
Tracklist
01. 道
02. 俺の彼女
03. 花束を君に
04. 二時間だけのバカンス (feat. 椎名林檎)
05. 人魚
06. ともだち with 小袋成彬
07. 真夏の通り雨
08. 荒野の狼
09. 忘却 (feat. KOHH)
10: 人生最高の日
11: 桜流し
ヒッキーこと宇多田ヒカルの約8年ぶり通算6作目となる新作、その名も『Fantôme』はフランス語で「幻」や「気配」を意味する言葉らしい。
自分の中で宇多田ヒカルっていうと、まだ日本で音楽番組が盛んだった時代に一世を風靡した女性歌手、みたいな漠然としたミーハーなイメージしか持っていないのだけど、当然、代表的な曲はTVや街中から聴こえてくるBGMとして耳にしていたからよく知っている。しかしどうだろう、今の時代どの街を歩いてみても「音楽」というか「音」そのものが街中から消えてしまった、ここ数年そんな言葉をよく耳にするようになって久しい。
では最近、「宇多田ヒカル」の名前を明確に意識したのって何時だろう?と記憶を巡らせてみた。それは数年前に『宇多田ヒカルのうた -13組の音楽家による13の解釈について-』をたまたま姉から譲り受けて聴いた時だった。この作品は、ヒッキーと同じ1998年デビュー組の椎名林檎や浜崎あゆみをはじめとした著名なアーティストが宇多田ヒカルの名曲をカバーしたコンピレーション・アルバムで、日本がまだ音楽に対して強い関心があった時代にシノギを削り合ってた歌姫同士が、十数年の時を経て互いに認め合うかのようでもあって妙に胸がアツくなった。
思わず「ハッ」っと目が醒めるようなイントロで始まる一曲目の”道”から、荊棘のように険しく、しかし薔薇のように美しい『人生』という名の『道』を力強く踏みしめていくようなリリックと、往年の宇多田ヒカルらしくもありながらも、しかしwoob woobもといダブステップなどのイマドキ感溢れる打ち込みを擁したR&B調のリズム&ビートを刻んでいく、それこそオープニングを飾るに相応しいアリアナ・グランデもビックリの「王道的」な「ポップス」で、もはや「日本の音楽は全て宇多田ヒカルから始まる」と言わんばかりの、それこそ「シン・J-POP時代」の幕開けを宣言するかのような名曲だ。この曲だけで海外のitunesチャートを一時席巻したというヒッキー本人もビックリのニュースに多少なりの説得力が持てるんじゃあないだろうか。
何が面白いって、それこそこの『Fantôme』を勝利への『道』へと、スピリチュアな『道』へと導くかのようなイントロ及びバッキバキの打ち込みやミニマルなフレーズを耳にした瞬間、『天声ジングル』をドロップした相対性理論のやくしまるえつこが嫉妬して更に病んでしまう事案が容易に想像できてしまったことだ。世界中の人が「これが本物のJ-POPなのか」と思ったハズ。あとサビに挟まれる「Run」がyoutubeのドッキリシリーズ『Jalals Run』を思い出してどうしても笑ってしまう。
まるで全てのJ-POPを過去のものにするかのような、大袈裟じゃなしにそれくらい今のJ-POP界に大きな風穴を開けるような”ファースト・インパクト”となる幕開けの余韻に後ろ髪を引かれながらも、盟友椎名林檎リスペクトな少しオラついた歌い方で始まる二曲目の”俺の彼女”は、男視点のダーティな歌詞と女視点の歌詞を演じ分ける”ジェンダー”なボイス・パフォーマンスを筆頭に、中盤から終盤にかけて美しくも儚い人生を優雅に彩るようなストリングスを全面に押し出した、それこそポスト-系にも通じる壮麗優美な展開には只ならぬエネルギーを感じさせる。あと終盤の「俺には夢がない~」以降のもう本当にどうしようもない歌詞がもう本当にどうしようもなくてサイコー。
『ブス姉ちゃん』こと高畑充希主演の朝ドラ主題歌として、毎朝半ば強制的に聞かされていた三曲目の”花束を君に”、フレンチポップみたいなイントロから始まる四曲目の”二時間だけのバカンス”では椎名林檎とのデュエットを披露していて、正直椎名林檎が宇多田ヒカルの曲をカバーしただけでも十分凄いことだというのに、まさか宇多田ヒカルのオリジナル・アルバムでガチでコラボしちゃうなんて思いもしなかったというか、これは朝ドラ主題歌の件もそうだのだけど、ここ最近の椎名林檎の目覚ましい活躍が活動休止中のヒッキーにどれだけの勇気と刺激を与えたのか、そしてどれだけ大きな影響を与えたのかが分かる事案でもある。もはや禁断の果実の如し、アンタッチャブルな二人の歌姫による小百合ナンバーだ。
ハープの音色による幻想的な世界観を繰り広げる#5”人魚”、小袋成彬氏をゲストに迎えた曲でtoeっぽいミニマルなアコギ主体の#6”ともだち”、某ニュース番組のED曲の#7”真夏の通り雨”、オシャンティなトラックと歌謡曲を経由した往年のJ-POPらしいヒッキーの歌が素晴らしい8”荒野の狼”、アトモスフィアな音響空間の中で日本語ラップ界の新生KOHHによって尾崎豊を現代に蘇らせる#9”忘却”、そのタイトルどおりめっちゃ前向きなJ-POPチューンの#10”人生最高の日”。
実はカバー集の『宇多田ヒカルのうた』よりも前に「やっぱ宇多田ヒカルってスゲーわ」と思い知らされた出来事があって、それが『新劇場版エヴァンゲリオンQ』の主題歌として起用された”桜流し”を聴いた時だ。この曲を初めて耳にした瞬間、昨年奇跡の来日公演を果たしたANATHEMAの”Untouchable, Part 2”が脳裏に過ぎったくらい、いわゆるPost-系バラードの一つの完成形で、僕はここでも「なぜ日本におけるPost-Progressiveとかいうジャンルが女性的なジャンルであるのか」を再確認した。もっとも面白いのは、この曲はヒッキーとイギリス人プロデューサーであるポール・カーター氏の共作であるところで、このそこはかとないUKミュージックっぽい感じの正体は、他ならぬ彼によるものだったのだ。
まるでメンヘラクソ女の自撮りみたいなジャケから放たれるは、『シン・J-POP時代』の幕開けだった。自分は熱心な宇多田ヒカルフアンとかではないので、このアルバムを椎名林檎の『日出処』や相対性理論の『天声ジングル』というメンヘラサブカルクソ女フィルターを通してでしか分析できないが、正直それ抜きにしてもJ-POPとして文句なしの傑作だし、この日本にはまだ「曲が書ける」人が存在するんだって素直に喜びを噛み締めた。でもやっぱり椎名林ンゴの影響力ってスゲーな思うし、恐らく2020年に開催される東京ンゴ輪ではきっと何かしらの楽曲提供、あるいは林ンゴと一緒に音楽面でのバックアップが期待できると思うし、当然期待したい。あと始めと終わりの曲がずば抜けて凄いところや、”人生最高の日”から”桜流し”の流れが、『天声ジングル』の”おやすみ地球”から”FLASHBACK”の流れに似たナニかを感じたから、やっぱこれ聴いたえつこ嫉妬してヘラってるわ多分。
今のように複数形態やCDという名の握手券などの”アコギ”な売り方が当たり前ではなかった、「あの頃」のように通常一形態でのリリースという潔さからは、正しい音楽のあり方を、正しい音楽の楽しみ方を忘れてしまった現代の僕たちを戒めるかのよう。まるで宇多田ヒカルというファントームに導かれ、「あの頃」と全く同じ音楽体験そのノスタルジーと記憶をフラッシュバックさせる。もはや宇多田ヒカルの歌声は、「音楽」の価値というものが著しく失われつつあるこの現代社会を生きる人々に、まだ「音楽」が日常として身近に存在していた「あの頃」と同じように、それ即ち「気配」と同じように人々の側にソッと常に寄り添うかのよう。まさしくこれが「生ける音楽」なのかもしれない。
宇多田ヒカル
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