Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2016年07月

Julianna Barwick 『Will』

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Tracklist
01. St. Apolonia
02. Nebula
03. Bleached
04. Same
05. Wist
06. Big Hollow
07. Heading Home
08. Someway
09. See, Know

USのシンガー・ソングライター事情っていうと・・・実はよく知らないんだが、しかし2011年にデビュー・アルバムのThe Magic Placeをリリースし、「ここまで環境音と一体化した歌声が未だかつて存在しただろうか」あるいは「ここまでネロとパトラッシュの最期の教会で流れてそうな音楽があっただろうか」と、たちまちSSWシーンの間で話題を呼び、昨年には初の来日公演を果たした「21世紀のエンヤ」ことJulianna Barwickの3rdアルバム『Will』

かのDead Oceansからリリースされた前作の2ndアルバム『Nepenthe』では、ビョークやSigur Rosなどのアイスランド界隈でお馴染みのエンジニアBirgir Jón Birgissonとタッグを組み、同時に「ヨンシー親衛隊」で知られるストリングス・カルテットのAmiinaを迎え入れた結果、晴れて「女版シガーロス」の称号を得ることに成功した彼女。しかし今作の『Will』は、1stアルバムの「神々しい世界観」と2ndアルバムで培った「攻めの姿勢」を踏襲しつつも、新境地とも取れる現代的あるいは人間的な要素をはじめ、いつにもなく「楽器」が奏でる音色をフューチャーした作品となっている。
 


それこそ坂本教授こと坂本龍一が手がけた、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『レヴェナント』のサントラを彷彿とさせる、崇高な慈悲に導かれるようなストリングスとジュリアナの天使の囁きの如し聖なるゴッドボイスが、不条理なこの世界を『清らか』に浄化していくオープニング曲の#1”St. Apolonia”、スウェーデンのCarbon Based LifeformsやUSのHammockを連想させる、ミニマル・アンビエントなエレクトロ要素と深海を彷徨うかのようなジュリアナの歌声が織りなす神秘的なATMSフィールドに溺れる#2”Nebula”、今度はその深海の底から響き渡るようなピアノとストリングスがジュリアナのゴッド・ブレスを優しく包み込むように交錯する#3”Beached”、80年代風のシンセをバックにカナダ出身のMas Ysaなる男性ボーカルとフィーチャリングした#4”Same”、再び半透明に澄んだ青い海を美しく遊泳する人魚に擬態させる#5”Wist”、儚くも美しいピアノの旋律に涙する#6”Big Hollow”ANATHEMAFalling Deeperを彷彿とさせるストリングスとピアノが青く澄んだ海中から太陽を見上げるかのような#7”Heading Home”、そしてラストを飾る#9”See, Know”では、まるでチャーチズの新曲かと勘違いするほどミニマルなエレクトロが、未だかつてないほどノリノリなジュリアナの新境地を垣間見せる。
 

今作では、相変わらずアンビエント的な音響空間を軸にした作品でもあるが、それ以上にピアノやストリングスをはじめ、いわゆる人間界の「楽器」という名の道具を積極的に取り入れたことで、イマドキのSSWに大きく歩み寄ったかと思いきや、しかしこのアルバムでもジュリアナは「シンガー」として「歌う」ことを断固として拒否し、あくまでも各楽器が奏でる音色と波長を合わせるように、言霊という名の音霊の一部として存在している。そのモダンな電子音やピアノを駆使した音像は、これまでの『地上』あるいは『天国』の眩いくらいに神々しい音楽というよりも、それこそ深海の神秘に触れているかのような、あるいは日が昇る前の朝焼けや青く澄んだ海をイメージさせる、そこはかとなく”ドープ”な世界観を構築していく。

前作の”One Half”「ほぼ歌イ(キ)かけた」彼女だが、そのリベンジとなる今回の【絶対に歌わせるマン】VS.【絶対に歌わないジュリアナ】のポコタテ対決はジュリアナの勝利で幕を閉じた・・・(完)
 
Will
Will
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Julianna Barwick
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Marika Hackman 『We Slept At Last』

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Tracklist
01. Drown
02. Before I Sleep
04. Open Wide
05. Skin
06. Claude’s Girl
08. In Words
09. Monday Afternoon
10. Undone, Undress
11. Next Year
12. Let Me In

UKのシンガー・ソングライター事情といえば・・・実はよく知らないんだが、とは言えイングランド南部はハンプシャー州出身のマリカ・ハックマンのデビュー・アルバム『We Slept At Last』が、寂れた郊外のバーで語り弾きする光景が脳裏に浮かびそうなくらいダーティなムード漂う激シブなインディ・フォークやってて、例えるならex-Trespassers WilliamLotte KestnerがUSのChelsea WolfeTrue Widow、あるいはUKの2:54みたいな暗黒面に堕ちたヤンデレ系フォーク・ミュージックやってて、とにかく一見ありがちなインディ・フォークかと思いきや、そこはUK出身ならではの”オルタナティブ”なアレンジ/メロディ・センスを垣間見せたりと、なんとも「イギリスらしいシンガー・ソングライター」としか他に形容しがたいSSWだ。
 

イントロから不協和音にも近い不穏な空気感をまといながら、気だるくも落ち着いた、しかしどこか色気のあるマリカの歌声とアコギのリフレインが、Kayo Dotばりの暗黒物質という名の多彩なアレンジとともに絶妙な距離感で調和し、素直に心地良く、しかしどこか深い闇がある音世界を構築するオープニング曲の”Drown”、いわゆるスティーヴン・ウィルソン界隈を彷彿とさせるArt-Rock然とした音使いと叙情的なストリングス・アレンジの絡みが完全にPost-系のソレな二曲目の”Before I Sleep”Trespassers Williamリスペクトな#3”Ophelia”、そしてもはや確信犯と言っていい四曲目の”Open Wide”では、一転してバンド・サウンドを主体に、USのWarpaint顔負けのダウナーなドリーム・ポップを繰り広げる。この序盤の流れを耳にすれば、彼女のシンガー・ソングライターとしての才能は元より、一人のマルチミュージシャンとしての才能にド肝を抜かれる事ウケアイで、それと同時に彼女が産み落とす音楽が”俺の感性”のド真ん中であるということが理解できる。それすなわち、Warpaint大好き芸人のスティーヴン・ウィルソンが一番のオキニにしそうなSSWである、ということ。



再びダーティなアコギを靡かせながら、ロンドン出身のSivuとかいう男性ボーカルとのデュエットを披露する#5”Skin”、70年代のフォーク・ソングのカバー曲と言われても疑わない#6”Claude’s Girl”、一転してDevin Townsend”Blackberry”ばりのカントリー調でノリよく展開する#7”Animal Fear”、哀愁漂うシンプルな#8”In Words”、遊牧民を誘き出すようなフルートや優美なストリングスを擁した民謡風の曲調からポスト-系の展開力を発揮する#9”Monday Afternoon”、そして後半のハイライトを飾る#10”Undone, Undress”は、そのタイトルどおり、まるで「UKの森田童子」と言わんばかりの、底すらない闇へとどこまでも堕ちていくような、ただそこに蠢くドス黒い狂気の中に彼女の底知れぬ『闇』を垣間見る。Opethミカエル・オーカーフェルトが悶絶しそうなメロトロンとフルートの音色が俄然サイケかつサイコに演出する#11”Next Year”、最後はアコギを片手にドチャシブな歌声を聴かせる。

なんだろう、一見至って普通のシンガー・ソングライターかと思いきや、全然普通じゃない、とにかく闇が深すぎるSSWだった。 ピアノやシンセ、メロトロンやオルガンをはじめ、民族楽器のサーランギーやディルルバまで難なく弾きこなす、それこそプログレ界隈もビックリのマルチな才能が遺憾なく発揮された傑作です。

もはや「UKのSusanne Sundfør」と呼んでも差し支えないレベルだし、もちろん我らがスティーヴン・ウィルソンをはじめ、少しベクトルは違うがUSのRhye、そして近年のUlverOpethなど、そして最終的にはビートルズという偉大な先人をルーツに浮かび上がらせる、そのメランコリーでサイコーパスな音楽性は、普段の日常生活の中に潜む『闇』に気づいたらスッと片足突っ込んじゃってた感すらある。

あとは単純にメロディが素晴らしいのと、何度も言うけど曲の展開が一々ポスト-系のソレでツボ過ぎる。正直、ここまでPost-Progressive系のアーティストとリンクするSSWは他に類を見ない。逆に「繋がり」が一切ない事の方がおかしいレベル。でも逆に「繋がり」がないからこそ「面白い」くもある。
 
We Slept At Last
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AURORA 『All My Demons Greeting Me As A Friend』

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Tracklist
01. Runaway
04. Lucky
05. Winter Bird
07. Through The Eyes Of A Child
08. Warrior
10. Home
11. Under The Water
12. Black Water Lilies

北欧
のシンガー・ソングライター事情といえば、スウェーデンはiamamiwhoami、ノルウェーはSusanne Sundførがシーンのトップに君臨している状況で、その北欧SSWの遺伝子を受け継ぐ、北欧SSWの『未来』を託されたのが、ノルウェーはベルゲン出身で若干ハタチのAurora Aksnes、あらためAURORAだ。そんな彼女の1stフルアルバム『All My Demons Greeting Me As A Friend』は、既に本国ノルウェーでチャート一位を獲得しており、ティーンを中心に急激な速度でその人気を世界に拡大している。



その音楽性は、同郷の大先輩であるSusanne Sundførの傑作『The Brothel』『The Silicone Veil』を全力でリスペクトしたような、つまりチェンバー・ポップ的な音使いやシンセ・ポップ的な綺羅びやかなサウンドを駆使したアート・ポップで、さすがにスザンヌみたいな唯一無二で崇高な世界観やザ・オルタナティブなセンスには及ばないが、時としてオーロラのような輝きと神秘的な存在感を放つ、その若さ溢れるエネルギッシュなポップ・センスと北欧のレジェンドABBAをはじめとした北欧のムード歌謡や北欧民謡/フォーク・ミュージックを経由した優美なメロディセンスは、彼女がSusanne Sundførの妹分であり正統な後継者である事実を物語っている。とにかく、北欧出身ならではの奇抜な才能とChvrchesみたいなイマドキのエレクトロ・ポップを紡ぎ合わせる積極性と柔軟性、そして無類の”若さ”を兼ね備えた、まさに『新世代』のディーヴァと呼ぶに相応しい、これぞハイブリットなスーパー北欧ガールの誕生だ。


USのWarpaintを彷彿とさせる仄暗いアンビエント・ポップ風の始まりから、シンセを使った神秘的なサビへと繋がるオープニング曲の#1”Runaway”、一転してチャーチズ顔負けのアップテンポなイマドキのエレクトロ・ポップを展開する、まるで気分は「北欧のローレン・メイベリー」な#2”Conqueror”、もはやSusanne Sundførも羨むレベルの北欧然としたメロディセンスが爆発する#3”Running With The Wolves”、ここまでの冒頭の三曲を耳にするだけで、つい最近まで10代の少女だったなんて到底思えない、驚くほど成熟した音楽的才能とその全てを魅了するかのような堂々たる歌声にド肝を抜かれる。北欧の白夜を繊細に描き出すような#4”Lucky”Susanne SundførM83が組んで映画『オブリビオン』に書き下ろされた曲に匹敵するスケール感と宇宙空間的なアレンジが際立った#5”Winter Bird”、そのアトモスフェリックな流れを引き継いで、再びSusanne Sundførを凌駕する極上のメロディが炸裂する#6”I Went Too Far”は、あらためて彼女がタダモノじゃあないことを、ただの「若干ハタチ」ってレベルじゃねぇぞって事を証明するかのような曲だ。



北欧の純白の雪景色が一面に広がるようなATMS空間とピアノ、そしてJulianna Barwick顔負けのコーラスが壮観に演出する#7”Through The Eyes Of A Child”、戦いに赴く北欧ヴァイキングを鼓舞するかのような民族音楽風のけたたましいトラックとAURORAの力強い歌声が広大な大地に響き渡る#8”Warrior”、そして今作のハイライトとを飾る#9”Murder Song (5, 4, 3, 2, 1)”は、その「若さ」ゆえの危うさと心の不安定さが不規則で不可解な化学反応を起こす曲で、このMVをはじめ各MVで垣間見せるAURORAの迫真の演技はもはや「北欧のクロエ・モレッツ」だ。で、このまま終わるのかと思いきや、カナダのElsianeを彷彿とさせるエスニックな調味料を加えた”Under The Water”の存在感ったらない。
 

とりま「最近のSSWでキテるの誰?」っていう質問の答え、その解答の一つがAURORAであり、この『All My Demons Greeting Me As A Friend』は、北欧SSWの『未来』をオーロラのように明るく虹色に照らし出すような、聡明かつ純粋、そして『幸福』なメロディに満ち溢れている。とにかく、根拠に裏付けられた自信と天才的な才能が凝縮されたデビュー作だ。
 
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Aurora
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tricotのイッキュウ中嶋がソロデビュー始動!

かつお

ぼくかつお「お~い中嶋~!野球しようぜ~!ついでにヒロミ・ヒロヒロソロデビューしようぜ~!」

音楽メディア「tricotのメンバーがソロ活動開始!」

ぼくかつお「おっ、遂にヒロミ・ヒロヒロソロデビューキターーー!?」

音楽メディア「中嶋イッキュウがソロデビュー!」

ぼくかつお「ファッ!?」

イッキュウ中嶋「このあと3時半からユーストやります」

ぼくかつお「一体どこに向かってんだコイツ・・・」

イッキュウ中嶋「デビュー曲のMVアップしました」

ぼくかつお「しゃあない、聴いてみるか・・・(ポチ)」




ぼくかつお「イッキュウ中嶋が川本真琴、椎名林檎みたいなサブカルクソ女化してるやん!」

ぼくかつお「でもちょっと待てよ?冷静に聴いてみると思いのほかイケるんじゃあないか・・・?」


転載

今年に入って『KABUKI EP』を発表したばかりの爆裂ガールズトリオtricot、そのギター/ボーカルのイッキュウ中嶋がソロ活動を開始した。今年に入ってからというもの、遺作となった『★』をリリースしたデヴィッド・ボウイプリンス、そして新作の『Love, Fear and the Time Machine』で漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の世界に入門してきたRiversideのギタリストピョートルが相次いで亡くなり、個人的にヘラって意気消沈してたところに、たまたまイッキュウ中嶋のブログを覗いてみたら、新年の挨拶に「磯野、野球しようぜ」とかいう文字が入ったクソコラ画像みたいな上記の写真を発見して、それが自分が作ったカツオのクソコラ画像に対する回答という名の私信に感じて、なんかちょっと元気が出たというか、ちょっと笑わせてもらったナニがある。

話を戻して、イッキュウ中嶋のソロデビュー曲的なナニかについてなんだけど、まずはこのMV、ザックリと言ってしまえば「イッキュウ中嶋が真夜中の東京を歩きながら歌う」という至ってシンプルなMVで、そういえばきのこ帝国”クロノスタシス”がこんなMV撮ってたなーとか思いつつ、唯一違うのはきのこ帝国の佐藤千亜妃はソロ活動みたいな事はしてるが、ソロデビューは(まだ)していないという点か。その格好も歌舞伎町にある場末のスナックの姉チャンがへべれけになって、深夜の街をふらつく酔っぱらいにしかみえなくてウケるんだけど、というより、これはもうイッキュウなりに椎名林檎の”歌舞伎町の女”を表現したMVだ。で、そんなことより肝心の曲はどうなの?っつー話で。

この曲のタイトルは”sweet sweat sweets”、その曲調は端的にいうと初期の椎名林檎リスペクトな、それこそMVのコンセプトとも言える”歌舞伎町の女”の世界観を経由したオルタナ風のJ-POPで、本家のtricotとは一線をがした、いわゆる”歌モノ”を披露している。言わずもがな、イッキュウ中嶋の歌声や歌唱法には林檎や川本真琴ほど人を惹きつけるカリスマ性やサブカルクソ女界を牽引する”アイコン”としての魅力はない。そもそも、イッキュウって「tricotの中嶋イッキュウ」だからここまで注目されているキライもあって、逆にそのイッキュウ中嶋がバンドから離れて一体ナニを表現しようというのか、その一人の表現者としての第一歩がこの曲なんだろう。

ソロプロジェクトといえば、あのDIR EN GREYですらボーカルの京がsukekiyoやったりしてるわけで、ソロ活動自体別に珍しくもなんともない出来事なのだ。当然、フアンの中には「(tricotがイケイケの今なのに)時期早尚なんじゃあないか?」、つまりソロ活動によって本家のトリコが蔑ろになってしまうんじゃあないか?と不安を憶える人も居るだろう。しかし、それについては既にイッキュウ中嶋が「TRicotSKISKIだから無問題」的な声明を発表しているので、そこは安心していいハズ。むしろ、私はむしろ逆で、これからソロで経験する事が本家のトリコにどのような影響を、どのような相乗効果を生み落とすのか、今からワクワクしんがら前向きに捉えるべきだろう。トリコでは見れない、イッキュウ中嶋の新しい才能、そして様々なアーティストとのコラボレーションに期待したい。

本当に面白いのは、昨年にきのこ帝国の佐藤千亜妃が新作の『猫とアレルギー』の中で「#椎名林檎の後継者なの私だ」宣言をしたこと、それに対して「ちょっと待った!」をかけるの如し、イッキュウ中嶋が「#いやいや椎名林檎の後継者なの私だ」をやってのける展開は普通に面白すぎる。

水曜日のカンパネラ 『UMA』

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昨年、グライムスの”REALiTi(現実)”にドハマりした僕が、この水曜日のカンパネラ”ツチノコ”に反応しないわけがなかった。この曲は、メジャー第一弾となる『UMA』のリードトラックなのだが、その内容については、持ち前のコミカルでファニーなB級カン溢れるテンションが露骨に減退して、メジャー感マシマシの本場志向マシマシの洋モノ感マシマシのトラック全開でちょっとガチってきた、ということ以外別段語ることはないと思うので、ここいらで僕はサブカルクソ女界の威信をかけた、グライムスとコムアイのダンス対決に注目したい。実はこの二人、その奇抜な才能と音楽センス、そして現代サブカルチャー界の象徴すなわち”アイコン”として生ける姿はじめ、イマドキのサブカルクソ女として互いに共通する部分が多いのだ。



まずはグライムスのMVから見てみよう。このMVは、東京大阪そして名古屋を含む日本の各都市をはじめ、東アジアの様々な都市、そのロケーションをバックにグライムスがそこかしこに不思議な踊りを踊りまくるというMVで、グライムスはADHDみたいな挙動を基調としたキレッキレなメルヘンダンスを披露している。つうか、そんな事より、日本国内のロケ選びで”名古屋飛ばし”をしなかったというだけで無条件に高評価連打しちゃうMVだわこれ(なお、名古屋がどのカットなのか分からない模様)
 


一方のコムアイだ。ダンスのキレという点ではグライムスに軍配が上がるかもしれない、しかしグライムスと比べると整然と靭やかに、コンテンポラリーで少しセクシャルな匂いを醸し出すダンス・・・というより、それこそ「蝶のように舞い蜂のように刺す」かの如くコムアイのパフォーマンスは、まるで一人の舞踏家さながらだ。渋谷系のホームタウンである東京というロケーションをバックに、終盤燃え盛る花束がコムアイの端正な顔立ちと某まな板をまた一段と妖艶な曲線美へと変え、大都市東京の夜の街に映し出している。聖火台から花束に火を灯し、東京の街を練り踊るコムアイの姿は、2020年の東京五輪で選ばれし聖火ランナーが滑走する未来とその勇姿を暗示するかのよう。

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少しだけアルバム『UMA』の話をすると、オープニングを飾る#1チュパカブラから金玉取られそうになるくらい洋モノ志向のパリピなダンスポップチューンで、未開の地に生息する部族が夜な夜な宴を上げるかの如しオリエンタルでエキゾチックな#3”雪男イエティ”、4曲目の”ユニコ”はアコースティックなアルペジオとクラップ中心に展開する癒し系の脱ラップナンバーで、新機軸的っぽい感じがポイント。後半の曲は意識高い系みたいな、リミックス音源みたいなガチったトラック主体で、約半数の曲を外部プロデューサーを迎えて制作された今作を象徴した流れとなっている。それこそ『UMA』というタイトル通り、未だかつて誰も目撃したことのないコムアイという未知なる謎の生物をお披露目している。少なくとも言えるのは、水曜日のカンパネラのイメージや世界観を決定づけた傑作『私を鬼ヶ島に連れてって』”桃太郎”みたいなノリを期待するとズッコケるし、良くも悪くも「メジャーデビューしちゃった感」に溢れた一枚となっている。それゆえに、以前までのUSラッパーSadistikにも通じるダーティなブラックビッグディック感、もといストリングスを多用したB級オルタナティブ・ヒップホップ感が希薄となってしまったのは、フアンの間で賛否両論あるかもしれない。ともあれ、メジャーデビューした影響を要所で垣間見せつつ”らしさ”を散りばめた前半、一転して洋モノ志向と実験的な傾向が顕著に現れる後半に別れた、言わば「現在進行形の水曜日のカンパネラ」を余すことなく凝縮した作品と言える。

UMA <通常盤>
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水曜日のカンパネラ
ワーナーミュージック・ジャパン (2016-06-22)
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