Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

2016年01月

Riverside 『Love, Fear and the Time Machine』

Artist Riverside
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Album 『Love, Fear and the Time Machine』
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Tracklist
01. Lost (Why Should I Be Frightened By A Hat?)
02. Under The Pillow
03. #Addicted
04. Caterpillar And The Barbed Wire
05. Saturate Me
06. Afloat
08. Towards The Blue Horizon
09. Time Travellers

R.I.P. ・・・イギリスの奇才、デヴィッド・ボウイが亡くなった。80年代の音楽シーンに多大なる影響を与え、音楽面は元よりビジュアル面から思想に至る所まで、いわゆるPost-Progressive界隈並びに現代プログレ界の第一人者であるスティーヴン・ウィルソンに計り知れないほどの影響を及ぼし、そして"日本のスティーヴン・ウィルソン"こと漫画家荒木飛呂彦の感性および『ジョジョの奇妙な冒険』に絶大なる影響を与えた、その最もたる偉人が亡くなった。この時間旅行は、そのデヴィッド・ボウイに対する壮大な鎮魂曲なのかもしれない。

プログレ回帰 ・・・このポーランド出身のRiversideというのは、かのスティーヴン・ウィルソン主宰の新興レーベルKscopeが提唱する、いわゆる"Post-Progressive"とかいう流行りのシーンに決して流されることなく、個性あふれる独自のプログレッシブ・ロックを構築していることから世界的に高い評価を得ているバンドで、2013年に発表された5thアルバムShrine of New Generation Slavesは、現代に蔓延るブラック企業の社畜という名の『新世界の奴隷』をテーマに、それこそ新世代のスーパーヒーロー『アイアム・ア・ノマド・フリーマン』が現代の行き過ぎた資本主義に警鐘を鳴らすような一枚だった。一方で、その音楽的には往年のクラシック・ロックに対する理解を著しく深めていた彼らだが、前作から約二年ぶりとなる6thアルバム『Love, Fear and the Time Machine』では、そのクラシック・ロックを基にしたサウンドを着実に踏襲しつつも、しかしこれ以上懐古路線に傾倒することなく、いわゆる「超えちゃいけないライン」を超えない程度に、あくまでも"プログレ"として成立させている。正確には"プログレ回帰"した作風となっていて、しかし一言で"プログレ回帰"と言ってみても、これまでとは一味違ったプログレであることは確かで、何を隠そう、これまで意図的にPost-Progressiveという新興ジャンルから一定の距離を保ってきた彼らが遂に、というか、ここに来てようやくPost-Progressiveの世界に介入してきたのである。

(Love) ・・・ここ最近のPost-Progressive界隈では、イギリスのANATHEMAやフランスのAlcestが新しく立ち上げた新興勢力、その名も黄金界隈』が幅を利かせている状況で、この事態を受け、Post-P(ポスト-ピー)界隈の代表取締役社長兼CEOで知られるスティーヴン・ウィルソンも、2015年に発表した自身のソロアルバムHand. Cannot. Erase.の中で、SWなりの黄金の音』というのを黄金界隈』に掲示してみせた。その異常事態を察知した、SWのクローンことマリウス・デューダきゅん率いるRiversideも、敬愛するSWの後を追従するように黄金界隈』からRiversideなりのPost-Progressiveを展開している。まず、今作のタイトルに含まれたLove(愛)」Fear(恐怖)」という2つのワードからして、いわゆる"LovePeace"を最大のテーマとして掲げる黄金界隈』に、彼らRiversideが入門してきたことを意味する。何を隠そう、その『Love(愛)』『Fear(恐怖)』というキーワードは、荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』にも深い関わりを持つ。例えば→引力、即ち愛(Love)であることや、おれは「恐怖(Fear)」を克服することが「生きる」ことだと思う。世界の頂点に立つ者は!ほんのちっぽけな「恐怖(Fear)」をも持たぬ者ッ!という三部DIOや、『勇気』とはいったい何か!? 『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!『恐怖(Fear)』を我が物とすることじゃあッ!と言い放ったツェペリ男爵の名言を筆頭に、ジョジョに登場するキャラクターの言動および行動原理には、他でもない『Love(愛)』『Fear(恐怖)』という二大概念が存在している。人間は『恐怖』を乗り超えることで『勇気』を得ることができる、その言葉どおり、Riversideはこの6thアルバム『愛・おぼえていますか』の中で、これまで見て見ぬふりをし続けてきたPost-Progressiveと真正面から向かい合い、その『恐怖(Fear)』という名の時空を超えて真実の『愛(Love)』を掴みとっている。

恐怖(Fear)  ・・・人は誰しもが【変わる】ことに恐怖(Fear)し、世界的に【新しい】異分子となるものを排除する潮流にあり、その【新しい】異分子が原因で起こる問題に人々は恐怖(Fear)する。おいら、以前からPost-Progressive界の第一人者スティーヴン・ウィルソン荒木飛呂彦は限りなく近い、【≒】の存在であると考えていて、なお且つ黄金界隈』の創始者でありPost-P界の幹部でもあるANATHEMA"オルタナティブ"な音楽遍歴と黄金の精神』を提唱する『ジョジョ』の"オルタナティブ"な冒険遍歴も【≒】の存在であるという独自解釈を持っている。そもそも、『ジョジョの奇妙な冒険』というのは音楽漫画でありプログレ漫画でもある、という前置きはさておき、【ANATHEMA≒ジョジョ】であるという根拠の一つに、ANATHEMAが2014年に発表したDistant Satellitesを象徴する”The Lost Song”という組曲にも、他でもない『Love(愛)』『Fear(恐怖)』の二大概念がテーマに組み込まれていて、中でも”The Lost Song Part 1”のラストシーンにあるThe Fear is Just an Illusionつまり恐怖なんて幻想に過ぎないんだという『ジョジョ』然とした人間讃歌あふれる歌詞(セリフ)を筆頭に、ジョジョ8部『ジョジョリオン』「呪い(ANATHEMA)を解く物語」であること、バンド名を冠した"ANATHEMA"即ち"呪い"の中には『Love(愛)』が込められていること、そのANATHEMAがまさかの来日公演を果たしたこと、そして今回満を持してRiverside"LovePeace"即ち黄金の精神』を描き始めたこと、全てが糸のように繋がっている気がしてならないんだ。現代日本の"リアル"を暴き出していくジョジョ8部『ジョジョリオン』の中で、全く【新しいジョジョ】を切り拓かんとする荒木飛呂彦恐怖(Fear)は想像を絶するものがあるが、しかしその恐怖(Fear)を乗り超えられたならば、歴代最低の評価を受けている『ジョジョリオン』は晴れて傑作の評価を得ることになるだろう。
 

Love:12g⇄Fear:11g ・・・愛(Love)恐怖(Fear)よりも重いのだろうか・・・?人は恐怖(Fear)を乗り超えることで愛(Love)を知るのだろうか・・・?この『愛・おぼえていますか』を司る『Fear(恐怖)』『Love(愛)』、そして『Peace』という3つのワードが一つに集約され、リリックビデオとして先行公開された”Discard Your Fear”からして、アンニュイでメロマンティックな世界観やThe Cure”Fascination Street”をオマージュしたベースラインをはじめ、"オルタナティブ"なクリーン・トーン中心のフレーズやバッキング・ギターに魅了される。そして何よりも→Fear of new life Fear of days of the unknown No more fear of loveという、今作のコンセプトその本質を表した歌詞が全てを物語っている。その80年代のUK音楽リスペクトな耽美的なムードは、オープニングを飾る#1”Lost”から惜しげもなく発揮されていて、前作のリード・トラックである”Celebrity Touch”を彷彿とさせるクラシック・ロック譲りのリフ回し、今作のアートワークの如しどこまでも続く地平線に淡色に揺らめく夕焼けを映し出すようなリヴァーヴィでドリーミーなメロディ、そしてデビュー作『Out Of Myself』の頃にファスト・トラベルさせる抒情的かつ幽玄な旋律を奏でるギター・ワークまで、まさに彼らの『過去』へとタイムトラベルするかのような、今作の幕開けを飾るに相応しい一曲だ。で、ANATHEMAがPost-P界隈の仲間入りを果たし、いわゆる黄金界隈』創設に至る大きなキッカケとなった傑作『We're Here Because We're Here』直系のクリーン・ギターを擁したミニマルなリフで始まり、中盤からエキセントリックなハモンド・オルガンやメロトロンを駆使してグッと場を盛り上げてから、後半にかけて「キング・オブ・プログレ」としか例えようがないPost-然とした展開力を発揮する#2”Under The Pillow”、そして【新しい】ことに対する『Fear(恐怖)』と対峙する#3”#Addicted”は、イントロからPorcupine Tree”Fear of a Blank Planet”を彷彿とさせるポップなビート感に度肝を抜かれ、そのリズムからギター・フレーズ、そしてマリウスきゅんのフェミニンなボーカルを筆頭に、ニュー・ウェーブ/ゴシック・ロックが一世を風靡した80年代のイギリス音楽愛即ちLoveに溢れた、それこそ「ロマンスがありあまる」ような名曲だ。そして、この曲のアルペジオが入ってくるアウトロの場面転換というか、それこそ"イェンス・マジック"により化けたMoonspell”Medusalem”を彷彿とさせる、要するに80年代のUK音楽と現代的プログレを邂逅させたこの瞬間というのは、このRiversideがPost-Progressive界入りを宣言した歴史的瞬間でもあった。
 


タイムトラベル ・・・自らの原点である『過去』や自らの音楽的なルーツでもある80年代の音楽シーンに回帰した彼らは、今度は2ndアルバム『Second Life Syndrome』と3rdアルバム『Rapid Eye Movement』の頃にタイムトラベルする。暗鬱で内省的な世界観やポスト系のキザミで構成されたリフ回しをはじめ、中期のPorcupine TreeあるいはThe Pineapple Thiefを連想させる、それこそイギリスの空模様のようにソフト&ウェットな、それこそPost-Progressive然としたアコギを織り込みながら、ラストは一種の小宇宙を形成するようなエピカルなバンド・アンサンブルでキメる。次はそのメタリックな側面を更に追い求めるかのように、すなわち4thアルバムAnno Domini High Definitionへとタイムトラベルする#5”Saturate Me”は、プログレ・メタル然としたアクティヴでテクニカルなインストをはじめ、マリウスきゅんによるミカエル・オーカーフェルト顔負けの抒情的なボーカル・メロディとキーボードのエピカルでスペイシーな演出とともに、カタルシスを誘うアウトロのアルペジオまで揺るぎない音のスケールで繰り広げる。悪夢を見ているかのようなダーティで物哀しいマリウスきゅんのボーカルをメインに聴かせる#6”Afloat”Alcest顔負けの美しいアルペジオとアート・ロック志向のピアノ、そしてマリウスきゅんのヨンシーばりの繊細な歌声をもって恍惚感に溢れた幕開けを飾る#8”Towards The Blue Horizon”は、そのアルプスの遊牧民と化す幕開けから一転して、Opethの名曲”Bleak”Riversideなりに再解釈した猟奇的なギター・フレーズから徐々に暗黒面に堕ちていく曲で、というより、Pale Communion”River”をイントロから見せ場のスリラーなインストパートまで丸々オマージュしたような曲調で、あらためてOpethがマリウスきゅんおよびRiversideに与えた影響、その大きさを物語っている。そのタイトルどおり、それこそLet's go back to the world That was 30 years ago And let's believe this is our timeと繰り返される歌詞にあるように、『現在』から30年前の『過去』へとタイムトラベルした長旅の疲れを癒やすような、その思い出話に花を咲かせるようなフォーキーなアコギ中心の#9”Time Travellers”、そしてPink Floyd”High Hopes”をオマージュしたようなMVの映像美が見所の#10”Found”を最後に、デヴィッド・ボウイと並びPost-Progressiveの一つのルーツであるフロイドに敬意を表することで、これにてRiversideのPost-P界入りが正式に『許可』される。



再構築 ・・・「僕たちが愛した音楽、そのルーツがどこにあるのか?」を過去30年まで遡って彼らが導き出した答え、「僕たちの音楽」がこの『Love, Fear and the Time Machine』なのだ。マリウスが子供の頃に夢中になった80年代のイギリス音楽、大人になったマリウスが夢中になったPorcupine Treeおよびスティーヴン・ウィルソンOpethおよびミカエル・オーカーフェルト、それらを含むマリウス・デューダが愛した世界中の音楽との再会、つまりタイムトラベルの後遺症により"Lost"した記憶(思い出)をトリモロス(再構築)する音の時間旅行なのだ。子供の頃の記憶を取り戻し、大人になって成長した今の自分を紡ぎ出すことに成功した主人公マリウスは、右手には愛(Love)を左手には勇気(Pluck)を持って、Post-Progressiveという未知なる恐怖(Fear)に立ち向かい、その恐怖(Fear)を乗り超えた先で掴みとった【新しいRiverside】の姿が今作に刻み込まれている。そもそも、往年のクラシック・ロックの音作りでガチのプログレやるパティーンというのは、最近ではMastodon『Crack the Skye』CynicKindly Bent to Free Us、そしてOpethPale Communionが記憶に新しいが、紛れもなくこの『Love, Fear and the Time Machine』もそれらの作品と同じ系譜にあるアルバムと言える。中でも、スティーヴン・ウィルソンが手がけた『Pale Communion』は、今作に多大な影響を及ぼした一枚なのは確かで、Opeth自身もそのアルバムの中で自らの『過去』を再解釈/再構築していたが、このRiversideの場合は自らの『過去』を経由して、更にそこから30年前の音楽を再構築するという、それはまるでスティーヴン・ウィルソンミカエル・オーカーフェルトの間に生まれたマリウス・デューダという名の子供が、親の離婚という『未来』を変えるために『過去』へタイムトラベルして再構築を目指すような、それはまるで未知なる惑星へと向かう途中、ガルガンチュア内部に突入する恐怖(Fear)時空(Spacetime)を超えて究極の親子愛(Love)に辿り着いた、映画『インターステラー』マシュー・マコノヒーばりに前代未聞の事を成し遂げている。そして子(マリウス)が親(SW&MO)という絶対的な存在を超越した瞬間、気がつくと僕はマシュー・マコノヒーばりに咽び泣いていた。

繋ぎの意識 ・・・今作、とにかく曲展開の"繋ぎ"とアウトロに対する意識の高さが尋常じゃない。その繋ぎやアウトロといえば→デフヘヴンの新しいバミューダ海峡が一種のプログレに通じていたのは、他でもない展開の繋ぎとアウトロの意識の高さにあって、今作のRiversideも例外はなく、繋ぎのメリハリを強調することによりプログレという名の様式美/構成美が刻まれていく。そして、いかに今作がOpeth『Pale Communion』をお手本にしてるのかが分かる。特に、#2,#3,#4のクライマックスで垣間見せる、四人の個が互いに高め合いながら一つになり、ナニモノも立ち入ることを許さない"四人だけのセカイ"を構築する孤高のバンド・アンサンブル、それは現代のプログレと称されるポストロック的ですらある、まさにポストでモダン、リリカルでエピカルなPost-Progressive然とした展開力、ある種の「静寂の中にある狂気」は息を呑むほどに「ロマンスがありあまる」。もはやバンドとしての一体感は、ポスト界隈の幹部勢を優に超えたものがあるかもしれない。

変わる ・・・初期二作のクサメロ全開の辺境プログレっぷりから、一転して3rdアルバムではTool直系のモダン/オルタナ化したと思えば、次の4thアルバムではメタリックなモダン・ヘヴィネス化したりと、元々Riversideって【変わる】ことを決して恐れないバンドではあるのだけど、この『Love, Fear and the Time Machine』における【変わる】の意味は、これまでの【変わる】とは意味合いがまるで違う。ピョートル(兄)のギター・ワークからアコギおよびアルペジオをはじめ、それに伴う曲作り/曲構成、そしてリリック面に至るまで、全ての音のトーンが完全にポスト化へとシフトしている。いわゆる洗練されたとかモダン化したとか、そんなベクトルの話とは違くて、ただただ「これがプログレなんだ」感しかない。マリウス&ミシャのインテリコンビとガチムチ系ピョートル兄弟からなる、この凸凹過ぎるギャッピーなビジュアルからは想像つかないほどの、音楽に対する柔軟性や器用さを過去最高レベルで発揮している。中心人物であるマリウスきゅんはマリウスきゅんで、クリエイターとしての才能とソングライターとしての才能を過去最高に高い次元で爆発させている。そして過去最高にSW愛に満ち溢れた作品でもあって、ソロプロジェクトのLunatic Soulで垣間見せたSW愛をそのままバンドに持ち込んだような形とも言える。僕は今作における【変わる】の意味に対して、「軸がブレた」とか、「オリジナリティが薄れた」とは微塵も思わない。むしろSWの正統なクローンだからこそ実現可能にした、紛れもなく真のオリジナリティだ。
 
Love, Fear & the Time Machine
Love, Fear & the Time Machine
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Riverside
Imports (2015-09-11)
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CHVRCHES 『Every Open Eye』

Artist CHVRCHES
Chvrches-1-1180x650

Album 『Every Open Eye』
_SL1500_

Tracklist

01. Never Ending Circles
03. Keep You On My Side
04. Make Them Gold
06. High Enough To Carry You Over
08. Down Side Of Me
09. Playing Dead
10. Bury It
11. Afterglow
12. Get Away
13. Follow You
14. Bow Down
15. Leave A Trace (Four Tet remix)

「ローレン!ローレン!ローレン!ローレンぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ローレンローレンローレンぅううぁわぁああああ!!!あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくんはぁっ!ローレン・メイベリーたんのブロンドの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!MVのローレンたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!ピッチフォークに評価されて良かったねローレンたん!あぁあああああ!かわいい!ローレンたん!かわいい!あっああぁああ!セカンドアルバムも発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!ぐあああああああああああ!!!セカンドアルバムなんて現実じゃない!!!!あ…三度目の来日もよく考えたら…ロ ー レ ン ち ゃ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!グラスゴーぁああああ!!この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?L-エル-のローレンちゃんが僕を見てる?表紙絵のローレンちゃんが僕を見てるぞ!ローレンちゃんが僕を見てるぞ!挿絵のローレンちゃんが僕を見てるぞ!!再来日のローレンちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはローレンちゃんがいる!!やったよ!!ひとりでできるもん!!!あ、セカンドアルバムのローレンちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!あっあんああっああんあぁあ!!イ、イアン・クック!!マーティン・ドハーティぃいいいいいい!!!ぁあああ!!ううっうぅうう!!俺の想いよローレンへ届け!!グラスゴーのローレンへ届け!」

Lたそ ・・・おいら、アルバムが発表される度に例の"ローレンコピペ"を貼らなきゃ気が済まない身体になってて、しかしまさかAcid Black Cherryの4thアルバムL-エル-の悲劇のヒロイン『L』の正体がローレン・メイベリーだなんて、一体誰が予想したことだろう。今やTVでカバーしちゃうくらいMuseマシュー・ベラミーをお熱にさせ、そしてあのピッチフォークに「kawaiiは正義」であるという「この世の真理」を証明させた、SEALDsの親玉もとい"Lたそ"ことローレン・メイベリー率いるグラスゴーの三人トリオ、CHVRCHESの約二年ぶりの2ndアルバム『Every Open Eye』は、鮮烈なデビューを飾った2013年作の1stアルバムBones of What You Believeを素直に、ありのまま踏襲したポップでポップでポップな内容となっている。

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処女性 ・・・ここまで「私たちは何も変わってない」アピールするアーティストも珍しいというか、UK出身アーティストの宿命とも言える「二作目のジンクス」を徹底して回避してきている。というより、「リスナー側がチャーチズに何を求めているのか?」を自分たちで理解しきっているというか、この手のフロントマンがkawaiiが故にデビュー作でアイドル扱いされたアーティストって、まるで「私たちはアイドルじゃない!私たちはアーティストなの!」と、いわゆるアーティスト病を拗らせた某アイドルグループのように、次の二作目でデビュー作をメタクソに全否定して黒歴史にするパティーンがテンプレだ。しかし、チャーチズはこの二作目で、むしろ「私たちアイドルですが何か?」と言わんばかりの、むしろ既存のアイドル的なイメージを真っ向から肯定している。その「何も変わっていない」は、先行シングルとして発表された一曲目の”Never Ending Circles”と二曲目の”Leave A Trace”から顕著で、この二曲をシングルとして先駆けて発表することで、デビュー作で獲得したフアンや音楽メディアに対して釘を刺すという念の入れよう。そのシングル二曲をアルバムの冒頭に持ってくる采配からも、チャーチズは「何も変わっていない」という事実を開始早々印象付けると同時に、フアンに対して一種の母性に近い安心感を与える。確かに、「ローレンの処女性が失われた・・・そんなの嫌だああああああああああああ!!」と、まるでアイドル声優にスキャンダルが発覚した時のオタク語録打線ばりに阿鼻叫喚する『覚悟』を決めたフアンも中にはいたかもしれない。しかし「安心してください、ローレンの処女性は失われてませんよ」と今年の流行語として連呼したくなるくらい、とにかく曲のアレンジから根本的なソングライティングまで前作から何一つ「変わっていない」。



歌モノ ・・・結局のところ、チャーチズの音楽ってローレンが「どれだけ俺たちをブヒらせてくれるか?」が最重要課題で、まずイントロからフェティッシュでウィスパーな息遣いでブヒらせる#1”Never Ending Circles””Leave A Trace”では、まるでロックマンが死んだ時のティウンティウンティウンみたいに弾け飛ぶシンセとWoob Woobなアクセントを加えつつ、Depeche Modeをはじめとした往年のシンセ・ポップとローレンのロリキュートな歌声をもってシンプルかつアッパーに聴かせる。その冒頭から一転して、イントロから死ね死ね団ばりの「シネーシネーシネーシネー」という呪いの呪文にブヒるというより軽くビビる#3”Keep You On My Side”では、80年代特有のクサミが施されたアレンジとブリンブリンにウネるダーティな低音部が力強いグルーヴ&ロックなビートを刻み、そして少しオトナオーラをまとったローレンの歌声でキレキレに聴かせる。この序盤を聴いて感じるのは、イマドキのエレクトロ感は極力控えめに、より80年代リスペクトなM83風シンセ・ポップと、それこそジャケの薔薇が似合う凛としたオトナの女性へと成長した、フロントマンローレン・メイベリーの力強い歌声を全面に押し出した至ってシンプルな"歌モノ"、その傾向が著しく増した印象。今作で惜しげもなく行われる「ローレン推し」は、”Leave A Trace”「ローレンしか映ってないMV」が何よりの証拠であり、この二作目でチャーチズが結論づけた「答え」だ。


三姉妹 ・・・前作で言うところの”Tether””Science/Visions”を連想させる、ミニマルでアゲポヨな展開にブチアガる3rdシングルの#5”Clearest Blue”、前作の6曲目”Under the Tide”と同じようにマーティンをメインボーカルとして携えた6曲目のHigh Enough To Carry You Over、このアルバム中盤の意図的というか確信的な曲順やアルバムの流れは、デビュー作から「何も変わってない」という今作の裏コンセプトを重ね重ね強く印象づける。しかし、ここまで全てが変わってない流れの中で、持ち前のミニマリズムとトリップ・ホップ的な音使いをもってアダルティに展開する#8”Down Side Of Me”は、「変わってない」が合言葉の今作で唯一「変わった」すなわち新機軸と呼べる一曲かもしれない。この曲は、【長女=Warpaint】【次女=Phantgram】【三女=CHVRCHES】揃って三姉妹的な解釈を持っている自分的に、三女のローレンが二人の姉姉妹の色気を学んだ結果みたいで面白かった。

『死亡遊戯 ・・・いわゆる”UKのアヴリル”を演じてみせた前作の”Recover”を彷彿とさせ、グワッと沈み込むようなイントロから名曲臭漂う#9”Playing Dead”は、そのタイトルどおり、まるで「前作から何も”変わってない”のに前作並に評価しない奴は殺す。ピッチフォーク殺す」というローレンの明確な『殺意』が込められた、それこそJanne Da Arc”ナイフ”の歌詞の如く「ローレンに”ナイフ”という名の”釘”を刺されたい!」、すなわち【Lたそ=ローレン・メイベリー】に僕の身体で『死亡遊戯』してほしいと思っちゃったんだからしょうがない。そしてイントロから「デデッデデデッデデデッデデデデデ♪」とハイテンションな#10”Bury It”は、二番目の「Bury It!! Bury It!!」からの「デデッデデデッデデデッデデデデデ♪」の後にローレンが「wow!!」とブッ込んでくる所なんて、ローレンコピペ連呼せざるを得ないくらい今世紀最大の萌パートだし、このアイドル然とした「あざとさ」すなわち【処女性】を失っていない、むしろオタクがブヒりそうな萌え要素を随所に散りばめた事が、いわゆる「二作目のジンクス」に陥らなかった一番の要因なんじゃないかって。本編ラストを飾る#11”Afterglow”は、いわゆる三姉妹の従姉妹に位置するノルウェーのSusanne Sundførを彷彿とさせる、崇高かつ神聖な雰囲気をまとったこの曲を最後の鎮魂歌に、ローレン・メイベリーという名のリアル天使に手招きされ、僕たち童貞は妖精となって『天国』すなわち『メイド・イン・ヘブン』へと旅立っていく・・・。この終盤にかけても「変わっていない」ことを、これでもかと釘を刺すような楽曲で一気に畳みかける。安心してください、今作を聴き終えた後には「ローレンに刺し殺されたい...」と思いますよ。もうなんか「ローレンに始まりローレンに終わる」ような、それくらい「ローレン推し」の一枚となっている。そして何を隠そう、このトキメキは・・・そう、僕の初恋であるキャリスタ・フロックハートに感じたあのトキメキと同じだった。

「ブヒ」 ・・・前作同様、相変わらずキャッチーなポップ・サウンドを実現しているのだけど、前作のように全曲シングルカットできるくらいの売れ線を狙った「あざとさ」は薄くなっている。僕たちの前立腺を駆け巡るようにカラッとした、思春期のフレッシュなピチピチキラキラした雰囲気も希薄となり、良くも悪くもロリっぽい幼さをウリとしていたローレンの歌声は、今作で少し大人っぽい落ち着きというか洗練された印象を受ける。そのお陰か、前作では少し違和感を感じたタイプの曲調が今作では違和感なくハマっている。10代のキッズのように情緒不安定なアゲポヨ的な曲展開も控えめで、曲のアレンジがアチラコチラにとっ散らかってないから前作ほど耳は忙しくないし、小気味良い転調を織り込みながらも、しかしあくまでもシンプルかつストレートな曲調/構成でノリよく聴かせる。もはや今流行の「余計な音を削ぎ落とした」系の作品と言い切れるかもしれない。曲単位ではなく、「アルバム」としてまとまってる感は前作より上か。それ故に「気づいたら終わってた」みたいな感覚も。一聴しただけでは捨て曲に感じる曲でも、「あ、ここブヒれる」みたいなパートが必ず一箇所はあったりするし、少なからず前作並に評価すべき(されるべき)作品だと思う。ローレンに刺し殺されたいってんなら別だが(いや、むしろローレンに刺し殺されたいんじゃないのか・・・?)



闇堕ち ・・・このようにメディアおよびフアンに対して付け入る隙を一切与えない、ディスる暇もない潔さという点では、デフヘヴンの新しいバミューダ海峡を彷彿とさせる。もはやチャーチズが闇堕ちしたらデフヘヴンになんじゃねーかって。まぁ、それは冗談として→今作、【新しい音楽をやってる=いい音楽】という思考の人にはまるで向かないアルバムです。確かに、ここまで【変わってない】となると、引き出しが少ないとか、結局これしかできないみたいな批判をされがちだ。でもおいら、【新しさ】より大事なのは【ソングライティング】だと思ってる人間で、僕がLiturgy『The Ark Work』よりDeafheaven『新しいバミューダ海峡』を高く評価する理由もそこにある。結論として、この『Every Open Eye』の勝因は徹底して【新しさ】を捨てたことです。つまり、Hostessさんはチャーチズを日本に呼ぶついでにデフヘヴンも呼んでくださいw

エヴリ・オープン・アイ
チャーチズ
ホステス (2015-09-25)
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