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墓っ地・ざ・ろっく!

2017年06月

MONDO GROSSO 『何度でも新しく生まれる』

Artist MONDO GROSSO
new_news_header_mitsushimahikari_art201704

Album 『何度でも新しく生まれる』
_SL1000_

Tracklist

01. TIME [Vocal:bird]
02. 春はトワに目覚める (Ver.2) [Vocal:UA]
03. ラビリンス (Album Mix) [Vocal:満島ひかり]
04. 迷子のアストゥルナウタ [Vocal:INO hidefumi]
05. 惑星タントラ[Vocal:齋藤飛鳥 ( 乃木坂46)]
06. SOLITARY [Vocal::大和田慧]
07. ERASER [Vocal:二神アンヌ]
08. SEE YOU AGAIN [Vocal:Kick a Show]
09. late night blue [Vocal:YUKA (moumoon)]
10. GOLD [Vocal:下重かおり]
11. 応答せよ[Vocal:やくしまるえつこ]

90年代に京都から世界を股にかけて活躍した、滋賀県は大津市出身の大沢伸一率いるMONDO GROSSOが約14年ぶりに放つ新作、その名も『何度でも新しく生まれる』は、女優の満島ひかりや乃木坂46の齋藤飛鳥などの豪華ボーカル陣を迎え、自身初となる「全曲日本語ボーカル」をコンセプトに掲げた作品となっている。



90年代から現代までの間に、日本の音楽シーンはもとより、世界の音楽シーンおよび音楽リスナーを取り巻く環境は一変した。まず環境面では、Spotifyをはじめとした音楽ストリーミングサービスの台頭、それに伴い「CDの時代」は終わりを迎え、もはやCDという媒体の存在価値は握手券以下に成り下がった。国内の音楽シーンでは、90年代の渋谷系を受け継いだサブカルクソ女の台頭、アイドルシーンの活性化、そして現代の日本語ラップ全盛時代まで、これらの日本の音楽シーンおよび音楽を取り巻く環境、そのあらゆる流動的な「変化」大沢伸一はどのように解釈し、それに対する答えをMONDO GROSSOはどのようにして導き出したのであろうか?



大沢氏がインタビューでもともとMINMIちゃんと一緒に別のシンガー用に作った曲が基になってると語る、過去に(思春期に「90年代」~を通過した世代の人間なら一度は耳にしたことがある)”LIFE”というCMソングでコラボした女性シンガーbirdとの再タッグが実現した1曲目の”TIME”から、大沢氏の艶めかしくセクシャルにウネるベースラインを中心に、ギターの音を靡かせるような音響的な表現やjジャズいドラム、ピアノやパーカッションなどの生音をフィーチャーした、もはや「らしい」としか言いようがないグルーヴィなバンド・サウンドと、MINMIとの共作だと瞬時に分かるR&B系J-POP然としたbirdのシットリしたキャッチャーなボーカルが、夕暮れ時のメランコリックな時間に誘うかのような世界観を構築し、ここだけ「90年代」で「時」が止まっているかのような、そんな「90年代」の「あの頃」が帰ってくるような情緒溢れる曲で、特にワン ツー スリー「時」を刻む「90年代」特有のダサクサいギミックから、転調してリズムチェンジする展開の気持ちよさとカッコ良さったらない。結果的に、この曲が今作で最も「バンド」してる曲でもある。

2009年作の”光”というUAをフィーチャリングした曲が「日本語ボーカル」に挑戦し始めるキッカケとなったMONDO GROSSOが、再びUAを迎えた2曲目の”春はトワに目覚める”は、1曲目の生音主体のグルーヴィなバンド・サウンドから一転して、オシャンティなクラブで流れていてもおかしくないような、数多くのプロデュース/リミックスを手がける、それこそ「90年代」の「おしゃれ音楽」を代表する大沢氏ならではのミニマル・テクノを繰り広げ、全体的に上海ハニーというかオリエンタルなメロディをフィーチャーした、映画『ブレードランナー』のようなレトロとモダンが融合したレトロフューチャーな世界観は、海外のサブカルクソ女界のアイコンであるGrimesを彷彿させる。これらの1曲目と2曲目から垣間見せる、まるで国境と国境の壁を取り払うような、そのジャンルレスでボーダレスなサウンド・アプローチは、まさしく「MONDO GROSSOMONDO GROSSOたる所以」と言える。

今年に入ってからの満島ひかりちゃんは、「ナニか」が吹っ切れたのか本当に「アクティブ」だ。「日本版ファーゴ」でお馴染みとなった今年放送のドラマ『カルテット』では、椎名林檎提供曲の主題歌で女優松たか子とのデュエットを披露し、そして4月に発表されたMONDO GROSSOの約14年ぶりとなる新曲の”ラビリンス”を歌う謎の人物が実は女優の満島ひかりだと判明し、その数日後・・・まるで図ったように戸川純の歌手活動35周年を記念したVampilliaとのコラボアルバムわたしが鳴こうホトトギスに対するコメントを発表したのだ。これは個人的な話になるが、それに触発された僕は、満島ひかりがヒロインを務める園子温監督の映画『愛のむきだし』を数年ぶりに見返して、からの園子温監督のサイン入りポスターに当選するという、偶然にしては奇妙な「繋がり」を感じさせる出来事があった。つまり、それら一連の出来事からなる伏線回収、その総仕上げがこの度のMONDO GROSSOとの邂逅であり、それ即ち「女優 満島ひかり」「原点」である「音楽」の世界に舞い戻ってきた歴史的瞬間でもあった。面白いのは、MONDO GROSSO「14年ぶりとなる新作に対して、フォルダー5では短パンキャラで売っていた満島ひかりが、今度は「女優」として「16年ぶりにMステの舞台に帰ってきたところで、大沢氏とともに「袖に腕を通さないタイプ」の衣装を身にまといステージに上がった満島ひかりちゃんは、なんだかとても緊張した様子で、しかし間奏パートでの「不思議な踊り」だけはバッチリ決まっていた。もっとも面白いのは、満島ひかりちゃんがコメントした戸川純 with VampilliaMONDO GROSSOが揃ってフジロック'17に出演することが決まっていて、僕はMステ出演が発表される前に書いたわたしが鳴こうホトトギスの時点では、「(満島ひかりがフジロックにサプライズ出演する可能性について)それだけはありえない」的なことを書いたけど、こうやって実際にMステに出て「不思議な踊り」を披露している満島ひかりちゃんを観たら、「(今年のフジロック出演は)満更でもないかもしれない」と考えを改めざるをえなかった。



初めてこのMVを観た時、僕は「あっ、遂にコムアイ降ろし始まったな」って思った。いわゆる「ワンカット撮影」と言えば、最近では2015年のアカデミー賞【作品賞】を受賞した映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』でもお馴染みの撮影技術だが、この満島ひかりちゃんが夜の香港をワンカットで踊り歩くMVは、今年最も話題を呼んだ「アカデミー賞【作品賞取り損ね映画」こと『ララランド』の振付補でありダンサーのジリアン・メイヤーズが振付・ダンスを監修している。面白いというか、ちょっと皮肉だなって思ったのは、水曜日のカンパネラコムアイは過去に映画『ララランド』をディスるような発言をツイッターで発信してて、その映画にもキャストとして出演していたジリアン監修の振り付けを満島ひかりちゃんが、いかにも水曜日のカンパネラ的なトラックをバックに、いかにも水曜日のカンパネラコムアイ的なダンスをフィーチャーしたMV・・・本職の「女優」にこれやられたら、もう「女優気取り」コムアイの立場ねーじゃんってホント笑ったわ。もっとも、「満島ひかり大好き芸人」であり「皮肉大好き芸人」でもある僕がこの件を更に皮肉るなら、Fack共謀罪とかツイートして「リベラルごっこ」してる今のイキったコムアイに対して、法案可決された「共謀罪」が早速適用されて、体制側が雇った女エージェント役の満島ひかりMONDO GROSSOと組んで刺客としてコムアイの前に現れた、実にドラマ的な演出および展開だ。なんつーか、これはもう満島ちゃんが主演している江戸川乱歩のドラマシリーズで役者対決するしかないな。もちろん満島ひかりちゃんは明智小五郎役で、そんでコムアイ怪人二十面相



この曲は、シングルのミックスとアルバムのミックスでまた微妙に違いがあって面白い。シングル版の”ラビリンス”は、そのハウス・ミュージック的なトラックを中心としたアトモスフィアと満島ひかりちゃんの透明感ある歌声との「一体感」みたいなのがあって、それこそ水曜日のカンパネラ”千利休”みたいな、良くも悪くも平坦でチープなB級感が魅力的に感じる部分もあった。しかしアルバム版では、より無機的でドラスティックな立体感のあるミックスで、シングルの浮遊感のある空間表現を担っていたアトモスフィアがまるっと消えて、その代わりにシングルのアコースティック版並に満島ひかりの歌声をド真ん中にフォーカスしたミックスで、かつストリングスとピアノの音がより上質に洗練されたのもあって、つまり水カンっぽいB級感はないし、シングルのような「一体感」こそないが、より底のないバブミの深さにどこまでも堕ちていくような、そして無限にループしていくようなミニマルな感覚が強調されており、いい意味で子供っぽいシングルに比べて、アルバムでは他の楽曲の雰囲気に引っ張られたのか俄然大人っぽい印象を与える。それこそ、昔の水カン今の水カンみたいな差がある。とは言え、これはただ単にハイレゾで聴いたからかもしれないが、確かにハイレゾで聴く満島ひかりちゃんの歌声はブレスがハッキリと聴こえるくらい最高だし、それもあってか、どうしても満島ひかりちゃんの芯のある歌が全体のトラックを引っ張っていくイメージに行き着いてしまう。それくらいバブいしマブい。



今思うと、昨年の11月に水曜日のカンパネラのライブを観ておいて本当に良かった。ライブ中にコムアイがフロアに降りてきて自分の真横を通り過ぎて行ったのを思い出して今でも笑う。何を隠そう、僕は2016年作のUMAの時に、そのMVにおけるコムアイグライムスという国内と海外を代表するサブカルクソ女のダンス対決に注目した。このGrimes”REALiTi(現実)”は、上海やシンガポールをはじめ、日本では東京と大阪、そして名古屋を舞台に撮影されたオリエンタルなMVで、これには「名古屋飛ばしをしないグライムスはチョ~kawaii」と賞賛された。しかしなぜ今、コムアイグライムスなのか?その理由が、男性ボーカルの猪野秀史を迎えた4曲目の”迷子のアストゥルナウタ”のアレンジからして、Grimesの1stアルバムを彷彿させるシンセ・ポップやってるところで、ここまで聴いてて面白いのは、2,3,4曲目までの全ての曲の裏にグライムスが潜んでいることで、つまりコムアイもリスペクトしている世界的なサブカルクソ女のグライムスをも利用して、完全に水曜日のカンパネラの息の根を止めにかかっててクソ笑う。



ここまで「アダルト」な雰囲気が支配する今作の中で、一際異質でイマドキの現代っ子な存在感を放つ乃木坂46齋藤飛鳥を迎えた5曲目の”惑星タントラ”は、イントロからシューゲイザー/ドリーム・ポップ的なギターの音響的な浮遊感を内包したATMSフィールドの中で、現代社会という名の「イマ」を生きる若者の苦悩を迷宮のごとし複雑に紡ぎ出す、ティカ・αなる謎の人物による言葉遊びを駆使した文学少女兼リケジョな歌詞を、アイドル界屈指のサブカルクソ女で知られる齋藤飛鳥がいい意味で青臭い歌声をもってセンチメンタルに表現する。そして僕らは、中盤のラップパートをはじめ、この独特な歌詞世界に対して猛烈なデジャブを憶える。ちょっと面白いのは、「90年代」から「イマ」までの音楽を取り巻く環境の変化、そしてCDの価値を握手券以下にした張本人でありアイドルシーンを代表する乃木坂46のメンバーを歌い手として起用することの皮肉ったらなくて、しかしこの辺は大沢伸一という音楽家が持つ「流動性」、その真髄を体現している気がしてならなかった。



それ以降も、大和田慧を迎えてリミックス風のアレンジを効かせた#6”SOLITARY”AMPSのボーカリストで知られる二神アンヌ”シンデレラ”として迎えた#7”ERASER”、再び男性ボーカルのKick a Showを迎えた「90年代」のポンキッキーズ的な郷愁を憶える#8”SEE YOU AGAIN”moumoonYUKAをフィーチャーした打ち込み主体の#9”late night blue”、そして下重かおりなる「主婦」の歌には聴こえない美声をフィーチャーした#10”GOLD”を最後に、ここで僕は再生を止めた。だから僕は、このアルバムを最後まで聴きたくなかったんだ。だって最後に「アイツ」が待ち構えてるやんと。アラサー女特有のドス黒い闇がドヤ顔で仁王立ちしてんだもん。

僕らは、女優界屈指のサブカルクソ女こと満島ひかりとアイドル界屈指のサブカルクソ女である齋藤飛鳥、現代のサブカルクソ女界を取り仕切るコムアイと世界的なサブカルクソ女であるグライムスの存在を認識していながらも、僕らはただ一人、日本が誇るサブカルクソ女の存在を視界の中で確かに認識しながらも、しかし頑なにその存在を認めようとはしなかった。今作の「裏設定」としてある、現代サブカルクソ女達による「コムアイ降ろし」、それは決して「共謀罪」を利用した体制側の陰謀ではなかったのだ。今作における「水カン包囲網」を考案した首謀者は、他ならぬサブカルクソ女界最強の女であり、11曲目の”応答せよ”を大沢氏とともに共作した謎の人物ティカ・αこと相対性理論やくしまるえつこによる指示だったのだ。

過去に菅野よう子など様々なアーティストとのコラボ作品を発表してきたやくしまるえつこが、このタイミングで引かれ合ったのが大沢伸一率いるMONDO GROSSOだった。それこそ初期のMONDO GROSSO菅野よう子はジャズ周辺に精通する音楽スタイル的にも互いに共振し合う存在だ。とは言え、今回の大沢伸一やくしまるえつこの邂逅は、紛れもなく相対性理論の2015年作のアルバム天声ジングルがあってのことで、このアルバムというのは、今流行りのラップムーブメントを的確に捉えた「えつこなりのヒップホップ」であり、それこそ「えつこなりの日本語ラップ」だった。つうか、えつこ大沢氏の邂逅よりも、えつこエイベックスの邂逅のほうが『意外性』高くね?って感じるけど、それはともかくとして、実は大沢伸一は今の若者に大人気のラッパーぼくのりりっくぼうよみに強く影響を与えてたりと、だから今回の引かれ合いは意外でもなんでもない邂逅であって、それよりも「コムアイ潰し」のために満島ひかりちゃんとやくしまるえつこが邂逅してしまったことの方がヤバいし、もうなんかコエーわ。現代サブカル界の頂点に立ってイキってるコムアイを、満島ひかりやくしまるえつことかいうレジェンドサブカルクソ女がシメにきてる構図怖すぎだろ・・・。もうなんか【やくしまるえつこ×満島ひかり】=【みつしまるえつこ名義でシン・対性理論という名でバンド組んでアルバム出して欲しいわ。ゼッテー売れる。少なくとも、インタビューを見ると大沢氏は今回えつことのコラボにご満悦なようで、近い将来に再タッグが実現しそうなんで俄然期待して待ちたい。

あらためて、MONDO GROSSO『何度でも新しく生まれる』相対性理論天声ジングルには共振する部分が多くて驚かされる。このアルバムのナニが凄く怖いって、いわゆる「初期の相対性理論回帰」で初期のファンを釣っておきながら、そいつらを実験の材料として【SRAP細胞】の謎を解き明かし、母親である小保方晴子の無念を果たしているところで、特に打ち込みをフィーチャーした6曲目の”弁天様はスピリチュア”以降は、そのエイフェックス・ツイン顔負けの「実験的」な傾向が著しく強くなり、中でも”おやすみ地球”はこの『何度でも新しく生まれる』と共振する部分が多く、あらためて天声ジングルの凄さや怖さを再確認させられた。そんなえつこが参加した”応答せよ”は、GrouperJulianna Barwickを連想させるアンビエント・ポップをバックに、えつこがソロアルバムの『Flying Tentacles』で習得したエスペラント語を駆使して人類に語りかける、まさに天声ジングルな幕開けから、全体的にピアノやシンセをフィーチャーしながらゆるふわな感じに展開するこの曲だけは、ほぼえつこソロみたいな感じになってて笑うし、ある意味で『天声ジングル』の延長線上にある楽曲と言える。とにかく、いわゆる「日本一のジョジョヲタ」である僕が認める唯一の女オタだけあって、えつこ怖すぎるわホント。

正直、こんなにも面白くて笑えるアルバムってなかなか出会えないと思うし、それをMONDO GROSSOが14年ぶりにやっちゃう不思議さ。イタリア語で「大きな世界」を意味するMONDO GROSSOなりに「90年代」以降の日本の音楽シーンおよび世界の音楽シーンを総括するような、それこそ「90年代」と「イマ」を音楽という名のワームホールの中で紡ぎ合わせた、紛れもなく今世紀最大のJ-POPアルバムだ。そして、このアルバムの裏で秘密裏に行われているのが「女たちの戦い」であり、これはもう世界的のサブカルクソ女代表のグライムス、現代サブカルクソ女代表のコムアイ、女優界代表の満島ひかり、アイドル界代表の齋藤飛鳥、そして伝説のサブカルクソ女であるやくしまるえつこによる「シン・サブカルクソ女」の称号を賭けた頂上決戦だ。僕は”ラビリンス”の歌い手が満島ひかりだと知った時→「どうせなら満島ちゃん主演でMV撮ってほしい」という願望が本当に実現したと思ったら、まさかこんな面白い裏の演出が仕込んであるなて思っても見なかった。今年、もう何回満島ひかりちゃんに振り回されて惚れ直したかわからないけど、いわゆる「満島ひかり大好き芸人」としてはこんなに嬉しいことはないし、なんかもう満島ひかりちゃんから何度でも新しく生まれたいと思っちゃったんだからしょうがない。

何度でも新しく生まれる(DVD付)
MONDO GROSSO
cutting edge (2017-06-07)
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BiSH 『GiANT KiLLERS』

Artist BiSH
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mini album 『GiANT KiLLERS』
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Tracklist

1. GiANT KiLLERS
2. Marionette
3. Nothing.
4. 社会のルール
5. VOMiT SONG

ずっと見たい見たいと思ってた、自称「楽器を持たないパンクバンド」ことBiSHのライブを今年の1月にようやく見れたと思ったら、ライブ中に清掃員(BiSHファンの総称)の清掃活動に巻き込まれて左脇腹にクソでかい痣ができてからというもの、一転して「さっさと清掃員とBiSHは解散しろ」と強く願ってやまなくて(アユニは別)、どうせ来年いや年内で「いま最もキテるメイドバンド」ことBAND-MAIDにブチ抜かれるのは目に見えてから「どーでもよ~」みたいな、だからBiSHは今のうちにBAND-MAIDと対バンさせて頂いて、つまり【楽器を持たないパンクバンド VS. 楽器は持っているが弾くとは言ってないメイドバンド】で、松隈さん率いるSCRAMBLES作曲の”FREEDOM”彩ちゃんアイナ・ジ・エンドでツインボーカル披露しろよと、冗談じゃなしにそれくらい、ハッキリ言って今のBABYMETALや今のBiSHよりも今のBAND-MAIDのが数千倍面白いです。でもおいら、BiSHのライブにはもう二度と行かないと胸に誓いながらも、BiSHの「アユニと楽曲だけは別」という、いわゆる「楽曲派」とかいうドルヲタ特有のタチの悪い考えを持っているクズなので、昨年リリースされたメジャー1stアルバムKiLLER BiSHから約一年ぶりとなるミニアルバム『GiANT KiLLERS』が、6月8日限定でitunesで買うとアユニ加入後の2017年版BESTアルバムが付いて900円という破格の値段で投げ売りされてたから早速聴いてみた。

金かけすぎだろ


ここ最近のBiSHは、メジャー1stアルバムのリードトラックの”オーケストラ”や今年発表されたした2ndシングルの”プロミスザスター”みたいな、いわゆる「メジャー感」溢れるポップさを押し出した大衆向けの曲をプッシュし露骨に「売れ線」を狙い始めていて、つまり「パンクバンド」らしからぬアンチパンク精神むき出しな感じが、どうにもブレを感じてしまってしょうがなかった。しかし、その不満感を払拭するかのように、この『GiANT KiLLERS』の幕開けを飾る表題曲の”GiANT KiLLERS”から、パンクでファンクなBiSHらしいヘドバン不可避なリズム/テンポで進む曲で、まずは戸川純顔負けのアイナの破天荒ボイスを先頭に、そのアイナと対照的な気だるい存在感を放つチッチ、この手のパンキッシュな曲だとリンリンが頭おかしなって「キエェェェェエイ!!」と奇声上げ始めるし、一人だけいつもと変わらないハシヤスメの絶望的なリズム感のなさとマイペースさが逆に個性として映えるし、モモコグミはおるのかおらんのか分からん存在感の薄さが”らしく”て最高だし、そして「欲しがりません 後は 戦え」というこの曲で一番美味しいサビの歌詞パートを任されたアユニの悪ガキ感全開のヤンチャな歌声は”My distinction”の「キモ~!」に匹敵する名ギャップフレーズだし、そこへ清掃員のキモいシンガロングとコールが組み合わさって、まさしく「メリーゴーランド」と見せかけてジェットコースターのように目まぐるしくてんてこ舞いに展開する、それこそ竜宮寺育氏の「歌詞」とメンバーの尖りまくった「個性」とクソみたいな「清掃員」のクソさ加減が共鳴しあった、すなわち一体感とライブ感が一つになった、もはや「BiSHと言えばコレ」な一曲と言える。

アイナメインだった”My distinction”と対になるチッチメイン、というより、もはやチッチのソロ曲レベルにチッチのエモい歌をフィーチャーした2曲目の”Marionette”は、まずイントロからBiS”Fly”への回答を示しつつ、ショーケースの中に入れられた「人形」の孤独な哀しみをアイドルという「操り人形」に投影させる、そのモモコグミが作詞したメンヘラもとい耽美的な歌詞とチッチの持ち味であるエモさが古き良きV系ロック的なイメージを強調し、アイナパートの「届かない本当の声が」の所では北欧フィンランドの至宝The Rasmusラウリ・ヨーネンのハスキーボイスとアイナのハスキーボイスが共振する。実は、”GiANT KiLLERS”のチッチパートの「全て飲み込んで行こうぜ」の部分が初期椎名林檎を彷彿させたのもあって、チッチが意図的に椎名林檎を意識して歌ってたかは知らないが、この曲ではよりチッチ椎名林檎成分が出てるというか、ちょっと面白いのは、アイナ戸川純チッチ椎名林檎という構図が既に出来上がっているところで、あらためてBiSHの最大の魅力はこのアイナチッチのツインボーカルにあると再確認させる。正直、今のアイナってVampillia経由で戸川純と共演してもおかしくない器のデカさある。



3曲目の”Nothing.”は、いわゆる近年のBiSHが傾倒している”オーケストラ”系のメジャ感溢れる青春ポップソングで、この曲の歌詞もモモコグミが手がけており、あらためてモモコの作詞家としての才能に脱帽するし、他にもチッチの裏声も注目ポイント。一転してスカっぽいコミカルなノリで展開するハシヤスメ作詞の”社会のルール”では、歌詞の中にハシヤスメをブッ込んでくるくらいハシヤスメの自己主張が凄い。最後の”VOMiT SONG”も往年のBiSを彷彿させるリンリン作詞の胸キュン哀愁ナンバーで、この曲も(特にアイナが)謎のThe Rasmus感あって笑う。これ聴いたら、あらためてリンリン作詞の曲にハズレなしだと思った。ここまで全5曲のミニアルバムながら、メンバー全員の個性および作詞スキル、そして「アユニと楽曲だけは別」という言葉の説得力が増す曲の良さまで、とにかく良くも悪くもメジャー以降のBiSHが持ちうる魅力の全てが凝縮された、悔しいけどやっぱBiSHスゲーと思い知らされた一枚。正直、無駄がないぶんフルアルバムよりも良いかもしれない。

確かに、いくつかの曲はBiSH専用というよりWACK界隈特有の曲調およびノリだが、しかしそこはBiSHの魅力で、メンバー作詞の歌詞とアイナとチッチのツインボーカルがあればなんでもBiSH色に、クソ色に染め上げてしまう、それくらいクソ最高なミニアルバムならぬクソアルバムだ。でもやっぱり清掃員とBiSHはクソだから(アユニは別)さっさと解散するかバンメと対バンしろ。

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Sólstafir 『Berdreyminn』

Artist Sólstafir
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Producer/Mixing Jaime Gomez Arellano
Jaime Gomez Arellano

Album 『Berdreyminn』
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Tracklist

02. Ísafold
03. Hula
04. Nárós
05. Hvít Sæng
06. Dýrafjörður
07. Ambátt
08. Bláfjall

アイスランドといえば、ビョークやシガーロスをはじめ、世界的に有名なアーティストを数多く排出している音楽大国の一つで、最近のロックシーンでは菅野よう子が手がけた『残響のテロル』のサントラのボーカリスト率いるAgent Frescoが注目されているが、その一方でメタル界のアイスランド代表といえば、2015年にANATHEMAとともに奇跡の初来日公演を果たした、「ブラックメタル界のシガーロス」の異名を持つソルナントカさんことSólstafirに他ならない。

2014年に発表された前作の5thアルバム『Ótta』では、シガーロスやビョークの作品でもお馴染みのアイスランドのエンジニアBirgir Jón Birgissonをプロデューサーに、「ヨンシー親衛隊」ことストリングスカルテットのAmiinaをゲストに迎えてアイスランドの老舗Sundlaugin Studioで制作された、つまりアイスランドの音楽界を支えるオールスターのバックアップを得ることに成功した作品で、ソルナントカさん「ブラック・メタル界のシガーロス」の名に相応しい地位を確固たるものとする。ところで、その「ブラック・メタル界のシガーロス」といえば、同年にフランスの貴公子ネージュ率いるAlcestが発表した『Shelter』も、エンジニアにBirgir Jón BirgissonAmiinaをゲストに迎えてSundlaugin Studioで制作された、言うなればネージュ『夢』『憧憬』が詰まった"オールスター"作品で、偶然か必然か、ほぼ同じタイミングでポスト・ブラックメタル界の二大巨頭がアイスランドの英雄シガーロスへの迎合を図ったのは、小さな界隈で起こった非常に大きな重大事件として後に語り継がれる事となる。

ちょっと面白いのは、この日本で「ブラック・メタル界のシガーロス」といえばブルータルオーケストラを自称するVampilliaで、彼らも同年にアイスランドの地でシガーロスやビョークの血が(間接的に)通った1stアルバムをリリースしており、つい最近では「日本のビョーク」として知られる戸川純とのコラボ作品『私が鳴こうホトトギス』を発表し、このたび目出度くフジロック出演も果たしている。ご存じ、Alcestの初来日ツアーからVampilliaがサポートとして付きまとっているが、それはまた別の話で、AlcestSólstafirを繋ぎ合わせる存在、そのキーパーソンとなるのが他ならぬANATHEMAの存在だ。AlcestANATHEMAは2012年に初めて対バンツアーを経験し、そのANATHEMAが2015年にSólstafirとともに初来日公演を果たすという奇跡は、未だに『夢』のような出来事としか思えない。とにかく、2014年にポスト・ブラック界で巻き起こったアイスランド音楽およびシガーロスへの迎合、しかしその影にANATHEMAの存在その影響があったことは、あの日の僕たちはまだ知らない。

2014年にネージュの『夢』を実現させた『Shelter』、その二年後の2016年にAlcestがドロップした"ビッグ・イン・ジャパン"アルバムこと『Kodama』では、さっきまでの「アイスランド音楽への迎合」から一転して、本来のポスト・ブラックメタルとしてのAlcestへの回帰、それと同時にバンドのポテンシャルおよびネージュとドラムのヴィンターハルターの"プレイヤー"としてのポテンシャルを活かした、過去最高にオーガニックなサウンドを展開していた。何を隠そう、Alcestと同じく2014年に「シガーロスへの迎合」を図ったSólstafirも、前作に引き続きプロデューサーにBirgir Jón Birgissonを迎えてSundlaugin Studioで制作され、そしてマスタリングに世界的なエンジニアで知られるテッド・ジェンセンを迎えた、前作から約三年ぶりとなる6thアルバムの『Berdreyminn』で本来の漢らしい姿を取り戻している。



それを象徴するのが、今作のオープニングを飾る"Silfur-Refur"だ。それこそ『七人の侍』ならぬ『マグニフィセントセブン』たちが荒野を舞台に西部劇を繰り広げるような、ヴァイキングの血が通った男臭い旋律を奏でるダーティなイントロから、まるで「ライオン・キング」の如くフロントマンAðalbjörn Tryggvasonの唸るようなボーカル、砂利を細かくすり潰したようなオラついたモダンなギター、いつにも増して生々しいドライブ感を放つ手数の多いドラムとベースのリズム隊が織りなす、変化球なしのドストレートなバンド・サウンドを勢い良く、目の前一面に広がるアイスランドの雄大な大地に叩きつける。

2015年の初来日公演の時に自分の前方左の座席に座っていた謎の美人が、Sólstafirのライブが終わった後に隣りのツレに放ったライオン・キングみたい・・・という、これ以上ないくらい言い得て妙な一言が、二年経った今でも忘れられないでいる。そんなSólstafirといえば、アイスランドという地の幻想的な空気感を描写するギターの歪みを最大限に利用した幽玄なアトモスフィアが一つの大きな武器で、初来日公演でもその極上の空間表現および崇高な世界観を描き出していたが、今作ではそのアトモスフェリックな空間描写は極まった感すらあり、Amiinaのストリングスを全面的にフィーチャーした前作から一転して、今作ではある種の原点に立ち返ったかのように、より素っ裸の彼らというか、獣性むき出しの男臭さと土着的な風土が混じり合ったフェロモンを身にまとった各メンバーの「プレイヤー」としての魅力、その4人のポテンシャルからなる楽器の生音を全面的に押し出した「オーガニック」なバンド・サウンドを展開している。

今作のキーワードとなる「オーガニック」な音作りの正体こそ、今作のプロデューサーおよびミキシングを担当した、Ulver界隈でもお馴染みのジェイミー・ゴメス・アレラロの手腕によるもので、つまりBirgir Jón BirgissonとともにアイスランドのSundlaugin Studioでレコーディングされ、その生音がOrgone Studiosジェイミーによって施されたミキシングを通過し、そして最後はSterling Soundテッド・ジェンセンによって施されたマスタリングで完成・・・すなわち「世界最高峰のエンジニア」と「世界最高峰のスタジオ」によって産み落とされた「世界最高峰のサウンド・プロダクション」の極上クオリティが、また「オーガニック」で「ポストメタリック」な生音感を強調する大きなギミックとしてその存在感を示している。中でも#1,#4,#8,のモダンでソリッドなギター・リフを聴けば、ジェイミーが手がけた”ポスト・ブラック界の伝説”ことAltar of Plaguesの名盤『Teethed Glory And Injury』を彷彿させるハズだし、そして全編においてドラムの音が異常に良いことが分かるハズだ。近年では、かのイェンス・ボグレンデイヴィッド・カスティロがタッグを組んだLeprous『The Congregation』に匹敵するプロダクションの良さだ。この『音』に関することだけで、前作の”オールスター”超えを目論む世界最強の布陣で挑まれた作品なのかが分かるし、正直こんな贅沢な裏方今まで見たことないわ。

その「オーガニック」なキーワードを更に強く印象づけるのが2曲目の”Ísafold”で、イントロからギターのヒロイックな美旋律をフィーチャーしながら、雄々しくもリリカルでエピカルな構成力を発揮しつつ、そのド真ん中でベーシストのSvavar Austmanによるベースソロをじゃじゃーん!と豪快にブッ込んでくる。この曲のように、曲終わりのアウトロでAmiinaがちょっと通りますよ的なノリでストリングスを靡かせるが、しかしAmiinaのストリングスが「主役」と言っても過言じゃなかった前作とは打って変わって、あくまでも今作の主役は「プレイヤー」の演奏であると、裏方や脇役(ゲスト)ではなく、あくまでもメンバー4人が織りなすバンド・サウンドが主役だと念を押すかのようなキラートラックだ。

ピアノと管楽器が織りなすアイスランドならではの素朴な音色、そしてクワイヤとソプラノボーカルを駆使してよりスケール感を増すシンフォニックなアプローチがアイスランドの雄大な自然と大地に響き渡る3曲目の”Hula”、幻想的なアトモスフィアをミニマルに形成していく幕開けから、突如プログレスに転調してメタリックなギターのモダン・ヘヴィネスでゴリ押していく4曲目の”Nárós”、アイスランドという自然豊かな絶景の地の優美なオモテの世界を描写するAmiinaのストリングス、一転してアイスランドという厳しい極寒の地のウラの側面を歪んだギターで描写する6曲目の”Dýrafjörður”、ヴィンテージ風のキーボードと初期Alcestを彷彿させる曲調および世界観の中で、今度は新ドラマーのSæþór M. Sæþórssonによるドラムソロが主役となる7曲目の”Ambátt”、キーボードとパイプオルガンによる宗教絵画の如し神聖な幕開けから、徐々にギアを上げてスピード感を増していき、途中でメタリックなギターのキザミリフを挟んで、その勢いのままポストブラック畑出身らしく刹那的な感情を撒き散らしながら最後まで走り抜ける。

あらためて、『黄金比』で象られた雪の結晶が真っ白な雪化粧を施すかのように、それこそオーロラの如し繊細なアトモスフィアとアイスランドの雄大な自然と大地を象徴するかのようなスケール感溢れるバンド・サウンドの融合は、通算6作目となる本作でも、よりリズム隊を中心としたグルーヴ感マシマシの飲んだくれ系ロックンロールは健在かつ不変で、もはやポストロックやブラック・メタルなどのジャンルを超えた先にあるアイスランド・ミュージック、それこそソルナントカ・ミュージックを極めている。確かに、今作は余分な贅肉を削ぎ落としたような「オーガニック」な音作りだけに、これまでと比べると一見地味に聴こえるかもだが、しかしロックバンドらしい「オーガニック」な音を求める人には間違いなく前作以上の傑作に聴こえるハズだ。ましてや、Alcest『Kodama』と共振させれば、この上ない面白さで楽しめるに違いない。正直、あれ(ブラック・メタル界のシガロ)以上やれることないんじゃないか、ドラムが脱退して一体どうしたものかと不安に思っていたけれど、実際は全然そんなことはなかった。是非またANATHEMAとともに再来日を期待したい。

園子温監督のサイン入りポスターに当選した話

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ちょっと経緯を話すと→おいら、それこそPS2の時代から『龍が如く』シリーズのフアンで(なお、まだ最新作はクリアしていない模様)、だから『龍が如く』シリーズの総合プロデューサーである”なごっさん”こと名越稔洋監督がニコ生でやってる『セガなま』も毎月チェックしているほどで、それで先々月の放送回の番組アンケートの「名越監督と対談して欲しい人物は?」みたいな質問に対して適当に「園子温監督」って書いたら、その翌月の『セガなま』で本当に名越監督と園子温監督の対談が実現して、その放送内でコメントすると抽選でプレゼントが貰える企画にこのたび見事に当選した、というわけ。

ここ最近は、女優の満島ひかりちゃんをフィーチャーしたMONDO GROSSOの”ラビリンス”を筆頭に、満島ひかりちゃんが戸川純の歌手活動35周年を記念するVampilliaとのコラボアルバム『わたしが鳴こうホトトギス』にコメントを発表したり、つい先日映画『愛のむきだし』をNetflixで久しぶりに見直したら、あらためて『愛のむきだし』の満島ひかりちゃんの演技には戸川純の影響があると感じたし、それらの影響で園子温監督や満島ひかりちゃんの名前をブログ記事の中で頻繁に出していたのが伏線となったのか、つまりこれはもう満島ひかりちゃんが今回の当選に導いてくれたと言っても過言じゃあない。

なごっさんと園子温監督の対談の中で、なごっさんは園子温作品では『地獄でなぜ悪い』や『冷たい熱帯魚』が好きと答えていたけれど、園子温映画ガチ勢からすると、園子温監督の最高傑作は『紀子の食卓』か『愛のむきだし』の二択以外に考えられないし、ガチ勢からすると当時あの『冷たい熱帯魚』ですら「おっ、前作から一気に大衆向けのポップな雰囲気かつ園子温節のエログロ満載で、まぁ、いいんじゃない」レベルの比較的冷静な意見が多かった気がする。話は変わるけど、名越監督の次回作あるいはそれ以降の作品で満島ひかりちゃんをヒロインとして起用するってのはどうでしょうか?それこそ音楽方面をはじめ、多方面に活躍の幅を広げている今の「アクティブ」な満島ひかりちゃんなら、今度はゲーム業界に足を踏み入れてくれる可能性も満更でもないかもしれないので。これはもう完全に十年来の「満島ひかり大好き芸人」としての意見ですが、しかし今回の伏線を、どうにかしてなごっさんに繋いで貰えることを願って止まない。

とは言え、日活ロマンポルノ×園子温が実現したポスターの『アンチポルノ』はまだ見れていないので、どうにかして早いとこ見たいです。今月の16日に配信予定のAmazonオリジナルドラマ『東京ヴァンパイアホテル』にも、満島ひかりちゃんの弟こと満島真之介が出演しているとのことで俄然期待したいです。それを見終えたらトリコットの『3』のレビューでも書こうかなとか色々考えたりしてますけど・・・とにかく、当選のメールが来た時は一瞬「おっ!PS4か!?二台目!?二台目か!?」って勝手に舞い上がってたら実はポスターで、でも十年来の園子温フアンとしてはPS4に当選すること以上の感動と嬉しみの深い出来事でした。なごっさん、園子温監督、本当にありがとうございました!

戸川純 with Vampillia 『わたしが鳴こうホトトギス』

Artist 戸川純 with Vampillia
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Album 『わたしが鳴こうホトトギス』
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Tracklist

01. 赤い戦車
02. 好き好き大好き
03. バーバラ・セクサロイド
04. 肉屋のように
05. 蛹化の女
06. 12階の一番奥
07. 諦念プシガンガ
08. Men’s Junan
09. わたしが鳴こうホトトギス
10. 怒濤の恋愛

織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

約一年ぶりに漫画『HUNTER X HUNTER』の連載再開がアナウンスされた原作者の冨樫義博が、この休載期間という名のサボり中に一体ナニをしていたのか?それこそ、戸川純の歌手活動35周年を記念したブルータルオーケストラことVampilliaとのコラボ作品に伴うアーティスト・イラストで、これには「もっと仕事選べよ富樫、つうか仕事しろ富樫、あっ、仕事してんのか富樫」ってツッコんだ。 

豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かしてみせようホトトギス

何かとお騒がせな戸川純に影響を受けた(女性/男性問わず)アーティストは数知れず、中でも「戸川純の後継者」とか「戸川純のパクリ」だとか散々なレッテルを貼られた椎名林檎はその筆頭で、その椎名林檎の提供曲をドラマ『カルテット』の中で披露し、そしてMONDO GROSSOの約14年ぶりとなる新曲ではバブミの深い歌声を聴かせていた女優の満島ひかりちゃんが、戸川純の12年ぶりの新曲および新作となる『わたしが鳴こうホトトギス』に対するコメントを発表したとのことで、いわゆる十年来の「満島ひかり大好き芸人」としては聴かないという選択枠がもはやないわけです。しかし今思うと、9年前の2008年に公開された園子温監督の映画『愛のむきだし』での満島ひかりちゃんの息を呑むほどの破天荒な演技には、他でもない戸川純の影響があったのかもしれない。そう考えると、今回のコメントの件はなかなか感慨深いものがある。

徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス

当然、自分は戸川純が世間を騒がせていたらしい時代/世代の人間じゃないので、それこそ例の重大事件をニュースで見て「頭のおかしな女」と子供ながらに思った記憶しかなくて、だから2014年にVampilliaとの初コラボが実現した『the divine move』"lilac"で初めて「歌手」としての戸川純の歌をマジマジと聴いたくらいで、つまり今作に収録された過去の名曲すら実質新曲として認識してしまう立ち位置の人間が、ただ単に「満島ひかり大好き芸人」という理由だけで今作を聴いてみた結果・・・果たして?



幕開けを飾る1曲目の”赤い戦車”から、ツインドラムを擁した破天荒かつアヴァンギャルディなVampilliaらしいヘヴィなサウンドスケープを繰り広げ、その重厚な音世界のセンターで威風堂々とした立ち振舞で戸川純が、それこそ昔も今も変わらぬ「シン・オルタナティブ」としてのシンボル=象徴としてその絶対的な存在感を発揮する。2曲目の”好き好き大好き”は、どっかで聴いたことあるなと思ったら、新生アイドル研究会BiS非常階段がコラボしたユニットことBiS階段がカバーしたことでもお馴染みの原曲で、初期のDir en greyみたいなサイバーパンク感あふれる3曲目の”バーバラ・セクサロイド”、イントロからグランジ風のヘヴィなギターリフをフィーチャーした4曲目の”肉屋のように”、パッヘルベルの名曲”カノン”に詞を与えた5曲目の”蛹化の女”は、原曲でもお馴染みのストリングスの優美な旋律と打ち込み系の激しくモダンなアレンジが、コラボならではのギャップと摩訶不思議な音楽体験を提供している。ATMSフィールドを展開する緩やかな始まりから、転調を交えてドラマティックに展開していく6曲目の”12階の一番奥”、ツインドラムが放つグルーヴが気持ちいい7曲目の”諦念プシガンガ”、激情系ポスト・ブラックメタル感がマシマシになる8曲目の”Men's Junan”、そして12年ぶりの新曲となる表題曲の”わたしが鳴こうホトトギス”は、初コラボ曲の"lilac"の再来となる真部脩一が手がけた俳句的な歌詞を刹那的に歌い上げる戸川純のボーカル、ピアノとヴァイオリンの優美な音色が織りなす緩やかな始まりから、歌姫の『魂』に共鳴するかのように激情するギターと怒濤のドラムが唸るような轟音を形成し、物語はリリカルでドラマティック、そして感動的なクライマックスを迎える。その姿は、まるで決して出会ってはいけない、「はみ出し者」with「はみ出し者」が運命の再会を果たしたかのような、その「はみ出し者」同士お互いに共振し、そして互いに高め合うようにして未知なる相乗効果を生み落としている。

このアルバムには、戦国時代の3人の英雄が叶えた「天下統一」という『夢』、その気高い『意志』を現代に受け継ぐ「歌姫」として生き続ける戸川純の『覚悟』が込められている。Vampilliaとかいう謎の音楽集団が繰り広げる混沌蠢くサウンドに飲み込まれない、むしろ逆に美味しそうに喰っちゃってる戸川純の歌声、その存在感たるやまさしく唯一無二かつ孤高、それ以外のナニモノでもない。もちろん、過去の原曲を知っていたほうが良いのだろうけど、しかし原曲を知らなくてもVampilliaworld’s end girlfriendによる多彩で奇抜なアレンジで楽しませる、つまり”カッコー”ならぬ『過去』の音を『イマ』の音としてブラッシュアップしている。そもそも、Vampilliaとの初邂逅となった"lilac"の時点で、その異常な相性の良さを垣間見せていたが、その相性の良さは今作および新曲を聴けば確信へと変わるし、目出度く出演が決まった今年のフジロックでは、この音源以上の「はみ出し者」with「はみ出し者」によるブルータルな喜劇舞踏を見せてくれるに違いない。でもちょっと待って欲しい、今年のフジロックにMONDO GROSSO戸川純 with Vampilliaの出演が決まったとなると...もしや満島ひk...いや、ねーか...。

とにかく、12年ぶりの新曲は"lilac"の延長線上にある名曲なんで、これだけのために今作を聴く価値は十分にあります。ちなみに、ネクロ魔ことNECRONOMIDOLと同じように、今作をBandcampで買うとflacが24bitのハイレゾ仕様になってるので、普通に国内のハイレゾ配信サイトで同じ仕様の音源を買うよりもチョトだけオトクです。

わたしが鳴こうホトトギス
戸川純 with Vampillia
Virgin Babylon Records (2016-12-14)
売り上げランキング: 5,924
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