっすか、フリーダム早くないっすか」ってなって、4曲目に”Unfair game”を挟んでから、MISAのソロから始まる5曲目の”Play”の後に6曲目で”セクレト”こと”secret My lips”が始まったら「もう(セトリ)分かんねぇなこれ・・・」って僕は理解することを諦めた。メンバーがあれだけセトリに自信ありげだった理由がわかったわ。こんなん読めねえわ。なにこのドSなセトリ。

見所の一つであるステージングおよび舞台演出の面では、もはや殆どの曲がソロやアレンジで始まったんじゃねえかってくらい、楽器隊の三人が活躍する場面が多くて、中でも新木場と違ったのはメジャー感溢れるイントロを追加で鳴らしてたこと。それについてちょっと心配になったのは、お給仕の醍醐味であるノンストップな連続性や勢いテンポに悪影響を及ぼさないかという疑問。一方で舞台演出では、今日はやっぱり5枚のモニターが大きな役割を果たしていて、特に小鳩ソロの”TIME”が終わった後にメンバーが一旦全員ステージ袖に捌けると、後ろのモニターにカセットテープっぽいものが映し出されて、それが再生されるとまだお給仕で披露されたことのない”OOPARTS”をはじめ、”Beauty and the beast”や”Don't apply the brake”などの過去作の音源がミックステープ的な感じで断片的に流れて、「オイオイオイオイ、これはもしかしてもしかすると~?」みたいに期待感を煽ってからの「遂に”Thrill”キターーーーーー!!」って感じ。なんだろう、小鳩を8レベルまで上げてしてようやく「初スリル」が見れて嬉しかった。皆んなで「ヘーイ!」のコールできた。そこで頭に浮かんだのは、「ちょっと待って、これはもうミックステープの過去曲を遡って披露するパティーンきたこれ?」ってウッキウキになってたら全然そうじゃなくて、流石に「エーーー!!この演出この流れで過去曲一切やらんのかーーい!スリルだけかーーい!」ってツッコんだわ。あれか、あのミックステープはこれから過去作の曲を小出しにしていく宣言か。個人的に過去作で聴きたいのは”Price of Pride”や”Don't Apply The Brake”、あとは「さっさと”Beauty and the beast”やれやデブ」って感じ。あと、個人的にこのミックステープの中に  聴いたことない曲もあって、それこそこの度再発が決まったBAND-MAIDの最初期のアルバム『MAID IN JAPAN』の曲で、実は今まで自分は『MAID IN JAPAN』を聴いたことがなくて、確かに今はCD廃盤になっているが、音源自体は配信とかで聴けなくはないのに一切手を付けてなくて、それというのも、これは完全に個人的なものなんだけど、自分の中で「聴いたことがない音源があった方が面白い」という謎の価値観を持っていて、まさにその価値観をバンドメイドに当てはめた場合、この『MAID IN JAPAN』が「聴いたことがない音源」として自分の中で存在し続けていて、しかしそのアルバムが遂に再発されるとなると、流石にその謎の価値観を捨てて聴かざるをえないというか、この再発のタイミングで解禁しなきゃいつするのって感じ。

この流れでダイバーの話は正直虚しすぎる。確かに、”Don't let me down”の時にダイバーおったけど、新木場と比べるとダイバー全滅で笑ったというか、やっぱZeppダイバーシティの場合は柵が多くある箱なんで、ダイバー的にも飛びづらい箱なのかもしれない。でもなんかダイブ禁止の張り紙があったらしい?客の盛り上がり的にも、新木場と比べると大人しかったかなというより、今日はセトリが初っ端から想定外だったし、セトリがイビツ(ドS)でお給仕の流れが全く読めなかったのもあって、もちろん十二分に盛り上がってはいたのだけど、その盛り上がりは断片的なモノであり、新木場のような継続的な盛り上がりではなかったかもしれない。でも音響だけは新木場と比べ物にならないくらい改善されていて、彩ちゃんの歌から楽器隊の音までバランス良く聴こえていた。

【12/09】@Zeppダイバーシティ
セットリスト
01. Opening
02. World Domination 
03. alone
04. FREEDOM
05. Unfair game
06. Play
07. secret My lips
08. Don't let me down
09. Take me higher!!
10. matchless GUM
11. Daydreaming
12. Before Yesterday
13. Awkward
14. TIME
15. Thrill
16. YOLO
17. Puzzle
18. LOOK AT ME
19. decided by myself
20. モラトリアム
21. Don't you tell ME
22. Shake That!!
23. the non-fiction days
24. you.
25. REAL EXISTENCE
26. Choose me

あらためて見ても今日のセトリ、ちょっとイビツ過ぎんな・・・って感じなんだけど、本来ならお給仕終盤に持ってくる”secret My lips”や”alone”が前半にあって、逆に本来ならお給仕序盤の盛り上げ役の”モラトリアム”や”Don't you tell ME”を後半に持ってきて、そして極めつけはこの秋冬ツアーでオープニング曲としてその存在感を発揮してきた”Choose me”を大トリに持ってくるあたり、なんだろう「やっぱこいつらこえーわ」ってなったよね。こうやってオープニング曲として活躍してきた曲を、一転して大トリに抜擢しても全然通用してしまうというか、それこそバンドメイドの楽曲が持つ「柔軟性(フレキシブル)」を強く垣間見せる部分でもあるし、こうやってベタなこともイビツなことも両極端なこともできちゃうこのメイド恐ろしすぎる。今ツアー最高の全25曲演って、”スリル”以外でめぼしいところでは”Before Yesterday”や”Shake That!!”が追加されている。

小鳩「くるっぽ~!」
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俺ら「デブっぽ~!」
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小鳩「萌えたの?燃えたの?ツイートするっぽ!」
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俺ら「だからオメーには萌えねぇし燃えねぇよ野口」
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今日の「おまじないタイム」こと「スーパーデブっぽタイム」では、ケツアゴことMISAがドラムで小鳩の邪魔をする展開が見れたし、今日の歌波は新木場と違って真っ赤なPRSを輝かせながら、新木場以上に幾度となく僕の目の前でGソロを披露する姿は、まさにカナミ・カエルオーカーフェルトでしかなかった。やっぱ歌波は僕にめっちゃレスくれるから推せる。相変わらずスラッシーなザックザクなキザミがキモティカった。今日の彩ちゃんはなんか意識的に前方にレス配ってた気がする。リアルに自分と10秒間くらい見つめ合ってた気がするし、ついでに指も刺されたような気がするし、でもこれは間違いなくいつもの勘違いだと思うから彩ちゃんマジドS。でも珍しく彩ちゃんが上手側一杯まで来て煽ってたのはレアだった。あと、なんか彩ちゃんが歌い出し間違えたらしいけど全然気づかなかった。もしかして彩ちゃんが不自然に屈んだ時か?その時の彩ちゃん妙に可愛かったんだが・・・完全に「萌えた」わ。

予想したとおり、今年最後となる本日のワンマンお給仕は、来年以降のバンドメイド、その新しいヴィジョンすなわち「シン・メイド」をご主人様・お嬢様に「宣告」するような、まさに世界基準世界規模のお給仕、その幕開けに相応しい追加公演だった。でもソールドアウトしなかったのは良かったと思う。そもそも、去年までクソ無名だったバンドが今年新木場とZeppダイバーで演れただけでも贅沢な話で、もし今日の追加公演がソールドしてたら絶対に勘違い女バンドになる所だったからソールドしなくて良かったわ。終演後は、5枚のモニターに来年の2月14日に2ndフルアルバム『WORLD DOMINATION』の発表と(prediaと被ってるんだよなぁ・・・)、そして来年の4月から始まるツアーの大阪名古屋東京の日程が映し出され、そのツアーは世界への【宣告】ツアーとなるらしく、それに合わせて今日お披露目となった新ロゴとシンボルマークも新たに公開された。帰りにその新ロゴ&シンボルのステッカーを配ってたけど自分は貰わなかった。しっかし、来年は更にキャパの広いZepp東京でやるとか攻めすぎだろ。

『世界征服』とは一体何なのか?

『世界征服』・・・それは、今や日本を代表するアーティストにまで駆け上がったBABYMETALを例に、今のBAND-MAIDが置かれた状況を重ね合わせてみれば、自ずとその答えは見えてくる。ご存知、ベビメタは2013年にサマソニ初出演を飾り国内で話題を掻っさらうも、しかし国内での人気は意図的にほどほどに抑えてから、逆に今度は海外からフェスのオファーやワールドツアーを重ね、その海外で得た人気をいわゆる逆輸入みたいな形で再び日本に凱旋し、爆発的にその人気に火がついたように、今日に追加公演でBAND-MAIDが掲げた『世界征服』というのは、その「サマソニ以降のベビメタ」がやってきた海外展開の小規模版みたいな計画を目論んでいるのかもしれない。何故なら、今のBAND-MAID「サマソニ以降のベビメタ」と全く同じ状況で、今日のお給仕で発表された来年4月の「宣告」ツアーも現段階で決まっているのは東京大阪名古屋のたった三ヶ所という、明らかに規模の小さい国内ツアーで国内のご主人様・お嬢様の飢餓感を煽る気満々な所を見ても、来年のBAND-MAID「サマソニ以降のベビメタ」と同じように海外メインで活動していく可能性が高い。その流れで、国内凱旋一発目がMステなんて話も、もしかするともしかするかもしれない。勿論、これは全て「元日本一のベビヲタ」である僕の推測に過ぎない。しかし、今のBAND-MAIDの周辺を整理すればするほど、今のBAND-MAID「サマソニ以降のベビメタ」と解釈すると驚くほどにシックリくる。恐らく、既に小鳩ミク改め小鳩ヨシキの頭の中には、『世界征服』という『野望』その詳細なヴィジョンが描かれているハズだ。とは言え、その『世界征服』という大きな野望がどの程度の規模で計画通りに進むかなんて未知の話で、今はただ来年の2ndアルバムと4月からの国内ツアー、そして『世界征服』へと繋がる更なる続報を待つしかない。とにかく、来年もBAND-MAIDの「動き」に目が離せないのは確かだ。

なんだろう、今日のお給仕を体験して思ったのは、「新規が増えるってそういうこと」ってのを古参はこれから徐々に実感していくんじゃあないかって。それこそ今日の演出がそれを強く示唆していたと言っても過言じゃあなくて、つまり「これから」の未来志向の面と「これまで」の「過去」を紡ぎ出すような演出でもあって、そこのほころびが生まれたらバンメは将来危ういんじゃあないかな。今年付いた新規を見す見す逃すような余裕は今のバンドメイドにはない。そういった意味でも、今のバンドメイドは良い面とそうでない面がグッチャグチャに混ざり合わさってる。色々な意味で今が一番ロックバンドらしくて、今が一番面白い時期なのかもしれない。

改めて、個人的に今日のお給仕が今年のライブ納めで、まさか自分自身今年の1月に知ってから8回もお給仕に帰宅するなんて想像もしてなかった(我ながら頭おかしい)。振り返ってみると、ワンマンに限ると例外だった初ワンマンの大阪以外は全部一桁と二桁のクッソ良番(そのうち2回も最前中の彩前)でお給仕を受けられたのは我ながら強運としか言いようがなくて、このツキにあやかって今日のお給仕前に宝くじ買ったんだけど、もし当たったら彩ちゃんに貢ぎまつw とにかく、今年は自分の人生の中でも過去最高のライブシーズンとなった。もはやただのバンドメイドオタクになりつつある(なお、既に来年のツアー名古屋と東京を申し込んでしまった模様)。もうそろそろいい加減マジメに音楽聴かなきゃ・・・だから来年はバンメアンチになります!ってのは冗談で、もし来年Mステ出たら客入りのステージで女ダイバーさせてBiSHブチ抜くのが目標です(えっ)。

【11/24】BAND-MAID お給仕TOUR Autumn-Winter 2017@新木場スタジオコースト

【悲報】僕の左手、童貞卒業してしまう

なんだろう、なんかもう「伏線全部回収した」としか言いようがなかった。んじゃあちょっと経緯書いてくわ。

もう何度も言ってる気がするけど、今年の初めにBAND-MAIDとかいうメイドの格好をした無名バンドが、ロックバンドの登竜門の一つである新木場をSOLD OUTさせるなんて、一体誰が想像したことだろう。自分の中で、新木場スタジオコーストといえばDIR EN GREYがツアーファイナルでよくやってる箱のイメージがあって、それすなわち今のBAND-MAIDはその手のビッグバンドにお大きく近づいた事を意味している。しかし、まさか自分でも初めて新木場童貞を捧げた相手がBAND-MAIDになるなんて思っても見なかったし、果たして本当にそれでよかったのかは今も答えが出せないでいる。

9月から始まったこの秋冬ツアーは、国内は札幌から始まって、途中でUKや欧州を中心とした世界ツアーを回り、そして再び国内に凱旋してこの新木場公演がツアーファイナルとなっている。自分が参加した前回の名古屋ダイアモンドホールを振り返ってみると、いわゆる最前すなわち彩前が狙える整理番号をゲットしたにも関わらず、いわゆる「不人気デブ」こと小鳩ミクに最も近い男としてお給仕を受けることとなったのは、いま考えても不思議でしょうがなかった。しかし、そのお給仕の中でも一際輝きを放っていた小鳩ミク(今日で7レベル)の存在感は、他のメンバーにはない確かな「タレント力」があった。勿論、そのお給仕は前回の初ワンマンツアーで見せたお給仕よりも、それこそ小鳩の腹周りに同調するかのように一回りも二回りも大きな成長と遥かなスケールを感じさせる大変素晴らしいもので、しかしそんな中で再燃したのはお給仕における「ダイブ問題」だった。小鳩は自身がダイブ/サーフの被害を受けたこともあり、その手の話題には特に敏感になっているせいか、実際に名古屋公演でも最前のお嬢様を心配するようなMCがあったばかりだ。しかし、それなのに何故ダイブ/サーフを禁止しないのか?あの「楽器を持たないパンクバンド」ことBiSHですら禁止にしていることなのにナゼ?って。それはこのバンドメイドがBiSHみたいな「アイドル」ではない事を、それはこのバンドメイドがSilent Suicide Silenceみたいな「アイドルバンド」ではない事を暗に示唆しているのも事実で、今のバンドメイドにとってこの「ダイブ問題」は色々な意味で悩みのタネとなっている。

その話の続きは、ツアーファイナルの新木場へと移る。運がいいことに、自分は名古屋公演に次いで整理番号が二桁後半だったので、おおよそのキャパが2000近くある新木場であることを考えると、最前すなわち彩前はないにしても三列目くらいは狙えることを予想していた。実際に整理番号順に入場してみたら意外や意外、いわゆる「不人気デブ」こと小鳩ミク側のフロア中央には既に列ができていて、一方で彩ちゃんと歌波が前にくる上手側は二列目が狙える状況で、勿論むしろこんな好都合はないということで、自分は彩ちゃんと歌波の間くらいの下手側に陣取った。そう、つまりこれはもう実質「彩前」と言っていい。そこからステージを眺めると、まずは中央の天上には一際大きなシャンデリアと、ステージの背景にはゴシックな雰囲気の装飾が施された5枚の窓枠が意味深に待ち構えていた。後に、その正体はどうやらLEDモニターであることが分かった。そして、開演時間直前になり、ステージと最前の柵の間の通路に何やら本格的なカメラが登場すると、フロア前方のご主人様がちょっとだけザワつき始める。勿論、ご主人様たちの想いは「遂にライブ映像化クルー?」という期待感しかなかったに違いない。しかし、そんな中で僕が危惧したのは、初めてのライブ作品で彩ちゃんの「お給仕はじめます」で始まらないお給仕を映像化していいのだろうか?という戯言。

7時開演。お馴染みのシアトリカルなSEとともにメンバーが続々と登場。このツアーでは恒例となった、彩ちゃんの「お給仕はじめます」のセリフをすっ飛ばしてからの「愛こそはね目に見えないゲンスルー」こと”Choose me”を披露する。が、まずここで「ん?」って耳を疑った。初っ端の音が出始めた瞬間から、歌波のギターしか聴こえない状況に陥ってしまう。彩ちゃんの歌声が微かに聴こえるくらいで、他の楽器隊は勿論、小鳩に至ってはガチで「当て振り鳩女」状態になってて、これは自分が陣取った位置が悪かったのか、はたまたPAがゴミなのか、それとも新木場自体が大した事ない箱なのか。そんな不安をよそに、僕は彩ちゃんに「レスくださーい」みたいなノリで彩ちゃんにアピールするも全然レス貰えなくて泣いた。まぁいいやと思って、逆に考えてみたら歌波のギターがここまで堪能できる機会はなかなかないと切り替えて、そんなわけで今日のお給仕は彩ちゃんから歌波に推し変して歌波メインで楽しむことにしたわけ。で、2曲目にはお馴染みとなった”Don't you tell ME”が始まると大盛り上がりでフロアは既に圧縮祭り、そしてその勢いのまま茜のクソかっこいいパワフルなドラムイントロが炸裂する3曲目の”you.”に差し掛かる。曲の途中で、何やら前方の通路に新木場スタッフが物々しい雰囲気で待ち構えている。僕は「まさか...」と思い恐る恐る後ろを振り向くと・・・次の瞬間!

「ほげえええええええええええええええ!!」
daibu

なんとダイバーの全体重が自分の頭にのしかかった。危うく首が逝きかけた。俺じゃなかったら絶対に逝ってたわ。でも、そっからもうなんか吹っ切れて・・・

「4曲目の”モラトリアム”で2人目のダイバー回収!」

「ハイ次ッ!」

「7曲目の”FREEDOM”で3人目のダイバー回収!」

「ハイ次ッ!」

「どんどん来い!どんどん!」

(8曲目の
So, What?が始まる
)

「しゃあ!今度は右からぁ!」

(ケツグワシィィッ!!)


「左手がケツのワレ目にフィットォォ!!」


「・・・ん?でもなんかこいつ小尻だし妙に軽いな」


「ファッ!?」

「こいつ女ァ!?」

「ファーーーーーwwwww」


こんなん面白すぎでしょ。これを「伏線回収」と言わずして何という。なんだろう、しまいには「僕は新木場スタッフかな?」ってなったよね。


だってほら、お給仕後のツイートで彩ちゃんも怒ってるやん。多分このツイートは僕の頭にダイバーが直撃したのを彩ちゃんがステージから目撃してのツイートやろなぁ、きっとそうだ、そうに違いない。普段のお給仕では全くレスくれないドSなのに、ステージから降りたらデレてツイッターで私信くれるなんて彩ちゃんのギャップ萌え可愛すぎる/// よし!今度からダイバーは俺めがけて飛んでこい!そうすれば毎回彩ちゃんからの私信が貰えるぞー! まぁ、そんないつもの勘違いは置いといて、書き始めの「伏線全部回収した」というのはこの事で、本当に面白いのは、小鳩ミクがダイバー被害にあったダイバー事変を引き金として、ご主人様の間でお給仕におけるダイブの必要性を問う声が日に日に大きくなり、その問題提起が大きな「伏線」へと変わり、そしてその「伏線」をこのツアーファイナルで回収したのが他ならぬこの僕だったというオチ。つまり、小鳩と同じようにダイバーのボディプレスを食らいつつも、一方で小鳩の好きなお嬢様の女ダイバーを回収して左手を童貞卒業させるという神展開を起こしたわけ。なんだろう、お給仕にダイブは必要ないと考えているダイブ否定派にダイブ肯定派が押し込まれそうなこのタイミングで、この僕が伏線を回収して「ダイブ肯定派」の最後の砦になったのは本当に面白いというか、正直これで運営やバンメンバーは軽々しくダイブ禁止を言い出せなくなった感ある。何故なら、この女ダイバーを回収するという「伏線回収」は、最終的に次の物語に繋がる大きな伏線となって、そしてその伏線を最後に回収するのは一体誰か?っていう話は、それはまた別の話。

この「ダイブ問題」は彩ちゃんTOであるこの僕が何とかするしかない・・・と、いざ解決方法を考えてみてもなかなか思いつかなくて、そもそもこの「ダイブ問題」って結局、基本的に最前を含む前方のご主人様は言い方は悪いが不親切というかアンチダイバーばかりなんで、これは今日のお給仕でも痛感したことだけど、単純に下で支えようとする奴の絶対数が少なすぎるのが問題で、それこそ小鳩よりも軽いお嬢様ならまだしも、流石に大の大人という名のオッサンの男をたった数人で支えるのはキツい。おいら、こう見えて身長が181あるフィジカルエリートなんで、それゆえ必然的にダイバーの的になりやすいってのもあって、だからダイバーにボディプレスを食らう前に自己防衛せざるを得ないわけです。とは言え、自分はダイブ肯定派の最後の砦なんで、それは別に嫌とかじゃあないし、フィジカル的にも全然問題ないのだけど、でも実際にダイブする奴の質となると話は別だ。

実際に男のダイバーよりも女のダイバーのが上手いですね。女ダイバーは男と違って変に上で暴れたりしないし、手がケツにスルッとフィットして流しやすいからお嬢様はもっとダイブすべき。女ダイバーならダイブ禁止とか言われないからどんどんダイブしてこいよ。つうか、俺の左手を童貞卒業させた女ダイバーはもっとダイブしてこいよ。なんだよ一回だけって。ナメすぎだろ。全曲ダイブするつもりで来いよ。女ダイバーはダイブしまくって「アイツ」に伏線を見せつけてやれや。もはや追加公演のZeppダイバーシティはダイバーだけあってダイバー全員俺んとこにダイブしてこいよ。そこでダイブ肯定派VS.ダイブ否定派の最終決戦や!

いい加減に話を元に戻して、今日のお給仕は本当に前方以外からはちゃんと全部の音を拾えていたのかが気になったほど、最初から最後まで歌波のギターしか聴こえなかった。だから自然と歌波のパフォーマンスに目がいった。楽しみにしてたコーストの音がこんな期待はずれだとは思わなかったけど、お陰で歌波スゲーってなったし、中でもギターソロの時にステージの前方に乗り出して目の前で緑のPRSを輝かせる歌波は、なんかもう完全にカナミ・カエルオーカーフェルトそのものだったよね。なんだろう、こうやって歌波の活躍だったり頑張りを見てるとなんか泣けてくるわホント。歌波は普通にレスくれるし。やっぱり、バンドメイドにおける歌波の役割および負担って想像を絶するものがあって、そんな事を考えたら「もういい歌波...もう休め!美味いもん食って1.5㌔増やして体力つけろ!(彩ちゃんも)」と言ってやりたくなった(なお、休んでる暇などない模様)。あと少し新発見だったのは、歌波のギターって思うのほかスラッシュ・メタルしてて、俄然ヘヴィな音を出してた。そういう面でも、今日のMVPは間違いなく歌波だ。さっそくMVPのご褒美として歌波の絶対領域をペロペロしてあげなきゃ!いっくぞ~!ペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロ~!

今日のセトリはハッキリ言って神セトリだった。某スリル以外の代表曲はほぼ全て演奏して、かつシブい所で”ORDER”から最新曲の”One and onry”まで、全くスキも休む暇もない全25曲、まさしくこの秋冬ツアーで経験してきた事の集大成とも呼べるベストなセトリで、これをほぼノンストップでやりきるのは素直に尊敬するわ。もはや頭おかしいだろ。中でも歌波とケツアゴによるソロバトルからの”Don’t let me down”→”FREEDOM”→”So, What?”の流れとか、「こ、こいつら序盤で俺たち殺りに来てる・・・ゴクリ」ってなったし、しかも予想どおり圧縮がヤバすぎて全然「魔彩ジャンプ」できなかったっていうね。やっぱり”Brand-New Road”→”ORDER”→”decided by myself”までのハード・ロックならではの怒涛のヘヴィネスは最高に気持ちいいし、そっから小鳩ソロの”TIME”が終わると、お待ちかねの「おまじないタイム」。

小鳩「くるっぽ~!」
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俺ら「デブっぽ~~~!!」
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小鳩「燃えるの?萌えないの?」
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俺ら「オメーには萌えねぇよ野口」
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・・・という感じのコールアンドレスポンスがあって、そこで小鳩の口から追加公演の発表と映像化するかもしれないというお知らせの後ろで、彩ちゃんと歌波がイチャイチャしてるもう見慣れた光景。そして新曲の”One and onry”へと繋ぐんだけど、この曲聞くたびに毎回イントロ変わってる気がするけど気のせいか。でもだいぶ曲のイメージが掴めてきた。この曲って結局シングル化するのかしないのか、もしシングル化するなら相当度胸あるなって感じなんだけど、何故なら、この曲のリズムってDjentのソレだよなって、歌波のギターとか完全にDjentだよなって。なんだろう、”secret My lips”もそうだけど、その”secret My lips”的なジェント・リーなモダンさと”Play”的なグルーヴを感じる曲で、サビは小鳩が高域で彩ちゃんが低域で歌うツインボーカルで、つまり楽器隊の魅力とツインボーカルの魅力が組み合わさったイメージ。勿論、デデッデデッって楽器隊で合わせるパートは小鳩は一切弾いてないですw ともあれ、この曲を紐解くキーワードの一つにDjentがあって、しかしDjentよりも「その先にある最先端」を提示している、これ実はトンデモナイ曲なんじゃねーかって。ある意味、これは小鳩とトリコットのイッキュウ中嶋の対談が一種の引き金としてあって、その”顔面朝立ち女”と”当て振り鳩女”の運命の引かれ合い、その伏線は既に僕が書いたトリコットのアルバム『3』の記事に仕込まれていて、だからこの曲については、僕にしか書けないかなり面白いネタが書けますね。もしシングル化しなかった場合は、次のアルバムの時にでも書くので是非お楽しみに。

そして、今日は何と言ってもバンドメイド史上過去最大規模の演出が最大の見せ場としてあって、まずはステージ背面のパネル演出をはじめ、モクモクスモークから”Daydreaming”ではド派手なレーザー演出、パイロを使った「アツゥイ!」くリアルに燃える演出、そして”secret My lips”で見せたパネルの歌詞演出はマジでエモすぎた。この演出見たら”セクレト”はマジで自作曲の最高傑作だと確信したわ。あと、たまに鳩の羽みたいなのが空から降ってきてたけど、あれは別に演出じゃないよね?これ隠し演出だったら笑うわ。あと最後の曲が終わってメンバーが捌けた後に5枚のパネルにメンバーのアー写が映し出されて、それが何かスゲードヤってるように見えて笑ったわ。とにかく、昨日のprediaと同じく、地方公演とは全く違う演出だった。ただでさえ歌と演奏だけでガッツリ聴かせるバンドなのに、このツアーファイナルではその演奏以外の視覚の面でも楽しませようとする演出面でパワーアップした姿にただただ度肝を抜かれた。結局この演出って、どう考えても来年以降の更にデカい箱を見据えたものであって、なんだろう、こいつら既に未来のヴィジョンを思い描いていて、こいつら来年更に化ける気マンマンやなって。

もう一つ、僕は前回の初ワンマンツアーの時に、「秋冬ツアーはステージングに注目したい」と書いていて、しかし前回の名古屋公演は最前中の彩前だったからメンバーとの距離に気を取られて、すっかりステージングのことを忘れていた。で、今日こそはと思い、メンバーそれぞれのステージングすなわち「動き」に注目してみた結果、過去最高に広いステージだったにも関わらず、「動き」自体は地方の箱と対して変わらない印象だった。確かに、それは良くも悪くもかもしれない。そもそも、なぜこのツアーでバンドメイドのステージングに注目したのかというと、これから将来的に箱を更に大きくしていくにあたって、それこそ今日みたいな多彩な演出をはじめ、それこそprediaと同じように広いステージを余すことなく、「音」は勿論のこと「動き」を駆使して埋め尽くさなきゃならないわけです。それを踏まえて見ると、確かにMISAと歌波は一番「動き」のあるパフォーマンスをしているが、一方で彩ちゃんと小鳩の「動き」が少ない。勿論、茜はドラムなんで元スリップノットのジョーイやモトリーのトミー・リーみたいな回転ドラムをやるわけにはいかないというか、お給仕での茜はメンバーで一番カロリーの消費と摂取が大きいので、もしこれ以上動いたらイッちゃいます。でもやっぱりフロントの二人の「動き」がないとやっぱり少し寂しい。例えば、数万人規模の大箱のステージで一切走らないロックバンドのフロントマンを君は見たことがあるかって話で、確かに「ガワ」の部分の演出は明らかに大箱仕様ではあるが、しかし一番大事なメンバーの「動き」がまだ大箱仕様には程遠いものに見えてしまったのも確か。今日は歌波推しなんで彩ちゃんに対してキツく言うと、「お前は反復横跳び芸人かよw」とか「お前はJanne Da Arcのyouちゃんかよw」とか「ボーカルなのにギタリストのyouちゃんかよw」とか「お前はJanne Da Arcの大阪城ホールのライブDVDでも見てステージングの勉強しろよw」とか「彩ちゃんのダイブがみってみったい~ウェイ 彩ちゃんのダイブがみってみったい~ウェイ」って煽ったら彩ちゃんブチ切れて殴りかかってくるくらいの「動き」が欲しい、極端な話だけど(でも彩ちゃん今日は煽り意識高かった)。確かに、彩ちゃんの場合はヒールの問題がある。しかし、そろそろ「動き」のためにヒールを低く削ぎ落とす事を考えなきゃいけない時期に来ているのかもしれない。小鳩は小鳩で、ワイアレスのギターなのにお給仕見てると一体何のためにワイアレスにしてんのか分かんねえんだよな。いやいやいやいや、それステージ動き回るためのワイアレスと違うんかと。とは言え、今のバンメにそこまで求めるのは酷な話かもしれない。でも、この問題はいずれお給仕における大きな課題になってくると思う。

なんだろう結局、日本のガールズバンドがちょっと下に見られるというかナメられる一番の理由って、それこそ「動き」のあるアクティヴなステージングやスケールのあるダイナミックな演出の面で、男のバンドと比べるとどうしても見劣りしてしまう事実があるからで、しかしこのバンドメイドはそのガールズバンドのジンクス的なマイナスイメージ、その壁をブチ破ってくれそうな未知の可能性を感じさせる唯一のガルバンだからこそ、いわゆる「ガールズバンドにしては良いよね」みたいな評価で終わってほしくないからこそ、世のご主人様・お嬢様はバンドメイドのお給仕にご帰宅しているわけです。

総括すると、流石にツアーファイナルだけあって、初ワンマンからサマソニやら何やら今年経験してきた事の総仕上げと言わんばかりのシンプルに素晴らしいお給仕を披露する一方で、良い面も悪い面も色んなことを考えさせるお給仕でもあった。その「色んなこと」というのは、それはメンバーが一番よく分かっているハズで、とにかくご主人様・お嬢様的には間違いなく過去最高過去最大級のお給仕だったに違いない。アツい以上に何か別の胸に迫るものがあった。エモさの先にある何かが。なんだろう、アツいのに泣けるというか、そのアツさとエモさがグチャグチャになって感情グラグラと揺さぶられる感じはお給仕でしか味わえないかもしれない。なんというか、バンドメイドがウリとしてる「ギャップ」の本質的な部分って実はそこなんじゃないかと思ってて、お給仕ツアーにご帰宅するたびに1羽除くメンバーの努力と成長が目に見えて分かるのが余計に泣けてくるというか、1羽除く各メンバーの「プロフェッショナルさ」に感服する。少なくとも、ロックフアンで今のこいつらバズらないのは本当に損してるわ。

【12/09】追加公演Zeppダイバーシティの見所
  • 「お給仕はじめます」で始まるか否か
  • メンバーも自身ありげなセットリスト
  • 改めてステージング&舞台演出
  • ダイブ賛成派VS.ダイブ否定派の最終決戦
  • 女ダイバーの回収(右手の童貞卒業)
来たる追加公演のポイントとしては、まずは初っ端から彩ちゃんの「お給仕はじめます」で始まるか否かで、正直ツアーファイナルのアツい勢いのまま秋冬ツアーとは一味違ったスペシャルなステージが予想される今年最後のワンマンが「お給仕はじめます」で始まったらブチ上がると思うし、でも逆に「お給仕はじめます」がなかった場合は今後のバンメに対して懐疑心が生まれそうな所だけど、果たして。スペシャルなステージにはスペシャルなセトリが不可欠であり、そうなってくると某スリルさんが解禁されるとなればマジでほぼイキかける自信あるわ。そして過去最大規模の演出が盛り込まれた今日の新木場をどう超えてくるのか?ダイブ賛成派VS.ダイブ否定派の熱き戦いに終止符が打たれるのか?そして僕の右手は女ダイバーのケツによって童貞卒業してしまうのか!?だからダイブ禁止にするにはまだ早い!運営は良番よこせ!って意気込んで発券したら、新木場をゆうに超えるいわゆる最前中の彩前狙えるクッソ良番で「ええ・・・いくらなんでもこれは良番すぎるよ・・・」って素で引いたんだけど。いやいや、運営はどんだけ俺に最前でお給仕見せたいねんと。えーでもクソ迷う。彩前で彩ちゃんにスルーされるドMプレイするか、それとも小鳩の真正面で微動だにせず死んだ魚の目で小鳩の手元をジ~っと見続けるドSプレイして小鳩のレベル上げしようかホント迷うわ。最前で飛信隊ごっこするか2列目でダイバー回収するか迷うわホントに。何この贅沢な悩み。こうなったら最前で女ダイバー回収するしかなくね?

思えばあのアルバム『Just Bring It』から始まったバンドメイドはこの一年間、実にメイドらしい従順たる姿勢でご主人様・お嬢様の期待に、その目覚ましい努力と才能をもって驚くほど成長したお給仕で答えてみせた。今年を締めくくる今年最後のワンマンお給仕は、バンドメイドの本性が「従順なメイド」なのか、それとも「ただの勘違い女バンド」なのか、色々な意味で見逃せないお給仕になること請け合いの、間違いなくいま最も見逃せないライブです。そして、ご主人様・お嬢様は『Just Bring It』という問に対する答えをバンドメイドに提示しなければならない。テメーら「Just Bring It」の準備はいいか?今日の新木場超える覚悟はいいか?んじゃあ12月9日は、テメーら全員・・・

「かかってこいやああああああああ!!!」
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【11/23】 predia 7th Anniversary Tour@日本青年会館ホール

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先月、BAND-MAIDのお給仕に帰宅するちょうど一週間前に、「桜子が可愛い」という風の噂に誘われて、そんな成り行きでバンドメイドの「前座」として初めてprediaのライブを観た。その一ヶ月後、奇しくもバンドメイドのツアーファイナルの前日にprediaの7周年ツアーのファイナルが日本青年館ホールで開催されるという情報を聞きつけ、そんな成り行きで再びバンドメイドの「前座」としてprediaのライブに行ってきた。

…と、レーベルメイトでもあるバンドメイドとprediaの二連続ライブ、つまり桜子→彩ちゃんで回せる事に喜んでみたはいいものの、そもそも日本青年館ホールってどこやねんと。色々とググって拠点の品川から渋谷まで行って銀座線に乗り換えて外苑前駅に何とかしてたどり着いたのも束の間、駅を出るとやけに大勢の人でごった返してて一体何事かと思ったら、どうやら神宮球場でヤクルトのファン感(ラグビーも?)が終わったタイミングだったらしく、「へー、ここが後輩たちが「神宮制覇」した大学野球の聖地か・・・俺すごい」とか思いながら、その後輩たちが成し遂げた偉業をよそに、クソみたいな先輩は隣の会場で平均年齢28歳の場末アイドルのライブを観てブヒってる構図…クッソエモい。

今日のツアーファイナルは公演直前でsold outしたらしく、先月の名古屋公演同様にsold out公演を連続で観られたのはラッキーかもしれない。で、発券してみたら2階席で、ホールの2階席と言ったら今年解散した℃-uteの数年前のライブで観た景色を思い出してちょっと懐かしくてエモくなったと同時に、まさか数年ぶりに再びアイドル現場復帰するなんて思いもしなかった。

5時開演。けたたましいドラミングがド派手に鳴り響く、それこそ映画『バーレスク』顔負けのSEをバックにステージの幕が開かれると、大人アイドルならではのセクシーなダンスを披露する。本日は流石にホール公演だけあって、階段や照明などのギミックを織り交ぜた立体的なステージ構成で、一曲目を飾る新曲の”Ms.Frontier”から、その高低差のある左右にも広い臨場感溢れるステージをメンバー10人で余す事なく、伸び伸びとした圧倒的なボーカル&ダンスパフォーマンスで埋め尽くしていく。ハッキリ言って先月のライブハウスで観たのとはもはや完全に別物だった。本当に先月と同じアイドルを観ているのか?と錯覚するほどだった。と言うより、これが完全体prediaというか、「ホールのpredia」こそ彼女たちのパフォーマンス、そのポテンシャルや魅力を120㌫引き出すことができる最高の舞台なんじゃないかって。例えばライブハウスだとどうしても10人の魅力を持て余してしまうのだけど、ホールとなると10人が10人の力をフルに開放できる余裕があった。本来、この形このステージ構成こそprediaの理想であり、なんだろう、大袈裟じゃなしにこんなん見せられたらもう二度とライブハウスで観れなくなるレベル。幕開けから完全に映画『バーレスク』の世界観で、完全にキャバレーのソレだった。

確かに、2階席からステージは遠い。事実、推しメンの桜子が豆粒に見えるくらい。しかし、上から見下ろす立体感溢れるステージは一種の壮観さすらあって、メンバー1人1人がどこにいるのかも把握できるし、10人もいれば誰かサボってる奴が居そうなもんだけど、驚いたのはそれが一人もいなくて、むしろ揃っていて、この10人で繰り広げるプロフェッショナルなフォーメーションダンスは壮観を超えてもはや芸術の域に達していた。引き締まった太ももとかふくらはぎの絶妙なプックリ具合からも分かるように、もはやprediaメンバーのフィジカルと引き締まった体幹は「ジョジョの女」としか言いようがなかった。ジョジョの話でちょっと面白いのは、同事務所の菜々緒がこの度のジョジョとブルガリのコラボ商品の広告塔(SPUR参照)になってるところで、いわゆる「日本一のジョジョヲタ」的には「この財布を桜子にプレゼントしたらどうなるんやろ・・・」って一瞬でも思っちゃったんだからしょうがない。だってキラークイーンって桜子が好きなハムスターを擬人化したようにも見えなくもないし。とにかく、今のprediaは間違いなく「いま最もカッコイイアイドル」だ。

predia俺的推しメンランキング
1位 桜子
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2位 怜ちゃん
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3位 ルミナ
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理由:尾野真千子なのに年下

4位 あっきー
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理由:相互フォロー

あらためて、やっぱりprediaのダンスには℃-uteを彷彿とさせるフリがあったりして(まさかと思ったらやっぱり竹中夏海先生だったというオチ)俄然ドルヲタ回帰を再確認しつつも、やっぱりアカネとルミナ、そして桜子の歌はprediaの大きな武器だと思った。アカネがこの広い会場のオーディエンスを一口で飲み込むような凄んだ歌声を披露すると、今度はルミナが柔軟性のある可憐な歌声を聴かせる。この二人の何が凄いって、これだけ歌えるのにダンスも一切手を抜かない、むしろ歌ってないメンバーよりもキレのあるダンスを披露していて、特にルミナのダンスに対するこだわりと歌に対するこだわり、それぞれの「こだわり」に一切の妥協を許さない意識の高さには只々驚かされるし、なんだろう、ルミナがセンターでパフォーマンスしてる時の安心感ったらなくて、なんだろう、端的に言ってルミナあってのprediaみたいな、もはや「尾野真千子なのに年下」という僕のルミナに対するイメージがいい意味で覆された。今日でルミナが俺的推しメンランキング3位に躍り出たわ。

今年でprediaは7周年ということで、MCもそれに伴う昔話があった。まず林が「新規は桜子と3年一緒に住んでいたこと知らないよね?」という話に対して桜子が「その話誰も興味ないからwww」とバッサリ切ったのと、当時はあっきーとアカネが副リーダーだったらしく、帽子女こと沢口けいこが腐ってた時代(6年前)にアカネとあっきーに説教された時のモノマネとか、新規的に驚いたのは「キャラ設定がヤベーやつ」ことまえだゆう通称ちゃんころぴーが三年前に途中加入したメンバーだったことと、そのちゃんころぴーとprediaメンバーの初対面の時のちゃんころぴーの挨拶を桜子がモノマネしてそれがソックリ過ぎてウケた。

あと衣装チェンジした時に怜ちゃんの衣装が肌着になっててエッチだったのと、あっきーの衣装が可愛くて、あっきーの「この可愛さで年上」という「尾野真千子なのに年下」に匹敵するギャップ萌えが凄かったし、他が斜め上にトガリすぎてる分アッキーの「正統派」っぽい雰囲気はマジ癒し。他にもルナルナとか完全にアイドル版上沼恵美子みたいなお笑い要員だし(上ルナ恵美子)、林とか推せる要素が皆無だし、なんだろう、prediaのライブは2回目なのに見る度に推しメンが増えていくのがまた面白くて、それってつまりメンバー10人十色の個性とキャラが立っている証拠でもあって、そういったメンバーの魅力とパフォーマンスが絶妙に噛み合ったツアーファイナルだった。それでもやっぱり桜子の面白さが一番推せる。だって桜子ってモノマネ上手くてツッコミも上手いのに歌も上手い、でもちょっとダルそうにしているダンスとのギャップが℃-uteのマイマイさんみたいでやっぱ桜子サイコーに推せるってなった。やっぱこのマイルドヤンキーみたいな感じがサイコー。でもつい最近髪型を変えたみたいで、ちょっと前のロングの髪をかき揚げる仕草に惚れた身としてはちょっと残念だったけど、これはこれで似合ってるから別に。あと、遠目から見てもちゃんころぴーのスタイルは本家の朝比奈彩を超えてたわ。

あらためて、ちょっとどんでもないもん見せられた感あって、そもそもこのホールのステージ構成と演出でライブすること自体初めてなことだとしたら、いつもと違う本格的な魅せるステージングで年齢的にも体力的にも未知な所もなくはなかったハズなのにも関わらず、実際に蓋を開けてみたらむしろ長年ホールでやってきたような成熟したベテランのパフォーマンスに感じたくらい、今日のステージングは驚くほど板についていたし、もはやプロフェッショナルさすらあった。というより、結成7年目の節目にして初めて100㌫のパフォーマンスを見せたんじゃないかって。勿論、普段のライブから100㌫だと思うし、そうあるべきだと思うけど、このホールではその100㌫を超える120㌫のprediaを見せつけられた気がする。この路線極めたらちょっと凄いことになんじゃね?って思うくらい、むしろ8年目にしてここからが始まりのスタートを見つけたような、それこそ、「これまでのpredia」と「これからのpredia」と言うように、つまり「過去のpredia」と「未来のpredia」を繋ぐ境界線上で行われた歴史的なライブ、その歴史的な瞬間を目撃したような気がした。なんだろう、例えるなら8年間修行した寿司職人がようやく自分の店を開いて表舞台に姿を現した感じ。とにかく、その歴史的な瞬間を生で体験できたのはラッキーだった。なお、来年のツアーファイナルは赤坂ブリッツの模様。

なんだろう、「平均年齢28歳」とかいういつ解散発表してもおかしくない、常にギリギリで崖っぷちのライブみたいな、常に毎回のライブが「ラストライブ」みたいな、つまり毎回のライブがX JAPANの『THE LAST LIVE』を観ているようなエモさすらあって、そういった意味でも、マジで「いま最も見ておくべきアイドル」の一つと言えるし、このprediaこそ本当の意味で「ラストアイドル」だと思う。


まぁ、こうやって文字で書き起こすよりも、本日のツアーファイナル公演のHD映像をyoutubeで期間限定公開するという、クソ事務所らしからぬことをやってるので、少しでも気になった人は観るべきだと思うよ。正直、期間限定と言わずにって感じなんだけど、せめて今年いっぱいまでは公開してくれたら嬉しい。あと、改めてこれ見て思うのは、いくらニコニコで生放送してるからといって、やっぱ「ニコ生」とかいうガチのオワコンサイトの固有名詞はMCで出さないほうがいいと思った。そういうのがあると、「あっ、これ映像化されないんだ...」って察してしまうから。あとルナルナの7周年ネタとか色々とカットされてる。ともあれ、今回のライブ映像公開は神事務所としか言いようがなかった。来年の名古屋クワトロ公演も多分行くわこれ。自分の誕生日近いし(謎理論)。

最後に、ちょっと面白いと思ったのは、今日のライブに横浜DeNAの石川選手が観に来てたらしくて、阪神フアンの自分的には「DeNA...阪神...クライマックスシリーズ...泥仕合...うっ、頭がっ...」ってなった。しかも打席に立つ時の選手登場曲にprediaの曲(2曲も)流しててクソ笑った。
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