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2016年05月

サマソニにAcid Black Cherryキターーーーーーー11!!

まさかのベビメタにぶつけて来たw

これは行くしか!

TEAM-ABC vs. モッシュッシュメイト



メンヘラクソビッチ vs. ロリコンクソ野郎

ファイ! 

フジロックにデフヘヴン参戦!

フジロックにデフヘヴン参戦を記念しまして・・・

「BUKKAKE祭り」

開催します!!

是非「我こそは!」という人、ご参加お待ちしております!

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赤い公園 『純情ランドセル』

Artist 赤い公園
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Album 『純情ランドセル』
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Tracklist

01. ボール
02. 東京
03. Canvas
04. 西東京
05. ショートホープ
06. デイドリーム
07. あなたのあのこ、いけないわたし
08. 喧嘩
09. 14
10. ハンバーグ!
11. ナルコレプシー
12. KOIKI
14. おやすみ

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最近は、いわゆる「超えちゃいけないラインを超えちゃったゲスの極みZ女男子」『一本』で満足しちゃった事で世間を賑わせているが、この音楽業界でも「超えちゃいけないラインを超えちゃった系ゲスの極み乙女」が話題を呼んでいる。ガールズ・ロックバンドの赤い公園が2014年に発表した2ndアルバム『猛烈リトミック』は、その「超えちゃいけないライン」の線上に立った傑作で、つまり「アンダーグラウンド(クソ)」「メジャー(ポップ)」「境界線」、すなわちボーダーラインの上を津野米咲が命がけで綱渡りするかのようなアルバムだった。

前は『闇
一色だったが、今は『光
が優勢だ

その境界線という言葉に関して最近考え事をしていて、それというのは→荒木飛呂彦の漫画ジョジョ8部ジョジョリオン』でも、主人公の東方定助『誰か』『誰か』が融合した、言うなれば「ハーフ」という人物設定がなされていて、その定助の身体の中心には『ナニか』『ナニか』を繋ぎとめる「つなぎ目(境界線)」がある。話は変わるが→俺たちのマシュー・マコノヒー主演の『トゥルー・ディテクティブ』という海外ドラマは、一見硬派な刑事モノと見せかけた、人間の『善(人)』『悪(人)』の境界線(ボーダーライン)を問う複雑かつ濃厚な人間描写に惹き込まれるサスペンスドラマの傑作だ。おいら、このドラマを見て東方定助の身体の中心に刻まれた「つなぎ目」が意図する本当の意味って、一方で『誰か』『誰か』が混ざり合ったという一般的な意味合いの他に、一方で『光』すなわち黄金の精神』『闇』すなわち『漆黒の意志』の境界線(ボーダーライン)でもあるんじゃあないか、という解釈が生まれた。この『TRUE DETECTIVE』、タイトルを直訳すると『本当の刑事』なんだが、改めてこのドラマは刑事という本来は『善意』の象徴とされる存在、その心にもドス黒い『闇』すなわち『漆黒の意志』が潜んでいる事を、シリーズ(1,2)を通して登場人物のキャラクター像が重厚な物語の根幹として至極丁寧に描き出されている。当然、日本一のジョジョヲタである僕からすれば、飛呂彦も観ている海外ドラマだと断言できる作品で、特にマシュー・マコノヒーウディ・ハレルソンをバディに迎えたシーズン1は、『過去』に起こった事件の『謎』と月日が経過した『現在』の供述を緻密に交錯させた演出をはじめ、マコノヒーとハレルソンの少し歪で奇妙なバディコンビという点からも、より現在進行形で展開する『ジョジョリオン』空条仗世文吉良吉影の少し歪で奇妙な相棒関係を描き出す『過去』を演出として盛り込んだ、それこそミステリー/サスペンス然とした複雑怪奇なストーリーからも、むしろ逆に飛呂彦がこのドラマを観ていないと考える事の方が難しい。しかし、『ジョジョリオン』『トゥルー・ディテクティブ』の影響がある...とは流石に断言こそできないが、要するに先ほどの「アンダーグラウンド」「メジャー」境界線は一体どこにあるのか?刑事(人間)の『光』『闇』、東方定助の『善』『悪』境界線は一体どこにあるのか?に注目して、あるいは考察しながら音楽/漫画/ドラマ/映画をはじめとしたクリエイティブな創作物に触れると、よりその作品の世界観に入り込むことが出来るのではないか、ということ。

境界線

そもそも『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズというのは、『人間』を超越しちゃった吸血鬼とか、一般的に『悪』の象徴とされるギャングがマフィアのボスという『悪』にトラウマを植え付けたり、ヤンキーという反社会的なイメージを持つ人間が街のリーマンと言う名の『悪』を倒したり、歩けないクズが某トランプ大統領候補にソックリな奴を倒したりする漫画で、一貫して『トゥルー・ディテクティブ』と同じように、人間の「境界線」を問いかけるようなキャラクター像を描き出している。もはや『トゥルー・ディテクティブ』のマコノヒーは、映画『インターステラー』『本棚の裏』という『四次元空間』に導かれたマコノヒーが時空を超越してパラレルワールドで刑事に輪廻転生したマコノヒーみたいな奴で、要するに、これはもう『ジョジョドラマ』と言い切っても過言じゃあないし、もはやマコノヒーはジョジョ俳優の一人として認識すべき役者だ。

十二支ん会議

俺は一体ナニを書いているんだ!?・・・というわけで、話を元に戻して→前作の猛烈リトミックでその境界線上に立った赤い公園は、約二年ぶりとなる3rdアルバムの『純情ランドセル』でどうなったか?果たして超えちゃいけないライン(境界線)を超えてしまったのか?結局のところ、「ネットにはじかれたテニスボールはどっち側に落ちるのか誰にもわからない」、それこそ『神』のみぞ知る世界だ。まずアルバムの幕開けを飾る”ボール”からして、上記のプログレ界の「十二支ん会議」を見れば分かるように、津野米咲椎名林檎と並んで秘密結社KことKscope主宰のPost-Proguressive界を取り仕切る幹部であることを裏付けるような、本格的に赤い公園がPost-Pの世界に入門してきた事を意味するような、言うなればANATHEMAWe're Here Because We're Hereから”Get off, Get Out”を彷彿とさせる、いわゆるミニマルな「繰り返し」を駆使したオルタナティブらしいリフ回しや津野米咲スティーヴン・ウィルソンの傀儡化したことを暗示する間奏部のギター・フレーズ、初期のねごとをフラッシュバックさせる近未来感あふれるファンタジックなキーボード、赤い公園のバックグラウンドの一つである歌謡曲を経由したフロントマン佐藤千明の情感あふれる歌メロ、ヘヴィな重みを乗せたうたこすのどすこいドラミング、そして転調を織り込んだPost-Progressive然とした展開力、この一曲だけで津野のズバ抜けたライティングセンスと彼女たちが如何に才能に溢れたバンドなのかを証明している。面白いのは、前作の一曲目を飾った名曲”NOW ON AIR”の「これぞメジャー」なイメージとは一転して、初期を彷彿とさせる「アンダーグラウンド」な懐メロ風の、それこそ「意外性」のある展開とメロディに良い意味で期待を裏切られたと同時に、俄然アルバムに対する期待度を押し上げているし、只々この”ボール”を一曲目に持ってきた赤い公園『勇気』と確かな『成長』に僕は敬意を表したい。

僕に「東京コワイ」というトラウマを植え付けた某きのこ帝国YUIのように、『東京』の名を冠した名曲は世にたくさん溢れていて、津野米咲は「真の”じぇいぽっぱー”を名乗るなら”東京”を書かなきゃ説得力がない」とばかり、まるで某ネコ型ロボット映画の主題歌に使われてそうなくらいの力強いエネルギーと前向きなメッセージが込められた”東京”は、良くも悪くも赤い公園というバンドにしては、一曲目の”ボール”みたいな奇をてらった『意外性』は皆無で、想像した以上に『平凡』で『普通』だった。その謎というか違和感の答えは、2ndシングルの”Canvas”を挟んだ三曲目の”西東京”にあった。ご存じ、赤い公園は東京は東京でも”西東京”は多摩地域に位置する立川が地元のバンドで、某政治家の「友達の友達は~」の迷言をモジッた歌詞をはじめ、田舎のクッソブサイクなカッペJKが雨の日に学校まで鼻水撒き散らしながら自転車でかっ飛ばす様子が浮かんでくるような、それこそ立川の象徴である赤い公園メンバー自身を投影したかのような、こいつらにしか書けない説得力に溢れたユニークな歌詞を、”東京”という大衆的(メジャー)なイメージからかけ離れた、赤い公園の本性を表したようなファンキーかつヤンキーな、ノイズ/インダストリアルなサウンドに乗せたハードコア・パンクチューン。それにしても、この曲の佐藤千明はなんだ...おめーは「平成のカルメン・マキ」かよw

初期の黒盤こと『透明なのか黒なのか』”潤いの人”を彷彿とさせるスローなファッキン・テンポで始まり、90年代のJ-POPを彷彿とさせるキーボードとジャジーなピアノが織りなす、さっきまでのクソカッペJKから一転してオシャンティなアレンジで聴かせる”ショートホープ”は、前作の”TOKYO HARBOR”で培った「オトナ女子」的な素直にアップデイトしたかのようなシティ・ポップ風の演出がポイント。6曲目の”デイドリーム”は、その名の通り津野米咲のシューゲイザーに対する嗜好が著しいドリーミーな音響と、前作の”私”を彷彿とさせる佐藤千明のエモーショナルな歌声と”ドライフラワー”を想起させるストリングス・アレンジ、そして一種のカタルシスを呼び起こすアウトロの演出まで、もはや今作のハイライトと言っても過言じゃあない名曲だ。この手の儚さ満開、エモさ爆発の曲を書かせたらこいつらの右に出るバンドはいないこと改めて証明している。

そのの中で目覚めた四人のクソカッペJKは、気づくとハロプロ・アイドルと化していた”あなたのあのこ、いけないわたし”は、それこそ赤い公園のラジオで何故℃-ute心の叫びを歌にしてみたがジングルで使用されていたのか?その伏線を回収するような、90年代のシンセ・ポップ風のキーボード・アレンジを効かせたkawaii系ポップ・チューンで、まるで佐藤千明「#ガールズ・ロック界の矢島舞美なの私だ」とハッシュタグ付けてツイッターに連投してそうな、それこそ津野がこの度モーニング娘。に楽曲提供したことに対する理解と納得が得られる曲でもある。遂にアイドルという『夢』から目覚め、自らの素性がマイルドヤンキーであることを自覚したクソカッペJKは、他校の女ヤンキーに対して「かかって来いやオラァ!」と威勢のいいメンチを切って、”カウンター”を交えながら素っ頓狂な”喧嘩”を始める。その”喧嘩”の後に、お互いに爽やかな友情が目覚めていた”14”は、前作の”サイダー”を彷彿とさせるシンプルなメロコアチューン。10曲目はキテレツ大百科ばりの”ハンバーグ”を作るような、名曲”め組のひと”を津野流に料理したポップチューンから、5曲目の”デイドリーム”の系譜にあるドリーミーなサウンドにクリック音と藤本ひかりのあざといコーラスがひかる”ナルコレプシー”、そして1stシングルの”KOIKI”は、去年の『ま~んま~んツアー』で初めて聴いた時は「モー娘。っぽい」って漠然と思ったけど、実際にスタジオ音源で聴いてみたら大して似てなくて笑った。けど、津野がモー娘。に楽曲提供することを予測していたと考えたらセーフ(なにが)。

本作を象徴する一曲と言っていい”黄色い花”を初めて聴いた時、厳密にはJ-POPの常用手段であるストリングスを聴いた時、僕は「あ、津野変わったな」って思った。自分の記憶が正しければ、津野って過去にインタビューか何かで「J-POPにありがちなチープなストリングス」を否定してた憶えがあって、だからこの曲を聴いた時は本当に「あ、赤い公園が目指すところってそこなんだ」って思った。けれど、きのこ帝国が新作でJ-POPの常用手段であるストリングスとピアノを擁してメジャー行きを宣言したたように、現代の流行りのJ-POPを象徴するような曲調に、この手のJ-POP特有のストリングスを入れるのは至極当然というか、この曲で遂に赤い公園「超えちゃいけないライン」「境界線」を超えてしまったんだと、そう僕は理解した。僕は「境界線」を超えるのと破るのは違うと思ってて、赤い公園はこのアルバムで「アンダーグラウンド(クソ)」「メジャー(ポップ)」「境界線」を超えたんじゃあない、その「境界線」を破って「アンダーグラウンド(クソ)」でも「メジャー(ポップ)」でもない、それこそ「ローカル」なクソカッペJKへと変身する事に成功したんだってね。

ぼくフレッチャー
jii「ゴラァァァァァァァァあああ!!津野おおおオオお!!」

津野米咲
津野米咲「・・・は?」

ぼくフレッチャー
new_d923ad829cdaa748bc2f3beaaeb15c16「なーに楽しそうにキーボード弾いてんだコラァァァァ!!」

津野米咲
津野米咲「うるせぇシネ」

ぼく元℃ヲタフレッチャー
new_session2-e1426367009736「なんで℃-uteに楽曲提供しねぇんだゴラァァァぁああ!!」 

津野米咲
津野米咲「知らねぇよハゲ」

ぼくフレッチャー
new_CPD904lUkAA4Otz「なーに超えちゃいけないライン超えてんだゴラぁぁぁ!!」 

津野米咲
津野米咲「うるせぇシネ」 

極端な話、今作は赤い公園バンドというより「津野プロデュース」感がハンパない。なんだろう、某深っちゃんの「今時、まだギター使ってんの?」という例の発言に触発されたのか、なんて知る由もないが、とにかく今作は虹のようにカラフルなキーボード・アレンジが際立っていて、それは津野米咲が楽しそうに鍵盤を弾き鳴らしている様子が浮かんでくるほどで、あまりにもノリノリに弾き倒す津野に対して、僕は映画『セッション』のフレッチャー先生ばりに鬼のような形相で「オメー楽しそうにキーボードなんか弾いてんじゃねーよ」とツッコミを入れたほどだ。それこそ80年代の歌謡曲や90年代のJ-POPやシンセ・ポップなどの懐メロ風アレンジ、そして現代風の鍵盤アレンジに注力しているのが分かるし、前作以上に津野米咲が自由に好き放題やってる。しかし、一方のアレンジに重きを置きすぎて、肝心のメロディが蔑ろになっているんじゃあないか?いくら凝ったアレンジでも肝心なメロディが貧弱じゃあ本末転倒なんじゃあないか?という疑問が残る。おいら、津野米咲をリスペクトできると思ったキッカケの一つに、某インタビューで津野が「大事なのは力強いメロディとソングライティング」と発言した所にあって、その「メロディとソングライティング」を大事にする姿勢というのは、奇しくも僕が大好きなANATHEMAのヴィンセント兄弟も全く同じことを言っている。この言葉は、DIR EN GREYのリーダー薫にも通じる話でもあるのだが、結局のところ一体ナニが言いたいって、要するにこの『純情ランドセル』でその発言の信憑性および説得力というのが少し揺らいだんじゃあないかって。その点で前作の『猛烈リトミック』は、アレンジやメロディ、そしてソングライティングの全てが両立した奇跡のアルバムだったんだと再確認させられた。

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なんやかんや、初期や前作に通じる”らしさ”のあるリズムやメロディ、そして強力なアレンジを巧みな技術で「ローカル」なポップスに落とし込んでいるのは実に小粋な演出だし、その辺のセンスは初期の頃から不変だ。その中でも、完全にメジャーのポップスに振り切ったアレンジは過去最高にバラエティ豊か、前作以上にバラエティ豊かと言い切れるかもしれないが、如何せんアルバムの流れが悪すぎる。いや、始まりこそキライじゃあない、むしろ【ラジオネーム スティーヴン・ウィルソン】こと某レビューブログの管理人が嬉しさのあまり咽び泣き出しそうなくらい大好きな始まりなんだが、その始まりの”ボール”と終わりの”黄色い花”だけは共存してはならない、つまり一つにパッケージングしてはならない、その曲と曲の間にはそれこそ「超えちゃいけないライン」という明確な「境界線」が存在する。つまり「バラエティ豊か」という表現は、曲と曲に「境界線」が存在しないクリーンな状態で、一つにパッケージングされた状態で初めてその言葉の意味を成すんだってね。

超えちゃいけないラインああ

このアンチ「バラエティ豊か」は、今作の曲を多人数にプロデュースさせた弊害でもあって、面白いのは、本当に面白いのは、昨年にガールズ・バンドのねごとが発表した3rdアルバム『VISION』は年間BEST入り間違いなしの傑作で、奇しくもねごと赤い公園も世界的なマスタリングスタジオSTERLING SOUNDを率いる(ねごとは)Ted Jensenと(赤い公園は)Tom Coyneという二大エンジニアにマスタリングを依頼して、双方ともに『音』に対する”こだわり”を伺わせるばかりでなく、一方のねごとはセルフプロデュースで新作を、一方で赤い公園は五人のプロデューサーを迎えて新作を発表するに至ったこと。もう一つ面白いのは、昨年にきのこ帝国が発表したメジャー1stアルバム猫とアレルギーも年間BEST行きの傑作で、おいら、きのこ帝国に関する記事の中で「きのこ帝国に足りないのは津野米咲だから津野米咲をプロデューサーに迎えろ!」みたいな戯れ言を書いてて、本当に面白いのは、きのこ帝国は『猫とアレルギー』の中で佐藤千亜妃「#椎名林檎の後継者なの私だ」宣言をはじめ、エンジニアに井上うに氏を迎えることで「超えちゃいけないライン」の境界線上に立って、つまり津野米咲の生首を片手に佐藤千亜妃なりの『勝訴ストリップ』あるいは『猛烈リトミック』を描き出していたこと。その『猛烈リトミック』でやられた事の仕返しとばかり、新作で赤い公園がやりたかったことを一足先にやり返されて、今では綺麗に立場が逆転してしまったこと。

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赤い公園
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TRUE DETECTIVE/トゥルー・ディテクティブ 〈ファースト・シーズン〉 コンプリート・ボックス (4枚組) [Blu-ray]
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きのこ帝国 『猫とアレルギー』

Artist きのこ帝国
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Album 『猫とアレルギー』
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Tracklist

03. 夏の夜の街
04. 35℃
05. スカルプチャー
06. ドライブ
08. ハッカ
09. ありふれた言葉
10. YOUTHFUL ANGER
11. 名前を呼んで
12. ひとひら

フロントマンの佐藤千亜妃曰く→「絶望の中から見上げる希望」と語った、2014年に発表された2ndフルアルバムフェイクワールドワンダーランドは、初期の『渦になる』『eureka』の頃の音楽性を全否定するかのような、言うなれば初期の椎名林檎”CHE.R.RY”以降のYUIがクロスオーバーしたような、『絶望』から一転して『希望』に満ち溢れた普遍的なJ-POPへとその姿を変え、その翌年には椎名林檎の後を追うようにEMI Recordsへと移籍し、2015年初頭に発表されたメジャー1stシングル桜が咲く前にでは、これまでにないほどメジャー色に染まったきのこ帝国を披露してみせた。

そんなきのこ帝国は、次なるメジャー1stアルバム『猫とアレルギー』で一体どんな姿を見せたのだろうか。何を隠そう、まず僕はアルバムのリードトラックであり表題曲でもある”猫とアレルギー”のMVに映る佐藤千亜妃の姿に興味を惹かれた。これまでは、その音楽性と同調するかのようにボクっ娘あるいはボーイッシュなビジュアルイメージで売っていた佐藤千亜妃が、このMVではまるで「ユニクロの新作ニットのCMかな?」と見間違えるくらい、音楽性を含め色々な意味で『黒』を好む男性的(中性的)なイメージから一転して、エクステや純のセーターに身をまとい、何時にもなく『女性的』なシンボル(象徴)を身につけ、何時にもなく『女性的』なアイコンとして輝き放つ佐藤千亜妃のビジュアルに度肝を抜かれた。それすなわち→佐藤千亜妃が都会色に染まりきったことを示唆していた。気づくと僕は、「東京コワイ」と呟いていた。



その佐藤千亜妃のビジュアルよりも驚かされたのは、他でもないその『楽曲』イメージで、シングルの『桜が咲く前に』の路線を素直に踏襲しつつも、しかし随所に椎名林檎”虚言症”に対するオマージュ&リスペクトを織り交ぜながら、柔らかなピアノの音色と壮麗優美なストリングスというJ-POP界の専売特許と言わんばかりの音を大胆にフューチャーした、教科書通りのJ-POPを繰り広げる。まさに新生きのこ帝国の襲名と同時に、椎名林檎の正統後継者を宣言するかのような、まるでツイッターのハッシュタグに「#椎名林檎の後継者なの私だ」と付けてツイートしてそうな佐藤千亜妃の圧倒的な存在感に震える。
 

表題曲と並んでアルバムのリードトラックを担う#2”怪獣の腕のなか”は、一定に鳴り続けるミニマルなメロディと和音ギターのリフレインと音(残)響をフューチャーした曲で、過去に「あいつをどうやって殺してやろうか」と歌ってた中二病バンドと同じバンドとは到底思えない可愛い歌詞まで、その全てに度肝を抜かれる。一見「普通のポップス」に聴こえるこの曲の凄い所は、出自のセンスを感じさせるギターのリヴァーヴィな音響意識にあって、USのWarpaint”Intro”直系の空気圧/空間描写からは、奇しくもきのこ帝国と同じく2014年間BESTに名を連ねたウィーペイントと同レベルの音響世界、その更なる高みに到達したことを意味していた。その#2の音響意識を受け継いだ曲で、音響指数ビンビンな#3”夏の夜の街”でも、懐かしい郷愁を呼び起こすケルティックなメロディを靡かせながら、#2と同じく和音ギターのリフレインと出自を想起させるシューゲイザー的なアプローチで聴かせる。

次の”35℃”は、USのWhirrを彷彿とさせる焦燥感溢れるノイズポップ風のギター、バンドの土台(低域)をガッチリと支える谷口君のベースとロックなリズム&ビート感を刻む西村コン君のドラムが織りなすアンサンブル、そして佐藤千亜妃の幼少期にタイムスリップさせる歌声と、思春期の焦燥と刹那、そして煩悩といったあらゆる感情が交錯する、むせ返るような真夏の夜の切ない恋模様を描き出すエモい歌詞が絶妙にマッチした、ここまで90年代のJ-POPを意識したコード進行はないってくらい王道的なポップスで、これはもはやきのこ帝国なりのホワイトべりー”夏祭り”、あるいはレベッカ”フレンズ”と言っても過言じゃあない。当然、この曲でも”普通のポップス”ではないことを、ノイズという名の音の蜃気楼を巻き起こす轟音パートを耳にすれば分かるはずだ。

昭和の匂いを内包したジャズ風味のピアノをフューチャーした”スカルプチャー”は、椎名林檎”罪と罰”みたいにガッツリ巻き舌する勇気はないけれど、少しオラついた演歌歌手ばりにコブシを握って椎名林檎になりきる佐藤千亜妃が、別れたオトコの匂いに執着するオンナの未練と怨念が込められたダーティな歌詞を熱唱する、それこそ佐藤千亜妃「#椎名林檎の後継者なの私だ」とツイート連投してそうな歌謡曲で、これはもうきのこ帝国なりの”歌舞伎町の女王”ならぬ”メンヘラストーカーの女王”だ。しっかし、思春期の無垢で甘酸っぱい片想いを歌った”35℃”から一転してオトナのオンナに化けるギャップ、というか曲の振り幅に柔軟に対応する佐藤千亜妃の表現力≒演技力には、伊達に女優業やってなかったと関心してしまった。

さっきまでの『夏』をテーマにした曲とは一転して『冬』をテーマにした”ドライブ”は、その『冬』のイメージどおり、Daughter2:54をはじめとしたUKインディ直系のリヴァーヴィな音像と北欧ポストロック的な幽玄なメロディがリフレインするダウナーなスロウコアで、一言で「洋楽っぽい」とかそういったチープな表現はナンセンスで、とにかく初期の”ユーリカ”を彷彿とさせる激シブいアンサンブルと、森田童子ばりに陰鬱な佐藤千亜妃の歌声が真冬の夜の淫夢へと誘うかのような子守唄ソングだ。

そして、今作のハイライトを飾る#4~#6までの流れを締めくくるように、シングルとは違ってピアノのイントロで意表を突いてくる”桜が咲く前に”を中盤の山場に迎えるが、正直アルバムに収録される上でここまで効果的なシングルになるなんて想像してなかったし、単体じゃなくアルバムの流れの中で聴くと、俄然この曲が持つ他とは一線を画した力強いエネルギーと凄みを感じる。

それ以降も→若手SSWの片平里菜からの影響を感じさせる、実質佐藤千亜妃のソロとして聴けなくもないシンプルなピアノの語り弾きを聴かせる”ハッカ”、在りし日のYUIが歌ってそうな賑やかでアップテンポなポップチューンの”ありふれた言葉”、一転してニルヴァーナばりにダーティなヘヴィネスと椎名林檎”弁解ドビュッシー”を想起させるメンヘラ風ボコーダーを効かせた佐藤千亜妃の歌、そしてポストブラックメタルばりの不協和音的なメロディが狂気じみてる”YOUTHFUL ANGER”は、別の意味で(G)ソロもあって完全に「マッシュルーム・エンパイアはメタル」なセイント・アンガーばりの一曲で、在りし日の僕に「東京コワイ」を痛感させた『CAN'T BUY MY LOVE』の頃のYUIをイメージさせる、「女の趣味は全部オトコの影響!きのこ帝国の変化はオトコの影響!」と言わんばかりの”名前を呼んで”、ラストの”ひとひら”ねごと辺りが演ってそうなストレートなロックナンバー。

序盤は新生きのこ帝国の始まりを告げるような、出自のセンスと天才的なアレンジを王道的なJ-POPに落とし込んだ楽曲、アルバム一番の見せ場である中盤は、ライブの十八番になりそうな90年代のJ-POPを地でいく曲や佐藤千亜妃の椎名林檎化が著しい曲をはじめ極端に振り切ったガチなキラーチューンの応酬、アルバム後半ではガチのメタル曲や佐藤千亜妃がソロ化する新機軸とも受け取れる曲を擁して最後まで楽しませる。ハッキリ言って、前作とは比べものにならないくらい驚きと面白さに満ち溢れれた内容で、表面上は「ただのポップス、普通のポップス」に見せかけて、一体どこにそんな才能隠してたんだ?ってくらい、音の細部にまで徹底した”こだわり”を感じさせるアレンジやメロディセンス、そしてライティングの凄みにビビる。とにかくアルバムとしての完成度、一つの作品として聴かせる熱量がこれまでとは段違いだ。前作『フェイク~』の時点で『面白い』というポテンシャルは未知数にあったけれど、まさかここまでとは思わなくて、前作で予感させた並々ならぬ『面白さ』が開花した結果というか...でもあの『eureka』という傑作を作ったバンドって事を考えたら至極妥当だし、全く不思議じゃあない。音の傾向として和音のリフレイン主体の至極シンプルな構成と音使いで、ここまでの曲が書けるのは彼らが本物であるという何よりの証拠だと思う。

フロントマンの佐藤千亜妃は、このアルバムの中でボーカリストとしての役割、コンポーザーとしての天才的な才能、そしてシンガーソングライターとしての未知なる可能性を開花させている。近年激化する椎名林檎の後継者問題に終止符を打つかのような、もはや椎名林檎の正統な後継者は赤い公園津野米咲でもなく、tricotイッキュウ中嶋でもない、赤い公園佐藤千明もといきのこ帝国佐藤千亜妃だ。その佐藤千亜妃からの要求に真正面から答える、特にリズム隊の男性陣が強力なアンサンブルを生み出しているのも聴きどころの一つだ。もはやシングルの『東京』以降、エンジニアを担当している椎名林檎でもお馴染みの井上うに氏のキャリアの中でも上位に食い込むであろう作品なんじゃねーかレベル。

『前作のライングラフ』
超えちゃいけないライン

そもそも、そもそも前作の『フェイクワールドワンダーランド』は、いわゆる「超えちゃいけないライン」からは少し外れた所に位置する作品で、2014年当時その「超えちゃいけないライン」の線上に立っていたのが、他でもない赤い公園の2ndアルバム『猛烈リトミック』だった。何を隠そう、赤い公園というガールズバンドも、きのこ帝国と同様に初期の拗らせたアンダーグラウンドな音楽性から、今現在のメインストリームすなわち大衆性すなわちメジャー感あふれる音楽性へと流動的な変化を遂げたバンドの一つで、おいら、『フェイク~』の時に「きのこ帝国に足りないのは津野米咲の存在」みたいなニュアンスで、遂には「次作は津野米咲にプロデュースさせるべき」みたいな事もレビューに書いてて、それは今思うと本当に面白くて、ナニが面白いって→この『猫とアレルギー』で遂にきのこ帝国佐藤千亜妃「超えちゃいけないライン」の線上に立って音を鳴らしている事実に面白さしかなくて、一方『猛烈リトミック』「超えちゃいけないライン」に立った赤い公園が次作の純情ランドセルでどうなったのか?「それはまた、別のお話」。

猫とアレルギー
猫とアレルギー
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きのこ帝国
ユニバーサル ミュージック (2015-11-11)
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